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今年も残すところ1ヶ月きりました❗ 一年も早いですが、 このブログももう11年だった❗ 懐かしい✨ 黄菜しろから始まった私の命の物語✨ 凛とハナの現在に至るまで、 たくさんの出合いと別れから、 美しく儚い命(愛)の学びをいただき、 そして心の強さを鍛えてもらったと感謝でいっぱいです✨ 実はこのブログ、 今回で最後の更新となります。 このスマホアプリが終了らしく、 また、私も書くことなくなった笑 何を書いても、 結局、クリーニングあるのみ❗しか言えないわ~と。 それくらい、クリーニングすることの大切さが身に染みてるのです✨ もう本当にクリーニングするために生まれてきたって思えるほど✨ 人生に起こること全てが愛の学びだと思えるほど✨ 感謝しかない✨ こんなに小さいのに、 豊かな愛に満ちていた黄菜と、 ちょっぴり臆病だけども、 黄菜大好きで、黄菜のおかげで心を開いてくれたしろ✨ 黄菜しろがいてくれたからこそ、 猫ズのご飯を手作りするきっかけになったし、 健康の大切さを改めて気付かせてもらえたことに、感謝だよ✨ どこまでも健康、命と向き合ってきたブログだったけど、 今改めて思うのは、 健康とは、健康数値的な問題ではなく、 愛することなのだと確信してる❗ ネガティブだった私に足りなかったもの。 それは、自分を自覚すること、 自分を理解すること、 そして、自分を愛することだったんだって、今は思う。 そして、調和すること、 平和も愛だし、 幸福や喜びも愛だし、 生命輝く美しさも愛だし、 豊かさも愛なのだ。 そして、愛とは、神性なのだと✨ 神性の声、内なる声に従えば、 誰もが無理なく、 自然と自己実現していくものなのだと✨ 努力がいらないというよりは、 成長する喜びがあるから、 努力してる気がしないというか、 勝手に集中しちゃってる感じ。 そんなもんなんだと思う。 だからこそ、やりたくないことではなく、 自分に在るもの、 与えられたものを最大限に活かして、 役立てるのだ❗ そのためには自分を理解し、 自分を向上させ(磨き)、 自分を愛することなのだ✨ そして、それこそクリーニングの醍醐味である✨ 自分の愛を妨げている記憶の歪みを清め、 神性なる自己を取り戻し、 真実の自分、自然体を生きること❗ それこそが、自分への信頼であり、 自分への愛なのだ✨ 嘘偽りを必要としない、 誤魔化すことも、盛る必要もなく、 ただ、自分にを楽しむこと❗ 素直に欲しいもの、 やりたいこと、 夢を叶えるために、 挑戦すればいい❗ たとえ叶わなくても、 新しい扉は開かれるものだから✨ 猫白血病ウィルスキャリアであっても、 何の問題もなく、 凛が9歳まで生きてこれたのも、 (まだまだ元気だから心配してないけど) 凛のありのままを受け入れて、 凛がありのままに生きていける安心感を 感じてるからだと思うし、 黄菜しろや金ちゃん、幸太郎を亡くしたときの私はまだまだ闇(記憶の歪み)が抜けきれてなかった。 私のネガティブを与えちゃったんだと思う。 苦しまなくていい子たちを苦しめたくないから、 そのためには、私が成長し、クリーニングして、愛を磨き続けるだけ❗ 余計なこと(他人事)ばかりに首突っ込んで、 心配ばかりしてたけど、 もう心配なんかしない❗ みんな神性なる存在だから、 自分で選択できる力がちゃんとあるのだから❗ 私が求めていた健康とは、 自分を愛することだったのだ❗ 私が学んできたことは、 自分を大切に扱うことだった❗ 愛を与えることばかりに重点を置いて、 自分を後回しにしていたのだ。 オシャレも恋もキャリアも関心がなく、 可哀想な人(猫も)ばかり目について仕方なかったけど、 それもこれも自分を愛して❗ 自分を気にかけてっていう 神性からのメッセージだったのだ❗ 私が愛すべきは自分だったのだ。 大事な自分を後回しにしてしまってたから、 燃え尽きるほど疲弊してたのだ。 そして、黄菜しろや幸太郎、虎も 悲しませてしまった。 ごめんね。 そして、教えてくれてありがとう❗ 私が守られてた。 私が癒されてた。 私が救われてたのだ✨ だから、与えることができたのだと思う。 私はいつだって、『幸せだもの♪』 だから、少々自分には疎いらしい💦 すぐに利他を思うのも、 もう癖だね笑 だから愛されもしたのだ✨ 自然と愛を与えることができたのは、 やっぱり私が幸せだと実感してるからだし、 幸せであることを疑ってないから。 ネガティブだったのに、 心の闇が深かったのに、 なぜか幸せであることを疑うことはなかった。 だから余計分からなかったのだ。 なぜにこうも世の中に争いが耐えないのか、 なぜにこうもみんな不幸だと思い込んでるのか… 私から見れば充分満たされるほど与えられてるのに、 なぜにこうも眉間にしわ寄せて、 他人に陰湿なことが出来るのか… 今でもちっとも理解できないが、 思い込んでるから、記憶の歪みが相当根深いね~。 だけど、結局は感謝がないからなのよね。 与えられてるのに、感謝がない。 与えられてるのに、満足しない。 与えられたものにケチさえつける。 その傲慢さに気づくために、 自分の過ちに気づくために、 気付くまで問題は起こり続ける。 なぜなら、問題を生み出してるのは自分でしかないからだ。 問題を生み出す人が多すぎて、 ますます複雑に絡み合って見えるけど、 本当はとてもシンプルに解決できるのよね。 自分で正すだけなんだから。 他人を変えることはできなくても、 自分を変えることは自由なんだから。 でも変えたくないのね笑 まっ、変わらなくても、 感謝くらいできるだろうにね。 いまだに感謝も謝罪もできない大人が多いけど、 その素直でない心が、シンプルな私には理解できないけど、 まぁ、みんな学んでるのよね。 なんせここは愛の星だから笑 色んな愛の形があって、 それぞれに学んでるのよね。 そう思うと、やっぱり不必要な心配や恐れなんて役に立たないな~って思う。 最近つくづく思うんだ。 別にアンチエイジングとかしてないけど、 私が若く見られるのは、 成長しか見てないからだって。 老いを考えてない。 ヨガでも、老いは病だと考えてて、 自然の摂理での体の老化は避けられないけど、 魂は老いない、病まない、死なないからね、 魂で生きてる限り、 やっばり不必要に老いを心配したり、 怖れる必要はないと思う。 野生動物も死の間際に老いを見せる程度なのは、 敵に隙を見せないためだろうし、 生きてくことに目を向けていれば、 死ぬことなんて考えないのよね。 人間だけが老いや死を嘆いて生きてる。 お釈迦樣は生老病死への恐れと 向き合い続けたわけだけど、 恐れを克復するためならいざ知らず、 怖れて生きるだけなら、 人間の知性が全く役に立ってないわけで、 神性を、魂を、真実を生きることの大切さをしみじみと痛感するのだ。 恐れを克復するには、 真実を生きる覚悟が必要なんだとね。 そしてそのためには、愛が必要なんだ✨ 愛ほど癒し、活力を与えるものはないから。 生きることは愛することの学び✨ 健康の先に見つけたものは、 愛でした✨笑 そして、愛は永遠になくならないもの✨ 自浄し、自転する地球のように、 私達の体も自浄し(自然治癒力)、 自転し(動いて活性化)、 心清めて、風(気)と水(血液)がスムーズに流れる体を整えることは、 私達自身の責任なのだ。 自己管理は義務ではなく、愛❗ ケアすることも運動(鍛錬)も愛❗ 睡眠やヒーリングも愛❗ 自然体を大切に育てましょう✨ 自分を愛し、慈しみましょう✨ 自分を大切に扱うことが、 他者や動物、物や自然への扱いにも現れるのですから。 ブログを始めて11年。 幸せだもの♪…は変わってないどころか、 ますます幸せであることの感謝が身に染みます❗ 感謝が深まった感じかな。 幸福であることには気づけてたけど、 感謝が足りてなかった。 愛とは、感謝だね✨ 感謝の循環✨ だから、何も心配しない。 できることをするだけさ❗ そして、感謝を見失うほど無理をしない❗ ダメダメだと思い込んでたばかりに、 一生懸命突っ走ってきたけど、 神扱いされるまでになっちゃったよ笑 尊敬されるけど、 緊張させちゃうしな~💦 もうこのまま突き抜けるしかない❓笑 まっ、色々あったけど、 ユニークな人生で、なかなか面白い体験(学び)だった。 闇だった過去さえ、今は愛おしい。 頑張って向き合ってきた 傷も涙も愛おしい。 人生の全てに感謝✨ そして、クリーニングさせてくれたご縁に感謝を✨ 来年も皆様にとって素晴らしい一年になりますように✨ そして、これからのご幸福を願って…✨ ありがとうございました❗ LOVE TAE
2021.12.06

Earthing(アーシング)=地球と繋がること。 土や植物、水などの自然なものとの触れあいは、 体に溜まった有害電気を抜いてくれるそうな… 一番は砂浜を裸足で歩くことらしいが、 私は時々近所の神社や公園で裸足になる。 それだけでも気持ちいい🌏✨ 凛々も時々Earthingしてるのも、 気持ちいいんだろうな~✨ ベランダに土を置いといて良かった✨ 昔ほどあんまり育ててないけど笑 毎年芽が出るハコベが グリーンの絨毯のように美しく、 育てるよりも、自然を感じるために在る感じ🌿 しかも、猫ズの猫草代わりにも…✨ 無農薬だから安心✨無料✨ ありがたい✨✨✨ 抹茶クリームをさらに濃厚に… あぁ、美味しすぎる~✨ 私の食もEarthing🌏✨ グリーン豊かな食が、 私と自然を繋げてくれるのだと思う🌏✨ だから無駄にイライラしないで済むんだろうな~ イライラしてる人に近づかないで済むんだろうな~笑 自分を自覚できたことで、 無駄に悩ませないで済むんだろうな~✨ 自然様々✨ そして、そんな豊かさを与えてくれるご縁に感謝を✨ Earthingとクリーニング✨ 私の必需品🌏✨
2021.10.16

残りの栗の渋皮煮のラム酒漬けを使い切って作ったのは、栗入り抹茶のガトー風キャロットケーキ✨ 今回はリンツのホワイトチョコレートに抹茶と豆乳でクリームを作るつもりが、 豆乳多すぎてユルユル笑 かけてみたら、これはこれで美味し~✨ まるでアングレーズソースのようなとろみと抹茶のほどよい苦みがいい感じ✨ ラギ粉を使うと、たっぷり入れた抹茶の色も出ず、ブラックな感じだし、 抹茶の苦みが好きな私は たっぷり贅沢に入れたのに、 味もドライフルーツとラム酒に負けたか… と、少々物足りなかったのを、 敢えて抹茶クリームかけたことで (本当は横半分にカットして挟みたかったけど笑) 抹茶のケーキらしくなったのでまぁいっか…笑 失敗も失敗にしない、 何ともポジティブ思考✨ しかも、久しぶりにミックスペリーの蜂蜜漬け作ってたので、 昨日は炭酸水とはちみつレモンと混ぜてベリーとレモンのスカッシュを楽しみ、 今日は付け合わせに… やっぱりベリーの濃厚な赤は美しい🌹✨ 最後のキャロットケーキに華々しい彩りを添えてくれました✨ (最後の…と言っても、しばらく…だけど笑) いつものフェアトレードのビターチョコが販売停止❓(あまり人気ないみたい💦)らしく、 残念に思ってたけど、 今回の栗の渋皮煮の使い切りを最後に、 しばらくキャロットケーキもお休みして、 内臓のお掃除、クリーニングしようかと✨ 毎日何かしらのキャロットケーキ食べてたからね笑 美味しくて幸せだったけど、 そろそろ冬支度のデトックスを兼ねて、 体のお掃除✨ もはや太る気もないけど、 野菜中心とは言え、 よく食べるのに、よく太らないな~と不思議なくらいだけど、 やっぱり『太る』のは、『心の垢』が溜まってることが原因だと思うのね。 病も困難も、全ては心の病で、 心の歪みで、心の問題なのだと、 つくづく思うのです。 よく食べるけど、 グリーンたっぷりの良い食べ方、 素朴で自然な良い素材、 (買うときも感謝いっぱいに選び、 ありがとうと伝えたりね。 相手が忙しくなければだけど) そして何よりも生かされてること、 美味しく食べられることの恩恵への感謝の心が、 私を勝手に、健康で美しく幸福で平和で豊かな心に育ててくれて、 良い循環が生まれ、 自然(神性なる愛)に守られてる安心感に在ることができるんだろうな~と思うのです。 私には感謝はごく自然なこと。 直接伝えられることは喜びでもあり、 その場に笑顔が生まれ、 双方が幸福感に満たされるわけで、 こんなにお得な生き方はないとしみじみ思うのです✨ しみじみ思います。 神様は宝物をタダであちこちに散りばめて、 いつもサプライズさせてくれるって✨ だから私もサプライズが好きで、 アメリのような無邪気なイタズラ心を楽しむ私がいます。 我ながら子供だな~と思いつつ、 私も楽しくて、その場に笑顔の花が咲くから止められない✨ 笑顔は神様への感謝だと思うし、 この地球に笑顔の花を いっぱい咲かせることは、 私から神様への恩返しでもあるのです🌼🌼🌼✨ ネガティブだった昔の私には とても想像さえできなかったことだけど、 だからこそ、笑顔の大切さがしみじみ分かるし、 笑顔こそ、最高の妙薬だと思うし、 あちこちで笑顔の花を咲かせる私は、 最高の名医ではないかと思うくらい笑 そのくらい、無理のない笑顔が大好き🌹✨ お笑い系とかの無理やりな笑いは別に見ないけど、 (お笑いが悪いのではなく、 見れば笑えると思うけど、 仕事(お金)のためにやってる人のオフの豹変ぶりが苦手なので、そこまでストレス溜めて頑張って欲しくないのです💦) 頑張らなくても笑顔の種はいっぱいあるのにな~と思います。 みんな脳ばかり肥やしすぎて、 笑えなくなるんなら、 どんな薬も効かなくなるわけよね~。 だって、治癒力というのは、 緩めることで発動するわけだから。 笑顔にもなれないほど、 顔面強ばらせて、緊張して生きてたら、 そら辛かろう、、、 …と思うけど、 私が健康やヒーリング、福祉の世界で 自分の中の他者を救いたい気持ちや平和を求めて気付いたことは、 『他人を救うことなどできない』という現実でした。 救えると思ってたこと自体が傲慢だったのですね💦 大学時代の施設研修でも、 子供達に依存されたり、 ストーカー並みに執着されたり、 何もできない自分の無力感ばかりが募り、 何とか救わなければ…と思っていたけど、 救わなければならなかったのは、 私の罪悪感だったように思うのです。 あれこれ他者のために…と心尽くしてやっても、 周りに集まるのは、依存心や執着心、妬みや憎悪、不平不満や愚痴ばかり… 問題は彼らの『心の歪み』なのだとしみじみ思い知ったのです。 特に福祉の場は、皆さんの税金で成り立っているものなのに、 経営者側も利用者側も、 不満と怒りに満ちて、 感謝の欠片もない。 そんな貧しく卑しい心で、 幸福を感じることなど、 できようはずもなく、 また、そういう人に限って、 口出しはされたくないのですね笑 分かって欲しい、 理解して欲しい、 認めて欲しい、 責めないで欲しい… もう心の飢えが止まらない… 私もすんごくネガティブだったけど、 そこまで飢えてなかったな~と不思議に思います。 父がいない状況で、 祖母にも母にも姉にも心の飢えや怒り、 憎悪、無関心が子供ながらに見えていたから、 頼るに頼れなかった状況を察知して、 私はネガティブに思いにふけりながらも、 ずっと内観、内省するしかなかっただけだけど、 それはまさに、お釈迦樣と同じ道を自然と歩んでたのですね。 どこまで師を求めても、 師がいない。 良いことは言ってるのに、 関係が深まると、 所詮人間は変わらないのだという 空しさばかりが見えてきて、 尊敬できる人に出会えなかったことも、 お釈迦樣同様、内観内省の道に 自然と進むしかなかった。 でもそれは、決して不幸ではなく、 幸いなことだったのだと今は思うのです。 私がこうして自由な意識で創造的な人生を楽しめるのも、誰かに依存したり、 期待したりすることもなく、 期待がないから失望もなく、 依存がないから孤独もなく、 世界中が家族で仲間で師であり、 そこには人間も動物も植物の垣根もなく、 私の頭の中は愛一色なのですね。 人生で学んだ『所詮人間なのだ』という 教えは、人間の未熟さゆえの言動への警戒は常にあるものの、 考えているわけでも、縛られているわけでもなく、 常にクリーニングと共にゼロに在る感覚で、 そこには幸も不幸もなく、 正解も間違いもなく、 それゆえに何ものにも囚われることもなく、 直感と経験からの学び、 内なる神性からの声に従うだけのこと。 別に不必要に怖れることもなく、 気を病ませる必要もなく、 なるようにしかならないし、 ありのままを見ながら、 在るものを活かす知恵を育んできたおかげで、 ある意味思い通りに楽しむことさえできるのだから、 不必要な贅沢は求めないけど、 めちゃくちゃ贅沢に生きているとさえ思うのです。 自然は宝の山ですからね✨ いつも恩恵に守られ、愛され、生かされていることをしみじみと実感しながら、 キャロットケーキもここまで進化してきた笑 しかも、素朴な素材から贅沢を楽しむ知恵が、心をいつまでも豊かに輝かせてくれる。 野菜中心の食べ方というと、 誰もが貧しいとか、我慢のようなイメージがあるらしいけど、 母に言われて気付いたことだけど、 私は誰よりも贅沢なんだな~とさえ思うのですね。 ちっとも我慢でも抑圧でもなく、 めちゃくちゃ美味し~✨…と、 日々感謝いっぱいに生きてます✨ 食べても食べても、 外食でも野菜なしでは物足りず、 また、野菜があっても物足りない…。 私はどこまでも野菜…特にグリーンを 愛してるのだな~としみじみと実感します。 グリーンLOVE💞 つまりは地球LOVE🌏💞 やっぱりどこまで行っても、 私は地球と、自然と繋がって生きてるのだと実感するばかりです。 ちょっと前に初めて撮ったオーラ写真でも、頭は白、 全身は青と緑の地球のようなオーラだったんですね笑 頭の白はピュアな純潔な心(思考)、 青はマザーテレサのような慈悲の心、 緑は優しさ…のような意味が書いてあって、 あぁ、私は私が考えてるというより、 やっぱり感じてるだけなんだな~と思うのです。 特に白は全部の色を含むため、 全部のマイナス面のリスクも大きい… 環境に感化されやすいとか…。 それが幼少期からの周りの大人たちのネガティブな波動に苦しみ続けた理由かも。 でも、家を出て(私はこのときを出家と思っている)、 家族と離れたことで、 私に調和する思いを探究し始め、 自分を知る旅が始まったのだと…。 そして分かったのは、 誰でもない私、 あるがままの私、 何事にも囚われない自由な私、、、 根っからのピュアなハートを 生きてたんだな~と。 振り回されてきたけど、 決して染まることはなかった。 ネガティブなものが苦しかったのは、 私がネガティブではなかったからなのだと…。 自分ではないから苦しかったのだと…。 あぁ、馴れ合わず、 染まらなくて良かった~笑 苦しかったあの頃も、 今思えば全然大した苦しみなんかじゃなかったし、 私の意識が狭かったゆえに、 頭の中がネガティブなもので圧迫されて、 窮屈になってただけなんだと…。 しかも、意地悪だったり、 都合よく利用してくれた人たちにとって、 無関心で居られないほど、 私の素晴らしいピュアな性質が 羨ましかったのだとさえ、 今は思うのです笑 それくらい、今はどこに行っても、 子供から大人(年上)まで敬意を示されるし、 知らない子からも 突然挨拶されたり声かけられたりする。 それだけ気になる存在らしい笑 こんなに知らない人には警戒するよう教えられてる時代に、 しょっちゅう挨拶されることも不思議だけど、 分かったつもりの頭の硬い大人よりも、 子供達のピュアな感性に近い私だからこそ、話しかけたくなるのかも❓ まぁ、勝手な想像だけど、 私はそんなピュアな子供達と挨拶を交わすたびに、 とてもHappyになる✨ 未来に希望を感じるのだ✨ 子供達はまだまだ腐っちゃいない❗ どんどん発酵して、生命を豊かに育てて欲しい✨ 素直な心を守り、鍛え、 自らを活かして輝いて欲しい✨ 私もまだまだ楽しむよ~✨ キャロットケーキはしばしお休みだけど、 また新しい挑戦と探究は始まっているのだ✨ 食への感謝は変わらないけど、 もう繁殖目的で生きていない私は、 少しずつ食を控えるほうにシフトしていきたいとも思っている。 健康への探究は、食の探究でもあった。 だけど、もうそこまで必要としていないのかも…とも思うから、 不食まではいかないけど、 慎みとか恩返しのほうにシフトしていきたい。 ますます生命を輝かせる探究を楽しみ、情熱を持って生きていきたいと思う。 こればかりはお釈迦樣とは違うのだけど、 私は生きることは『苦』とは思わない。 生きることは喜びであり、 感謝であり、どこまでいっても、 生まれてきて良かった~としか思えないからだ。 こんなにも緑豊かな大地があり、 除草剤まかれて、 人間がどんなに愚かな行為をしても、 まだまだ私の周りは緑が豊かで、 私を喜ばせてくれる🌿 こんなにも慈悲深い自然に、 私は何ができるだろう…と、 恩返しがこれからのテーマなのだ✨ これまでもずっと地球環境を考えて もの選びをしてきたけれど、 それはどこまでも私を豊かに育ててくれていた。 猫ズもそうだけど、 助けているようで、 いつも私が助けられていたのである。 私は自分に無自覚だったけれども、 いつも他者への愛や慈悲の心が、 私を助け、私を守ってくれていたのだ。 結局循環でしかないのだと思う。 愛を与えれば愛が返ってくる。 エゴを与えれば、エゴが返ってくる。 病も困難も貧しさも、 自分の心から生まれ、自分で養っているに過ぎないのだ。 そして、それさえも、 自分でないものを手放しなさい、 自然に還りなさいというメッセージに過ぎないのである。 決して罰でも苦しめるためでもなく、 どこまでも神性なる愛の、 慈悲のメッセージなのだと私には思えるのだ。 執着し、自分以上のものを手に入れたいという欲望が、自分を苦しめているだけなのだ。 誰かに認めて欲しい、愛して欲しいという 心の飢えが、自分を病ませてしまうだけなのだ。 心の病は自分で治す…と決めないことには治りようがないのだ。 どれだけ薬を飲んでも、 どれだけ優しく話を聞いてもらっても、 そうやって病を都合よく利用して、 優しさや同情を買っている限り、 結局は本人の意志で治りたくないのである。 私はそう実感するばかりだ。 福祉においても、 ヒーリングの場においても、 健康の探究においても、 弱い人間など誰ひとりとしていなかった。 したたかに病や困難を活用して、 他者から心を奪おうとする、 卑しい心しか見えなかったのだ。 感謝のない心、 成長するために、 自らの足で立つ責任から逃れたい甘え、 その上で、活用できないと認識したとき、 人は恐ろしく傲慢になる。 今まで力を貸そうとしてくれた相手に、 傷つけるような毒を平気で吐き出すのである。 弱い人などいないのだ。 面白いほどに、人は強い。 だからこそ、命を繋ぎ、 同じパターンにしがみつきながらも、 苦しいと嘆きながらも、 死にたくないのである。 結局は生きたいのである。 どうせなら、幸せに生きようではないか❗ 自らの過ち、 悪い癖、 歪んだ心をクリーニングして、 さっさと役に立たない記憶や心の垢を手放して、堂々と清々しく、 生きようではないか❗ 孤独を怖れ、 下手な同情を買うことより、 清々しく堂々と自立して生きることの喜びのほうが何倍も大きく、 無駄な苦しみを卒業し、 自分にふさわしい幸福を受け取る覚悟と 責任を持てば、 そして、幸福を生きる知恵を養い、 自然と調和して、感謝の心を育てれば、 想像もできないほどの豊かな循環が訪れるだろう。 そう、苦しむ必要なんてないのである。 …というか、人間としてこの地球上に生きる上での強さと覚悟を鍛えることは、 決して苦労ではない。 それは生かしていただく上での当然のマナーとも言うべきもので、 人間都合の勝手な快楽や、 地球環境に負荷を強いる傲慢な生き方こそが、 免疫力、抵抗力を弱め、 怖ればかり増幅し、 生きにくくしているだけである。 地球環境を汚しながら、 どうして人間だけが幸福に生きていくことなどできるだろう❓ どうして次から次にゴミばかり生み出す生き方が、 進化などと呼べるだろう❓ 私はバカバカしくなるばかりだ。 だから、同情すら持てない。 地球は体と同じなのだ。 地球を汚す生き方が、自らの肉体を汚しているに過ぎない。 自分で汚しているのに、 掃除もせずに薬を飲んでも治るわけないだろうに、 医学を学んでも、頭が良くても、 その程度のことしかできない医者なら私には必要ない。 だけども、本当に素晴らしい医聖を貫く医者も増えてきたと私は実感する。 どこまでも腐敗した世界があるから、 過ちに気付き、 自らを正し、 自ら進むべき道を見つける助けにもなっているように思うのだ。 つまりは、結局は学び合い、助け合い、 共存共栄には違いないのかもしれない笑 気付くか気付かないか、 学ぶか学ばないか、 何を選び、何を捨てる(手放す)か、 その選択次第なのだ。 誰もが自分にとっての『最善』を生きていることには変わらないのだと思う。 私達は肯定的な生き方しかできないらしいから。 つまりは、ネガティブな選択も、 自らネガティブを選択し、肯定しているに過ぎないのだ。 他人は救えない。 あくまでもサポートしかできないのだ。 そして、そのサポートも、 本人に自らを救う気があるかどうかなのだ。 自ら救われる気がない者を救うことなど 誰にもできない。 私はそれを体験から学んだ。 そして、残念ながら、医療や福祉、 介護の現場においても、 本人の生きる意思、 自らを救う意思を引きださない、 薬や抑圧(ルール)ばかりのやり方では、 働く側も利用者側も共倒れにしかならないように思う。 そもそも、働く側はお金のため、 利用者側もお客様…と、 自分の生きる意思も人生の学びも感謝も欠けている。 そうでないところも在ると思いたいが、 私はまだ知らない(見たことがない)。 ただ、私の場合、救いたい思いが強かった分、 そもそもあまりうまくいってないところを選んでいたようにも思う笑 困ってないところに行っても役に立たないので笑 そういう意味では、 かなり学び(収穫)の大きな体験をさせていただいたと、結局は感謝しかないのだ。 うまくいかない人、 うまくいかない会社には共通点、 原因があることを認識できたのだから。 結局どこまでいっても、 人生は学びの場であり、 クリーニングのチャンスでしかない✨ 人生をどう活かして、 私をどう活かすか、 自分次第でしかないのだ。 自分以外の誰にも、 どんな状況にも、 自分を傷つけることはできないのだから。 自分で傷つけているのだ。 自分を守ることもなく、鍛えもせず、 他人に振り回されること自体が、 怠慢なのである。 自分を育てることが、 自分愛すること、理解することであり、 ありのままに見て、 受け入れることができる 自由な道への🔑である。 そして、自由な意識にこそ、 執着も不必要な怖れもない、 健康で豊かな心が織りなす 調和の取れた人生、平和があるのだ。 自分の健康、美、幸福、平和、豊かな心を育み、鍛え、人生そのものを愛し、 肯定的に生きる強さこそ、 神性として知能(創造力)を与えられた 『人間』を生きる覚悟と責任である。 自分を育てることもしない、 怠慢な生き方から生まれるのは、 いつの時代も苦悩と病、貧困、戦争なのだから。 私達は自分を育てることが第一の努めである。 そのために、自分知ること、 自分を自覚すること。 そして、他者から、状況から学ぶこと。 この世に無駄なものなどない。 全てはメッセージであり、 幸福への扉を開く鍵だとも思う。 全てのことから学べるのだ。 この世界は本当に宝の山であり、 神性なる愛なのだ✨ 学ぶ者には学びと成長が、 愚痴ばかりの怠慢な者には、 それなりの人生と衰退しかないのが自然の摂理。 使わないものは退化し、 活かさないものは腐敗するしかないのである。 この世は生きてこそ、 活かしてこそ、生命輝く仕組みなのだ。 せっかく生まれてきた『生命』の体験のチャンスを活かして、輝こう✨ ネガティブな記憶はクリーニングして、 本当の自分、 神性なる自分を取り戻そう✨ 育てよう✨ いくらでも何度でもチャンスはある✨ 気付いたときが始めどき👍 さぁ今すぐクリーニング✨✨✨
2021.10.13

栗の季節ですね~✨ もうめっちゃ好き✨ 先日、行きつけのカフェでマロンパイ発見❗ あぁ~、マロンパイの季節ね~…と思いを馳せながらも、 今の私にパイ生地はちょっとヘビー… この間食べた焼き栗もシンプルに美味しかったし、 中身の栗の甘煮が美味しいんだよね~なんて、 都合の良いこと考えながらニヤニヤ笑 その帰りに寄った、 行きつけの無農薬野菜のお店で な、なんと❗ 自然栗の渋皮煮の真空パック入りを (大小ゴロゴロ10個くらい入ってる) 賞味期限短いけど…と、 おまけしてくれた~✨ それで、あまりに嬉しくて、 いつもおまけしてくれまくりだから、 じゃあも一個買う❗❗…と、 一袋を手に取ると、 お店の方も、 『ええっ❗ じゃあ半額で良いです』って、 またまた嬉しいことを✨ まぁ、賞味期限明後日までだったけど、 マロンパイ1個の値段で中身の渋皮煮が 10個くらいゴロゴロ入ったお宝をゲットできちゃうわけだから、 もう興奮して残り4袋もまとめ買い笑 お店の方もさらに 申し訳なさそうだったけど、 私としては自然栗の渋皮煮、 しかも渋皮煮ってめっちゃくちゃ手間暇かかるからね~、 ありがたすぎるくらい✨ 双方Happyな空気に包まれて、 ウキウキでした✨ …で、そのまま一袋をペロリと平らげ、 (賞味期限短い理由は、甘すぎない素朴なお味だからみたい❗美味し~✨) 残りはラム酒漬けて、保存延長❗笑 &定番キャロットケーキの素材に…✨ 完成したのがこちら↓↓↓ 栗栗感伝わるかな~。 金太郎飴みたいに、 どこを切っても栗栗栗✨ マロンパイ買わなくて良かった~笑 本当に欲しいものを求めれば、 本当に欲しいものを与えてくれる、 引き寄せた~✨ いや~、先日、焼き栗買ったお兄さんにも、 『美人割つけとくね❗』っておまけしてくれたけど、 その後の一言が 『まだ足りないって顔に書いてるから…』だって笑 『やだわ~、そんなに物欲しそうな顔してた~❓』って大笑いしてたけど、 最近あちこちでおまけしてもらってばかりだったから、 当たり前のようになってたのかな~汗 恥ずかし~笑 …とチョイ反省した出来事でした笑 私自身が祖母譲りの寛容さと 与え好きな人だから、 ついついもらうのも平気になってたかも~ 生きる意味を見失っていた昔は 全然受け取れない人だったのにな~ (自分は幸福を受けとる資格がないみたいな…重たっっ笑。 そう言えば、母が、私を生んだときに、 姉と比べてズッシリしてて重たいって思ったって…笑。重たいもんを抱えて生まれてきたのね汗) 自己肯定感ってすごいね~✨ 人変わっちゃうね~ 傲慢にならないよう気をつけなきゃ~笑 母譲りのお調子者の性質も出てきたし笑 いや~、本当にかつてのネガティブな私はどこへ行ったのやら❗ 人は変わるもの❗ どんどん要らないもの、役立たなくなったものは手放して(クリーニング)、 身軽にスッキリ悔いのない人生を謳歌しませう✨ 生まれてきて良かった~✨ 神様ありがと~✨✨✨ そして磨いてくれたみんなもありがと~✨ 存分に命輝かせて生きよう✨✨✨ それが一番の神様への恩返しだと思うのです✨✨✨
2021.10.11

昨夜の創造物、 抹茶ブラウニー風キャロットケーキ🍰✨ 洋酒は抹茶にも良く合う オレンジ風味が素敵なコアントロー✨ めちゃくちゃ美味し~💃✨ やっぱり天才やわ~笑 キャロットケーキの左上の本は、 昨日図書館に行って見つけた 大原千鶴さんの 『新・豆腐百珍』 しっかり噛んで食べたい私は、 豆腐より豆料理のほうが好みだけど、 なんとなく目に入って手に取ったこの本は、今、地球全体が、 人類が、改めて新しい平和な世界への 一歩を歩んでいることを教えてくれた。 宗教でも、教育でも、義務でもなく、 私には当たり前に在る感覚だけど、 今までちっとも理解されなかったどころか、 めんどくさがられてきた私のお説教が、 理解を求めることも、 他人に期待することも止め、 自分はどうしたいのか… ただただ素直に我が道を歩いてきた結果、 すっかり執着や期待を手放した今頃、 世の中はちゃんと動いていたことを 教えてくれたのだ。 どんなにおかしいと思っても、 どんなに間違いだと思っても、 人は痛みや苦しみという、 過ちの体験からしか学べないのだ。 いや、気付きたくないのだ。 だから、失敗して学ぶ体験を許すこと。 それしかない。 それが神聖なる愛、 無条件の愛であり、 その気付きこそ、神様の贈り物なのだ✨ そして、いつもながらに、 大きな痛みの後にようやく、 人は変わろうと覚悟を決めることができるのだ。 しかし、残念ながら、 歴史は何度も繰り返される。 過ちの後も、 またさらなる過ちを… 繰り返すのが人間でもある。 時が変わり、場所が変わり、 場面が変わっても、 同じことを繰り返す。 違うようでいて、 同じ過ちを繰り返している。 あぁ、人間って…笑うしかない。 今さら怒る気にもなれない。 怒るだけ馬鹿らしくなってしまったから。 だけど、どんな痛みも、どんな苦しみも、 ただただ気付きであり、 ただただ学びであり、 ただただ神様の愛そのものであり、 全ては成長、成功の糧でしかない。 全ては成長のためのご縁でしかない。 (全ては師❗成長を促すメッセンジャー❗) 全てはうまくいくしかないのである❗ どこまで行っても、 幸福にしかなれない世界なのだ。 めっちゃめちゃ抵抗して、 難しく複雑に大袈裟にして、 挑戦することを楽しみたいのか、 もしくは、シンプルにスマートに、 知恵を育てながら、 神様との平和(調和)を共創する人生を楽しみたいのか、 ただただ、自分で選んでいるだけなのだ。 私の第一の課題は『私』を知ること、 自覚することだった。 自覚するまで、 『私ではないもの』を押しつけまくられてきた。 だけど、素直に謙虚にばか真面目に 受け入れ、一生懸命やってきたけど、 そこには私が求めていた愛も平和も 見つからなかった。 私を利用して『得する人』しかいなかったのだ。 それでは何の役にも立たない。 どこまで行っても、 愛だ感謝だと言いながら、 戦いしかなかった。 健康もヒーリングの世界も、 全てが争いでしかなかった。 しかも、そう在るべし❗…と、 これまた押しつけられるばかりだった。 健康でない人たちが 『健康』を売り、 癒されてない人たちが 『癒し』を売っている。 治すこともできない人たちが、 流れ作業で薬を出すだけの医療や、 幸せも成功も得られてない人たちが、 教育(観念)を押しつける。 一生懸命ついていこうと従ってきたけれど、そこには何にもなかったのだ。 いや、争いと建て前だけだった。 だけど、真実は私には何にもなかったから、 (ないと思い込んでいた) 何にも見えなかっただけなのだ。 私が何も求めてなかったから、 何も得られなかっただけなのだ。 本当はたくさんのものを 与えられていたのである✨ 私の見る目がなかった、 まだ育ってなかっただけなのだ。 心を閉じて、 生きることを怖れていたから、 見えなかっただけなのだ。 しかし、いまだに私は何かを望んでるわけでも、求めてるわけでもないのに、 平和と幸福の中にいつもいるのはなぜだろう❓…と考えてみた。 そしたら、頭で考えなくても、 私の細胞のひとつひとつまで、 愛と平和に満ちている✨…と気付いたのだ笑 私がモテるのも、 本気で愛されまくるのも、 その分、妬まれてしまうのも、 全ては私の中に愛と平和への祈り(真心)しかないからだったのだ。 流行も知らず、 世間も知らず笑、 純粋お馬鹿に努力できる私は、 我ながら愛おしいほどバカである笑 だから、ちょいと前までは簡単に落とせそうだと思われていたのかもしれない。 だけど、ここが『純粋』の強みであり、 怖さらしい❗ お馬鹿なのに、落とせない❗ お馬鹿なはずなのに、騙せない❗ お馬鹿なはずなのに、 成績バンバン出しちゃうほど、 やってのけてしまうのだ笑 そして、『負けた』…と、 プライドが壊れないうちに身を引くのである。 私は父を知らない。 私は男というものをまだ分かってなかったのだ。 付き合ったことくらいはある。 しかし、こんなにもピュアな人間を軽くは扱えないらしい。 だから、大事にしかされたことがないのである。 その人なりの…ではあるが、 できる限りの愛を注いでくれたのである。 不器用なりに、下手なりに、 愛情を注ぎ、一生懸命壊さないように、 自分を抑えてくれていたのだろう。 私は知らなかったのだ。 そんな男たちの苦労を。 全然感謝できていなかったのだ。 私も不器用で、 生き方が下手だから、 相手の不器用な愛情にも、 ケチはつけない。 いや、いっぱいケチつけてきたのである笑 優しすぎるだの、 甘やかしてくれるなだの、 無駄なお金使うなら募金してくれだの…笑 あぁ、何とも不器用だったあの頃… (遠い目…笑) 何を悩んでいたのか、 本当に我ながらちゃんちゃらおかしい❗ あぁ、すっかり目が覚めた… そんな気分である✨ 『新・豆腐百珍』の前置きを読んだだけで、 気付いてしまったのだ❗ 今までたくさんの『思い(それぞれの記憶)』を押しつけられてきたけれど、 禅やその道を行く人たちでさえ、 まだまだ観念に囚われ、 新しい平和への歩みは始まったばかりなのだと…。 曲げられないものがある私が頑固なのか…、 世の中おかしいと思ってしまう私が間違っているのか…、 たくさんたくさん自分を責めて、 たくさんたくさん自分を痛めつけて、 一生懸命従おうと、 一生懸命みんなに喜んでもらおうと頑張ってきたけれど、 結局戻ってしまう笑 私の単なる癖なのか…、 私のパターンなのか…、 どこがおかしいのか…、 たくさんたくさん葛藤してきたけれど、 全然間違ってなかったのだ。 ただ、正論過ぎて、 遊びがなかったこと… ゆとりがなかったこと…、 許しがなかったこと…、 真面目すぎたこと。 それが苦しみの元だったのだ。 だって、何してもダメダメ言われて、 良くできたと思っても、 そんなんで喜ぶなと言われ、 いつまでたってもダメダメしかないんだもん。 そんなことに一生懸命バカ真面目に 付き合ってしまったから、 とことん神扱いされる人間に育ってしまった笑 とことん完璧だと思われて、 緊張させてしまう人間に育ってしまったらしい💦 ダメダメ言ってた母までも、 『この子は天使じゃないか』 『すごい…』 …と絶句する始末…。 有言『無』実行の母には、 自分はやらない無責任なことばかり 娘に押しつけていることに気づかなかったのだ笑 (でも、自分では有言実行の嘘をつかない人間だと思い込んでいる困った人だ笑 ただ、やりたいことだけやっているに過ぎないのに…) もう親馬鹿を越えて、 見栄でも自慢でもなく、 周りに絶賛しまくる。 『誰に似たのか…』と頭をかしげる母に、 『あなたではないことは確かね❗』…と言っておきながら、 最近つくづく思うのだ。 私達はやはり親子なのだと…。 同じ種を持つ母が嫌なところ全部を丸出しして見せてくれたから、 反射的に良いところはがりが花開いただけなのだ。 (反面教師として、私を磨き続けてくれたのだ。嫌だったけど笑) 全ては母のおかげなのである。 私を『私』に育てあげたのは、 私の中の種の悪い面(因果、業)を摘むために鏡となって見せてくれた母のおかげだったのだ。 全然自分で『自分』を自覚してなかったのが問題だったのだ。 周りに毒吐きまくり、 強気すぎる母が嫌で、 大人しく萎んで生きてたつもりが、 全然私も強気だったのである笑 自覚してないゆえに、 たぶん周りに嫌な波動(抑圧したネガティブな波動)を与えてしまっていたのだろう。 そして、嫌な扱いを受けながらも、 素直に受け続けたおかげで、 ある時、キレたのである❗ こんな私(人生)はもう嫌だ❗❗…と。 そして、どれだけ頑張っても、 認めてくれない…というより、 認められることを望んじゃいないが、 愛も平和も希望も見えない生き方にウンザリしたのだ❗ こんなの私じゃない❗❗…と。 本当に叫んだのである笑 その時から、 私を妬む人も気にならず、 嫌がらせすら引き寄せなくなり、 完全堂々とした『私』が目覚めたのだ✨ そして今は、 どこに行っても懺悔されてしまう笑 私を神父様と勘違いしてないか❓…と 思うほどに。 私は今さら別に誰かを癒そうとか 助けようとかしてるわけではないのに、 (もうやり尽くした) 本音と建て前で生きてる人たちは、 なぜだか懺悔したくなるらしい笑 そりゃ、嘘をついてるのは 他の誰でもなく、自分にだからね~。 苦しいよね~。 苦しみから解放されたいよね~。 だけど、それをいちいち他人に癒してもらおうとする辺りがセコいのだ。 まさに、どこまで行っても、 寄生虫(依存症、神経症)ばかりの 世の中にしたツケの後始末を誰がつけるのだ❓ あんなに他人に尽くしてきた、 癒そうとしてきた私なのに、 女神のように、 天使のように思われていた私が、 心底本音と建て前社会にウンザリしたのである笑 自分の感情、選択の始末くらい、 自分でつけやがれ❗…と。 ちゃっかり自分は守りながら、 かっこつけながら、 いい人ぶりながら、 始末の悪い世の中に、 ウンザリだ❗ 薬だワクチンだ、 楽ばっかり選んできたツケを、 自分をごまかしながら、 自分を癒さずに(ケアせずに)きたツケを、 癒されない心の憂さ晴らしに、 周りに毒を吐き続けたツケを、 きちんと悔悟し、反省なさい❗ 言霊とか、 引き寄せとか、 自分の得のための建前的な『徳』なんて、 全然『徳』なんかじゃない❗ それは、邪心であり、エゴであり、 結局は負のループにはまるだけなのだ❗ 記憶で縛り合う仲間しかできないし、 罪を押しつけ合う鎖しか生まれない。 記憶の歪み、嘘の上塗り、 大人たちの傲慢なツケの始末を 未来に押しつけるんじゃない❗❗ そのループを断ち切るのは、 ひとりひとりの自律と自立、 そして人生の責任を受け入れる覚悟である。 自立したもの同士の関係でしか、 この世に平和は築けない。 仕事のための仕事。 お金のための役割。 そんなんで世の中良くなるか❓ 子供の時からおかしいと思ってきたことが、 今頃、動き始めたことさえ、 滑稽である。 そのくらい、人間はお馬鹿なのだ。 ナチュハイを始めたとき、 動物的本能が目覚めたような、 体の快感、快適を初めて体感した。 人間も動物なのだ…と、 初めて自覚したのだ。 だけど、周りは『そんな動物じゃあるまいし…』と、人間ぶっていた人のなんと多いこと。 私は素直に動物的感覚を受け入れ、 そして、自我への執着を手放し、 変化を求め続け、記憶の歪みという幻想をいつしか脱していたようだ。 そして気付いたのは、 人間ぶっていた人たちのほうが、 まだまだ執着とエゴ(記憶、脳)に振り回される、動物的思考から抜け出せていないことだった。 うちの猫ズのほうが物わかりが良く、 スマートなくらいである👍✨ つまり、本能的感覚を抑圧し続け、 一生懸命しがみついてるけれども、 『人間』『万物の霊長たる存在価値』『プライド』…に執着と見栄しか見えない。 あんなにダメダメ言われ続けた私のほうが、 しっかりと現実を見ていた感すらある。 お馬鹿だと自覚していた分、 現実を生きていたのだ笑 鬱病などの精神疾患だけでなく、 病気も、不調も、自覚がないこと、 鈍感から始まるのだ。 自覚がないから問題が進んでしまうのだ。 私は自分の問題は何なのか、 自覚しようとし続けてきたのである。 いじめや妬み、 ダメダメ言われる原因は何なのか、 何が問題なのか、 自分の問題と向き合い続けてきたのである。 だからこそ、脱皮できたのだ。 そして、問題なんてなかったのだ笑 この世界に問題なんて何もない。 あるのは、問題と向き合いたくない人々の『思い』だけである。 自分をごまかすために、 自分の問題から反らすために、 他人のせいに押しつけ合う人々の歪んだ心だけである。 参った参った❗ お馬鹿にも信じ込んじゃったよ。 みんなの責任の身代わりに、 私は自分を責め続けてしまったのだ。 私は歯を食いしばり、頑張りすぎたのだ。 どうすればみんなの役に立てるだろう、 どうすればみんな幸せになるだろう、 どうすれば世の中に平和は訪れるだろう…。 歯医者さんでも驚かれるくらい、 歯ぎしりか❓ アスリートか❓…と、 歯が削れてしまうほどに、 私は頑張ってきたのに、 私を苦しめ続けた 母も姉も全然歯が強いのだ笑 ちゃっかり自分を守っていたのである。 私は悩み、 髪の毛が抜けてしまうほどに、 苦しんだのに、 みんなはちゃっかり自分の美と幸せを守り続けていたのである笑 私の心の中に、 悲しみが占めていただけに、 みんな可哀想に見えてしまっていたのだ。 何かしなければ、 救わなければ、 癒さなければ…、 一番救わなければいけなかったのは、 一番癒さなければならなかったのは、 自分だったのだ❗ さすが母の子である。 私は弱いのではなかったのだ。 強かったのである。 強い『気』を与えられていたゆえに、 身を削り、自責の念に苦しむほどに、 人を救おうともがいてしまったのだ。 しかし、気付いてしまったのだ。 誰も自分ではやらないのだと…。 誰かに救って欲しいだけ、 誰かに助けて欲しいだけ、 自分の問題には触れずに 優しく扱って欲しいだけ…なのだと。 依存して、自分がいかに可哀想か、 同情を引きながら、 心救われたいと、 懺悔に勝手に吐き出しながら、 (他者の否定と自分の肯定や承認を押しつけながら) 全然感謝はしないのである笑 押しつけていることへの反省もないのである❗ こういう人を見て、 私も過去の問題の反省点に気付き、 クリーニングさせてもらっているのだろう。 どこまで行っても、 他人を利用することしか頭にない人たちに、 他人に使われまいと、 鉄壁の仮面と鎧を着けて、 心を閉ざした人たちに、 救われる道などない❗ …というか、あるのだけど、 その仮面と鎧を外すのが先決である。 痛みや苦しみ、困難とは、 その仮面と鎧を外す覚悟はあるか… 真実と向き合い、 ありのままの自分を受け入れる覚悟はあるか… 内なる神性からの問いであり、 結局はいつか脱ぐしかないのである。 (その先にこそ、真の幸福があるのだから) それまで、思う存分、 思いを遂げて、 悔いのないように、 やりたいようにやってみるしかない。 後悔が一番の毒(病の根源)である。 傷ついても、苦しんでも、 やってみたいのなら、やるだけやって、 思い尽くして、 悔いを残さないこと。 私はたくさんの傷を負ったけれども、 (女の子なのに…笑) 人生に悔いはひとつもない。 生命ある限り、 …というより、死ぬ気がしない笑 もはや、老いる気もしない。 なぜなら、魂は死なない確信があるからだ。 生命ある限り…ではなく、 肉体ある限り…のほうが正しいように思う笑 まぁ、屁理屈だけど笑 肉体ある限り、 執着でも期待でもなく、 残された時間を大事に活かして、 ただ、使命を全うするだけである。 使命とは、神様との約束❗ 私が思い出した使命とは、 この世界に記憶(苦しみ)ではない、 新しい平和への希望、喜びを生み出していくことである(幸福の種まき❗)。 そして、今までやってきたこともまた、 ただひたすら種まきだったのである。 種まきしていたからこそ、 変に恨んだり、憎しみや怒りを持ち続けなくて済んだのだろう。 つまり、希望のないこと、 未来の役に立たないことに、 関心がなかったのである笑 私はやっぱり愛そのものだったのだ✨ 嫌がらせばかり受けてきたのは、 私が愛を、『自分』を自覚するためだったのだ✨ そこまで妬まれるほど、 素晴らしい愛に恵まれていたことを、 今はもう感謝しかない✨ 名前の通り、 多恵(恵み多き)なる人生だったのだ✨ だからこそ、惜しみなく愛を与えられたのだと思う✨ (ただ、受け取るばかりの飢えた人、疾しい人の多さに、かなり引いてしまったのだ💦 『気』は強くても、『肉体』は繊細で敏感ゆえに、心の卑しい人たちの思いに、身を削りすぎたのである。 そして、どれだけ自己犠牲にしても、 自ら癒し、自立する意思のない、 底なしに心の飢えた人を救うことはできないのだと気付いたのだ。) そして、開眼した真実の目、 愛の目、神性なる目で、 この世界を改めて見たとき、 ニュースやネットなどの無責任な情報ではなく、 リアルに映る私の世界は間違いなく 平和への舵を取り直していることを 実感する。 あくまでも『私』のまわりにおいては、 心のクリーニングの分だけ、 場の浄化も進んでいることが実感できるのだ。 まだまだ弱い…けれども、 あまりにも薬漬けにして、誤魔化し、 偽り、楽を選んできたツケを取り戻すのは、時間も必要だから。 それはそれぞれの責任において、 受け入れなければならない因果。 そのまま無視して、子供達に、未来に押しつけ、逃げても逃げ切れない。 人生の責任とは、 自分という『生命』の責任だから。 その責任、結果が、 私であり、人生である。 そして、問題とは、 まさに、記憶の歪みを正すためのチャンスなのだ✨ クリーニングのチャンスなのだ✨ 神性からの贈り物なのだ✨ 言われるままに振り回されながらも、 誠心誠意込めて、 一生懸命生きてきたからこそ、 私は神性との絆を取り戻したのである✨ みんなが追い込んでくれたからこそ、 本当の私、神性なる私が目覚めたのである。 つまり、本当の私でない『私』を打ち破るために、 みんなが壊せ壊せと、 追い立ててくれたのだ✨ 苦しかったけど、 身を削ったけど、 ありがとう✨…と心底思う✨ 聖者とは、清らかな心の主である。 私の中には、ご先祖様の邪心(苦しみ)の記憶がたくさんあったのだろう。 それを母は見せてくれたのだ。 嫌なことをしてくる人たちは見せてくれたのだ。 私の心の中の邪心を鏡となって見せてくれたのである。 私が打ち破るべき課題を❗ 乗り越えるべき壁となって、 立ちはだかってくれたのである。 そして、馴れ合うでも、諦めるでもなく、 私は越えることに挑んだのだ✨ 弱いと思い込んでいた自分を、 越える道を選んだのだ✨ みんなにありがとう✨…しかない。 そして、自分にも…✨ 打ち壊した自我の後に残ったのは、 ご先祖様たちの努力の結晶、 『気』の強さと、大きな『愛』✨ 間違いなく、素晴らしい生命の輝きと、 周りも明るくする『笑顔』という宝だったのだ✨ ご先祖様にもありがとう✨✨✨ いや~、気の強さと頑固さには苦労しましたけれども…💦笑 (父を知らない私は、母同様、かなりの強気で、どれだけの男性をタジタジさせてしまったことか…💦 だけど、『女のくせに…』と邪険にされてた強欲な母に比べると、私は正論や純粋ゆえの頑固さのせいか、ほとんど私を傷つけるようなことはされなかった。 支配欲や独占欲からの暴言は多々あったけれども、どれも私に理解して欲しい、味方でいて欲しいという一方的な願望からの暴言だから、不快感はあるけど、傷つけるためのものではなかったのだ。 ただ、やはり父を知らないせいか、 私にはそんな男の性が不快感でしかなく、 どこまで行っても、面倒くさいとしか思えないのであった笑 男性の甘えもウザいのである💦 尊敬できる人でいて欲しいのである。 たぶん無意識だけど、父への尊敬の念があるからかな~と思う。 母は父のことを器用貧乏で弱かったというが、恐らく私の欲の少なさも父譲りで、 似ている気がするのだ。 そう、私も器用貧乏である笑 別に大きなことを求めてないのである。 覚えてないのに…『血』を感じるのである。もしくは守護霊的に守られているというか…。少なくとも、記憶にはなくとも、 愛されている感覚が私を孤独にすることなく、私の道へと背中を押し、ひとり歩む強さと、恐れから守ってくれていたことには変わりない。感謝である✨) 白血病ウィルスキャリアだった瀕死の凛との出逢いは、 弱い自分との決別、 そして、生きる覚悟において、 最大の難関だったし、 愛する虎との別れもまた、 執着の手放しと、自立への 最大の難関だったと思う。 (恋人との別れよりも辛かったのである笑) だけど、私は手放したのだ。 彼らの自由を尊重し、 彼らの生命を尊重し、 ありのままに彼らの選択を尊重した。 そしてそれはまた、 私自身の自由と生命を尊重することでもあったのだ。 私は誰か❓ 私は何者なのか❓ 私は誰でもなく、 私は何ものでもない。 私は私… ただ、様々な日々の体験を通して、 新しい私を発見し、出会う旅。 良いも悪いもなく、 特別なものもない。 ただ、何を感じ、何を発見し、 何を生み出しているのか、 自分を自覚すること、 生み出すものの責任を持つこと、 心に響く出会いに感謝して、 変化を楽しみ、過去の囚われからどんどん解放されていく喜びを味わっているだけである。 希望はいつも胸にあり、 だけども、別にどうこうして欲しいという期待などない。 私の心の中の平和を楽しみ、慈しみ、 そして、良くなることを思い浮かべ、 想像していると、 いつしかうちの周りは勝手に変化していた。 健康にも配慮したパン屋さんができてたり、 無農薬野菜のお店ができてたり… そうでないものもあるけれど、 そうでないものを求める人がいるから、 できるだけのこと。 全ては人の思いであり、 思いが現象となり、 思いが物質となり、 思いが世界を創造しているのだ。 変えられるのは自分の心だけ❗ 自分の心に責任を❗ さぁ、今日もレッツ クリーニング✨ 人生は愛(自己)の学び✨ 人生は愛(自己)の体験✨ 人生は因果からの自由、 クリーニングのチャンス✨ 後悔だけは残すまいぞ👍✨
2021.09.25

私が生まれたとき、 嘘か本当か、 『あら~、今度は失敗作💦』…と 言ったとか… 親戚寄りでその話題が繰り返し出てくる中、 ひどく傷ついた…かどうか、 実は覚えてはいないけど笑、 私が自分に自信が持てなかった理由の中に、 もしかしたらその記憶もあったのかもしれない。 だけど、失敗作と笑われた子は、 いつしか、失敗すら成長の糧にして、 問題すら問題と見ない、 (クリーニングのチャンス✨ 人生は宝の山✨にしちゃう、 超ポジティブ人間に育ってた笑) そして多少合わない人はいても、 敵でも味方でもない人…というだけで、 新たな敵を生み出さない 心から平和を愛し、 地球を、自然を、動物を、 そして共存共栄の仲間たちを愛し、 どこにいても笑顔と幸福、調和を生み出すイヤシロチのような人間に成長していたのでした✨ (勝手に妬んでくる人はどこにでもいるけど…💦ただ、不思議なもので、 慣れると気にならなくなるのね~) まさに醜いアヒルの子のストーリー✨ 人生は本当にクリーニングのチャンス✨ 宝の山✨ 今思うのは、 ネガティブな体験が人生の始まりに、 先に多かった人ほど、 超絶好転する可能性大だということ👍✨ 成功者と言われる人の中に、 不幸な幼少期を体験していない人って、 私が見たところ、あまりいないのですよね。(そんなに探したわけでもないけど…。私の心に響く人だから、同じような境遇なだけかも❓💦) 無茶苦茶病弱とか、 無茶苦茶貧乏な家に生まれたとか、 無茶苦茶不良少年(ヤンチャ)だったとか… 私なんかより、もっと大変な体験をしてきた人は多く、 海外ともなると、親に捨てられたとか、 ドラッグとか… もう別世界の半端ない過酷な体験した人も多い💦 私のネガティブなんて、 大したことないと思える笑 だから欲も強くないのかも❓ 実はネガティブな体験って、 成功の種なのではないかと 私は思うのです✨ この世の陰陽を考えても、 全ては背中合わせ、 全てはバランスであることを見れば、 先に陽、ポジティブを体験した人ほど、 落ち込みが甚だしかったりもするもので、 ポジティブにさえ執着せずに、 しがみつくことなく成長だけをしていける人って、なかなかいないもの。 そういう意味では、 先にネガティブを体験することで、 ポジティブなことのありがたさ、 また、ゼロで在ること、 バランスの大切さも 理解できるようになる。 なぜなら、ネガティブな時期というのは、 結構洞察力や忍耐力を磨いている時期のように思うのですね。 でも、先にポジティブの人って、 ポジティブが当たり前になっていて、 感謝に気付けない人が多い。 洞察力や忍耐力が育ってないので、 本音と建て前で上手く誤魔化すことも得意というか、 その分、挫折に弱いし、 怖れも非常に強い気がする。 落ち込んだとき、 嘆くか、過去にしがみつくか、 あまり始末がよろしくない…ような人が多いように思うのです。 これでは、何が幸で、 何が不幸か分かりませんね。 今がどんな状況であっても、 それが幸か不幸かは分かりません。 先の未来のために、 自分の因果を解消し、悔悟する時間、 自分を癒し、自分を救い、 忍耐力と洞察力を磨く時期にいるだけかもしれません。 少なくとも、私は思いつく限りの因果を ありのままに受け入れ、 向き合い、自分の何が問題なのか、 向き合い続けてきました。 その結果、今は過去の執着も、未練も、 悔いもなく、新しい私への挑戦と冒険、 癒しと成長ある喜びを素直に楽しみ、 幸福という神様の贈り物を素直に受け取ることができるようになったのです✨ (もともとそんなに大きな願望もないし…笑) 昔の私のように、 例え他人から見たら失敗作だとしても、 自分で失敗作と思う必要はありません。 私の人生は私が決める👍 …っと言いつつ、 その影響かどうか、 昔は自信が持てなかった私ですから、 努力とは、自分との信頼関係を取り戻すために、 小さな自分(記憶の歪み)の殻を破り、 本当の自分を生きるために使うエネルギーであり、 本当の自分を堂々と生きることは、 それだけで周りにも笑顔の花を咲かせ、 希望を与え、癒しを与え、 力を与える存在であり、 貢献にもなるのです✨ さぁさぁ、誰に何言われようと、 それは相手の思い(記憶の歪みが混じった見方、一側面)でしかない。 それは『私』…ではない❗ でも、誉めてもらったら、 疑うよりも、素直に感謝を✨笑 幸せ恐怖症だった私が断言する❗ 幸せは、幸福とは、 自分を成長させようとする者への 神様からの贈り物🎁✨ 神様はね、 無理することより、 自己犠牲することより、 自分の殻(エゴ、自我、ちっぽけな自己)から抜け出すために一生懸命成長を求める人が大好きなんだと✨ そんな人を応援したくてたまらないのだと…❗ あなたが自分を成長させようと 頑張ってるなら、 いつか成長した自分が誰かの役に立つと信じてるなら、 どんどん目の前に訪れる素晴らしい贈り物、 幸福を素直に感謝して受け取って✨ 幸福とは、覚悟がいること❗ 幸福って、受け取るのも勇気が要るのよね💦始めは… 受け取る資格がないって思っちゃう💦 でもね、あなたがしがみつく幸福ではなくて、 向こうからやってきた幸福なら、 それは、あなたの頑張りをちゃんと見てくれてる神様からの贈り物なんだよ✨ 私も初めは恐かった。 謙遜ではなく、恐かった。 でも、やっとありがたく受け取ることが、 感謝の表現なんだと気づいたんだ。 もちろん要らないものは受け取らないよ❗ ゴミにするだけにはしたくないからね。 それにごますりやおべっかは好きじゃない。 本音と建て前で付き合うのは疲れるしね❗ 私はそんな人…と理解してくれる人だけ 分かってくれれば充分だから。 私は物質的には充分に豊かになった。 電化製品も少ないし、 流行りのものなんて全然ないけど、 私の心はもう豊かにしかなれないのね笑 なぜなら、母が実家をゴミ屋敷にするほどまでに物に溢れても、 幸せを見つけられずに彷徨い続けているのを知っているから。 どれだけ優しさをもらっても、 ブラックジョークと皮肉交じりの さらなる注文しか言えない(母的にはジョークらしいが、笑えるのは母だけという…独りよがりな人なので…💦)。 どこまでいっても、 心が飢えた人は、 自らの過ちに気付けない人は、 誰かに自分の幸福の責任を背負わせ(求め)、 誰かに不愉快の責任を背負わせ、 誰かを貶めることで自分の価値を、 存在を感じるしかないのだと…。 ずっと見てきて、 ずっと癒そうとしてきたけど、 本人の意志以外に救うことはできないのだと…。 私がどれだけ癒しを与え、 元気を与えても、 母は外で毒しか吐かないことを見てきたから、 私はもう本人の責任は本人に委ねた。 結局は癌を患い、 薬漬けで、体力が衰えていく自分に 恐れと不安を隠しきれない様子。 そう、自分で自分のまいた種の 始末の負えない人は、 他力によって抑圧されていくしかないのだと思う(結局は自分の『心』の在り方、波動が引き寄せた結果でしかないのだと…)。 歪んだ心の結果が、病気であり、 不運であり、苦しみの因果であること、 自分がまいた種の責任なのだと気づくまで…。 人生はクリーニングの貴重なチャンスなのだ✨ 苦しむためでも、痛みを味わう罰でもない。 自分を知るため。 自分のまいた種に気づくため。 全ては神の計らい。 神性なる愛の学び、教えなのだ。 抵抗するより、 執着するより、 ただ素直にありのままを見て、 謙虚に受け入れ、 悔悟して、改善するだけ❗ 素直で謙虚な実践が、 新しい扉を開く🚪✨ さあ、新しい『私』の扉を開こう✨ 新しい『私』との出会い(変化、成長)を楽しもう✨ あなたが幸福を受け取るほどに、 周りも素直に受け取れるようになる✨ (自分がクリーニングするほど、周りもクリーニングされ、クリーニングされた『心』と同調した出会い、ご縁に恵まれるようになる✨面白いほどに…👍✨) あなたが笑うほどに、 周りにも笑顔の花が咲く✨ 神様はどこまでも、 私達に幸福で居て欲しいのだ✨ 幸福であることに気づいて欲しいのだ✨ 素直に謙虚に、そして堂々と 幸福を活きよう✨ 幸福を選ぼう✨ そのための努力こそ、 明日への挑戦こそ、 希望の花であり、 周りへの最高の貢献なのだ✨ 私達が幸福を生きること❗ それは、神様への最高の恩返しなのだ✨ さぁ、今日も レッツ クリーニング✨✨✨ 昨夜の創造物の ラム酒のキャロットケーキ✨ 今回はラム酒の風味+アンズペーストの上に豆乳チョコクリームを塗って、 アーモンドを散らしてみた。 ナッツを散らすと素朴で、 見た目ブラウニーっぽいけど、 なかなかザッハトルテ風な高級感、 ビターな大人味✨ 先日久しぶりに訪問してきた姉に 別のバージョンのキャロットケーキを出したら、 絶句して感動してくれた✨ 香水みたい…(洋酒の香り) 超高級品… イギリスのティーハウスに出てきそう… などなど (意外と私にはイギリスのティーハウスのアフタヌーンティーは、高級感より、 スコーンやサンドイッチなどの素朴なイメージだけど…。外で食べるとお値段結構するからね、姉には高級なイメージみたい。あれは雰囲気代だと私は思うな~笑) とにかく、キャロットケーキとは思えない…との感想にイエイ👍 (キャロットケーキを否定してるのではない❗ 私はキャロットケーキが大好きだから✨ でも、もう、定番クリチのフロスティングは不要かな~) 姉は昔から私の手作り品の試食をしてきたので、 マクロビ時代などのむやみに砂糖減らしたボソボソのお菓子(私は素朴で好きだけど)から、創作菓子、パン、料理など、 色々食べてきたけど、 しばらく会わないうちに、 あまりの進化ッぷりに驚いたらしい。 なんせ、砂糖減らしただけでなく、 砂糖使わなくなった上、 (80%ビターチョコには有機砂糖とやらが入ってるけど、かなりビター) 超高級品と思わせるほどまでに、 進化してるから✨ もうそれは大切に育てられた美味しい人参と、 ドライフルーツと華やかな洋酒の香りのおかげ✨ しかも、旬のカボスピールや (無農薬のカボスをいただいたので💞) 小麦粉ではなく、ラギ粉という 雑穀の全粒粉(そば同様アルカリらしい)を使っていて、 そのどれもが滋味深い味わいなので、 もうごはんに違わぬ食物繊維と栄養価。 これだけのケーキは、 姉でなくとも、外では食べられない❗ 誰も思いつかないだろうし、 値段をつけるとかなりするはず❗ それをお得に作れちゃうのが、 手作りの楽しいところ✨ 外食や本などで得たインスピレーションから、ワクワク作る。 (美食を素朴な材料で仕立てるのが楽しいし、体にも嬉しく、美味しい✨) ベース以外は、 レシピにも残さない一度きりの創造物。 貴重な体験だからこそ、 喜びも大きいのだ✨ そして、一度きりだからこそ、 大切にいただける✨ 人は、習慣の生き物だから、 すぐに慣れ、馴れ合い、負のループにはまりやすい。 私は敢えて、執着しない、 その一度きりを楽しむ。とことん味わう。 そして、次に繋げていく✨ 人生は自分で作るもの✨ 育てるもの✨ だけど、どこまで行っても、 全ては与えられたもの(恩恵)のおかげだと 気付くんだよね✨ どこまで行っても、 感謝しかない。 どこまで行っても、 恩返ししきれないほどの、 愛に満ちている✨ これこそが、正のループにいるのだと実感する✨ 感謝の心が、 馴れ合うことのない、 常なるクリーニングの新鮮な心が、 新しい扉を開き、 新しい出会いを与えてくれる✨ (先日出会った無農薬野菜のお店でも、 見切り品のものをどっちゃり おまけしてくれて、もう今ジャガイモ尽くし笑) どこまでも代謝と巡りのなかで、 ただ新しい出会いに感謝して…🌄✨ 日々是好日✨ 感謝✨ クリーニングと共に在る人生には 成長しかない✨ ありがとう✨✨✨
2021.09.21
私が幼少期からのネガティブな痛み、苦しみの数々から学び、手に入れたもの… それは、欲しくて欲しくてたまらなかった、 最強の健康法✨ 唯一無二で、 私だけの、 とっておきの健康法でした✨ それはイコール、美容法でもあり、 養生法でもあり、開運法でもあり、 そして、最強の脳トレでもあったのです✨ なんせ、健康しか求めてなかった私が、 健康しか目に入らなかった私が、 せっかくの若さを、 青春時代の輝くべき時期を、 甘ったるい恋も喜びも捨てて、 仕事のキャリアも捨てて、 (…というか、目に入らなかっただけ笑) 健康だけのために、 どんなにネガティブな自分でも、 ないならないなりに 誤魔化すこともせず、 偽ることもなく、 (これまたそんな考えすら思いもつかなかっただけ笑) 人生(私に在るもの)全ての ありったけのエネルギーをかけて、 探究し続けたのですから❗ そして、その中で私が見つけたもの、 手に入れたものは、 生命輝く、自然本来のありのままの 美しさを放つ、『私』だったのです✨ (自分で言うのもなんだけど…笑 でも、誉められすぎて、 もう照れもしないと言うか、 ありがたく受け取ること、 認めることができるようになったのです✨ 何度も賞賛されるということは、 神性からの『受け取りなさい❗受け入れなさい❗』のメッセージだと思うから🎁) 作られた美しさではない、 素顔の、自然体の放つ輝きは、 作られた『美』に囲まれた(知っている)人ほど、衝撃が走る美しさのようで、 本場インドのアーユルヴェーダの医師や 世界を股にかけて活躍するヨガ指導者など、 世界規模に美と健康、人間の本質と 真摯に向き合ってきた専門家たちほど、 驚嘆を隠せない、 真顔で溜息をつきながら、 『ビューティフル~✨』と 誉めてくださるのですから、 もうこれは、真実の美(健康の先の本質、 生命の美)を 私は見つけたのだと確信したのです。 逆に、身の回りにいる一般人の多くは、 芸能人とか遠い存在に対しては受け入れても(ゴシップネタとして)、 身近な人が目立つことを許せないらしく、 嫉妬や嫌がらせ、無視、拒絶など、 恥ずかしいほど未熟だな~と気づきました。 私が今まで受けてきた苦しみや痛みは、 この未熟な面から学び、 役に立たない記憶の歪みに対して、 どう対処し、どう役立つように変換していくのか…、 奪い合い、貶め合う、嘘にまみれた歪んだ世界、 苦しみが渦巻くように思える世界(人生、自己)から、 どう共存共栄の豊かな世界(人生、自己)を創造していくのか❓… 苦しみ、痛みの多い人生でしたが、 それらの体験は決して私を苦しめる罰ではなく、 どうせ変わらないと嘆いて生きるのか、 それとも、在るものを活かして、 望む世界を、希望を捨てることなく、 自分が秘めた(与えられた)力を信じて、 新しい世界を創造するために 挑戦していくのか…、 今は、そう問われていたように思えてなりません。 まさに、問題とは、クリーニングのチャンスであり、 内なる神性からの、 『あなたならどうする❓』 …という、神との対話、 禅問答をしてきたように思うのです。 そして、どこまでも素直で謙虚に 探究し続けることができたのは、 やはり、あんなにネガティブな環境の中で 自分を見失っていたはずなのに、 私は諦めていなかったのですね笑 『私を生きたい』 『私を知りたい』 『私を体験したい』 『私の願いはこんな世界じゃない❗』 人生とは、私を体験するチャンスであることを、 無自覚の中で、私の本質、魂は私を見捨てることなく、 導き続けてくれていたのですね✨ つまり、渡る世間は鬼ばかり…(古い❓笑) …のように思える世界は、 『じゃあ、あなたならどうする❓』…という神性からの問いかけに過ぎません。 その世界を諦めて受け入れ、 でも実は諦めきれずに(魂は成長したいから) 愚痴や不平不満ばかり募らせ、 自分が何もしてないことの責任を、 周りのせいにして、 更なる毒を吐き続けるのか、 (世界をますます苦しみの渦に貶めるのか) もしくは、こんな世界はおかしい❗ …と、問題の原因をありのままに見て、 在るもの(自分)を活かし、知恵を絞り、 できることをやって、少しでも良くなる道、歪みを正す道を選び、 望む世界(自分)を創造していくのか… 『私』も『人生』も、 全ては自分の思いから生まれ、 自分で創造していたわけなんですね✨ そして地球全体もまた、 人々の『思い』から創造している過程にあるわけで、 大規模な地球破壊や災害、ウィルスなどのパンデミックも含めて、 人間の集合意識の歪みが引き起こした、 大規模な地球の自浄作用のように思うのです。 私達は全てが繋がっていて、 共鳴し合っています。 私の幼少期からのネガティブな思い込みは、 まさに、家族やご先祖様からの負の『思い』を押しつけられ、 負の連鎖の、記憶の歪みの鎖に縛られて 身動きできずにいた結果だったのです。 そりゃ~、渡る世間は鬼ばかりのドラマを見たり、 戦争も体験して、親からは木刀で叩かれるような躾を受けてきた祖母は、 そんなやり方しか知らなかったのだし、 そんな苦しみの中も、 精一杯良くなりたい、 良くなろうと努力してくれたおかげで、 祖母の逞しい生命が、 多くの負の連鎖の鎖を断ち切り、 私の記憶には、 強く、厳しくて、恐い反面、 優しくて、大らかで、輝く笑顔の祖母もいて、 あの輝く満面の笑顔の祖母の一面が、 私の希望の光を照らし続けていたように思うのです。 完璧な人なんていません。 完璧を求めているわけでもありません。 でも、私達は、誰もが『私』として、 個としての完全体であり、 私の人生に必要な学び、課題を乗り越えるために必要なものは全て、 与えられているのだと実感しています。 他の誰でもない私、 他の誰とも比べられない私、 そもそも人生の課題が違うのに、 比べても仕方ありません。 自分は高校生なのに、 小学生と比べる人なんていませんよね❓ いや、私は結構子供達からも学ぶこと多いので、 上も下もない、人類皆兄弟感覚の私は、 結構子供とも真剣勝負しちゃってたりするんですけど💦笑 だからと言って、子供達の若さや体力、 斬新な発想力や軽やかな運動神経に 『すご~い✨』…と素直に感動はしても、 妬んだり羨んで嫌がらせしたりはしませんよ笑 確かに私の幼少期は、そんな若さ溢れた 輝くばかりの子供時代の体験がありませんでした。 それは素直に羨ましいとも思います。 だけど、先日たまたま通りがかった場所で、 女の子たちがブレボーというスケボーみたいな乗り物で遊んでいるところを見て、 ふと、やってみたい✨と思い立ち、 女の子たちに、 『ねえねえ、それちょっとやらせてくれないかな~』とお願いしてみたら、 『いいよ~』って貸してくれて、 乗り方も教えてくれて、 私は全然乗れなかったんですけど笑 すっごく楽しい時間でした✨ 子供達は、教えるの大好きですから、 聞けばどんどん教えてくれるし、 たぶん十分かそこらだったと思うけど、 『もう帰るの~❓』って、 別れを惜しんでくれて… あぁ、素直ってなんて素晴らしい✨ …しみじみそう思ったのです。 私が成長(変化)できたのは、 間違いなく、プライドで頑なに自分を守るようなことはせず、 素直に分からないから教えて❗って、 言えるからだとも思うし、 素直に聞けるから、 感謝も自然に湧き上がり、当たり前に伝えられる。 無駄に人に期待する必要もなく、 どんどん自分を変えていけることが楽しくて、 軽やかに生きていけたのだと思うのです。 あまりにも重たかった子供時代の体験から、 私は重たさは役に立たないと学び、 また、ゴミ屋敷にしてしまうほど、 物を増やすばかりで、片付けられない母を見て、 物は決して幸せを生むわけではないということも学んでいたのですね。 幸い、祖母はキレイ好きでしたから、 実家はずっと整理整頓されていて、 家庭訪問でも、祖母が育てた 立派な家や庭を誉められて、 嬉しそうな祖母を見てきたので、 その後、祖母に反発ばかりしていた母が、 そして、我が物顔で自己中な母に呆れて、 娘たちすら寄りつかなくしてしまった その後の実家は、本当にこうも変わるのか…というほどのゴミ屋敷になり、 住む人の『思い』が 家を、その場の空気(雰囲気)を、 環境を育てるのだと、 しみじみ実感するばかりです。 これは、良いも悪いもあらゆる体験が 私への問いかけであり、 私はどう生きるのか❓ 私ならどうするのか❓ どんな世界を育てるのか❓ ひとりひとりへの禅問答、 自分という『神性』との対話なのです。 問題も、敵も存在しない。 全ては、『私』への問いかけ、 『私』のクリーニングのチャンスでしかないのだから。 ひとりひとりが、自分への愛(神性との信頼関係)を取り戻し、 そして周りへの愛へ、 そして地球へとその愛が広まっていくとき、 この世界は途方もなく美しい希望に満ちた世界に生まれ変わるのでしょう🌏✨ 私達はひとりひとりが愛(神性)を与えられ、分かつ聖なる存在です。 自分という存在をどう創造し、 どんな人生を生きるのか、 そして、この地球平和、集合体に、 ひとりの存在として、個として、 どう関わっていくのか… 誰のためでもなく、 『私』を生きることを、 まず取り戻さなくてはなりません。 誤魔化すことも、 偽ることも、 見て見ぬふりをすることも、 今は簡単ですね。 暇つぶしできるものがたくさんあります。 だけど、私の知る限り、 楽しても、楽したなりの、 一瞬だけの幸福感しか得られません。 そして、その結果として残るのは、 一瞬だけの幸福感さえも空しくなるほどの、 空虚感、孤独感、未来への怖れではないでしょうか…。 楽しても、 楽するほどに、 人生は行き詰まるばかりです。 嘘の上塗りは、自らを地獄へと誘うでしょう。 なぜなら、嘘をついてるのは、 自分にだからです。 誰かを騙すことよりも苦しいのは、 自分を騙し続けること。 結果、他人の目ばかり気にして生きていくしかないのです。 年齢を重ねることは、 決して醜く老いていくことではありません。 年齢を重ねるほどに、 経験値、知恵が役に立ち、 役に立たない物は手放すことで、 若いときのように、 あれもこれもと周りに振り回されることのない余裕と、確かな個としての存在感が際立ち、若さとは違う、 いえ、若いうちには決して得られない、 内面からの輝きに満ちた、 成熟したワイン🍷のように、 深紅の美しさと芳醇な香りと味わいに 人々が酔いしれるような、 何とも言えないその人だけの味わい(輝き、魅力)を放つ存在感、雰囲気が生まれるのだと思います。 まぁ、私はお酒が飲めないので、 ワインの美味も分からないのですけど💦笑 最近ね、お酒が飲めない理由もなんとなく分かったのです。 学生時代は、お酒に付き合えない、 一緒に酔うこともできない自分を 嘆いていた時期もありました。 私、ピュアだし、繊細体質だから、 あんまり無理ができない。 いや、その割にはいっぱい傷つくって、 自分はちゃっかり楽して、身を守ってる ずる賢い人たちに利用されながらも、 たくさん無理して頑張ってきたのだけど、 (歯医者さんも驚くほど歯が削れていたりね(食いしばって頑張ってきた勲章ね❗でも、アスリートとか、食いしばりすぎて歯が欠けて、若いのにオール義歯とか入れ歯の人もかなりいるらしいことを知って、恐れおののき、削れ、傷つきながらも残ってくれた私の歯にも体にも、今はありがたいと感謝に気づいて、大事にすること覚えたのです✨まさに、問題はクリーニングのチャンス✨)、 体にも心にもたくさん傷を背負ってきたけれど、 それらは全部、私が『私』を自覚してなかったゆえに、 自分で自分を傷つけてしまっていたのですね。 そのために、痛みや苦しみを使って、 私に自分の価値、素晴らしさを自覚させてくれていたのだと思うと、 痛みや苦しみもまた、 大切なメッセンジャーなのですね✨ 痛みや苦しみがなければ、 死に至るまで、問題に気づくことさえできません。 それでは、何のために生きているのか、 何が望みなのかも知ることはできません。 痛みや苦しみは、 間違いなく、問題や歪みに気づかせるための、 愛(神性)からのメッセージだと私は確信しています。 酔って誤魔化すのではなく、 痛みを受け入れ、問題に気づくこと。 そのために、私にはお酒は必要ではなかったのです。 今は出産すら無痛分娩が増えていて、 生命の重みを学ぶことすら拒絶する人たちが多いようです。 私は子供を産まない選択をしたけれど、 それは痛いのが恐いからではありません。 私には生まれてからの痛みのほうが大きく、長かったので、 生まれてなお争い、奪い合うしかしないのなら、 何のために命をつなぐのか…、 私にはその理由を見つけられなかったから…。 つまりは、遺伝子的記憶や本能的衝動よりも、 内から湧き上がる神性からの問いかけに、 答が見いだせずにいたから…。 子供を産まないのなら、 結婚することにさえ、意味が感じられなかったのです。 どこにも助け合う夫婦像、家庭像、 進むべきモデル、メンターを見つけることができなかったから。 だけど今は、ちょっぴり後悔もないわけではありません。 自分の中のインナーチャイルド、 傷ついた未熟な私の部分が癒されるほど、 親と子は互いに成長し合っているのだと、 そのために、問題を見せてくれていたのだと気付けたからです。 そして、私が体験できなかった子供時代の ワクワクするような体験を今、 私は体験し直すことができたから。 あぁ、生きるって素晴らしい✨ こんな心から子供と向き合ってみたかった。 今さらですが、輝くばかりの子供達を見ると、ちょっぴり羨ましくもあるのです笑 痛みを大いに受け入れ、 味わったからこそ、 体験できた、本当の私。 痛みなくして、絆は築けないと私は確信しています。 親が痛みを避けている限り、 子は本当の自分を生きることができない。 それは物質的な人間としての親と子の関係もそうだし、 内面的なインナーチャイルドとの関わりにおいても、同じです。 親(大人)になるためには、痛みを避けては通れないのです。 そして、その痛みを受け入れるという課題のために、 命を繋ぐ中で、親と子のリアルな戦いが始まるのかもしれませんね。 ある意味、不必要な痛みや怖れを克服した 私には、自然と解脱の道に導かれ、 進んでいたのかもしれません。 人間としての親子の関係を越えた、 種を越えた、あらゆる生命との関わりを通して、生命の意味、痛み、苦しみ、 そして輝きをも体験できたのですから✨ そして、お酒で誤魔化し、 緩める必要もなかったのでしょう。 私はリアルな体験、体感を通して、 自らの緊張、抵抗をほどき、 緩める術(知恵)を身につけたのですから✨ 飲めないというより、 飲む必要がない。 飲まなきゃやってられないような付き合いが私には必要なかった…そんな気がします。 繊細で感受性が強かったのも、 苦しむためではなく、 大切なもの、真実、真理を見る目を養うタイミングに来た…という、 神性からの贈り物、宝だったのです。 人とは共感し合えない、 理解されない、 人間の愚かさばかりが見えてしまう、 もう死んでしまいたい… 人間でなんかいたくない… 何度そう思ったことか… だけど違った。 真理を見抜く目を与えられたということは、 じゃあどうする❓ 諦めるか、変えるのか❓ 死か再生か❓ 衰退か成長か❓ 全ては神性からの問いかけであり、 役立たないものは壊し(破壊)、 役立つように変えていく(再生可能な物を活かし、新しい変化を生み出し、希望に繋げていく)。 あなたはどうするのか❓ あなたはどう生きるのか❓ あなたをどう活かすのか❓ 人生は本当に素晴らしい『自分』を体験できるチャンスなのだと、今は思うのです。 素晴らしい『自分』とは、 上辺(表面だけ)を塗り固めることではありません。 こうしたら良くなるかも…、 こうしてみたらどうだろう… そんなリアルな試行錯誤を通して、 手間暇を惜しまず、 愛を惜しまず、 自分と向き合い続けた結果、 内面から放つ光という存在感が 勝手に周りに与えている『魅力』であり、人生の中で誠実に謙虚に向き合い続けた結果得られた(与えられた)『付加価値』という神性からの贈り物なのです。 それは、頭で得ようとして 企んで得られる物ではありません。 頭で、左脳で考えられることを越えた、 まさに神性からの贈り物としかいいようがないものなのです✨ 誠実さと謙虚な生き方、 心の在り方によってのみ得られる、 また、手間暇を惜しまず、 自然の摂理への敬意と尊重、感謝を怠らず、 在るものを無駄なく、大切に育ててきた人のみに与えられる、神性からの贈り物✨ いえ、正確には、皆平等なんですね。 誰もが与えられたもの✨ ただ、楽して、ずるして、 他者と競争し、貶め合い、 損得勘定ばかりに右往左往して、 真実を見る目を養ってこなかった人、 歪んだ世界に囚われて、 他人のせいにばかりしてきた人、 自分に与えられた価値(才能や個性)を育てることなく、放棄してしまった人には 見ることができない…というだけなのです。 神性は決して差別はしません。 因果に応じた環境を受け入れ、 あるがままの中に、課題を見つけ、 ただひたすら地味で地道な道の中から、 自分の分を知り、足るを知り、 学ぶべき課題に真摯に向き合うかどうか… ただそれだけなのだと思うのです。 少なくとも、私は健康以外に、 あまり多くは望みませんでした。 …というか、知らなかった。 みんなが何にそんなに楽しそうなのかさえ分からないから、興味も湧かない。 喜びか分からず、生きる意味も分からず、 不器用で、生き方が下手だったけど、 それが幸いしたのかもしれません。 本当の宝を見つけるためには、 居心地の良い場所を抜け出る強さも必要なのだと思うのです。 (私には居心地の良い場所はなかったけど、苦しむより、閉じこもることもできたのですから。) 最近糖質の選択として、 キャロットケーキ🍰ブームが 再来した私は、ちょっぴり進化させて、 今まで大好きだったザッハトルテやレモンケーキ、 バームクーヘンやブランデーケーキなどからインスピレーションを受けて、 柑橘の皮や洋酒の風味を活かした 一度きりしか作れないキャロットケーキを、 直感的に勝手に手が動くままに任せて楽しんでるのですが、 これがまた、どれも素晴らしく美味しい✨ だけども、レシピには残さず、 あくまでもその時の直感に従い、 その時の私のために作られた、 神性からの贈り物である 一度きりのキャロットケーキを楽しむのです✨笑 これがすごい脳をスッキリさせてくれるのですね~✨ 人生で得た知恵も想像力も創造力も発揮して、 無駄なく楽しむのです。 そして、そのための洋酒を探していて気づいたのですが、 お酒って自然発酵のものだと思ってたけど、 アルコール消毒にもなるくらいだから、 まさか、添加物なんて関係ないのだと思ってたけど、 意外や意外、結構使われていたのですね。 特に酸化防止剤とか、カラメル色素とか、 一番いい時期をそのまま長期保存のため…とか、 昔ながらの伝統的な理想である、 樽で熟成した色や香りをイメージという、作る人々の『思い』なんでしょうけど、 まぁ、単なる誤魔化し…、 つまりは嘘、偽物なんですよね。 私からすれば…。 そこまでして人々の偽物の『思い』までは受け取れないな~と私は思ってしまいます。 偽物の色や香り、保存料なんて要らないし、 そこまでして飲まなくていい。 私には、ワインやブランデーを飲んで 自分に酔いしれるような見せかけの喜びは全然楽しくないので、 必要ないのですね。 かといって、マクロビオティックやベジタリアン料理にありがちな、 肉もどき…の料理の考え方も美しくない❗…と思っちゃうので、 別にいいじゃん❗ 堂々と豆腐や豆料理を主役にしたって…と、 堂々と豆料理を楽しんでいます。 あまり理論や理屈ばかりに囚われると、 全然楽しくないので、 私には、それが生命を輝かせる喜びであるか…、 生きることの感謝が湧き上がるものであるか…のほうが大切なのです。 昔は保存技術がなかったゆえに、 自然の恩恵や知恵を使って、 手間暇を惜しまず、かけた愛情の分だけ 自然から、神性からの贈り物として、 深い味わいや熟成という付加価値、 宝を受けとっていたのですね✨ だから、本来はその付加価値の分だけお値段も高い❗ 当たり前のことなのです。 それを安くするために、 体に悪いものを使ってまで、 そう見せかける必要なんて、どこにある❓ 病気を生み出してきた、 人々の歪んだ想いは、 まさにここにあるように思うのです。 時間や手間暇を惜しみ、 だけども、伝統的なもの、 アンティークに込められてきた付加価値も 失いたくない、 しかも、お安く手に入れたい… まぁ、単なるワガママですね笑 そして、その歪んだ心が、 偽物を次々と生み出し、 偽物と本物(真実)の区別さえ分からなくなり、 自分にとって栄養なのか、毒なのかどうかさえもわからないという、 あまりにも始末の悪い、 始末に負えない状況にまで陥ってしまったこと。 人間には始末が負えないから、 地球は自浄作用を起こすしかなくなるわけです。 これは、人間としての、 集合意識に刻まれた業であり、 誰かだけのせいではなく、 全員に刻まれた記憶の歪みなのです。 ひとりひとりが、自らの業、記憶の歪みを クリーニングする必要があるのです。 誰かと、外側の世界と戦うことではなく、 自分の中の記憶の歪みを正すこと、 クリーニングすること。 邪気は外にあるのではなく、 内に在るものであり、 その自覚こそが、 そして、意識的なクリーニングこそが、 『私』を救い、 『私』を癒し、 『私』から放つ光によって、 周りさえも光を与え、癒す力を与えること、 つまりは、存在だけでヒーリングというエネルギーを与える貢献になるのです✨ 私は私を癒し続け、 私は私を磨き続け、 私が私を愛すべき存在として、 自覚すること。 第一の課題は、 それだけで良かったのです✨ 自分の中の業、記憶の歪み、 痛みを自覚すること。 痛みを避けては通れません。 今までの古い医療や福祉は、 決して人を救うものにはなってなかったように私は思います。 人々をかえって弱らせてしまった。 誰かに、薬に…、 アルコールやタバコ、甘い誘惑と同じくらい何かに頼らなければ生きていけないほど、 自分を信じる力を奪い、 内なる神性から遠ざけ、 外側の誰か、何かが救ってくれるように思わせ、依存させてきた。 母子家庭だった私も、 多分に福祉のお世話になっていたらしい。 母子家庭の子供達をグリーランド(遊園地)に連れて行ってくれたり、 たぶん他にも色々とあったはず。 なぜあんまり記憶にないかと言えば、 母は無料を利用することには長けてる(勘が働く)けれど、 私達子供に、『感謝することの大切さ』は 全くといっていいほど教えてくれなかったからだ。 感謝がないので記憶にも残らない。 しかも、残念なことに、 ネガティブだった私は、 ジェットコースターなどの絶叫マシーンが苦手で、 その上、家族の重たいネガティブな波動に慣れてるので、 遊園地にあるはずの軽快で愉快な波動に居心地が悪く、 全くといっていいほど『楽しむ』こと、 『楽しい』感覚が分からなかった、 つまり、子供らしい無邪気な喜びを知らなかったのだ。 それは、犬猫の保護活動をされている方ならおわかりだろう、 殺処分寸前の恐怖に怯えた彼らは、 また、劣悪な繁殖ブリーダーの元で 過酷なまでに命を浪費させられてきた彼らは、 たとえ運良く救われても、 すぐには心の傷は癒せない。 なぜなら、『喜び』を知らないからである。 そして、私が体験してきた福祉の場においても、 利用者さんは仕方ないとしても、 働く側の心の傷、 多くは劣等感や不必要なまでの虚栄心が 全く癒えていない人が多いように思うのです。 少なくとも、私が体験した環境では、 働く側の心の傷を、 障害者さんたちが受け入れ、 癒す時間を与えてあげているように見えました。 魂的には全然真逆なのですね笑 知的障害があるから分からないだろうと、 平気で失礼な言動をする、未熟な人たちほど、プライドや虚栄心は大きく、 また、劣等感や罪悪感も大きい。 それを、自分より下と見下す利用者さんたちのおかげで、なんとか自尊心を保っていると言えるかもしれません。 また、逆に、利用者さん側にも問題がある場合も多く、 子供の頃の私のように、 親に言われて来ているだけで、 自分が支えてもらっていること、 皆さんの税金によって、 支援してもらっているのだという自覚も 感謝もなく、文句たらたらの人も多いので、 まぁ、やはり、お互いの学びのために 引き寄せ合っている同類の法則に違いはないのでしょう。 結局、お金だけ、国の政策だけでは いくらやっても変わらない。 延々と自覚して自ら殻を破って成長の痛みを受け入れるまで、学び合う魂なのですね。 心の傷は、自覚しない限り、 自分より弱いものにぶつけ、 延々と負の連鎖を繋いでいるに過ぎません。 自分の中にある記憶の歪みをクリーニングしないということは、 延々とその連鎖の中を巡り続けることを 自ら選んでいることに他ならないのです。 自分を粗末に扱うものは、 他人も粗末に扱うことしかできません。 感謝に気付けないのは、 生きる喜びを感じられないから。 その結果、自分でコントロールできなくなった体、人生を誰かに介護してもらうしかなくなります。 ですが、人間とは未熟なもの。 自分のことさえままならないのに、 他人のことを自分以上に大切にできる人などいないのです。 マザーテレサを求めても、 マザーテレサに同調するだけの美しい心を磨かずして、救ってもらえることなどあり得ません。 つまり、自分で粗末に扱ってきた結果は、 粗末な扱いを受けざるを得ないということ。 私は今まで自分を自覚してなかったゆえに、 自分の身を削って学びに変えてきましたが、 その結果、分かったことは、 他人に生命を委ねても、 救われることは決してないのだということ。 なぜなら、医療や介護現場の人たちも、 自分を病ませないよう、 自分を守るために、 心にある程度の境界線を張らなくてはならないからです。 私には境界線がなかったゆえに、 身を削り苦しみましたが、 自分を守ることが一番の課題だったのです。 かつては、医者は人を救ってないと 反感を感じたこともありました。 だけども、真実は、 誰も他人を救うことはできないのです。 自分で自分の身を守る術を身につけるしかありません。 そして、身につけたからこそ、 新しい挑戦を、希望を、 創造を喜びに変えて生きることができるのです。 欲望のままに身を削り、 その結果、得られるものは、 これからの時代は特に、 AI的な機械化されたシステムに繋がれた、 心の通じ合わない結末かもしれません。 なぜなら、本当の自分に目覚め始めた、 つまりはかつての抑圧から解放されたい、 人々の過剰なまでの欲望が目覚めた今、 好き好んで自分を見捨てた人たちの世話をしたい人はなかなかいないことでしょう。 機械化されることはもはや避けられない。 生きることの責任を放棄するということは、 痛みを避けて通ることは、 結局、自分を弱め、貶め、 老化や未来への怖れに身を落としていくしかない生き方でもあるのです。 生きることは自分への挑戦であり、 生きるという痛み、成長痛の覚悟でもあります。 痛みのない出産、 痛みのない人生に、 真の幸福など見つかるはずもありません。 私の見つけた、 苦しみもがいた先に見つけた健康法とは、 痛みや苦しみという、 成長痛を越えた先に在る、 真の健康であり、美であり、幸福であり、 平和であり、豊かさという、 誰かを傷つけ、貶めて奪い合うような、 薄っぺらい安っぽいものではない、 生命の輝きそのものだったのですから✨ そして、その痛み、自我(エゴ)を越えた人だけが得る真の幸福、 見える世界、生命輝く喜びに満ちた、 『生まれてきて良かった~』という感動✨ 感謝に満ちた人生の意味に気付けたこと✨ これからも決して終わることのない流れの中で、生命続く限り、 いくつの感謝を、感動を生み出していけるだろう✨ その希望に満ちた未来への挑戦は、 生きる喜びに満ちていて、 脳トレとか、健康法とか、美容法とか… 次々に変わっていく外側の無責任な一時しのぎの情報には囚われることなく、 楽しんで活用するもしないも自由、 依存も執着もなく、 ただ変化していく流れをありのままに見て、 ちょっと彩り、ちょっと味わいつけて楽しむ知恵であり、 年を重ねることの喜び、 魔法のようなときめく人生に、 認知症や癌なんてないのだと確信しています。 全ての病や問題は心、思いの歪み、 そして、自然への敬意を見失った 人間の『傲慢さ』への気付きのメッセージでしかないと思えるから。 何よりも、そうでない人生、 死も、あるがままの老いも受け入れた、 自然な生き方と、自然への愛、感謝、敬意に満ちた、美しい心が織りなす人生を見せてくれた先人たちの記憶が私にはある✨ 歪んだ記憶をクリーニングすればするほど、 ありのままの愛だけが残り、 ありのままの自然だけが残り、 ありのままの自分に近づいていく喜びだけが残る。 痛みも苦しみも敵ではない。 歪みに、過ちに気づくこと。 無視すればするほど、 避ければ避けるほど、 年齢を重ねるほどに、 未来は不安と怖れに変わっていくことでしょう。 ピンチはチャンス✨ クリーニングのチャンス✨ 一時しのぎの誘惑や暇つぶしではなく、 悔いのない、愛すべき『私』という体験、 愛すべき『人生』という体験をどうぞ取り戻してください✨ それが、子供達に、未来に残していける、 最愛の記憶、貢献だと思うのです✨ 私達は苦しむために生きてるのではなく、 苦しみという記憶を越えて、 クリーニングして、喜びを、愛を育て、 新しい平和への『思い』を生み出すこと、 自分の、人生の責任、 創造主としての責任、 生み出したものへの責任、 始末の良い人になりましょう✨ 私の経験上、間違いなく、 うまくいかない人は始末が悪い❗ 自分の後始末くらい、自分でできなきゃね❗レッツ クリーニング✨✨✨
2021.09.14

