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第一と第三水曜日にある集まりがチャーチである。日本人ママたちが1歳前から2歳半ぐらいまでの子供をつれてきてお歌を歌ったり工作をしたり本を読み聞かせたりで、おやつをたべてお歌をうたっておわり。という、1時間だけの楽しい集まり。なんか、保育園とかに行く前のブートキャンプみたいな感じ。ナナミは先日の水曜日、二回目だったんだけど一回目から大分開いていたにもかかわらず、かなりリラックスしていた。人の子と遊ばせたりすると、自分の子がよく見えてくる。ナナミはほんとに、泣かない子だなぁ。と実感。一人の女の子は、ナナミより一月上なんだけどこの子が泣く泣く。。。ママがほかの赤ちゃん(7ヶ月)を抱っこしただけで、悲しみ絶頂に号泣しはじめた。このAちゃんは、やさしくておとなしい。かわいらしいベイビーの人形をもってきていたんだけどナナミがこれを気に入ってしまってAちゃんから取り上げて抱きしめていた。Aちゃんはだまって、人形をナナミにとられて顔はみるみるうちに泣き顔に。。。悲しみいっぱいに、泣き出した。ナナミがAちゃんだったら、絶対に、人形は離さない。そして、離れそうになったら、「ギィヤァアアア!!」と泣きではなく、威嚇する。そのあとも、Aちゃんとナナミのおもちゃの取り合い(というか、ナナミが奪うばかりだけど)は続いた。かわいそうに、Aちゃんは泣きっぱなしだった。母は、ナナミが外の社会に出てほかの子供たちと遊んだりするようなったとき意地悪をされたり、いじめられたりしませんように。。。って、おっぱいをあげながら祈っていたこともあったけど。。。水曜日は思った。母ではない誰かも、ナナミにたっぷりと教えてやってください。社会のルールを。と。強く思った。人様のおもちゃをほしがるのは、時期的なものもあるんだろうけどちょっとぐらい泣いてもええんちゃうん?女の子なんやから。
2010年05月21日
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ナナミは本日、1歳6ヶ月になりました!成長は順調で、日本人カップル、日本人とアメリカ人のハーフの子達に比べたら少々大きめかな?と思うぐらいで実際のアメリカで使われている、成長チャートでは真ん中ぐらいのところにいると思われます。音楽をかけると、ぐるぐる回ったり足踏みをしたりして、おどったりします。毎日朝食のあと、エレクトーンでむすんでひらいてとか、手をたたきましょうとかチョウチョ、森の熊さんなどの童謡をひいて音楽を楽しんでいます。公園や、日本人会のイベントや、友達伝いでたくさんの日本人ママ友ができました。公園でのプレイデートに行って、日本人ママと子供達の交流を楽しんでいます。先日、ナナミがどのくらい単語をしっているのかババと数えたところ38ぐらい知っているようでした。そして、今日は雨が降っていて、「レイン」「レインだよ。」と雨の中を歩いて教えると、すぐに「レイン」と繰り返し1時間後ぐらいにまた、雨の中外にでたら「レイン、レイン!」と言いました。夕方、手羽のにものを作って「チキン」「チキン食べる?」と聞くと「チキン」といい一口あげたあと、「More!More!チキン!」といいました。この二つを足したので、40。ナナミは私の日本語と、他の人が話す英語を理解しているようです。私が日本語で、「このオムツをゴミ箱にポイしてくれる?」とババのキッチンに一緒に歩いていきながらババに英語で、「オムツを捨てようねって、言ったんだよ。」と通訳。するとババがネーティブの英語で、「オムツを捨てられるの!えらいねぇ!」とこんな感じで、私はナナミにはほぼ、日本語のみで話しかけるようにしています。そしてナナミは、面白いように言葉を吸収しています。ごちゃごちゃ、むにゃむにゃと、毎日何か言っているようですが何語を話しているのかは分かりません。いつになったら、はっきりと英語か日本語を話すようになるのかものすごく楽しみです。仕事は順調で、新しいシッターも雇いました。ジジの介護士、オマーの彼女の娘、キンバリー。21歳の学生で、金曜日に朝はハウスクリーニングをしてその仕事が終わったら、うちにきてシッターをしてくれることになりました。信頼できる子で、ナナミも彼女のことが大好きらしく前までは、ババ、ババと言っては泣いていたナナミがキンバリーがやってきて、ババがうちをのぞいて帰ろうとしても前なら泣きながら、「いかないで~!ババ~!!」ってなっていたのが初日から「ババ、ばいばい~。」と、ババを追う事もないくらいキンバリーをエンジョイしたようでした。明日は9時から11時の二時間、緊急で人がいるらしくボス直々に電話があったので、ナナミをババに任せてちょっとだけ、仕事に行ってきます。
2010年04月21日
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なんか、心が荒れている。どいつも、こいつも!っていう感じにムカつくのでここで毒吐きしとこ。まず、ババ。しゃべりすぎ!人が昼ごはんたべて、ナナミにも食べさしてる忙しいときになんで家に上がりこんできて、イースターホリデーの歴史を延々と話さなければいけないのか?しかも、だれも聞いてないっつうの!全然、興味ないですからオーラなんて気がつかない。いつものことだけど。いつ終わるのかとまっても、延々と続いておわらなかった。もう、限界がきたので、ナナミ、食べてる途中だったけれどむりやりハイチェアーからおろして「昼寝の時間だから、おやすみー。」とベッドルームに避難。ババが帰ってから、昼食続行。これはおそらく、風邪でダウンしていたのがかなりよくなり話さずにはいられなかったぐらい、昨日は気分がよかったのだろうと思われる。ババがよくなったということで、よかったことはよかったけどこのあと、姪っ子たちに電話して、ババに電話してほしいとお願いした。風邪がよくなったから、元気有り余っているらしくしゃべりが止まらないから、おばさんを助けてと。昨日の夜、姪っ子たちから電話があって、孫全員と話したとババが言ってた。姪っ子に感謝のテキストを入れておいた。友人、Mちゃん。用事のテキストきたら返すのが常識やろ?Mちゃんは出産後からいろいろ、困ったときには力になってきた。先週は土曜日のシッターのことで、みんな風邪をひいてうつしたら困るから今週は申し訳ないけどやめとくというテキストを送った。遅くなったらMちゃんにも迷惑がかかると思い日曜、火曜日にテキスト。そして、水曜日に留守電。すべて返事がないから、届いてなかったら困ると思って木曜日にテキストした。今週、テキスト2回、留守電1回残したけど届いてる?そしたら返事が来た。今朝、電話したよ?携帯にも、自電にも、着信記録がなかったので。記録が無いけど?テキストと留守電は届いてたの?と送ったら、また帰ってきた。え?今朝電話したよ?またかよ!っていうか、今朝電話したかどうかなんて、どうでもいいんだよ。テキストと留守電が届いたかが知りたいの!携帯がおかしいかもしれへんやん?今後もこういうことが頻繁にあるんだったら、連絡手段考えないといけないやん?と送ればよかったんだけど。。。テキストと留守電は届いてるの?それが知りたいんだけど。って送った。多分、彼女にしてみたら、返事しなかったことを責められているみたいに思ったのだろう。すると、テキスト、今見ました。9時から6時半まで、携帯もってないからみれません。ときた。23日のテキストと、24日の留守電は、あんた、休みの日やんか。仕事の日でも、6時半以降、電話でもテキストでもできるんやん?そんなん、言い訳にもならへんやろ!といいたいところを、もうええわと思いじゃぁ、仕方が無いね。と送った。これは私も悪いけどな。ちゃんと、どうして欲しいのかを言わなかったから。届いたのかどうか、返事をちゃんとしろよ!と伝えるべきだった。その後、気持ち悪かったので電話して土曜日のことを伝わったのかどうか聞いたのだけれどなんか後ろで赤ちゃん泣いてるし忙しかったらしく後で電話するといって切られて4日が過ぎている。こういうルーズなところが嫌になって別のMちゃんはこのMちゃんの子供をシッターするのを嫌だといって辞めた。返事をすぐにしない。シッターする日の前の確認とかが一切なく「明日、何時から来てほしいの?」とこちらから聞くまで絶対連絡とかがない。返事を返さないくせにシッターが見つからないときとか自分たちがすぐ返事がほしいときには返事がくるまで何度もテキストが送られてきたりする。そんなことを言っていた。はっきりいって、もう辞めてやろうかと思うんだけれどまだそこまでするのは辞めといた。金曜日にテキストを入れた。4月10日と24日の土曜日、シッターできます。用事が入ったり、病人がでて出来なくなったら水曜日までに連絡入れます。そっちからも、遅くても前日までに確認の連絡を入れて欲しい。今、xx(夫)のビジネスのマネッジメントですごく忙しくて確認なかったら忘れます。よろしく。と。自分できめてやってるのだから、文句をいうなと自分でも思うんだけど自分の中では、Sちゃんが1歳半になったとき、辞めようと思っている。あと3ヶ月。もしかしたら、それまでに、Mちゃんが私にたのまなくなる可能性もなきにしもあらずだけれど。それから、今日、高速で車線変更させてくれなかったアフリカン・アメリカンの男!ウインカー出したとたん、スピードあげやがって!おかげで降り口逃したやないか!こういうしょーもない男はせせこましいL.A.エリアから来たんやろう、どうせ。S.B.エリアに住む人間は、絶対譲るからな。ほんまに、せっこい男やで。L.A.エリアのみなさん、ごめんなさい。と一応、あやまっとこう。悪いのはこの、アフリカン・アメリカンの器のちっこい男やから。というわけで、毒吐き終わり。
2010年03月30日
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今年もまたまた、やってまいりました!義弟家族の襲来!18歳長男を筆頭に、下は8番目の6歳。そして、今回は義弟嫁の姉の子供20歳もきたので計11人の襲来。まぁ、みんなもう小さい子じゃないから手伝いしてくれるしナナミも見てもらえるから助かることは助かるんだけどでも、11人も人が増えるとなると家はすごいことになる。特に台所と冷蔵庫。週1、2回の食器洗浄機がもう毎日起動でもたらないくらいだから彼らが来るときは、紙皿を使うことが多い。そしたら、ゴミの量がはんぱじゃなくなる。。。エコじゃないよ~。人が増えることって。冬、雪と吹雪と氷で閉ざされるようなところに住んでいるのでカリフォルニアは天国のような気候で彼らはビーチにいったり、ハイキングにいったり、ダウンタウンに行ったりこのすばらしい気候を満喫している。私はいつものように、食事とか用意してる。今日は焼きそばと冷凍のワンタンとか餃子をほりこんだスープ。みんなおいしいおいしいと、喜んで食べてくれたからうれしかった。義弟夫婦は毎日、こんな暮らしをしているんだよなぁ。それを思ったら、滞在中の1週間ぐらい義弟嫁を休ませてあげたいと思う。夕食作って、こんなに喜んでもらえるならお安い御用だ一週間ぐらい。昨日ぐらいからナナミの調子が悪くて喉ががらがらでタンがからんでいるらしく昨夜はタンがからみすぎて吐いた。咳を出して、たんを切るということがまだうまく出来ないらしい。かわいそうだけど、どうしようもないから今日は水分たっぷりのませてゆっくりした。みかんとか、ビタミンCをたくさん与えた。一日、熱っぽかったけど元気に従姉たちと遊んでた。でも、夜になったらなんかだんだん、しんどくなってきたみたいで熱もあがってきて、ぐずぐず言い出したから夕食の支度が大変だった。。。。タイラノールのませて、ぬるめのお風呂にいれて一緒に横になってたら、ぐずりながらやっと寝てくれたけど。。。今夜もタンがからんで起きるんだろうなぁ。なんか、ゴロゴロ言いながら寝てるから。。。はやいところ風呂にはいって寝ましょう。今夜も寝れるかわからないからね。
2010年03月17日
