とりかへばや物語 その9



 すっかり東宮様に嫌われてしまいました。無理もないわ。東宮様は、私たちの秘密に巻き込まれておしまいになっていたのだもの。だまされたとお思いになられても、仕方がない。
 ご出産があって、生まれた御子は……若君だったのだけれど……永泉のお兄さまが屋敷へ連れて行ったわ。四の姫に育てさせるのはちょっとむごいので、宇治からお連れした八の宮の姫君におあずけしたらしいわ。八の宮のお屋敷でご厄介になってるうちに、姉姫様とすっかり仲良しになったのですって。よかったわ。とてもいい方だもの、お兄さまのよい奥方様になられるわ。
 東宮様は、すっかり気落ちしてしまわれて、ご病気がちになられてしまったの。父院様が心配なされて、院の御所にお連れしてしまわれた。私もお供にと思ったのだけれど、東宮様のお召しはなかったわ。嫌われてしまったのね。大失敗だわ。お兄さまの代わりにはなれなかった。そりゃそうよね。お兄さまは、男として東宮様を愛していたのだもの。それは、私には無理よ。お兄さま、ごめんね。
 東宮の内侍というおつとめもなくなったので、お宿下がりを願い出たのだけれど、帝のお許しがなかったの。東宮御所がある以上、内侍としての公務はあるよと言われて。確かにそうなのだけれど、私、もう、疲れちゃった。辞めたかったのに。
 お許しいただけなかった理由は、すぐにわかったわ。

 昨夜、部屋で休んでいたら、誰かが忍んでくる気配がしたの。
 侍従の薫りがしたから、友雅さんがついに私を見つけだしたのかと思って、衣をかぶって向こう向いて、無視していたの。
 そっと抱き寄せられて、そめそめと何か言いかけられて、私、友雅さんだと思いこんでたから、何を言われても返事をしなかったの。でも、声が違う。誰だろうと思ったら……
 帝だったの。
 何日か前、お渡りがあって、私がお話ししたの。何だか、返事をしなくてはならないようなことばかりお尋ねになって、いつまでもおいでになる。もう、面倒で仕方なかったのだけど……。だって、男姿の時、一日中御前にいていろんなお話したのよ。もし、私がその人だってわかったら? いやだわ、考えたくもない。
「内侍の声をいつまでも聞いていたい。なつかしい、心のふるえるような声だね。」
 あのとき、確かにそうおっしゃったわ。気づいてはいらっしゃらないみたい。ひょっとして、あれは告白だったのかしら?
 どうしよう、私、友雅さんに愛想は尽きたけれど、嫌いになったわけではないのに。
 帝に愛されてしまったら、もう、戻れない……。

 王者の恋だわ。帝は、私に想いを遂げられると、夜が明けきらない前に清涼殿にお戻りになった。抵抗する? 逃げる? とんでもない。それって、謀反よ。
 後朝の文は、お兄さまが持っていらした。私、恥ずかしくて顔も上げられなかったわ。
「ほんとによかったのですか? 友雅殿は?」
 何もかもご存じのお兄さま。思わず、すがって泣いてしまった。私は間違いなく入内することになる。入内してしまったら、もう、友雅さんとは添えない。今更ながら、若君が生まれる前の楽しさや、宇治で二人で暮らしたときの甘やかさが心に満ちてきて、取り返しのつかない悔しさがこみ上げてくる。後悔は決してしなかったのに、私は今、後悔している。あのまま、宇治にいればよかったの? 宇治の橋姫の暮らしはつらかったけれど、今のこの苦しさと比べたら? 私が自分で決めたのに……。
 声を上げて泣きじゃくる私を、お兄さまはそっと背を抱いて慰めてくださった。お優しいお兄さま。私が入内すれば、お家は安泰ね。帝にはまだ皇子がいらっしゃらないから、私が皇子を産めば、東宮様にお立ちになる皇子だから。大臣の家に生まれた姫だもの、これは、私の運命、勤めでもあるのよね……?
「あかねの姫、ご自分の人生はご自分でお選びなさい。お家のことなど考えずに。」
 ああ、お兄さま、私のわがままだわ。宇治の屋敷で友雅さんの帰りを今か今かと待ち続けるだけの日々と、国母になるのとどちらがいいというの?
「姫、無理せずに。お心のままに。友雅殿は、あなたを捜しておられる。」
 ああ、それを知りたかったの。私は、まだ愛されているのね? なら、思い切れる。もう、待ちたくない。私の人生は私が選ぶわ。
「帝にお返事いたします。姫は幸せでございますと、申し上げて……」
「いいのですか? 本当に?」
「……申し上げて。御心のままに、と。」
 これが運命なら、受け入れましょう。心を友雅さんに残したまま、入内するのは気が引けるけれど。御簾越しにという場面もあるかもしれないけれど。帝はお優しい方。尊敬していたわ。あこがれていたわ。きっと幸せになれるわ。
 若君に会えなくなるのが寂しいけれど……。