常若(とこわか)という神道の言葉を聞きました。 まぁ、字を見れば想像はたやすいですが、 これは、『若々しく生命に満ち溢れた状態を尊び、いつまでもそう在ろう』という先人たちの思い、日本人の精神に宿る言葉だそうです。 素敵ですよね✨ 私はアンチエイジングとか、 年齢と戦う的な若さへの執着はあまりないのですが、 若さというよりも、 生命力の輝き、輝く生命の美しさに対する思いやときめきは強く、 いつだってあちこちにちりばめられている神性なる愛の欠片を見つけては、 生命(愛)を吹き込み、引き出し、 宿してきたように思います。 今まで私が求めていたものは、 健康だと思ってたけど、 健康を取り戻し、愛の学びに気付いてからは、 私の今世のお努めは、 環境美化、生命場(身の回り)の浄化と共に、 自らの生命を輝かせる(磨き続ける)ことによって、光を放つ(光で在り続ける)こと、 ただそれだけで良かったのだと、 今は思うのです。 つまり、私の因果の責任をクリーニングして、本質の自分を生きるだけで良かったのですね✨ 他人の責任まで背負って、 頑張りすぎてたんですね笑 だけど、どこまで行っても、 どこまで励ましても、 やる気のない人は依存すること、 楽すること、そしてその上で感謝に気付くことよりも、 不平不満を募らせることしかしない❗ …と理解してからは、 やってあげること、助けてあげること、 楽をさせても人は学ばないのだと、 記憶の歪みによる因果を自ら自覚させないことには、 つまり、自らその結果である痛み、苦しみを味わうことによってしか、 人は成長し得ないのだということを受け入れたのです。 これは、私の人生の大きな変化でした。 逆転した感じ❗ インドの占星術でもかつて、 将来は全く違う世界を生きることになると書かれていたことがあったけど、 なるほど~、こういう意味だったのね~と、 今は実感しています。 世界が変わったのではなく、 私が変わったのだと…。 まぁ、変わったというより、 本質の自分を取り戻しただけのように思います。 私がネガティブだったのではなく、 育った環境や家族の考え方が歪んでいた… ただそれだけ❗笑 私の場合、健康を取り戻す過程で、 家族から引き継いだパターンを脱皮して、 体の歪みがクリーニングされ、 正常(清浄)な生命場、 自然本来の完全性から成る 生命の輝きをを取り戻すうちに、 心の歪みも自然とクリーニングされ、 思い込んでいた歪みが正されていたようです。 だって、もともと『苦しい』と思うこと自体、 正常な反応だったんですよね❗ 歪んでる環境、 恨みや憎しみ、怒りに満ちたネガティブな環境の中に居ることは、 苦しいことなのですから❗ 全然間違ってなかったのです❗ それなのに、苦しいと泣けば怒られる、 体が拒否反応(アレルギーや硬直、なかなか治らないおねしょなど)を示せば、 薬で抑えられてしまうので、 頑張りたくても頑張れない… ますます生命力は弱まり、 殻に閉じこもってしまっていたのですね💦 いや~、それなのによくぞ盛り返した✨ 私の生命(魂)あっぱれ✨✨です笑 昔祖母は相撲をよく見ていたのですが、 人生も相撲の技のようなものなんでしょう。 スポーツを見る人は、 人生を投影してるのかもしれませんね。 希望に変えていくために✨ 私は内向的でしたから、 芸能界にもスポーツにも疎く、 完全に内観、内省によって自分を知る道を選んだわけですが、 どんな道を選んでも、 結果として、人生が自分を知るためにあることには変わらないのだと思います。 そして、私が求めていたもの、 それは単なる健康ではなく、 その先に在る『本質の幸福』だったんですね。 つまり、本当の自分を知って体験したい❗ 堂々と生きたい❗ 堂々と表現したい❗ そして今、私は完全に本当の私を自覚して、 人生をありのままに受け入れ、 あるがままの愛を表現して、 成長の喜びに満ちて生きている✨ こんなにも素晴らしい生き方があるだろうか…と思うほど、 普通~な暮らし、 普通~な生活を楽しみ、慈しみ、 凛やハナ、グリーンたちの生命の美しさを日々愛でながら、愛を体いっぱいに満たして生きている✨ 純粋でお馬鹿で、 分からないことがいっぱいあるからこそ、 人生にたくさんの学びを発見し、 新しい挑戦に心を開き、 失敗さえ素直に受け入れ、 次の挑戦への糧にする、 この底知れぬ好奇心、向上心…笑 人に言われて初めて気づくほど、 自分が向上心溢れる人間だったなんて自覚も全然なく、 ただただ脳科学的にはアハ体験、 達成感や成長の喜びに素直なお馬鹿なのですが笑、 その純粋さ、素直さが、 ネガティブな環境で苦しんだからこそ、 ネガティブをポジティブに変換する知恵を育て、 家族やご先祖様から引き継いだ、 役に立たなくなった古い記憶や価値観をクリーニングして、 新しい私への扉を開く力に変えていたように思うのです。 (私は人生を通して、古き知恵と新しい知識の融合、陰陽の調和なる知恵を育てていたのですね) つまり、もしも家族がみんな優しくて、 何不自由ない環境だったなら、 私は本当の私を探究することすら 思いつかなかったことでしょう。 本当の私を自覚することもなく、 殻の中だけで守られて 人生が終わっていたかも…なんて、 想像しただけでもつまらない笑 どんな状況の中であっても、 今の私が幸福で在ることには変わりなく、 恐れに嘆く人生でなく、 どんな困難や痛みも、 成長に変えてきたポジティブさ、 与えられた私の才能、力を自覚して、 そして何よりも、生きることの喜び、 自らの生命の輝き、光に気付けたこと、 自覚できたことが、 たまらなく嬉しいのです✨ あぁ、私が体験したかったものはこれなんだ✨…と。 そして、私が私を見つけたからこそ、 感謝に気付けたからこそ、 次の新しい扉が開き、 そんな私(才能、力、光、愛)を活かして 貢献することの喜びに 挑戦していけるのだと思います。 人生とは挑戦なのだ✨ 自分を知るために… 自分を体験するために… そして、自分を役立てるために…✨ 人生とは、生命とは、 なんと素晴らしいことでしょう✨ なんと美しい輝きなのでしょう✨ 普通~の暮らしの中にちりばめられている、神性なる愛、生命の輝きに、 私はたとえひとりの時でも、 日々感動し、ときめいてしまいます✨ そしてそんな私が愛されすぎちゃうほど チャーミングに光り輝くこともまた やむを得ない…と笑 拒絶ではなく、 素直に神性からの贈り物🎁だと、 自分の中の素直な愛らしさを やっと受け入れることができたのです✨ 出る杭は打たれる❗ だけど、出すぎた杭は打たれない❗ いや、打てないのだと思います笑 だって、愛しかないんだもの💞 私の中には平和への祈りしかないんだもの🌏✨ たくさん妬まれたり、 嫌がらせも受けてきたけど、 私から憎しみを返すことはなかった。 だって、私の中にはそもそも敵が存在しなかったのですから✨ なんでそんなひどいことをするのか分からなくて、 恨むどころか、 私の何が悪いのかと苦しみを自分に向けてしまったことが過ちではあったけれど、 私の克服すべき課題は『罪悪感』『羞恥心』からの脱却で、 自分の価値を認めることだったのだと思います。 そして、人間の醜さ、愚かさをたくさん見せてくれた悪役キャストの皆さんには、 ご苦労様でしたと感謝しかありません❗ 早く皆さんにも、真の幸福が訪れるよう、 (本当の自分を知ることができるよう) 願ってやみません❗ 嫌み❓ …いえいえ、貶め合うなんて、 本当に無駄なことでしかないと思うからです。 今、私の周りには、 新しい私の光を引き出してくれる師匠たちがたくさんいます。 新しい扉を開く力を与えてくれる 愛の実践者(先輩方)とのご縁が増えています✨ 心を開き、願い、どう生きるのか、 どう在りたいのか、 何を体験したいのか… 自分との禅問答、内なる神性との対話、 全ての答は私の中に在ったのですから✨ 人生とは、自分への挑戦です❗ 常若とは、挑戦し続ける生命の輝きです✨ 生きてこそ、生命は輝く✨ 敵は他人ではなく、 自分の弱さ、記憶の歪みであり、 邪気とは敵ではなく、 自分の中の苦しみや卑しさの記憶の歪みであり、 本当の私ではないものだと自覚することによってのみ、 克服し、新しい扉を開くことができる、 魔法のカギかもしれません。 汝の敵を愛せ❗ 記憶の歪み、邪気さえも活用して 挑戦する力に変え、 ダイヤモンドのように、 同じ強度がなければ磨き合えない砥石となってくれる相手にも愛の光を…✨ 人生の全てを愛し、 また、愛する力に変える挑戦を楽しみましょう❗ 心を開けばいつも 日常の中に愛は詰まってます✨ 玄関の花唐辛子の花が咲いてた~✨ 可愛い🌼✨
2021.09.12

最近しみじみ思うのです。 私は天才だ✨…と。笑 私が思う天才とは、 決して自惚れとか、 傲慢とか、虚栄心とか、 他人との比較や競争でも、 他人に認めてもらわなければ価値がないものでもなく、 神様からいただいた天賦の才である、 個性、特質、ありのままの全てを認めて、 全てを肯定して、全てを感謝して、 活かすことができる力だと思うのですね。 昔は大嫌いだった天パーも、 からかわれるのが苦痛だったハスキーボイスも、 他人の一言にいちいち傷つく繊細さと 強すぎるほどの感受性も… 今では全てを好転させて、 私の大切な宝(才能、素質)となり、 私自身がかつて望んだように、 誰も認めてくれないダメダメな私でも、 私だけは認められるようになりたい、 私だけは愛せるようになりたい… そして、誰かひとりでもお役に立てるようになりたい… その純粋な思いが花開き、 いつしか私をからかう人は勝手に自滅して、 望まなくても、勝手に賞賛され、羨望され、愛され、尊ばれるまでに育っていたのですから、 私の願いを予想外にはるかに越えた、 神性なる贈り物を私は受けとっていたのです🎁✨ その後、この自ら体験した大逆転の意味に興味を持ち(誰かの役に立つかも…と)、 スピリチュアルや精神世界、賢人たちが守ってきた教えに触れるうちに、 気付いたのです。 ただ、当たり前に努力する(信じる道を進む)だけなのだと…❗ 全然特別なことではないように私には思えます笑 ただ、エゴに執着していると、 人生はとても複雑に、困難なものになるでしょうね。 当たり前のことを、 当たり前として大事にしない、 粗末にする人は、 悪化、衰退、老化するしかないのは自然の摂理、 使わないもの、役目を終えたもの、 自ら生きる意思のない者は退化するのが生命の法則上、避けられないことだからです。 幸か不幸か、私は人生の始まりからネガティブな場を体験したことで、 当たり前のものにすら、 当たり前ではない感謝や慈悲の心を育てることができていた。 それが大逆転の鍵だったのだと思うのです。 つまり、どんなに自己啓発や言霊の力、 潜在意識を支配的に活用したところで、 身の回りの大切なものを大事にできていない人、 生かされていることへの感謝に気付く気もなく、 自分の要求ばかりしている人には、 当たり前のものが当たり前のものではないのだと気づく必要があるために、 それらを『失う』という体験によって、 本当に大切なものとは何なのか、 学ばされている(気付くために起こる)ように思います。 つまり、病気や事故で肉体の健康を失う、 大切な家族を失う、 家や財産を失う…というのは、 それらがどれだけ自分を守ってくれている大切でありがたいものか、 気付いてない、 現実(自分)を見失っているゆえに、 失って初めて気付くまで気付けないゆえに、 自らの内面から引き寄せている問題だと思うのです。 私の家族もそうですが、 一番下の私が一番家事や雑事をやっていても、 感謝しないし、 私は好きでやってるので、 苦痛ではないのだけど、 掃除しないのに汚されるだけ… (勝手にキレイにしてもらってるから、気付かない) 親しき仲にも礼儀ありだよ… 家族は助け合うものでしょう… って言っても、 家族なんてどこもそんなもんって、 わざわざ他の人にまで聞いたらしく笑 やる気もなければ、 感謝もしない。 年齢を重ねるほどに理屈っぽくなり、 (自己啓発かなんかしてから、変に自分を理屈で守り始めた) 『姉とか家族とかに変な思い込み持ってんじゃない❓姉だからこうしないといけないとか、勝手な理想だよ。』とまで言う始末。 それでも家族を癒そうと、 あれこれやってきたけれど、 どうやら私の中の罪悪感も癒し尽くしたようで、 あるときからふと、もういっか~って思えた。 諦めたとかでなく、 家族への執着を手放せた感じ。 姉の言うとおり、 家族だから助け合わなきゃいけないわけでもない…と。 助け合う家族は素敵だけど、 私の家族はそうではなかった…と、 素直に受け入れることにした。 まぁ、それだけやり尽くした感があったから笑 それで、必要以上に会わなくなったら、 今度は寂しくなったらしい。 私からは連絡しないので(用がないから) 向こうからするしかないらしいけど、 あまりにも随分なことを言われ続けてきたし、粗末な扱いを受けてきたからね、 こちらとしても、もう話したいことも特にないし、 何の期待もないわけで、 事務的な協力以外はもういいよって…。 そこまで来て初めて気付くんですよね。 親孝行、したいときには親はなし… 私は親ではないけど、 もしかしたら前世では私が親だったのか❓…って思うほど、未熟に見えて仕方ない母と姉… 分かっちゃいるのに、 エゴへの執着が手放せなくて、 甘えちゃってるんですよね。 でも、プライドから、母と姉という存在価値にしがみついてるのは、本人なんですよね。 私の場合、ダメダメ言われ続けたあまりに、 本当に自分はダメな人間なのだと思い込み、だからこそ一生懸命言われるままに やってきたのだけど、 今思えば、周りのほうがダメダメな人(未熟でエゴの強いずる賢い人)ばかりだったことに気づくのに、本当に長くかかっちゃったけど、 その間に私は素晴らしい自分の才能を磨かせてもらっていたのです✨ もっと早くに気づけば…と悔いることもなく、これが私にはちょうどいいタイミングだったように思うし、 進化進化と追い立てたところで、 そんなに焦るほど、欲しいものがいっぱいあるわけでもなく…。 わたしの望みや喜びは、 育つ時間がかかるものばかりなので、 焦りようがないのです笑 (人と争ったり、奪い合う必要もないものだから、焦る必要もないというか…笑) じっくり私も人生も、 醸成し、熟成していく過程さえも愛おしく、 そのかけた時間の分だけ、絆は深まり、 味わいは深まり、人生のひとつひとつに生命を宿して育てていく行為は、 無駄がありません。 私はアルバイトしていたパン屋でも、 食を学んでる過程で出合った畜産業でも、 そして合理化ばかりの会社でも、 かえって無駄や浪費が多く、 (物を使い捨てる時代は、お互いに使い捨て合い、また、使い捨てられることを怖れる時代でもありますね) お互いに生命(魂)の傷を深め合っていることに気付いてましたから、 急ぐことに意味を感じないのです。 何よりも、私自身が育つのに時間がかかるタイプなので…笑 (自分を自覚できて良かった) その代わりに、無駄も後悔もないことは、 私の誇りです✨ つまり、人間はエゴ(自我)に執着して生きてるうちは、 本当に大切なものを見つけることができないのですね。 人生の苦難や問題は、 私達の中に在る記憶の歪み、思い込み、 トラウマなど、家族やご先祖様から受け継いできたしがらみという鎖の連鎖を断ち切るために、 エゴの、記憶の歪みに囚われた自分を手放し、本質の自分を生きる喜びを取り戻すために、 周りの環境や人から受ける影響を利用して、自分を知るという体験をしているのだと思うのですね。 苦難や問題は、自分の歪みに気付くチャンスなのです。 自分を取り戻すチャンスを与えられているとさえ思います✨ そのために私達は努力していたのですね。 挑戦しているのは、自分なのです。 小さな自分(エゴ、記憶の歪み)を脱皮するための挑戦✨ 自我というちっぽけな私を脱皮したい思いが、脱皮に必要な力に相当する問題を投げかけてくれるのです。 まぁ、昇級テストのようなものですね。 ただし、教科書を覚えるような簡単なものではないですけど。 学歴や肩書きを作るほうが ある意味簡単かもしれません。 (本音と建て前を生きること) 自分を変えるというのは、 相当大変なことのようですから。 私の場合、幸か不幸か、ネガティブから始まったおかげで、 思い込んでいた自分を捨てることは、 決して難しいことではありませんでした。 それどころか、自ら変わりたいと望んだのですから✨ 嫌がらせや妬みなどの苦難や痛みもたくさん味わったけれど、 私の場合、自分の価値に気付きなさい❗…という、神性からの愛を見失ってはいなかったので、 決して傲慢や見下し、虚栄心でもなく、 言われたままに信じすぎてしまうことへの戒めようなもので、 反面教師ばかりだったために、 目指すべき師が見つからなかったために遠回りはしたけれど、 結局は自分の中にすでにいて、 導き、守ってくれていたことを知ることができたのですから、 成り行きに委ね、心の限り尽くして従ってみたことで、真に従うべき存在を見つけるに至ったわけですね。 私が願い、求め続けていたからこそ、 出会えたし、手に入れたのです。 自分の中にあった神性なる贈り物🎁…✨ 幸せの青い鳥とも言えますね🐦✨ 師に出会えた人は幸せだと思います。 優しい家族に恵まれた人は幸せだと思います。 大好きな仲間がそばにいつもいてくれることも幸せだと思います。 だけど、私はそうではなかったし、 そうでなかったからこそ、自分に立ち向かう力、強さを鍛えることができたのだと思うので、 反面教師となって鍛えてくれた悪役キャストたちには、やっぱり感謝しかありません。 ずっと隣の青い芝生に憧れながら、 だけども、羨むことも、妬むこともなく、 私の中の萎れかかった芝生を世話し、 必死で育ててきたのです。 間違いもたくさんしたし、 遠回りもたくさんしては、 枯れてしまったこと(失ったもの)もあるけれど、 何度でも立ち直り、その都度試行錯誤して、たくさんの知恵を借りながら、 自分の中に在るものを目覚めさせてきたのです。 心の響くままに素直に従って… 誰とも違う、 私だけの答を見つけるために… 実際はそんな自覚もなかったし、 どこに向かってるかも全然分からなかったけれど、 バラバラのように見えたひとつひとつのピースが合わさって、大体の輪郭が見えてきた今、 人生とはなんと美しく、深く、豊かなもの(体験)なんだろうと、溜息ばかりです… あっ、嬉しいというか、感動の溜息ね笑 苦しみや困難は病気も含め、 全ては、良くなるために、 素晴らしい自分の価値に気づいて欲しい、 いえ、自らその価値を体験したいという魂の真の願いであり、 成長欲求だと思えます。 自分の自覚がないまま生きることは、 その大切な喜び(愛)のための成長欲求が、 エゴの欲望となって発動し、 自らを困難に貶めているようなもの。 そう、苦しみとは、自ら引き起こしている、 本質の自分(魂)を生きたいことへの渇望であり、 エゴ、記憶の歪みという殻を破って(執着を手放して)自分(自由)を生きたい渇望。 そして、エゴを手放した魂の真の願いに、 『他者を傷つける思い』などあるはずもなく、その先に在るものは、 比較も競争でもなく、 自分への挑戦であり、 自分を磨くことで貢献できる、 また活かし合うことができる豊かな共存共栄、自利利他のパートナーシップの関係です。 お互いの喜び(成長)のための活かし合い。 真の自分を知ること、 価値を取り戻すことは、 誰かを貶めることでも、 自己犠牲にして、貶められることでもありません。 それらで成り立つ世界に、 調和や真の豊かさなどありません。 平和はいつも、『私』から始まるのです。 私の中の神性が平和に調和の状態に在るならば、 それは、私がいるところどこもがパワースポットであり、イヤシロチであり、 生命が輝く場所なのです✨ それは、何かをしてあげるわけではなく、 周りが勝手に活き活きしてくる感じ笑 私の中の調和(真実の愛)を生きることは、 周りへの一番の貢献だとさえ思います。 無料で調和の波動を放ち、 神社にいるような清清しい空気(場)を整えてるのですから✨ 最近、私の才能のひとつは、 環境美化、場の清浄化(正常化)なのだと実感するばかりです。 私は自分のネガティブを好転させ、 黄菜しろから始まった自分以外の生命と向き合う時間によって、『生きる』ことの素晴らしさ、 そして痛みや切なさも学びました。 だけど、そこから逃げたいという気には全然ならないのです。 何度味わっても別れは寂しいけれど、 何度でも生きていることの美しさを味わいたい。 これが感動と言わずして、 何に感動するというのか… この『私』というひとりの人生に、 たくさんの生命の輝きを体験させてもらったことを考えれば、 ほんの一部の痛み、別れを惜しみ、怖れるよりも、 私は命ある限り何度でも、 生命の美を味わい、感動を体験したいと思うのです✨ そのためにご縁をいただき、 生命の在り方全てを ありのままに見せてくれた彼らには感謝しかないし、 無知ゆえに上手く育ててあげられなかった私を恨むでもなく、彼らは皆、私を愛の目で見守り、癒し、育ててくれたのですから、感謝しかできません。 そして、その経験の数だけ、私は学び、成長し、 今こうして凛やハナと共に、 彼らの分まで愛いっぱいに生きていけるのです✨ 最後まで感謝と共に、 恩返しできることを模索し、 実践しながら、喜びに生ききること❗ それが私の彼らへの最高の恩返しだと思ってます✨ 人生とはクリーニングのチャンス✨ ご先祖様から引き継いだしがらみ、 ネガティブな記憶の鎖を断ち切り、 純粋な愛(本質の私)に戻ること❗ 愛を学び、知り、体験し、 そして実践すること🌹✨ 私という存在を通して、 神性としての、 神の一側面としての 『私』を生きる(表現する)こと🌹✨ それが、神(源)への、 そして生かしてくれる生命たちへの最高の感謝であり、恩返しだと思ってます🌹✨ 生きるって素晴らしい🌹✨ 生きてこそ、生命は輝く🌹✨ その光が、周りも照らし、 大きな力になる🌹✨ それが一番の貢献✨✨✨ ひとりひとりの責任❗ 本当の自分を、 生命の輝きを取りもどそう👍 生きることの素晴らしさ、 成長する喜びなくして、 真の幸福などない❗ どんな脳トレにも勝る、 どんな新薬にも勝る、 どんなワクチンにも勝る妙薬が、 私達の中に在る✨ どんな高名な医師にも勝る、 どんな高名な師にも勝る、 神聖なる力(知恵)が、 私達の中に在るのです✨ それは、誰かの神になることでも、 誰かの神に従うことでもなく、 自分の神性を育てるための仲間と共に、 磨き合い、自らの足で立つということ❗ 自律し、自立した先に自由があり、 共存共栄の豊かな調和、平和が生まれるのです❗ 生きることの意思表明❗ その時、私達の中に在る 最高の神性なるパワー(生命力)が発動し、自然治癒力は勝手にONになる✨ 自分(生命)を生かすも殺すも自分次第❗ 喜びを持って生きよう❗ 奪い合うのではなく、 与え合うことの喜びを取りもどそう❗ あなたの中に最高の宝は在るのだから✨ 私達は皆天賦の才を与えられし天才なのだから✨ 在るものを活かそう❗ 知恵を育てよう❗ 喜びを生み出そう❗ ⬇️昨夜の私の創造物(喜び)…とクンクン興味津々のハナ笑(チョコだからあげられないのよ~) 私の十八番のキャロットケーキのガトーショコラ風✨ もう本当に私、マジ天才かと思った笑 美味しすぎる✨✨✨ 人参とコアントロー漬けのドライフルーツたっぷり入れてるから、ノンシュガー❗ (人参と柑橘って最高のパートナーシップだと思うの笑✨) 甘さを締めるための、 旬のカボスの皮のすりおろしとフェアトレードのビターチョコを溶かして加え、 ほろ苦さもたまらない👍 (洋酒の香りとチョコもたまらないマリアージュ✨お酒は飲めないけど、香りは好き✨香水のように楽しむ洋酒の風味をつけたお菓子作りも私の癒しのひとつ✨どぎつい香水は苦手だけど、食物の風味や香りは天然の神聖なる贈り物✨) 胡桃たっぷりだから、 ブラウニーのほうが近いけど、 実はザッハトルテをイメージして作った。 (オーストリアのパン&ケーキ屋さんのサイラーさんのザッハトルテが大好きで、 だけどもだんだんとちょいと甘さが強く感じられてきたし(味覚の変化)、糖質の選択上、砂糖はできるだけ減らしたいしね❗そんな時の甘味には、キャロットケーキを活用するのが私流。) ついつい欲張って具だくさんだから、 ザッハトルテのような洗練された感はなく(もとがキャロットケーキだからね、洗練は求めすぎてもね…笑) かといって、ブラウニーのほうが近いけど、 フェアトレードのビターチョコに敬意を示して、 ちょいと小粋にガトーショコラ風と名付けてみた笑 ブラウニーはアメリカのカジュアルなママのおやつってイメージだけど(勝手なイメージ笑)、 ガトーショコラはフランスのカフェのイメージ(これまた勝手な…笑) ブラウニーにしては、ビターチョコのおかげでちょいと高級感があるから… おいおい、私も勝手にランク付けしてるやんって笑 まぁ…ね、 ブラウニーも好きだから、決して貶めちゃ~いないのよ❗ でもブラウニーは、チョコよりココアな感じ❓ そんなん他の人にはどうでもいいんだろうけど笑 こんなひとり遊びも好きなので、 たぶん私は誰とも戦う必要がないのでしょうね笑 闘争心とか本能とか、 ないのではなく、 勝手に楽しく活用しちゃってる感覚(活用するから、癒せてるのね笑)。 在るものを否定せず、 かといって他の誰かにぶつけるでもなく、 勝手に満たす術を私は知っているみたいな…。 私の中の神性が、 インナーチャイルドを癒し、 満たすために必要なことを教えてくれるのに、素直に従ってる感じだから、 敢えて考えてやる必要もなくなる、 楽しんでたら勝手に癒されてる感じ笑 やっぱり天才だわ~笑 なぜかトマト好きの凛。 無農薬の美味しいトマトが手に入ったからね、 …と油断したらまた狙われてガブリ💦 仕方ないので切ってあげました笑 ハナはご飯に混ぜると食べるけど、 トマトだけではクンクンだけで、食べないかった。 人も動物も植物も…、 みんな違ってみんないい✨ 素敵な自分を育てよう🌹✨ 素直な自分を慈しもう🌹✨ 素直が一番✨ みんな素直に堂々と幸福で在れ👍 自慢や傲慢とは違うからね~ いつもクリーニングしようね~✨
2021.09.10

凛は9歳、 一般的な見識での年齢からすれば、 そこそこおばちゃんである。 だけど、超おてんば娘としか思えない、 やんちゃさも健在である。 (↑通り過ぎるハナを見て、良からぬことを企んでいるところ❗ この後平和主義のハナは危険を察知して逃げた笑) なぜなら、凛が自分をもう年だから… なんて考えてないからだ。 祖母の弟である伯父ちゃんも、 90過ぎても目がキラキラ、 確かに周りはハラハラすることも多いらしいが、 (祖母の法事の時も、 帰りの駐車場で、駐車してある車にぶつけて、警察沙汰になったことも…💦) そんな伯父ちゃんの車(助手席)に乗って、 伯母の家(祖母の長男の嫁)まで道案内しようとする私を母は引き止めたが、 私は不思議なほど、 恐れがなかった(心配してなかった)ので、 平然と助手席に乗ったし、 もちろん無事に着いたからこそ、 今こうしてブログも書けているのだけど笑、 私は相当強者(強運)かもしれないと、 最近しみじみ思うようになった。 なぜなら、今までの不幸のように思えたひとつひとつの出来事を振り返ってみて、 改めて気づいたことは、 自分の幸運、愛され、守られていることへの自覚のなさが、因果の種だったように思うからだ。 そして、自覚がないゆえに、 できて当たり前のように思っていた節がある。 私は他者とは比較や競争をあまりしないので、妬まれる(嫌がらせされる)一方のように思っていたけど、 家族の中では、 どうして助け合わないのか、 どうして争い合うのか…と、 母と祖母のケンカや 姉の無関心に対して、 いつも心の中が悲しさに満ちていた。 いつも、涙で打ちひしがれていた。 だけど、自分を知るたびに、 自分が見えてくるたびに、 私がもともと持つ『水』(陰性)の性質ゆえの 感受性の強さと繊細さ、寛容さを自覚し、 (水は器が変わっても、いかようにも形を変え、器(相手)に合わせられるように、 調和やバランスする力があり、 逆を言えば、周りに(器次第で)振り回されやすいらしい) そして、アーユルヴェーダ的な 『火』の性質、 『土』の性質、 『風』の性質の調和が取れてきた時、 全ての性質が自分の中に在ることを自覚し、 同時に、勝手に周りに認められるようになっていた。 初めてアーユルヴェーダを見てもらったときは『土(カパ)』だと言われ、 インドで、正式な大きな病院で受ける機会をいただいたときは、 『火(ピッタ)』と言われたが、 この先生、もうすっごく私を真顔でべた褒めしてくれて、 それはそれは不思議なものを見るかのように、 『beautiful❗beautiful❗beautiful❗』 …の連発だった笑 当時30だった私は繊細過ぎる自分に悩んでいたので、それを相談し、それに対応する自然のハーブ薬を処方してくれたが、 今考えると、 隣には西洋医学の病院も併設され、 同じヨガ旅参加者のひとりは、 そこで透析を受けていたくらい、 大きな病院なので、 恐らくほとんどの患者が何らかの深刻な病状を持って診察に来るのだろうから、 私のように、ヨガ関係でたまたま参加させてもらえたから受けた程度の、 ある意味、そこまで深刻ではない、 楽観的な人は、 ご縁がない場所だとも言えるかもしれない。 幼少期からのネガティブな体験のまま、 すでに脱皮しかかっていることをまだ自覚はしてなかったけれど、 先生は見抜いて誉めてくれたのだ✨ 私はずっと健康を求め、 周りからもストイックな性格として、 完璧主義のように思われていたが、 (だから、ちょっととっつきにくかったと思う💦あまり遊び(ユーモア)、ゆとりがなかった笑。家庭環境も遊びがなかったから、遊び方を知らなかっただけだけど💦) 私本人としては、 全然そんなつもりはなく、 マクロビもヨガもナチュハイも、 その後出合ったあらゆる変化も、 全ては自分、そして他の生命、地球環境への愛から自然と生まれたものであり、 新しく出合った知識が どういう変化をもたらすのか、 その結果が早く知りたくてワクワク楽しみで、 とことんやってみないと結果が分からないからこそ、 周りから見ればストイックなほどのめり込んでみた…って感じなのだ。 私の場合、 あくまでものめり込んでみたっていう、 自主的な実践があって成り立つものであり、 させられているわけでも、 義務でもないのだから、 あくまでも喜び(『知りたい❗』『変わりたい❗』)…が動機にある。 仕事も同じで、 より良くなりたい❗ 成長したい❗ 役に立ちたい(自分を活かしたい)❗ …が先に合って、 だけどもそれは、 自主的な実践ゆえに、 自分の体を壊して(犠牲にして)までするほど、執着するようなものでもないのだ。 私の根源には、 ネガティブな人生からの転換(家族からの自立、ネガティブな記憶の囚人からの卒業)があり、 健康(真実の自己、真我)への探求があり、 心身一如、 私も人生も地球全体の平和も繋がっているという感覚(ワンネス)があり、 感覚としては掴みながらも、 無自覚だったからこそ大いに悩み、 苦しみ、自ら痛いほう、苦しいほうに 身を投じ続けたのも、 私の中に『在る』その感覚から逃げ続けても、 逃れられないことを分かっていたからだと思う。 だから知りたかったのだ。 生きていることが、 なぜこんなにも苦しいのか、 一生懸命やっているのに、 なぜこんなにも嫌われるのか、 より良くなろうと頑張ってるのに、 なぜこんなにも邪魔されるのか… 世の中、分からないことだらけだったからこそ、 そして、家の中にさえ安らぎはなく、 安らげる居場所はどこにもなく、 家族とさえ、心底分かち合うこともできなかった私ができることは、 ただただ、私の何が問題なのか、 何が間違っているのか、 どこが悪いのか…、 自分を知ること、 自覚することでしかなかったのだから。 そして、それは今、 間違いなかったと確信している✨ 私は知らず知らずに 自分の因果と向き合い、 (家族、ご先祖様から引き継いだもの) クリーニングし続けていたのだ。 誰のせいにもせず、 自分の問題とだけしっかりと向き合い続けたのだ。 そしてそれは、 誰にてもできることではなかったのだ。 誰もが避けていたことでもあったのだから。 そうやって現実を生きようと努める人を 幻想を生きたい人たちは嫌うのだ。 私にはそれが分からなかったから、 (子供の時から教育番組以外はあまり見せてもらえなかったり、 家族が社交的でなかったので、 私自身も生きることに喜びを見いだせてなかった(興味がなかった)ゆえに、自分を生きてなかった) 調和する術を持ち合わせなかったけれども、 だんだんと意識が広がっていくほどに、 今まで苦しかったのは、 家族からの因果を自分だと思い込んでいたことに気付けたからだ。 家を出て、 私が自分を自覚し、 取り戻し始めたことで、 新しい自分を発見する喜び、 成長する喜びがひとつ、またひとつと増えていき、 妬みやひがみは相変わらずどこにでもあったけれど、 失敗も痛みも経験すればするほど、 その予防対策やかわし方も身について、 気にしないでなく、 気にならなくなったのだから、 なかなかの楽観者の素質を持っていたようだ。 それが、抵抗のないところにバランスは生まれるという法則どうりに、 ガチガチだった私を、 緩やかに穏やかに自然な巡りのある 自然体のパワー漲る本質の私、 生命の輝きを放つ本当の私へ開花させた 才能(宝)だったようにも思える✨ つまり、自我(記憶、エゴ)への執着を卒業し(殻を破り)、 本質の私、真我が目覚めた時、 他者のこと、頑張っても どうにもならない状況にたいして、 『まっ、いっか~』…と思えた(力が抜けた)時が、 自己を自覚できた瞬間だったのだ✨ 変えられるのは自分だけ❗ 家族であっても、 誰であっても、 自分以外の他人を変えることはできないし、 余計な干渉をしてはいけないのだ。 なぜなら、それは本人にとっての課題であり、 因果であり、成長のために向き合う必要があって起こっていることに過ぎないのだから。 私はずっと、そんなんじゃうまくいかないよ~、 可哀想過ぎる~ 痛いよね~苦しいよね~ もっと良くしていこうよ~って、 本人が望まないことに対して、 余計な干渉(心配)ばかりしていたのだ💦 そして、本人が苦しいのは、 自分で良くしようとしていないだけなのに、 できないんだね~、 辛いね~って、肩代わりばかりして、 他人の因果の責任まで背負い続けていたのだ。 本人が病気や苦しみを言い訳に、 実は都合良く活用して同情を買い、 楽しているのも気付かずに…。 だけども、あまりにも背負いすぎて、 しかも本人も一緒に変わろうとする やる気があれば良いのだけど、 ずる賢い人は他人を活用することばかりに頭を使うので、結局はやらないのだ(やる気がない)。 楽しても、楽したなりにしかならないし、 自分でやらないなら、 成長(成功、喜び)もないのは、当然のこと(真理)。 そんなこんなを繰りかえし、 ようやく分かった(悟った)❗ やらない人には関わるべからず…と❗ 時間の無駄にしかならないから。 悟りとは、悟ったから終わり…ではない。 悟りとは、私は発見だと思っている。 そして、人生の中で、どれだけ真理、 この世の神秘、自然の摂理から学び、 新しい自己を自覚し、 役目を終えた古い自己、記憶、自我(エゴ)の殻を破って、 成長していけるか(脱皮)、 代謝し続け、循環良く巡らせていけるか。 喜びや幸福、平和な世界を 今ここに創造、拡大し続けていけるか。 その挑戦であり、 悟り=ゴールではないし、 究極的には何もない。 そんな感覚でもある。 何もないからこそ、 良い、悪いに偏見を持たず、 その思い込みを捨てて、 役立つこと、 良くなること、 幸福、笑顔が広がること、 かつ、幸福、成功、正義にすら 固執しないこと、 あくまでもゼロ、無条件の愛の立場から 冷静に見えていること、 平常心、不動心、 そこにしか平和はないと思っている。 ゼロ、そこが健康であり、美であり、 幸福であり、平和であり、豊かな世界の源泉なのだと…。 この宇宙全体の秩序、調和であり、 計り知れない恩恵であり、 どこまで行っても、 どれだけ恩返しをしようとも、 与えられてばかりのご恩に、 感謝しかできないのだ。 自力でもがいてもがいてもがいて、 もがき尽くして見えたもの。 それは、どこまで行っても、 天地の愛、恩恵、他力で支えられて、 生かされているこの世の仕組み、秩序であり、 苦笑いするしかない。 感謝しかできないからだ。 その面白い例がある。 先日、素敵なアンティークのルーペを見つけて、ネットで注文した。 マザーオブパールの持ち手でできたそのルーペは、 読書(知識欲)が楽しすぎて、 老眼が進んでしまい、 老眼鏡を作ったけど、 よく見えるようになったことで、 さらに読み過ぎて、 かえって老眼を進めてしまっている状況に(目が疲れやすくなった)、 目を休ませる目的で、 目に近過ぎる老眼鏡より、 文字との距離感で調節するルーペのほうが、 目に優しいかも❓との思いから探していて見つけたもので、 (ちなみに読書以外は裸眼で左右1,5と1,2なので、いまだ目はいい✨ たぶんPC苦手なのも、 そんなに欲望(野心)が強くないうえに、 目や脳疲労のほうが強すぎて、 体の拒否反応ゆえだと思う笑 やりたいことあればやるけど、 頭ばかり使う頭脳偏重な生き方は私には合わないのだ笑 読書のし過ぎは成長欲求だから、 止められないのがもどかしいけど💦 (PCは光のせいか、眼精疲労が半端ないので、アナログな読書のほうが私には合っている) 現代人の尽きる事なき欲望は、 どんなことであっても過剰ね…笑 栄養(過剰なエネルギー)摂り過ぎた後遺症かもね。 病気も食べすぎや偏食が原因のひとつだしね💦) アンティークだから、 ちょっとお高いけど、 どうせなら見てるだけでも心洗われるものを…と注文したところ、 数日たっても連絡がない。 どうなっているのかと問い合わせても連絡がない。 私は執着するより、 無駄な心配や気を揉むほうが心地よくないので、 結構すぐ手放す(縁がなかったのだと…)。 …で、キャンセルしたけど、 個人情報を登録しちゃったので、 とにかく安心のために、 ニセのお店でないことを確認したいので、返事だけでも欲しい旨を伝えておいたところ、 数日後に謝罪のメールが届き、 急用により不在だったこと、 スマホにも転送されるようになってたのに、 なぜが迷惑メールに入っていて、 気付くのが遅れてしまったことなど、 やむを得ずに連絡が取れなかったことを 誠実に謝罪されているのが伝わり、 しかも、もしもまだ少しでも欲しいという気持ちがあるなら、 お詫びに…と、送料込みで、 半額以下の超特価をご提示されたのです。 私はご縁がなかったのだと、 少々惜しい気持ちもありつつ、 でも執着は持ちたくなかったので手放したけれど、 こんなにも超特価でまで提案されるということは、 やっぱりご縁があったのね✨…なんて、 もちろんルーペとの復縁も嬉しいけれど、 それ以上に、誠実な対応されるその方のお心が嬉しくて、 ついつい『いえいえ、お気持ちだけで結構です。もとのお値段でいただきます』…と言いかけて、 気付いたのです。 私は今まで、与えること、 やってあげることが嬉しくて、 何も見返りも感謝の期待もなく、 勝手に自分を楽しませてきたことが、 かえって、周りを傷つけた(役立たせてあげてなかった)ことへの反省から、 そうだ❗ ありがたくいただこう✨ 提案を素直に感謝して 受け取ろう✨ …と、新たな変化球を自分に投じてみたのです。 すると、お店の方も、 自分が失礼をしたにもかかわらず、 気遣いの言葉まで…と、大変喜んでくださって、 私が今までしてきたことは、 本当に必要なかったゆえに、 気持ちだけ受け取って断っただけで、 遠慮したわけでもなかったけれど、 本当は、みんなも喜ばれたいと思っていたのだと、 しみじみ反省したのです。 …と言っても、今の世の中、 溢れる物だらけで、 下手に何でも受け取っていては、 ゴミばかり増やすので、 しかも、母のように、 タダのものには何でも飛びつき、 (心の飢え、欠乏感や執着が強い) 家をゴミ屋敷にするような事態は嫌なので、 今後も何でも受け入れるわけではないけれど、 だからこそ、ものを大切にしている場や人との調和を大切にしていこうと思うのです。 そして、ありがたいと思えるものは、 素直に感謝を伝えて受け取ろうと…。 ただ、半額以下の超特価過ぎたので、 他にも何かないかな…と、 もう一度HPを見直して見つけた 素敵なピンクッションを再注文し、 (私は裁縫も好きなので…) ↑凛の奥にあるもの❗ (まち針刺しすぎだけども💦 とても美しいので、今のところ使わないときはキッチンの窓辺に飾ってます笑✨) 送料は払うので、一緒に同梱して欲しい旨を伝えると、 自分のミスで待たせてしまったので、 本当は振込後の発送なのに、 もうすでに発送したとのこと。 しかも、再注文まで、気を遣われたのでは❓…と心遣いされつつも、 気に入ってもらえて嬉しいと、 別送で配達料も決して安くないにもかかわらず、 自分が勝手に早く送ったのだからと、 今回も送料は無料でいいとまで…。 結局ピンクッション含めても、 もともとの送料込みの提示されていたお値段よりも少し安いくらいで、 超お得にお譲りいただけたのです✨ 愛、思いやりの連鎖はどこまでも続く… かえって気を遣わせてしまい、 申し訳ないくらいですが、 その互いを思いやる心の分かち合いが嬉しくて、 これまた素直に受け取ることに✨ もう本当にね、 感謝しかしようがないのですよ…。 恩返しなんて、 やってもやっても、 返ってくる(与えられる)ばかりで、 もう感謝して素直に受け取りなさいと言われてるとしか思えない❗ 今まで、受け取る(求める)より、 与え続けることを喜びとしてきたからこその、神性からのご褒美(贈り物、悟り、気付き)だとも思うのです。 素直に受け取れるようになれたことは、 受け取っていいのだという、 自分の価値を自分で自覚、認められたことの証だと思います。 私には金銭的価値を越えた、 慈悲からの喜びとして、 分かち合う心が備わっていたことに、 心からありがたいと思うし、 欲張らなくても、 求めなくても、 期待しなくても、 いつだってこうして必要なもの、 ご縁あるものとは結ばれていて、 たとえ一度切れそうになっても、 必要であれば(ご縁があれば)、 向こうからやってきてくれるのだから、 ありがたい✨ だけど、全てのものは巡るものであり、 私のものではなく、 所有するものではなく、 ただ預かっている(巡りの中の一時に在る)もの。 どんなものにもアイデンティティがあり、 生命(人々の思い)が宿り、 使い捨てにする人は 使い捨てにされるし、 大切に育てる人は、 大切に愛し、愛される。 ただ、自分がしていることと 同じことをされているだけなのだ。 ひとつやふたつ悟ったからと言って、 全てが分かった(悟った)わけではないし、 全てを知ることなんて、到底できない。 だからこそ、すごいな~と日々発見し、日々感動するのだ。 感動する心を見失わないように、 発見(探求、挑戦)する心を、 見失わないように、 日々クリーニングと共に、 無邪気な私を、愛で見守りながら、 成長を楽しみたい。 個性とは、自己に備わった(授かった)才能、宝である。 自分を知ることは、 個性、特質を知ること、 弱点も欠点も知ること、 受け入れること。 ありのままの自分を知って、 受け入れることで、 戦うのではなく、 活かすことができるようになる。 私は学校でも職場でも、 個性的だったゆえに、 嫌がらせもたくさん受けたけれど、 今思えば、 それは自然体を生きること、 自然体を受け入れている愛や幸福、平和で豊かな流れ(波動)への羨望や嫉妬だったのだと思う。 幼少期から長く家族の因果で苦しんだけれど、 苦しんだ分だけ、 ありのままに自分と向き合い続けた分だけ、 私の個性は豊かに芽生えたのだ✨ 人から羨まれるほどに美しく、 花開かせたのだ✨ 醜いアヒルの子、 シンデレラや美女と野獣のように、 昔から伝わる物語は幻想のようでいて、 実は真理が含まれていてすごいな~と思うものがあることを、私はたくさん見つけた。 ディズニーランドのように、 お姫様のドレスとか、 王子様とのハッピーエンドとかにはあまり 興味がなかった私だけれど、 その中には、確かに本質が隠されている。 どんなものにも、 見ようとしなければ見えないもの、 見る目を育てなければ見えてこないものがある。 そしてそれは、どこにでもあり、 タダで見せてくれているにもかかわらず、 (神性は太っ腹である❗) 見る目が育っていなければ、 どこに見ることもできないものなのだ。 神社に行っても、 パワースポットに行っても、 見る目がなければ、分からないし、 受けとること、感じることもできない。 それゆえに、 人々はあちこち飛び回り、 あちこち自由に貪りながら、 これだけの愛に包まれているにもかかわらず、 見つけることができない人、 苦しむ人がたくさんいるのだ。 こんなにもあちこちに愛は満ちていて、 豊かな調和ある世界(平和)を与えられているのに、地球をここまで破壊してしまったのは、 そして今なお破壊し続けているのは、 自分を自覚することなく、 外側ばかりに追い求める、 自我(エゴ)の欲望、野心であり、 心の歪み、記憶の囚人のまま、 餓え(本能)に振り回されて生きているだけだからだ。 最近思うのは、 昔のアニメ、妖怪人間ベム(知ってるかな~)の『早く人間になりたい~』って言ってた妖怪って、エゴ(自我の欲望)のことだったのね笑 鬼太郎とか、日本の八百万の神様とかも、 そうなんだろうな~。 人間の側面を比喩したんだろうね。 漫画も含めて、 ことわざや伝記、先人たちの洞察力って改めてすごいねって思う。 今さらながら、 自分の天然過ぎる浅はかさ (天性ゆえの自覚なさ)も反省しつつ、 与えられたものの恩恵に改めて感謝したい。 そして、ますますクリーニングすることの大切さ、 心も体も環境もね、 整え、清め、浄化することの大切さと、 そうして初めて見えてくる奥深さと 深遠なる神秘の魅力に、 執着することなく、 敬意を持って育てていきたいと思うのです。 だって、楽しても楽したなりにしかならないし、 実際それで幸福な人に会ったこともないから。 生命への敬意や礼儀、 個性の尊重のないところに、 面白みも喜びも、輝きも生まれないし、 喜びないところに、 生命は育たない(輝けない)❗ 私達はもっと、自分を知り、 個性(自分)を磨いて、 自分を生きなきゃ❗ 活かさなきゃ❗ 幸福は真実だよ❗ 幸福こそ義務だよ❗ 幸福なき人生に、 生命の敬意も感謝も学べないし、 知ることさえできない❗ ただね、幸福って、 いわゆる雑誌やネットを見て、 真似するようなものじゃない。 外で買う物でもないし、 探すものでもない。 確かに私達はそれを授かって生まれてきたんだよ。 だから、自分の中にすでに在るものなんだ。 自分の中に見つけるものなんだ。 嫌な自分も、 見たくない自分もあるけれど、 それを自覚して、 その正体を自覚して、 自分の中に在る、 自分ではないもの、 家族からの受け継いだ因果、記憶、思い込みをクリーニングして、 古い自分の殻を破って、 未熟な自分を少しずつ卒業して、 脱皮していく中で、 見つけていく(自覚していく)ものなんだから。 最初は人の真似してみてもいい。 そのうち、真似ではない、 私が見えてくる✨ いつまたっても未熟で無邪気で、 お馬鹿で、ダメダメなところもあるけれど、 頑張って成長してきた自分が愛おしくて、 内側に在るもの、 魂への誇りと信頼、敬意に降伏するほどの、 確信が確かに中に在るのだ。 そして、自分がそうであるように、 みんなもそうだと分かるのだ。 争うのではなく、 認め合うこと、 分かち合うこと、 助け合い、 高め合い、 育て合うこと。 個性を磨こう✨ さぁ、今日もやっぱりクリーニングあるのみ✨
2021.09.01

花も終わって、 お礼肥をあげておいた幸太郎ジャスミンに… ビックリ❗ またいくつか蕾がついている✨ しかも… キッチンのポトスに、 捨てるのもったいなくて、 なんとなく挿しておいた、 剪定した小さな枝葉にまで…✨ 濃いグリーンがきれいだから、 今までも剪定した幸太郎ジャスミンの葉をリースにしたりと、 花が終わって剪定した枝葉を活用して 最大限に楽しんでいたのだけど、 本当にビックリ❗ 葉が3枚しかないその枝葉にまで、 新たな蕾をつけてくれるとは…✨ 幸太郎ジャスミンの生命力恐るべし…✨✨✨ 幸太郎ジャスミンだけでなく、 今まで買い増やしていたグリーンたちが、 今やポトスもアイビーも、 伸びた分だけ新たなおうち(花瓶や植木鉢)にお引っ越しして、 お部屋中を彩ってくれる、 その素晴らしい働きぶりに、 植物の力、心身のヒーリングや 空気浄化のおかげか、 家中の空気が心地よくて、 ありがたい✨ デメリットは、 外に出る必要がなくなっちゃうほど、 居心地が良すぎること💦笑 かぐや姫という、 🌵サボテンさんまで、 ビックリするほどの子だくさんに…笑 猫ズもそうだけど、 愛はたっぷりあるけど、 私はあまり過保護ではないので、 (自由の尊重が基本だから…) 水のあげすぎで腐らせてしまったこともあるけど、 大体は枯らせてしまうことのほうが多く、 自分が何かに夢中になってると、 ついつい放置しちゃうから、 (ゴミ屋敷になるまで放置できる母の子だから(同じ種を持ってる)、そこら辺は要注意で、クリーニング必須❗❗❗) たくさんグリーンが増えたおかげで、 グリーンの存在がいつでも目に入りやすく、 何かしら水欲しい~って声かけてくれる(教えてくれる)から、 全体のバランスが取れてきた感じ✨ 自分の弱点も含めて、 自分を知ることって、 本当に大事~❗ 病気や苦難があっても、 病気や苦しみが問題(敵)なのではなく、 病気や苦難に陥ること、 病気や苦難になる条件を許している 自分の内側の問題に気付くことでしか、 それを解決、昇華することはできないのだから。 そして、昔はグリーンはおろか、 自分のことさえ自覚できていなかったのだから、 たくさんの失敗(腐らせたり、枯らせてしまったグリーン、寿命を全うさせてあげられなかった黄菜しろや幸太郎、金ちゃん)を通して、生命の在り方を学び、 自分という生命と向き合う(自覚する)練習を自然と重ねていたのだ。 植物や動物と共に生きるということ。 それは、本音と建て前できれいごとになりすぎた人間社会では見えにくい真実、 自然の摂理、生命の法則を学ぶことに他ならない。 私達の意識は無限でも(空想世界を生きることはできても)、 肉体は自然の摂理、生命の法則からは逃れられない。 そして、肉体の感覚、体感こそが、 この世を正常に戻す、 神性なる声なのだ。 もちろん無視することも、 感覚を麻痺させることもできるが、 その結果は、 人間にとって都合良くかと言えば、 決してそうじゃない。 どこまで無視しても、 目に見えるメッセージを聞く耳を持たなければ、 結局はコロナや災害のような 目に見えない形で、更なる脅威をもって、 伝えるしかなくなってしまうのだから。 見えない恐怖に怖れて生きるのではなく、 私達は目に見えるメッセージから、 学ばなくてはならないのだ。 分かりやすい形で見せてくれるメッセージに、 風邪や不調程度の症状が軽いうちに、 最近ケアしていないな~、 最近疲れを溜めすぎてるな~と、 気付かなくてはいけない。 テレビの健康番組で〇〇がいいと言ってたからと、突然スーパーからなくなるほど 一斉に情報に振り回されて飛びつくような生き方ではなく、 何気ない日常こそ、 小さな喜びを大切に、 (内なる我が子、インナーチャイルドを励ましたり、ご褒美あげたりしつつ、 ちゃんと対話しながら…) ケアやトレーニングをコツコツと積み重ねていれば、 大した努力しなくても、 外側に何が起ころうとも、 不動の平常心は冷静でいられるし、 いかなる状況でも、 じゃあ何をすればいいか、 何ができるか…と、 できないことや、恐れや不安でオロオロするのではなく、 できること、やるべきことが見えてくるもの❗ いつだって、私達は未知なる道を歩き、 未知なる未来への挑戦をしているのだから、 誰だって、どこにいたって、 誰もがビギナーであり、 分かったつもりになってはいけないのだ。 …というか、分かったつもりになること自体、 新しいものが入らなくなってしまい、 限界を自ら作ることになるので、 もったいないのだ。 そして何よりも、 分かったつもりになることは、 傲慢(エゴ)の証なので、 自分都合に他人を振り回すことになる。 他人を巻き込んでしまうことで、 作用反作用、 新たなネガティブな鎖で互いを縛り合うことになるし、 因果の結果を自ら背負うことにもなる。 その鎖は、クリーニングしない限り、 自らの過ちに気付き、悔悟しない限り、 子々孫々、繋がっていき、 見えない鎖で縛り続けることになる。 私達の記憶にない因果は、 親から、その親から、そのまた親から…と、 先祖代々引き継がれてきたもので、 誰かがどこかで自分の因果に気付き、 止める決意をしなければ、 延々と縛り合う鎖は、 さらに複雑に、絡まり続け、 ほどきようがないほど、 苦しめ合いうことになるのだから。 私が幼少期から受けてきた、 言われのないいじめや嫌がらせ、妬みなども、 今思うと、 祖母や母に見た傲慢さと同じものを持っていたからだと、しみじみ思う。 子供だから、人生の手本、モデルとなるのは、どうしても親であり、 また、身の回りの大人たちになる(環境の影響が大きい)。 そして、見たものを吸収し(真似、コピー)、 その通りに振る舞うだけなのに、 なぜが嫌がられる。 避けられる。 からかわれる。 …だって、母は、本当にどうしようもないほど、変わり者だから仕方なかったのだ笑 そして、その真逆の祖母もまた、 精神性の高さゆえの傲慢さを持っていた。 私は祖母に育てられたし、 祖母に備わっていた気品や強さから学べたことを感謝しているが、 母がどうして頑なまでに祖母を嫌うのか…と考えて気づいたことは、 精神性の高さゆえの傲慢さが確かにあったのだと思う。 どんな面にも良い面と悪い面があるし、 母があまりにも私にはひどく映ったあまりに、 私の記憶の中で。祖母をあまりにも美化、正当化しすぎていたのかもしれない。 だから祖母は、晩年自分の業に、 苦しんだのかもしれない。 そして、認知症初期で恐らく不安でたまらなかったであろう祖母が、 最後に会ったときに私に言った、 『あんたはなんでそんなに分かってくれるの。育てさせてくれてありがとう…』と、 涙を見せたその言葉には、 たくさんの後悔や反省が詰まっていたのだろうと思う。 その後は、妬みから伯母に『祖母には会うな』と拒絶されたため、 死の直前まで約10年、 会うことはできなかったけれど、 最後の最後に、危篤と母に連絡が入り、 姉と私も駆けつけたが、 最後の私が到着するまで、 生命維持装置でかろうじて生かされていた祖母だったけれど(意識はなかった)、 伯母が荷物を取りに帰ったそのすきに、 最後の家族水入らず、 私の到着を待って、 まもなく旅立ったのである。 祖母の魂は、 生きている姿で、お別れを伝えようと、 待っていてくれたのだ。 ずっと世話をしてくれた伯母であったが、 祖母が最後まで望んだのは、 私達家族が揃うことだったのである。 賢い長男一家ではなく、 ダメダメな娘であっても、 たくさん醜い争いしたとしても、 長く一緒に過ごし、 自分が育てた娘と孫たちとの時間を選んだのだ。 それは、本音と建て前的な理性的な生き方よりも、 信念を守り、精一杯生きてきた祖母の、 究極の最後の願い、意地だったのかもしれない。 伯母が着いたときには、 旅立っていた祖母に、 『もう~、少しだけ待っててよって言ったやない~』…と祖母に愚痴をこぼしていた伯母を前に、 会わせてもらえなかった10年のしがらみも消えた気がする。 こんなにも長く世話してきた苦労を思えば、気の毒だとさえ思えたからだ。 だから私は、お通夜で再会した伯母に、 祖母を世話してくれた労いと感謝を、 何の恨み言も持たずに素直に伝えることが できたし、 実際心の底から、 恨みもなかった。 そもそも、会わせてもらえなくても、 会おうと思えば会えたのだから。 孫なのだから。 ただ、認知症初期の祖母に、 伯母(長男)一家とのもめ事で無駄に苦しませたくなかったし、 祖母が認知症を選ぶなら、 私達のことは忘れたくらいのほうが幸せかもしれないとさえ思い、 私は自分で伯母と戦うことを辞めたのだ。 伯母が恐いからではない。 戦うことに意味がないと思ったから。 誰も幸せにはならないのだから。 そして、祖母自体も、 『もう来なくて大丈夫だよ』…と気を遣って苦しんでいたから。 それで良かったのかなんて分からない。 だけど、聞く耳を持たない人たちと争うことには、やはり意味を感じない。 時間が必要なのだ。 彼らの心を癒すための…。 そして、その結果、 お通夜で言われたのは、 『なんか困ったことがあれば、 相談していいんだよ…』だって笑 これには苦笑いしかなかったけれど、 この言葉を聞けただけでも、 妬みや憎しみは癒えたのだと思えた。 相手を利して(立てて)、徳を得るとは、まさにこのこと。 理性的で、理詰めだった伯母が、 私が何を言っても、 (私が祖母を連れ出したほうが、 伯母も休めると思っていたが、) そんなうまいこと誰が信じるか…って、 聞く耳持たなかった伯母と、 順番が違う… お前が出る幕じゃない…と、 そんな博愛的な考えは理解できんと拒否した叔父だったが、 (母が何もしないので、孫だった私が出てくることが許せなかったらしい。 恐らく一番祖母が可愛がっていた(信頼していた)のが私だったので、妬ましかったらしい) 結局は、謝ることはなかったけれども、 味方になろうと態度を変えたのだから、 それだけでもすごいこと。 ただ、理性が強すぎる人って、 本当に一切謝るということができないのですね笑 それがクリーニングを難しいものにしてしまうのだろうと思われます。 プライドがどうしても許さない💦 結局自分を苦しめているのが、 そのプライドなんだけどね、 分かりやすすぎる笑 だから、戦うことには意味がない。 ますますこじらせるだけだから。 彼らが自らと向き合い、 悔悟するには、周りの受容と、 時間が必要なのだ。 我が家のグリーンの生命力を見るにつけ、 これだけ尽きることのない力ゆえに、 人間の頭は翻弄されるのだと、 しみじみ思う。 唯一できることは、 戦うこと、抗うことではなく、 認め、活かし、生かす(自らの意志で受容と肯定。他力に支えられていることの感謝を込めて生きる)ことだけだと思う。 私達は、戦うために生きているのではないのだ。 活かし(生かし)合うために、 支え合うために、 そして、より良い平和な世界のために、 理性(プライド)でなく、知性(愛、誇り)として役立てることのために…。 ひとりひとりが引き継いできたしがらみ、 アカコードを自分の代で絶つこと、 そして、ネガティブな記憶の連鎖を新たに受け渡すのではなく、 平和で豊かな世界への新しい挑戦を、 希望を生きること、 自分の役割を自覚し、 肯定して生命を活かす覚悟。 許す強さと、 愛を生きる覚悟こそ、 真に自分を癒すこと、 魂の成長なのだと思う。 生命の輝きに、 あなたの内なる輝きに、 ケアと癒し、 そして愛を生きよう✨
2021.08.31

