-小麦粉記-

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章のさん


 朝、教室に入って真っ先に涼子の席に向かった。
 女の子連中とおしゃべりしていた涼子は、すぐに僕に気がついた。
 緊張して口の中が、からからになる。
「あら、九堂。昨日はずいぶんご立腹だったようだけど?」って、やっぱり、怒ってる。僕と涼子の間の雰囲気を感じ取ったのか、女の子たちは後ろに下がり、成り行きを見守る体制に入った。やめてくれよ見るのは。よけい緊張しちまう。
 一度深呼吸をして、言葉をひねり出した。
「…涼子、昨日は、ごめん。ちょっと、キレちゃって普段の僕じゃないって言うか、えーと、ほら。なんつーか」
 あぁだめだ!きのう考えたはずなのにすっかり吹っ飛んじまった!涼子もあきれた顔をしている。
「えーとだから、いやもういい。悪かった!ごめん!」
しどろもどろになった上にこれ以上喋ると醜態を晒すので、勢いよく頭を下げることにした。
 ……。
 クラス中が沈黙して、この状況の動向を気にしているのがわかる。視線がざくざく刺さってる。冷や汗がでてきた。
 頭を下げること何十分にも思える沈黙の後、涼子が口を開いた。
「…いいわよ、別に。もし九堂がなんにも言ってこなかったら、それこそ絶交くらい考えたけど、あんたもいろいろあるんでしょ」
 涼子の許し、が出たみたいだ。心のそこからほっとした。涼子に完全に嫌われたら、結構、かなり精神的にまいる。その状況を避けられて、自然と顔がへにゃっ、とふやけた。
「あ、なんかその顔ムカつく。すぐ顔に出るんだから…。一応罰として、ちょっと言うこと聞いてもらうからね」もう言葉に棘はない。いつもの、僕の見知った柴崎涼子。
「あぁ、何でも言ってくれ。僕に出来ることだったら」なんにも罰が無くて許されるよりも、なにかあったほうが僕も納得できる。
 すっかり教室はいつもの状態にもどっていて、俺はかなり、気が楽になった
「あのさ。今週の休み、1on1に付き合ってもらうかな」
「え?」
「だから1on1。ススキの下公園でさ、バスケの1on1に付き合ってほしいの。いいでしょ」
 予想外の外くらいに予想外。涼子って、バスケ出来たんだっけ?
「別にいいけど、涼子、バスケ出来たっけ?」
「まぁ、ね。それなりに。あんまりシュートは打てないというか、そのかわりパスとドリブルが得意。…風音に教えてもらってたから」
風音、あのダンク女か。アイツにも話をつけなきゃならない。
「わかった。今週末だな。たぶん朝から公園にいるから、好きな時間に来いよ。いつでも相手する。…それと、高谷のクラスって、何組だ?」
「風音のクラスは五組だけど、学校で話すより公園で話したほうがいいと思う。って風音が言ってた」
「言ってた?」
「そう。だから今日の放課後にススキの下公園に来てくれってさ。風音から伝言。ほら、先生来たよ。席にもどんなさいな」
門屋先生は僕と涼子の関係の修復を確認して、満足そうに笑って出席をとりはじめた。クラスの連中は、特に男子が、何故か僕のほうを恨めしそうにみている。なんかしたか?
 とりあえず涼子とは何とかなったし、高谷との事も何とかなりそうだ。正直学校で会って何を話すか全然頭に浮かばなかったから、僕にとってありがたい提案。すこし、ほっとしていた。

 放課後。
 掃除の当番が当たってたけど、今日はスルー。今日は、って言ったらいつもやってるみたいに聞こえるけど。正確には今日も、スルー。ごめんね吉田君。いっつも一人で掃除させちゃって。
「ううん。俺、掃除好きだから。気にしないで。じゃあまた明日ね。ばいばい。」って言って手を振る吉田君。いい人。少し罪悪を感じながら、ススキの下公園に自転車を急がせる。
 今日もぎらぎらの陽気で、すぐに汗が噴き出してきた。通り道に設置されている電光掲示板に、34・3℃と表示されてるのが辛うじて読めた。ほとんど人間とおんなじ温度じゃないの。
 ススキの下公園についていつものコンクリートコートに入ったけど、まだ高谷は来てない。ちょっと早すぎた。自転車と荷物を置いて、とりあえずTシャツになる。
 放置されているいつものボールを手にとって、ちょっとドリブル。…二年前は股通しが三回しか出来ないのをよく馬鹿にされてたけど、今ではなんとか続けられるレベルに上がってきている。けれど下手なものは下手だ。正直僕の股下ドリブルは、格好悪い。必死な顔してボールついても、格好悪い、たぶん。
 もうTシャツは汗でじっとりしている。
 十分くらいいつもの一人バスケに興じて高谷を待っていたけれど、一向に来る気配なし。
 セミは耳をつんざく大合唱。誰か!誰か俺と交尾してくれ!子孫を残そうぜ!いや、お願いだから誰か俺とせぇえぇえぇえぇっくすぷりぃいぃいぃず!そんなセミたちの雄たけび声が聞こえてくる。
 ガン!と五本目のフリースローをリングにぶつけて外し、やる気を無くした。ゴロンと目を閉じてコートに寝転がる。やっぱり熱せられたコンクリートは熱くて、白い色に反射された熱気が、直接口から入ってきてむせそうになる。
 もうなんかどうしようもないくらい夏で、暑くて、セミで…ダンクシュート。

 ガジャン!

