We love GIANTS!, not Yomuiri.


「<当時(注:昭和25年)、九州へ都落ちしていくときの複雑悲壮な気持ちは、言葉や筆では、とうてい現せない。必ず都へ攻め上り、巨人軍をたたいてやろう、と心に誓ったものだった>(三原脩『監督はスタンドとも勝負する』より)
 ただし、三原自身が「読売(新聞社)と巨人軍を区別して考えなければいけない。私は巨人軍には愛着があるが、読売は嫌いです」と常々語っていたように、かれの怒りは絶えず「読売首脳」に向けられたのであった」
(立石泰則 「三原脩と西鉄ライオンズ 魔術師」 p.368)

水原茂(戦前の巨人の名サード、第二期黄金時代(昭和26~28年)及び長島・王選手入団時の監督、野球殿堂入り)
「この第一回遠征(注:巨人の米国遠征、昭和10年)のとき、世話をしてくれたオドールから『大日本野球倶楽部というような名前ではだめだ。プロ野球である以上ニックネームをつけねばいかん。ニューヨーク・ジャイアンツというのはアメリカのプロ野球では名門だし、輝かしい歴史を持ってるチームだから、それにあやかって東京ジャイアンツにしなさい』
 といわれ、そこで初めて『東京ジャイアンツ』という名前になった。今、読売ジャイアンツという名前に変わっているけれども、ぼくからいわせると、一読売というより東京という方がスケールも大きい。こういうことを言っては読売の人に悪いけれども、私が巨人軍の監督時代、いろんなサインとか色紙を頼まれても、読売巨人軍とは書かなかった。いつでも東京巨人軍と書いた。ぼくはそこに意義があると思っている。
 読売の首脳部からいわせると、巨人のバックは読売なんだから読売巨人軍と書かないのはけしからんということになるかもしれないが、ぼくらのような生え抜きの者からすれば、東京巨人軍という呼び方がスケールも大きいし、チームの幅も広く、外面的にも大きいと思う。最近は読売ジャイアンツ、読売巨人軍という名前になっているけれども、古い者からいわせると東京ジャイアンツの方がずっとすっきりしている・・・。とにかく東京ジャイアンツのバックは読売ということはわかっているのだからことさら、いわなくてもいいのではないか。」
(水原茂 「わが野球一筋の歩み 華麗なる波乱」p.47-48)

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