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今日はステーキを作るつもりでした。マムに、「今日はステーキするから」と言うと彼らは今日、グリークフェスティバルか何かにいくから夕食はいらないのよ。と、残念そう。ステーキはたくさん焼くから、明日食べればいいんじゃない?そういう会話をお昼にしました。4時半。今日はサーフィンも行かず、購入したキングサイズのベッドの補強とかクローゼットの整理とか、そんなことばかりをしていたので夕食を早めにとってビーチに行くことにしました。夫もそれに賛成。5時には夕食が出来上がりました。ダディーが二階から降りてきて、ステーキを食べると言いました。サラダは二人分きっかりしかなく、お皿に盛られていたので、私のサラダを半分ダディーにあげました。フレンチフライは、冷凍のをオーブンでチンしました。マムに夕食を食べるのかとたずねると、食べると言いました。グリークフェスティバルには、ステーキをちょっと食べてから行くことにしたそうです。マムの分のサラダはありませんでしたが、二人ともちょっとどころか、フレンチフライもしっかり食べて、ほんとに夕食分たっぷり食べていました。そして、マムはダイエットしないといけないと始終言っていました。ふざけんなと思いました。
2006年10月08日
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夫が同居のストレスを認めないと、前日記で書いたのですが怒りのためにかなり私よりの意見になっておりますので、夫の面目のためちょっと訂正を入れたいと思います。夫は「同居のストレス」をマイナスとし、「同居による利益(主に経済的)と将来の安定」をプラスと考えているようで、これらを掛け合わせるとプラマイ0もしくはプラスになるべきだと考えているようなのです。同居によるストレスは、同居によって伴う利益により帳消しされ、私がストレスを抱える理由がそこにあるはずがない。ぐらいに考えていることが判明しました。「そんな簡単に、プラマイ0になるわけないやん?」「そんなシンプルなら、人生苦労はないわ。」「ある意味、かなり前向きで幸せな考え方やと思うけど私にはむりやな。」そして、夫が抱えた過去の問題と、そのプラマイ0の方程式を夫にぶつけたのです。「それとこれとは話は別。」「また君は(実母の名)論議に入ってるよ」と。まぁええわ。あんたがほんまにそんな風に思ってるんやったらカウンセリングに一緒にいこ。あんたもカウンセリングが必要やわ。ラッキーなことに、病院に専属のカウンセラーがおりまして、病院で働く人たちはこのカウンセリングを最大6セッションまで無料で利用できるのだそうです。フロアーのディレクターから電話番号をいただきました。そして、ストレスが原因で情緒や体に障害がでてきていると感じる多くのナースなどがこのカウンセリングを利用しているそうです。お金の問題ではないのですが、お金がかからないということはうれしいことです。病院でRNとして働き出してから、いろんな福利厚生を使わせてもらっています。************************************************昨夜、夫が甘えたことを言い腐るので、火の海にしてやりました。毎朝、フルーツが食べたいそうです。仕事に行く前に、フルーツを食べないと便秘になるのだそうです。フルーツがなかったら、エナジーバー(アメリカバージョンカロリーメイト:甘くてカロリーいっぱいで余計に体に悪そうな食べ物)を食べてよくないから。マムはパーキンソン病症候群のために、慢性便秘を抱えているダディーのために毎日フルーツを欠かしません。2日分ぐらいの大きなフルーツボールを一日おきぐらいに作ります。マムとダディーは隠居生活ですから、朝はゆっくりです。夫が仕事にでかけてから、彼らはおきて朝食。ということは、フルーツボールが食べられない日があります。そんなとき、エナジーバーを食べなければならないそうです。食えばいいやん。エナジーバー。あんた、もしかして、フルーツないときは用意して欲しいとかそんなこと考えてるん?なぁ。いいや。。。。そんなこと言ってないよ。フルーツがないときがあって、そんなときにフルーツがあったらなぁ。って思うことがあるってだけの話だよ。フルーツがあったらなぁ。。。って、じゃぁ自分で切ればいいやん?フルーツはマムがいっつもたっぷり買ってきてくれてるんやで?台所のバスケットに、腐るほど毎日、フルーツあるやん?なんで食べへんの?切って食べればええやんか?なぁ!夫はぷぅ~っと意味不明のオナラをして、いたずらっこのように笑いました。私にフルーツを切って欲しいと思っていることを認めたような笑いでした。はっきり言うてみいよ。あたしにフルーツ用意しろって言いたいんやろ?でも言われへんから、「食べたいなぁ~」っていうんやん。「よっしゃ!これからフルーツがないときは、切っておいとったるからな」って、私がいうてくれたらいいのになぁ。って思いながら、言うてるんやろ?あんたなぁ、そういう考えはええ加減捨てたほうがええで。あたしは仕事があるとき、5時20分におきて、コーヒー入れて自分のランチ作って、ケンジの朝ごはん作って、台所きれいにして出かけてるんやで?あんたのフルーツ切ることもできるわ。あんたがダディーみたいに病気でフルーツが切られへんのやったらやったる。でも、できるやん?なんでやろうとせえへんの?気がないからやん。やってもらおうって、思ってるからやん。マムがあたしが仕事のときに夕食つくってくれてるみたいやけど、あんたはどこまで手伝ってるん?何もしてへんのやろ?片付けもマムにやらせてるんやろ?あんたがそんなんやから、「嫁のナデシコはなにやってるの?」ってマムは思うんやで?マムに言われたわ。「昨日はフルーツ切ってなかったから、ゲイリー食べずにいったのよ。悪いことしたわ。。。ちょっと罪悪感。。。」ってね。私マムに言っといたから。「ゲイリーはフルーツぐらい切れますよ?罪悪感なんて感じてたら体に悪いですよ。」私が専業主婦してるんやったら、うちの母みたいに、何もかも上げ膳据え膳やったる。でも、私だって働いてるんやで?どんだけきついか知らんやろうけど、私が仕事して経済的に貢献しとるうちは、あんたに家のことをできるようになってもらわんと困るねんで?子供ができてからも、私が専業主婦になることなんてあんたは考えてないやろ?子供がいてもいなくても、私が65歳で定年するまで、働いてもらうつもりでおるんやろ?当てにしてるんやろ?それやったらちょっと、考え変えてもらわなマジで困る。夫は何も言わずにごまかし笑いをしながらふざけていました。理解したのかしていないのか。。。つい昔までの私なら、フルーツをマムが毎日切っていることにも、夕食を作ってくれることにも、いろんなことに対して、「罪悪感」を心のどこかに持っていました。ストレスの要因の一つだったのかもしれませんね。「罪悪感」をもたないようにすることで、もしかしたらストレス削減の第一歩になるのでは?夫を火の海にした後、ちょとだけすがすがしい気持ちになりました。
2006年10月06日
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気分が悪くなるくらい、怒ってしまいました。なぜなら、夫がまた馬鹿だからです。サイドビジネスのコンテナが届いてすぐ、ブランクを購入した顧客からの小切手とマネーオーダーを現金化したのか入金したのか、覚えていなくて、なくしたのかもしれないとかいい腐ったからです。「支払い小切手も現金も、全部私に見せて、記録に残すまでは何もするなっていってあったやろ?」怒るというよりも、とても静かに、ブチブチという音を立てながらそっと夫に言いました。「なぁ、なんでそうなん?もう、私が会計やってる意味ないやん?会計やめてもええやん。もう辞めるわ。な、それでえええやんな?」夫はめっちゃ助かっているから、辞められたら困るといいます。現金化も、入金もする前に私に一度通すように。口がすっぱくなるほど言い続けても、これですから。。。怒りが収まらないので、気分が悪くなってきました。夕食が食べられそうになかったので、出かけることにしました。マムとダディーは、友人宅で夕食を食べることになっていて、チキンの炒め物とご飯をつくってもって行きました。余分に作ってくれたのでそれを食べるつもりでした。ケンジをつれて、夕暮れ時のビーチに走りに行きました。ビーチを歩きながら、ひんやりとしてきた潮風にあたり、ちょっと頭を冷やすことができました。帰宅すると、夫がケンジのように玄関にきていいました。「ご飯たべようか?君が帰って来るのをまってたんだよ。」***************************************私はいつから、こんな怒りっぽくなってしまったのでしょうか。アパートで二人で暮らしていたとき、私はもっともっと easy going でした。怒ることなどほとんどなく、よっぽどのことでも気分が悪くなるほど怒ることなどなかったのです。すべてのストレスが同居により生じたということはないと思いますが、少なからず影響していることは事実なのです。夫にそのことを言いました。だからといって、同居を解消するつもりもなく、同居すると決めたのは私の選択でもあったのだから、その責任をとるためにも、ハッピー同居ライフが送れるように努力はするつもりだと。そしたら夫、なんて言ったと思いますか?「同居同居って、君はそれを言い訳に自分の中でストレスをわざと作ってるんだよ。」ブチブチブッチ~ン!!この同居に、私がストレスになる要因はゼロで、私が感じているストレスは私自身の問題である。そういう意味なんだね?じゃぁ、義理妹のシャーロットとあんたの弟ジョンなら、ストレスフリーで同居ができたのか?義理姉のクリスティーとあんたの兄クリスなら、めっちゃうまいことハッピー同居ライフが送れたというのか?言っておきますが、どちらの義理姉妹も同居は不可能だったのです。義理妹シャーロットは厳格なカソリッククリスチャンで、神を信じるとても心のきれいな人ですがマムのしゃべりと、なんでもかんでもするアドバイスにだけはついていけないと言いました。1週間、マムとダディーが彼らの家に滞在したとき、マムのしゃべりに気が変になりそうだった。そう私に愚痴ったこともありました。クリスティーは論外です。彼女は私と同様、カウンセリングが必要ですから。。。夫の口から、「この同居にストレスなんてあるはずがない」まがいのことを言われてから私は Hopeless な気持ちになりました。私が欲しかったのは夫からの、Aknowledgement だけなのです。君が同居をしてくれて、よくがんばってくれているよ。ストレスも多いと思うよ。義理両親と住んでいるんだものね。うそでもそういう言葉は慰めになるのに。カウンセリングに行ったら、カウンセラーはきっとそういってくれるでしょう。夫が同居によって生まれるストレスを完全否定するのならば、仕方がありません。夫が私に「カウンセリング」を薦めるのもムリはないなぁ。だって、同居をストレスの根源の一部としての認識が全くないのですから。とても残念な気持ちで一杯でした。夫の認めない態度によって、私のストレスを倍増しているということをカウンセラーから伝えていただくしかないのかもしれません。カウンセリングの予約をとろうかと思っています。もちろん、夫も同伴するつもりです。
2006年10月05日
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夫に昨夜言われました。「君は邪悪だよ。」と。夫のサイドビジネスは順調に赤を返済しているようですが、私が「趣味のビジネス」というのを絶対に認めないものだから、それを認めさせるために言った言葉が、夫をかなり傷つけたようです。趣味のビジネスな理由1.夫婦二人の本職が、趣味のビジネスの支出に消えた事実。2.これまでの支出が埋まっていっているけれど、今のところ利益ゼロ。3.現在、残ったブランクのストックがすべて利益となるのだけれど、数年に及ぶ労力、時間を考えるとその利益は少なすぎるという私の強欲?な考えがある。過去5回も受験した、カリフォルニア司法試験。5回目の受験は7月だったので、発表は11月の予定ですが、すべての受験前、夫はこのサイドビジネスのために勉強に集中できずに不合格になり、そういう犠牲を払ってしまったのだから、それはものすごく大きな損失で、そういうことを考えたら私はこのビジネスを 「趣味のビジネス」 としか見られない。認めろ。と。現在、私の給料はすべて、二人のジョイントアカウントに入金されています。夫の収入もそうですが、そしてそれは湯水のようになくなっていきました。嫁が稼いでくるので、気持ちが大きくなった夫が浪費するのです。新しいバンは、私も賛成しましたので、それは文句は言いませんが。夫に言いました。もう私の給料はジョイントアカウントには入れられない。毎月、家賃としてマムに払っている10万円と、二人の保険を私がカバーしている分を私の支払いの義務として払うから、残りの私の給料はあんたには触れないところに入金していくから。と。夫はそれは本当に困るみたいな顔をしていました。そして、いつもならたいがいのムリでも「君の好きなようにすればいいよ」という夫が、絶対にイエスと言いませんでした。夫の本業である、電気工のビジネスも私が関わるまでの十数年間はどんぶり勘定でやってきたようですが、現在のところ毎日の夫とのコミュニケーション(レシートと仕事時間とヘルパーのバイト代の確認)で、仕事につきの利益を毎回出せるようになりました。「あんた、出した請求書全部が利益みたいな勘違いしてるようやけどね、毎回司法試験の2ヶ月前に仕事一切やめて、計4ヶ月収入なしになるねんから、年間の平均したらあたしの稼ぎと同じくらいしかないんやで。」夫はその現実も認めたくはないようでした。私は下げマンなのかもしれません。最近、時々思い出すのです。22歳のときに神戸にある占いの館に行きました。占い師の伯母さんに、感慨深く言われました。「あんた!男に生まれたらよかったのになぁ!!」アメリカ人で、私よりも年上で、おだやかで、のびのびとしていてひねくれたところがなく、母親から与えられたトラウマもなく、デリケートで傷つきやすい夫と、厳しすぎるを超えて邪悪な私が結婚した意味を考えました。夫がストレスで倒れない程度までに、レベルダウンするべきなのかな。。。
2006年10月04日
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昨夜、2006年7月1日からはじめた10年日記をつけながら、過去日記を読んでいました。10年日記は、A4に10個のテーブルをつくっただけの簡単なものです。1ページに2006年から2016年の7月1日の日記を書いていきます。1日1ページ、計365日を日替わりで、10個の枠を繰り返し毎年埋めていくという日記です。それを始める前は、エクササイズ・サーフィン・夕食などを普通の日記のスタイルで書いていました。古い日記を読みながら、今年1月ぐらいから半年はちゃんと夕食を作っていたのだなぁ。。。と感心してしまいました。これが普通のことなんでしょうけれど。。。それにしても、ほんとにちゃんと毎日夕食作っていました。そして、それが当たり前のようにみんなが思っている様も、日記からひしひしと感じられて、腹が立ってきたのも事実です。ただ、私は毎日の夕食をつくりながら、毎回「仕事をはじめるまでだけだからね。仕事がはじまったらできないからね。」と念仏のように皆さんに唱えることも忘れはしませんでした。実習前日のリサーチや、実習にも行っていたはずなのですが、実習から帰ってきた日でさえ、夕食をちゃんと作っていた日も多々あり、「マムは一体、なにやってたんだ?」と、また腹が立ってきました。こういうことをやり続けていたから、ダディーの友達K・Wナベさんの夕食を私が用意するのが当たり前、という考えがマムたちの頭に浮かんだのだろうな。。。と思いました。というわけで、ナースとして働くための病院のオリエンテーションが始まってから私は夕食日記をきっぱりとやめたわけですが、夕食を作った日に、丸印をつけることは続けていました。6月19日からのそれを見て思ったのです。「丸印、少ない~!!!」一体、なに食べてたんやろう?私は仕事をした日は、夕食はほんとに軽くしか食べません。ランチが遅いし、寝なければならないときは、食べなくてもいいくらいです。そして夫婦で週2回は外食してますし、なんか生活している感じがないような、そんなカレンダーになっています。きっとマムたちも、夕食はチーズとクラッカーとワインで済ませていたり、クッキーの食べすぎで夕食を抜いた日がたくさんあることでしょう。そして、休みの日の夕食も最近では気まぐれでしか作らないようになってきました。「ナデシコが夕食を作るのが当たり前。」そんな風潮は、我が家からだんだんとなくなってきました。私自身、夕食を作らないことの罪悪感がなくなってきましたので、ストレスも半減です。「食べたいのなら、自分達で用意するのが当たり前。私がみなの夕食を作らなければならない義務はない。」そんな我が家の新しいトレンド。たとえ夕食を作らなくともそれがストレスとなることがないよう、強かに(ビッチーに)そして、心健やかに毎日を過ごしていけたらと考えています。義務としてやらなければならない、日々の夕食にストレス一杯で「カウンセリング」を奨励しなければならない、夕食を作る奥さんと、そういう義務は一切なく、生活感もあまりなくなってしまうけれども、健やかに楽しく暮らす夕食をきまぐれでしか作らない奥さんだったら、夫は迷わず後者を選ぶはずです。健やかで、日々の夕食を楽しく作ってくれる奥さんなら、どんなにいいのか知れませんが、まぁ、今はそういうことでいいじゃないですか。と、変な納得と開き直りをした昨日の夜です。
