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4月8日朝8時より、博多法人会の朝の勉強会「一水会」がホテルクリオコートにて、行われました。この日の発表者はスイトルクリーン株式会社 白石芳則社長でした。スイトルクリーンは、傘のしずくを取ってくれるすぐれもの!ビニール袋を使わないので、ゴミが発生しない。白石社長は、いろんな所へ営業にまわっている。スイトルクリーンは、全国の官庁関係では有名になった。しかし、まだまだ点で販売している。これからは、面で動かなければならないと考え、「ゴミを出さないしずく取り500in天神」を提案した。天神にある各店舗の前に、500個スイトルクリーンを置いてまわる作戦を決行!スイトルクリーンの外装に、スポンサーから宣伝を付けてもらい、人の多い天神の各箇所に置き、宣伝効果を狙う。繁華街が雨の場合、ほとんどの施設や店舗が、玄関に傘用のビニール袋を置き、お客様はそのビニール袋に傘を入れ、買い物をする。その施設を出る時は、傘を入れたビニール袋は捨ててしまう。そこでゴミが発生する。雨天時に発生する、ビニール袋のゴミを出さない天神を作ろうと、白石社長は考えている。そのためには、500個のスイトルクリーンを天神地区に置いてまわる必要があると考え、今年の3月から施工。これからは、環境を考えたビジネスが注目される時代になっている。白石社長、「ゴミを出さないしずく取り500in天神」を頑張ってください!
Apr 9, 2009
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3月27日16時より、博多法人会青年部会20周年記念式典がホテルオークラにて行われました。式典では、始めに大画面の大音響で、博多法人会青年部会のあらましや、年間行事についてのビデオが流れました。ビデオが終了し、三味線による『博多にわか』の音楽が鳴り、にわかのお面を着けた、にわか姿の2人が扇子を振りながら、だらだら上がってきて『博多にわか』を話し出しました。博多らしいスタートです!その後、高杉青年部会部会長による歓迎の言葉や来賓者からの挨拶等がありました。また、記念講演では、喜田学園 東林館高等学校理事長 喜田三津雄先生による講演がありました。演題は、「じゃけ どうしたんな」子供たちは今・・・広島弁で話す喜田先生の話に、参加者全員が聞き入っていました。教育についてどうあるべきかを、熱心に、また社員教育や子供の教育にかかわる真髄をお教え頂いたと感じました。懇親会は乾杯の後、歴代の青年部会長が紹介されました。その後、抽選会ということでしたが、突然場内が暗くなり、郷ひろみの「お嫁サンバ」が流れ、リオのカーニバルの格好をした11名のサンバ隊が乱入!(ちなみにこの衣装は、リオデジャネイロから直接仕入れたそうです!)場内は騒然!私達、運営委員は知っていたのですが、参加者の誰もが、この状態にびっくりしていました。場内狭しと歩き回り、サンバを踊ります!参加者の方もサンバ隊と一緒にサンバ!ついでに、私もサンバ!楽しくて愉快な博多法人会青年部会20周年記念式典でした!運営委員の一員ではありましたが、「サンバ隊乱入!」の企画は、会場とアトラクションと参加者が一体となった、素晴らしい企画でした。最後はならわしにより、博多祝い唄、祝いめでた1・2・3番を歌い博多手一本にて終了。博多法人会青年部会の役員の皆さん、お疲れ様でした。最近参加した式典では、この式典が一番印象に残っています!
Mar 28, 2009
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3月4日朝8時より、博多法人会の朝の勉強会「一水会」がホテルクリオコートにて、行われました。西研グラフィックス株式会社 並田正一社長より私の福岡空港論についてお話し頂きました。福岡空港は、現行のままで規模を拡大し増設するか、志賀島の北側、または新宮町沖に新設するかで揺れている。新設期間は8年から、長いものは14年という工期がかかる。費用負担も多大で、1兆5000億~1兆6000億かかる。また、新設空港は、季節により風の向きが変わり、着陸が困難な日があるという。しかし、新設であれば発着階数が増える。これは、現空港では実現不可能な事だ。今の空港をいくら増設しても、ピーク時に込み合う問題は、どうしようもない。新設であれば、24時間利用も視野に入れる事ができる。しかし、大半の新宮町の住民は、新設の海上空港には反対。現空港は、土地代年間80億円。24時間の利用は出来ない。1/3は民有地。最近まで強気だった地主も、万一、移転に伴い国から土地を返還された場合、大変だという事がわかったらしく、条件を緩和してきている。地主の理解により、営業時間を前後1時間ずつ延長する予定。新幹線の整備も伴い、交通機関の利用価値が変化する可能性がある。鹿児島便は、近い将来無くなる。今の時代、空港の利便性等を考え、うまく利用している方が増えている。都心部で、現在使われていない空港の復興も叫ばれている。羽田空港は、成田と全く違う便利さで見直されている。また、大阪や広島などでも、そのような傾向がみられる。西研グラフィックス株式会社 並田正一社長は、現福岡空港の増設が最良の案ではないかと仰っていました。私もこの話を聞いて、新設する必要はあったとしても、近々ではないような気がしました。
Mar 6, 2009
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3月4日朝8時より、博多法人会の朝の勉強会「一水会」がホテルクリオコートにて、行われました。株式会社ジャストヒューマンネットワーク 横山 宗祐社長より障害者雇用の現状についてお話し頂きました。障害者雇用促進法では「56人に1人、障害者を採用してください」という法律がある。国からの指導は、1/56なので1.8%ですが、九州は1.59%。福岡県は1.66%ですが、佐賀、熊本は2%を超えているそうです。全国では山口県が1番で2.8%!株式会社ファーストリテイリングという会社は、各店舗に一人以上障害者を雇用しています。促進している県もありますが、全国起業の61.6%がゼロという現状。補助金制度では、社員数201人以上の企業には、障害者の目標未達納付金として、一人5万円、年60万円が支払われます。以前は、301人以上の企業に限定されていました。近いうちに、101人からになる予定です。障害者雇用1.8%を2%に変えようという声も上がっています。株式会社ジャストヒューマンネットワークでは、身障者の教育を主体に事業をやっています。県と一緒になってやっている会社です。今の障害者は、キチンと教育を受けて企業に派遣されるため、決められたことは、決められた時間にきちんとやってくれます。どんな仕事でも正確に行う方が多いです!今回参加されている皆様の会社でも、ぜひ障害者雇用の検討をお願い致します。障害者雇用について、とてもわかりやすいお話でした。株式会社ジャストヒューマンネットワーク 横山 宗祐社長ありがとうございました。
Mar 5, 2009
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2月21日11時30分より、博多法人会4支部ゴルフコンペが、宮若市乙野にある若宮ゴルフクラブで行われました。この日は、天気予報どおり、雨。それも、降水確率100%参加者の皆さんは、写真の通りカッパ姿。誰が雨男なのかわかりませんが、スタートからジャガ降りの雨。転がらず、飛ばず、ですがみんなで楽しくゴルフをしました。ゴルフ場に着いた頃は、たくさんの方がプレーしていましたが、私たち以外の方たちは、ジャガ降りの雨の中プレーするのが大変になった様で、リタイヤ!私たちは9ホールを終え、休憩なしのスルーで、次のホールへ。若宮ゴルフクラブは私たちだけ!雨、雨、雨、雨でも、最後までプレーする。それが、博多法人会4支部での決まりごと。やり遂げることが大切!濡れて寒くなっても、頑張ってプレーをしました。プレー後の風呂は、とても気持ち良かった。指先、足先がビリビリ!やっぱり寒かった。雨の中、皆さんお疲れ様でした。
Feb 27, 2009
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毎年恒例行事の博多法人会青年部会、地域貢献活動が行われました。2月11日9時、和白青松園の子供たち60人にバスでユナイテッドシネマ キャナルシティ13へ来てもらい、低学年生は「旭山動物園」、高学年は「感染列島」の映画を見ました。映画鑑賞後、バスにて博多100年石蔵酒造へ移動。博多100年石蔵酒造では、子供たちと、私ども青年部会会員と食事をしました。石焼きの焼き肉、寿司職人さんにその場で握ってもらう、寿司。パスタも、職人さん二人に来て頂き、その場で作っていただきました。とても美味しくお腹いっぱい会食した後、餅つき大会。子どもたちも、杵を持ち、餅つきに参加。 風船芸のお姉さんも飛び入りで参加。風船で、動物などいろんなものを作ってくれました。 5時間ほどでしたが、とっても有意義な、地域貢献活動ができました。ご準備頂いた青年部会の毛利副部会長以下、担当の皆さん、大変お疲れ様でした。
Feb 13, 2009