凛はさすが女の子…❗ 私は凛を通して、 女子力というものを垣間見た気がする笑 干してる布団に登って、 ゴロニャンしながら薄ら目で私を見れば、 撫でてくれることを知っている笑 ちょうどいい枕を探すのも上手い笑 本のしおり代わりに挟んだメガネケースの厚みにピッタリフィットらしい✨ あ~快適✨ 凛は白血病ウイルスキャリアだけれど、 この『快適さ』を見いだす感性と技が、 生き残る強さ、生存のための戦術的知恵を捉え、育んできたのだろう。 まさしく、女性が生きていくために、 男性に使う技のようだ笑 純粋お馬鹿な私にはなかった戦術的知恵である✨ それを教えるために、 私の元に遣わされた天使なのかも👼笑 …しかし、それが分かってなお、 全く使えない私である。 なぜなら、もう自立すること、 自由であること、 成長することの喜びを知ってしまったから。 モテテクというものは、 ひとりでは生きていけない女性のためのもので、 ひとりで生きているとは思ってない私だけど、 本当の私でない私を愛されても仕方がないし、 猫かぶるのは私には向いていない(疲れるだけ)だと自覚しているゆえに、 私は使わないが、 凛々には完全に使われてしまう私である笑 …かと言って、 友達に以前、 『手作りご飯まで作ってもらえて、 幸せやね~、このうちの子になりたい~』って言われたり、 自己中心的で傲慢な母さえも、 親族の前で、 『この子と結婚する人は絶対幸せだと思う。猫たちも人間よりいい物食べさせてもらって幸せだと思う。この子んちの猫は、本当にいい子たちばかりで、飼い主がいいと、猫もこんなにも違うのかと驚く…』なんて、親馬鹿なこと言ったりもしたけど、 (実際、猫ズに会うまで、母は猫嫌いだったし、黄菜しろに会うまで、動物は不潔だと懸念していたほど❗すっかりバカ親に変貌したのは、彼らの純粋な愛のヒーリングパワーに他ならない✨) 実際はペットブームで飼われるペットのように、 猫ズがチヤホヤされるようなことはないし、 基本私は自分から必要以上に構うこともない。 それぞれの自由を尊重しているから。 自分の自由も、 彼らの自由も…。 私が家にいる限り、 ベランダも室内も出入り自由だし、 できる限り自然の空気や変化を感知する力、 そして自然治癒力を自ら鍛え、 鈍らせて欲しくないからだ。 甘やかされたり、 困ったことも体験しないならば、 それと向き合い、 対処する力も磨かれない。 かと言って、 室内暮らしで共存していく上で、 また、賃貸で、家という場所をお借りしている立場上、好き放題すぎても困るので、 その点での躾は、猫であろうと受け入れてもらうしかない笑 そういう意味では、 躾が難しいと思われやすい猫に対して、 私ほど真剣にダメなことはダメなのだと、 教えてきた人は、少なかろう笑 つまり、猫にとっては、 必ずしも優しいだけの場所ではないと思うが、その距離感が良いのだと思う。 まだ子猫で甘噛みする虎に、 痛いものは痛いのだと、 エスカレートする前に実際に噛んで教えたし、 (ネットにそういう教え方があった。 衛生的には問題だろうけどね笑 ある意味、ナチュハイのおかげで、 私は自然免疫力は高いと自負しているからできたことだけど、過信は禁物ね❗) 猫に向かって躾けるなんて、 考える人も少ないと思う。 障害者さんの支援施設でもそうだった。 知的障害だから仕方ない…ではなく、 ゴミを漁れば、誰もが放任しているその場で『あなたは野良犬ではない』と何度も教えたし、 放任している代わりに、 室外に出すのは面倒だからと、 閉じ込められていた環境を一新して、 暇が問題を生むのだからと、 活動することを勧めた。 (最初は職員からの暴言や嫌がらせも受けたけど、後に信頼や尊敬に変わった) クッキー販売の残りのクッキーをおやつに活用し、 ついでに紅茶を入れて、お茶の時間を作ったりして、 今まで味わえなかっただろう人の温もりも感じたせいか、 心を閉ざし、重たい空気が流れていたその場が、少しずつ開放的に、 笑い声も聞こえる場に変わったり、 受け入れられてる、 自分の存在が許されているという安心感なのか、 調和さえ生まれてきた。 だから私は思う。 思い込み、偏見が、 人を傷つけ、苦しめてしまうだけなのだと。 真実の生命的価値に『差』なんてないのだ。 経済的価値観でしか見ようとしないから、 真実の生きるという意味、価値が見えず、 真実の幸福が感じられないまま、 病気で死ぬという暗い未来しか描けないだけなのだ。 頭で考えることには限界があり、 過去の記憶でしか理解できない。 理解したことでしか、 判断できない。 そして、理解できることしか、 信じられない。 だから、何も変わらないように思えて(見えて)しまうだけなのだ。 新しい変化を試したり、 挑戦しようとしないからこそ、 未来を怖れ、 恐くなるだけなのだ。 私はあまり怖れるという感覚がないらしい。 子供の時は確かにあったのに、 だからこそネガティブだったわけで、 未来に暗い想像しかできなかったのに…。 だけど、私は変わったのだ。 いや、自分で変えたのだ。 恐くてたまらなかったからこそ、 暗い未来しか描けなかったからこそ、 なんとしても変えたかったし、 変える必要があったのだ。 家を出て、 (家族から自立することが出家なのだと思う❗) 自分で道を探し、 たくさん失敗もしたおかげで、 私は失敗することへの恐れより、 何もしないことへの恐れのほうが 苦しいことを知った。 子供の時は、何もできなかった、 分からなかったゆえの苦しさだったのだ。 だったら、分かるように、 やってみるしかない。 誰も教えてくれないし、 誰も参考にできなかったから笑 (周りに幸福な人が見つからなかった) 何の役にも立たない嘆くことよりも、 役に立つことを探してやってみたほうが、 これではうまくいかない…とひとつ分かっただけ知恵が増え、 成長できたのだから、得だと思う✨ そんなことの積み重ねが、 今の私であり、 40過ぎても、いまだに分かった気にならない、無邪気さ(好奇心や成長欲求)はなくならない。 だから、愚痴や不平不満の集まりで馴れ合うこともないし、 分かち合えない家族とは、 必要以上に合わなくても平気なのは、 あまりにも尊敬に値しなかったゆえに、 自立させてもらえたこと、 反面教師としての役割には感謝だけど、 帰属意識が育つほどの絆が築けなかった、 安心して生命を育む場であるはずの家庭が機能不全だったゆえの、 後遺症と言えるかもしれないが、 大人になって、無礼な振る舞いをした家族を許してからも、 変わらず私の優しさに乗っかってくるだけで、 他人には容赦ない家族には、 愛想も尽きたらしい。 ず~っと家族とは協力するもの、 分かち合い、助け合うものと、 心を込めてきた私だけど、 家族であっても、 調和しようとしない家族なら、 手放そうと自然と思えたのだ。 様々な形で病気、痛み、死と向き合い続けてきた私は、『死』への怖れさえも執着がないと言うか、猫ズを見送るときがくれば、もちろん別れを悲しく思うことに変わりはないけど、 『死』そのものに対する恐れではないし、 痛いのは嫌だけど、 生まれることと同じことなので、 (この世に生まれるか(肉体を持つか)、あの世に生まれる(戻る、肉体を手放す)かの違いだけで、『死』自体を怖れることはないと感じている) 私が健康や幸福のために、 食材や環境を気にかけるのは、 あくまでも痛みが少ないほうがいい、 =他者の命の犠牲も少ないほうがいいからである。 犠牲なくして生きることもできないし、 誰かを犠牲にしてでも幸福になりたいとは思えないのも、 私が与えた全ての痛みを、 結局は感じてしまうからだと思う。 喜びも苦しみも、 与えた分だけ、自分に返ってくることを、 繊細体質の私は、身をもって感じているから。 そのおかげで、 日々心を配るし、 その日々の積み重ねが、 私に大病とは無縁の人生を与えてくれてるのだと思うから、 多少の困難や痛みは、 ついついフラフラと幻想に彷徨いがちな心を『今ココ』に引き戻して、 心のクリーニングの必要性に気付かせてくれるありがたいメッセージである。 You are what you eat❗ まさに、食べたものが私を作り、 私を育て、人生となるのだ❗ 体だけでなく、 心を作っているもの、 養っているものもまた、 食べ物なのだ。 私は知識として、 頭で考えて食べていたときは、 決して健康的ではなかった。 いつも、あ~でもない、こ~でもないと、 何を食べたら良いのか、 かえって苦しんでいたかも…。 なぜなら、たぶんそのストレスで、 かえって過食してしまっていたからだ。 正しいものを食べたから 健康になれるわけではない。 今は、正しい心で食べたから、 健康になれるのだと思っている。 発達障害の子供達に手作りおやつをリクエストされ、 私が最後に選んだおやつは、 フルーツポンチだった。 夏だったこと、 その中に食物アレルギーの子がいたこともあり、 全員で同じ物を食べることを分かち合いたかったから。 いつも人とは違うものを選ばなければならない(我慢しなければならないことが多い)その子も含めて、 分かち合う喜びを伝えたかった。 それは、私が望んでも得られなかった、 家族への思いだったのかもしれない。 決して質の良いもの、 オーガニックなものではないけれど、 みんなで分かち合う喜びを大事にしたかったその試みは大成功で、 私の手作りできる、 最後のおやつだったけど、 私の手作りおやつを初めて体験したその子は(辞めた後のお手伝いだったから、私が辞めた後に加わった、 アレルギー持ちのその子は、 私のおやつを知らなかった) もう帰るまでず~っと、 野球しながらも、 最高だった❗ 超最高だった❗…と繰りかえし、 ホームランを打てば、 あのおやつのおかげだな…と、 誉めまくりだった笑 子供達の素直な心に、 どれだけ私の心は救われ、 洗われただろう…✨ 最後まで感謝を伝えられない、 目を合わせることもできない、 意固地な経営者に認められなくても、 何倍も子供達からご褒美をもらっていたのだ✨ そして、食べ物が、 たとえそれが良い質のものではなかったとしても、 心のこもった食べ物は、 人の心を動かすのだと、 しみじみと感じたのだ。 たった一度の記憶でも、 いつか希望を与え、力になって、 役に立つことを私は知っているから。 それだけ、価値ある体験、 愛(喜び)を感じることは大切なこと。 愛を知っている人、 体験した人は、 決して誰かを貶めることはしないと思うから。 『体験』することが大切なのだ。 そして、体験、体感、実感は裏切らない。 読んだだけの知識や情報では、 そこに生命は宿らないが、 実践し、体験すると、 それは生命のこもった知恵となる。 知ったかぶりの知識は人を翻弄するが、 体験談は、心を揺さぶる力がある。 だからこそ、体験する必要があるのだ。 私が食べることを大切にし続けるのは、 実際に人生が変わったからだ。 そして、ストイックではない、 マイペースにヨガや歩き続けるのもまた、 自らの運を動かすのが、 自ら動く力、運動であることを実感しているから。 食べるだけでは健康にはならない。 健全な心の管理と 運を動かす意志、生きることの肯定、 生きてこそ生命は輝くということを、 私は確信している。 それは科学的根拠や他人の証明など必要のないものであり、 体感する以上の健康法などないと思っている。 自分が快適で、 心地よいこと、 そして、健全な心で人生と向き合っていける強さが自然と生まれることが、 自分に適した健康法だと思っているし、 それは、万人に共通する物ではなく、 自分で自分にとっての最適を見つける必要があるのだ。 不健康な人とは、 自分の命、人生を他人任せにしている人だと思う。 お医者様であろうと、 全知万能の神ではない。 あくまでも医学的知識はあるかもしれないが、 医学的知識とは、 日々変わりゆくものなのだ。 答などないし、 万人に効く薬もない。 しかも、驚くことに、 医療とは、決して治療ではないのである。 治すのではなく、 自然治癒力が弱っているのを助ける必要があれば、敢えて毒をもって毒を制す、 つまり、抑えているだけなのだ。 (抑えてくれるだけならいいが、副作用すらある。) しかも、その後に病気を生んでしまった条件を改善すればいいが、 多くの人は薬も飲むだけで、何も変えないのだ。 つまり、自分を変えたくないから 医療に頼っているだけなのである。 自分を変えたくないから、 ウイルスや雑菌のせいにして、 多くの動物の命を犠牲にしても、 (動物実験など) 楽をしたいだけなのだ。 しかし、他者に与えた苦痛は、 自分に与えた苦痛と同等であるのが、 この世の仕組み。 薬に頼れば頼るほど、 本来持っていた自然治癒力や免疫力は犠牲となり、 自分を退化させていくことになる。 使わなくなった機能、力は退化するのもまた、 自然の摂理だから。 私達は健全に生きていくためには、 本来あるべき力を役立て、活かすしかないのだ。 肉体的に楽した分だけ、 実は精神的な重み、苦しみを味わうことになる。 目に見えるもの、目に見えないものは、 共にバランスを取り合っているわけで、 どちらか偏れば、 片方も偏り、 バランスは崩れてしまう。 その歪みが苦痛や病として、 見ようとしない現実を、 現象として肉体に起こし、 問題(歪み)を自覚できるように 気付かせてくれているのだ。 薬で誤魔化そうったって、 そうは問屋が卸さない❗ なぜなら、問題の種(原因)は、 まだ自分の中に依然として在るからだ。 私達は誰かから逃れることはできても、 自分からは一生逃げることはできないのだ。 敵(問題となる因果)は外側でなく、 内側にいるのだから。 他人と戦うことは愚かである。 他人を通して、 自分を知るのだ。 他人を通して、 自分を育てている、 育ててもらっているのである。 お互いに育て合い、 磨き合う仲間なのだ。 そして、学ぶことがなくなったら、 自然と離れていくものなのだ。 学びはいつだって、 今ここにしかないのだから、 今に心を尽くすこと、 今を一身に感じること、 今を悔いなく生きるだけである。 他人がどうで在れ、 失礼や無礼があっても、 学びがあるなら必然なご縁なのだ。 学びが終われば、 もうそこには執着なんてない。 怒りも恨みもなく、 まっ、いっか~…と思えるもの笑 私はいつだって、 悔いなく心尽くしてきたから、 一切の後悔はない。 失敗や反省はたくさんあるけど笑 ひとつひとつ逃げずに向き合ってきたし、 これからも、そうするだけである。 そして、食べたものが私を支え、 人生を育ててくれることに、 感謝である✨ その背景にいる、 私の元に食べ物を届けてくれた人たちも、 豊かな自然の恩恵にも、 そして、美味しく味わわせてくれる、 豊かな心と体にも、感謝である✨ 真実とは地味なもの、 シンプルで、一見見落としがちなもの。 決して派手で華やかではないけれど、 見る目を育てたものには、 美しい輝きとして、魅了し続ける神秘の力なのだ✨ だから、我慢でも抑圧でもなく、 ただ降伏だと思う。 そして自我の降伏の先に、 真我の幸福は待っている✨ 人生が、決して苦しむためではないことを、教えてくれる。 そして、自我を克服した私だからこそ、 人生を素直に楽しめるし、 素直な喜び(笑顔)が、周りを魅了してしまうのかもしれない笑 そこには、決して駆け引きなどない、 真実の喜び、 生命の喜びしかないのだから。 You are what you eat❗ あなたはあなたが食べたものである。 私達は、食べ物を食べているようで、 実はその波動、エネルギーを食べている。 そして、そのエネルギーが心を養い(同調し)、 その波動を生きることになる。 そこが、ある意味恐いところだ。 自分が味わう苦しみや怒りは、 粗末に扱われた、その食物の波動、 思いかもしれない。 私が思うに、 男性たちの無駄な闘争心は、 間違いなく肉食過剰な結果だと思うし、 (うまくいっていない人は食べ方も良くない)、 うまくいっていない女性もまた、 男性とは違う意味で、 食べ方が良くないのである。 そして、うまくいっていない人ほど、 忠告を嫌がるので、何も言えない。 だから、結局は離れるしかないのだ。 うまくいかない場所に執着しても仕方ないからね。 うまくいかない原因が自分の中に在ることを自覚しなければ、 どんなに頑張っても、それは意固地にしかならない❗ 大切なのは、 頑張ることではなく、 それが役立つか…を自覚すること。 役立つことなら、 無理して頑張らなくても、 自然とうまくいくようにできているのだ。 そして、その時の頑張りには、 決して無理がない。 達成感的な喜びでさえあるからだ。 無理して頑張ることではなく、 やりたいこと、 成長に役立つことを、楽しむことである。 自分を活かし、磨くことである❗ そして、そのために、 自分の生命を大事に思うし、 自分を育ててくれる生命たち(食物)にも、 感謝しかないので、 食べることを自然と大切にできるのだ。 なげやりに生きていれば、 食べ方もなげやりだし、 意固地に生きていれば、 食べ方も意固地になっている。 全てが心の在り方に従っているのだ。 不幸も不運もなく、 心と向き合おうとしない人がいるだけなのだ。 問題は誰かのせいにして、 薬で誤魔化して、 自分の人生から目を背け、 責任を負いたくない人がたくさんいるだけなのだ。 だけども、残念ながら、 人生の終末は、 自分で味わうしかない。 そこから逃げるのならば、 家族に、子孫に、そして他人にも、 身代わりの負担を負わせるだけだから。 医療が病気を治すと勘違いさせた原因は、 一部の医者の傲慢にあるとは思うけど、 現実として、自分を見捨てたのは、 自分でしかないのである、 他人にはどうしようもないのだ。 薬漬けにするくらいしか…。 そして、私は子供の時、 すでに薬漬けになったことで、 薬では治らない、 良くならないことを実感したからこそ、 こうして薬に頼らない生き方を見つけたことを思えば、 失敗や苦しみも、後々役に立つものなのだ。 だから、嫌になるまで味わうしかない。 薬で誤魔化し、 アルコールで誤魔化し、 タバコで誤魔化し、 甘いもので誤魔化し、 買い物で誤魔化し、 旅行で環境を変えて誤魔化しても、 自分は変わらないし、 自分の中に在る原因の種は、 自覚して昇華するまで消えないからである。 心のクリーニングすることの大切さ、 すごさ、価値はまさにここにあると思う。 清らかで健全な心であれば、 神社やパワースポットに行かなくても、 今いるところが常にパワースポットだし、 自分の心と向き合わないなら、 たとえ神社でお祈りしても、 医療に頼っても、 原因の種からは逃れられない。 つまり、体は魂の声をず~っと見せ続けるし、 外の世界にもそれが反映されるだけだから。 心の歪みを正すことしか、 結果は変えられないのだ。 そして、それは、 動物であっても、 知的障害があっても、 どんなに心の歪んだ人であっても、 真実の喜び、愛を知っている人には、 心を揺さぶられるらしい。 心の歪んだ人は、 その光に耐えられなくて逃げて行くけど… つまり、ネガティブを寄せ付けない、 ネガティブをはねのける力にさえなるのだ。 戦う必要などないのである。 だから、損なことなど何もない。 未知のことは怖いとは思うけど、 その先に真実の喜びがあるのに、 クリーニングしないなんてもったいない❗ 自分の本当の力、 自分にふさわしい自分を生きて、 与えられた生命の輝きを、 是非是非体験しよう✨ この人生を悔いなく生きよう✨ 戦うためでなく、 人生を愛し、 肯定し、 感謝するために✨ さぁ、今日もクリーニングを…✨ 新たに作ったキャロットケーキをクンクンする凛
2021.08.29

喫茶去(きっさこ)… まぁ、お茶でもどうぞ… 仏道修行の言葉らしく、 どんな位の人であっても、差別することなくもてなしなさい、 お茶の時間にはお茶に専念しなさい、 …という今ここに専念し、差をとる悟りの言葉のようで、 なんとなく心に残ってる言葉です🍵 今日のおやつはお手製ノンシュガーの キャロットケーキと、大分の修道院のフルーツケーキ。 ちなみに私のキャロットケーキには、 クリームチーズのフロスティングはほとんど乗せません(ごくたまに乗せたいときは乗せることもあるけど、その時はアーラのクリームチーズライトと決めている✨ クリームチーズには珍しく無添加で、 しかもめちゃ美味しい✨)。 乳製品を減らすため(食べたいときは食べたいから、我慢してるわけではないけど、チーズや牛乳はもともと得意ではない。牛乳は子供の時に飲み過ぎてアレルギーなったし、チーズもチーズケーキ以外はそんなに好まないから、風味が好きなのはバターと生クリームくらいかな。でも、ないならないでも平気なまでになれたのが嬉しくて、執着なくなった分、かえってたまのケーキが美味しく感じるのかも笑)、 必要ない(欲してない)ときまで普段使いはしなくていいからだけど、 (もとがアレルギーなるまで牛乳漬けだったからね、家族に比べて成長し過ぎのように背が高いし(母の願いが私を苦しめたけど)、そういう急成長したようなケースは婦人科疾患になりやすいらしいから、要注意❗結局は成長ホルモンが関係してるからね、成長期の赤ちゃんでもないのに、 お乳を飲むのは問題ないとは言えないよね💦 だけどガチガチに縛られなくなったのも、やっぱりインナーチャイルドの癒しを優先したおかげで、 執着がなくなったからだと思う✨) その代わりによく乗せるのが、 柑橘のスライス。 この酸味が、甘いキャロットケーキを爽やかに仕立ててくれるのです❗ クリームチーズを乗せる意味も 爽やかな酸味にあると思うので、 コクはない分、爽やかさが際立ち、 私には普段のおやつとしてハナマル❗ ちなみにお好み焼きにも、 甘いお好み焼きソースは苦手で、 柑橘の酢醤油とか、サッパリが好きな私には、自然な選択なのです❗ 食べ物がアッサリサッパリを好むのも、 シンプルな思考と繋がってんだろうな~。 最近の人参は特に甘いからね、 ドライフルーツも入れると、 砂糖なんて必要ないくらい甘い❗ だから、柑橘もないと、私には甘すぎる。 和菓子なら、保湿効果も必要なので砂糖をやみくもに減らすことは難しいけど、 キャロットケーキは、 人参や洋酒などの水分がもともと多い生地なので、 しかも、私のは本当にたっぷりの人参が入ってるので、超しっとり✨ 保湿効果を砂糖に頼る必要なし❗ 洋酒やりんご酢など、 風味豊かな素材のおかげで熟成し、 しばらく楽しめるし、 お手製の中でも、頻度の高い 本当に大好きなお気に入りのケーキなのです❗ 最近の楽しみでもある、 毎日1杯だけ楽しむ茶こしコーヒーの ソイラテも… 私はもともとお茶や紅茶派だから、 そんなにコーヒーは得意ではないのだけど、 ソイラテは好き✨ しかも、専用の茶こしまで買っちゃったので笑、最近の楽しみに、毎日飲んでるだけだけど。 そんなに口が肥えたタイプではないので参考にはならないけど、 茶こしコーヒー、お店に劣らず充分に美味しいと思う✨ 一日1杯までは美味しく飲めるので、 農家さんの応援も兼ねて、 家では有機コーヒーをあれこれ楽しんでるところです。 前は個包装のドリップ式だったけど、 茶こしコーヒーのおかげで、 有機コーヒーの選択肢も増えた✨ しかも、私の十八番のキャロットケーキがますます進化して、 いろんなバージョンを楽しんでるので、 その時々の素材や洋酒の風味など、 その時しか食べられない一度きりの味わい笑 おもてなしにも、 私の楽しみのためにも、 (インナーチャイルドの癒しとばかりに楽しむ笑) 猫ズさえ食べられる素材の滋味豊かな味わいです✨ 素材的にはノンシュガーだし、 全粒粉とか人参やドライフルーツとかだから、軽食にも🙆❗ …と言っても、やはり人参やドライフルーツが甘いので、 私にはやはりおやつという位置づけなんですが…笑 こんなふうに最後もペロペロ… ダメーって言わなくても安心な素材なのがいい✨ さぁ、一息ついて、 喫茶去… まぁ、お茶でもどうぞ… 心をクリーニングして、 日常こそ大切に、心地よく生きましょう✨ それが悔いなく生きる知恵だと思うから✨ う~ん、美味しい✨
2021.08.28

フランス、パリと言えばポワラーヌとマルシェ、アンティーク…と思い浮かぶくらい、 私の心に響くのはいつだって、 自然に寄り添いながら、 人々の感性と共に時を紡いできたものばかり。(ちなみにフランスには行ったことないのだけど…) (↑ポワラーヌ(老舗の天然酵母のパン屋さん)のことが書いてある本を眺めながらランチタイム) この本によると、 パリ6区の高級な雰囲気を纏いながら、 ひっそりとたたずみ、 オシャレなパリのど真ん中に在りながら、 その地下では、伝統的な手法が守られた、 温湿度計もタイマーもない、 五感を研ぎ澄ませ、 経験で培われた確かな感覚のほうが、 機械よりも優れているとの考えから、 敢えて手間を省かず、伝統による品質管理を忠実に守り抜く誠実さが、 1932年から続く酵母の生命力、波動と共に活かし合い、人々に変わらぬ愛を与え続けているのでしょう。 求められていること自体が、 古さではなく、 時を紡いだ貴重な価値、味わいになっているのですね。 素晴らしい✨ 求められていなければ、 単なる執着や意固地、独りよがりにもなってしまうので、危ういものですが、 いつだって真実には人々を惹きつけて止まない価値が在るもの。 そして、それを持続できる人(忍耐)が少ないからこその、希少価値も加わって、 昔の人には普通の当たり前だったものでさえ、今では貴重なものになってしまうのですから、面白いものですね。 私が賞賛されるのも、たぶんそこのところが大きいように思います。 忍耐力。 現代人、楽しすぎて忍耐力ない人多いですからね。 だけども、面白いことに、 楽した人ほど、人生の味わい、喜びにも気付けてないのですね。 楽できたんだから、感謝すれば良いのに、 感謝すらしない笑 だから、楽することには興味がないし、 楽することは退化にしか私には見えないのですね。 楽することと合理的なことは全く違うことですから。 結局、時間をかけることの価値というもの、年齢を重ねることの喜びは、 そんなところに在るのだろうと私は思うのです。 ちなみに猫ズを置いてまでフランスに行くつもりはないので、 (旅する想像は楽しいけど、執着はない) 今のところ、こんな風に想像を愉しみながら本を読むのが好きなのですが、 実はちょっと前に、すっかり忘れていた ポワラーヌのあの有名なクッキーが3800円という超高級価格で発見❗ 高っっと一瞬笑いがでたものの、 こんなんで買う人いるのか❓って…思いながらも、 急に欲しくなったのです笑 だって、すっかり忘れていたけど、 一度食べてみたいな~と思い描いていたクッキーが今目の前にあるのですから❗❗ (私はパンでなく、クッキーが食べてみたかったのです❗しかも、当時は障害者さんの支援施設でクッキー販売用のクッキーを作っていたのもあり、福祉施設だからと同情で買ってもらうのではなく、 きちんとしたもの、美味しいから買って欲しいし、体に良いもの、買ってくれた人の元気に役立つものを売りにしたかったので、地域への貢献も併せて、地元の平飼いの卵や、国産のバターや薄力粉など、技術は劣っても、プロ顔負けの素材選びにはできる限りこだわりました。その結果、とても売れましたし、リピーターさんまでできて、『美味しいのは分かってるの。ただ、食べすぎちゃうから困るの』…なんて、別の意味で悩ませてしまいましたけど笑。 『活動してますって感じで適当にやって』…なんて言うような会社には感謝ひとつされませんでしたけど、魂から満足できた仕事でした✨ それに、感謝できないのではなく、 したくてもプライドが邪魔して伝えられないと苦しんでいることも知っていましたから(プライドなんて無駄なんですけどね~)、別に求めもしませんし、 私が辞めた後も、地元の素材を使って貢献していたことが評価されて、 それまで会社と曖昧な関係だった地元の直売店の責任者の方が、 私の顔を立てて、その後も会社に融通をかけてもらえたらしく、 関係が繋がっていることを同僚から聞いて(彼も虚栄心の強い人だったけど、私が陰で整えていた人と人、場との調和に気付いて感謝を示してくれた。気付くのはみんな私が辞めた後だけどね~笑)、 とても嬉しく思いました✨ 分かる人が分かってくれれば良いし、 分かってくれただけでもありがたいこと✨ それもこれも、良い思い出です✨) まぁ、そういうことで、 フランスに行ったと思えば、安いやんか~…と、3800円もするクッキー買っちゃいました笑 昔ながらのオーブンで、 しかも五感に頼って焼くそのクッキーは、 置く場所によって焼きムラがあり、 色の薄いもの、濃いものなど、 そのグラデーションでさえ私は愛おしく感じるので、 つまりまぁ、素材の質や心よりも、 形ばかりの完全品(完成品)を求めたような現代的な無機質なものには私はあまり惹かれないので、 色ムラがあろうが、全然問題どころか、 個性的で付加価値も充分なのですが、 いかんせん、食べるのが家、 つまりは日本ですからね~笑 やっぱり思い描いたようにはいかないのですね笑 今ここで、家で食べるなら、 自分で焼いたクッキーで充分だと知ったのです笑 だって、私が焼いたクッキーだって、 大繁盛だったわけですからね~✨ つまり、心がこもった誠実な食べ物は、 なんだってハナマル❗ 美味しいに違いないのです✨ ある一流らしいプロのシェフに、 あなたが思う最高の料理とはどんなものですか❓…とのインタビューに、 彼は『家庭料理に勝る料理などないでしょう。目の前の人のために心尽くした料理には敵いませんよ』…と。 そんなことが分かっているシェフの料理なら、食べてみたいと思ったものです✨ 美食とは、シェフが自分の腕自慢(自己主張)することではなく、 相手の幸福を願い、 心を満たす一助になるような、 思いを尽くした料理のことだと思うから。 だから年齢を重ねて、 色んなことを体験した今は、 求めるのは外食やグルメではなく、 思いを味わいに行くような感覚ですね。 その場を味わう、時を味わう…。 時間や空間というものの貴重さ、 大切さにこそ、学びがたくさん含まれていると感じます。 だから、たとえタダでも要らないものは要らないし、 ご馳走してくれると言われても、 一緒に居て楽しもうとする人、 その場を味わい、楽しもうとする感性のある人でないと時間の無駄に感じてしまう。 時は金なり。 金銭的な得することより、 時間を大切に共有できる人と過ごしたい。 多くの人は、お金で解決しようとするし、 お金さえあれば解決できると思っているけれど、 失われた時間は解決しようかないのだ。 だから、お金しか見てない人は、 人の時間を踏みにじっていることに気付かない。 そうこうするうちに、 大事にされなくなるだけなのだ。 時間は育つために、成長するために必要なもの。 その時間とどう向き合い、どう活かすかで、人生はいかようにも変わるのだから、面白い。 そのせいかもしれない。 私が年齢を重ねることに無駄な怖れがあまりないのは…。 アンティークや、 古き良き伝統に心尽くした人々の愛と、 『今』に寄り添いながらも(変化を受け入れる柔軟さもありつつ)、 時を重ねたことでしか得られない美しい輝きは、やはりお金には換えられない価値なのだ。 そして、それを美しいと素直に感じる感性、だけども執着のない自由と柔軟さを授かったことが、 これまたこの上ない幸福だと思う。 なぜなら、時(年齢)を重ねることでしか得られない喜び、美しさがあることを知っているから、年齢を怖れたり、戦う必要がない。 そして、執着がないから、 いくつになっても身軽で自由な発想で、 思うとおりに楽しみながら、 探求することで得られる発見、 挑戦することで得られる達成感、 新しい自分との出会い、 人生を愛でることも、 慈しむこともできる。 そうこうしているうちに、 自然と年齢を重ねているだけで、 老化という不安につきまとわれることがない。 私の中には一般常識的な、 年をとれば太る(痩せにくい)、 あるいは痩せ衰える(気力がなくなる)。 病気になる。 薬(病院)が必要になる。 役に立たなくなる。 …なんて考えがない。 なぜなら、良くなることしか考えてないからだ。 私の頭は至極単純で、シンプルなことを好む。 たとえいつかはこの肉体を手放す日が来ると分かっていても、 だからと言って嘆く理由になどならない。 最後の最後まで、 この与えていただいた人生、 思う存分に体験し、 楽しませていただきました。 ありがとうございました✨ …って、言えるように、 良くなること、楽しむこと、 生命が輝くことのためにこの命を活かしたいからだ。 いただいた命と一体となって、 一緒に『私』を活かしたい。 共存共栄、自利利他。 そんな言葉を意識してない遙か昔から、 私の思いは常に愛、平和、豊かさに満ちていた。 だけどもネガティブだったのは、 周りの大人たちが、あまりにもネガティブな波動に満ちていて、 互いのせいにして罵り合ってばかりいたからだ。 それしか見えなかっただけなのだ。 そして、一番弱い者に、 未熟な人たちは自分の満たせない心をぶつけて発散し、自分を満たそうとする。 その餌食になっていただけなのだ。 姉に言うと、姉はそんなこと言われても、 ふ~んと思うだけで、気にしないらしい。 まぁ、普通の人はそれができるのだろう笑 だけど私は普通じゃなかったらしい笑 できなかったのだから。 私は純粋すぎた(純粋お馬鹿だった笑)。 だから、言われることを全部真に受けた。 父を亡くした私達姉妹は働く母の代わりに祖母に育ててもらったのだけど、 幼い頃、近所に住む年下のいとこ(長男の娘)に 『おばあちゃんは本当は私のおばあちゃんなのよ❗』…と言われて、 えっ❗私のおばあちゃんじゃないの❓…としばらく落ち込んでいたり、 (本家というほどの家柄でもないけど、 親がそう言ってたのを聞いたんでしょうね笑。つまりは、親を見て、その親の心を子供は見せてくれちゃうのですね。誤魔化せない❗ ちなみにそのいとこは頭が良く、九大に受かった時も、祖母に『自慢の孫ができたやろ❓』…と言ったらしく、感性鋭い祖母は逆に可愛くないと感じたらしい。後から私に嘆いていた。 つまり、いとこ側から私が妬まれるのは、私には厳しかったから気付かなかったけど、 感受性の豊かさで繋がった私が 祖母に大事にされていたことへの妬みだったのかもしれない。) たまたま母も祖母もO型で、 子供だった私と姉はA型だったこともあり、 大人になるとみんなO型になるものだとばかり思い込んでいたり(その後父はAB型だと知った笑。だけど、いまだにその名残か、大人っぽい人を見るとO型に見えてしまうが、結構当たってたりする。O型が一番自立してる人が多い気も…大らかだからかな。その分大雑把な人も多いけどね笑)、 紙を束ねるホチキスを指に刺したらどうなるのだろうと、指を挟んで大泣きしたり…笑 とにかくこの世界が私には不可思議過ぎた。 畳の上にうんこしてみたり(覚えてないけど笑)、 扉に絵画を描いてみたり、 どれもこれも怒られたけど、 やってみなくては分からないから、 とにかくやってみた…みたいな悪意のない、 ある意味たちの悪い無邪気さが私にはあったらしい。 それもこれも、私にとっては知りたい欲求、成長したい欲求の序章に過ぎなかったのだろう笑 そして大人になってからも、 その素直さがあだとなり、 都合良く利用されてしまうこと度々…。 しかも、私のピュアすぎるハートが男性上司の心を掴んでしまうらしく、 他の同僚たちと仲良くすることを良く思わず、 仲違いさせようと目論まれてしまうことも度々…。 ひどいときは、『裏切り者❗❗』…と罵声を浴びせられたことまで…。 ただ同僚たちと飲み会の先約があったので、 上司からのお誘いをお断りしただけなのに…。 (私は悪意がなさ過ぎて、素直にそのままを表現してしまうので…💦) そして、一番多いのは、 『やらない人には言わない。君だから言うんだ❗』…って言葉。 言わなくてもやる人は勝手にやるのだから、 やらない人に言ってよ❗…って感じなのだけど。 まぁ、つまりは、やらない人の心を動かすほどの魅力がない自分の代わりに、 勝手にやってくれる私が使われてただけなんですね。 そう、仕事ができない自分の非を、 他人で誤魔化してるだけ。 もう~、本当に私が自分を認めるまで、 どこに行っても ず~っとそんなんでしたよ。 利用されまくり。 姉に言わせれば、『そんなん知らんがな…』…と気にしないらしい笑 だけどね、それでも大きな視野で見れば、 全然損ではないんですよね。 その間、私は本当に一生懸命必要な『魂』の学びを得ていたわけで、 無駄に生きてる(時間を潰している)わけではなかったのです。 無駄ではないからこそ、 何かを感じ、味わっていたのですね。 何も感じないのなら、 そこに居ても無駄かもしれません。 だけども、何かを感じるのなら、 クリーニングする必要があって、 そこにいるわけです。 何かと記憶で繋がりがあるからこそ、 必要があってそこにいるわけです。 (ポワラーヌのクッキーを一度食べてみたことで、その欲求も落ち着くのと同じね笑) そして、私の場合、 自分の価値に気付くこと、 自分のしていること、 自分の責任を自覚する必要があって、 それを学んでいたのだと思うのですね。 なぜなら、他人の責任ばかり背負っていたからです。 だから、自分がそれを自覚するまで、 つまり、自分にふさわしくない扱いをされてることに気付くまで、 ず~っとそんなんでした笑 あまりにも幼少期から抑圧させられてきたので、自分を自覚できずにいたのです。 だけどね、どんなに純粋お馬鹿な私でも、 いつかは『おかしい❗❗』って気付く日が来るわけです。 なぜなら、私の行く場所行く場所、 ほとんどの人がやっているのは『仕事』ではなく、 自己中な『私情』の押しつけ合いでしかなかったからです。 仕事は他人に任せて、 自分のお株をあげることしか考えてない人たちがウヨウヨいることに違和感を感じ始めたのですね。 そして、未熟な上司は、 誰かが仕事をやってくれて(誰かが犠牲になってくれて)、 問題さえ起こらなければ、 (自分が損しなければ) 媚びてくるお馬鹿な部下のほうが、 自分のご機嫌を取ってくれるので、 居心地が良いわけです。 (低い波長同士が繋がりあってるので、心地よいのでしょう) 私はいつも、その生け贄役を買って出ていたようなものだったのですね💦 なぜなら、私が真面目だからではなく、 私の魂が成長したくてたまらなかったから。 成長を望んでいたからです。 楽しようという頭が全くないので、 ずる賢く株を上げようなんて、思いもつかない。 つまり、それが長い目で見て、 何の得にもならないことを知っていたからです。 だから、仕事がしたいのに、 成長したいのに、ここには仕事がない…(仕事をしている人がいない)と言うことに気付く。 そこまで来て初めて、転職となるのですが、 これまた自己中な私情に満ちて、 私を利用して楽していた人たちは、 急にあたふたし始める。 なぜなら、誰も『仕事』ができる人を育ててこなかったから笑 私が自分の成長のために 勝手に仕事を見つけて、 仕事を作ってたから、 どんどん良くなっていくのにかまけて、 ただ乗っかって調子こいていただけだったことに彼らもまた気付くわけです。 ある上司は、言葉巧みに私にかまかけて、 私をもっと自分好みに仕立てようとしました。 だけども、その時私はすでに、 その会社にも見切りを考えていた。 学ぶべきこと、仕事がもうないと…。 そして退職の意を伝えた途端、 自分のバカさ加減を恥じ、 自分は治らない病気があって…と、 懺悔し始めた。 いつもそうなのだけど、 上司であっても、人間としての価値を見失ってはいけないのです。 人を見下したり、 貶めたり、 都合良く利用したり、 人を変えようとしたり。 それは、傲慢の極みなのですよ。 その仕事上は経験値として上司の方が上には違いないでしょう。 だけど、人間的価値は、年齢では計れません。 私が教室をしていたとき、 外で、全くのプライベートで、 『先生❗』…って背後から声かけられても、 自分に先生の自覚がなかったので、 肩をトントンと触れられるまで気付かなかったりするのですね笑 なぜなら、私が経験としてより知っていることは教えてあげられるけれど、 私自身も常に学び続ける魂で在る以上、 誰かの上なんて意識がそもそもないからです。 私はプロ意識という言葉も好きにはなれなくて、 その言葉や押しつけのせいで、 ヨガやヒーリング、 スピリチュアルな世界においても、 嘘つき(口先だけで、実践が伴っていない人)が多いことに頭を悩ませられました。 どこまで行っても師が見つからない。 自分でできているという満足感もないまま、多方面の指導者から 『素晴らしかった』 『美しかった』 『あなたに教えられることがない』などとお褒めの言葉をもらっても、 どうにも行き詰まり、 結局独学の探求の道へと繋がったことで、 次々と新しい発見が得られたわけです。 つまり、師を求めること、 誰か他人に求めることは、 限界を自ら作ってしまうことに他ならないのです。 誰か他人の知識や経験があるからこそ、 参考になり、ヒントになり、 支えになってくれるのだから、 感謝でしかないのだけど、 そこに依存したり、 答を求めても、そこにはないのです。 自分の答は、自分の中にしかないし、 私も他の誰かの答を持っているわけではない。 だから、教室を開き、 指導者としての立場で先生と呼ばれても、 いつだって私は、 『私が治してあげるのではありません。あなたは自分で治すのですよ。その力があなたの中にはあるのです』…ということを常々伝えていました。 だから、結局は、提案することしかできないので、 先生と呼ばれても、 先生(人の上)という自覚が全然ないのですね。 もともとワンネスで、自利利他、 共存共栄の精神が根付いている私には、 私の力を役立てたいが、 私の力だけで成り立っているわけではないことを無意識ながら分かっていた。 だからこそ、どうひとりひとりの中に在るその力に灯火を灯すか、 それが課題でした。 そして、昔の私は純粋すぎた、 つまり真面目すぎて、本質を軸とした、 ストレートな表現しかできなかった。 無自覚なワンネスゆえに、 みんなもワンネスだと信じ込んでいたわけです。 家族ですらワンネスじゃなかったのに…笑 どれだけ利用され、 どれだけ自己中な人が多くて苦しんできても、 場所が変わり、 人が変われば、 すぐさまワンネスに戻ってしまう、 この純粋さ(お馬鹿さ)は、 もう天性のものだと受け入れるしかありません笑 とにもかくにも、何度騙されようとも、 家族が変わらなくても、 私は全く疑うことをしないのですね笑 なぜなら、頭で学んだスピリチュアルではなく、 天性の感性がそもそも 宇宙意識で統合されているからだと思うのです。 周りの波動と異なるゆえに苦しんできたけれど、 もともとの魂に違いなどないことを理解している。 たとえ過去がどうであろうとも、 今、どう生きているかが真実であり、 今にしか幸福はないことも理解している。 だから、記憶で歪んだ目で見ないように、 この世の歪みを理解した今でも、 常に希望を持ってクリーニングし続けているのです。 だけども、多くの人は、 まだまだ記憶の歪みに囚われて生きています。 どんなに助けてくれる人がいても、 その感謝さえ気付かず、 自分の不幸にしか目が向かない。 感謝に気付く目を育てれば、 本当の自分の素晴らしい価値に目を向ければ(クリーニングされた神性としての愛の目)、 この世界に素晴らしい輝き、幸福を見ることができるというのに…。 いくら安いか、 いくらお得か、 損してないか… もっと欲しい、 もっと愛されたい(大切にされたい)… そんなことばかりに目を向けて、 自分から与えること、 自分から愛することには目を向けない。 だから、いつまで立っても不幸しか見えないのですね。 見たいものしか見えないのです。 損得に囚われるものは、 損得しか見えない。 損得の計算をするだけの人生で満足ですか❓ 自分のご機嫌を取ってくれる人(ゴマする人)は味方で、 ご機嫌を取ってくれない人(真実を見る人) は敵とさえ感じるのなら、 人生はずっと争いの絶えない、 生身の戦争を支持して生きていることと同じです。 いじめはいけない、 テロはいけない、 戦争はいけない、 コロナが悪い❗ …と他人の問題ばかり指摘しながら、 自分の中にある争いの種を摘もうとさえしない。 問題の種は、常に自分の中にあり、 自分の心で養っているのです。 自分の思いの責任を自覚しなければ、 この世に平和を生み出すことはできません。 平和はいつも自分から始まるのです。 そして、幸福も豊かさも、 平和な波動、波長に従う(集まる)のです。 健康も美もあらゆる良いことは、 平和な心、愛、真心に従うのです。 そう見えないのなら、 心の中に歪みがあるから。 何かに囚われた、 何かに執着した、 依存や中毒、期待して、 思うとおりにしたいという支配的な傲慢さ(エゴ)からは、平和は生まれません。 平和とは、相手を思う愛であり、 相手を利する、与えることのできる豊かな心であり、 その結果として、思いも寄らないような豊かさを得ること、 利他をして徳(自利)を得ることに繋がっているのですから、期待すら必要ないのです。 つまりは期待のない利益こそ、 神性からの贈り物なのです。 そもそも、利益なんて期待しなくても、 与えることそのものに喜びや幸福が存在しているのですから、 価値のあることなのです。 与えることができる、 つまりは自分はすでに豊かさに恵まれていることに気付いている。 感謝に満ちあふれているからこそ、 誰かも幸福にしたい。 目の前の人と喜びを分かち合いたい。 幸福のお裾分け…なんて喜びが芽生えるわけですから、 こんなに幸せな人生はないでしょう。 だからこそ、私は何度都合よく利用されても、 与えることを止められなかったのかもしれません笑 つまりは、自分が幸福であることを疑ってない、 自分が幸福でないとできないんですよね。 だから、今だって与えることが好きです。 上から目線とかではなく、 幸福である人、笑顔の人と一緒にその場を共有したいと思うから。 だけども、多くの人は、 まだまだ学びの途上であって、 与えられたものでは喜ばないか、 与えられる人に乗っかって、 依存してくるかのどちらかが非常に多い💦 私達は生きている、 ただそれだけで成長のために生きているのであり、 誰しもが学びの途上であることには違いないのだけど、 多くの場合、昔の私のように、 自分が自覚できていないゆえに、 同じ過ちを繰り返し続け、 ただ苦しむばかりの人生でしかないように思えてしまうのですね。 いえいえ、それが全く違うのです。 それは、思い込み、エゴ(自我)への執着、 記憶に歪んだ世界を見ているだけで、 世界は美しいものがたくさんあるのですよ。 もちろん、『美しい』『善』など 一見正しいものに執着しすぎたあまりに、 新たな記憶の歪みが生まれ、 整形や薬物に依存したり、 新しいものを生み出すばかりで 結果(後始末)には無責任な人たちも大勢いますので、 あくまでも中庸、ゼロ、中立な視点、 クリーニングされた無条件の愛の目を 常に自覚していることが必要ですが、 逆を言えば、常にクリーニングし続けるからこそ、 自分の弱さも良いところもありのままに受け入れるしかなく、 良い悪いに囚われず、 役に立つこと、少しでも成長を感じることに喜びがフォーカスしてるので、 役立たないこと(愚痴とか不平不満など)には自然と意識がむかなくなるのでしょうね。 やる気のない人や、 ずる賢い人に利用されることもなくなり、 利用されないので、そもそも寄ってこないのです笑 うまくいかないとき、 それを誰かのせいにするよりも、 自分の思い、 自分が発信している波動の責任を自覚することです。 私達は与えたもの、発信したものと同等のものを受け取る(与えられる)ようになっていて、 私が与えてきた愛への感謝を誰からも返されなかったとしても、 代わりに宇宙(神性)はちゃんと見ていて、 別の形で思わぬご褒美を与えてくれるようです🎁 だから、期待とか、 コントロールとか、 ジャッジとかではなく、 本当の自分にふさわしい自分を生きるだけでいいのです。 損得で計算された人生ではなく、 自分を愛で育て、 自分を愛で鍛え、 人生そのものを慈しむことです。 私は今まで多くの愛を与えてきたけれど、 実は無意識ながら、 私自身に愛を与えていた(楽しんでいた)だけなんですよね笑 だから、私の純粋な愛を都合よく利用されることには不快感を感じても、 過去を恨むこと、憎しみに囚われることはなかった。 ただ、そこから学んだだけ。 誰でも彼でも与えればいいわけではないのだと…。 だけども、楽しいから、ついつい無防備に与えまくってしまう。 まぁ、癖のようなものですね笑 それで目の前の人が笑ってくれたなら、 誰かひとりでも幸福を感じてくれたなら、 誰かの希望に灯火を灯せたのなら、 万々歳✨ だけども、結局は私が楽しい、 私が笑っていたいからやってるだけなんで、 押しつけるつもりも、 感謝を期待することもない。 だから、私もそのつもりで、 要らないものは『あっ、私は結構です』…って素直に言っちゃうと、 『他人の親切は素直に受け取るものだ』って怒り出す人までいるのでビックリです笑 だけどね、それはお門違いというもので、 親切は、必要な人のためにしてあげることであって、 求めてない人に押しつけることではないんですよね。 押しつけるのは、 自己満足したいから。 私みたいにいつもニコニコ、いつもありがと~って素直に言ってると、 自分を認めて欲しい、 自分を愛して欲しい、 優しくされたいっていう 愛に飢えた依存型(寄生虫のように他人の愛を貪って生きている人)がウジャウジャ寄ってくる。 まだその自覚があれば依存にはならないのだけど、 残念ながら自覚できてない人が多い。 そんな人は、依存してる(拠り所を求めている)にもかかわらず、 自分が上には立ちたい虚栄心も併せ持つ人が多く、 親切の押し売りや 教えてあげたい欲求(雑学の押し売り)でマウンティングしてくるのですぐ分かるけど、 NOと言われること、 拒絶されることを非常に怖れているので、 期待を背くことをされると、 怒りを顕わにしたり、 怖れて萎縮したりと、 何かと面倒。 昔の私はいちいち自分が傷つけてしまったと反省して励ましたりしていたのだけど、 本当、馬鹿らしくなっちゃいました笑 全てはエゴ、記憶の歪みが原因ですから、 クリーニングあるのみです。 気を遣いすぎてもダメ、 自己犠牲なんてもっとダメ❗ あくまでもこの世界を平和で豊かな世界にしたいなら、 共存共栄が基本です❗ 自律して、自立する。 自立することで、記憶から自由になり、 ありのままが見えるようになります。 平和であるために、 誰かを犠牲にしたり、 生け贄なんて必要ないのです。 私達はもっと、自分の思いを自覚して、 責任を持つ必要があるのです。 自分を愛し、 愛は常にここにあることを自覚する必要があるのです。 記憶に歪んだ飢えた愛ではなく、 無条件の愛、真心、生命輝く強さと柔軟さが育まれた真実の自分を生きること、 それが私達ひとりひとりの責任であり、『平和』はいつも『私』から始まるのです。 そして、平和な心、無条件の愛、神聖な波動に、健康も美も幸福、豊かさも従います。 誰かから奪うのでも、 誰かを犠牲にしなくても、 いただく命の分まで一体となって 共存共栄の豊かな世界の一員として生きること。 それが幸福への道であり、 幸福とは責任なのです。 ひとりひとり違う幸福を、 ひとりひとりの愛の形で表現する、 多様性豊かな世界の中で、 あなたはどんな愛(自分)を 表現しますか❓ 生命の輝く美しさを、 人生の喜びを、 素直に愛し、慈しみましょう✨ この肉体をお返しする日まで、 大事にケアしながら… さぁ、今日もクリーニング✨ 今ここから平和を…✨ 私が撫でるとすぐあくびが出る猫ズ笑 私のヒーリングパワーは 神性からの贈り物✨ いつも愛され、守られてることに感謝を✨
2021.08.24

凛々先日9歳になりました~🎁 おめでとう~✨ …そんなことち~っとも気にしない凛々だけど、 姉さんは素直に嬉しい✨ 凛々とこんなにも長く一緒に、 しかも元気な凛々と一緒に人生を重ねられるなんて思ってもなかったからね。 白血病ウイルスキャリアであろうが、 凛々が凛々らしく、 元気に凛々の猫生を全うしてくれたなら、 それはもう立派に姉さんのハッピーに 大いに貢献していることになる✨ 私の人生、いつも最初は涙涙の 苦難から始まる…というか、 苦難を選んできたわけだけど、 そのどれもが、 素晴らしい価値ある学び、 素晴らしい価値ある体験、 素晴らしい価値ある私の人生を育むための素材のようなもので、 私のハイヤーセルフ(神性)からのお導きだったのだと、今なら分かる。 私が楽な道、流行、 形ばかりの幸せらしいものに興味が持てなかったのも、 誰かの完成品に流されるのではなく、 自分で喜びを創造すること、 つまりは、私が私の価値を見いだすことが私には必要だったからだと思う。 私は私を体験したくて生まれてきたのだという実感がある。 私が新しい私を発見するたびに、 喜びが湧き上がる。 成長とは、変化していくこと。 何にも執着せず、 何にも囚われることなく、 自由で柔軟な意識でありのままを見る。 生きることは、自分の中に刻まれた記憶をクリーニングしながら、 思い(悔い)を残さないよう、 心尽くして生を全うすること。 思いを遂げるたびに、 心が軽くなり、 年齢を重ねるたびに、 身軽になれる✨ 年齢を重ねることは、 本当の私に近づいていくこと。 要らないもの、 役目を終えたもの、 古い価値観をクリーニングしながら、 あるがままの愛に戻っていくこと。 何ものにも囚われない。 執着もない。 だけども、愛は確かにここに在る✨ ただ喜び、 ただ幸福に微笑む。 生きていることを喜び、 人生が愛おしくて感謝に満ちている私には、特別な薬なんて必要ない。 (特別避けてるわけでもない。 ただ健康であるために必要なものではないというだけ) 日常の中にある、クスリと笑える素直な心が何よりの薬なんだと思う✨ 今思えば、食を大切にしてきたのも、 動くこと(生きること)を意識してきたのも、 全ては金銭的な損得よりも、 幸福的な損得を無意識の中で選び取っていただけなんだと思う。 お金は生きるためにも必要なもの。 ありがたい。 だけども、お金に動かされることはしない。 お金を私が活かし、役立て、 共に幸福を創造するための仲間なんだと思う。 幸福を生み出すことのために役立てるからこそ、 お金は私の味方になって、 人生を、そして成長を支えてくれるのだとも思う。 私も猫ズも元気でいられるのは、 結果の前の原因のためにお金を役立ててきたからだ。 病気になってからお金を使うのではなく、 病気にならないことのためにお金を使う。 つまりは、日頃の食や活動、心の在り方を整えるために役立てる。 心もお金も、 結果に働きかけても結果は変えられない。 変えられるのは、 結果を起こす前の原因がある、 『今』だけだから。 そして、未来は『今』の積み重ねでしかない。 『今』を変えなければ、 未来は変わらない。 …というか、未来なんて自分の心が創造するものだと思うから、 未来を心配するだけ無駄である。 私達は、今この瞬間も、 見たいものを見て、 食べたいものを食べて、 生きたいように生きていることを自覚する必要がある。 今の私も、 今ある人生も、 全ては私の心から生まれたものであり、 その責任は私にしかないのだ。 苦難ばかりを選んできたように思えた人生だけど、 私は着実にその先にある喜びを見据えて生きていたのだ。 間違いなく、ウサギとカメの亀さんタイプである笑 不器用で、目の前にぶら下げられた人参ではなく、 金の斧でも銀の斧でもなく、 ありのままに自分を受け入れている。 だけど、それは決して卑下でも謙遜でもなく、 たぶん謙虚でもない笑 ただありのままの自分に、 自然体の、生命本来の完全性に宿る 魂の輝きに、これ以上の幸福などないことを自覚していたのだと思う。 どんなに賞賛されても、 どんなに特別扱いされても、 そこに私の求めるものはないことを分かっている。 だから、苦しくても、 一見損をするように思えても、 本当に価値あるもの(望むもの)にまっすぐ向かっていくしかないのだ。 楽しても、 欲しいものはそこにはないから。 そして、価値あるものは、 手に入れるためにも時間が必要なのだ。 時間がかかったからこその、 手に入れた喜びなのだから。 そこには私にしか分からない価値があるのだ。 私の人生に悔いはない。 そう心から言えるのも、 心を見捨てることも、 無視することもなく、 きちんと向き合ってきたから。 思いを遂げ、 昇華させてきたから。 だからこれからも、 楽ではなく、 先を見据えた楽しいを選ぶ❗ 結果しか見ない薬よりも、 原因を正しながら、クスリと笑える日常を選ぶ❗ 私は耀く生命そのものであり、 その結晶が私(肉体面、物質面)であり、 人生なのだから。 先日久しぶりに大きな迷いがあった。 ハナの耳の外側に噴火口のような穴が開いてしまいそうな傷ができていた。 ケガではない。 排出である。 一瞬幸太郎を思い出した。 このまま悪化したら… 病院に連れて行きべきか… だけど、体は出したいのだ。 出す必要があって出してくれているのだ。 全くもって快便のハナが、 皮膚から出さなきゃいけないほど、 そんなに溜めていたことが不思議だったが、 出したいものは出してあげなきゃ排毒が終わらないのだ。 ハナの体を信じて様子を見ることにした。 だけども翌日、痒くて掻きむしり、 血飛沫が飛ぶほど悪化し始めた。 また迷った。 でも、掻くから傷が悪化するだけかも…と、 エリザベスカラーを買ってみた。 …が、いかんせん、ハナは頭や体をこすりつけながら歩くのが好きなのだ。 いちいち引っかかって硬直してしまうのである笑 なぜ歩けない❓ なぜ進まない❓…と、硬直して止まるハナを見るに忍びなく、 結局自由にさせておいた。 …ら、1週間ほどでかさぶたになって、 もう治ってしまった。 だからこの写真は、役に立たずじまいに終わったエリザベスカラーの記念撮影である笑 可愛かったよ✨ 姉さんだけクスリと笑えたよ✨ 治ったからこそ笑えるのだけど笑 しかも必要ないのにつけられるハナは それをわかってか、大人しく記念撮影させてくれた。 薬を使わず、私の心にクスリ(笑い)を与えたのだ。 もう凛もハナも、 神に遣わされた天使に違いない❗ ちなみになぜハナの耳の問題が出たかと言えば、 実はその少し前から、 私は声や音の浄化(耳、聴覚のクリーニング)を学んでいたのですね。 私のだめに代わりにデトックスしてくれたのかもしれません。 なんて姉さん孝行な子だろう❗笑 私は本当にみんなに守られてるな~、 愛されてるな~と感謝しかできないのであります💦 花を咲き終えた幸太郎ジャスミンの奥の 室外機の上がハナのお気に入りの場所。 幸太郎ジャスミンにもたくさん楽しませてもらったな~ ↑贅沢すぎるジャスミンウォーター (次から次に咲いてくれるからこそできる笑) 死してなお姉さんを楽しませてくれる幸太郎も、 生きることの尊さ、生命の輝きを教えてくれた黄菜しろも、 自立を促してくれた虎も、 みんなのおかげで姉さんは強くなれたよ✨ そして、みんなが育ててくれたからこそ、姉さんは賞賛していただけるまでに、人生(生命)の華を開花させることができたんだ🌺 ありがとう✨ 姉さんはみんなの思いの結晶だ✨ そして、凛もハナも姉さんの心を映してくれる鏡なのだ✨ 姉さんが幸福だから、 姉さんの心が平和だから、 ふたりとも穏やかでいてくれるのだ✨ 責任重大だね❗ 思い(心)の責任❗ やっぱりクリーニングあるのみ❗…なのだ✨
2021.08.23

凛がいないと思ったら… コンロ下の調味料などの置き場に 馴染んでた笑 あまりにも馴染みすぎて、 もはや無の境地… 見つかっても微動だにせず、 あたかも元から自分の場所だと言うかのごとく… 凛は本当に人生(猫生)の探求者だと思う❗ 今月9才になるのに、 2DKの決して広くない我が家の中でも、 常に居心地の良い場を探求し続けている❗ (…だから時々どこにいるか気付かない笑) 呼んでもヒッソリと無の境地のまま、 『何か…❓』…と堂々たるもの❗ この凛とした女王の風格が、 心の安定に役立ち、 白血病ウイルスキャリアのまま、 共存できている所以だと思う。 そしてそれが、生命の危機に瀕していた保護当時の凛からも感じられ、 名前の由来となったわけだけど、 私を惹きつけた最大の理由だとも思う。 凛はまさに、神性を放っていた。 生命の危機的状況にあっても、 オーラは変わらなかったのだ。 私はまさかここまで平然と長く生きてくれるなんて想像さえできなかったし、 そもそも無駄に延命もするつもりもなく、 看取りのために、 せめて余生を楽にしてやりたいとしか 思ってなかったのに…、 凛は無駄に嘆かず、 無駄なプライドを持たず、 未知の場所で不安はあったろうけど、 とにかくご飯をいっぱい食べた。 生きることを諦めなかった。 そして、食べるだけ食べたら、 とにかく体を休ませ、 無駄な消耗をしなかった。 徹底的に無駄を省き、 生きることに専念していた。 私は凛からたくさんのことを学んだ。 あばらが浮き出てガリガリで、 脱水して貧血して、 干からびたような、 動きもままならない状態だった凛が、 最初の1週間の入院以外の通院を拒否したために皮がはがれるほどのケガの治療も諦め(逃げるときだけは驚くほどすばしっこく、ガリガリで細すぎて、冷蔵庫の後ろにまで逃げ込んでしまったので💦)、 とにかくご飯だけたっぷり与え、 あとは凛にお任せしていただけなのに、 ケガもみるみる自然治癒し、 (白血病ウイルスキャリアで免疫力は低いらしいのに…) 見事な復活を果たした凛から学んだ最大のことは、 生きたいと願うものは、 どこまでも生命ある限り、 生まれ変わることができるのだと…。 まさに、サナギから蝶に美しく変容するように、 醜いアヒルの子のストーリーのように、 凛は素晴らしい生命の在り方の手本を示してくれた✨ 全ては生きることへの飽くなき探求✨ 生きていることへの喜びの探求✨ そして、たくさん甘え(素直になること)、 たくさんケアして、 あるがままの幸福を素直に享受する凛の生き方に、 私は大きな感銘を受けた。 まさか死を看取る覚悟が、 こんな素晴らしい生命体験を与えてくれるなんて…✨ 神様の計らいには、 本当にいつも驚かされる✨ あの時の経験が、 世の中がどんなにコロナ禍で騒々しくなっても、 私を平常心で心の平和のまま、 安らぎを与えてくれるのだ。 ウイルスへの未知なる恐怖も、 死の覚悟も、 とっくに乗り越えた。 幼少期から闇を生き、 たくさんの死と向き合ってきた私だからこそ、 闇夜が開けた後は、生きるための覚悟、 死ぬ覚悟、 しなやかな強さと、 安らかで安定した平常心を得られたのだ。 リアルに自分の闇と向き合い続けたからこその宝、神様からのご褒美は、 生命の体験の素晴らしさに気付けたこと✨ 生まれてきて良かったと思えたこと✨ そして、どんなに未熟なエゴの強い母であっても、 『生んでくれてありがとう』と、 心からの感謝で伝えられたこと✨ 逃げなくて良かった。 誤魔化さなくて良かった。 楽するより、試練と誠実に向き合い続けて良かったと、心から思う✨ 問題はクリーニングのチャンスだと、 心から思う✨ そして、輝く生命(肯定的に生きる強さ)に、心の豊かさに、 真心の誠実さ、愛、 謙虚に学び続ける、成長を望む心の在り方に、 勝手に健康も美も幸福も平和も豊かさも、 ついてくるのだと、確信している✨ 健康、美、幸福、平和、豊かさとは、 作るものでも買うものでもなく、 愛に生きる者への、 誠実に実践し続けたものへの、 神様からのご褒美なのだ✨ 論より証拠❗ 内面こそ、外側の現象の源泉であり、 内なる神性を映し出した姿が、 現在の私なのだ。 常なるクリーニング、 常なる成長、探求、 愛の実践… 人生とは、自分が思う愛を、喜びを、幸福を創造する場であり、 自分から生まれたものを通して、自己を知る体験の場。 なんと素晴らしい生命の体験✨ さぁ、ないものねだりより、 できないことを嘆くより、 無駄な比較や嫉妬、羨望するより、 自己の素晴らしさを探究しよう❗ 心の響きに素直になろう❗ 豊かな地球に、自然の恩恵に、 喜びの波動で恩返しできるように…✨ 私を磨く砥石となってくれた全ての 苦い体験にも感謝✨ 強さと柔軟さを育て、 私にふさわしくないもの(愛ではないもの)を教えてくれた人々にも感謝✨ そして、そんな逆境にも真心、愛を見失うことなく、 自分を役立てるために努力し続けた私の魂にも感謝✨ 人生の全てに感謝✨ 人生は気付きと学びの宝の山✨ 嘆いてる暇はない❗ 嘆くくらいなら、 しっかり寝て、しっかり体をケアして養い、 しっかり愛(自分)を育てよう❗ さぁ、クリーニングあるのみ❗ クリーニングされた真心が、 全ての宝(健康、美、幸福、平和、豊かさ)の源泉なのですから✨ エゴなんて役に立たない❗ エゴから学ぶことも宝だけど、 痛みはなるべく少ないほうがいい❗ さっさとやり尽くして、 (エゴの欲望も本気でやり尽くして) サラッと手放せるように❗ いつか、なんであんなことにしがみついてたんだろうと笑える日が来るから✨ さぁ、レッツ クリーニング❗
2021.08.06

毎日暑い日が続いてますが、 元気ですか~❓ 自然体パワーを取り戻してから、 汗かくことが大好きになった私は、 夏はナチュハイ(ローフード)が美味しい季節とばかりに、日々の暑さも楽しんでますが、 猫ズは暑~…って、 伸びてます笑 室内履きのい草の草履がお気に入りのハナは(私の足の匂いフェチ(❓)) よくスリスリして枕にしてるので、 履けない…笑 しかしこの草履、本当に快適❗ 昔は自分の足に引っかかってこけるほど、 内股でX脚で体歪みまくりだったのに、 ヨガのおかげでいつしか気付かぬうちに 真っ直ぐスラリとキレイな正常位置に戻ってたので、 草履のおかげではないけれど、 昔ながらのこの草履、 美脚にいいらしいです。 履き心地もサラサラして快適なので、 夏にはオススメです❗ (自然食品のお店で買いました。名前忘れたけど、昔からあるみたい) さて、ますます愛(本質の自己)に近づいていることに喜びを感じる私ですが、 久しぶりに自己啓発の本に出合い、 たまたま同じ名前だったので、 興味を持って読んでみたのですが、 残念ながら、なんだかな~… …でした。 ホオポノポノのヒューレン博士もおっしゃってたけれど、 なんだか最近、大人の幼児化現象に思えてなりません。 〇〇のブランドが似合う私とか、 高級車に乗ってる俺とか、 ゴージャスな家に住んでるイメージとか… それ、本当に必要❓ それらは全然自分とは関係のないもので、 それらを待っていないと自信が持てないのなら、 全然自分に自信が持てたとは言えないでしょう。 もちろん最初の一歩のための火種と知って扱うのなら構わないけれど、 どうもその道でますます自分ではないものばかりの欲に目が眩み、 人前では自信満々の私を演出しながら、 陰では二日酔いやダイエットサプリ、 人前には出せない自分とのギャップを増大しながら、 誤魔化し、偽り、潜在意識にますます嘘の蓄積を重ねていく人たちを見るにつけ、 頭のゴミと幻想に彷徨いながら、 裏側の世界にゴミを押しつけて、 現代人が逃避している現実、 見て見ぬふりのゴミの山に対する無責任な生き方の結末(因果)は、 自分たち、もしくは子供たちの未来なのだと分かってるのかどうか…。 私が幼少期からのネガティブから脱却できたのは、きちんと自身の因果に対する悔悟を済ませたためだと思ってるので、 私の場合は無責任な自己啓発なんて使わなくても、勝手に変われたのだと思う。 母を見ても、祖母を見ても、 周りを見ても、 若いうちは自己都合で過去の嫌なことを見て見ぬふりに、忘れることはできるけど、 年を重ねてから、本人の意思に関係なく、潜在意識に刻まれた思いは必ず出てくるようだ。 そう、誤魔化してなかったことにしたり、 偽って自己都合で勝手にイメージを書き換えることは可能だと思うが、 (望む自分を体験することは可能) 魂の道から外れることはできないのだと私は思っている。 少なくとも、魂の願いは、 ブランド品を持つことでも、 高級車に乗ることでも、 人に羨望されることでもない。 本質の自己を知ること、 体験すること、 そして、成長することなのだから。 外側のもので固めて素敵な自分を演出しても、 中身が変わらなければ、 いつまでたっても幸福は感じられないのだ。 しかも、年を重ねるごとに、 手に入れたものを失うことが恐くなり、 結局自分を知ることさえできないのだ。 これからますます頭でっかちの人が増えて、 嘘つきばかりの、 脳(自分)を騙して生きる人が増えるだろうが、 その結末は認知症や、 自己を受け入れられずに精神疾患、自殺など、結局は自分で自分との信頼関係を遮断しているに過ぎないように思う。 大切なのは、 他人に認められることではなく、 (羨望されることでもなく) 自分で自分を認められることなのだから。 自分で自分を愛せることなのだから。 そもそも、自己啓発や左脳的に 脳を騙して生きてる人を見ると、 美食、ブランドなどを始め、 美容整形、薬、アルコール、タバコ… 全くといっていいほど誤魔化している。 そして、その指導者が若ければ若いほど、 現実の結末を知らない。 もちろん誰も未来は分からないのだけど、 この現実を作っているのは潜在意識の力だけではない。 自然の摂理、宇宙の法則という、 思い込みの力なんかへでもないほどの、 絶対的な法則によって流れているのだ。 自分をコントロールできるという思い込み、 そのものが傲慢なのだ。 そして、傲慢(エゴ)こそが、 病、困難の源泉なのだ。 若いうちはいい。 存分に自分を知るための挑戦して、 失敗して、痛みを知る必要があるのだから。 人は痛みからしか学ばない。 そのために痛み、病、困難はあるのだ。 苦しめるためではなく、 愛を学ぶための、神性なる学び。 自然体から、 自然の摂理から外れれば、 痛みを通してズレてることを教えてくれている。 早めに気付けば、 痛みも少ない。 しかしどうだろう。 多くの人が、薬でごまかし、 演出で偽り、 本来の自分を否定しながら生きているように私には見える。 ヨガを学んでも、 健康を学んでも、 本当に健康な人、幸福な人は見つからなかった。 だから、多くの場合、 何かを成し遂げた人は、 孤独な世界で謙虚に挑戦し続け、 (他人でなく、自分に挑戦し続け) 自分を偽ったりしない。 なぜなら、思い込まなくても、 自分は絶対できるという信頼があるからだ。 そして、そのために不必要なものは 潔く手放すことができるのだ。 (その上、本当の意味で孤独なわけではない。自立しているということ。) 思い込ませようと(脳を騙す)、 自己暗示をかけようとしなければ変われないと思うのは、 本当には困ってないからだ。 本当に必要なもの、 大切なものが分かってないからだ。 つまり、他の誰でもなく、 自分を自分で貶めているのに、 その因果を見ることも、悔悟もないまま、誤魔化し、嘘で塗り固め、 愚痴や不平不満の輪の中から出ようとしていないだけなのだ。 本当は何がしたいのか、 どう生きたいのか、 自分は誰なのかも分からずに、 笑顔のふりしても、 自分は価値があると思い込もうとしても、 潜在意識には届かない。 あれもこれも手放すことなく、 あれもこれも何でも欲しいままでは、 どこまでいっても満足することはできないのだ。 そしてずぅ~っと、 さまよい続けるだけである。 幸福とは、本当の自己を知ることだ。 自分を愛せること、 自分を自分で認められることで、 初めて知る喜びなんだと思う。 自分を偽ること、 演出で誤魔化すことではなく、 (自分を信じてないこと) 本当の自分を知ること、 愛することほどの喜びはないのではなかろうかと私は思っている。 そういう意味で、 改めて気付くのは、 私が散々妬まれてきたのは、 ブログのタイトル通り、 ずっと私は『自分が幸せで在ることに気付いていた』からなんだと。 なにがなくても、 できないことがたくさんあっても、 人に認めてもらえなくても、 ずっと私は自分が幸せで在ることに気付いていた。 だからこそ、 私が幸せになるためではなく、 お役に立てるように、 自分を活かせるように努めてきたし、 地球環境が良くなるように、 世界が平和であるように、 何ができるかを模索して実践しながら、 祈り続けていたのだ。 だから、愛して欲しいと思わなくても愛されてきたし、 金持ちになりたいとが思わなくても、 お金に困ったことすらない。 私の頭の中は、 ひたすら愛と平和なのだから。 自己暗示や潜在意識の使い方をあまりにも人間都合な身勝手に扱うことは、 私は勧めない。 なぜなら、どんなに慕われた人であっても、 どれだけ人を救ったように見えても、 結末はごまかしがきかないからだ。 所詮人間都合な身勝手な生き方は、 魂の願う成長とは違うのだろう。 ユーモアは大事だ。 だけど、自然の摂理に反した分だけ、 痛みも大きくなる。 その結末を覚悟しておく必要があるだろう。 自分のまいた種を刈り取るのは自分でしかない。 そして、大きなことを言う人ほど、 その結末の責任をとろうとしない。 自分の思い描く自分を体験することはできても、その結果の責任まで持てるかどうかを考えておかなければ、 自分ではなくても、 その未来に、子供達に、子孫たちに押しつけてしまうだけなのだから。 子供達が問題なのではなく、 大人たちの無責任が問題なのである。 幸福を知ることは、 自己を知ることだ。 本当の価値とは、 外側で誤魔化したり偽るような、 薄っぺらいものじゃない。 本当の自己を信じるならば、 本当の価値ある自己を愛するならば、 薄っぺらい自己啓発ではなく、 内なる声に耳を傾けること、 自分の力を信じること。 全ての宝は自分の中に在るのだから✨ その原石を磨いて、 耀かせる責任は、 自分なのだから✨ 楽しても楽したなりにしかならない。 自分を薄っぺらい偽物で終わらせるのも、本物の価値を引き出し磨くのも、自分次第❗ 結局はクリーニングあるのみなのだ❗ そして、クリーニングという実践があって初めて分かるのだ。 本物の価値が。 望まなくても、勝手に認められ、 勝手に賞賛され、 勝手に必要なものが分かってくる(手に入る)。 そして、その本物の自分にふさわしい価値が、健康、美、幸福、平和、豊かさという形で、現実として姿を現す。 そう、誤魔化したり、演出したりしなくても、 勝手に私の価値を周りが認め、教えてくれるのだ。 薄っぺらい誤魔化しや演出は、 自分の価値を下げてしまう。 あなたは何を信じますか❓ 本当の自分の力❓ それとも、そんなものはどうせないのだと、楽して誤魔化す❓ 自分の価値を決めるのは、 どちらにせよ、自分なのです❗ レッツ クリーニング✨ Do your Best❗
2021.07.31

ベランダの新入りクールミントとパイナップルミントのお手入れをしながら、 伸びたのを切って、 ついでに古株ローズマリーとタイムも摘んできて、 ミントティーにしようと、 冷やしておいたアイスティー(水出し緑茶とバラの花)に、 蜂蜜に漬けておいたキウイやライチ、 近所の伝統果物ヤマモモが発酵して炭酸水のようになってきたエキスで割って、 気の向くままにアイスティーを創作してたら、 キッチンの流しの上に飾ってる幸ちゃんジャスミンの花がひとつホロリと落ちてきたので、飾ってみました笑 幸ちゃんNice✨ とっても素敵なミントティー完成✨ なんてゴージャス✨ ちなみにライチ、ヤマモモを漬けた蜂蜜シロップもデザートとして食べるときに幸ちゃんが可愛らしく花を添えてくれます✨ 幸ちゃんNice✨ 暑い夏も、 湿気でジトジトする夏も、 みんなのおかげで我が家は愛いっぱい✨ いつも笑わせてくれる彼らに心から感謝を✨ まだこれからが夏本番ですが、 暑さに負けず、 湿気に負けず、 『汝の敵を愛せよ』ごとく、 暑さ、湿気さえ活用して、 たっぷり汗かいて、 美味しくローフード満喫して、 清清しい夏を楽しみましょう✨ いつも心を照らしてくれるお天道様に 感謝を✨✨✨
2021.07.10