2006年09月21日
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先日、サーフボードブランク(木材)の一部を配達するため、ここから240マイル(訳390キロ)離れたMontorey (モントレー:サンフランシスコの手前)まで日帰りで行ってきました。運転は夫がほぼ全部してくれましたが、それでもしんどかったです。行きと帰りは違うルートで帰ってきました。日帰りなので、帰りのルートはビーチ沿いを走るハイウェイ1と101を使うことにしました。ビーチ沿いのハイウェイ風を感じるケンジランチはハイキング・キャンピングエリアのロッジのレストランで済ませました。ローストビーフ・フレンチディップローストビーフのサンドを、ソースにディップして食べます。シーザーサラダ食後は、森の中を歩きました。食後のデザートです。日帰りでモントレーには、もう行くことはないと思います。
2006年09月14日
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さてさて、コンテナー一台分の木材の価値を知っている私は、とてもではありませんが何の盗難対策もせずに一晩ほっておくことはとても心苦しいものがありました。それは、脳天気な夫も同じ気持ちでした。テントを張ろうか?という話になりましたが、テントを張る平らな地面がなく、ならば車で寝ようということになりました。夫は何度も何度も、物音で目が覚めていました。そして、夜中何度か、獲物を狙う獣のように、車の中から息を潜めて怪しいものが来ていないかどうか確認しているようでした。私は私で、朝目覚めると大半の木材が盗まれてなくなっている夢をみて、うなされてしまいました。今日はこの木材、近場のバイヤーにすべて届ける予定です。早くさばいて、ゆっくり安心して眠りたいものです。。。
2006年09月07日
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今日、コンテナが届きました。自宅にです。ほんとに、コンテナがそのまま、超大型トラックでやってきました。夫は朝から大忙しで、コンテのバルサウッドのブランクボードを降ろして敷地に運び込むためだけに、大型のダンプトラックを友人から借りて帰ってきました。こちらがコンテナ。↓ ↓ ↓コンテナからの積荷を降ろすためのトラックが、こちら。↓ ↓ ↓コンテナとトラックが並んだところが、こちら。↓ ↓ ↓トラックが小さく見えます。大量の木材です。↓ ↓ ↓これらの木材の一部は買い手がついているそうです。そして、残りも飛ぶように売れるだろうという夫の予想。私は、支払いをちゃんとしてくれる人に物品引渡しと同時に支払いしてもらえるように思っていますが、そこまでは口をださないで夫に任せようと思っています。盗まれないうちに、売りさばいてほしいものです。
2006年09月07日
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今日は久しぶりに、Costco に生活用品やら夫の仕事用の品物やらをたんまり買いに行きました。食材もたっぷり買って帰ってきました。Costco のチキンの丸焼き、すごくでっかいのに一羽$4.99-なんです。これ一羽買っておいたら、その日の夜の夕食と、次の日にはチキンサラダとか、チキンを入れた焼き飯とか、いろいろ使えるのでとても便利です。帰宅後、マムとダディーが家にいました。今日は日曜日ですので、チャーチのお祈りの後は コーヒー&ドーナッツタイム があるのです。マムはチャーチのメンバーですので、このコーヒー&ドーナッツタイムに大変力を入れています。欠席は絶対に、しません。そして、チャーチに来ているメンバーと、しゃべり倒して帰ってきます。私も同居したての当時は、ときどき顔をだしていました。マムが私を、ありとあらゆる人に紹介してくれて、そして、私のバックグラウンドをしゃべり倒していました。こういうときは楽なんです。私は一言も発言する必要はなく、マムがすべて話してくれるからです。そんなコーヒー&ドーナッツの後、マムとダディーは伯父さん伯母さん(マムの姉メアリーと、ダディーの兄ロンはカップルで、姉妹兄弟のカップルなんです)とランチに出かける予定だったのです。今日はマムとダディーの46周年結婚記念だそうです。私と夫がCostco から帰ってきたら、マムたちは家にいました。ランチには行かなかったそうです。2・3日前からマムの調子が悪く、もしかしたらウィルスかもしれない。伯母さんと伯父さんは、健康にはかなり気をつける人たちですから、もしかして移るかもしれないということを恐れて、今日のランチは中止ということになりました。私が食材の整理をしていると、マムはお腹の調子が悪いことをアピールしていました。お腹の調子が悪いのだけれど、彼女はすしを食べるのだろうか?おそらく、 「すしだったら食べられる」 というだろうな。私の予測でした。私はマムが、「イエス」の返事をすることを覚悟で今夜の外食に誘ってみることにしました。今日だけです。今日は彼らの結婚記念日なのだから伯父さん伯母さんとのランチがキャンセルになったのだし行きたいのなら一緒に連れて行ってあげてもいいでしょう。「今日、私ら日本食食べにいくんだけど、一緒に行く?」マムが一瞬、うれしそうにしました。でも、すぐには「行く」とは言わず、考えました。「そうねぇ。すしなら食べられるかもしれないわ。夕方、出かける前に決める。今はわからないから。」おぉ。やっぱり言った。「すしなら食べられるかもしれないわ。」すしって、生ものなのに。。。お腹の調子が悪いときは、食べないほうがいいのにね。ま、でも、行きたいのなら連れて行ってあげましょう。私って、一体どうしちゃったのでしょうか。仕事のストレスはまだまだ、いっぱいあります。でも、だんだんとましになってきているのかもしれません。昨日と今日は、台所の掃除とか冷蔵庫の整理とか戸棚の整理とかもしてしまいました。私は明日と明後日仕事がありますので、夕食が簡単に済ませられるように、とても気を使って丸ごとチキンを全部ピースにカットして、タッパにいれて冷蔵庫にしまってあげました。こんな気をきかせたのは、何ヶ月ぶりのことでしょうか。気持ちに少しだけ、余裕がでてきたようですこしうれしく思いました。でも、これをずーっとやっていると、「今度のxx曜日、あなた休み?Kさんがディナー食べにくるんだけど、日本食よろしく。」みたいになるのが一番いやなんです。多分、私がものすごーく、いろんなことをボイコットしはじめたのは、忘れもしない6月15日の国家試験を受験した日:過去日記参照。あの日のディナーのことがあってからなんだと思います。今の私は、 「私は休みの日は休みたいので、自分達でやってください。」 と言うことができると思うので、そろそろ台所にぼちぼちもどってもいいかな。と、今日思いました。でも絶対に、「教訓」はわすれません。私はあなた達の召使ではありませんから。
2006年09月04日
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クリーニングレディー、ティナが毎週金曜日に来てくれます。ティナにランチを食べさせてあげなければなりません。ティナは信頼ある、働き者のクリーニングレディーですので、顧客をたくさん持っています。仕事によっては、ティナは自分のランチを持っていったりするところもあるそうですが、我が家ではみなで一緒にランチを食べるようにしています。そんな金曜日ですが、私は仕事を始めてからはほとんどの金曜日がオンでした。ですので、マムがランチの用意をしていますが、けっこうな負担になっているようです。仕事が始まる前、金曜日は学校も実習もオフでしたので、自宅勉強に明け暮れていました。ティナはカレーが好きでしたので、彼女のランチは毎週作るカレーを温めて食べてもらっていました。もしくは、ティナが来る前日のディナーは、次の日にティナのランチとして出せる献立を常に作るようにしていましたので、金曜日のランチを負担に思うことはほとんどありませんでした。一度木曜日に、何もしなかった日があります。金曜日のランチは、何かを作らなくてはなりませんでした。やきそばのパックがありました。よし。やきそばにしよう!もちろん、ティナの分を作るのならば家にいる人みんなに、ランチを食べるのかを確認し人数分つくらなければなりません。というか、それが常識的と私は思っていました。(アメリカ人だったら、このシチュエーションでティナの分だけ作ったとしても、なんら問題はないとは思います。「とんでもない嫁」になることはおそらくありません)「お腹がすいてないからいらない」マムは言いました。でも、ダディーは食べる。と。ダディーの分も作れといっているのです。分かっていますよ。作るつもりでしたから。。。そして、自分の分も含めて3人分きっちり作りました。その当時は、意地悪心なんてなくマムは食べない という前提で、3人分作ったのです。食事が出来上がり、二階のダディーを呼びました。「ダディー!ランチができたよ!!」ティナと私は食べ始めていました。そして、ダディーと一緒にマムも降りてきたのでした。「あら、いいにおい。私もちょっとだけいただこうかしら?」そんなことを言っていました。「あ。ちょうどしか作ってない。。。。マム、食べないっていったから。私の分、ちょっと食べる?」「あ、そうなの?いいわよいいわよ。私は昨日の残りのスープでもすするから!」私の分を分けてもらうほどマムはいやしくはなかったようですがそれでも、お腹が空いていたようでした。昨日のスープを温めて、食べていました。私にはマムの心理が分かりません。本当にそのときは食べたくないから、食べないといっているのかでも出来上がっていいにおいがするから、気が変わるのかそれとも、最初からできあがったら食べるつもりででも食べないと言って手伝わずに出来上がってからやっぱり食べるといっているのか。。。私は両方なのだと思っています。次からは食べないといったら人数分しか作りません。
2006年09月03日
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愚痴らせてくださいね。すみません。******************先日、Uちゃんとたこ焼きが食べたいねなんて話をしていました。そして今日、たこ焼きをすることになりました。Uちゃんの友だち、Mちゃん、Sちゃん、Sちゃんの友達で日本でナースだったEさんもよかったら。。。と、話をしていました。日本でナースをしていて、カリフォルニアの国家試験に合格、RNとして働き最近、グリーンカードをゲットしたKちゃんがたまたま、今日と明日休みという電話が入り、Kちゃんもたこ焼きを食べに遊びに来てくれました。マムは昨日、調子が悪くて一日寝ていたそうです。私は仕事で、マムが夕食は作らなかったそうで、夫は前日の残り物を食べていました。今日も調子が悪いと言っていました。ガールズが夕食を食べにやってくることを話すと、マムは自分は調子が悪いから、ご飯は食べないし、みんなが来ても失礼だけどベッドルームで寝ているかもしれない。そんなことを言いました。私としては、そのほうがありがたい。友人が来ても、マムが日本語を禁止するし、とにかく、機関銃のように話をしまくり、自分が輪の中心になって会話をもっていこうとするし。。。マムのしゃべりすぎが原因で、ガールズはあまりここには来たがらないのです。夕方4時ごろ、たこ焼きを作り始めました。ガールズは結局、UちゃんとKちゃんしか来ませんでした。ほかの子たちは、宿題がいそがしいと言っていたそうです。女の子3人で、べちゃくちゃしゃべりながら、たこ焼きを焼きながら食べました。夫の友人、ジョンさんが、サーフボードを見にやってきましたので、食事を食べて帰るように勧めました。たこ焼きだけではなんだからと、ブロッコリーのサラダと、きゅうりとわかめの酢の物サラダと、トライティップのステーキも、さっぱりしょうゆ味で、にんにくを効かせて焼きました。ステーキを焼いているとき、ダディーがにおいにつられて台所に下りてきました。でも、ステーキはオーブンの中に入れられており、たこ焼きもまだまだ作業中だったため、夕食の用意は全くできておらず、ダディーはベッドルームに上がっていきました。それから30分後、すべての用意が整いました。ガールズに6枚のお皿とフォークを出してテーブルに並べてもらいました。マムは食べないと言ったので、マムの分は数えていませんでした。マムは 「夕食はいらないと言っておいて何も手伝わず、出来上がったら食べるといって降りてくる常習犯」 です。それか、本当はそのとき、食べようとは思っていないのだけれど、いいにおいにつられて、やっぱり食べようかと思うのかもしれません。とにかく、食うのなら最初から 「食べない」というな。と、私は言いたい。腹が立つのです。今日も絶対、食べると思っていました。気分が悪い。調子が悪いから、食べない。そういっておいて、ステーキも、サラダも、たこ焼きもモリモリ一人前しっかり食べて皿に残ったたこ焼きを、残っているのならもう少し食べるからちょうだい、とさらえてしまうぐらいの食欲があるのなら最初から、「食べない」などというなと、私は言いたい。あんたはほんまに、病気やったのか?調子がわるかったんか?と、疑われても仕方がないと思いなさいよ?と、私は言いたい。まぁとにかく「あんたはほんまに調子が悪かったんか?」と思わせるそんな勢いで、マシンガントークを繰り広げながらどの口で食事したのか分からないくらいのトークをもってしっかり、みんなと同じペースで食事を終えていました。ジョンさんがきてくれていたおかげで私達は反対側のテーブルで日本語三昧していました。だから許します。明日は堂々と、夫と二人きりで外食します。
2006年09月03日
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昨夜12時ごろ、ケンジがゲーゲーといいながらカーペットの上二箇所に嘔吐しました。かわいそうなケンジ。何か悪いものでも食べたのでしょう。嘔吐の処理をして、再び寝ましたが今度は午前4時ごろ夫がケンジに話しかけているのが聞こえました。「お腹が痛いのか?おいで。外に出してあげるから。うんちしてきなさい。。。かわいそうに。。。」今朝、夫に聞いてみたところ、ケンジは嘔吐した後夫が寝ている別の部屋のベッドに行き、夫の横でごろりと寝たそうです。ケンジのお腹が、キュゥ~ゴロゴロゴロ~ とうなっていたそうです。かわいそうに。食あたりでしょうか。ケンジが昨日、何を食べたのか確認しなければなりませんでした。「マム。ケンジに昨日、ドッグフードとジャーキー以外に何か与えた?」「あぁ、ええ。夕食時に、スパゲッティーを少しと、海老を一匹ちいさいのを与えたわ。一匹だけね、すごーくちいさいの。パスタもほんの少しよ。」「昨日のよる、2回もゲーゲーもどして、朝4時にお腹がゴロゴロいってたから、外に出してウンチさせたんだけどね。今朝も何も食べたがらないし、元気がないんだよね。犬に海老とかイカとか蛸とかの魚介類は与えたらだめなんだよ。」「そうなの?しらなかったわ。昨日は庭にも出てたから、外で何か悪いものでも拾って食べたのかしら?海老っていってもね、たったの1個だけよ?」「ケンジにとっての海老一個は、私達には海老10個ぐらいなんだよ。」私は完全に、むっとしていました。海老が悪かったのかどうかは、定かではありませんが、外で拾い食いをしたと言っても、私はみていませんし、それ以外の心当たりあるものを食べたことは、言葉を話せないケンジ以外、知る由もないのですから、私は 海老 が原因だと思っている口調で、始終話をしていました。マムはものすごく、悪い気持ちになったことでしょう。ちょっとだけ、反省しています。だけどなんで、人の食べ物を与えないでほしいことを分かっていて、パスタとか海老とか、あげるのでしょう。「昔の犬は、残り物とかばっかりたべさせてたわよね。それでも17歳までも生きてたわ。私の子供の時に飼ってた犬」私が子供のころに飼っていた 雑種のロン も、味噌汁とご飯、残り物を混ぜたものを毎日食べていました。それでも彼は健やかに長生きしました。私は神経質になりすぎているのかもしれません。でも、ケンジの嘔吐と下痢は、どう考えても海老のような気がするのです。Uちゃんが昨日の夕方、ケンジを連れ出してくれたので電話をかけてみましたが、ケンジが拾い食いする暇はなかったそうです。Uちゃんはジャーキー以外に、何も与えていないそうです。マムとダディーが、朝ご近所を散歩しにいったときに、ケンジを連れて行きました。二度嘔吐したそうです。うんちも2回、ペーパーで拾えないような下痢のうんちだったそうです。なんだかぐったりしていますよ。かわいそうなケンジ。マムは夕食時にほしそうな顔で見つめられて、かわいそうになってあげてしまうようです。こんなマムやダディーに育てられた夫が 「辛抱」 することができない理由が分かる気がします。
