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先日、ダディーが突然姿を消した。マムが血相変えてうちに飛んできてダディーを知らないかときいたけれど私は全然しらないと言ったのであわててダディーを探しに車を出した。ダディーは杖も持たず、家のすぐ近くを散歩していた。徘徊といえるのかどうかはわからない。多分、ダディーは帰ってくる道はわかっているはずだから。でも、杖も持たずに一人ででかけることがものすごく危険だということを理解できなくなっている。転んで怪我などしなかったことはほんとにラッキーだった。マムはダディーを車に乗せて帰ってきた。マムは怒りながら、泣いていた。どうしてそんなことばかりするのかとダディーに怒っていたけれど、ダディーはわかっていないようだった。対策をたてなければならない。一人で徘徊する老人への対策。玄関とか、門とか、外に出るルートにアラームをつけて通れば音が鳴るようにする。もうすでに、家の外のドライブウェイには2つほどアラームがついている。車のドアをロックしなくても安全だったので実際、夜でもロックしたことはなかった。そして、車両荒らしにあったのでもうここらへんも安全ではなくなったなぁ。と夫がアラームを設置した。ケンジでも郵便やでも庭師でも人が通るたびにアラームが鳴るからうっとおしいことはうっとおしい。昼間、庭師が仕事しているときは、私はうざいので切ってしまう。だからアラームよりも他の方法がいいと考えてみた。GPS。位置探知機。160ドルでオンラインでみつけた。子供用だけれど、キーチェーンみたいなのを子供が持つ。探知機で子供がどこにいるのか一目瞭然。みたいなやつ。200メートルまで探知してくれるから、家の敷地内ならば余裕。しかもこの探知機、キーチェーンみたいなロケーターが4つもついてくる。子供4人までいけるという優れもの。これからは、このキーチェーンをダディーに持たせてマムが探知機を持っているようにする。わすれっぽくなったマムが毎日ダディーにキーチェーンをもたせるようにしないといけない。これが結構なチャレンジになるような気がする。
2009年08月12日
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6月から、毎月マムに支払うお金が「家賃」ではなく全額「支払い」として計算されることになった。そして、ダディーへの介護・手伝いなども賃金計算して、今後の支払いとして足されることになった。私ができることは、ババがいないときのジジのシッターとジジババへの夕食。毎月介護として換金する額が決められているのでやらないわけにはいかないから、夕食つくりは義務となった。ジジのシッターはしばらくしていない。ババがフランスに行っていたときにきてくれていた介護士オマーが週3回、一日4時間きてくれるので、ババは自分の時間がもてるようになった。週4・5回はジジババの夕食をつくっているのだけれどこれが意外としんどい。二人分作るのと、四人分作るのでははっきりいって全然違う。しかも、ナナミが離乳食を食べ始めたので毎日午後4時ごろからナナミと大人たちの夕食の準備にとりかかる。5時過ぎにナナミに食べさせて、そのあとジジババに用意して届けてそれから夫と私の夕食を食べて、片付けて、ナナミを風呂に入れて。。。それこそ寝る時間までゆっくりする暇もなく走り回っているような状況。まぁ、仕事だから仕方が無い。私たち夫婦は義兄弟たちにできないサービスを提供することでこの家の相続が実現する。フリーライドはない。日記も手付かずのまま、ねたはいろいろあるけれど、アップできずにいた。7月12日は私の誕生日で、夫にジョギング用のストローラーを買ってもらった。その日から、ジョギングを始めた。ジョギングと言っても、足腰のショックがあまりよくないと聞くのでパワーウォーキングのちょっと早いぐらいのペースで歩き走りしている。昨日、ババがケンジを病院に連れて行きたいと言った。ケンジがベッドに飛び乗るのを躊躇したという理由だった。どこか調子が悪いかもしれないから。とババ。痛がるところもなにもないし、食事も便通も問題ない。体重が増えて太ったことだけは私は思い当たったので体が重くなって、もしかしたらそれが原因で腰とか痛いところがあるのかもしれないねととりあえず連れて行った。15パウンドがベスト体重のケンジが17パウンドになっていた。妊娠中、ケンジをつれてビーチを走ったりできなくなり出産後もいそがしくて、ケンジの運動がおろそかになりその上、私とベイビーを避けるように昼間はババのところに入り浸りこちらで2回の食事をちゃんと取った上に、ババたちからおこぼれをいただいていたようでドクターは私の予測と同じようなことを言った。ケンジの2パウンドはだいたい私たちの10キロぐらいに値する。そりゃあ重かろう。妊娠8ヶ月ぐらいのときの感じだな。きっついはそれは。。。というわけで、昨日からケンジのダイエットがはじまった。プラス、14ヶ月前にケンジは事故にあったのでその事故の傷もあるから体重には気をつけてあげなければならない。ドクターから、関節を強くするサプリメントを処方してもらった。そして、昨日と今日はがんばってケンジを二回、ビーチに連れて行って歩いた。朝か夜にプールに行って500mを12分で泳ぐエクササイズを週3回ぐらいやっていたのだけれどケンジの運動が要るから、しばらくはケンジとナナミをつれて午前と午後に1時間~1時間半、パワーウォーキングに時間を費やすのが目標。ジョギング用のストローラーも買ってもらったから、フルに使える。夕方日がゆるくなってから歩くので、5時半ごろに家を出て7時前に帰ってくる。今日は昼のうちに夕食の準備をしておいたけれどそれでもバッタバタだった。まぁ要領つかんだら、なれるだろうとは思うけど。基本はシンプル・ライフ。これで乗り切るしかないな。
2009年07月17日
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ババがフランスから無事帰国。普段の生活にもどった。ババがフランスで、真っ白なドレスを親戚からもらってきた。七海にいただいたおみやげ。バプタイズするときにきせればいいかしら。とか言った。バプタイズは、クリスチャンになるために受ける洗礼みたいな儀式で、夫も赤ちゃんのときにやった。でも、現在の夫は神様を信じてないし、私もほぼ無宗教でどちらかといえば仏教?みたいなかんじ。七海をバプタイズするとか言ったけれど私はそれについてはノーコメントにした。今日、そのドレスをもってきて私に見せた。そして、またバプタイズと言ったけれど、ノーコメントにした。着せる前に、洗濯しようかといったらババはバプタイズ用にとっておくとか言って持っていこうとしたのでこの年齢の洋服は、とっておいたらあっという間に大きくなって一度も袖を通さないまま終わるよ。着れるときに着せないと。とババから奪い取って洗濯籠に入れた。だから、この服は多分、来週ぐらいに着せる。ババがやりたいのならやってもらってもかまわないけれど多分、招待状からドレスとかゴッドマザー・ゴッドファーザーそのあとのお礼とかも多分しないといけないだろうしとにかく結構うざいし、面倒くさいイベントになるだろうと思う。私は一切、計画・段取り、支払い、何もしなくてもいいのなら勝手にやってもらってもいい。ババがしつこく、バプタイズ・バプタイズと言ってもそうやって言うだけならノーコメントを続ける。じゃぁしましょか?なんて言った日には最初から最後まで、私一人でやらなきゃならないのは目に見えているからな。この家族のことだから。ほんとうにやりたければ自分たちで日程を決めて段取りも全部、ババが決めてやればいい。本当に、七海のためにベストなんだと私が心から信じるのならそれならばやってもかまわないと思うけれど所詮、ババをハッピーにさせるためのバプタイズは私はしない。
2009年07月05日
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マムがフランスに出発して一日目。昨夜はオマーは二時間おきにダディーをチェックしてくれました。ダディーも何事もなくマムなしで一夜をすごせたようです。オマーはダディーをつれてスイミングエクササイズに行きました。今日もダディーをアクティブに動かして、疲れさせてよるぐっすり眠れるようにしてあげてとお願いしておきました。ナナミが午前のナップをとっているうちに晩御飯のイエローカレーを作りました。あとはバスマテライスを炊いて、サラダをつくるだけ。このイエローカレーは明日のランチにもなります。11時からナナミをチャイルドケアーにあずけて15分泳ぎます。今日はオマーは12時15分に次の家に行かなければならないのでそのあと3時過ぎまでジジのシッターをします。明日は9時過ぎから6時まで、Mちゃんのベイビーを預かります。明日は多分、一日中なんにもできないだろうから今日のうちにその仕事もしておかないといけません。そろそろプールの準備をして、いってきます。
2009年06月24日
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マムが本日、出発しました。介護士オマーが今日からダディーの面倒をみてくれます。マムを空港まで送り、郵便局にいきマムのたのまれ物を発送。12時過ぎに帰宅してあわててランチを食べました。オマーは1時から3時の2時間は別の仕事があるので12時半にはこの家を出なければなりません。そして、3時過ぎまでいないのでその間は私がダディーのシッターをすることになります。オマーが1時からの仕事にいくときにダディーをこっちの家に連れてきてもらいました。ナナミにランチを食べさせて、家の掃除をちょっとして洗濯をして。。。その間ダディーはソファーに座ってテレビを見ていました。2時から、パーキンソン病のミーティングがあったのでその場所までダディーを連れて行き、帰りに銀行とマーケットに行きかえって来ました。ミーティングは3時に終わるので、オマーがダディーをつれて帰ってきました。七海はいつものごとく、聞き分けのよいすばらしい赤子でした。私が何かしなければならないとき、偶然なのでしょうけれど七海はすべてを把握しているかのようにおとなしくなります。過去2回の山火事のときもそうでした。避難するために荷物をまとめているとき夫が屋根にスプリンクラーをとりつけるのに私が手伝わなければならなかったとき大量のサーフボードブランクの木材を避難させるために何度も何度も、ガレージからトラックに木材を運び入れ猫の手も借りたいぐらい大変だったのであまり役に立たない私も借り出されて運んだり。そういうときにナナミはぐっすり眠っていました。2週間前にマムが病気になり、朝のダディーのシャワーから着替え歯磨きから朝食までやらなければならなかったときも寝ていました。その日の夜も、ダディーの寝る準備、オムツとカテーテルの準備歯磨きとか、夜のお薬とかしなきゃならない時間いつもならキャーキャーと笑ったり遊んだりしている時間なのになぜかこてんと寝付いてくれてダディーのことが全部終わった後に、やーやーと起きたのでした。「あんたは娘が生まれたら、そのこはあんたの利き腕となる。」22歳ぐらいのときに行った、占い師のおばさんのことばをいつもいつも思い出します。マムとダディーの送迎と、そのついでにした用事や買い物で今日は一日つぶれてしまいましたが、なかなか充実の一日でした。合間に洗濯もできたし。七海と遊んでいたら、じーっとハイチェアーを見つめるので座らせて、背もたれを倒したら、あっという間にねてしまいました。この子はほんとに、なんてやりやすいんだろうか。。。いつまでもこんなやりやすい子でいて欲しいなぁ。というわけで、私も七海といっしょにちょっと昼寝しましょう。
2009年06月24日
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明日から10日間、マムがフランスに行くことになりました。マムの遠い親戚がフランスにいるそうです。家系図のリサーチが趣味なマムは自分とダディーの祖先がどこの誰かをここ数年、趣味でリサーチしているのです。フランスにいるのは、マムの父方の祖先らしくその人たちとの交流が始まったのは去年ぐらいです。メールで写真を送りあったり、電話で話したりとうとう今年、あちらさんがこっちに遊びにきたいといわれました。夏にこられるらしいですが、その前にマムがあちらに行くことになりました。当然ながら、ダディーは行けないし10日も私たち夫婦はダディーの世話ができない。それさえ解決すれば、マムはフランスでもどこでも行けます。そしてとうとう、プライベートの介護士、オマーを雇いました。10日間、ほぼ24時間ダディーの世話をしてくれます。昼1時から3時は、別のお仕事があるのでいません。その間は私がシッターをします。マムはこれまで、人を雇うことを渋ってきました。フランスの話がでてから、私たち夫婦は「大丈夫!マム、私たち任せていっておいでよ!」などとはとてもじゃないけれど言える状況ではないので夜間と朝だけでも、誰か雇ってくれれば昼間は私がなんとかするとマムに言いました。義弟嫁は、フランスに行くべきとマムを後押ししていました。長男ジェームス(17歳)次女メラ(14歳)その従姉(19歳)を10日間、ダディーのヘルパーとして送るからとそんなことも言っていたらしくマムはほんとに、孫のヘルプと私たち夫婦のヘルプでフランスに行こうと思い始めていました。そうなったら多分、一番動かなければならなくなるのは私だろうな。。。とその話が出てからも、夜間と朝のヘルパーは絶対いるとマムに言い続けました。孫たちが、ダディーの下の世話ができるか?ナナミがもう少し大きければなんとか大丈夫だけれど今の状態では孫3人では役不足。ダディーのお風呂、着替え、夜のオムツ孫たちでできるのか?私は毎日はできない。と。そして、マムはオマーを雇いました。オマーは1時間18ドルから20ドルかかります。夜間はオマーにも寝てもらわなければならないので時間給はちょっとさげてもらったとしても10日で4000ドルは下りません。ダディーの介護にこれだけのお金がかかるということを皆が理解したことはよかったと思います。おかげで、私たち夫婦が提供する介護に値段をつけることがもっとスムーズで自然な流れになったのでした。今月から、私は彼らの夕食の世話とジジのシッターを週4時間ほど夫は朝のダディーのフルーツとコーヒーの用意服を着せたりするのを手伝う仕事をオマーと同じレートで賃金計算しその仕事は家の支払いとして加算されることになりました。マムは明日出発です。空港まで送ってきます。なんとかなると思います。マムはとにかく、整理整頓が出来ない人なので出発前日になって、パニクッています。
2009年06月22日
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私たち夫婦がこの家を相続することになる前夫が義弟に話をした。今のジジババの経済状況今後予測その他もろもろジジババが現在必要なものジジの介護と現金。そして、この家のメインテナンス。現在、この家の価格が2億4千万であっても家の一部を切り取って、現金に換えて食べていくことはできない。現金がいるのならすべてを売り払って換金しなければならない。だから、私たちが現金を支払いできる限りのジジのケアーをする。そうすることで、ジジババがこの家にすむことができる。私たち夫婦もこの家にすむことができる。義兄弟たちも、サンタバーバラに来たときには滞在する場所がある。将来、ジジババが死んだとき私たちがすべてもらえるわけじゃない。義兄弟に相当する相続を現金で支払わなければならない。2億4千万の3分の2を私たち夫婦が支払うことは考えただけでかなりのプレッシャーになっていた。だから夫は、以前、義弟に話をした。義兄に関しては、ババは相続の権利からはずしその権利は義兄の子供たちにいくように話をすすめている。義兄に権利がいったら、義兄に何かあった場合に子供に遺産が行かないことをジジババが懸念してのことらしい。夫が義弟に話した内容はジジババになにかあったとき、この家を二人で相続して義兄には2億4千万の3分の1を夫と義弟の二人で払う。というものだった。今、ジジババに経済的サポートをしなければ誰にも何も残らないと夫は説明した。相続の権利はタダではついてこない。と。義兄はジジババに支払うなんて、そんな考えはまったくないだろうから義弟と夫でジジババに義兄相続分の3分の1を支払いそれをジジババが生きているうちに使ってしまえば義兄には何も残らないけれど、残ればそれが義兄のもの。義弟は嫁と話をするといって電話をきった。数日後の義弟の返事。義弟の嫁はババの近くに住みたくないのでその問題がどうなるのか気がかりだといっていた。夫は、ババは100まで生きるかもしれない。と義弟に言っていた。私もババは長生きするだろうと思う。下手したら、夫の方が先に他界しかねない。そうこうしているうちに、義弟嫁からババ宛によく電話がかかってくるようになった。7番目の息子に、発達障害が明らかになった。特別な学校に入れるから、学費が年間600万円かかるかもしれない。でも、250万円で入れるところがあって、そこの面接をしたから受かるように祈っててほしいとか子供のために、家にプールを建築することにした。1000万円ぐらいかかる。とかとにかく、これから彼らがどれだけ出費していくのかのお知らせの電話が頻繁にかかってくるようになった。義弟が相続の条件を聞いて権利を放棄したんだと、夫も私も理解した。ババもそう思ったようなので、今の話に至る。私としては、義弟と夫で相続してくれても全然問題なかった。ほんとはそのほうがいいと思っていた。義弟夫婦が老後、ここに一緒に住んで一緒に老後を送って子供たちみんながいつも集まって七海もいとこたちに囲まれて、いい感じなるんじゃないかとそんな夢みたいなことを考えていたけれど実際はそんなに甘くはなかった。そして、義弟嫁は、ジジの介護を換金して家の支払いとすることを夫が言ったとき私たちにはタダのチャイルドケアーがあると言った。ババと一緒に住めもしないくせに、よくいうわ。悔しかったらこっちにきて、一緒に住めばよかったやん?昨日、弁護士とのミーティングの後、皆で食事をしながら話をした。今後の介護を家の支払いとして換金することになった。そして、義弟の嫁から、私たちがタダで七海を見てもらっていると電話で言われたから、それも換金して考慮に入れると私と夫が言ったらババは怪訝な顔で言った。「七海は私の孫なのに、なんでお金をもらわなきゃならないの?そんなこと、いやだわ。冗談じゃないわよ。こんなかわいい孫を見るのに、お金になんてかえられないわよ。」ババはこういうだろうと私は思っていた。ババはやっぱり、私が思っていたババだった。うれしかった。