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2月4日朝8時より、博多法人会の朝の勉強会「一水会」がホテルクリオコートにて、行われました。今回は、税務署の人事制度について、博多税務署 法人課税課加藤統括官からお話頂きました。加藤統括官は、奥さんと5年生と2年生のお子さんの4人で、大野城の牛首に住んでいます。 アラウンド40の世代。剣道では凄腕の持ち主で、20代の時に剣道5段を取得し、今は、少年剣道を教えに週1回行っています。平成元年に税務署に入署。福岡税務署管轄内に31署あり、その税務署を転勤で回っていました。主に、法人税を勤務。福岡の人事は人事1課と人事2課とに分かれている。1課1係は任用係、給与。1課2係は交差係、執務研修、服務がある。今は、服務の担当者が忙しい時期。また、素行調査も行っている部署で、昇進試験も担当。税務職員全員、入署した一番最初の役職は、財務事務官(新米の印)。そのあとが、国税事務官、上席国税調査官、次が統括官、副所長、所長という順番で役職がある。今の税務署は給与の上がり方にも、頑張っている署員とそうでない署員とに、大きく差が出てきています。転勤先についても、本人から希望を出せるようになっています。職員は福岡国税局管轄は2500人。国税が500人。税務署員が2,000人という割合。日本全体の税務署員の5%を占めています。転勤は、誰かが出ないと入れません。よって、新しく席ができるのではなく、前任に動いてもらわないといけないので、転勤はとても煩雑になります。お互いに日程調整をしなくてはいけません。これはとっても複雑です。基本的には、家族と一緒に転勤することとなっています。家の差し変わりも大変です。給与は毎月16日支給。100%振込。退職金は、俸給月額と勤務年数でかけ率で算定できます。手当は扶養は配偶者が13,000円、子供一人6,000円。通勤手当55,000円、住居手当21,000円。単身赴任23,000円+加算額 距離に応じて出されます。特地勤務手当 1級地~3級地 まであります。査察官へは1日550円の特別給が出されます。このたび新人事制度が施行されることになっています。新人事評価は、自分たちと評価者との間で、業務目標を設定し、それぞれで立てた計画の進み具合をお互いに評価していきます。その内容について、本人の希望があれば開示されます。博多税務署 法人課税課 加藤統括官、知らない税務署の部分をお教え頂き、ありがとうございました。
Feb 6, 2009
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2月4日朝8時より、博多法人会の朝の勉強会「一水会」がホテルクリオコートにて、行われました。キレイ堂 香川裕子社長のお仕事は、ハウスクリーニング業。お掃除屋さんが来るというイメージの服装は、一般的につなぎ。しかし、そのイメージを変えたくて、キレイ堂は、赤いエプロンにしました。最近気づいたことは、お掃除は、あまり褒められない。でも、掃除を続けてしている家には、幸せがある。空気の流れがいい。現在、キレイ堂では、お掃除コンシェルジュというものを始めた。「この中で、お掃除が好きな人は?」と聞くと女性の集まりでは1%男性では30%それだけの格差がある。掃除についての男女の意識の差なのです。主婦(女性)は、毎日の日課として考える。男性は、リフレッシュしたいと思い30%になる。キレイ堂の講座をやっていて、言われるのは、掃除の方法をお教えすると「こんなやり方知りませんでした。」参加者の皆さんは「掃除はいいから勉強しなさい!」と言われ、親から全く掃除を教えてもらっていない。香川社長はバブル期、ガンガンの強きで、24時間働いていた。仕事人間だったという。しかし、そんな仕事を辞めて、リラクゼーションの店に勤め、結婚。目まぐるしく、環境が変わった。子供が生まれ、子育てに没頭。主婦は大変なことを実感。主婦と子育てをしていて、時間が欲しいと思った。主婦として、効率の良い方法をを考え、行動していった。そんなある日、子供を通じて知り合った、ママ友と親しくなり、話し合った結果、効率の良い主婦業をそのまま商売にしようと決めた。いまでも、家事を売っているのではなく、時間を売って仕事をしている。「猫の手サービス!」といった、猫の手を借りたいほど忙しい方へのサービスを実行している。今では、忙しい女性(働く女性)の味方になっている。気持も環境もよくわかるので、お客様から喜ばれるものになっている。世の中の一般的なお掃除業は、住宅賃貸の退去後の清掃をやっている。キレイ堂のような一般住宅の清掃をしている会社は、福岡では大手1社とキレイ堂だけ。キレイ堂は、女性企業家を応援している。いろんな方にのれん分けをしている。プチ独立をさせている。今のキレイ堂は、顧客が多すぎて、ニーズが多くなってしまい、顧客をこれ以上取れないのが、悩み。お掃除をやってくれる人集めを目的として、「キレイって気持ちいいんですね。」という“キレイコンシェルジュ協会”を立ち上げた。会員は140人。6回の講座で3万円、ランクアップ講座を2回で2万円、合計5万円の講座に会員の方が参加されている。たくさんの方が講座へ参加され、“家庭が明るくなり、子供やご主人が掃除を手伝ってくれるようになった。”という声が聞かれるようになった。お教えするのは、“水周りからお掃除。1ポイントだけ毎日する。1箇所ポイントクリーニングをする。”母親が掃除をやっていると、子供がマネをする。2か月続けると、ご主人がやりだす。「換気扇をやろう!」「これは俺にしかできんやろう!」とやってくれる。奥さんは、蛇口を毎日磨いただけなのに。家族が、家をきれいにしていくそうです。“お掃除でラッキーを呼びましょう”と香川社長は言う。当初、社員集めだった教室が、今では、“お掃除で参加者の家庭へラッキーをも呼び込む”という風に、思わぬ効果を生み出している。
Feb 5, 2009
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博多法人会青年部会 新年会が1月23日18時より料亭「嵯峨野」にて行われました。毎年この料亭「嵯峨野」で行われております。毎年、博多法人会青年部会では、新年最初の大イベントです。私たち博多法人会青年部会会員以外に、中央、西、筑紫、東市内の5法人会青年部会からも多数参加されます。昨年の出し物は 狂言師 野村万禄(のむら・まんろく)氏の「魚説法(うおせっぽう)」という狂言でした。今年は、中国人留学生による京劇。中国京劇の舞台を間近で堪能することができました。付けているお面が、一瞬にして何回も変わるのには、見ている会員全員が感激しました。7~8枚は変わったと思います。最後に、真顔を見せてくれたので、これで終了と思いきや、もう一度お面になる場面もあり、どうやっているのかまったく分かりませんでした。京劇には、魅せられました。年に1回の料亭のお座敷ですが、毎年楽しく参加させて頂いております。芸者さんに「だんさん!」と言われると、昔の世界にタイムスリップした感じです。今年最初の青年部会ですので、皆さん新年の挨拶に回り、話に花が咲いていました。博多なので博多手一本にてお開き。とても、盛り上がった会合でした。
Jan 26, 2009
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1月7日朝8時より、本年初めての博多法人会の朝の勉強会「一水会」がホテルクリオコートにて、行われました。この日の発表者は、年始の特別講師、福岡ソフトバンクマーケティング株式会社 舘 賢治 取締役常務執行役員COOでした。舘さんは、大学を卒業後、大手レコード会社へ入社し、業務部へ配属され、クレーム処理の仕事をさせられていた。ある時、社長宛てに長々と書いた、クレームの巻物が送ってきた。そのクレームを処理しろと上から言われ、奈良のご自宅まで行った。しかし、家には入れてもらえなかった。舘さんは、責任感が強く、なんとかしなければと、そのまま帰らず、玄関に座りこんだ。長い時間が経ち、心配になった奥さんが家に入れてくれた。しかし、寒さで立てなかった。それでも、立ち、家に入れて頂き、風呂にも入れて頂いた。熱燗を頂き、食事も、一緒に頂いた。レコード盤に反りがあり、レコードの音が拾えない。品質の問題もあったと思うが、針のおもりを重くすればいいことだったが、お客様は、聞いてくれなかった。しかし、「もういい。」と言われた。舘さんの行動に感激したので、クレームはもういいと言うのだ。そして、風邪をひかないように、たくさん薬をくれた。なんと、クレームのお客さんは、大手製薬会社へ勤めていた。そして、この件で舘さんは、自信がついた。それまで、クレーム処理は将来のない仕事と思っていたが、クレームの仕事にも夢が見えた。やりがいを感じてきた。しかし、1年勤務して、経理へ配属になった。今度は2年間、会社の経費で経理関係の勉強のため、学校へ行かされ勉強した。そして、経理にも詳しくなった。税務署が入ったとき、監査へ報告するのと同じことを言って説明をした。しかし、税務署職員は、にゃっと笑って帰り、多めに税金をはらわされることになった。その時、上司は怒らなかった。そこで、舘さんは、この失敗を克服しようと税金についても、徹底勉強した。勉強した結果、接待交際費を会議費として計上する方法を営業社員へ教えた。営業社員は、大きな金額も会議費で計上することになり、多量の手書き領収書が残った。また、税務署が入ったとき、領収書の内容がおかしいと言われ調査され、これも超過加算され税務署に徴収されてしまった。しかし、社長から、“会社のためにやったことだから褒めてやる”と言われた。自信喪失していたが、これも大きな自信になった。舘さんは在庫管理にも着手した。23億円もの在庫があり会社は、赤字だった。舘さん、会社の内容を経理側から、分析し対応策をひとつひとつ行った。その努力が実り、赤字の会社が黒字になった。そうすると、社員にとっては、やってもやっても楽しくない会社だったのが、夢が見栄え、働いていた社員の顔が明るくなった。そして、どの社員も、黒字を維持しようと、いろんな工夫を始めた。その努力が功を奏して、たった3年で多大な利益を生んだ。また、たくさんの税金を払った。平成17年3月に大手レコードメーカーから、ソフトバンク株式会社へ入社。現在、取締役常務執行役員COOとして、ご活躍中です。舘 賢治 取締役常務執行役員COOが素晴らしい手腕の持ち主であることが、今回のお話でわかりました。とても、勉強になる講演をして頂き、ありがとうごさいまいた。
Jan 8, 2009