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土曜日、Mちゃんのお母さんがうちにやってきた。Mちゃんのお母さん、2週間ぐらい前に癌で亡くなったのでこられたのは、魂というかお化けさんというか。。。。土曜日は、昼の3時ぐらいからMちゃんが仕事を終えてかえってくるまでMちゃんの娘Sちゃんを子守する日。金曜日仕事で、日曜日も仕事。だからちょっときついことはきついんだけどMちゃん、土曜日はどうしてもSちゃんを見てくれる友達がいないらしくちょっとしんどいなぁ、とは思ったんだけどすることにした。Sちゃんも13ヵ月になったし、ナナミと遊ぶようになったからナナミのためにも、友達と遊ぶことはいいことだし。で、6時ごろ、夕食作れないからタイフードをオーダーした。夫がレストランにとりに出かけた。子供二人はリビングでなんかしていて私は台所で用事をしていた。そしたら「S」と、Sちゃんの名前を呼ぶ声が聞こえた。多分、え?と思ったのはほんとに一瞬のことですぐに感じた。「Mちゃんのお母さんがこられてる。」そしたらあっというまに、体中に鳥肌がたった。ほんとにぞわぞわぞわ~と寒気みたいなゾクゾク感が走り始めた。それから、涙があふれてきた。全然、怖くはなかった。そして、涙も悲しいのかうれしいのかわからないなんともいえない感情で、そして頭のなかでふと思った。「Sちゃんを抱きしめないと!抱きしめてあげよう。Mちゃんのお母さんが、きっとそうしたいんだ。」そして、Sちゃんのところに行ってぎゅーっと抱きしめた。涙がもっともっと出てきて泣きながらSちゃんを抱きしめた。しばらくすると、Sちゃんはうれしそうに私から離れて少し離れたところを、私から目を離さずにニコニコしながら行ったりきたりした。そして、私を指差して 「ババ。」と言った。あぁ、やっぱり、こられてるな。そう確信したので、すぐにMちゃんの仕事場に電話をしてお母さんがこられてるよ。と伝えた。Mちゃんはそれから1時間半ぐらいで帰ってきた。そのあともSちゃんは私を指差して、ニコニコしながら「ババ」と何度も何度も、Mちゃんに教えるように言っていたから多分、おられたんだと思う。Mちゃんの分も、晩御飯を用意してあげたんだけどMちゃんが私が作った大根のお味噌汁を食べながら教えてくれた。Mちゃんのお母さんが生きていたときSちゃんを連れて日本に里帰りした。そのときに、離乳食をはじめた。Sちゃんが始めた食べた食べ物が、大根のお味噌汁だったらしくそれはそれは、おいしそうにたくさん食べたらしい。Mちゃんのお母さんは、ほとんど毎日Sちゃんのために大根のお味噌汁を作っていたらしい。大根のお味噌汁を作ったのは昨日で大根を買ったのは3日目だからお母さんは3日前から私のところに来てたんじゃない。と、そんなことを言った。ご飯を食べた後、Mちゃんと一緒に帰ってくださいねとMちゃんにお母さんを連れて帰ってもらった。11月から調子が思わしくなかったお母さんと最後の時間を過ごすために、行ったり来たりで2回も日本に帰ったけどMちゃんは結局、お母さんの最後を看取ることができなかった。お葬式のための帰国は、MちゃんはSちゃんをここにおいて一人で行ったので、Mちゃんのお母さんは孫のSちゃんとお別れできなかった。そして、心配もしてるんだろうと思う。だから、「大丈夫ですよ。」と声をかけておいた。私もできるだけのこと、しますから。と。Mちゃんにそういうと、Mちゃんは多分、それもあるけど、お母さんはナデシコにお礼が言いたいんだと思う。とそういってくれた。帝王切開の傷が化膿したり、母乳で苦労したときに私がいつもMちゃんSちゃんのそばにいたことをMちゃんはお母さんに全部話していたからだからありがとうって言いにきたんだ。と。Mちゃんはそういう感覚が本当に鈍いから自分のところに来て欲しいんだけど、全然わからないって言ってた。お父さんとか、弟のところにはいっぱいサインがあって自分のところにはきてくれないって。いや、お母さんはずっとMちゃんのところにも来てはったんやと思うよ。でも、Mちゃんが全然きがついてくれへんもんやからしびれ切らせて私のところにきたんとちゃうかな?だって、Sちゃんが「ババだよ。ババがいるよ。」って教えるみたいに「ババ。ババ。」ってあんだけ何回も言ってたでしょ?そんなことをMちゃんに話した。あぁ、そうだ。この場を借りて、お母さんにも挨拶しておこう。Mちゃんのお母さん、どうか安らかに旅立ってくださいね。わざわざ来てくださって、ありがとうございました。そして、Sちゃんとナナミの成長をいつまでも見守っていてください。敬具
2010年02月23日
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本日、二本目。最近、食欲がすごかった。食べても食べても、足りない。原因は、早食い。噛まない。1歳児抱えてたら、仕方が無いよ。噛んでる時間なんて、ないもん。否応なしに太りだして、産後やっとはけたジーンズがまたはけなくなりつつあるから、これはなんとかしないとと噛むダイエットを始めた。一口に100回はムリだから、せめて50回。できたら60回。噛む。これをしたら、食べる量が減った。仕事のときも、実行しているのだけれどランチブレイクは30分しかないから、先週は食べ切れなかった。でも、お腹は満足しているから残した。運動は一時、水泳とパワーウォークでほぼ毎日やっていたけど2月にはいってから、水泳一回しか行ってない。続かんなぁ。。。寒いとどうも、動かないんだなぁ。。。昨日ぐらいから、ぽかぽか陽気が続いているのでそろそろ、パワーウォークしようか!と気持ちが乗ってきたから噛むダイエットと平行して行う予定。もうひとつ、新しく始めたこと。オリーブオイル・頭皮マッサージ。お風呂に入る前に、オリーブオイルを頭皮にすり込んでマッサージしている。ハリウッド女優のインタビューか何かを読んだことがあった。髪がつやつやになって、健康になるらしい。髪は頭皮の延長だから、メイクセンスすると思い、始めてみた。10分ぐらいおいたらいいらしいけど、私は5分ぐらい。そのままシャンプーして、リンスして、体洗って。。。で、シャンプー後もなんとなく、オイルが残ってしなやかになる。顔とか、体にもオイルが残るからか、潤う。カリフォルニアの水はとにかく、ミネラルがいっぱいで硬いから皮膚にも髪にも、全然やさしくない。髪なんてもう、パリパリでかなりやばかった。オリーブオイルはじめてから、バレットで巻き上げた毛先がしんなりとしなだれてくれるようになった。前はもう、針金みたいにビーンビヨ~ンって、いろんなとこにいってたのに。噛むダイエットと、オリーブオイル。最近始めたこの二つは、なかなか長く続きそうなかんじがする。
2010年02月14日
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最近また、おそらく偶然ではないだろうと思われるちょっとした出来事があった。13ヶ月のときに、自分のオムツバッグからオムツをとって私のところにテクテクやってきて手渡してくれたことがある。ウ○子したから、替えて。と、そんなタイミングでもってきたことがある。この子は早く、トイレトレーニングできるのじゃないかな?とナナミの遊び方をみて言われたこともあった。それから、先週も。ナナミのトイレトレーニングを始めようと思ったきっかけなんだけど。先週、39度5分ぐらいの熱をだした。次の日もちょっとしんどそうにしていて熱があり湿疹とか嘔吐とか下痢とか食欲不振とか他の症状はまったくなく、熱はひいた。そして、熱がひいた次の日、結構食べたのにウ○子をしないなぁと思っていたら昼過ぎに大量にした。それもかなりゆるいやつ。ナナミのお気に入りの本がある。姉がくれた、日本語の絵本。くまちゃんの赤ちゃん絵本。5シリーズある。はみがきおへんじはーいおたんじょうびおともだちうんちななみは全部、気に入っていて読んで欲しいともってくる本はいつもこのどれか。で、その日私がオフィスで用事をしていたらナナミがいつもよりも、はげしく本を私に向かってふりまわし「あ~!あ~!あ~!」と読んでくれという。読んでくれにしては、なんか切羽詰ってるな?と思いきやにおいですぐにわかった。大量だったらしく、おむつのおしりのところからモリモリモリ~!!!!とあふれ出しているところだった。ナナミの手から本をとりあげた。うんち の本だった。えぇ~?!うんちを知らせようとしてたのか?と思い、とにかくモリモリあふれ出てくるうんちを紙でとって風呂場につれていき、そのままシャワーを浴びさせた。いや、これは贔屓目にみなくても偶然じゃないと思うな。と、みんなに言っているんだけど。そろそろ、トイレトレはじめてみることにした。朝ごはんの後と、お風呂の前にオムツをとってすぐに、便座にすわらせたらちょろちょろちょろ~とおしっこをしてくれた。今日はウ○子をしたので、オムツを取り替えようとしたら暴れるからそのままトイレにつれていき、オムツをとってトイレに座らせたらのこりのウ○子をトイレでしてた。今日、オマルを買ってきて、結構長いこと座らせたんだけどなかなかしないから、オマルからはずして立たせたとたん床にシャーとしてしまった。多分、このオマルがピンクでかわいらしいから新しいおもちゃか何かかと思ってるんだと思う。おしっこなんてかけたくないんだと思う。もっとかわいらしくない、「トイレ」みたいな真っ白なやつ買えばよかったかな?
2010年02月14日
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ナナミがババのところから離れたがらなかったり私よりもババのことがいいと意思表示したりすることを心傷ついて、ババへの嫉妬の炎を必死で隠したりなんでなのか?と自分の学びとしていろいろ考えてみたり結局、ナナミにとっては最高に幸せなことなんだと納得し自分なりののびのび子育てをしようと新年を迎えた。そして、オーダーしたしまじろうぷちファーストが届いた。思ったよりも高くつきそうだったから1月から3月のぷちファーストをキャンセルし4月からのぷちでやろうとおもっていたのだけれど手違いで1月号ぷちファーストが届いた。あっちの手違いだから、返品しなくてもいいといわれた。処分するかご活用ください。と。もちろん、ご活用。で、このしまじろうがすごい!子供の心をわしづかみ!!ナナミの心もわしづかみされたようで私がしまじろうになってお話したりすると大喜びする。毎日、しまじろうをもって私のところにきてお話しろとせがむ。ナナミの成長もあるのだろうけど私がママだということをもっともっと分かってきたみたいで今ではババよりも私を選ぶようになった。ババはもちろん、ものすごく残念がっているが仕方が無い。私は母親だからな。預けたら、もどってきたがらないのがつらくてかたくなに、よっぽどのことがないかぎりは預けないようにナナミとずーっといたりしたけれど最近では1時間ほど預けて泳いだり、ちょっと買い物にいったりちょっとケンジと走りに行ったり、いろいろするようになった。今まで、金曜日と日曜に働いていたシフトを減らして2月中旬から日曜日は隔週で働くことにした。日曜日はババが教会に行く日で、ナナミも一緒に行っている。日曜日はフリーの午前中を利用して久しぶりにサーフィンでもやろうかと思う。ナナミが一緒にサーフィンに行けるようになる日は来るからそれまでにちゃんと練習して「ママ、すごいね~!」って言ってもらえるように練習しとこう。子育ては体力勝負!
2010年01月28日
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先日、TV小僧で日本の番組を見ていた。世界仰天ニュースという番組で「天国からの手紙」というタイトルが目に付いたので見ていたら、なんとも悲しいストーリーだった。5歳で亡くなった女の子、エレナの話。悪性の脳腫瘍で余命4ヵ月半と申告され9ヵ月半後になくなるまでのドラマが流された。エレナが亡くなってから、家族はエレナが生前に書いて家中に隠したと思われる家族宛の手紙を次々と発見していった。「I love you mom, I love you dad, I love you Grace(妹)。」エレナが亡くなった2年後の今でも、手紙はみつかっているという話。子供が失うという辛さ。夜中、頭痛がするまで号泣した。ナナミを授かる前には、決して感じることはなかった感情。何の問題もなく、健やかに育つナナミに心から感謝した。そして、絶対にあってはならないことだけれど万が一、ナナミが親の私たちよりも先に逝くようなことがあったとき私はこの子が寂しくないように、ちゃんと天国(あるのかわからないけれど)やいいところに迷わずに行けるようにするためならどんなことでもしたい。とそう思った。だから、洗礼(バプタイズ)することにした。バプタイズの意味を私はあまりしらないけれど子供が亡くなったときに、天国へのスピリッチャルなガイダンスがつくとかつかないとか。。。ババはもちろん、大喜びしている。一石二鳥だと思い、3月、義弟家族がくるときにあわせてナナミのバプタイズを計画する。義妹も厳格なクリスチャンなので、大喜びするだろう。一石三鳥だな。
2010年01月04日
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本日、元旦。初仕事でした。2010年あけましておめでとうございます。お正月を感じるものが何もないのでほんとに普段どおりなカリフォルニア。お正月にクリスマスのデコレーションとかツリーを片付ける。今日はデビーが病棟のクリスマスデコレーションを片付けてたな。そういえば。うちもミニツリーと、ババの家のでっかいツリーと外の電球を片付ける。それにしても、12時間離れていたというのにナナミは私のことを見向きもしない。疲れて帰ってきて、「ママ~!!」ってしてほしいけどはっきりいって、こんなこと一度もされたことがないんだな。寂しいわ。帰ってきて、ババにだっこされてるナナミを12時間離れていた私が抱っこしようとしたら嫌がる。こっちに来ない。まぁ、ナナミにとってはママがいなくてもぜんぜん寂しくもなく楽しく過ごせるということがどんなにいいことか。とわかっているんだけれど、疲れも吹っ飛ばない。ナナミが喜んできてくれないから。今日もいつものごとく、帰ってきて、ようやくナナミをババから引き剥がし帰っていくババの背中を見て、泣き叫ぶナナミを抱きながらこっちが泣きたくなったわ。自分よりも、ババのほうがいいのか?と真剣に母としての自信をなくしている今日この頃。なんか、たぶん、自分に与えられた課題というかなにか考えることなんかな?とは思っているんだけれど。私よりもババのほうがいいと、ナナミが意思表示することがあまりにも多すぎるから、常にババを意識して自分でもいやになるときがある。のびのび子育てしたいのに、ぜんぜんできてない。ナナミもそれを感じているのかもしれないな。のびのび子育て。それが今年の課題。自分のエゴを捨てて、ナナミにとって一番いいことを手放しで喜べるようになりたい。そんな新年の仕事あけでした。
2010年01月02日
