マザーグースの部屋

マザーグースの部屋

2009年01月11日
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1999年7月15日(木)

しかし珍しくこの日一日だけは鎮痛剤の頓服薬も坐薬もなしで過ごすことができた。
検査の後、内科の診察がありかなり長い時間をかけて医師二人で全身のリンパの触診をしていたようだ。
その結果、鎖骨の近くのリンパ節が鶉の卵大に腫れているのがわかった。素人の私が触ってもしっかり手に触れた。その瞬間とても恐ろしい不安感が襲ってきたことを覚えている。とても怖かった。つい2週間前の触診では全く触れることもなかったのに2週間という時間の間にこんなにも主要が大きくなっているなんて・・・
その進行の速さを感じざるを得なかった。
もう一人医師が加わって3人の先生から話があった。
「おそらく悪性リンパ腫でしょう。この病気は抗がん剤しか治療法がないが抗がん剤によく反応するす十分治る可能性はあるが逆に進行も早く再発しやすいということも覚えておいてください。しかし悪性リンパ腫というはっきりとした確信がないので鎖骨の腫瘍を針生検して腫瘍の種類を確認します。来週の月曜日に外科で生検手術の予約をします。」と言われた。
そんなにのんびりしていていいのだろうか一刻も早く検査をしてその結果適切な治療をしてもらいたいと申し出たが検査の日時はそれより早くしてもらうことはなかった。この翌日も翌々日も主人は痛みに耐えながら出勤した。おそらく入院をしての治療になると予想をしていて仕事の引き継ぎなどをしたかったのだろうと思う。

運転免許を持っていない私が子供の送迎や病院への往復に困ると思って・・・私のことを気遣ってのことだと思う。後に運転免許を取ることになるがそれまでの間、この電動自転車のおかげでどれだけ助かったかわからない。

012.jpg

実はこの時、一時は付き合いをしていた主人の両親とまた気まずい関係になっていて1年前の1998年8月に次女が生まれたことさえ知らせていなかった。もう一生付き合うことはないだろうと主人も覚悟していたようだった。しかしこのような病気になってしまって病気のことを黙っているわけにはいかないと私は主人に連絡を取るように話したが・・・連絡しなくてかまわないと言い張った。
次女の誕生も知らせていないのに今更連絡を取るのは私だってとても嫌だった・・・でも主人に万が一のことがあったらと思うとそんなことは言ってられないと思って17日(土)の朝早く、まだ主人が眠っている間に黙って内緒で主人の両親に電話で病気のことを知らせることとなった。
主人の両親は驚いてすぐに駆け付けたが・・・主人の病気のことと初めて見る次女の姿に驚きを隠せない様子だったと思う。

1999年7月19日(月)
外科にて鎖骨リンパ節の腫瘍の生検を受けた。
その日は自宅に戻ったが、昼食を食べに近所の回転寿司に行ったが全然食べ物なんて喉を通らなかった。
帰り道では足が宙に浮いてしまった感じでフワフワと歩いていたことは今でも忘れない。

1999年7月21日(水)
外科にて消毒とガーゼ交換をしてもらい、その後に内科の先生から検査の結果を聞くこととなる。

「性腺外胚細胞腫瘍」睾丸以外に原発巣を持つ精巣がんである。
一日も早い抗がん剤治療が必要と判断されたらしく、ベッドが空いていなかったがHCUで明日から入院することになった。本来なら精巣がんは泌尿器科の担当になるのだか睾丸以外に発生しているということで内科での治療となった。
帰りに本屋でがん関係の本を読み漁った・・・しかし精巣がん自体非常に珍しく10万人に1人の発生率だというさらに精巣以外に発生するのはまれな症例みたいで専門書でもない限り主人の病名に関する情報はほとんどないに等しかった。
帰宅してから急いで明日からの入院の準備をした。
いよいよ明日から大変な闘病生活が始まることとなった。


抗がん剤の治療中は患者は精神的にも不安定になるので家族の付添が必要だったが・・・まだ生後11ヶ月の次女の世話を頼める人が誰もいなかった。少し前にもしかしたら入院になるかもしれないと思って福祉事務所に相談に行っていたがそこで帰ってきた答えはひどいものだった。
「奥さんは働いていないよね・・・!?介護くらいの事情では保育園に入れるわけにはいかない。待機児童がいっぱいいるのだから保育園入所は無理です。」と言われていた。明日からの入院が決まったので再度お願いしに行ったがやはり答えはい同じ「介護くらいで何言っているの?!」とまで言われてしまった。
途方にくれた私は実家近くの市が管轄している昼間里親さんに直接お願いしに行った。福祉事務所ではこの昼間里親も順番待ちで無理と言われていたがダメで元々のつもりで頼んでみた。そしたら里親さんは「待機児童がいるもののそんな事情で本当に困っている人を放っておくことはできない里親さんのほうから市に交渉するから明日から入所準備をして来てください。」と言ってくれた。ありがたかった。地獄で仏とはこのことだと思った。ほっとして気がつけば涙があふれ出ていた。今度は次女を預かってもらうための準備をして・・・気がつけば日付は7月22日に変わっていてあと数時間で入院が始まる時間になっていた。





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Last updated  2009年01月13日 18時39分46秒
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フルタユウスケ @ Re[1]:ご無沙汰しています♪(03/08) マザーグース2002さんへ ご返信、誠に…
マザーグース2002 @ Re:ご無沙汰しています♪(03/08) 長らくこちらのページを開けることがなか…
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