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2025.04.30
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カテゴリ: イマジン
<佐藤浩市>改めて知る父・三國連太郎さんのこと 何を背負い、何を求めて生きぬいたのか 「ファミリーヒストリー」今夜


💛三國連太郎 、本名 佐藤 政雄 の生涯のすさまじさ

三國は「僕は本当は佐藤じゃない」つまり実の父親は違うと漏らしていたという。
母親が16歳の時、一家離散により広島県呉市の海軍軍人の家に女中奉公に出され、ここで三國を身籠り追い出されて帰郷した。
帰郷の途であった静岡県の沼津駅で父親と出会い、1922年に父親の仕事先であった群馬県太田市にて結婚、翌年1923年1月に三國が生まれた。生後7か月のとき、一家で父親の故郷・静岡県西伊豆へ戻った。
父親は男気があり、三國を愛し、旧制豆陽中学を2年で登校拒否し、退学する息子を殴りつけたが、その奥に愛情を感じたという。
三國は下田港から密航を企て中国の青島へ渡った。その後釜山で弁当売りをし、帰国後には大阪で皿洗い、ペンキ塗り、旋盤工などさまざまな職に就く。
昭和18年12月、20歳のとき大阪で働いていたが、徴兵検査の通知が来て故郷の伊豆へ戻り、甲種合格後、実家へ戻った。
母親は「おまえもいろいろ親不孝を重ねたが、これで天子様にご奉公ができる。とても名誉なことだ」と手紙が来たが、「戦争に行きたくない。戦争に行けば殺されるかもしれない。死にたくない。何とか逃げよう」と逃げた。

中国へ出征する前、最後の面会にやってきた母が「きついかもしれんが一家が生きていくためだ。涙をのんで、戦争に行ってもらわなきゃいかん」と言ったが、父は「生きて帰って来い」と伝えたという。
戦地で銃撃を受け、高熱を出したが治療はされず、蠅や虫がハイ寄る中でなんとか生き抜こうと決意した。三國は何度殴られても、銃を一発も撃つことはなかった。
中国からの復員の際に、妻帯者は早く帰国できるということで、同じ佐藤姓の女性と昭和21年4月に偽装結婚し、同年6月に引き揚げた。
宮崎県宮崎市の妻の実家に身を寄せて宮崎交通に入社、バスの整備士として2年勤務
昭和23年)、女児を身籠もっていた妻と離婚して鳥取県倉吉へ行く
松竹の「あなたの推薦するスター募集」に、倉吉時代に出入りしていた写真館の主人が三國の写真を送っていた。
昭和26年、木下恵介の監督映画『善魔』に、主演として抜擢されデビュー、役名の「三國連太郎」を芸名にする

1人の白黒画像のようです
◎俳優の佐藤浩市さんが、4月30日午後7時半から放送されるNHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」(総合)に出演する。佐藤さんの父親は昭和を代表する俳優の一人・三國連太郎さん。子は新進気鋭の俳優・寛一郎さん。親子3代にわたる役者家族の歴史をひもとく。

佐藤は生涯“人間”を演じ続けた父が何を背負い、何を求めて生き抜いたのか、改めて知りたいとの思いで出演を決めた。





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最終更新日  2025.04.30 22:26:43


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