侍所若頭領頼久の語れる

 姫様に笑顔が戻られました。
 帝のご寵愛を一身に受け、たいへんときめいておいでです。
 親王様や姫宮様が次々お生まれになり、一の皇子は東宮にたたれました。
 まさに、国母となられるのです。
 先日、中宮の宣旨も受けられました。
 あのとき、宇治を去って、本当によかった。

 あの日、私は、姫様の気ふさぎに効く薬草をさがしていたのです。
 そこへ、永泉の若様がおいでになったのでした。
「頼久ですね。妹はどこにいますか。」
 もう、何もかもご存じでした。友雅殿を謀って、姫様を京へお連れすることができる方は、この方しかおいでになるまい、そんな気がしました。何よりの「薬草」です。だからすぐに、館へお連れしたのです。
 そして、友雅殿の留守のうちに、抜け出して八の宮のもとへ。姫様は、生まれた若君様とお別れするのをつらがっておいででしたが、生きておいでになればまた会えまする、と、気強くお連れしたのでした。
 あのとき、決断が鈍っていたら。姫様のお気持ちの整理がついておられなかったなら。……今の栄華はないのです。

 京に戻られてから、私はお二人にお仕えすることにしました。普段は、毎日参内される永泉の若様に。姫様がお宿下がりをされるときは、姫様の警固に。以前、姫様がそう望まれたのです。ただ、最初は東宮様が、今では今上帝が姫様をお手元からお放しになりませんので、姫様の警固をすることはほとんどなくなりました。宮中には、近衛府がありますからね。
 毎日、若様にお付きしていると、友雅殿とばったり出くわすこともあります。
「頼久、あかねは、どうしている……?」
 苦しそうなお顔でお尋ねになりますが、中宮様が姫様だと、どうしてお教えできましょう。また、姫様に気苦労を背負わせたくありません。せっかくお幸せなのだから……。
 ご勘気が解けて、以前のように御前を去らずにお仕えしておいでなのですから、そのうち、中宮様に気づくことでしょう。そのときまで、黙っておきましょう。


