-小麦粉記-

-小麦粉記-

章のに



 学校に行き教室に入ると、真夏の蒸した空気にチョークと人の匂いが混じった教室特有の空気が寝不足の僕を出迎えた。やけに目ざといクラスの連中はすぐに僕の顔色の悪さに気がついた。
「どうした九堂!?酷い顔だぜおい。変なキノコでも食ったのか?気分のよくなるキノコだったら俺にも分けてくれ!」
 どうしてそういう発想が出てくるのかは、イマイチわからない。
「寝不足だ。気持ちのよくなるキノコだったら知り合いが栽培してるぞ」と適当にまぜっかえす。
「センセー!九堂君がなんか死にそうな顔してるー!キャハハハ!まぢうけるー!」
「なんで人が死にそうな顔してるとうけるんだよ!」
 派手な格好をした女の子の声が頭の中にキンキンと響いてくる。
 僕自身では、この教室ではめだったことをした覚えがない。それなのに、このクラスの連中ときたらだれかれ構わず声をかけて、干渉して、みんなで盛り上げることが大好きらしい。
 学校についたのが遅刻ぎりぎりの時間だったので、すでに教卓には担任が立っていた。
「おいおい九堂、どうした?恋の悩みか?それじゃあ先生に言ってみろ。たちどころに解決してやる!」
 …絶対あんたに恋の相談なんかしたくねえよ。ただ恋の悩み、といえば恋の悩み?なのかもしれない。のかな?アレは、恋か?欲情?
「いえ、門屋先生に恋の悩みを相談するような愚挙に走らない程度には、まだ僕は大丈夫です」
教室がどっと笑った。そして先生は大げさに傷つくジェスチャーをした。
「九堂~、そりゃないぜ。・・・とまぁおふざけはこの位にして、ほんとにどうした?顔色悪いぞ?」
ひとしきり愉快な雰囲気の後、真顔に戻った先生が僕の顔を覗き込んできた。
「・・・ただの寝不足です。コーヒーのみ過ぎちゃったみたいで」
 誤魔化す。門屋の目が、まっすぐ俺を射抜いていた。嘘ばればれだけど、寝不足なのは本当だし。
「…まぁお前がそういうのなら構わんが。辛くなったら言えよ?あと学校サボんな。昨日はどうせバスケットでもしてたんだろ?」そういって僕の耳元に顔を近づけて「成績は悪くないから進級の心配は無いが、出席は計算してから休めよ?会長がうるさいんだから」と囁いた。
 あ、計算してならいいんだ。でもめんどくさいよな、出席の計算なんて。
「門屋先生、聞こえてます。えーえー、どうせ私は口うるさいクラス会長ですよ」
 耳がいいから聞こえていたのか、「口うるさい」に反応してくるクラス会長 柴崎 涼子。最近あまり口をきいてくれないからちょっと仕返し。
「涼子は口うるささと能力がつり合ってるからいいんだよ。無能でうるさいクラス会長はただの害悪だけど、有能でうるさいクラス会長はいいんじゃない?ただもうちょっと優しくなってくれれば最高なんだけど。涼子は昔から可愛いんだから」
 なんて、普段なら絶対に言わないようなセリフをはいてみる。気分転換だ。案の定涼子は青色リトマス試験紙を硫酸につけたときの様に、瞬時に顔を赤くさせて怯んだ。
「なっ!ちょ、先生!セクハラ!セクハラよ!」
「うむ、先生も同感だ。」
 重々しくうなずく門屋。
「でしょ!朝っぱらからそんなこと…」
 涼子が「ほらみなさい」といわんばかりに、俺のほうへない胸を張った。
「柴崎、今度の仕事は「可愛げのある女の子になること」だ。期日は夏が終わるまで。いいな」
「キィー!同感、ってそっちですかぁ!先生まで!」
 またもやクラスが爆笑の渦になり、そんなやり取りをしているうちにちょっと元気が出てきた。まだ酷い顔だろうけど。
「きりーつ!れーい!」
一日の開始を告げる日直の挨拶で僕は急に眠たくなり、昨日寝てなかった分、素直に机に突っ伏すことにした。