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クリスマスは、お望みどおり仕事にいかなくてもよくなった。スタンバイ(自宅待機)ではあったけれど緊急の入院患者などもなく、電話はかかってくることはなかった。スタンバイは電話がかかってきたら、すぐに出勤しなければならない。どこにもいけなかったけど、まぁ、クリスマスでどこも開いてないからゆっくりできてよかった。明日はクリスマス明けの日曜日。仕事なんだけど患者数が激減で、6人らしい。だから、ナースはチャージが一人とあと二人。計三人。こういうパターン、嫌い。なんでかというと、こんなホリデーに入院してる人ってだいたい病状も重い。緊急のときにも、3人しかナースがいないからそれがいちばん怖い。さっき電話がかかってきた。ナデシコは、抗がん剤の投薬はもうできたっけ?という確認の電話だった。ナースが3人しか働かないから抗がん剤投薬できないナースは明日はキャンセルになるらしい。残念なことに、10月にオリエンテーションを受けて11月からはスーパーバイズなしで抗がん剤を投薬できるようになったので明日はは確実に、仕事。6人の患者と3人のナース。こんなシフトは初めてなので、ちょっとナーバスだけどいいシフトになることを祈って寝ることにする。
2009年12月27日
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いろんな単語を言い始めた。私が話す言葉なんかも、注意深く聞いたり口元を見たりしてまねしようとしたりする。日本語を話してほしいので、しまじろうを始めることにした。オンラインで海外受講の登録をした。1月から、こどもチャレンジの教材が届く。1年分の受講費をまとめて払うけど夫が一日2本飲もうとしていたグリーンジュース二か月分よりちょっと高いぐらいだから思い切って申し込んだ。これでちょっとだけ、夫の馬鹿さにむかついてた気持ちが晴れた。
2009年12月23日
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夫は便秘がひどくて、だから毎日エッセンシャル・グリーンという高い野菜汁を一本飲んでいる。青汁みたいな感じかな。一本3.50ドル(約350円)。いろんな野菜2パウンド分(約900グラム)から絞ったジュースなんだけどなんか今日、仕事終わってカエルコールでしゃべってたときに「健康のためにグリーンを一日2本飲むことにするよ。」とか、いきなり言い腐るからあんた、馬鹿か?とちょっと切れてしまった私をお許しください。なんで一日2キロ近くの野菜からとった汁を毎日毎日のまなあかんのか?あんたは馬か?聞くと、便秘も特に問題なくただ、健康のために。そう思ったらしい。大体、毎日7ドル、一月210ドル(2万以上)も野菜汁のために金を使うという考えが私には理解できない。あれだけ、経費でおとせない買い物はビジネスのアカウントからするなと私に言うくせに。だから、経費でおとせないものは私の収入から買うくせに。月二万払うんやったら、それで自分の医療保険払ってくれるか。わけがわからんねん。あんたの医療保険だけで、それよりも額は多いけど毎月私の給料から引き落とされてるねんで。野菜汁のんだら、もう医療保険はいらんかもな。健康になるんやからな。あんたの医療保険キャンセルしょうか?それにしても、どんだけ、健康になりたいん?100歳まで生きたいんか?一日野菜汁2本飲んだからって、もっともっと健康になると思ってるんか?そういう考えが浅はかやっていうねん。何事も、ほどほどに程度っていうものがあるんやで?1本飲もうが2本飲もうが、同じやねん。病気になるときにはなるし、死ぬときには死によるわ。ほんま、あんたのそういう浅はかさというかわけのわからんところ、どうしたらいいのかもわからんわ。年間25万も、野菜汁に使っていったいほんまに、いくつまで生きたいわけ?わけがわからん。絶対に、却下。却下、却下、却下!!却下出すまで散々いってもた。夕食のとき、言ってもなかなかサラダに手をつけないので「グリーンがほしいんやろ?ほら。野菜やん。グリーンやん。食べろよ。」って言ったらやっと食べよった。ほんまに、何考えてるんだろうか。たぶん、何も考えずいくらかかるとかも考えずにいったんだろうとは思うけど。まったく、困ったオヤジ。
2009年12月23日
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ナナミが歩くようになってから抱っこばっかりではなくなってきたので外出が楽になってきた。公園とか、ビーチとか、手をつないで歩くだけで幸せいっぱいな気持ちになれる。でも、手を振りほどいて反対方向に行きたがったり湿った砂浜に座り込んで、どろどろになったりそれでも、ま、ええか。とやりたいようにやらせて帰るときには顔中砂だらけで、口にも砂が入って車の中もカーシートも砂だらけでそれでも幸せいっぱいか?と問われはい。幸せです。と答える。そんな生活を送っている。仕事のペースは変わりなく、週20時間。夫の仕事が安定して忙しいから、今の私が勤める目的は収入ではなく家族の医療保険のために働いている。仕事もなんやかんやいいながら月1回11月はサンクスギビングのホリデーがあったので月2回キャンセルになり、だから実質出勤日数は月6・7日でおちついている。今月も月の初めに一日スタンバイになり明日は休むことにした。くしゃみ、鼻水、セキ、鼻声、涙目。こんなんで仕事に行ったら、みんなに嫌がられるし患者さんにもよくないから休むと今、電話を入れた。で、来週の金曜日はクリスマス。出勤することになっている。給料が普段の1.5倍になるから、みんな働きたがる。でも、患者数は減るので、結局はオーバースタッフになってキャンセルされる人がでてくる。だから、キャンセルしてもらってもいいよ。と買って出る。働かなくてもいい上に、みんなから感謝される。よく言われる。仕事に行っている間、子供からのブレークができていいでしょ?いやいや、そんなものいりませんから。ナナミは私からのブレークがほしいかもしれないけれど私はそんなものいらない。四六時中、一緒にいたくていたくて仕方がない。子供なんて、かわいいとおもったことあまりないし自分がこんなにも子供をかわいいと思う人だったとはほんとに驚き。ナナミだけじゃたりなくて、友人の子供もみてあげるよーといつも声かけてる。で、土曜日はMちゃんの赤ちゃん、11ヶ月を夕方から8時ごろまで4・5時間、面倒みているんだけどこれも楽しくて楽しくて、仕方がない。でも、二人目は今のところ考えてないっていうかたぶん無理だろうな。って思ってる。あぁ、そうか。だから余計、かわいくてしかたがないのかもしれないな。
2009年12月18日
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ナナミがいちど、トイレにはいっていって便器の水でぱしゃぱしゃやっていたことがあった。お風呂に入れた後、ドアがちゃんと閉まっていなかったわたしの責任。うちはチャイルドプルーフちゃんとしてあるけれどできるだけいろんなものを触って、見て、感性を育ててほしいから危険なものをとっぱらって、オープンエリアでほとんどフェンスなしでナナミはリビングもベッドルームも台所も自由に行き来できるようにしている。キャビネットはすべて、ロックして安全なキャビネットはナナミが届く段までは引っ張り出しても安全なものばかりを収納し「だめ!だめ!だめ!」をできるだけいわなくてもいいようにやっている。それでも、ダメ!ってかなり前からナナミまねするから結構言ってるんだと思うけど。。。ナナミが便器の水で遊んだあの日から私はものすごく注意してトイレのドアを閉めるようになった。でも夫が、まだたまにあけたままにしてナナミがこっそり(一人では入ってはいけないことを知っているから)私が見ていないのを見計らって、トイレに入ろうとする。今朝も、ナナミがドアが開いているのを見つける前に私があいているのを発見した。夫はすでに、バスルームの中にいてシャワーを浴びようとしていた。「ドアーを閉めてよ!」って、きつく言ったら、ナナミがまねするようになるとかまた言い腐った。たしかに、いろいろ言い方はあるけど。やさしく言ったって、治らんやろ?で、夫が仕事にでかけたあとトイレに行ったらまた、ドアが開いていた。切れた。でも、夫はもういないのでどうしたもんか?と思い電話して怒鳴ってやろうかとおもったけどやめることにした。黒の超極太マジックで一文字直径4cmぐらいの大きさでトイレのドア裏表に書いた。「GARY, SHUT THE DOOR.」ドアーは押し開けるようになっていてトイレの中の鏡にドアーがうつるのでミラーイメージで、鏡に映っても読めるように逆さ文字でも書いてみた。素敵。かなりすっきりした。これで絶対、ドアーの閉め忘れはなくなると思うとかなりすがすがしい気持ちになった。でも、これでも閉め忘れたらどうしたらいいんだろう?そのときにはまた、新たな策を考えないとな。。。
2009年11月17日
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ナナミが寝ている間に、必死でやっていた日記やらいろんな記録をやめてほかのことをするようになったので日々の生活にゆとりがでてきた。しばらくの間やめていた化粧もはじめた。朝の準備にもう少し時間をかけて夜もしっかり洗顔してお肌のケアーとかも楽しくやりはじめた。ナナミは私の朝の準備のとき一緒にバスルームにいて鏡をみながら歯磨きをするのが日課。歯ブラシをかじってるだけなので後で手直し磨きをしてあげる。昼寝は一日1回になったのだけどその間にぱぱぱ~っと夕食の下ごしらえとかもやってしまうのでいままでバタバタ忙しかった夕方から寝るまでの時間がすこし穏やかになった。家の整理整頓も相変わらずやっているけど今のところ、模様替えやら変えたい場所が思い当たらないから、なんか落ち着いている。だからたぶん夕食に手間をかける余裕が出てきたのかもしれない。しょっちゅう、しょっちゅう、模様替えをしていたのもなにか心理的においつめられたものがあったからかもしれない。と、そんな風に思うんだけれど。ナナミ、はやくおきてくれないかなぁ。用事がおわって母さんは暇だよ。って今日はそのくらい穏やかです。
2009年11月13日
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豚の角煮を作った。豚バラ肉ではなく、肩ロースを使ったんだけど圧力鍋で調理したらそれなりにおいしくできた。ジジババに夕食の感想を聞いたら「おいしいビーフだったわ!」って、牛肉と思ったみたい。お箸で切れるぐらいにやわらかくはならなかったけれどそれなりに、たべやすいくらいにやわらかくはなった。肩ロースでも、時間をかけて調理したらやわらかくなるのかな?昨日使った分は、6等分した大量買いのひとつだからあと5つあるんだよなー。たぶん、おいしかったから次も煮物にするかな。
2009年11月12日
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今まで続けていた日記やら記録をやめてから気持ちに余裕が出てきた。以前は、時間はいくらでもあるはずなのに常に追い詰められているような気分で時間があるときでも「今しかやっておく時間がない!」と、ばたばたと掃除したり整理したり結局は別に今できなくても大して支障はないようなことなのに必死でやっていた。そんな自分がなくなった。やっぱり、毎日ジャーナルに追い詰められていたんだな。やらなきゃいけない!って。やめると決めた夜は、ものすごいストレスになっていて自分はもしかしたらOCD(Obsessive Compulsive Disorder)強迫性障害じゃないかとだから辞めないと!とほんとに思った。夫に泣きながら訴えた。なんでこんなわけのわからないジャーナルばっかりやってるんやろ!もう、全部やめる!もう無理!私、頭おかしくなりそう!!ちょっと残念だったけれど、結構簡単にやめられたのでそういう精神的な障害はなかったのだろう。でも、続けていたらほんとにおかしくなっていたかも。要は、加減がわからなくなってきてたんだろう。別にやらない日があってもいいのに絶対に、一日でもあけたらいけない!ってジャーナルに気持ちと生活を支配されてしまってたんだと思う。辞めてからの毎日は、なんだか穏やかというか毎日「今日はナナミとどこに行こうか?」とプランをたてて2-3時間は必ず外出するようにしている。あまり気にならなくなったので、掃除の回数が減った。食事のジャーナルもやめたので手抜き料理になりなかなか楽をさせてもらっているし。ジジババの食事も作っていることは作っているけれど子育てに集中したいのでしばらくは食事は手抜きするから。と、先週ババに伝えた。そしたらジジババは、ランチを重く食べ始めたみたいで夕食はほんとに軽く、スープとかサラダだけとかそんな感じでいいよといってくれたので楽になった。毎日、朝起きてから気構えるような精神状況はなくなりジャーナルをやめてほんとによかったなと思う。夫のビジネスのサポートは以前もやっていたけれど常に気構えた余裕のない精神状態だったのでルーズな夫に対する辛抱の許容はほぼなくいつも爆発寸前というか、爆発していたし。それがなくなったことは最高のメリットになった。ジャーナル3つに費やしていた時間とエネルギーは相当のものだったからそれが全部、夫のビジネスに費やされ夫も喜んでいる。毎日の領収書やらレシート類の整理、支払い5人のヘルパーの労働時間も毎日記録できている。私も無理してやっているわけじゃないので夫に対して怒ることもあまりなくなった。ナナミが生まれる前、ほんとに時間をもてあましていた。時間がありすぎるから、なんとか自分を忙しくしようといろんなジャーナルとか記録することを始めたけど今はそれよりも、もっともっと大事なことがあってもう、以前のような感覚で時間と接することはできないんだと実感した。1年もかかってようやく気がつくなんて時間かかりすぎ。。。ほんと、フレキシブルじゃないな。自分。