2009年06月12日
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同居をはじめて早4年半。私ら夫婦が最終的にはこのジジババの家を相続することになるように正式にジジババの遺言状の書き換えをはじめた。先月に会った弁護士は、なんだかやたらと難しい言葉とか専門用語ばっかり並べ立てて司法試験を受かった夫でさえ、何言ってるのかわからなくてそのくせ一時間450ドル、アシスタントみたいな女性に250ドルすべての書類作成・遺言書き換えに全部で10000ドル(100万円)ぐらいかかるみたいなことをいわれたので断った。今日、違う弁護士に会ったけれど、すごい分かりやすくて話もスムーズで、しかも安い!最初の弁護士の3分の1ぐらいの値段でやってくれるといっていた。夫は先月の弁護士は、一体何がしたいのかもしかしたら、年とってちょっと回らなくなってきてるのか?と、そんなことも言っていたけれどとにかく、いい弁護士にめぐり合ってこの家を相続する手続きが始まった。まずは、夫の兄であるクリスが横から理不尽な茶々を入れないよう書類と遺言にはっきりそれを明記すること。これから私ら夫婦が提供する介護を支払いとして換金すること。ジジババもこの家に生涯住むので、私らが購入する金額からジジババが生涯住んだ家賃を差し引いて計算されること。そのほか、後々兄弟同士で争わないように可能な限りこの書類にインプットする。そして、二人の兄弟にその書類を送る。先日、夫がシャーロット(義弟の嫁)に「親父の介護は今後の家の支払いとして換金する」と電話で話した。すると彼女は、私たちはタダで子供を見てもらってる。と言った。私はババにナナミを預けることはあるけれどそれはババがナナミと遊びたいだろうと思うから預けていただけで別にそれなら見てもらわなくて結構だよ。と思った。プールに泳ぎにいくとき、1時間ほど預けていってたけれどジムに幼稚園も保育園もあり、一時預かりもしてくれる90分5ドルで子供をみてくれるから先日はそこでナナミを見てもらった。おもちゃがいっぱいあって、ナナミは30分泣くこともなく一人でおもちゃを満喫していた。タダの託児所があっていいじゃない。というシャーロットの言い分。どうしても用事があって、見てもらわないといけないときにババがいてくれたことは何度かあった。だから、それはもっともだという気持ちと舅の世話(下の世話含む)と実の孫の世話を一緒にされちゃ困るという怒りが入り混じって複雑な気持ちになった。そして、一番大好きだった義弟の嫁がそんなことを言うなんてなんだか見損なったよ!という思いと所詮彼女も人なんだ。私らがこの家を相続することを何も出来ずに遠く離れたところでほんとうはやきもきやきもき、してるんだろうな、と納得もした。でも、これは考慮されなければいけないことがらだろうからナナミのチャイルドケアーの時間給を出してみた。一時間あたり、3.5ドルから5ドルと出た。ジジのケアは巷で一時間あたり18ドルから20ドル。このくらいで計算していこうと思っている。今日は弁護士との最初のミーティングが終わった。ミーティングのまとめと、今後の書類作成のために今日は食事をしながら、家族全員で介護の換金とナナミの世話の換金をする。それから、夫の強い強い要望でカウンセリングのセッションが始まった。どちらかというと、カウンセリングが必要なのは夫のほうでだから私よりも夫が、メインに話をしていた。来週、2回目のセッションがある。私が大きなプレッシャーとして抱えていたこの家の相続と義兄弟への多額の支払いについてその話が進み始め、また、カウンセリングも同時スタート。マムは両方の弁護士とのミーティングで言っていた。「G(夫)とJ(義弟)は昔から馬が合うから大丈夫。もめないでちゃんとやってくれるはず。」と。両方の弁護士が、同じようにいっていた。「いくら仲良くても、遺産相続はもうほんとになにが起こるかわかりませんから。ちゃんとしておかないと、ほんとにとんでもないことになりますから。」遺産相続はほんとに、ドロドロになりますよ。と。。。どんなサプライズがあるかわからないけれどとりあえずは進行方向に向かい始めたかんじ。どうなることやら。。。
2009年06月11日
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マムは自分やダディーのご先祖のリサーチを趣味でしている。センサスやら昔の新聞の死亡欄なんかを集めたり何年の船で、ヨーロッパから渡米してきたのかいろんな方面から祖先がどこのだれだったのかを調べて楽しむ。マムの遠い親戚がフランスにいることが分かった。最近になって、その親戚とメールや手紙でやり取りをしている。そして、その親戚がサンタバーバラに遊びにきたいと手紙をよこした。今年中に一週間ぐらい来るかもしれないといわれた。部屋は空いているのだし、別居だから私らの生活を乱されることもないから全然問題ない。と思っていたら、昨日突然話が変わった。あちらがくるよりも、私一人でフランスに行こうかと思ってる。と。ジジをおいていく。1週間、セントルイスから長男ジェームスと長女・次女、そしてその従姉がきてジジの世話を手伝ってくれると。それはいい考えだね。行ってきたら?と、流した。私も手伝うけど、出来ることまでしかするつもりはないからあとは人を雇えばいい。姪っ子・甥っ子たちは下の世話はできないだろうと思う。そうなったら、私か人を雇うしかない。夫は当てにならないから。私は最小限のことしかするつもりはない。仕事が休みのときは食事の世話をして毎日、夜寝る前のおねしょ対策をして寝かせる。夜中に背中が痛いだの、寝返りをうちたいだのと何度も起きるらしいけれど、一緒に寝るわけにはいかないから夜間は10時ごろから次の日朝9時ごろまで人を雇えばいい。朝のシャワーやら準備をしてから、帰ってもらう。昼間のお守りを甥っ子・姪っ子にやってもらえばいい。これが私の案。夫にその案を話したら、マムのフランス行きは多分実現しないだろう。という。不可能だと。多分、言うだけで終わるんだろうな。と、私も思っているけれどあれやこれや考えるのも楽しいものだからいや、無理やって!絶対ムリ!って押しつぶしてしまわず出来る方向でいろいろ話してあげようと思う。あの能天気で楽観な夫がどんなにめんどくさいことも、後先考えずにあぁ、出来るできる~。って、やってみて初めて壁にぶつかってヒーヒーいうあの夫が、「ムリやろう。」って最初から言うぐらいだからマムにはかわいそうだけれど多分、実現しないんだろうな。と思う。
2009年05月12日
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日本から帰ってきて、早速ベッドルームの模様替えをした。ホームシックはまだ治らず、寂しい気持ちで過ごしている。時間が癒してくれることを祈りながら毎日を淡々と暮らしているところ。気分が滅入っているときは、模様替えするとちょっと晴れる。動かしてみたら、やっぱりいい感じになったのでよかった。頭のなかでスペースと家具を計算してやってみるからやらなきゃよかったと思う模様替えの結果もたまにあるけど今回は成功。ナナミが私たちと同じベッドで寝ている。大きくなってきたし、よく動く。ケンジもいるから、なんかとても窮屈になってきた。ベイビーベッドを私らのベッドにひっつけてみた。ナナミは自分のベッドでねているけれどママの横で寝ているような錯覚を起こす効果を狙ったけれど微妙な距離感があるから、ナナミすぐ起きる。結局、夜中に起きてすぐに寝入ってくれないから抱き上げて、隣に持ってこないと寝ないしな。まぁ、いいけど。昨日はナナミの一日ルーティーンと好きなおもちゃやら遊び注意なんかをワードやエクセルで作り、ファイルにした。日曜日は初仕事だから、ジジババがナナミを見る。ナナミは私がいなくても2-3時間は泣かないようになった。夫はパパだということを理解し、ババも家族ということを知っている。もうすぐ、Separation Anxiety (親から離れるとすぐ泣いたり、、後追いが激しくなる)が出始めるころと思っていたけれど、大丈夫なのかな?なければないで、それに越したことは無い。不安のほうが大きいけれど、多分仕事にいってしまえばいい気晴らしになって、すっとするのかな?そうであってくれればいいけど。。。今日明日、最後の産休を満喫したいと思います。
2009年05月01日
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昨日、日本から帰ってきました。ビジネスクラスは往復、となりがいなかったのでナナミと二人でのびのび二席使わせていただきました。正確には、帰りのフライトは隣に男の人が座っていたのですが、アテンダントに母乳をあげるので隣を女性のところに替えて欲しいとお願いしたんです。そして連れて行ってくれた隣が女性の席。その女性は私と赤ちゃんを見たとたん、自分の荷物をまとめて別の空席に行ってしまいました。泣いたりうるさかったりしたら嫌だったんでしょうね。というわけで、そのあと隣には誰も来ず、親子二人でビジネスのフライトを満喫いたしました。帰宅後はビジネスにも関わらず、ものすごーく疲れていました。多分、ホームシックが80%の割合を占めていたと思います。これまでの一時帰国、アメリカに帰ってくるときの家族との別れはちょっと寂しいけれど意外とケロッとしていたのですが、なぜか今回のお別れは心にずしーんときました。いつもは両親とは家で別れて、姉やこれるときは義兄がバス乗り場まで送ってくれていました。今回はナナミがいるからと、母だけ空港まで来てくれるとかそんな話になっていましたが、結局、一人帰宅する母のさみしさは計り知れないだろうと察した姉も、空港まで送ってくれることになり、そしてあれよあれよと話がすすんで、両親と姉と甥っ子がみんな空港までくることになったのでした。最後の別れは涙がでると思っていたけれど、意外とあっさりとさよならできたのでよかったです。でも、あとからほんと、寂しかったなぁ。一日寝た今日はだいぶん楽になりました。また夫が切れそうになることばかりしでかしているので、それを抑えることで今は必死です。日本での詳細は後ほど更新したいと思います。そして、伯母には電話をしましたが、会うことはかないませんでした。やはり子供連れで足が無いのと、姉も忙しくて時間が作れませんでした。近況の報告ができたし、伯母も元気にしていることがわかったので、よしとしたいと思います。
2009年04月28日
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あまりきれいな話ではありませんのでお食事前や不愉快になりそうな方はご遠慮ください。*********************************ジジが3日間、大のほうがでていなかった。出ていようがなかろうが、ジジの食欲は旺盛でもともと食べることが好きだったダディーは病気になってから食べ物にますます執着するようになった。昨日はジジの友達がジジを連れ出してくれたのでババとナナミと3人で買い物や本屋に行きランチを食べて帰宅した。先に帰宅していたジジが、ダイニングで座っていた。お漏らしをしていたらしく、自分でおむつを取り替えようとしていた。そのあと、夜まで3回お漏らしをした。ジジのおなかがすごく硬くてたまった大が膀胱を圧迫しているのではないか?とババがいうから、じゃぁ座薬の下剤をかけようと夜の8時に座薬挿入した。座薬挿入係は私。仕事では、ほぼ100発100中で成功させるから座薬の下剤には自信がある。座薬を挿入するときものすごく硬くて巨大な大を手袋二重にした指に触れることができたのでこれは成功するだろうという確信はあった。そのあと、ジジはトイレに座りっきりででも大は出ず。茶色の液状便ばかりが出てくる。ブツが大きすぎて、液状のものだけがその横を通り過ぎて出てくる、バイパスという状態。こうなってきたらかなりやばい。しばらくしても液状のものだけがでてくるからもうこれは、指で出すしかないとババに告げた。それから2時間。徐々に入り口で詰まった巨大化したカチカチのブツを指でかきだしブツが粘土状よりもやわらかいぐらいになったときジジが自分で踏ん張って全部出すことが出来た。ナナミを寝かしつけてからやってたのだけれど途中でナナミが起きたので夫がナナミをつれて母屋に来た。そのときのトイレの中はすごいにおいが充満して床にはジジの液状のブツがボトボトこぼれているのがあるしトイレの便座にはブツがついてジジのお尻はブツだらけ。。。なんでここまで汚くなったのか。ジジは長時間、便座に座っていたらかなりつらいブツも座っているだけでは動かないから何度か立ち上がって歩かせようとしたりしたときにボトボトこぼれたり、汚れたりしたのだった。ジジは体の自由も利かないから、ジジをささえながらこぼれるブツを抑えるのは大変でブツよりもジジの安全が第一なので、仕方が無かった。ブツは汚いものだけれど仕事柄、慣れた。でも、そうでない人には結構きつい光景だったと思う。ババが「ナデシコがいなかったら私たちもう、どうしようもないわね。」といった。私は否定しなかった。ジジババがこんな大きな家をもっていなかったらなんの遺産もなく、父方の祖父母みたいに貧乏だったら私は無条件に、こんなふうになんでもやってあげられただろうか?ジジババが死んだら、この家を相続するかわりに兄弟二人に現金をわたさなければならない。現価の3分の2の価格を、弟たちに支払う。ジジババが死んだときの価格ではない。そのときには多分、30%ぐらいは上がっているはずだから。現在この家の価格は2億400万だった。不動産鑑定してもらった。3億はくだらないと思っていたけれど経済が落ち目で思ったよりも安かった。でも、多額なことにはかわりはない。私は自分の労働が、支払いの一部として換算されるべきだと思っている。ずっとそう思ってきた。夫が家のメインテナンスや修理をやるたびにその時間給と材料費(こちらもち)、人件費(こちらもち)を家の支払いとして換算しているから。でもなんか最近、ちょっとだけそういう考えを捨てたら、もっと人として成長できるのかな?とか私が老後を看るジジババに、なんでこんな遺産があるのだろう?とか考えるようになりはじめた。でもやっぱり、まだしばらくはジジババを助けるたびに自分の労働を換算するのだろうと思う。それでほんとうにいいのかどうかは、分からないのだけれど。。。
2009年04月02日
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ババの鼻は折れていなかったけれどヒビかちいさく入ったみたいなことを言っていた。頭のCTをしたら、右のコメカミあたりの脳に黒い小さな点が見られて、それが何かわからないので近々MRIで検査するように言われた。これが今の心配。月曜日は5時ごろ夫と帰宅した。ババはつかれきっていたので、ジジババの分も夕食をつくりしばらくあちらの家ですごした。隣の部屋で私が一晩寝ようかといったらババは大丈夫よ、といったので、自宅で寝た。寝る前と夜中に一度、ババの様子を見に行った。こんな状態でも、ババはジジのために3回ほど起きたらしい。毎晩、3~4回はジジの尿瓶かトイレのためにババは起きる。そして昨日火曜日は、ジジの針治療の予約があった。この予約、私がつれていくからババは家にいるよういった。そのつもりをしていたらしいのだけれど昨日、起きたら転んだあとのショックがでてきていてババは首ががっちがちに痛くて、体中痛くなっていた。ババも針治療をしてもらえるから、自分が連れて行くといった。ババに運転させたり、ジジの車の乗り降りやらそして、歩いているときにまたジジが転びそうになったら大変だからとやっぱり私が運転して、二人を連れて行った。トランクにはジジのポータブル車椅子を乗せた。ナナミをつれていたので、結構大変だった。針治療の待合室でまっているときにババがナデシコが仕事に戻らなくてもよかったらいいのに。あなたが私らの専属ナースになってくれたら。。。それができたらどれだけいいか。。。ちょっと涙目になりながら言った。私も目がブワワワァ~となってしまった。仕事といっても、週二回だけで5日は家にいるから大丈夫。ジジババの専属ナースになってあげられるよ。そのために私らが引っ越してきたんじゃない。自分が今、なぜここにいるのか。なぜこの境遇の中で暮らすのか。夫と結婚しジジババと同居していること。ナースを職業として選んだこと。ナナミがこんなにやりやすい手がかからない赤子であること。すべてが意味のあることのように感じた。自分のこれまでの選択がすべて生かされている。使命感みたいなものがまた沸いてきた。ジジは車椅子やら歩行器やら、杖でさえ使うのを拒む。自分はこんなもの必要ないという。そして、転ぶ。ババのいうことを聞かない。針治療も、そのあとのババのマンモグラム(乳癌予防の定期健診)も駐車場からビルまで、ジジは車椅子移動。ババがマンモグラムをしている間、ジジとナナミと3人で日本レストランに行ってランチをとった。それからババの病院に戻って再び車椅子をトランクから出した。ジジが「これにどうしても乗らないといけないのか?」というから、「イエス。」とはっきりといった。「なんで?」「私はナナミを抱えないといけないから。ジジは大丈夫だというけれど、万が一ジジが転んだときに私はジジが転ぶのを見ていることしかできなくなるから。」ジジは素直に車椅子にのってくれた。ババは強い人だと思う。ババはこうやってジジの世話をずーっとやってきた。現状のジジの介護は伴侶であるババの仕事だと思っていた。私らは経済的にサポートしているんだし万が一のときにはすぐそこにいるんだからちょっと手伝うぐらいで大丈夫だと思っていた。もっと劣悪の境遇と病状で伴侶を介護しているお年よりもいる。ババはまだありがたいほうやで~。などとずっと思っていた。そんなふうに思える状況ではなくなってきたなと昨日感じた。これだけなら、プレッシャーになってしまうけれどババから直接に言われた彼女の切実な願いをきき使命感=自分にならできる。この気持ちが生まれてくれたことはとてもありがたいことだと思った。