 起きたのは四時限目の最後の方だ。むくっと体を起こした僕を、英語の教師が「よし九堂、お前だ。」と指名したところで授業終了のチャイムに救われた。寝ている生徒をピンポイントで指名。そして「じゃあそこの英文読んで」といわれて困っている姿を見るのが俺の教師人生の最高の生き甲斐だ!というかそれがなければ教師なぞとっくに辞めとるわ!と豪語する英語教師は、タイミングよく僕を救ったチャイム、天井のスピーカーを憎らしそうに睨んだ後、「命びろいしたな」と苦笑して出て行った。
 助かったよ。ありがとう、チャイム。感謝の念をこめて、僕はスピーカーを見上げた。
 姉貴が作ってくれたお弁当を広げて食べている最中、蒼太がパンを持って「よう、調子はどおよ」と隣の空いている席に座る。ラムネサンドだった。・・・・こいつは罰ゲームでやらされてるのか?
 僕の視線に気がついたのか、蒼太は手に持っていたラムネサンドを開けた。「ラムネサンド。美味いんだぜ、これ。なんだか罰ゲーム用に購買で売ってるみたいだけど、俺は好きなんだよ。みんな食べたら三分以内に吐くんだよな。もったいない」
「そりゃそうだよ。僕だったらそんな歯磨き粉を飲み込んだときの不快感を二乗したようなパンなんか絶対食べたくないね。絶対」
「ふっ。俺は他人が「美味い」と思えないものを「美味い」と思える、すなわち他人より多くのシアワセを得られる人間だって言うことだ」
「はいそうですねー。よかったねー。ぼくはそんなぱんたべてしあわせかんじてもあんまりしあわせじゃないからべつにいいよー」
 派手に棒読み。少々傷ついたのか蒼太は黙ってラムネパンを食べ始めた。よく吐かないな、蒼太。だって、パンにペースト状のラムネだぞ?しかもそのラムネがただのラムネじゃなくて激まずラムネだ。味覚に対する挑戦状を叩きつけてるパンとしか言いようがないのに。
 そんな感じで僕は自分のお弁当を食べ終わり、ぼけっと晴天の空を見ていた。蒼太は彼女のところにふらふらと話に行く。羨ましいね、彼女持ちは。
 寝不足の原因。
 もちろん昨日の出来事。それ以外ありえない。
 僕は二年間自信として持っていたモノを、一瞬にして、しかも女の子に粉砕されたんだ。
 確かに最近は、多少その自信について考えたり、成長していない自分に苛立ったりしていたけれど、それでも人並み以上だとは思っていた。それをあんな綺麗なダンクシュートを見せつけられ、僕のプライドというか心はいとも簡単に砕け散った。
 頭からあの女の子のダンクシュートがはなれず、とても眠る気になれなくてベッドの上で何回寝返りをうったかわからない。
 センチな夢を見た気もするけど、あんまりよくはぼえていない。