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12月2日13時15分より八仙閣本店にて、博多法人会青年部会税務研修会が行われました。講師は、7月に新任されたばかりの博多税務署署長の野田仁志さんでした。演題は『国税査察制度のあらまし』でした。野田署長は、調査査察を博多税務署に来るまで3年間担当しました。3年で30件の事件を経験されました。思い出に残る事件もたくさんあるそうです。査察では、税務署に勤めてきた今までには体験できないとても貴重な経験をされたそうです。査察調査は、第一に、脱税に係る情報を収集です。査察に入る会社を首になった社員のたれ込みが、査察に入る、貴重な資料を添付して提出してくれる事もよくあるそうです。その他、テレビ、新聞、雑誌、インターネット、投書等で情報収集します。その資料をもとに脱税の規模や内容の検討を、何回も会議して行います。調査期間は、3ヶ月から2、3年かかる場合もある。検証の結果『黒』と判明すると裁判官へ許可状の請求を行い、許可状をもらい、ガサ入れを行う。「ガサ入れ」とは、事務所、居宅などの強制調査の事です。もちろん、査察は予定なく行います。時間はまちまちで、日の出とともにやる場合もよくあります。床下や机、テーブルの下にも現金が隠されていることはよくあります。ある事件では、テーブルの中に6,000万円入っていた事もあった。またある事件では、洗面所のタオルの中に数億円隠されたものを見つけたことがあった。 大きなお金が徴収されるため、査察が暴行される場合もあるそうです。脱税者と査察のすさまじい葛藤が手に取るように伝わりました。「査察という仕事はいろんな人間模様が見え隠れする仕事だな~。」とその業務に携わっていた、野田署長の話からわかりました。野田署長、貴重な体験談をお話頂きまして、ありがとうございました。
Dec 3, 2008
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11月21日13時30分より、長崎ブリックホールにて第22回全国青年の集い 長崎大会式典が行われました。私は博多法人会青年部会に所属していますので、毎年全国大会に参加しています。昨年は松山でありましたが、今年は長崎で行われました。式典では主催者挨拶や来賓祝辞、会員増強表彰、また次回開催岩手県連のPRなどが行われました。岩手PRでは、PRの他に岩手名物『わんこそば早食い大会』もあり、大変立派な楽しい式典でした。また、15時10分から記念講演『さだまさし 地域を語る! 日本を語る!』がありました。長崎を代表するアーティスト、さだまさしさんの心温まる内容のコンサートでした。さだまさしさんのヒット曲のオンパレード。『雨やどり』や『北の国から』『無縁坂』『精霊流し』『関白宣言』『秋桜(コスモス)』等、どの曲も知っていて、懐かしいものばかり。30年以上昔の曲なので、『私もおじさんだな~』とつくづく思ってしまいました。大懇親会は会場をホテルニュー長崎に移し、全国の青年部会会員が参加していました。このような式典の準備運営に当られた、長崎青年部会の皆さん、お疲れさまでした。
Nov 26, 2008
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11月5日8時からホテルクリオコート博多4階の宴会場にて、博多法人会の朝の勉強会「一水会」が開かれました。「業務用エコキュートについて」九州イトミック 山口秀美会長でした。生まれは博多区対馬小路(旧博多部)奈良小、博多2中、福岡高校出身。生粋の博多っ子。1963年 建築基準法の高さ制限が取り払われた。1965年に霞が関ビルが建てられた。これらが、初めての超高層ビルの始まり。それまで事務所ビルは、お湯の配管はしてなかった。しかし、竹中工務店が霞が関ビルを建てた時に世界的なビルになるだろから、お湯は必要と言うことで、日本イトミックが小型電気温水器を77台治めた。当時は、とても画期的なものでした。今でも、洗面所に行くと下に枕よりも少し小さなものが置いてある。 福岡にも、高層ビルがきて、需要があるだろうと、日本イトミックに会いに行き、九州に代理店を作りませんかと相談し九州イトミックを山口会長が作った。 今では、商品も増え、車いすでも、飲める冷水器。環境問題に対応した給湯装置(エコ給湯)など商品も多様化されている。エアコンもフロンガスではなくCO2を使ったものが開発されその逆に温めることをしたのが、エコ給湯。環境にやさしい。 現在は、業務用エコ給湯が開発され力を入れている。学校の給食センターなどにはもう入っている。コスト削減も素晴らしく、1日エネルギー消費金額を比較するとガスボイラーが(90度C、3000L沸かし上げる場合)が2563円、電気温水器が1070円に対して業務用エコ給湯はナント347円しかかからない。業務用エコ急騰は、CO2を使うので、環境にやさしくコスト削減ができるので、今後もっと注目をあびるでしょう。
Nov 13, 2008
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11月5日8時からホテルクリオコート博多4階の宴会場にて、博多法人会の朝の勉強会「一水会」が開かれました。この日の発表者は、福岡の不動産市況 株)鑑定ソリュート福岡 廣原浩一社長でした。不動産評価や立ち退きのコンサルタントをやっている。九州に300人。福岡に200人。廣原浩一社長は、建設省で働いていた。用地買収設計の仕事をへて、不動産鑑定士を始めた。不動産の取引を基準に鑑定している。不動産情報は、閉鎖的で分かりにくい。値段は高く、全国の全日空ホテル、2500億が最大金額の取引。 不動産価格は2極化をしている。中心部と住宅部に分かれる。今回の上昇は、県外資本。ファンドがほとんど。天神の中心部が取引された。そして、所有者は何回も変わった。顕著に上がったのは、西通り。坪4200万円(19年9月)平均でも3000万円で取引されていた。 Gサイドとソラリアの交差点が土地値が一番高い地域。 今は、坪1000万円程度の売買。今回の特徴は、ドカンと下がった。緩やかな下がりかたはしていない。 値段が上がった背景には、ガソリン等の影響で、鉄、建築資材が上がった。1.5倍程度。耐震偽造事件以来、行政のチェック機関が長い。 しかし、1/3下がった。一期に下がった。原因の一番が貸し渋りもある。今後は、上がりだすのにも、緩やかだろうし、買う方も慎重になっている。底には、もうなっているようです。買いに走っている人たちも増えている。 M&A企業買収では、企業が持っている不動産の評価が甘い。時価を評価できず安く売ってしまい懸念がある。会社の評価価値を確実に知っとく必要がある。企業を維持するためには、所有不動産の時価は知っとく必要がある。 また、所有不動産は本業に近い不動産を持つべきです。
Nov 11, 2008
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10月8日8時から、ホテルクリオコート博多4階の宴会場にて、博多法人会の朝の勉強会「博多一水会」が開かれました。この日の発表者は、カウTVの高橋康徳社長で、演題は「昨今の学生の様子と就職状況」でした。高橋康徳社長は大学を卒業し、テレビ局で8年間、報道の仕事をしてきた。その後独立をして、真実を伝える仕事をしています。現在の学生は就職情報が以前より多い。リクナビとかの就職情報で検索にて希望が出せるため、学生の方から、エントリーし、企業リストが出てきます。よって有名大手から出てくる。手軽に会社が出てくるため、学生のやる気や気持を出すところが難しい。内定が決まっても「やった!入れた!」という“達成感”があまり生まれない。内定も簡単に出るので、学生からのキャンセルも多いのが、今の現象。また、就職を決めた学生からの話だと、「ここに行きたい!」と思い、「働き甲斐がある!」または「ここで頑張る!」という気持ちではなく、「一流だから」、「上場企業だから」という理由で決め、気持ちで決めている訳ではないのが、現在の現象です。カウTVの調べでは、社長の話すビデオ見て感想を聞くと、「行きたい会社は、全く変わってくる。」ある意味、情報が一方的なことがわかる。カウTVがやっている映像は、 1)顔出し 2)実名 3)真実 4)客観性4つのことを表現するのを、使命として、映像を作っています。企業が学生に情報を発信していく。ある会社の求人のプレゼンのやり方で、びっくりしたのは、来場している学生の写真を撮って、会社PRビデオのエンディングで、さっき撮った学生が一人づつ出てくる映像を作った。自分が出ている映像を見た学生は、自分がそのVTRに出たことで、嬉しく感じ、その会社で働きたいと思うらしい。カウTVでは、そこにヒントを得て、自社の求人に取り入れたのが、2次試験を2次オーディションと変えて伝えた。学生は、オーディションと聞いて目を輝かせた。オーディションなので、自分を表現することを考え、2次面接にやってきた。学生は、ゲーム感覚で自分を伝えてきた。求人の心得として 1)会社も学生にみられている 2)分かりやすく伝えること 3)興味を引きながら、学生たちに伝えることが大切です。カウTVの高橋社長、勉強になるお話ありがとうございました。
Oct 10, 2008