 音に目を開け、片手でリングからぶら下がっている高谷の姿が見えた。タンクトップに短パンの高谷が、その長身をぐリングからぶらさげていた。
眩しいくらい真っ白な高谷の二の腕と太ももに、僕の下半身のバカムスコが反応しはじめた。そして何より、リングという僕が超えられない高みに存在する彼女へ、純粋な欲情を感じる。僕もあの高さに飛びたい、飛びたい、飛ばせろ、と。
 起き上がって高谷と向かい合った僕の口からは、昨日の夜どれだけ考えても思いつかなかった言葉が、すらすらとこぼれ出た。
「僕に、跳び方を教えてくれよ。僕に何が足りないのか、僕はどうすべきなのか、僕はどう変わるべきか。昨日、君のダンクを見た瞬間に、僕は君に負けた、そうおもったんだ。それなのに謝られて、僕よりも上の人間に、僕が見上げる存在に誤られてしまったら、僕は立場が無いじゃないか」
 自分でも驚くほどに意識しないで言葉が口からこぼれていく。言い終わってからきっと吃驚した顔してたと思うな、僕の顔。
 一瞬ポケっとした高谷は、あの綺麗かつ意地の悪そうな笑顔を満面に浮かべて、
「わかった。教えてあげるよ、跳び方。あたしは、スパルタだからね」とそういって、持っていたボールを僕にパスした。
 強烈で、力強い、一寸のブレの無いパスをキャッチし、
 ぱん。
 僕の手から弾かれたボールはテン、テンとコートを転がる。
 キャッチ、し損ねた?こぼれた。嘘だろ?こんなに近くなのに、あんなにいいパスを、キャッチミス?
「ダンクシュートで一番大事なことって、なんだかわかる?」
 一瞬の間。
 両手を胸の辺りで構えたまま立ち尽くす僕と、学校での雰囲気とは全く違う、鋭利で容赦の無い視線になっている高谷。おもわず目を逸らしたくなって、僕は気合を総動員して高野を睨み返す。逸らしたら、負けだ。
「九堂君ってさ、あんまり人とおしゃべりしないでしょ。」
 …はぁ?確かにその通り。あまり喋るほうじゃない。だけどなんでそんなことが、いまここで出てくるんだ?あまりの拍子抜けの質問に、がっくりいきそうになっちゃうじゃないか。でも、視線の厳しさは、そのまま。
「涼子も苦労するわけよ。こんな人がねぇ。…九堂君には基礎からきっちり教えてあげる。その精神を直したげるわ」
 何を言ってるんだ、こいつは?精神?涼子が何で出てくる?精神?僕の脳が暑さでやられたのか、彼女の脳がやられたのか、はたまたその両方か?
「パスが出来ない人が、パスを受け取れない人が、ダンクをしようなんて大間違い。私のパスを取れないようじゃあ、いつになってもダンクなんて夢のまた夢。…詳しくはまた明日はなすから。放課後、明日は休みか。じゃあ五時に、ここでね」
 そういってくるりと背を向け、出口に向かって歩いていく。
「ちょ、お前…!」

「パスについて、考えてみて。それだけ。また明日。」
 それ以上声を掛けることを許さない響きに、僕は彼女の背中を見送るしか出来ない。
 …なんか、なにやってんだろ、僕?
 おとついみたいに、ぼけっと高谷のポニーテールが揺れるのを眺めてた。

 パスについて、考えてみて?
 何を考えればいいのか、その日の夜の僕には、さっぱり。
 パス。ぱす。パス。ぱす。パす。ぱス。PASS。…不毛だった。
 もう、いいや。思考することをパス。寝てしまえ。
 駄目だね、最近。いや、二年前から?

 うとうとしながら、「九堂君ってさ、あんまり人とおしゃべりしないでしょ。」っていう高谷の言葉がちらついた。
 実際、あんまり話はしない。涼子とたまに話し込むことがあるけど、それはきっと親戚っていう近い付き合いだったからで、高校に入ってからあまり親しく話す人はいなくなった、と思う。高校からだけじゃないな。二年前、中学のときだって、バスケの連中以外とはあんまり話してない。
 あぁ、中学のとき、そういやこんなことも言われたっけ。
「九堂と話すとどうも話が繋がりずらいっていうか、お前、冷たいんだよな、会話に。この間だってせっかく桜子ちゃんが一生懸命話しかけてんのに「あぁ。」とか「うん。」とかさぁ。そっけないじゃないの? 俺たちはお前のこと知ってるからいいけど、初対面でそれやると、印象悪いぜ?」
 この次の日に桜子っていう女の子に告白されたから、よく覚えている。
 一応、桜子という女の子とは付き合った。ただ僕と付き合い始めてからすぐに疲れたような顔し始めるようになって。
「陽輔君って、私のこと嫌いですか?」って泣きそうになって聞いてきた。「嫌いじゃないよ。」っていったら「じゃあなんでもうちょっと私の話を聞いてくれないんですか?陽輔君って、自分が話すときは私のほう向いてくれるけど、私が話してるときは、なんだか、聞いてくれてるのか聞いてくれてないのか、受け取ってもらえてるのか…わかんない。」って。
で、二ヶ月くらいで、別れたの。
「別れたいです」「…そうか」「それだけですか?」「僕は好きだけど、桜子が別れたいなら、別れよう」「…、…。」「…?」バシッ!
って感じでひっぱたかれて、終わり。結構トラウマになった。何が悪かったのか、今でもイマイチわからない。いや、わかってるのかもしれないけどさ。

 僕と話す人は、みんなそう思ってたのかな?
「聞いてくれてるのか聞いてくれてないのか、受け取ってもらえてるのか…・わかんない。」って。




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