母の日について

母の日とカーネーション
 5月の第2日曜日は母の日。
 花屋さんの店頭に、カーネーションが並びだすと、その日が近づいたことを思い出します。

 母の日は、アメリカでは祝日の一つ。正式に祝日として制定されたのは1914年。既に百年近い歴史が有ります。



「母の日」の始まり
 「母の日」の歴史は1907年、アメリカのウェストバージニア州に住むアンナ・ジャービスと言う女性が、母の命日に彼女の追悼式を開き、その式で母ミセス・ジャービスが好きだったという白いカーネーションを捧げ、式の参加者に母を偲んで一輪ずつ手渡したのが始まりだと言われています。

 彼女の母、ミセス・ジャービスは早くに夫を失い、残された娘二人(そのうち一人は盲目だったと云います)を苦労して育て上げました。また彼女は敬虔なメソジスト派のキリスト者でもあり、26年にも渡り教会で日曜学校の教師を努めた程でした。
母を亡くしたミス・ジャービスは苦労して自分たち姉妹を育ててくれた母(過労による死だったとも伝えられています)の恩を忘れず、母の徳を偲ぶためにこのような会を開いたと云います。

 カーネーションを参列者に手渡したのは、生前のミセス・ジャービスが日曜学校で「母の恩の深さを人々に悟らせる方法を考えましょう」と話していた事を思い出し、母の恩を母の愛したカーネーションに込め、この花に母の恩の深さを象徴させたものと思います。

「母の日」の広がり
 ミス・ジャービスの追悼会の模様が噂となり、米国初の百貨店経営者として知られた実業家であったジョン・ワナメーカーもこの話しを知りました。

 母の日の主旨に賛同したワナメーカーは翌1908年に、早速自分の経営するシアトルの百貨店で「母の日」の催しを行い、ミス・ジャービスの行いを盛んに顕彰し、これが徐々に全米に広がって行きます。この年の催しにおいては、ミス・ジャービスの提案で、母の存命する者は赤いカーネーションを、母を亡くしたものは白いカーネーションを胸に付けるようになったと云い、これが慣習化して今の母の日まで受け継がれています。


「母の日」の祝日化
 ミス・ジャービスは、当時の有力政治家に手紙で「母に感謝する日を祝日にすること」を訴え続け、これがウィルソン大統領にまで伝わるところとなり、大統領からの提案という形で「母の日」を祝日にする事が議会に提出され、1914年に正式に祝日として認められることになりました。

 この点については、ウィルソン大統領もまた牧師の家庭に生まれ育った敬虔な信者であったという事も、幸いしたのかも知れません




この記事は「 かわうそ@暦 」サイトより引用してます

かわうそ@暦
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