2006年09月01日
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マムとダディーが、明日からサンフランシスコの友人のところに遊びに行きます。月曜日に帰宅する予定です。精神的にかなり、楽です。明日は仕事の帰りに、外食をします。気兼ねなく。明後日は休みなので、家にこもる予定。おそらく、2日前の夜ぐらいからサラが負傷したようで、左の下あごの牙が折れて口から飛び出しているのを今朝早くに発見。獣医に朝一番で行き、全身麻酔をして折れた牙を抜き、縫いました。300ドルもかかってしまいました。痛い出費ですが、仕方がありません。動物には保険がありませんからね。サラが水を飲んで、食事を食べているかちゃんと見なければならないし、抗生物質を一日2回与えなければなりませんので、仕事しながら忙しくなりそうですが、食事のことを考えなくてもいいことはかなりのストレス削減になりそうです。夫と二人、おいしいものをたくさん食べたいと思います。サラの負傷は、おそらくほかの動物と喧嘩したのだと思います。ドクターも言っていました。2日前の夜、タヌキが二匹、庭に穴をほりまくっていましたので、それにやられたのかもしれません。サラはメスですが、かなりのファイターで、そしてハンターですので、タヌキと戦ったのかもしれません。ケンジだったらまず、ヤられていたことでしょう。ケンジはそんなことも知らず、病院から帰ってきたサラに吠えかかっていました。サラはそ知らぬ顔で、猫のトイレで用を足して、ゆっくりと砂をかけてから、ケンジにゆっくりと歩いていこうとしてました。この負傷で、サラはますます、パワーアップしたかもしれません。ケンジがあまりちょっかいをかけないように、気をつけないと。。。明日は3連休明けの仕事です。あまり忙しくならないことを祈りたいと思います。
2006年08月24日
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ストレスがたまって、家族から遠ざかろうとしていたけれどそんなことをしても解決することなどなにもなく自分の心もイガイガしていくばっかりでそんな自分を客観的にみていたら自分のことがどんどん、嫌いになってきました。悪循環です。自分のことが大嫌いだから幸せな気持ちになんてなれないものだからいつも不機嫌で、夫のストレスがたまり夫に、 「カウンセリングに行こうか?」 といわれました。またカウンセリングかよ。。。同居を始めてから1年8ヶ月。「同居って大変だ。。。」心から、はじめて思いました。生活を分けたい。キッチンを分けたい。玄関は一つでいいからせめて、食生活を自分達のペースにしたい。自分の冷蔵庫がほしい。自分の城がほしい。キッチンを増築したい。夫はあきれたように苦笑いしました。「そうすれば、君が幸せになれるのか?」「うん。」300万、400万円はかかるだろうと言いましたが私は自分の給料から、全部払うからやってほしいと、真剣に言いました。そして夫は、どこにどのように増築するのかを具体的な案を私に話しはじめました。その話を聞いていると、なんだか気持ちが冷めていきました。夫はもう一度、私に聞きました。「キッチンを増築したら、君は幸せになれるのか?」いや、わからん。キッチンを増築しなくても、幸せになる方法はあると思う。キッチンの増築に400万使うよりカウンセリングに20万使おう。夫は言いました。いや、20万も使いたくないわ。自分で何とかするわ。何とかできると思うわ。Uちゃんが日本に帰国中に録画してくれていたビデオテープの中に、 オーラの泉 が入っていました。ゲストの松岡修三が、結婚生活のことで話をしていました。江原さんは言いました。「ままならないのが、結婚なんですよ。」そうか。ままならないのが結婚か。同居も結婚も、ままになるものなんて、ないんだな。キッチン作っても、自分が成長しなかったら同じレベルの問題にぶち当たって、また葛藤するだけだな。マムはほんとうに、がんばってくれています。自分ばっかり我慢していると思っていましたがそうではないんです。マムは一生懸命、私達が快適に暮らせるように彼女のベストを尽くしてくれているのだということを理解しなければなりません。家族を遠ざけて、孤立しようとしていた私の体中についていたイガイガを取り除かなければなりません。マムとダディーは木曜日から来週の月曜日までサンフランシスコの友人の家に遊びに行きます。私のストレスを見かねて計画された旅行なのだと思います。マムが出発するまでに、私は壊してしまったものの復建を少なくとも復建する意思を表さなければなりません。幸せは、人からしてもらうものではなく自分にその力がなければムリなのだと実感しています。
2006年08月22日
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夫が仕事をしていて、私が休みの日はランチを一緒に外食します。今日も夫の仕事場まで行き、私の愛車シビックにのって日本食ランチを食べに行きました。食事を食べているときに、私の仕事の話になりました。週3日、12時間シフトが私の労働時間です。週4日、休みということになります。実際働いてみると、4日の休みも仕事明けの一日はどっと襲ってくる疲れをやっつけるだけで終わります。働き出したばかりのストレスも大きく、かなりカツカツの状態でやっています。そんなことを、夫は本当に全く分かっていないようで、今日はとても悲しい気持ちになりました。夫は話し始めました。私の今の仕事は、休みがたくさんあるから近所の老人ホームで、オンコールナース(必要なときだけに呼ばれるナース)として、働いたらいいんじゃないか。あの老人ホームは、大金持ち、財産持ちの老人が入る施設だから、時間給もかなりいいだろうし、何よりも、近所に住んでいる君のところに、オンコールはたくさんかかってくるに違いない。週4日の休みにも、まだ働けと言っているのか?この親父、頭沸いとるんか?私は一気に沸騰してしまいました。レストランで危うく、大声を出しそうになるところでした。夫をにらみつけながら、味噌ラーメンを食べましたが何の味もしませんでした。夫はしゃべりたいだけしゃべって、私の怒りのオーラにようやく気がつき、おびえたような泣きそうな顔になって、私を見ました。いい加減にしてください。もう、たくさんです。夫に私の気持ちをぶつけました。大声にならないように、落ち着きながら私の気持ちを話しました。私の仕事がどれだけ大変かなんてわからないくせにかってなことばっかり、言わないでほしい。12時間、びっちりはたらいてくたくたになって体力回復の休みを、オンコールのナースとして働いてもっと稼いでこいって?私が今もらってる給料じゃ、足りないの?もっと金がほしいの?ほんとに、いい加減にしないと知らないよ?夫は何も考えずに、思い浮かぶことをぺらぺらぺらぺらと話す悪いところがあります。それを分かっているのですが、今日は許せませんでした。もう二度と「オンコールのナースをすればいい」などという話はしないでほしい。私の気持ちは伝えましたが夫がどこまで理解してくれたのかは知りません。悲しすぎて、夫と話をすることもできません。でも、夫は「なんか機嫌悪い」ぐらいにしか思っていないようです。
2006年08月19日
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以前にも、書いたことがあると思いますがマムの話の腰を折る話。過去二日はマムのマシンガントークを聞くことができなかったので帰宅後すぐに部屋に逃げ込みました。それを反省して、今日は朝からコーヒーを飲みながらマムと話をしました。カンバセーションが会話のキャッチーボールならばマムと私の会話は「機関銃 VS 火縄銃」火縄銃を一発撃った後、1500発ぐらいの銃弾を受けます。そして、二発目を撃つために、ガンガンと受ける銃弾のおかげで、二発目の玉を詰めることができず、機関銃が発砲を終えたところで終了となるのが、昔のパターンでした。それでもマムは、そんなことを気にすることもなく、話し終えてすっきりした顔で、立ち去ります。最近では、マムの発砲を受けながらも、話の腰を折られた地点まで戻り、二発目、三発目と会話の続きをするのでありますが、これがなかなかエネルギーがいるのです。今日は、昨日の仕事がどんなだったかということを言うだけで、結局25分びっちりかかりました。そのうち、私が話していた時間というのは3分ぐらいだったはずです。*************昨日仕事して気がついたんだけどね、プリセプターのナンシーとねxxxxで、○○○○してね、ちなみに彼女、メキシコからの移民なんだけどね・・・メキシコ人なのにナンシーなんて、名前を変えたのかしらね?彼女の苗字はなに?ここで生まれたの?ガルシア。13歳のときに移民してきたって言ってた。でね・・・ガルシアはメキシコ人の苗字だわね。xxxの○○○○○さんも、名前をアメリカ人みたいなのに変えたわよね。まぁ、13歳のときだったら、アメリカ人みたいなもんだもんねぇ。でも~~(ここから永遠に話が自分の友人知人の話に飛び始める)5分後・・・・でね、ナンシーとフロアの仕事に戻った後に、ほかの看護婦さんの仕事の手伝いをずっとしてて気がついたんだよね。みんな、時間とおりにやらなきゃならいことを、結構フレキシブルにやってるってことにね~~私がやってる、パーキンソンアソシエーションのグループでも、パーキンソンを抱えるご主人の世話で、完璧にやろうとして、ものすごーく疲れている人とかいるけどね、そんな人には私はいつも言うのよ。「自分の世話をしっかりまずすること。自分が倒れたら、誰がご主人の世話をするの?」ってね。自分を一番大切にできないと、人の世話なんてできないわよね。(ここからパーキンソンアソシエーションのグループのいろんな人たちの話が始まり、5分ぐらい話続ける)うんうん、そうだねそうだね。 (結構イライラしてきている。そして、全く関連がなくなってしまったけれど、自分の話の腰が折れたところに話を無理やり戻す)時間とおりに出来ないことが、それでいいわけじゃないし、ナンシーのスタンダードがめちゃくちゃ高いのはものすごくいいことだと思う。でも、彼女は私にも彼女と同じように仕事ができることを望んでいるようで、それが出来なかったり、私が遅かったりすることで、すごーくイラついているときとかあるのがよくわかるんだ。そういう人はよくいるわね。私の知っているxxさんもそんな人だわ。彼女はね、すごく素晴らし人で、人生もかなり晩成したといえるわね。彼女はxxで生まれてね、若いときは○○として仕事をしていたのよ~~。 (xxさんの紹介が永遠に続く)へぇーへぇー。 (聞いているフリして実は入り込む隙間だけを待っている)でね、ナンシーがイラついているのはもうあまり気にしないことにしたの。彼女は私よりもかなり若いしね、彼女と一緒の残りの2週間だけは彼女のスタンダードで厳しく、しっかりやっていくことにした。自分でひとり立ちするようになっても、同じようにハイスタンダードでやっていきたいとは思うけど、出来る範囲でやるしかないって思うし。。。この後も3回ぐらい、話は逸れましたが、何とか最後まで私が言わんとしていたことを話し終えて、キッチンを後にしました。一度、私が話しの途中なのに自分だけ話を終えて台所を去ろうとしました。だから、 最後まで聞けよ!おい!! という気持ちで、私は意地になって最後までマムに聞かせました。夫にもマムのしゃべりのことを言いましたが、今夜、夫はマムに 「しゃべりすぎ」 と注意していました。実際に、マムの友達で、マムに電話をかけてこずにメールをよこしてくる人は、彼女がしゃべりすぎで、人が話している上から話をかぶせるし、長電話になるのが嫌だからという人もいるみたいです。マムは 「ナデシコだって、疲れているときにマムの話をずっと聞くのはつかれるんだから。」 と私がいる前で言いました。 「え?今言うか?」 って、ちょっと意表をつかれて困りましたが、はっきり言いました。「昨日とか一昨日みたいに、ほんとにつかれきっているときには話なんて出来る状態じゃないし、聞くこともムリ。それに、マムに話をしているときに、話が逸れていくことがあるでしょ?たとえば、今日の会話で、ナンシーがメキシコ人だって言ったら、彼女の苗字の話から彼女がいつ移民したのかという話になって、そのあとどんどんどんどん、違うほうに話が広がっていって。。。。マムの友達とだったら、そういう会話普通に出来るんだろうけど、話が一度それて、そのそれたところに帰ってきて、またそれて。。。って、そういう会話はほんとにエネルギーがいるんです。それを仕事から帰ってきてっていうのは、ほんと、ムリだって思ったから、昨日も一昨日も、さっさと部屋に行ってしまいました。ごめんね。」その後、夫はマムに、パクシルを飲むのをやめなさいとか言っていました。坑ウツ剤ですが、マムがめちゃくちゃハイパーなのはこの薬のせいだということもかなりの疑いがあるからです。でも、坑ウツ剤は、いきなり辞めるのはよくないので、医師に相談して少しずつ減らすようにすればいいのでは?とアドバイスしておきました。マムが変わってくれるかどうかは、知りません。多分、いや絶対、変わることはないでしょう。マムとは 「会話をする」 という意識を持たないのが一番なのかもしれません。次に何か話をしようとして、腰を折られても、そのままほっておいて、マムの話が終わるのを永遠に聞き続けるだけにしようかと思いました。自分がしゃべりだという自覚が どうやら全くないようでしたし。。。夫が、「しゃべりすぎ」 と言ったとき「私のどこがしゃべりすぎなの?」って、はっきり言いましたから。もう、ため息しかでません。
2006年08月13日
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マムが先ほど、外出先から家に電話をかけてきました。スーパーに寄って帰るので、何かいるものはないか聞くためでした。今日の食事の予定も聞かれたので、「まだ決めてません」と答えました。するとマムは、「じゃぁ、なにかめぼしいものがあったら買って帰るわ。」と言いました。冷蔵庫にいってみてみると、野菜室にはなんだか野菜がごちゃごちゃと入っていましたし、サラダパックもありました。きゅうりもありました。めぼしいものはすべて、ありました。冷凍室には鳥、魚、牛肉が常備されています。これ以上めぼしいものが増えるのが嫌だったので、マムに電話しました。あの冷蔵庫の中身なら、買い物しなくても何でも作れるはずだから、何も買ってこなくていいよ。と。夫が、私が自分専用の冷蔵庫を買うといったことをマムに言ってから、マムは買い物リストを作って買い物をしているようです。今日は自分のリストの買い物だけをすると言っていました。一体何日間、あの冷蔵庫の状態が続くのか楽しみです。冷蔵庫の中身なんて、どうでもいいと思えるくらいの精神状態に早くなりたいと思いました。
2006年08月08日
