2005年4月のカルテ



  プロジェクトX 富士山レーダー 巨大台風から日本を守れ

 始めに断っておきますが、これは、コミック版です。コンビニで廉価版で売られている(1冊380円)ので、お勧め。
 昭和33年、34年、立て続けに日本を襲った台風。狩野川台風と伊勢湾台風。この2つの台風による死者、行方不明者は、6367名にものぼり、気象庁始まって以来の最大の災害となった。
 当時のレーダーの最大探知距離は300km。遙か南方洋上にある台風など捉え得なかった。結果、大型台風の度に大きな被害が出ていた。
 白羽の矢が立てられたのは、日本一高い富士山である。しかし、考えるのは簡単、実行に移すのは超難関の計画だった。
 昭和36年。予算は2億円。計画は国会でも通らないまま。誰も、富士山の頂上にレーダーを据えるなんて、考えられなかったのだ。
予算の無いまま、計画書は進み、ようやく国会で予算が認められたのは昭和37年。しかし、予算だけではどうにもならない。相手は日本一の山。寒さ、強風、高山病、希薄な空気、重い資材、手作業ではびくともしない永久凍土。次々と難題が降りかかったが、「心」で仲間を繋ぎ止め、現場では来る日も来る日も作業がなされる。「俺たちは子孫に誇れる仕事をしているのだ」と。
 地上でもまた、緻密な計算の元、レーダードームが設計、建設されていた。しかし、レーダードームの重さは620kg。希薄な空気の富士山頂まではヘリコプターの能力が450kg限界。とんでもない重量オーバーなのに、それを引き受けやってのけた男がいた。奇しくも8月15日。戦争の特攻隊で散っていった仲間達に祈りを込め、果敢に挑戦したのだ。
 そして、見事成功した。
常に自分の前にはチャンスがある。しかし、「既成事実」だけを見ていたのではそれ以上の前進は無い。
チャンスがある限り諦めるな。この番組はいつもこの言葉を教えてくれる。原作もまた、然り。
                      4月18日書く


  三色ボールペンで読む日本語 斉藤孝 角川文庫

 主題は赤で。副題は青で。興味のある部分や面白いと思った部分は緑で。それぞれボールペンで線を引いたり、囲ったりする。「声に出して読む日本語」で、一躍注目を浴びた、明大教授、斉藤孝先生の近著。
 こんなんで本が読めるのかしら?と、思ったけれど、読み終わった今は、何故か3色ボールペンが手元に欲しい。
 まぁ、小説には要らないかも知れないけれど、評論や書評、論文などを読むときには絶好の道具だとやってみて解った。
 読解力は即ち文章力になる。読んだ事の無い表現は決して書くことは出来ないが、読んだ事のある文章なら必ず書くことが出来る。それをしっかりと線を引くという単純な作業なのだが間違いなく身体を使って読んでいる事に拠って、強力に脳にインプットされるようだ。
 今日は主人の付き添いで病院に行き、待ち時間を「文芸春秋」を読んで過ごしたが、この3色ボールペン読法が役に立ったのは言うまでもない。
 文章を理解する為のまさしく、素晴らしいテクニックである。
                      4月18日書く


  墜落遺体 飯塚訓著 講談社+α文庫
 御巣鷹山に日航機が墜落して20年だ。国民的歌手の坂本九ちゃんが亡くなったのが、この事故だった。
 生存者が4名居た事がこの事故の中に一条の光となった。が、関係者の願いも空しく、その外に生存者は居らず、その代わり、想像を絶するような悲惨なご遺体と対峙することになったのが、著者の率いる身元確認班だった。
 読んでいて目を背けたくなるような記述がたくさん出てくる。真夏の事故であったから、ご遺体は日一日と損傷が激しくなり、蛆虫の格好の餌と化す、さながら生き地獄を見ているようだったという。
 半ば炭化していたり、四肢がもぎれたり、激しい衝突の衝撃で、シートベルトをしていた腹部で身体がちぎれ、上半身と下半身が別々になって散乱していたり、酷いものは、前の座席の人の頭部に、後ろ座席の人の頭部がめり込んでしまっていた例も1つや2つではなかったそうだ。
 奇しくもこの本を手に取った日に、尼崎での列車事故が起こった。死者が107人という大惨事。
 絶対という安全は無い。改めて私たちは誓おう。繰り返すまじと。
                  4月29日書く


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