 蒼太は僕に「九堂はバスケが恋人」といった。けどそれは違う。僕はバスケの「高さ」に恋していたんだ。
 高さで他を圧倒し、高さでゴールを決める。バスケットボールという競技は、空中の格闘戦。
 僕の身長は平均から見ると高めだけど、178センチはあの頃のバスケ連中の中ではとりわけ高いわけじゃない。180センチの野郎がざらにいたし。体つきはそれなりによかったけど、めちゃめちゃいいってわけでもない。だいたいの奴ならタックルして弾き飛ばせるけどさ。
 それでもって、パスだめドリブルだめ切り込みだめ3Pだめ。正直、上手なプレーヤーじゃあなかった。
 だから僕は、「高さ」で勝負してきた。僕よりデカイ奴らよりも、もっと高く飛んだ。そして勝負してきた。背の高い奴との差を、脚力で補い、越えた。常に誰よりも高くとんで、リバウンドを制し、ブロックのさらにその上からシュートをはなった。周りにどれだけ敵がいても、空中はノーマークなんだ。フェイクもターンも必要ない。飛んでいる間は、誰にも邪魔されない。そしていつしか、ジャンプでは陽輔、という「個性」を獲得したんだ。3Pなら周平。フェイクなら一樹。ドリブルは菱沼。ミドルは蒼太。そしてジャンプは陽輔。っていう感じに。
 そして二年前から最終目標として目指していたもの、それがダンクシュート。成功率は限りなく100%に近い、究極のシュート。そして、バスケットの高さの象徴。
 しかしいくら成功率が100%近いとはいえ、そもそもダンクが出来なければ意味が無い。1か、0かなんだ。
 ダンクシュートを決めようと思い立ったあの頃から二年経っている今、バスケをやるメンバーがいなくなってからも僕はバスケを続けた。だけど、二年経ってもダンクには届かない。何かが足りない。でもそれが何かわからないんだ。
 きっとあの女の子はその何かを手に入れ、あるいは理解してダンクシュートを決めたんだと思ってる。
 きっとスポーツって、そういう世界。フィジカルなトレーニングは大事だけど、ある程度からはメンタルな部分がモノをいうんだと思う。根性とか、気合とか。もしかしたらもっと他のもの、僕が身に付けていないものなんだろう。
 あの女の子の姿は、僕にとっての理想の「高さ」のすがたで、僕はあの女の子に、欲情した。前に付き合った女の子にいだいていた、つかみどころのない恋心というよりも、もっと苛烈で、相手を手に入れたいような。セックスをしたいというよりかけらも残さず食べてしまいたい、僕のものにしてしまいたい。そんな、乱暴な感情。…先生に相談したところで解決するとは思えない。「そりゃ一目惚れだ。みんな!九堂が一目ぼれしたらしいぞ!」とはやし立てるに違いないし。ダンクを決めた女の子に欲情した、なんて口が裂けてもいえやしない。言ったら最期、愉快なクラス連中の冷やかし地獄だ。

 昨日の女の子。「また来る」とは言ってたけれど、いつ会えるんだろう。
 意地悪そうな笑顔が、頭の中にひょっこり出てきた。いつ出会うんだろうなんてこれじゃ僕が一目ぼれしたみたいじゃないか。それはそれで厄介だぞ。
 ふと、昔付き合った女の子が頭をよぎって、頭をふって忘れることにした。