梅雨も明けて、 本格的な暑さの前ながら、 エアコンが動きません笑 我が家では、梅雨の室内干しや 夏場の猫ズの留守番用に除湿をかけるくらいしか使ってないせいか、 それとも10年選手だから自然劣化なのか… (多分そう…笑) 悔いはないけど、 今年の夏をどうしよう… 除湿しか使わないし…と電気屋さんに見に行ったら、 意外と除湿専用のエアコンなんてのもあって… まぁ、最適じゃない❗…なんて思うものの、 とりあえずしばらく様子見ることに。 電化製品だからね~、 電気流してあげないと、やっぱり良くないよね~ とか考えてたら、 頭が『一時冷却しよう❗』って。 なんだかんだまだ放置中。 グリーンがたくさんあるし、 換気がいいからか、 ある程度は自然任せで 逞しく育ってくれる猫ズに感謝感謝なのでした💞 冷蔵庫の上のグリーンと戯れる凛々。 相変わらず絵になる💞 ハーちゃんはカメラ向けると(私が近づくと)、すぐ動いて甘えてくるからなかなか撮れない笑 撮った瞬間動いて変顔…即削除❗笑 でも、健康でいてくれることが 一番の姉さん孝行だから、 それでいいのよ~💞 健康の秘訣は、 何と言っても、たっぷりの愛と敬意、 自由の尊重ですね✨ 私は愛たっぷりあるけど(母性強い)けど、 全然ベタベタしないから(帰属意識薄いせいか人間関係もアッサリしてる)、 お気楽なんだと思います。 人にも猫(動物)にも愛される(寄ってくる)のは、 私が私を自然体に自由に生きてるからだろうな~と。 変にベタベタしないから(愛はあるけど依存も執着もない)、 相手から寄ってくるしかない…みたいな笑 (パートナーの場合は、ちと寂しいみたいな…) それが、釣った魚に餌をやらないとか、 豹変するような人を自然と寄せ付けないのかも❗ 私が自然体なら、 相手も自然体でいられるものね。 ただ、その自然体も、 猫ズはともかく、 人間の甘えん坊はちょっと苦手かも。 男の人に多いけど。 外では威厳張って、 家では甘えて拗ねるみたいな…。 心のクリーニングが進むほどに、 もうそんなんも面倒くさくなって、 疲れるなら外で威張らんどけばいいやんって…笑 愛たっぷりなのに、 全然優しくないみたいです、私❗笑 そんな自然体を生きることが、 これまた私の健康の秘訣ですね笑 もう充分悩み尽くして、 もがき尽くして、 手放せた✨ 私の中の悲しみや痛みの記憶、 きりのなかった罪悪感からも解放された✨ そしたら、猫ズも楽になったみたい✨ 虎には随分苦しめちゃったからな~、 手放せ手放せ手放せ❗❗❗ …って、随分訴えて、教えてくれてたのにね、 私が罪悪感という記憶に しがみついてることさえ気付けなかったけど、 虎が先に自分を自由にする道を選んで示してくれたから、 (記憶にしがみついて苦しむ (今を生きてなかった)私と離れて、 お外で暮らす道を選んだ) 私も目が覚めた。 そして、私が目を覚ますタイミングまで 待っててくれたことも理解できた。 お外を散歩しながらも、 ずっと帰ってきてくれたのは、 私のためだったんだと思う。 私の心の準備ができるまで、 待っててくれたんだ。 ずっと見守っててくれたんだ。 だから、虎のおかげで目が覚めた✨ 必要のない罪悪感に しがみついていた自分に❗ そして、それがみんなを苦しめてしまってたことにも。 凛々が時々布団におしっこしてたのも、 私の心を『今ここ』に取り戻すためだったのかもって思う❗ なぜなら、目覚めてから、 しっこ対策のカバーをしなくても、 凛々はちゃんとトイレまで行ってしてくれるようになったから✨ しっこ対策のカバーは、 防水だから、しっこは防げるけど、 汗がすごくて、カバーに水滴ができるほど❗ 汗かしっこか、 どのみち湿気てるやん~って、 モヤモヤしてたけど笑 毎日汗びっしょりも大変ので、 思い切ってカバーも止めたのに、 凛々全然しなくなった✨ 全ては私の心の問題だったのね~、 問題は『今ここ』に生きるための、 気付きなんだもの✨ 凛々のおしっこの問題しか見ていなければ、 解決しない問題にずっと煩悶するっきゃないけど、 虎のおかげでガツンと目が覚めたおかげで、 記憶でなく、 今を生きる覚悟を決めたおかげで、 問題は勝手に解消してた✨ そう、全ては必然❗ そして、あらゆる問題はクリーニング(成長)するチャンス(気付き)なのだ✨ そこに気付けば、 そもそも問題なんてないのだ✨ 失敗も困難も病も痛みも、 全ては成長のため、 クリーニングのため、 記憶(過去)からの自由のためにあるのだから✨ 今ここに、 目の前に引き寄せたことに、 真心尽くして、クリーニングあるのみ✨ ハナも凛々も、 全然心配してないからこそ、 いつも元気でいてくれるのだし、 心配しないで済むのは、 本人の生命(神性)への敬意であり、 信頼なのだ✨ もう本当に、感謝しかできないのだ❗ この世は何と素晴らしき愛に満ちた世界だろう✨ そう見えないのは、 まだまだ記憶(過去への執着、未来への期待)に囚われて、 心の目が曇っているから❗ この世の問題は、 全ては人々の思い、 集合意識が生み出した現象でしかない。 だけど、心の目を開いて見れば、 問題がないのではなく、 (ほとんどの人が記憶に生きてる以上、問題はあるわけだけど) 問題(人々の歪んだ思い)以前に、 素晴らしい愛、光、喜びが溢れてることに気付けるってこと✨ 外側の問題だけ見れば、 人々の思いが恐れに生きている以上 変わらないようにも見ようと思えば見えるけど、 そんなことのせいで、 愛、喜び、光を見ない、 感謝しないなんて、もったいない❗ 愛の目を開けば、 この世は間違いなく愛に満ちている✨ 愛され、守られ、 必要なものは全部与えられているのだと気づく✨ なのに、残念ながら、 多くの人が、 それらのタダで与えられた宝を失ってから気付くのだ。 それがどれほど価値があり、 お金では買えない貴重なものだったのかを…。 気付けばまだいい。 生まれてきたこと、 生きてきたことに意味はあったと思うから。 でも、もっと残念なのは、 その感謝にさえ気付かずに、 嘆き悔やみながら死ぬ人が大勢いるという 現実。 生きることを放棄する(自殺、認知症)人の増加と、その記憶を再び親から子へ、 そして孫へと繋いでいく、 自己の価値に無自覚に生きてる人の何と多いことか… もったいないし、 感謝がないのは傲慢だからだよ❗ 全ては感謝しかないって、 気付くまで、問題は大きくなってく。 だけど、心から愛に降伏する日が、 いつか来るのだ❗ 降伏したときが 幸福の入口なのだ✨ だって、本当にこの世は愛しかないんだもの。 素直になって、 真心を生きよう✨ 過去への執着や 未来への期待ではなく、 今を大事に生きよう❗ そしてやっぱり、 結局はクリーニングしかないのだった笑
2021.06.27
はぁ~、もうますます愛の学びが深まって、 湿気の多い日本の夏さえ 爽やかに感じられるほど、 心のクリーニングが進んでいることに、 日々感謝です✨ (天パーの私は髪がうねる梅雨と湿気の多い夏が嫌いだったのに❗もちろん素髪のままの私は今でもうねりますけども笑。 自分の癖さえ愛が芽生えたのです❗) 長年求めていた健康への執着もすっかり癒えて、 真の健康とは、本質の自己、 生命本来の完全性(輝き)を取り戻すことであり、 自分をありのままに愛することだと 心から納得した次第です。 ありのままとは、 何もしないことでも、 ただのワガママ(偏愛)でもありません。 私として与えられた素材、 自然体の自分をそのままに受け入れ、 その原石を磨いて、 生命を輝かせていくこと、 自己を確立(自覚)していくこと、 そして、その愛すべき自己への執着までも手放し、無限なる愛(宇宙の神聖なるエネルギー)と一体になっていく感覚というか、 とにかくもう愛そのものとして生きている。 そんな感覚があります。 そんな感覚で愛を生きるとき、 健康や美、幸福、平和、豊かさは常に私と一体であり、 私が愛そのものであるので、 存在だけで喜んでくれる人がたくさん集まってくるのです✨ 前から不思議だったけど、 とにかく私は知らない人、 子供~大人まで、よく挨拶されたり、 声をかけられます。 それがますます増えてきました。 自分(愛)を自覚していなかったときは、 不思議だったけど、 今は、みんな愛と触れあいたいんたな~と、心から微笑ましく思います。 挨拶やコミュニケーションは、 気と気の交流ですからね✨ そして、先日バッタリ会った、 久しぶりの友人には、 わざわざ反対の通りから私を見つけて Uターンしてきたらしく、 かつては私のことを面倒くさいとさえ言っていた彼女が、 『今日は多恵に会えたから、運がむいてきた気がする✨』…とまで、喜んでくれたのです笑 ただ会えた、 それだけで喜んでくれるなんて、 何とまぁ、お得な私✨笑 そして彼女は、私がかつてまいていた種を 開花させてくれたことを教えてくれたのです✨ 『あの時多恵が言っていたことが分かってきた』…と。 時間はかかったけれど、 まいた種は、それぞれのタイミングで、 それぞれのふさわしい時期にちゃんと開花するのですね✨ それは良い種も悪い種も同様です。 良い行いは良い未来に繋がってくし、 悪い行いは悪い未来に繋がってく。 因果とは、なんてことはない、 ごくごく当たり前のことなのです。 ただし、この因果の中には、 自分の行いだけではなく、 ご先祖様から代々受け継いできた記憶(遺伝子)のもの、 人類創世記以来の集合意識的なものなど、 私達の頭では理解できないほど複雑な記憶のトラウマ(因果)を抱えているわけですね、私達は。 それは誰ひとりとして、 例外ではありません。 私はわりかし素直に因果の解消(クリーニング)が進んでますが、 それというのも、 母があまりにもあくどい醜い人間の醜態を間近で見せてくれたからに他なりません笑 ああはなりたくない❗❗ …ある意味意地もあって、 力みまくって、 壁にぶつかりまくって、 嫌っていたはずの母と同じような 醜態をさらしながら(怒りの爆発など)、 出し尽くしたおかげで、 いつしか勝手にクリーニングされ、 心の歪みや垢から解放されたのです✨ 親子(家族)は近い種を持つがゆえに、 一番の試練の相手でもあり、 ダイヤモンドの砥石のように、 自己を取り戻す(自覚する)ために磨き合う、 一番ハードな相手なのです。 そして、母は変わらなくとも、 私は変われた。 母は執着し続けても、 私は手放すことを選んだ。 そして、憎むでも、心配するでもなく、 ただ、そのままの母を受け入れ、 母の生き方を尊重することを選んだ。 そして、その呪縛から自分を解放することも、自分に許したのです。 母の責任は母に委ねると。 人は痛みや苦しみを経験しなければ学ばないから。 大切なことは、人の痛みや苦しみをとってあげることではなく、 楽させてあげることでもなく、 自分でその結果を受け入れられるように、 強さを磨き、 また、自分を愛することを学ぶことなのです。 私達は自分を愛する方法を教えられずにきてしまったけれど、 それも今、愛を選んだ人たちの強さや勇気によって、時代は変わりつつあります。 だけど、時代の大きな変わり目は混乱するもの。 まだまだ真実の愛ではなく、 抑圧し続けた歪んだ愛への渇望や発散で、しばらくは混沌とすることでしょう。 変化に耐えられず、 無関心や放棄をする人も増えるでしょうが、 それも全ては愛(本質の自己への信頼)のお試しであり、 どれだけ自分を信頼し、愛を生きることができるかの試練だと私は思うのです。 無関心や放棄は、 自己への不信であり、 自分で自分を見捨てる決断でもあります。 私の父も、どのような思いで死を選んだのかは分かりませんが、 少なくとも、父のおかげで、 私は記憶にない父を神聖化し、 困ったときは父に祈り、 心を見失わずに済みました。 そして、母でなく、 祖母に育ててもらったことで、 生きる強さと生活術を学び、 自律し、自立する勇気を引き出すことができました。 父という頼るべき存在の欠如は、 私を誰とも心を分かち合うことのできない 自己の無自覚と、 長い長い葛藤の苦しみに彷徨わせたけれど、 その過程があって初めて私は 『私』を自覚するまで探求する力、 何か分からないけど求めて止まない何かへの渇望をバネにして、 体当たりして傷つきながらも、 後悔のない道を歩み続けることができたのです。 そう、今は確信を持って言えます。 人生に起こること全ては必然なのだと。 本質の自己、生命の輝き、愛への渇望は、 誰にも止められないのです。 それは、他の誰にも与えることも救うことも癒すこともできないものであり、 自分で見つける(知る)こと、 体験すること、自覚することでのみ、 真の癒し、生命の輝き、愛が発動するのです。 そして、その本質の自己こそが、 健康や美、幸福、平和、豊かさの源泉なわけです。 心のクリーニングとは、 本質の自己、生命の輝き、愛への 抵抗、執着、期待などから生まれる力み、 つまりは怖れがもたらす緊張(歪み、不調和)を癒し、手放すこと。 抵抗のないところにバランスは生まれ、 心の歪み=偏見やトラウマ、しがらみのないクリアなゼロ(愛)の目が開かれたとき、 勝手に生命本来の完全性、調和が生まれ、 本当に勝手に健康や美、幸福、平和、豊かな現実が目の前に姿を現すのです✨ 外側に探すものでも、買う物でも、 作る物でもなく、 誤魔化しても、偽っても、隠しても逃げることのできない真実は、 常に私と共に在り、 私の中に在るのです。 私はそれを、 幸い知識や情報からではなく、 実践を通して学びました。 体験が先で、知識が後、 復習として、 また人に伝える手段として学んだのです。 必要なもの、 大切なことは、 全て私の身体が教え、導いてくれたのです✨ 幼少期からアレルギーの薬漬けだった私は、 薬で自然体の力を抑圧され続けたために、 自己を自覚することがなかなかできず、 いつも心と体が分離した状態。 その体験のおかげで、 薬は生命を輝かせる(生きる)ためのものではないと学び、 自律し、自立することの大切さ、 鍛えることの必要性、 挑戦する勇気も自ずと学び取ったのですから、 決してネガティブな体験は拒否するものではないのです。 生命を輝かせるためには、 多少の毒(刺激)も必要で、 薬同様、 毒をもって毒を制す… どんな毒を、どんな薬を選ぶのか、 その選択は自由意志に委ねられています。 自らの体験という痛みや苦しみを受け入れることで、強さを鍛え、 自律し、自立することで、 真の自由の道を生きるのか、 はたまた、楽を選び、 生命を輝かせるための鍛錬(喜び)を怠り、 せっかくタダで与えてもらった体の世話を怠った結果を他人のせいにして、 愚痴や不平不満でますます歪ませていく人生を生きるのか、 体は心の履歴書です。 心の傷が体に表れるのです。 心の叫びが人生に投影されるのです。 全ては心の鏡です。 鏡に映った痛みや傷を見ないように覆い隠し、誤魔化したとしても、治すことはできません。 心の傷と向き合い、 自らの愛で癒すことでのみ、 前に進めるのです。 ごまかし続ける限り、 心の傷は深まり、垢は溜まり、 いつしか自分への無関心、放棄に発展し、 自分さえ見たくなかった重荷(世話)を誰かに押しつけることになるのです。 自分を愛すること、 自分を鍛え、世話をすること、 生命を輝かせることは、 何よりも自分の人生への、 生命への責任を持つことです。 そして、幸せであることは、 健康で、美しく生命を輝かせることであり、 そもそも最高にエコ(地球に優しい)生き方でもあるのです。 なぜなら、地球を汚すような生き方は、 人にとっても不健康極まりないことなのですから。 目先の快楽や安さ、得することばかりに気をとられると、 本当に必要な生命は輝けません。 その結果が、 年をとれば病気になるとか、 年をとれば不幸になるという思い込みに縛られることになるのです。 年をとったからではなく、 自分を、生命をきちんと愛を持って育ててこなかったツケ(結果)でしかありません。 真実は、愛があるかどうか、 ただそれだけなのです。 健康も、美も、幸福も、平和も、豊かさも、 愛の実践の結果です。 少なくとも、私の人生は知識も何にもなかったときから、 ただ真心に反することができない、 都合よく利用されまくりの不器用だった私が、仕事で喜ばれ、人格を賞賛され、 存在だけで喜ばれるまでに育ったのも、 (心の目が開いてない人には妬まれたり、怖れられることもあるけれど、最近はそんな人は最初から寄ってこなくなりました笑) 全ては自分の真心、愛に真っ直ぐに生きてきたからに過ぎないのです。 最近思うのは、 ここまで真っ直ぐに純粋に生きてこられたのは、 恐らく私の脳はどこかしら発達障害と言われる偏りがあるのではないかということ笑 いや~、今の世の中、 誰もが完全正常な脳の持ち主なんていないと思うので、 みんなどこかしら当てはまるとは思うのだけど、 私の良いところは、 それを嫌がるでもプライドに障るでもなく、 笑って受け入れちゃうところでしょうか笑 ありのままの自分として❗ どんな自分も、 弱点とさえもとことん向き合って格闘してきたからこそ、 それをチャームポイントとして活かし、 …というか、不思議と誉めてもらううちに、 自然と受け入れられるようになったというか…、 私の場合、周りのおかげで、 自分の弱点と思っていたトラウマを克服できたんですね。 私を傷つけ、 ダメダメだと思い込ませたのも周りの人だったけど、 私を認め、私の良さを教えてくれたのも、 周りの人のおかげだったわけです。 私に自信を取り戻させてくれたのは、 みんなの愛の力だったのです✨ そしてそれは、 私の中の愛が育てば育つほどに、 内側と比例して、外側の世界に反映されていったのですね。 私はいつも、外側を変えようとはしませんでした。 いつだって、私の心の中を見つめ続けてきたのです。 いつだって、他の誰かではなく、 私自身を正そうと努力してきたのです。 そして、周りのおかげで記憶の歪み(因果、トラウマ)の解消が進み、 自信を取り戻し、 自分の存在価値(生命の輝き)を自覚すると同時に、 他人の干渉がほとんど気にならなくなりました。 ホオポノポノのクリーニングを始める前に、私の場合、大方の因果の解消は進んでいたのです。 だから、その後はどんどん進み、 もうその流れは止まりません笑。 私の脳が、ネガティブな歪みの思考から、 生命本来の完全性、バランスを取り戻し、 体全体での直感体質というか、 無駄に頭だけに囚われない生き方、 つまりは愛の中の自由、 ホオポノポノで言うところの 偏見(歪み)のない『ゼロ』の境地に在る感覚で生きてます。 そして、その中に在ることのメリットは、 勝手にうまくいくことなのです笑。 私が誰かに求めなくても、 何かを探さなくても、 勝手に必要なものがやってくる。 私は自分の中をクリーニングして、 歪みを整え、ゼロで在るように内観、内省するだけ。 自分の中をクリーニングすると、 自分の身の回りの整理整頓も進み、 勝手に環境も整い、 勝手に心地よい場が整い、 それは、生命にとって居心地が良いと言うことなので、 心地よく生きてるだけで、 勝手に幸運に恵まれるようになるというか、 心の中と同じような環境が外側に現れ、 巡って行く… ただそれだけなんだと思うのです。 欲張らなくても、 勝手に必要なものは与えられる。 それが分かってるから、 やみくもに欲望に振り回されることもなく、 いつも心にゆとりがあるし、 そのゆとりの分だけ、 周りにも愛を配れるわけで(心配ではなく、心配り)、 愛があるから、愛が集まり、 惜しみなく与えるから、 勝手に与えられる。 もう愛の循環しかあり得ません笑。 愛の周りには愛しかないのです。 偏愛ではなく、 真実の愛は、偏見や差別のない、 無条件の愛。 無条件ゆえに、無駄に力みもなく、 無駄に振り回されることもなく、 ただ在る愛なのです。 そして、愛を怖れるものは 最初から寄ってこないのです。 ずる賢い人に利用されることもなく、 (自分に邪心がなければ、相手は勝手に自滅してしまうし、自分にも邪心があれば、騙されたり利用されたりして、自分の中の邪心を浄化するための痛みを経験するでしょう) どんな場に居ても、 知らない相手からも敬意を示され、 大切に扱われます。 かつては私を貶めた家族でさえ、 本人は変われなくても、 私には敬意を示し、 尊重してくれます。 そうしないと、私が会わないからでもありますが笑 (親しき仲にも礼儀あり…は私の信条なので、礼儀のない相手を拒否はしないけど、用がなければ、敢えて会う必要もないので…) 礼儀とは、建前で身を守る手段ではなく、 お互いの神聖なる魂(生命)への敬意であり、愛なのです。 だから、どんなに嫌な相手であっても、 記憶の歪みに囚われた相手であっても、 本質の生命への敬意を私は大事にしています。 なぜなら、それが、無駄なしがらみやカルマを生まないための実践だからです。 クリーニングは知識でも勉強でもなく、 実践です。 ヨガもナチュハイも全ては実践です。 私は全ての学びを実践することで 自分の中の記憶の歪みを正してきたのです。 そしてそれは、心の響きに素直に生きてきただけで、 決して義務的にやってきたわけではありません。 全ては心の響き、 心のメッセージを素直に受け入れ、 真心に反することをしなかっただけなのです。 全ては身体が教えてくれました。 心地よいときは体は緩み、 快適で幸福に浸り、 不快なときは強ばり、力み、凝り固まり、 動きが妨げられたのです。 私はとことん苦しみの中にも身を置き、 自分の中にある得体の知れない罪悪感とも格闘し続けましたが、 それはいつしか無駄なことだと、 身をもって理解できました。 それは、恐らくお釈迦樣が苦行は役に立たないと悟られたのと同じ感覚だと思います。 だけども、苦行を実際に体験したからこその境地であり、 ただ楽ばかりをしていても、 愛でないものを知らなければ、 愛さえも分からないのと同じで、 本当の幸福を知ることもできないだろうと思うのです。 だから、不器用だった私の遠回りな人生に 悔いなどありません。 全てが本質の私、生命の輝き、愛を知るための、体験するための学びであり、 私を賞賛し、認めてくれた人たち以上に、 私を貶め、苦しめた人たちに感謝を感じるからです。 彼らの悪役ぶりには本当に苦しんだけれども、 彼らのおかげで、私は自分という価値を見いだし、自覚するまでに磨き上げることができたのだと思うから。 優しさよりも、 強い愛を感じます。 堅い堅い砥石となって、 磨き上げてくれた人たちに、 心から感謝したい。 そして、どんなに変わらなくても、 自分の体を痛めて生んでくれた母には 感謝しかありません。 生まれてきたこと、 生かされていることへの喜びを感じるからです✨ だからと言って、母の行いの責任を代わりに負うことはできないけれど、 (母の魂の成長を妨げるので) 母に無条件の愛を感じていることに変わりありません。 母がどう生きようが、 ありのままに母を受け入れ、 愛で在るだけです。 母の本質もまた愛で在ることに変わりなく、 その敬意と信頼をもって、 母の人生を尊重し、母にその結果も委ねます。 振り返れば、 私は人の心配ばかりしてました。 お節介ばかりして、 人の成長を妨げていたのです。 それは、つまり、本人の力を信じてないことと同じなのですね。 あなたはひとりじゃ何もできない。 そう言ってるのと同じだったのです。 私が自分を自覚したとき、 周りが私を認めてくれたとき、 私は余計なお節介や心配から、 自立へのサポートに自然と切り替わりました。 障害者の方々の支援の仕事においても、 私の中に彼らを憐れむ思いはなく、 ただどうすれば彼らを活かし、 社会に参加する喜びを引き出してあげられるか、 純粋にその思いを全うしました。 会社側に変化を受け入れる覚悟がなかったことで、 仕事は辞めましたけど、 (現実を見ないで、逃げてる人ばかりなので、いじめている気分になるので💦) 利用者さんたちは、 生きたいのだと、 輝きたいのだという気持ちがハッキリと伝わり、 覚悟を持って生きる私の魂と響き合い、 素晴らしい成長を見せてくれたのは、 思わぬ収穫でした。 ただ、多くの福祉も医療も介護現場も ビジネスの要素が大きく、 本質から大きくかけ離れた現場を実感するほどに、 私の生命を誰にも委ねない、 私が私の生命の責任を持つ覚悟が、 ますます高まり、 ますます愛が深まり、 生命の輝きを、灯火を燃やし続けようと、 気が引き締まり、同時に、無駄な力みを手放すこともできたのです。 力み、緊張は役に立ちませんから。 それに、そもそもの問題は、 自分の生命を他人に委ねる、 責任を放棄した人たちのほうにあるわけですから、やむを得ない問題でもあるのです。 弱者を利用するビジネスは、 お互いの共依存の関係ゆえに、 お互いを疲弊し合い、 うまくいくはずがないのです。 お互いを高め合うためには、 怖れによって繋がる共依存ではなく、 共に高め合い、癒し合い、分かち合う関係、 愛を与え合う関係、 信頼、敬愛の関係こそが、 真に問題をクリーニングに向けて、 互いに浄化するための気付きとなるのです。 全ての問題は、クリーニングのチャンス✨ 結局はいつもながら、 ここに治まるわけです笑 もうクリーニングするしかありません❗ 真心を、愛を、真実を素直に生きましょう✨ それが、真の健康法、美容法、開運法であり、真実の自己を悔いなく生きる、 不戦勝の生き方です✨ 不戦勝❗ 勝手に敵が逃げていく、最強無敵な人生。 それは、自分の中の邪心と自ら向き合い、 自分でクリーニングすること。 自らの弱さ、怖れを克服し、 素直に愛を生きることであり、 気付かなかったけど、 ネガティブだと思い込んでいた私でさえ、 実は最強にポジティブで、 他の誰かを憎むよりも、 自分と向き合うことが、 そんなに勇気がいることだと気付かないほど無心に向き合い続けてきた自分を 今では誇りに思うのです✨ 純粋お馬鹿な私、最強✨…って笑 純粋すぎて、邪心がなさ過ぎて、 誰もが怖れをなして、どう接していいのか分からないらしいけど笑 真に分かち合える人なんて 今のところいないけど、 (本の中にはこんなにも共感できる人が いっぱいいるのに、なかなかリアルに出会えないのは、私の愛が大きすぎるゆえかしら…。所有しない愛、執着のない愛、ただ喜びである自立した愛は、ひとりでも平気になっちゃうからかしら…💦笑。それでも私はやっぱり人が好きなのです。) 私は他者への、動物への、植物への、地球への愛を感じずにはいられないのです✨ もう私の中に愛しかない。 今では出合う本、どれもが宇宙に繋がり、 (全然スピリチュアルな本ではないのに) どの著者も無条件の愛の実践者であり、 体現者であり、この地球に尊敬できる師がたくさんいることに喜びを感じます✨ 40過ぎても、リアルに心に響くことに真っ直ぐに生きていけることに、 喜びを感じます✨ 喜びがある限り、 魂に老化はなく、成長しかないのだと信じられるのです。 人生には成長しかないのだと。 いかなる問題も、病も、困難も、 浄化(クリーニング)のためのメッセージなのだと。 苦しむのではなく、 その感謝に気付きさえすれば、 真実の目は開かれるのだと。 そして、真実の人生こそ、 生命の喜びなのだと✨ 愛と喜びこそ、 生命の糧であり、 健康も、美も、幸福も、平和も豊かさも、 生命の喜びの結果であり、 幸福こそ、真実なのだと。 それは不戦勝という、愛の力なのです。 戦わない強さは、 愛への信頼、 そして、生命への肯定と降伏なのです。 真実への降伏こそ、 絶対の幸福の扉を開くカギであり、 それは小我(エゴ)を越えた、 真我の道を生きる覚悟を決めること。 小我の過程は困難の多い道だけど、 苦しいからこそ、抜け出る力にもなるのです。 とことん苦しみ、 とことん悩み、 味わい尽くした時、 ようやく訪れる手放しのタイミング。 凝り固まった体も心も癒されて、 解放されるとき、 愛に降伏し、愛が発動して、 頭(エゴ)主動の生き方から、 愛が先導する生き方への転換が起こるのです✨ 塞翁が馬。 良いも悪いも、 正しいも間違いも、 本当のところは頭では分からない。 私達は、非難している人たちの力によって支えられてることが往々にしてあり、 見えないところで嫌なことをやってくれる人たちのおかげで、 多くの人は快適で便利な人生を享受できているわけです。 知れば知るほど、 感謝しかできないし、 知れば知るほど、 自分の責任を感じずにはいられません。 そして、もう幸せにしかなれないことを自覚するのです。 神聖なるこの世界の複雑な仕組みを頭で理解することはできないけれど、 何もかもが私を幸せに導くために動いていること、 生命本来の流れとは、 真実とは、幸福であることを実感するばかりです。 ただ、その流れを邪魔してしまうのですね、頭(エゴ)が❗笑 素直に生きましょう❗ 愛を生きましょう❗ 真心を信じましょう❗ 自分も他者も、馴れ合いではなく、 敬愛で繋がりましょう❗ 成長し続けましょう✨ 成長とは義務ではなく、喜びです✨ 生命が輝くこと、 生命を活かすことです✨ 人生を慈しみ、 愛すること、感謝に生きることです✨ そこに、健康も、美も、幸福も、平和も豊かさも在るのです✨ 真実はいつも、私と共に在るのです✨ 自分を見失わないように、 さぁ、いつもクリーニング✨ やっぱり人生はクリーニングのためにあるのですね✨ 結局は同じことしか伝えられないのでした笑
2021.06.24

昔からあるみたいだけど、 先日見かけて、ふと買っちゃいました。 この草履、なかなかいい✨ 私は室内履きとして使ってるのだけど、 ある骨格矯正の先生によると、 草履やビーチサンダルは、 親指と人さし指で挟むことで、 足力を鍛えたり、足のバランスを整えるのに役立ち、 O脚に効果的だとか❗ 私はO脚ではなく、 幼少期は自分の足が絡んでこけるほど、 X脚と内股だったのだけど笑 (心の歪みと内向性を体は物語ってたのね~💦) ヨガや食事、ウォーキングなどで 生き方(思考や習慣)が変わったことで、 自然と正しい姿勢とバランスが身につき、 ただ純粋に健康になりたかっただけで、 全く矯正することなど考えてなかったのに、 いつしか誉められるほど、 真っ直ぐな脚になってたのですね、私の場合。 なので、私の人生、 健康以外に求めたものがないほど、 純粋に健康を求めて止まなかっただけなのに、 実は健康って、全ての健全な人生の基本だったんですね✨ 健康が育てば育つほど、 その他の美や幸福、平和や豊かさも、 勝手に人生に現れて来て、 私の場合、本当にポジティブシンキングとか、 歪んだ潜在意識の活用(支配的、無理矢理な思い込みの強制的なもの)なんて一切なく、 ただただ純粋に健康な体が欲しかった。 だからこそ、そうでない上辺だけを誤魔化したり偽るようなやり方には興味がなかったし、 これは変われる✨…って心に響くものには、 損得勘定や、忙しいとかお金がないから無理なんて断念することもなく、 とかく夢中で無心にのめり込むほど、 心尽くしてやってみた。 たとえそれが失敗だとしても、 これではうまくいかない、 何が間違ってたのかな~と内省し、 知らず知らずに自己探求してたんですね。 私は一切知識に囚われることなく、 知識に満足することなく、 どうしたらうまくいくか、 つまり、自分が納得できるかだけを求めてたんだと思います。 誰かに誉められようが、 羨ましがられようが、 私自身が納得できるものでなければ、 喜びは感じない。 知らなかったけど、 私はアスリートや研究家、冒険家のような思考の持ち主だったらしい笑 プロほど欲やこだわりや執着は強くないので、 そこそこ行くと、満足するのだけど、 一般人からすれば、ストイックに見られ、 プロからすると、甘い(欲がない)と見られ…笑 まさに私は元から中庸な性質だったらしい。 私がワンネスを自然と生きてるのも、 地球全体を動物や植物の目線で見て 人生の選択をしてきたのも、 どうやら私は、赤ちゃんや植物などが放つ癒しの振動数、テラヘルツ(地球の振動数)に近い振動数で生きているらしい。 (だから人が癒されに集まって来やすいのね~。結構都合良く利用されて、迷惑なほどだったけども笑) それに対して無自覚だったからこそ、 周囲の雑音に振り回されてしまったけれど、 自己の自覚が出てきたら、 まぁいいか…と、 清濁併せのむ寛容さの器も育ってきて、 かと言って諦めとか鈍感というでもなく、 私にとっては成長こそ喜びだから、 ますます自己探求や未知の世界のほうへ、 古き知恵から学び、新しきに活かす(生かす)知恵の発見に喜びを感じる日々なのです✨ まぁいいか…は、 他者の問題に対して、 本人がいいのなら、まぁいいかってことで、 以前なら可哀想、気の毒…と、 自分のフィルターを通して見た、 勝手な思い込みからの行動、 何かしら余計なお節介やお世話ばかりしていたところを、 本人の成長に必要な過程と見ることができるようになったことで、 聞かれれば教えてあげたり、 無視することはないけれど、 人生経験から、 人は楽したがる生き物だと学んだので、 やらない人のお世話はもうしないし、 むやみな同情も協調もしない。 あくまでも原因あっての結果だと、 本人が受け止めない限り、 何してあげても変わらないから❗ かと言って、 私自身の学びにおいてはとことん満足するまでやり尽くすのが、私流であり、 あくまでも実践哲学派なので、 (中村天風さんとか宮本武蔵とか、 そんな人たちの言葉に心が響くのも、 みんな何事にも囚われのない自由な心からの実践哲学を、そして自己の成長の喜びを貫いた人たちだからだったのね~としごく納得❗やっぱり女にしては強すぎる魂みたい笑。家事も好きだし、意外と素朴で可愛らしい性格なんだけどな~笑。突如宮本武蔵な私が現れられて、怖がらせてしまうこと度々だったけど、やっと自覚して少し成長感じてます笑) プロほどのこだわりや欲望、執着とは違うから、 一見ストイックに見られても、 私としては楽しんで挑戦してるだけで、 本当に真理にしか興味ないみたいな笑 だけど、少しずつ視野が広がって、 それもそれ、 これもこれって、 楽しめるようにもなってきたかな。 ただ、健康害してまでは乗っからないから、 私の場合、健康との繋がりはもう絶対的なものなのね。 それだけ幼少期から苦しんできたのだもの。 もう戻りたくはないからね。 だけど、最近思うのは、 ずっと私は人とは真逆なのだと思い込んでたけど、 実は私、かなり先見の明があって、 特にアメリカから入ってくる健康情報って、 日本に入ってくる時にはかなり遅れてるとも言われてたけど、 私はとっくにやってたりすることだったりして、 調べなくても、私の身体は知っている感覚で、 体に従った結果だったのですね。 つまりは、不健康な人が多かったアメリカでは、 健康意識の差も激しくて、 不健康な国だったからこそ、 健康意識も向上したわけですよね。 医療費も高く、 結局不健康であることは、自分が辛い。 そして、不健康であれば、幸福も豊かさも手に入れられないことを知っているからこそ、気づいた人から幸福なる人生(自己)の ために、自己の自律、自立を育て、 自由のために健康を育む精神的な強さを磨いてきたのだと思うのです。 まさしく私の人生も同じで、 不健康から始まったおかげで、 自らの人生を好転することができたのだから、 人生とは塞翁が馬❗ 良いも悪いも囚われず、 自分がどう在りたいのか、 どんな世界を生きたいのか、 きちんと自分と向き合って生きていれば、 人生うまくいくしかないのだと本気で思ってます❗ 失敗すら成長の糧ですよ✨ うまくいかない方法が分かっただけ。 じゃあこうしてみよう、 こうしたらもっと良くなるかな❓ …人生、無心の向上心こそ、 生命本来の完全なるバランス、 本当の健康、美、幸福、平和、豊かさという人生の輝かしい宝を得る生き方であり、 在り方なのだと思うのです。 少なくとも、私は一切の知識に囚われて、 自分を強制することはなかった。 うまくいくのならやってみようと、 とことん満足するまでやり尽くすけども、 (ここらへんはストイックに見られても仕方ないのだけど、 私としては、その結果どうなるのか知りたいだけなんですよね笑 とことんやってみないと分からないから。) これではうまくいかないと分かれば、 かけた時間もお金も惜しむことなく、 手放すことさえできる。 誰かに従って自分を見失うこともなく、 かと言って、自分だけに固執したり、 自己保身することもなく、 思いの限りやり尽くすけども、 間違いだったと分かれば、 素直に謝ることも反省することもできる。 そんな素直さが、 気は強いけども、愛されてきた理由かもしれない。 全ては心の投影だと、本気で思う。 なぜなら、過去の体験、 そして他者からの学びにおいても、 ほぼ100%確信があるからだ。 心をクリーニングせずに、 真心を生きることなく、 うまくいく道など絶対にあり得ない。 自分を偽って生きても、 お金は稼ぐことができる。 豊かな物質は手に入るだろう。 だけども、偽りの人生の結末は決してよろしくはないのだと、 見た限りでは、100%思うのだ。 そして、本当に大切なものに気づくために、 偽れば偽るほど、 年を重ねれば重ねるほど (偽りの時間が長いほど)、 痛みは深く大きく、果てしない。 偽りの結果に得たものと同等に 大きな痛みを負うことになるのだろう。 何が得で何が損かは、 私達の頭では分からない。 少なくとも、 何度も言うけど、 私は一切の要求を他者にも神にもすることなく、 自分に求めてきただけなのだ。 なぜなら、自分というものが分からなかったから。 欲望も何も、 自分が何のために生きているのか知りたかった。 だから、自分だけでも認められるようになりたい、 自分だけでも愛せるようになりたいと、 できない自分と向き合い続けたのだ。 その結果、勝手に賞賛され、 美しいと誉められ、認められるようになっただけなのだ。 決して私が求めたのではない。 だけども、私達は自分を扱うように他者や物を扱い、 そして同じように扱われるというのも、また真理なのだ。 私は自然と自分の健康を育ててきたことで、 自分を大切に扱う術を学び、 自分を育てることの喜びを知り、 自分という存在価値を自覚する(自分を認める)に至ったのだ。 その結果、周りも大切に扱い(敬愛)、 対話して理解し合うことを努め、 決して差別や偏見で誰かを貶めることはしなかった。 さらにその結果、 私も大切に扱われ(敬われ)、 力になりたいと支えてくれる人が現れ、 いつも穏やかな場が育っていくのだろう。 もちろん、完璧ではないし、 完璧なんて求めてもない。 ただ、今目の前のことを大切に、 より良いことに意識をフォーカスして、 自分にできることをただやっているだけなのだ。 決して難しいことでも、 複雑でもない。 真理はいつだってシンプル。 人の思いが複雑に歪ませてしまうだけなのだから。 そして、うまくいく場と うまくいっていない場では、 明らかに原因があるのだ。 うまくいく場は、 ひとりひとりが自立して、 対話ができている。 みんなで同じ方向を向いて力の均衡がとれている。 うまくいかない場では、 それができていない。 ただそれだけである。 本音と建て前だけで、 表面ばかりを力で貫いているから、 全くもって調和がとれていない。 ひとりひとりがお金のためだけの集まりであり、 記憶に歪んだ、喜びを伴わない義務で縛り合っている。 そんなところに喜びは生まれない。 生命は、愛は、豊かさは、 喜びあるところに生まれるもの✨ 力ではなく、思いやりであり、 ひとりひとりの自律と自立、責任なのだ。 本音と建て前だけでは絶対にうまくいかない。 問題は起こり続けるだろう。 だけども、そんな問題さえも、 生命本来の完全性の流れの中のひとつに過ぎない。 問題は気づきである。 浄化すべき記憶を教えてくれているだけなのだ。 クリーニングして、 記憶に囚われないゼロの、 ありのままの、愛の目で見ること。 その中で得た、良くなるための直感に従うこと。 力でなく、内なる声を信じること。 自分の力、存在価値を信じて、磨くこと。 私達は誰もがダイヤモンドの原石を与えられている。 だけども、磨かなければ、ただの石ころ。 磨いてない自分(原因)を見ずに、 他人を責めても何にも変わらない。 いや、どんどん石ころ(自分)を傷つけ、貶め、ボロボロに汚し、心は欠けていくことだろう。 私達は痛み(怖れの記憶)から学ばなければいけない。 見て見ぬふりをしたところで、 誤魔化し、偽り、表面上はうまく見せたところで、 晩年、無視し続けた痛みは、 必ずや深く大きな痛みとなって、 気づかせるために何度もメッセージを伝え続けるだろう。 なぜなら、私達の魂(生命)は、 成長したいからです。 怖れを癒し、 怖れを越えて、 本質の自己、生命の輝き、愛そのものを 喜びから体験したい、真実を生きたいからです。 その渇望から逃げることはできないのです。 私達は今、怖れと向き合い、 自ら癒し、受け入れ、慈しみの心で、 自らに刻まれた歪んだ記憶を昇華させるときにいる。 ひとりひとりが自分と向き合う大切な時を生きている。 愛とは在るもの。 そして育むもの。 健康も美も幸福も平和も豊かさも、 全ては健康な心、真心がもたらす 真実の幸福なる姿(生命本来の完全性の流れ)に過ぎないのです。 一時も留まることなく、 常に流れ続ける自然な流れの中で、 生きることを、人生そのものを慈しみ、 愛して、喜びを素直に生きましょう✨ 人生を、自分を愛するほどに、 他者やあらゆる生命への敬愛も自ずと開花して、 ひとりひとりが真実の愛を生きることこそ、 この世界の真実の平和、幸福、豊かな姿を見ることに繋がるのです✨ 理屈ではなく、 素直な真心、 まずは心の歪み、 真実の私ではない記憶をクリーニングしましょう✨ クリーニングして、心の瞳を開きましょう✨ 愛は今ここに、 そして全ての中に在るのですから✨ 私達は幸福を、 真実を生きる喜びを取り戻すチャンスを与えられています✨ どうぞ幸福を素直に受け取りましょう✨ 素直が一番です✨ (でも、まだまだ多くの場合、見えているものは記憶の歪んだフィルターだと思うので、偽りの快楽や自己愛に陥らないよう クリーニングは必須ですよ~笑✨)
2021.06.10

毎年恒例の幸太郎ジャスミン🌼 本日ついに一番花が咲いてた~✨ 姉さん(私)思いの心優しい幸太郎からの贈り物に、毎年心和みます✨ 最近ますます本質の自己に死などないのだと実感するばかり。 肉体(姿)は変われども、 本質である生命の輝きは失われることなどないのだから。 今の家に住んで、もう10年を越え、 その間に色々な出会い、別れ、 様々な悲しみ、怒り、苦しみ、葛藤もあったけど、 今は神聖な場所と言われるどんな神社にも劣らないほどのイヤシロチ(生命が輝く場所)だと思ってる。 私の葛藤が生み出した、 黄菜しろや幸太郎、金ちゃんを失った悲しみは同等だったんだと思うし、 猫白血病ウィルスキャリアだとしても、 猫風邪すらなく、何の問題もない今の日常(今の私の心の状態)も同等なんだと自信を持って言える。 私の心さえしっかり責任を持ってクリーニングしていけば、 何が起ころうともビクビクすることなく、 ありのままに見て、 ありのままに受け入れて、 クリーニングするだけだから❗ 今の私にはほぼほぼ怖れなんてない。 気づきがあるだけ。 問題という認識すらない。 不快なことが起こっても、 クリーニングして、 また一つ記憶の整理ができた(成長できた)とますます身軽に軽快にゼロ(囚われのない、真実の愛のエネルギーのような感覚)に近づいていくだけ✨ 確かに世間並みの楽しみ(物理的な快楽)にすら囚われない私の心は、 もう誰かに楽しませてもらうような域を超えてるから、普通に見れば楽しくない人生のように思えるかもしれない。 ところがどっこい笑 私の心は何がなくてもすでに絶対の幸福に居る。 もう幸福でしかいられない世界を生きている。 私は女性だからか、 お釈迦樣のような道のりを歩いてきたようで(全然人が言うほどストイックではないのだけど)、 喜びという感性は自然と大事にしていて、 無意識だったけど、 常に感性(直感)に従って生きてきたのだ。 生きる喜び… 生命の輝く心地良さに、 私は絶大なる信頼をもっていたし(無自覚だったけれど)、 たとえ人と違っても、 心がNO❗と言うこと、 真心に反することは、非常に不快感を感じたために、孤立しても真心に従う道を選んできた。 だから、ホオポノポノに3度目の再開を果たし、 内なる神のお導きだと察して、 ようやくクリーニングを始めた時には(まだ2~3年かな❓)、 あんまり記憶のゴミすら溜まってなかったらしい笑 もう随分と素直に怒りも悲しみもその場で吐き出してきたからね、 何も分からなかった子供の頃のように 抑圧して苦しんでも、 なんの解決にもならなかった経験が、 私に即解決への道を導き、 向き合おうとしない社会にすら、 求めず、無駄な期待すら手放して、 我が成長の道を素直に歩んできたのだから、当然と言えば当然か。 色んな精神世界や潜在意識の更改法、自己改革法など見てきたけれど、 つまりは、素直に生きる以外にないのだと確信した笑 私がこんなにスッキリと年を重ねていけるのは、 ただ単に素直に生きてきたからに過ぎないのだと。 誤魔化したり、偽ったり、 プライドを守ったりという自己保身に、 私の心はなぜか反応しなかった。 幸か不幸か、元からネジが一本抜けていたのかもしれない。 その純粋お馬鹿ゆえに、 たくさん都合良く振り回され、 利用されても来たけれど、 おかげで、人間が潜在的に持つ怖れを見ることができたし、 そうやって私の上に立とうと、 自分の保身のために、 私を貶める人たちの中の怖れを 自然と見抜く目を持っていたせいか、 人の愚かさに悲しかったけど、 私は決して憎むことはしなかった。 …というか、役に立たないことをなぜだか知っていたからしなかっただけなんだけど。 今になって思うのは、 純粋そのまんまに生きてきたから、 (…と思われてるけど、自分では不器用なバカ正直なだけで、純粋という感覚はなかったんだけど、あまりにも純粋だと言われるから、そう思うようになった笑。) たくさん傷ついてきたけど、 それは私が自分のその純粋性という素晴らしい宝に気づいてなかったからなんだと思う。 つまり、私という素晴らしい宝(存在価値)に気づかせるために起こったことなんだと思うし、 現実的に考えれば、 誰もが羨むほど欲しい宝だったからこそ、 妬み、貶め、いじめの対象にさえなってしまったんだと思う。 みんな素直じゃない自分ではなく、 心の鏡として他人に心を投影し、 自分が抑圧してきたもの(素直に生きたい本当の自分)を 私に投影しては、嫉妬心が湧き上がるのではないかな~と。 これはもう、恋愛感情とか抜きにして、 男も女も、誰もがそんなんだと思う。 男女の関係の場合は、 ついつい恋愛感情で捉えがちだけど、 本当は恋愛感情なんてまやかしで、 自己愛を成就させたい、 小我(エゴ)のちっぽけな欲望でしかないと思うし、 そんな経験(たくさんの失敗)を通して、 人は本当に大切なもの(真我)に近づいていく=クリーニングすることこそ、 人生の醍醐味(生きる意味)なんだと、 今はしみじみそう感じてます。 凛やハナが元気でいてくれるのも、 こんなに適当で奔放な私なのに、 幸太郎ジャスミンが毎年花をたくさん咲かせてくれるのも、 全てはお馬鹿だけど、純粋に生きること、 生命が輝くことを喜びとして、 常に感謝いっぱいに生きている、 素直な心の投影なんだと思うのです。 幼少期からのネガティブな記憶さえ、 今は笑い話で、 私がネガティブなんじゃなくて、 ただ周りに、生きる喜びを素直に生きている大人がいなかっただけだったんだと笑 自分(輝く生命)でないものばかり見せられてたから、苦しかったんだと。 自分のことを見失ってしまったんだと…。 子供だから、分からなかったんだ。 しかも、他の子のように、 反抗したり、八つ当たり(弱いものいじめ)して自己保身する心(記憶)すらなかった私は、簡単に周りの餌食になってしまっていたけど、 それでも私の真我は、 長い眠りから目覚めるのを待っててくれた。 大学卒業と同時に家を出るように導かれ、 (私が望んだのではなく、怠慢な姉が安易に口にしたことの結果の後始末として突然だったけど(いとこは姉とルームシェアする予定だったのに、いざ準備が整ったとき、姉は約束してないと言い出したらしい。私は何も知らず、アメリカへの卒業旅行の直前に打診され、帰国後即引越だった))、 今では良い経験させてもらったと思うし、 自立を促されていたんだと確信している。 自分の責任を見ようとしなかった姉は、 いまだに幸せを掴めずにいるのも、 ずる賢い頭を自ら育ててしまったゆえの必然であり、 それは幸せに気付けずにいる、 あらゆる人の中に見るずる賢さなのだ。 なぜなら、幸せとは、 そもそも自然本来の流れであり、 決して作る物でも、買う物でも、 外に探すものでも、人に見せつけるものでもないからだ。 つまり、幸せに気付けないこと自体が、 与えられている幸せに気づかない、 もしくはそんなんじゃ嫌だと拒否していることであり、 感謝のない傲慢な生き方ゆえに、 どこまで彷徨っても見つけることができない不幸な人生を『自ら選んで生きている』 というだけなのだと私には見えるのです。 つまり、私はどんな状況の中にも学びと喜びを見いだしてきた、 素直な生き方が、 素直な脳を育て、 素直な人柄を育て、 ないものねだりをしない私は、 あるものを活かして楽しむ(成長に変える)知恵を育ててきたことで、 決して困ることのない、 喜びを自ら生み出す幸せな脳(心)を知らず知らずに得ていたのですね笑 こんなに素晴らしい宝はないのではないかと思うほど、 私には人生が幸福に満ちて、 感謝でしかないのです。 それゆえにみんなにも幸せでいて欲しいと願ったけれど、 願えば願うほど、 人々のずる賢さや依存、執着を引き出すばかりだったので、 安易な優しさは人の成長を妨げるのだと学びました。 私自身、幼少期からのネガティブを越えたおかげで、成長の喜びに気付けたわけですから、 喜びとは成長なんだと思うし、 それが分かってるだけに、 楽してずるする人たちの結果の後始末を代わってあげることは、 何よりも彼らのためにならないことを痛感してきたからです。 成長が遅くなるだけ、 痛みも大きくなってしまうから。 だから私は、 もう同情もむやみな協調や期待もない。 ただ、私は幸せだ。 それだけなのです。 理屈なんて要らない。 幸せだから幸せで、 いちいち複雑に考えたり、 大袈裟に悩んでくよくよしたり、 人のジャッジばかりしても何の得にもならないし、 役にも立たないことはしない。 ただそれだけ。 幸せは今ここに、 愛はこんなにも満ちているのに、 多くの人は気づこうともしない。 もちろん感謝もしない。 それじゃあ、どこまでいこうが、 どこを探しても、見つからないはずですよ。 なんせ、幸せと感じる脳を育ててないのですから笑 私は幼少期からネガティブだったけど、 周りの大人達の影響だけでなく、 全身のアレルギーによる薬漬けだったことも大きな原因だったと思ってます。 アレルギーの薬なんて、 抑圧するやつだからね、 私も子供らしい生きる喜び(生命力)を抑圧されちゃってたわけね。 でもそのおかげで、 薬も医療も生命を生かす(助ける)ためのものではないと学んだのです。 生命の輝きに薬なんて必要ない。 現代人の問題は 現実からの逃避のための薬の乱用が、 自らの生理を乱し、 本来の生命の輝きを妨げるという、 安易な楽(快楽)への依存によって、 年齢を重ねるほどに複雑に重たくしていく世界を生み出してしまったのですね。 真理はとてもシンプルだけど、 自然の多様性の中で、共存共栄していくためには、それなりに自分を鍛える必要があるのに、 そこはないがしろにして、 経済効率しか求めてこなかった国の政策が、自らの国を貶める結果に、 愛国心のない、病んだ人々の彷徨う国にまで貶めてしまったという、 自業自得な結果ではあるけれど、 それでも私はこの国が好きだ。 文化的な国というより、 この場が好きだ。 四季があり、穏やかで神聖な気を発するこの国が、年を重ねるほどに愛おしくなる。 神社もお寺もあらゆる神様も、 何かをお願いすることは、 私には必要ないけれど、 こんなに心満たされて生きていけることに、 感謝できる場や目の前のご縁に、 いつだって素直に感謝を伝えたい。 それが喜びだから✨ だから私は、買い物しても、 お店の人よりも先にありがとうと言ってしまったりする笑 なぜなら、私にはお客という感覚がなくて、 私の人生に喜びや快適さを与えてくれてありがとう✨…だからだ。 感謝されたいなどという思いはそもそもない。 ネガティブだった私には、 人に認めてもらいたいなんて承認欲求すらなかったから。 そんなネガティブな小我を越えた後も、 そのまんま素直に感謝が溢れてくるだけである。 こう考えると、 人生の始まりはネガティブだったけども、 その経験のおかげでたくさんの学びがあり、成長して、生きる喜びまで繋がったのだから、 これはもうまさしく『塞翁が馬』である。 いちいち一喜一憂するより、 役立つことを考えたほうがいい。 つまりは、複雑に見せかけられた世の中に悩み、彷徨いながらも、 私が辿り着いた答は、やっぱり素直が一番✨である❗笑 そして、何事もシンプルこそ真実である❗ 複雑に大脳を育ててきたゆえに、 複雑に考えてしまうこと自体が不幸なのだ。 確かに複雑なことが素晴らしいことのように思えるけれど、 私は大概、だから…❓である。 そんなことを知るために、 そこまでお金も労力も犠牲までも生んでしなければ分からないの❓…である。 つまり、純粋お馬鹿な私から見ても、 現代人はかなり… 口は悪いが阿呆だと思う笑 だけども、そこまでしてお馬鹿な失敗いっぱいして、 やっと最期に気づくのだろう。 それもまた、人生の意味なのかもしれないし、 それぞれの生きる課題なのだろう。 地球や動物たちの声なき痛みを感じる私には、何ともいたたまれないけれども、 人は痛みを通してしか、 失った後でしか、 本当に大切なものに気付けない未熟な生き物なのだ。 私も散々彷徨ったおかげできづけたのだし、 そういう意味では悩むこと、苦しむことは、大いに大切な学びなのだ。 だから思う。 真実はシンプルだけども、 (頑張る必要なんてないほど愛に満ちている=幸福こそ生命本来の流れである❗) 大いに思いの丈を尽くして頑張れ❗…と。 頑張り尽くした先にしか答はない。 楽してずるしても、楽したようにしかならないし、ずるした分も必ず同等の結果を自ら受けることになるだけなのだ。 私は幸い楽してずるすることに頭が働かなかったけれど、 (だって成長したいわけだから笑) 私を利用してきた人を見る限りでは、 また、世の中で不幸ぶってる人を見る限りでは、 決して間違いはないと100%確信する。 必ず問題と思えることには原因があるのだ。 原因を見ずに、 楽して薬や外側の価値で誤魔化してみたところで、 本質の自己が成長するわけではない。 つまり、結果は変わらない。 何度も言うけど、成長こそ喜びなのだ✨ 成長のない人生に、長く生きても幸せなどこない。 幸せを感じる脳を、体を、心を育ててないからだ。 この世の仕組みは、至極シンプルで、 現実という結果は、楽してずるしたい多くの人々の思い(歪み)から生まれた当然の結果でしかないのだ。 複雑にして大切なことに気づかないよう、誤魔化されているからこそ、 自分で心の目を養わなければならない。 さぁ、クリーニングしましょう✨ クリーニングこそ、真の健康、美、幸福、平和、豊かさへの扉を開く鍵なのです❗ シンプルだけど、 それゆえに気づきにくい。 近道などないし、 誰も与えてはくれない。 幸福を生きるためには、 自律、自立、そして、幸福を生きる覚悟(自分の人生に対する責任)を持つこと❗ 楽すればするだけ、遠回り❗ 愚痴ったり、不平不満なんて言ってる時間なんてない❗ そんなことに時間使うなら、しっかり寝よう❗ 心と体をしっかり労ろう❗ 私達は間違いなく、 幸福(愛)を生きるために生まれてきたのだから✨ そう私の生命は伝えてくる。 輝く生命(人生)を味わえと❗ 生きることそのものを慈しみ、愛せよと❗ 私はやはり、愛そのものなのだと✨ そして、誰の中にも、必ず在るのだと。 だから、役に立たないことには無理して付き合わないけど、あらゆる生命への敬意は忘れない。 いつかきっと気づくから。 本当に大切なものに。 それに、私が言わなくても、 本当は本人がが一番分かってるのだとも、 感じてるから。 ただ怖いだけ。 まだ殻から抜け出す覚悟がないだけ。 人それぞれのタイミングがあるからね。 さぁ、みんなでゴーイング マイウェイ✨ もちろん、成長のためにね❗ 迷惑かけまくりの自己愛は嫌われるから要注意ね❗(嫌われるってのは内なる神様に❗つまりは自業自得な結果しか来ないよってこと❗) 成長こそ、喜びなのだ✨
2021.06.08

雲ひとつない晴天は気持ちいい✨ 洗濯物を干してたら、 猫ズも日光浴✨ ちゃんと体の声に従ってるから、 年齢を重ねても、 健康で美しくいてくれるのね✨ 生命の輝きを、 美しさを、いつも間近で示してくれてありがとう✨ そして、私達にいつも恩恵を与えてくれるお天道様に感謝✨
2021.05.06

ちょっと目を離すと、 お皿ナメナメ… まぁ、食べ終えた後だから良いのだけど、 時々下ごしらえ中のものをふとした油断で やられちゃうことも…💦 はい、猫ズは相変わらず元気モリモリ、 食慾旺盛です✨ 飼い主に似るとはよく言うもので… 責められません💦笑 ふたりともよく土の上でアースして、 自主充電してくれるので、 私はご飯作るくらいで、 本当に手のかからない親孝行者✨ 食事となでなでの催促だけは 朝晩満たされるまでしつこいですけど笑 甘えながらも、実は私をアースしてくれて、 癒してくれてるように思うのです🌹✨ 子育ては親育てと言いますが、 私は黄菜しろから始まった、 種の違いはあれども、 生命を慈しむ時間をいただけたことが、 どれだけ私の心の垢を清め、 洗い流してくれたことでしょう。 ホオポノポノなど知る前から、 すでにクリーニングに導かれていたこと、 そのために彼らは私の元に遣わされた天使なのだとしみじみ思うのです✨ ヒューレン博士が人生はクリーニングのチャンス✨ クリーニングのために生まれてきたとおっしゃるように、 私の44年の人生を振り返って思うのは、 まさに、問題のおかげでクリーニングすることができたということです。 つまり、記憶の囚人として無益に生きるのではなく、 問題のおかげで、 とことん苦しみ尽くしたおかげで、 その負のループから抜ける覚悟を持てたこと、 誰のせいにもせず、 因果の責任を100%負うことで、 自分を成長させ、 本質の私の価値、 愛そのものであることを体感を通して、 また、他者の賞賛を通して知ることができたことは、 この上ない喜びであり、 比べようもない、 理屈の要らない喜び、 仏教で言うところの 絶対の幸福の境地なのだと思うのです✨ だからと言って、もう満足…と 人生の学びが終わるわけではありません。 …と言うより、ここからが本質の私として、 真我として生きる、本当の人生の始まりなのだと感じています✨ 誰のためでもなく、 誰かを助けるためでもなく、 あくまでも私の成長のためであり、 私の成長を通して、 共に高め合い、 癒し合い、助け合い、分かち合う、 光の仕事に専念できることは、 何と幸せなことでしょう✨ 実は先日、町内会の集まりがありました。 今年度の隣組長の順番が回ってきたので、 初めて参加したのですが、 改めて成長を感じた出来事でした。 …と言うのも、参加されてる皆さん、 まぁ、険しいお顔に、険しい言葉、態度… もしくは無関心… そんな初めて参加する慣れない場の中、 あの敏感体質だった私が少しも心乱れるでもなく、 えらく落ち着いていて、 しかも質疑に参加までしちゃいました❗ 内容は確認のためで、 全然大したことじゃないんですけどね、 ところが面白い反応が見れたのです。 質問される方、 これまた文句たらたらな、 お客様ずらな横柄な態度満載だったのですが、 私は構わず平然として、 確認させていただくお願いの前置きを一言置いた上で、 私的にはいつものように、 魂への敬意と感謝を示した言葉で質問させていただいたところ、 驚くほど場の空気が和らぎ、 自治会側のピリピリ感が一掃して、 笑顔で応答していただけたのです✨ 言葉が持つ影響力の凄まじさを 改めて実感しました。 どんな状況であっても、 魂への敬意は私にはもうごく当然なことなので、 何の期待もしてないわけですが、 因果の責任と覚悟を持ち、 自己改革をしてきた私が大切に扱われる理由は、 この私の期待のなさが重要ポイントのように感じてます。 つまり、相手をコントロールしようという欲が一切ないのです。 そのため、安心感を与えるのかもしれません。 まぁ、本当に何も期待など考えずに、 純粋に質問するだけで良いわけです。 昔の私だったら、 参加したくないな~、 面倒くさいな~と嫌々参加する心の内が、 顔に表れていたことでしょう。 でも、よくよく考えてみたら、 誰だって好き好んで参加してるわけではなく、 それでもより住み心地のよい町内を構築していくためのコミュニティなだけなんですよね。 参加してやってるわけでも、 参加していただいてると、 無理して謙る必要もなく、 単に、お互いのための調和のための話し合いの場なだけ❗ それをその場を貶めるような嫌々顔で 参加すること自体が、 自らに不調和をもたらし、 その不調和が引き寄せるのは、 苦しみや痛みという問題の山でしかないわけです。 つまり、自分を苦しめているのは 自分でしかない❗…というわけ❗ 心の貧しさ、卑しさ、飢えがもたらす人生が、偶然幸せに変わるなんてことはあり得ないのです❗ 幸せな人生を送る人は、 幸せを生み出す努力と工夫で、 自ら建設的な人生を選択しているに過ぎません。 同様に、不幸な人生を送る人の共通点は、 過去の私も含め、幸せを生きる工夫も努力もせずに、ただ嘆いているに過ぎないのです。 あれほどネガティブしか知らなかった私の人生が180度好転したのは、 スピリチュアルなんて全然知らなかったおかげで、 純粋に脆弱だった心と体を地道に鍛えることを選び、努力し続けたからだと思うのです。 そして、正直者は馬鹿を見ると言われるとおり、 私のひたむきな純粋性は、 残酷なまでにずる賢い人たちによって利用され、振り回されてきました。 それでも純粋お馬鹿な私は、 どうして❓ なぜここまで人間は醜くなれるのだろう❓…と、悲しみに打ちひしがれながらも、決して憎むことはなく、 ひたすら自分の心と向き合い続けてきたのです。 だけどね、180度好転した今思うことは、 正直者は馬鹿を見るのではなく、 何も知恵を持たない正直者は、馬鹿を見る、 つまり、ただ正直なだけで、 自分を磨く努力をしてないだけなのですね笑 自分で自分を貶めているだけなのですよ。 私の場合、あまり欲がなかった、 つまり生きる力が弱かったゆえに、 何かを生み出す努力というものが分からなかったのですが、 地道に体を鍛えることで、 体力に自信がついてくると、 自然と心も明るくなり、 前向きに努力することの楽しさ、 成長する喜びが勝手に芽生え、 勝手に好転し始めたのです🌱✨ そして、私をネガティブな波動で苦しめていた母や姉と離れたことも良かったようで、 私は自律と自立を、無意識でしたけども、育み始めていたのですね。 面白いことに、私が自立を望んだのではなく、 勝手に家を出るような流れに導かれたわけです。 誰かを拠り所として生きるのではなく、 私自身の人生を歩むための道に、 自然と導かれ、私は素直にその流れに乗っていたわけです。 そして、幸か不幸か、 どんなに学びを求めても、 心から尊敬できる師に出会えなかったことも、大きいと思います。 (つまりは、言葉と行動が往々にしてズレてる人としか出会えなかった笑 まぁ、そんなに努力して探しまくったわけでもないんですけれど…💦) 最近気づいたのですが、 私の人生、お釈迦様に似てるのです。 図々しいことは承知の上で、 物質的には何不自由ない暮らしを手放し、 心の飢え、得体の知れない不安の中、 師を求め続け、師を見つけることができなかった。 だからこそ、自分の中に答を求め、 内観と内省に、自然と導かれてきたおかげで、無益な期待など持たずとも、 必要なものは全て与えられていることに気づくことができたのですから✨ 世の中、素晴らしいことを言ってる人はたくさんいるのですけどね、 私も含め、所詮人間、 実際会ってみると、往々にして雑念だらけなのですね笑。 問題は、あたかも素晴らしい人のように勘違いさせてしまうあやふやなプロ意識のせいで、経済(ビジネス)優先にかこつけた上辺の優しさやサービス、 命令や支配、利己的な断定などによって、人々を混乱させる人が多いということと、 それに気づけない未熟さが、双方に共依存をもたらし、ネガティブな鎖で縛り合い、 苦しめ合い続けているということです。 双方の問題は、心よりもお金を優先した卑しさ、貧しさの同種の魂の記憶を持っているということだと思います。 まぁ、結局どっちもどっち…なんですね。 どちらかのみ悪いという問題も、 良いだけの人、悪いだけの人というのでもなく、双方の問題なわけです。 結局、自分の人生に対する自己責任を100%受け入れないことには、人生の変容は難しいのですね。 私は悪くない❗…って言い張っても、 結局苦しむのは自分でしかない…だけで、 まさにこのことを、私は母や姉を通して学びました。 そして、離れたからこそ、無駄に憎まずに済んだし、自律、自立を学び、 勝手に人生が好転したおかげで、 母に『生んでくれてありがとう』と 自然と感謝が芽生え、伝えることまでできたのですから、 最高の親孝行ができたとさえ思うのです。 まぁ、母は相変わらずなので、 今も離れていることには変わらないのですけど笑 ただね、いわゆる毒親タイプの母であっても、 私が毒されずに強さを鍛え、自立できたなら、毒親にせずに済むのだと思うのですね。 毒されてしまう自分の弱さという問題を、 母は見せて浮き彫りにしてくれただけで、 つまりは、そのおかげで私は自立に導かれ、母を無益に恨むことよりも、 自己の成長の糧として活用したとも言えるのです。 問題とは、問題に囚われる心の歪みを教えてくれる、クリーニングのチャンスなのだと、今はそうとしか思えません❗ だから、悩む必要も、嘆く必要もなく、 ただクリーニングして、問題点を反省し、 改善していくだけのこと❗ そのことに気づけるだけで、 どれだけ心が自由になることでしょう✨ そして、今の私を利用するような ずる賢い人たちはもういません❗ …と言うより、寄ってきません笑 私の瞳さえ見ることができないのです。 それだけ私の瞳は強力らしいです笑 しかもなぜか、しょっちゅう懺悔されます。 別に聞いてもないのに…。 みんな本当は本質の自分(愛)を堂々と生きたいのです。 そして、正直者は馬鹿を見る…ではなく、 賢き知恵を育み、自立した正直者は、 愛される✨…と、実感しております🌹✨ 宇宙の秩序はやはり平等なのだと、 確信しております✨ 他人を利用して得をもくろむ ずる賢い人たち、 楽を求める怠慢な人たちは、 間違いなく、自らの因果によって苦しみを味わい、 楽したなりにしかなれないのだということを、 利用され続けてきたおかげで嫌というほど見てきたので、 学ぶことができたし、 楽して得して生きることのメリットを 私は全く感じないからです。 確信100%❗ そういうわけで、真心で生きる正直者は、馬鹿を見るのではなく、 ただ学びがあるだけなので、 安心して、惜しみなく真心で素直に生きていきましょう✨ 私達の脳は、確かに創造力の源ですが、 地に足のつかない、 調和のない利己的な強欲は、 自ら卑しく育てた脳の賢さによって 自らを滅ぼすことになるでしょう。 心の卑しさ、貧しさ、飢えは、 素直に反省して、クリーニングに努めることです。 (卑しい心を持つ自分を責める必要もありません。 ただの記憶ですから❗ 集合的意識なので、持たない人などほぼいないのだと思います。) ネガティブから始まった私の人生ですが、 私を苦しめた心の傷を自らの実践によって癒し、鍛え、自立したことで、 私は心の傷(記憶)から解放され、 自由になることができたのです✨ もちろん、生きてる限り、 まだまだ隠れた傷は出てくることでしょう。 だって、それを癒すために生まれてきたわけですから。 だけども、私の心に一切のごまかしも偽りも逃げもなく、 問題を怖れていないという自由な心(真心)が開放されている限り、人生は心豊かに花開き、成長する喜びに満ちたものとなるのです✨ つまりは、死後の世界が天国か地獄かではなく、 この世をすでに天国にすることも地獄にすることもできるということです。 その司令塔が、私達の脳なのです。 体の声を無視して、脳の都合に合わせた利己的な思考は、 体からの反逆を被ることになるでしょうし、 利用して貶めた人たちの怒りや憎しみによって、 身を滅ぼすかもしれません。 つまり、どんな結果にも必ず原因があるわけです。 目先の損得ではなく、 自らまいた種の結果まで責任を負えるかどうか、きちんと自覚を持ちましょう❗ それはやみくもに怖れて生きると言うことではなく、 真心に反するようなことはしないというだけのこと。 真の健康や美、幸福や平和をもたらす源は、 間違いなく真心にあると、私は確信しています✨ 私がなぜ求めていたわけでも、 期待していたわけでもないのに、 180度人生が好転したのか… それは間違いなく、 真心にひたすら真っ直ぐに生きてきたからに違いないのです。 苦しくて苦しくて、少しでも癒されたいと、 いっぱい甘いもの食べて、体を蝕んでしまったけれど、 私を苦しめた人たちを恨むことは 決してしませんでした。 なぜなら、無自覚でしたけど、その時すでに、同じ土俵には立っていなかったのだと思うのです。 戦うのは、同じ土俵に立つこと。 戦うこと以外の解決法を探すのは、 賢き知性のなせる技✨ 人と争うことを好まず、 (あまりにも無礼な時は応戦してきましたけれども💦) 純粋お馬鹿に生きてきた私ですが、 無意識的なりに、生きる知恵を育み、 身を守っていたのですね笑 それこそ、 理性ではなく、真心のなせる技なのですよ。 だからこそ、私は誰かを拠り所としなくても、 守られてる、愛されてるという、 絶対的な信頼が私の中に在るのです。 まぁ、その揺るぎない強さゆえに、 結婚には至りませんでしたけれども笑 …というのも、揺るぎない信頼と強さゆえに、 たぶん本気で誰かを求めるほどのものではなかったのかもしれません。 漠然といつかは結婚するものと思ってはいたのですけど… 期待がないという意味では、 人生計画ゼロ、 意外にも、一切成り行き任せだっのですね~笑 これまた無自覚でしたけど。 もしも計画していたら、 願いは叶ったかもしれないけど、 今の私を知ることはなかったでしょうから、やっぱり成り行き任せって大事なように思います。 だって、この世は分からないことだらけなんですもの❗ ホオポノポノの言うところの、 私にとって、何が良いことなのか、 本当のところは分からない。 私のことを私よりも知っている存在に委ねることは、決して何も望まないことでも、何もしなくて待つだけということでもありません。 まぁ、私は物質的にはあんまり望むことはないのですけど、 愛と平和への思い、 生命の輝きへの向上心、 すでに在る恩恵、幸せに気づいてほしいという欲は、大いにあるのです❗ ある意味それだけというほど、 単純思考のせいか、 先日、20年近くぶりの知人に、 後ろ姿で声かけられ、 変わってないと言われました笑 私はこんなにも成長したと思ってたのに笑 …でもよくよく考えてみれば、 私は愛と平和を思い描き続けてきただけで、 そしてそれを実践してきただけで、 私の本質は変わってないわ…と笑 そうか~、 私はずっと素直に私を生きてきたから、 変わってなかったんだ~…と。 しごく納得した次第です笑 人って、意外と本人が思う以上に変わらないものかもね笑 でも、なんだかほのぼのと嬉しく思ったり…。 あぁ、私は私なんだって…。 もう私を探さなくていいんだな~ってね。 自分を知ること、 ホオポノポノの第一の目的もそこにあるのだと思うのですけど、 私は私にしかなれないし、 私のままでこんなにも愛されてるという喜びに包まれるのです。 だってね、彼女ったら、 後ろ姿で声かけられ、 振り向いて、私がきょとんとしているうちから、 もう会いたくて会いたくて仕方なかったという顔で見つめてくるのですよ笑 もう愛しい恋人にやっと会えたかのごとく、瞳をうるうるさせて…。 もうね、男性も女性も、 私に会った人は、たった一度でも、 忘れられないらしいです笑 それだけ本質(愛)を素直に生きるってことの 存在感と影響力は凄まじいのですね。 ちなみに最近気づいたのですけど、 私はあまり記憶力が良くないので、 よく忘れるのですね💦 失礼な話なんですけど…。 でもそれって、 私が私を生きてはいるんだけども、 きちんと自分を自覚してなかったゆえに、 他者を自覚することもあまりなかったのかもしれないと…。 つまりは自分にも他人にも、 あまり深く関わろうとしてなかったな…と。 父を2歳で亡くし、記憶にない上、 母とも深く関わろうとしなかった。 母が放つ負の波動が苦しかったからだと思うけど、 そもそも私は本当に生きてなかったと思うのです。 だから、心も体も冷え切って、 体をうまくコントロールできなかった。 そんな私がここまで自分という愛の存在を自覚できたのだから、 これ以上の喜びはないと思うのです。 充分に大成功🎉…と言えるのではないかと笑 まだまだ終わらないですけども。 あとはこの愛を、光を広げる仕事に役立て、愛を分かち合うだけ…。 でも、それってちっとも特別なことではなく、 私には今まで通り、 真心込めて生きるだけなんですよね。 真心込めない生き方なんて、 分からないから笑 私にはそれしかできないから。 だって知らないんだもん笑 やっぱり単純お馬鹿だわ~🌹✨ 44年の人生訓、 いまだに愛される実感に満ちて生きていけることは(どこまでも大事に扱っていただけるのは)、 私が敢えて頑張らなくても、 愛そのものでしかなく、自然とその場に愛を放って、空気を和らげている存在だからでしょうか。 そんな存在でいられることも、 この上ない幸せ者だと思うのです✨ (触れるのも畏れ多いとばかりに、大事にされすぎて、愛されすぎて、かえって恋愛もままならないのが私的には非常に残念なんですけど…。まだ諦めてはないのですけどね笑) この世は間違いなく、 愛と調和、秩序において、 平等である。 そう確信しています✨ だから、惜しみなく心清めて、 惜しみなく真心込めて、 愛に生きましょう✨ 与えたものを受け取るというのも、 つまりは私達の脳の仕組みによって、 必然なんだろうと思います。 でも、無理やり言霊や思い込みの力で 利己的な望みを叶えるために自分を支配しようとすれば、 それもまた支配という形で自らをがんじがらめにしてしまうことでしょう。 私の場合、脳の仕組みとか理屈を考えなくても、 霊的感性(真心)が導くままに素直に生きてるだけなので、 私の思考は単純明快、 だから、誰かと戦う必要などないのです。 私のかつての問題は全て、 無自覚だった『自分』を取り戻すために起きていたのだと思うので、 自覚した今は、ほとんど嘆くような問題は起こりません。 ただ、ありのままに現実を見るだけです。 これからも、ただクリーニングしながら、 真心込めて、生きていくだけ🌹✨ そこに真の健康、美、幸福、平和を見つけたから✨ もう迷わない。 もう探さない。 ただただ、自分を取り戻すために 私を揺さぶってくれた全てのご縁に感謝しかありません🌹✨ ありがとう✨✨✨ 問題も敵も外側にはありません。 在るのは内側、心の中です。 同様に、幸せも外側にはありません。 幸せを感じる心が在るだけなのです🌹✨ クリーニングして、 真心込めて、生きましょう✨ あなたという花(愛)いっぱい咲かせて、 幸せになる覚悟を決めましょう🌺🌺🌺 誰に遠慮する必要もないのです❗ あなたが本当のあなた(愛)を生きるほどに、同じ波長を持つ愛は勝手に寄ってきますよ✨ まぁ、私のように、恋愛も結婚も越えちゃうかもしれないですけれども笑 本当の幸せとは、誰にも分からないもの🌹✨ でも、必ず在ることを実感できるものなのです✨✨✨ 幸せを生きましょう❗ この世界に笑顔の花がいっぱい咲きますように…🌺🌺🌺 もちろん、あらゆる生命への慈悲もお忘れなく…🌹✨
2021.04.16