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9月18日18時より大同生命保険福岡支店6階大会議室にて、博多法人会4支部研修会が行われました。この日の講演は、「あの素晴らしい愛について」きたやまおさむ氏でした。きたやまおさむさんは、兵庫県淡路島出身。1946年、大学在学中にフォークソング・グループ“フォーク・クルセダーズ”を結成。1970年「戦争を知らない子供たち」で、第13回レコード大賞。当時は、歌を歌っていて医者になれた。しかし、今はそんなことはできない時代になりました。2又を掛けていると、事件になる。そんな時代です。きたやま先生は、精神科医で、精神分析学をしている。高齢の方は、すぐ昔話をしたがる。戦争体験をした方は、その時の体験を覚えている。きたやま先生は、8歳か9歳の時の京都駅が燃えたときに、京都から出られなくなったと思ったことを覚えている。当時のきたやま先生は、すぐに駅ができることを知らなかった。誰もが経験したことがあると思いますが、母親に自分はどこで生まれたのと聞いたときに、「橋の下で拾ってきた!」と言われたことがショックで、ずーっと覚えているものです。そんな、小さい時に体験したことを、研究している。3歳の時からずる賢い子は、もうその時からずる賢い。みんな、3歳の時に体験したことを引きずっている。そのことを考え、100年前、200年前の親子関係を調べたいと考えた。何を調べればいいかを考え、浮世絵に気づいた。浮世絵は3万枚ある。外国に流失した日本の浮世絵をバブル期に、外国の人が本にしていた。浮世絵は、平均的な台本を考える。きたやま先生は、浮世絵をプロジェクターで映して、説明をしていただきました。日本の浮世絵は、お母さんと男の子とのものが多い。単にお母さんと子供を描いているんではなく、必ず取り持つものを間に描いている。お互いに、それを見ている。1)共に思うこと。2)共に眺めている。3)文化継承と言葉を覚えている。4)情緒的交流をしている。二者間内交流と、二者間外交流をしている。傘に空いた穴を見ている歌麿の浮世絵は、子供の顔が後ろ向きになっていて、子供が自分と置き換えることができる。この浮世絵は、内容に人気があり、いろんな画家がマネをしている。日本の絵は、母子のつながりを意識している。子どもと母親が同じところを見ているが、この“母子のつながりが一番”と日本人は、美化しているのかも知れない。しかし、西洋の絵、キリストの絵は、母子の視線が違っている。違う絵も、登場人物は、全員違うところを見ている。全体の5%程しか、母子が同じところを見ているものはありません。そして、お父さんがでてくる。日本は、父親が家に居なかったのか?恥ずかしかったのかも知れません。映画の1シーンでも、後ろ姿で、2人が同じ方向をみているシーンは、横のつながりをあらわしている。これが、日本の文化ではないか。浮世絵母子像に戻って考えてみると、儚いものを見ていることが多い。ホタル、シャボン玉・・・二人が見ているものが未来であり、間が切れることを意味している。しかし、横に立ち、後ろから支える母のことを表している。母子の絵を見ながら、父親は頑張るのかも知れません。私たちは、「心と心のつながり」を忘れてはならない。「あのすばらしい愛をもう一度」という気持ちが大切です。親子の横のつながりを大切にしてほしい。
Sep 25, 2008
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8月8日(金)博多法人会事務局3階会議室にて、「新入社員・若手社員のための報・連・相」研修会が行われました。博多法人会研修委員会が主催するこの研修会は人気が高く、すぐに定員に達するそうです。研修会の講師は、弊社の社員教育顧問コーチをお願いしている、山内美智先生です。山内先生の研修は、とってもわかりやすく、より具体的で、即実践で活用することができる、役立つ研修内容です。この日も30人程の新人さんに近い方々が参加。30分ほどの山内美智先生の話の後、参加者同士のロールプレイングにて、即役立つ会話の練習をしていました。私は、その後仕事に戻りましたが、参加者の皆さんは、1日実践的な研修で、実力をつけて帰られることでしょう。この研修は、同じ場所、同じ時間で8月18日・21日も行われます。山内先生、がんばってください。
Aug 19, 2008
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8月1日(金)17時より博多都ホテルで、博多法人会青年部会の夏季研修会が行われました。この日の研修会は、「私の相撲人生」錣山矩幸親方(元関脇寺尾)の講演でした。講演内容がとても勉強になったので、ブログにて紹介したいと思います。錣山親方は父(前井筒親方)と兄、次兄(現井筒親方)との相撲一家。家の教育は厳しく、親方であり父親のお父さんには、何かある度に殴られるのはいつものこと。実弟でありながら、相撲部屋の子弟関係そのものが家庭にある状況だった。体も大きく、相撲部屋の子息だった錣山親方からは全く想定できないのですが、小学校、中学校と気が弱く、ずーっといじめられっ子だったそうです。ずっといじめられていた同級生にケンカをするぞとしかけられ、決闘の日、150人ぐらいのギャラリーの中、10対10の喧嘩。体が大きいい親方が、相手の親分を一発殴ったら、よっぽど痛かったらしく、相手がビビって謝ってきた。それが、親方の自信につながった。しかし、大勢のギャラリーが居たため、警察が来て、捕まったしまった。家に帰り、父親に叱られると思ったら、「お前、喧嘩に行ったのか?喧嘩は1対1でしろ!」と笑いながら言われた。中学3年生の時、安田学園から「相撲部に来ないか?」と誘いがあった。当時の安田学園相撲部は全国ベスト8に入る強さだった。しかし、錣山親方は腕立て伏せもしたことがなかった。誘われたので、安田学園に入ったが、相撲部員の中で一番弱い部員だった。入ったからには、相撲部屋の息子のプライドがありメチャクチャ頑張った。高校2年生の時、お母さんが亡くなった。その時、錣山親方は高校を中退し、相撲部屋(井筒部屋)に入ることを決めた。二人の兄は快く受けとめてくれた。問題の父親(当時の井筒親方)は、今までにない、一番いい笑顔で「おっ、そうか!」と言ってくれた。昭和55年7月に入門。入門してからは、稽古と太ることに専念した。よく食べた。特にご飯と肉。朝稽古その後、ご飯をどんぶりに8杯食べて、昼またご飯を5杯。トレーニングジムに行き、その後、とんかつと豚丼4杯。それから、ヨーグルトとバナナ。寝返りをうつと、食べたものを吐いてしまうので、タンスによっかかり、仰向きで就寝する毎日。2ヶ月で16キロ太った。60年3月新入幕。それからは、“ツッパリの寺尾”とウナギ登りに人気がでて、兄弟で三賞を同時に取った。兄弟で、同時に関脇、と相撲界では逆鉾(次兄)と寺尾の兄弟は、抜群の人気だった。しかし、平成3年3月場所から、この兄弟よりも人気ある兄弟が出てきた。若貴兄弟の出現。貴花田(後の横綱貴乃花)が10日目曙を破り、11日目は寺尾(錣山親方)と対戦することになった。貴花田は18歳。寺尾は28歳。その時、「勝ったら、新聞の一面は俺だ!」と思った。負ける訳がない。貴花田取組の時、土俵上では、貴花田は大きく見えない。寺尾は、「これは勝てる!」と思った。「間違いなく勝てる!」と感じた。時間が来て、立会の瞬間、貴花田の体に触れたとき、寺尾は「勝てないと思った。」簡単に負けてしまった。土俵でサガリをたたきつけて、タオルもたたきつけた。退場の際、花道でも、くやしくて、もう一度サガリを叩きつけた。食事ものどを通らない。酒も飲めない。相撲協会には、負けた寺尾の態度が悪いと苦情が殺到。寺尾は「貴花田には勝ちたい!」と心から思った。11年間幕の内で相撲をやったが、「思い出の取り組みは?」と聞かれると、一般的に勝った相撲を言うのだが、錣山親方は貴花田に負けたこの取り組みと言う。それぐらい、凄くくやしかったのだろう。貴花田には勝ちたいと思った。その後、貴花田に6回は勝った(20数回は負けたが・・・)。34歳で足の指を骨折。4週間入院。大阪でケガをしたので、そのまま大阪の病院へ入院。一般的には、これで引退と皆は思ったらしく、大阪寺尾後援会に60人は居たはずの後援者も見舞には来ず、ある友人が土産も持たずに1人だけ来てくれた。同期生の北斗海だった。見舞いに来るなり「お前良かったな・・!」と言うのである。どう言う意味かと言うと、相撲観戦に来ているお客さんにケガをさせなくて良かった言うのである。それから、もう一度、土俵に上がろうと決心。十両から幕の内に上がり、もう一度ケガをした時に、今まで勝ち負けの事しか言わなかった息子さんに「体を大事にしてね!」と言われた時、引退を決意した。引退後、錣山親方を襲名し、1年間井筒部屋付きの親方を経験し、錣山部屋を設立。現在も、後進の指導をしている錣山親方ですが、「部屋に入ってきた子供(弟子)の一生を守ってあげることができる!」「子供(弟子)のために死んであげれる!」といつも考え、「怒るときも真剣に!」をモットーとしている。相撲を途中でやめていく子供(弟子)の仕事の面倒もみている。子供(弟子)とは、一生付き合うことが親方の使命と考えている。今からは、角界の親方もノイローゼになるのではないかと思っている。しかし、自分のやり方で子供(弟子)を育てて行きたい。また、大相撲28年の人生で誇れるものは、「人と言う財産があること」と錣山親方は言う。
Aug 18, 2008
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8月6日朝7時より博多法人会の朝の勉強会「一水会」がクリオコート博多4階宴会場で行われました。この日は、私が講師でした。「あなたから買いたい」と言わせる営業 という演題で講演。ブログで、1週間前に上げた「営業の極意」の内容を話しました。「お客様の話を“聞いて聞いて聴いて”が大切」という話。あまり体調が良くなく、頭の回転が悪かったので、25分の時間を頂いたのですが、話したいことの10%も言えずに、予定より15分も早く終わってしましました。「失敗した~!」「講演をする時の自己の体調管理はとても大切だな~。」と、改めて心から感じる瞬間でした。「一水会」へ参加の皆さん、申し訳ありませんでした。
Aug 7, 2008
