なでしこの部屋

なでしこの部屋

流産

1996年に結婚をしました。

結婚をするきっかけとなったのが、妊娠が発覚したからです。

いわゆる「できちゃった婚」ですね。


現ダンナと付き合って3年経った頃、妊娠が発覚しました。
私は、ダンナとは結婚したいと強く思ってはいましたが、今すぐというよりはもう少ししてから。。。と思ってました。
OLになってまだ2年目だったし、年齢も20代前半で結婚はまだ先・・・という感が強かったのです。

私の生理の周期は28日でほとんど狂ったことはありません。
それが、生理予定日の1週間が過ぎても生理が来なかったのです。
直感的に妊娠したかも・・・と思いました。

ダンナにもそのことを告げ、その日の夜に遭って薬局で妊娠検査薬を購入しました。
私たちは当時お互い実家だった為、公園の公衆トイレで調べました。

あっという間に陽性の結果が出ました。

その時、私の出た言葉は「まいったなぁ~」です。
当時、私は子供はあまり好きではなかったし、何と言っても父親の落胆する顔が想像出来たからです。

私の父親はかなり古風な考えの持ち主で、「結婚してから妊娠」が当然の人でした。

親不孝・・・・・そんな言葉が脳裏を巡っていました。

反面、ダンナの方はなんの迷いもなかったようでした。

親に何て言おう・・・・・そのことばかりを考えていました。

結局、両家の親に伝え結婚することになりました。
妊娠を告げたときは、父親はちょっと戸惑っていましたが、新しい生命を宿したことをとても祝福してくれました。

「大切にしなさいよ」と言う父親の言葉に思わず泣きそうになりました。

結婚が決まり、お腹が大きくなる前に・・・という事で、その年の12月(発覚したのが10月半ば)に式となりました。

その間も、私は普通に仕事をしていました。私は大学に入ってから自分の身長にコンプレックスを持ち、ヒールの高い靴しか履かなかったので、妊娠が分かってからもハイヒールを履き続けてました。
会社にはもう少し時期をみてから伝えようと思っていたので、誰も知らなかったので会社に届く重い荷物も移動したりしてました。
走ったりも当然していました。

・・・本音を言えば、その時はまだ迷っていました。妊娠してることに喜べていない自分がいたのです・・・・

発覚してからすぐの日曜日、ダンナと一緒のとき軽く出血しました。知り合いに助産婦さんがいたので、その人に電話して聞いてみると、「何かあったら大変だから、病院へ行った方が良いよ」と言われました。

日曜日もやっている比較的小さめな総合病院へ行き、診察をしてもらいました。
結果は、「特に問題はありません。ちょっと小さめな感じですけど・・・」と言われました。

普段通院している病院でも「ちょっと小さめ・・・」は言われていたので、特に気にはしていませんでした。
とりあえず、問題はないとのことで、その日は早めに帰宅してゆっくりすることにしたのです。

早めに就寝したのですが、夜中に強烈な痛みで起こされました。
お腹の中が、何かでえぐられるような痛み。。。隣の両親の部屋へ助けを求めることすら出来ない位の強烈な痛みでした。

はっきりとは覚えてないけれど、夜中の3時頃だったと思います。
そこからは寝ることも体を起こすことも出来ない本当につらい時間でした。

朝の6時ころ、母親が起床して私の部屋の前を通ったので声を振り絞って「お母さん!!」と言いました。
母親が部屋ドアを開けて、私の様子を見て尋常じゃないと
気づいてくれました。
その後、父親の車で、昨日行った病院ではない大き目の総合病院へ連れて行ってもらいました。

車を降りるときに父親が「頑張れよ!!」と言った言葉が
とても残りました。

すでに大量の出血をしていました。

その病院で、受付を済まし、婦人科へ行きました。大きい病院なので予約をしていないとかなり待たされます。
婦人科の受付の看護士さんに、状況を話すと「かなりつらそうですね・・・」と、すぐに診察に通していただきました。

診察台に乗り、診察を始めたとたん、先生が「ありゃー、相当な出血だねぇ。。かなり痛かったでしょう?
全部出ちゃってますよ。完全流産だね」

ショックでした。ばちが当たったんだと思いました。
そこからは、感情の線がおかしくなったかのようでした。
何が起こってるのかイマイチ状況がつかめない。。。。

そんな私に先生は、「はい、これ赤ちゃんね」と、それは人間の形に程遠い赤黒い血の塊のようなものを見せました。ピンセットでつまんで。
その直後、銀色の塵箱にポィっとしたのです。

ショックが二重にも三重にも・・それの数分の出来事は本当にショックでした。

その先生はかなり年配で診察が始まってすぐに、こういうのは通院している病院に行ってもらわないと~~。とブツブツ言ってました。

先生が居なくなって、涙が溢れでました。久々に大声を上げてしゃくりあげるような泣き方をしました。

待合室には、お腹の大きい人がたくさんいました。
看護婦さんが別の部屋に連れて行ってくれて、そこでしばらく泣き続けました。

少し落ち着いてから、タクシーで帰宅しダンナに連絡するとすぐに来てくれました。

ダンナの顔を見たら、また涙が溢れて止まりませんでした。

「ゴメンね・・・」そう言うのが精一杯でした。

ダンナと一緒にしばらく泣きました。

その子は、たった5週間しか生きられませんでした。性別も分かりません。
でも、もし産まれてきても長く生きられない、何かしら病気を持って産まれてくる。。。。と知り合いの助産婦さんに励まされました。

立ち直るまで、かなりの時間を要しました。
私が、望んでないことが伝わったせいだ・・・と自分を責めて責めて責めてました。
妊娠するのがとても恐くなりました。
ゴメンね、って何度も謝りました。

もう二度と、あんな思いはしたくありません。





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