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先ほどの日記を書いてから、思いました。私がもし、こんな夫を100%理解しサポートしたとしたら、どんな結果につながるのか。来月コンテナがとどき、あっという間に投資した3倍のお金が入ってくることを楽しみにしながら、楽観的に暮らせたらどんなに幸せだろうか。楽やろうなぁ。そう考えられたら、楽やろうなぁ。今は馬鹿になるほうが、得なんかな?明日食べるものがないわけでもなく(なぜなら、マムが冷蔵庫を詰め込んでいるから)家賃を滞ったら、追い出されるわけでもなくかわいいケンジがいて、みんな健康で。。。そのことの方が大事なのかなぁ。私は夫婦の危機よりも、夫婦円満でいたい。これって、またなんかの、メッセージなん?あぁ、それにしても疲れがとれへんわぁ。怒りすぎやろか。。。
2006年08月06日
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もうほんとに、何とかしてほしい夫です。我が家の経済事情は火の車です。それは、夫の浪費がすごいからです。おかげさまで、ナースとして働き出して、一家の主がもらうぐらいのお給料をもらえるようになったのですが、その私のお給料ですら、 「補足」程度にしかならないぐらいの夫の金の使いようは、まさに夫婦の危機を招いています。夫はサーフボードのブランクに使うための木をエクアドルから輸入して、アメリカ全土に売る、サイドビジネスをしています。*サーフボード・ブランク: 木でできた美しいボード。実際、サーフィンできる軽いものもありますが、おもにアートや家具として飾って鑑賞するものみたいです。エクアドルに知り合いがいて、長年やりとりをしています。夫は高価な工業用のマシーンを大量にエクアドルに輸出し、かれらがブランクを作る作業をするベースを確立したのです。その金額にしておそらく300万円ぐらいの投資です。エクアドルとアメリカの貨幣価値の違いから、かれらが 「返金」 をすることは不可能です。夫への返済方法は、ブランクとして使われる木(熱帯にしか育たない)を夫に送ることなのです。その木が過去1年間、 「人手不足」 「木不足」 など、なんやかし言ってはコンテナが届くことはありませんでした。それどころか、アメリカ本土では夫にしか手に入らないはずのバルサブランクが、サンディエゴなどで流出している事実を耳にしました。夫に送るべき木を、誰かほかの人に売っている可能性が高いと思われ、痺れを切らした夫は、5月にエクアドルに飛び立ちました。そして、いったいどうなっているのか確認し、修復し、来月には大量の木材が到着するように手配して帰ってきました。ライノバルサ これが会社名です。会社名義の銀行口座がありますが、いろんな事情で過去2・3年はお金の動きは全くなく、趣味のビジネスとして私は理解していました。それが今年の1月から、夫は500ドルもする、ポケットPC内蔵の携帯に買い換えました。ジョンというおじさんをパートナーに含め、彼も同じ携帯を持ちました。インターネット、メールアクセスをこの二人につけたため、月80ドルも電話代がアップし、プラス、私とジョンさんの奥さんの携帯がファミリープランとして付加されていました。電話代だけで毎月250ドルかかるようになりました。インターネット・メールを彼らが全く使っていないことを理解したので、解約させたのが3ヵ月後。そして、ジョンさんがノートブックを購入し、仕事のために半分つかうのだからと、1600ドルの半分を ライノバルサ のアカウントから支払いました。エクアドルへの旅費、小遣い。エクアドルの工場での出費。それから、5月にまた何のお金かしらないけれど $3500 をエクアドルに送っていました。それは夫が収入がなかったときです。先日、エクアドルから マリオ が来ていました。マリオもこの木のビジネスにかかわっている人物ですが、3週間後に送られてくるコンテナに不足している木を補うことを、マリオに頼んでしました。そして、$1040 をマリオに渡していました。私が給料をもらってきたその日だったので、また頭にきてしまいました。私はあんたの趣味のために、せっせと働いているんじゃない!いい加減にしてほしい!!夫は9月にコンテナが届いたら、使ったお金の3倍がもどることを私に説明しました。使ったお金、ちなみに現地点で 15000ドル (170万円強也)。ちなみに、一番最初の投資額は含まれていません。それは過去のコンテナから回収したようなしきってないようなことを、夫は言っていました。ライノバルサの口座には、現在500ドル程度しかお金がありませんので、使わないように言い渡しています。ですので、電気工の方のアカウントと私達夫婦のアカウントから、これらの支出をおぎなっていました。私が長年、 趣味のビジネス として理解していたことを、今すぐに 「来月、3倍になる~♪」などと、おめでたい考えを持つことはとうていできません。夫の本業である電気工の給料、私のナースとして稼いだ給料が、ほとんどすべて ライノバルサ のために消えていきました。そして、収入ゼロのライノバルサは現在、マイナス15000ドルの赤字。クレジットカード7000ドルの支払いに、私達夫婦の銀行口座はマイナス3000ドル。こんな状態で私のことを、「最近、機嫌が悪い」 だの、 「意地悪ばかりする」 だの、 「すぐ怒る」 だの、言うのです。そして、私を実母のようだといいます。「私は実母じゃない。いや、実母やったらこんなんじゃぁ、すまんやろう。あんたは私がストレスを感じている理由をなぜ理解しないのか。全部説明したじゃない?私はあんたの趣味のために仕事してるんじゃないんだって。今の状況見てみろ?どう思うんよ?来月コンテナが届くって?3倍になるって?あんたそんなこと言うて、そのブランクは完売なんやね?バイヤーはもうおるんやな?(バイヤーはほんの一部のブランクのみです。)私のこのストレスは、使った金の3倍をキャッシュで見るまで、いや、使った金が返ってくるまでは治らんから。それまでがまんしろな。」こういう理由で、夫婦って離婚したりするんでしょうか。こういうのが重なって、離婚になったりするんでしょうか?夫が言いました。「君は最近、僕の手に負えない。僕もすごくストレスを感じるよ。このままだったら、螺旋階段を落ちていくみたいに、君を助けられなくなってしまう。」その言い方はまるで、私が意地悪でストレスを感じているのが、私一人の問題であるかのようで、私はとても気分が悪かったです。仕事は4日休みです。今日で二日目。体調がおもわしくありません。明日とあさって、ゆっくりしたいと思います。
2006年08月06日
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ただでさえ、仕事のストレスでイラついてるのに。。。マムが留守のときに、冷蔵庫の整理をしていたらパルメザンチーズが3つマーガリン3つ冷蔵庫に入っていました。画像大公開。左側がパルメザン。右側の2つと、後ろの1つがマーガリンです。一番下は、サワークリームですが、今からあけてみます。胞子が育っているはずです。何に使うのか知りません。パルメザン。カビたら速攻、捨てますから。
2006年08月02日
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最近、モラハラ(モラルハラスメント)についてのブログを読んでいます。結婚してから夫のモラハラに数年間耐え続け、脱出し調停離婚したある人のブログを読んで、モラ夫の酷さにあきれながらも、自分も 「モラ嫁」 に近いことをしてることが、たまーにあるかも。。。などと思わされることがありました。鬼嫁は夫の食事を作りますが、それを当たり前のことと思うなよ。といった態度で作ります。誰が毎日、当然のように食事が出てくると思ってるねん。甘えるな!的な態度も表してみます。食事の片づけを手伝わず、リビングのソファーでテレビを見始めた日には「あれ?夫はどこにいったん?お~い!!夫!!!何テレビみてるねん!みんなで片付けせんでどうするの!」と、手伝いにくるまで、呼び続けます。夕食の片付けが完全に終わるまで、テレビは見させません。マムは私の味方です。片付けせずにリビングでテレビを見ている夫をしかってくれます。「みんな仕事してるんやかなら!片付けもみんなでせなあかんねん。マムは作ってくれた人やねんからな。私らで片付けなあかんやろ?わかった!?」夫が家事を仕事の一部として自覚する日は遠いでしょう。でも、奥さんの収入を当てにする以上、自分も家事を協力しなければならないということを、ビシバシと教育していくつもりです。今日はサーフィンから帰ってきて、夕食後に胸が痛いと言いました。症状とか痛みの感じをきいてみても、いまいちどんな感じかも説明できないし、筋肉痛に似た痛み とか言うので、どうやら心筋梗塞とか狭心症などの心配はないと思いましたので、(顔色もピンクでとてもいいので)ちょっとだけいたわりながら、食後の片づけをやらせました。片づけが終わったら、「胸が痛い」と言わなくなりました。仮病だったと判定しました。これからも モラ嫁 にならない程度に、 鬼嫁 を引き続きがんばっていきたいと思います。
2006年08月02日
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昨日、夕食が終わってから姪っ子二人をつれてダウンタウンに行きました。3日間、仕事でどこにも連れて行って上げられなかったので、最後の夜にガールズだけでちょっと外出することにしました。目的地は、アクセサリーやさん。最近ピアスをあけた二人に、何か買ってあげようと思ったのです。で、いつもいくお気に入りのアクセサリーやさんは、7時で閉店してしまっていました。別のお店に入って、うろうろと見ていました。「好きなの買っていいよ。一人15ドルまで。姉ちゃんと妹の分も選んでやりなさい。」11歳の次女は、めちゃくちゃ遠慮をするのです。そんなにお金使わせられないよ。とか、言うのです。9歳の三女は、うれしそうに選んでいました。結局、6ドルぐらいのアンクレット一つだけを選んだ次女に「私はクリスマスも誕生日も、何も送ってあげてないしこれからも何もしないから、来てるときぐらい好きなもの買ってもらいなさい。お金のことは心配しなくてもいいんだよ。仕事しはじめて、たくさん稼いでるんだから。子供だって、あんた達しかいないんだからね。好きなもの買ってもらえるときに、買ってもらえばいいんだよ。」そういったらちょっと安心したようでPrincess とかいてあるバンダナと、サーフボードのついたネックレスも選んでいました。結局、女の子だけに買い与えるのもどうかなと思ったので、長男(14歳)以外の子供9人全部にちょっとした小物を選ぶことにしました。一人10ドルぐらいの買い物なのにほんとにしょーもない、犬のキーホルダーとか4ドルのカチューシャとかスパイダーマンのペンとかそんなものばかりなのに9人分買ったら130ドルにもなってしまいました。100均があったら、20ドル以内で済んだことでしょう。8人の子供を育てるということは大変なことです。ほんまに、義理弟はどうするんやろう。。。大学行きたい、とか言うたらほんまにどうするんやろう。。。めちゃくちゃ、心配してしまいました。
2006年07月28日
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昔、大家族スペシャル みたいな番組ありましたよね。13人兄弟の大家族。離婚してしまいましたが今のこの家はなんとなくあの大家族を思い出させます。子供の人数は負けますが義理弟の子供4人に追加がありました。月曜日から、義理兄と子供2人が追加されました。そして、義理兄は火曜日の早朝に子供をおいて去っていきました。仕事があるからです。というわけで、子供6人と義理弟、老人二人で月曜から本日水曜日までがんばったようです。老人二人のうち、ダディーは戦力には入りません。食事は子供達があたってからなのでダディーはいつもほったらかしで食事を食べたのかどうかも分からないまま台所は嵐の通った後みたいで毎日本当に大変でしたよ。私は仕事を始めてからは、ほんとに鬼嫁です。心を鬼ににして、自分が疲れていたならば台所がめちゃくちゃだろうが、なんだろうが完全無視で部屋にこもって早寝してましたよ。いや、もう、そのくらい図太くないとこの仕事はできないと分かったんですよね。仕事でどれだけの神経をすり減らしているか。。。家ではもう、ムリです。家ではもう、王様になるしかないな。それしかない。そう思っています。家はめちゃくちゃです。ケンジも、子供達から食べ物をもらっているような感じです。私自身、許せなかったケンジへの与えが今ではほんと、どうでもいいと思えます。トイレもめちゃくちゃ。シャワールームもめちゃくちゃ。洗面台はなんか、チョコとか歯磨きとかなんでこんなに汚いのか、というぐらい汚い。でも、すぐに汚れるだろうから掃除する気にもなれません。嵐のような毎日を体験して子供8人の生活がどんなのだろうか。。。と想像すると、こんな一時ぐらいのめちゃくちゃたいしたことないな。そんな風に思っているのです。義理弟はERのドクターとして働きながら子供の世話も、料理なんかもやっているみたいです。すごいわ。義理弟。夫は自分の弟のそんな姿を長年見ているからだから子供がほしいと思わないのかもしれません。私も義理弟家族がやってくるたびに子供を持つことを考えてしまうのです。明日子供が全員、帰って行くのでこの家はしばらく静かになります。
2006年07月27日
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夫がどうやら、日本のエロサイトをサーフしたようです。39000円を7月26日までに振り込むようにとどこぞの会社からメールが来ていました。私は夫が使うコンピューターも、日本語で読み書きできるようセッティングしています。前にもありましたが、何度も何度も無視していたら最後には「取立てにいく」と書いてあったのでうちの住所を全部書いて送ってやり来れるもんなら取立てに来てみなさいと書いたらメールは来なくなりました。今回の請求メールもどうやら、2・3通目らしく夫はその内容さえも分からないまま削除しているようでした。前回と同じく「取立てするんなら勝手にこんかい」「ここはカリフォルニアじゃ」と、メールを返信しておきました。
2006年07月24日
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昨日から、ニュージーランドから帰国してきた夫の弟とその子供がやってきました。義理弟はセントルイスでERのドクターをしています。1年の契約で、ニュージーに居住しERで仕事をしました。子供8人(上15歳から2歳まで)を連れてニュージーでの1年間の生活を満喫し帰国しました。子供8人うち、4人は母親と直接セントルイスに帰宅。残りの4人と父親(義理弟)は、5週間かけて東南アジアの国々を旅行して、アメリカに帰ってきました。ロスで一週間ストップオーバーしてサンタバーバラに寄ってから帰宅する計画なのです。昨日、ロスに到着しやってきたのが夜中の12時。子供4人と大人1人ですのでたいしたことはありません。前回、総勢家族10人でこられたときにはパワフルなウィルスまでももってこられたのでほんとうに大変なことになりました。あれに比べたら楽なものです。ケンジも大喜びです。本日はサーフィンにもつれていきました。4人の子供一人は15歳になるからほっておいてもサーフィンしてましたが残り3人はまだまだ、一人では波にのれません。大人が一人ずつ、おしてやらねばなりませんでした。4人の子供なんてたいしたことないと思っていましたがいや、結構大変です。ましてや8人なんて、考えられませんよ。すごいなぁ。義理弟。毎日8人の子供ですよ。。。Uちゃんがランチと夕食にきてくれたのでいろいろおかずを作ってくれたので助かりました。彼らは来週の木曜日に帰りますが月曜日から木曜日まで夫はおりません。私も月・火・水と仕事にはいりますのであとはマムにやってもらわなければなりません。今日はくたくたですので、ゆっくり寝たいと思います。
2006年07月23日
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夫は来週火曜日から木曜日まで、国家試験を受けにサンディエゴに行きます。ホテルの予約を昨日はじめてオンラインでしたそうです。そして、どこもとれなかったそうです。一泊300ドル(3万以上)のホテルを3泊とったそうです。10万円ですよ。なめとんか!!と言いたかった。でも、つかれきった私にはそれを言う気力も残っていませんでした。昨日給料日でした。半分以上、これに消えます。なめとんかぁ~!!!!
