Wyhappyの部屋

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荻生徂徠訓



-----略歴------
儒学者。江戸出身。綱吉に仕える医師方庵の二男として江戸二番町に生まれる。名は双松、字は茂卿のち茂卿、通称は惣右衛門。はじめ朱子学を学ぶ。
1696年(元禄9)以来柳沢吉保に仕え、政治顧問的役割を果たす。 五代将軍綱吉の学問相手を勤めた。赤穂浪士の乱では、『擬自律書』により切腹を上申。徳川吉宗の内命によって『太平策』『政談』を著し、時弊救済策を述べた。柳沢失脚後、職を辞し学問に専念。徂徠の登場は、日本儒学の独自性確立と学問と政治の分離を促す一大転換点となった。門人に経済理論の太宰春台、詩文の服部南郭らを輩出し、またその文献学的方法態度は、国学に影響を与えた。


一つ、 人の長所を、初めより知らんと求むべからず
人を用いて 初めて、長所の現れるものなり
二つ、 人は その長所のみを取らば、すなわち可なり
短所を知るは要せず
三つ、 おのれ が 好みに合う者のみを用うるなかれ
四つ、 小過を、とがむるなかれ
ただ事を 大切に なさばすなり
五つ、 用うる上は 信頼し、十分にゆだねるべし
六つ、 上にある者、下にある者と才知を争う事なかれ
七つ、 人我は必ず 一癖あるものと知るべし
但し、その癖は器材なるが、ゆえに 癖を捨てるべからず
八つ、 かくして、上手に人を用うれば、事に適し
時に応ずる人物、必ずこれにあり

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