 「九堂くん」という僕の名前が耳に飛び込んできた。知らない声だ。
 誰だろ、別のクラスはおろか、自分のクラスだって親しく付き合ってる人は、ほとんどいないのに俺の名前を呼ぶ女の子なんて。
「九堂?あそこでぼけっとしてる奴よ。なんで風音が九堂に用があるわけ?」
 …この声は、涼子。
「ちょっとね、昨日会ったから…」
 昨日、会った?かざねって、誰だよ?と思って体を後ろに向ける。でかい胸が、まず目に付いた。
「あ、やっぱり…」と、女の子がにかっとわらう。
 そんなベタな。
 「よかった。九堂君であってたんだ。人違いだったらどうしようかと思ったよ。ススキの下公園でバスケしてた九堂君、でしょ?」
 腰に手を当てて、微妙に不機嫌そうな涼子の隣にいたのは、きのう俺の自身を粉々にしやがった、あのダンク女だったっていうわけだ。
 同じ学校。しかも同学年。安っぽいマンガかよ、と、どうでもいいつっこみがよぎる。
 その女の子をじぃっと見つめたまま、十秒くらい時間が過ぎる。頭に浮かぶのは「かわいいな」「むねがでかいな」「足が長いね」「あの足でダンクしたのか」等々、取りとめのないことばかり。
 お互い黙ったままよ。涼子がむちゃくちゃ怪訝な顔をしているのね。僕だって、困ってるんだけど。
 クラスにもなんだか変な空気が広がり始めたとき、ようやく女のこの方が口を開いてくれた。
「やっぱり。怒ってる?・・・えと、ごめんなさいね。なんか昨日は調子に乗ったことして」
 イマイチ状況がつかめない。いきなり謝られて、行ったいどうしたらいいっていうんだ?っていうかあまりに昨日のイメージが強すぎて、夢を見てるんじゃないよね。そこまで会いたいと思っていたなんて、ははぁ、自分の心理にはなかなか気がつかないね。思いっきりほっぺたをつねる。あんまり痛くなかったから目に指を突っ込んでみると激痛だった。夢じゃない。指を目に突っ込むという奇行にはしった僕を、涼子があきれた目で見ていた。
 そんな僕を見ていたのかいないのかわからないけど、女の子はぴしっと姿勢を正して、すっと頭を下げた。
「やっぱり怒ってるよね・・・・。ホントに昨日のことは謝るから。ごめんなさい」
「昨日のことって・・・・ダンクのことか?」
「そう」
 いつ会えるんだろうか、などと思っていた女の子に会えたんだ。しかも夢じゃない。僕が女の子に惚れていたかどうかは別としても、それはきっと嬉しいことだった。
 それなのに、「ごめんなさい」の一言に僕の心が、ザワッと波打った。
「いっつも練習してるとこ見てて、さ。昨日も九堂君がコートにいて。毎日ダンクシュートに挑戦してるのに、やっぱり失敗してて…見せつけちゃうようにして、ダンクしてしちゃった。気を悪くしたなら、ごめん。悪気はなかったの。ただ、ダンクを見たらコツとかわかるかなとかおもって…」
 なんか、むかついたのね。そん時。胸の中で、細かい棘の詰まった袋がが爆発するような、原因不明のジャリジャリしたなんかが胸の中にいっぱい広がる。このままだと手頃な物をぶっ壊してしまいそうだった。
 くるりと机に向き直りかばんをもって、背中の向こうに一言。
「帰る」
 後ろから涼子が「ちょ、ちょっと九堂!?待ちなさいよ!」と追いかけてきたけど、教室のドアをバン!と力任せに閉めた。「きゃっ!」っと涼子の悲鳴が聞こえて、舌打ちする。別に涼子にまで八つ当たりすることはなかった。胸に後悔?のようなわだかまりが出来たけど、またドアを開けるのは格好悪すぎる。幸い、それ以上追ってこない。僕は学校を出ることにした。

 っていうかさ、なにやってんだよ、僕。

 いらいらして仕様が無い。完全に頭に血が昇ってる。何にイラついてるのかわからないが、とにかくイラついていた。こんなのいつもの僕じゃないねと思いながら、大またに歩いた。余所見をして歩いていた生徒とぶつかって転倒させたけど、無視して玄関に向かう。「おい!てめぇ人こけさせてシカトかよ!なめてんじゃねぇぞ!」とこけた奴が近づいてきたので一睨みすると、相手がマジになりやがった。ヤバ、ちょっと相手が悪かったかも。
「てめぇ、何様のつもりだコラ。人にぶつかってワビの一つもねぇのかよオイ!」
 そのまま黙って睨みつつけたら、なんっだかびびったみたいで「なめんじゃねぇぞ!」と叫んで殴りかかったきた。どうも自分の声に興奮したみたいね。僕の左頬に繰り出された右ストレートを、左手でいなしながら手首を掴み、右腕で相手のわきの下を支える。殴りかかってきた勢いをそのまんま使って、肩を使って投げ飛ばした。背中から落ちてうめいているそいつの腹を、イライラを乗せて蹴ろうとしたら生徒指導の猪瀬教諭が怒鳴りながらやってきたので、はしって学校をでた。自主早退。理由・頭の調子が悪いから。そんなもん。