2009年04月01日
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本日3つめ。ババと夫はまだ、ERにいる。頭のCTスキャンをしたらしい。血圧が、上が200を超えているみたいだけれどどうやら痛みとか病院にいるときにおこる一時的なもので心配はいらないとドクターに言われたらしい。私はリビングで自分の用事をしている。ジジは本を読んだり、テレビを見たり、ガレージに行ったり一人でうろうろやっている。ババから昼寝をさせてほしいと言われたので昼寝をするようにダディーに言ったけれど、大丈夫だというのでそのままやりたいようにさせている。ジジにババの血圧が200を超えていることババには絶対、休憩が必要だとジジに言った。誰か雇うか、デイケアーに行かないとほんとにババは倒れるよ。とそしたらどうする?とジジに問い詰めた。厳しいかもしれないけれど、分からせないといけない。ジジは黙っていた。ジジはそれでも、デイケアーに行きたくないと言うのだろうけれど私は今日、ババが戻ってくるまでの残りの時間を有効に使う。ジジにプレッシャーを与える。このプレッシャーが、前回ジジを動かした。ジジは一生懸命動き、自分ができることをやろうとした。しばらくするとまた、ババにおんぶに抱っこになるけれど再び、このチャンスを利用する。ジジ、デイケアー送りにされるかもしれない危機感をババが戻ってくるまで思う存分味わってもらう。
2009年03月31日
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本日2つめの日記。ジジではなくて、ババが郵便局で転んだ。顔面強打。痛いのをこらえてジジつれて運転して帰ってきた。鼻が腫れてボクサーみたいになっていた。多分、骨折してるかもしれない。痛みとショックで、体がフラフラで弱っていた。夫がババをつれてERに行きその間私はジジの世話をしている。ジジのランチを作って、ジジはテラスで椅子に座っている。2週間後に日本なのに。。。ダイジョブなのか?夫から何度か電話があって、ババは大丈夫そうだといっていた。今日から3日ぐらい、こっちの家で寝泊りするし。というとその必要はなさそうと夫。そのくらい大丈夫ならよかった。足や手の骨折ではなくてよかったよ。今、Uちゃんに来てもらってナナミを見てもらっている。その間、私はジジがいる母屋のリビングで日記更新。ジジが歩き回ったり、トイレにいくときにいてやらないといけないから。もうここまできたら、ジジにも協力してもらうしかないな。デイケアーか、人を雇うか。。。
2009年03月31日
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今日のショッキング。夕方、ババたちがどうしているのか見るためにナナミが昼寝からおきてすぐに母屋にナナミと行った。ババはぷんぷん怒りながら、ベッドの毛布をはずしていた。私たちの予備の毛布を使っていたのを洗って返すためのようだった。そのついでに、義弟家族が使った寝具なんかもまとめていたようでかなりバタバタと忙しく動き回っていた。で、ババに何かできることないかと聞いたけれど別に無いといい、疲れたから今から2時間ほど昼寝すると言った。そしてババは、ジジにもかなり切れていた。ジジがババに、冷たいだのやさしさが無いだのと文句を言ったという。そして、ババがショッキングな一言を言った。「ジジとセックルしてる時間なんてないのよ!この糞いそがしいのに!興味もないわよ!ほんとに!!」あ~。。。。。。なんていっていいのかわからなかったので、とりあえずは今日の夕食、何か作ってもってくるから心配しないで。そして、何かヘルプできることがあったら言ってくださいとそう伝えて自宅に戻ってきた。夫にすぐ電話。たった今耳にしたショッキングな事件を報告。夫は笑っていた。ジジはまだできるのか?とマジで言っていた。そんなん、できるわけないやん。セックルは一つだけの行為をいうわけじゃないからな。それにしても、ほんまにあんたら親子、おんなじやな。2時間後冷凍の餃子を焼いて、枝豆をゆがいて、きゅうりのサラダをもっていった。ババはちょっと落ち着いていて、台所で話をした。70にもなって。信じられないわ。と言った。いくつになってもそういう気持ちがあることは悪いことではないしジジはババと一緒に添い寝したりハグしたりそういうスキンシップがしたいんじゃないの?とババに言った。ジジはババが忙しく動き回っているときに「セックルするって約束したじゃないか。」とも言ったらしい。ババはそんな約束してないのに。いや、ほんと、ジジと夫は親子だなと思った。私の場合は、「ウンウン、今日は忙しいから明日な。」とかいい次の日もやっぱり面倒くさくて、やっぱり嫌やとか言ったら夫が切れてよく言う。で、私には優しさがないだの、思いやりがないだの距離を感じるだのと文句を言う。で、結局、ババがジジの望みをかなえたのかは知らないがこれからはババの家に行くときは一応電話をかけてからにすることにしようと思う。これ以上のショッキングに遭遇することを避けるため。
2009年03月26日
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義弟家族が帰ったのは日曜日。今日は水曜日。早っ!月曜日はL.A.に私のパスポートを受領しに行ってきた。これで10年は心配なし。ナナミのアメリカパスポートはすでにあるので来月の一時帰国の準備はばっちり。義弟家は年に2回、長距離国際線ではないけれど国内線を乗り継いで毎年子連れでサンタバーバラに来る。彼らのことを思えば、ナナミ一人ぐらい連れて日本に帰ることぐらいなんのこっちゃないと思わせられた。自分のものなんて、何にもいらないからナナミのオムツのかえと、着替えと、好きなおもちゃぐらいをもってかなり身軽で行く。買い物もなし。これから、ナナミと一年に一回は帰省できるようにしたいなあ。昨日、火曜日は掃除・洗濯。子供達を2回、サーフィンに連れて行ったのでウエットスーツやらビーチタオル、ラッシュガードなど全部をきれいに水洗いして、数日乾かし衣装ケースにちゃんとしまわなければならない。天気がよかったので、その作業を始めた。子供たちをサーフィンに連れて行ったあとは必ずいくつかのサーフボードにぶつけられたあとや小さなヒビが見つかり修理にださなければならない。そして、冷蔵庫の整理。ババの家の冷蔵庫はまだ嵐が吹き荒れていた。とりあえず、残り物整理から始めた。食材全部をババの冷蔵庫からとってきてビーフ・エンチラダ(メキシカン)を作った。まだまだ残っているので、しばらくは残り物整理。2リットル近くもミルクが残っているのでバナナブレッドとか、ブラウニーとか、コーンブレッドとか立て続けに焼く予定。夜は久しぶりにジムに泳ぎに行った。頭も体もすっきりして、よく眠れたからか今日は7時前に起床できた。今日水曜日は家の大掃除。その進み具合とナナミの様子を見てババの家の掃除を引き続きする。子供達が使ったシーツ、布団、枕カバーエアーマットレス、寝袋、ありとあらゆる寝具。洗濯して圧縮してクローゼットにしまう作業。前回までは、自分が暮らすスペースでの出来事だったから自分で全部やっていた。整理整頓はどうしても、自分でやらなきゃ気がすまなかった。でないと次に使うとき、どこにあるのかとか分からなくなるのがいやだから。次の滞在からは私は準備を気にしなくてもいいからクリーニングレディーのティナに任せる。収納をやらなかったから、どこに何があるのか私は知らないと次回の義弟滞在の準備を何気に放棄することができる。ということで、やっぱりババの家の掃除はやらないでおこう。冷蔵庫の残り物整理という、大事な仕事があるからな。時間が余れば、ナナミとケンジをつれてビーチにでも行こう。
2009年03月25日
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ナナミには計10人のいとこがいる。現在、8人(義弟の子供達)が滞在中。下は4歳半から上は17歳まで。ナナミは日々、子供達からの刺激を受ける。彼らが滞在中のナナミの情緒の成長は目覚しいものがある。子供ってすごいと思う。パーティーが終わり、次の日は残り物を食べて次の次の日には作らなければならなかった。別に私がやらなくてもいいのだけれどこの家で私が一番料理が上手で、手際よくできる人だからなんだか使命感みたいなのがあり、ご飯を作っている。火曜日、水曜日、木曜日と、毎日相当な量を作っているけれど毎日食い尽くされる。残らないのは気持ちがいい。マムの冷蔵庫から野菜をがっつりもってきて昨日はカレーを相当な量作ったけれど残ったのはほんとにわずかだった。義弟家族は毎日、どんな食生活をしてるんだろう?野菜やプロテインや炭水化物をバランスよくとかそんな食生活は多分、難しいのだろうな。。。子供8人育てながら、食の教育なんてできないだろう。下から2番目の6歳のジャックは、ほんとに何も食べない。去年見たときは、クッキーとかチョコレートとかキャンディーで生きているような、そんな食生活だった。最近やっと、鶏肉を食べるようになったらしい。朝はチョコレートチップ・パンケーキを義弟が毎朝山ほど焼いている。次々と起きて来た子供達がパンケーキをさらに取りシロップやらチョコレートシロップなんかをかけて食べている。昼はピーナツバターとジャムのサンドイッチを小さいのに食べさせて大きな子供は昨日の残りやら、適当に食べている。夜、大人たちのご飯を食べたくない小さい子供とジャックはシリアルにミルクをかけて食べ、チョコレートミルクを飲んでいる。これでいいのか?ってほんとに思うけれど彼らは人様の子供だから何も言うつもりはない。私が作る食事を、大きな子供達は舌鼓を打って食べてくれるようになったから今、しょうもないものばかりを食べている小さい子達も大きくなったら栄養価値の高いものをおいしくありがたく食べられるようになる日がくるのだろう。ナナミが幼稚園に行くようになったらキャラクター弁当みたいなかわいいくておいしいお弁当を絶対に持たせてやろうと思う。
2009年03月20日
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夫が高校生のときに付き合っていた日系二世の彼女に数ヶ月付き合ったあとに振られた。夫に聞けば、振られた理由は不明。よくあるティーンエージの気まぐれなんだろうと思うけど。多分、僕がバカだったから嫌になったんじゃない?って言ってた。彼女と付き合っていたとき、彼女のご両親はものすごく夫のことを気に入ってくれてお母さんはいつもすごい量のチキンを作ってくれたりお父さんは車が趣味の人だったのでいろんな車を見せてくれたり、一緒に話をしたりした。彼女に振られてからもお父さんに会いにいったりして「上がってお茶でも飲んでいきなさい。」といわれて、お父さんとお茶を飲んでいるところに元カノが帰って来てすごいウザがられた話なんかも聞いたことがある。夫は変なプライドとか意地とかエゴがあまりない人で他人が自分をどう見ているのかとか、そういうこともあんまり気にしない人だとは思っていたけれどそれは若いときからそういう人だったんだな。
2009年03月19日
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アメリカでは、プロムというのがある。高校のパーティーで、その趣旨とかはしらないけれど男の子が女の子を誘って、カップルで参加する。夫は18歳のとき、日系二世の彼女がいたけど弟ジョンはシャイで彼女がいなくてお母さんの友達の娘にたのんでプロムに行ってもらったらしい。ナナミが高校生になったらもちろんプロムに行くのだろう。夫は、ナナミを迎えに彼氏が来たら「で、今日はナナミを何時に送り帰してくれるんだ?」と、銃の掃除をしながら聞くらしい。先日、義弟の長女ルーシーが友達を連れて家に来たらしい。ルーシーは友達みたいに思っていたけれど、相手の子はルーシーの彼氏になりたいみたいな考えがあるようでドクターの義弟にいい印象を与えようと一生懸命だった。自分がこれまでもらった賞なんかの数々を義弟に話し続けたらしい。すると義弟は次女メラに言った。「メラ。書斎からお父さんのトロフィーをもってきなさい。」父親って面白い。夫がどんな父親になるのかナナミの成長以外に、また別の楽しみができた。
2009年03月18日
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義弟家族とジジババ13人。あっちの家で暮らしています。こっちは親子3人、守られたスペースで食事の心配をすることもなく大変平和な日々を過ごしているところ。ジジが便秘4日目。パーティーの前日から、子供達と同じようにクッキーだの、パンケーキだのステーキだの、チキンだの。。。食べたいだけ食べた結果です。今朝もパンケーキを食べようとしていたので禁止しました。朝はフルーツだけ。ランチも野菜。夜も野菜だけを使ってダディーの食事を作りました。明日出なければ浣腸します。私はしません。マムがします。今日のこちらの夕食は牛肉とピーマンとたまねぎをいためて豆板醤やらコチジャンなんかでソースを作ってからませて片栗粉でとろみをつけた中華炒め。ズッキーニのしょうゆ炒め。それとご飯でした。量をいつもよりかなり多めに作ったのでこちらの食事が食べ終わってから残りを全部、あちらの家に持っていきました。一時間後に行ったら全部なくなっていました。明日はデビーが遊びに来ます。二人でランチを食べます。あっちに住んでいたら、そんなことは絶対にできなかったでしょう。うれしい限りです。
2009年03月18日
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義弟家族が来ています。8人の子沢山な義弟嫁の末っ子は4歳半になります。この子の後、繰り返す妊娠で肥大した子宮が膀胱を圧迫し常に失禁するようになったために義妹は手術をしました。肥大して垂れ下がった子宮を両側からお腹の中でつるし上げる手術。その手術がうまいこといかず、結局は子宮をとってしまった義妹。とにかく、赤ん坊が大好きで8人も子供を産んだ義妹はナナミをみてまた赤ちゃんがほしくなったみたいです。ナナミは今まで見たどのあかちゃんよりもかわいいと皆がいってくれます。まだ生後数ヶ月なので、大きくなってきたら顔は変わります。もしかしたら、かわいいのは今だけかもしれません。あまりかわいくない子供になるかもしれません。でも、みんなが「こんなかわいいあかちゃんは見たことがない。」とお世辞ではなく本気で言ってくれていることは大変鼻が高いです。だって、私の中から私と夫の遺伝子をもってでてきた赤ちゃんがこんなに美しいのですから、鼻が高くならないわけはありません。皆が言ってくれます。ナナミは私と夫のベストなところを取って出てきた完璧なあかちゃんだわ。と。こんなことを言われ続けたら、だれでも喜ばないわけはないでしょう。私はナナミを産むまでは赤ちゃんとかをあまりかわいいと思ったことはなく人の赤ちゃんもあまり抱っこしたいとか思ったこともなくそんな冷めた人だったので、きっとそんな私が自分の子をちゃんと愛するようにものすごくかわいくしてくれたのかもしれないなぁ。と、今日そんなふうに思いました。(親ばか)子供達と義妹とババがナナミを常に取り合っています。ナナミは毎日、子供達に囲まれて大変よい刺激になり私もナナミをみてもらえるので、みなの食事の用意をしています。あと7日、大家族が一緒に過ごします。ナナミの成長が楽しみです。
2009年03月17日
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昨日から、義弟家族10人プラス、義弟嫁サイドの姪っ子(義弟子供の従姉)がセントルイスから来ています。その話を聞きつけた、義兄と子供二人もきたので計14人がジジババ宅に滞在中。プチ別居してよかった。私たちの住居スペースは何の被害もなくいつもの平和な空間が守られています。そして、今日はホームパーティーをしました。ババの70歳の誕生日を来月に控えて家族が集まっている今日、日曜日に70歳の誕生日パーティーをしてしまおうと私が提案したのでした。私は親戚・家族とババのセレクトした一部の友人のみで50人を超えない程度でお願いします。と言っておいたのですが結局また、ゲストは100人を超えるパーティーになりました。言うまでもなく、ババが呼んだのです。ババのゲストの人数をみてから、夫と私の友人に声をかけるつもりでしたが当然、ムリなので夫は幼馴染の友人二人とその奥さんと子供私はパーティーの助っ人としてUちゃんとあと4人だけ招待しました。前回妊娠中にした、ゲスト100人を超えたパーティーのプランをファイルしていたので食べ物の量もメニューも今回はパーフェクトに大成功でした。しかも、ナナミはもうお腹に中にいませんから自由に走り回れるし、ナナミさえ誰かが見てくれていれば手際もてきぱきと、プラン通りに何もかも動かせて最高に気分がよろしいパーティーでした。今回のパーティーのスポンサーはダディーです。ナナミが生まれてから、日本に帰国するためにチケットを買うお金がないから帰れないと言っていたのをジジが聞いていて、1200ドルの小切手をくれたのでした。それをもらっても私は日本に帰るつもりをしていなかったのでそのお金でパーティーをすることに決めました。今回のパーティーで何回目になるんだろう?今日のパーティーはゲストみんながほんとに喜んでくれてババもパーティーの後、涙ぐんで喜んでくれました。「こんな素敵なパーティー、今まで誰にもしてもらったことない。」その言葉だけで、私の心は達成感とか満足感でいっぱいになりました。初めてのパーティーでは、反省点がいっぱいありそれをババに指摘されてとても腹が立ちましたが今日のパーティーはほんとに、文句の付け所なく完璧でした。食事の前のオードブルからワインからバイキングの料理、量、プレゼンテーションサーブのタイミングからバースデーケーキのタイミングパーティーが始まってから終わりまでの時間もすべてがスムーズにいったのでした。ジジが「次はナナミの誕生日だね。」と言いました。こんなにうまくいったけれど、多分、当分のあいだはこのぐらいの規模のパーティーはもうやらないと思います。ナナミの誕生日は申し訳ないけれど、ババの友人は遠慮してもらわないと。それか、呼んだゲスト分だけ、経費いただかないとできません。多分、自分の家で自分の友達だけ呼んでポットラック(食べ物持ち寄りのホームパーティー)でやります。このパーティーも、ナナミが寝ているときを見計らって数日前からいろいろと準備をしなければならず計画はもう、一月ぐらいかけてオーガナイズしました。かなりのエネルギーを費やしました。仕事はじまったら多分無理だと思います。それにしても、疲れた~!次の大きなイベントは、日本帰国です。