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7月2日7時よりホテルクリオコートにて、博多一水会7月例会が開催されました。この日の発表者は、「偽装」 (株)トップス 関 晋治 社長 と「ブランドと地域」 (有)ビジネスライク福岡 藤野 幸俊 専務のお二人でした。「ブランドと地域」(有)ビジネスライク福岡 藤野 幸俊 専務ヨーロッパのブランドは国が保障している。オーストリッチは南アフリカ連邦が作って、KKLKがマークを付けて保障を付けて、海外に輸出している。ヨーロッパブランドの「ルイ ヴィトン」は、会社が吸収合併され、創業時の一族は全くいない。ヨーロッパブランドのほとんどがそうなっている。だから、しっかりした経営をしていると感じます。「ルイ ヴィトン」のエピは、吸収合併した会社の商品をうまく使ってできたもの。新しいものを取り入れ、商品開発も盛んにやっている。「ゼニヤ」は、地域全体が、ブランドになっている。企業のブランドを、小さい時から根付かせ、意識させ育て、いいものを作らせる。また、ヨーロッパの企業は、売り込みが上手い。多額を投資して宣伝をしている。営業マンは抱えない。その代り、デパートの顔になる場所に店舗を入れている。日本も「ソニー」などのブランドがあるから、商品への信頼が厚い。しかし、中国のブランドは、そういうブランド意識がなっていない。中国もこれから、国がブランド化を意識して、いいものを作って、国が保障できるものにしていってほしい。
Jul 4, 2008
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7月2日7時よりホテルクリオコートにて、博多一水会7月例会が開催されました。この日の発表者は、「偽装」 (株)トップス 関 晋治 社長 と「ブランドと地域」 (有)ビジネスライク福岡 藤野 幸俊 専務のお二人でした。「偽装」(株)トップス 関 晋治 社長(株)トップスは、食品関係及び冷凍食品の機能性部材の会社。年商4億。関 晋治社長は、王子製紙に5年、帝国データーバンクで11年働き、独立をされました。業種がら、新聞等でもよく取り上げられている「産地偽装」の問題について、お話し頂きました。「産地偽装」は、明るみに出ているものの3倍、5倍、10倍あるかも知れない。5年前はどこでもやっていた。今でも、原産地を記載しているが、その産地ですべてをまかなうことはできないのが、実情。『値段が5倍でも国内産を買い、中国産は買わない。』それが、今の日本人の考えです。偽装のリパックをやっていると、浄化槽がないので、異様に汚水が出る。取引をする場合、偽装をしているところは、工場は見せない。ある偽装をしていた会社も、中国産のものを国産にリパックして売っていた。最新鋭のリパック機を使い偽装した。発覚して、中国から訴訟され、行方をくらましていた。また最近、冷凍食品で6億の売上を上げている会社が新聞に偽装で摘発されていた。その会社は、利益が1億あった。年間2千トンさばいていた。すごい量をさばいていた。その会社の社長の息子は中国で学んで、会社へ就職した。計画的偽装を行っていた。どうしてバレたかと言うと、売れなくなった時に工場長と社長の愛人を監督役にしていたので、利益配分でもめて、工場長の愛人が内部告発し発覚してしまった。偽装は1回やそこらでは、発覚しない。消費者からはわからないもの。3年以上やってやっと明るみにでる。やっている人は、犯罪意識があまりない。しかし、こんな会社が長く続く訳がない。法令順守をキチッと捉えることが大切だと思う。
Jul 3, 2008
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6月12日10時より博多法人会青年部会ゴルフコンペが、鞍手郡小竹町にあるミッションバレイGCで開催されました。今回の参加者は5組。天気予報は雨予想にもかかわらず、晴天でした。参加者は、前回大雨の中ゴルフをやった経験から、カッパ持参者がほとんどでしたが、まったく無用。晴天の中、のびのびプレーしていました。しかし、開催会場のミッションバレイGCは、写真でもわかるとおり、アップダウンは厳しく、バンカーがどのホールも異様に多く、池や谷もたくさんあって、外国のゴルフ場でプレーしている感じです。このミッションバレイGCは福岡県内でも、難所中の難所。難しいコースなんです。皆さん、スコアメイクに苦しんでいました。私も、ショートコースで二アピン賞は取ったものの、スコアーはメタメタ。それでも、5位だったので、嬉しい成績でした。まだまだ、スコアーは満足のいく結果ではないので、また、練習に励みます。
Jun 16, 2008
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6月4日8時よりホテルクリオコート博多4階会議室にて、博多一水会が開催されました。この日の発表者は、高橋佳代子副署長と博多法人会 水口啓司会長でした。 演題「子育てと組織の中の人育ての気づき」博多税務署 高橋佳代子副署長 高橋佳代子副署長には、3人の息子さんがいらっしゃいます。3人とも成人し、3人とも就職しました。 3男さんは21歳。昨年、自閉症と認定されました。4月、晴れて一般企業に就職をしました。高橋佳代子副署長は、そのことがとても嬉しいと言っていました。 高橋佳代子副署長は、昭和50年佐賀北高校卒業後、4月1日何の研修も受けず、佐賀税務署総務課へ配属されました。当時は、税務大学校は男性しか入校できませんでしたが、男女雇用機会均等法を受けて、女性も税務大学校へ行けるようになり、昭和58年税務大学校へ行き勉強し、現在は、博多税務署の副署長。 60年、61年、母と祖母がガンになり、相次いで亡くなった。そのショックもあり、家族を増やそうということで、3男さんが生まれた。しかし、3男さんには、障害があった。目を合わせない。病院に相談に行ったが、障害があるとは認定されませんでした。 6歳になり、彼は小学校に入った。運動場に出てチャイムが鳴っても、教室に戻らない。理由なく手を引かれると、動かない。高橋副署長はそんな彼のため、PTAの役員を自分から、進んでやった。 名札を付けるのも嫌がる。ランドセルを身につけるのも嫌がる。黒板は横。ノートは縦。ノートと黒板の違いが、理解できず、ノートを取らない。曖昧なことを理解することが難しい。障害と現状の差が、認定しにくい。 「何で私のところにこんな子供が生まれたんだろう。」と高橋佳代子副署長は考えたこともあった。しかし、可哀そうなのは、この子なんだ。私はこの子が死ぬまで面倒をみることは出来ない。この子が、「自分で生き甲斐をもって生きていけるように育てるのが私の役目」と思った。 試験の結果を見て、指導したことがある。答案はほとんど書かない。書いたあとがあっても、消したあとがあった。その現実を見て、高橋佳代子副署長は、彼に書かせることを進めた。そして点数ではなく、“少しでも書けたことを褒める”ことに心がけた。私は、褒めて育てた。 良いところを褒めると、悪いところも直そうとする方向に人は努力する。80点を取ってきたら、80点取れたことを褒めるのと、「あと20点、なんで取れなかったの?」と言われるのとは違う。 それは職場も同じ。今は職場でも、各部所を回り微笑みながら「おはようございます!」言って毎日回る。“他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。” 3男さんは、大分県の竹田南高校へ行った。福岡からは遠いので、寮に入れた。入学式当日電話があり、学校を辞めると言ってきた。「マラソン大会がいやだ。」と言ってきた。2週間我慢する様に話す。しかし、辞めたいと言う。そこで、本人に辞めた後の選択肢を考えさせたところ、本人の口から、「じゃ、1学期だけ行く」と言ってくれた。そして、彼は頑張り学校を見事卒業し、専門学校へ行った。 しかし、専門学校にはついていけず、中退した。「このまま家にいては、引きこもりになる。」と、作業所の施設長が、実習生として受け入れてくれた。そこで、指導員の方たちに褒められ、仕事も覚えた。 今年4月7日から、二週間の実習を経て、一般企業に正式採用になった。 高橋佳代子副署長は「とても嬉しいことです。」と嬉しそうな顔をして、話してくださいました。雇用先からは、この子は、「とても純粋ですね。」と言われ、その言葉にも、「心から嬉しかった。」 幸せは自分の感情。いつも笑顔で、楽しく生きていきたい。
Jun 6, 2008
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6月4日8時よりホテルクリオコート博多4階会議室にて、博多一水会が開催されました。この日の発表者は、高橋佳代子副所長と博多法人会 水口啓司会長でした。「グローバルな視点で見た経済」博多法人会 水口啓司会長世界は大競争時代になった。中国、インドが急激的に発展してきた。黒人で文盲の人に住宅ローンを組ませ、焦げ付かせた。その不良債権を他の優良債権とまぜて、ファンド格付け会社に買わせた。しかし、中身をみると焦げ付き債権だった。その不良債権が100兆円。投機でものを変える時代なので、その焦げ付きのお金の行き場がなくなり、今は、そのお金が、石油に流れて、石油の値段が上がった。発展途上国は、食べるものがなくなり、暴動が起こっている。農産物の値段が上がると、アメリカが儲かる。世界で人、物、金が流通する時代にも、何らかのルールが必要になってきている。巨大なお金が国に入ってくると、自国がめちゃくちゃにされる。グローバルな時代。マネーゲームをやっている。「これからは、日本がリーダーシップをとり、グローバル経済をリードし、世界を良くする使命がある。」と、水口啓司会長は言う。
Jun 5, 2008
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「お茶の伊藤園」福岡東支店の高村功支店長が転勤になりました。高村さんとは、博多法人会青年部会で親しくして頂き、寂しい限りです。4月15日の私どもの講演会へもお茶のご協賛を頂きました。5月23日(金曜日)19時から親富孝にある、琉球居酒屋「結」で壮行会が行われました。参加者は20名以上で、お店は貸切状態。たくさんの青年部会会員が集まりました。参加者が多いのは、高村さんのお人柄によるものです。開催会場の琉球居酒屋「結」は、青年部会会員で旅行代理店フジ・ツーリスト・プラザの藤井博幸社長が経営されているお店で、この日も美味しい沖縄料理をたくさん出して頂きました。ビールは飲み放題で、泡盛を皆さんたくさん頂き、大いに盛り上がりました。高村功支店長は、広島支店の支店長として転勤されますが、広島でもご活躍を期待しております。高村功さんありがとうございました!