2009年11月09日
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ナナミが生まれる前から続けているいろんなジャーナル(いろんな日々の記録)をすっぱりとやめた。だんだんと時間がなくなってきて、きつくなってきたから。自分自身、ジャーナルを記録しない日があればそれが罪悪感になりプレッシャーとストレスになってきたから。自分はめっちゃ忙しい、忙しい、と思っていたけれどジャーナルを辞めたらなんか時間と気持ちにちょっと余裕が出てきた。つけていたジャーナルは自分の10年日記。5年前から毎日、つけていた日記。1ページに10のコラムを作ってそれに日々ミニ日記をつけていた。2年前の今日とか3年前の今日をみてあぁ、あれは3年まえだったんだね。とかそういうのが楽しくてやっていたけどそれ以外に、どうしてもつけなければならない理由はあまりないと感じたのできっぱりと辞めた。特別なイベントとか、出来事があったときだけつけるようにした。夕食日記。毎日の夕食をつけていた。これはジジババの夕食ジャーナルも兼ねている。この家の相続をするときに、私たち夫婦がしているサポートはすべて換金されて兄弟たちへの支払いとなるからつけておいても害はないと思いやっていたけれどこの仕事は私がジジババにしている労働としてすでに毎月換算されて支払いとして記録されているから夕食ジャーナルまでしなくてもよしと判断。やめることにした。ナナミのジャーナル。結構細かくつけていたけれど初めてママと言ったとか、立ったとか、歩いたとかあと注射とか、病気になったとかそういうのをちょこっと、気がつけば書き込む程度に変えた。ジャーナルをどうしても辞めなければならない理由はもう一つ。夫の仕事がめちゃくちゃ忙しくなってきて今までのヘルパーに加えて、もう二人、ヘルパーを雇ったから。今、5人のヘルパーを使っているんだけれどこの人たちのタイムカードとかそんなものはなくだからといって、夫が彼らの労働時間を把握しているわけでもなく全部、自己申告で給料を払っていた。そんなん、ありえへんやん。と、夫に言ったけれど夫はやることがあまりにもありすぎて時間の記録なんてほぼ絶対ムリだといった。私も夫にはムリだろうなと思ったので裏のマネージメントをすると申し出た。毎日、5人のヘルパーが私に電話をしてきて今日、どこで何時間働いたのかを連絡してくる。それを記録するようにした。仕事別に請求書とか領収書をファイル。支払いの小切手が届けば、それを記録して請求書を支払い済みにファイル。小切手の入金。そして、夫のお尻を叩く。イライラせずにやさしく協力的に。請求書は作ったのか?今日の領収書は?目を通して欲しい書類、確認して。だから、自分のジャーナルをやめた。最初はなんか、寂しいというか複雑な気持ちになったけれど今はなんか、変なプレッシャーから開放されて楽。こっちの日記も更新できるようになったし。ちょっとしたこだわりとか捨てて、フレキシブルにいけば時間って出てくるもんなんだと実感した。
2009年11月04日
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ナナミがバスルームに入りたがって困ってた。アメリカのバスルームは、シャワータブとトイレ、洗面台が一つの部屋になっている。朝の準備、化粧とか歯磨きとかしているときにナナミが扉をバンバン叩いて「入れろ」と泣き叫ぶのでバスルームをナナミが入っても大丈夫なようにきれいにした。まず、床においておいたトイレ掃除のものをタンクの上においてゴミ箱をシンクのカウンタートップに移動。そしたらカウンターが狭くなったので化粧品なんかを入れていた、海賊の宝箱みたいなフタツキ箱をのけて窓のサンに棚をおいてそこに化粧品をおくことにした。で、いろいろいじって、物がなくなり、なんか感じが変わった。ナナミも私が朝の準備をしている間バスルームの床で鏡で遊んだり、一緒に歯磨きを真似したり楽しく遊ぶようになり、私のストレスが一つ減った。何か変えると、夫が物をみつけられなくなるのは分かってる。で、案の定、今朝、ゴミ箱がなくなった、また動かしてどこにやったのか?と夫がトイレで騒ぐのでちょっとイラッとしてしまった。っていうか、ゴミ箱が見つけられなくなるとは思わなかった。だって、ゴミ箱、目の前に移動したんだもん。もう手元から20cmぐらいのところにあるから前よりか分かりやすいところにあるのに。「だからぁ~、なんで見ないの?ほんまに見たんか?なんでゴミ箱が見えないのかが私にはわからん。トイレの中のもの、数えるほどしかないやん。ひとつひとつのアイテムを見ていったら見つけられんか?見つける気なんて、ないやろ?なんでもかんでも、妻あてにするからその根性がみつけられへんねん。どこにあるかは教えん。自分でいっこいっこ、アイテムみて探してくれ。」5秒で見つけた。夫はこういう私の返答を批判する。大きくなったらナナミにもそんなふうに辛抱なく対応するようになるというけれどほんとにそうなるのか私もわからないけれどでも、多分ならないと思う。だって、ナナミは私の子供、分身だから、辛抱強くサポートする。でもあんたは私の子供じゃないから、その辛抱はない。そして、ナナミにはゴミ箱を探す努力もせずに見つけてもらおうと考えるようなそんな自立心のない大人に育てるつもりもないし。ババは夫をすばらしい人に育て上げたことは認めるけれどゴミ箱に限らず、こういう甘ったれに育てたのはちょっとミスったんじゃないかな。と反面教師としてメモっておこうとおもう。
2009年11月04日
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ナナミはまだ、一人で歩けません。家の中で、車を押して歩き回ることはありますが一人で歩くのはいつごろになるんでしょう。。。まだまだ抱っこが大好きで、ババがたくさんたくさん甘やかせたせいで、あまり歩きたがらないし抱っこばっかりせがみます。今日はナナミの押して歩くおもちゃをもってビーチの公園に行くことにしました。最悪、歩きたがらないかもしれないと思ったけれどナイキの靴をはかせて、初めて公園お散歩デビュー!ナナミはうれしそうに200メートルぐらいは歩いたと思います。車を押して、障害物にぶつかったら自分でバックして方向転換をするようになりました。歩く楽しさを知ったようです。ちょっとゆっくりめの一人歩きですね。明日からしばらく、ビーチのお散歩を日課にしようと思います。
2009年11月04日
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土曜日はナナミのお誕生会をしました。ゲストは25人ぐらい。今回はジジババの友人は遠慮してもらい私と夫の友人のみでさせてもらいました。いつもと同じメニューでトライティップバーベキューチキンバーベキュービーンメキシカンライストルティアワカモレ(アボカドディップ)ハモス(ミドロイースタンフード。豆のディップ)ホットドッグソーセージサラダ2種にケーキと果物。100人超のパーティーをこなしてきただけあって25人ぐらいは余裕でした。。。というのはうそで今日はもうくたくたで疲れがどどど~!!!っと出てました。パーティーは土曜日で、その週は買い物やら掃除やら準備に追われてとても忙しく金曜日は仕事。残業になって帰宅したのが9時前。パーティーのポテトサラダやゲームルームの掃除を寝る前にするはずだったのに、頭が割れるようにいたくてもう寝るしかなくて、痛み止め飲んで寝ました。あぁ。。。何も用意できてない。。って、ほんとに泣きながら寝ました。そして次の日。頭痛は治っていたので、あわてて起きてパーティーの準備。12時からと言ってあるからバーベキューのための火を10時半にはおこさないといけないし掃除はまだできてないし食べ物は用意できてないし。。。それなのに夫は仕事があって10時までに帰ってくるからとでかけてしまったのでした。ナナミは抱っこしろとうるさいし、料理・掃除を同時進行しないといけないし。。。で、もうほんと、やばいと思ったところでババ参上。ナナミを見てくれるというからそこから全力投球開始。夫が10時に帰ってくるならそれから火はおこせばいいとおもっていたけれど10時45分になっても帰ってこない。大き目の丸太と小さめの枝とダンボール紙をバーベキューグリルにつめて着火してゲストみんなに12時からではなく、1時からに遅らせると連絡。料理の続きをしているところで夫帰宅。夫の友人がテーブルと椅子のセッティングを手伝ってくれそしてなんとかかんとか料理もそろいパーティーは無事、1時すぎからスタートしたのでした。。。1歳の誕生日会、無事終了!!で、次の日日曜日も仕事。。。疲れました~。ナナミも疲れたみたいで、今日は朝9時ぐらいまで寝ていました。思い出しただけで、また疲れたので今日は早く寝たいと思います。
2009年10月27日
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あと10日で、0歳児のママではなくなるのでこのテーマは使わなくなる。早いなぁ。1歳を目前にして、ナナミは昨日突然私や夫の言葉を真似するようになった。ナナミは本が好きで、自分でおもちゃ箱から本を引っ張り出し、ぶつぶつ言いながらページをめくっていたりする。私が動物の写真を指差して名前を言うとナナミが真似をした。フィッシュ 「シュッ」ドッグ「ドゥッ」ケンジ「ジッ」ダック「ダッ」こんなかんじ。アイラブユ~っていってみたら「アュヤュ~」みたいな音を発したので、真似をしているのだろう。すご!子供って。と思った。手押し車とか、乳母車とか、私の足につかまっていっしょにテクテク歩くようになったのもほんとにいきなりのことだったので、驚いた。最近では、手放しで立つ練習を一人黙々としている。ふかふかの羊毛カーペットか、ベッドの上でしかしない。板の間では絶対にやらないところが多分、夫よりも私に似ているように思う。夫はとにかく、転んだり怪我したりすることをおそれない子供だったからか、8ヶ月半で歩いた。そして、怪我が耐えなかった。私は全くの正反対で、怪我するのがこわくて跳び箱とかマット運動とか大嫌いだった。歩いたのは12ヶ月ぐらいだったかな?だんだんとでかくなってきて、寝相もはげしく動き出したけれど寝不足になっても夜いっしょに寝たい。あとどのくらい、一緒に寝られるのかなぁ。
2009年10月12日
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昨日の仕事、初めて抗癌剤を投薬した。デビーの監督のもと、2種類の抗癌剤を投薬。すごい緊張した。これでもう、母乳おわり。断乳。さみしいけれど、仕方が無い。ナナミは、ケロッとしてぐずることもなくおいしい食べ物をムシャムシャ食べてくれている。抗癌剤を投薬できるようになったので2月からまた、昇給歩合がアップするからそれで納得することにした。
2009年10月11日
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ナナミは今月20日で1歳を迎える。ほんとにやりやすい子供だと思っていたけれどだんだんと自我が目覚めてきたのか泣いたりぐずったり、オムツとか着替えとかお風呂とか日々の生活で意味なく反抗したり嫌がることが増えてきた。8ヶ月ぐらいまではほんとに楽な赤ちゃんでこのままティーンエージまで何の問題もなく育ってくれるかと思うくらいだった。そんなはずは絶対にないけどな。最近、オムツ換えがものすごく大変になってきた。ナナミは6ヶ月前から離乳食をはじめたので今では大人と同じもの(薄味)をむしゃむしゃたべる。量も小さい子供ぐらい食べる。で、出る量もすごい。しかも、ウ○子のにおいも半端じゃなくくさい。それなのに、もういっぱいいっぱいになったオムツのお腹のテープを外したとたんに暴れようとする。あぁ~!!!ウ○子がぁ~!!こらぁー!じっとしなさいぃぃぃぃ~!!!って、そんなことが多々あり。たまに、じっとしてることもあるんだけれど。。。今日、新しいオムツをオンラインでオーダーした。お腹をテープでとめるやつじゃなくてパンツタイプのやつにしようかと一瞬おもったけれどやっぱりまだ、はやそうだったのでやめた。パンツタイプのやつは、いつごろからはじめたらいいのかな?テープのやつよりも、やりやすいんだろうか?自我の目覚めは大変うれしい成長なんだけどオムツ換えのときにそれを発揮しなくてもいいのに。。。
2009年10月07日
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9月終わりにはじめたぬか床がだんだんとおいしくなってきた。最初はショッパイだけだった漬物がだんだんとぬか漬けになってきた。最初、大根はしょっぱくて辛いだけだったけれど今日は2日つけた大根が、ぬかの酸味を上手に含んでまだ少し、しょっぱいのだけれどでも最高においしかった。たかのつめを入れたので、きゅうりがかすかにピリッとした。カリフォルニアの気温は、ぬか床には最適なんじゃないかと思う。日本の夏のように暑くなりすぎず、冬も昼間はある程度気温が上がるから菌も安定するのじゃないかと父が言っていた。日本は夏場はすごくすっぱくなるから。と言っていた。今日上げた大根ときゅうり、今日中に食べてしまった。大根ときゅうりを今日の朝つけたのであしたの朝あげて、夜に切って食べる。ぬかづけがなんだか、毎日の楽しみみたいになってきた。明日はセロリをつけてみようかな?
