PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
「鈴木藤三郎伝」 246~248ページ
この明治41年(1908年)には、海水導入装置、蒸気煮炊装置、麹製造装置、採鹹装置、直立気機、永続結晶缶、鈴木式精穀機、醤油醸造機など18件を発明して特許を得た。
この蒸気煮炊装置の発明は、藤三郎が日露戦争の最中に、静岡県選出の代議士として、ある日、静岡市にある連隊を慰問に行ったことがあった。隊内を回って慰問と激励の言葉を述べながら、炊事場へいったのが、ちょうど昼食前であった。見ると、飯をうつし終った大釜のそばに、真っ黒なおこげが山のように積み上げてある。驚いて炊事係の兵に、
と藤三郎が聞くと、
「はッ、いつも二割は焦げるのであります。」
連隊長閣下が御自分で御案内している国会からの慰問使に、直接質問された光栄に震えながら、炊事長の軍曹は、直立不動の姿勢で、こう答えた。
「ほう、二割も!・・・」
藤三郎は、目を円くして驚いて、思わず嘆息するように、こういった。
「はい、こうした大釜では、底が焦げ付くくらいに炊かないと、中まで火が通らないのであります!」
と、長年の経験で、2割のおこげを出すところに名炊事長の資格があるのだという確信を持っている係長は、この晴れの舞台で、自分のベテラン振りを発表できる得意さに、日焼けした顔を輝かしながら、こう答えた。
「ふうん・・・。」
藤三郎は、頭を振って、うなるようにそういったまま、考え込んでしまった。
(陸軍がこうなら、海軍でも、これと同じだろう。そうすれば、民間の紡績会社や学校の寄宿舎でも似たようなものであろう。これらの人々の数は、数百万に上るだろう。その数百万人が、毎日三度三度食べる御飯が、2割ずつ焦げて無駄になるとしたら、国家として莫大な損失といわなければならない。まして、戦争中の主食のことだから、一日も放っておけない国家の大問題である。これは、どうしても、至急に解決しなければならない。)
藤三郎の頭の中は、こうした考えで一杯になってしまった。それからあとは、連隊長閣下の儀礼的な話しかけに対しても、上の空の返事しかできなかった。
その頃は、塩と醤油の新製法の発明に忙殺されているときであったが、藤三郎は、その間を縫うようにして、米2斗(36リットル)以上をいっぺんに炊けて、しかも絶対に焦げつかないような飯炊き釜の発明に心を砕いた。
そこで、まず普通の大釜で実験してみると、どんなに火の焚き方をくふうしても、途中で中をかき回してみても、あの軍曹のいった通り、多少釜底の部分が焦げつくくらいにしないと、中まで火が通らないことも分かった。けっきょく、これほどの大きな釜になると、直接に火炎が釜底に当たる方法では、どうしても焦げつかせるよりhかにないのだから、これとは別のくふうをしなければならない。そこで散々苦心をしたあげくに考えついたのが、熱湯で炊く方法である。鋳物か錬鉄で、底が二重になっている大釜を造った。そして、熱蒸気を、下の釜の底の穴から上の釜の底の中心へ吹きつけるように注入する一方、上下の釜の間に充満した熱気が、その側面まで平均して行きわたるようにくふうした。これをさっそく、鈴木鉄工部で試作してやってみると、立派に炊けた。これに力を得て、なんぺんかの改良の後に、ついに4斗までは完全に炊ける蒸気二重釜の発明を完成した。これは、蒸気力を利用するのだから絶対に焦げつくことはなくて、しかも完全に炊ける。それに米ばかりではなく、副食物も、なんでも煮えも炊けもする。ただ、天ぷらができないだけである。
この発明は即座に軍隊と軍艦に採用され、また民間でもあらゆる会社、学校の寄宿舎やホテルや大食堂や汽船にも用いられた。前からボイラーを使用している所では、その廃気を利用できるし、このために新たにボイラーを設備しても、300人以上の炊事をする所ならば、燃料代だけを計算しても、普通の釜よりは、はるかに有利であった。
それだから、それ以来、今日に至るまで、もう半世紀になるが、多人数の炊事をしている所では、例外なく用いられ続いている。
補注「鈴木藤三郎伝」 その123 大正… 2025.11.28
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.11.27
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.11.26