2009年03月16日
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これがあったら、人間怒ったりしないんだろうなと思う。産休中で、3月に復帰するのを5月まで延期したことに対してほんとうにそれが、ナナミのためにベストだという自信はある。家族3人の保険が仕事場からカバーされなくなるから1月から5月の医療保険は自分で払わなくちゃならない。相当な額だけれど、それをも見込んで私は妊娠中に貯金した。こんなに大変なご時勢で、景気もボロボロになってしまって夫は不安を感じているのもある。毎日までとはいかないけれど、ほんとに頻繁に5月まで復帰しない私に、どんなに大丈夫だと思う職業でもリストラされる恐れはあるのだという、自分の不安をぶつけてくる。私は、自分は絶対にリストラされることはないと思っている。というか、そんな不安を抱えて産休を続けることはできない。今すぐ仕事に戻るつもりもない。自分がリストラされることはありえない。絶対にない。信じる努力をして必死で日々の生活に平常心を保っている。いつもは私がどんなに心配して夫にその不安を訴えても楽観視して私の不安に同意さえしてくれない夫は私が楽観しようとがんばっているとき反対に私が不安になるようなことをいうから、それも腹が立つ。ほんまに天邪鬼なやつやな。あんた。もし私にゆるぎない自信があったなら夫がぶつけてくる不安や心配に対して腹が立つこともないのだろうなと、今日思った。自信をもつということは、大切なことだと思う。
2009年03月02日
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本日、2月16日は最初の結婚記念日です。グリーンカードとかの申請を済ませるために、役所に婚姻届を出した日。家族と、近しい友人だけを呼び、サンタバーバラの裁判所のガーデンでささやかな結婚セレモニーをしました。もう一つの記念日は、7月5日。独立記念日の次の日。夫はこちらのほうを結婚記念日として重んじているようです。170人の招待客に祝ってもらいみんなが「最高の結婚式だった」と喜んでくれた。古劇場がある丘の上の公園を貸し切って祝った手作りのハワイアン結婚式。結婚して6年。そんなにいっしょにいたんだねぇ。なんだか夫に怒ってばっかりだけれど、しみじみかんがえてみるといいときも悪いときも、二人でいっしょにがんばってきたよねぇ。結婚さえ、もうしないんだろうなと思っていた夫と結婚しなければしないで、やりたいことにチャレンジし一生そんなふうに生きていってもいいかなと思っていた私が一緒になりそんな二人の間にナナミが生まれた2008年。これからも健康で幸せな日々が続きますようにと心から祈りました。
2009年02月17日
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同居を始めてから、ジジババの友人からのパーティーの招待にも含まれてジジババの知り合いが増えた。昨日も家族単位で招待してくれたので、行ってきた。パーティーとなれば、人も集まる。この時期、風邪気味でもパーティーに来るする人もいるだろうから万全の注意でナナミをつれて行って来た。一時間以内に私とナナミだけおいとました。立食・オードブルパーティーだったので、ダディーには厳しかったと思う。ワインをこぼし、食べ物をボロボロこぼしデザートは私がとってあげるからと言っているのにお皿を取りにいっているうちにダディーは一人で立ち上がりナナミを抱いて座っているババが呼ぶ声も無視してデザートセクションのピーカンパイに向かって黙々と歩いていった。ピーカンパイがのってある大皿のサーバーをおもむろに取りそれでピーカンパイをすくって大きな口をあけてサーバーで食べ始めた。二口食べた後、ババのところへ戻っていった。私はピーカンパイのサーバーをとってキッチンにもって行き洗ってそのあとジジのところに戻って厳しく言った。「とってあげるから待ってねっていったのに、なんで聞かないの?あれはみんなで食べるデザートなんだよ!」最初、ジジは「誰の助けもいらん。自分でデザートぐらい取れるんじゃ。」と、私やババの声を無視していたのだと思っていたけれどそうじゃない。ジジはピーカンパイが目に入ったとたん、食べなければならない衝動にかられて周りの声が聞こえなくなるのだということがわかった。私たちの声なんて、全然聞こえなかったのだ。今日もババはジジをつれて友人のところにでかけた。ジジはトイレでちゃんとズボンが下ろせずにお漏らしをしてしまった。夕方帰宅したババはつかれきっていて、ジジがどれだけ悪いのかを話はじめた。先日も電気コーヒーメーカーをコンロの上においてコーヒーを作ろうとしたらしい。「コンセントが短すぎて届かない。」と、ババに言った。短すぎてよかったわよ。とババは言った。ジジを家に一人で置いておくことは危険。ジジの転倒も危険だけれど、何をするかわからないというリスクもある。先日も私らの住居の下のガレージにとめてあるアンティークの車にガソリンをいれてそれがもれて、家中がガソリンのにおいで大変なことになったし。そのあと山火事があって、もうひやひやもんだった。火の手がきたらあっという間に燃えていただろう。そしてババは、買い物に連れて行くのも大変になってしまった。という。この先6ヶ月・一年先どうなるのか。。。とババは言った。そういう話を延々とするけれどひねもすさん宅の姑さんみたいに直球は投げてこない。そのときが来たかもな。まだナナミがこんなに小さいのに。もうちょっとがんばってくれると思ったのにな。でもしょうがない。ババはSOSを出している。今日、G(夫)が帰ってきたら家族会議をしようかとババに促した。ジジがどんなサポートが必要で、私らができることを話し合う。それでまかないきれないことを、雇うなり外からのヘルプで補う。私できることは限られている。今は食事をつくることぐらいしかないけどそれでも助けになるか?と聞いたらババはとても助かると言ったので来週から週に何回か、ジジババの分も作って夕食を届けることにした。今日、その夕食プランのカレンダーを作ってババに渡す。帰宅後、夫に「ババがSOSを出したから、今日話し合いするからな。」というと、夫はわかったといった。そのあと、ババのところに言ってそれを言ったらババは「SOS?なんのこと?」と言ったらしい。聞いてほしいだけだったのか?そんなわけないじゃないか。と思うけど本当はやっぱり、ただ聞いてほしいだけだったのかも。でも、否定するのなら夕食なんて作らんからな。今夜か明日、話し合いをする。
2008年12月19日
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ひねもすさんの日記を読んで、これはやっぱり書かないとあかんな、と思ったんで更新。来年の抱負常に感謝の気持ちをもって、ハッピーになる。だから、あまりジジババの文句とか悪口とか、自分のライフの愚痴は控えていこうと思っていたけれど、まだ来年になってないし。お許しくださいオテントウ様。まずはジジがどんな状況なのかを説明。ジジはパーキンソン病で、日々病状はアップダウンする。突然、貧血みたいな状態で真っ青になって ふーっ、バッタン! と転倒することが増え、パーキンソンのせいか、薬のせいか、心臓・血圧のせいか、原因はわからないまま、ドクターと薬の調節を続けているババ。いつなんどき、気を失うように転倒するのかそのパターンは分からず、常に危険と背中合わせ。このタイプの転倒で共通しているのは、転倒する直前、後のジジの顔は真っ青で、血圧が極端に下がっている。上80か時にはそれ以下、下40までも下がることもある。そして、食後に多かった。食べることが好きなジジはがつがつと食べる。食べ物を見ると抑えられない。食べすぎで血圧が下がるのでは?という可能性を見込んで、いっぺんに大量食べず、少量を回数食べるダイエットを始めた。そして、食後はゆっくり横になるか座って歩き回ったりしないようにしてみた。すると、転倒の回数が激減した。でも完全に解決したわけではなくリスクはまだまだある。もう一つの転倒のリスクは、パーキンソンの症状そのものの小刻み歩行とすくみ足。最初の一歩がでずに、小刻みに全身しながら上体だけが前進し前に倒れていく。この二つの転倒のリスクを常に抱えているダディーは、今ではもう一人で家においておくことも危険になってきた。それでもマムはたまに2時間以上、ダディーをおいて家を空けたりする。「ダディーおいていくから、たまにチェックしてくれるかな。」と。産後2週間とかでそれをされたときは、もうほっておいた。マムが帰ってきてから台所でぶっ倒れていようがしったこっちゃない。と。そのときはおとなしくしていたので無事だった。そんなこんなでジジはいつ何時、転んで骨折して寝たきりになっても全然おかしくないような、危険な状態で生活を続けている。そうなったら、マム一人では面倒見きれない。今でも、毎朝のシャワー、歯磨き、食事、着替え、夜のおねしょ防止の準備、おねしょ防止が失敗しシーツ・ベッドがおしっこで汚れた後の始末など、すべてはマムがやっている。プラス、薬の管理やドクターのアポイント、テストなども。私はダディーの調子が著しく悪いとき、アセスメントをしたり、食事や薬や介護に関するアドバイスを与えるぐらいで、直接ダディーの世話をしていない。ダディーがマム以外の介護要員が必要になってくる日はもうそこまできている。というか、すでに来ているのかもしれない。ダディーはアンティークの車5台と、その他、売ればちょっとした価値のある物をたくさんもっている。1年ちょっと前、アンティークの特大ミート・スライサーを12000ドル(120万円)で買いたいとやってきた人がいたけれど、ダディーは売りたくないと言って断った。そのときはまだまだしっかりしていたし、介護の問題とかもまだ先のことだったので好きにさせた。夫は12000ドルは妥当な値段で、これ以上出す人はもういないから売るようにダディーに言ったけれど、ダディーは聞かなかった。先週はアメリカドルが一時的に1ドル=89円まで下がった。アメリカの経済はこれからどうなるのかわからない。失業者や倒産・店じまいの数字は上昇を続けている。建築関係の自営の夫がこの先どうなるのか、何の保証も無い。私はナナミが1歳を迎える前に仕事復帰する。大変つらいけれど夫に仕事がなければ私が働くしかない。そんな最悪の景気の中、ダディーのアンティークの車の一台を35000ドル(約350万円)で買いたいという人がいる。ダディーは75000ドルでなら売ると、その人に言った。ダディーはお金がほしいのではなく、売りたくないのだ。それに対して、夫はマムに売るべきだと話をしたけれど、マムはダディーが売りたくないと言っているから、それ以上強いるのは嫌だという。マムの気持ちもわからないではない。アンティークの車がダディーの趣味で生きがいだから、これをとってしまったらかわいそうと思っているのだろう。でも、それを売ってもまだ何台か残るし、ほかにもいっぱいアンティークを持っている。これから、ダディーの介護をしていくためにマムや私たちばかりが我慢して、自分は何もかも手放したくないっていうのは、とてもわがままだと思った。夫は訴訟中、弁護士への支払いのために自分が大切にしていたポルシェ・スパイダーを売ってキャッシュを作った。その訴訟には14人の友人もからんでいて、ジジババも絡んでいた。それなのにジジババは一円だって、弁護士への支払いを援助してくれなかった。結婚前から始まっていた訴訟で、何の関係もない私が、貯金をつぶして5000ドル払った。今私は売るものは何もないけれど、今回、産休の延期と生活が苦しくなってくることを見込んで、日本においていた日本円をすべてドルにかえた。日本の両親の生活が苦しくなったときには助けてあげるためにほんとうは置いておきたかった大事な貯金をとうとう潰した。この日本円がなくなったから、日本への帰省もあきらめなければならないかもしれない。実両親にナナミの顔が見せられない。そんな決断をした後だったから、ダディーの決断にますます腹が立った。マムになにかあったとき、ダディーの介護を27/7で雇う経済的な余裕があるのかどうかは私はしらない。でも、はっきりさせないといけないと思い、先日ジジババにはっきり言っておいた。今マムに何かあったとき、私ができることはほんとに限られてるからね。すでに仕事に出て、ナナミとの時間を犠牲にして、その上ナナミを誰かに観てもらってダディーの世話をするつもりは私にはないし、今払っている2000ドルの家賃も貯金崩しながら出してるお金だからそれ以上はしばらくは払えない。G(夫)もずっと家にいるから知ってるでしょ?Gからの収入はほとんどない状態でアメリカの経済が今後どうなるのかも何の保証も無い。今あの車を売らなかったらおそらく、ダディーが生きているうちに売れることはおそらくないぐらいに考えたほうがいいよ。ナナミが5歳6歳になって、学校にでも行きだせば私も介護要員としてみてもらってもいいけど、それまではあてはしないで自分たちでなんとかやっていってほしい。そう思って私はナナミを産むことにしたの。ダディーが自分で介護を雇える経済的なゆとりが、車を売らずにできるのであればその決断に文句はないけれど、そうでないのならダディーは自立した決断をするべきだと思う。そういう決断をする能力はダディーにはもうないのかもしれないし、私がどうこうダディーに強いる立場でもないからあとはマムに任せるけど。はっきり言ってすっきりした。マムは大丈夫だと言った。経済的にその余裕があるのかないのか、それは言わなかったけれど、これまでの人生いろんなことがあって、そのたびにナントカ切り抜けてこれたから大丈夫。と、そんな楽観的なことを言っていた。もし近い将来、ダディーが骨折でもして寝たきりになったら。。。マムは自分ひとりで介護ができないことをちゃんと分かっている。そして、最小限でのサポート(介護)はするけれどそれ以上はできないと私が伝えたので、マムは誰かを雇わなければならないことを理解した。ことを祈りたい。私がマムに話をした次の日、ダディーがまたおかしくなった。転びはしなかったけれど、「ワード・サラダ」(関連・脈絡のない言葉を何をいっているのか分からないような口調でブツブツと話し続ける症状)を始めた。外出していた私の携帯に電話がかかってきた。帰宅後、ダディーの症状はおさまっていた。この日、マムは車を買いたいと言った人に、しばらく待ってほしいと言ってくれと、ダディーに聞こえないようにこそこそと、私とGに話した。自然なことだとは思うけど、ジジやババに何かあったとき、どこまでの介護とかサポートとかが必要とかそういう具体的なことをババは考えてなかったんだろうと思う。私らになんとかしてもらおうと思ってたんだなぁと実感。夫も全然、考えてないからな。はっきり言ってよかったよ。
2008年12月17日
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12月3日から、義弟家族が来ている。8人の子供のうち、上から二人は高校生で学校が休めないので今回は来ていない。3番目から6人とジョン(義弟)の7人が一週間の旅程で来た。今回、彼らが来た理由はダディーがどんどん悪くなっているから今こられるうちに来ておけと、夫が電話をしたから。そして、ベイビーナナミが誕生したからそのお披露目もかねて。来たのは計7人で、金曜日から義兄と子供二人も追加した。現在10人プラス、ジジババ。私たちがこの新しいアパートに別居してなければ義弟家族が泊まる所はなかっただろうということが実証されジジババから離れて別居を始めてから私の心の中にちょっと残っていた罪悪感みたいなものが、完全ではないけれどまた少し晴れた。ババは孫がそろって喜んでいる。でも、いちばんかわいいのはナナミみたいで即興歌の歌詞にはいつも「♪私の一番かわいい孫~ ナナミが一番~♪」みたいな、贔屓なうたを他の孫たちの前で平気で歌っている。ババはジジの世話があるしジョンは下は3歳から上13歳までの6人の子供を退屈させないように毎日公園やらビーチやらハイキングやらに連れて行って大変だから私は自分の得意分野の料理でできるだけのことをしようと思い2日目、3日目の食事をナナミをババと13歳のメラに頼んで作った。私がナナミをたのむとババは大喜びでナナミを抱いてくれるけれどなかなか返してくれないから困る。泣き始めて、ババでは泣き止まなくなったときだけしか諦めないから困る。昨日なんて、ババの友人夫婦が夕食時にやってきてナナミをつれてそろそろ帰ろうとババにナナミを連れて行くといったら冗談なんだろうけど、拒否した。「いやよ。まだちょっとしか抱っこしてないじゃない!」と。そして、ババの友人夫婦に作った焼きそばとスープ味見がしたいからちょっと盛ってあげてと、使われた。ババの友人は、焼きそばがおいしかったらしく味見どころか、大盛りのおかわりまでした。スープも小さいカップでちょっとだけ、味見程度に入れてあげたらもちろん、おかわりしていた。まだ、ジョンと夫とクリス(義兄)3人の子供たちが食べなければならないのに皿の焼きそばは二人分ぐらいしかなくなってしまった。アメリカ人って、食事時に平気でやってきて味見とかいいながら、ずうずうしく大盛り食べてその家の人が食べる分を平気で食い尽し、遠慮するというセンスはない。こういう豚みたいにがつがつしたところは私は大嫌いだ。友人が来ていなくても、ババがナナミを抱いていると否応なしにジジの世話に使われるからこれがいやなのでもうあちらでは食事を作っても一緒に食べないことにした。料理ができたらこっちにナナミをつれて帰ってくることにした。「ナナミを抱っこしてあげるからあなた、食べなさい。」って言うから、お言葉に甘えても食べ終わってもナナミは返してくれずそのままジジを食べるのを世話して小さい子供たちの食べる分を用意したり飲み物を用意したり片づけまでさせられるのだからたまったもんじゃない。カレーやら、パスタやら、焼きそばやら、30分ちょっとでできるしババだったらすごい時間がかかるしその上、台所はめちゃくちゃになるからそれだったら、作るくらいやってやってもいいじゃないかとそう思って今日もランチにハムとチーズのサンドイッチを13人分(義兄も来ているので)大量生産して、私は乳腺炎になりたくないからと、さっさとこっちに帰ってきた。私があちらで夕食を食べなくなっても、日本人みたいに「なんでこっちで食べないんだろう?私がなにかやったのかしら?」なんて、ウジウジと気にして考えることもないのがアメリカ人。はっきりといわなければ、相手が思っていることなんて推測しようとも思わないらしいから。やりやすいといえばやりやすいけれど、こういう人たちと暮らしていると日本人の独特の言わずに伝える文化の中でやっていくことはもう絶対にできないだろうと実感する。
