昨日の朝日新聞、岐阜県立多治見病院で、倫理委員会が回復の見込みのない80歳の男性の延命中止を容認したが、院長は県と相談して、中止を認めず、3日後に人工呼吸器をはずさなかったが亡くなったという記事が出ていた。この舟橋院長は私の大学時代の内分泌研究室の指導医だった先生で、昨年多治見で内分泌外科学会の会長をした。
男性は食べ物を喉に詰まらせて、心肺停止状態で病院に搬送されたが、救急蘇生で心拍だけは再開したが、呼吸は戻らず、人工呼吸器をつけられた。男性は生前「重病になり、将来再起の可能性がないとすれば延命処置をしないでほしい」という文書を家族に託しており、問題となった。病院の倫理委員会(今では大きな病院ではどこにでもある)を開催し、男性の治療に関わっていない医師2人から「回復の見込みがない」との診断を得て、人工呼吸器をはずすことを容認して院長に結論を報告したが、舟橋先生は県に相談したうえで、「国の指針などが明確でなく、現段階では医師だけが責任を問われかねない」として、倫理委の決定を認めず、治療続行を指示したものである。
私と違って、石橋をたたいても渡らない舟橋先生らしい判断だなと思いながら読んだ。確かに今まで、主治医の勝手な判断で延命中止をして問題とされたケースはあるが、倫理委員会が判断したというのは初めてのケースではないかと思う。
安楽死(尊厳死)が法律的に認められていない(決められていない)日本では、死の定義もまだあいまいで、移植医療のために脳死を人の死と認めても実際には心臓移植、死体肝移植がまだ諸外国のようには行われていない現状である。
私はしょっちゅう検案に呼び出されるが、これは明らかな死体であって、生き返ることは絶対にないものばかりである。しかし、救急医療をしていると死にかけている人が運ばれてくることがある。昔はDOA(dead on arrival)と言っていたが、今はCPA(cardio-pulmonary arrest、心肺停止状態)と呼んでいる。私も昔当直をしていて、心肺停止状態で来た人を生き返らせたことが1度だけあるが、それは稀なケースである。
大部分は心肺蘇生処置(心マッサージと人工呼吸)を行っても心拍も自発呼吸も再開しないか、心拍だけ再開するが呼吸が戻らないかどちらかである。脳の血流が停止して3~5分も経過すると脳の神経細胞が壊死をして元へは戻らない。高級な脳ほど早く駄目になる。循環・呼吸を司る中枢は延髄にあり、一番最後まで生きている。上の脳が駄目でも、両方の機能が残れば植物状態となる。これは人工呼吸器をはずしても、アメリカであったカレンさん事件のように何年も生きることがある。
心臓・肝移植のドナーとなることができるのは、脳死という状態で、自発呼吸は全くなく、心拍のみ保たれている状態だが、この状態では人工呼吸をしていても長くは持たない。多治見病院のケースはこういうケースである。
救急外来には割りとシンプルな人工呼吸器が置いてある。CPAで来院すると、本人の意思にかかわりなく、挿管することが多い。すると今回のようなケースになる。
われわれが普段診ているのは癌の患者さんが多い。末期になるとだんだん悪くなり、もう治ることはない。最後は心臓が止まるより呼吸が止まる方が早い。そのとき挿管して人工呼吸器につなげば一時しのぎにはなる。しかし、治るわけではなく、いずれは駄目になる。前もって本人・家族に急変時の挿管をするかどうかを訊いておく。たいていは挿管まではして欲しくないという人が多い。
これからは元気なうちから、急変時の対応についての意志表明を文書で残すことと、またそれが尊重される法律の整備が必要である。
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