森山 直太朗

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森山 直太朗




すきなアーティストのCDを整理していてふと気付いたのですが。
よくよくギター(アコ)をひきながらうたうひとがすきなのだナァ、と。

そのなかから…

 直太朗氏。

何度も聞いてゆくうち、歌うさまを見るうち、彼は「つう」みたいだと思ったのでした。

はたを織る為に自分のからだから羽をぬく鶴、つう。

身を窶し、うまれた美しい織物。


彼の詩にはときどき「滅」への憧憬のような言葉があらわれます。

歌声は内からしぼりだされるように、せつなくて、儚くて、でも強く。


あるフライヤーで彼に対して「純粋」ということばがつかわれていましたが、

少しちがうような気がしました。

多くの人がそうであるように、傍目にみえるほど、彼はシンプルではなく、

いろいろなものを内包している。

残酷さとか狡猾さとか諦観とか弱さとか

そしてそれらを肯定する心と否定する心。

その、内部にわだかまったもの・絡み合ったものが、歌として昇華する。


「レスター」という曲のなかに、


 なぜ 僕は生まれてきたの


 煌めきの中
 僕はもう一人の自分を殺した


というフレーズがあります。

また他の楽曲にも滅ヘ向かう言葉が時折顔を覗かせます。

それでも、聞いていて鬱にならないのは、

(勿論声質・歌のうまさ・やわらかみ等はあるでしょうが)

希望 望み 光 そして滑稽さもまた、歌われているからでしょうか。 



 絶望の果てに射し入る 一縷の光   (風唄)


 ギター片手に気張って頼りない声を張り上げて
 何となく僕はここにいる
 飾らない裸のまんまで 華のないちんけな生き様を 唄ってる
 そんな風にあれたらいいなと思う  (ポロシャツ)  



悲愴というのは滑稽さと表裏一体であると思っていますが、

まさに彼の歌(詩)にはそんな観念がベースとなっていると感じるのです。



ce'st la vie
それが人生



とても好きなフレーズですが、これは「諦め」でなく、

在るものを在ると受けとめる潔さ、覚悟のようなもの、

そしてそこからの新たな「はじまり」が表わされていると思っているのですが、

直太朗氏の歌の世界は、このひとことに尽きるのではないかと。



はじめるのに、遅すぎるということはない。


だから、前を向いてゆこうと思う。



とても陳腐な表現で恥かしいのですが、

彼の歌を聞くたびに私は心が洗われるような気持ちになるのです。

萎れた心がゆっくりと首をもたげはじめる。


 まだやれる。


そう思えてくるのです。


しかし、不思議なひとではあります、直太朗氏。

言動がね。

歌にしても外面的にもすき・きらいははっきり別れそうです。

「永遠はオルゴールの中に」(DVD)ではなんだか渡部篤郎にみえて仕方がなかったです。

嫌な奴って風評もチラホラと。

なるほどなと思えたり思えなかったり。

見合いの相手じゃあるまいに、

よい歌をきかせてくれればよし。


詩にはおのずと思考・思想・人間性が滲み出てくるでしょうし。


この先の彼の行方がどうなるのかわかりませんが 

今のところはもう、ただ素晴らしいとしか。

身…魂を削ぎ取るようにして作られた詩と歌。

このひとが存在してくれたことに、ただ感謝です。


PICK UP

◆アルバム「直太朗」(インディーズ)

 すきです。聴衆を意識していない透明で純朴なかんじがします。
 もうね、全曲 グ。

◆「永遠はオルゴールの中に」

 DVDとCDが組になっているのですが、このDVDがいいです。
 皇后両陛下も箱根御行幸でお泊りになられたという強羅環翠楼の中を、
 移動しながらその場所その場所で歌う。
 やっぱり直太朗氏、言動がヘンですが、歌とギターはしびれます。
 「レスター」「風唄」「時の行方」「いつかさらばさ」秀逸。


(2004 7/3 記)

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