冷たく寒かった季節も背を向け、 新芽がまばゆい春の気配にワクワク、 心も躍ります✨ すごいな~ 自然はなんと寛大で、 なんという慈悲深さなのだろう✨ オードリー=ヘップバーンが愛した詩が とても素敵だから、シェアしたい✨ 有名だから、ご存じかもしれないけれど、 本当に素晴らしい詩だと思うから、 残しておこう✨ アメリカのある詩人さんが、 生まれてきた孫娘のために贈った詩なのだそう。 生まれてきた孫娘のために✨ なんて素敵な贈り物✨ 『魅力的な唇で在るためには、 優しい言葉をつむぐこと 愛らしい瞳のためには 人々の素晴らしいところを見つけること 美しい身のこなしのためには 決してひとりで歩むことがないと知ること 年をとると、人は自分にはふたつの手が 在ることに気づきます ひとつの手は、自分自身を助けるために もうひとつの手は、他者を助けるために… 女性の美しさは、身にまとう服に あるのではなく、 その容姿でもなく、 髪をとく仕草にあるのでもありません 女性の美しさは、その瞳の奥に 在るはずです そこは、心の入口であり、 愛情の宿る場所でもあるのです 女性の美しさは、顔のほくろなどに 影響されるものではなく、 その本当の美しさは、 その人の精神に反映されるものなのです それは、心のこもった思いやりの 気持ちであり、 時として見せる情熱であり、 その美しさは、年をおうごとに 磨かれていくものなのです✨』 いつ読んでも、心にじ~んと響く美しい言葉✨ 大昔、まだまだ脱皮前の若かりし頃、 初めてお付き合いした彼が、 その当時の流行りのラブソングに、 私の名前を置き換えて歌ってくれたとき、 感性貧しく、ネガティブ満載だった私は、 気持ち悪く、不愉快にさえ感じたっけ…💦 申し訳なかった💦 男性のロマンチシズムを全く理解できなかったけど、 まぁ、父の存在すら知らない私だから、 仕方なかったのだ💦 そんな感性貧しかった私でさえ、 今はこんなにも心も感性も豊かに育み、 本質の素晴らしい価値ある魂の輝きを取りもどすことができたのだから、 人生は本当にあっぱれである✨ 『天は自ら助くる者を助く』 迷いも悩みもあって当たり前❗ 困難も苦しみも病気や事故も、 どんな問題も、 私たちに『私たちでないもの』、 つまりは愛でないものを体験することを通して、 私自身の本質である『愛』を知るために、 『愛』を取り戻すために起こっている(引き寄せている)気付きでしかないのだから。 もしも、大きな問題など起こらなくても 気づくことができたなら、 ありのままを素直に受け入れることができたなら、 そして、どんなものも自らの愛を通して、 ありのままに見ることができたなら、 決してこの世界に問題などないのだと分かるのです。 全てはバランス。 作用反作用。 強い何かを起こせば、 強い反動が返ってくる。 自分だけ、 自分の家族だけ、 自分の親しい人だけ、 自分の国だけ得すればいい… そんな偏った不調和が、 どこかにアンバランスの形を生み、 テロを生み、 戦争を生み、 奪い合い、 競い合い、 一見勝ち取った …と見えたとしても、 不調和から生まれたものは、 巡り巡って、 アンバランスな心の歪みとなって、 自分に戻ってくるのではないかと私は思うのです。 どれだけ経済的な豊かさを得られても、 幸せを感じられない人がたくさんいます。 どれだけ貧しく見えても、 心豊かに、少ないものを分かち合える、 人生そのものに幸せを見いだし、 心から感謝して生きている人もたくさんいます。 なぜだか、前者は先進国と言われる 豊かなはずの国に多く、 後者は途上国と言われる 貧しいように思える国に多いのです。 不思議ですね。 先進国には死んだように虚ろな目で生きている人がいるかと思えば、 途上国には、大きな瞳を輝かせて、 活き活きと生きている人たちがたくさんいるのですから。 私も以前、ヨガの本場インドで、 貧しい身なりの、 ホームレスの子供達に囲まれたことがあるのですが、 当時の私は心がまだ開けてない半開きのあやふやな状態で、 何もできない無力な自分に対して、 心が苦しくもあったのですが、 そんな私の心なんて一切気にせず、 彼らは知人が持っていたカメラに興味津々❗ 撮って❗❗ …って体いっぱいにアクションして、 瞳がキラキラ輝いてました✨ 食べることも、着ることも、 寝る場所も、安心できる場所も確保され、 何一つ不自由しない暮らしを与えてもらいながら、 感謝に気付けないまま、 無駄に悩み、苦しみ、もがいてる愚かな私と、 何ひとつ恵まれていないように思えるのに、 無駄に悩むことより、 一瞬一瞬を大切に瞳輝かせて 精一杯生きている彼らは、 どちらが本当の幸せに気づいて 感謝いっぱいに生きているだろうか。 私が今、こうして愛と感謝に満たされ、 日々、ただ流れる時の中で、 ただそうあるだけの世界の中で、 自らの手を使い、 頭を使い、 体いっぱい使って、 自らの人生に『喜び』を生み出すことができるのは、 間違いなく、相対的な存在であった 『彼ら』との出逢いがあったからなのです。 動物たちの悲痛な声なき声が聞こえ、 大地や海、地球の痛みが伝わってくる、 敏感体質だった私が、 『苦しみ』ばかりに共鳴して苦しんでいた私が、 自分の中に在った『喜び』に心を開くことができたのは、 身の回りにいた動物たちの導きや、 草花の美しさ、豊かさ、慈悲深さ、 そして、不幸だと勝手に思い込んで見ていた、 一見貧しそうに思えるのに、 心豊かに瞳キラキラ輝かせながら、 誠実に、逞しく、 何よりも信仰深く、日々に感謝して生きている心の美しい人たちとの出逢いがあったおかげです✨ 私は一体何を悩んでいたのだろうと…。 この世界はなんと輝きに満ちているのだろうかと…✨ 日本に帰ったら帰ったで、 また無駄に思い悩み、 葛藤することも多々あった、 相変わらずの未熟者でしたけど笑、 今はどんな問題が起ころうとも、 それはまだ私の中に在る、 何か受け入れられていないものをクリーニングするための気付きでしかないのだと分かっているので、一瞬ついうろたえても、 すぐに冷静に自分を取り戻せるように成長してます✨ 日々成長✨ だから、結局は毎回、また成長させてもらえた✨ 感謝感謝✨ …と、あらゆる出逢い、出来事に感謝しかないし、 この世はうまくいく(成長する)ようにしかできていないのだと、しみじみ実感するのです✨ 自分が成長するほどに、 反作用的に誰かを犠牲に(悪者に)する必要も少なくなってくし、 この世に敵も悪者もいないのだと思うのです。 いるのは、記憶に苦しみ続ける、 傷ついた魂だけなのだと…。 そして、人は、痛みや苦しみを通してしか、 自らの過ちに気づくことができない、 悲しいかな、未熟な生き物なのですね。 だけど、神聖なる魂を分かつ人間は、 人間としてのプライドが高く、 なかなか自分の過ち(記憶の歪み)を受け入れることができない。 つまりは、誰かのせいにしてしまうことか一番楽なんですよね💦 だけど、私はハッキリと断言できます。 楽は、一番遠回りだと❗❗ 急がば回れ❗❗ 一見『楽』に乗っかって、 快適快速…と、 安住安楽安全な道を進んでるつもりが、 実は形が変わるだけで中身は何も変わらないという、 蟻地獄、魔の永久運動にはまってるだけかもしれないのですよ❗❗ 思考停止、何も考えずに、 楽しい方に乗っかるだけの危険極まりないことと言ったら…、 それが全く楽でも得でも安全でもなかったことに、 ただやみくもに年取っただけで過ぎ去っていった過去の後悔に、 いつか『痛み』を通して気づかされる日が来るかもしれません。 宇宙は平等なのです。 誰かだけ、何かだけ、 ある特定のものだけが すごくて特別なんてことはないのです。 ただ形が、状態が違うだけで、 比べようもないこと。 大きく得たければ、 大きな何かを犠牲にしなければいけないかもしれない。 小さく少しでも満たされる人は、 浮き沈みも少なく、 一見地味だけど、 本人は幸せを満喫しているかもしれない。 比べても仕方ないのです。 大切なことは、悔いなく、 感謝いっぱいに生ききること。 私はそう思うのです。 明日が最後であっても、 最後の一瞬まで、 感謝して生ききること。 後悔や絶望で、 思い残しを残し、 また、残された人たちに、 不安や恐怖という記憶を残していくのではなく、 神様、たくさんの喜びをありがとうございました✨ 私は体いっぱいに味わい、 喜びと感謝で生ききることができました✨ 素晴らしい体験をありがとうございました✨ そう神様に感謝できる人生を 私は最後まで生ききるつもりです✨ 与えていただいたこの体いっぱい使って、 どこまでも愛を、光を見いだし、 愛でお返しできるように…✨ この世界に、愛をいっぱい残していけるように✨ どこまでも『私(愛)』を引き出し、 磨いて、育て上げたいと思うのです。 それが私にとっての生きることであり、 喜びでしかないから✨ 私の中からネガティブな記憶がクリーニングされ、昇華されるほど、 白血病ウィルスキャリアだろうが、 凛は凛、愛すべき存在でしかなく、 私の中には、凛を心配する思いより、 凛と幸せいっぱいに生きる喜びのほうが大きく、(…というか、喜びしかない❗) いくつになっても、好奇心旺盛に瞳輝かせて今を生きてる、それだけで、 美しく、愛おしくてたまらないのです✨ 猫おもちゃも、猫用のおやつも、 特別なものなんてなんもないけど、 私と同じように、健やかな生命を願いながらご飯を作り、共に、ポカポカ温もりを分かち合いながら一緒に眠る喜び✨ それだけで感謝しかない✨ …と、私は言ってるけど、 猫ズは、マイペースな私にしょっちゅう文句たれてるのですけどね笑 早くご飯~とか、 私が落ち着いて食べたいときとかは、 扉を閉めて離れるので、 キッチンのガラス戸の向こうからじ~っと眺めながら、 一緒に居たいよ~とかね笑 どこまでも甘えん坊な猫ズですが、 これも猫ズからしたら、 私を癒してあげてるつもりかもしれません笑 おかげで、癒されてますからね✨ ベタベタ甘甘はしない私だけど、 求めなくてもやってくる彼らのように、 人生も然り、 特別幸運を求めなくても、 いつも幸運に感謝していられるのは、 過去のあらゆる体験によって癒され、 クリーニングできたおかげで、 常に私の中が、感謝で満たされているおかげでしょうか。 あらゆる困難、病気、苦しみ、葛藤という体験が、 私をここまで育て、磨き上げてくれたのです✨ ダイヤモンドの原石も、 磨かなければただの石ころ。 神様がどんなに宝物を授けてくださっても、 自ら育て、磨かなければ、 その宝を活かすことすらできないのです。 『天は自ら助くる者を助く』 磨き上げるか否かは 自己責任、自由意志でしかないのです。 神様はただ与えるだけ。 それをどう活かし、 どう育てるか。 どんな私を、 どんな人生を、 どんな『結晶』を生み出すのか❄✨ 健康を探求し、 探し求めていた『何か』が、 今ようやく美しい結晶として、 目に見える形となり、 その『時』が育んだ姿を、 醸し出された目に見えないエネルギーを、 確かなものとして現してきたようです✨ 人生の答えは、 必要なものは、 全て私の中に在る✨ 今はそう確信しています。 だからこそ、 これからも私の中に在るものを 大切に育み、磨きながら、 私の思いが紡ぎ、生み出す、 人生という結晶を、慈しみ、味わい、 愛でていきたいし、 人生全てをありのままに受け入れ、 愛を、光を見いだすことに、 磨きをかけて、成長していこうと思えるのです✨ 凛の写真ばかりで、 なかなかハナの写真が撮れてないのだけど、 ハナも元気です✨ 私の心が清らかであれば、 彼らには何の問題もないことを私は分かってるから✨ 全ては心の投影✨ 全ては心の鏡✨ 『思い』が全て✨ ヒューレン博士もいつもおっしゃってるけど、 私たちは魂の浄化(記憶のクリーニング)のために生まれてきた。 クリーニングあるのみ✨ Just Clean Clean Clean✨ ちなみにホォポノポノに関して、 私はご著書や動画、メルマガを時たま読む程度で、きちんと学んだ者ではありませんので、あしからず❗ 私は何かに偏重することも、 依存するタイプでもないので、 私の信仰心は、純粋に心の中から湧き上がる素直な思いであり、 それは、あらゆる生命、地球、宇宙と呼応したもののように感じるのです。 でも、モーナ女史の 『本来あらゆるものはすでに完璧なのです。そう見えないのは、『私』の心の歪み、記憶のフィルターを通して見てしまうから』という言葉の意味が、 最近になってようやく分かってきたところです。 変えるのは人ではなく、 『私』の中の歪み(記憶)だったんだと…。 自分の中の歪みと向き合い続けてきたからこそ、今、私は本質の光、愛を通して、 自分の中に在る愛、調和、平和に満ちた、 感謝で生きていけるのだと実感するからです✨ この世の中に可哀想な人、悪い人などいない。 あるのは、記憶に歪み、 傷ついた人だけなのだと…。 それは、誰にも助けてあげることはできないのです。 ただ、気づかせてあげるだけ。 彼らが本気で望むなら、光を通して、 彼らの中に在る本質の光(希望)を引き上げるサポートをしてあげるだけ。 私たちは互いに写し合う鏡だから。 共鳴し合うものは何であれ、 私たち自身の投影だから。 必ず誰の中にも光が在る✨ ただ、それを望まない人、 見たくない人がいることも事実。 まだ、受け入れられるタイミングじゃないだけなんです。 相手の思い、魂に敬意は忘れないようにしましょう❗ 人生は魂の成長のために✨ クリーニングのために✨ そして、人生は自由意志だから、 一見不幸だと思えても、 本人のペースで学び、 着実に成長を遂げているのかもしれません✨ 勝手な思い込みで、 人を変えようとしたり、 余計なお節介をすることのほうが、 成長の邪魔をしているかもしれないのです。 頼まれない限り、 見守ってあげること、 本人の人生は本人に任せること。 人のことより、自分の歪みの クリーニングあるのみです✨ 人生は成長✨ 学び✨ そして喜び✨ 感謝✨✨✨
2021.02.25
ふと思い出したことがある。 高校生の時、初めて学級委員長に選ばれて(嫌々押しつけられて❓)、 しかもその集会で生徒会役員の美化委員長にまで推薦されてしまったことがある(なり手がなくてまたまた押しつけられただけのようなものだが…笑)。 当時はさほどそこに何も意味を感じてはいなかった。 なにしろ、なり手がなくて仕方なく…としか思えなかったからだ。 しかも、当時はさほどキレイ好きでもなく、 掃除も苦手、片付けも苦手、 人に美化を促すほどの知恵もなく、 本当に役立ってなかったと思う笑。 しかし、今の私は、生命の美に、生命の輝きに、心底惚れ込んでる。 あらゆるものの中に『美』を見いだすことができる✨ あれも、きっと宇宙からのお達しだったのだろうと、今は思うのだ✨ 宇宙の、愛の、生命のエネルギーは美、輝き、喜びを与えるものだと感じてるからね。 (今は整理整頓、片付け、掃除の大切さも痛感してるしね✨ ただ、私の場合、あくまでも自然体なので、デジタル、モノクロのようなビシッとした人工的な美はどちらかというと苦手。優しさ、温かさのような、自然の気配が心地よいので、まぁ、ほどほど…と言うかね笑) 思えば凛との出逢いですら、 ガリガリでボロボロ、 死の淵にいたであろう凛の外面でなく、 私は内なる『美』を感じ取っていたとしか思えない。 凛が放つ、その名の通りに凛とした美しさ、気高さに心底惚れ込んでしまったのではないかと…。 それは、ディズニーの美女と野獣の最初のシーンで、醜い魔女の姿を毛嫌いする王子様とは真逆で、 私はいつだって、内面の輝きに反応してきたように思うのだ。 そのため、外面がいかに美しく整えてあっても、 現代のようにデジタルで現実以上の美しさを表現できるようになっても、 (洗剤アタックの昔のCMのように、白より白く…みたいな笑) 私はあまり反応を示さない。 作られた映像より、 生々しい舞台が好きだし、 便利で手軽な加工食品より、 手間暇かけても手料理が好きだし、 (私は素材を味わいたいから、さほど手間暇かけてもないのだけど笑 みんな私が料理上手と誉めてくれるが、 私がうまいのではなく、 素材が良いだけなのだ✨ 自然の恵みと農家さん方の手間暇のおかげなのだ✨感謝しかないのだ✨) どんなに時代の流れが変わろうとも、 本質は変わらないのだということを、 私はひしひしと実感するばかりだ。 流行や嗜好が変わっても、 内側はあまり変わってないとしか見えない私には、 頭で考えるより、 心に響くもの、お導きに耳を澄ませながら、 光(喜び、輝き、愛、感謝)を感じる方に 身を任せ、伸びていくだけなのだけど、 凛がその良い例で、 どんなにその時の現状(外面)が良くなかったとしても、 内面の光さえ失っていなければ、 必ず本質は姿を現してくれるのだ✨ 愛、感謝、喜びがないところに、 生命は育たない。 私は行く先々の職場でそれを痛感してきた。 私が入った当初は『まぁ、仕事だから…』と奮い立たせる必要が多少あるけれども、 (私の場合、仕事(転職)=新しい挑戦でもあるので…) 私なりのペースとやり方が掴めてくると、 もうジャンジャン流れができて、 楽しくなってくる✨ そして夢中になってると、 いつしか周りも楽しくやろうという人が集まってきて、良い流れが起こる✨ だけども、これを良く思わない上司や年上の同僚などはイライラし始め、 嫌みや妬みを態度で示してくることもあるし、 万人受けするわけでもない。 そんなこんなでやり尽くしたと思えたら、 それ以上成長の見込みや喜びがなければ、 私はまた新しい挑戦に挑みにいくのであるが、 それがまた今振り返ると、 面白いほどに『その場を離れるように』…と、お達しのようなメッセージが来るのだ。 ようは、それ以上良くなりたいと会社が思ってないことが分かる(いても仕方がない)状況になるのだから、飽きたとかいう問題でもないのだ。 そして辞めた後、 風の便りなどで潰れたり縮小したりなどの現状を知るわけだが、 私は自分の持つ影響力との関係を、 当時はさほど思ってなかった。 『あぁ、やっぱりね…』くらいにしか考えてなかった。 だって、やる気のある人を利用するばかりで、 本人たちの努力が足りなかったり、 愚痴や不平不満が多い会社は、 やっぱりとしか言えないよね…。 だけども、そんな会社であっても、 私がいる間は、とことんポジティブに環境が変化してくるので(少なくとも私の周りだけは)、 私自身はどんな仕事も楽しくて仕方なかった✨ そこら辺が、私の人生においても、 自ら闇を光に変えた経験がなせる技だったのだろうと今は思う。 一期一会のたまたま入ったお店でも、 入ったときはがらんとしていたのに、 どんどん満席になるほど人が入ることも良くあるが、 ある方の本に、その場の人の波動に引き寄せられるように、心地よい場を求めて人は集まってくるとあったので、 私の鍛えられたポジティブな波動は なかなか世の中の貢献に役立ってるのかもしれない笑 私自身は一切気にしてなかったけれど、 よくお店の方からも、私の素直な『美味しい~✨』とか『これすっごく良かったです~✨』とかの一言が嬉しいと感謝されちゃうくらいだから、 嬉しいこと、喜びを素直に伝えられることって、意外と希有な宝(才能)だったんだな~と…。 しかも私の場合、良くないことに対しても、あまりにひどいと感じたら素直に出すのだが、 これまた怒りをめっちゃ表したのにもかかわらず、最後は詫びだけでなく、 伝えてくれたことを感謝までされてしまい、これまた私のほうが恐縮なくらいだ。 それくらい私は大人げもなく、 素直に真っ直ぐな、純粋お馬鹿なので、 ネガティブな思いを溜め込むこともなく、 (過去が溜め込みすぎてた反省から、溜め込みを止めたともいう笑) 悔いなく軽快でいることのほうが、 たくさんの物を持てるよりも、 たくさんの物を与えられるよりも、 私には幸せなのです✨ 軽快で身軽で自由であることほど、 私を活かせる(輝かせる)ものはないと今は思う。 幸い、どの仕事も、 結果さえ出せば、好きに自由にやらせてくれたおかげで、 私はめっちゃ成長の喜びで輝いてたのだと思うし、 その生命の輝きが、モテまくった理由だとも今は思うのだ。 だから、どんな仕事も、どんな経験も、 私自身においては、感謝しかない✨ そしてやっぱり、 情熱、挑戦、成長、希望… 生命力の輝くことほどの『美』はないように思うのだ✨ どんなに恵まれた美形でも、 どんなに人工的に技術が革新を遂げても、 生きる喜びの輝きに勝るものはないはず✨ …と私は心底思っている✨ 先日使わなくなった腕時計を処分しようと、買ったお店に電池を外して欲しいと頼んだら、 電池交換以外にはやってないと言う。 お金にならないことはしないのだと…。 売るだけ売って、後は知らないと…。 ネットで時計の処分の仕方を見ても、 電池を外して捨てるしか分からなくて、 その電池が外せないんだよ💢…と、 数日悩んで、 ふと思い立って、以前電池交換してもらったことのある個人店に行ってみた。 そこでも普通そんなことはしませんね~と笑われたが、 廃棄用腕時計を回収する会社があるから、 そこに出しますか❓…と、引き取ってくれた。 でも、電池をどうするかは知らないらしい。 今時珍しい律儀な方ですね~と、 笑われたけど、 聞けば、たぶん皆さんゴミ箱に捨ててるんじゃないですか❓…とのこと。 以前スマホのショッブでも、 ゴミに出す人がいるらしいとは聞いていたけど、 新しいものを買うこと、 新しい情報を取り入れることばかりに囚われて、 流れは進化進化と言うけれど、 人間として、 地球への、環境への配慮という心の面は、 劣化の一途のように思えてならない。 だけど、目に見えないもっと深くて広い世界では、 確かに良い変化を私は感じてる。 ただ、残念ながら分離していくしかないのかな~と…。 正当な価値の分からない、 自己愛は自らを滅ぼす道だと言うのに…。 地球への愛、感謝、敬意を忘れず、 宇宙の無限のエネルギーと繋がれたなら、 もっと調和のとれた豊かな世界が広がってくのにな~。 まだまだしばらくかかりそうね~と、 とりあえず我が内なる平和と調和に感謝である✨ 生命の輝き、『美』を見る目を養おう✨
2021.02.10

実は最近、虎が時々会いに来てくれるのです✨ 会いに来てくれるというのは、 私の勝手な思い込みと思われるかもしれませんけど、 これがね、不思議なほどそうとしか思えないのですよ~。 なぜなら、いつも先に鳴き声が聞こえて、 (虎はとても独特な鳴き声なので、 姿を見せてくれるのは夜だし、 触れるほどの距離ではないのだけど、 虎に違いないのです✨) それから外に出るのがすぐだったり、 水仕事の最中は少し間を置いてからだったりするのに、 必ず私が出て辺りを見回してから、 コソコソコソッと姿を出してくれるのです笑 絶対に触らせてくれるほどの距離には来ないのだけど、 必ずちょっと先で立ち止まって、 見つめ合う時間を作ってくれるのです✨ 独立直後は一年ほど鳴き声を聞くこともなく、遠くに行ったのかな~、 元気かな~と、心配の念は持たないよう気をつけつつ、思うことはありましたが、 そのうち、虎のことだから絶対大丈夫❗ のびのびうまくやってるさ❗…と、 近辺の土地の神様なるものに向けて、 虎のことよろしくお願いします~と時々声かける程度に落ち着いてました。 そんなある日、夜中の3時頃、 虎らしき鳴き声で目が覚め、 ベランダに出て見下ろすと、 虎らしき茶トラの猫がスタスタ歩いてるではないですか✨ 夜中だし、虎の気を惑わさないように、 ひっそりと心の中で『虎~✨元気で頑張ってるね~✨すごいね~✨』って、 誇らしく眺めていると、 (うちは2階です) 我が家のベランダの真下で立ち止まり、 ふと虎が見上げてくれたのです✨ もう何十秒かは分からないけど、 時が止まったようでした✨ 久しぶりに見つめ合った虎の姿は、 なんと凛々しく、神聖なオーラを放っていたことでしょう✨ しばらく見つめ合った後、 逞しく成長した後ろ姿を見せながら去って行きました。 一年ほど全く気配を感じなかったのに、 それからは最近でも時々、 その健やかなる姿を見せに来てくれるのです✨ 虎は間違いなく神様に愛され、守られてる✨ (みんな守られてるんだけどね) 心清めて、クリーニングしていると、 本当に全てが神聖な流れにあるのだと感じられます✨ 全ては思いから生まれ、 思いが形、現象になるのです。 思いを正しましょう✨ 思いを清めましょう✨ 致死率の高い猫白血病ウィルスキャリアの凛ですら、自分が病気なんて微塵も思ってないから、環境さえ整えばほらこの通り✨ 8歳の今も全然問題なし✨ 相変わらずの美猫でしょ✨ 11歳のハナだって、 色々あったけど、 すっかり逞しく✨ 女の子のようだと思ってたけど、 凛のおかげで男らしく見える笑 ハナはやっぱり男の子だったのね~ この子たちを見てると、 人間は脳が発達しすぎて、 自ら病気や問題を生み出しちゃう生き物なんだと、つくづく思います。 自らの『思い』の責任を持つことの重みと、大切さを噛みしめながら、 よくぞここまで純粋に生命の輝きを見つめ続けてきたものだと、 我ながら感心するのです。 でもそれは、どんな物にも代えられない価値があり、 ぞっこん惚れ込んでるとしか例えようのないほど、私には輝いて見えるのですから、 私にとっては当然のこと。 しょっちゅう神扱いされたり、 純粋だと言われるけれど、 決して欲がないのではなく、 大欲だろうとさえ思ってます。 私自身、こんなに欲張りで好きなことやってるのに、勝手に賞賛されちゃって、 面はゆいくらいですが、 人を喜ばせるのが好き、 つまりは私も笑っていたい、 あなたにも笑っていて欲しい、 全ての喜びはワンネスから来ているだけなのですよ。 そしてそれは、自分が好きという、自愛の結果、偏見なく人を愛せるわけです。 自己愛は自分しか愛せない人。 自愛はワンネスなのです。 そして、黄菜しろや猫ズを通して、 私の思いこそが、いかに重要かを学んだのです。 ネガティブな思いは黄菜しろや幸太郎、虎を苦しめてしまった。 その反省から、私はしっかり悔悟し、立ち直ったのです💪 自らの思いを清め、正し、 鍛えたのです✨ (頑張ったのではなく、自然と導かれただけなのだけど…) そして辿り着いたのは、 自愛こそ最高の健康法、養生法、美容法、開運法であるということ✨ 私に欠けていたの、自分への愛だったのだと、やっと気づけたのです✨ 人に与えてばかりで、 自己犠牲的に生きてきた私の中の闇(気づかないうちに積もり積もった心の傷)のエネルギーが、小さな黄菜しろや猫ズにとって、どれほどの脅威だったか…。 数々の困難や不調は全て、 自分の中の愛に気づかせるため、 記憶のクリーニングに必要なものだったのです。 今は思いが全てだと分かってるので、 何か問題が起こったとしても、 誰かのせいにするということはありません。 おかげで無駄に葛藤することもなく、 面倒くさいことは色々ありますけど、 成長と感謝に満ちた、ありがたい人生を 日々味わっています。 まぁ、私はそんなに派手なことを望んでるわけでもないので、賑やかな人生でもないのだけど、意外や意外、なかなかどうしてドラマティックな体験もたくさんありました。 そういう意味では、別にシナリオを書かないほうが(引き寄せとか結果を期待せずに委ねた生き方)面白いとさえ思うのです。 しかも、狙ってないので、頭も柔軟で、 目の前に現れた現実にしなやかに対処できますしね✨ 思いが全て…だからこそ、 思いを柔軟に、寛容に広げて深めて、 無駄なこだわりや執着を手放しながら、 宇宙が与えてくれる現象を楽しんで活かしていきたいと思うのです。 正解も間違いも、そして人生にはゴールなんてないのだから、 自然に学び、しなやかに生きていきたいものです。 虎がリスクはあっても、 元気に自由に人生を謳歌している姿は、 私の思いによって、苦しみも与えてしまってけれども、 私に何かあっても逞しく生きていけるようにと、愛いっぱい込めて逞しく育てた思いもまた、間違いではなかったと思えるのです✨ ありがとう、虎✨ きっと私の声も、ハナや凛の声も、 近くで聞きながら、見守ってくれてんだね✨ 思いが全て✨ 平和は私から始まる✨ 嘆くよりも、 心をクリーニングして、 愛を、平和を、豊かな未来を創造しましょう✨ ひとりひとりの思いが、この世界を創造しているのですから。 『思い』の責任を❗ Do your Best✨
2021.02.09

我が家のハコベガーデン✨ (つまりは自然にお任せってこと笑) でもね、単なる放置とは違うのです✨ 私はこの薄緑の芝生のような柔らかな美しさに、癒され、愛おしさを感じちゃうのです🍀 しかも、猫草にもなり、 私のサラダ野菜にもなり、 空気清浄にもなり、 猫ズがアースする大切な場所🌏 アース中の凛🌏 ちなみに手前は今年も花をたくさん咲かせてくれた、養生中の幸太郎ジャスミン🍀 凛の下の土の中には、 猫ズの💩埋葬中❗ 最近始めた猫ズの💩活用法🌏 以前住んでた家の庭に置いてたプランターにいつも💩しにくる野良がいて、 超くっさいんだけど、 そこに植えてた小松菜があまりにもでっかく立派に育った経験から(土から漂うあまりの臭さに、食べる気にはなれなかったけど、いい経験になった笑) 手作りご飯を食べてる猫ズの💩は大して臭くもないし、 手作りご飯だからこそ、安心して土に還せる🌏 まぁ、そんなにたくさん入らないので、 ちょこっと埋めて還元中なんだけど、 (その土を何に使うかはまだ検討中❗ 一番は幸太郎ジャスミンの土の入れ替えかな❗) それから凛がアースするように、 しょっちゅうそこで日なたぼっこするようになったのも、何か繋がりを感じてるのかも❓ とにかく土壌菌様とも仲良くなってくれることは、 ますます免疫力アップにも繋がるからね✨ 猫ズの💩は乳酸菌の生きた爽やかな酸味も感じられるので、 たぶん土壌菌様とも相性が良いと思う✨ (相変わらずの根拠なき自信笑) 何よりも猫ズは居心地の良い場所にしか近寄らないだろうから、 安心してお任せしてます。 私の人生訓の基本は、 分かったつもりにならないこと❗ 何が正しいのか、 何が私にとってべすとなのか、 頭で考えても分からないことを素直に認めること❗ そして、委ねること❗ それが正しい道ならば、 心地よく感じられるし、 エネルギーが勝手に湧いてくる⤴️⤴️⤴️✨ 何かがおかしいときは、 心地よくないし、やる気も起きない⤵️⤵️⤵️ その感性と内なる声を信じて進むだけ✨ そして、なぜに私はこんなにも自分を信頼できるのか… …と考えれば、 やっぱり健康であることの喜びを素直に感謝できる心の在り方なんだと思うのです✨ そんな私を育んでくれたのは、 間違いなく、ネガティブで不健康な苦しみから始まった人生の中でも、 諦めることなく自分を律し、育て続けた『結果』だと思うし、 そのために必要だったのが、 私を利用したり、いじめたり、 貶めたりしてくれた悪役キャストの存在だと、今はつくづく思うのです。 彼らがいなければ、 私は『私』の中に眠る素晴らしい力を 引き出すことはできなかったのだから✨ 今は感謝でしかないのです✨ しかも、分かっている限りにおいては、 彼らの中に今幸せそうな人が 残念ながらいないのです😱 私が苦しみもがいている間、 彼らは私を都合良く利用して、 ずる賢く利益を得ていたのかもしれないけれど、 その後の彼らに、時間という『結果』が与えたものは、 成長なき、年をとっただけの怖れに満ちた人相と、未来への不安だけのようです。 (励ましても、自分に自信が持てず、 結局自分と信頼関係を育んでこなかった自分に対する信頼のなさが、怖れを手放せない原因にあるように思います。) 苦しみや困難も、 それを成長の糧と見ることができたなら、 それは、決して問題ではなく、 成長のためのありがたい礎であり、 そのおかげで、人生を堕落して粗末に生き、悔いを残すような過ちから、 私達を豊かな冒険の旅へと、 傷ついた魂を癒し、救い、生き甲斐在る人生に導いてくれるありがたいものに 自らの意思で変えることができるのです✨ 私はせっかくの若さというエネルギーと体力があるうちに、 ずる賢く楽して生きることを覚えなくて本当に良かったと、 苦しかった過去の全てに感謝しています。 自分を育むことは、 決して楽な道ではありません。 私が健康になるために、 食事を模索したり、考え方、生き方を変えたり、ヨガやウォーキングを通して運動する習慣を育てたり、 布ナプキンや手作り石鹸、手作り化粧品を通して、 洗剤、ラップやビニールなどを極力使わない、地球を汚さない生き方の工夫や知恵を育んできたのも、 ある意味、お金にもならないことのために、お金も時間も費やしてきたわけだけど、 それは、今思えば、間違いなく未来(今)の私への投資だったのだと実感しています。 先のことなんて、全然考えてなかったし、 とにかく地球を汚したくない、 動物たちの犠牲を、痛みを減らしたいと、 無我夢中で自分にできることをやってきただけだったけど、 その結果得られたものは、 美しいと褒め称えられる人格と人相、 仕事においても必要とされる存在価値、 運動嫌いだった私が、シンプルにヨガとウォーキングという地味で地道な習慣を育んだおかげで得られた、 いつも賞賛される美しい『姿勢』と 40過ぎても20代の頃より美しく成長を遂げた(花開いた)肉体美。 自分で言うのもなんだけど、 あまりにも賞賛されるうちに、 私って結構素敵かも✨…と笑 周りの皆さんの賞賛のおかげで、 勝手に自分の花を開かせていたことに気づけたのですから、 こんなにありがたいことはありません✨ 私は何一つ、結果を求めてコントロールしようとはしませんでした。 自分を律することを学んだのは、 何よりも健康でありたかったからだし、 地球や動物たちの犠牲を減らしたかったからです。 実際今でも、決して厳しくコントロールはできてません。 とくに、コントロール(支配)しようとすればするほど、私は自分がおかしくなることを実感したからです。 そして、周りにも厳しく批判してしまったり…。 このコントロールを手放し、 感性を信頼することにシフトできたことが、私に癒しと平和、感謝を取り戻させてくれました。 だから、無駄に力みがなくなったおかげで、猫ズもリラックスできるようになったし、 自由に勝手に健康維持してもらってます笑 つまりは、私が自由になり、 私が楽になり、その分のエネルギーを、 やりたいことに活用できるようになったわけです✨ こんなにありがたいことはありません✨ 私は今でも、未来に何も求めてないので、 ただ、私から湧き上がる声をクリーニングしながら、日々死と再生の繰りかえしの中で、淡々とやりたいことやって生きてる感じですが、 それなのに、成長してる実感はちゃんとあるのです笑 支配してないから、 間違うことも、失敗もありません。 経験を積み重ねるだけのこと。 私がお金にもならないことのために尽力し、投資してきた時間は、 私と自然を調和させ、 自然のリズムの中で心地よく生きる、 ごく自然な状態=自然体を取り戻すための時間だったのです✨ 自然体こそ、完全体なのだと、 今は心底実感しています。 必要なもの、全ては私の中にすでに在ったのだと✨ 私達は、自分だけの自然体を取り戻すことを必要としています。 それが『私』だけの役割、生まれてきた意味を知ることなのだと思うのです。 自然体とは、かっこつけたりごまかしたりすることなく、 ありのままの『私』を受け入れること。 私が自然体=完全体と言うのは、 『完璧』とは違うと思うからです。 私が思う完全体とは、 私にとっての完全体であり、 私の人生に必要なものとしては完全であるという意味。 誰から見ても完璧だと言ってるわけではありません。 そもそも、完璧な存在とは、神そのもの、 神聖なる存在、源でしかないと思っているからです。 私達はその一部を神性として与えられた存在に過ぎません。 私の人生の創造主ではあるけれど、 他者の人生を創造する権利はないのです。 たとえ親子や愛する人の人生であっても、 所有すること、支配することはできませんし、してはいけません。 独身であっても、 結婚していても、 誰もが自律し、自立する必要があるのです。 それができてないからこそ、 人は人を愛したように錯覚し、愛を求め、幸せにしてくれる未来を期待するものですし、 実際自律し、自立することは、 ある意味孤独にも強くなり、 依存や執着するような未熟な恋愛感情とは 無縁になるので、 常に『ひとりで在る』感覚の中で生きることでもあります。 ひとりでいても、 周りにたくさんの人がいても、 『私』という個が存在しているという感覚でしょうか。 なので、寂しいから、暇だから、 愛して欲しいから…というような依存心から人を求めることはなく、 人とは喜びを分かち合ったり、 より良くなるための協力だったりと、 無駄な人間関係の悩みからも解放され、 自由に生きることができるわけです。 ここからが本当の『私』を生きる人生なのだと思います。 私にとって、自然との調和は不可欠✨ 私の食事が、まだまだ旺盛すぎる食欲に、 苦笑いする日々ではあるものの、 私にとって、食事とは、 自然と調和する=自然から生命というエネルギーをいただく行為であることから、 野菜たっぷりの地球食が、 自然と私を自然のリズムに呼応した生き方に導いてくれたのだと思うのです。 すべては、勝手に導かれてるということ✨ 私はただ、思いの限りを尽くすだけ。 あとは、結果は考えないというか、 神のみぞ知る❗ところとお任せしてます。 本当に私って、期待がないというか、 あまりにもネガティブだった幼少期の癖なのか、 期待がそもそもないのですよ笑 これしたい、あれしたいという思いに沿って行動はするけれど、 こうなって欲しいから…とは考えてない。 少なくとも、私のためには。 願うとすれば、 みんな幸せでいて欲しい、 幸せであることに早く気づけばいいな~くらいかしら笑 私はスピリチュアルに触れて分かったけど、 所有欲はあんまりなくて、 無意識ながら、すでに存在として生きていたんだなってこと。 だから、誰に対しても、どれだけ持っているかとか、 肩書きがどうかなんてもので判断しないし、 その人の行動や存在から感じるもので 自然に反応してきただけなので、 (媚びないし、お金にも流されないし、上司だろうとおかしいことはおかしいと言っちゃうし、かと言って弱い立場には優しいし、でもそれを利用して調子こく人には厳しくもなるし…とにかく正直すぎる魂の持ち主らしい笑) 多くの人が私のことを未知なる存在として戸惑わせたのも当然でしょう。 私にはそれは自然なことなので、 まぁ、地球人の常識とは感性そのものが違っただけなのだと気付けて本当に良かった笑 これで無駄に傷つけずに済むし、 安心して成長したくない人やずる賢い人を 放っておけるしね❗ いちいち心配しちゃってたから、 利用されてたんだと気づけたことは、 本当に私を自由に解放してくれた✨ 今まで私を散々利用してきた家族ですら、 私が手放したと分かったら、 急に態度変えてきたりね❗ だからこそ、自律と自立することは、 自分を自由にし、解放することなのです✨ 自分の人生は自己責任だけど、 他人の人生は、本人の責任❗ 幸せであろうと苦しんでいようと、 それを選択しているのは自分でしかないのです❗ 私は今まであまりにも多くの他人事を自らの意思で抱え込んできました。 だけど、それで分かったことは、 手を出せば出すほどに、 人はずる賢くなり、 優しくしてもらうことを利用しようとするものなのです。 病気や貧しさ、苦しさを同情しても救えません。 なぜなら、そう在ることを利用して、 助けてもらうことを選択しているからです。 自分で患者で在ること、 病人で在ること、 可哀想な私で在ることを選択し、 同情してもらいたいのです。 現に障害があっても、 私は可哀想じゃない❗…と、誇り高く生き生きと生きてらっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。 自分を可哀想な存在に貶め、 それを人にかまってもらうために活用している人は、それが無意識であっても、 結局は幸せにはなれないのです。 何のために生きているのか❓ それに気付き、 自ら生きる意思があってこそ、 生命は輝くのです✨ たとえ障害があっても、 生まれつきの病気があっても、 末期癌になってしまっても、 自らを律し、生き方を変え、 魂から生還した=本当の私を取り戻し、 本当の人生を歩み始めた人はたくさんいらっしゃいます✨✨✨ 分かりきったつもりになって生きることほどつまらない人生はないでしょう⤵️⤵️⤵️ 人生は何が起こるのが分からないからこそ、 面白いのです✨ 分からないからこそ、 自由にし創造できるのです✨ アースして、 地球との繋がりを取り戻して、 自らの意思を持って生きようではありませんか✨✨✨ せっかく生まれてきたこの人生体験を、 この限りある肉体を大事に感謝の心でケアしながら、 思う存分、悔いなく生きて、 人生そのものを愛しましょうよ✨ 結果は神のみぞ知る✨ だけど、思いをクリーニングしながら、 純粋な心で、素直に楽しみ、味わい、 慈しんで生きることは、 決して苦行や怖れではなく、 愛と感謝に満ちた人生になることでしょう✨ あなたが求めるのはお金ですか❓ それとも心の豊かさですか❓ 心の豊かさであるならば、 そのために必要なものは、すべてあなたの中に充分に在ることを信頼して、 思う存分に『自分』を活かして味わって生きていればいいのです✨ 豊かさが、あなたと調和した必要なものを 引き寄せてくれますから✨ そのためにも、まずは信頼を育まないとね✨ ローマは一日にしてならず❗ 人生に近道などありません。 だけど、近道しても、 いや、こんなに快適で便利な時代はないにもかかわらず、 病気も減らないし(複雑にしてるだけ❓)、幸せに気づけた人もめっちゃ少ない❗ いい加減気づこうよ❗ 楽な道こそ落とし穴🕳❗ 急がば回れ❗ 焦らず、自分らしく、 心の平和を忘れずに…✨ さあ、アースして🌏✨
2020.10.26

せっかくの食欲の秋だというのに…、 例年なら、芋栗カボチャ…、 秋の恵み豊かな食材に心躍る季節なのに、 今年は私史上最高に心満たされ、 落ち着いている笑 あの凄まじい食欲も、 (あっ、今でも野菜中心なので、 基本はしっかり食べてますけど😚) かつての凄まじい甘いものへの欲求も、 いつの間にやらどこへやら… 今でも食べたいときは美味しく食べるけど、 食べなくても平気…な時が来るなんて❗ 誰かが目の前で食べていても、 たくさんの食べ物に溢れたデパ地下とか、 誘惑の多い場所に居ても、 食べなくて平気な時が来るなんて❗ 我ながら信じられません笑 それがいかに、自然な状態であるか、 心地よい状態であるか、 ようやく身に染みているところです✨ (野生動物は空腹でなければ、 目の前に獲物がいても、食べませんからね) そして、心の飢えがもたらす 凄まじいほどの飢餓感、欠乏感、劣等感という記憶の結果、 どれほど自らの身体を蝕み続けたことか… どれほど自らの身体に毒を注ぎ続けたことか…(怒りや心配などのネガティブな感情は、身体にとってとても有害なのです💀) 本当に申し訳なかった💦 そして、そんな傷跡を残しながらも、 今までずっと共に在り、 支え続けてくれたこの身体が 愛おしくてなりません✨ ありがとう✨ もうそれだけです✨ 今さらだけど、 健康って、本当は一番自然な姿なんですよね。 何もしなくても、 私達の頭よりも、 身体のほうが一番最適な状態を知っていて、 常に正常で在ろうとする。 常に私にとっての最適を保とうと、 働き続けてくれているのですから。 それを邪魔しているのは、 他でもない自分なのです。 そんな私じゃダメ❗ あの人みたいになりたい❗ (整形してでも…) こんな私じゃダメ❗ あの人に負けたくない❗ (嘘をついてだましてでも…) 私は現代人にしては欲が少ないのか、 (欲しいものが違うだけで、決して少ないとは思わないのだけど…) 自分を変えたい欲求があんまりありません。 少なくとも外見的には… (元から美人だから困らないとかではもちろんありません笑 今は自分の顔も好きになりましたけど💞) どちらかというと、 ネガティブだった昔さえ、 外見を変えることには興味はなく、 常に中身を変えるというか、 磨かなければ❗ 成長しなければ❗ …と、内側に求める内向型でした。 そういう意味では、 自分が変わる必要などないことを、 魂の声として気づいていたのかもしれません。 必要なのは、 在るものを引き出し、 それを育むこと。 そして、それを磨き、活かし続けること。 それがお役に立てるときがくるまで、 ひたすら地道に淡々と育て続けなさいと、 導かれていたように思います。 そして、成長にはゴールはありません。 ひとつクリアすれば、 次の課題が❗ きちんと内省していれば、 あちこちに気付きは転がっていて、 あちこちにチャンスは転がっていて、 でも、同じだけあちこちに悪魔の誘い(誘惑)も転がっていて、 自分の中に在る種、 自分が育てている花にふさわしいものを自ら引き寄せているわけです。 その種が邪心なら、心の中の邪心を見せてくれる結果を引き寄せてしまうわけですが、 その種が善意なら、心の中の善意にふさわしい結果、 もしくは、たとえ善意であっても、 その優しさが弱さからもたらされたものならば、 弱さを克服させるための問題を与えられるかもしれません。 良いことやってるのにうまくいかないとか、 頑張ってもうまくいかないとか、 何をしても困難から抜け出せないのなら、 そこには必ずその結果をもたらした原因の種が自分の中にあるからなのです。 いまほどたくさんの情報が氾濫している時代はないでしょう。 だけど、どれだけの情報に恵まれたとしても、 世の中が進化したとしても、 自分にとっての最適な答えは、 自分の中にしかないのです。 そこを見ずに、 外側にどれだけ探し求めても、 答えなどないのです。 さまよい疲れるだけです。 大事なことは、探すのではなく、 自分の中に響いてくるものを参考にしながら、 内側から引き出し、 育むことなのです。 この過程を短縮し、 他人に頼り、他人を拠り所にする限り、 大事な『私』を生きることはできません。 当然、不満や不快感が常につきまといます。 自らの手間暇を惜しみ、 楽させてもらっておきながら、 愚痴や不平不満を募らせるという、 とても厄介な嫌われ者という 自分という存在を自ら生み出してしまいます。 愚痴や不平不満は、 与えられているものや していただいていることへの感謝には気づかず、 もっとこうしてほしい、 まだまだ足りないという 心の飢えから生まれるものです。 そして、残念ながら、 その飢えは、自分で自分を育て、 自分を愛で満たし、 自分を信頼することを怠ったゆえの飢えでしかないのです。 現代には、その怖れや飢えを利用した商売がたくさんあります。 どんどん増えています。 繰り返したり、 病気にならないための予防という、 真の医療からかけ離れた、 複雑かつ多すぎる薬や手術に偏った多くの医療も、 そして健康食品やヒーリングの世界もまた、 人々を正すためでなく、 弱さを利用して成り立ってしまうわけです。 もちろんそれを理解した上で利用し、 癒されている人もいることでしょう。 そういう人達は、 不平不満ではなく、 感謝で繋がっているわけですから、 自然とうまくいくように導かれるものです。 問題なのは、利用しておきながら、 不平不満ばかりに囚われていること。 自分では何もしないのに、 他人には多くを求めることです。 そして、そういう場所で働いていると、 人からの邪気を受けやすく、 …というか、自分の中の邪気の種と引き寄せ合っているわけなので、 不快感や具合が悪くなるなど、 自分には合わないと思うなら、 速やかに離れるしかありません。 人を変えることはできません。 その仕事が好きならば、 感謝で繋がれる場所に移動するか、 起業するか、 もしくは邪気をはね除けるほどの強さを鍛えるしかありません。 邪気の蓄積は、 どんなにお金を稼いでも、 不運を自ら招いているようなものです。 本来健康とは、お金をかけてやることではなく、 自然なありのままの状態なのです。 そして、それを壊す原因は、 心の飢えであり、 自らクリーニングという僅かな手間暇を 惜しんで欲望に流され、 自ら蓄積させた邪気が引き寄せた結果に過ぎないのです。 誰のせいでもありません。 強いていえば、自己責任です。 ただ、もっと正確に言うと、 それさえも自分のせいではなく、 記憶がもたらす幻にすぎないのです。 記憶に囚われたままの自分でいることを許している』のは、自己責任ですが、 その記憶は、自分ではどうしようもないものがほとんどで、 因縁やしがらみなど、 あまりにも複雑不可解なものなので、 なぜ私が…と、自分を嘆いたり、責めることも良くないのです。 自己否定や自己嫌悪、自己憐憫という 自分を肯定できない生き方は、 絶対に良くはなりません。 そうではなく、 私達は宿命を持ちつつも、 誰もが自分にとっての完全体として、 人生に必要なものは全て与えられて 生まれてきたのです。 それを人と比べて足りないとか、 これでは嫌だなんて否定しても仕方ありません。 私達は、この闇のような世界から、 いかに在るものを活かして、 自分を取りもどし、 ありのままの私(自然体=完全体)として、 笑って乗り越えられるか、 この人生を自ら愛し、感謝に変えていけるか、 それを試されているように私は思うのです。 かつての私は、こんなに笑って生きている未来など、とても想像できませんでした。 何もない、 私はダメだから… 欠乏感と劣等感に苛まれた、 とてもネガティブな子供でした。 なんのために勉強するのか、 なんのために生きているのかさえ分からない、 重苦しい波動だっただろうな~と、 我ながら苦笑いするしかないのですが、 そんな私でも変われたのです。 変わりたいと望んだわけではありません。 変わらなきゃいけないとは思いつつ、 何をすればいいのかも分からないので、 誰にも聞くことさえできずにいましたし、 人に相談していいのだという、 人に頼っていいのだという考えすら 思いつきませんでした。 なぜなら、家族の中にすら、 居場所が見つけられなかったからです。 そんな私でさえも変われたのです。 なぜ❓ わかりません笑 ただ、湧き上がる内なる声にだけは素直に従ったというだけです。 誰にも頼れなかったからこそ、 頼るということが分からなかったからこそ、 私は変われたのだと思います。 今思うのは、最適な健康も、 最適な美しさも、最適な体型も、 最適な仕事も、最適な人間関係も、 全ては身体が知っているのです。 心地よいときは緩まり、 心地よくない、不快なときは緊張で力み、 自分にとって必要なことや、 学ぶべきことも、 心に響くなどの声を通して、 きちんと教えてくれているのです。 その自然の生理から遠ざかろうとする、 抵抗しようとしたり、拒否したり、 その上薬などの異物を安易に取り込むことで、 ますます自然の生理(自然体)から遠ざかっていく…。 ほとんど全ての問題や病気は、 それが宿命という生まれ持ったものでない限り、 心の問題であり、 どんなに医療が進化しても、 本人の心の問題が解決しない限り、 ますますその邪気を蓄積し、 それにふさわしい病気や困難という形で いつか受け取ることになるのです。 私はクリーニングなど知らないまま、 ひたすら地道に内なる声に従って乗り越えてきましたし、 幸いにも、そんなに自ら邪気を蓄積するような行為は好まなかったため、 とことんネガティブだったけど、 素直さと単純さに恵まれたように思ってます。 だけども、クリーニングを学んでから、 自分ではどうしようもない記憶もあるのだと知り、 前世や先祖からの蓄積による記憶などは、 どうしよもありません。 そんなときでも、 原因は分からないけど、 クリーニングしてくれるのだと分かると、 どれだけ闇のように思える世界の中でも、心強いか✨ 素直さと単純さが、 これほど役に立つ宝だとは思いもしませんでした笑 現代人の問題は賢くなりすぎたことだと思えてなりません。 賢すぎて、信じきれない。 賢すぎて、疑わずにはいられない。 私にアプローチしてきた男性方も、 私が何も言わずとも、 勝手に憶測でダメなんだと思い込み、 勝手に去って行った人がどれほどいたか…(そして心を閉ざしてしまう)。 多くは思い込みすぎているのです。 (記憶に囚われていて、自信が持てない) 確かに賢くなったおかげで、 たくさんの恩恵もあるのでしょう。 でも私には、 無駄な科学の論文や 命を残酷なまでに使い捨てた、 無駄な実験もたくさんあることを知っています。 そんな実験しなくても、 私達は幸せに健康に生きる術が与えられているのに… 現代人の不幸や問題、病気の多くは、 単なる自然の摂理から離れた生き方、 つまりは傲慢な生き方がもたらしたものであるように私には思えてならないのです。 (つまりは、治す気さえあれば、簡単に治るものがたくさんあるように思えます。 ただ信じきれないだけで… あと楽して、きれいごとで済ませたいだけで…) なぜなら、無限の欲望によって、 それを進化という名のもとで、 自分で自分の首を絞めているだけの人が たくさんいるからです。 大事な自分にも、 与えられた恵みにも目をくれず、 外側の刺激に流され、 彷徨い、どこまで行っても満たされない蟻地獄の中で、もがいてる。 でもその首を絞めているのは、 自分でしかないのです。 記憶に囚われ、 思い込みでがんじがらめにして、 高く越えられない壁を自ら創り出しているのです。 確かにITの発達によって、 世界は無限の可能性があるように思えます。 しかし、この身体は有限には変わりません。 そして、無限にお金を創り出す傲慢な仕組みが崩壊しつつある今、 それを奪い合うことに意味はあるのでしょうか❓ 蜘蛛の糸にしがみつく亡者のように、 決して幸せな人生とは言えません。 お金を稼ぐことに必死で頑張ったあげくに、身体を壊し、 そのおかげで本当に大切なことに気付けたという経営者も多いものです。 気付けた人は幸せです。 最悪、気付くことなく、 苦しみだけの人生になるかもしれません。 それもまたひとつの人生ですが…。 大切なのは、内なる平和がない限り、 自分への信頼がない限り、 本当に大事なことは見えてこないということです。 自分にとっての最適とは、 誰かと比べられるものではありません。 まずは、クリーニングを始めませんか❓ 心の中の卑しさや欲望を否定したり、批判するのではなく、 どんなに醜い感情であっても、 受け止め、自分の中の愛で包み込み、昇華させてあげる。 自分を記憶から解放していくことは、 人生という長い(短い❓)旅の中で、 少しずつ殻を破り、本当の私を見つける宝探しのようなもの。 自然体の私が見つかったときの喜び、 そして自然体で生きることの周りへの影響は計り知れません。 何もしてないのに、 勝手に笑顔や勇気、やる気を引き出し、 広がっていくのですから。 ただ、世の中には、 闇のまま生きたい人もいるので、 そういう人からは嫉妬されたり、 もしくは近づいてこないことがほとんどです。 つまりは、邪気すら寄せ付けなくなってくるのです。 優しさだけでは邪気に負けてしまいます。 強さも必要なのです。 邪気を寄せ付けない強さが❗ なぜなら、助気に負けてしまうのも、 自分の中にある邪気が原因だからです。 邪気を寄せ付けない強さは、 自分の中の邪気すら受け入れる、 強い精神の賜なのです✨ 誰しも邪気のない人はいません。 清らかだけの人などいないのです。 だからこそ、人間として学びに生まれてきたのですから。 邪気を否定したり、 抵抗するのではなく、 クリーニングして、認めてしまうことです。 良い人になりすぎるのは、決して自然体ではありません。 自然体とは、欠点も苦手も、格好悪い自分も認め、 受け入れる強さです。 自分で受け入れ、 認めた人は、別に隠してないので怖れがないのです。 こんなにも強く、自由で、 生命輝く生き方はないでしょう✨ 私が私らしく、 伸び伸びと生きること✨ そのインパクトは強烈らしいので、 他者への配慮と敬意も忘れないようにしましょう❗ 何事も無駄に戦わないことが大切です。 戦うことや自慢することが目的ではないですからね❗ その上で、伸び伸びと人生から学び、 成長を楽しみましょう✨ 最適な健康も、美しさも、体型も、 仕事も、人間関係も、 自然体でこそ勝手に引き寄せ、 勝手に導かれていくのだと、 私はしみじみ感じてます✨ 白血病キャリアの凛が、 私の予想や心配をはるか越えて、 こんなにも問題なく生きていけるのも、 凛の自然体にお任せした結果でもあるのです。 (当時調べた情報はどれも、希望が見えない、暗くなるものばかりでしたが、今はもうすっかり心配から解放され、凛にお任せなので楽チン✨) 自然体こそ最高で最適な人生✨ 潜在意識の活用で、 無限の可能性やチャンスは広がっていますし、 素晴らしく雄大な人生を描き、 多くの賞賛を得た人はたくさんいますが、 正直、大きく広がりすぎた人に、 健やかな最期を送った人を私は知りません。 何が幸せかは人それぞれですが、 頑張りすぎ、欲張りすぎ、 かっこつけすぎというのも、 不自然なのです。 一番は悔いなく人生を全うすること✨ 私らしく生きましょう✨ 自然体であれ✨ 凛、なんだか雄々しいです笑
2020.09.24