2009年10月06日
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昨日の夜、仕事のあとご飯を食べに行った。夫がナナミをつれて仕事場まできてくれたのでそのまま食べにいった。同僚二人もさそって。デビーとデボラ。二人は同僚というにはおこがましいぐらい大ベテランで大先輩なんだけれど、デビーはナナミのへその緒を切った人で自分をナナミの伯母さんと呼ぶくらいよくしてくれているから私もデビーのことは家族のように感じている。デボラは「おくりびと」と見て、心を動かされ日本の文化を高く評価したという。あれいらい、デボラは患者さんの誕生日には鶴をおってほしいとかそういうのを私にたのんでくるようになり私も苦手なドクターの話をして、アドバイスをもらったりとかちょっと距離が近くなった。夕食が終わって帰宅したら、義兄がきていた。少し話をしたんだけど夫が義兄とはなしているのを聞いて思った。夫の声のトーンが低い。顔の表情も微妙に違う。やっぱり、義兄のことはあまり好きじゃないんだと思った。義兄は私たち夫婦がジジババを利用していると思っていた。今も思っているのだろう。恐らく。以前、義兄の息子二人をサーフィンに連れて行きビーチから帰ってきて夫がボードをかたしたりしているときに義兄は夫に、息子二人のゴッドファーザーなのにギフトとかお金を全然よこさないとか、そういうことを言った。夫は、今サーフィンから帰ってきたばっかりじゃないか。と義兄にはっきりと言っていたけれど、その話をババにちゃんとした。みなであきれた。義兄は私たちがなにをしても、決して感謝なんてしないよと。感謝してもらうためにやっているわけじゃないけれどあまりにもひどいから、だからもう、何もしないと私は夫に言った。私たちが行くつもりがないのなら、わざわざ子供達のためにサーフィンも連れて行くつもりもないし。わざわざ夕食だってムリして作らないし。と。今回もいつものごとく、久しぶりの滞在。夫は声のトーンは低く、なんだか義兄の一言一言にかなりかまえるように、ぴりぴりしている空気を感じる。夫は今日は朝から仕事にでかけた。昨日きて今日帰る。何時に帰るのか一応聞いて夕食を食べて帰るのか聞いた。カレーを作ろうか?といったら、カレーは興味ないというので別のものを作ろうと思っていたけれどババが昨日のランチ、メキシカンの残りがあるからそれでいいというのでじゃぁ何もしないことにした。今日は今から、ナナミのプレイメイトのカレラちゃんの1歳の誕生日パーティーがある。4時からでかけるから、彼らの夕食時には家にいないかもしれない。ムリに自分の予定を変えて、家にいる必要もなさそうだし。今の私は昔の私とはかなり違う。仕事場でいろいろもまれてきたし何か言われて黙っていることはしない。そんなやっかいな強さもついたし。だから、義兄がなにかいらぬことを言ったらどうなるかわからない。今日の夕食はやはり、いないほうがいいのかもしれない。
2009年09月26日
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昨日から、ぬか漬け始めました。塩を入れすぎたみたいで、とてもしょっぱいのですがはやくいろいろとつけておいしいぬかになってほしいものです。昨日と今日、にんじんときゅうりを食べました。気温が高いからか、5時間ほどでとてもおいしく漬かります。一晩つけると、かなりしょっぱくなりそうな感じなのでしばらくは、朝つけて夕方あげるぐらいで漬けていきます。今日は、大根とカブをゲットしてつけてみよと思っています。もう一つ始めたことは、ロッククライミング。昨日久しぶりに挑戦しました。いつも行く、ジムにクライミングトレーニング用の壁があります。壁がキャタピラのようになっていて、登れば下がるようになっています。便利な器具です。ナナミをストローラーにのせて遊ばせて、そばにおいておけるので一緒に連れて行けます。プールで泳ぎたいときは、人にみてもらわなければならないのでクライミングを始めてみたのですがナナミがおとなしくストローラーに座ってくれているようならばこの運動、しばらく続けたいと思います。壁を登る筋肉というのは、日ごろなかなか使う筋肉ではありません。でも、大腿筋、膝なんかはナナミを抱いて床から立ち上がるときに使う筋肉とにたような感覚だなぁ、と感じました。これから、もっともっと重く大きくなるナナミといろんな遊びをしていきたいので、年には負けてられません。クライミングは肩・上腕から指先までフルに筋肉を使いますからしばらくはこの運動、がんばってやってみようと思っています。
2009年09月24日
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先日、白血病で亡くなった患者さん、Jさんの最後を聞いて、また思い出した。祖母が亡くなって4年が過ぎた。診断:末期大腸がん、肝臓転移。祖母自身はそのことを知らなかった。娘である母と伯母が言わないでおこうと決めたから。日に日に弱り、死期が近づいていることを悟っていたのかもしれないけれど祖母は「元気になったら、みんなをご飯につれていくから。」とかそんなことをいつも言っていた。今の仕事について、多くの患者さんを看取って思う。祖母が昏睡から息を引き取るまでの時間は長すぎた。久しぶりに仕事にいったら、Jさんの名前がボードから消えていた。同僚から、Jさんの最後はやすらかだったと聞いた。Jさんがなくなるのは時間の問題だった。治療中も病室で寝泊りして、かいがいしく世話をしていた奥さんはコンフォートケアーに入ってからも頻繁にナースコールを使っていた。息が乱れている。顔の色がおかしい。喉がかわいているだろうから、水を飲ませたい。血圧をはかってほしい。なんとかしてほしい。Jさんは虫の息で、いつ亡くなってもおかしくない状態で数日過ごされた。最後の夜、Jさんの奥さんはJさんのベッドサイドにすわり静かにJさんに話しかけたのだそうな。いろんな話をした。化学療法と輸血を定期的に受けていたJさんは人生の最後を有意義に使いたいと治療の合間にクルーズに行ったり旅行に行ったり大変几帳面に予定表を作り、奥さんと充実した時間を過ごされた。奥さんはそんな思い出話をし、そしてJさんにお礼を言った。私のことは大丈夫だから、心配しないでください。と。奥さんはJさんが自分の心のなかにすっと入ってきたのを感じたという。そのあと数分で、Jさんは最後の呼気を終えられた。仕事柄、死については日常茶飯事考える。自分がもし、今日、明日死ぬのだとしたら。。。ナナミのことを考える。夫がナナミを一人で育てられるだろうか?ジジババはどうなるのだろう?そして、もし万が一、そうなったのなら最後に話をする時間があるのなら「大丈夫。僕らのことは何も心配しなくてもいいから安心して逝ってください。」うそでもいいから、そんな風に言ってもらいたいと思う。祖母のことに関しては、後悔はしていない。祖母は私に7年間の空白の時間を埋める以上の貴重な経験を与えてくれたから、あれが祖母の最後だったと確信している。後悔とかそういう感情ではなく考えることがある。もしあのとき、祖母に彼女自身の死期を告げ私たち家族が彼女の心配やら思いを聞き出し思い出話をしそして「私たちのことは何も心配しなくてもいいよ。安心して逝って。」そういってあげられたなら祖母の昏睡の時間は短かったのだろう。多分、もっと早く祖母は逝ったに違いないと私のなかで確信に近い思いがあるのだけれど。どうなのだろう。
2009年09月12日
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私が妊婦であるという考慮が、家族から感じられない。そう思っているのは多分自分だけで、彼らは彼らなりに、気を使って大事にしてくれているのだけれど、ストレスは募る。12時間労働の後、帰宅したとたんに、マムからのノンストップトーク。挙句の果てには二人目の子供ができて、それがもし男の子だったらどうしないといけないとか、そんなことまで言い出した2日前。相当のストレスを感じてしまった。昨日、ベッドルームから、庭を見ると一輪だけ、真っ白な花が咲いていた。植物はすぐに枯らせてしまうし、興味がないので何の花かは知らなかった。昨日、マムが部屋にやってきて、同じようにふと庭を見て驚いた。「あら。あんなところに一輪だけリリー(ユリの花)が咲いてるわ。誰も植えた覚えがないのに。」おばあちゃんだ。おばあちゃんからのメッセージだ。(祖母の名はゆり子)「あれ、おばあちゃんだよ。きっと。」「ナナミが生まれてくるのを楽しみにしてるのね。」おばあちゃん、ナナミにも会いたいだろうけど、きっと私のストレスのことも心配してるんだと思う。心配かけてごめんね。私のことは大丈夫だからね。ナナミが生まれたら、たくさん会いにくるからね。おばあちゃん、ありがとう。メッセージは、受け取りました。
2008年08月12日
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ジジがワインを飲んで転ぶこと。何がこんなにフラストレーションなのかと考えた。結局やっぱり、どう転んでもジジの介護にかかわっていかないといけないことを頭でわかっているからなのだ。そして私は妊娠6ヶ月。ワインを飲んだせいで転んでいるのかはわからないけれど、二階にあがる階段につまずいたり踏み外したりするのはたいてい夕食後。飲酒後であるという記憶の中の統計から、私はどうしても、どうしても、飲酒とダディーの転倒を切り離すことができない。マムはどうしてそう思わないのか?そう思えないのか?自分が飲めなくなるのがいやだからか?マムが飲みたいがために、私ら夫婦が犠牲にならなければならないのか?腹が立つ。これが他人なら、多分、何も思わない。患者さんとかだったとしても、一度言って聞かなければ、「じゃぁ勝手にすればいい。困るのは本人か家族だし。」ぐらいにしか思わない。きっと、ダディーの主治医もそのくらいの気持ちなんだろう。だから誰も、「飲酒禁止」なんて厳しいことを言ってくれないのだろう。あぁそうだ。ダディーの介護にはかかわらないわけには絶対にいけないんだ。なんぼ「いやや、いやや。」「知らん、知らん」というても、泥酔して転んでおねしょして、そんなダディーでも私ら夫婦は助けなきゃならないからなんだ。それなのに「禁酒しろ」と言えないのはなんでか。言ったらもっとかかわらないといけないから?年老いたダディーの楽しみをとりあげることがかわいそうだから?サンフランシスコから帰宅・運転中の夫の携帯に電話して、今日もまた2回転んだと報告した。ワインを飲むことのフラストレーションをぶつけたけれど、それをフラストレーションに変わるまえにマムにはっきり「禁酒しろ」と言ったらいいと夫に言われた。それをいえなくて、ストレスをためることの無意味さを夫は言うけれど、でも私は「やめろ」とは言いたくないのだと夫に言った。このままだったら別居するまえに、マムたちが一階に移ってくる前に、ダディーが階段のいちばんうえから転げ落ちて大怪我するリスクは毎日つきまとうと思うと怖くて怖くて仕方がないのだと夫に言った。実際に、階段の一番上であやうく足を踏み外しそうになったダディーを私は階段の一番したから目撃してしまったことがある。ダディーが閉まっていたドアーのドアノブを握って助かったけれど、ドアが開いていたら目の前にドアノブはなくダディーは確実に、転げ落ちていた。私は身重だからダディーを階下で支えることもできず、転げ落ちるダディーを最後まで見ているしかできなかっただろう。いまにも転がり落ちてくるかもしれないダディーをスローモーションで見ながら私は心の中で決めていた。おなかの中のベイビーを犠牲にしてまで、ダディーを救うつもりはないと。そして、恐怖と罪悪感といろんな感情が入り混じって、ダディーがふらふらしながら二階に行く姿を見るたびに、あのときの気持ちがよみがえる。夫は言った。リモデルが完了して、私たちがここを出て、マムたちが一階に移ってくるまでの間だけ、禁酒を提案してはどうかと。二階への階段を上がらなければならないあいだは、一切、アルコールをとらない。ほんの3-4週間のこと。私はすばらしい案だと思うと夫に言った。ありがとうと感謝した。明日マムたちにその提案をしてみる。家族として意見をいうことに何も問題はない。それを受け入れるのか無視するのかはジジババの選択。私たち夫婦はダディーの介護に十分かかわっているのだから、言ってもいいんだ。だから、明日言うことにする。
2008年06月30日
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妊娠20週目です。おなかが急に大きくなり、ここ数日は仰向けに寝ることができなくなってきました。自分はどんな姿勢ででも眠れるし~。と思っていたけれど、仰向けで眠れないのに知らないうちに仰向けになり、苦しさとか寝苦しさで何度も目覚める。。。実は仰向けかなり好きだったみたいです。木曜日に3Dウルトラサウンドをするために、産婦人科に行きました。この検査で、胎児の背骨の成長、四肢、脳の中の成長までしっかりモニターしてもらえるのです。異常なしでした。こちらが足ですこちらが見事な背骨と肋骨そして、お顔です!たったの7cmしかない胎児ですが、こんなにはっきりと人の形になってるんです!顔なんて、気のせいかもしれませんが、夫が赤ちゃんのときの顔になんだかよく似てます!上唇が盛り上がって鼻の下が長いところと、鼻の辺り。夫はものすごく、なんとも言えないようなうれしそうな顔をして、何度も何度も、この写真を眺めていました。自分の娘が誕生するという実感が生まれてきたのでしょうか。妊婦の生活はあと数ヶ月ありますが、仰向けに眠れない苦しさだってななちゃんのためならたいしたことはありません。一歩一歩、ななちゃんが無事にこの世に誕生してくれる日まで、心の変化や成長を楽しみながら、家族一緒に充実した日々を送りたいものです。
2008年06月08日
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夫が2月末に受けた、カリフォルニア司法試験の結果が明日発表される。オンラインで午後6時の発表。緊張の瞬間。。。。
2008年05月16日
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夫はマムの友人2人に電話をした後マムにも話をしてくるからと二階にあがっていった。しばらくして、夫は戻ってきたけれどマムは逆切れして怒り出したらしい。自分がしゃべりだということを分かっていてそれを指摘されたことが気に入らなかったのか何なのかは分からない。いまさら私を変えられない。とも言っていたらしい。そんなことを言うのなら私はこれから食事は一人で部屋でとるから!そんなことを言ったらしい。こんなんだったら、マジでこれから一人で部屋で夕食たべるから。って、私も夫に言った。私はマムを変えるつもりはないがやめてほしことをやめてといえないでこんなふうに夫を使ってマムに伝えてもらうということは正しい方法ではないのかもしれないと気がついた。私はマムにどうしてほしいのかを言っていない。マムがしゃべりすぎて、私が疲労困憊した。その事実を夫が伝えただけで、マムのしゃべりのパターンがかわるはずがないことはみんなわかっているから。私が言うしかないんだ。聞けないときは聞けない。と。一緒に住んでいない友人達は、マムがしゃべりだということさえ本人に言わずにいる。電話をかけることを避ければ、彼女達は問題から回避できるから。私は一緒に住んでいるからそれが出来ない。だから他の方法で回避するしかない。今は疲れてるから、マムの話聞けない。っていう。後にしてくれるかな?っていう。それしかないんだ。次は多分いえると思う。でも、すごーく疲れた。。。そして、同時に電話がなった。病棟からだった。その日担当した患者さん、部屋においておいた現金が盗まれたらしい。その日の午後にクリニックから来て私が担当ナースとして入院手続きをした。患者さんが現金をいくらもっているか確認したか問われた。現金の確認をしなかった。足の傷のインフェクションと炎症の治療でやってきてドクターから、点滴の水分補給と点滴抗生物質を与えて退院させてもよいというオーダーだったので数時間の治療だったので、現金確認までしなかった。そしたらこの患者さん、数時間後に高熱がではじめてドクターがオーダーを変えた。一晩入院。足のウルトラサウンドと胸部レントゲン。そして、ウルトラサウンドに行っている間にお金が盗まれたらしい。あぁ、しまった。。。そんなこととマムのしゃべりの疲れが重なってその夜は2時間も眠れなかった。そして次の日(昨日)、仕事にいかなければならなかった。現金がなくなったことは大きな問題にもならず解決はしたけれど。。。マムはといえば、昨日一日、落ち込んでベッドで寝ていたらしい。2時間の睡眠で、12時間労働をサバイブした疲れで声をかけるのも嫌だったので昨日は無視。一日ベッドで寝ていたと聞けば大丈夫かと一言声をかけるけれど昨日は顔を見るのも声を聞くのも嫌だった。今日は休みだけれど、まだ顔も見ていないしマムも私に会わないようにしている。一緒に住んでいるんだからこのままじゃ済まないことは分かってるけれど今は動くエネルギーがないから何もするつもりはない。次に月曜日と同じ状況に陥ったら「今すごく疲れているから、話聞けないから疲れてないときに話してくれるかな?」とマムにはっきり言える自信がある。だから今はもう、何もしない。疲れた。
2008年04月09日
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感動!いつも買い物する、オーガニックのものをおいているスーパーでにんにくの芽 発見!感動!!今日はにんにくの芽ともやしの炒め物をする。それから、マーボ豆腐。麺にのっけるか、ご飯にするかまだ未定。多分、ご飯かな。後で写真をアップするぞ!!