2006年07月22日
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仕事を始めてから、冷蔵庫が荒れ始め私が料理をする気持ちも萎えるようなそんな冷蔵庫を数日 無視しながら料理をボイコットし、頻繁に外食をした先週。今週の冷蔵庫は比較的空いています。空きがあります。野菜室がまだまだ、私の満足いくものではございませんがマムの努力が見えます。先週も夫に言いました。「私専用の 小型冷蔵庫を買って。」「それだけあれば、私は4人分一週間の食材を計画的に購入して、作れるのに。」「あの冷蔵庫の中身では、作る気も萎える。」「すしが食べたい?魚が食べたい?」「私が買ってきても、収納するところがないじゃない?」「あれ以上詰め込まれたら、今現在収納している私専用調味料も、退去するしかない。」「だって、じゃまにならないように、ぜーんぶ一番奥に入れてるんだよ?」「あの詰まっているものを出さないと、私専用の調味料出せないんだよ?考えてよ。」「料理したくない気持ち、分かるでしょ?」そして、休みの日も料理をせずに外食しました。夫はきっと、マムに冷蔵庫のことを言ったのだと思います。「計画的に買い物に行きなさい。」 と。使わない野菜を、たんまりと買いたい彼女の気持ちが私には分からないので、腐れば捨てる。しかも、マムに断ってから、捨てる。「これ、グジュグジュになってるよ。」「これ、シナシナになってしまったよ。」そういって、捨てる。そしてその後「野菜が無駄になるから、今日使う予定のない野菜はできるだけ買わないようにしましょう。」マムに言うつもりです。別に、言ってもいいんです。マムが怒るとは思いませんがそれでもし、マムが怒るのならそれは 私の問題ではなくマムの問題なのです。似たようなことを、仕事のオリエンテーションクラスで言われました。患者さんの治療に関する疑問・質問をドクターに投げかけることは悪いことではない。私達はそれをしなければなりません。それを嫌うドクター、怒るドクターは実際いるそうです。ドクターの機嫌が悪いと、突っかかってくる人もいるそうです。でも、それはナースが悪いのではなくドクターの問題なのです。患者さんの代弁者として、やらなければならない義務を私達は遂行するだけ。嫌なドクターに負けるな!!絶対に 素直に 私の意見を聞き入れてくれるマムという人で私はその練習をさせてもらおうと思いました。
2006年07月16日
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ひねもすさんの日記を読んで同感したこと。夫は今月末、5回目の国家試験を受ける予定です。試験会場はサンディエゴです。それは5月末には分かっていたことなのにそれなのに、夫はホテルの予約をしていませんでした。私は6月15日の自分の試験と、6月19日から始まる病院のオリエンテーションやら健康診断やらその準備があり、とても忙しかったのです。現在、勉強のために仕事をしていない夫を自分で自分の試験の準備ぐらいできるだろうと私は完全にほったらかしにしていました。もちろん、私は忙しいから何もできないしするつもりはないこともちゃんと言っておきました。7月3日、夫が言いました。まだホテルをとってないんだよ。もういっぱいかもなぁ。ちょっとオンラインで予約しといてくれるかな?場所はサンディエゴの会場なんだけど、どっか近いところ。国家試験のホテル探しはものすごく大切です。夜、寝つきが浅い夫は、モーテルではだめです。大き目の泳げるプールがあって静かで、試験会場から徒歩でいけて昼ごはんを食べに、帰ってこれる距離。そんなホテルを探さなければなりません。私が3日間の試験に同行できたときは自分も泊まるホテルだったので、私がやっていました。試験を受ける3ヶ月前には、いいのを抑えていました。今回は私は行きません。なぜなら、仕事があるからです。夫は今、仕事をしていません。5月末からしていません。私は週4日といえども、そのうちの2日は12時間シフトです。そして、残りの2日は8時間シフトなので帰ってきてから夕食を作っています。そして、次の日の夕食まで、作ることもあります。休みの日はもちろん、当たり前のように夕食を作っています。夫は、働かずに一日勉強しているのです。私は働かずに、一日勉強していたとき家事をしていました。この違いは一体、何なのかと考えます。一日、何時間勉強しているのかは知りません。先日、私が休みだったとき、昼の3時ごろにこっそり夫が勉強している部屋に入りました。夫はリクライニングチェアーでいびきをかいて寝ていました。そんな夫が、8時間働いてきた稼ぎ頭に「今日のご飯何?」なんて言った日には、殴ってやろうかと思います。それを殴らずに、やっている私に「ホテルの予約をしておいて。」なんて、いったい何を考えているのだろうかと思い私はぶち切れてしまいました。「オンラインで60万円のマッサージチェアーと22万円のマッサージチェアーのリサーチ比較して結局60万円の高いマッサージチェアーがカード購入できるのになんでホテルの予約ができひんの?あんた、一体、何考えてるの?寝言も休み休みいえやぁあああ~!!!!」それ以降、ホテルのことは言ってきていません。でも、7月25日からの3日間のホテルどこもかしこもいっぱいで、なかなか取れないようです。そりゃそうですよ。カリフォルニア中から国家試験を受けに来る人たちの予約でその3日間はいっぱいになるんですから。でも、知りません。自分で痛い思いして、勉強しなさい。もう奥さんは、あなたのために何もかもできないということを。さきほども「ご飯何?」って言われましたけれど、メインは昨日から作っておいたので白米を炊いてもらい、用意は夫が自分でやっているところです。いつもだったら自分のだけ暖めて、さっさと一人で食べる人ですが今日はみなの分を用意しています。それが当たり前なんじゃ!といいたいところですが、今日はほめてやりたいと思います。
2006年07月07日
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私が仕事を始めてから、夫はまた「取らぬ狸の皮算用」をはじめました。私はまだ初任給ももらっていないのにこれを買うだの、あれを買うだの毎日言っています。もうすでに、マムたちと折半して5000ドル相当のマッサージチェアーを購入しました。日本円で60万円近くします。「あんた、今無職やねんで。何かんがえとるんよ。」と、厳しく言いますが試験勉強のために最後に終えた仕事の請求書をまだ渡してないところが3件ぐらいあるからそれが入ってくるから大丈夫。とか、わけの分からないことを言っています。昨日はまた、大金を投資して増やす話を語りだしましたので私はとてもイライラして、最後には大声をだしてしまいました。「投資、投資って、そんな金いまどこにあるねん!銀行残高マイナスになりよるんやで!!カネカネカネカネいうて、そんなもんどこにあるんよ!ほんまにあんた、いい加減にしいよ!!あんたがそんなんやから、子供もほしいと思われへんねん!!あんたがそんなんやから、あたしは不安で不安で子供ができても、あたし一人仕事して、家事して、子育てしてお金と将来の心配してやっていかなあかんのちゃうかって思うねん!」夫は私をまた、母の名前で呼びましたが無視しました。子供の話は今は聞きたくありません。子供を産みたいと思う気持ちは、学校卒業する直前よりも萎えてきています。来年一月からのスタートで、4年大学卒のディプロマを取るためにオンラインで入学申し込みをしようかと考えています。1年半ぐらいでディプロマがとれるし学費も病院が払い戻しをしてくれるらしいのです。マスター(修士)をとるためのステップには絶対に必要になってきます。今からはじめようかと思っています。マムはきっと、これを聞いたら孫の顔を見るのがまた先になることを知るでしょう。マムには言わずに、始めようと思っています。
2006年07月03日
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病院でのシフトが始まってから、マムとの会話の時間が少し減ったように思います。先週は仕事がある日は、一緒に夕食を食べませんでした。初仕事の日はマムがマシンガントークを炸裂し、一通りしゃべって満足したそのあと私に「今日は何があったの?」と振ってきたのですが、「今日は疲れて英語で考えられないから、明日でいいかな。」と断りました。マムはどんな患者さんがいたのか、何をしたのか、いろんなことが聞きたいようですが、私はプロのナースとして守らなければならない約束があります。その中の一つ。かなり重大な約束・責任としてあげられるのは 「患者さんのプライバシー・秘密の保護」です。入院している患者さんの家族でさえ、患者さんの同意なしではその病状や治療についての情報を与えることは許されません。電話での応対も、注意しなければなりません。公共の場で、患者さんの情報について話すことも禁止されています。名前を名乗らずとも、その会話を耳にした人が「自分の家族」だと分かった場合、それは処罰されるべき事態となります。その処罰は大変厳しく、雇用主は「その場で即刻解雇」することができます。私の仕事の話を聞きたがるマムに、そのことを言いました。だから、あまり話せないよ。と。マムはとにかく、おしゃべりなので、私の話はすべて、友人知人にしらされることでしょう。しかも、サンタバーバラは小さな町です。私は自分のライセンスを守るために、彼女にはとても気をつけて話をするようにしています。先ほども、私のところにやってきました。そして、聞くのです。「ジェリーさんの奥さん、スーザンが癌で入院したんだって!あなた、フロアーで彼女のこと見た?」なんで彼女はこんなに知りたがりなんだろう。私から聞いたあと、みんなに話すのか?ジェリーに電話でもして、私から聞いたっていうのか?別に腹を立てなくてもいいのですが、ちょっと腹が立ってしました。「彼女は見なかったよ。でも、たとえ見たとしても、私はそのことを言えないんだけどね。(だからもう、そういう質問はしないで)今回は、ほんとうに見なかったけど。」知りたがり、話したがりのマムはこれからもいろんな質問をしてくることでしょう。サンタバーバラは小さい町なのです。マムが私から聞いたことを友人知人に話しまくることで、私のライセンスが多大なリスクにさらされるということを、彼女は知らなければなりません。意地悪でやっているのではないのです。
2006年06月30日
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仕事が始まり、家をあけるようになりました。もちろん、仕事の日は夕食を作らないことに決めたのでマムにやってもらっています。休みの日に、トマトソースやカレーを作ってジップロックに入れて冷凍しました。2日前はそれを解凍してパスタにかけて食べたと言っていました。冷蔵庫はすごいことになっています。ものが入らないくらい、あふれかえっています。冷蔵庫の扉が閉まりません。昨日は残り物の夕食を食べました。後片付けをせずに消える夫をしかり最後まで手伝わせました。残り物をタッパーに入れて、冷蔵庫に入れるように指示しました。冷蔵庫を開けた瞬間、夫が言いました。夫:「なに~!この冷蔵庫。何も入らないじゃない!!」マムはすぐ横で洗い物をしていました。私がいえないことを夫が言ってくれました。ナデシコ:「だからあんたにたのんだんや。この作業。」するとマムは、「何がはいらないの!」と、残り物をすべて押し込んで、「ちゃんと入るじゃない。」なんていいながら、洗い物を済ませました。研修期間が終われば週3回は私が夕食を作るつもりです。マムはきっと、整理整頓はムリな人なのです。だから今はがまんして、でも、あまり見ないようにして手が出せるようになったら色とりどりの胞子を成長させたサルサや残り物をがんがん捨ててあげようと思います。
2006年06月29日
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国家試験を受けた当日午後から昨日まで私は毎日、夫の仕事(肉体労働)を手伝いました。夫と高校時代からの友人アーウィンは共同で家を一軒買いました。この家は現在、賃貸していて私たちはその家賃収入でローンを返しています。1階は4ベッドルーム2バス。2階はスティディオ(ワンルーム)。この2階の住民が使う階段とエントランスデッキが木が朽ち果ててぼろぼろで、大変危ない状態でした。その修繕を夫とアーウィンは始めました。私は試験も終わり、ディナーも手伝うつもりがなかったので夫をモリモリ手伝いました。そして、気がつきました。肉体労働。。。きつい。。。。。夫は私よりも9歳も年上でこんなきつい肉体労働を毎日やってたんだなぁ。。。それなのに、私は、テストのストレスとかで毎日当り散らして。。。仕事で疲れて家に帰ってきても、奥さんに当たられて。。。かわいそうなことしたなぁ。これからは家に帰ってくることを楽しみに思えるようなそんな家庭を提供してやらなあかんなぁ。いっぱい、反省。。。。過去3日はお天気がよく、あっつ~い日々でした。昨日は夕方からバーベキューがあったので昼食後に帰らせてもらいました。帰宅直後、ひどい頭痛は始まりました。「日射病?熱射病?」そんな感じでした。とにかく、暑くて、しんどくて、はきそうで。。。頭痛。水を飲み、昼寝をし、アドビル(熱さまし・痛み止め)を飲み少しましになりましたが、あれは絶対、日射病でしょう。夫もアーウィンも、私が帰ってから日が暮れるまで働いていました。夫は仕事場から直接、バーベキューに来ました。私は芝生の上に、夫が横になれるように敷物と枕をセッティングして待機しました。もうひとつ、気がついたことがありました。夫は整理整頓がまったくできない人なのだと思っていました。つめきりどこ?あの領収書はどこだったかな?xxさんの工事のパーミットどこにおいた?とにかく、私がみたことも聞いたこともないような手紙や書類などもどこかにおいてわからなくして私にそのありかを聞いてくるのです。私はそれが大嫌いで、いつも怒っていました。「なんで整理整頓できひんの?」「私はそんな紙、みたことない!」「見たことないから、どこかなんて教えられへんよ!」「あんた、そんなことで弁護士になったらどうするのよ!」「依頼人の書類とか、すごい数になるんやで?」「いちいちなくしてたら、勝てる裁判も負けてまうで!」「今から整理整頓する練習しなさい!!」夫の仕事(肉体労働)を手伝いました。夫は4トントラックの後ろに、すごい数の仕事道具を備えています。私はアシストしかできませんでしたがこの4トントラックのツールボックスから夫に頼まれたものを持ってくることなども手伝いました。夫はこの4トントラックのどこに何があるのかすべて把握していました。私は驚きました。ペンは運転席側の一番上の真ん中の棚に入っている。小さいほうのハンマーは、助手席側の一番後ろの扉をあけた下から二番目の引き出しに入っている。家では紙切れ一枚、見つけられない人は当たり前のことなのでしょうが自分の仕事のツールを整理整頓できていました。弁護士になっても、それが仕事になったのならしっかりと整理整頓していくだろう。夫が探しもせずに、ないないと私に頼ることはこれからもやめないとは思いますが仕事でしっかりやってくれるのなら家のなかまで整理整頓しなくてもいいか。。。そう思えるようになりました。昨日の熱射病は無駄ではありませんでした。
2006年06月18日
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6月15日、試験は8時からでしたが、2時間以内に会場を出ましたので自宅に帰ってきたのは12時過ぎごろでした。皆さん、おぼえていますでしょうか?K.Wナベさん(ダディーの友達)を招待してのディナー:過去日記参照あり。私が試験日を 12日から15日にずらして、ディナーの準備をボイコットしたかったあのディナー。なぜだかキャンセルはしなかったようなのです。私がすしを作れないのなら、ポークローインを作るからいいと、計画は強行されたようでした。私を当てにしないで、ディナーをやるつもりなんだな。よかった。そう思っていました。14日は、ホテルに泊まりましたが、ケンジを同行したため、夫婦共々眠れぬ一夜を過ごしました。山奥の家では聞こえない、さまざまな物音と人の気配を感じて、ケンジは一晩中、ドアを見張っていました。ちょっとした話し声や、ドアの開け閉めの音などで、うなったり鳴いたりするものだから、それを静止するので15分おきに起こされ続けました。朝、ケンジもぜんぜん眠れていないはずですが、彼はものすごくうれしそうに私の顔をみました。「おれ、えらい?かあさん、おれ、えらいやろ?!」みたいな顔をしていました。15日は眠れぬままに試験を受けました。12時に帰宅後、しばらく休んでから、夫はちょっとした大工仕事に行くことになっていました。夫と友人アーウィンが共同所有し、賃貸している一軒家の二階の入り口のポーチがボロボロで、住人から直してくれる様にずっと要請がきていたのを、ようやく修理にとりかかったところでした。私は試験も終わったことだし、ディナーの準備もマムたちがするようなので、夫の手伝いをすることにしました。でもこれがあっつい日で、屋外 しかも二階の真っ黒な石屋根のすぐそばでする作業はたまらなく辛いものがありました。でも、後悔はしませんでした。なぜなら、家にいたって寝ていられるわけがないからです。結局は、彼らの手伝いは今回は、意地でも絶対にしたくなかったので、私はいつまでも夫の手伝いをするつもりでした。その日の作業をキリのいいところで終えて、帰宅したのが5時半ごろでした。ディナーは6時半とのことでしたので、ここからぼちぼちシャワーを浴びて着替えて、のんびりしようと思っていましたが、ディナーはポークとバナナケーキだけが出来上がっているだけでした。マムは2時から4時過ぎまで、テニスに行ったと言っていました。ま、別に私のゲストじゃないから知らないし。そう思いながら何もせずに部屋でのんびりしていました。そして、6時半過ぎに台所にジュースを飲みに行きました。するとマムが私に聞くのです。マム:「Kたちは、今日くることになっていたの?もしかして、明日?6時半っていったんだけど、まだこないのよ。ま、まだ用意はできてないからいいんだけどね。」私:「え?15日っていってたじゃない?私しらないよ。15日は試験があるからだめっていったときに、キャンセルしたもんだと思ってたけど、しなかったんでしょ?だったら15日じゃない?」マム:「ほんと、こういうことは最初から、私にもちゃんと言ってもらわないと困るのよね。2時からのテニスもあったから、何も用意ができなかったわよ。。。」私はマムが誰に何を言ってるのか、さっぱりわかりませんでした。ダディーへの文句だったのかもしれません。でも、かなり腹が立ちましたので、また同じことを言っていました。私:「私は15日にテストを受けるって、言ったよね?その後、キャンセルしなかったの?」マム:「してないわよ。」私:「じゃぁ、15日じゃないの?今日、15日だよ。」マムはそれから、またわけの分からないことを言い出しました。マム:「さっきKと電話で話したときに、今日行きますって言ってたのに。。。」私:「?????え?マム、電話でさっきはなしたの?じゃぁ来るんでしょ?