May 26, 2008
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4月17日11時より、博多法人会青年部会のゴルフコンペが小郡カントリークラブにて行われました。参加は、15名程でした。この日は、あいにくの雨。1日中降り続け、一時は、どしゃ降りもあり、全く止む気配無し。びしょ濡れでのゴルフ。皆さん、スコアメイクに苦しんでいました。私も同じく、パターと寄せが決まらず、苦しみました。19時30分より、『ざうお』天神店で懇親会。会員の高橋さんは、『ざうお』の社長さんなので、ゴルフ後の懇親会はいつも『ざうお』天神店なんです。いつも、おいしいお魚を出してくれます。懇親会で結果発表。なんと、なんと、私が4位だったのです!もう、ゴルフは止めようと何度思ったかわかりませんが、私自身にとってはとっても嬉しい事なんです。と言ってもダブルペリアで、隠しホールでたくさん叩いていたので、たくさんハンディをもらっての4位。しかし、何はともあれ嬉しい事でした。雨にはやられましたが、ゴルフをやってて良かったです。
Apr 17, 2008
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4月2日8時からクリオコート博多4階宴会場にて、博多法人会 朝の勉強会「博多一水会」が行われました。今回の発表者は、ラウンドスペース(株)城島博社長でした。大手広告会社へお勤めになり、独立して30年になります。大手広告会社は城島社長と同期の方が今回社長になりました。その様な関係からも、よく紹介を頂いている。城島社長の会社、ラウンドスペース(株)さんはマンションの図面を作成する会社。現在は広告会社から、マンション会社へ提案をしています。マンションをお買いになるお客様へ、間違いない内容を伝えることのできる設計をしている。建てるときに、住宅そのものと、環境の関係を充分考えなければならない。これからのマンションは孫の時代まで住めるものを目指す。200年たっても価値が下がらない建物。アメリカでは200年経った建物を少しやり直して、高く売れる。アメリカの建物の寿命は55年。日本は30年。この差を近づけて行きたいと城島社長は言う。日本は、壊して建てなおす文化。何年たっても価値ある住宅を表現できるか?ヨーロッパは、古い建物を大事にしている。環境から、時代から住宅のストックを考えす必要がある。現在は、これを課題に取り組んでいらっしゃいます。
Apr 4, 2008
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3月19日17時より八仙閣にて、博多法人会青年部会の3月研修会が行われました。研修会の内容は「日本人の生きる知恵」~めでたしめでたし~講師は太宰府天満宮主管学芸員 味酒安則氏でした。味酒安則氏には一昨年もご講演いただきましたが、大変勉強になりました。歴史的な事で、私たちが間違って理解している言葉の意味やその由来について詳しく説明してくれます。味酒安則氏の講演内容を少しだけですが、皆さんにご紹介します。 「あの人はタヌキだな!」とよく言います。この「タヌキ」の意味は、ほとんどの方が「動物のタヌキ」を想像します。しかし、違うんです。この意味は「他を抜く」と言う意味。どうしても、顔がタヌキに似ているイメージは取れませんが・・・・。本当はそうなんです。このように、皆さんが使っている言葉の由来や意味をたくさんお話しいただきました。味酒安則さん、大変為になるお話を、ありがとうございました。
Mar 24, 2008
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3月5日8時よりクリオコート博多4階宴会場で博多法人会 一水会が行われました。今回の二人目の講師は、西研グラフィック株式会社 並田正一社長でした。演題は「海外で想い考えた事」です。並田社長は昨年、いろんな国を回っておられます。2月ロシアオイルが上がって、とっても景気がいい。車がいっぱい。渡辺通りの倍ほどの道でも、渋滞。日本企業は衰退し、韓国企業が著しく進出してきている。3月、11月、12月 中国(北京)市街地を大改造している。「味千ラーメン」の進出。中国内で100店舗以上進出。日本と同じように、タクシーは禁煙。10,000人収容のレストラン「雲龍」(アジア1番)3月、9月 台湾新幹線が大人気。芸能や食べ物、旅行で日本ブーム。ハイテク産業でたて直しをやっている。4月、10月華南(香港、マカオ、広州)マカオの急成長、カジノに入り浸りの中国人。香港は地下鉄が利用しやすくなっている。飛行場もとても便利で、国が発展するようになっている。6月北米(フェニックス)アメリカ6番目の都市。サンチャゴを抜いた。どんどん大きくなっている都市。ハイテク産業集中都市。モニュメントバレーのドーム球場(ダイヤモンドバックスのフランチャイス球場)は凄い立派な球場でした。7月は中国(チベット、ラサ)天空鉄道(世界で一番高い所を走る鉄道)に乗る。飛行機で直接チベットに行くよりは、鉄道でゆっくり行った方が、高山病にかかりにくい。しかし、26時間かかった。高山病はひどく、絶対に風呂には入れない。特にお酒を飲むと良くない。チベットは中国の植民地化されている様に感じました。8月ドイツ、オーストリア(ミュンヘン、ザルツブルグ、ウィーン)音楽祭は、日本とは違い豪華なものでした。ドイツのすし屋は、美味しかった。さすがドイツ人は学ぶ力が強い。ドイツは、いたるところで省エネを徹底している。オーストリアで、世界遺産のセメリング鉄道に乗った。11月中東(ドバイ)常識では分からない急成長。何もない砂漠を緑化し、港をつくり、大都市を計画。常識はずれのことをやっている。世界を回ってみて感じることは、日本の発展はジリ貧。何か大改革をする必要があると感じた。世界的に見ると、進みがないように感じました。海外で想い考えられた、すばらしいお話をして頂きました。並田正一社長ありがとうございました。
Mar 7, 2008
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3月5日8時よりクリオコート博多4階宴会場で博多法人会 一水会が行われました。今回の一人目の講師は、高杉製薬株式会社 高杉義明社長でした。演題は「外務省で学んだこと」高杉社長は、大学を卒業され、三菱銀行に入社し、1983年北九州支店、京都支店で働き、1989年8月から外務省へ出向した経験がある。アジア局に配属。多国間関係を担当し、エーペック問題をやった。高杉社長は経済班で統計資料の整理を担当。たまたま、シンガポールでおこなわれた会議に同行。湾岸戦争に巻き込まれた思い出がある。外務省は国際感覚を学んだ。外務省では、会議がいつも行われている。大使会議。各国の大使を招き、会議を行っていた。会議には、分かりやすくまとめ、相手を否定する事もなく、マナーがあることを学んだ。どの会議でも、簡潔にまとめ、終わる様に全員努めていた。今の仕事に役立てている。もちろん議事録も取っていた。関係先への報連想を徹底していて、外務省では、だれかに言いそびれることはタブーだった。議事録は、上司に添削され、徹底定期に周文され、分かりやすい文章になる。国際会議をやる場合は、食事や宿泊先などのコマゴマした段取りが山ほどあるが、徹底して完璧に準備することができる、その段取りの仕方はとても勉強になった。また、外務省は役上の人を大事にし、下手にでて、聞くことは聞き、立てるところは立てる。高杉社長の現在の仕事にも役立ったいる。外務省で、学んだすばらしいことをお話いただきました。高杉義明社長ありがとうございました。
Mar 6, 2008
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2月6日8時から、ホテルクリオコート博多4階宴会場で、博多法人会 研修委員会主催の一水会が開かれました。二人目の発表者は、正晃株式会社の印正哉社長でした。 正晃株式会社は、試薬の会社です。試薬は皆さんは、ご存知ないと思いますが、結構、身近なものです。今回の中国の餃子事件であるように、毒物の検査等も、試薬の範疇です。現在開発中のカプセル型の内視鏡。 まだ100万~200万円はする高価なものなので、実用化に向けて現在開発中です。このような素晴らしいものが今からたくさん出てきますので、日本人の寿命は延びると思われます。これからの医療も、素晴らしい成果をあげると思われます。正晃株式会社は、日本の将来のために試薬を販売しています。17年前、父から社長を受け継いだ時は、年商100億。現在は340億。社員400名。挑戦しようという気持ちを持ち続けた印社長だから、成し遂げられたものです。社員へ社長の考え方を伝え、社員から提案が、たくさん上がってくる。東京進出のときにも、社員から、「絶対出なければならない」と言われ、進出したことを懐かしく、思い出としてお話頂きました。また、中国の上海へも、進出した。これも、社員からの申し出での、進出。「絶対に出したい」と、何回も社員が言ってきた。中国は、日本とは考え方が違い、どちらかと言うと、欧米風。狩猟民族型。とってもクールなんです。何回も、止めようとしたのですが、昨年、進出しました。その後、現地法人と共同で、予防医学的な検査も取り入れた病院「正晃病院」を開業した。新しい挑戦を始めています。社員と、夢を育んでいっている。父は、2月11日で87歳。骨が神経を圧迫して腰を痛めている。しかし、今回、全身麻酔の大がかりの手術に挑戦した。成功して、ピンピンしているらしい。「挑戦した父からも、また学ぶものがあった。」と、印社長は語っていた。現状でいいことはない。常に、挑戦することが大切。
Feb 7, 2008
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2月6日8時より、博多法人会 研修委員会主催 一水会がクリオコート博多4階宴会場にて行われました。今回の1人目の発表者は、福博綜合印刷株式会社の水内醇一取締役でした。~印刷業界から再生紙問題について~古紙の出荷量に疑惑が出ている。製紙メーカが出している、古紙の入っている紙の出荷量と、印刷会社が出している出荷量にかなりの差が生じている。どちらが、正しいかは、解からない。その真相は、中国に古紙を取られているらしい。製紙メーカーには、古紙を出してくれるように発注しても、メーカーは出さない。製紙メーカーへ、印刷機のコピー用紙の古紙混入率を出してほしいと言っても、証明書は出さないのが現実です。逆に、どの製紙メーカーも、古紙混入率は出さず、100%新しい紙を使っていると表示しています。今は、中国餃子が騒がれているので、視線がそちらにいっていますが、そのうち、また取り沙汰されるときが来るでしょう。印刷会社業界は、倒産、身売りが日常茶飯事に行われている。厳しい業界現状です。バブル期は新規参入業者が増え、印刷業界全体で、9兆円の売り上げが計上されていましたが、バブル崩壊とともに、また紙媒体を使う事も少なくなり、現在は7兆円ほどに激減している。九州での現状はもっと厳しく、業界売り上げ全体の、3.5%しか売り上げていない。その20%が、デパート、スーパー等の商品物販業者からの発注であり、競争は激しい。その厳しい中、福博綜合印刷株式会社さんはクロスメディア方式を採用し、昨年は10%の売り上げUPをしている。郵政の民営化も追い風になってきている。今回、34パターンの折ができる印刷機を購入し、DMの発送も簡単にできるようになった。