2008年12月08日
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木曜日は感謝祭でした。日本のお正月ぐらいに値する、おおきなホリデーです。マムは火曜日から、ターキーディナーの準備に取り掛かっていました。15パウンド(約7キロ)のターキードレッシング(ターキーの中につめるパンとかソーセージとか野菜のミックス)グレービークランベリーソースマッシュド・ポテトパンプキンパイとチョコレートピーカンパイUちゃんがシュークリームとブラウニーを持ってきてくれました。私はお稲荷さんを作りました。大変おいしいディナーでした。ダディーが張り切って、シャンペーンを開けてけっこう飲んでいました。プチ別居をしてから、彼らの生活が見えなくなりダディーが酒を飲もうが、チーズとクラッカーで夕食を済ませようがどうでもよくなりました。ナナミが生まれてきたこともあるのかもしれません。案の定、食事の後で片づけをしているときにダディーぶっ倒れました。私はベイビーと自宅に帰ってきた後だったのですがUちゃんが片づけを手伝ってくれていて夫を呼びにうちまで駆けつけてきました。食べすぎで血圧が下がった可能性もあるしシャンペーンを飲みすぎた可能性もあります。飲みすぎたのかな?と私が言うと、マムはそんなに飲んでない。と、これまた否定。そうかもしれないわね。と言えないのは、ほんとにそうじゃないって思ってるのではなく罪悪感とか酒を飲めなくなることへの恐怖心の表れ。もうだれも、飲むなとは言わないのに。飲みたいだけのんで、ぶっ倒れたってもう私は何も言わないし。腹もたたないし。がん患者やその家族なんかもそうだけれど癌である自分や家族の病状を否定するのは普通のことで治療方針が決まらず、患者さんが苦しんだりすることはよくある。マムもダディーもしょうがないんだと思う。あぁ、思い出した。祖母が末期がんだったときの伯母がそうだった。祖母に経済的な援助をかなりしてもらっていた伯母や従姉家族は祖母が亡くなってしまったら自分たちがどうやって今までの生活を続けていけばいいのか考えることもできなかったのかもしれない。ディナイアル (現実否定)第三者が見たらダディーはかなり悪い。先行きけっこう不安になる。伯母のディナイアルは末期がんの祖母の自宅介護をした私や母にダイレクトに影響がきた。マムのディナイアルはプチ別居になった今となっては性質があまりよくない楽観とでも言えばいいのだろうか。ディナイアルが夫は別として私やナナミに影響を与えないうちは別にいいけれどそれが通用しなくなる日はいつか来るのだろう。
2008年12月01日
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ババが土足禁止のサインをつけても、何度も靴を履いたまま家に上がってくる。用事もないのに、郵便物を玄関先に落とすだけの用事とかなのに、わざわざ靴のまま中にはいってきて、台所とかを覗いていくから嫌になる。今日はジジの友人フロイドじじいがきていたので、ケンジとロープ投げをして遊ばせるからと靴のまま入ってきた。ロープはどこか?と土足のまま家の中を歩き回り始めたので、それ以上土足で歩き回らないで!というニュアンスもこめて「私がロープとってくるから、そこで待ってて。」とババに言った。これでババは気がついた。「あ、また靴はいたまま入ってるわ。ごめんごめん。」言うのも嫌で、今日は3回入ってこられて、そのたびにモップした。もうほんとに嫌になったので、玄関は鍵をかけた。これで、私が鍵を開けるまで、玄関先にも入ることができない。今日、検診があって検診から帰ってきてからババがやってきた。玄関に鍵をかけていたので、出て行って玄関先で話をした。そのときにババに聞いた。「マム、土足のままでよく入ってくるよね?忘れるの?どうやったらマムが靴を脱げるようになるかな?このサインでも無理?」マムいわく、サインはあまり役に立たないとか。忘れるらしい。こんなに大きく、床に張ってあるのに。でも、靴は脱いでもらわなければ困るのではっきり言った。妊娠してるのもあると思うけど、だれかが靴のまま入ってくるたびに気になってモップかけなきゃいられない。もう今日で3回かけたのよ。で、結構汚れるんだよね。外からの砂とかホコリ、土とか靴についてるのが床について。今からボール紙で、サイン立てかけてもっと目立つやつ作ろうかとおもってるんだけど。ババは気をつけるといって母屋に帰っていった。私は容赦なくドアにカギをかけた。その後すぐ、郵便物をもってやってきた。鍵を開けて玄関先で封筒を受け取ってババが中にはいってこなくてもいいようにした。そしてまた、ドアにカギをかけた。しばらくはこれでいく。土足で入ってくるんだから仕方がない。ババと話する前に、マムにどうしたら靴を脱ぐようになるのか今日聞いてみるけどいいよね?と夫に相談したらぜんぜん問題ないと言った。多分忘れるんだろうと、夫も言っていたけど、そのとうりだった。そのとき、夫に私が思いついたすばらしいアイデアを話した。そのアイデア、名づけて「土禁の踏み絵」。クリスチャン狩りで、日本で実際に施行された「踏み絵」の歴史を夫に話した。マムは厳格なクリスチャンなので、イエスの顔とか肖像をプリントアウトしたのを床に貼り付けて、土足で踏まないようにさせるというのはどうか?と。もし、この新しい立てかけたサインでも効かないようならやってもいいんじゃないか。と夫は言った。ほんの、ジョークのつもりだけど。多分マムよりも、義妹が怒るかもしれないな。
2008年10月16日
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昨日、一足早く家族が一匹増えました!老猫オリクルを私たちが引き取ることになったのです。こちらに引っ越す前の予定はそういう予定でしたが、私が妊娠中で猫のトイレはよくないということと(トクソプラズモシスという寄生虫がうんちのなかにいて、妊婦に寄生すると胎児にも影響をおよぼす)、オリクルはあちらのおうちで17年間暮らしてきたのだから、いまさら移動させたらかわいそうかも。ということで、オリクルはおいてきたのでした。オリクルはサラ(私たちが引っ越してきたときに連れてきた若い猫)に遭遇するとものすごく怒り、恐怖か何かは知らないけれど、大小共々失禁します。サラも喧嘩するつもりはないのだけれど、オリクルが気が狂ったように唸るので、それを聞いてオリクルに飛びかかるのです。私たちがアパートに引っ越してから2ヶ月弱、マムはサラとオリクルを隔離しようとがんばっていましたが、忘れっぽくなっているのと、そういう作業をするためのシステムの確立やらアイデアやら、継続性も徹底もなく、サラは結局毎日のようにオリクルに遭遇し、リビングルームはいまでは動物園のような臭いがします。ダディーは予告なしに血圧が下がって倒れる、転ぶ。。。マムはもう限界だと昨日私たちに言いにきました。そして、サラを里子に出したいといいました。サラは私たちがダウンタウンのアパートに住んでいたとき、レイシーという女性に飼われていましたが、えさもちゃんともらえてなかったようで、そしてレイシーは精神病とアルコール中毒になり職を失い、アパートの家賃が払えなくなり、オレゴンの実家に帰っていきました。いつも遊んでやったり、えさをあげたり、昼間家のなかに入れないサラをうちに入れてやったりしていたので、サラは私に一番なついていました。そのことを知っていたレイシーは、サラを私たちに託したのでした。そして、ダウンタウンのアパートから、ジジババの大きなおうちへ。。。サラは幸せに暮らしていました。ジジババの部屋ばかりに入りびたり、サラはババの猫になりました。だから私はなんとかなるだろうと、念願のワンコ、ケンジをアダプトしました。その後ぐらいからです。サラがオリクルに悪さをして、オリクルが失禁するようになったのは。オリクルは引きこもりになり、クローゼットで一年半ぐらいの年月を過ごし、巨大化しました。そして、歩くこともままならなくなるのじゃないかというぐらいのときに、マムからSOSが。。。「オリクルがクローゼットの中で失禁する。もうこれ以上世話できない。眠らせたい。」失禁で眠らせるのなら、私が一階で面倒を見るから。私たちはオリクルを私たちのベッドルームに移し、ミニ動物園のような柵を作りしばらく暮らしました。その日から、オリクルへの厳しいダイエットも決行されました。サラとオリクルを隔離するシステムを作ったら、思ったとおりオリクルの失禁はなくなったのでした。しばらくすると、オリクルは見違えるように減量し、よく歩き回るようになりました。私が妊娠したこともあり、ベッドルームのミニ動物園は閉鎖。オリクルはリビングで寝るようになり、マムはサラをできるだけ二階のジジババのベッドルームに隔離するようにがんばっていました。ジジがドアーを開けっ放しにする癖があり、そのせいで何度かサラがオリクルを攻撃する事故はありましたが、今よりもましでした。月日は流れ、私たち夫婦は同じ敷地内のアパートへ、ジジババは私たちが暮らしていた一階のベッドルームへ移りました。2ヶ月前のことです。一階に移って、サラとオリクルを隔離することは私は無理だと思っていましたが、マムが私が妊娠していることと、オリクルを引越しさせることがかわいそうだというのでオリクルは母屋に残してきました。この2ヶ月、ほぼ毎日のようにリビングでオリクルが失禁するものだから、リビングは猫の排泄物の臭いがプンプンしています。掃除をしてもしても、カーペットのどこかに尿がしみついているようで、これはフロアー全体をスチームクリーニングするしかないのでしょう。それプラス、ダディーの様態が思わしくなく。。。マムはとうとう、SOSをだしたのです。遅かれ早かれ、この日が来ることを私は予測していました。でも、マムのSOSは「オリクル(もしくはサラ)をひきとってくれ。」ではなく、「サラを里子に出したい。」というものでした。身重でもうすぐ出産する私に、猫を一匹ひきとってなんていえないのはわかっています。だからといって、サラを里子に出すなんてオプションはありえません。オリクルとサラを隔離させればいいのだから、オリクルを引き取ることにをすぐに決めました。幸運にも、オリクルとケンジは仲がよく、アパートで一緒に飼っても何の問題もなく暮らすことができます。サラとケンジはちょっと難しいので、マムの意思を確認しました。「マムはオリクルをこの家にどうしても置いておきたい?サラを里子に出したい?サラを完全にアパートに閉じ込めて、家猫にすることは難しいから引き取ることは難しいけれど、オリクルはもう老猫だし、外に頻繁に出す必要もないし、ケンジとも仲良くできるから、オリクルなら引き取ることができるけど?それじゃぁだめかな?」「オリクルが失禁することが一番の問題だから、それが避けられるのであれば私はオリクルをアパートで引き取ってもらえるならばぜんぜんかまわない。」ということで、昨日の夜、オリクルのトイレと餌、クッションなどを一式こちらに持って来ました。ケンジとオリクルは喧嘩もせず、二匹であちらこちらをうろうろとしています。オリクルの餌も、ケンジが絶対に食べられないように設置できるし、オリクルのダイエットもしっかり管理できるし。。。(あちらの家のときはほんとにいい加減で、ケンジがオリクルの餌をしょっちゅう食べていました。そして、ダディーが勝手に猫の餌のボールに常に山盛りドライフードを入れるものだから、ウエットを食べたがらず、また太り始めていました。)今日はオリクルのウエットフードをたくさん買いだめし、トイレの砂も買いだめしてきました。猫の世話なんてほんとに楽なもんですし、ケンジも留守番してくれる仲間ができて心強いことでしょう。ナナミが生まれて、この動物たちがどんな風にナナミに影響を与えてくれるのか、私は楽しみで仕方がありません。
2008年10月08日
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義兄が今夜遅くに来るらしい。先日、ダディーの調子が思わしくなかったとき、夫が義兄に電話をした。来れるときに会いにきておかないと、ダディーがもうどのくらいしっかりとしているのかも予測ができない状態になってきてるから。と。同じ電話を義弟にも入れた。来年の3月までは来れないといっていた義弟家族だけれど、一番上から二人の子供とシャーロット(義弟嫁)は無理だけれど、残り6人の子供と義弟だけが12月頭に1週間ほど来ることになっている。上の子供二人は高校生なので、授業を抜けると先に影響が出るからということだった。義兄は、電話口で夫に言ったらしい。「マムもダディーも、サンディエゴに訪ねてくる努力をしなかったから悪いんだ。いつでも大歓迎してやったのに。」と。うそばっかり。義兄。いい加減にせいよ。マムとダディーが、結婚してからまもなく子供が産まれて、ジジババが遊びに行った。多分、2回ほど遊びにいったことがある。一回目は、大きな家に住んでいるくせに、マムたちが泊まった部屋はほんとに小さな物置みたいな部屋で、ベッドではなくフトンマットレスで、言うまでシーツも毛布も出してくれなかったと。あんな待遇を受けたのは初めてだとマムは憤慨していた。二回目のときは、クリスティー(義兄の嫁)が2日間、一回たりともベッドルームから出てこなかったそうな。病気で寝ているから、と義兄が言っていたと。なにが大歓迎だ。そんな待遇を受けたら、「もう二度と行くか!」って思うのが普通じゃないか。ダディーがまだ元気だったとき、電車でサンディエゴに一人で義兄と子供たちに会いに行ったことがある。でも、ダディーは義兄の家には連れて行ってもらえず、子供たちにプレゼントを渡して、ランチを食べたらその足で電車にのって、夜遅くにサンタバーバラに帰ってきた。自分で運転できないから、電車にのって行ったサンディエゴ。自分の息子がいるのに、日帰り旅行。日帰りでサンディエゴなんて、私には考えられない。電車だったらそれこそ、片道5時間はかかるのに。それでもダディーは義兄と孫の顔見たさにわざわざ出かけていった。そんなことでさえ覚えていない義兄は、頭が完全にやられているとしか思えない。そんなクレイジーな義兄が今夜遅く、うちに来るらしいとマムが言ってた。もう一緒には暮らしていないから、挨拶だけしてあとはかかわらない。夕食だって、次の日のランチだって、何もする必要はないからな。ほっておく。私たち夫婦への嫉妬はおそらく消えることはないだろうから、義兄はマムにいろんなことを好き勝手に言うのだろうけれど、それも妊娠中は聞かないように耳をふさいでおく。甥っ子二人がいなければ、ほんとにとっくの昔に爆弾を落としていたさ。マムたちが孫に会えなくなるようなことだけはしてはいけないと思うから、抑えているけどな。この家に、もうすぐナナミが生まれてくれば、ジジババの悲しみや淋しさも少しは和らいでくれるんじゃないかと祈ってる。あんたたちなんて、来ても来なくてもどっちでもいいわ。ぐらいにしか思わないぐらい、幸せな暮らしを送るんだから。って、ジジババに対してそんなやさしい気持ちにさせてくれるクレイジーな義兄が、今夜おそくにやってくるらしい。
2008年10月04日
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昨日、血圧が急激に下がった後、意味が分からないことをぶつぶつと話し続け、自分の名前すら言えなくなったダディーを、夫とマムがERにつれいていった。予測通り、入院となった。昨日CT、今日MRIの検査を受けて結果を待っているところ。マムは朝食後、病院に行く。今日退院になったとしても、昼までに帰ってくることはないだろうから、マム用のランチ・スナック、水をつめたバッグを作ってわたした。今朝、生ゴミとリサイクルを捨てていたら、リサイクルビンの中にワインのボトルがあった。3日前にはなかったボトル。そして昨日は、マムが病院に行ってから何かしておいてあげようと思い母屋に行った。母屋のリビングにコーヒーカップやらお皿やらがあり、台所のカウンターにも果物のボールが出たままだったので、お皿を洗って果物を冷蔵庫にしまったり、ちょっとした片づけをしておいた。ディッシュウォッシャーには、汚れたワイングラスが数個入っていた。まだ、ワイン飲んでるんだな。腹は立たなかった。そして、ダディーがあんなふうになったことに対して、とても冷めた気持ちになった。心配とか不安とか、そんな思いを抱いて気をもむことさえしたくないと思った。私はできることしかしないから。絶対に、自分がいっぱいいっぱいになるような負担は抱えないから。と、決心した。ナナミがもうすぐ生まれてくる。今はこの輝かしい未来に私のエネルギーを注ぐことに集中することにした。
2008年09月29日