 玄関をでてまっすぐススキの下公園に向かう。
カバンを投げ捨てワイシャツを脱ぎ時計を外し、コートに置きっぱなしのボールを思いっきり外周のフェンスにブン投げた。ガシャァン!とフェンスの音が響いて、その音がさらに僕の胸の中を掻き乱す。ちょっと頭に血が昇りすぎてるぜ。全く、いったい何に対して怒っているか、わからない。
「・・・・・頭を冷やさないといけない、な。」
 一人で呟いて、コートの真ん中、センターサークルにペタンと座り込んだ。昨日と相変わらずの日差しで、コンクリートが熱い。投げたボールが僕に向かって転がってきたから、手慰みにする。しばらく黙って、青い空と流れる雲とか腰をすえて堂々としている入道雲を見ていたら、頭が落ち着いてきた。すっかり革が擦り切れてしまったボールは、不思議と手に収まる。やわらかい革の繊維が毛羽立っていて、新品のときのツヤなんかは全く残っていない。けど、ゴム質のグリップ感とはちがう、手になじむフィット感。本皮じゃないとこの状態にはならないんだけどね。
 せみが、僕を馬鹿にするみたいに鳴いていた。
「ごめん、かよ。」
 僕が何故彼女にイラついたか。
 ダンクを見せびらかされたことへの苛立ち?
 違う。
 自信を砕かれたことへの恨み?
 違うね。
 まったく、ばかみたいだ。
 あのときの彼女の表情は、申し訳なさそうな感じが滲んでいた。ダンクを決めた後の、あの綺麗かつ意地の悪そうな笑顔とは似ても似つかない、僕が求めていた顔じゃなかった。
「なにがごめん、だ。僕にに言うべきことは、謝ることじゃない。」
 …自分で言ってて利己的だなぁとは思う。彼女が俺に何を言おうと、それは彼女の勝手だ。だけどそう思ってしまうからには仕方が無い。思ったことを打ち消せるほど、僕は器用な人間じゃないし。
 だけど僕は、彼女に何を求めていたんだ?どうしてほしかったんだ?何を言ってもらいたかった何をしてもらいたかった?
 というか僕はさっきから何を考えているんだろうね?