しばらく自分研究をしてみて、 ある程度結論に至りました✨ (大人になっても自由研究は楽しい✨ もともと健康になりたくて引き出された 私の探究心や好奇心も、人生を愛するために与えられた素晴らしい才能かもしれませんね💞) ネガティブから始まった私の人生、 どうしてこうも幸運過ぎて怖いほどに 恵まれるようになれたのか❗ それは…私の名前が『多恵』だから✨ 爆笑😆❗ …でも、冗談ではありません❗ つまりは名前は体を表す✨ ブループリントですでに決まった人生のシナリオや役割など、 何かしら鍵になるものを『名前』は表しているのかもしれません❗ ブループリントでは、生年月日も名前も、 あらゆることが事細かに決まっているらしく、 …というか、 自分で決めてくるらしく、 魂の課題が込められているように思うのです。 (親が決めるのではなく、自分で決めてくるのだとか…) 私の場合はたくさんの闇をまず経験することで、 いかに自分が幸せか、 恵まれているか、 愛されているかに気付くこと💞 そして、私自身が愛そのものであることを思い出すこと💞 どれだけ世界が闇に満ちているように思えても、 闇に埋もれるでも、 人生も自分も諦めるでもなく、 (特に父の自殺という体験を乗り越える意味で、クリーニングして、死への怖れさえ手放すことは、私の人生において大きな課題だったように思うのです。 なぜなら、戦争を知らない私が幼少期から戦争の恐ろしい夢を繰りかえし見続けたことや、 人間による動物たち(途上国など弱者に対しても)への残酷な扱いを知ることで、 私は常に死への恐怖を抱いていたからです。 死ぬことへの恐怖ではなく、 『死』という未知の存在への怖れと 人間に潜む凶暴さ(悪魔、地獄)への怖れという感覚。 それが様々な不調や不幸を現象化し、 健康という『生』への渇望に繋がったのかもしれません。 つまりは、後々課題を乗り越え、 幸せに生きるために必要な過程に過ぎなかったわけですね❗ 私が『全てがうまくいっている』と心から神様の計らいに対して信頼できるのも、 こういう経緯を体験し、 自ら乗り越えからこそ得られたこの体感は(怖れの克服)、幸せに生きるための最高の財産だと思ってます✨) 何よりも、闇を他人や状況のせいにして、 怒りや憎しみ、恨みや嫉妬など、 ネガティブな感情で自分を貶めなかったことは、 私は私の挑戦に勝った✨ =ひとまずの課題をクリアした✨ …と言えるかもしれません。 そのご褒美が才能開花✨ 自分を知ることは、与えられた才能や運に(宝)に気付くこと❗ そして、それを活かして、 他者や世の中(人間だけでなく、動物や自然など、地球まで含めて)の幸せ(平和)に貢献することが、私の使命のように感じてたのも、シナリオ通りだったのかな~と笑 私の才能とは…、 体験を通して引き出されたものが幸運にもたくさんあるのですが、 ひとつを選ぶとするなら、 もうまさしく『あげまん体質』かな✨ 昔、占いでも『天性のあげまん体質』と書かれていたことを思い出しました。 当時はまだ開花してなかった(自分に自信すら持てずにいた)ので、 当たってないと思い込んでましたけど…。 40前からの不可解なほどの激モテの理由は、 私が自分の殻を破り始め、 本当の私が目覚め始めていた時期で、 自分でも何をやってもうまくいく…みたいな、 (望んでもないのに勝手に評価され、特別待遇を与えられ、敬われるなど…) 恐らく『天性のあげまん体質』という才能が 無自覚ながらダダ漏れしてたんでしょう…笑 私の傍にいると、なんだか心地よい💞 =うまくいく(調子がいい) だから傍にいたい、 お近づきになりたいと思わせていたのかもしれません。 だけども、私自身が無自覚なので、 その力を使いこなせていないまま、 私も興味を持てば(何か心に響けば)、 バンバン距離を近づけてくため、 たぶん怖れさせちゃったのだと思いますが…笑 男性は自分から追いたい性質を持つので、 相手から近づいてくると怖れを感じずにはいられないようです。 無知な私は、興味を示す相手に無邪気にバンバン近づいてましたから、 もう相手は可哀想なほど目が泳ぎまくりでした笑 まぁ、何度も同じような体験を繰り返したことで、 ようやく気付きましたけど… あんなに何度も何度も同じ体験を繰り返すまで気付かなかったことに、 今では笑うしかないのですが、 神様もなかなか気が長い笑 よくぞ気付くまで待っててくださった✨ 諦めずに気付くまでチャンスを与えてくださったことに素直に感謝です✨ 結局男性は、若いうちは外見とかスタイルとかで脳(ホルモン)に振り回されちゃうけど、 その結果の痛い失敗や経験から、 何が自分に必要なのかも体感として学んでいるのだと思うのです。 それは経営者や、夢や希望を捨てていない人…、 つまりはもっと自分を高めたい願望が強い人ほど、 自分の努力だけではどうにもならない、 『運』という目に見えない力の存在に気付いているからでしょう。 それを感じさせてくれる女性がいたら、 傍にいると調子が良くなる女性がいたら、 そりゃ~ほっとけないですよね笑 たぶん本人たちも、 なぜだか分からないけど、気になって仕方ない… 私はそんな存在なんだと思うのです。 でも今考えたら、 別に40前からの才能開花ではなく、 私が気付けてなかっただけで、 思い起こせば小学生時代からずっと、 チラホラと好意は寄せられてたんです。 (これまた延々と同じことを繰り返してた) しかも彼らには共通点があることにも気づきました。 大人しかったり(時にいじめられっ子だったり)、 強がりだけど心に闇を抱えていたり…、 今思えば、誰もが『劣等感』強めの人ばかりだったのは、 自然と私の存在が放つ、 癒やしのようなものを感じていたのかもしれません。 (同じく心の闇を抱えた人間として…。 しかも愛と慈悲という、大きな素質も与えられていたためでしょう。) そんな私が怖れてばかりの男性に頼ることよりも、 ひとりで生きていく覚悟を決めた40前あたりで、 自然と自我の殻が破れ、 本当の私という才能が目覚め始めたのでしょう。 私は男性に頼らないことで、 溌剌と才覚を発揮し始め、 自分に対して心が開かれ、 自然と運も開かれ、流れ始めたように思うのです。 男性に対しても、怒りとか憎しみから頼らないのではなく、 父に頼るという体験ができなかった私は、はなから『頼る』という感覚が育まれず、 分からないだけなのですが…苦笑💦 もともとが与え好きですから、 運気も惜しむことなく、 男性に限らず、 周りにいる人に光を放ちまくっていたようで、 開運後はいつだって 『多恵ちゃんの傍にいると元気になる❗』 『ラッキー❗今日は多恵ちゃんの隣の席だ✨』…とか、 居るだけで喜ばれるようになったのも、 当時はお世辞や冗談かと無邪気に笑ってたけど、 本当に皆さん喜んでたんだな~と、 しみじみ思えるのです✨ 健康とか大切なことを、 言葉で頑張って伝えなきゃってイキがってるときは面倒くさがられてたのに、 諦めたら(手放したら)勝手にやってきた笑 才能って、つくづく自分では気付かないもんだと思います。 それが自分には自然すぎて、 (何も努力してないことだから) 気付けないというか… だからこそ、周りの人によって、 賞賛されたり、評価されたり、 感謝されたりすることで、 気付かせていただく仕組みなのかもしれません。 何もしてないのに絶賛される… もてはやされる…とかね笑 勝手にありがたがられ、 勝手に喜ばれる笑 才能って、なんと素晴らしいのでしょう✨ なんとまぁ楽ちんな…✨笑 唯物論的視点から、超能力研究をされた 小林正観さんも何度も書かれてますが、 努力や頑張りは好きならいいけど、 嫌々やっても絶対に良くはならないと…。 私は努力や頑張りさえも、 達成感や成長する喜びとして捉えていたので楽しかったし、 そのおかげで、殻が破れて今があると 心底思ってるので、 思う存分に有り余るエネルギー使って 燃え尽くしたことに全然後悔ないし、 それが超能力、つまりは潜在能力の目覚めには必要だとは思ってます。 (正観さん自身もこのタイプだったようですし…。ただ、いつかは手放すときが来るということ❗やるだけやらなきゃ分からないと思うしね❗) 私の知る限り、 成功者は必ず山(闇)を越えた人だと思えるからです。 自分にとっての成功や幸せが何なのか分からなかった私でさえ、 ただ『生きること』を大事に、 無意識に感謝が持てる(喜び、心地良さを感じる)ほうを感知しながら選択してきたし(時として心に響けば、リスクはあっても挑戦したりと大胆な面も私にはある)、 そのため、お金のためであっても、 心を犠牲にすることはなく、 お金(仕事、安泰、保証)よりも、 いつもなぜだか心に従い、 (無自覚ながら、すでに揺るぎない信頼があったのですね…) リスクはあっても成長する道を選んできたのです。 だから、転職が多い(占いでも指摘されるほど、変化の多い人生らしい)❗ しかもキャリアアップが人生の目的ではないので、 給料が増えるわけでもないのだけど、 私の魂は色んな体験を望み、 私の意識を拡大させ、 寛容さという、この世で楽に生きるための宝(決してお金で買うことのできない価値)を与えてくれたのかもしれません。 決して安泰な人生ではないのに 不安も、過去に悔いも一切ないのは、 コロナも含め、 これからの未知なる未来に向けても、 (未来なんてもともと未知なんだけど笑) いかなる状況が訪れようとも、 寛容さ、あるがままを受け入れる器の広さ(自己の殻を破った)を手にした私には、 未知なる怖れや不安よりも、 まぁ、どうにでもなる❗ (なんせ私は運がいい(=神様に愛されてる)から✨)…と、絶対的な信頼で内なる自分、もしくは神様と結ばれているので、 昔のネガティブな私が嘘のように、 気楽に構えて生きていけるからです✨ 警戒は一応するけど、 それも外側の誰かに対するものではなく、 あくまでも内側に向けてのこと。 敵がいたとしても、 それは私の中の邪心であって、 他の誰かではない❗ だまされたり、 利用されたりして生まれた『苦しみ』も、 自分の欲望から生じた現象でしかなく、 楽して儲けたいとか、 楽して幸せになりたいとか、 誰かを貶めてでも自分が上に立ちたいとか… その内なる邪心が悪魔や地獄と思えるような現象を生み出してる(引き寄せてる)だけのこと❗ 天国も地獄も死後の世界ではなく、 今ここに創り出してる現実を、 そのまま死後の世界に想像しているだけなんだと私には思えます。 私がそういう世俗的な欲望が低かったのは、 母のワガママや、 人間の残酷な側面を早くから見続けていたことで(それもシナリオだろうけど❗)、 人間である自分への罪悪感や失望を 先に体験していたからでしょう。 今が最善だと思えたなら、 未来も死後も怖れる必要などないのです❗ だから警戒するのは内なる邪心(細胞ひとつひとつに刻まれた記憶)だけ❗ 邪心を持つな❗…という意味ではなく、 邪心を見つけたなら、 隠さず、ごまかさず、 (自分に対して) そんな自分も認めて、受け入れて、 思いを昇華するべく、クリーニングすればいいだけなのです❗ 邪心(記憶)を持たない人間などいないのですから❗ 恥ずかしいと思って自己否定や自己嫌悪して、ごまかしたり無視すること(見て見ぬふり)が、 更なる記憶の積み重ねを生んでしまうので、非常に厄介です。 しかも、負の連鎖は周りにも拡散してしまうので…。 (類は友を呼ぶ。愚痴ばかりの人の周りは愚痴ばかりの人が集まるのは、記憶で繋がっていくから❗) 日常的にクリーニングしてると、 昇華させるために必要な手段が 直感として受け取れるようになります。 そして、記憶が刻まれた、不完全な肉体を持つ人間が、完全になろうとする、 もしくは完全で在ろうとすること自体に歪みが生じ、自分を苦しめ、 その苦しみが他人まで苦しめてしまうのですから(負の連鎖は親子から始まる😱劣等感の強い親がもたらす記憶の連鎖は凄まじいのです💦ただ、それを克服するのも課題のひとつに過ぎないのですけどね❗ …と思うと、同情は役に立たないどころか、 それがまた負の連鎖にさえなり得るのですから、記憶のクリーニングしかすることがない笑)、 邪心を隠した『格好いい』だけの人が幸せになる(心満たされる)ことは難しいのです(私には、格好(ブランド、高級車、肩書きなど、外側のもの)で塗り固められた劣等感に見えてしまうのです。 あっ、でも、それを克服して、 自らを役立てることで周りを喜ばせ、 成功しているタイプの人は、 時としてまだある邪心や物欲をごまかさずに、素直に面白がって利用している人もいるので、そんな人はかえって清々しい雰囲気すら私には感じられるのですが…)。 人々に刻まれた劣等感や罪悪感などの記憶、苦しみに、存在としての癒やしを与えるのが、私の才能のようで、 恐らくホッと感じさせるのではないかと思うのです。 (私の中が平和に満ちてるので、争わなくていいから。男性だけでなく、女性からも言われるし、動物にまで愛されるので、今の時代に闘争心がないということは、相当貴重なお宝的存在かもしれません) ただ、私は別の才能、エンパス(共感能力)ゆえに、 相手の感情を見抜いてしまうので、 邪心というか、心の闇的なものが見えてしまうのです。 だから、好きな女性の役に立って、 頼りにされたい男性の性質とは裏腹に、 私はつい、心配や可哀想という同情の目で見てしまい、 男性にとっては屈辱的だろう、 『心配』ばかりしてしまっていたのです。 恐らく相当なショックを与えていただろうと思われます。 これも繰り返したことで理解したことですけど…。 昔は随分と苦しめられてきたエンパスも、 今では才能だとさえ思えるようになったのは、 鬱屈した世界では、他人の闇まで抱え込んで心も体も重くてたまらなかったけど、 逆を言えば(うまく使えば)、 自分の理想とする考え方、生き方など、 共感できる人や体験に身を置けば、 それらを自分の力に変えていけるということなのです✨ だからこそ、やる気のない人や無関心の人、愚痴や不平不満ばかりの人、 格好つけるだけの人(プライドの高い人)など、 重たい空気を放つ人とは距離を置くようになったけど、 (エンパスの私にはきついから❗) 今は敢えてそうしなくても、 目覚めてからの私には、 彼らはどうも近づけないらしいです笑 発する波動が違いすぎて、 お互いに違和感を感じるからでしょう。 つまりは、自分を高めておくことは、 無駄に戦わずに済む、一番楽な生き方なのです✨ 高めるとは、クリーニングして、 本当の私で生きるということ。 つまりは、必要なものは勝手に引き寄せられ(成長のために必要なことなので、問題がなくなるわけではない❗)、 必要ないもの(成長の役に立たないもの)はやってこないという、 なんとも快適な、最善の生き方だとさえ私は思ってますし、 だからこそ、何があっても抵抗なく、 今の私に必要なことなんだと、 素直にあるがままを受け入れることができるのです。 素直に受け入れることで、 ますます才能や運は磨かれ、 自分を活かして、誰かの役に立つことは、 より良い循環を生み出す源(原因)であり、 それが勝手に結果として私に『喜び』をもたらしてくれるだけなのです✨ 限りある資源と違い、 運気も愛も無限にあるものなので、 惜しむ必要などないのに、 多くの人が、 限りある資源は浪費し、無駄遣いしながら、 運気や愛(現代人の場合、お金であることが多いけど)は惜しんで、ケチって、独り占めして、自分のところで流れを止めてしまう人が多いように思われます。 その貧しい心が、あらゆる貧しさを生み出していることも気付かずに…。 多くの人が抱えるほとんどの問題は、 貧しい心が生み出す現象のように 私には思えるのです。 地球や自然、動物、弱者などへの配慮は持たず、 こんなにも与えられている恵みや感謝にも気付く気もなく、 自分の欲望ばかりに執着した生き方(思考癖)は、 まさしく芥川龍之介の『蜘蛛の糸』❗ 自ら地獄を生きることなのではないでしょうか❓ 私にはそう思えてなりません。 特に才能開花した今、 自分があげまんだったことに気づいたからこそ、 私という存在が、 共にいるだけで、周りの人達まで運気を上げてあげられる(勝手に才能や運を引き出してあげられる)ことに、喜びを覚えます。 ガラガラだったお店で一休み(お茶とかご飯とか)してると、 いつの間にかお客さんでいっぱいになってたり… 私は存在だけで良い波動をもたらす存在であることを自覚した今は、 もう心配とか同情ではなく、 (低い波動に自らを貶めること) 私が私らしく学びある人生を楽しむことで、周りにいる上がりたい人は勝手に上がっていくことができるわけですから✨ こんなに楽ちんで、役立てる喜びまで得られて、私は何と幸せ者でしょう✨ それが、本当の私を生きることの意味、 自らの意思で自己を磨き、 与えられた才能や運を開花させることの大切さなんだと思うのです。 そこまでは努力も必要❗ だけど、そこまで来れば、 あとは勝手に流れ始める❗ いや、ずぅ~っと流れてるものなんだけど、 自己を磨き、自己を開かない限り、 流れに気付けないのだと思うのです。 成功者だけが特別なのではなく、 誰もが平等に持つ権利のようなもの。 だって、誰もがこの無限の愛に満ちた宇宙の住人なのですから✨ ただ気付けるかどうかだけ…なのです。 だとすれば、感謝しないことの罪深さ、 宇宙(神)の愛に満ちてるのに、 もっともっとと欲張ることの強欲さ、 他人を蹴落としてでも上に行きたいと願う、蜘蛛の糸の世界を生きるなら、 それは同情には値しませんよね。 その世界を存分に満喫して、 もたらされた結果(痛み)から本人が学ぶしかないのですから。 そしてそれさえブループリントで決まってるなら、 思いを尽くして いくとこまでやってみなけりゃ分からないし❗ 中途半端が一番良くない❗ 愚痴や不平不満が一番自分をダメにする❗ 問題は成長するチャンス✨ ホオポノポノでは、クリーニングするチャンス✨ 問題がなくなるとボケちゃうだけよ❗ 私は過度なバリアフリーは退化の元だと思うから、 多少のストレスや不便は大歓迎だし笑 問題と向き合うことでクリアしながら、 成長する喜びを糧に育まれた私の思考バターンは、安楽な生き方では物足りないので、挑戦こそ生きる喜び❗ でも、昔のように、無駄に壁に体当たりするような自傷行為はもうしませんけどね笑 心も体もたくさん傷つけちゃったことに、 心から反省してるので、 しかも、それゆえに周りにも強さと努力を押しつけてきたように思うので、 それもまた反省とクリーニングして、 もう無駄にやる気のない人達を助ける必要も感じなくなれたのですから。 クリーニングの成果ですね✨ あくまでも私のあげまん効果は、 本人にやる気あってのものだし、 (だから、経営者とか自分を持ってる人たちを惹きつけるのでしょう。 でも、経営はできても、劣等感の塊のような人はたくさんいるのですけどね笑。 つまりは、お金が幸せをもたらすわけではないのです。あくまでも幸せは内なるバランスあってのものだから。) 自らの意思で良くなりたい、 それを他者のために役立てたいという、 自利利他の精神、 愛の循環のために役立てたいと思ってます✨ 自分の心に従えば、 外側のどんな邪心も、闇も、毒も 怖るるに足らず❗ しかも、素直ながらあまのじゃくで、 無邪気にイタズラ(サプライズ)好きな私は、 邪心を隠した格好良さよりも、 邪心を隠さない、清々しさのほうが好意を持てます。 それが男性の持つ承認欲求や お金持ちになりたい願望であっても、 健康的な範疇であれば、エッチな下心も、 嫉妬や独占欲さえも、 隠さないほうが断然清々しくて、 好感が持てる✨ (素直に可愛いと思ってしまいます笑) 隠すからいやらしい(卑しい)顔になっちゃうわけで、 絶対に損だと思うもの❗ どんどん思いは尽くせば昇華できる❗ ダメな自分も、弱い自分も、 ぜ~んぶ受け入れて、 隠したりごまかしたりするために、 無駄なエネルギーは使わない❗ それよりも、どうせバレるんだから、 ありのままの自分で勝負したほうが、 ダメなところに焦点当てないで、 良いところをどんどん伸ばすことにエネルギー使ったほうが、断然お得✨ そして、そんな男性は自信が出てきて、 かっこいいと思う✨ 自信がついて、心開いたら、 運もどんどん開かれる✨ だから、自分にだけはごまかさず、隠さず、無視せず生きよう❗ 自分にだけは心開いて、 自己否定や自己嫌悪ではなく、 そうしなくて済むように、 良いところ(才能)をどんどん伸ばして、 自分を愛そう✨ その愛が自然と周りにも豊かさとして循環してくから✨ まずは自分からだよ✨ 愛と運気は無限だからね✨ ケチらず、惜しみなく、 どんどん循環させよう✨ その心意気を神様はちゃんと見てるから✨ 見返りを求めなくても、 結果を期待しなくても、 必ずサプライズは勝手にやってくるの❗ それが神様のやり方✨ (私の体験ではね❗しかも、いつも想定外だから面白い✨敢えて願望すら決めつけないほうが、つまりは、神様が与えてくれる、私に最適なものをお任せしたほうが、断然面白いので、止められないだけなのです笑❗決して私に邪心や欲望がないわけではなく、記憶として思い出しても、クリーニングしてクリアな目で直感に委ねているだけなのですから。だって、何が私に最適かなんて分からないしね❗) だから安心して、 惜しみなく、心尽くして生きるべし❗ それが才能開花の秘訣だと、私は思うのです❗ 懐かしい虎✨ 今でも愛は消えません💞
2020.09.10
昨夜からずっと続く、 家が揺れるほど、久しぶりに凄まじい台風の猛威の中、 目が冴えて眠れないので、 瞑想や深い呼吸をしながら、 内観してました。 自分の中にある怖れや不安を見つめながらも、 思った以上に冷静な私がいて、 家は揺れるは、窓は割れそうなほどガタガタ言ってるし、 倒壊的な心配はちょっぴりビビりつつ、 ふと窓に立てかけてる葦簀(よしず)を見て気付きました。 こんなにも窓はガタガタ言ってるのに、 左右を麻紐で固定はしてるものの、 風を通す、しなやかな葦簀は時々揺れる程度で、 もちろん役割が違うから、 比較できようもないんだけど、 なんともそのしなやかな強さ、 ありのままを受け入れる懐の深さのようなものが感じられ、 自然素材ゆえの、 自然(雨風)との調和した寛容さ(抵抗のない緩やかさ)に、 窓が割れやしないかとちょっぴりハラハラしていた心も落ち着きを取り戻し、 しばらくじ~っと観察していたのでした。 朝日が昇り、明るくなってからは、 水しぶきがあちこちに、 キラキラと輝く水玉模様を描いていて、 豪風雨で凄まじい音が鳴り響く中、 怖れよりも、美しささえ感じられたほど。 自然と調和して生きることの大切さを、 改めてしみじみと実感できた出来事でした。 …といっても、まだ豪風雨の真っ只中だけど笑 しかも、途中で片方の麻紐が切れたようで、葦簀は片方に偏っちゃったんだけど、 それでも他の何かを壊すこともなく(傷つけることなく)、 ひっそりと倒れて寄りかかっている葦簀に、 なんとも日本らしい和の心、優しささえ感じられたのです。 あぁ、日本ってすごいな~って。 改めて日本の地味で滋味でひっそりと慎ましい、しなやかな強さ、底力を感じました。 こんなにも風はビュービュー鳴り響き、 窓はガタガタ、家は揺れ、 私でもちょっぴりビビったというのに、 離れて暮らす母や姉、虎やお外の猫たち、 その他あらゆる生命たちが、 無事にやり過ごすことができますようにと祈りつつ、 隣を見れば、猫ズは全く動じておらず、 私が起きてるので、 猫ズも甘えてきたりするのだけど、 みじんも不安は感じられず、 私に寄りかかって安心してまた眠りにつくその姿に、 私は『私』の落ち着きを見たのでした。 やっぱり私は落ち着いてるんだって。 それも、猫ズが傍にいてくれるおかげで、 改めて気付くことができたと思うから、 人は目の前の状況や人、ものを 通して『私』を知るのだと、 しみじみと実感したひとときでした。 そうなると、 本当に『私』と神(神聖なる存在、宇宙意識)しかいないんだな~。 それを脳の働きと見れば、そうかもしれないけど(わからなくていいし、私には重要ではない)、 私的には神様のほうが心地いいし、 神様を信頼して生きる生き方は、 なんとも心が平穏で、しかも心強い。 肉体を持つ人間は不完全で弱いものだからこそ、 神様と共に生きることは、 とても心強く、様々な現象に対して、 勇気を持って挑戦さえできるのです。 神様と言っても、宗教ではありません。 外の神様ではなく、 内なる神様。 全体を司る神様(創造主、源)とも繋がっているから、 敢えて外側に、他の人に拠り所を頼む必要もなく、 それぞれの内なる神様に対しても、 自分と同じように、敬意を感じるようにもなりました。 人として見ている限り、 相手によってイライラしたり、不安になってり… 問題は外にあるように思えて、 相手が悪い、環境が悪いなど、 狭い視点でしか考えられなかったけど、 内なる神様の存在、本当の私の存在を実感してからは、 自分への扱いも、 他者への扱いも、 物への扱いも、 あらゆる対応の仕方が変わったのです。 もう安易に下手な対応はできない💦 例え未熟な対応に一瞬イラッときても、 その人の内なる神様への敬意は忘れてはならないと、心してクリーニングに努めていたら、 いつの間にかそれが自然に身について、 どこにいようと、ますます私のほうが大切に扱われ、敬われるという、 いつもながら、全くもって勝手にお得な状況を引き寄せてます笑 クリーニングして、自らを正し、 心を清めることは、 本来の姿を取り戻すことは、 (あくまでも思い出すってことで、自分を変えなきゃいけないわけではない❗本来は誰もが素晴らしい存在として生命を与えられてるのだから、溜め込んでしまった記憶をクリーニングして、本来の姿を思い出せばいいだけなのです✨) 頭で意図して何かを狙ってやること、 願うこととは違います。 『私』にとって最適なこと、 ふさわしいことは『私』には分からないので(ブループリント)、 ただクリーニングして、 邪魔している記憶を取っ払い、 心をスッキリゼロに戻すこと。 その緩んだ平和に満ちた、 ゆとりとスペースに、インスピレーションとして必要なこと、ふさわしいこと、 最適なことが訪れる。 実際はいつでも訪れていて、 気付かせてくれてるのだけど、 記憶に囚われた、 歪んだ心のままでは、 気付くことができないだけなのだから。 自分の殻を壊すことは怖い、 心を開いて傷つけられるのも怖い、 人はたくさんの怖れを抱えて生きている。 その抱え込んだまのま怖れが、 物質的な肉体に病気という形を生み出すようだ。 ようは、昔から言われる病は気から❗ 心の病が身体に表れるってこと。 私の場合、心にたくさん『思い』を溜め込むと、 そのはけ口として食べてしまい(発散)太りやすかったし、 (太ると言うより、私は浮腫むタイプだけど。今のところ、もう太ることはなさそうだ) もうこんな世界は見たくないと嘆いてたら、 目が悪くなったり… 幼少期からの心を閉ざした生き方も、 成長の遅れや免疫力(生命力)の低さとして、 様々なアレルギーや体調不良を度々起こしてたしね、 本当に心と体は繋がってると実感しています。 だから、その心を歪めたまま、 (記憶に囚われたまま) 身体ばかりにむち打って、 頑張らなきゃともがいても、 自分を苦しめるばかりです。 大事なことは心と体のバランス、 心の中のバランスの崩れが 身体にも大きな影響を与えるのですから。 もちろん身体の怪我とか虐待、暴力とか、 身体から心にも影響は大きいです。 どちらが上とが下とかではなく、 双方が影響し合っていること、 繋がっていることを知れば、 〇〇だけすればいいなんて健康法は存在しないことに気付くでしょう。 もっと言えば、楽して健康になりたい、 楽してお金が欲しい、 その安易で配慮や感謝のない思考癖こそが諸悪の根源で、苦しみを生み出しているとも言えます。 本来の姿を取り戻すことは、 その歪んだ思考癖を正すことに他なりません。 クリーニングして、 固定観念や記憶に囚われた、 自分に自分でかけた手かせ、足かせを外すこと❗ 自分を解放することです。 解放することは、 単に好き放題にワガママに生きることではありません。 配慮や感謝のない生き方は、 新たな苦しみを生み出しますが、 本来の姿を取り戻すことは、 自分の中に秘めていた 神聖なる存在を思い出すことなのですから、 誰かを傷つけたり、 貶めたり、戦ったりする必要などないのです。 そして、頭で考えて行動することとは違い、 直感を通して体感して生きていくことは、 何よりも他者と共に喜びを分かち合える、 調和した生き方なのです。 敵を作らず、 喜びを分かち合える関係、 だけども、ベッタリ依存するような関係ではなく、 お互いが自立してるからこそ、 尊重し合えるのです。 さぁ、クリーニングしましょう✨ 実践あるのみです❗ 結果や見返りを期待してするのではなく、 私にとって最適なこと、 ふさわしいことはブループリントですでに決まってるのだから、 安心して、愛と信頼で、ただクリーニングし続けるだけです。 その何も期待してない、 平然と淡々と生きてるうちに、 (私は淡々とも楽しんでるけどね❗) 勝手に神様はふさわしいご褒美を与えてくれるのですから、 いつも思いがけないラッキーに、 感謝も倍々です💞 私の場合、 その素直な喜びという反応が、 また私に笑顔をもたらし、 その無邪気で素直な笑顔が、 勝手に周りにいる人にも笑顔の和が広がってくのですから、 こんなに楽なことはありません✨ 今まで、一生懸命言葉で伝えようとしても、 面倒くさがられたり、 真面目すぎて場の空気を重くしてしまったり… 本当に頑張れば頑張るほど、 その良さを伝えられずにいたけれど、 (健康とか地球や自然の大切さとがね) やり尽くして諦めた(手放せた)時、 周りのほうから、勝手に近づいてくるのだから、人間とは勝手な…と苦笑いしかないけど、面白い笑 ようは、真面目なことほど、 頑張っちゃダメなのよね❗ 真面目なことほど、 いかに楽しんで実践してくか❗…が大事で、 楽しいからこそ続けられるのだしね❗ 楽しくやってるうちに、 勝手に健康にも、美容にも、ダイエットにもなってて、 自然と調和した生き方は、 勝手に自然や動物にも優しい選択で、 そのバランスが取れてるから、 勝手に健康や美容にも繋がってるという… 本当に、全ては繋がっていて、 巡っているからこそ、 その本質を大事にしながら、 いかに面白く実践してくか❗ それこそが生きる知恵であり、 腕の見せどころなんだな~と、 40過ぎたけど、気付けて良かった~✨ だって、年齢を重ねることへの不安よりも、まだまだチャレンジしていくことの楽しみや喜びのほうが大きいんだもん✨ どれだけ真面目(本質)を面白く、 知恵とユーモアで、チャーミングに彩るか✨ ビュービュー鳴り響く豪風雨のさなか、 いつしか台風のことさえ頭からは消えていて、 また心の中に喜びと新たな好奇心が湧いてきたのでした✨ さぁ、クリーニングしましょう✨ スッキリと心にスペースを空けて、 部屋の中も要らないものは手放し、片付け、 スペースを空けて(心の中と部屋の状況も繋がってますからね~) 新しい扉を次々と開き、 心豊かにユーモアもって歩みを進めよう❗ さぁ、いつもクリーニング✨ 平和は私から始まる✨
2020.09.07
ウサギとカメの童話を知らない人はいないでしょう。 姉と私は、つくづくウサギとカメだと思います。 私と比べれば、 姉は基本的に何でもそつなくこなしているように見えたし、 母曰く、幼い頃から『この子は天才じゃないか』と思ったほど、何でも吸収して、 成長が早かったらしい。 (…と、最近知った) 対する私は、何をするにも手がかかり、 歩きながら石を見つければ座り込んでじ~っと見つめ、 これは〇〇の形だとか、 空を眺めては、あの雲は〇〇のようだ…とか、 空想ばかりだったようで、 現実的な成長には意識が向いておらず、 聞いていても、我ながら本当に大変だったと思う笑。 それでも自分を理解してくれない母に、 心を開かず、家に安らげる居場所もなく、 (…と思い込んで、殻を閉ざしていた) 長い長い葛藤と闇の中を手探りでもがきながら生きてきた私だけど、 ふと気付いたのです。 世の中、もっと早く、もっと楽に、もっと効率的に、もっと進化を…と、 もっともっとと追い立てて、 時間は有限だからと生き急いでいるけれど、 成長が早かった姉や多くの人は、 あっさりと世の中の仕組みを学んで受け入れ(早期完了)、 ある意味社交辞令や建前で、 うまくやりくりしているように私には見えたけれど、 (だからこそ、私もどうやったらみんなのように楽しそうに生きられるのか…と、憧れのような気持ちをなんとなく抱いてた) 真逆の不器用な私は、 社交辞令や建前が分からず、 真っ直ぐに受け止めてしまうため、 傷ついたりだまされたり(…と思い込んだり)して、全然うまくいかない人生という闇の中で苦しんできた。 しかし❗ しかしですよ❗ 今の私に見えるのは、 あっさりと早期完了して、 姉も含めて、建前で生きてる人達に、 『今』を幸せに感謝できてる人って ほぼいないようです。 逆に、私を含め、 何らかの成功を収めた人(幸せを得られた人、人生に満足してる人、感謝できてる人)って、 決して恵まれたスタートではないけれど、 苦しみもがきながらも、 運命に抗わず(抗うすべがなかっただけともいう笑)、 なんとか前に進もうと、 身近な人を見て学んだり、 今あるものを活かして必要なものを創造したり役立てたりと、 生きる過程の中で、 在るものを実際に活かすことから学び(実践)、 知恵を蓄え、自分を自らの意思で育んできた人ばかりなんですよね。 幸か不幸かに囚われず、 他人との比較や戦いではなく、 自分がどこを向いているかに 真っ直ぐただひたすらに前を向き続けてきた人ばかりなのだと思うのです。 つまり、ウサギとカメのように、 早いか遅いかの競争ではなく、 自分のゴール(目標)がどこにあるのかを見ているかどうか…の問題だと思うのです。 童話のウサギのように、 (ウサギさんには罪はないけれど…) カメより早いかどうか、 他者との比較によって、 上なら幸せ、下なら不幸…と考えるなら、 いつまで経っても、心が満たされることはないでしょう。 そもそも、目標自体が曖昧なのですから。 延々とどれだけお金を稼いでも、 どれだけの人を追い越して上に行き続けても、 上にはずっと上がいるし、 最高地点に行ったら行ったで、 ある意味、究極の不幸に陥るかもしれません。 でも、カメのように、 人よりどんなに遅くても、 自分のゴール(目標)が見えている人は、 ただコツコツと、淡々とやるべきことをやっていくだけなので、 そこには比較も競争もなく、 (目標達成に必要ないことだから❗) ひとつひとつクリアしていくたびに、 成長の喜びが得られ、 着実にゴールに近づいて行けるのです。 そして、たとえウサギが油断して一休みしてる姿を見ても、 自分の目標とはなんの関係もないので、 休んでてずるいとか、 愚痴や不平不満を言う必要もなく、 (何の役にも立たないことはしない) ただひたすらにゴール(目標)を見て、 淡々とコツコツとマイペースで進んでいくだけなのです。 ウサギでもカメでも、 ゴールは達成できるでしょう。 ただ違うのは、 私的には、満足感❗ ウサギはたとえゴールしても、 負けた…と、比較した結果でしか見えないので、 目標(例えばお金とか成績とか恋愛とか結婚とか…)をどんなに達成しても、 それが幸せだとは感じられないのです。 逆に、カメさんは、 早かろうが遅かろうが、 自分の目標を達成することができて、 とても満たされます。 しかも、感謝さえ生まれるのです✨ ウサギとカメの最大の違いは、 この『感謝』だと思います。 同じ目標を達成しても満たされないウサギと、 満たされた上で、自力だけでは達成できないことを知っている謙虚なカメさんは、 常にありがたい…と、感謝が溢れてる✨ だから、比較すること、争うことの無意味さを知っているのです。 そして、何よりも、 その謙虚さが、感謝の心が、 年齢を経るごとに美しく光を放つオーラ(雰囲気や存在感、表情)として勝手に表れてくるものなのでしょう。 意図して人工的に作るのではなく、 (お金をかけても作ることのできないもの) 勝手に(自然に)生まれてくる美しさ、 (姿勢や人や物の扱い方、歩き方、魅力や影響力など…) これは、生き方そのものの現れであり、 これこそ、神様の計らいであり、 ご褒美だと思うのです。 年齢を重ねることでしか得られない喜びでもあり、 人生を愛するかどうかも、 感謝が感じられるかどうかも、 幸せで在るかどうかも、 全てが今までどういう『思い』で生きてきたか(原因)の『結果』でしかなく、 実際は幸も不幸もない世界の中で (空、無、ゼロともいう、宇宙意識) 勝手に比較したり、争ったり、 敵を生んだり、可哀想に貶めたり、 幸も不幸もない中で、 色づけして見ているのは、 自分の思考癖(記憶)でしかなく、 それをクリーニングしながら、 自分を自分で育てていく、 目の前にある状況や人、物などのご縁を通して、 不平不満や愚痴ではなく、 いかにそこから学び、 感謝に変えて行けるか、 それが知恵の見せどころでもあり、 問題さえ気にならなくなる、 楽に面白く人生を変え、 人生そのものを愛する(喜びに変える)秘訣なのです✨ 私はまさにカメタイプ❗ 全くもって、みんなのように生きられない自分を一時は責めたり否定するしかなかったけど(それがアレルギーや成長が遅い肉体反応として表れたのだと思う)、 発想を変えて、私にできることはなんだろうと、自然と自分の内側の探求に向かったため、外側に彷徨うことが減っていった。 スタートからみんなより遅れていたおかげで、 合わせることを諦め、 『私にできること』に焦点を定めたことが、『私』の人生への入口だったように思う。 私はなんでもがゆったりで、成長が遅かったから、焦らされて、急かされて、自分を知ることすらないまま、 ガチガチに力んでいたけれど、 (肩こり首こり背骨も骨盤も頭蓋骨もガッチガチだった❗そらうまくいくはずないよね~💦) その歪んだ流れを正すためには、 思い込みという殻を壊し、 一旦私自身も壊れなくてはならなかった。 繊細で弱々しく見えた『私』だけども。 意外と大胆で大雑把で寛容な『私』もいて、 その端から端までブレブレに定まらないのが苦しかったけど、 おかげでどちらの世界も万遍なく見て味わい、 やり尽くしたおかげで、 中庸、中立、ゼロという、 『空』の世界観を見つけられた(受け入れられた)ように思うのです。 まだ20代でマクロビオティックに出合った当初は、 中庸を知り、 味わいつつも(体感しつつも)、 物足りなくて、 やる気がおきなくて、 中庸から離れてしまったけど、 ヨガやナチュハイのおかげで、 身体のゼロ、 心のゼロに近づけたというか、 食べ物だけ…、 運動だけ…ではなく、 何か特別なものが必要という視点から離れることができ、 あらゆることがひとつに繋がっている感覚を育めたことが、 私の何よりの宝だと思う。 しかも、勤勉ではない、 机上の空論が苦手な私は、 とにかく実践❗ 聞いただけ、読んだだけ…の知識にはなんの価値もなく、 それを宝(知恵)に変えるのは自分であることを無意識ながら感じていた私は、 どんどん試し、 どんどん知恵に変え、 変わることを楽しんでいたように思うのです。 自尊心が育まれていなかった私には、 大したプライドなどなく、 別に捨てるものも、惜しいものもなく、 自分で変わりたいと、当時の自分を自己否定していたくらいなので、 変わることに怖れも不安もなかったのです。 今思うと、それってすごい強みですよね笑 多くの人が、変化を怖れて手放せずにいるのに、 私には、怖れるほど守りたい自分がなかったから。 まぁ、ぶっちゃけ、初めから壊れていたのかもしれません笑 だから、心に響いたものに、 無心でのめり込み、 熱しやすく冷めやすかった私は、 次けら次に興味の対象を変化させながら、 『私』を思いのままに変えていったのです。 全然そんな意識も意図もなかったんですけどね。 今思えば、本当にインスピレーション(直感)で生きてきたんでしょう。 その基準は、役に立つのかどうか…だったように思います。 人を、世の中を幸せにすることなのか、 自然や動物に配慮があるのかどうか、 私が得てきた宝(健康な心身、才能、運など)を惜しみなく発揮して、役立っているかどうか…、 常に『私』を活かして役立てることから喜びを得ていたように思うのです。 そこには、損得勘定など考えないのだけど、 感覚として喜び(快感)という得を感知しているわけで、 思考によるものか、 感性によるものかの違いはあれど、 まさしく損得勘定で生きてきたんですよね、私も笑 だけど、思考とは違って、 感性による場合は、 本当に『喜び』が伴っているので、 生命力が満開に輝き、 自分が役に立ってる喜びに満ちているので、 最高に幸せな『顔(表情)』までもれなくついてくる✨ つまりは、健康的で美しい身体や顔(笑顔、表情)は、やっぱり生き方そのものを表していると、つくづく思うのですよ。 それは、私自身が、なんの期待も見返りも求めずに、 ただ役に立つことが嬉しくて、 純粋に喜びに満ちて生きてきた、 その単純明快なシンプル思考が、 私の姿を歪ませることなく、 シンプルに真っ直ぐに育み、 余計なもの(比較や闘争心という、役に立たないもの)から私を守り、 抵抗のない開かれた心(平和に満ちた心)が周りの人をホッとさせ、 癒やし、愛され、大事にされ、敬われるという、自然と敵を作らず味方を増やす生き方に繋がっていたのだと思うのです。 ただ、私からは敵は作らないけど、 勝手に嫉妬や妬みで嫌がらせをしてくる人は結構いますけどね笑 それもまた経験です。 出る杭は打たれる。 出てるつもりはないけれど、 無益なことや、 人にも、自然や動物にも、 配慮に欠けたやり方には納得するまで試行錯誤した上で、 心地よくないと抵抗が私の中に生まれて、 クリーニングしてもどうしようもないなら、 私は自らその場を離れます。 争うよりも、離れる。 しがみつかないし、 自分の立場を守るという選択もない。 経済面のために、諦めるという選択もない。 心の平和を、平和な世界への貢献を、 自分を役立てる場へと変化させていくだけ。 それが、私の新しい扉を開くタイミングのようです。 無自覚、無計画なんだけど、 全ては心に従って流れていくだけ。 だから、人生の責任は他の誰のものでもなく、 私でしかないし、 不平不満なんて全然ない。 止められても、どれだけ話し合っても、 最後に決断して選択したのは私だから、 誰かのせいになんてしようがない。 失敗も反省も、 心にも体にも傷はたくさんあるけど、 全てを生きてきた証に、 全てを学びに、 全てを感謝に変えてこれたのは、 何よりも、自分の思いにひたすら真っ直ぐ、心尽くして生きてきたから✨ 反省点は山のようにあるけれど、 後悔はひとつもない❗ うまく育ててあげられなかった黄菜しろや幸太郎、お外で暮らす虎にも、 ごめんねって反省はあるけど、 悔いではなく、感謝しかない。 それに、その反省こそが、 今、ハナや凛との暮らしに、 大いに役立てているという自負もあるから✨ 人は学ぶ意識さえあれば、 成長させていただいてるという、 謙虚さと感謝さえあれば、 人生において、 本当の失敗なんてないんだと思うから。 全てはうまくいくための気づき。 一歩一歩階段を上がっていくように、 飛び級なんて目指さなくていい、 誰かと比べたり争わなくていい。 自分だけの課題、学びをちゃんと見ているか、 ごまかしたり、手を抜いたり、隠したりして、 外側にばかり何か楽なもの、刺激的なものを探してないか、 誰かのまねすること、 誰かになりきること、 誰かのそばにいることで安心していないか、 他人軸で生きる限り、 決して満たされることはないでしょう。 なぜなら、成長には順番があるから。 まずは自分、 次に家族やご先祖様、 そうして身の回りの人達に広がっていく。 自分の中でも、 まずは身体、 そして心、精神面、 それからようやくスピリチュアル(魂)に 安心して上がっていける。 地に足がついてないままスピリチュアルに走るのは、とっても危険❗ あくまでもバランス❗ ウサギとカメや、北風と太陽など、 子供の頃から知ってる単調なお話ながら、 よくよく考えると奥深いものって結構あるよね。 そんなことを振り返ってると、 人生は『わらしべ長者』だな~とも思ったり❗ あんなに何にもないと思っていた私が、 こんなにも豊かで平和な心で生きていること自体が、まさしくわらしべ長者そのものだもの✨ あっ、別に私はすっごい金持ちでも、 大きな豪邸に住んでるわけでもない、 ちょっと変わり者ながら、 ごく普通に生きてるだけなんですけどね、 意識の上では長者にたどり着いたようなもの…かもしれません。 なんせ、 欠乏感も劣等感もない、 愛にも豊かさにも、感謝にも満たされて生きていけるわけですから、 私にとってはこれ以上求めるものがない(分からない)心地です。 だから、今まで通り、 直感に従って生きるだけ。 そして、与えられたもの、 流れてきたもの、 この身体も、お金や家、凛やハナも、 あらゆるものが私のものではない感覚で、 預かっているもの、 共にいてくれるもの(支え合っているもの、学びあっているものなど)、 あらゆるご縁に感謝して、 今あるものに感謝して、 それをどう役立て、 喜びや平和を生み出していけるか、 光の、愛の、 自然と調和した、 本来のエネルギーの振動を巡らしていけるか、 それが私の挑戦であり、 今の楽しみなのです✨ 人間関係は、学びのため、喜びを分かち合うため、より良い世界の創造のために役立てたいし、 仕事はお金をいただく場であり、 そのお金は、人に与えた幸せや笑顔から与えられるもの。 健康や美容、ダイエットなども、 義務ではなく、 将来への不安でもなく、 失うことへの恐れでもなく、 例え年齢と共に衰えゆくとしても、 今あるものを大切に感謝しながら生きていきたいから、 私にとってはヨガもケアも歩くことも、 人生そのものも、全てが神様への感謝の表現なのです✨ この身体をありがとう✨ この人生体験をありがとう✨ この学びをありがとう✨ たくさんの成長するチャンスと、 乗り越えられると信頼してくれて、ありがとう✨ どんな困難も、 どんな問題も、 どんな痛みも、 乗り越えたときに気付くのは、 また成長できた✨ ありがたい✨ってこと。 結局、全てがうまくいくために用意されたシナリオなんだと、 心底私は信頼できるのです✨ 今までも疑ったり、争ったり、比べたりすることが苦手で、 敢えて結果や成果に執着するよりも、 譲って事を治めたり、 すごい結果が出て、一時は素直に大喜びするけど、そこにも執着がないのも、 祖母から学んだことかもしれない。 祖母は厳しかったけど、 苦労の中から自らを成長させ、 寛大で大らかな人だったから。 そういう執着のない、単純な思考バターンのままで生きてきたからか、 魂の性質かなんて私には分からないし、 面白がって本は読むけど、 究極的にはどっちだっていいという、 大雑把で大胆さも持ち合わせた私は、 天性の幸せ者かもしれない✨ 別に大金持ちになりたいわけでもないし、 (お金のことばかり考えるの苦手だから、私には向いてない笑❗) 別にブランドものや高級車、豪邸が欲しいわけでもないし、 (もともと興味がないから笑❗管理するの大変だし、人を疑うのも嫌だし、持たないほうが、疑う必要もないから楽❗それに私には、持ってることで安心感もないし、自分の価値が高まる気もしないし、高いか安いかではなく、心地いいかどうかが私の基準だから❗) 猜疑心や闘争心、 比較や競争で生まれる劣等感や欠乏感、 怒りや憎しみ、妬みや不安など、 全ては良く見られたいという欲望から生まれるもの。 私ははなからそんなものがない❗ 何にもなかったから。 …と、思い込んでただけで、 今はあんなに恵まれてたのに、 よくも何もないなんて言えたものだと思うけど❗ 本当に思い込みって怖い怖い❗ 完全に何にもない人なんていないもの❗ 在るものに満足できない、 傲慢さがあるだけなんです。 私もものすご~く傲慢だったことに気付けてから、 クリーニングし続けたおかげで、 心の中に平和が満ちているのです✨ お洒落も、ショッピングも、 あんまり物欲はない私でも、 楽しむときはとことん楽しむし、 それは良く見られたいからではなく、 楽しいから✨ 人生を素直に楽しむこともまた、 神様への感謝の表現なのです✨ 私の喜びは誰かと比較することも、 奪い合う必要もないし、 ひとりでも、 誰かといても、楽しむことができるし、 (相手も楽しむ気があるなら…) つまりは全て、 本人次第、 楽しむのも、幸せに生きるのも、 成長を喜ぶのも、 健康や美しさ、プロボーションも、 姿勢も、仕事も、人間関係も… 全ては自分次第、 できるかどうかではなく、 やる気があるのかどうかなのです。 そして、愚痴や不平不満ばかりを口にしている人は、 そういう思考の癖を自らの意思で育んでいて、 よいこと、ありがたいことには目も向けず(感謝も気付かず)、 自ら地獄を創造しているだけなのです。 私は随分与えることを喜びとして、 お金をいただく以上の奉仕の心で仕事に向き合ってきたし、 お金の絡まない、仕事以外の場面でも、 機会があれば惜しみなく手を貸してきたつもりですが、 やっぱり不幸な顔の人は、 その顔(表情)を創造した責任が自分にあることに気付くべきだとつくづく思うのです。 そうでなければ、 マザー・テレサのように、 どれだけ奉仕の心で尽くしても、 自己犠牲で消耗しすぎても、 やりきれない(解決し得ない)から❗ 本人にやる気がない、反省がない人は、 絶対に変わり得ない❗ 今の不幸や、苦しい状況を変えたいなら、 『自分』が変わる意思がなければ、 誰が手を貸してくれても、 助けようと愛をかけてくれても、 変わらないのです。 なぜなら、本人が変わる意思がないから❗ 私は、惜しみなく与えることも、 自分の成長する喜びとして捉えていたので後悔はないけど、 最後の福祉施設での体験を機に、 正直出し切って、うんざりしました❗笑 働く側も、利用者側も、 愚痴や不平不満、 可哀想な自分を言い訳に利用して集まってるだけだったからです。 うまくいっていない会社は、 必ず、うまくいっていない理由があるものです。 それでも仕方ないと思うのも、 お金を得るために自ら利用しているわけですから、愚痴や不平不満を言うべきではないのです。 全てはお互い様❗ 愚痴や不平不満を言うくらいなら離れたほうがいい❗ それでもお金のために利用するのなら、 不平不満は言わないほうがいい。 そうでなければ、 数年後のあなたは醜く歪んだ顔と、 歪んだ身体、歪んだ心の投影を、 延々と見続けることになるでしょう。 そうなりたくないならば、 ウサギとカメのウサギさんのように、 誰か(カメさん)と比べて判断するのではく、 自分の心に従って、 感謝が生まれる道に、方向に向かうのです。 一時的な目先の損得よりも、 人生かけての長い目で見た損得は、 (クリーニングされた感性に従えば、あんまり損得は考える必要もないんだけど) 健やかで穏やかで、平穏な中にも、 自然と調和した、緩やかな美しさや輝き、 喜び、愛情など、 お金では買うことのできない、 年齢を経てから気付く本質的な幸せに 繋がっていくのです✨ それこそ、40代以降に差が出てくる、 自らの選択、思い、生き方によって作られた、 幸せな顔と不幸な顔という、 天国と地獄なのだと思うのです。 身体は隠せても、 顔は隠せません。 また、表情は、同じ笑顔でも、 思考型(社交辞令や建前で作られた笑顔)と感性型(自然と生まれる笑顔)では、 完全に異なるものです。 見ておわかりだとは思いますが、 思考型の方は、目が笑えてないのです。 痛々しいくらいに…。 どんなにごまかしても、 どんなにカメさんを打ち負かし、 勝負で勝ったとしても、 それが自分の本当の幸せとは違うことに、 いずれ気付く時が来るでしょう。 若いうちだけです。 勝負が楽しいのは❗ そんな私でも、 実は意外にも負けず嫌いで、 勝負好きだったりします笑 UNOとかゲームではね笑 (最近のゲームはしないけど) 子供達からも、 子供相手に勝って、 本気で喜んでる私に、 冷静に『負けず嫌いよね~、先生は❗』…と笑われたりしたほど笑 まぁ、誰かを傷つけない遊びの勝負なら、 結構本気で楽しんじゃう❗ そういう機会を敢えて利用して、 ちょこちょこと本能に刻まれた闘争心とかを発散させてるのだと思うのです。 我ながら相変わらず無計画なんだけど。 チャンス到来❗…と、私の感性が感知して、自動的に処理してるんだと思う笑。 だから、全ては『私のため』という損得勘定ながら、 私の意識には、損得勘定の意識はなく、 いつも誰かの役に立つことを考えてるし、 役に立ったら、喜びという、報酬(徳であり、得❗)をゲット❗…みたいに、 無意識ながら、人生ゲームを楽しんできたように思います。 それが、勝手に人格を賞賛されるという、 思わぬご褒美を得、 勝手に愛されるという、 思わぬご褒美を得、 勝手に私自身さえ、大好きな自分と出会えたという、何よりも最高のご褒美を得られたわけです。 ここまできて気付いたこと、 自分を否定し、 自分を嫌うことほど悲しい人生はない。 私の始まりはそうだったけれど、 アレルギーや緊張、力みで冷えて淀んだ、凝り固まった心と体は、 顔も身体も歪ませていたけれど、 (うまく笑えないし、喉も締まって、声もうまく出ない、頭も固いから面白みもないし、心も開けない。とにかくどこもかしこも締まって固まっていた) 年齢を重ねるごとに柔らかく寛容さを身につけたおかげで、 (自分の殻を壊せたおかげで) 私は新しい扉を次々と開くことができたし、 頑張らなきゃ、 何か役に立たなきゃって、 過度に思いすぎることも、 やり尽くしたおかげで、 脱せたのでした❗ 変わりたいなら、自分で変わらなきゃ❗ 誰かの手は借りてもいいけど、 感謝のない人は変われない❗ 変えたいなら、自分を変えなきゃ❗ 人を変えようとしても変わらないし、 状況のせいにしても、何も変わらない❗ 結局は、可哀想な自分を言い訳に利用して、同情を引いたり、 自己否定したり、 自己嫌悪している限り、 自分も誰も幸せにはなれない。 そんな自分でも、 今あるものに感謝して、 自分をどう立て直すか、 そんな自分でも、周りにいてくれる人に(家族とか友達とか同僚とか支えてくれている人とか…) どう感謝を伝えて、役に立てるだろうか、 恩返しができるだろうか…と思えたとき、 流れはきっと変わります❗ 全ては自分から始まるのです❗ 思いが全て❗ 結局は毎回そこにたどりつく…笑❗ だって、それが答だから❗ 幸せも不幸も、天国も地獄も、 喜びも平和も、あらゆる世界に色付けして見ているのは、自分なのですから❗ 大袈裟に考えず、 くよくよ悩まず、 真面目に囚われすぎず、 心をクリーニングして✨ やる気があれば、絶対に変わるから✨ カメさんでいい❗ 誰とも比べず、争わず、 私だけのゴール(目標や課題)を見失わないで❗ それは、決して誰かを貶めて、 奪い合うものではないはずだから✨ 戦わない人は敵が存在しない❗ だから、いつだって最強無敵✨ 自由で寛大な『私』を育もう✨ ひとつひとつ、成長のかけらを見つけて、 喜びに変えていこう❗ その積み重ねが人生❗ そして、私の『思い』が、私を創る❗ それを評価するのは周り。 だって、自分では気付かないもん笑 だから、評価を気にして生きるのではなく、 思いがけない評価を受けたとき、 賞賛とか尊敬とかね、 それは素直に喜ぼう✨ 期待していない評価こそ、 本物だから✨ 価値ある評価だから✨ だけど、それもまた、執着しない❗ 素直に喜び、感謝して、 淡々とまた自分の道を進むだけ✨ 評価が目的ではないからね❗ 周りの意見に一喜一憂しても意味ないからね❗ 素直に、ありのままに受け止めて、 活かせばいいだけ❗ 他人の評価にも、 自分の勘定にも一喜一憂しないで、 淡々と生きる❗ それがゼロであること✨ …でもね、素直に喜んだり、悲しんじゃう自分を否定する必要もないんだよ❗ 湧いてきた感情はただ受け止めて、 クリーニングするだけ❗ クリーニングが分からないなら、 ホオポノポノを調べてみてね❗ 私はインストラクターではないので、 教えられないし、 基本天然もののスピリチュアリストだから、 色んな知識は学ぶし、 実践して試したり、 変化していく私を楽しむけど、 あくまでもその軸は私であり、 自己流であり、 自分の感覚第一だから❗ みんなそう。 色んな知識を学んでも、 それぞれのフィルターを通して受け取るからね、 自分の軸に置き換えなきゃいけない❗ 誰かを師として学んでも、 いつかは師から旅立つときが来る。 親から自立するようにね❗ そうでなきゃいけない。 自分の足で立たなきゃいけないの❗ それが幸せの入口❗ 誰かに寄りかかってる限り、 絶対に満たされることはないからね❗ お互いが自立した上で成り立つ関係こそ、 本当の愛❗本当の信頼❗ そんな関係を育んでいこう❗ 私は私らしく❗ あなたはあなたらしく❗ 自分の花を咲かせよう✨
2020.09.06
今、小林正観さんの本を読んでいるのですが、 唯物論的視点から超能力や神様のことを研究された方で、 天然もんのスピリチュアリストな私からすると、 なるほど、そんな宇宙の仕組みが働いてたのね~と、本当に面白く、 人を理解する上での参考にもさせていただいてます。 その中に、神社は願い事をお願いしに行く場所ではなく、 生きていること自体が奇跡なのですから、 ありがたいことを感謝する場所だと書かれていて、 なるほどな~と、自分のことを思い返してみたら、 私、ほとんど自分のことをお願いしたことがなかったことに気付きました笑 少なくとも覚えている限りでは、 毎年お正月の参拝で願うのは、 『世界が平和でありますように…』 だったのです。 だってすでに私は幸せに気付いていたので、特にお願いするほどのこともなかった…笑 しかも、先ほどふと気付いたことは、 今、私の内なる世界は常に平和で満たされていて、 願いが叶ってるじゃん✨✨✨ …と笑 あぁ、そうか~、 私は願い事叶ってたんだ~✨ 来年からはもうお礼参りにしよう✨…と、思ったのでした❗ 特に願うこともない。 だって日々感謝だらけだもの✨ 願ってもないのに、 感謝ばかり溢れてくる✨ こんなに幸せ者がいるでしょうか。 だから私の頭の中はいつも、 この幸せを、誰かの役に立つようにと、 幸せの流れが循環していくようにと、 そのことだけを考えています。 もう与えっぱなしの、 成長の邪魔しちゃうような自己満足の与え方ではなく(私も学んだ✨笑)、 あくまでも、自分で幸せに気付いてもらうための、 自分の心を開くことで自ら運を開き、 より良い流れを感知して乗るための、 巡りの良い心と体を育む(本来の素晴らしい自分を取り戻す、思い出す)ための場でありたいと考えています。 自分でできなきゃ意味ないからね。 だけど、健康だけを伝えてる時は 頑張れ頑張れと、頑張ることこそ自らの運を掴む道なのだと思い込んでいたけれど、 実際私は頑張ることで運を開き、 本当の自分を見つけられたので、 頑張ること自体は好きなんだけど、 あくまでも好きだからこそ頑張ってる感もないくらい、楽しんでたし、 やり甲斐があったので問題はないけど(自分に対してお得だと感じていたわけだから)、 一般的な頑張りとは、無理やりやらされてる感があって、自分に無理強いしてる状態のようなので、 それでは良くはならないし、 多くの人が、感性を押し殺してしまってる感が否めないので、 昔の私のような頑張って乗り越えるスパルタ式でない方法をお伝えしたいと思ってます笑。 なぜなら、今の私は全く頑張ってないから❗ 最後に出会った、 真逆のようでいて、 同じような感性を持っていた、 私にたくさんの心に残る言葉を残してくれた『彼』の影響で、 『頑張らなくていい。ベストを尽くそう』 …が、ずっと心に響いていて、 頑張ること好きだったけど、 もしかしたらそのせいで、 周りにも無理強いしていたのかも… との反省もあり、 一旦頑張ることを止めてみることにしたのです。 クリーニングしながら、 とことん自分を緩めまくりました。 思い込んでたことを全部取っ払い、 できる限りゼロに戻したのです。 そうしたら、次から次へと、 いかに自分が傲慢だったかに気付けて、 涙が溢れてきて、泣き続けました。 それから、過去の思いや傷も全てに感謝が溢れてきて、 私を清め、洗い流してくれたのです。 人間だから、完璧でもなければ、 過ちを犯すことだってあるだろうけど、 とにかく清清しい私に出会えたのです。 そうしたら、頑張ること以外の道が見えてきて、 それがもうめちゃくちゃ気持ちいい笑✨ しみじみと、私は力んでたんだな~と思い知ったのです。 そして、頑張らない人達に対して、 嫌悪感すら感じてたこと、 本当に反省しました。 …と言っても、頑張ることなくして気付けなかったと思うので、 やっぱりとことんやり尽くすことは大切だと思ってます。 悔いを残さないために…ね。 だから今は、思いが生じたなら、 とことんクリーニングして、 とことん心尽くして、 日々ゼロから始めることで、 毎日が新鮮なのです✨ 私の心が平和に満ちてるのも、 毎日クリーニングしてるから✨ 平和は私から始まる✨ 動物に愛されるのも、 私の傍にいるとホッとするとか、 元気になるとが言われるのも、 私の心が平和に満ちてるからだと思う✨ さぁ、みんなで平和を描こう✨ 心の中に平和を…✨✨✨
2020.09.03

人間以外の生命を感じて生きることの利点は、 人間に刻まれた、『記憶』のフィルターを通さない、 純粋な愛を育めることだと思う。 (自分の中にすでに在ったことに気付かせてもらえる✨) 病原菌を持ってて不潔だからと、動物嫌いだった母が(自分は片付けが苦手で、ゴミ屋敷で暮らしてるのに…❗)、 親戚の集まりの中で猫ズ自慢をするほどで、 結局は『飼い主が素晴らしいと、猫まで素晴らしく育つ』と、単なる親馬鹿になってんだけど笑、 最近逆だな~と、しみじみ思うのです。 黄菜しろや猫ズが私の中から愛を引き出し、育んでくれたのだと…。 一見、私が保護したように思えるのだけど、問題が解決した後で気付くのは、 いつも私が助けられていた(育ててもらった)ってこと。 平凡な柄だったから売れ残った黄菜… (…と勝手に思い込んでた私) 仲間達から離れ、カゴの隅っこで孤立し、脚弱のせいで腹ばいで動いてるため、 せっかくの真っ白な羽が薄汚れ、 貧相だったしろ (…と勝手に思い込んでた私) 猫ズもみんなそれぞれに私が勝手に可哀想だと思い込んだゆえの保護だったわけで、 今思えば、その『可哀想』が、 私への最適なメッセージだったのかもしれません。 ご縁に気付くための…。 とくにハナは、公園で餌やりしていたファミリーの一匹で、 お迎えする気はなく、 子猫が増えないよう、母猫の保護を考えていたわけですが、 神様の計らいでは母猫ではなく、 ハナを私のもとに遣わせてくれたのでした。 尻尾を切られるという虐待を通し、 私に痛烈なメッセージを届けたのです。 人間不信で雲隠れしたハナがまた姿を見せるようになり(たぶん自己治癒のために隠れてたのかも…)、 それでも人間の手を怖れ、 近寄らないんだよって(たまたまそこにいた)おじさんが言ってたけれど、 数日かけて会いに行くたびに、 触らせないけど、私の近くには寄ってきて、 足にスリスリ甘えてくるハナに、 (でも考えたら、もともとハナは、人なつっこい母猫とは違い、人見知りタイプで、触ったことがなかったのですけどね笑) 愛しさが溢れてきて、 姉にキャリーを取りに行ってもらい、 その場で保護することに決めたのでした。 これまた無計画❗ 神の計らいとしか思えません。 しかも、人見知りで食にありつけなかったのか、自己治癒のために食を控えていたのか、 ガリガリに痩せていたのに、 ご飯をあげても、まだ子猫の弟たちに横取りされる…というより、譲る感じで、 ご飯よりも甘えたい…と、 スリスリしてくるので、 ド素人の私ですらあっさら捕獲成功✨だったのでした。 もう本当に神の計らいとしか考えられない❗ 今考えても、スムーズ過ぎる笑 家に帰る間の移動中は、不安になったのか、 キャリーの中で多少暴れてたけど、 家について出してあげたら、 冷静に箱座りでじ~っと様子を伺うように、何とも冷静沈着過ぎる、神対応のハナに、私のほうが驚いたくらいです笑 懐かしい✨ どんなご縁も、やっぱり神様の計らいなんだとしみじみ思うのです。 もちろん、因縁はクリーニングする必要がありますけどね、 記憶をクリーニングさえできれば、 敢えてネガティブな感情は湧いてこないし、 偏見もなく、クリアな心で見ることができるのですから、 全てのご縁に感謝です✨ 全てのご縁が師であり、 私を成長させるために来てくれたのだと思うと、感謝しか出てこない✨ しかも、私さえ成長し続ければ、 (クリーニングし続けること) 問題と思えたことが、何ら問題ではなかったことに気づき、 自分で勝手に思い込んでいたことに気づき、 問題という認識すら、ますますなくなっていくのですから、 すべては『ただそうであるもの』に対して、自分がどう認識するかなんですよね。 今ではハナも凛も、みんなで平和~に暮らせていることが、何よりもありがたいし、 だからこそ、そこに気付かずに不平不満に満ちて生きることの無念さを思うと、 ひとりでも多くの人が、本当の自分を知り、心の目を開いて、内なる平和を取り戻せるようサポートすること、 それが私の天職、お務めなのだと気付いたのです。 ずっと健康を伝えることこそ天職だと思っていたのだけど、 なんだか違う…と、 心の中でモヤがかかってきたのです。 そもそも、私自身、 もう健康にしがみついてないというか、 健康とは、健やかで清らかな心の表れであることに気付いてから、 食べ物だけ、運動だけ… しかも、その数値的な判断基準(栄養素の量とか、体重とか、血圧や血糖値など…)ばかりが重視される世間の見方がどうにも気持ちよくなくて、 『とりあえず何食べればいい❓』 『とりあえず何すればいい(ヨガのポーズとか)❓』 …と、自分の都合しか考えない、 その思考の癖(パターン)を変えない限り、 決して健康にも美しくも幸せにもなれないだろうな~と思うわけです。 自分さえ良ければ…の、愛の欠如が、 愛を感じられない世界に自らを貶める原因を生み出してるからです。 そしてその原因という種が、 その種にふさわしい結果を引き寄せてるわけですから、 言葉だけ変えても、 やってるふりしても、 実際には、自分が心底考えている『思い』にふさわしい結果しか来ないわけなので、 どれだけ自分をそのなりたい自分や在りたい姿を思い浮かべて、そこに浸りきれるか…それこそ『内なる自分との信頼関係』が試されてるわけです。 私は自尊心が非常に低かったので、 願望や野心はあまりなかったというか、 自覚してなかったのですが、 年齢を重ね、体験を積み重ねるごとに、 無自覚ながら、自分の中から湧き上がる思いを受け止め、無心に思いを尽くしてきました。 それが宇宙の法則に適ったものだった…ということに気付くのは、ごく最近、 40過ぎてからですが、 幸せに満ちて、感謝に満ちて、 それでも独り占めするより、 みんなと分かち合うほうが喜びだと、 それ以上の宝探しよりも、 当たり前のような日常を大切に、 淡々と喜びに生きてる私を、 神様は応援してくれてる(愛してくれる)のだと自然と感じているから、 何も困ることがないのです笑 それでも宇宙の法則に触れることができたのは、 自分の体験だけでなく、 多くの人に理解できる言葉、知恵を学びなさい…という神様の計らいだと思うのです。 私ひとりの幸せなら、 知らなくても大丈夫だけど、 (もうすでに幸せだから) 他者の幸せをサポートするには、 より幅広い視野が必要になるでしょう。 その次なるステップに、 神様はお導きくださったようです。 おかげで私自身の視野も深まり、 本当に自利利他なのだと、しみじみ感じます。 自分を成長させることは自分のため、 だけど、一歩進むごとに、 自分を成長させることは、 誰かのお役に立てること=自分の喜び✨であることに気付けるわけです。 自分の利が、誰かの利となる喜び✨ これは、記憶というフィルターを通さない、純粋な愛を示し、導いてくれた、 動物家族と植物の存在が大きいように思います。 私は自尊心が欠乏していたので分からなかったけど、 みんなのおかげで、 みんなが一見『可哀想』な姿で、 私に痛烈なメッセージを与えてくれたおかげで、私はみんなを保護する決断をしたけれど(実は私は動物に対して、無知ゆえの恐怖感を持っていた❗『可哀想』という、よほどのメッセージがなければ、私はお迎えする気にはなれなかったでしょう。)、 結局は、みんなが私の中にあった『可哀想な私』という種を引き出し、 みんなを通して、愛と慈悲を育み、 無知と未知への怖れを手放していくトレーニングをしてくれたのだと思うのです。 みんなが『可哀想』に見えなくなった時、 いつしか私自身も、『可哀想なネガティブな私』を脱していたのですから✨ しかも自然と…。 人はなかなか『自分』のためだけには頑張れないもの。 自分に執着し、自分をプライドで守り固めるのも、 『弱い自分』から脱しきれていないからかもしれません。 だから、表面を、外見を作り固め、 人の目ばかり気にして、 人の評価ばかりを気にして、 必死でもがいてるのかもしれません。 私の場合、あまり外見的なことに目がいかなかったのは、 私自身が外見に執着するほどの素質を見いだせずにいたし、 母も忙しかった祖母から手をかけてもらってないらしく、 娘を可愛く装ってあげるという楽しみを知らなかったことなど、 理由は色々あるけれど、 おかげで、自分にかける時間を誰かを大切にすることに費やす喜びに目覚めたことは、 私を人格的にも育ててくれたし、 心がけが美しいと、外見にも表れてくるらしく、今は本当に自分に対しても愛が湧いてくるのですから、 みんなには感謝してもしきれません。 子育ては親育てと言いますが、 本当にそうだと思うのです。 子供も動物も植物であっても、 はたまた生命のない物であっても… 自分以外の何かを愛でるという行為は、 何よりも自分を育ててるのだと…。 自分を見ることはできないから。 鏡を通して見るのは、 写真と同じで、意識して作られた姿形でしかないけれど、 本質は、無意識にこそ表れるもの。 私は自分軸で生きてきたので、 ほとんど他人の評価を気にしないタイプだったのですが、 それでも人格的にも外見的にも仕事においても、 あらゆる場面で自分で思う以上の評価をされてしまうのは、 絶対に損得勘定でない、 『生命』と向き合い続けてきた私の人生の結果なのだろうと思うのです。 実際は、そこに生き甲斐や喜びを見いだしたわけですから、 立派な損得勘定なんですけどね笑 損得とは、金銭的なことだけでなく、 快不快の感情や、成長する喜びなど、 意識を深めれば深めるほどに、 心豊かな人生に繋がっていくのです。 お金にも、感情にも、 ただ振り回されるのではなく、 自らの成長に自ら活用すること。 一見金銭的な損失であっても、 心の豊かさ、成長に繋がる道に繋がっていて、 結果として、金銭的な豊かささえもたらされたなんてこともあるわけですから、 目先の損得で勘定してしまうのは、 何とももったいない話です。 私は猫ズを不必要な医療費をかけることなく、 生命を養うご飯にお金と愛情を心尽くしてきたことが、 今の平和な日常をもたらしてくれたわけです。 私は医療を否定はしませんが、 医療の前に、『生命を養っているかどうか』が抜け落ちてしまっていることを無視したまま、流れ作業のように処置と薬の投与を繰り返すだけの医療なら、 私は受けさせたくないのです。 もちろん、最終的に、 なるべく平穏に見送りたいので、 万一の際は痛みの緩和処置などはするでしょう。 だけども、こんなにできることが山ほどあるのに、 世の中愛で溢れているのに、 見ようともしないで、 感謝しようともしないで、 地味なことはやりたくない、 刺激的なことに夢中で、 自分の生命すら他人任せにしてしまうのなら、 今の医療は役に立っていないと言わざるを得ません。 なぜなら、薬では治せないこと(生活習慣による慢性病など)に対して、 薬を出して安楽な道に誘導している(許している)わけですから、 免疫力を落とし、病気を複雑にしていく原因を作るのもまた病院と製薬会社であるとも言えるからです。 全ては自己責任。 結果は分からないけど、 神様の計らいに沿って、精進していく道は、 決して苦行ではありません。 それどころか、年齢を重ねるほどに、不必要な物を手放し、 楽に(気楽に)自由になっていく、 自分を縛っていた手かせ足かせを手放し、 解放していく道なのだと思うのです。 楽になるからこそ、 また新しい挑戦(学びや成長)ができるのです。 こうして、無益になったものや古くなったものを、役立つもの、必要なものと入れ替えながら、人生を組み立てていくのが、腕の見せ所なのかもしれません。 祖母が亡くなる前に、 『育てさせてくれてありがとう』と言ってくれたのですが、 今は私もしみじみ思います。 うまく育ててあげられなかったけれど、 ご縁があって、やってきてくれたみんなに、 心から『育てさせてくれて本当にありがとう✨』と。 そして、それをバトンのように繋げていこうと…。 私の人生、感謝だらけ✨ 愛すべき人生をありがとう✨ ご縁に心から感謝を…✨
2020.09.03

最近しみじみと人生は『思い』通りなんだと思います。 今も私のそばでたくさんの愛を与えてくれるハナと凛が、なんの問題もなく、平和であることが、一番の幸せです。 かつてはたくさんの葛藤がありながらも、 今こうして平和で居られるのは、 何よりも、私の心の中が平和に満ちているからだと思うのです。 だからこそ、『思い』が現実化することの責任を感じずにはいられません。 実は今日、私の最初の動物家族である、 セキセイインコの黄菜の命日です。 初めての動物との1対1の暮らしで、 私だけにその命が委ねられている重みを ずしりと感じたことを今でも覚えています。 初めてながら、本当に素晴らしい子と出会えた、神様の計らいに感謝です✨ 後からお迎えした、脚弱でお腹をスリスリ歩いていた、緊張気味のしろにも好意的で、 後にしろは黄菜大好きで、べったりさんになったほど✨ 黄菜の寛大な心と愛は、 動物は不潔、病気をもたらすと嫌悪していた母の心まで溶かし、 うちに来るたびに『黄菜ちゃん黄菜ちゃん』と、 顔を近づけて、お鼻にチュッを催促するほど溺愛し笑 黄菜の愛の力は、 それでも野良猫は嫌いだった母を、 その後の虎から始まる我が家の猫ズまでも溺愛するほど変化させ、 動物たちの寛大さ、無限の愛に満ちた天使のような存在に、どれだけ救われたことでしょう。 無自覚ながら、同じく無限の愛を授かりながらも、溢れすぎてコントロールできずにいた私の愛を全身で受け止め、 たくさんの卵を産ませてしまい、 過発情、過産卵により、 体力の消耗、寿命を縮めてしまったこと、 その後悔と反省が、私を自律の流れに促してくれたように思います。 感謝してもしきれない、 本当に素晴らしい子でした✨ みんなそれぞれ素晴らしいんだけど✨ どんなに純粋な愛情であっても、 自律、自制の効かない愛は、 時に破壊するほどの力にもなり得るため、 また、それに私自身も翻弄されてきた感が否めないため、 (せっかくの宝を活かせないどころか、振り回されていた💦) 自らの『思い』に責任を持つことの大切さに気付けたことは、 実にこの上なく人生が楽に巡り始めたきっかけだったように今は思うのです。 セルフアイデンティティー、ホォポノポノの創始者モーナ女史も『思いが全て、思いに全てがかかっている』ことを強調していました。 スピリチュアルや自己啓発では、 潜在意識を活用して、 願いを叶える方法をよく推奨されてますが、 ホォポノポノでは、それを推奨しません。 なぜなら、ほんの15%程度の顕在意識で認識できる程度の願いを叶えたとしても、 それが自分にとってふさわしいものかどうか分からないからです。 本当に『私』にとってふさわしい状況や出会いは、神のみぞ知るもので(内なる神、ブループリントですでに決まっている)、 そのために、それを邪魔している記憶というフィルターを取っ払い、 常に『私』にとって最適なインスピレーションを受け取れるよう、クリーニングし続けることを薦めているのです。 私はホォポノポノを知る前から、 幼少期からのネガティブな体験のおかげで、自分に対する意識が低く、 大きなことを望むこともなく、 ただ健康になりたい、 みんなのように笑えるようになりたい、 こんな私でも役に立つ人間でありたいと、 普通の人間であることに憧れてたほど、 自尊心が欠乏していたので、 現実的に健康になるための努力や工夫、 勉強はしましたが、 無駄に大きな夢を描くことには興味もなかったのです。 自分の素晴らしさや、美しさなんて、 想像すらしておらず、 こんなにもポジティブな私がまだ目覚めてないだけだったなんて、気付きようもなく、 ただひたすら健康のために探求ばかりして、 強くならなければと、もがいてました。 ある意味、自己否定ばかりしていたわけですが、 幸いにも私は動物家族との出会いから、 私の中に在った愛や慈悲の心が目覚め、 彼らは私を育て、良いところを引き出し、導いてくれたのです✨ そして、その愛は無限であり、 いつしか弱いと思い込んでた私や、 ネガティブな記憶を押しのけ、 無限の愛が私の心を占領するまでに拡大していたのでした。 それからも、自制の効かない愛は、 猛威を振るい続け、 モテまくりなのに、怖れられるという体験の繰り返しや、 男性の劣等感、独占欲、嫉妬など、 共通点を繰りかえし見続けたことで、 私の中に刻まれていた、 男性不信、祖母や母から植え付けられた、 男性は弱い、男性に頼ってはいけないという記憶が蘇り、 うちの家系はどうも、男性との因縁があるらしいことに気付いたのです。 だけども、祖母や母に植え付けられたような、男性への憎しみが育まれることはなく、 無知ゆえに、縁が薄いゆえに、 男性への警戒心は強かったものの、 また、幸せに繋がるご縁は築けなかったものの、 全ての男性に大事にされ、敬われたし、 男性特有の弱さゆえの嫉妬や独占欲はぶつけられたものの、 だからこその深い、深すぎるほどの愛情を感じることもできたので、 幸いにして、私は遺伝的な記憶の男性不信をクリーニングすることができたのです。 思いが深すぎるゆえに、 誰ひとりその後もお友達に…とはなれないのが残念でもあるのですが、 その経験が、私の愛は限りなく大きいけれども、 どうも恋愛的な愛情とは異質のようだ…とも気付きました。 恋愛はしたいし、 素敵なカップルやご夫婦に出会ったら、 あぁ、素敵💞 私も恋愛したいわ~✨ …って、ごく自然に思うのに、 仕事に熱中すると、 どんなに良い感じになってても、 仕事モード(使命感❓)が上行っちゃって、 恋愛モードそっちのけになって、 不安にさせてしまうらしい笑 本当に恋愛下手だな~と苦笑いするっきゃない❗ 何度も繰り返したおかげで、 それもまた運命かな~と、 後悔や力みも手放せ、 期待や見返りを求めたり、 誰かに依存したり執着せずとも、 私は私で幸せであることも気付けたし、 自然体な私に繋がっていけたことは、 これこそ、ホォポノポノが伝えてくれる、 顕在意識で認識できる程度の願望ではなく、 ブループリントで決められていた、 自然な流れに乗って来た結果が、 今の私に繋がっていたのだと思うと、 子供の頃に考えていた、 大人になったら当然のように結婚して子供を産み、 幸せな結婚生活を送っているだろう未来とは全く異なり、 また、私の顕在意識下で憧れていた『普通の人みたいな健康』とは比べものにならない結果、 つまりは人格や美しさを褒め称えられる私、ポジティブな思考を尊敬される私、仕事の成果で頼りにされる私、経済的にも精神的にも豊かな人生…などなど、 望んでいたわけでもない、 想像を遙かに越えた未来の『私』が待っていたのですから、 (…とは言っても、ちっちゃな私の世界での賞賛であり、たぶん勝手に想像されちゃうような、ものすごい世界を生きてるわけではないですよ笑❗あくまでも、普通の人であることにさえ憧れちゃうほど自尊心が欠乏していたので、そんな世界からしたら、驚きの変化なんですけどね❗) 潜在意識を思い通りにコントロールすることの無意味さと、 万一それが他者への配慮に欠けた、 自己中心的な願望だった場合の責任、 つまりは原因と結果の法則によって 自分に返ってくる、その後の不幸の可能性を考えると、 あまり度を超えた願望は、自分のためにも誰のためにもならないように思うのです。 聞くところによれば、 宝くじで高額当選した人のその後の追跡調査では、 幸運を維持できている人はほとんどおらず、 人生どん底への転落傾向が強かったようなので、 結局は足るを知った上で、 また、自分にふさわしい状況を自分で引き寄せていることを知った上で、 その願望にふさわしい自分になるよう、 真摯に精進に努めたほうが、身のためのように思います。 敢えて思い通りにコントロールすることよりも、 自分にふさわしい人生はすでに決まっているようなので(ブループリント)、 その流れに乗れるように、 力が有り余っている若いうちは特に、 思いを尽くし、心尽くして、 やるだけやったら、 自然と力が抜ける時が来て、 自然な流れに気付けるようになるのだと思うのです。 特に若いうちは、顕在意識バリバリに努力や欲望に燃えてみたほうがいいかもしれません(結果の責任は持たなきゃですけどね)。 私はそれほど体力も気力もないネガティブな青春時代だったので、 残念ながら、若さを武器にはできませんでしたが笑。 ネガティブや健康問題を克服してからは、 遅ればせながらやってきた、 30越えた青春時代を満喫し、 色々ハチャメチャやりまくりました笑。 ちょっと痛い大人でしょうけど、私は常に、思いの限りを味わい尽くしましたし、 それなのに、幸いにも素直なせいか、 どこにいても非常に可愛がられました。 それというのも、私の思いが他者を傷つけるようなものではなく、 誰かを喜ばせることが私の喜びであることも大きいと思います。 幼少期からの私のネガティブさが、 私自身を喜ばせることができなかったおかげで、 私は誰かを喜ばせることで私自身が喜んでいることに気づき、自然と私をプラス思考に育てていたのでした。 それもまた、私のブループリントなのでしょうけどね。 その積み重ねが、 人格の賞賛を得、 心の美しさから、外見にまで自然に影響していたようです。 まさか私自身、 心の美しさどころか、 外見まで誉められる日が来ようなど、 また、一目惚れされる日が来ようなど、 夢にも思いませんでしたし、 まさか自分がこんなにもドラマチックな人生を送るなんて、想像さえできませんでした。 ジブリやディズニー映画、 劇団四季のミュージカルは好きでも、 ドロドロした恋愛が多そうな(勝手なイメージ)、 テレビドラマ系のストーリーにはあまり興味がなく、 父のいない私は、恋愛の想像があまりつかなくて、 恋愛下手でもありましたので、 本当に予想外としか言いようがありません。 とても顕在意識からの、潜在意識のコントロールは無理でしたから、 これまたブループリントで決まってたこととしか思えません。 結局はどれだけ愛されても、 良い関係が築けなかったので、 何のために…❓と思わなくもないのですが笑、 家系の男性不信の記憶のクリーニングと思えば納得です。 もともと全ての女性には、 集合意識としての男性不信があるらしいので(蔑まれてきた憎しみや怒りの念がね…。歴史を見ても、女性はひどい仕打ちを受けて来たわけだしね。 でも、男性は男性で、男性社会での気の休まらない闘争心や劣等感など、 まぁ、それぞれ大変な歴史を抱えているからね…。クリーニングするっきゃないよね。) 家系の記憶なのか、 集合意識としての記憶なのかはわからないけど、 おかげさまで男性不信を解消し、 とても楽に平然と向き合えるようになれたことは、 私にとってとても大きなことでした。 動物見てても、虎、ハナ、幸太郎のボーイズと、 黄菜、しろ、凛のガールズは、 まさしく人間の性質と同じだな~と思うところも大きく、 参考になります笑 とにかくボーイズは甘えん坊❗ でも、本当に優しい。 優しさゆえに傷つきやすく、 特に人間の場合、男は泣いてはいけない、 感情を出してはいけないと言われてきた人が多いようなので、 感情表現が下手。 自分でも溢れてくる感情をどうしていいのか分からないようで、痛々しいほど。 なんでこんなに複雑なのかしら…と、 男社会を知らずに育った私には不可解だけど、 とにかく私自身をクリーニングし続けたことで、すっかり偏見もなく、 ふと出てくる無邪気な男でありたい願望さえ、可愛らしく思えたり…笑 小学低学年の男の子でさえ、 可愛いと言えば怒るくらいだから、 とても可愛いとは言えないけどね笑 クリーニングしてると、 本当に楽に生きていけるようになるのです。 あるがままに受け入れられるというかね。 『思い』がすべてだからこそ、 思ったら叶っちゃうくらい、 強力なパワーが私達にはあるからこそ、 私は敢えて思い通りにコントロールしようとは思わない。 私の思いが正しいのかどうか分からないから。 私にとってふさわしい状況は、 記憶のクリーニングしていれば、 きっと自然と流れてきてくれるから。 私の人生は、神様の計らいにお任せなのです。 やってきた状況、人、ものとの出会いに、 心尽くすだけ。 そして、その結果を受け入れるだけ。 期待もコントロールもしないし、 やったことの見返りも求めないけど、 だからこそ、勝手に、期待してないのに やってくれる優しさに(特に男性。意外と女性は少ない。女性のほうが腰が重い❓笑)、 ものすごくありがたいと思えるし、 心から感謝できるし、 私は自然に素直にそれを表現するから、 いつも愛されちゃうような気がするのです。 最近気付いたけど、 ありがとうとか、ごめんなさいって言えない人、結構多いのね。 私はそもそも期待とかなく、 勝手に楽しんでるだけだから、 ありがとうがなくてもあんまり気にならないけど、 さすがにごめんなさいが言えないのは、 人として絶対損だよねって思う。 私なんて、ありがとうも、ごめんなさいも、日常茶飯事、しょっちゅう使うから、 猫ズにだって言ってるからね~、 だから信頼関係築けてるのかなって思うし、プライドとか全然関係ないしな~。 不思議だけど。 とにかく、記憶のクリーニングは、 本当に本当に絶対お薦め❗ …というか、ホォポノポノでは、 クリーニングするために生まれてきたって言うくらいだからね。 クリーニングしなきゃ、 本当の自分の素晴らしさに気づくこともできないしね、 わからないから頭でコントロールしたり、 思い通りに支配したいと無駄な欲望にかられるのかも。 自分の素晴らしさに気付くことができたなら、 力みなんて要らない。 誰かと比べなくても、 競わなくても、 争う必要なんて全然ない。 私は私で素晴らしいし、 あなたはあなたで素晴らしいし、 みんなそれぞれ素晴らしいってだけのこと。 猫ズだってみんな違う個性があって、 みんなそれぞれに愛おしく、 違うからこそ面白いし、 意識が広がるわけで、 許しや寛大な心を育ててもらったな~ってありがたく思う。 神様の計らいに無駄はないのだと思うと、 ただ淡々と、目の前に現れた状況に心尽くすだけ。 だから無駄に思い煩うことも、 くよくよ悩むことも、 大袈裟に心配することもほとんどなくなったし、 かつてのネガティブな世界と180度、 世界が変わった。 それは敢えてコントロールしなかったから。 いや、しようとしてもがいてみたけど、無理だと分かったって感じかな。 特に他人に対してはね。 私の場合、特に家族。 もう変わらないわってね笑 だから、つかず離れず、 便りがないのは元気な証拠的な距離で…。 年に数回会う程度でちょうどいいみたい。 思いがすべてだからこそ、 お互いに心地よくないなら離れたほうがいい。 憎しみあったり、怒りに苛まれたり、 不機嫌に過ごすなんてもったいないし、 何の得にもならない。 誰のためにもならない。 心地よく生きよう❗ 愚痴や不平不満を言わなくていいような環境を自分で整え、 自立、自律して、 記憶のクリーニングして、 無駄な緊張は手放して、 流れに身を任せよう❗ どこに行くのかは、 神様のみぞ知る❗ 人生は神様との共同創造✨ いろんな神様とのご縁に身を委ね、 心尽くして淡々と✨ まぁ、私の淡々とは、 かなり個性的みたいだけど笑 淡々と淡々と、 淡々とさえ楽しんでる笑 思いが全て。 思いに全てがかかっている。 だからこそ、心の中に平和を描こう✨ 心の中を愛と感謝で満たそう✨ 『私』が心開けば、 どれだけ愛されてるか、 どれだけ守られてるか、 どれだけ助けてもらってるかが分かるから✨ 私から心開けば、運も開かれる✨ 思いが全て✨ 私から平和は始まる✨ 黄菜の愛がしろに生きる希望を与え、 脚弱から克服✨ 立派に足で立てるようになったしろ✨ 愛ってすごい✨✨✨ ありがとう❗黄菜✨✨✨ ありがとう❗しろ✨✨✨ ご縁に感謝です✨✨✨
2020.09.02

今年もたくさんのジャスミンの花を咲かせてくれて、 まだまだたくさんのつばみが待機中の、 生命力絶好調の幸太郎ジャスミン🌼 いつもはジャスミンティーにするのだけど、 今日は抹茶白玉と仙草ゼリーの桂花陳酒風味のシロップがけに飾ってみました🌼 なんて素敵✨ 肉体の死後も姿を変えて、 まだまだ私を喜ばせ続ける、 素晴らしく親孝行息子の幸太郎は、 本当に誰からも愛されるやんちゃで無邪気で優しい子でした✨ 私のもとに来てくれて、 本当にありがとうね✨ 今はお外でたくましく自由に生きてる虎のことも、見守ってくれてることでしょう✨ 虎から育ててもらった幸太郎は、 虎兄が大好きだったもんね✨ みんな、肉体があってもなくても、 姿を変えながら、ずぅ~っと輝き続ける✨ それが私達の本来の姿であり、光だから✨ 闇のように思える記憶は、 記憶でしかない。 本来の私たちじゃない。 記憶に囚われて生きるのはもう止めよう❗ 争いや憎しみで心を、 魂を汚すのはもう止めよう❗ たくさんの愛を体験するために生まれてきた、 与えてもらった肉体を大事にケアしながら、 光という、本来の姿を取り戻して、 記憶という闇で覆われていたフィルターをクリーニングして、心を清め、 新しい世界を創造しよう✨ 新しい世界なんて、全然大袈裟なものじゃない。 身近に在るもの、人、動物や植物、自然、地球… 私達を豊かに包み込んでくれる愛を循環させるだけでいい。 そもそもこの世は無であり、空(くう)であり、何もないゼロなんだから笑 幸せも不幸もない、 何にもない世界。 それに色をつけて見ているのは自分なんだから。 だけども、せっかく与えてもらったこの命、この肉体、この体験… 私は大いに味わい尽くしたい✨ 本当に楽しかった~って、 肉体とお別れする日も神様に感謝して旅立ちたい✨ だから、私は敢えて挑戦し続ける❗ できるだけ命を傷つけずに、 どこまでも楽しみ、 どこまでも溢れ出る愛を惜しみなく循環させ、 たくさんの笑顔を引き出したい✨ 私は私の人生を愛するし、 愛すべき人生を創造する✨ 私は私を愛するし、 労るし、弱さも受け入れてるけど、 まだまだ成長したいから、 まだまだ新しい私を引き出して、 私を楽しませたい✨ そして、周りの人達にも、 どんどん喜びを、笑顔を、感染させていきたい✨ コロナに関わらず、 ただ共存している生命に過ぎないものに怖れるのではなく、 自らを自然の中で生きていくための強さ、適応力を育み、 敵を生み出さない、 切磋琢磨しながら磨き合う多様性を受け入れることで、 ますます互いに輝き合っていくのが、 私の生き方✨ だから、無駄に老化をアンチすることもなく、 『今』がいつだって絶好調❗…であればいい❗ 過去とも未来とも比べる必要もないし、 誰かと競う必要もない。 とにかく今が一番✨ いつだって今が一番✨ だから、何かを期待したり、誰かに依存したり、誰かを貶めたりしなくても、 私は常に私にとって幸せで、 愛に満ちて、 心豊かに、欲しいものは今身近に在るものから生み出す知恵と手がある✨ 溢れ出る喜びを分かち合う笑顔と瞳、口があり、 人を笑顔にしたり喜ばせる言葉を生み出す 口や発想、私の最高の笑顔があり。 美しい花や寛大な草木や海、太陽など、 いつだって私を愛で包み込んでくれる宇宙の無限の愛がある✨ これ以上、何を望めばいいのだろう❓ どうしてこんなに豊かな幸せに満ちた世界の中で、 顔を歪ませ、眉間にしわ寄せ、 憎々しい言葉を吐き出す必要があるのだろう❓ 私には全然わからない。 お馬鹿だから笑 やっぱりお馬鹿最強✨ お馬鹿無敵✨ 愛に満ちたお馬鹿は、神様に愛される人生が保証されてるのかもしれない✨ 素晴らしく美しく変容した、 今の幸太郎ジャスミンの姿に、 毎日新しい花を開かせて楽しませてくれる、昔と変わらぬ幸太郎の愛と優しさに、 私は開かれた心の瞳で、 今なお幸太郎とコミュニケーションしているのです✨ 訓練されたアニマルコミュニケーションではないけれど、 凛もハナも、かつての黄菜やしろ、 今はお外で暮らしてるけど、虎も、 金魚の金ちゃんさえ、 私の言葉を全員理解してくれてました。 私の言葉に適応した反応を見せてくれました。 そして、ジャスミンに変容した幸太郎は、 植物という形になった今なお、 私の『わぁ~、今日もたくさん咲かせてくれたね~』と喜ぶ私のために、 毎日花を開かせて、まだまだたくさんのつぼみをつけてくれるのです✨ みんな誰かの役に立ちたい、 誰かを喜ばせたい、 誰かの幸せの源でありたい… それも生命として、立派な本能だと思います✨ 動物も植物もそうなのだから、 知性ある人間は、なおさらですよね✨ 大いに誰かの幸せの源で在りましょう✨ 惜しみなく、溢れ出る愛を育み、 循環させましょう✨ それが新しい世界、平和は『私』から始まるのですから✨ 暑いけど、平和~✨
2020.09.01

凛8歳になりました~✨ そんなんどうでもいい~ 暑いわ~ チラッ …と、向きを変えて… 頭突きしながら甘えてゴロゴロ… 大好き~💞 …と、いくつになっても甘甘な凛です✨ ハナは…というと、 (ハナにとっては)突然のお客様に驚いて 部屋の奥の上の端まで(我が家の地球の端っこまで)… 隠れていたのでした笑 可愛い💞 (ここまで隠れてたのは初めてだったので、探せども探せども見つからず…、よほど怖かったのね笑) そんなハナも、来月11歳✨ 怖がりさん(警戒心は強い)だけど、 意外と大胆なところもあって、 冒険心もいたずら心も健在、 感情表現も豊かで、家族への信頼と愛情いっぱいのハナ✨ 2DK+ベランダという、 狭い世界で生きてるけど、 色彩、味覚、匂い、温度や硬い骨などの歯ごたえ…と、 五感を豊かに刺激する食べ物のおかげか、 感性豊かで、好奇心旺盛、 穏やかな性質ながら、 まだまだ年齢を感じさせない、 元気なふたりに、 心から愛と感謝を…✨
2020.08.22

稲垣さんの『もうレシピ本はいらない』、 やっと読み終わりました❗ いや~、最後の最後まで、 共感しまくりです✨ 私はもう女神扱いされながらも、 決して、やっていることや私の考えがすごいものという特別意識はなく、 自然と調和して生きている人にとっては、 ごく当たり前な感覚なのだと思っているので(そういう本をたくさん読んできたし、そこから学び、失敗も含めて、実践をやり続けたので)、 なかなか身近な人と理解し合えないのは残念だけど(すごいね~と言われるばかりだから)、 今まで大して気にも留めてはいませんでした。 でも改めて、稲垣さんが言葉で表現してくれたおかげで、 私が感覚としてやってきたことの意味がハッキリと分かったのです。 自分で料理をすることは、 自由になることなんだと。 自分で料理をし(猫ご飯や大切な人達へのご飯やもてなしも楽しみ)、 お菓子やパンを焼き、 髪を切り、 時には洋服や小物、下着まで作ってきた私が求めていたのは、 自由だったんだ~と。 好きなものがないなら作ればいい。 それだけ。 こだわりというほどの腕前ではないし、 プロ意識があるわけでもなく、 私にとっての『いい加減は良い加減』程度なんだけど、 なぜだかとっても気持ちよい。 自分が心地よくなるためにそうしてきただけだから、 決して努力でも、自己犠牲でもなく、 伝統や常識に囚われることもなく、 本当に自由研究のように楽しんできただけなのです。 でも、その根本には、 比較や争いが嫌いというのがあったように思います。 人生で3回だけ行った美容院で、 ストレートパーマや縮毛矯正を試し、 嫌いだった天然パーマの自分を変えたいと願ったけれど、 私の柔らかく、繊細な髪の毛はダメージを受けやすいようで、 ただでさえ繊細な髪の毛がボロボロ切れる。 少ない髪の毛を豊かに見せようと、 思考を変えて、グルグルパーマをかけてみても、似合わない。 しかも、大学生になるまで祖母に切ってもらっていた、 世間ズレした私には、 美容院の独特な臭いがきつい。 文句を言いながら続けることは 自分が心地よくないので、 心地よく生きるために、 自分で切るという選択をしただけだったし、 料理も、幼少期からの不調を改善したいと願い続けた結果でしかなく、 結果、快適になったからには、 自分の体を人任せにはできないことを学んだゆえに、 私には面倒くさいよりも、 どう楽しく美味しく食材となってくれた生命を活かすか(共に輝いて生きたい✨との感謝を表現するか)が大事で、 義務でも何でもなく、 健やかに生きる喜びでしかないし、 下着を作るようになったのは、 健康に生きてると、 自然と美しくなるものらしく、 モテまくったことで、急に自分の中の女性性に目覚め、 美しく在ることの喜びが湧いてきたので、 下着に興味を持つようになり、 かといって、私の『美』はあくまでも自然の美✨ 地球や動物に負担をかけるような、 命を浪費する、必要以上の人工的な美は求めていないので、 しかも、自然との調和こそが一番内なる美しさを引き出すことも、 経験上、実感していたので、 肌にも地球にも優しいものがいいけれど、 (下着は直に肌と触れあうからね) オーガニックには色気がない、 でもセクシーなものは肌に優しくない… …じゃあ作るしかない❗ それが私の自然な選択でした。 どういう下着を私は求めているのか、 女性性に目覚めてから、 下着屋さんで色々と買ってみて、 試していたおかげで、 作りたいイメージも自然と湧いてきて、 可愛いけれど、 セクシーだけれど、 肌に跡が残るとか、 きついとかは心地よくなく、 心地よくて、自分で色気(色の気)を楽しめるものが完成したのでした👙 ベースはふんどし笑 いわゆるふんどしパンツを、 可愛くふんどしパンティーと捉え、 レースが好きな私は、 肌に当たる部分はオーガニックコットンで、 その上にレースを重ね、 ふんどしのひもの部分も、 ゴムレースにしたことで、 きつくもなく、跡もほとんど残らず、 かつゴムなので、適度にピッタリと寄り添います笑 めっちゃ快適✨ それに合わせて、ブラも作り、 もちろん寄せも上げもしない、 なんの機能も持たない、 ただポッチを隠すだけ笑 これまたいたく快適✨ なのにね、20代の頃はあまり活動的でもなく、寄せて上げるブラで窮屈に締め上げていたのに、締まりのなかった体が、 今じゃ、寄せも上げもしないのに、 健やかな力みのない姿勢と、 楽しく歩くことが日常的に習慣になってる私には、適度に引き締まった筋肉が、 勝手に寄せて上がってくれてるわけで、 小ぶりではあるものの、とても形のよいバストが、勝手に維持できてるわけです。 もうすっかりマイペースな、 私らしさに目覚めてからは、 私を心地よくしてくれるもの、 元気に輝かせてくれる食べ物、 ゆったりと精気を養い、心も体も安らげる空間(家)など、 生きていくために力となってくれる(命を育む)ありがたいものをエネルギーとして感じることができるようになっていたので、 頭で考えずとも、自然の流れに委ね、 導かれていくだけで良かったのです。 本当にしみじみ思います。 健康も美容も、体型も…、 頭ではなく、 体がちゃんと最適なバランスを知っているんだって。 邪魔(抵抗)しているのは、 自分だったんだって❗ 本当にビックリですよね。 なんの努力もなしに、 まぁ、やりたいこと、内側から湧いてくる思いに対しては、 一生懸命なんですけど、 決して健康や美容、ダイエットなどに執着は持たずに、 勝手に最適な『私』を創造してくれてるわけですから。 健康に関しては、随分勉強しましたけどね、 行くところまで行くと、 健康すらも手放せちゃうわけです。 そこにしがみついてる限り、 頭でコントロールしようとし続ける限り、 ずぅ~っと緊張の中にいて、 真の健康にはなれないとわかるから。 そもそも、真の健康なんてものも存在しないとわかるから。 そう、どんなものでも、 答えなんてない。 ある程度やり尽くしたら離れること❗ そして、今あるものに素直に感謝できたとき、 生き方は、見える世界は変わるのです✨ 外側に探し求めても何もない。 だけど、若いうちは探し求めるものだから、 とことん冒険して、エネルギーを出し切った方がいい。 それが一番健康的なんですから笑 怪我しても、失敗しても、 痛みや苦しみ、恐怖も体験することこそ、 そしてそれを自ら克服することこそ、 生きていく上での、最高の財産です✨ 若いのに、知ったかぶりで生きるなんてもったいない。 たとえ答えが『無』『空(くう)』であっても、 それを実感できるまで、 思いの限り、やり尽くしたほうがいい。 (あくまでも他人の迷惑にならないようにね笑) そして、そんな思いを受け止めてくれる人と出会えたら、ものすごい幸運だと思う✨ それは、その人も同じ経験を積んだ人だから。 私の場合は、同じ思いを共有はできたけど、 自分を乗り越えた人には残念ながら出会えなかったけど、 それさえも反面教師として、私は壁にぶつかり続けたおかげで、 自ら作り上げていた壁を越えることができた。 だから言い訳せずに、 自分を可哀想な存在に貶めずに、 怖れよりも、不満よりも、 今あるものに感謝に満ちて、生きていける。 これが、稲垣さんの本を読むまで気付かなかったけど、自由なんだ~✨…と。 私が求めていたのは、自由だったんだ~と。 生命の輝きまでは気付けたけど、 あまりにもとっくの昔に、 自ら脱線して生きてきた私は、 当たり前に自由にマイペースに生きてきたゆえに、気付かなかった笑 自由を求めたつもりもなく、 ただ、他人のせいにして不平不満で生きるのは心地よくないし、 かつ、他人の価値観に縛られるのも心地よくないから、 自分の心地よい感覚を頼りに、 手間暇惜しまずに生きてきただけだったけど…。 そっか~、これは自由だったんだ~と笑 あまりにも、常識に収まらない家庭環境で生きてきた私には、 そもそも常識に疎く、 父のいない、 女性だけの家族で育っただけでなく、 祖母も母も男性に対する憎悪を秘めており、 知らず知らずにその記憶を植え付けられてきた私には、 男性に頼りたいという思いも育たず、 頼るすべも分からず、 自立するしかなかっただけなんだけど、 家庭を築けなかったのは残念といえば残念なんだけど、 それでも、全てのおかげで、 私は自由に生きて来られたし、 依存や執着を生まず、 しかも、無自覚にDNAに刻まれていた、 先祖由来の男性への怒りや憎しみの記憶を、私は『モテまくる』という体験を通して、自然と克服し、 うまくはいかなかったけど、 男性への怖れや依存がない、 しかも、みんな大切にあつかってくれたし、 最高の敬意を示してくれたおかけで、 私は母から奪われたはずの自尊心さえ、 いつの間にか取り戻していたのです✨ 私が『私』を見つけられた(取り戻せた)のは、 心底ご縁のあったみんなのおかげだと思う。 私のもつ頭領運とやらが、 男性を立てることを許さなかったのか、 怖れさせてしまったのか、 女性にしておくには強すぎる運らしいので、仕方なし笑 全てをあるがままに受け入れるのみ。 それでも私はやはり、幸せなのだ✨ 随分前につけた、このブログのタイトル、 『幸せだもの』… 感じるままに生きてきた私の感性には、 我ながら驚く。 決して、雑誌やテレビ、ネットでもてはやされるような人生ではないのに、 ただ、私の感性が、 そういうものに羨ましいとも感じなかったゆえに、 自己流の心地良さを追求してきただけなんだけど、 それが、孤立を怖れず、 自分との信頼関係をひっそりと育み、 年齢を重ねるほどに、 私らしい自信となって現れ、 (誰かに認めてほしいとか、自慢するとかいうものではない) 勝手に輝いていたのだから。 それを、みんなが気付かせてくれた。 それだけの無言の影響力となって、 私を支えてくれたのだ✨ 宇宙の、 神聖な存在の、 大いなる愛の… なんと言っていいか分からないけど、 言葉にするのすら畏れ多いけど、 こんなあまのじゃくで、 奔放で、 だけどもものすごく優しくて、 愛情深くて… 損得勘定抜きで、困っている人に愛を注げる私を、 神様は見捨てるどころか、 愛し続けてくれていることを、 私は疑いようがない。 精神世界を学んだからでもなく、 精神世界に逃げたいからでもなく、 いつだって、 物心ついたときから、私は守られていた。 記憶にない父に、 いつも『パパ、助けてね、守ってね』って、何かあるたびに自然と祈り続けていた私だけれど、 今思うと、 イエスが『父なる神よ…』と祈ってたように、 自然と私も同じことをしてたんだ笑 父は、自ら命を絶ったけれども、 それは、私を見えない力を信じる生き方に導き、 愛と信頼という、本当の私を生きるためには不可欠な、大切なものを育んでくれたのだ。 誰とも争いたくないゆえに、 誰も傷つけたくないゆえに、 敢えて道から脱線し、 孤独であっても、 我が道を生きることを選んだ私は、 自由という宝をいつの間にか得ていたのだ✨ こんなに未来への怖れよりも、 感謝ばかりが溢れてくる人生を生きていけるのも、 誰のせいにすることもなく、 不平不満で生きるよりも、 手間暇かけてでも、 自分で自分を心地よく育んでこれたから。 そして、誰にも依存せずに生きてこられたから。 人から見れば、孤独なのかもしれない。 だけど、私には、自由という創造の喜びがあるから、気にならない。 人はどこにでもいる。 そして、旅のように、 誰とでも私は仲良くなれる。 一期一会を楽しめる✨ 先日も、日帰り旅で気になったことを尋ねた人が、 『あなたとは初めて会った気がしないわ~。また会いたいから、LINE教えて❗』と言ってきた笑 私はLINEはあんまりしなくて…と、 一応メアドを交換したが、 本当に私は普段からSNSとかほとんどしないので、よくわからない笑 ただ、いつも『今ここ』を楽しんでいる笑 友達がいないとも思わないけど、 愚痴の集まりには参加しないので、 あまりべったりもしない。 そもそも、私には、やりたいことが色々出てきて、 誰かとくっつくようなことにあまり関心がないのだ。 人間嫌いでもないし、 それどころか、男性への嫌悪感を克服してからは、人間って面白いと、好奇心が溢れてくる。 ただ、距離が近づくほどに、 あまり深い話ができる人と出会えないから、自分で動いて、思いをやり尽くすことのほうが面白いだけなのだ。 水瓶座だから、流れるしかないのかな笑 それでも、そんな自分を楽しんでる。 結婚には向かなかったけれど、 ドラマのようなアプローチをたくさん経験させてもらったことも、 良い経験だったし、 自分の魅力に気付かせてくれた彼らには 大いに感謝したい。 これから何が引き寄せられてくるのかは分からないけど、 全てをありのままに受け入れ、 クリーニングしながら、 感謝と共に、自由に楽しんでいきたい。 自由という宝に気づかせてくれた稲垣さんには、姉さんと呼びたいところだ笑 フラットで、上も下もあまり感じない私が、 珍しく姉さんと呼びたいなんて❗ それだけ、自由な中に、 ユニークな語り口調の中に、 たくさんの愛を感じることができたから💞 ついつい、私のは重くなりがちだから笑 そのユーモアたっぷりの人生観は、 大いに学びがあった✨ そして、求めているもの、 結論もまた、とても共感できた✨ 自由になりたいあなたに、 ぜひ、お薦めの本です✨ 機会があれば、読んでみてね📖
2020.08.19