なんで今日じゃないかもしれないの?」マム:「わからないわ。6時半っていったのに。。。」私:「マム、ちょっと待ってね。私、こんがらがってきた。。。マムは、さっき、Kさんと、電話で、しゃべったんだね?そして、Kさんは、今日、行きますって、言ったんだよね?」マム:「そうよ。だけど、こういうことはもっと前もって、伝えてくれないとほんと、困るわ。。。あ、きたきた!」窓の外に、Kさん夫婦の車が見えました。私はもう、何がなんだか分からなくなり、部屋に消えました。マムは何がいいたかったのでしょう。私が何もしないから、かなりイラついているように見受けられました。自分の友人のディナー、私にぜーんぶさせて、召使みたいにオードブルとかリビングに運ばせたり、ワイン注がせたりするくせに、今日、私が何もしないからって怒ってんの?テニスなんか行ってるから悪いんじゃない?なに考えてんの???すんごい腹が立ちました。フェアーじゃないよ!って叫びたくなるくらい、腹が立ちました。マムの中で 召使みたいに働く日本人の嫁がきた。という自慢を、人にしたかったことを私がさせなかったことが、気に入らなかったのかな?と、わけのわからないことを考えていました。そして、 「そんなこと、二度とさせるか!私は召使じゃないぞ!」 と、意地になっていました。Kさんたちはすしを期待していたようでしたが、ポークのディナーをとても喜んでくださいました。そして、私たち夫婦はかなり疲れていたので、彼らが帰る前に就寝しました。結局、9時ごろには「そろそろおいとまします。。。」といったKさん夫婦を、マムはその後、孫の写真や植物の写真、とにかくありとあらゆる自宅の物品などを紹介しながら、マシンガントークを炸裂させ、45分ぐらい、彼らをとどめていたようでした。このディナー、昨日の話ですが、私はあのマムのわけのわからない言動に、かなり頭にきていました。今日夫に、昨日起こったことを話してみましたが、私の気のせいだといい続けました。マムは私が手伝わなかったことを、怒っていたのじゃないのか?だから私に、あんなわけのわからないことをいったのじゃないのか?あの行動のメッセージはなに?夫はメッセージなんてない。そういいました。ほんとうに、メッセージはないんだね?じゃぁ、無視するよ?ほんとうに、昨日のことは無視するからね。これからも、完全無視でいいんだね?夫はそれでいいと言いました。マムとダディーは、私のことを大好きなんだから怒っているわけがないといいました。「なぜ、私のことが好きなの?私が毎日夕食つくってくれるから?私が彼らの友人を召使みたいに世話してくれるから?私がそれをやめても、彼らは私のことを大好きって、言ってくれるの?」もちろんだよ。夫は言いました。働き始めれば、状況は変わってくるでしょう。彼らの世話はしてあげたいと思っています。1年半の同居生活で、私は精一杯やってきました。(後半は文句いっぱいでしたが。。。)そして、それを当たり前のように、なんだかそれが当たり前のように、彼らのエンターテイメントの世話までしなくちゃならなくなって、私の生活のタイミングとかもかなり悪くて、それを理解することができなかった彼らに対して、私はかなりのフラストレーションを抱えてしまいました。サポートをしてくれましたが、本当に私のストレスやプレッシャーを理解することはできなかったのです。夫は私に言いました。同居をしないほうがよかったか?あの、暑くてうるさいアパートで 暮らしていたかったか?半年前の私なら、「同居してよかったにきまってるよ。」そう言えていましたが、今日はそうは思えませんでした。「わからない」それだけしか、いえませんでした。
2006年06月17日
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夫はエクアドルから帰ってきてから性質が悪いわがままぶりを発揮しています。日曜日、買い物に行ったときもHPのコンピューターを返品してくれているあいだに私は買い物を済ませることにしました。買い物がほぼ終わったころ、夫が店内にやってきました。レジの行列がすごかったので、私は夫に並んでもらいあと2品ぐらいの買い忘れをとりに走りました。レジに戻ってくると、完璧なタイミングで私たちの買い物を、レジの人がスキャンしているところでした。「なにやってるんだよ!」夫が怒ったようにいいました。何で怒っているのかが分かりませんでした。どうやら私は遅かったようなのです。でも、まだ品物はスキャンし終わってないし。。。何が気に入らないのか?あまりにしつこく、この話を夫がするのでホットドッグを片手に 「夫婦会議」をしました。「私には、あんたが怒ってる理由がわからんかった。」すると、夫は言いました。「コンピューターの返品で15分も並んでレジでも並ばされて、自分が見たいものも見れなかった」これが夫の怒りだそうです。「っていうか、じゃぁレジに並ばなければよかったじゃない?まだ買い物は終わってない。見たいものがある。って、あのときに言えばよかったんだよ。あんたがいいよ。って並んだんだから、私はいいと思ったんだよ。」普段はね、こんなことでは怒る人じゃないんですけどね。「あんたいったいどうしたん?エクアドルで毒でも盛られたか?」皮肉っぽく言ったらまた怒りました。第三国に長いこといた反動なのでしょうか。物欲の強い夫が、何も手に入らない南米の国で11日間過ごし現地の工場のパートナーにもいろいろたかられたみたいです。こっちなら15ドルほどで手に入るような延長コードに70ドルも出さなければならなかったと、怒っていました。夫も来月、国家試験を控えています。勉強は思ったように進んでいません。フラストレーションがたまっているようです。私には彼の気持ちがよく分かりますので大きな心で受け入れてあげようと思います。
2006年06月13日
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金曜日の夜、おそ~くに夫がエクアドルから帰ってきました。ロスに到着したのが夜中11時59分で荷物がいつまでたっても出てこなくて待たされ帰宅したのは3時を回っていました。次の日、私一人であれだけきれいに片付けていた部屋が嵐の後のように散らかっていました。夫が帰ってきて、シャワーを浴びて、寝るまでの30分でどのようにしてこんなに散らかしたのか。尊敬するしかありませんでした。夫不在の11日間。私は私だけのために、生活しました。マムたちの夕食、何度か作りましたが一緒に食べることはありませんでした。夜なべ勉強をしていたので、食事の時間もずらし遅い時間に食べるようにしていたからです。夫が帰ってきました。夫は「妻依存症」です。たまらんです。エクアドルからの帰国後は、これまで自分でできていたアウトルックのアイデンティティーの変更まで「僕のメールが見たいのに、君のアイデンティティーになってる」と言いにくるのです。今日も、「コンピューターが立ち上がらない!」とフラストレーションいっぱいで起こされました。昨夜2時半まで勉強したのに、7時半に起こすのです。「新しいコンピューター、買え!」と叫んでしまいました。あ、それから、これは夫の名誉のために言わないでおこうと思っていましたが書きましょう。。。昨日、寝る前にトイレに行き、寝床に入りました。いつものように面白がって、布団の中で プゥ~ とやりました。私は無視をしていたのですが、夫がわぁわぁと大騒ぎしました。私はまた、「ものすごくくさい一発」 をお見舞いして自分で喜んでいるだけなのだと思っていましたがそれは違いました。ペーパータオルを水でぬらしたものをもってきて一生懸命シーツを拭いているのです。「あんた?なにしとるん?」「え?あぁ、お尻からお水が出てきたよ。。。」「ゲッ!!水ってあんた、それうんこやんか!!!うんこしたん?最低~!!!そんなんで拭いて、寝れるわけないやろ!シーツ全部剥いで!取り替えるから!!!」ぶつくさ言いながら、シーツを剥いでマットレスに オキシクリーン のスプレーをかけて臭いがとれてから、新しいシーツをかぶせました。私は怒り爆発直前でした。「あんた、子供じゃないねんからな!オナラをお見舞いする前に、自分のお尻ぐらい分かりぃな!うんこもらすかぁ~!ほんまに。。。」「これはうんこじゃないよ!お水だよ!」「お水やいうても、ケツの穴からでてきたんやからうんこと一緒なんや!!くさいんやから!!家におるときまで、うんこのシーツとか換えさせんとってよね!!!ほんま、たまらん!!!もぉ、マジで次オナラするときはトイレ行きや。そうでなかったら、ケツにタンポン詰めるで。それか夜用のナプキンつけてもらうしかないでなぁ。」「エクアドルで、何か悪いものでも食べたんだよ。。。おなかの調子がすごーく変だもの。病院行って調べてもらわないとだめかもな。。。僕のおなかは、すごーく調子が悪いんだよ。。。」と、ぶつくさ言いながら寝ました。今朝、トイレに行ってバスタブを見るとケツからのお水で汚れたものと思われるパンツが「これ、洗え。」といわんばかりにほってありました。絶対に触りません。ご清聴ありがとうございました。
2006年06月11日
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昨日、また言われました。子供のこと。もう、ほんっまにほんっまに、一緒に暮らす孫がほしくてしょうがないみたいです。マム。私はマムのために子供を生むわけにはいきませんからマイペースでいきますが。台所で昼ごはんをつくってたらマムが言いました。ジェイニーとアニー(義理弟の娘)に500ドルづつ貯金しないと。将来の学費の足しにと思ってね。孫には全員、もれなくあげるから早く生みなさい。みたいなことを言われました。無視 しました。マムはもう、「これ以上は待てない」っていうぐらい孫がほしいみたいです。すごくわかります。私が国家試験の勉強で必死になっていたのでそのことにはかなり長いこと触れていなかったけれど昨日久しぶりに、マムからアピールされました。マムがほしいからといって子供を生むことはできません。マイペースでいきたいと思います。
2006年06月07日
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夫がエクアドルに出発してから、私は夕食を一度しか作っていません。でも、だれも文句はいいません。マムもダディーも「ナデシコが作ってあたりまえ。」などとは、まったくをもって思っていなかったということが判明されました。そして、私は上機嫌です。過去3日は、サンタバーバラでも記録的な猛暑でそれはそれは暑苦しい一日をおくりました。ケンジは寝ているだけ、私も勉強をしていましたがとにかく暑いので眠くて集中できず昼寝をしたりしていました。夕方涼しくなってから、ケンジをつれてビーチへ行きました。Uちゃんとスケボーをして、ダウンタウンにコーヒーに行きました。そんな暮らしを夫が帰ってくる日まで続けます。夫が帰ってくるのは、6月9日午前3時頃(正確には10日)にロスに到着するらしいです。あと5日、ほぼ独身のような生活を 満喫します。
2006年06月05日
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夫は5月29日からエクアドルに行っております。南米のエクアドルですが、私はまだ行ったことはありません。あまり、行きたいとは思いません。そのエクアドルには、夫のサイドビジネス(ほぼ趣味)であるバルサ・ブランク(木製のサーフボード)の素となる木の仕入先があるのです。仕入先のペペさんとか、マリオさんとかには夫はエクアドルではなかなか、仕入れることができないような大型マシナリーなどをこちらから輸出してあげてそれを使ってバルサブランクの作業ができるようにサポートしてあげたのです。バルサブランクは、カリフォルニアでは夫以外に手に入る人はいなかったのですが最近になってから、ペペがなかなか木を送ってこなくなりました。夫が、自分のオーダーはまだかまだかとせかしても、人手が足りない時間が足りない木が足りないなどといいながら、半年以上も遅れているのにまだブランクが届かない状態でした。そして、ある人から「サンディエゴでブランクを売っているサーフショップを見つけたよ。」と聞いたのです。ペペは夫のオーダーしたブランクを無視してどこかよその人にどうやら ブランクを売ったようなのです。エクアドルとカリフォルニアでは離れていますし契約書に、「夫にしかブランクを売りません」とサインをしたわけでもないし。まぁしょうがないといっちゃぁ、しょうがない。ただ、夫にしてみればペペは夫に、すごい借りがあるので夫のオーダーを無視して他に売るということはちょっと憤慨だったようです。ペペのお父さん(ペペ・シニアー)が長年やっていたビジネスをペペ(ジュニア)が引き継いだのですがペペ・シニアはおそらく、このことを知らないだろうと夫は言っていました。ペペ・シニアと話をしてみる。と、夫は言いました。そんなわけで、夫はその事実をつきとめるべくエクアドルに飛んだのでした。エクアドルは発展途上国ですからアメリカとは違います。夫は私のノートブックを、カルロス・メンドサさんにあげるといいました。カルロスさんはペペの工場で働く一番信頼できる人物なのだそうです。カルロスさんに私のノートパソコンをあげてメールをすぐにやりとりできるようにする。今後、このような問題がおきないようにカルロスとちゃんと連絡をとれるように、パソコンをあげる。っていうか、そこまでしなあかんの?そして夫は、糖尿病でもあるカルロスさんに血糖値を測るマシーンまで買ってあげていました。エクアドルでは、手に入りません。そして、私は自分のデスクトップを購入しました。ノートパソコンはもう要りません。どうせ、デスクにつなげっぱなしになるだろうしスクリーンだって、フラットのやつをノートにつなげマウスとキーボードもノートにつなげてまるでデスクトップみたいに使っていたからです。HP Presario を購入しましたがセットアップでほんと、フラストレーションがたまりました。まず、システムが Windows XP Home なのですがXP Pro にアップグレードできません。どうやら、タワーの中に DドライブとしてそのXP Home システムは内蔵されているので私が持っている XP Pro のCDを、CD-ROM に入れても読み込みしない状態だったのです。テクニカルサポートに電話をすると「200ドルでソフトを購入したらできます。」とぬかしました。私はかなり切れて、「はぁ?アップグレードに200ドルって、なに?ありえない!」と、かなり厳しく言いました。そして、電話を切りました。その後、Home に、Pro のフロントページをインストールして何とか日本語インプットのセットアップができました。もう一度テクニカルサポートに電話してドライブCとDについて質問しました。それと、Home に、Pro のフロントページを入れたけど問題ないかどうかを聞きました。すると「アップグレードの仕方を教えてくれるテクニカルサポートにつなげてあげます。一回につき、59.99ドルかかりますがよろしいですか?」って言いました。「はぁ?ソフトの200ドルの次は、電話で話すのに59.99ドルですか?どんな商売してはるのん?アップグレードに金かかるようなコンピューターは返品させてもらいますから結構です!」と激しく電話を切ったのでした。PCがどうやら大好きらしいと思われる楽天ブログ管理人の Yamatackさん にアドバイスをいただき、なんとか自分でアップグレードできるかな。ってかんじですが。。。それにしても、HPの商売のしかたありえません。アップグレードができても、サポートがなってない。っていうか、アップグレードに200ドルって。。。電話でやりかた聞くのに59.99ドルって。。。ありえないですよ。マジで。知らない人だったら、入ってるシステムのまま使い続けるんでしょうけど。。。ほんっと、腹立ちます。Yamatackさんが教えてくださったサイトにいって勉強したいと思います。PC買うたびに、いろんな勉強になって今回もほんと、いい勉強しました。XP Pro が使えれば、もうそれでいいんですがなんかこのままこのPCを持っているのもしゃくに障るのでやっぱり国家試験が終わったら箱に詰めて返品するつもりです。「うちにはPCが3台あります。プリンターやデジカメも全部HPを使っていました。別の2台のPCがそろそろ買い替え時ですが金輪際、HPの製品は買いません。知人にも勧めることは二度としません。あんたらの商売の仕方は、ありえない。」と、カスタマーサポートに手紙を送ってあげようと思います。ここ数日、更新が滞っていたのは必死でセットアップをしていたからなんですよね。新しいPCって、本当に時間をとられますよね。そろそろ勉強にもどります。いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年06月04日