宇治の若君の語れる

 ぼくは、お母様のお顔をしりません。小さい頃に、なくなられたのだそうです。
 乳母が「天女様のようにお美しい方だった」とよく言います。父上も、母上がいなくなられてから、すっかり落ち込んでしまわれて、元気がなくなられたのだそうです。
 ぼくは今、童殿上しています。宮中のいろんなしきたりや行事の見習いです。でも、見習いより、二の宮様のお遊び相手をしていることの方がうんと多いです。
 今日ぼくは、二の宮様のお供をして、中宮様に参上しました。
 二の宮様には母上様ですから、さっさと御簾の中に入ってしまわれたのですけれど、私は臣下ですから、入ってはいけないと思って、すぐ外で控えていました。
 そうしたら、お優しい中宮様のお声がして。
「あなたは、宰相中将の若君でしょう? こちらへいらっしゃい。今、二の宮とおやつをいただくのです。あなたもお相伴なさい。」
 と、誘ってくださったのです。うれしくて、御簾の中におじゃましました。
 中宮様は、ぼくの顔を見ると、どうなさったのか、お目から涙を流されました。お袖で顔をお隠しになりながら、近くまでおいでになって、他の子のお母様がするように抱いてくださいました。
「あなたのお母様について、何か知っていますか? 中将様はなんとおっしゃって?」
とご下問になりましたので、なくなったと聞いています、とお答えしました。
 そしたら、中宮様はものすごくお泣きになって、
「あなたには、本当のことをお教えしましょう。お母様は生きていらして、あなたのことをたいそう心配していらっしゃいます。会いたくなられたらね、ここへこっそりおいでなさい。内緒でお会わせしますからね。」
とおっしゃるのです! ぼくのお母様が生きていらっしゃる! ぼくは、すごくうれしくて、思わず中宮様に抱きついてしまいました。
 中宮様は、ぼくの無礼をおとがめにもならず、そっと抱きしめて背中をさすってくださいました。お母様にだっこされているようで、ぼく、幸せだった。ひょっとして、中宮様がぼくのお母様? そんなはずないんだけど……。
 そこへ、二の宮様が、あそぼうとお迎えにいらしたので、ぼくはお部屋を出ました。
 乳母にこの話をしたら、すごくびっくりして、一緒にうれしがってくれた。
「お父様にお知らせしてもよろしいでしょうか? きっとお元気になられると思うのですけれどねえ。」
 うん、そうだね。でも、内緒でと言われたから。お母様に、お父様とは会えない理由があるのかもしれないから。今度お目にかかったら、お父様にお話しして良いかどうか聞いてみる。お許しがいただけたら、早速お教えしよう。お元気になられるよね、きっと……。



あかねの中宮の語れる

 あの子に会えるなんて……! もう、二度と会えないかと思っていたのに。
 手放したときは、ほんの乳飲み子だった。大きくなって……。東宮の兄なのだもの、大きいに違いないのよね。同じように私のおなかを痛めた子なのに、あの子だけ、列から離れて……御簾のうちにはいるのも遠慮するなんて。私が母だと告げることもできない、つらいこと!
 でも、賢い子だから、きっと、伝わったわ。不用意に友雅さんに話すこともないでしょう。いい子に育って。
 ……でも、やはり、手元に置きたいわ。振り捨ててきたことを謝りたい。あなたを宇治川のほとりにおいてきたから、今の私の栄華があるの。なんて悪い母なのでしょう、子を犠牲にして、我が身の栄達をはかるなんて……許してくれるかしら、きっと許してくれないでしょうね、今まで、人の知らない苦労も悲しさも経験させてしまったでしょうし……。
 涙に濡れる私の袖をふととらえたのは、帝だった。いつの間にいらしたのか……どこまで私たちの話を聞いていらしたのでしょう。
「ひょっとして、あの子は、あなたの……?」
 帝に嘘はつけません。私は、こっくりとうなずいていました。
「では、長く内裏を下がっていたのは、あの子を産むためだったのだね……友雅なら、何も問題なかったろうに、何故、大臣はお許しにならなかったのだろうね。」
 私、お返事ができなかった。涙がまた、あふれてきた。帝は、私をそっと抱くと、御帳台に運んでしまわれて……慰めていただいてしまったわ。
 もう、私の中で友雅さんとのことは過去になったのかしら……。お逢いしても、大丈夫かしら……そうだと良いと思うわ。自信はないけれど……。
 帝のお気持ちに包まれて、私は、今、幸せだけれど……。




友雅敗者復活戦「続『とりかへばや物語』時々『源氏』」へ続く

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