2008年04月03日
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本日、夫の司法試験が終わりました。私、何もしていませんが、退屈で死にそうでした。空港すぐそばのホテルは、何にもありませんでした。飛行機が大好きな友人のことを思い出しました。飛行機が飛んでいるのを見るだけで心がどきどきし、一日中飛行機を見ていても飽きないというあの友人なら、この滞在は最高なものだったはずです。窓の外からずーっと飛行機が見えるのですから。で、昨日も今日も3日目4日目の夫の司法試験の出来結果などを更新せずに、何をしていたのか。Youtube で、「あいのりマラソン」してました。はまりましたよ。あいのり。なんかねぇ、おもしろい!なにが面白いかって言われると、何なのでしょうねぇ。説明しきれませんが、なんか「出たい!」って思ったんですねぇ。日本にいて、オーディション受けられるんだったら是非、出てみたいと思ったぐらい、気に入りました。いい友達関係から恋に落ちるパターンが多かったからなんか、なつかしぃー気持ちになりました。みんなマジで恋に落ちるんですかね。あれ、なんかねぇ、心理的なものあるんでしょうねぇ。7人の若い男女だけで、ずーっと旅続けて、ほんとに、ほんとに、みんな嫉妬しあったり、葛藤したり、泣くほど相手を好きになって。タレント志望の若い子とかも出てるって聞いた事あるんですが、カメラ回ってて、マイクつけてて、視聴者がいるってことも忘れるのでしょうかね。田上っていう20歳の若い男の子をめぐって、25歳の女の子二人が揺れに揺れまくるエピソード、かなり引き込まれました。(多分、4年以上前の放送だと思います。。。)25歳の女二人、ハタチのガキになんでそんなに惚れるのか。わからん。。。。見かけがジャニーズ系な若者が、ラブワゴンに乗る全員の女子に気のある素振りをし、まんまとそのヤイバに引っかかる彼女ら。。。あぁ、面白い。あいのり。同じ男子を好きになってしまった二人の女子の隠し切れない嫉妬の表情とか、たまりませんでした。自分だったら、どうする?どうするんよ~!私はとても嫉妬深いから、その心の葛藤を隠し切れなかった彼女らのように、露骨に顔に出るでしょう。食事の席で、涙があふれてきて席に座っていられなくなるタイプであることは否定しません。はい。でも、今はもう既婚者なので、今のままの精神で体だけが25歳とかになれるんだったら、「ふっふ~ん。」ってきっと余裕なんだろうか。そんな形でオーディションに受かって出たいな。。とか、見ながら考えていました。夫、試験が終わりました。試験の結果は5月20日らしいです。名前が出てきますように。。。。明日の朝、チェックアウトして、サンタバーバラに帰ります。
2008年03月02日
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今日の夕食です。びんちょうまぐろの巻き寿司お寿司は準備が大変なんです。それなのに、夕食前の台所がめちゃくちゃだったからかなり機嫌悪くなりつつもそのまま夕食強行突破してしまいました。朝から何度も何度も、シンクの洗い物片付けたのに。皆が汚すたびに、洗い物ちょこちょこ何回もしたのに。サーフィン行く前にも、片付けていったのに。帰ってきたらマムたちのランチのあとの物で結構めちゃくちゃになっていました。なんでこんなにめちゃくちゃになるのかな?まぁとにかく、そのめちゃくちゃを無視して無事お寿司を作りました。お寿司のほかは味噌汁だけ。豆腐、たまねぎ、ワカメ、ねぎをたっぷり入れました。アボカドときゅうりを入れます。酢飯とびんちょうまぐろです。できあがり!一本分を友人宅(マムの友人でもあり、夫の第二の母でもある)におすそわけしました。とても喜んでくれて、うれしかったです。4人でぺろりとお寿司たいらげてしまいました!他の料理をつくらなくてよかった。他の料理をつくったら、台所はもっとすごいことになっていたはずです。これだけでもたいがい、すごいことになっていたから。。。片付けは、決心したとうり何もせずに去りました。ケンジのシャンプーをしなくちゃ~。とか言いながら。図太くいきます。
2007年08月14日
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今回、第七回目の司法試験をロングビーチで受験しました。滞在したホテルは、Westin Long Beach です。ショッピング、観光、レストランハーバー、アミューズメントすべて徒歩圏内の便利なロケーションでケンジも私も大変満足でした。ホテルのプールWestin のホームページでは25mプールぐらいのサイズに映っていましたが実際のサイズはかな~り小さかったです。いつものことです。真っ白なシーツとケンジ冷房のきいた素敵なホテルの部屋でケンジも滞在を満喫したようです。
2007年07月30日
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今日の夕食とりのからあげ(むねにく・ももにく)タラピア(白身の魚)の竜田揚げしいたけ・豆腐・たまねぎの味噌汁きゅうりとワカメのたこ酢の物ごはん昨日の残りのパスタにバジルペストをあえたものから揚げは、モモ肉のほうがやわらかくてジューシーでおいしかった。酢の物に、チリオイルを入れたらピリッとしておいしかった。今日で3日連続でサーフィンに行ったので調子にのってから揚げを食べまくったらお腹が破けるのじゃないかというぐらい腹いっぱいになってしまった。明日はおとなしく、ベジタリアンの夕食を作ります。それから、ハワイで看護学校に行く予定をたてていてとりあえず、数ヶ月ハワイで過ごしてコネクションを作るといっていたYちゃんからメールが届いた。5月に知り合った、オワフ在住の男性と結婚することになったそうな。かなりショッキング!でも、話もっと聞きたい!Uちゃんにすぐに電話してそのことを話したらUちゃんもびっくりしまくっていた!Yちゃんは日本にとりあえず帰ったらしいからUちゃんが今月末に日本に一時帰国のときにYちゃんに詳しい話をちゃんと聞いて帰ってくるようにとUちゃんに指令を渡した。明日、Uちゃんと朝ごはんを食べに行くことになっている。当然、Yちゃんのオワフの婚約者とか結婚関係などの妄想話に花がさくことでしょう。
2007年07月08日
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ひねもすさんのブログから京都の約束というところに行き、お願いを提出した。アメリカは97年の京都議定書に、0%という数字を提示した。アメリカが排出するCO2に関しては、自国の森林によってすべて消費されているから。という理由らしい。クリントンだったかな。Uちゃんは、ライティングのクラスで京都議定書のことについて書いた。アメリカ政府を思い切り批判するアナライズエッセイを提出した。この7月でカリフォルニアにきて9年になる。気候は明らかに、変ってきている。夏の暑さは厳しく冬は標高の高い地元の山頂に過去3年連続で2月のある日、雪が積もった。その前は7年前ぐらいだったと思う。夫と結婚する前、アメリカにきて間もなくのときだった。友達が遊びにきているところに雪をジャケット一杯にかぶった夫が「山頂に雪が降ってるから行ってごらんよ!」と、興奮しながら私のところに言いにきた。ほんとに何年かぶりの積雪だったが3年前から毎年のことになりはじめた。真冬に、東海岸に熱波が襲ったニュースも過去2・3年では珍しくもない。サンサンと太陽が降り注ぐ真冬の東海岸ビーチで日焼けを楽しみながら人は何を考えたのだろうか。先日、ビーチに散歩に出かけた。満潮だったけれど、歩けるビーチがあったので散歩した。ビーチ沿いに立ち並ぶ、バケーションレンタルの家に押し迫るように波が打ち寄せたラインがあった。その日の朝の、最高満潮時だったのだろう。こんなに上まで波が来たのは見たことがない!と夫が感嘆の声をあげた。このままだったら、いずれこれらのバケーションレンタルの家は海の底に沈むのかもしれないな。50年後か30年後か。。この家の持ち主の子孫が自分の持ち家が海の底に沈む日を目前に誰に売ることも出来ず彼らは一体、どこに訴えるのだろうかな。と、訴訟大国アメリカの行く末を想像していた。神話や御伽噺ではなくそれがほんとに現実の話になるのかと漠然と思った。それでも実感は全然なく恐怖も恐ろしさも感じることなく人事のようにビーチを去ってしまった。自分になにができるのか考えるけれど具体的に浮かばない。冬はガス暖房をつかうけれどエアコンはないので使わない。ここは公共バスも走ってないから車無しではなにもできない。できるだけ運転を控えたりガソリンを節約することでそれはCO2削減につながる。その程度しか考えられないけれどまずはそこからなんだと思うけれど。。。あぁそうだ、ブッシュのおかげでガソリンの値段がバカみたいに上がっていく。9年前の3倍ぐらいの値段。自然と「ガス節約」の意識が芽生える。これはこれで、CO2削減に少しは貢献しているな。「ガス節約」から「CO2削減」へ意識を変換することが次のステップ。シンプルそうだけれど、一番難しいのがこのステップ。ひねもすさんのブログから京都の約束に行ってお願いをしたことはコンピューターを持つ人には誰にでもできるほんの小さなことだけれど大きな第一歩なのだと思う。
2007年06月18日
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昨日、あまりに痛いし今までの医療費とかも相手の保険会社がまだ支払いをしてくれてないしこれは本格的に動かなあかんな。と感じ、警察署に事故証明のコピーをもらいに行ってきた。事故直後、警察に電話をしたけれどいくら待っても来なかったのでキャンセルしてしまった。その日の夜はダウンタウンでギャングのプロブレムがあり多くの警察官が出動していて、なかなかこれなかったらしい。そして、相手の女性マリーは嘘の供述を自分の保険会社にした。一週間後になってしまったけれど遅れて事故証明を作ることは可能だと聞きすぐに警察署に行って事故証明を作成した。これがその内容。2月16日午前10時ごろ、事故当事者のV1(ナデシコ)とコンタクトをとる。2月9日夜7時45分ごろ、彼女は仕事帰りだった。V1のナデシコの供述によると、彼女はPストリートとC通りの交差点の一時停止ラインにたどり着く直後にヘッドライトがついていないことに気がつく。一時停止ラインで停止ご、すぐにヘッドライトを点灯。約2秒後、V2(マリー)が後部から衝突。V1(ナデシコ)はヘッドライトを点けていなかったこと、携帯電話を使用中であったことを認めている。ナデシコの供述によると、マリーはナデシコに「ヘッドライトがついていなかった。だから見えなかった」と述べた模様。中略。。。V2のマリーに電話と郵便でコンタクトをとるが連絡がとれない。よって、これらのリポートはV1ナデシコから提供された情報によってつくられた。その他、6ページに及ぶリポートと事故の状況のダイアグラムがしっかりと記録されています。もちろん、そのダイアグラムは私の供述(事実)でマリーは警察とのコンタクトを無視したためそれが彼女にどのような影響を与えるのかは不明。彼女はこのまま、事故がお流れにでもなってくれることを祈っているのでしょう。彼女が嘘をついたことを裁いてやろうとかそういうことを前は思っていましたが「人は自分を守るために嘘をつくもんなんだよ。」と、夫に言われ考えを変えました。彼女が嘘をついたということよりも何がどうであれ、停止中の車に真後ろからぶつかってきたマリーがなぜ8割の過失なのかということにおかしいと思うことが妥当だとそう考えていくことにしました。いい社会勉強、しています。
2007年06月16日
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今日二回目の更新となります。そして、この更新の後は さっき焼き上げた ブラウニー というチョコレートのお菓子を食べながらお茶を飲み、勉強して寝たいと思います。。。昔話の続きからが、この日記の始まりです。*******************皆さんお待ちかねの、Uちゃんの登場!Uちゃんは、私より2年ぐらい早く、サンタバーバラに来ていました。彼女はコンピューター関係の勉強を専攻していました。そして、マック(アップル)のプロでした。私は7年前、中古のマックを14万円で購入し、アメリカに持ってきました。刑事の提案でした。刑事も、マックの賢者でした。コンピューターを持っていれば、かなりのアドバンテージになる。レポートを書くにしても、情報を集めるにしても、コンピューターは必要不可欠になる。彼がいうとおり、中古のマックは私の学業に多大な利益をもたらしました。エッセイやレポートを提出するために、わざわざ学校のコンピューターラボまで行かなければならないなんて、考えられませんでした。今では ブログ などというものがあり、素人でも簡単にホームページが作れますが、あの当時は誰でもできることではありません。そんな素敵なデザインなどを チョチョンノチョン とやってしまうUちゃんに、刑事の白羽の矢が突き刺さります。あ、正確に言えば、私がUちゃんを刑事に紹介したのですが。。。まずは、時間的流れのおさらいです。。。1998年9月から11月の間: 「チェーンロック事件」(過去日記ご参照ください)1999年7月ごろ:Yちゃんの香水プンプン事件」(過去日記ご参照ください)1999年8月ごろ:Yちゃんが私のアパートから出ていく*このあたりから、私は刑事を無視。刑事はそれでも、しつこく言い寄ってきます。私が付き合う相手の男を殺して、ブラジルに逃げたって、誰も自分をつかまえられない。とか、そんなことも言っていました。暴力を振るわれたのも、この時期です。そして、刑事がフェイドアウトしつつあった頃でした。私の生活に少しだけ、平和が訪れ始めたとき、再び刑事から電話がありました。2000年夏ごろ だったと思います。私にとって刑事はすでに 過去の人 でした。刑事が何をしようが、私には何の興味もなく刑事も私の生活に干渉しなくなっていました。私は新しい自由な人生を満喫していた頃でした。それでも、新しい恋や出会いを求める気持ちはなく、仕事と勉強と生活に一生懸命の時を過ごしていました。刑事は私に、コンピューター・デザインに強い人がいないか聞いてきました。私はUちゃんのことをすぐに思いました。大学のコンピューター・マネージメントのセクションで、アルバイトを募集しているとのことでした。刑事はそれ関係の勉強をしていたようだし、彼自身もそのセクションでそれなりに責任のある仕事を任されていましたので、信憑性はかなりありました。まずは、自分のバイク(V-MAX)のホームページデザインを作ってもらい、それでどのくらいの知識と腕があるのかを査定してから、実際のインタビューに進めていきたいと思っている。そんな話をしていました。悪い話じゃないじゃない!?私はUちゃんのことを思いました。私たちが通っていたカレッジとは違う大学ですが、キャンパス内の、しかもUちゃんが精通する分野のことをしてお金がもらえるのなら、彼女にとっては大きなチャンスです!心当たりの子がいるからすぐに話をしてみるね。私は刑事に、そういって電話を切りました。早速、Uちゃんと会って話をしました。Uちゃんはとても興味があると言いました。Uちゃんには刑事の電話番号を、刑事にはUちゃんの電話番号を渡しました。私のビジネスはここまで。ここから先は、彼らのビジネス。私は、「見猿、聞か猿、言わ猿」を実行するつもりでした。続きは明日です~。みなさん、ごきげんよう。おやすみなさい。。。いつもありがとうございます。刑事のことを、「なんじゃ?!この男!!」と思った方は↓ ↓ ↓ ↓ をクリックしてください。人気blogランキングへ