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私を不眠症にまで追い込んだのは国家試験のストレスが最大の要因です。そして、そんなデリケートな感情を逆なでする引き金は そこらじゅうにありました。引き金がひかれぬよう毎日 理由のない怒りを抑えることで必死でした。時に爆発し、そして気がつく。私って今、ぜんぜんまともじゃないって。。。そんなことを繰り返していました。さてさて、過去1週間ぐらいのあいだに引き金となった数々の話。あまりにつまらないことばかりでほとんど忘れてしまいました。でも、ひとつだけ覚えている話がありますので今日はそれを書きたいと思います。ダディーの友人で、K・Wナベさん という二世の日本人がおります。彼は70過ぎの見たままは日本人。日本語はほとんど、話せません。そんな Kさんは、美しい梅の花とかお饅頭とかを持ってきてくれます。Kさんの奥さんは最近、首の手術をしました。術後の経過がよくなく、首が動かせず台所に立つのもやっとなのだとダディーに言ったのだそうです。2週間ぐらい前の夕食時にそんな話をしていました。「それではKと奥さんを、夕食に招待してあげましょうよ。」マムが言いました。「Kさんは、どんな料理がすきかなぁ?」そのダディーの質問はまるで「日本人二世だから、日本料理に決まってるやん!ダディー!あはははは!!」というような答えを、私から待っているようなそんな聞き方だったのです。これが私の怒りの引き金を カチリ! とやったのです。*日本料理を作れる人 = 私だけ*毎日の夕食で、いい加減面倒くさいのに、ゲストまで勝手に招待して日本食作らせるな。*(このとき、クリスがいつくるのか知らなかった)クリスが来たときも、全部せなあかんのに もういい加減にしてほしい。*国家試験を受けるということを、分かってるのか?いや、考えてないだろうな。パーキンソン病だからな。私は怒りといらつきを抑えるのがいっぱいでマムはそれを感じ取っていたようです。誰も「日本食が好きにきまってるやん!あははは!!」と言うことはなく私は仕方なしに「日本食なんじゃない?」って言いました。*********************この会話をしたのは5月半ばです。私が試験を受ける予定をたてたのは6月12日。黙っていれば流れるな。。。そう思っていました。次の日、ダディーが私に聞いてきました。「ディナーはいつやろうか?」ぼっ点火。「6月12日試験を受けるからそれ以降にしてくれるかな。」ずいぶん先だから、このまま日にちを指定しなければ流れるかも。流れることを祈ろう。。。******************次の日、Kさんから電話がかかってきました。夫が電話に出ました。「もしもし?あぁ、Kさん こんにちは。ちょっと待ってくださいね。。。。ハニー、ディナーの件だけど14日か15日が都合がいいって言ってるんだけど君はどっちがいいかな?」お前たちはディナーしかないのか?お前たちの人生は、ディナーぐらいなのか?リタイヤした老人だからな。そうなんだろうな。楽しみなんだろうな。いつまでこんなんに付き合わされる?早く抜け出したい。。。私は携帯でMちゃんと話ていましたので、「電話中!」と怪訝な顔で声を出さずに言いました。夫が14か15の都合のいい日だけ、教えろとしつこいので15日と答えました。そして、ディナーが15日に決まったのです。***********************流す計画だったディナーが決定したことは私のストレスとなりました。15日にはきっと、テストも終わって気分よく、ディナーを作れるはずです。でも、実際のところテストは終わってはいませんので私のストレスの根源は そこにあるのです。そのストレスが大きくならぬように、コントロールすることで私はいっぱいいっぱいなのです。国家試験の日程は、12日に予定していましたがいろんな邪魔が入ったため、勉強がはかどっていません。そのため、試験を受けるのを少し遅らせることにしたのです。6月15日に試験を受けます。そしてたった今、マムに6月15日は試験を受けるので私はおりません。といいました。マムは「怒っている」とまではいきませんが笑ってはいませんでした。そして「それならいつがいいの?17日?」と、その場で変更の日を決めさせようとしました。「今すぐには、決められない。」私はそれだけ言って、部屋に帰ってきました。姉に言われたとうりには、いえませんでした。姉は言いました。「試験日が15日になったから、勝手にディナーやってください。って言えばいいやん。あんたがおらんのやたら、マムが作れる料理でKさんを招待したらええんやん。ダディーの友達やのになんであんたがおらなあかんの?」そのとうりです。でも、私たちのことは気にせずにやってください。っていえなかった。「私がディナーをする」と、マムは思っているから。私がいなければ、マムが全部しなければならないからマムは私なしでは このディナーを、しないと思います。そしてこのまま、日程が決まらずにディナーが流れることを私は心の中で祈っているのです。いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年05月31日
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みなさんからいただいたコメントを読み、いろいろと考えました。自分が人にどう思われたいのか。いい嫁、いい義理娘でいたいことも自分を追い詰めた原因だったということを実感しました。土曜日、義理兄クリスが子供二人をつれて突然やってきました。11時半に電話があり、「1時半に到着するから。」と、マムから知らされました。そして、いつまで泊るのかも言わなかったので「おそらく月曜日の昼ごろ出発するのじゃないか?」と、予測を立てたら当たっていた、という感じでした。彼らが到着する日は、私たちにはその日の計画がありました。「あなたが今日やらなきゃならないこと、クリスたちのことは気にせずにやったらいいから。」マムに言われたとうり、計画を変えないことにしました。マイペースでやることにしました。彼らが滞在している間も、私は夜中遅くまで勉強し昼前まで起きることなく、朝食も昼食も勝手にしてもらいました。前回までの滞在では、食事の世話を私がしなくちゃならない。という使命感があったのですが、今回はそんな使命感を捨てました。食べたいときに、食べたい人が、作ればいい。夕食も、鳥を2羽焼いたっきりで、後はマムにサラダとか作ってもらいみなが食べたいときに勝手に食べました。片付けも、マムが子供たちに手伝わせてやっているのに任せて私はさっさと勉強をしました。今日から6月9日まで、夫がエクアドルに出かけました。サイドビジネスの出張です。勉強に集中できるいい機会です。マムたちの食事を、私が作らねばならない義務はありません。自分の責任が一番。配偶者の責任が二番。Seashellさんからのコメント、実行させていただきたいと思います。同居をしていて、毎月1000ドルを払っていますがそれだけでは十分ではないような気持ちがしていました。食事を作ったりすることで、不足を補わなければならないようなそんな気持ちもありました。この同居で自分ができる限りのことを、やらなければならないと思っていましたがまだそこまで、私がする必要はなかったのだと思います。まだ、彼らが元気なうちは もっと甘えたらいいのだと思いました。マムたちの世話は、彼らが自分たちの世話が 本当にできなくなったときにしてあげればいいのです。今、私が彼らの世話に力の限りを注ぐ必要はないのです。夫がいない11日間、マイペースでやっていきたいと思います。たいしてよくもない、怠け者の義理娘になるかもしれません。もう マムの自慢の義理娘ではなくなるのかもしれません。でも、自分自身をテイクケアーするということはそういうことなのかもしれません。
2006年05月30日
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試験勉強のストレスからが一番大きいのだと思います。そして、同居のストレスもあると思います。男と女の友情 を、途中までしか書いていませんが続きを書くことができません。Uちゃんから、メールで詳しい話を送ってもらいました。本人から、「ブログに書いてもいい」という承諾もいただいています。気分が乗ってきて、書けるようになったらまた書きます。夜の睡眠時間が、だんだんと短くなってきたように思います。2時3時に眠りにつくのに、8時とかに目が覚めます。そして、おきてサーフィンに行ってスケボーにいったのに夜、ねむれません。もうすぐ1時になるのに、ぜんぜん、眠たくありません。いややなぁ。なんか情緒とか、心とか、気持ちとかがまともじゃないのが、分かるんです。こんな同居、やめちまいたいと思います。こんな家、いらん。今日はどうしても、夕食を作るのがいやで夫と二人で外食しました。Uちゃんも誘いました。マムとダディーを、毎回外食に連れて行く義務はありませんから誘いませんでした。「明日は夕食作るのを、お休みさせてね。外食してきますから。」って、マムに言いました。ここではっきりさせないといけないのは夫と二人きりで行くということです。これをはっきりしなければ、ついてきます。じゃぁ、どこに行きましょうか?あなたたちで選んで。って、一緒に行こうとします。そして、支払いは私たちがするんです。だから、はっきりと、二人ででかけるから。って、言いました。マムたちは、チーズとクラッカー食べながらワイン飲んでそれが夕食だったみたいです。ダディーの調子がめっちゃ悪かったときから酒やめたはずやのに。また飲んで悪くなったら、知らんからな。ほっとけばいいのに、また腹が立った。迷惑かけへんのやったら、ええけどな。くそっ!離婚して、今の生活を全部捨てて どっかいきたいとかでも、ケンジを飼った以上、それはできないとか。。。いろいろ考えます。自分で自分を追い込んでいっているような気がします。国家試験受験のストレスと新しい仕事への不安と夫が試験に受からなかった無念なんか、思ったよりもストレスによるダメージは大きいみたいです。しばらく、人とのかかわりあいからちょっと離れてゆっくり考えながら生活してみます。ゆっくりする時間はないんですが。。。大丈夫です。すぐに元気になると思いますよ。
2006年05月26日
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Uちゃんが先週、友達とオークランド(カリフォルニア)に出かけました。サンタバーバラからサンフランシスコは350マイルぐらい離れています。1マイル=1.6キロ。そして、オークランドはそのサンフランシスコよりもまだ離れているのです。時速120キロで走り続けたとしても、6時間はかかる距離です。Uちゃんとその友人は、日帰りする予定で出かけていきました。LAぐらいの距離ならば、日帰りは余裕でします。(片道160キロ)そして、先日は夫がサンディエゴまで日帰りで出かけていきました。(約200マイル=320キロ)だから、オークランドへの日帰り旅行もありえると思っていました。片道5~6時間はかかるとは思いますが宿泊せずに帰ってくることは可能です。Uちゃんの友人は男の子でした。Uちゃんよりも1歳年下のYくんです。YくんとUちゃんは同じ語学学校のクラスメートでYくんはアメリカ全土(か、カリフォルニア全土?)のベースボールスタディアムを制覇するという目標があったのです。そして、オークランドが最終制覇地だったのです。Uちゃんに旅行のことを聞いたとき、「日帰りなんかできるん?」と、私も確認したのですが、Uちゃんもたぶん言っていたかも。。。「あいつ、バカだからどのくらい遠いか分かってないんですよ。」しかも、行って帰ってくるのではなくナイターの野球の試合を見てから帰ってくるのであれば確実に、徹夜旅行になります。行って野球見て、寝ずに帰ってきて、どのくらいかかるのか私は興味がありましたので、気をつけていっておいでよ。とはなむけの言葉をあげました。夫にその話をすると、夫は言いました。「オークランドに日帰りだって?そんなん無理にきまってるじゃないか。そいつはよっぽどバカか、なにかたくらんでるに違いないね。今日は日帰りできないから、どこかに泊まろう。って、変なこと考えながらいうんだよ。きっと。」そうなのか。日帰りは無理なのか。。。Uちゃんが帰ってきたと思われる頃、電話してみました。彼女はまだ、運転中でした。そして、やはり夫の言ったとおりでした。どうかしたのかしてないか というのは、別としてやはり 日帰りは無理ということで昨夜はモーテルに滞在したとのことでした。アメリカ中、どこにでもある スーパー8 っていうモーテルですがね。みなさん、ラブホテルみたいなものは、アメリカはないんですのよ。つづくいつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年05月22日
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金曜日、夫の試験の結果がオンラインで発表されました。夫の名前は、合格者リストの中にありませんでした。7月に向けて、再びがんばらなければなりません。本人はかなり、落ち込んでいるようですが状況的には彼はかなり恵まれた状況なのですから次回に向けてがんばってもらうしかありません。マムには申し訳ないですが、孫はまた延期です。マムが孫の話をすると、私はいつも言っていました。弁護士の試験を合格してからでないとね。だから、今回の不合格の知らせは、マムをいちばんがっかりさせたかもしれません。夫が頼りないから、子供を産みたいという気持ちになれません。今の状況で産んでしまえば、自分がすべての責任を抱えなければならないような気がします。ダディーのパーキンソン病だって悪くはなっても良くはならないしその介護だって、私の肩にのしかかってくることはわかっているし夫は私のナースとしての収入を、長年当てにしてきたし。。。その期待にこたえようとすると、自分が子供をもつことは考えられなくなりました。無理だと感じるようになりました。今もそんな気持ちですが、仕事を始めれば気持ちは変わるかもしれません。とりあえず、今は私が癌病棟での仕事の流れをつかんで「この仕事場でつづけられる。」と思えるようになることと夫が国家試験を合格することを目標にやっていこうと思います。いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年05月22日
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まるさん から、バトンもらいました。1.旦那さんの1番のチャームポイントは?おおらかさとやさしさ。体中からあふれでている。でも、いい加減・おおざっぱなところもあり、それが 幸 とでることもあるのだが、最近ではこのせいで私が切れる。2.旦那さんに似ている芸能人は誰?昔、アメリカのTVショーに出ていた、フーバーという名前の役柄の白人男性に似ていたので、大学時代は フーバー と呼ばれていた。現在 皆さんが知っている芸能人をあげるならば。。。ブラピ。(嘘)3.ご主人との馴れ初めは?(知り合ったきっかけなど) 刑事が見つけてくれたアパートの、上の階に住んでいた、やたらとフレンドリーな住人だった。そして、タバコを吸っているといつも、 「体に悪いからやめなさい。」 といわれていた。 「うるさい。お前、何様なんじゃ。」 と思いながら、無視していた。そんな主人が、私がLAの大学に編入するので、引っ越すことを話すと、デートに行きましょう。と、猛アタックをしてきた。夫からの、 「つきあってください」 らしきお言葉を、私は3度断り 4度目にマーシーを感じた私が、 「じゃぁ、サーフィン教えてよ。」 と 「ノンデート・サーフィン」 のつもりで出かけたのだが、夫はデートをOKしてくれたと、勘違いした。フレンドリーでやさしすぎる主人のことを、全然、信用できなかったのだけれど、サーフィンに行ったり、食事に行ったりすることで、「このやさしさは、本物だったんだな。」 と気がついた。 主人がマムに対しても、とてもやさしく、口答えも えらそうな態度もせず (そんなことをすれば、マムは爆弾を直下していたことでしょう) マシンガンのトークにもいつまでも相槌をうつのを見て (聞いているふりをしていたのでしょう) 「この人ならだいじょうぶかも。。。」 と、ピン とくるものを感じ、真剣に付き合うことにした。4.これだけはやめて欲しいダンナ様の行動、くせ等。ゴミ箱に、唾(タン)をはく。 でも、蓄膿の手術をしたので、仕方がない。私のゴミバスケットにだけは、絶対に吐いてはいけないことを知っているので、妥協した。いびき、うるさすぎ。おなら、臭すぎ。5.旦那さんから貰った初めてのプレゼントは? サーフボード。私の体重とか、パドルのレベルとかを考えた、初心者用の厚めで幅が広く、浮力があり、しかも ロングボードより短めで 操作しやすい板をオーダーして作ってくれた。いろいろ板をつかってみたけれど、最初に夫がオーダーメードしてくれた板が一番、上手に乗れていると思う。6.プロポーズの言葉夫: LAに行くのかい?サンタバーバラに残ることはできないのかい?UCSB(サンタバーバラ大学)に行けばいいじゃないか?私: UCSB には、私が勉強したい専攻がないんだよ。私は多分、LAに引っ越してしまったら、あなたとお付き合いすることはできないと思う。離れてしまったら、私は無理だから。夫: えぇ?でもLAなんて、すぐ近くじゃない?僕、いつでも会いにいくよ!私: うん。。。。学校行ったり、バイトしたり、生きていくことで必死になると思うんだよね。多分、無理。。。夫: 。。。。。。私: 。。。。でもね、ここに残る方法はあるよ。あなたが私と結婚してくれたら、私ここで暮らせるよ。看護学校か、レントゲン技師の学校に行くこともできるしね。夫: うん。じゃ、結婚しよう!・・・・逆プロポーズです。7.旦那さんの特技は何? 工事、建設、電気関係、ひととおり何でもする。 車の故障なども、直すことはしないけれど、見るだけで悪いところが分かるので、金儲け目当ての悪いメカニックなどに ボッタクられることもない。それと、サーフィン。 サーフィンを初心者に教えることも、とてもうまい。 8.旦那さんが好きな女性のタイプはどんなタイプ? ちょっと気が強くて、とても世話を焼いてくれる人。日本料理がうまくて、家で刺身や寿司を食べさせてくれる女性。一緒にサーフィンやアウトドアーをする女性。自分の両親とうまくやっていこうと努力してくれる女性。つまり、私。 9.将来どんな生活をしたい?日本とアメリカの中間地、文化も限りなく日本に近いハワイで、サーフィンを楽しむ老後にあこがれる。 10.次のバトンを渡す5人ネットお見合いの真莉さんshimaさんあくあんさんかあさんsyakiraraさん。お忙しいと思いますが、よろしかったらおねがいします♪いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年05月18日
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先週土曜日、一時帰国していたUちゃんがサンタバーバラに帰って来ました。サーフィン友達だったUちゃんが帰ってきて、私はとてもうれしい!!日曜日、一緒にランチを食べて、今日もハンバーガーを食べました。Uちゃんの紹介:Uちゃんは、Yちゃんの友達です。Yちゃんの紹介:私が夏に、日本に帰国しているときに、夫がYちゃんをサーフショップでナンパしたのでした。「おくさん、日本人なんだよ。君日本人?」てな具合に。Yちゃんはアメリカで正看になるために、語学学校にいきながら将来、RN(正看)の試験を受けるためのリサーチもしていたのです。「僕の奥さん、看護学校に行ってるんだよ。」そんな言葉に、Yちゃんはとびつき、夫が渡した日本の私の電話番号を大切にもっていたのでした。日本滞在中、夫からそのことは聞かされていました。「サンタバーバラから、日本人の女の人から電話があるかもしれないよ。彼女、ナースだったらしい。アメリカでナースになりたいらしいよ。」サンタバーバラに帰ってから、話をすることになるかな。いや、下手したら、電話番号も捨てちゃってるかもな。そんな風に思っていましたが、彼女は日本の実家に電話をくれたのでした。サンタバーバラに私が帰ってきて、Yちゃんと対面しました。そして、一緒にサーフィンに行くようになりそのYちゃんの友達だったUちゃんとも知り合いになりました。Yちゃんは11月に帰国しました。次に来るときには、看護学校に入学するか語学学校か、RN国家試験対策のコースをとるか。。。半年後にはサンタバーバラに戻ってくるつもりで、帰って行きました。あれから半年。Yちゃんはまだ、戻ってきていませんが準備が整い次第、アメリカに戻ってくることでしょう。Yちゃんが11月に日本に帰ってしまってからはUちゃんと私の、1対1のおつきあいがはじまりました。Yちゃんなしで Uちゃんと会うことがなかったので、最初少し戸惑いましたが一緒にサーフィンをするうちに、いろんな話をするようになりました。私と昼食を食べたり、スケボーに行ったり、サーフィンしたりするのはケンジが目当てなんだろ?って聞いたことがあります。Uちゃんは、そのとうりだといいました。ケンジはUちゃんの彼氏らしいです。彼氏がいるのか?と聞かれると、いると答えるのだそうです。そして、名前はケンジで、混血で、ちょっと小柄で、大きな茶色い目で。。。と、ケンジの容貌を言うのだそうです。でも、Uちゃんが日本に帰っている間に、ケンジは凶暴化して噛むようになったからね。気をつけるように。今日もハンバーガーやさんではおとなしくしていましたが車の中で、抱っこしているUちゃんがケンジを抱きなおそうとしたときに威嚇されていました(爆)。意地悪な母は、ちょっとうれしかったです。どないやねん?これでもまだ、息子にちょっかい出すんか?自分に息子が生まれたら、息子の彼女に嫌がられない母になれるようにいまから練習ですね。いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年05月11日