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今日の午後、夫とマムがダディーをERに連れて行きました。いつものように、血圧が突然下がり、真っ青になり、ふらふらと倒れこむ症状があり、それが私たち夫婦が買い物に出かけているときになったらしく、帰宅してからダディーがどうしているか見に行ったら、完全に混乱して、自分の名前さえ言えないような状態でした。自分が混乱してることについて、自覚はあるのだけれど、私がする質問に答える答えることなく、意味の分からない聞き取れない言葉を話し続けていました。脳梗塞、脳内出血の症状はなく、瞳孔も左右対称、体の動き・強さも左右対称だったのだけれど、自分の名前さえいえなくしかも1時間以上もその状態が続いているということで、すぐにERに行くように指示しました。私は家で留守番をして連絡を待っていました。2時半ごろ、ERに行き、夫は6時ごろ、友人にピックアップしてもらって一度家に帰ってきました。マムはそのまま病院に残り、おそらく入院することになるだとうということは予測ができたので、要るものがあればもって行くからすぐ電話くれるように言っておきました。現在、午後8時50分。ダディーは神経科の病棟に入院することになったので、マムはもうすぐしたら帰ってくるそうです。マムは多分、遅い朝食を11時過ぎに食べたっきりなので、サケのおにぎりときゅうりの塩もみサラダを作って、帰ってくるのを待っています。それにしても、こんなに早くにこういう事態が訪れるとは。。。引越しが済んだあとでほんとによかった。という気持ちと、ナナミがもうすぐ生まれるというのに。。。どうなることやら。。。という気持ちが入り混じりとても複雑です。ダディーがこのままもとのダディーに戻らなかったら。。。こりゃ大変なことになる。ナナミをマムに任せて、パートタイムで仕事。。。なんて、とうてい無理だな。とか、いろいろ考えるんだけれど、気持ちはそんなに焦ったりしないのはなんでだろうな。マムが帰ってきたら、ダディーの様態を聞いてみることにしよう。
2008年09月29日
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もう同居はしていないのだけれど、いつも選ぶトピック。。。。私たちが敷地内にリモデルをしたアパートに移ってから一ヶ月が過ぎた。ようやく落ち着いた生活。ほんとにほんとに、バタバタした3ヶ月だった。この3ヶ月、毎日、毎日、毎日、ヘルパーさんやら職人さんやらが複数やってきて、別にこの人たちのランチを食べさせなければならない義務はまったくないのだけれど、それはこの家のやり方らしく、いつもジジババを含めて6人とか8人分の昼食を用意していた日々が続いた。私が仕事のときはババが作るときもあれば、夫がお持ち帰りのメキシカンとかサンドイッチを買ってきて、もちろんジジババの分も買ってきて、食べさせていた。職人さんだけならまだしも、毎日振舞われるランチ目当てに、ジジの友人、フロイドおじさんもほぼ毎日、ランチ時にやってきた。私がそのことをすごく嫌がっていることを、本人はわかっているのにしぶとく来た。私が「ランチ、食べていけば?」と何があってもいわないから、いつも夫のところまで行って「じゃぁ、帰るわ。」とランチができる直前に帰ろうとして、夫から「昼ごはん食べていけば?フロイドおじさんの分もあるだろ?」と私に聞いてきて、夫からの招待を受けて昼ごはんを食べていた。複数の職人さんたちと楽しくランチを食べることは、ジジババの楽しみでもあったのだろう。ババは職人さん大切な休憩時間だというのに、かまわずトークショーを延々と開いた。ジジも職人さんであろうが誰であろうが、来客があることは嫌ではないので、よい刺激になっていた。8月末にパーティーが無事終わり、リモデルもこまごましたところはやり残しがるけれど、あとは職人を雇わずとも夫がぼちぼち仕上げることになった。人がこの家からぱったりと遠のいた。リモデルが終わったら、フロイドおじさんもほとんど来なくなった。母屋にはジジババが二人で暮らし、私たち夫婦はアパートに完全に移った。ジジの病状は降下気味で最近ものすごくスローになってきた。私たちが出てから、刺激が少なくなったのだろうか。頻繁におかしなことを言ったり、したりするようになったとマムがいう。食事の世話はマムがしている。何を食べているのかは知らない。私はあちらの食事まで世話できる状態ではないから、移ってきてからは数えるほどしかおすそ分けもしたことはない。今日、夫が言った。「こちらに移ってきたことが間違ではなかったと思いたい。」と。私たちは間違った決断は絶対にしてない。私がそう思う理由を夫に話た。ダディーがボケたりおかしくなったりしないように、私たちが刺激を与え続けるためだけに一緒に暮らすことはできないんだよ。遅かれ早かれ、ダディーの病状は進んでいる。それをスローダウンするために私たちの生活、子供やら夫婦としてのユニットを犠牲にすることはできないししたくない。現に、今のあの家で親子3人が暮らすスペースはないし、無理に暮らしたとしても義弟・義兄が泊まる場所なんてとうていなくなるから、彼らがこっちにこれなくなる。ジジの介護に今しばられ、そしてババがいずれ必ず、要介護になる。ババは健康そのものだけれど、最近物忘れが激しい。ボケたままおそらく、何十年も生きるだろう。そうなれば今から20年、いや30年(マムの母が97歳でまだ健在。マムは多分、100近くまで生きるはず)、ノンストップで介護の生活に入らなければならない。ナナミを育てながら。だから私は、ジジババが二人だけで何とかなっているうちは手出しはしない。本当に、介護が必要になり、手出ししなければならないときがくるまでは、二人にがんばってもらわないといけないんだから。ジジが動けるうちに、あんたがジジを連れてアンティークのカー・ショーとか連れて行ったり、小トリップにつれていってやったり、こちらに住んでいてもやれることはいろいろあるやろ?今週か来週、晩御飯を食べに外に連れ出してやってもいいやん。ジジババのために私ら家族3人があの家に住まなくても、子供ができたら刺激もできる。こんなに近くにおるんやから。しかも、ジジババは私らから毎月の家賃収入だってあるんやで?自分らの年金いれたら、十分すぎるぐらいの収入がある。経済的にだって何一つも困ることもないねんで?彼らにとってこんなにラッキーなことはないと、私は思うけどな。夫は多分、一時的に納得したと思う。劣悪コンディションで、たった一人、もしくはカップルで暮らしている老人なんてゴマンといる。ジジババとは比べ物にならないくらい、明日どうする?っていうような暮らしをする老人を病院でも日常茶飯事で見てきているから、ジジババに同情とか危機感が全く生まれない。私は厳しいかもしれないけれど、冷たいかもしれないけれど、ジジババは大丈夫。って思ってしまう。たった今、ジジババが病院の検診から帰宅。車から降りたとたん、ジジがふらつき真っ青になり、座り込んだらしく、ババが夫を大声で呼んだ。二人で部屋に運ぼうとするから、動かさないように指示し、椅子を持ってきてそこにしばらく座らせた。ゲータレードと水を飲ませ、血圧を測った。案の定、上が90切っていた。しばらく休んで、上が100以上になって、ダディーの気分がましになってから、部屋に運んで座らせるように指示した。こういう状況になっても、私はあちらの家で一緒に暮らす必要性は感じない。暮らせないし今の状況で十分じゃないか。と思う。呼べば出て行って助けてあげられるんだから。一緒に暮らしていてもそうでなくても、結局は同じだと思う。一緒に暮らしていたって、二人ともが家にいなければマムが一人でなんとかしなければならない。私はドライすぎるのかもしれない。でも、一緒にいてもそうでなくても、起こるときに物事は起こる。一緒に暮らしても、ジジが転んで骨を折りそのまま寝たきりになるのを予測することも、防ぐこともできない。ダイエット、便秘、安全対策。言っても言っても聞かずに同じ小さい事故を繰り替えすジジババの自立や決断に意見したり、イライラをぶつけることなく暮らすことはお互いのストレスを減らし、結局は一番いいようになるのだということを、夫はまだまだ、心から理解できないのだろうなと感じた。正直なところ、私自身もジジの急激な降下を見ていると、「この別居が正しい決断であってほしい。」と強く祈っているところがあり、「いや、絶対に正しかったんだ。」と、自分を納得させるためのいろんな要素を日々探していることに気がつく。ババを見ていると、私たちが出てからかなり生活が変わったようで、ジジを一人にできないと言って、どこにも行かずにずっと家にいるようになった。でも、それが夫婦として老後を生きるということなんじゃないかと思うし、ババが自分の自由のために私たちがジジの面倒をたまには看るべきだとか、そんなことは思っていないのも分かる。私は後悔はしない。でも、夫は後悔するタイプだから、多分今、近い将来、遠い将来、いつでもジジに何かあったら後悔するんじゃないかなと思う。人はそんなもんだと思うから。でも、義弟や義兄には絶対にできないこと、できなかった手助けを私たちはやっている。こんなに近くにいてあげられるだけでも大きな助けなんだし、胸を張って自信をもってこれまでどおり暮らせばいい。と夫にいつも言う。私は子供と親子3人の生活のために自分が犠牲になってもかまわないけれど、ジジババのために子供と親子3人の生活を犠牲にはしたくない。もう既に多くの「妥協」をしてきたし、これからも「妥協」はする。でも、「犠牲」にはしない。このラインをどこでひくのか。夫と私が同じ場所でこのラインを引くことができるのか。これからの大きな課題になるのだと思う。
2008年09月26日
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夫婦というユニットで送る生活が再び始まりました。もうジジババの食事に気を使うことは要らないのです。最初の数日、なんだかあちらのことを全く無視して二人だけの食事を作り食べることにちょっとだけ罪悪感みたいなのを感じました。今まで面倒くさくてやったこともなかった、完全日本スタイル(味噌汁・ご飯・オカズなど、いろんなお皿がテーブルに並び、はし置きも使っての夕食)を楽しみながら、新しい暮らしをしみじみ実感しました。今はパーティーが終わり余りまくった冷蔵庫の残り物を片付けるのに必死で、ジジババにもそのノルマがあるので、食事は今のところ全く気にすることなく、あちらも残り物を食べてるんだろうな。ぐらいにしか思わなくなりました。先日、ちょっとしたことで言い合いになり、落ち着いてから話し合いをしました。夫は私がなにかあるたびに夫を見下しているような、ものすごく高圧的な態度をとることが嫌なのだといいました。妊娠していることも一つの理由だとは思いますが、夫にしてみれば、出産後も付きまとう私が抱える問題なのだという見解が強くあり、またカウンセリングの話になったのでした。夫がすべての問題を私に起因することが府に落ちません。「カウンセリング」をオプションにもってこられるたびに、同居生活が私にもたらしたストレスを夫が全く理解していないのだと感じる瞬間でもあります。3年半の同居生活で、自分の台所もなく、冷蔵庫も食料品スペースもほとんどないのに、夫婦の食事を作ればジジババの分まで作らなければならなかった生活。プライバシーはあってないようなもので、休みの日には何度も部屋にやってきては、しょうもない用事や話をしにくるババ。リビングなんて、この3年半ですごした合計時間は10時間にも及ばないでしょう。ジジババがいるときはダイニングで食事を取るのも嫌で、私の自分だけのスペースは、ベッドルームのコーナーに作った小さなオフィスで、休みの日には何時間もそのスペースですごした3年半。そんなフラストレーションを夫に理解してもらおうとは思わないけれど、この3年半で夫婦というユニットの生活をあきらめて、義両親と暮らし彼らを含めて「家族としてのユニット」で暮らそうとした私の努力を思い出してほしいと夫に伝えました。いいこともたくさんあったし、マムのこともダディーのことも大好きだけれど、同居のフラストレーションの裏には、夫に対する怒りが常にあったのだということを夫に言いました。ストレスの根本を同居というシステムの問題とみなさず、長年、その問題を私に起因しようとした夫に抱え続けた無意識の怒りはすぐには消えないだろうということも言いました。怒りに任せて文句を言うとき、夫を見下すようなことや高圧的に文句を言ったりしているのは自分でも重々わかっています。娘ができたとき、絶対にそういうことをしてはいけないということも自分の中でわかっているから、これから私が直さなければならない問題だと常日頃思っていました。プチ別居が始まり、パーキンソン病のジジの現状とこの生活がどのくらい続くのかも分からないけれど、同居生活を離れて半月たった今、私生活のストレスが激減しているのを心から実感しています。今はまだ、ジジババに作りすぎた夕食の残りをもって行くぐらいの気持ちにしかなれないけれど、もう少し日が経てば、「こっちで晩御飯食べに来る?」と招待できるぐらいにまで気持ちがやさしくなれるかな、とそんなことを考えながら、ナナが生まれてくるまでのあとわずかな時間をゆったりとすごしているところです。
2008年09月04日
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プチ別居が始まってから1週間とちょっと。パーティーの準備やらでイライラと夫に怒ったことはあるけれど、これが終われば私の心に平和が訪れるにちがいないと信じてる。月曜の検診で、異常なしと言われてから、パーティーの準備を放棄するオプションは忘れることにして、この3連休は毎日、毎日、パーティーの買い物で追われている。妊婦でなければ、こんな買い物なんて一日で終わらせるのに。。。動けないことが歯がゆいけれど、それもじっと辛抱して地道に買い物をした過去2日。明日木曜日と金曜日は仕事があるので、早くから買い置きできない食べ物などはマムと夫に任せることにした。今日は3連休最終日。こっちに来てから、寝ているのももったいない気持ちになって、朝起きる時間が早いので一日が充実しているのもうれしい。午前中のうちに買い物を済ませて、午後は家でまったりすごすことにしよう。
2008年08月27日
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今日の夕食も大変静かで平和でした。トライティップステーキと野菜焼きそばを二人分だけ作って食べました。二人分も四人分も作るのは同じじゃないんだとまた実感しました。片づけだって楽だし。ましてや、自分のキッチン、自分が使いやすいようにアレンジしてあるから料理もほんとにスムーズだし。電気コンロも使い始めればなれてくることでしょう。最近、ランチ時に毎日のように来ていたダディーの友人が家に全然来ていません。きてもこなくてもどっちでもいいし、来れば勝手にあっちでランチ食べればいいので、それもほんとにうれしいことです。大勢のランチを作らなくてもいいので、今日も夫とヘルパー二人のランチ、ホットドッグとビーンズとチップスだけ作ってさっさと食べてもらい、大変充実した一日でした。ケンジはあちらとこちらを、毎日行ったり来たりしながら、二つの家をエンジョイしています。ババ猫オリクルをこちらに連れてくるつもりだったけれど、マムがやはり、オリクルは16年、17年もあちらの家で暮らしてきたので、あちらにおりたいだろうから。。。と、こちらにつれてくることはなくなりました。正直、ほっとしています。実際に荷物を運び入れてみると、その収納の少なさを実感し、かなりのチャレンジを強いられているところです。ま、そのチャレンジも日本人が得意とするスペースを有効利用する賢さをフル活用しながら、日々、整理整頓に勤しんでいるところです。これでパーティーの頭痛がなければ、ほんとにリラックスできるのに。。。無理を重ねて、パーティーの前に「絶対安静状態」になってやろうか!とか、思っていましたが、今日の検診では何の以上もなし。と、また太鼓判おされてしまいました。。。パーティーの準備、無理がないようにぼちぼちやっていきたいと思います。
2008年08月26日
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8月18日から、新居で寝泊りできるようになりました。温水器がまだなので、シャワーは母屋で浴びてます。台所は水しかないので、あまり料理はやっていません。仕事と引越し作業で買い物やら食事を作る時間もエネルギーも余っていません。台所はほぼ完了。足りないものは母屋から持ってきたり買い足したりしながらぼちぼちやっています。ガスのラインは入ったのですが、レンジがまだしばらくは電気です。これがガスならもうちょっとモチベーションがあがるのになぁ。私のオフィスもほぼ完了。まだごみごみしているので、もうちょっとシェイプしなければなりません。まだまだ、こまごました作業が残っているので、毎日夫のヘルパーが家で作業をしていますが、ジジババから離れてようやく得たプライバシーのおかげで精神衛生上かなりよい感じです。夫は朝食はジジババのところでジジの分も作ってあちらで食べています。夕食はいまだにババが余分に作って私たちを呼んでくれるのでありがたくいただいています。ほんとうは私が作って持っていってあげたいのですが、今はまだ無理かなぁ。台所をもう少し充実させないと。。。冷蔵庫も空っぽだし。それから、パーティーのゲストは8月20日までに返事がなかった人たちは、来ないものとみなし、90人という数字がでました。100人を超えないので、ほっとしています。引越しが終了してから、ストレスが激減したようです。パーティーは間近ですが、気持ちがかなり楽になったので、一時は心配したニセ陣痛もほとんどなく、仕事も充実してやっています。今日からいよいよ、パーティーの買出しをぼちぼち始めなければなりません。できない買い物はリストを夫とババに渡して行ってもらうことにします。今からヘルパーのランチを作って、定期健診の準備をして出かけてきます。
2008年08月25日
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夫が一目見て惚れ込んだ、新居のフローリングです。メープルの木だそうです。1ftx1ft あたり、2.50ドル。(約30cm四方)ホームセンターで買ってきて、暗すぎたやつは2.99ドル。体育館のフロアーみたいなやつは、1.47ドル。Graig's list (イーベイみたいなやつ、でも、オークションではない)で見つけたのですが、ほんとなら3倍以上の値段はする本物のいいクオリティーだそうで。しかも、私たちが必要としている、800スクエアーフィートあるとのこと。出会うべくして出会ったフローリングのようです。早ければ今日の午後からフローリングの打ちつけ開始。遅ければ明日、明後日でフロアーは完成の予定。16日の午後には荷物を運び入れる予定をたてています。今日は1時間から2時間おきに、痛みはないけれどお腹が硬くなるのが気になるので、水を飲んでゆっくりしているところです。本当はフロアーラグなんかを買いに行きたかったのですが、今日は自粛です。昨日は血糖値の検査もパスしたし、ナナミも予定どおりのサイズで育っているとこのこと。今日は久しぶりにお腹の写真もとりました。22週以降、写真をとっていなかったのですが、見比べてびっくり。ずいぶん大きくなりました。引越しまであと4日。。。