2006年04月10日
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サーフィンに行ってきました。車で20分ぐらいの、リンコンというポイントでサーフィンしてきました。サーフィンコンテストが開催されていましたので、駐車場はいっぱいでしたが、それらの車はコンテスト見学の人や、選手の家族だったようです。海は込み合うことなく、楽しいサーフィンができました。さてさて、気持ちもリフレッシュしたところで。。。今日もいってみましょう♪昔話の続きからが、この日記の始まりです。*******************Uちゃんエピソードの前に。。。。Eちゃんが私に教えてくれたことを刑事に話しました。多分、別れる・別れない の口論をしたときに、我慢できなくなった私が刑事にぶつけてしまったような記憶が甦ってきました。ナデシコは僕のパートナーではない。パートナーを探している。昨日の、Eちゃんへの電話取材で教えてもらうまで、すっかり忘れていましたが、Eちゃんがそのことを私に言ってくれたことを思い出しました!通学バスの中でです。学校が終わり、バスでダウンタウンに向かうところでした。思い出しました。。。記憶ってすごいですね。完全に忘れた。と思っていた記憶も、ちょっとしたきっかけで引き出しが開き、記憶が甦ってきたりします。最近、かなり記憶力が落ちてきたと感じることが多く、このままではいけないと思いomega-3 fatty acidEPADHAが入ったフィッシュオイル・サプリメントを昨日から摂取することにしました!昼に一粒食べましたが、夜は頭が冴え渡っていたせいかなんだか忙しい夢をみてしまいました。今日も一粒。。。そして、刑事の記憶を思い起こしてみます。。。*****************刑事との口論で、刑事が並べる嘘八百に白々しました。彼にとって、私がどれだけ大切な人かとかとっても愛しているとかYちゃんとの怪しい行動、Eちゃんとのセッション終了。。。そのほかにも忙しすぎる刑事の生活。そのくせ、私の生活への厳しい干渉。こんな男、ありえない。私は我慢しきれず、Eちゃんが言ったことを刑事にぶつけたのです。本当は 最後の切り札 として、計画を温めてから使いたかったのですが。。。あのさぁ、Eちゃんとのセッションがキャンセルになった理由、Eちゃんから直接聞いたけど。私って、パートナーでもなんでもないんでしょ?パートナーを探してるらしいやん?あんたが言わんとしているパートナーの意味も、私にはわからんねんけどさ。ま、とにかく、私はパートナーじゃないってあんたはEちゃんに言ったわけやし、もうええんちゃうん?刑事はあせりもあわてた様子もなく、笑いました。君は僕よりも、彼女を信じるのか?そんなことを言いました。普通、信じるにきまってるやん。彼女だけだったらまだ希望はあったやろうね。でも、Yちゃんともいろいろあるみたいやし、もうあんた、終わってるねん。いい加減にシラをきるのは辞めたら?刑事はまだ、余裕です。君、彼女がどれだけ僕が英語で言ったことを理解できたと思う?彼女の誤解にきまってるじゃないか。僕が言ったことをちゃんと理解できてなかったようだな。。。とことん、汚いよあんた。。。それ以上話をすることも嫌になりました。この会話がどんな風に終わったのか記憶にないのですが、刑事と私が 「別れた日」というのはありません。刑事からの電話、アポイントなしの自宅訪問、そして、バイト先への電話と訪問が完全に切れたのはこれからもっともっと、後のことです。「薬指のダイヤモンド」:過去日記参照ください。夫との幸せな結婚生活を送っていた、2003年春ごろだったはずです。これが、刑事が私のバイト先にやってきた最後の日でした。時間は再び、過去にさかのぼります。次回こそ、Uちゃんに登場してもらいます!Uちゃん紹介からはじめますので、お楽しみに♪いつもありがとうございます。面白かったら↓ ↓ ↓ をクリックしてください。私のブログにランキングポイントがカウントされます。人気blogランキングへ
2006年04月09日
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昔話の続きからが、この日記の始まりです。*******************日本での準備期間、私は働きまくり、英語もたくさん勉強した。刑事と過ごしたおかげで、英会話能力がついた。アメリカの大学で勉強するにあたり、要求されるのは「自分の意見を言う力」たとえば、新聞のコラムを一つ読んだとする。これに関して、自分の意見をもてるかどうか。コラム一つにしてみても、政治経済や雑学的な知識がなければ、何を書いているのかどうかも理解できないであろう。知識と英語能力を向上するために、英字新聞を読んだ。刑事は専門学校の講師のほかにも、自宅で英語のプライベートレッスンをしていた。刑事と同じように、プライベートで中高生などに英語をおしえているという、英検1級、準1級レベルの勉強をしている 主婦のグループが刑事の生徒だった。このグループレッスンで勉強するように刑事に勧められた。毎週土曜日の朝3時間、刑事が選んだ新聞切り抜きのアーティクルが30近くコピーされたプリントでディスカッションをする。というものだった。プリントは前週のレッスンの後に配られる。次のセッションまでの一週間のうちに、しっかり読んで、内容を理解しておかなければならない。びっくりサマリー というセッションが、クラスの最後にあった。クジ引きをして、当たってしまった人3人が、刑事が指定する切り抜きの「要約」を切抜きを見ずに3分以内で話さなければならないというものだった。びっくりサマリー は、私の英語レベルではちょっと無理だったけれど、そこを考慮をしてもらい「刑事指定の切り抜き」ではなく、私自身が切抜きを選べる というルールにしてもらった。とても簡単なものを選んだのを覚えている。タイから、ブローカーを通して不法入国しようとしたタイ人女性の記事。関空で、スーツケースに隠れて入国しようとしたのを捕まった。そんな記事だったと思う。なんで、日本なんかにそこまでして来たいんだろうね。日本に来たって、社会は病んでるし、政治は腐ってるし、いいことないのに。日本社会に嫌気がさしていた私は、こんな意見でびっくりサマリーを締めくくった。刑事のことが両親に見つかり、別れないのなら家を出て行け といわれた。そして、家を出て行くのならあんたはもう娘でもなんでもない。母にそういわれた。「できもせんことを言うな。」と、母を怒った父は、私が出て行くことに関して何も言わなかった。父は分かっていたのだろうと思う。私が絶対に、折れないということを。とことん、納得するまでやれ。父はきっとそんな風に思っていたのだろうか。ほんの一ヶ月ほど前には、今年中に彼と結婚しようと思う。そう言った娘が、結婚はやめて学校に行くと言い出し、その後すぐ既婚のブラジル人と付き合いだし、「留学する」と言い出した。そして、既婚の刑事と付き合うことを反対したら、娘は家を出て行くと言った。私はあっという間に、家賃44000円の文化住宅を見つけて引越しをした。刑事自身も、私の行動力に驚いたそうだ。どのようなことを言ったのか、英語だったからはっきりとフレーズが思い出せないのだけれど、私が両親とすったもんだしている時期に刑事は絶えず、私に言っていた。友情を守るために、自分の大切な人のために戦う。認められないのであれば、認めてもらえるように一生懸命になる。自分にはそんな強い人が必要で、それができないのなら一緒にいることはできない。自分の奥さんが、自分の友達や生活に関して、何の干渉もせずに尊重してくれるのは、自分がこれまで多大な努力をして、自分の生き方を理解してもらえるように話し合ってきたから。そのほかにも、今思えば「なんで~?なんで、そうなるの?!」って思うようなメチャクチャな理屈も彼は言っていたかもしれない。でも、それを英語でしかも「夢の複製」から言われたならば、頭の理解する部分がちょこっとだけ壊死してしまったのかもしれない。完全に、洗脳されていたように思う。私が引越しをすることを刑事に言ったとき、刑事がこんなことを言った。「留学をするのだったら、実家にいたほうが貯金もできるんじゃないか?」こいつ。。。ひるんでるな。自分のために私が一人暮らしをしようとしていると思って、ひいてるのか?ここまできたんだ。たとえお前が逃げたって、あたしはやり遂げてみせる。逃げるんだったら、あんたはそれまでの人間だったということ。かなり強気だった。私が一人暮らしを決行した理由は何だったのだろう。父は、刑事のことでは反対したけれど、家を出ることはいいことだと言った。家を、親元を離れて一人で生活するということは、留学を始めたときの練習になるだろう。今からやっておくのもいいかもしれない。そんな風にも思っていた。それから、母のことを見返したいと思ったのもある。私たちが、経済的にもまだ学生だったとき、まだ世話にならなければ暮らしていけないことをいいことに、「気に入らなければ出て行け」だの、「誰に食べさせてもらっとるんや」だのといわれ続けたことも、私の背中を後押しした。今出て行かなければ、母親は言い続けるだろう。「えらそうなこと言うんやったら、出て行け!」と。家賃と生活費で、約10万円ぐらいの出費だったが、私は旅行会社のほかにも週3-4日、居酒屋でアルバイトを始めた。4月からは派遣会社に変わり、手取りが多くなった。居酒屋からの給料を合わせたら、毎月10万ー15万円の貯金をしていた。この一人暮らしがあったおかげで、私は両親から認められるようになったと思う。高校生だった私達に、「悔しかったらこの家から出て行け」「世話になっといて偉そうなこと言うな」と喧嘩のたびに言い、働き出して、わずかながらも家にお金を入れていた私たちに、「はした金入れとうぐらいで、偉そうなこというな!」と言った母も思い知ったことだろう。口に出したら、娘は本当に出て行ってしまう。ということを。いつもありがとうございます。面白かったら↓ ↓ ↓ をクリックしてください。私のブログにランキングポイントがカウントされます。人気blogランキングへ
2006年03月30日
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ダディーはアンティークを集めるのが趣味です。私にとっても、マムにとってもガラクタでしかありませんがダディーのアンティークコレクションは、すべてを売ればたいそうなお金になることでしょう。パーキンソン病を持つダディーは、年々 スローになっていきます。これらのアンティークも売り時です。お金にして、老後のために有意義に使っていくべき時期がきました。ダディーのアンティークの価値を誰かにみてもらって、価格つけてリストをつくっていかなければならないね。夫とマムがそんな話をしている矢先です。アレン(ダディーの親友)の知り合いであるという、アンティークコレクターから電話がありました。ダディーが持っている、コーヒーグラインダーとミートスライサーを一つ1000ドルで 全部引き取りたい。といってきました。その男の名はロジャー。60前の初老の男は、あまり「いい人」というイメージはなくどことなく、ダディーを利用しようとしているような悪いオーラーを皆が感じていました。コーヒーグラインダーとミートスライサーは全部で、6個以上ありますが一つ1000ドルでは安すぎるものもあります。その中の一つがこれ。特大ミートスライサーです。注)この横に立っている男の人は、ロジャーでも ダディーでもありません。10000ドル~12000ドルの価値があるのだそうです。(日本円で120万円以上)一つ1000ドルで全部、といってきたロジャーはこの地点で、夫からもダディーからも「こいつはあまり言い奴ではないな。。」と思われました。中地下のゲームルームは、ダディーのアンティークであふれています。ロジャーは次は、アンティークのキャッシュレジスターに目をつけました。同じものが二つ、ありました。一つ250ドルで両方欲しい。そういいました。夫はアンティークに詳しい人ではありません。ダディーはパーキンソン病をもっているので、普通に頭が回転しないことがあります。このキャッシュレジスターを、いくら払って買ったのかが分からなくなってしまったようです。そして、2つとも買いたいといったロジャーに「どうぞ。」といいました。傍にいた夫は、ロジャーの胡散臭さを感じ、「キャッシャーの価格がわからないから、とりあえずは一つだけ売ります。調べて価格を言いますから、あとの一つは後日きてください。」と、一つだけ250ドルで売ったそうです。後でダディーに聞くと、ダディーはこのキャッシャーに500ドル払ったのだといいました。500ドルで買ったのに、一つ250ドルで二つとも売ろうとしたのです。「ダッド、なんでそんなことしようとしたの?損じゃない!」夫がきつくダディーに言いました。するとダディーは「わからなくなったんだよ。。。。」そういいました。キャッシャーと、小さいコーヒーグラインダーに600ドルの小切手を切って、ロジャーは帰っていきました。夫はすぐに、インターネットオークションに行き、同じキャッシャーがどのくらいで競られているのか調べ始めました。1500ドルでした。まだオークションは終わっていませんでした。自分のアンティークを売りたくないダディーは、いつも夫やマムに逆らい、内緒で何かしようとするのです。そして、今回、ダディーと電話で話をしてやってきたロジャーのことも、かれが家にやってきてはじめて、「アンティークを買いに来た」ということを夫が知ったのだそうです。夫は怒っていました。ロジャーはキャッシャーの価値を分かっていて、なおかつ ダディーがパーキンソン病をもっていて、まっすぐに考えられないことを分かっていて250ドルという数字を出してきて、二つとも買おうとしたです。ロジャーは次の日、すぐに他のアンティークの商品とあと一つのキャッシャーも買いたいと電話をかけてきました。夫は、ロジャーが買っていったキャッシャーが、最低でも1500ドルの価値があるものであるということを伝えました。ロジャーは白々しく、驚いたそうです。ダディーはこの男にはもう何も売りたくないといいました。「あなたには、大バーゲンであの商品を買いました。もうこれ以上、あなたに売るしなものはありません。」夫はそういって断りました。600ドルの小切手を、次の日銀行に預金しに行きました。その翌日、小切手が「不渡り」でダディーの手元に郵送で送られてきました。なんでキャッシュをもらわなかったのか???私は夫にもダディーにも、腹がたちました。この人たちは人を信じすぎるところがあります。私はひねくれていますから、いくらアレンの知り合いだと言われても、私だったら絶対に、キャッシュを要求します。「まさか不渡りなんかにならないだろう。」そういう、人を信じる楽観的なところを、フラー一家【夫一家】は持っています。いいところでもあり、悪人に目をつけられればあっというまに利用されるような危ないところでもあります。「贈る言葉」そのままです。♪人を信じて、傷つくほうがいい~♪ロジャーみたいな、最初から悪人オーラをはっしている胡散臭い男から、小切手を受け取った夫とダディーに、ほんとにイライラしました。つづく。。。いつもありがとうございます。面白かったら↓ ↓ ↓ をクリックしてください。私のブログにランキングポイントがカウントされます。人気blogランキングへ