「おい九堂」
 背中に声を掛けられて、ケツが二十センチは浮いたと思う。驚き×20くらい。
 振り返ったら、門屋が仁王立ち。あちゃー、まずったわね。
「先生、何でこんな所に?」
 「自主早退」は、みつかるとまずいのは、十分承知。はは、みつかっちゃってやんの。
「なんでこんな所に、はこっちのセリフだ馬鹿者。お前五時限目保健だろ?出席ヤバイだろうが。まぁ今更もどれとは言わんが、話でも聞かせろ。今日は朝から様子がおかしいし、みんなの話からするとキレて教室飛び出したそうじゃないか。猪瀬先生がかんかんだったぞ。怪我はしなかったものの、ぶん投げるのはマズイとおもうが」
そういって角谷先生は、「うぉ、熱いな!」とかいって僕の隣に胡坐をかいた。
「柴崎もショック受けてたぞ。お前、あいつが追いかけたときドアをばっつり閉めたんだって?危うく指挟むところだったんだとよ」
 やられたね。門屋は「先生と生徒の会話」をご所望だ。涼子のことで僕に負い目を負わせて、逃がさないようにがっちりキープだ。さすが教師。
「涼子、怪我したんすか?」
 瞬間的に顔が上がった。胸がぞわっとざわついて、全身の毛穴が開く。
「いや、挟む所だった、だ。だけどビックリしたみたいで泣いてたそうだぞ。「九堂のばか」って言って。俺が見たときにはもう泣き止んでいたが、目は腫れてたな。」
 あとであやまんないと。涼子を泣かすのなんて、六年ぶりくらいだろうか。
「そしてだ、お前、高谷となんかあったのか?」
 高谷?誰だ・・・・涼子が「かざね」とか言ってたダンク女のことか。
「高谷っていうんですか、あの女の子。いや、何かあったといえば何かあったんですけど、なんつーか今回は全面的に僕の我侭です」
「お前の話は聞いていない。何があったか話せ、といったんだ」
 先生の声は、有無を言わせない響きがあった。くそ、ずるいなこの人は。軽そうに見えて、実際学校で一番怖い。僕は渋々昨日の出来事を話した。
「・・・・昨日、学校サボってここでバスケしてたんです」
「知ってる。で、何人」
「一人で」
「一人・・・・そりゃそうか。学校、サボってるもんな」
「サボってるもんな」をやけに強調して先生は言った。まぁ、サボりはよくないかんね。
「・・・サボってすいません。それで、いっつも一人でバスケやった後、最後にダンクシュートに挑戦してるんですけど、これが二年前から進歩がなくて、いっつも「高めのレイ・アップ」どまりなんですよね。昨日もそんな感じで。それで帰ろうとしたときにその、高野ですか?」
「高谷だ」
 名前を覚えるのは、昔から苦手なんだよな。
「・・・高谷が俺にダンクシュートを見せてくれたんです。そりゃあ綺麗なダンクでした。スピード、踏み込み、高さ、全部そろってた。俺って、自分の高さとかスピードに、自信持ってたんです。パスとかドリブルとか下手だけど、唯一「高さ」だったら他の連中とも勝負できると思ってたんです。なのに二年前から、中学卒業した後もずっと一人で練習してたのに全然ダンクには足りないんですよ。そんなところに目の前でダンク決められたんです。しかも女の子に。持ってた自信がばらっばらに壊れちゃいまして。それで今朝もあんな感じに」
「それでお前は高谷にムカついたんだな。まぁ、女の子にダンク決められたら、たいていの男子は自信無くすと思うぞ」
 違う。先生、あんたは僕のことをわかっちゃいない。
「別に俺は高谷がダンク決めたことには、ムカついてなんかいない。むしろダンクを決めた高谷を…いや、なんでもないです。僕がムカついてるのは、アイツが僕に謝ってきたから、だと思います。ごめん、って言われて、イラっときたんで」
 先生が一瞬顔をしかめて「謝ったから?」と呟いた。
「なんで謝られたらムカつくんだよ?お前、意味がわからんぞ?」
 それがわかったら、俺だって助かるんだけど。
「…わかりません。ただ謝られたことに無性に腹が立ったんです。今はもう頭冷えてるんで、またキレたりはしないと思いますけど」
「そうか…」と、それっきり僕も先生も黙ったままだった。
 何にも言わないで、ただ時間が過ぎてゆく。優しくもなく、気まずくもなく。ゆっくり、ゆっくり。
その沈黙を破ったのは、時計を見て時間を確認した先生だった。
「九堂、いつでもいいから、高谷とちゃんと話をしろ。お前の納得のいく答えは、そうでなければわからんだろうからな。あと柴崎に謝っとけ。最近お前らあんまり口きいてないじゃないか。今朝はともかく、何あったか知らんがちゃんと解決しておけよ。じゃあな。俺は授業があるから、学校にもどる。お前は家にもどってもういっかい頭冷やしてこい」
そういって先生は「明日ちゃんと学校に来いよー」と帰っていった。
 二年前からいつもの通り、今日もダンクは決められないまま、僕は家に帰る。

 夜、ベッドの上で涼子への謝罪の言葉を考えた。いろいろ。
 高谷についても一回よく考えてみたけど、やっぱり本人に会わないとわからないのだろう。僕が高谷にどうしてほしかったのか。というか高谷について何を考えないといけないのかもわかんなくなって、考えているうちに寝てたのね。

ベッドの上で考えるのって、よくないわ。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: