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メールそしてご心配の電話ありがとう。そちらは、パリに1ヶ月間行って戻ってきたばかりだったのだね。「今朝初めて地震のことを知った‥びっくりして‥」よくわかります。実は昨日、実家の母もやっと電話が通じた瞬間、何も知らなかった。表参道でのんびり食事と言う最中でした。青山で墓参りの後で、母は弟も妹も皆と一緒だったので連絡は一回で済んだのだけど。お蔭様で、家族全員無事です。いやーびっくりしましたね!我が家の、南北の方向の、食器戸棚から殆どのガラス製品が飛びだし高い?ワイングラスや結婚祝いのガラス食器がみんな割れてしまいました。戸棚の上のお酒は半分くらいが落ち割れ、梅酒やらウイスキーやらが割れて妙なイイ匂いをかもしだして‥ピアノも50センチくらい動いているし、その上の博多人形は下に落ち、ガラスケースめちゃめちゃ、首がおれています。時計も壁からも落ち、電池ははずれ時間は10時55分くらいをさいてとまっている、といった具合です。子供部屋も本棚が2本、完全に倒れ中身の本が全部出て散らかっています。私の部屋は、本だらけですが壁に作り付けのほんだな、そして2台の本棚からこれも殆ど壊滅に近く本が飛んでしまっています。不思議に本が残っている段があるのですよ。その中で、奇跡的に、パソコンはいつもの机の上からたまたま奥の日本間のパソコン作業台に移動してあって無事、いろいろとPC関係は作業が可能ですが、なんと今プリンターは壊れていることに気がついた。どこか地震でぶつかったのかなあ。プリントができないぞ、これはチョット今日の仕事に差しさわりがあるかも‥。今日午前中、マンションの被害状況の確認集会がありでていたのですが家の中での被害は我が家は大きかった方の様子で、それがショック!しかし、愛宕浜の海岸砂丘は液状化現象で大きな穴が開き、マンション横のレンガの道路は亀裂が入っておリ、あやはりかなりの地震だったことがわかります。我が家は西区で被害が比較的大きかった地域ですが都心部に近いところはあまりそれほどの被害はなさそうでもあります。今後、部屋の片付けに時間がかかりそうです。食器戸棚からのガラス破片関係は昨日のうちに片付けましたが、書斎の本棚からの本が1000冊以上山積み状態で落ちています。これらは昨日は手付かずで、やれやれ。今日は、岩田屋コミュニティカレッジの「コーチング講座」。4月からの説明会と、1月からやっていた最終回のダブルヘッダーです。そう、仕事です!札幌と二重生活ですので、福岡にいる間の作業でいろいろと大変です。ではまた。パリで君が一生懸命製作、そして完成の最初の「画集」を拝見する日を楽しみにしています。本日はお見舞いありがとう。
2005.03.21
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福岡から鮫島宗哉です。地震見舞いを、メールや電話で下さった、旧友、新しい友、コーチングの仲間、そして日本ファシリテーション協会のメーリングリストの皆さま、お見舞いのことば、ありがとうございます。そして夕方、中学時代の恩師のH先生からも電話をいただいたのだ。最初「横浜のHですが‥」とおっしゃったのは聞こえたのですがすぐにはピント来なくて、当初ハーハーと、ぼけた応対をしてしまった!あらためて皆様ご心配頂きありがとう。その直後電話をすぐ東京の実家、弟の家、妹の家、家内の実家、全て、かけたのだけど全くつながらない。とにかくびっくりした。こんなとき、携帯も固定電話もまったくだめ。その瞬間、我が家は、家内、小6の娘、私の3人。中3の長男は博多駅近郊でおこなわれていたエアガンのイベントショーに行っていたという。10時56分かな、その時、パソコンを移動し、日本間のパソコン台においてプリンターにつないだときブルルとチョットゆれウン?地震か?ズンズンズンと言う感じこれは大きいかもと思って、玄関の方へ向かった瞬間大きく揺れ、瞬間思ったのはおい福岡にも地震かよ、うそだろーそして足元がふらつくので、リビングの扉と壁につかまってこらえているうちにも横の本棚を横から押さえていた。目の前で、あれよあれよと南北の面に向いて置いてあった食器戸棚のひとつから、ワイングラスや、陶磁器が殆ど飛び出し、ほぼ全滅!結婚記念の幾つかの、ベネチアのワイングラスや、バカラの‥そして棚の上の酒瓶類が、びんびんと落ちてきて散乱、木っ端微塵、あれよあれよと言うまに、ほぼ全部のガラス食器がとびだしいかれた。ただ、奇跡的に、中でも高価なはずの!友人二人からの結婚祝いでいただいていた今衛門のお皿は無傷!嬉しい。博多駅周辺に居た長男から程なく奇跡的に電話が入り、家内はホットし、友人と二人と聞き、天神のはじっこの那の津と言うところまでまず歩いてくるように告げる。バスは動いてていると言うので、それではと一瞬思うがやはり迎えに行こうと、混雑で一杯の道路をぬって、普段15分のところを約1時間かかってピックアップ、連れて戻る。長男いわく、イベントの会場は殆どゆれず、皆そのままショーを続けていたという。天神地区は、デパートでは人を皆外にだしていたとかビルのガラスがわれておちていた、ガラスが割れているコンビニがあった、下水管が割れて下水がくさかったとか言っている。我が家は、マンションで目の前に志賀島と能古島が直前に見える海に面し9階建 ての、7階部分なのだが、端っこなので一番上でもある。だから、かなりゆれが激しかったのかもしれない。前の愛宕浜中央公園は水があふれ、最初は、水道栓が壊れたかと思ったがなんと液状化現象であったようす。歩道も一部レンガが盛り上がったり、入り口前の階段はズレてしまっている。長男の部屋は大きな本棚2基が前に倒れ、中は全部ほっぽられ、ぐちゃぐちゃ。さすがに帰って部屋を見た長男もおどろいたよう。もし朝でまだ寝ていたら完全に押しつぶされていただろう。レコードやカセット、ビデオなど各1000本以上収納の自慢の我が天井裏もめちゃめちゃで、恐る恐る、息子に手伝わせて抑えながら、開くとなかからどさっとカセットテープと昔のドーナッツ版レコードのダンボールが逆さになって中身が飛び出してきた。少しずつ開けてやっと何とか全開できるようになった。扉をふさがれてはいたが、なかはそれほど乱れては居なかった。やれやれ。とにかく、かなりの衝撃的な地震、そして今日の経験だったが被害状況は、かなりマンション内でもことなり個人差があるようだ。マンションのメーリングリストでも少しずつレポートがはいることだろう福岡の皆様の状況はいかがなのでしょうか?この程度で済んで良かったというのが今の実感。僕は最近、札幌の滞在が多く、殆ど家に居ない。そうででなく福岡に戻っている時で、ほんと良かったという感想ももった。やはり家族がこんなときは一緒に居るのが一番の基本である。直後から、近所のスーパーは早速買い物客で行列ができていたと我が家はやや遅れて買出しにいった家内は言っていた。夢中で気がついたら夕方、おなかがぺこぺこと言うなかで先ほど、夕食にありつく。今夜は家族皆で、リビングと隣の日本間に集まって寝ようと家内は言う。震度3あまりの余震がその後10回以上もある。今もズントくるものを感じる。やはり不安。まあ、震度6と言うことはもうないと思うのだが‥札幌の仲間、友人たちも心配してメールや電話をくれた真っ先に電話が通じたのは、今一緒に仕事をしている仲間のキャスターのSN。心配してくれる、こんな時の札幌の友の存在が、なんとも嬉しい。ありがとうございました。我が家は、只でさえがらくた屋敷なのに、さらにガラクタの山になりそう。いま片付けの最中のmusamejiこと鮫島宗哉でした。
2005.03.20