2008年08月12日
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リモデルは進行中。今週末には荷物運びいれか?ぐらいのところまできている。床は現在のカーペットをスチームクリーンするよていだったのが、いつのまにか夫の欲でフローリングにすることになった。全室一面フローリングにすると言いだしたけれど、結局、台所、ダイニング、リビングだけでベッドルームのカーペットは比較的新しいからそのままにしておくことになった。フローリング選び。木材にはとことんこだわるので、難航した。夫がほしいものは高い。安っぽい、体育館のフロアーみたいなのは絶対嫌だと、結構なエネルギーを費やして探していた。ホームセンターで見つけた、レッド・ウッドのかなりダークなカラーのフローリングを買ってきたけれど、暗すぎた。2~3トーン明るめのものをまた買ってきたけれど、これまた安っぽい。そして昨日、夫が納得するフローリングの板を見つけ出した。値段も予算内で収まる。これに決定。このリモデルはどんどんと規模を広げていき、最初に立てた計画からもっともっと手を入れたので大変いい新居になることだろう。お金も時間もかかったし、一刻も早く引越しのストレスから開放されて、パーティーの準備にとりかかりたいけれど、フロアーがフローリングになるのはなかなかうれしい。掃除も楽だし。昨日、仕事から帰ってきて夕食を食べていた。マム参上。しゃべりだした。うざい。今日の出来事からはじまり、新居のフロアーのことをしゃべりだした。あんなにきれいにしてくれたら私たちが移り住むのがほんとに楽しみだ。とか言い出した。2年か3年で私らが住むことになるだろうとか、そんなことを言う。私は近い将来、この家(母屋)に住むつもりはあまりない。私:2年後にアパートに移るのは早いんじゃないかな?将来、ダディーの介護をする人が泊まれるスペースがいるから、こっちの家がちょうどいいんじゃない?マム:それならアパートの下にもう一つ部屋を増築すればいいのよ。じゃぁ、その増築した部屋を子供部屋にするし。別に私らが入れ替わる必要はないんじゃない?子供だって、自室が必要になるまでに何年かある。2年で引っ越す必要はないと思う。二人目ができたらどうする?二人目が男の子だったら二つ部屋がいるじゃない?あのアパートじゃ子供二人はきついでしょ?とか言い出したのでまた腹が立った。8ヶ月の妊婦に二人目とか言うか?まだナナミが生まれてないうちから、二人目なんて考えもしてないわ。気が早すぎるんじゃない。かなりむかつきながらマムの目を見ずに言った。マムもちょっとだけとイライラしてきているのが分かった。ほんとにむかつく。しばらくして、マムは二階に帰っていった。12時間の仕事を終えて帰ってきた妊婦だということをほんとに分かってないな。いい加減にしてほしい。寝る前にまた、夫を攻めた。「あんたら家族全員、ええ加減にしてほしい。もうほんま、カンベンしてほしいわ。」はっきり言って、この家からアパートに移るのだって、マムじゃ無理。収納が少ないし、とてもじゃないけれどマムとダディーがこの家に溜め込んで使わないくせに捨てられない物品を全部持ち込んで暮らせるほどのスペースはない。そういうことも全然、分かってないのも腹が立つ。私がどんだけ、持ち物を最小限にとどめ、シンプルにあちらの暮らしを始めようとしているのかなんて、台所のあふれかえるスパイスキャビネットにずらーりと置かれた、10年以上は使っていないであろうスパイスを捨てられない人にはわからない。私たち夫婦のやることなすこと、新居までも、同じように欲しがるマムに嫌気がさす。マムがあちら、私ら家族がこちらに移り住むとき、マムはアパートに持ち込めないガラクタを全部こっちにおいてあっちもこっちもスペースを占領し、私らのプライバシーやスペースを侵害することは目に見えている。お客さんが来るからと、こちらのリビングを使い、パーティーがあるからと、こちらのダイニングとキッチンを使い。。。夕食の準備時にはダイニングにダディーが座っていそうで怖い。だから私はこっちの大きなスペースに住むのは嫌だというのもある。この大きなスペースをマムにすべて明け渡すから、好きなだけ使わないガラクタを詰め込み、溜め込み、暮らせばいい。そして万が一、私たちがこの大きなスペースに暮らすことになり、マムたちがアパートに移り住むことになったとき、ガラクタはすべて処分する。彼らがアパートに持ち込めないガラクタはすべて、処分させてもらう。そうしよう。新居もこっちも、何もかも欲しがるのはおかしいんだから。まだ起こるかもわからない将来の心配をいろいろ考えていたらまた眠れなくなった。自分でも分かっている。この怒りやイライラやストレスはホルモンのせい。多分みんなもそういうことを分かっているんだろうけれど、無神経な人たちにことごとく嫌気がさした。やはり同居は夫婦仲がこじれる原因に十分なりうるんだなと実感した。最近、ほんとに毎日ように喧嘩ばっかりしてるし。怒鳴って怒るたびに、自分が妊婦であることを主張している。妊婦は感情をあらわにしても全然オッケーなんだよ!ホルモンバランスが普通とちがうからな!と夫に怒り散らしている。マムにぶつけられないから、全部夫に行く。ケンジが最近吐いたり、なんとなく心配しがちな顔をして調子が悪いのもおそらくこのせいだと思う。早くこの家から出たい。
2008年08月11日
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引越しまで、推定2週間。か、それ以降。私はそれ以降と見ているけれど、そろそろ家具の配置とか考えないと。と思い、アパートの測定をしました。それから、もっていく家具のサイズも測定しました。で、こんな感じの工作遊びをして、昨日と今日は楽しんでいるところです。ベイビーバシネットを置く場所やら、まだ見ぬ家具・収納スペースをとっておきたいので、最低限の家具しか置かないことにしました。このアパートはウォークインクローゼットが一つあり、それで十分用は足りるのですが、ベッドルームに収納が全くなく、今よりも少し狭いので物は少なく、を心がけたいです。リビングルームリビングから直接つながる、ダイニング。キッチンは置く家具がないので、作成していません。オープンカウンターがあり、多分カウンターでの食事が主になるのではないかと予測しています。リビングからダイニングは広く、4mx12mのエリアで仕切りもドアーも何もありません。リビングの一番端は、夫と私の書斎スペースにして、その横にコーヒーテーブルと小さなカウチでリビングのスペースを作りカウチでダイニングを背にする形で、仕切ろうかと考え中です。ダイニングの一番端には、私が使っていたデスクがスライドしコンパクトになるPCデスクと本棚を置き、キッチンの仕事をしながら、書類・オフィスワークをするスペースを作ってみることにしました。実際に家具をおいてから、実物写真と見比べてみるのがとても楽しみです!自室で使っていた、私専用の冷蔵庫を最初は持っていくつもりしていたのですが、おくところはあるにはあるけれどなんかスペースが無駄なような気がして、売り出すことにしました。昨日の夜、ミクシの地元エリアのコミュにいくつか載せたところ、30分以内で返事が来ました!この冷蔵庫、2006年12月6日に149.99ドル+TAXで購入し、私と同じように、アメリカ人ルームメート、ハウスメートの冷蔵庫使用状況に耐えられなくなっている日本人、ハウスメートに勝手に食材・お菓子、飲料などを食う・飲むされてストレスがたまっているそんな日本人学生を助けたいという気持ちで、50ドルで売り出しました。夫は50ドルは安すぎる、80ドルでも売れるぞ。といったのですが、外国でがんばる日本人仲間を応援したいという気持ちで50ドル。1年半しか使ってないけれど、ものすごく役にたってくれたし。。。。で、8月半ばに取りに来てもらうことになったのですが、この彼女もハウスメートの冷蔵庫使用状況に耐えられなくなっているらしく、勝手に日本から買ってきたチョコレートとか食べられたこともあるらしく、日本食のスーパーで買ってきた食べ物を保存したくてもできないような感じなので、自分専用が欲しいと切実に思っているところに、ミクシのトピックを見つけたのだそうで。。。これも何かの縁でしょう。よく働いてくれた冷蔵庫です。これからも彼女の生活のストレスを数段和らげてくれることでしょう。
2008年07月31日
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今日現在、別居開始は8月10日という日にちを夫が出した。ということは、16日・17日ぐらいにはなるんだろうなというのが私の予想。あぁ、早く引っ越したい。。。ゲストルームにあるデスクトップはもともと、マムが使っていた。で、私たちが引越してきたので、マムにラップトップを買ってあげて、このデスクトップは夫が使っていた。マムのコンピューターはなぜか、あっという間にものすごいジャンクがたまって、スタートアップに20分も30分もかかるぐらいのものすごい量のメモリーとかハードディスクが使われ、しまいにはワードのドキュメントもあけられなくなったりするぐらいになる。マムが無駄なものを溜め込むマムの習慣はこのPCにまで反映されている。で、買ってから3年ぐらいのマムのノートも、1000以上のメールやら2GB分ぐらいの写真とかを入れたままにしていて、とんでもなく遅い。私たちは別居するときにはマムのデスクトップをマムに返すつもりなので、夫のメールアカウントやらドキュメントをすべてクリーンにしてマムのメールアカウントを設定しなおした。ノートが遅いから、毎日、このデスクトップを使うのに隣の部屋にやってくる。このデスクトップも徐々にジャンクがたまり始めて、うごきがスローになり始めているんだけれど、そんなことよりもなによりも、ここ数週間、プライバシーとか全然ない。屋根の工事は終わったので、ジジババは寝るときは二階の自分たちのベッドルームに帰っていった。ダディーはころばずに暮らしている。私が休みのとき、自室で用事(主に、会計の仕事やらパーティーのアレンジ、ベイビーのための用品リストのチェックなど)をしていると、1時間に2回は部屋にやってきてしょうもないことを伝えに来る。自分が電話で嵐のようにトークをしたあと、部屋にやってきて、誰からの電話でその会話とかをまた私に聞かせたりしてくる。かなり参る。今日は仕事を3時半であがらせてもらった。別に調子が悪かったわけではなく、患者数が減ったから一人帰らせるようにスタッフィングに言われた。こういうキャンセルになるナースのリストがあって、一番最近キャンセルになったり早退させられたりした人は、リストの下のほうに名前がくるのだけれど、で、私は2週間まえにも3時半にキャンセルになったから、リストの一番最後だったのだけれど、他のナースは誰も帰りたくないということで、私はまた名乗りをあげた。妊娠7ヶ月ということもあり、ゆっくり休めるときには休むように、というみなの気遣いも感じられてありがたく帰らせてもらった。のはいいのだけれど。。。嫁が早く帰ってきたのがうれしいのか、「昼寝する。疲れた。」といっているのに、何度も何度も部屋にやってきて、郵便だのケンジのガムだのをおいていってはしゃべってくるマムにいい加減嫌になった。一番最後には、なんか部屋に入ってきて探し物してるみたいに部屋の中をじろじろ見て回るので、「何か探し物?何がいるの?」と聞いたら、「何もないのよ。」と部屋を出て行った。早く引越ししたい。アパートになっても、おそらく勝手に入ってくるようになるんだろうな。とそんな気がする。でも、私が嫌だと思うんであれば、それははっきりいうつもりだし。家賃を払ってるんだから、勝手に入らないでほしい。プライバシーを侵害しないでほしい。家族だからって、いないときに勝手に入ってくるんだったら、家賃さげてもらうからね。と。だって、他人様に貸すのと同じだけの家賃を入れるんだから。他人様に賃貸して、勝手にかぎあけて部屋に入ったりしたら、家主だって訴えられるんだから。そういうところははっきりさせとく。自分たちの家という感覚があるから、ジジババは新居のツアーなんかを友人知人にすることだろう。私たち夫婦がいないときには、勝手にしないでとちゃんと言っておく。最初は多分、結構なジジババの友人に新居を披露しないといけないだろうけれど、子供ができたら断ることもあるからね。と最初にいっておくことも忘れないでおこう。
2008年07月27日
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8月30日、パーティーをすることになりました。最初、6月末とか7月初旬を引っ越すメドにしていたのでパーティーは7月末に計画されていました。引越しはいまだ実現せず、日程のメドも、8月初旬というものの、それも危うい感じです。一度は8月16日にパーティーの計画をたてたのですが、リモデル、もしくは引越しが未完成のまま100人を超えるゲストを迎えてのパーティーはあまりに過酷だということで、8月30日にすることにしました。前回のパーティーの問題点・反省点を思い出しながら、今回のパーティーの計画を練っています。招待状はメールでの発信は完了しました。メールがないシニアーや、夫の友人でアドレスがない人には郵送で発送します。今回のパーティーのテーマは、私のベイビーシャワーと祝・夫司法試験合格!ですので、招待状にはしっかり、ギフトの催促をさせていただきました。ペイビーシャワーというのは、もうすぐ出産する妊婦にギフトをシャワーのように送る、アメリカの伝統的なパーティーです。普通は妊婦が自分で主催したりしません。友人や家族が主催して、友人知人を招待して、パーティーは開かれるのですが、マムにその器量もエネルギーもないし、100人を超えるゲストなんてとんでもないので、実際、このパーティーを主催し仕切るのは私たち夫婦。パーティーにかかる費用も私たち夫婦もちになるでしょう。ベビー用品などを揃えるのに、これからいくらかかるのか?というときです。このパーティーで計画している出費は2000ドル。しっかりと取り返せるものは取り返したいと思います。また、シニアのくせに豚のように食いまくるジジババがくるのはわかっています。今回は負けません。そして、ただ飯を食わせるつもりはありません。マムはまた、招待したいだけ招待しています。彼女とダディーのゲストだけで50人を超えます。私たち夫婦の結婚式のギフトに、多分、自分たちの物置に眠っていたと思われるような、パーツが足りないフォンデュセットを持ってきた夫婦は呼ばないように、夫はマムに強く言っていました。そして、そんなチープでケチな部類に所属する別のカップル二人をマムが呼ぶというので、夫は大反対。ギフト欲しさとかではなく、夫は大富豪のくせにケチでチープな人がほんとに大嫌いなのです。今回のパーティーは口頭での招待は一切しないようにマムとダディーに強く言っています。招待した人は全員、招待状を受け取るようにするから、かならず言ってよ。と。招待状には私が欲しいベイビーグッズがレジストレーションされた、ベイビーザラスのサイトと登録者名などの情報がのせてあります。「ここでナデシコの欲しいものが購入できます。ここでギフトの買い物をしてください。」と、ゲストにしっかりアピールをするのです。前回のパーティーの記憶です。もう2年も前のことなので、どのくらいのトライティップ(牛肉)とチキンと用意したのかは忘れました。それプラス、かなり特大サイズの手巻きを合計で250ぐらい。ほんとうに相当な量を用意しましたが、料理が足りなくて完敗。だいたいの思い出せる計算によると、一人当たり、手巻き(ほんとにでっかくて、ローソンおにぎりぐらいかちょっと大きいかんじ)3本強、チキンBBQ約4分の1羽、トライティップ(ビーフの部位)200グラムを軽く平らげたことになります。反省点は、料理をおいしく食べてもらおうと、チップスやらオードブル類のアペタイザーを置かなかったことです。ほとんどがシニアーばかりだからと、ゲストの食欲を過小評価していた私たち夫婦の判断ミスです。今回はその反省点を生かすため、しっかりとチップスやらサルサ、メインにたどり着くまえに腹が膨れる炭水化物メインのアペタイザーをしっかり用意することに話がまとまりました。アピタイザーナン、クラッカーなどとハモス(中東・アラブの食べ物)にトライティップを刻んで添えたものと、普通のカレー。チップスとサルサ・ワカモレ(アボカドディップ)サラダ普通にレタスや葉っぱ類のオーソドックスなサラダと、マヨベースのマカロニサラダをたっぷり用意します。親しいゲストに、サラダ類を持ってきてもらうことも考え中。BBQチキンやトライティップができる前からテーブルに出しておいて、たくさん食べていただきます。手巻き寿司今回も前回と同様、250ぐらい、友人の寿司シェフにお願いしておきました。前回、同じ人が何度も何度も戻ってきてオーダーし、5・6本食べた人がいます。今回はそういうことがないように、寿司チケットをあらかじめ作ることにしました。招待客の名前をチケットにプリントアウトしたものを用意して、こられたゲストに渡します。手巻きはかなり大きいサイズなので、一人2本までのオーダーからお願いします。と明記しました。それから、2回目のオーダーは「オーダー二回目」と書かれたオーダーシートに自分の名前と食べたい手巻きを書き込んで寿司カウンターにドロップしてもらいます。この場合、初めてのオーダーをしているゲストの寿司が最優先に作られ、二回目のオーダーは一回目のオーダーが終わってからになります。寿司狙いの豚から、寿司を食べ漏れるゲストを守るためです。寿司バー開店も、オードブルをしばらく食べていただいてからにするつもりです。前回、寿司バーのオーダーに付きっ切りだったので、今回はUちゃんの日本人の友達に任せて、私は他のオードブルのチェックやゲストチェックなどに回りたいと思います。メインBBQチキンとトライティップランチスタイル・ビーンコーントルティアサルサドリンクソーダダイエットのソーダ水ビールワインデザートコスコのシートケーキ2枚一枚で45人分ぐらいとれるもの。以上、今回のパーティーの計画はこんなかんじです。今年こそは勝つぞ!!