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サンディエゴの旅はなかなか快適でよかったです。愛犬ケンジの初めてのお泊り旅行でしたが、粗相もせずに100点満点をあげたいくらいの おりこうさんでした。さてさて、昨日の日記でお約束したとうりある画像をアップしたいと思います。サンディエゴに行くときに必ず通る場所があります。時速130キロぐらいで走る車の中からの撮影はかなり難しく、いつも妥協したり、間に合わなかったり、ピントが合わなかったりしていました。が!今回、ようやく 撮影に成功しました!!以下がその、衝撃の画像です!↓ ↓ ↓ ↓ ↓カリフォルニア近辺に来られたことがある方、お住まいの方はご存知でしょう。メキシコまで数時間の町、サンディエゴ。州境検問ゲートがこのすぐ後ろにあるんです。人がたくさん乗っていそうなバンや、怪しいトラックなどが止められ検問を受けるのでしょうか。そして、検問で止められた車の中から、人が飛び出し道路を走って逃げることもあるのでしょう。道路を人が走るかもしれないから、注意!! という看板です。日本では絶対に、見ることはできない看板。大陸に国境がある国ならでは。。。。です。ジョージがコヨーテに襲われ 負傷し、国境越えをして帰ってきたのは先週のことです。そのすぐ後にみたこの看板。なんともいえない気持ちが また、こみ上げてきました。いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年05月01日
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土曜日の朝からサンディエゴに行っておりました。夫の大学時代の友人が、結婚したんです。結婚式に行ってきました。いい結婚式でしたよ。新郎のショーンは、「見栄っ張りファミリー」の子で新婦も「イメージを大切にする」女性だったようです。教会での式はよかったです。演出が。式の最中、夫は何かにつけて、辛口コメントをつぶやくのです。音楽とか歌の切れ目の、し~ん と静まり返った瞬間に。。。最悪です。前のお年寄りカップル、全部聞いていましたよ 絶対。誰の親戚かもわからないのに。。。How Greater Thou (you) are 直訳:あなたがどれだけすばらしいかプロの男性歌手が、祭壇で歌います。4番か5番ぐらいまである、長い歌でした。最後のほうはかなり高いキーで、あなたはすばらしい~♪ あなたわすばらしい~♪と、何度も何度も繰り返されホイットニーもびっくり なキーまで上がっていきクライマックスを迎え歌が終わりました。曲が終わり、静まり返っているときに夫がいいました。「It does not get greater than that....」直訳: これ以上すばらしくはなりません意訳: めっちゃよかった。。。(皮肉っぽく)そして、誓いの言葉の最中には、私の耳元でごちゃごちゃ言うのです。あの黒のドレスの女。。。フェイスリフトしてるよ!ぷぷぷ!!!引っ張りすぎ!!!私は5歳の子供をしかるように夫の目を見て眉間にしわを寄せ口に人差し指をあててシッ!!として後は無視していました。一泊の旅行でしたが、ケンジも泊まれるペットホテル(モーテル)を見つけ、結婚式の会場からもわずか3ブロックのところでしたので、時間的にばたばたすることもなく、快適に過ごすことが出来ました。先ほど(日曜日午後4時)帰宅しました。帰り道、リトルトーキョー(ロス)のスーパーで買い物をしました。マグロ、ハマチ、ビンチョウマグロ(色が白っぽいピンクのマグロ)のたたきを買いました。手巻きをしようかと思ったのですが、準備が面倒くさいし、ダディーの分を巻くのが面倒くさかったので チラシ にしました。チラシっていっても、そんないいものではありません。面倒くさい という理由で作られたチラシがどんなものか今日皆さんに見ていただきたいと思います。ブログ友達のまるさん。お料理上手なまるさんに 怒られるかも知れません。そんな私がつくったチラシはこちらです!!↓ ↓ ↓ ↓ ↓もちろん、これだけですよ!今日の晩御飯。あんまり、おなかすいてないってみんな言うし。。。でも、マムなんて、舌鼓うちながらマグロをおいしいわ~ おいしいわ~って、何度も言ってくれました。もう一つ、アップしたい画像があったんですが。。。今から、汚れてちょっと臭いケンジをシャンプーしなくちゃいけませんので、明日必ず、アップしたいと思います~。日本では見ることはできない、珍しいものです。今日のチラシと比べることなんて、出来ません。それではみなさん、また明日~。いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年05月01日
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その日の朝はすがすがしく目覚めました。コーヒーを入れようとキッチンでごそごそやっていると、ダディーが起きて来ました。ダディー、おはよう。おはよう、ナデシコ。ミセス・フラー(マム)は若いとき、それはひどい短気だったんだよ。ダディーは前触れもなく、マムの若いときの話をはじめました。このくらいの大きさの(直径45cmぐらい)ターンテーブルを壊して、壁に投げつけて、そのあと僕のあごをパンチして、小指の骨を骨折したことがあるんだ。マムのひどい短気の話は、何度かきいたことがありますがこの話は初耳だ。。。ターンテーブルを修理してもらいにいったんだよ。店員さんが、32ドルの請求書を僕に渡してきいたんだよ。 いったいどうやってこわしたんですか?って。奥さんがおこって壊したよ。っていったら、請求書を破って ただにしてくれたよ。 私のもひどい短気なんですよ。って笑ってたよ。マムがなぜ、そこまで怒ったのかは ダディーは言いませんでした。きっと、ダディーがそれだけ怒らせるようなことをしたのでしょう。ダディーにも非はあったはずです。でもでも。。。私なら夫のアゴにパンチをして、骨折することは絶対にないだろうな。。。ダディーは昨日の夜に感情的になって怒っていた私の気持ちを慰めてくれるために、こんな昔のストーリーを聞かせてくれたのでしょう。スイートなダディーです。ダディーにハグをして、御礼を言いました。しばらく勉強をしてから、マムの部屋に行きました。マム、今日もアビーが勉強しに来ると思う。マムの予定は?マムはその日の予定を私にいいました。そして、私に何か渡したかったことを思い出しウォークインクローゼットに戻っていきました。ナデシコに渡したいものがあったのよ。このネックレス、誰かからの もらい物だと思うんだけれどつけたことがないのよ。多分これからも、つけることはないと思うのよ。私には似合わないと思うわ。黄色と緑のトーンは私よりもあなたのほうが似合うと思うの。マムは私にそれを渡しました。ガラス細工の中に、本物のお花が透けて見える手作りのものでした。それは私が、2年前に日本に帰国したとき、神戸工房 で購入したおみやげだということにすぐに気がつきました。私は、何を言っていいのかもわからず、ありがとう といって自分の部屋に戻りました。部屋に戻ってから、考えました。私がマムのおみやげにと買ってあげたネックレスが私の手元にもどってきた。私はつけないと思うから、あげるわ。そういって、マムが私にくれた。これは。。。どういう意味ですか???頭の中で、声が聞こえました。「どうする?怒るのか?」怒りたければ怒っても問題はないと思う。マムはこのネックレスを私からのギフトとわかっていて、私にくれたのなら。でもマムが分かっていて 私にくれたことは、絶対にありえない。私は。。。。。怒りません。私はそのネックレスを祖母の祭壇に大切におきお線香を焚きました。そして、おかしくなってきてクスクス笑ってしまいました。しばらくすると、夫から電話がかかってきました。夫に言いました。さっきね、どこからともなく、不思議なメッセージを受け取りました。???どんなメッセージ???私はマムがくれたネックレスの話をしました。夫は電話の向こうで、爆笑していました。この日はマムの誕生日でしたので、夕食を食べに行くことになっていました。夫は、そのネックレスをラッピングして、マムにあげたら面白い。と、提案しましたが、そこまでのジョークは私にはできないからとそのネックレスは私がいただくことにしました。これから、意味もなく腹が立つときにはこのネックレスを手にとってながめることにしよう。私はもう一度、何が起こったのかを考えてみました。マムがもし、このネックレスをその日よりも3日前にくれていたなら。。。きっと私は怒り狂っていたことでしょう。マムが誰からもらったのかなど、忘れてしまっていたという事実を理解しながらも 私は怒り狂っていただろうと思います。だからこの出来事には、深い深いメッセージがあるように思えて なりませんでした。神様(私はクリスチャンではありませんが。。。)から 私へのテストです。私は、テストにパスしたのだと思いました。感謝の気持ちでいっぱいになれました。そして、その日マムの誕生日プレゼントは、ネックレスはやめてピクチャーフレームをあげました。いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年04月25日
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マムと夫になだめられ、誰も私を責めることもなく衝突は起こることもなく、何もかもが丸く収まりました。この平和がいつまでも続いてくれますように。。。意味のない怒りが、私の無意識から沸いてくることが二度とありませんように。。。心から祈りました。ベッドにはいってからいろんなことを考えていました。過去3年間、私の怒りにはパターンがありました。そして、思いつきました。*ストレスの定義:何らかの障害やチャレンジを乗り越えなければならないときに、自己防衛するために 体 もしくは、心 が示す 反応。私のストレス反応(自己防衛)= 怒ることそれはたいてい、勉強することを強いられている状況のときでした。試験に絶対に、パスしなければならない。看護学校時代、ほぼ2~3週間に一度のペースでおしよせていた強烈なプレッシャーに打ち勝つために、私自身が無意識のうちに生み出した、 ストレス回避パターン だったのでしょう。子供の頃、私は勉強に全く興味はありませんでした。どちらかというと、成績もあまりよくはなく2歳年上の姉からは高校受験前まで バカ呼ばわり され続けていました。中学2年の終わりぐらいからぐんぐんと成績を伸ばし始め結局は姉が通う、校区内上位3番目の公立高校を受験、合格。その後、高校で勉強をする気にはなれませんでした。勉強などした覚えはほとんどなく、卒業。姉と同じ高校に合格する というゴールを果たした私は勉強する目的を失ってしまったのかもしれません。私が勉強を必死でしたエネルギーの一部はバカ呼ばわりされた怒り が変換されたものだったのでしょう。高校を卒業する日が近づいてきました。両親が姉の話は聞くのに、私の話は聞いてくれないという理由で次の進路を決めるときにとても悔しい思いをしました。私は語学とビジネスを勉強できる専門学校に入学したいと思いました。両親は大反対しました。姉が母に言いました。(姉の友人)Aちゃんがその学校に通っていて、就職率もとてもいいし、いい学校だよ。姉の一言で、両親は手のひらを返したように賛成。私としてはありがたかったのですが、それでも私には大反対したくせに 姉が言えばすぐに聞き入れられた。という事実が悔しくて仕方がなかったのを覚えています。 悔しい 腹立つ 今に見とけ バカ扱い、しやがって。。 これらの感情は常に、私が がんばるためのエネルギー の一部として変換されていたように思います。そしてアメリカ留学中も、この 怒り変換の法則 を使っていたのでしょう。だから、刑事とすったもんだしながらも、刑事に対するあらゆる怒りをエネルギーに変え、成績を落とすこともなく、バイトもこなすことができたのかもしれません。私の 逆境を打ち勝つ強さの根源 は、めっちゃネガティブです。そう思わずにはいられません。現在、日本の家族が私のことを バカ呼ばわり することはなくなりました。アメリカでナースになるまでの私が歩いてきた道のりを 彼らは知っているからです。そして、夫もマムもダディーも私のがんばりを 心から誇りに思ってくれているのです。外国で、外国語でここまでの達成をした私を褒め称えてくれます。在学中は私が頼めば、どんなことでも心を込めて 協力をしてくれました。彼らには 怒る要素 がありませんでした。(夫にはあります)テスト前、私は常にイライラしていました。何度も爆発しました。マムはどれだけ大変か、分かってない!あんた(夫)は、私がやっていることがどれだけ大変か、分かってない!「誰も分かってくれない」ということが、私の一番の怒りでした。怒り狂う前に、分かってもらえるようにすることはできたのです。一週間、夕食は作れないから。そう言えばよかったのです。そしたらマムは、喜んで作ってくれたはずです。文句言うようなことじゃないことも分かってる。自分がどれだけ、ありがたい状況におかれているのかも分かってるよ。それなのに幸せになれないなんて、ほんと罰が当たるよね。でもなんでかしらないけど、今はそう思えない!怒りが抑えられない。そんな自分も大嫌いだよ。。。夫になだめられながら、爆発した後 いつも言っていました。いろんなところから怒りの要素をホジクリ出し、エネルギー補給をしなければならなかった。私のストレス回避の法則は 怒り である。これが私なりに考え出した 答えでした。そして、この問題はおそらく、私が一生関わっていかなければならない問題だとも思いました。意識で分かっていても、人間の考えや行動は 多大な割合で 無意識 によってコントロールされるからです。私の憶測が真実なのかどうかは分かりません。でも、自分の 怒り についてここまで考えたということに、高い評価をあげようと思います。そして、その日はゆっくりと眠りにつきました。次の日 みなが同じようにすがすがしい朝を迎えることが出来ました。そしてこの日なんとも不思議なメッセージが どこからともなく私のもとに 届いたのでした。いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年04月24日
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今から、マムに話をしに行く!私はマムの部屋に行きました。とても怒っていました。気持ちを抑えながら、マムたちのベッドルームに行きました。「はなしがしたいんだけど」普通に言ったつもりでした。でも、私の声は怒っていました。その声を聞き私の怒りを感じてか、マムは構えてしまっていました。マムが 見ていたテレビを消しました。あのときのマムを どう説明したらいいのでしょう。私には分かりません。でもとにかく、私はマムから感じたものがありました。「マムは私と衝突なんて、全然したくはないんだ。。。」私は怒っている自分がものすごく、悲しくなってしまいました。あのね、ケンジのことなんだけど。。。ケンジに、人の食べ物をあげることなんだけど。。。私はここまで話して 涙がぽろぽろでてきてしまいました。ゲイリーに言われた。私はストレスがたまってるって。ケンジに人の食べ物を与えることは、こんなに目くじらを立てるようなことではないのかもしれない。でもね、マムがケンジに豆乳のお皿を舐めさせてたり、夕食のポテトのお皿を舐めさせたりするのを見て、すごく腹が立ったの。ストレスから腹が立ったんだって、ゲイリーは言ってる。もしこの問題が解決したとしても、私はまた別の問題を持ち出してきて、目くじらをたてて怒り出すだろうって、ゲイリーは言ってる。それは、私が抱えてる心の問題を解決するまで、治らないって。。。でも、ケンジに人の食べ物を与えているのを見ると、どうしようもなく腹が立つの。。。そこまで言って、私の頭は混乱し始めました。何を話しているのか分からなくなってきました。だから、夫を呼びに行くといって一度マムの部屋を後にしました。夫と部屋に戻り、話を再開しました。内容をあまり覚えていません。マムは泣いている私を抱きしめて、謝りました。私がこんなに怒っているなんて、知らなかったと言いました。もう二度と、ケンジには人の食べ物はあげない。ドッグフードだけあげます。そう約束してくれました。ストレスのために、マムがケンジに人の食べ物を与えることを理由にして怒っているだけだと思っている夫が100%正しいとは思いません。でも、夫が言うことも一理あると思います。私の怒りが爆発したのは、パーキンソン病のダディーが朝食中に誤って メロン を床に落として食してしまったことを、マムが話したことが原因だったからです。わざとあげたわけではないのです。分かっていたのですが、爆発せずにはいられませんでした。マムは全然、私が怒っていることを気にすることもなく自分の若き日の ひどい短気 について話しはじめました。私は若いとき、それはそれはひどい短気だったわよ。ほんとにちょっとしたことで、ぷりぷり怒っていたわよ。年をとってから、そんなことで怒ってもしかたないわ。って思えるようになったわね。もう怒る元気もなくなってしまったのもあるんでしょうけどね。私たちは家族なのだから、話し合うことができるのだから、いやなことがあったらすぐに話して欲しい マムは言いました。私が、 「私のやりかた」 というものを強く持っていて、それはとてもいいことであるといいました。子育てをするときおそらく同じ問題が起きるだろうという事もマムは分かっていました。でも、家族だから、その都度 問題が起こったときに話し合えばいいのだとマムは言いました。マムは私のことを愛していて、いつも幸せであってほしいといいました。お互いの意見を尊重しあうことが、私たちにはできるはずだから 大丈夫だといいました。マムは実母とは違う。私は衝突したくなんかない。怒らなくても解決する方法があるのだということを勉強しました。この家の人たちは、それを知っているのだと気がつきました。これからも、ストレスがたまれば怒ることはあると思います。つまらないことで腹を立てることがあると思います。感情をもった人間ですから、当たり前のことです。この家で、この人たちと同居をすることできっと 私が滞っている場所から完全に抜け出せるような気持ちになれました。衝突せずにコミュニケーションすることの大切さを 実感したできごとでした。いつもありがとうございます。人気ランキングにご協力ください。↓ ↓ ↓ ↓ をクリック!人気blogランキングへ
2006年04月23日
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