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今日は娘Hの12歳の誕生日でもあって、食後にケーキで祝った我が家であったが‥。もう堪らん。何がって、我が家は、花粉症患者のオンパレードなのだ!ここ福岡は、おととい6日の朝、カーテンを開くと、驚くばかりの雪景色。春の陽射しに雪がきらきらして珍しい雪景色をしばし見せていたが、昼前にはかき消え、すっかり春の陽気になっていた。午前中は、部屋の中から一歩も出ず、札幌用のプレゼン企画書作成作業にいそしんでいたのだが‥。この時期ぼくの頭からはなれない、「確定申告」。やはり資料だけでも税務署にとりに行き、作成取り掛かりムード作りをしなくてはと、午後に車を出したのだが‥これがまたもや悪夢の再来の始まりだったのだ。外へ出て、何かこの陽気、むずむずするなあとは感じたが、車を駆って一回りして家に帰ってきた途端、鼻汁、くしゃみの気配!フン?オヤ!これって花粉症?とまだなお半信半疑だったが‥昨日、そして今日、外出時はマスク、ポケットティッシュー3束を持って、バスに乗り、電車に乗り、都心部へ出たのだが、帰るころには完璧にもうズルズル状態なのである。我が家のリビングルームには家内が3日ほど前に、準備宜しく購入してきたばかりの空気清浄機が設置を終えている。これは我が家、なんと3台目の空気清浄機。もう今日は朝からフル稼働である。我が家では、比較的軽症の家内を除いて、私、中3の長男Mそして小6の長女Hまでもかなり以前からひどい花粉症だ。特に長男は、症状がきつくティッシューの消費量はとんでもない量である。新たに空気清浄機を一台追加することを勝手に決断し、1人で抱えてもどってきた家内は、「明日はどうしても、雨が降ってほしいわ」と、無理な期待をいだいてテレビの天気予報をみている。実は我が家の長男、あすは公立高校の入試当日なのである。息子の花粉症が、天候が雨ならば、少しは軽くなるのではとの「母の心」である。”試験官の先生に、ちゃんとティッシューを沢山使いますと試験前に断って解答するのよ”とか、"保健室で受験させてもらいなさいよ"などと,母本人は真剣にそう思って話しているのだが、息子のほうは、意に介さず、鼻をジュルジュルさせながら、まだこの時間寝ても居ない。これを書いている僕自身、パソコンの前で何回クシャミをし、涙目にかすみ、かゆく、何十回鼻汁をふきとるティッシューを費やしていることか。春の気配が感じられた途端、見事に自分の体が、花粉にここまで反応するものかと、ややあきれ、感心しきりでもある。同時に背中の寒気と、体のだるさにも、ややメゲはじめている。明日は水曜日、このところ毎週の定期便になっているJAL3511便で、今年9回目の札幌訪問である。気がかりの「確定申告」の方は、3月の会社決算で対応し、今年のぼくの個人収入では見送っても大して影響なしという税理士さんの情報を得て、気が緩んだということなのか、花粉症に拍車をかけさせたのかなあ。風邪には万全で自慢だったのだが。札幌は明日は大雪予報、これまで一回のトラブルもなしに連続17回の札幌行き明日も飛行機が無事飛んで、かの地には花粉は飛んでないことを祈るばかりである。
2005.03.08
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今のライブドアとニッポン放送の問題。僕はあっさりと、心情的に、「ホリエモンを支持」、しかし、彼は良き仲間には恵まれていないなあと感じる。若くしてお金を握ると、周囲にはギトギトの金がある人たちが集団で徒党を組み、そこから展開される人間関係になってしまうのだろうか?すると必然的に、「品のある人々」との付き合いは、存在しない。「品がある」というのは、節操、己を知るということだと僕は思う。自分を客観視する訓練をしている、あるいはその価値を知るという段階の場合でも「品がある」に少しは近づけるのではと思うのだが。「天は二物を与えず‥。」なのかな?人の幸せって、いろいろ。僕の言うのは、「幸せって、金がもたらすのではなく、良き友がもたらす」ということ。支払いのとき、「どっちが稼いでいるかな?払うのは稼いでいるほうだな」と言ってぼくの場合は、他人におごらせたいんだが、なかなかそうスムーズに言えず、思わずぼくが支払ってしまうケースは多いけど。