なぜだかふと思い立ち、 朝から蕎麦を打った。 ぬか床に漬けておいたアボカドやパプリカ、生姜を刻んで山盛りのっけ、 焼き海苔をさらに香ばしくあぶってからちぎり、 これまた山盛りのっけ、 仕上げは香醋とごま油、醤油麹で漬けておいた、たたきキュウリを汁ごとかけて召し上がれ❗ うっ、美味しすぎる✨ 前著の稲垣さん同様、 ぬか漬けのおかげで 私の腸子さん(腸内細菌)も大喜びのことでしょう✨ 私のぬか床は、もう何年だろう❓ 10年くらい❓ しかし、その中には売り物の老舗の ん十年もののぬか床も加わって、 ものすごい乳酸菌ワールドだと思う✨ しかししかし、それもこれも、 続けてこれたのは猫ズのおかげ✨ 飽きっぽい私は、『私のため』だけではとても続けてこられなかったはず。 (私が健康になれたのも、こんな私でも誰かの役に立ちたいと思いがあったから✨ 意外と自分のためだけに頑張るって難しい❗本当に皆様のおかげですと感謝✨) なんとか試行錯誤しながら、 猫ズのご飯にも、乳酸菌フローラの恩恵を…と、 たびたびお世話になっていたため、 続けてこられたようなものなのです。 しかもハナは相当のぬか好き✨ ぬか床混ぜてるだけで、 ニャンニャン(くれくれ)うるさい笑 長年育ててたくましく育ってるせいか、 塩分はそう濃くなくても、 ちゃんと美味しいぬか床なので、 混ぜた後の手を舐めさせると、 もう大興奮笑 みんなが快食快便、おしっこの問題も何もなく、 元気でいてくれるのは、 菌食の力も大きいと思うのです。 だけども今日は、 サラダ蕎麦を食べた後の鍋に残ったそば湯に、ハナが大興奮で蓋を開けようと頭突きしまくるので、 小皿にとってあげると、 大喜びでした笑 しかも、鍋までキレイに舐めまくる笑 よほど美味しかったのね~ うん、確かに地元産の美味しい、 お気に入りのそば粉なの✨ 手作りご飯で育てると、 確かに食べ物に敏感になるから、 油断してたら私のご飯を食べられた…とか、 生ゴミあさってた…とか、 大変と言えば大変だし、 面倒くさいと言えば面倒くさいこともしょっちゅう。 だからと言って、 楽したいからキャットフードに…とは、 私は思わない。 やっぱり私自身が食べることを喜び、 生命を育む大事なものと捉えているから。 (キッチンがキレイに保ててるのも、猫ズとの緊張感ある日常の賜だと思うし笑) 生きることは面倒くさいことだらけ❗ 大事なことは手がかかる❗ 幼少期から病弱でネガティブで、 未来に希望さえ描けなかった私が、 健康を取り戻したとき、 私には、生きるために必要な、 その当たり前の手間暇が、 面倒くさいどころか、 ありがたいものを慈しむ時間であり、 健やかな生命を育めることへの、 感謝を示す時間であり、 なんとも言えない安らかな時間なのです。 …とは言っても、猫ズはニャンニャン(早く早く)と急かすので、 平穏な…とは言いがたいかもしれませんが、 それさえも元気な証拠と楽しんでいる私です。 肉も魚も野菜もあるものを使うから、 毎日同じということはまずないけれど、 それでも近くで手に入る鶏肉(時々手羽元を骨ごと)、きびなご(全体食)が中心で、 決してレパートリーが多いわけではありません。 でも、食べ飽きることも全然ない❗ 残すこともほとんどなし❗ 凛はごくごくたまに(年に2~3回❓)、 自ら断食することがありますが、 猫白血病ウィルスと共存している中での、 凛の体の調整なのだと思い、心配はしません。 自然治癒力様々です✨ みんなのおかげで私は素晴らしい体の神秘を、奇跡を、 何度も見せてもらいました。 だから、この自然な手間暇を、 面倒くさいとはとても思えませんし、 食事は、とても神聖な時間です✨ …と言っても、 めっちゃ美味し~✨✨✨ って、素直に感動しながら食べるだけなんだけど笑 それが私にとって、一番の感謝の表現✨ 素直に、最高に楽しむ✨ それが、心からの感謝だと思うから✨ 人生を愛することは、 生まれてきて良かったです✨ 神様ありがとう~✨ …の、一番の表現だと思う✨ だから、猫ズが美味しそうにウニャウニャ言いながら食べたり、 ニャンニャンとご飯早く早く❗待ちきれないよ~と急かしたりすることも、 嬉しくてたまらない、 最高の人生なんだと表現してくれているように思えるのです✨ だから、キレイにスマートに生きたいとは思わない。 その原始的な、本能からの喜びを大事にしたい。 それこそ、生きると言うこと。 世の中の便利で、快適で、 一見スマートな進化形に見える日常は、 果たして本当に進化と呼べるのだろうか❓ 大事な人生の終末を後悔の中で生きている高齢者や、 先天性の病気や障害を引き受けざるを得なかった子供達を、 残酷な命の裏側の世界を、 決して見ようとしない、 ごまかし、まやかしの中で彷徨いながら生きる生き方が、 果たして進化と呼べるのでしょうか❓ たとえ、精神世界では、 自らの成長のために、 それを課して生まれてきたとしても。 今回のコロナ騒動は、 たくさんのごまかしや幻想を、 浮き彫りに見せてくれたように思います。 人の動きが減ったら、 海や街がキレイになったとか、 自殺が減ったとか… 健康も幸福も、自然であれば、 勝手にそうあるものだと気付けた私には、 やっぱり邪魔しているのは人間…の記憶なんだよな~としみじみ思います。 クリーニングしましょう✨ お金もなにもかかりません。 自然との調和、心と体の調和、 人と人との調和を取り戻しましょう。 その中でも、食べることは、 自然の恩恵そのものであり、 自然との調和をもたらす、 最大の影響力だと私は感じてます。 障害児のおやつを、少ない予算の中で、 良い素材でもないけれど…と、心を込めて手作りしてた時でさえ、 心は伝わり、予想外の行動で返してくれました。 それは、何かをしながらいい加減に食べていたおやつの時間が、 『先生、今日は何❓』って、放課後の楽しみな時間になり、 食べることに集中してから 遊ぶようになったのです。 私は勝手にやっていたことなので、 (食べ物の影響を知っているだけに、 食べ物をいい加減にしたまま薬を飲まされていることに心が痛むあまりに、自分を救うためにやっていたのだと思う) お行儀が悪いとか、他の問題に対しては、 あまり口を挟まなかったのに、 子供達は自ら大切に『美味しいね~』と、 味わって食べるようになったのです。 予算が予算だけに、しかも、仕事の合間なので、大したものは作れません。 例えば夏なら、バナナの皮をむいて凍らしただけのバナナアイス🍌 (たまにチョコを溶かしてかけた、リッチなチョコバナナにしたりも❗ 刻んだアーモンドもかけた豪華版には、『先生、こののツブツブは要らないな~』と言われることも笑) わらび餅やカットバナナ🍌、 福祉の販売会用に作ってたクッキーの余り物などを盛りつけた、パフェ風とか… とにかく、見た目にも楽しいおやつの時間に変えたのでした✨ (でも本当は、私が楽しむためだったような…笑) その効果は、本当に予想外で、計り知れません。 子供達は私に心底信頼と尊敬を示してくれました。 子供達からの、最高の感謝の表現だと思います。(先生が辞めてから、面白くなくなった…と言われたときは、心が痛んだけれど、みんな、自分の力で面白く変えていかなきゃいかんのです❗…と、子供達の力を信じてます❗) どんなに福祉に予算をかけても、 どんなに薬でスマートに抑えようとしても、 周りの大人たちの『思い』という影響力にかなうものはありません。 全ては『思い』なのです。 『思い』という波動、エネルギー。 見せかけだけのごまかしでは、 どんなにお金をかけても、 環境を整えても、 子供達すら、 動物ですら、ごまかせない。 いえ、大人以上に敏感ですからね。 大人のほうが、お金をかけてもらえただけで、ごまかせるかもしれない笑 もうごまかしながら生きることは止めましょう❗ 自分を大事にしましょう❗ 自分を大事にできない人は、 誰も大事にすることができないのです。 幸せがどういうものか、わからないから。 心からの喜びを大事にしてください。 何かでごまかすのではなく、 もっと心と体を緩めてあげてください。 その安らぎの中にこそ、 あなたの才能や運の原石が見えてくるのです。 ガッチガチに凝り固まった頭では、決して見えない宝があるのです。 もっと感じることを、 体の感覚を大事にしてください。 内側から響く声に耳を澄ませてみてください。 焦らずに、ゆっくりと… 誰もあなたを傷つけることはありません。 あなたがあなたを傷つけているだけなのです。 あなたの思い込みが、 敵を作り、猜疑心に囚われ、 苦しみを引き寄せてしまうのです。 クリーニングしましょう。 本当の自分を取り戻しましょう。 苦しかった過去から、自分を解放してあげましょう。 素直で、純粋な子供の心を思い出して❗ あぁ~、美味しい~✨ 自然と調和する、 食事の時間をもっと大切にしてください。 感性こそ、生きる力の鍵です。 本当のあなたと繋がる道です。 これ以上自分を傷つけないで❗ それは、周りを傷つけないための、 大切な生き方です。 自分を大切に扱うほどに、 周りの人を大切に扱うようになります。 人は皆、自分を扱うようにしか、 他人を扱うことができないのですから。 まずは自分から。 平和は自分から始まる✨ 私はそれを実際に体感してきました。 だからこそ、声を大にして言いたい。 自分を雑に、粗末に扱ってはいけないと❗ あなたが幸せに生きることは、 みんなの幸せを許す唯一の方法なのですから。 安心して幸せに生きよう❗ 記憶で縛り合うのはもう止めよう❗ まずは自分から✨ 全ては思い✨ 愛と平和を描こう✨ 幸せは、外側にはないのです。 あなたの内側に探してみてください✨ 時間がかかっても、 諦めなかった人だけが見いだせる宝があるのです。 あなたの中に…
2020.08.18
すっごい面白い本に出合った❗ 私は世間と真逆な思考の持ち主ゆえ、 あまり必要以上に情報を追わない、 マイペースな暮らしを楽しんでいるので、 ネットやテレビでの情報には疎く、 リアルな出逢いが私を導いている。 そんな折出合ったのが、 稲垣えみ子さん著 『もうレシピ本はいらない』 表紙を見ただけで、 もうこれは仲間だと心に響いた笑 それで早速今読んでいるのだが、 実はまだ途中❗ 我ながら、読んでから書けと言いたいとこだが、 あまりに面白すぎて、 その軽妙な語り口に、 笑いが止まらない。 彼女ほど質素ではない私だけれど、 (うちには冷蔵庫もあるし❗😸ご飯を作る以上、私には手放せないものだから…) もはやご馳走への感覚はまさに共感するところで、 いわゆるグルメな食事は、 もはや私の舌を満足するどころか、 刺激が強すぎる毒にさえなり得るのだ。 どんな毒かと言えば、 精神を惑わす毒… 食事を作るのが億劫になる毒、 味の薄いもの、素材そのものの味では満足できなくなる毒、 そして何よりも、脂質と糖質、タンパク質という三大栄養素過剰で、 健康ではいられなくなる毒…である。 出会ったみんなのおかげで、 自分の中にあった美しさに目覚めた今の私には、 健康とは、健康診断で得られるようなものではなく、 美しさ=生命の輝きそのものである✨ 無自覚ながら、私が求めていた健康とは、 まさに生きることの美しさであり、 『生命力』だったと気付けたおかげで、 もともと疎かった人工的な美や、 生まれもった美形に恵まれながらも、 内面の美しさを欠いた行為や、 感謝のない歪んだ表情によって、 『美』というものの儚さ、手に入れることの難しさを今さらながら知り、 だからこそ、なぜ私はつかの間であっても、無自覚であっても、それを手にしていたのか…に対する興味が湧いてきて、 自分研究に興味が尽きないのです笑 あまりにも興味を持たれることを不思議に思いはしながらも、 今まで気付かなかったけど、 私って… かなりユニークな存在だったんだな~と笑 そうして、ようやく内なる私と、 内面が投影された外見との関係が見えてきたわけです。 『美』は追うものはなく、 外側に探すものでもなく、 内側にすでにあるものであり、 ただし、原石であるそれは、 自らの内面を磨くことによってのみ、 開花することができる花なのだと…。 昔の私は完全に『花より団子』でしたし、 今でも、化粧やヘアースタイル、ネイルやファッションなどには疎く、 彩りを添えることを楽しみつつも、 過剰に創ったり、隠したり、ごまかすというような『自分以外のものになりたい』願望はさらさらなく、 年齢を重ねるほどに、私は私が愛おしくなるのです✨ ずっと一緒に戦ってきた戦友であり、 傷跡はあれこれあるけれど、 それも私の心と体という最愛のパートナーが、本当の私である魂の声を叶えるために負ってきた傷跡だから。 全てを踏まえて愛おしいのです。 感謝でいっぱい。 長い年月をかけて築いてきた絆、信頼関係は、 私に絶対なる心の平穏と、安心感を与えてくれます。 そして、自分への抵抗も否定もない、 全てを受け入れている無償の愛こそ、 生命という、内なる美が輝きを放ち、 雰囲気や存在感というインパクトを与えているのだろうと思うのです。 自分に対して感じる無償の愛は、 他者へも、自然や動物など、 あらゆる生命へも自然と向けられるもの。 そこに疑いや差別、不必要な緊張感はないのです。 私は今、探求し続けたもの(健康)以上の宝を手にしていました。 それは、生きる喜びそのものです。 そこには、不必要に自然を壊し、生命を奪うような、形ばかりの、欲望を満たすばかりの『美食』は存在しません。 私の感じる『美食』とは、 形ばかり贅沢なものではなく、 (ちっぽけなプライドを満たすためのものではなく) また、それ自体が美しいだけで、 実際は食べた本人の健康や体型を、 じわじわと破壊してゆくようなものではなく、 自然との調和を感じられるものであり、 自然の豊かなエネルギーを満たすものであり、 年齢を重ねるほどに、生きる喜びや感謝が湧いてくるものなのだと実感しています。 そこには、自然以上の不必要な老化や体形の崩れなど存在しません。 それゆえに、未来への不必要な怖れさえないのです。 ごまかす必要も、 外側に探し求める必要も、 争い、比べ、どちらが上かを競争する必要もないのです。 これ以上の心の平穏があるでしょうか。 これ以上の幸せがあるでしょうか。 最近になってようやくプラスティック削減で、スーパーのビニール袋が有料化しました。 それでも、タダのものは何でももらえとばかりに、ビニール袋をグルグル巻いて持って帰っている人をいまだに見ますし、 雑誌の節約の提案には、作り置きや簡単調理のためのラップやジップロックなど、 地球に還元できないゴミの乱用は考慮されていませんね。 欲望を満たすための食には、 あらゆる犠牲は無視されがちです。 もはや、食べることとは生命をいただく行為であるということさえ、おざなりになっています。 そうでありながら、 病気や不調で苦しみ、嘆き、 医療に泣きつくという矛盾に、 疑いすら感じていません。 不幸を環境のせいにして、 食べることでごまかす日常から生まれるものとは、同じ不幸の連鎖でしかありません。 同じ人間でありながら、 どうして幸せな人と不幸な人がいるのでしょう❓ それは、自分という存在の本質に気づいているかどうかの違いなのだと私は思います。 自分という存在の本質にきづいたなら、 とてもそんな雑な扱いを自分に課すことなどできなくなるのです。 そう、不幸とは、 他の誰かによってもたらされるものではなく、 自分で自分を貶めているだけなのです。 もちろん、生まれた環境は異なります。 だけど、お金持ちの家にはお金持ちの家なりのしがらみや苦労があり、 貧乏ながら、幸せに満ちた人達もいるのです。 お金や環境が不幸を創るのではありません。 自分の思考の中で、不幸を生み出す癖、記憶があるだけなのです。 お金持ちはケチとよく言われますが、 お金持ちであっても、執着が少なく、 人生そのものを愛し、楽しんでるゆえに豊かでありながらも、 食や持ち物はいたって質素な方もおられます。 ケチではなく、質素。 逆に、ブランドものや高級車で固めたり、 どう見られるかばかりを気にするのは、 自分以上に見せかけようと、 外側ばかりにお金をかけ、 食べるものは無茶苦茶という人が多いように思います。 つまりは、豊かさとは、 お金の有無でも、ご馳走でもなく、 心の豊かさの方なのです。 心が豊かであれば、 身の回りにあるものから、 魔法のように、欲しいものを創り出すことさえできるのですから。 ナチュハイのおかげで、私の体は本当の美食に目覚めました。 先に挙げた稲垣さんの地味飯とは異なるものですが、 どちらも素材を味わうことを美食と捉え、 しかも副作用的に勝手に健康になり、 その上心の平穏を得られたばかりか、 未来への不必要な怖れまで手放せたとあれば、 あとは自由に人生の創造を謳歌し、 お金にばかり囚われずに済む、 実に豊かな人生であることは、 この上ない幸せな生き方と言えるのではないでしょうか。 しかも、完璧とは言えないまでも、 生き方そのものに、 地球やあらゆる生命への配慮を有しているため、 必要以上に罪悪感や欠乏感に襲われることもかなり減りました。 できないことを悩み続けるよりも、 自分には何ができるだろうか… 私は常に、できることを探求し、試行錯誤してきたので、敢えてできないことに頭を悩ますこともないのです。 完璧なんてないから。 常に、何ができるか❓だけ❗ 言われ続けてようやく気付いた、 私のポジティブさ❗ 幼少期からずぅーっと自分はネガティブだから、 人以上に頑張らないと…と、自分に厳しすぎたかもしれないけれど、 それが周りにも厳しさとして、何度となく傷つけてしまったけれど、 それら体験も、本当の自分を知るために必要な経験だったのだと感じています。 本当に無駄なことって何一つない❗ 全ては学び。 贅沢を貪ったゆえの結果も、 自律のために、内なる弱さと格闘し続けた結果も、 全てが今の私を体現しているだけなのだから。 幸せも不幸も、 創り出しているのは自分でしかない。 本当の自分の素晴らしさに気付いたなら、 だけども、この重たい肉体と、細胞ひとつひとつに刻まれた記憶の凄まじさに気付いたなら、 ありのままの自分が愛おしく感じられるはずです。 形ばかりのものに執着したり、依存したり、比較したり、嫉妬したりしなくても、 私は私で充分だったって。 他の誰かにならなくても(なれないし)、 私以上にならなくても(なれないし)、 誰かより上にならなくても、 みんな持ってるものが違うんだから、 上も下もない。 比べたり争わなくても、 ただ私の花を咲かせるだけでいいのです。 ただそれぞれの花を楽しめばいいのです。 美味しいものを食べることは、 何よりの活力源✨ だけど、それは決してお金をかけたフルコースや贅沢じゃない。 私にとっての美食とは、 あくまでも、『私』を美しく輝かせてくれる生命そのもの。 なぜなら、美とは、生命そのものの輝きだから✨ 料理がどんなに美しくても、 食べて健やかさから遠ざかるようなものなら、私は食べなくていい。 …とか言いながら、 結構口卑しいので、かなりの大食いなんだけど💦 野菜主体だからか、 ちっとも太らない。 間違いなく、43歳の今の肉体は、運動する喜びに目覚めていなかった20代の頃より美しい✨(厳しいトレーニングしているわけでもないのに、我ながら不思議なほどほどよく腹筋も締まってる。私のヨガはあくまでも緩めること重視だから、全然ハードな鍛錬ではない❗つまりは毎日歩くこと(好きだから)と日常的な姿勢の維持(姿勢が崩れたほうが疲れる)こそ、最強の筋トレなのだと思う❗自然が一番美しい証明ね✨暮らしの中に宝はある✨) でも、食べすぎれば排泄物は臭うわけで、 時々体は臭いや体の重さで教えてくれる。 私も決して優等生じゃない💦 優等生とか神だとか言われるけど、 まだまだちっとも落ち着いてない❗ (そもそも完璧を求めているわけではない❗人生の喜びを感謝して生きたいだけ❗) 心の平穏は見つかったけれども、 やんちゃな私がまだまた駄々こねてる笑 (はなから完璧を求めてないので、そんな私も楽しんでる) だからこそ、稲垣さんの語り口に、大笑いしゃうのだ。 ちっとも優等生じゃないのに、 優等生に見られてしまう、 怖れられてしまうことも多々あるので、 もうそれは理解してもらおうとか諦めて、マイペースに生きることに決めたので、 気にしちゃいないけど、 久しぶりにめっちゃ心の底から共感できる人に出会ったーって笑 まだ全部読んでないけど💦 彼女がなんでアフロかは知らないけど笑 自分を楽しんでるんだろう。 私が私を楽しんでるように❗ 食べることは生きること。 だけど、私は自然の恵みは決して地味とは思わない。 それどころか、豊かで美しい食事だと、心から感動するのです。 人工的には作り出せない、色、香り、味わい… もちろん、現代農業の影響で、どれほど自然とはほど遠ぃのかも考えなくはない。 だけども、私は今、それらも含めて、みんなのおかげで生かされてることを痛感できた。 猫ズを養っていけるのも、 私が手を下さなくても誰かが代わりにやってくれているおかげだから。 できる限り生命を無駄にしないよう努めながらも、一番大事なことは決して感謝を忘れないこと。 育ててくれた農家さん、 食べられるように手をかけてくれた人達、 私の手元に届くまで、心尽くしてくれた人達、 そして何よりも生命を育む自然と、 自らの生命を与えてくれた、生命そのものに感謝していただこう。 あなた方のおかげで私は今、 私という生命を輝かせて生きていけるのだから。 生命輝く食こそ、本当の美食✨ ありがとう✨ 心から感謝✨ そして、しみじみ思う。 あ~、食べることって、本当に喜びだと✨
2020.08.15

最近あんみつにはまってます🍵 生まれ育った環境や年齢的に育まれてきたものと、 私という個性が、 うまく調和し始めたようで、 あらゆるところに発見や学びが満ちていて、日常があまりに輝かしく、 夜はもう爆睡❗(まさしく子供❗笑) あんみつひとつ例にとっても、 (上の写真はあんこの入っていない、 フルーツ寒天なのですが…) すっごく美味しいあんみつを、 素朴なごく普通の(特にお洒落でもなんでもない)お茶屋さんでいただいてから火がついて、 白玉で有名なお洒落で高級感のある和菓子屋さんなど、名のあるところでもいただいてみたのですが、 これがもう、毎度ながら、 最初に火をつけたお店以上のものには出会えないのですね。 有名とか老舗とか、 お洒落とか行列ができるとか、 そういう肩書き的なものでは得られない何かがあるからこそ、 私の心に響いたわけですから。 だけども、そういう経験を繰り返しているうちに、なんとなく気づいたのです。 その『何か』…とは、 本当に、それを『作る人の心』なのだと。 丁寧で、優しさに満ちている…というか。 絶対『儲け』よりも『心』を大事にしているな…と感じる雰囲気。 私はつい、美味しいものと出合うと、 心が弾んで(浮き足だってしまい、調子こくあたりが、まだまだ無邪気な幼稚園児と変わらない笑)、 次から次に同じもの(あんみつならあんみつ)ばかりが目に入ってくるという、 素晴らしく単純な脳みそを授かってるので、 『ここのはどうかな』って、 ワクワク素直に楽しんじゃうのですが、 絶対に最初に火をつけたお店以上のものには出会えないのです。 (時と共に、そのお店の味とも違ってくることももちろんある。私もお店も変わるからね。だけど、たまにしか食べないからこそ、『あぁ、これこれ✨ただいま~❗』…って言いたくなるような、ホームのような場所が、私にはあるのです。あんみつはここ、パンはここ…と、ここ❗みたいな笑。) なぜかと観察してみて気づいたのは、 後から目についたすでに有名なお店は、 ほとんどがたくさんの人を雇っての、 経済的な経営が上手というか、 ある意味バイトさんで成り立っているので、 質問しても、商品自体にあまり興味がない場合も多く、 『心』がどこか上の空… 接客マナーや経営はもちろん大事だけど、 商品への愛がなければ、やっぱり空しいんですよね…私は。 なんせ、喜びを分かち合うために人(他者)がいると思ってる人間ですから笑 愛を感じられないと、感動が薄れてしまう。 特に、白玉専門店で食べたあんみつの、 肝心の白玉団子がふやけていた時は苦笑いしかありませんでした。 (心が入ってない❗) 最近の私は、おかげさまで『怒り』そのものが湧いてくることは本当にごくまれで、 例えば、当人があまりにも自分をないがしろにしてやらかしたような結果に出くわした時は、 私は素直にそれを吐き出します。 当人への『怒り』ではなく、 『もっと自分を大事にしなよ❗』 『もっと誇りを持って仕事と向き合いなよ❗』…と、卑屈になってる自分に貶めてるのは、他の誰でもなく、『自分』なんだと気づいて欲しいから。 私の怒りは、今までもほぼそれだったんだと思います。 私が困るからではなく、 『あなたが傷つけてるのは、私ではなく、あなた自身なんだよ❗』…と。 地球を壊して困るのは、 私達自身なんだよ❗❗…と。 我ながら、天然物のスピリチュアル人間だわ…と笑っちゃいますが、 私はそのおかげで、私が助けたのではなく、私があらゆるものから助けられてきたのだと、その幸運に感謝せずにはいられないのです。 (コロナであろうと、凛の猫白血病ウィルスであろうと、他の何であろうと…、 私があまり怖れずに生きていけるのは、 いつも現実と真摯に向き合い、 あらゆる多様性を理解することに努め、 敵対するのではなく、共生していくことをごく自然に選んできた結果でしょう。) 神聖なる存在を、宇宙を、神様を… 呼び方は様々あれど、 私は常にワンネスであり、 常に分離することなく、繋がりを感じています。 だから、ひとりでも怖くないし、孤独もない。 出会う人全てが家族であり、仲間であり、学びを与えてくれる師であり… (反面教師であってもね❗かつてはこれが多すぎるくらいだったけど笑) 私にはそもそも敵などいなかったのだと気付けたことは大きい。 なぜなら、私自身のその天然物のスピリチュアルな精神ゆえに、 嫉妬や妬み、嫌がらせなど、 いろんな体験を引き寄せちゃったけれど、 そんな中でも、私には決して『やり返す』『憎しみ』『恨みを晴らす』…なんて無駄な感情が芽生えることはなかったから。 ただただ悲しみ、『なぜ人は、こんな無駄な(役に立たない)ことをするのか…』 分からずに、たくさん苦しんだけれど、 それでも私は、 私ができることを、 今あるものの中で、 ただひたすら心を尽くし、 『今ここ』を生きることで、 私自身を『癒し続けて』きたのだとしみじみ思います。 私の中には最初から憎しみなんてなかった。 嫉妬や恨みなんてなかった。 ただひたすら悲しみ続けてただけ…。 そして、その悲しみが、 自分を自分で傷つけ、貶めている人を見ると、『怒り』のようなものに変わり、 『いい加減目覚めなさいよ❗』 『自分を磨こうともしないで、自分を舐めてんじゃないわよ❗』 …って言いたくなっちゃったんだな~と、今はそんな自分の純粋過ぎるほどお馬鹿な自分を笑ってしまいますが、 本当に今だからこそ気付けたのです。 私には、怒りすらなかったのだと。 (そのせいか、怒った後に、感謝されることが多い笑) 私のそれは、『慈悲』『憐れみ』に近いように思うのです。 だから、私の体験をそのまんま人には通じないようなので、 そのために本を読むのです。 学ぶためでなく、 人を理解するために。 私に必要なものは、全て私の中にあると分かってるから。 だから、『私』を探す必要はもうないのです。 ただ、理解したい。 そして何よりも、本当の自分の素晴らしさに気づいて欲しい。 私達が苦しんでいるとき、 私達が抵抗しているのは、私達自身なのです。 私達は本当に素晴らしい存在で、 神聖なる存在が創造した私達には、 何一つ足りないものはないのです。 なぜかと言えば、 それぞれの才能や個性があるおかげで、 私達は共に分かち合い、 切磋琢磨することで、 自らの才能を知り、磨き、育むことができるからです。 みんな同じであれば、その必要もないでしょう。 私達はみんなでひとつであり、 みんなでひとつのものを創造しているのです。 あまりに大きすぎて、 私達の目には見えないけれど、 私達の小さな頭では分からないことだらけだけど、 ちゃんとその大きなもの、神聖なるものと繋がっていて、 誰ひとり、 人間だけでなく、植物も動物も、命あるものも、そうでないように思えるものも、 地球そのものも、 宇宙のあらゆるものがお互いにバランスを取りながら、私達はひとりひとりが大事な『生命』を、『神の側面』を、 『私』という存在を通して表現しているのです。 無意識であったとしても…。 だけど、それはとても責任のあること。 自分を貶め、 自分を否定することは、 『神の側面』としての自分に抵抗していることです。 そして、素晴らしい本当の『私』は、 内なる声(神聖なる存在と繋がっているところ)を通して表現されるのだと思います。 ようは、自分の思いを否定し、抵抗したり、無視したりしている限り、 本当の『私』を生きることはできません。 それは、つまり、神聖なる存在が与えてくれる安らぎや平和、愛を受け取らないと宣言していることと同じだからです。 誰もが幸せになりたくて、 必死で頑張ってます。 だけど、幸せとは、頑張って得るものではないのです。 すでに在るものだから、 それに気付けるかどうかは、 自分次第。 自分に与えられた才能や運、個性を受け入れ、 それと真摯に向き合い、 感謝して磨き続けること。 『私』を育み、幸せにするのは、『私』の努めであり、責任なのです。 親の責任でも、教師の責任でも、 恋人の責任でも、ご主人や奥さんの責任でもありません。 今、もしも幸せが感じられないのなら、 その責任は、『私』でしかないのです。 だけど、それも仕方のないこと。 私達は、生まれてからずっと、『こう在るべき』『これが常識、ルールだから』… ありとあらゆる経験の中で、 『心』よりも、他人の価値観を植え付けられてきてしまいました。 『私』を抑圧するように教育されてきたのです。 もちろん、他者や多様性の中で、 あらゆる生命との共生には、一定のルールや認識は必要です。 しかし、それらも、『心』を殺すほど抑圧してしまうのは、行き過ぎです。 私達は親から子へ、ご先祖様から子孫へと、記憶を伝えながら生きています。 伝統の中にも、残酷なものもあります。 良きものは受け伝えることも大事だし、 悪しき慣習なら絶つという勇気も必要です。 私達のひとつひとつの言動が、 宇宙全体に凄まじい影響力を与えていることに、私達は気づかねばなりません。 それは、身の回りの人だけへの影響ではないのです。 あなたが買うもの、食べているもの、 着ているもの、住んでいる家、 物や動物の扱い… あらゆるところにあなたの思いが投影されています(表現されています)。 面白いほどに、私達は『私』を表現しまくって生きているのです。 無意識であろうとなかろうと。 猫ズを見ていると、 本当に素直で、生命の素晴らしさ、美しさ、純粋そのものを体現してるのだと感じます。 私がセキセイインコの黄菜と出逢い、 繋がってきた動物との共生によって学んだことは、あまりにも大きなものでした。 なんせ宇宙にまで連れて行ってくれたのですから笑 マクロビやナチュハイ、ヨガなど、 私の自然と調和した生き方のヒントになった知識はありがたいものです。 だけど、それだけでは、私の心には響かなかった。 あくまでも、今ここを生きる『生命』と向き合い続けたからこそ、学べたことなのです。 知識は自分の中にあるものを引き出す上では役立つもの。 だけど、知識を得たから役立つわけではないのです。 雑学ばかり身につけても、 実践がなければなんになるのでしょう❓ 頭が混乱するだけです。 私は常に、知識を実践し、体験し、知恵に変容させることで、頭を空っぽに戻してスペースを空ける(イメージ)。 そのおかげで、いつも頭がスッキリしていられるのです。 必要なときに、必要な知恵が体を通して勝手に動いてくれる… そんな感覚です。 体を通した体験は、そうそう忘れることはないようで、 少し練習したり、体を動かしてるうちに、感覚が戻ってくるからです。 現代人は頭に頼りすぎて、 結局心はおざなり、 誰も幸せにすることができません。 自分でさえも、幸せにすることができないのです。 頑なにプライドだけは守りながら…。 あなたにとって大切なのは、プライドを守ることですか❓ それとも、幸せに生きることですか❓ もしも、幸せに生きることを望むなら、 私達の肉体は、大切なパートナーであることに気づきましょう❗ この人生において、肉体の協力なしに、幸せに生きることはとてつもなく難しいこと。 よほどの修行を目的に生まれてきた人ならともかく、 多くの場合、人はさほど精神的に強くはありません。 私は意外とタフなのだな~と思うことも度々ですが、 そんな私も肉体的な痛みは嫌なのです笑 だからこそ、ケアを大事にしているのです。 痛いの嫌だから笑 はい、単純です。 何度も書いてますが、 私は幼少期から苦しくて仕方なかった。 その薬漬けの体験が、 私に暗い未来しか描かせなかった。 だったら、変えればいいのです。 薬漬けにならない未来を描くために、 私は健康を模索し続けたのです。 気付けて良かったと、あの体験のおかげだと、感謝までできるようになった。 そう、そこまで『意識』が辿り着けたら、 問題なんて、問題でも何でもなくなってしまうのです。 あぁ、気付けて良かった✨ 全てが感謝に変わり、 あらゆることが、感謝(宝)を発見するための過程でしかないのだと、 人生は宝探しの冒険なんだと、気付き(成長)の喜びに変容していくばかりなのです。 そして、冒険には、適度にタフで健やかな肉体というパートナーが必要なのです✨ しかも、面白いことに、 欠乏感や劣等感、自己否定して、不平不満ばかりの人たちで、 体を大事にしている人っていないのですよ。 つまりは、肉体を鍛えたり、ケアすることは、 誰かに自慢するためでも、人に見せるためでもなく、 『私』は『私』を大事にしてますよ❗愛してますよ❗…と、 『私(肉体)』の中の細胞ひとつひとつに語りかけるようなものであり、 いつもありがとうと、感謝を伝える行為であり、 そのまんま、内なる神との対話そのものなのだと感じてます。 だからこそ、私は美容には疎く、興味もなかったにもかかわらず、 美しいと誉めていただけるまでに、 身も心も成長できたのだろうと思います。 黄菜しろや猫ズを育てるように、 私の健康を育んできたし、 逆に、私が探求し続けたからこそ、 みんなを通して、良きも悪くも結果を得られた。 そして、『自力』(力んだ頑張り)とは、自然への抵抗なのだと気付き、 一生懸命自力を出し尽くしたからこそ、その執着を手放すこともできた。 今、神との対話はとても穏やかです。 そして、それは猫ズにも伝わっているようです。 少し前にハナの首の後ろや頭など、 かなり大きな範囲での脱毛が突然見られました。 さすがに病院へ連れて行くか…と迷いも出たのですが、 やはり、ワクチンなどしていない猫ズを、 緊急事態でもないうちに、 他の細やかな処置に気をつけている人達に不必要な影響を与えることは避けたかったので、しばし様子を見ることにしました。 もちろん、できることは食事を変化させること。 ズバリ❗ あっという間にキレイな毛が生えてきて、ほとんど分からないまでに回復✨ ハナ自身は、はげてるときから全く気にしてなかったのですが、 食事が改善したことで、さらにパワーアップ✨ やはり、問題は、自然との調和からズレてますよ~❗…という、メッセージなのだと、ありがたいものなのです。 自然との調和に努め、 ありがたく日常を大事に生きていれば、 心も穏やかで、不必要に年齢や病気を怖れることもなく、 日々が宝の山なのです✨ そして、その心の在り方こそが、 肉体を通して現れ、 人々の心に響くものを生み出すのでしょう。 良いことも、悪いことも、どんな思いであっても…。 あんみつの話からかけ離れてしまいましたが、 どんな名店も、どんな肩書きがあっても、 今ここの心の在り方が全てなのです。 有名な白玉専門店の、私が食べたふやけた白玉団子は、いつもとは違ったのかもしれません。 ただ、名店とはいえども、 作るのも出すのも『人』。 そこに愛がなければ、 愛は表現されません。 しかも、その時の私は、ちょっと食べすぎた後での『あんみつ』との出逢いだったため、 欲張りすぎてたのですね笑 やっ引き寄せた私の責任❓笑 問題なんて何もないのです。 あるのはただそうある状況だけ。 色づけして見ているのは『私』でしかない。 それが、最初の出逢い以上のものには出会えない、一番の理由でしょうね❗ ようは、やっぱり無欲の勝利✨ 期待や結果を求めず、 素直に心を込めて、 自発的に思いを表現して楽しむこと。 それが『私』に近づく秘訣です✨ 本当の『私』を生きること。 本当の『私』を受け入れ、認め、愛すること。 それが、宝(生まれてきた目的やテーマ)のひとつであることは疑いようがありません。 なぜなら、自分を生きることほど、幸せや喜びを感じられることはないでしょうから。 そして、それ(私らしく生きること)が、 誰かの幸せや喜びまで引き出して、 周りに自然な笑顔が溢れてる✨ そんなときほど、私が『私』を生きることの大切さを実感することもありません。 ただそれだけでいい。 私が私を育て、 私を愛し、 私を幸せにすること。 特に、女性がそう在ることは、 どれだけ男性のプライドの裏に隠れてる愛情を引き出し、育む勇気を与えていることかしれません。 私達、育む性を持つ女性の役割は、とてつもなく重大なのです❗❗ もっと体を鍛え(ムキムキになる必要はないけど、自然との調和した生き方には、タフさも必要なのです❗)、 ケアをして、可愛がってあげましょう❗ …と言っても、私はもとが美容には疎く、興味もなかったので、 いまだにネイルとか、化粧品とか、美容室のような、いわゆる人工的に創ることにはほとんど興味なく、 あくまでも自然の恵みや先人たちの残してくれた知恵をヒントに、 自然との戯れを楽しんでるだけなのですが…。 食べることも、装うことも、着ることも、洗ったり清めることも(入浴や掃除)、 全てが自然との対話から生まれます。 もちろん完璧とかそうでないかではなく、 心地よいかどうか。 私の心と体のケアは常に、 心地よいかどうか… が、ベースになってるようです。 (あまり頭で考えてないから、今気づいたけど❗) そう、私らしくあるときって、 ほとんど頭で考えてないんですよね。 だから自然に笑えるし、 自然に涙出ちゃうし、 自然への愛で満ちあふれてるんだと思うのです✨ 頭で考えてる限り、 抵抗しか生まれません。 『私らしく』生きるコツは、 この肉体と仲良くなることなのです✨ もちろん、多様性や他者とのかかわりの中では、 お互い様や譲り合いなどの配慮は必要ですよ❗ それも、知性ある人間だからこそ、率先してやりたいことですね✨ その上で、大いに自然と戯れましょう✨ 自然を大切にしましょう✨ 自然は私達の源です。 自然を壊せば、怖れて生きるしかできないでしょう。 もっと私(自然)を大事にしよう❗ もっとシンプルに、 もっと単純に、 もっと身軽に生きてみませんか❓ 本当に必要なものはなんだろう❓ よ~く内なる声と対話してみてくださいね❗ 必要なものはすでに自分の中にあるのですから✨
2020.08.05
じめじめした暑さが続いてますね。 この湿度が、日本人の美肌に役立ってくれていると思えば、 女性なら、少しはありがたく感じちゃいませんか❓ 乾燥地域の人々から見たら、 日本人の美肌は、とっても羨ましいそうですよ✨ ようは、幸せも不幸も、 心の在り方次第と言うことですね❗ ないものねだりしてる限り、 幸せを感じることはできません。 なぜなら、幸せとは外側にあるものではなく、 幸せを感じようとする心なくして、 感じられるものではないからです。 そして、それは、 清らかな心、 足りないものや不平不満に囚われることなく、 『今』あるものに感謝できる、純粋な心なくして得られるものではないのです。 私の人生は幸か不幸か、 ネガティブから始まりました。 子供ながらに、生きる意欲や、やりたいこと、好奇心があまりなく、 緊張で体がこわばり、心もこわばり、 朝起きたら体が固まって、 病院に寝たまま運ばれたことすらありました。 おねしょもなかなか治らず、 とにかく、ただ言われたままに生きてるだけ…そんな子供時代ですから、 ちっとも楽しかった記憶がありませんでした。 ところが❗ ところがです。 遅ればせながら人生の喜びを見いだした今は、 ずぅ~っと受け入れられなかった母を許すことができるようになり、 しかも、そういえば楽しいこともあったかも…、 母なりに一生懸命育ててくれたよね…など、 過去のネガティブな記憶がどれも、 感謝に変わっていたのです✨ 私の頭の中が、愛と感謝で満ちているんだな~と、 しみじみと心をクリーニングすることの大切さを噛みしめています。 母を許しつつも、考え方が合わないゆえの葛藤はしばらく続いてました。 そんな折、久しぶりに大きな憤りが噴出し、母にぶつけたことがありました。 そのすぐ後に、母に悪性の乳癌が発覚。 母が見ないふりをしてきた、清算すべき記憶の噴出を、私があおってしまったのかもしれません。 しかし、そのおかげで、母が急変。 手術を選択した母に、手術までの時間にできることを…と、 心を清める参考書を姉に言付けたところ、 とても素直に感動した、素晴らしい本だったと感謝してました。 そして、前向きに手術を受けることができ、 手術後の再診でも、今のところ転移は見られず良好だったようで、 心の在り方の大切さが、母には身に染みたようでした。 それからというもの、 会うたびに、私の手を手に取って、 大事そうにしばしさすります。 言葉にならない感謝を伝えるかのように…。 姉はそんなこと一度もされたことがないと笑ってましたが、 母は、ずぅ~っと母のことを拒否し続けた私の許しと思いが、神懸かりに感じているようです。 入院中も、あらゆることに感謝が湧いてきたと話してくれました。 かつてインドの占星術で、 いつか生まれた頃と全く違う、 崇高な世界を生きることになると書かれていたのを見たとき、 よく意味が分からなかったのですが、 最近それを思い出して、ふと気づきました。 あぁ、私は確かに全く違う意識の中で生きている…と。 それは、外にある世界のことではなく、 おそらく内なる世界のことなんだろうと思います。 今でも感情のブレがないわけではありませんし、 もともとの本質として、 あまのじゃくでやんちゃなところがあるようで、 今でもキレイなだけの世界をきれいごとで生きたいとは思ってません。 それは、大変なことも多々あるけれど、 闇を光に変えることに喜びや生きがいを感じているからでしょう。 なぜなら、それこそが私の役割とさえ感じるからです。 母が変わることなんて、 母と分かち合うことなんて、 全く期待すらしていなかったのに、 長い長い時間がかかったけど、 母は、自らを変えることを学んだ。 そして、私が母を許したように、 母の中で見ないふりをしながらも、 決して消えることのなかった親兄弟や過去へのネガティブな記憶と向き合い、 心を洗い始めた。 それは、期待がなかったからこその、 無欲の勝利なのだと思う。 私の人生はネガティブから始まったからこそ、 未来に大きな期待などするよしもなかった。 ただ今を一生懸命生きることしかできなかった。 一生懸命生きるために、健康でなくちゃ…と、健康を探求し続け、 美容に興味を持つほどの余裕すらなかった。 だから美容にはほとんど関心がなかった。 それなのに、健康に自信が出てきたら、 自然と性格も明るく前向きになり、 気づいたら美しいと何度も誉められるようになった。 関心がなかった分、 誉められることに違和感を覚え、 最初は素直に喜べなかったけれど、 何度も言われるうちに人は慣れてくるもので、 私の中にあった『美』に興味が芽生えた。 そして気がついた。 私は美容を求めてなかったにもかかわらず、 なぜ美しいと言っていただけるのか…。 それは、人の心に響く『美』とは、 ただ形が美しいものではなく、 魂が宿った、生命の輝きなのだと✨ 私はいつも一生懸命だった。 ネガティブから始まった私は、 社会人になるまでは真面目なだけで面白みがなかった。 同じ一生懸命でも、 社会人になって、このままではいけないと健康の探求を始めてからは、 達成することの喜びや、 健康であることの幸福感にも包まれ、 無自覚ながら、その喜びに満ちた一生懸命さが、 周りの人に光を放つ(勇気を与える)存在になってたらしい。 大嫌いだったハスキーボイスや天然パーマまで誉められるようになり、 (今思えば、子供の時は誉められても肯定できず、嬉しくなかっただけなんだけど笑) それどころか、誉められたからではなく、 いつの間にか『これが私だ❗』…と、 自分の全てを肯定的に捉えることができるようになっていて、 精神的なものから身体的なものまで、 自己否定が完全に消えていた。 否定どころか、大好きなチャームポイントにさえ変わってた✨ 私には何もない、何もできないと思ってた昔の私はすっかり昇華して、 私にはこんなにも宝(才能、運)が与えられていた✨と感謝できるようになり、 同時に、他人の目が気にならなくなり、 個性を楽しむまでに、前向きになった。 子供時代に味わえなかった喜びから生きる人生を、遅ればせながら、私は楽しんでいる。 どうやら普通の人とは真逆の世界を生きているらしい。 普通というものさえ曖昧だから、 あまり使いたくはないけど、 それしか表現しようがない笑 子供の時の楽しい記憶がほとんどなかった私が今を喜びと感謝で満たされ、 子供の時にあまり悩まず何でもできちゃった人達は、今を下り坂だと感じている人があまりにも多い。 不思議だな~と思う。 やっぱり人生は平等なんだな~と。 ただそれが、いつ来るかは分からないと言うだけで。 快楽を貪ったり、 生き急ぐように効率性ばかりを求め、 時間やお金に執着しても、 その反作用としてのなにがしかの結果のバランスを取るときがいつかは来るのでしょう。 欲張っても、逆に欲がなさ過ぎて生命力まで低下させても(生かしていただいてることへの感謝のなさの現れ)、 そのバランスは、私達の分からない宇宙の中で、お釈迦様の掌で転がされていたかのように、いつかは自らまいた種の結果を刈り取る時が来るのだと思うのです。 (因果の法則は必然だと感じます。それは実体験からも、周りの人を見ていても明らかなようです。) それは、私が全く未来への希望や夢を描いて生きてきたわけでもないにもかかわらず、 これだけの喜びや、感謝、豊かさで心満たされる日が来るなどとは思いもしなかったからこそ、気付けたことでもあります。 本当に無欲の勝利以外に考えられない。 アファメーションなどの肯定宣言は、 希望的側面は有効だと思うけど、 過去の私が想像さえできなかった私を生きていることを思うと、 私達の思考で思いつく願望など、 ちっぽけでしかないというのが私の思うところです。 思いを尽くして、結果は委ねる。 そのくらいがちょうどいいのかな…と。 だから思うのです。 今、たとえ困難な状況であっても、 今あるものに感謝して、 今あるものを大事にして、 一生懸命心尽くして生きていれば、 敢えて結果を描いたり、期待したりしなくても、 『私』にとってふさわしいタイミングで、ふさわしい未来が待っているのだと。 だから、希望は大切だけど、敢えて期待とかしないで、 やりたいこと、こう在りたいと心から湧き上がる思いを大事にして、 たとえ誰からも理解されなくても、 私らしく、ごまかさずに、言い訳しないで、素直に生きる❗ 今あるものを大事に活かすこと、 感謝できること、 それが大切だな~と。 少なくとも、スピリチュアルを学ぶ前から私がやってきたのは、それだけなんですよね笑 そして、それがスピリチュアルの世界でも基本だったと知っただけで、 今も、知識で動かされることはほとんどありません。 ヒントはたくさんあるけれど、 あくまでも、心から湧き上がる思いを尽くす❗ それが私の生き方です。 子供の頃、祖母に『馬鹿になりなさい。信念は持ちつつ、馬鹿でいい』…と言われたことがあります。 意味が分からなくて、 馬鹿❓ 馬鹿で生きるってどうしたらいいの❓ それさえも、真面目に考えすぎてました。笑 だけど、今はなんとなく分かる。 賢い人って、意外と馬鹿がうまい笑 逆に、馬鹿を嫌がる人ほど,ずる賢さや、 プライドが邪魔をして、自分の固定観念に執着して苦しんでる。 ようは、偽りの自分を生き続けているということ。 だって重たい肉体を持つ人間って、 そんなにきれいごとでは生きられない。 魂はどんなに清らかでも、 肉体には動物的で原始的な部分もあれば、 生命の神秘として、生命の輝く美しさを見ることもできる。 そうであるものに抵抗しないこと。 知性を育み、協調や共感、より良い世界の想像に希望を描くことも大事だけど、 自然から生まれた生理現象を否定したり、拒否することは、かえって不健康。 きれいごとだけで生きようとしすぎると、 心の中に抵抗が生まれる。 何事も貪欲すぎず、 怠惰になりすぎず、 傲慢にならずに、謙虚でいることは、 いつも心に平穏と、感謝が満ちて、 何か問題のように思えることが起こっても、 なんとかなるものです笑 大事なことは、分かったつもりにならないこと❗ この世は分からないことだらけ❗ だから面白い。 毎日毎日死と再生を繰り返す細胞のように、 私達もまた同じ私でいることなどできないのだから。 諸行無常。 本当だな~としみじみ思います。 変化してないように思えることさえも、変化しないものなどないのだから。 それが分かると、変化とは怖れるものでもなく、 体が死と再生を繰り返すように、 あらゆることがバランスをとりながら、 うまくいくように流れてるんだな~ということ。 ただし、人間が邪魔しなければ❗ 邪魔せずに素直に委ねることができたなら、 私達は自分にとっての最善でしかないし、健康にしかなれない。 成功しかないし、幸せでしかない。 そう、全てがうまくいっていることに気づかされるのです。 人間が邪魔しなければ❗…ね笑 …そう気づきながらも、寄り道したり、 敢えて壊したり、はみ出したりしたくなる衝動に駆られることがあるのも、 これまた人間だから、仕方ないのです笑 そんな人間の弱さをごまかしたり、隠したり、言い訳したりせずに、素直に認めて、 まずは抵抗をしないこと。 その上で、自分はどう在りたいのか、 どう生きたいのか、そのためには何をすべきか、心から湧き上がる思いを尽くして、一生懸命に生きていれば、 年を重ねるうちに、緩やかに手放せるときが来るものです。 思いが叶うかどうかではなく、 思いを溜め込まずに、昇華させてあげること。 悔いなく生きること。 そのやり尽くした先にこそ、 自力を、傲慢を、不信を手放した先にこそ、 ありのままの自分でよかったんだって、 無理やり頑張らなくても大丈夫なんだって気付けるときが来るのです。 そのためには中途半端に生きるのはもったいない❗ 叶うかどうか、期待してやるのではなく、 悔いが残らないために、思いを尽くして一生懸命生きてみる❗ そこを超えた人だけが、真の幸福を見つけられるのだと私は思います。 私の人生も苦しみから始まったけど、 今気づいたことは、全然苦しみなんかじゃなかったってこと。 ただそう思い込んでただけだったってこと。 私はもともとそんなに欲望の強いタイプじゃないので、今で充分過ぎるほど幸せだけど、 本を書くほど、世間的な羨望を惹きつけるタイプの金銭的『成功』をした人達の多くは、私の過去なんて比べようがないほど、悲劇体験をした方がたくさんいる。 …というより、おそらくほとんどだと思う。 つまりは、それこそが宝なのだ。 その体験こそが、命を燃やす糧となるのだ。 最初から幸せに満たされていたら、なかなかそうはいかない。 うまくいけば幸せなまま一生を生きるかもしれないけど、 私が知る限り、幼少期に大して悩まなかった人で、大人になってから悩んでない人はいないようだ。 もしくは、私が見ていた職場の子供の中にも居たけれど、 問題が起きたとき、 『まぁ謝っとけばいいや』…と、 心と行動の不一致なまま、大人になるケース。 これは、周りの大人の行動を見て覚えたんだろうな…と思わざるを得ない。 私達大人が、心と行動の不一致なまま、 生きるということは、 心を殺した子供達を増やしていくだけ。 そうではなくて、心を清め、心を洗い、 素直に、ごまかさずに生きること。 ありのままの自分から生まれる喜びを創造し、分かち合い、生きることの喜びを、 生命の美しさを、言葉と行動を持って、子供達に見せること。 そうであれば、決して命令や否定をしなくても、 親のようになりたい❗ 先生のようになりたい❗ …そんな憧れから、背中を見て自発的に生きるようになるのだと、私は思うのです。 私は子供を産んでいないので、 実体験としては語れません。 それに子育ての大変さも、共感してはあげられません。 ですが、仕事を通した子供達との関わりの中で、 純粋な子供達からの素直な褒め言葉は、いつも心に響きました。 特に発達障害と言われる子供から(私には特別障害とは思わなかったけど)、 『先生は厳しすぎる❗❗』…と言われたことがあったのですが、 (当時私は愛情込めた厳しさと、 薬の影響と食の関係を感じていた私は、 他の誰もしない、手間暇と心を込めたおやつ作りを勝手に楽しんでいたので、惜しみない愛情に自信を持ってたため) 『あらそう❓』…と、笑ってかわしたのですが、 退職して半年後にお手伝いに行ったとき、 彼がこっそりと打ち明けたのです。 『先生が居なくなってから、つまらんくなった』…と。 私から見れば、みんな成長していて、 すごいな~と感心していたのですが、 別の面から見れば、確かにお行儀良くはなったけど、 どこか『仕事』としての対応だけになったことへの変化を感じ取ったのでしょう。 繊細な子供達ですから。 子供であっても言うことは言う私の厳しさも、 裏を返せば、適当には扱わない、 きちんと向き合う、 つまりはちゃんと自分という存在を受けとめてくれているという、 安心感や自己肯定感にも繋がっていたのではないかと思います。 もとがやんちゃな私なので、 (大人になってから目覚めたために、大人になっても大人げないところも多々あり笑) 子供達にも本気で怒ったりしたこともあるし、 そのせいか子供達のほうが大人な対応で、自ら反省してちゃんと謝ってきてくれるので、何度抱きしめたことかしれません。 良いか悪いかよりも、 本気で向き合ってくれているのかを、 子供達はちゃんと見ています。 そして、日頃の行いを通して、 信頼関係が築けていれば、 子供達は決して裏切るようなことはしません。 間違ったとしても、ちゃんと反省して、 謝ることができます。 口うるさくしなくても、ちゃんと理解してくれます。 大事なことは、ごまかしたり、言い訳せずに、本気で向き合ってくれているのか…なのです。 過ちや問題は、心が成長するチャンスです❗ 過ちや間違うことを怖れるのではなく、 きちんと向き合うこと。 その繰りかえしが、心を清らかに育むのです。 大人になることは諦めることではなく、 自らの才能や運を生かして、助け合い、 分かち合うことです。 自分を育んだ人だけが、 人間関係を苦痛なものではなく、 分かち合い、助け合うものに育むことができるのです。 さぁ、心も体もお家の中も、 どんどんクリーニングしましょう❗ 別に潔癖になる必要はありません。 心地よい空間、心地よい関係を築くのです。 その心地良さこそが、 心地よい思考を育み、 心地よい状況を引き寄せてくれるのだと思います。 私は基本、狙ってすることがないので、 (心から湧き上がる思いに素直に従うだけで、特別な期待や結果、見返りとかは考えてない。その過程を楽しんで満足みたいな、本当に天然の幸せ者だと思います笑) 最近は満たされすぎて、 ちょっと緩みすぎだったので、 そろそろ新しい挑戦を❗…と、 内なる声に耳を傾けてるとこですが、 (やっぱり問題もないと、ボケてしまいますね笑。つくづく問題も成長のチャンスだと思います。) 私の魂は本当に欲がないというか… いえいえ、あるんですけどね。 美味しいものへの執着とか、 生命の輝きへの飽くなき探求とか…❗ ただ、それがものすごい贅沢とかではなく、身近な食べ物や、あるもので事足りるというか… 探求し続けてたどり着いた答えが、 結局シンプルイズベスト✨だったので笑 たくさんのお金があっても、 はみ出せばはみ出すだけ体調崩した経緯もあり、 結局どれだけ本質を大事にしつつ、シンプルながらもユーモア持って楽しめるか❗ つまりは真面目なこともを(馬鹿になって)面白く生きるか❗ …が最近のテーマです笑 たったひとつの答えなんてないし、 正解らしきものに囚われた瞬間、 見失ってしまうものもある。 できる限り、心をゼロで(中庸)、 心を清らかに、 偏見を持たずに、 でも、生命の尊さ、自然への敬意と感謝は忘れずに、 軽快に生きていきたいな~と思ってます。 もう昔のような、がむしゃらの一生懸命さにはなかなかならないのですが、 (大人になったからではなく、 一生懸命すぎると、見えなくなってしまうものがあると気付けたから。) だけども、あの日々が懐かしくもあり、 いろんなことがあったけど、 楽しかったな~と、過去には感謝しかない。 同時に、未来へも不安がない。 それは、何年生きるかとか、年老いていく不安などよりも、 今をどう生きるかのほうが大切だからです。 かつての私がそうだったように。 私の思考は、常に今を生きている。 それも、かつての経験が育てた宝だな~と思うのです。 私にはたくさんの宝がある✨ まさに、人生は宝探しの冒険なんだと思います❗ 幸せだから、笑うんじゃない。 あるものに感謝できる心が、 笑顔を育ててくれる✨ そして、その清らかな心が、惜しみなく周りにも笑顔を自然に向けているので、 反作用として、笑顔が返ってくるのだと思います。 無自覚だけど、私の傍に居ると元気になるとか、自然と笑顔になっちゃう人続出なのです笑✨ それが一期一会でも✨ 基本水瓶座の私は流れ者、 あまりベタベタした関係を好まないので、 ひとり行動が好きです。 だけど、ひとりに感じないのは、 必要なときはいつでも声かければ助けてくれると分かってるし、 私もそうできるから。 家族や友達という枠に囚われず、 人類皆兄弟の無限の意識を持つ私は、 目覚める前は確かに大変だったけど、 今は誰もが必要ならば助け合える関係だと勝手に思ってます笑 だから孤独を感じないのだと思うし、 自由を楽しめるのだと思うのです。 喜びから生きる人生は、 過去への後悔にも、未来への不安にも囚われることのない、今を大切に生きる生き方。 それは決して、効率性ばかりに囚われるのではなく、 心穏やかに伸びやかに生きるということ。 シンプルで、単純で、お馬鹿で、 敢えて今あるものを楽しむ心のゆとり✨ 奪い合うでも、駆け引きでもない、 お先にどうぞのゆとりがもたらす 心の平穏は、その僅かな損得以上の価値がある。 だから止められない笑 結局私も無自覚ながら、損得勘定なのかもしれない笑 ただ価値観が人とは違うらしいというだけで(おかげで競争相手がいないだけで笑) 自分らしく生きよう❗ 心から湧き上がる思いを尽くそう❗ その先にこそ、本当の自分との出会いが待ってるから✨ 中途半端が一番もったいない❗ 人生は喜びのためにある✨…と、本気で思ってます❗
2020.07.29

ちょっと一息に、DEAN&DELUCAでジャスミンティーを飲みました❗ 私はTake out用の紙コップに付けてあるプラスティックの蓋が苦手なので、 (熱いのが一気に口の中に流れ込むのが苦手なのと、熱いものにプラスティックを使うのが嫌だし、そもそもなるべくプラスティック削減したいので、いつも付けてもらう前に断ろうと思うのに、 お支払いしてる間について出てくるので、またやってしまった…と、毎度反省…。 そんなに紙コップ式のカフェ利用を頻繁にしないので、すぐに忘れてしまうのがもどかしい…、お馬鹿な私) 毎回蓋を外して、お湯飲みのように飲むのですが、 開けてビックリ玉手箱✨ なんて綺麗な茶葉なんでしょう🌹✨ 今まで美味しいジャスミンティーは数あれど、 こんなに美しいジャスミンティーは初めて✨ そもそも赤い花がジャスミンじゃないからね~笑 (たぶん。私が知らないだけで、こんなジャスミンもあるのかしら❓) だけど、まさか紙コップ式のカフェで、 中国茶の芸術、工芸茶で出てくるとは意外なサプライズでした笑 そこらへんが美食を提案するDEAN&DELUCAのこだわり❓ スタッフさん、 せっかくこんなに美しい工芸茶でだしてくださるなら、教えて欲しいな~🌹 …っと、ジャスミンティーを満喫していたら、 目の前の女の子二人組のひとりもジャスミンティーを頼んだらしく、 蓋を開けてビックリ、 お友達に見せながら『ジャスミンってこんな花なんだ~』って…。 あっ、それはたぶん違う… …と、ひとり突っ込んでました(心の中で)笑 追記:後で調べたら、赤い花は千日紅のようでした❗ そうそう、なんか見たことあると思ったけど、まさかジャスミンティーに使われるなんて予想外だったので笑 (ちなみにドライにして部屋に飾ってるのに❗笑) 工芸茶は、ジャスミンティーがベースのものが多いようで、 それに、千日紅の他、カーネーション、バラや百合などで華やかに装っているようです。 ご存じない方は是非検索して、見てみてくださいね❗ 本当に美しい中国茶の世界観🌹 感動ものです✨
2020.03.15
最近つくづく実感することがあります。 それは… お馬鹿で良かった~✨ ってこと笑 私が言う『お馬鹿』とは、 単に『頭が悪い』という意味ではもちろんありません。 まぁ、『私』で例えるならば、 苦手なことにはとことん『頭が悪い』のは認めますが(苦笑)、 総じて見れば、『頭が良い』と見られていることがほとんどです。 私自身が驚くほどに笑 いえ、謙遜とかでなく、 本当に驚くほどに…です。 確かに学生時代は学年トップをとったこともあるし、 普通に暮らすには、全く卑下する必要もない程度には頭は良いほうなのかもしれません。 ただ、私は素直に学ぶことが楽しかった数学と英語以外は、普通であり、 必要ない(と、その時は思えることを)『ただ暗記する』ことが苦手な私は、社会は絶望的でした笑 数学と英語が突出していただけなのです。 学ぶことや解くことが楽しかったから。 だけども、どちらも今の私は手放してます。 なぜなら、新しいことをただ学ぶことよりも、 『今在るものをどう活かす(生かす)か』、 …に喜びを見出したからです。 ナチュハイを私なりに実践しているうちに、 『数値』というものに対する興味がなくなりました。 体重や健康度合の目安にもなる数値は確かに知っていても無駄なものとは思いません。 ただ、それらが示す数値は、 『単なるデータでしかない』と理解できるなら…の話です。 その数値に一喜一憂して振り回されるようでは、かえって毒にもなり得るものだからです(本末転倒です)。 私はナチュハイによって、 マクロビやヨガも含めて、 いや、共に在ってくれた黄菜しろや金ちゃん、猫ズを始め、 『私』という人生の中で出会った人や、 地球という星にともに暮らすたくさんの人々、動物や植物、自然環境、そして目の前に現れる状況、生きるために必要だったから必死に探求し、学び続けた知識や知恵など、 あらゆるものの中から声なき声に耳を傾けて生きてきました。 私の内側の声がそう導いてくれたから。 耳を澄まし、 しっかりと見よ❗ …と。 あまりに残酷な現実に、 人間でいることが嫌になったこと、 過ちを繰り返すことでしか生きていけない世界なら、生きなくていいと何度思ったかしれません。 あのままの私で在り続けたなら、 恐らくいつかは『死』を選んでいたでしょう。 30過ぎてから、 祖母が話してくれたことだけど、 私の父の死因は自殺だったのです。 子供の頃は心臓の問題があってね…と聞かされていたのですが、 なぜだか私にはピンとこず、 ふと思い立つたびに、 『ねぇ、お父さんは何で死んだんだっけ❓』 …と何度も聞き返していました。 父という存在が私にはピンとこないため、 『父の死』の話題が出ても、 悲しいという思いが私にはなかったのです。 だけど、祖母は隠し続けることに悩み続けたのでしょう。 先を思い、決意してくれたのだと思います。 そして、私たち姉妹がもう受け止めることができると確信できたのもあるでしょう。 父の死は自殺だったと…。 自衛隊勤務だった父は、 体の仕組みを理解していたようで、 ほとんど出血がないほど見事なひとつきだったと、 幹部の方がおっしゃるほど、 恐らく苦しみのない旅立ちだったのだと思います。 この話を聞いて、 具合が悪くなる方もおられるかもしれません。 ごめんなさいね。 だけど、私はあんなにピンとこなかった父の死の真相を聞いたとき、 やっぱりね… と、妙に腑に落ちたのです。 悲しいとか、父を死に追い詰めた何かを恨むでもなく、 父は自ら、この世界で生きることを止めると決めたけれども、 最後まで信念に向かってまっすぐに生き続けたのだという誇りさえ私には感じられたし、 記憶にさえない父なのに、 その時初めて、私の中に父の誇りという血が流れていることを実感したような気さえしたのです。 あまりにまっすぐすぎる私の中に、 母は父を思い出すのかもしれません。 私を見ながら、 私を愛しながらも、 消せない記憶に苦しみ続けたのかもしれません。 私まで消えてしまうのではないかと…。 (実際言葉で心配されたこともあります。) だけども、確信を持って私は言えます。 絶対に自ら死ぬことはないと。 魂の声に耳を傾けて素直にまっすぐに生きてる私ですが、 決して肉体も精神も見捨ててはいないし、愛していますから✨ 父の死をとがめるつもりはないし、 『死』を否定するつもりも私にはありません。 それどころか、『私』を体験する機会を与えてくれた父に感謝しています✨ この世で言う『生』にも『死』にも、 ほとんど執着さえないというだけです。 無意識にただ生きていればいいとは思わないだけ。 たくさんの生命の繋がりの輪の中で生かされてる命だからこそ、 生きると選んだのなら、 しっかりと目を見開いて生きていきたい。 リスクも責任も自分で負う覚悟で、 しっかりと自分の意思で選択し、 こんな世界には生きたくないと思うような幻想の世界から脱出し(目覚め)、 自らに内在する力、 この地球で、本質を取り戻すための挑戦に打ち勝ち、 そこからが新しい(内なる)世界の創造(人生)なのだと、 生きていること、生かされていることへの感謝とともに、 喜びが日々溢れてくるからです。 でも、私は別に大きなことをしようなんて思ってません。 実際、大きなことをするほど、 私の欲望が大きくないからです笑 昔から小さなことが好きなのです。 身の回りのことから幸せを創造できるし (満足してるってこと) 改良ばかりされてぶよぶよに膨らんだ、 味わいのない形ばかり大きいリンゴよりも、 偉大な自然の力に感謝しながら愛情込めて大事に、地道に育ててくださった、あるがままの小さなリンゴのほうが私には美味しいと感じられるし、 たくさんの物に溢れた部屋や、 人混みは居心地悪いし、 私に必要な物はそんなに多くないことを理解できてるので、 量より質だし、 少数精鋭だから、 何がどこにあるかも把握できるし、 家の中に死角がないので、 (日に当たりにくい空間にも風を通す工夫をしてるという意味) 家の中どこでも風通りがいい。 そう在るだけで幸せなのです笑 私はどこまでも身軽で在りたい。 物を大事にするから物持ちはいいけど、 執着は持ちたくない。 動物にも植物にも愛されてると感じるし、 もちろん、(私が思う以上の愛で)愛してくれる人もいる。 だけど、執着や特別な期待がない私だから、 なかなかその思いを全部は叶えてあげられないのだけど…。 だって、私の頭の中は、 より良くなることしか考えられないんだもん笑 私だけの幸せとか、 身内だけ儲かれば良いとかではなく、 出会ったみんなに幸せであって欲しいと心から願ってる。 そこだけは無限に大きすぎるんだよね笑 だけど、実際にはそれさえも執着はない。 幸せで在るかどうかを選択するのは本人次第。 私は、ただ、ともに喜びを分かち合いたいだけ。 そして、そのためにともに助け合い、協力し合い、高め合って生きたいと願うだけ。 今までたくさんの私の愛(無償の愛)を形で表現してきたけれど、 残念ながら、自らの力を発揮することよりも、 タダで何でもやってくれる人として、 依存したり、そんな私の上に立つことで、 自分の価値を高めたつもりになった人のほうが多かった。 与えることに惜しみはない私でも、 この状況には悩んだ。 私がみんなの力を弱めているようにさえ思った。 だから、今は敢えて『与えること』に重点を置かない。 私の存在がどう在れば、 みんなの力を引き出してあげられるか、 みんなの中にも私と同じ素晴らしい力が在るんだよって、 本質としての、本来の姿を思い出させることができるか。 それが今の私の挑戦なのです。 新しいことを学ぶのは楽しかった。 数学のように解き明かす快感も楽しかった。 だけど、ただやみくもな達成感だけでは満たされなかった。 体重だけ気にしても、 体調は優れないこともあった。 体重という数値よりも、 快適である…という身体感覚を信じるほうが、 私には喜びを感じることができた。 英語は世界中の人と分かち合えるから、 学ぶことが楽しかった。 英会話スクールでも、先生たちと仲良くなれたし、ロマンスも体験できた。 だけど、私に必要なのはそんなに難しい知識じゃない。 それに、心があれば、ある意味言葉は要らないことも分かった。 現に私は猫とだって話してるのだから笑 だからと言って、学ばなくていいとは思わない。 今でも、私は死ぬまで学び❗…だと思ってるくらいだ。 学歴がない、教育がないために、 自分を他人と比較することで自らを苦しめている人に出会ったことも大きい。 私自身は単なる学歴には価値を感じてはいないけれど、 そのために自分を自分で貶めてる闇(劣等感)はかなり手強いことは確かだ。 だから、学び続けた方がいい。 世の中の問題の多くは、『暇』から生じているものが多いしね。 だけど、堅苦しい勉強ではなく、学びでいい。 お金を稼ぐためでなく、 成長する喜び✨ それが私の人生なんだと思ってる。 お金は成長する喜びを叶えるためにも大事なものだし、 誰かの力になれるのも、お金の力が大きい。 お金がなければ、猫ズを保護することもできなかった。 お金のおかげで、私の思いを叶えることができたんだから。 だけど、お金が全てじゃない。 あくまでも、本質である愛の思いを叶えることが目的であって、 その行動を起こす動力になってくれるものって感じかな。 お金は愛だと言う人もいるけれど、 今まで何度となく私に『お金は愛なんだ』と説得しようとする人たちに出会ってきたけれど笑、 私にはお金はお金。 それ以上でも以下でもない。 ありがたいものだから、今在る豊かさには感謝してるし、私らしく生きていくために大切なもの。 だけども、これまた、執着は持ちたくない。 できるだけお金のかからない暮らしや生き方を先人の知恵から学んできたのは、 お金が不浄だからではない。 ただ、喜びをもって、私らしく愛に生きる ために必要なお金が、 さほど多くなかったと気付いたからだ。 それに、どれだけお金があっても、 私は今の暮らしに充分に満足してるし、 これ以上物を増やしたいとも思わない。 もちろん、使えなくなったら、買い換えるけれども、修理したり、修繕する手仕事も楽しみだと思えば、 この喜びを捨てて、次々買い変えても、 私は満たされないことを知っている。 我慢でも潔癖なまでの節約でもなく、 在る物を活かすこと、 大事に扱うことは、 その物自体にも命を吹き込むことであり、 長い時を経て互いに育み合いながら、 いつしかアンティークと呼ばれ、 希少価値で尊ばれ、 お馬鹿なほどの高値がついたりするのだから、本当に面白い。 (本当にお馬鹿だよね、人間って笑) だから、お馬鹿は楽しい。 お馬鹿は才能だと、つくづく思う。 スポーツ馬鹿に、芸術馬鹿、 何でも馬鹿になるほど夢中になれることがあるって素晴らしいこと✨ ようは『無心』ってことだもんね✨ 自分の内側から溢れる思いに耳を傾けて、 これからもお馬鹿に、まっしぐらに生きていきたい。 そして、その時、そんな無心に真っ直ぐで、ひたむきなあなたの輝きに、 人は魅了されるのだと思うのです。 私が愛されるのは、 私がお馬鹿だから✨ 無心で無邪気で、 生き方は不器用だけど、いつだって一生懸命で、 内側から溢れる笑顔でいつも喜びに満ちてるから✨ 自分の喜びを知っているから✨ それはね、winwinwin✨ 私の幸せ、喜びの秘訣✨ 仕事で例えるなら、 会社にはお金をもらう以上の貢献をしたい、 お客様には、(会社との関係で)得た物が喜びであって欲しい、 双方の満足に貢献できたと感じられること、 それが3つ目の私のwinなのです✨ winwinとはよく言われることだけど、 欲張りな私はそれでは満足しなかった。 仕事の面でも、ただお金をもらえればいいとは思わない。 私はいつだって、究極的には『私』を喜ばせることが目的なのだと気付いたから。 だけど、何を買い与えても、 優しく愛されても、私は満たされることはなかった。 私は私が生きてこそ、 私は与えられた私の才能が発揮できてこそ、 私は喜びを感じるのだと気付いたから。 それは、『創造』する力。 悪いと思えること、間違っていると思えることを、 ただ仕方ないと見て見ぬふりをするのではなく、 じゃあ、どうしたら良くなるだろう❓ どうすれば私は納得するだろう❓ そう問い続けること。 そして思ったことをやってみること。 時には失敗することもあるし、 自分が間違ってたと気付くこともある。 だかこそ、行動が大事なのだ✨ 行動や体験は生きた知恵になる。 世の中の多くの問題は、 偏った情報や知識に惑わされて、 自分で考えることなく、 ただ従うことで責任逃れや責任転嫁をする人が多いから。 何が正しいかは分からない。 だからこそ、できることをやってみる。 失敗とは、間違うことじゃない。 真実を知る努力もせずに、 喜びを創造する努力もせずに、 ただ諦めて生きることだ。 誰かのせいにして生きれば楽かもしれない。 ただ、満足することは一生できないだろう。 せめて、それを子供たちに押しつけてはいけない。 たとえ自分が諦める道を選んだとしても、 子供たちは諦めていないのだから。 自分で体験させ、たくさんの失敗をさせてあげること。 そこから、自分で創造する力を育むことを 見守ってあげて欲しい。 できることなら、 あなた自身が幸せになることを諦めないで欲しい。 人と比べた、形ばかりのちっぽけな幸せではなく、 あなたの内側に宿る輝きに耳を傾けて…。 人は誰かのために生きてるわけではないのです。 本当の自分を知るために、 本質としての素晴らしい光(愛)である自分を思い出すためにもがくのです。 幻想に生きてる人は、 形ばかり飾りたてて生きてる人は、 そんな自分でも誰かに認めて欲しいから、 アピールするのです。 目立ちたがってる人は人で、 放っておけばいいのです。 大事なことは、自分はどう在りたいのか❓ 誰かを引き立てるために生きてるわけではありません。 自分の価値を他人に委ねてはいけません。 本当の自分を見失わないこと。 まだわからなくても、信じ続けること。 内なる自分、内側から響く声に耳を傾けて…。 ありのままのあなたは、 それだけで輝きなのですから✨ 誰かのためでなく、 自分のために。 いずれ、それが誰かの喜びにもなることを発見するでしょう。 でもそれはまだ先のお話…。 あなたらしく在れ✨
2020.01.09