Feb 7, 2008
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博多法人会青年部会 新年会が1月18日18時より料亭「嵯峨野」にて行われました。毎年この料亭「嵯峨野」で行われております。博多法人会青年部会では新年最初の大イベントです。私たち博多法人会青年部会会員以外に市内の5法人会青年部会からも多数参加されます。昨年の出し物は神楽師「筑紫珠楽」一座による獅子舞。今年の出し物は、狂言師 野村万禄(のむら・まんろく)氏の「魚説法(うおせっぽう)」という狂言でした。野村万禄氏のプロフィールは、1966年、人間国宝になれた、故六世野村万蔵氏の孫として東京で生まれ。96年、福岡市にけいこ場を構える。2000年、万蔵家の別家である万禄家を50年ぶりに再興し、二世万禄を襲名されました。現在は、福岡市在住。狂言の舞台を間近で堪能することができました。年に1回の料亭のお座敷ですが毎年楽しく参加させて頂いております。博多なので博多手一本にてお開き。とても、盛り上がる会合でした。
Jan 18, 2008
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12月5日8時よりホテルクリコート博多4階会議室にて博多法人会朝の勉強会「一水会」が開かれました。博多法人会会員16人参加。この日の発表者は(株)カウテレビジョン高橋康徳社長。1972年5月30日生まれ。テルアビブで赤軍テロのあった日に生まれる。宮崎県延岡市出身。延岡高校(私の後輩)、広島大学卒。理学部化学学科。大学時代にオーストラリアで1年間暮らした。その時に、マスコミに興味を持ちTNC(テレビ西日本)に入社。オーストラリアで暮らしていた時に、自分の頭の中で描いたものを映像にして人に伝える仕事は、素晴らしいと思い始めた。TNCに入社後、報道記者として配属されたその日、福岡空港のガルーダ航空機墜落事件に遭遇。凄い衝撃を受けた事を今も覚えている。しかし、日常は、報道ネタ探しが仕事。一般的な報道記者のイメージとはかなりギャップがあります。ニューヨークの同時多発テロの事件があったとき、現地まで行って取材をさせてもらえた。あるアメリカ人女性の取材。結婚記念日を二人で祝い、その次の日、ご主人が朝仕事に出て行った。しかし、帰らぬ人となってしまった。その取材で自分は何をしたいんだろうと考えだし、独立を決断。ある講演に出会ったとき、自分にとっての偉大ゾーンへ向かった行くんだと言われ、衝撃だった。1)自分が他社に勝てる部分を伸ばすことを目指す。 それは、まだ誰もやっていない、ネットでテレビをやる事。2)また、取材するその人の特性を引き出し、掲載していく。 好き、得意、ニーズを掲載していこう。テレビのノウハウとして、11分の原則。10分したら、視聴者は飽きてくる。10分後から視聴者の気を引く動きをしなければならない。「あなたと働きたい。」をインターネットで伝え、リクルートをやって行く。見せる側ではなく、客観的に表現する。見る側の視線で伝えることをこれからもやって行きたい。熱の入った大きな声で、高橋社長は話してくれました。ありがとうございました。
Dec 5, 2007
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11月20日13時八仙閣2階宴会場にて、博多法人会青年部会11月税務研修会がありました。税務研修会には、毎年、博多税務署長にお越し頂いております。今年も、講師は博多税務署出口長冶署長さん。7月に赴任されたばかりです。演題は「税務調査のあれこれ」でした。定年後と定年前の自由な時間は同じ。出口長冶署長がライフプランのセミナーに参加し、定年後どうやって過ごすかを書いて提出しなければならなかった。自分の定年後のライフプランを立てたことがありますか?しかし、出口署長はこのライフプランが書けなかった。会食、入浴、テレビ、読書、ゴルフ、囲碁を入れても空白がいっぱいできた。もう一度頑張って書くように言われたが、やっぱり書けない。書けませんと先生に言ったら、「あんたは社会型人間だ!」と言われた。仕事ばかりやっているから、仕事がなくなったら、することが無い。定年後に何をするべきか?大きな課題です。仕事に厳しい出口署長は、報告は縦 連絡は横 相談は集団のコミュニケーションと言う。上司こそ部下に模範を示す必要がある。もし、部下から相談を受けたら1)援助をし2)解説をすることがもっとも大切です。理屈は良くわかるし、その通りだと思います。しかし、これはなかなか難しいことです。出口署長が言われるには、間違っても説明会をしてはならないそうです。日本の山で3星に指定されているのは、富士山と高尾山。高尾山は聞いた事が無い方が多いでしょう。高尾山は東京にある標高599mの普通の山です。しかし、高尾山は環境がいい。ゴミが一切無い。そこに登りに来る方々の努力で行われていることです。仕事もそうでなくては、ならないと出口署長は言う。座右の銘1)真剣だと知恵がある2)中途半端だと愚痴がでる3)いいかげんだと言い訳が出るまさに、仕事人間の座右の銘。真剣でないと知恵は出ません。どれだけ真剣かで決まる。中途半端やいいかげんが、どれだけつまらないかが解かる気がします。この日は、税務署の裏話が聞けると思いましたが、出口署長の今までの仕事に対する取り組みを学べました。やさしい口調で、解かりやすいお話でした。私たちにとっては、勉強になる話しがたくさんありあした。博多税務署の出口長冶署長、ありがとうございました。
Nov 26, 2007
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11月9日9時25分松山行きの飛行機に乗り一路松山へ。この日は、法人会青年部全国大会「青年の集い」が松山にて行われました。私たち博多法人会青年部11名が参加。私はもう6回目の参加です。毎年、この「青年の集い」は楽しみにしています。全国を回れるし、知らない土地には行けるし、会社に支店がないので、こんな時以外は、出張がないのです。松山空港に到着し、私たちはバスにてJR松山駅へ向かいました。ホテルにチェックイン後、松山城見学へ。地元のレトロなチンチン電車で向かいました。車内は昔の電車そのままで、木でできていました。私はこんな松山に感動しました。大街道駅で降り、それから徒歩でロープウェイ・リフトのある場所まで行き、リフトにて松山城へ。リフトは、椅子の座る所がつるつるで、今にも滑り落ちそうで怖かったです。リフトの終点からまた徒歩で登り、やっとのことで天守閣へ。天気もよく、天守閣から望む松山市内は絶景でした。大会が14時からなので、早々に切り上げ大会会場へ。会場は全国から2000人以上の青年(50歳まで)が集まり、ごった返していました。式典へ出席後、道後温泉へ。この温泉なんと日本一古い温泉だそうです。最近は、邦画「千と千尋」のモデルになった温泉としても有名。泉質も良く、疲れが取れました。天皇がお越しになった部屋や、夏目漱石が来た部屋も見学させてもらい、松山観光は、とても充実していました。温泉を満喫し、一路私たちが泊まるホテルのある松山駅へ。ここは、風情よく「坊ちゃん電車 に乗ってみたい。」とみんなが言い出し、普通のちんちん電車を2つも遅らせて、坊ちゃん電車に。話の種になる「坊ちゃん電車」へ全員で乗り込む事にしました。たくさんの乗客が乗り、電車はスタート。そこまでは良かったのですが・・・・・・私は、「なんか煙くさいなー・・・」と思っていたら、3つ目の駅に着く前に信号で止まっていると、機関士さんが大きな声で、「乗客をみんな至急降ろして下さい!」と叫びました。乗客全員があわただしくなり、バタバタ降り始めました。乗客全員が降りて、「坊ちゃん電車」を見てみると、たくさんの煙。「これは、オーバーヒートしたな!」っと即思いました。観光客のためにある「坊ちゃん電車も煙がいっぱいで台無し!」しかし、これも楽しい旅の思い出になりまいた。昨年の法人会青年部全国大会「青年の集い」埼玉
Nov 13, 2007
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11月7日8時より東京第一ホテルで博多法人会、朝の勉強会「一水会」が行われました。この日のもう一人の講師は山内コーチングオフィスの山内美智さんのセミナー「コミュニケーションのタイプがある」が行われました。コミュニケーションには4つのタイプがある。 1.コントローラー 判断、決断 2.プロモーター 影響 3.サポーター 合意、人間関係 4.アナライザー 正確4タイプのキーワードは下に書いた通り。タイプによって、言葉の投げかけ方は、まったく違います。例えば、「凄いね!」と言っても、「ありがとうございます!」と喜んでくれる場合と、「私のどこが、凄いんですか?」と質問してきて、的を得ていないと機嫌が悪くなるタイプ。上記のように、相手が喜ぶ言葉、機嫌をそこねる言葉があります。まずは、1.自分が4タイプの内、どのタイプなのか?2.社員がどのようなタイプなのか を把握する。「そんなつもりでは・・・・?」が勝手に、相手に思ってもないように伝わる。話し方にも理由から話すタイプと結論から言うタイプがある。この日は、参加者全員に、プリントが配られ、プリントの質問項目に答え、足し算でをし、自分が4タイプのどれに当たるかを判定しました。参加者全員真剣で、自分が4タイプのどれに当たるのかを検証し、納得していました。
Nov 12, 2007
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11月7日8時より東京第一ホテルで博多法人会、朝の勉強会「一水会」が行われました。この日は、福岡ひまわり運送(株)の川口康隆さんでした。川口康隆さんは、佐賀県伊万里市出身。伊万里高校から北九州大学卒業。大学のときに、飲食でアルバイトをしていたため、飲食業で働きたくて、平成5年4月にホテル日航福岡に就職。しかし、飲食がしたかったのだが、宿泊係に配属され、ベルボーイからハウスキーピングをして管理部財務課の仕事をしていた。平成8年5月からグランドハイアット福岡立ち上げの仕事を手がけた。そこでも、客室管理の仕事をやっていた。その時の宮様や、外タレの接客もしていた。フランクシナトラの奥さんからドライヤーが壊れたと電話があり、見に行ったらドライヤーから火が出ていて、すぐ近くの電気屋さんで買ったきたこともある。最終電車の時間を間違ってお客様へ伝えたために、JRへ電話をかけ、電車のスタートを遅らせてもらうお願いをしたが難しく、場内アナウンスを何回もしてもらい、事なきを得たこともあった。しかし、平成11年に事情があり辞めました。落ち込んで、半年ぐらい自宅で療養していた。することも無いままでもしょうがないので、伊万里の玉屋でアルバイトをした。そこで、ある会社の社長に気に入られ東京へ行った。アルバイトの面接をを受け、15社目がサカイ引越センターだった。サカイでは、九州ブロックで数回売り上げ1位を取っていた。16年2月からは、日通グループ作業員として、時給給800円で入社。子会社のひまわり運送から営業が足りないといわれ、営業に配属された。川口康隆さんが提案し、中心になり、2人一組トラック2台(ワンギャング)での引越しサービスをスタートした。現在は、「いろんな会合に出なさい!」とひまわり運送の社長に言われ、毎日なにかの会合に出て勉強中。
Nov 8, 2007