2006年03月20日
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名無しバトンが、すずめ百まで踊り忘れず!のかあさんからまわってきました~。今日は特別大サービスで、夫の分もバトンしたいと思います。1.自分を色で例えると?私:オレンジ。かあさんのイメージどおりで、昔は青が好きでした。でも、カリフォルニアに来てからは気質が変わったようで、道行く人々に歯を見せて、「ニィ!」と笑って「ハ~イ!」といえるようになりました。日本で日本人にですれ違いざまに「ニィ!」と笑うと、みんな目をそらしますね。夫:パステルカラーの水色。目が青いこともある。そして、髪の毛も肌も、全体的に薄い色をしているからどうしても、パステルカラーのイメージがあります。性格もパステルカラーのように穏やかです。2.自分を動物に例えると?私:ライオン。多分、自分の子供にはものすごく厳しくなるような気がする。まだ子供は生まれていないけれど、「自分が死んだとしても、子供が立派に生きていけるように育てよう。」そんな思いを持っているから。夫:室内犬。健やかに育ったゴールデンレトリーバー。体は大きいけれど、この人はとにかく、苦労をしていない坊ちゃんですね。サンタバーバラを離れて暮らすつもりもないし、両親と同居でこの家が一番居心地がいいみたいだし。。。苦労知らずで、何不自由なく与えられ、育てられたので、ひねくれたところは一つもなく、素直でやさしい、ひねくれた私にはぴったりの主人だと思います。3.自分を好きなキャラに例えると?私:アメリカで、チャーリーズ・エンジェルズが放映されたときに、その映画を見た多くのアメリカ人たちに「ルーシー・ルーみたいだね!」といわれました。アジア人の顔は全部同じに見えるらしいです。夫:日本のドラマとか、漫画をしりませんので、キャラだけを言いますと。。。すごいわがままで、ビッチーな彼女の言いなりになりそんなひどい彼女なのに別れられない弱いタイプ。精神的にもかなりもろく、逆境に突き当たるとすぐに崩れそうになるが、「がんばろうよ!私もできるだけのことするから、な!?」と、励ましの言葉を言ったりするだけですぐに元気になる単純な奴。4.自分を食べ物に例えると?私:寿司。アメリカにいる日本人として、これしかないですね。夫:さしみ。アメリカ人のくせに、まるで日本人になろうとしているかのように、生の魚に目がないから。さしみにたとえられたら、彼も本望だろうと思う。バトンを回します5人の方と、私が彼らからイメージする色を発表します!ネットお見合いの真莉さん女性らしく、礼儀正しく、日本女性としてのアイデンティティーをしっかりともっていらっしゃる真莉さんは、パステルピンクでしょうか。まるさんまるさんは、赤でしょうか。「女性として。。。」という自分なりの考えをしっかりとお持ちで、とても強い方だと私は見受けております。ひねもす母さんひねもすさんはこう、さばさば~っとした感じがありますよね。どちらかというと、「男っぽさ」を匂わせる人、それでもって母の強さも持ち合わせている。黄緑色をイメージしました。shimaさんshimaさんは青色かな。外国社会でもまれながら、自立してがんばっていらっしゃるshimaさんに、私はどことなく中性的なイメージを持っています。munchさんmunchさんはフジ色。愛するご主人が天国に旅立たれ新しい人生に向かって前進しておられるmunchさんに、心からの敬意とエールを送りたいと思います。そして、人生とか運命とか愛する人のこと。。。いろんなことを考えるチャンスをくださったあなたに、私は感謝の気持ちでいっぱいです。これからも応援しています。興味とお時間のある方、どうぞよろしく!
2006年02月09日
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犬が欲しいけど、今は飼えません。日本の実家に、ビーグルとドーベルマンミックスのサクラと姉夫婦の自宅に、ビーグルのまーちゃんがおります。彼らは私の、日本帰国の最大の楽しみでもあります。先日、「犬欲しい!」と熱望する事件がまた起こりました。ご近所の犬なのですが、以前にうちの広大な庭を走り回っている二匹の犬がいました。ゴールデンと、テリア系の茶色の犬が庭をさまよっていました。うちの猫たちが家にあわてて入ってきて、おびえていました。犬を捕まえて、首輪を見ると、名前が書いてありました。ゴールデンの名前は、アリー。テリア系はデイジーでした。二匹とも、ニコニコと笑いながら、私たち家族に近寄りとてもフレンドリーだったのです。タグに書かれた電話番号に電話をかけ、犬が来ていることを飼い主に伝えました。しばらくすると、二匹はどこかへ行ってしまいました。デイジーはちょっとバカそうでしたが、アリーのほうはものすごく賢く常にデイジーのことを心配しながら、どこかへ迷子にならないように気遣っているようでした。犬が欲しいなぁ、と思いました。あれから半年。。。先日、台所で洗い物をしていると、アリーとデイジーが笑いながら玄関に向かって走ってくるのが窓から見えました。本当に、ニコニコと笑っていました。そして、私が玄関に走っていくと彼らは私にとびついて、挨拶をしてくれました。マムが飼い主に再び電話をしましたが、迎えに来ることが出来ないといわれ夫と私が歩いて二匹を送り届けました。届けた先の奥さんがお礼を言ってくださいました。その日、16歳の息子の友達が、自転車にのって帰るときに門をあけたままにして犬が出て行ってしまったとおっしゃっていました。もし、このわんちゃんたちの世話ができなくなったら、私がしてあげますから。子供も身寄りもない老夫婦とかが育てているわんこ達だったら絶対に言おうと思っていましたが、そうではなかったので言いませんでした。次に二匹が脱走したときにも、絶対にうちに挨拶しにくるに違いない。私はそう確信しています。
2005年10月27日
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おばあちゃんのケアーノートを付けている。5月17日から毎日欠かさず。3冊目も半分を過ぎたところだ。坐薬を入れた時間から、痛みの状況、吸引、体位の交換、排尿、排便まで明確につけているこのノートを、従姉が見たいと言ってきた。そこには記入されていなかった、週一回ある医師の往診。アンペック坐薬(モルヒネ:麻薬)を処方されたときに、往診があったのかどうかを聞いてきた。7月7日に処方されたのなら。。。あの日は医師はこなかったな。。。はっきりしない記憶の中で答えた。医師はこなかったと。そして、アンペックを、私は自転車で病院まで取りに行った。激痛に苦しむ祖母に処方するために。従姉は勝ち誇ったように話し出した。モルヒネ坐薬が処方される前に、往診がないのならばそれは麻薬を処方するにあたり、法に触れているのだそうだ。だから、それがどうしたのか?その事実をもって出るところに出ようと思っているのか?と聞いた。そうではないという。では、そんな杜撰な病院に、祖母を託した母を責めているのか?と聞いたらそれも違うという。彼女は杜撰な病院であるという認識を、自分自身のなかでしておきたかったのだそうだ。よくわからん。でも、とても不愉快だ。どうしても、かき回したいらしい。祖母のケアーをする私たち母娘を。訪問看護センターの室長、Sさんに聞いてみた。何も心配するようなことはないし、法に触れることも何もないしもしよければ理事長さんからお話をさせていただきますから。といってくれた。7月7日に処方されたのであれば、往診はなかった。でも、後からノートを見ると、処方された日はどうやら7月6日だということが判明。なぜなら、7月6日のページを見ると、午後12時の欄にかいてあった。「排便確認後、アンペック(モルヒネ)(坐)使用予定。」ということは、この地点でアンペックはあったということだ。病院に自転車でとりに行ったのは、この日だ。ただ、この日、麻薬をとりに行く前に、往診があったのかどうかは定かではない。もし、往診がなかったとしても、法に触れていない処方をしたという説明を明日Sさんから聞いてみようと思っている。
2005年07月31日
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土曜日なぜか8人分の食事を作ったのは、私。その買い物に行ったのは母。祖母はますます弱り、失禁の回数も増え、下痢状の排便後のオムツかえがおしっこよりも大変なのですが、その回数も増えてきました。祖母のケアーをしながら、なんで8人分もの夕食を私がやってるのか?自分でもあほらしくなってきていました。=========================土曜日、伯父、伯母、従姉とその娘がおばあちゃんに会いに来るといいました。夕食に関しては、計画はなにもなく、それでも彼らが夕食時にかぶってやってくることは分かっていました。だから夕方ごろ、夕食をどうするのか聞くために私から従姉に電話しました。ナデシコ:「あ、もしもし?お姉ちゃん(従姉)?今晩の食事はどうするつもりしてるの?」従姉:「うん。おとうちゃん(伯父)がマンション(祖母が住んでいたマンション)に夕方には来るっていうてるねんけど。昨日もそっちでみんなお邪魔したし、今日もってなったら大変やろ?」ナデシコ:「いや、別に大変でもないけど。カレーとサラダでもしようと思ってたから。まぁ、夕食は別にしてもいいけどなぁ。今日は別々で食べよか。」(うん。そうやな。別にしようか。って言えよ。。。と思っている私。)従姉:「昨日の今日やしなぁ。そっちも大変やろ?」(うん。そうしようか。って言えよ。もう!)ナデシコ:「いや、大変ではないけど、カレーやから。こっちで食事するんやったら、早めに来て手伝ってくれればぱぱぱっとできるやん。しよか?」(大変やろ?ってそれだけかい?こっちで用意せいって言うてるんやな。まぁええわ。カレーやから食べさしたる。)従姉:「ほんまに?悪いなぁ。。。まぁ、夕方には行くようにするわ。」======================5時には来るのかと思っていました。6時過ぎても電話もありませんでした。仕方がないから、母に買い物に行ってもらい、その間に祖母は失禁。オムツ換え。母帰宅後、私は一人で夕食の支度。7時になっても電話はなし。夕食ができあがって、ようやく来ました。食事を作っている私に、ねぎらいの言葉をいただきました。ありがとう。伯父は創○学会の幹部。食事を出してもらって当然とでも思っているのか?老人のケアーをしている家に見舞いに来て、食事をして帰ることを当たり前と思っている来て手伝いのならまだしも、食事ができたころにやってきて食べて帰る。常識からはずれなことをする人たち。そんなナメた土曜日。夫がアメリカに帰る前に、お別れパーティーやら、七夕パーティーをしたいという伯母。そんなこと、無理。できるわけがない。という母に向かって「意地悪だ」と伯母は言う。というか、私に聞いてみてください。ハリセンで頭をなぐってあげますから。母は、私の口から言ってくれれば伯母は納得するだろうからと言いました。次にそのようなことを言ったら、ハリセンを右手にはっきり言うつもりをしています。今日も大量の水状下痢便を失禁し、防水用シーツの上までウンチだらけになった祖母。最後まで祖母の尊厳を守るため、私は一時たりともウンチで汚れたオムツを祖母に付けっぱなしすることは許さないつもりなのです。どんな少しのおしっこだって、オムツについていれば祖母の体力に無理がないように取り替える。だからこれからのケアーはますます大変になってくるのだろうと思います。来週、週末もみんなで食事をしようという伯母に、はっきりと言うつもりです。「私と母は無理だから、そちらで準備を全部してくれるのであれば。」食事をしたお金だって、祖母のお金を使えばいいと思っているのかビールのひとつも持ってこない。ざるのように飲むくせに。ほんとにナメた奴らです。来た当初、母が伯母たちを遠ざけたくて、私は彼らを介護に含めてあげようと努力しましたが来ても介護なんてしないのですから。。もう来てほしくありません。祖母だって、「今日、伯母ちゃんがくるよ。」というと「なんで、くるの?」と怒った顔をして言いましたから。ナメた土曜日が二度と起こらないように、毅然とした態度でがんばります。疲れていると、思考能力が落ちるので、これから昼寝をします。
2005年06月27日
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夕食時、サラがドライフードをねだる。ウエットフードを食べたがらないサラのためにいろんなフレーバーを購入して、一つずつ試している。チキン&グレービー ブブ~バーベキュービーフ ブブ~ターキー&レバー ブブ~そして今日、サイエンスダイエット シーフードを開けた。缶をあけているナデシコの足元で、ニャァ~と鳴いてスリスリ。。。サラの食事場所にボールを置いた。「うん。おいしいよ。これなら食べられるよ。」サラはむしゃむしゃと食べていた。サラは肉よりも、魚が好みだった。
2005年05月09日
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