明けましておめでとうございます❗ 今年は暖冬なので、 風は冷たくても、凛もハナもベランダでの日光浴を楽しんでます❗ 猫白血病ウィルスキャリアで、 以前はしょっちゅうクシャミしてた凛も、 免疫力が低下しやすい冬でさえ、 最近はほとんどクシャミしなくなりました。 たまに鼻水は出るけど、 人間だって寒けりゃ鼻水くらい出るわけで… 白血病ウィルス対策の除菌も治療もしていない凛が、 これだけ元気に、健康な猫と何ら変わりなく過ごしていけるのは、 もちろん、愛情と大地の恵み、栄養たっぷりの手作りご飯と安心できる環境の力もあるけれど、 なんと言っても、凛が『生きる』ことを諦めなかったこと、 そして、保護当時、あと2~3日ともたなかっただろうと推測されるほどの最悪の状況でも、 人間に食べ物を求め、『生きていける』ことを疑わなかった証だと、 凛の魂の疑心のない清らかさ、そして名前の通りの凛とした強さ、たくましさに、日々感動させられるばかりです。 何年経っても、いつも新鮮な気持ちで感動を覚えます。 人間も同じ。 健康な姿とは、 邪心や疑心のない信じる心。 あるがままで愛されてる、守られてることへの素直な感謝。 そして、神聖な存在である源を分かち合う全ての存在への愛と信頼。 そう、肉体というヴェールの下の、 本質である魂のままの姿で生きる覚悟と、そこから生まれる強さ、勇気、信頼あっての寛容さであり、美しさなのだと感じます。 凛を『凛』と名付けたのも、 薄汚れて、肉体的には最悪の状態でありながらも、 『生きる』ことを疑わない清らかで崇高な生命力を感じたからです。 悲惨な状態に涙しながらも、 私はそこに魅了されていたのだと思います。 そして、私の中にある、同じものを引き出し、育むために遣わされた天使のようにも思うのです。 なぜなら、私の女性性への抵抗が柔いだのは、凛が来てからだから。 凛が最悪の状況を脱し、 慣れない環境に怖がって1ヶ月も籠もっていたケージの中から出てくるようになり、 少しずつ心を開いてくれるようになってから、 私は自然と『可愛い可愛い』と特に声に出して可愛がっていたのです。 少しでも恐怖が和らぐように、 少しでも悲しい記憶が癒されるように。 脳科学でも、宇宙の法則でも言われることだけど、 脳は主語を理解できないと。 嫌なことを誰かに言えば、 それは自分に言ってること、 自分を傷つけていることと同じだと。 逆に言えば、 嬉しいこと、喜ばせることを誰かに言うことは、 自分を喜ばせていることと同じ。 私は自然と『可愛い可愛い』と自分にも言い続けていたんですね笑 そのせいか、本当に可愛がってもらえるし、 いつだって愛されてます✨ 特別なパートナーがいなくても、 愛されてるという感覚が消えることもなければ、 欠乏感に苛まれることすらありません。 私には、凛と同じもの、 『愛されている』ことへの疑いが全くないのです。 それは元彼からもたくさん『愛してる』と言ってもらったおかげかもしれないし、 私自身も恋愛感情抜きで、 無限の愛が内側に在ることに、 いえ、私という存在そのものが愛であることに疑いがないからでしょう。 それが本当の愛を知りたい、体験したいと願う、多くの男性を引き寄せてしまうのかもしれません。 私自身は、細木数子さんの占いにも書いてあったくらい、 恋愛感情に疎くて、愛されてることに気付かず、モテる割に恋愛経験は少ないという、まさにそんな人間なんですが笑 無限の愛すぎて、気付いてあげられないもどかしさに、後から落ち込むのだけど… だけど、何度も同じ体験を繰りかえしながらも、ここまで来てようやく気付いたのです。 私は、本当の私を思い出すまで、 先に進むわけにはいかなかったんだって。 私が抵抗したわけではなかったけど、 内側の私がそれに抵抗していたように思うのです。 それに気付かせるために、 そういう状況を何度も何度も繰り返し体験することになってしまったんでしょう。 今の私はすっかり目覚めました✨ だから、もう怖くない❗ 別に怖がって抵抗してたわけではなかったけど、 問題は私が『私』に気付けてなかったこと。 つまりは、私は初めからワンネス過ぎて、 他者との境界線があやふや過ぎたということです。 『私』を確立する前に、 何でもしてあげたいし、喜ばせてあげたい。 誰かが苦しんでいれば、相手の痛みを感じてとって自分の痛みにすらしてしまう。 私は『私』を生きてなかったのかもしれません。 一生懸命生きてたつもりだったけど、 『私』を生きてはいなかったのかも…。 今はそんな気がします。 でも、たくさんの愛のおかげで、 『私』を思い出すことができたし、 もしも彼らとすんなり恋愛関係になったなら、 私はもっと遠回りをすることになっただろうと思います。 彼らが自滅しながらも私から離れてくれたおかげで、 私は私と向き合い続けるしかなかった。 なぜいつも傷つけてしまうのだろうと、 たくさん落ち込んできたけれど、 私は彼らに真実の愛の姿を気付かせることができたと思うし、 彼らは私に、『私』を思い出すように、 『私』を大事にするように、気付かせてくれる存在だったのだろうと思うのです。 そのおかげで今は、 本当に心を開いて受け入れ体制万全✨です笑 どんなことも愛のままに、 愛から選択していけば、間違いなんてないんだと信じてます❗ こんなに純粋お馬鹿な私だから、 愛も豊かさも、欠乏感に苛まれることなく、自然と引き寄せることができるのでしょう。 嬉しいことに、昨年の元旦に母に伝えた『生んでくれてありがとう』の言葉が母にものすごい影響を与えたようで、 今年の元旦に母から、 『あんな両親だったから、私は強く生きてこれたんだな~と思えた』と、 母の両親(私の祖父母)に対する前向きな言葉を自ら伝えてくれたのです。 (最初は母を避けてたハナ。2日目でようやく心を開き、甘える姿を見せてくれた) 昨年は、『最低な親だった』とまで罵っていた母が、ようやく自らを癒し始めたのだと思います。 もちろん、私にとっては最高の祖母でした(祖父の話は祖母からも良い話は聞いてないのだけど…)。 戦争も経験して,誰もが心の余裕すらなかった時代に、近所の子供たちの世話までして、その頃の感謝で、毎年のように祖母にお礼に会いに来ていた人までいたし、 認知症を患い、記憶を失った後も、 介護施設で祖母に心が救われたと涙してお通夜に来てくださった職員さんたちを見て、 祖母は最後まで愛に生きた人だったと私は思ってます。 ただ、母の心だけはそんな祖母への愛情の飢えで、今までずっと自らを蝕み続けるしかなかったようですが…。 心の傷、欠乏感、嫉妬、怒り、不安… たくさんの悲しい悲しい記憶が私たちの集合意識の中に刻まれています。 細胞ひとつひとつに… だからこそ、無意識に生きていると、 すぐに感情として反応してしまうのです。 だけど、記憶は記憶でしかありません。 本質の私たちとは何ら関係がないのです。 私たちは、その記憶を、 みんなが共通して抱えている、 人類が犯してきた罪の記憶、 それをクリーニング(浄化)して、 新しい喜びを、平和を、 本質としての愛の世界を創造し直すために生まれてきたのだと私は思っています。 だからこそ、無意識に生きてはいけないのです。 そして、成長することが、 より良い世界の創造が喜びではなく、 面倒に感じてしまうのは、 あなた自身が自分の素晴らしさを忘れ、 本当の姿を見失い、 他人の世界観に依存して、委ねて、 自らの責任を放棄して、 無意識に生きていることを意味しています。 つまりは自らの責任から逃れて楽に生きたいと選択しながら、 常に愛されない、大事にされない、 お金が足りない、時間も足りないという 欠乏感に苛まれ続けるという生き地獄に、 自らを貶めてしまうのです。 人生は自らを創造し、体験する場。 誰かの目を気にして生きるなんてもったいない❗ あなたの、あなたのための、 再創造のチャンスなのですから。 過去の記憶をクリーニングして、 本当の私を、 『私』が望む『私』を思い通りに創造するチャンス。 どう在りたいのか、 どんな私が本質としての『私』にふさわしいのか、 どんな体験がしたいのか、 無意識で生きていても、 潜在意識の中の思いが現実に投影されるのです。 つまりは、クリーニングせずに記憶のまま生きるということは、 生き地獄を自ら選んで生きるということにもなるのです。 本質の私たちとは、誰もが素晴らしい存在なのですから、 苦しみに耐える必要などないのです。 自らの素晴らしさに、 輝きに、無限の愛のパワーに、 記憶に囚われているうちは恐怖すら感じてしまうでしょう。 だから、その古い古い記憶を、 本当の私ではない、固定観念で押し殺してきた自分の殻を破るまでは苦しいものです。 ですが、その先に在るあなた、 本当のあなたの姿は、間違いなく美しい輝きであり、光です。 分からないから怖い。 ただ、それだけ。 記憶に囚われたあなたを操ることはできても、 本当のあなたを、本質としてのあなたを操ることができる人などいないのです。 それどころか、あなたの周りには、 あなたの素晴らしい波動、光のエネルギーに満ちた愛と喜びに引き寄せられ、 あなたの周りの人々の目覚めさえも促し、 頑張らなくても、自然と自らの使命を果たすことができるのです。 あなたが本質としてのあなたを生きるなら…。 ありのままで、私らしく、 そして正直に生きましょう✨ 怒りや悲しみが湧いてきても、 感情でぶつけるでも、 押し殺して我慢するでもなく、 きちんと『私は不快に感じてる』ことを表現すればいいのです。 押し殺さずに、自分の感情から逃げずに、 きちんと受け止め、本質であるあなたの愛で包み込んで癒してあげましょう。 常に意識を持って、 自分と対話し続けるうちに、 本当の『私』が見えてくるでしょう。 そこからが本当の人生なのです。 人生で出合う困難や苦手な人、状況は全て、 あなたに『本当のあなた』を思い出させるために起きているといっても過言ではありません。 『もういい加減にして~💢』ってキレるまで❗ 見かけだけの良い子、 他人にとっての都合の良い子、 どうでもよい子ではなく、 本当のあなたはもっともっと神聖な素晴らしい存在なのですから✨ あなたの怒りは魂の怒りでもあるのです。 他ならぬあなたに対する怒り❗ いい加減に『私』に気付いてよ💢 神聖な『私』をもっと大事にしてよ💢 って魂の叫び。 思いの限りやり尽くしたら、 きっとあなたも気付くときが来るでしょう。 『もっと早く気付けば良かった』…と。 何をあんなに力んでがむしゃらに抵抗してたんだろうと…。 笑えるときがきっときますよ👍 もっと自分を大事にしてね✨ 本当のあなはそのままで素晴らしい存在なのです✨ 無理矢理頑張るから辛くなる。 力んで生きてるから分からなくなってるだけ。 宇宙のリズムはもっとホッとするリズムです✨ 一呼吸して、落ち着いて、 もっと内側からの声に、 心地よいリズムに、 愛や喜び、ときめきに、 そして他の誰でもないあなたらしさに、 自信を持って、人生の選択を自らの責任において、舵を取りましょう❗ 誰のせいにもしない、 私が私を幸せにする✨ その時、全てはあなたの中にすでに在ったと気付けるのです✨ 笑っちゃうほどに近くに❗ 何事も素直が一番です✨
2020.01.07

今年も残りわずかですね。 この頃になるといつも、 今年も無事に猫ズと年を越せることが何よりもありがたいという思いが湧き上がってきます✨ 実は、あんなにアンチスマホだった私が、先月ついにスマホデビューしました。 使ってたガラケーが電話とショートメール以外使えなくなるらしく、 ちょっと迷ったものの、 時代の流れに委ねてみようと、 あまり抵抗もなくスムーズに移行できたのは、我ながら驚きです笑 …と言っても、何に迷ったかと言えば、 私はガラケーでさえ電話とメール以外はあんまり使わなかったので、 (スケジュールとかカメラもあるから使う程度で、ないならないでも大丈夫なタイプ) 機種変更などのたびに、 もっとシンプルなのがあればいいのに~っと思ってたくらいです。 (だけど、子供用とか高齢者用とかはちょっと…みたいな笑) 携帯は基本、連絡が取れればいいって思う私だから、 メールがショートメールだけってのがちょっとネックだったものの、 スマホに変えなくてもたぶんそんなに困らないし、 なんと言っても、私の思い(『携帯は電話とメールがあればいい』)を自分で実現化しちゃったようなものなので笑、 (無意識でも、本当に怖いくらい思考は実現化しちゃいますからね、思考にはきちんと責任を持ちましょう❗) 少し迷ってたのですが、 そんなある日、PCに怖~い脅迫メールが届いたのです。 私の閲覧履歴とかデータとか、 全てをハックした!!…と。 最初はビビったし、 金銭的要求もあったものの、 とりあえずショッピングや振込に使っていたクレジットや口座への直接の被害はなかったので、 そのまま無視。 ただ、その長い長い脅迫メールの最後に、 『セキュリティはちゃんと毎日更新した方がいいですよ』 …とアドバイスをくれていたのです。 私はそこに気付きを得ました✨ そうなんです。 私は本当に機械ものが苦手で、 PCもたまの調べ物やネットショッピングや振込に使う程度で、 あんまり活用できてないほどだったので、 セキュリティにも疎く、 こんな私が狙われるはずはないと、 超油断してました。 そのメールのおかげで、 だったらこの際ガラケー+PCをスマホに絞って、この機会にセキュリティもちゃんと教わろう❗…と奮起したのです。 (奮起と言うにはちょっと大袈裟だけど笑) おかげですんなりスマホデビューに至り、 練習も兼ねて、そこそこ使いこなせるようになりました。 今回の記事もスマホで書いてます。 これはほんの些細な一例ではありますが、 いつも『今』に意識を保って、 流れに委ね、あるがままを受け入れていると、 思わぬところに気付きがあるものです。 …と言うより、学ぶ気さえあれば、 至る所に気付きがあり、 この世界はなんと宝の山だろうかとさえ思います。 これがいわゆる錬金術らしいです。 卑金属(苦しみ)を金(意識の光)に変えること。 問題に思えるような出来事や状況から、 何を学び、何に気付き、 成長する喜びや、状況を好転させるパワーに変えて、問題そのものや状況を変容させること。 確かに私は無意識ながら、 いつもそうやってきたから、 問題そのものでなく、 『じゃあ、どうしよか』 『今何ができるかな』 …と、『今』に集中し、 『できること』しか考えてないのです。 苦手なことも、やりたくないことだって、 考えれば色々あるだろうけど、 問題が起こったとき、 私は『今』と『何ができるか』に自然と集中してるのです。 余計な雑念がない。 だから、過去に反省はいっぱいあるけど、後悔はひとつもないと言えるのです。 人より遅くても、地道に誠実に自分と向き合いながら、一歩一歩進んできたから。 そのおかげか、無意識ながら、 (私の言う『無意識』は、常に意識は保ちつつも、引き寄せとかの宇宙の法則などを敢えて意図しないと言う意味) 潜在意識が投影されるこの現実も、 私には決して苦しいものではなくなりました。 …と言っても、今振り返ってみても、 やはり私が長く苦しんできたことは、 私自身の痛みよりも、 他者や動物への愚行、自然破壊などの、 間接的な痛みであって、 それがたまらなく苦しい故に、 私は自分で私自身を苦しめる行為を選択していたに過ぎなかったのです。 昨年は、幼い頃から今に至るまでの思いが全て叶ったような一年でした。 今だからそう思える状況も、 当時は最悪の渦にはまっていたのです。 そして、私はその最悪の状況を、 意識の力という錬金術で、 金に変容させることができたのです。 思い返せば、子供の頃の夢だったことも、 大人になってから描いていた理想も、 全てその中に在ったと気付けたのです。 そして、最初のあまりの最悪な状況から、 おそらく心のどこかにずぅ~っとしまい込んでいたであろう、 その夢という幻想はすっかり消え去り、 固定観念や『私』と思い込んでいたものを自らの意思でぶっ壊し、 改めて覚醒したようなクリアな気持ちで今年を迎えました。 元旦に久しぶりに会った母にも、 初めて心からの『生んでくれてありがとう』が言えました。 長い間確執があった母と私ですが、 抵抗し、許さなかったのは私だったのです。 自分の固定観念をぶっ壊す中で、 母に対する嫌悪感も壊れたようで、 不器用ながらも、 自らも愛情に飢えながらも、 確かに愛情表現が下手くそだったかもしれないけど、 それでも一生懸命母なりに生きてきたんだって、涙が溢れてきたのです。 今でも、母とべったり仲良しなんてことはないし、性格的には合わないんだけど、 ほどよい距離で抵抗でなく、 嫌なものは嫌だと素直に表現しながら向き合えるように。 全てが良い方に流れていることを感じます。 問題に思えるようなことも、 全ては何らかの流れが変わるときや、 内側のクリーニングのチャンスでしかないのですから、 私は常にクリーニングを心がけてます。 特に、昨年のぶっ壊した古い私から、 新しい私の創造…つまりは、 本当の私を取りもとすべく、 内側のクリーニングに全てがかかってるといっても、過言ではないでしょう。 私は、今年一年を通して、 クリーニングに重点をおいてきました。 私が抱えてきた記憶は、 この私の人生において、全て断ち切る (持ち越さない、新たに負の記憶を作らない)覚悟で、内なる私との対話を続けてきました。 敢えて宇宙の法則を意図せずに、 (アファメーションとか引き寄せとか、ポジティブシンキングとかのテクニックは使わない) 内側のクリーニングをすることで、 神聖なる存在の意図(計画)に従おうと、 委ねて生きていくことにしたのです。 今年一年かけての内面の変化は著しいものがありました。 180度変わっちゃったくらいです。 思い込んでた『私』という幻想も昇華させ、 色んな縛りからも解放され、 あらゆるものから自由になって、 改めて気付いたのは、 私はやっぱり『私』だった✨ …ってこと笑 確かにたくさんの記憶に振り回され、 苦しんできたことは事実だけど、 決して私はその中でも『無意識』ではなかったと気付いたのです。 確かに感情的だったし、 すぐに感情で反応してしまっていたけれど、 相手が逃げて向き合おうとしなかったり、 無意識に無関心に生きてる人たちとの意思疎通が上手くいかなくて立ち往生しても、 例えひとりでも、投げやりになることなく、 じゃあ、今できることは何❓ 何ができる❓ …そうして、いつも闇を光に変えることを諦めることはなかったからです。 だから、やるだけやって、 やり尽くしたおかげで、 どれだけ引き止められようとも、 謝罪されようとも、 私はスッキリとした気持ちで、 怒りとかも手放した上で何の未練もなく、次のステージに移行しながら、 安定よりも成長する道を選んできました。 あれは間違いなく、魂そのものの声に従って生きてきた証だって気付けたのです。 だから私には悔いがないんだって。 全ては本来の私を取り戻すための道。 私は私でいながら、そのことには気付けていなかった。 だから、本当の私に気付くまで、 私は内なる渇望のままに、 成長する道、敢えて困難な道を選んできたのは、そういう意味だったんだ✨…と。 そして昨年の、全ての夢を叶えてくれた環境でありながら、 最悪の状況を経験し、 もういい加減にして~~~っ💢 …って、私の記憶の大浄化作用が始まったというわけです笑 いや~、本当にきつかった。 だけど、過ぎてみれば、 本当に楽しかったんです笑 こんなに最悪なものはないと、 『無関心』の負の連鎖の渦に最強に苦しみながら、 私の中の無邪気な子供の部分が、 子供の頃からの夢を楽しんでたのです。 『私』はあくまでも一生懸命だったのに、 今では楽しかった記憶しか出てこないなんて✨ 他もそう。 過去の思い出は、 楽しかったことしか残ってないのです。 いや、それさえもあまりの執着のなさからか、あんまりないかも笑 記憶喪失かってくらい、 とにかく『今』に在るだけ。 過去に在るのは感謝だけ。 かつて私を苦しめた(ように見えた)悪役キャストには、特に感謝しかないのです。 おかげで私は『私を取り戻せました✨』 …とお礼が言いたいくらい。 過去への未練も、 未来への不安も何もない。 あるのは『今』だけ。 これからも、恐れからの選択ではなく、 愛から選択していけば、 必ず良い方に流れていけると確信しています。 大切なことは、 内側をきれいに保つこと✨ 内側をお掃除していたら、 外側…つまりは家の中もきれいに整理整頓できるようになりますよ笑 また、内側の美しさは、必ず表面化されます。 私が美人ではなくても愛されるのは、 絶対に内側の美しさのおかげだと確信しています。 自分で美しいとか、恥ずかしくないの?って感じだけど笑 あまりにも言われるので、 慣れちゃった笑 美人ではないからか、 なぜか『綺麗』ではなく、 『美しい』なのよね。 私自身、綺麗な人ね~とか、綺麗な花ね~とか、『綺麗』は簡単に使えるのに、 『美しい』って、なかなか出てこない。 例えて言うなら、野生動物の凛とした美しさとか、自然への畏敬の念を込めた表現になるのかな。 私が『美しい』って言われるときも、 確かに皆、息を飲むように、 恐れ多いと言うように、 緊張が感じられる場面なのです。 私自身、自分でも内なる私… つまりは魂の崇高さ、誇り高き、 純潔な内なる声に畏敬の念すら感じてしまうときがあるし、 ナチュハイで自然な食べ物、食べ方を学び、大地と繋がって生きているおかげで、 すでに放つオーラが変わってきたようにも感じているけど、 実際には、魂は誰のものであっても、 皆崇高で神聖な存在には変わりないと思っているので、 どんなに無関心に生きている人であっても、 どんなに嫌悪感を感じたとしても、 その人の中にある魂に対する敬意は 忘れないようにしようと心にとめてます。 そのせいもあるのでしょう。 寛容さ、分け隔てしない慈しみ、 素直さ、一生懸命さ、誠意… どんな時も神扱いされてしまう笑 まぁ、皆気付いてないだけで、 神の一部には違いないのだけどね。 今年一年をしっかりクリーニングしたおかげで、 今まで気恥ずかしかった『美しい』も、 抵抗なく受け取れるようになりました笑 だからといって、 外側の私はまだまだ、だらしない部分もあるし、 苦手なものもあるわけで、 ただ、そんな私にも抵抗しないし、 今できることは何か、 常にそこが大事なので、 無駄に抵抗することから生まれる『ネガティブ』を新たに生み出さないように、 これからもありのままの私で素直に、 そして五感いっぱいに味わいながら、 この地球でのかけがえのない体験や成長を 通して、淡々とクリーニングしていくつもりです✨ もちろん選択の自由ではあるけれど、 今在る状況がもしも不満足だとしても、 私は敢えて引き寄せの法則とかアファメーションとかはオススメしません。 本当の幸せとは、 頭で考えるようなものではないからです。 そこに時間をつぎ込むよりも、 内側の神聖な存在である自分を取り戻すために、 内側のクリーニングこそ大切だとしみじみ思います。 何かのためでなく、 誰かのためでもなく、 自分のために行うのです。 いつだって変わるのは『私』から。 誰かを変えるのではなく、 何かを変えるためでもなく、 内側の美しさを取り戻すために…。 その思いが潜在意識まで届いたとき、 その美しい内面が外側の世界を変容させるのです。 それは、頭で考えるようなちっちゃなものではなく、 こんな私ですら、畏敬の念を抱かせてしまうほどの、大きな、神聖なものなのです。 もしもクリーニングに至れないほどの雑念が湧き上がるなら、 心残りにならないよう、 新たに負の連鎖をこさえないよう、 思いの限りを味わい尽くすことです。 人は究極な痛みを味わわなければ、 なかなか変われないものです。 その時まで待つのか、 それとも、『今』から始めるのか。 それも自由。 誰もが、自由な選択において、 今の状況を自らの意識で創造しているのですから。 自ら選んだ選択の結果に嘆くのは止めましょう❗ 嘆くくらいなら、自ら人生の舵を取って、 味わい尽くしましょう❗ 誰が見ていなくても、 あなた自身が見ているのですから。 あなたの内側に在る神聖な存在が…✨ その美しい、神聖なありのままの『私』を取り戻し、ともに喜びを創造しましょう✨ ないものを嘆くよりも、 『今』在るものに感謝しましょう✨ きっと来年は 美しいあなたの内面の世界が見えてくることでしょう✨ 心豊かな素晴らしい一年になりますように✨
2019.12.23
最近スピリチュアルな視点と現実の視点が、少しずつバランスを取り戻してきたな~と感じます。今まで無意識にスピリチュアルに生きていた私が、どうにもこうにもさっちがいかない現実に、どうしようもない不快感や嫌悪感に悩まされてきた部分も、感情を味わいながらも冷静に観察できている私が居ます。もちろん時には先に感情が溢れて、「あっ、またやっちゃった!!」…なんてこともままありますが、本当にその場で「あっ!!」って気づけるところが素晴らしい!…と、成長を感じます。これは、理性的に自分(感情)を押し殺してしまうのではなく、出てきた感情を徹底的に味わうこと、そういう感情を抱いた自分を認め、受け入れること、そしてそれがいかにネガティブなものだったとしても、そういう辛い記憶を私は深い深い部分にずっと抱えて苦しんできたんだねって、慈悲の心で自分を許すこと。それから、「もう大丈夫。そんな辛い記憶は手放そうね。もうくるしまなくていいんだよ!教えてくれてありがとう!」…と、抱え続けてきた深い深い記憶を表現して(教えて)くれたことに感謝して、内なる浄化をしていけばよいだけなのです。ネガティブな記憶とは、『私』という浅い歴史(過去)の中で実際にしてしまった後悔の念だけではありません。いわゆる前世の記憶、家族やご先祖様から引き継がれた記憶など、それはそれは壮大で、とても私たちが思考だけで悔い改めることなどできない膨大なものなのです。あの時ああしていればよかった。あの時ああしなかったことが悔やまれる。…と、理由がわかることなら、それを繰り返さないように悔い改めれば済むことですが、どうして私はいつも繰り返してしまうのだろう…。どうして私は○○に嫌悪感を感じてしまうのだろう…。…と、理由を頭で考えてもわからないことが多々あります。そんな時は、潜在意識という深い部分に刻まれてしまっている記憶なので、自分では理由を知り得ないことなのです。催眠療法とかすれば理由がわかるかも…ですが、根がシンプルな私は、「わからないものはわからない。前世の私やご先祖様の記憶までは手に負えないから、クリーニングで済むなら、そうすればいい!」…と、あくまでもシンプルイズベストを徹底しています!複雑なことが嫌いなので、この単純さに私は救われているのかもしれません(笑)だって、スピリチュアルな世界もある程度分かってくると、どれも本当にシンプルなのですよ。思考で頭の中が絶え間なくガッチガチな現代人には、「そんなわけないやろ~」…とかえって難しく思われる…というか、疑うしかないようですが、あらゆるものが私にはシンプルにしか見えません。なんでわざわざそんな面倒なことするの?捻じ曲げるの?無意味なことするの?…と、いっつも不可解なことをする現代人に見えてしまうのです。もう私は、宇宙人感覚なんだな~と認めることにしました。まぁ、実際は皆宇宙人には変わりないのですが(笑)どの国から見るか視点が違うだけで、皆どこかの外国人に過ぎないのと同じですね。だから、今の自分に何らかの不満があるとするならば、その不満は自分で作り上げたものに過ぎないのです。同じ世界を生きながら、違う世界を生きている私たち。幸せそうに見えるあの人も、いつも何かに怒ってるあの人も、辛そうに見えるあの人も、皆全て同じ世界を見ながらも、見る感性が違うだけなのです。だったら、どういう世界を生きたい(見たい)ですか?せっかく愛を学ぶ星、地球に生まれることを自ら選んで挑戦してきた私たち。究極には皆、愛を学ぶことが目的なのです。そして、それを広げていくこと。長い長い歴史の中で、ネガティブな記憶が限界に達している今、時代は愛と光の世界に変わろうとしています。(嬉しいことに、これからの愛と光の流れは水瓶座の時代と言われています!)ただ、あまりにも安易に無責任に快楽に乗っかている人たちも増えているのも事実。大事なことは、心の中が平和で愛に満ちているかどうか…が大事なことなのです。まぁ、それでもその快楽の中から彼らは何かしら学んでいくのでしょうけどね。全ては学びです。いかに逃げようと、いかに楽しようと、いかに得することばかりを考えようと、宇宙は全てを見ています。そして、どれだけ遠回りをしても、必ず愛に気付くように導いてくださるのです!ただ、遠回りをすればするだけ、気づきの痛みも大きくなる可能性は否めないですけどね。気づいた時が始め時!内なる声を素直に受け入れましょう!そして、何よりも大切なことは、自分を『育む』という覚悟を持つこと。例えば宇宙の法則で言ういわゆる引き寄せの法則も、ただ欲しいものを手に入れるためのものではありません。望めば叶う…のは、現実として、本人がその願いを叶えるために必要な努力を一生懸命やってきた賜物なのです。他人の成果や環境、物など、外見的なものばかりを羨んで、内面的な努力を見なければ、意味がありません。実際に引き寄せの法則は効果がないと思われている方のほとんどは、おそらく自分を棚に上げて、あれが欲しい、これが欲しいとただエゴを訴えてるだけに過ぎないように思います。でも、実際は物や他人、環境やお金があなたを幸せにしてくれるわけではありません。幸せな世界を見ることができる人というのは、それに必要なことを自ら創造できる人、周りを変えるのではなく、自ら変わる勇気と確固たる意志、そして委ねる柔軟さを持っている人たちです。あれがないからダメ、これがないからできないと言い訳するのではなく、今あるものに目を向けて、それをどう活かして成し遂げるか!その願いを叶える手間暇を惜しまず、自分を信じ、努力し続け、まっすぐに前を向き続けている人たちなのです。だからこそ、瞳が輝いているのです!願いが叶うことだけでなく、成長することが楽しいから。だからこそ、その輝きが、前向きな波動が、より良いものを引き寄せてくれるのです。それは、思考では到底思いもつかないような幸せです。心が平和で愛に満ちて、それはとどまるところ知らず、ますます流れにのって、成長していけるのです。宇宙のように愛は無限です。思考で考えるお得感なんてちっちゃい。損得に流されて生きるのではなく、幸せになりたいのなら、人生を後悔したくないのなら、自分を育てるのは自分の責任なんだと覚悟をもつことです!どうも私は、無意識ながら自然とスピリチュアルに生きてきたので、それが分からない人の気持ちを理解することが難しいのですが、(人は自分が持っていないもの、体験したことがないことはわからないものなので…。逆に私を理解できない人のほうが多いでしょうしね(笑))とにかく幸せになることって、決して難しいことではありません。潜在意識とか難しいことを考えなくても、宇宙の法則とか学ばなくても、ようは、内なる声を大事に生きなさいということなのです。その中にしか幸せになるカギはないのです。外側の世界はあくまでも一時的なもの。たまに気分が持ち上がらないときなど、力を与えてくれたり、毎日を心地よく暮らすために寄り添ってくれる道具たちのように、私を助けてくれるもの、支えてくれるものたちにはいつも感謝でいっぱいですが、それがないと幸せにはなれないというものでもありません。愛すべきものたちではありますが、それがないと幸せにはなれないというものでは決してないのです。幸せとは、何ものにも縛られていない状態だからです。物にも人にも…。必要だから…ではなく、愛を感じるから一緒にいたい。ただそれだけです。決して奪い合うもの、執着するものではないのです。だけどね、愛すべきものだから、大事に愛でるし、語りかけ、感謝の心が自然と湧いてくる。だから部屋の中も、自然と心地よい空間になるのです。そうして、心が整うと、身の回りが愛で満たされ、いつも内なる声が平和で安心していることに気付くのです。エゴを持って何かを引き寄せようと願うのではなく、自ら心を育み、整え、愛と平和に育った内なる声が、同じように愛に満ちた世界を引き寄せてくれるのです。だから、愚痴なんかで毎日を過ごすなんてもったいないですよ!私はどんなに根暗だった幼少期であっても、常に「どうやったら私も笑えるのか、楽しくなるのか」…ずっとずっとそれを思い描いて生きていました。いつも内側で対話しているので、周りからは暗い子に見えたでしょうし、小学生時代は苛めにもあいました。自分では自分と周りの何が違うのかが全然わからないし、なぜ自分はいじめられるのかがわからないのだけど、(いじめるという発想がないので…)ただただ、どうすれば良くなるか…それしか頭になかったように思います。ただ、それが本当に内なる対話なので、親さえも何を考えているかわからない子だと思っていただろうと思うのですが(笑)今思うと、私は決してネガティブなのではなく、ただ単に、内なる対話が多い子だったんだなってことです。スピリチュアルの人にいるような、他の世界が見えるとか、精霊と話せるとか、そういう経験(記憶)は私には残念ながらありませんが、ただね、幼くして亡くした記憶にさえない父に、私は何か困ったことがあるといつもお願いし、祈っていたのです。「パパ、助けて!」って。そして、それが解決すると、いつも「ありがとう!」って…。今では笑い話なのだけど、大学時代に友人たちが授業をサボるのに初めて加わったときなんて、「パパ、こんな悪いことをしている私を許してね」…なんて、本気で謝ってたくらい、私は純粋に浮世離れした感覚なのです(笑)だけど、ここまで純粋におバカさんだからこそ、パパはいつも願いを叶え、見守ってくれたのだと今でも信じてます。本当にそれを純粋に信じられるほど、私は見守ってもらってることを実感しているからです。姿かたちが見えるわけでもなく、声が聞こえるわけでもないけれど、パパだけでなく、先に旅立っていった仲間たち(黄菜しろや幸太郎たち)もみんな見守ってくれていると思えるからこそ、私は幼少期からの不安に見事打ち勝ち、手放し、今ではいつも安心して委ねていられるようになったのだと思います。そういう心を育むのは自分でしかないのです。確かに私は心底恵まれていると思います。だけど、かつての不安や辛さを乗り越えたからこその幸せなのです。その内なる幸せに気づき、育んできたのは私自身なのです。だから、揺るぎない自信と信頼が私にはあるのです。誰に避難されようと、誰もわかってもらえなくても、揺るぎない信念が私にはあるし、だけども昔のように、固執してがんじがらめになるわけでもありません。(まぁ、まだまだ時々頑固な私もひょこんと顔を出すけどね(笑)それもご愛敬ということで…。私の周りは理解してくれてるし、ありがたいことです!)自分を育むことは、その道中は険しい道でもあるのですが、(突然涙があふれてくることも…。よくぞ乗り越えて、ここまで来た!…と自分にも付き合ってくれた周りにも感謝でいっぱいです!)その代わりに待っているのは、想像さえできなかった、無限の喜びの世界です。世界が変わったというよりも、私の見方、捉え方が変わったのです。世界はこんなにも愛に満ちていた…。そう気づけなかったのは、私の視野が狭かったからなのです。今がどんなに辛くても、人は変われます。今自分が辛いのは、それを選択してきた自分の責任なのだと認め、まずは受け止めること。そして、宇宙が与えてくれる無限の愛に抵抗してきた自分の責任も認め、受け入れること。まずはそこからなのです。今の自分を悔い改めることこそがスタート。そうしなければ、あなたに幸せになってほしい宇宙がもういい加減そのネガティブな記憶、抵抗を手放しなさいと促すために起こっている辛い体験をますます引き寄せてしまうことになるのです。まずは抵抗を止めること。自分の中にあるネガティブな思いに気付いたら、一息ついて手放しましょう。その思いを抱いてしまったのは、相手のせいでも状況のせいでもなく、あなたがそのネガティブな記憶を手放すためなのですから。あなたが抱え込んでしまっているネガティブな記憶を吐き出す(手放す)ために、そんな状況を引き寄せてしまうのです。あぁ、そうかわかった!じゃあ、心を無にして手放します!…と簡単にはいかないもので、何度か同じような体験は繰り返してしまうでしょうが、繰り返すほどに、何となく怒りや恐れも静まってくるものです。自分を押し殺すのではなく、向き合い、徹底的に味わい尽くした先には、ある意味諦め…というか、もうなるようにしかならない!…と、自然と受け入れられる時が来るのです。諦めとは、明らかになること。悟ることと言われるように、あぁ、別に大したことなかったな、なんでこんなことに執着しちゃってたんだろうと、馬鹿らしく思える時が来るのです。そうやって、ネガティブな記憶を一つ一つ手放していけたら、もう、ネガティブな記憶なんてあほらしいくらいに、喜びや楽しい気持ち、ときめきなどの前向きな気持ちのほうが先だってくるでしょう。そこまでくると、自分で必死に何かを探さなくても、だんだんと流れに乗れるようになってくるのです。ようは、自分でネガティブな記憶を断ち切る覚悟を持ち、向き合ってきたからこそ、自分で自分の人生に責任を持つ覚悟を決めて、育んできたからこそ、ハートが息吹を取り戻し、愛と喜びに反応できるようになってきて、流れに乗り、そして、自分の中にもちゃんと全てはあったのだと気づく時が来るのです。そう、全てはあなたの中にあるのです。外側の世界にばかり求めても、一時の快楽を繰り返し、いつしか疲れ果て、何も得られないまま年だけ取ってしまったことに嘆き、退化させてしまった体はますます辛くなり、余りにも辛い現実から逃れるように、せめて最後は脳は記憶を消してくれるのかもしれません。それではあまりにも無責任…というよりも、生まれてきた意味を感じないでしょう。きっと後悔しかないだろうと思います。人生を後悔するなんてもったいない!面倒がらずにしっかりと自分の生まれてきた意味と向き合い、人生に責任を持つこと。そして自分を育み、励まし、信じて、自分を『喜ばせる』ためにとことんやってみること。何かを与えて喜ばせるのではなく、何をするか、どんな世界を創造するか‼…なのです。何をしているときに自分は喜びを感じ、満たされているか、自分を知るために自分と向き合い、対話するのです。育むことは時間がかかること。だけど、面倒がってる人たちは、結局は暇だから、時間を持て余して誰かに乗っかって暇つぶしてるに過ぎません。自分の人生を他人に委ねて生きているのです。これ以上の無責任はあるでしょうか!その無責任な自分を棚に上げて、環境や周りのせいにして愚痴ばかり言うのはもうおしまいにしませんか?自分を幸せにするのはじぶんでしかないのです。愛する誰かが幸せにしてくれるのでも、物やお金が幸せにしてくれるのでもありません。人や物、お金はあくまでも『幸せな自分』でなければ活かせないのです。居心地がいい家も、快適な車も、やりがいのある仕事も、仲のいい家族や仲間も、全ては自分を育んでこそ、感謝に気付くことができるのです。感謝に気付くと、愚痴なんてなくなります。感謝の流れが加速していくから、愚痴が出るような世界をもう見ていないからです。どんなに抵抗しても、その流れを変えることはできません。宇宙の愛は無限であり、宇宙はあなたに幸せになってほしいからこそ、その抵抗を手放しなさいと教えてくれているだけだからです。抵抗すればするほどに、負のループに陥っていくだけです。人間素直が一番!幸せな人は素直な人‼…だと思います!難しいことを考えずに、ただ自分はどう在りたいか、どういう人で在りたいのか、内なる自分としっかり対話して、それを素直に実行することです。周りがどうこうではなく、自分はどう在りたいのか、どう生きたいのか。自分を大事にしてくださいね!そして、大事に我が子のように、大事な自分を育んであげてください!きっと流れが変わってきます!あなたの中の愛すべき自分をしっかり育んでいきましょう!誰に遠慮する必要などないのです。自分を愛すれば愛するだけ、他人の良いところも見えてくるものです。自分を愛した人にしか、他人は愛せません。どうぞ惜しみなく、愛を感じてください!愛と喜びに満ちた光があなたの心に届きますように…☆彡
2019.07.08
前回ご紹介したひでこさんやターシャさんですが、その素晴らしい生き方(哲学)に共感したり、参考にさせていただくことはあっても、実は味覚は全く合いません(笑)どんなものを食べているのか興味があって、それぞれのレシピからひとつずつ試しみたのですが、どちらも私には濃いすぎる。ターシャさんはアメリカ人なので、なおさら味覚の違いは強いでしょうし、ひでこさんも酒屋の娘だったということで、結構味付けは濃かったのだろうと推測されます。ただ、それぞれが一日中活動的にすごしてらっしゃるので、無駄に運動やダイエットなど考える必要もなく、汗なども自然にかける生活習慣だったことも、特に問題なく過ごせたのでしょうね。不活発な現代人が生き様だけに憧れて、不活発なままレシピを真似したところで、決して健康的ではないことは当然ですから、やはり、食は命、自分がどういう生き方をしているのか…が食べ方なのです。活動的な欧米人の食だけを流行で取り入れて、彼らの活動的なライフスタイルは取り入れないのであれば、もちろん健康的ではないですよね。同じように、憧れの誰かの真似ではなく、あくまで参考にしながらも、自分ならどうするか…という目線で、自分軸を育てていきましょう。特にターシャさんの行動力はとてもとても真似ることができないほど!私は憧れよりも、ものすごい精神力と創造力にとても真似ることなど想像すらできません。中学生くらいでおもしろくもない学校に行くのをやめ、それからやりたいこと(農業)を実現するためにひたすら努力をされたのでしょう。確固たる意志として固まっていたため、苦労は当然のこと、苦労よりも「やりたいことをやってきただけよ」「普通に生きてきただけよ」と思えるその魂の強さに少しでも心が震え、生きる強さを教えていただいたことに、感謝せずにはいられません。とても真似できないけど、真似る必要もないわけですから、自分の魂の声を少しでも創造に近づけるよう、これからも人生の先輩たちを参考に、もっともっと生きる喜びを紡いでいきたいと思います。こうして年齢を重ねた先輩方、私の年齢の倍以上生きている先輩方が、全然体力の衰えを他人には感じさせないほど長くお元気でいられるのは、やはり、若いころからの心の持ちようだと、つくづく思います。年を取ってから運動しようと気づいても、いくらかの成長はもちろん可能だけど、結局突然の運動で無理がたたって余計に痛めてしまう人も多いし、自分の内なる声、そして体の声などを無視して生きてきた人には、誰かの声(情報など)に振り回されてしまうしかないのが現実のところ。若いうちから自分との対話を大事に、流されない自分らしい生き方を育むことが、いつまでも年齢に怯えることなく生きていく基本だな…と思います。おふたりともに、ご高齢であっても、高齢者と思ってないようで、年とともに体力の衰えは受け入れながらも、今の自分にできることを常に工夫しながら、また、若いころにたくさん無理もしてきたからこそ、年とともに自分との付き合い方が分かってきて、不必要に無理しない、楽しいことしかしないという生き方がわかってくるのでしょう。そもそも、楽しいことが活動的なので、おふたりともに、食事とお茶の時間以外はあれこれ手足を動かしている、動かすのが楽しい=自然と健康的(動物的)な暮らしを営んでらっしゃるのが素晴らしいです。活動的な人は、ネガティブなことをほとんど考えません。…というか、体をしっかりと使っていると、無駄なことは考えられないのです。結局楽しいことだけ、好きなことだけ、そのための付属的な労働はごく当然なことと受け入れられるのです。逆に不活発な人はいかに楽するかしか考えられない。だから、どんどん利己的になってしまうのではないかな…と思います。発想がネガティブになる人は、おおむね不活発。そして思考だけで考えて解決させたい、なるべく体を動かしたくない。本当に行動を見ていると、脳の中が全て創造されてるんだな~とよくわかります。そもそも思考型の人の目はとてもするどいか、諦めの闇が宿ってます。おだやかに、心を平和に、そして愛に満ちて生きたいのなら、ハートをもっと活発にすることです。思考を優先にするのではなく、ハートの願いを思考がサポートする生き方。ハートが主、思考が従。思考が主だと、ハートは従ではなく、ほとんど押し殺されてしまいます。そんなんじゃ、いくらお金を稼いでも、いつも満たされない思いでむなしいし、苦しいでしょう。幸せになるには覚悟が必要なのです!世の中に、他人に流されずに、自分を信じる覚悟が。自分の中に幸せになるために必要なものは全部ある!って信じ、それを育む覚悟が!時間もかかるし、その道中は傷つくこともいっっぱい。孤独に押しつぶされそうになることもあるでしょう。だけど、年を重ねるごとに自分への信頼は揺るぎないものに育まれ、自然と見えない力に感謝でき、委ねることで無駄な力が抜けてくるのです。私が尊敬を覚える人たちは必ずと言っていいほど、若いころは苦労されてます。そしてたくさんの痛み、苦しみ、孤独を乗り越え、年を重ねるごとに自立、自律を自ら育み、誇りとなり、体も心も魂も同じ方向を向いて、一体となって『自分』の人生を創造していらっしゃるように思います。苦しみのもとは、心と体のギャップです。もちろん、魂の声など聞こえようもありません。このギャップを減らしていくには、他人軸に流されている限り不可能です。自分で自分の人生の責任を取る覚悟。それが幸せになる覚悟なのです。そして、それは、自分の代で古い古い過去からの記憶、ネガティブな波動は断ち切るという覚悟でもあります。未来に、子供たちに、ネガティブな記憶は持ち越さない。自分の代で断ち切る覚悟ができれば、そこには幸せな未来しか創造できない。そう、今の私はどうあがいても、もう幸せにしかなれないと感じています。思考がすっかり切り替わったので、過去のことさえ思い出せないことも多いです。イメージや例として挙げたくても、ネガティブな記憶が思い出せないことも多く、本当に思考って変わるんだな~としみじみ思います。もう前しか向けない。良くなることしか考えられない。だから、ネガティブな場所には居られないのです。波動が合わないから。合わないままいると、相手を不愉快にさせちゃう(妬みや怒りを引き出してくる)し、もう同情は無意味だし、そこに自ら居座りたいのなら、放っておくしかできないので…。愚痴や無駄な世間話も面白くないので参加しないし、結局はひでこさんやターシャさんのように、自分の人生を創造できる人とは、自分を大事にしてる人なんですよね。生きることを楽しんで、それに必要なら苦労さえも受け入れられる心の柔軟性と強さ。あくまでも『大変』ではなく、『楽しい』なんですよ。生きる喜び、楽しさ、だから頑張れる。スピリチュアルな世界では、頑張らなくていいっていうけれど、私は頑張ることが好き。でも、実際は頑張ってるわけじゃないんだと思います。無理してそうやってるわけでもなく、心から楽しんでるからついつい没頭しちゃってる。ただそれだけなんだと思います。没頭しすぎると、やっぱり疲れも出ちゃうし、浮き沈みも大きくなりやすいので、そこらへんは経験的に調整していく必要はあるでしょうが、私はついつい楽しいと没頭しちゃうので、まだまだ幼稚ですね(笑)だけども、そうやって体験を通して学んでいくものです。死ぬまで学び。死ぬまで成長。そう昔から思ってきたけれど、昔はもっと鍛錬、修行的要素が大きかった。でも今は、自分を喜ばせ、楽しませたい。だから、自分を探求していく。そんな感じです。そして、自分を、人生を心から楽しんでいるからこそ、周囲も惹きつけられるのかもしれません。私が美人だからではなく、私が楽しんでるからこそ!…です。人は視覚で判断しているとよく言われるけれど、人が惹きつけられる理由は、姿形という視覚以上に、波動的なもののほうが大きいと、私は感じています。そして、視覚(目に見えるもの)ではなく、波動(目に見えないもの)に惹きつけられるからこそ、なぜなのか、自分でも何に惹かれているのかわからないから戸惑うし、また、時間とともに見飽きることもなく、ますます惹かれていき、そして、精神的な愛を学ぶのだと思います。物質的な物の喜びはあくまでも一時的なもの。それに振り回されてる限り、延々と彷徨うばかりです。だけど、物質、形あるものも、大事に心を込めて扱い、愛を注げば、それは命あるものに育てることもできるのです。そうして、人だけにとどまらず、動物も、植物も、物も…ご縁のあったあらゆるものに愛を注ぎ、時間をかけて命を育んでいけば、いつの間にか、心からの充足感が得られるものです。数打ちゃ当たる…は、体力のある若いころだけ‼年を重ねたら、今まで育んできた経験がものを言うのです。もう数は必要ないのです。自分の『好き』を大事にすること。それは、自らの心と体をしっかり使い、活かしてこそ感じられる(発見できる)ものなのです。体験することを面倒がるようでは、老後は苦難でしかないでしょう。体は使わなければ退化します。使わないんだからもう要らないのでしょう?…と体に反逆されても仕方ないでしょう。だって使わないんだから…。心も使わなければ退化するのです。無感動な、無表情な人になりたいのなら、それもありですが、そう望まないのであれば、しっかりとあるものを活かしましょう!あなたが幸せになるために必要なものは、ちゃんと授けてくださってるのです!外側に探すのではなく、内側にあるものを育むこと。赤ちゃんから大人になるように、育むためには時間がかかるもの!それを面倒がってはいけません。簡単に手に入ったものは、雑に扱うものです。簡単に手に入る女性がすぐに飽きられる、大切にされないのと同じですね。恋愛に関しても、愛とは育むもの。恋愛テクニックとか駆け引き、心理戦とか、情報は数多にあるようですが、そんなものは役に立たないのです。数多く遊びたいのなら結構ですが、相手も同じ程度の人でしかありません。遊んでいるようで遊ばれているかもしれません。本物の愛を育てないのなら、まずはじっくりと自分との信頼関係を育むこと。そして自分を愛することです。人は自分が持っていないものは与えることもできません。自分を愛していない人には、愛することができないのです。自分への愛を育まなければ、愛は奪い合うものでしかないでしょう。自分を愛し、自分の人生を愛せた時、人はあふれ出る愛を放てるのです。どうぞ、安心して自分を愛することとじっくりと向き合ってみてください。本来は子供のうちに済ませておくべきことですが、地球での人間世界は忙しく、そうそう愛に浸らせてもらえません。愛に満たされないまま大人になってしまった人がほとんどでしょう。だからこそ、もう一度、自分の中に押し殺してしまった子供のままの私、成長することに抵抗している幼い私としっかりと向き合ってあげる必要があるのです。インナーチャイルドと呼ばれる、この内なる自分を満たしてあげること。癒してあげることが最優先なのです。愛し合いたいのに傷つけあってしまう。頑張りたいのに頑張れない。どうせ自分なんて…と認めることもできない。そんな自分を傷つけるのはもうやめましょう。そんな自分を認め、受け入れ、そして自分で自分を傷つけていることを悔いるのです。傷つけてごめんね…って赦し、自分の誇りを、輝きを取り戻すために、ともに手をつなぎ、古い自分を破壊して、新しい本当の私を育むのです。ちゃんと答えはあなたの中にあるのですから、やるべきことは、今まで傷つけてしまった(無視して押し殺してしまった)ことへの謝罪、反省です。誰のせいでもない。自分で自分を価値のないものに貶めてしまったことに対する自分への謝罪。本来の輝きを育むこと、責任を放棄してしまったことへ謝罪です。それを認め、自ら赦し、そして古い古いネガティブな記憶は私の代で断ち切る!!私は幸せになる!!…と覚悟することです。古いネガティブな記憶をクリーニングする過程では、まだまだたくさん抱え込んでしまったネガティブなものが出てくるので、一番きつい時期かもしれません。しかし、幸せになる覚悟を決めて、宇宙を信頼し委ねることを覚えたなら、本当に幸せにしかなれないことに気づく時が絶対来ます!!なぜなら、それが宇宙の願いだからです!!幸せになるために必要なものは全て自分の中にあることに気付いてほしい。そのために、そうでないものを通して私たちは学んできたのです。だから、若いうちの苦労は買ってでもしろ!…とはまさにそのとおり!私は自ら苦しい選択ばかり選ぶことによって、自分の力を試していたのかもしれません。私の中にすごい力がある!!ということを知っていたのかもしれません。おかげで、年を重ねた今はとても気楽に委ねることを学びました。逆に、昔私のことを面倒がっていた人たちは、今になって悩んでいます。皆、結局いつかは悩むのです。どうせ悩むなら、若くて体力があるうちが絶対いいに決まってます。そして、今という瞬間が未来で一番若いのです!今を大事にしなければ、未来を明るくすることはできません。全ては『今』の在り方が未来を決めるのです。大事な今を無駄にして、どうなるかもわからない未来の心配や、どうしようもない過去の後悔ばかりしてませんか?全ては『今』なのです。幸せになる覚悟は、『今』『この瞬間』から始まるのです。幸せにしかなれない未来を創造するのは『今』なのです!今のあなたを創造したのは、あなた自身の思考です。その責任をしっかりと受け入れましょう!それから新しい私、本当の私を取り戻す旅を今、ここから始めるのです!じっくりと育んでいきましょう!焦らずゆっくりと…!
2019.07.07

どんどん開花してます!幸太郎ジャスミン!!毎日素晴らしい香りを届けてくれる幸太郎に感謝しながら、ドラッグのようにクンクン香っては、ふはぁ~…とため息ついて幸せに包まれてます。アクリルたわし製作中…withハナさすが猫!毛糸大好き!…かと思いきや、最初は凛がじゃれてたのですが、ハナは私のお膝で寛ぐだけでご満悦!虎をお外の世界に見送ってから、私はまた一つ、私の中に深くこびりついていたある記憶の手放しをしました。それは、セキセイインコの黄菜をお迎えした時からこびりつかせてしまった記憶です。真面目な私は、初めてのペットという存在、生きた動物、命そのものに、正直お迎えしてからも戸惑っていました。当時ネガティブ真っ盛りだった私が、自分のためにアニマルセラピーを求めてペットショップに通い、セキセイインコくらいなら飼えるかな(大きさも値段も)…と、そんな理由で決めたのでした。今思うと、本当にバカだったと情けなくなります。その時いたのは3羽。とてもきれなスカイブルーの子、珍しい薄紫の子、そして平凡な、いわゆる原種の黄色と黄緑色の黄菜でした。最初はスカイブルーの子に惹かれたものの、決めきれずに一日考えることに。翌日にはその子は新しいおうちに旅立った後でした。じゃあ、薄紫の子にしようかな…、それでもまだ決断できずに迷っていると、目の前で新しい家族が決まってしまいました。そうして最後に残ったのが黄菜。…なのに私は、この子は平凡だから…という理由で、お店を後にしたのです。だけどどうしたことか、数日通っていたせいか、あの子にもちゃんと新しい家族が見つかったかな…と気になり、再びお店を覗いてみることに…。まだ残っていた黄菜に向かって、「お前は平凡だからね…、残っちゃったね…」そんな失礼なことを思ってたのでした。今思えば、本当に病んでたな~…と苦笑いでしかありません。平凡すぎる、何の取り柄もない自分に対する思いを黄菜に投影してしまっていたのでしょう。ところが、そんなある日、黄菜に異変が見られました。具合が悪そうにずっとうずくまっているのです。数日でも毎日見ているうちに、情が移ったのか、心配になってしまいました。しばらく様子を見ていると、痙攣したようにちょっと体を強張らせ、お店の人を呼ぼうか…と思ったその時、ポイっとうんちが飛び出たのです(笑)ちょっと便秘気味だったのかな?その後立ち上がって伸びをしたので安心したのでした。たったひとりになってしまって、寂しかったのかも... そう思いながら、いつの間にか黄菜を愛おしくさえ感じるようになっていた私は、ようやく決断できたのです。黄菜をお迎えしようと!本当にそれからは、平凡すぎるなんて思いは全く消え失せ、愛おしくて愛おしくてたまらない存在となるのですが、お迎え当初は、想像上ではない、現実的なペットにどう対応していいか戸惑いました。なんせ動くのです!!(当たり前ながら…)しかも飛ぶのです!!黄菜の場合、まだ飛ぶ前のヒナだったものの、飛ぶ準備を始めた段階でした。セキセイインコ=手乗りインコと思っていた私は、お迎えしたなら、手に乗せなきゃ…と恐る恐る手を差し出すと、私を見上げて考えるようにしばし時間をおいてから、ゆっくりと私の手に乗ってきたのです。黄菜はとても人懐こい子でした。しかしそれからが大変です。もう、黄菜の目は「飛ぶこと」しか目標にないようで、私の頭の上を目掛けて、首を上下に振りながら、飛ぼうとしているわけです。私はビビりまくり、すぐにケージに戻しながら、「やっていけるだろうか…」と、お迎えしてしまった「動く生き物」に対して不安と恐れを感じていたのです。その時になってようやく、私の中に命の重みがずっしりと圧し掛かってきたのでした。まぁ、人とは何度か繰り返せば慣れるもので、その恐怖と不安は時間とともに無事乗り越え、愛おしくてたまらない存在となっていったのですが、黄菜のことをふりかえっただけでも、人間はいかに自分の投影で世界を見ているのか、思わずにはいられません。間違いなく、私は平凡で何の取り柄もなく、地味で退屈な存在と思っていた自分を黄菜に投影して見ていたわけです。しかし、黄菜は小鳥という人間とは違う特殊能力を持った生き物であり、私の狭義な思考では想像さえできなかった世界を見せてくれ、広げてくれたのです。新しい世界に踏み出す時は好奇心と同時に、恐怖はつきものです。その恐れをどう乗り越えるか、慣れないうちは本当に恐ろしかった。飛ぼうと好奇心いっぱいの黄菜が怖くて仕方なかったし…、数日はお迎えしたことを後悔しました(笑)それでも、ずっしりとした命の重みが、どうにか前に進まねば…と私に訴えかけてきたのです。恐れを感じてしまうのは、私が無知だから。…と、少しでもセキセイインコのことを理解すべく、飼育書を読み漁りました。飼育書に「こうしてはいけない」とあれば、しっかりと守り、飼育書の期待に沿えるような優良な飼い主であろうとしました。それが、ずっと後々までこびりつくほど深い記憶になった、「可愛がりすぎて、わがままにしてはいけない」というものだったのです。わがままに育てると、我慢ができない子になり、ちょっとしたことでストレスになって、返って辛くさせてしまうからという理由でした。もちろん、今でもその通りだと思います。ただ、当時の私は、真面目にそれを捉えすぎて、放鳥時間(ケージから出て自由に飛び回れる自由時間)や触れあいの時間を「これ以上はだめ!」と自分に言い聞かせながらやっていたのです。双方のために…と思い込んで。本当にどこまでも固い人間だったな~と苦笑いするしかないのですが…。その気質は最近までずっと記憶としてこびりついていました。きっと虎も、私の中のその執着した思い込みの記憶に、苦しんだろうと思います。私の中に、常に「ここまで」という境界線を無意識ながら作っていたからです。その無意味さに、虎は気づかせてくれました。虎を見送ってから…でしたが。幸い「手放す」ことは、今の私には大したことではありません。執着に気付けたなら、手放すだけ‼…です。すでにスピリチュアルな世界、魂のままの、ありのままの自分を受け入れて生きていた私には、難しいことではありません。ただ、思い込みとはこんなにも根深いものなんだ…と、世の中の問題が全て思い込みから生じていることに深い悲しみを感じずにはいられません。私たち一人一人が、自分の中の深い記憶と向き合い、手放すことができなたら…と。まだまだ私の中に眠っている記憶と、これからも一つ一つ手放していけるように、日々内なる自分との対話を大事にしていこうと思います。今、私は「ここまで」という境界線で見ることはありません。ただ「在る」だけです。甘えてきたときに甘えさせてあげる余裕があるなら、満足するまで甘々させてあげるし、余裕がなければ「また後で…」と正直に伝えるだけ!こんな簡単なことが私にはできなかったのですから不思議です(苦笑)そして、私の内から溢れる愛を抑える必要なんてない!…と、もう自分を抑えることは止めて、堂々と愛いっぱいに生きてます!ハナも凛も甘々し放題です!(笑)まぁ、二人ともいいお年なので(もうすぐ10歳と7歳)、いまさら甘々し放題でも、離れてストレスになることはないようですし、ふたりとも猫らしい切り替えもちゃんとできるタイプなので、もう心配も手放しました!虎は、最初の子だったからか、気質のせいか、人間的な子で、本当に私のネガティブな質を全て感じてしまう、受け取ってしまう子だったので、たくさん苦しめてしまったと思います。だけど、その手放しのために、私に気付かせるために来てくれた天使だとも思うのです。そして、それを外の世界に一緒にもっていってくれたのです。虎の勇気ある行動は、私を目覚めさせる充分な動機になりました。そして、愛を抑えて抑えて抑えなければと思い込んできた気持ちも同時に吹っ切れたのです。今まで、愛を抑えないと自分が傷ついちゃうというよりも、人を傷つけてしまうという恐れが私の中にこびりついていたようです。だけど、たくさんの男性から好意を寄せられる中で、幸か不幸か、皆が皆、遊びのような軽い気持ちではないことが、彼らが皆同じ行動に移行していく姿を見ながら、余計私を悩ませてしまったわけでもあるのですが、(最初はアプローチが激しく、次第に嫉妬や恐れに変わって距離を置き、体調を崩す人までいたほど、制御不能に陥らせてしまうパターンばかり…)まぁ、これまた人は何度も繰り返すうちに慣れる(学ぶ)もので、一時は男性と距離を置こうか(自分を抑え偽って生きようか)と思い悩んだほどだったのに、自らがんじがらめに抑えてきた枠を取り壊した今では、自分を抑えて生きるなんてあほらしい!私に揺さぶられ、惹かれ、制御不能になるほど『愛』を経験したことがない男性がたくさんいるのなら、彼らは、やっと「人を愛する」ことを経験できた。ただそれだけ!だったら学べばいい。人は体験せずには学べない。痛みを通してしか学べないのだから、本当に大切な人、運命の人に出会う前に体験すればいい。そう思えるようになったのです。確かにたくさんの思いをぶつけられるのは正直きつい。だけども、私の中から愛が無限に溢れてくるのはごく自然なことで、生まれ持った資質なので、ある意味そういう役割を私は持っているのかもしれないと思うのです。愛を忘れてしまった人たちに思い出させる役割…みたいな。これまた本当に、私に揺さぶられる人たちは、今まで愛をバカにしてきたであろう完全思考型の人たちばかりなんですよ。だからこそ、そんな自分をどう扱っていいのかわからなくて、体が思うように動かない体験をして初めて気づくのでしょう。愛はハートから動くものですからね、思考で感情を押し殺してきた人たちにとっては、とてつもなく恐ろしいもののようです。もうそれは硬直ですよ。表情も体も…。まぁ、私の場合、心の奥底から愛に満ちてるわりに、恋愛のような愛よりも、もう無限に溢れる人類愛…いや、動物や植物、命がないように見える物であっても愛情あふれてくるので、とにかく無限なんです(笑)だからこそ、逆に自然を痛めつけるような人工的なもの(強力な薬品(薬、農薬、洗剤など)とか、プラスティック類とか)には愛が感じられないため、極力避けたいと、拒否感も強いのでしょう。私自身、たくさんの痛みを通して、学びを得てきたのですから、痛み=学びのチャンス。まぁ、いわゆるピンチはチャンス!!…です。なので、新たな痛みに出会っても、ただ嘆き悲しむ…なんて無意味なことは致しません。まだ、私の中に痛みを感じる記憶が眠っていたのね…。じゃぁ、手放そうね…と、前向きに手放すことしか考えてません。手放したつもりでも、一度や二度で手放せずにいて、また新たな機会を待っているものもたくさんあるかもしれません。だけども、一旦手放すこと、内なるクリーニングが習慣になってくると、これまた人は何度も繰り返すうちに慣れるもの‼…で、ネガティブな体験が起こっても、無駄に怯えたり、悲しんだりする必要がなくなってくるものです。やるべきことはただひとつ!内側に眠っていた(潜在意識の中の)ネガティブな記憶に反応する自分に気付き、手放すこと(クリーニングすること)。それだけなのです。そうして、内なる浄化が進めば進むほど、同じ場面に出くわしても無駄に反応しなくて済むようになるのです。今思えば、これだけ愛される人間だったってことに、何を怯える必要があったのでしょう?(笑)確かにあらゆる場面で女性からの嫉妬や妬みによる嫌がらせやいじめ的なものもありますが、正直そっちに関しては先に手放しができていたので、相手にしないということで問題なく対処できていたのです。ちゃんと浄化して反応しないで済むようになると、もうその子供じみた嫌がらせっぷりが、ドラマのように客観的に見えて、笑えちゃう余裕さえでてきます。それがかえって怒りを買っちゃったりもするようですが、ある程度までいくと、反応しない私に向こうも戦闘意欲を失うのか、離れていくか、逆に好奇心か寄ってくる人までいます。だから、反応さえしなくなれば、延々と続くことはないのです。問題は、相手ではなく、出来事でもなく、私がその感情の記憶、嫌悪感とか怒りとか、ネガティブな記憶を抱えていることを反応として教えてくれているに過ぎないということです。その記憶を手放すことができれば、反応はほとんどしなくなります。嫌悪感や怒りではなく、ただ観察することができるようになるのです。これは、感情を失うということでも、押し殺すということでもありません。本当に内側が軽くなっていく感覚でしょうか。それを実感できるようになると、他人が私に対して見せる反応さえも、例えば恋愛感情の押し付けや、嫉妬などのネガティブな反応も、彼らが学ぶべきして起こっているのだから放っておこうと、愛を持って見守ることができるようになるのです。だって、愛に満ちてる私だから、愛されても仕方ないか…って(笑)今では堂々と吹っ切ることができました!そもそも、私の無限の愛に揺さぶられる人が多いのは、それだけ、愛に飢えている人がたくさんいるってことでしょう。だけど、裏を返せば、飢えている=自分も愛を与えていないってことなんですよね。愛なんてない、愛なんてうそっぱち!愛なんてものに騙されない!…なんて、思考でしっかりと自分をがんじがらめに押し殺して生きてきたのでしょう。恋愛なんてものは、駆け引き!主導権は俺のもの!…とさえ思っていたのかもしれません。(笑)だけどね、純粋な愛は、思考では計り知れないものなのです。彼らには、私のハートから湧き出る(思考を通さない)愛、エゴのない愛、与える愛、無償の愛…、とにかく誰に差別するでもない純粋な愛を前に、私が何を考えているのかわからなくなるようです。(実際は何も考えてない(笑)私には愛に生きるのは自然なことなので…)だから、観察しまくり、何かを探ろうとしてるのでしょうけど、何も出てこないわけです(笑)そこまでくると、もう主導権は握れないと恐怖に陥るようです。まさに硬直…。そんなパターンの多さに、いい加減私も辟易しました!もう、勝手にしてくれ‼…と。そんなバカげたことのために、もう愛を抑えるなんてしない!私はいつだって愛いっぱいに生きる!そう決めたのです!やっと本当の自分が解放された気持ちです!あるスピリチュアルの本のあとがきに、こんなことが書かれてました。思考を手放すことを説いたその本に対して神を信仰する人が多いアメリカでは心のよりどころとして歓迎されたが、日本では「思考を手放して大いなる存在と繋がることによって、何故すべてが解決するのか理由がはっきりしていない」ことに対する不満を表す声が多かったとのことでした。思考を手放すなんて、「安易でいい加減な人間がとる行為」であり、「そのような人間が蔓延すると世の中がおかしくなってしまう」としか思えない日本人がたくさんいたと…。昔の狭義な思考でしか考えられなかった自分を思い出し、苦笑いしてしまいました。科学的根拠や数値を見て安心する人が多いのは、アメリカも同じだと思いますが、日本人は少々真面目過ぎる…という問題を感じます。私も真面目な日本人ですから気持ちはわからなくもないし、昔の私はまさしく真面目ちゃんそのものだったので、当時スピリチュアルや占いに興味がなかったのも、似たような理由だと思います。ただ、大きく違うのは、私は無意識ながら、スピリチュアルを感じて生きていた、選択してきたということです。だから、経験が積み重なったとき、見えない力に守られてきたことがはっきりとした確信へと繋がったのです。あぁ、もう委ねようと、心から執着を手放すことができたのです。思考で選んだのではありません。内なる声が委ねていいよ…力を抜いてごらん…と、意固地になっていた私に優しく促してくれたような感じです。だから、その手の本では大いなる存在という言葉が神様と混同しないためによく使われているので、私も使うけれど、言葉でなんて、本当は言い表せないようなものなのです。とにかく、それを科学的に証明しなければ信じないとか、そんなものではなく、とにかくただただ、ありがたい、見守ってくれてるから大丈夫、また頑張ろう!... 安心感を持って前を向いて歩いていける!そんなありがたい存在なのです。信じるから何かして‼…なんてものでもなく、いつでも見守ってくれる、より良い方向に導いてくれる、そんなありがたい存在です。だから、過去の全てに今では感謝しかないのです。どんなネガティブな体験も、それを学びに変え、光に変えてこれたのも、全ては無意識ながら、内なる声を信じ、委ねて選択してきたからだと思えます。私が努力して自分一人で成し遂げた成果ではなく、いつも見守ってもらったからこそここまでこれたのだと、感謝しか湧いてこないのです。ネガティブな体験あっての、また、それを乗り越える力を鍛えてきたからこその、今の私なのだと。だから、私は楽をしたいなんて思いが全くないのです。今持っているものを大事に使いたい、活かしたい。もちろん、根底には使わないものは退化する。その当たり前の自然の摂理、宇宙の摂理があるのですが、だからやらなければ…と未来に対して怯えているわけでもありません。使えるものがあるのだから、不便とも思ってない。ただそれだけなんだと思います。昔、リフレクソロジーの勉強をしているときも、本に書いてあったのを思い出します。西洋人が反射区をこのあたりと感覚で学ぶのに対して、日本人はここですか?ここからどこまでですか?…と、しっかりした基準がないと不安になるというか、納得しないようです。1mmでもずれたら、違うという強迫観念幼なものを感じてしまう人が多いのでしょう。はっきりいって、当時は私もその一人でした(笑)確固たる何かを私は探し続けていたのでしょう。だけど、今ならわかります。余りにも自分に過信する行為(そうありたいと執着する行為)は、与えられているものへの感謝のない行為でもあるのです。自分しか信じない、自分一人で生きている…なんて、あり得ないのです。だけど、残念ながら、思考でしか考えない人はそこに陥りやすいのです。一見他人に優しく見える人でも、思考型か、ハート型かを見破るのは簡単です。まぁ、私には目を見ただけでわかることがほとんどですが、とてもわかりやすいのは、その人が一人の時を見ることです。例えば、誰もいなくても変わらない人はハート型タイプの人だと思います。逆に、一人の時、誰も見られてないときに、無表情、眉間にしわが寄ったり、人がいたと気づくと態度が変わる人はめっちゃ思考型ですね(笑)ちなみに私の前では楽~と見栄を外して素になる人がよくいるのですが、正直私も気持ちのいいものではありません。私も見ているからです(笑)そして、そういう人は、「人を選んでいる」人だからです。自分も選ばれていることには気づけていないのでしょうか…。だから、特別何も言わないけれども、信頼できる人とは思われないでしょう。結局、思考型の人は、あまりにも狭い世界を生きているとしか思えないのです。思考を手放したから、無責任なわけではありません。逆に、無責任な人たちは、思考型だと思います(笑)無責任を思考で選んでいるわけですから。ハートで生きることは、思いやりに満ちた生き方です。自分の損得のために生きるのではなく、損得なんてものを超越した、愛に満ちた生き方なのです。最近不動産のことで新たな契約書を作成したのですが、契約者側の私には期限があるにも関わらず、オーナーさんは2か月たってもまだ印鑑を押して提出してないそうで、不動産に確認の電話をしたら、「ああ、忙しいみたいで…」と口を濁らせていました。規約はたくさん増えて、契約者側に強いるものはたくさんあるにもかかわらず、お金を受け取り、印鑑を受け取った後は、ずさんなものだな…と思わずにはいられません。結局、思考を手放すことが世の中を無責任におかしくしてしまうのではありません。世の中のほとんどの問題は、思考に囚われ、自己の損得に縛られ、自己を守ることに執着しすぎるゆえに起こっているのだと思います。銀行もそう、預ける時は笑顔でも、解約する時は渋る…し、たらい回し…。どこも、自分たちを守ることにしがみつきすぎ…。まぁ、この地球という世界では、仕方ないことだと受け入れてはいますが、もっと思考というちっちゃな世界を抜け出して、大いなる愛を感じてみることをお勧めします。ハッキリ言って、思考で考えているような損得勘定なんて、本当にちっちゃなもんです。そんなちっちゃなお得感にしがみつきながら、どれだけ大きな幸せを逃していることでしょう。大いなる存在が与えてくれる無限の愛を信じられないばっかりに…。今の自分があるのは自分一人の力じゃない。そう思えたなら、きっと感謝が沸き上がるはず!その誰とも特定できない感謝の相手こそが、大いなる存在なのです。お得なアプリとかクーポンとか、スマホしか眼中にないような人が町中には溢れてますけど、本当にもったいないことです。自分の大事な人生を、他人に委ねて流されるなんて…。いつも思います。ピラミッドの底辺にいる私たちのような庶民のエネルギーが愛に満ちたら、どれだけ素晴らしい変化が起こるだろうかと…。だから、ついつい「ああ、もったいない…」と思っちゃいます。思考を手放すことは、決して無責任になることではありません。無責任さは思考の産物ですから、安心して狭義な思考は手放していいのです!狭義な思考とは、ようは思い込みですね!もしも、世の中が、愛のない世界に見えるなら、それはあなたの思い込みに過ぎません。確かに、思考型の人たちが作る世の中は、お金にまみれて汚いものもたくさんありますが、ハートで見た世界には、まだまだ愛に満ちたものがたくさんあるのです。ほんの一部の狭義な世界に縛られるのはもったいないことです。ひとりひとりがそこに気付けたなら、大きな愛のエネルギーがもっともっと循環していくでしょう。未来に、子供たちに、愛に満ちた世界を繋げていけるよう、どうぞ、安心して狭義な思考を手放し、愛に委ねることを受け入れましょう。そのためには、脳の中に記憶してしまった古いネガティブな記憶の浄化は欠かせません。恨み、妬み、怒り、恐れ…あらゆるネガティブな感情と向き合うことは辛いものですが、絶対に手放せる時が来るのです。その時、初めて委ねることがどれだけ安心で、平和で、愛に満ちた世界かを知ることになるでしょう。本当の自分を取り戻す旅。それが生きるということ。思考に囚われて、便利で楽して、快楽をどこまでも追求した結果、そこには何もなかったと気づいた時には、与えられたものは失われ、その感謝に気付くこともできないまま、寝たきり介護の終末を終えるのか、今あるものに感謝して、大事に活かし、最後まで自力で挑戦し続けるのかを選ぶのは自分です。なかなか身近にそういう人はいない、自分でもそこまで徹底して実践できてはないけれど、つばたしゅういちさん、ひでこさん夫妻やターシャさんの生きざまは、ものすごく共感を覚えます。それと同時に、どんどん過剰にとびつく取材人や乗っかろうとする人たちにかき乱されていくご本人たちの暮らしを思うと、やはり、自分の人生は自分でしっかりと責任を持たねば…と引き締まる思いです。大いなる存在に見守られている安心感と同時に、自分の人生に責任を持つこと。ひでこさんも、ターシャさんも、同じことを語ってるのが興味深い。どちらも自給自足で、自分の愛する世界を生きてきた人だけど、どちらも、普通のことをしてきたとしか思ってないところ!80過ぎても畑仕事して、好きなことして、食べることとお茶する以外はほとんど動きっぱなしなんて、すごいお元気で、すごいことだけど、本来はそうあるのが自然なんですよね。だから、私も80過ぎても、そう思えるのかはまだ未知の世界だけど、そうありたいと思ってます。すごいことというよりは、ああ、私の思う生き方をした先輩たち…という感じ。いや、全然自給自足までは考えてないんですけどね、私はいろいろやってみてどうにも不器用だと悟ったので(苦笑)、私一人のためにするよりも、そうやって自然と共存していこうと尽力してくださってる方々に力を分けてもらいながら、少しでもお金を循環させていけるよう、安いものに飛びつくのではなく、しっかりと本質を見極める目を育てようと、自分の影響力を少しでも良い循環に巡らせていけるように、責任を持って自分の人生を育てていこうと思っています。もちろん、思考による損得勘定に流されず、ハートを持って、愛ある選択を育むこと。人生とは、愛を持って育むものかもしれませんね。ひでこさんやターシャさんが、前しか向いていない、自分の世界を輝かせて生きてきた姿は、本当に素晴らしい未来への希望と自信を与えてくれました。そして、未来への迷いもますます手放しが進んでいます。少しずつ少しずつ、育む心があれば、きっと大丈夫!焦らずにハートを輝かせて生きましょう!ちっぽけな思い込み(思考)なんて、手放さなきゃ損ですよ!愛を込めて…☆彡
2019.07.04

昨日は幸太郎の(仮)誕生日でした。ハナと凛はいつもより大きめの手羽元で誕生の祝福のご馳走をいただき、大喜び!そして今年も幸太郎ジャスミンの開花を待つばかり!つぼみが20個以上もついてます!幸太郎が亡くなる前に植えた時は一つもつぼみをつけなかったジャスミンが、幸太郎の遺骨を埋葬後の翌年から花を咲かせてくれるようになったのは、決して偶然ではないと思うのです。幸太郎がこうして毎年、その美しい姿を見せてくれるのは、魂は決して死ぬことはない。変容しながら生き続けているのだと、そしていつも一緒にいるのだと、幸太郎の輝く生命の輝きを幸太郎らしく表現し、私たち家族が分かりやすい形で見せてくれているのでしょう。幸太郎の命日であり、誕生日である6月がジャスミンの季節というのも、幸太郎らしいわかりやすい表現だなぁ~と、シンプル好きな私にはありがたいことです。最近は虎の姿を見ないのだけど、きっと幸太郎が見守ってくれてるから大丈夫!私の心はますます前に向かって『今』の一瞬一瞬をじっくり紡ぎながら進んでます。過去の私が想像もし得なかった今の私がいる。だから、未来のことも考えても仕方ない。ただまっすぐに『今』を味わい、素晴らしい未来に繋がってることを信頼し、委ね、あるがままに生きていくこと。ありのまま…とは、決して何もしなくていいってことじゃない。自分の中に神の存在を感じ、自分の中に小宇宙の無限の輝きを見出し、自分の価値に気付いたからこそ、『責任』という重みも伴う。ただ、自分をがんじがらめにするようなものでは決してなく、自分という存在の影響力を実感しているからこそ、もっと成長して自分を磨きたい。そして魂を磨くこと、学ぶ姿勢の大切さ、成長する喜びをもっともっとたくさんの人に気付いてほしいし、その喜びを分かち合いたい。そんな喜びに満ちた責任…というか、使命というか…。宇宙の愛とか神とか、言葉ではうまく伝えられないんだけど(宗教的なものと勘違いされやすいから)、そういう見えない力のような存在って、ハッキリ言うと、信じてないのは幸せに抵抗している人たちだけなんだと思うのね。幸せになる価値を自分の中に磨いてきた人たち(努力してきた人たち)ってのは、あるとこまでいくと、躓いたり、挫折したり、やり尽くした感に打ちのめされたり、人生において究極の選択を迫られる場面に陥ってしまう。その時こそが、最大のチャンスというか、『あぁ、もうなるようになれ!』…と自分の過信していた力の手放しができて、『委ねるしかない!』みたいな覚悟ができるんだと思う。ようは、そこに委ねきれない、信じられない人たちってのは、まだまだやり切れてないし、努力の方向性が間違ってるのかも…。それに、全然原石を自ら磨く努力をせずにスピリチュアルを信じたところで、必ず現実面に目を向けるための問題というのが起こるのだと思うし、結局どんな道を選んでも、最終的には『愛』を学び、全ての選択が第一に『愛』によって行われるようになるまで、試練というか、宇宙の愛は揺さぶりを与え続けるのだろうと思う。だから、可哀想な人とか、私が何かしてあげなくちゃって同情する必要もなく、自分が自分の学びに集中していること、成長し続けることのほうが大切で、自分が常にありのままの自分を磨いていれば、必ず周囲にも光を放ち、自ら立ち上がる勇気を与えられるのだと私は実感している。大事なことは、何かをしてあげるのではなく、自らの光を自分で輝かせたい!…という勇気を引き出してあげること。それは、言葉で説得するよりも、自分を輝かせる意志と、自らの影響力に対する責任のほうが格段に大きいと感じている。何かをしてあげる限り、依存しか生まない。それは、彼らの学びを邪魔している行為でもある。時には突き放すことも愛なのだ。子どもたちも、障害物をどけてあげるのではなく、自ら失敗や挫折から立ち上がる経験をさせること。そして挫けそうなときは励まし、出来たことをたくさん褒めてあげること、成長することは楽しいって体験させてあげること。私たちは知識や情報だけでは成長できない。痛みを伴ったとしても、自ら体験することによってのみ、魂は磨かれ、成長する喜びを掴めるのだから。そして、何度も失敗や挫折を味わうたびに、経験として身に付き、失敗に対する不安や心配、恐怖は減っていく。逆に成長に対する喜びのほうが勝り、リスクを恐れなくなる。恐れ、心配、怒り、妬みのようなネガティブな感情は減っていき、喜び、ときめき、楽しいポジティブな感情は増えていく。だからますます成長欲求は無限に未来に拡大してくのだ!成長する喜びに満ちている限り、老化なんて不安に心を占領されることもない。それは、老化しないということではなく、ありのままの自然な老化は受け入れ、抵抗はしないけども、成長を諦める必要はないということ。かえって限られた時間だからこそ、大事に生きられるというものだ。無駄に情報や流行に惑わされることもないし、無駄に愚痴に付き合うこともない。人間関係がつまらないもの、ネガティブなものではなく、ただただ喜びを分かち合い、より良くするために協力しあえる関係でしかない。だから、必要以上にべったりでもなく、避けるものでもない。成長するとは変化を受け入れるということ。時として、ありのままでいい=そのままでいい、何もしなくていいというイメージで捉えられやすいけど、私はそうは思わない。ありのままとは、エゴに占領されたままの自分ではなく、原石を磨き続ける意志が大前提なんだと感じているから。『足るを知る』においても、もう何も欲しません!…ではなく、外側ばかりに求めることは意味がないけれども、自分の才能を知り、内側を磨く努力を怠ってはいけない。ようは、いつまでも成長したい、より良くなりたい、自分を磨くことが周りにも光を与えられることなんだという気持ちは大事だし、それが人生を黄金色に変える錬金術なんだろうと思ってる。私は金とか宝石とか、あるいは化粧とか、見た目のキラキラ感を作ることには疎いから、錬金術って言葉も知らなかったんだけど、スピリチュアルの本に何度も出てくるから、私なりに解釈したのは、人生を黄金色に変える術なのかなってこと。そのために世界中を飛び回り、何か新しいものを探し回って、たくさんのお金が必要な人もいれば、私のように身の回りにあるもので幸せになれちゃう、もしくは幸せを創造できちゃうお得なタイプもいるわけで、何を望むかは人それぞれだけど、大事なことは心から満たされているかってこと!足るを知らなきゃ…って我慢することでもなく、私には縁がないなんて諦めることでもなく、自分の人生を愛せるよう、やり尽くすまでやり切ること!その先にこそ、宝物が待ってるのだから!全ては生まれる前に自分で書いたシナリオを通して、宝物を見つけるための努力をし続けること。自分への挑戦こそがカギなのだ!変化を恐れるなんてもったいない!変化しない道は、退化でしかない。使わない機能は衰えていくのは自然の摂理。年齢とともに、体が衰え、心が弱り、現実逃避していく人生を自ら選ぶのか、死ぬまで自分の人生に挑戦し続けるのか…。全ては自らの選択でしかないのだから!今の自分の姿、環境を作り出しているのは自分です。そして、全ての人が同じものを見ながら、全然違う世界を生きているのです。愛と喜びに満ちた世界は自分で育むもの。誰かに与えてもらうのを待つのではなく、まずは自分から望むものを与えるのです。してほしいことをしてあげる。もちろん、望むものは人それぞれ違うので、ありがた迷惑も起こりますが、そういう人は離れていきます。寄ってくるのは同じような波動の相手。そして、与えれば与えるほど、与えてくれるのです。なぜなら、それこそがあなたというアイデンティティを表現しているから。相手も私がどんな時に喜んでくれるのか、わかりやすいのです(笑)それがエゴではなく、愛から発するものならば、きっと良い循環が生まれるでしょう。あなたが、エゴを持って発したものは、相手もエゴを持って返してくるだけですから、何ともシンプルですね!どうぞ安心して、愛という循環を巡らしていきましょう!そして、愛を持って行動しているならば、何も恐れる必要はありません。全ては学び。それが例え痛みを伴うものであっても、全て必要あっての学びなのです。ありのままを受け入れ、素直に自分と向き合ってみましょう。そして、成長という変化を受け入れ、ますます輝く自分を許可してあげてください!私たちの使命は、自らの魂の輝きを思い出すこと。それを共鳴させ、循環させること。そのためには、ネガティブな記憶を手放す勇気を持つことです。さぁ、本当の自分を思い出す旅を楽しみましょう!あなたの輝きを待っている仲間がたくさんいますよ!
2019.06.23
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