2008年07月20日
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妊娠26週。夫はデッカイアメリカ人で、ナナ(胎児)がその遺伝を引き継いで、でっかく育っているだけなのか。はたまた、どんなに気をつけているとは言っても、アメリカという土地で日本人らしからぬ食生活をしている私が原因なのか。体重がここ3週間でいきなり増えた。水泳は休みの日には欠かさず行っているし、仕事の日は12時間、動き回っている。お尻と太ももに結構な脂肪がついたけれど、それ以外はムクミもなく調子もよく、健康そのもの。この体重の急増が何にしても、食生活の管理をこれから3ヶ月、厳しくしていくことにした。高カロリー、高脂肪のものは一切手をつけるのをやめた。高たんぱく、低カロリー、低脂肪で徹底的に行く。だから、マムが作る夕食はほとんど手をつけることもなくなった。マムが作る料理はチーズやオリーブオイルたっぷりのラビオリとか、サラダにさえ、チーズを入れる。私一人、日本食。ご飯とお海苔と雑魚と野菜と味噌汁と。。。そんなものを食べる。魚は種類がないから、カルシウムはジャコと妊婦のビタミンから、たんぱく質は鳥の胸肉なんかでとる。朝は低脂肪の牛乳を飲むから、ここからカルシウムとたんぱく質もとれている。昨日、トマトとバジルのサラダにモッツアレラチーズを入れたサラダを作ったけれど、チーズは食べずにトマトとバジルだけいただき、あとは鶏肉を食べた。職人さんとヘルパーさんのランチも、チーズとハムのペニニサンドを作ったり、ピザとフレンチフライにしたりするけれど、私は手をつけないようにしている。ジジはたんぱく質と薬が結合して効かなくなるらしいから、そういうものは昼間に食べることはよくないのだけれど、自分が食べないのに職人さんとジジの食事までできないし、マムも面倒くさいのでジジにピザやらペニニサンドを食べさせている。さっき、お腹がすいたのでわかめスープを作って飲んだ。わかめとゴマをたっぷり入れた。スープを食べる前に体重を量ったら、500gぐらい減っていた!食べたからまた、500gぐらい増えたかな。ま、今日がプラマイ0ならよしとしよう。
2008年07月18日
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フロイドというジジイが毎日家に来る。ダディーの友達なんだけれど、はっきりいってすごいうざい。なぜなら、昼時に来て当たり前のように昼ごはんを食べて、食べ終わったら帰るから。時々、ダディーの車をダディーと一緒にいじったり、ダディーの車でダディーをつれて友人のところとかに行ったりするけれど、だいたいはうちに来てマッサージチェアーに座って、昼ごはんたべて帰る。夫は、ダディーを外出させてくれたりするから、昼ごはんぐらいどうってことないって言うけれど、なんかほんとうざい。人をやとったり、デイケアーとかに行ったら結構なお金を払わないといけないし、たしかにそれを思ったらフロイドはそれなりに役割を果たしてくれているとは思うんだけれど。。。。外出するときのダディーの車のガスはダディーもちだし、外でランチをとってもダディーもちみたいだし。で、マムがいちどフロイドにダディーの車か何かのことでお願いしたとき、嫌だといって手伝ってくれなかったことがあったらしい。私がフロイドをうざいと思っていることは彼は知っている。大工の職人さんとか大勢分のランチを作っていても、フロイドを絶対に招待しないから。「食べていけば?」って、絶対に言わないから。マムもそれをわかっているし、私が作っている料理なのでマムとダディーに彼を招待する権限はなく、私の気持ちもわかっているから、結局だれも(夫以外)フロイドを招待できない。で、先日はランチが出来上がる直後に、「帰るわ。」と夫にいって帰ろうとしたところ、夫から「食べていけばいいじゃないか!」とようやく招待を受けたフロイド。フロイドいわく、ここでランチを食べ過ぎてるから私が怒っているから、今日は帰ると。はっきりいって帰って欲しかったけれど、夫は私のところにやってきて、フロイドの分もあるか?と聞いてきた。「さぁ、多分あるけど。」とぶっきらぼうにいうと、夫はまたフロイドに「十分にあるから食べていきな。」といった。その日、フロイドは私の車の排気パイプが壊れていたからといって、修理して帰った。そして、ダディーの車を掃除して帰っていった。彼がランチ時にきて、ランチを食べて帰ることを悪く思っていることは明らかだということで、まぁ今回は許してやることにした。で、今日。またきやがった。ほんとに毎日きやがる。今日は夫がいない。大工さんとヘルパー3人のランチだけ用意するつもりだった。マムたちも昼からエクササイズのクラスがあって、一緒には食べないというから。で、マムとダディーが外出するというのに、フロイドはまだ家に残っていた。こいつ、ヘルパーと一緒にランチ食べて帰る気か?信じられん。気持ちがイライラ・ムカムカしてきて作っている間もほんとにイライラした。で、出来上がってからマムに言った。「一生懸命、熱い中外で仕事をしてる人たちに、ランチができたと伝えてくれるかな?」フロイドはマッサージチェアーに座っていて、聞こえていたと思う。フロイドは職人さんたちが座ってから、マムに招待されてダイニングに遠慮がちにやってきて一緒に食事を取り始めた。ほんとにむかつく。今日はピザとかフレンチフライとか、そういうものなので、私は食べない。食べ終わったら教えてと、自分の部屋にいってこれを書いている。あと2週間、職人さんがいるうちは、ジジイは毎日家にくるんだろうな。ほんと嫌になる。このジジイが嫌いな理由は、ランチを毎日食べにくるからだけじゃない。このジジイもまた、マムに負けないぐらいしゃべりで、政治から医学までいろいろしゃべるんだけれど、こいつバカじゃないか?と思うようなことを延々と喋り捲るからイラつく。ジジイは生涯独身で、子供がいなくて、ギャンブル好きで、男尊女卑。ここが私がもっともジジイを許せないところ。一度、どこそこのだんなが風俗にはまって離婚されたとかそんな話をしていて、その理由が奥さんがだんなを満足させられなかったことが責任だ。とか、そんなことを抜かした。私はあごが外れそうになったけれど、何も言わなかった。マムは「はぁ~!!」みたいな感じで反撃していたけれど、私は後からマムに言った。「フロイドが独身なわけだよ!そんなこと言ってるから一生独身なんだよ、あのあほジジイ!」と。マムとフロイドの話をするとき、それはいつも悪口とかあほジジ具合が主なトピック。そのほかにも、いろんな男尊女卑発言をするフロイドに、「私やマムの作った手料理を食べさせる価値はないね!」とマムにはっきりといったこともある。「私はだから、奴にランチを食べられるのが嫌なの!!」と。フラー家の女をなめるんじゃないよ!というわけで、私はこのジジが当たり前のように、うちでランチを食べることが嫌なのでした。今後もこのジジイは私からの招待は一切、受けることはないだろうけど、それでも毎日のように来るのだろうな。。。ほんとにふてぶてしいジジイだ。そしてこれは、早く別居がしたい別の理由でもある。
2008年07月16日
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ダディーの血圧がアップダウンして、ダウンのときに転ぶらしいです。転ぶ直接の原因がワインではないらしいと、私も思い始めたのですが、それでもそんな状態で飲むわけにはいかないということで、次も飲んだらしかりますし否定しても厳しく飲むなと言うつもりですが。シナメット(パーキンソンの薬)とザラパー(パーキンソンの薬を効きやすくする薬)とセラクェル(シナメットの副作用、幻覚を抑える)の回数と量を増やしたことが血圧アップダウンの一番の原因らしい、ということが予測されました。昨日はダディーの血圧、50・30ぐらいまで下がったらしいです。ここまで低かったら家庭用の血圧計だとエラーが出るはずなのでほんまかな?って感じですが、昨日はとうとう、ERに行ったらしいです。で、そのあとドクターとも電話でしゃべって、すべての薬を増量する前のドースもどすことになりました。それから、まだ私たちが引っ越してないのですが、マムとダディーがこれからゲストルーム(向かいの部屋)で寝ることになりました(泣)。ダディーに二階へは絶対に行かないようにと厳しく言いつけました。トイレも一緒だ~(泣)。でも仕方がありません。甥っ子が6週間いたとき、向かいのゲストルームで暮らしていたから別にいいんだけどさぁ、なんかプライバシーがないのでいやだなぁ。毎晩の儀式でもある、肉割れ防止の妊婦のオイルをじっくりとお腹に塗る作業だって、素っ裸でするんだけどドアのすぐ外で人がいたら落ち着いてできないし、なんかマムがノックもせずにいきなり何か言いながら入ってきそうで嫌だし。(多分ないとは思うけど)夫に、「ジジババがお隣にいるんじゃぁ、愛の語らいもしばらくできないな。残念~!(別に残念じゃないけど)」って言ったら、なんかほんとに残念そうにしてたから、リモデルが早く終わるモチベーションになってくれればなぁ。
2008年07月16日
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物騒な世の中になってきた。私が暮らす、モンテシトという地域はセレブが集まる場所。日本で言えばどこだろう?芦屋とか自由が丘とか。あまり知らないけれど。モンテシトだけはまるで別世界で、アメリカの景気が暴落中でもここは多分、あまり影響は受けないんだろうな。何もないただの山奥なんだけれど、立ち並ぶ家がはんぱじゃない。お城みたいな家ばかり。そんな地域。そんなセレブな地域も昔はただの、何もない山奥だった。40数年前、マムとダディーはホープランチという当時サンタバーバラでセレブだった地域に家が欲しかったけれど、手が出ずに仕方なく、こんな山奥の何もないところにものすごい安値の1エーカー(1200坪強)の土地と小さな家を購入した。それが今では100倍以上の価値にふくれあがり、今ではホープランチを抜いてセレブな地域となった。山形にカーブする道は、交通はほとんどなく静かなところだった。今はひっきりなしに、見かけない車が走り、住人ではない車がモンテシト近隣で見かけるようになった。夜10時を過ぎてから、車の音など聞こえたことはなかったけれど、最近では夜の夜中にドラフトするようなエンジン音とか、走り去っていく車の音が聞こえる。夫は怪しいエンジン音(走り去るエンジン音ではなく、家の前や近くでエンジンをかけたまま停止する車など)を聞くと、夜中でも懐中電灯をもって外に確認しにいくようになり、少しの物音でも気になっておきるようになった。昨日も夜中、夫は電気スクーターみたいな音が外から聞こえたらしく、夜中見に行くことはなかったけれど前日もその前の日も聞こえたといっていた。今朝、産婦人科のアポイントが9時にあったので、車に乗り込んだらダッシュが開いていた。エマージェンシーのためにいつも入れているキャッシュの袋と、ドアーの横にいれているコインケースがなくなっていた。それから、サングラスも。ダディーの車のダッシュも開いていたけれど、とるものはなかったらしく被害はなかった。で、マムと夫のトラックもセーフ。夫はトラックにたくさんの大工道具を入れてあるのであれらをいじられると結構な額になる。で、こういった大工道具に興味を示さないと見ると、これは若い子供のいたずらだなという予測ができた。で、今日警察を呼んだ。私の車はすでに、私の指紋がついてあるから、ダディーの車から指紋をとった。この近所の子供(13歳~15歳)で、電気スクーターやらそういった乗り物をたくさん持っているお家を夫が見つけ、それから今回の被害をご近所に電話、訪問して広めておいた。警察もあと数件、すぐ近所に被害届けが出ているとのことで被害を報告したあと去っていった。警察に、疑わしいお宅に行ってどんな質問をするのかとたずねた。週末に電気スクーターを乗り回す音が近所で聞かれていることと、今回の被害が関連しているかもしれないので、念のため、電気スクーターを持っているお宅に昨夜、家族がどこにいたのかを教えて欲しいと聞くといっていた。そして、同意するのかしないのかはわからないけれど、指紋をとらせてもらうのだと。犯罪の調査のためならば、市民は協力しなければならない義務とかあるのかな?私はしらないけれど。指紋をとらせなければ、ますます怪しいし。被害の額はそんなにたくさんではないし、お金とサングラスだけだったからまぁいいんだけど。。。ほんとに安全な地域で、車のロックなんてしたこともなかったから、もうそんな暮らしができないのかと思うことがほんとに残念。。。これからは車のロックとアラームをオンにしないといけない。自分の家の敷地なのになぁ。
2008年07月14日
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昨日は誕生日でした。仕事でした。昼からセンサスが下がり、スタッフがオーバーしたので、3時半に帰らせてもらえることができました。で、家に帰ってきてプールに泳ぎにいくつもりだったのですが、8時間の労働でもかなり疲れていたようで、そのまま夕食の時間まで眠りこけてしまいました。おきて夕食を軽く食べて、寝ました。そんな誕生日でした。今日も仕事でしたが、夕食はマムが用意してくれました。Uちゃんがイチゴのショートケーキを焼いて持ってきてくれたので、みんなで食べました。ダディーは疲れていたらしく、私が帰宅したときにはもう寝ていました。昨日と一昨日、かなり忙しいスケジュールだったみたいです。で、事件は夕食後(さっき)起こりました。マムが二階に上がっていき、しばらくすると大きな声で夫を呼びました。私にはわかっていました。ダディーが転んだかなにか、そんなことだということを。しばらくダイニングで待っていましたが私を呼ぶ様子はありませんでした。私が妊婦だから、ダディーを抱えることもできないしそんなことをさせたくないという理由だろうと思います。それか、またワインを飲んだのかと聞かれるのが嫌だったのかもしれません。Uちゃんがそろそろ帰るというので、見送ってから二階に様子を見にいきました。ダディーが素っ裸でトイレに座っていました。そして、ふらふらと目もあけられないような状態で夫が横に倒れないように抑えていました。マムはおしっこでぬれたベッドのシーツをはがしているところでした。全然大丈夫じゃありません。夫とマムだけで対応できる状態ではありませんでした。すぐに血圧を測ってみたけれど、低すぎてエラーが出ます。何度も計るけれど計れません。ダディーはまるで、何日も眠っていない人のようにふらふらと目を白黒させています。懐中電灯で網膜を照らして反応を見てみると、左の目の反応が右に比べるととても遅く、瞳孔の縮小が少ないのです。「脳梗塞かもしれないから、ERに行こう。CTしてもらおう。」そういうとダディーはERに行きたくないといい、自力で立ち上がり、夫と私に支えられながらベッドに戻りました。立ち上がったときに、血圧がまた下がり、ふらふらになりました。心臓バイパスをした病歴があるので、これまた心臓に関連した様態か?と次は心臓を疑ってみました。血圧が極端に低いのに、心拍数もものすごく少ないのです。「心臓のしわざかもしれないから、やっぱりERに行こう。」といってもダディーは拒否しました。前の私だったら、部屋に入った瞬間に、「どのくらいワインを飲んだのか?」と聞いていたことでしょう。今日はなぜか、聞こうとも思わなかったんです。飲んでいないという前提で、アセスメントしていました。だからERに行くように言ったのです。私はドクターじゃないから、何がダディーをこんな状態にしているのかを見つけることはできません。できる限りの範囲で、アセスメントをして、普通の状態じゃない何かを見つけることしかできません。血圧は異常、瞳孔の反応は異常、心拍も異常、体全体の反応が異常で、確実にERに行くべきだと判断しました。そして、最後にマムに聞きました。「今日、ダディーはワインを飲んだのか?」と。マムは、ほんとに少しだけ飲んだだけだ。と、またダディーの状態とワインを関連させることを否定するような感じに言いました。飲んだのは5時ごろだから、とっくに消化されてるはず。と。だから何度も言ってるじゃない?ダディーは普通の人の新陳代謝ではないし、肝臓だって薬で酷使してるんだから。これがワインのせいじゃないって誰が決められるの?これがワインのせいじゃないって思うのなら、私は今すぐにERに行ったほうがいいと思うよ。でもダディーがどうしても行きたくないっていうのなら仕方がないね。まだ顔色とかがおかしかったらほんとにERにいったほうがいいからね。そのときは呼んで。そういって二階から降りてきました。病院で様態が急変した患者さんがいたとします。その患者さんがもしも、数時間前にアルコールを摂取したとします。そんな状態でナースは的確なアセスメントなんてできないんです。ダディーがアルコールを飲んでいない状態であの状態ならば、私は否応なしにERに連れて行ってたことでしょう。私の判断は間違っているかもしれません。もしかしたら、ダディーの異常はワインとは関係なく、本当に脳梗塞をおこしてるかもしれないし、心臓に異常があるかもしれないし、明日の朝、目覚めないかもしれません。でも、私にはもうこれ以上できることは何もないなと、ほんとに思ったのです。ワインは飲まないほうがいい。そう彼らが自分で決めるしかないんだと、今日こそほんとに実感しました。マムはもうアルコールはたつ、みたいなことを私が部屋を出るときに言ったけれど、同じような状況がこれからも何度となくあることを私は予測するし、心の準備もしました。ダディーの先行きは限られていて、ダディーにとってのベストは彼らが一番わかっているはずだから、もう何も言わないでおこうとほんとに思いました。彼らの人生、彼らがやりたいように生きたらいい。36歳、母になる前の最後の誕生日、翌日の出来事でした。
2008年07月14日
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昨日の、職人さんのランチを作るのが面倒くさいけど。。。発言について腹が立った理由。私がした仕事に対する評価なく、マムが私の功績を横取っているような気持ちになったからだろう。よく考えたら仕方がないのかもしれないな。とも思う。なぜなら、ランチの後片付けは全部マムにさせている。たしかに、毎日これやらされたら面倒くさいわな。料理はするけれど、夕食の後片付けも私は長らくやってないし。洗浄後のディッシュウォッシャーを片付けるのも私は一切やらないから。「ほんとによくやってくれる嫁」といってもらうにはちょっと甘いな。と後から思った。でも、自分たちだってランチ食べてるんだから、それくらいはやって当たり前だろうよ。上げ膳据え膳期待するのはおかしい。と私は思うので、今後も私は後片付けは彼らが一緒に食べる限り、させるつもりでいる。昼食時のマム・ワンマンショーだって毎回のことで、職人さんとヘルパー(メキシカンで英語を話さない。多分、マムの言ってることも全然わかってない)だってほんとによくしゃべるババだなって、いまさらながら思っていることだろう。毎日毎日、一緒にランチのテーブルに座られて、毎日同じ話聞かされたら、うんざりもすることだろう。気の毒だ。今日のランチはチキンがメイン。中華風に野菜といためて、昨日の夕食であまったパイナップルライスを添えて、それからサラダを作ることにする。昨日はランチのときに、マムが遠まわしにリクエストしてきた。ダディーは昼間、プロテイン(たんぱく質)を避けなければならない。パーキンソン病の薬の効力がプロテインと結合してあまり効かなくなるから。で、昨日のランチはチーズとハム(たんぱく質豊富)のサンドイッチだった。マムは今後、ランチはこういうものは食べられない。とか言いだした。じゃぁ自分たちが食べられるものを作ればいいじゃないか。職人さんは肉体労働してるから、ダディーと同じ老人食を食べてたら仕事にならないんだよ。今日もプロテインたっぷりなチキンをたっぷりと振舞う。マムはどうせ、また同じことを言うに決まっているが、そんなもの無視。職人さんの食事と、ダディーのパーキンソンダイエットまで私は作れないからね。
2008年07月10日
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