ライブドアの話に戻るがホリエと、一緒にライブドアの社内ビデオに対談で出てくる、副社長とのやり取りは、浅はかな感じだ。ホリエのオサトが知れてしまう!ホリエモンの父親が先日テレビに紹介されていたが、父親はちゃんとした「人の親」で、ホリエの部屋を彼が高校生だったときのまま、そのままにしているような人で素朴な良い父親だった。彼は、自分の友人選びはどうだったのだろうか?副社長というのは、彼の友人なのか?それとも単なるパートナー?これまでニッポン放送との一連のやり取りを世間がいろいろといっているが、今後は、ホリエ1人の個人的個性だけではなく、彼を取り巻く周囲の仲間たちのパーソナリティが、いかに世間を納得させる、世間から支持される会社なのかが、俄然問われてくると、僕は思う。パーソナリティは、個人の面から、これから「会社としてのチーム」の力に変化して行くだろう。今のままに、あのように言いあっている「社長と副社長のいるライブドアという会社」ならば、ニッポン放送をかれらに言うように支配、任せるのは、どうかなとおもう。仲間内での発言に、かれらの、本音と真実がみえてきている。「ネクタイを締めるのも締めないのも自由」だけど、要するに"まだガキということを自ら言っているひとつのシンボル"にみえるな。織田信長が、斉藤道三に初めて対面したときのように、彼がきちっと記者会見に現れたらたらそれはそれで、サマになるのに、もったいないなあ。「コーチング」してあげたいぞ!しかし僕のもっとガッカリは、「カメカメエブリバディ」の深夜放送の旗手だった亀淵昭信氏に、である。彼の、フジテレビの子会社になる道を選ぶという記者会見を見て、もう彼も若者ではないんだと、はっきりぼくら世代の、青春の夢は費えたんだと、なんだかやるせない。僕らからすると、深夜放送の一DJが会社の社長になるようなナウい(もう古い言い方!)会社がニッポン放送と嬉しくながめた時もあったのだから。しかし、日本の場合、テレビもラジオも放送局というのは免許制で、大して経営手腕なんかなくても、人間関係だけで、”何とかまわすことができる会社”だと聞いてきた。会社の存在理由、レーゾンデートルなんてあんまり考えなくても経営者は務まるんだ。仮にも、考えている人は、なかなか社長には選ばれないし‥。最近でこそ、デジタル化対応とやらで、やや経営者手腕が問われることになってきているが。日本の会社での経営の難易度で言えば、巷の鉄工所や印刷所の弱小企業の経営者のほうが余程、自分の立場を「絶壁に立っている」という切羽詰った気分で、自社の経営を真剣に薄氷を踏む思いで、日々を送っていると思う。フジテレビの日枝社長の発言内容も、あまり風格、人格が感じられないなあ。普段考えていることが、深くないんだ。そんな程度で会社が経営できるということ。日枝氏は昔、自社番組の「懺悔コーナー」に出演するほどのシャレの持ち主だったと言うことは知らなかったが、彼も含めて、やはり権力を有すると、人は変化するんですかね。堤さん、中内さんはじめ、一斉を風靡した人々が、「晩節を汚す人生」になっているのがさびしい。ところで、「徳」という字は、行人偏は「人」を示し、「十」の「目」で五人の人の「心」を一つにする、あるいは「十四の心」で、構成されてできている文字だそうだ。われわれの団塊世代は、これから年齢的にも、先達世代や若い世代に、そして何よりも同世代からの「シンパシ-と賛意」に加え、「人徳」について思いをはせるときなのかもしれない。同世代のなかから、僕らのヒーローを見つけ、差別化された誰かをさがし、見つけ、そして選んで年を忘れて、若者的に新世界にチャレンジしたいものだ。50代という人生の円熟期にいるわれら年代は、一生の中でも「大事なライフステージ」なのだ。ホリエモンのことを書こうとして、結局僕自身へ「徳」を考える決意を促す日記になってしまった。
2005.03.06
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