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10月3日8時より博多法人会朝の勉強会、一水会が東京第一ホテル2階会議室にて開催されました。今回の発表者は石村萬盛堂 石村社長でした。石村社長のお話は、興味深い内容で、聞き入ってしまします。今回は、石村社長が社長を受けて、今のボンサンクが、一世風靡するまでの苦労を話してくれました。お父さんが亡くなられ、石村社長が社長になるまでは、和菓子が主流で、賞味期限が短い洋菓子(生菓子)は売れないとされていた。お父様は晩年「これからは、洋菓子の時代が来る!」と言っていた。石村社長は、その洋菓子販売に着手した。その時代は、どんな方法を取れば洋菓子が売れるのかさえ分らなかった。しかし、洋菓子(ケーキのような生菓子)は家へ持って帰るおみやげとしては、良い。それであれば、それを入れる綺麗な入れ物をつくり、箱詰めして渡せばいい。と石村社長は考えた。それでも売れ行きは上がらず、「何か爆発的に売れる方法はないのか?」と石村社長は思案に思案を重ねた。ある日、「結婚式の引き出物としてではどうか?」と考え、地元で有名なホテルは話を持って行った。ホテルが側は、あまりのり気ではなかったが、採用してくれた。洋菓子を引き出物で使ってみると、お客様に喜ばれ、ホテルも喜んでくれた。他のホテルからも引き合いがあり、洋菓子は飛ぶように売れた。石村社長は、次の洋菓子戦略先を、中洲に決めた。ある、お菓子の会社は昼に売れなかったお菓子を中洲で売る作戦で、店を出していた。そんな中途半端なやり方ではいけない、きちんとしたお菓子を出し、中洲の人たちが喜んでもらえる洋菓子を出したい。また、仕事を終わり、帰るときにも買ってもらおうと、石村社長は深夜3時まで営業した。でも売れない。これは、待ってても売れない。「ここは、こちらから店へ行こう!」決断し、普通のサラリーマンでは考えられないくらい、中洲の店へボトルをキープして周り、飲んで回った。中洲の人たちは、人情深い。それならと言う事で、お客様の会社へ訪問して回るときのお菓子を買ってくれるようになり、中洲でも売れた。その積み重ねが、洋菓子ボンサンクの確立につながったのです。
Oct 5, 2007
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9月26日18時より大同生命ビル6階大会議にて、博多法人会第4支部研修会、交流会が開かれました。今回の講演は「何のために、ものを生み出すのか?」博多人形師 中村信喬氏でした。先日11年ぶりに中村信喬氏のところに税務署が入った。「一生懸命に納税はしております!」(講演の前に税務署の方からあいさつがありました)と笑いから始まった。中村家は人形師で3代目。おじいさんは、お酒は飲まずに、置屋に行っていた。一つの人形を作るとそのお金がなくなるまで、ずーっとドンちゃん騒ぎ。そんなおじいさんだったが、素晴らしい家訓を残している。その家訓は「お粥を食っても人形を作れ!お金のために人形を作ってはならない。」比叡山のお寺から、人形つくりを頼まれた。生前のビデオから、お父さんの人形を作って欲しいといわれた。完成し像を収めた。その像を見て、飼っていた犬がその像の前に行き座った。それをみて、お寺の方は、その作品を気に入ってくれた。中村信喬さんの座右の銘は「一得一失」取ろう思ったら何かを捨てる。すべてを捨てる。無になることが大切。そして、中庸であること。中庸は出来るだけ真ん中で、動かないこと。ニュートラルでいること。夫婦は前世で2回会わないと結婚はしない。今日もこのように皆さんと会っているのは、前世で1度会っている。縁をとっても大切にしてる。いつも、生徒には、「ようこそお越しになりました!」と言っている。しかし、生徒には私のもらっているお金を知らせて「役に立たないと思ったら帰っていいよ!」と言っている。本気になって、やる気を出してやり遂げる人に教えたい。教えるということは、その人のものにはなりにくい。しかし、精神は教えられる。「なんのためにやってるの?」「どうして、やってるの?」「なんに使うの?」生徒に「お母さんのためにお茶碗を作ろう。」と言い、秋に、お母さんが栗ご飯を食べるお茶碗を作ろう。と言う。その後作品ができたら次に、四季で4つ作ろう。四季の作品が出来たら、12ヶ月で作ろう。何を目的に、誰のために、と思って作ると人に夢や希望を与えるものを・・・・に変わる。「何を作ろうかな・・・」というのではなく、1)何のために2)どうやって3)なんに使うが決まって作成にあたれる。たとえば、「沖縄の人に」は戦で、大変だった人達へ。首里城で戦っていた時の人達であれば、時代は、装束は、かんざしは、靴は?掘り下げて作品を作ること。かんざしにも位がある。金、銀、鈴 さし方も指す人の年齢や時代がある。その時代の気持ちになって作品を作る。作品を木で作るとき、その原木の中に作品が見える。原木の中に作品の魂があることが見える。人のためにものを見出す人になれる。【動物園の作品の話】どうせ作るなら、中村信喬さんは、黒御影石でできたゴリラが作りたい。ゴリラに触れたい。ゴリラに抱っこしてもらいたい。ゴリラといっしょに写真を撮りたい。ある石屋の社長が3つつなげたら、3mの御影石のゴリラができます。と言ってきた。それで作ろうということになった。皆さんの思いが重なり素晴らしいゴリラが動物園に、来年の3月か4月には出来上がります。「中村信喬さんは何のために作ってますか?」と聞かれると、 1)何のために2)どうやって3)誰のためにを考えて作ってます。と答える。ものは、人が幸せにならないと駄目なのです。
Sep 27, 2007
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博多法人会 朝の勉強会「一水会」が9月5日8時より、東京第一ホテルで行われました。この日の講師は、株式会社アバ 木原利明社長と株式会社鑑定ソリュート福岡 廣原浩一社長でした。次は、株式会社鑑定ソリュート福岡 廣原浩一社長の講演内容です。株式会社鑑定ソリュート福岡 廣原浩一社長は不動産鑑定士。株式会社鑑定ソリュート福岡と言う会社名から、株を鑑定する会社と間違われる。~不動産鑑定業の紹介とは~この不動産いくら?を鑑定して報酬を頂く仕事。鑑定評価書を出すのは不動産鑑定士しか出来ない。毎年300人が鑑定士になり、全国6000名が登録をしており、4000名が実働している。都会にしか居ない仕事です。田舎は需要が少ない。福岡174 佐賀15 長崎31と言った件数です。企業としてやっているのはもっと少ない。そう言っても、福岡県に鑑定業者は128社ある。業務内容は公的評価、公共における評価、民間における評価(時価、売買、訴訟、担保、証券化による評価)。最近はファンド化により評価が多くなっている。その他、周辺業務(立ち退き補償、建替事業コンサルタント)である。株式会社鑑定ソリュート福岡は不動産鑑定士が4名 鑑定士補1名。 廣原浩一社長は平成17年から今の会社を引き継いだ。株式会社鑑定ソリュートは九州各地にある。今は、各事務所が独立採算でやっている。社長の廣原浩一社長は大学卒業後に徳之島で小学校の教員をしていたが、子供と遊びすぎて、学校を辞め、建設省の九州建設局に勤務したが、不動産鑑定士に魅力を感じ退社。1年間勉強して資格を取得。大手鑑定機関に勤務。実務を経験し、会社の合併でいつのまにか、社長になる。鑑定を頼むのは、一般はほとんどない。鑑定料は平均100万円 安くても15万円から。付き合う先は、大手か官庁関係。☆地価福岡市の地価について福岡市の中心地は年間30%上がっている。非常に価格が上がっている。どうして福岡の地価が上がっているのか?世界的にあまっている資金が福岡へ投入されている。しかし、賃料は上がってないので、近い将来頭打ちになるだろう。不動産市場は現在、クローズマーケットからオープンマーケットになっている。よって、価格は競札。現在は、思いもよらない価格で取引される。しかし、狭い土地は価格が上がらず下がる傾向がある。九州は福岡だけがどんどん上がっている。最近の鑑定書依頼はファンドが多い。しかし、ファンドは借入れを主体で土地購入をやっているので、公定歩合が上がれば、逆ザヤが起こる可能性がある。そうなると、倒産する企業がでる可能性大。東京、大阪はもう上がっていないので、福岡も時間の問題である。株式会社鑑定ソリュート福岡 廣原浩一社長、とても参考になるお話をありがとうございました。
Sep 5, 2007
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博多法人会 朝の勉強会「一水会」が9月5日8時より、東京第一ホテルで行われました。この日の講師は、株式会社アバ 木原利明社長と株式会社鑑定ソリュート福岡廣原浩一社長でした。まずは、株式会社アバ 木原利明社長の講演内容です。会話のレベルを上げろ。世界をターゲットに話せ。株式会社アバの木原利明社長は、たった一本の電話で、大学をすべり、挙句の果てに、社長をやることになった。大学を、すべってよかったと思っている。大学をすべったあと、年商5500億の大手広告会社で年間4億の売り上げを上げていた。この実力をみて、周りの人が事務所を準備して、33歳で独立。 すぐ青年会議所へ入る。当時、まったく人脈が無かったので、意欲的に人と合い、人脈づくりに励んだ。今では、木原にはインデックスがあると言われる。「人をよく知っている。」「人をよく知っている」と言うことは、その人と付き合っているということ。携帯番号を知っていること。あの人を知っていると言って、名刺交換をしたことがある。それだけでは、その人を知っていることにはならない。自分は今が旬。人材活用術をみにつけよう。若かりしころのエネルギーを今の人たちに承継すること。と元気にご講演頂きました。木原利明社長、お話ありがとうございました。
Sep 4, 2007
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博多法人会青年部会ゴルフ大会が8月9日志摩シーサイトゴルフ場にて行われました。この日の参加者は、19名。今年1番の暑さの中、19名もの方が集まりました。最近、このコンペは参加者が増えています。スタートで、Tグラウンドに立っただけでも暑い。写真の通り、日差しが強く、帽子で顔が見えないぐらい。私は、ペットボトルを1本持参しましたが、ラウンド終了後には、あと2本のペットボトルを飲み干し、それでも、咽が渇く!本当に暑かったです。暑いが、天気は良好!!海沿いのゴルフ場なので、景色もよく、とても楽しくゴルフできました。参加いただいた方々の写真です。
Aug 22, 2007
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8月8日朝8時より、博多法人会の朝の勉強会「一水会」が開かれました。発表はコーチングの山内美智さんでした。演題は「職場の“報連相”基本のキ」でした。報連相とは 1.その人の仕事の取り組み方そのもの 2.その人の捕らえ方そのものです。仕事の出来る方は報連相は理論ではなく、大切さを解かっているかです。しかし、報連相の不得意な方は「何のために報連相が必要なのか?」を解かっていません。報連相は、仕事を請けて終了するまでの仕事をサポートするものであり、だれが何をどんな状態での情報を、共有化するものです。目的志向で報連相を考える事が大切。報連相は目的志向であって、手段志向であってはならない。5W1H 誰が いつ どこで 何を なぜ どのように いくら(量)を的確に伝えることです。これに則って、報連相を行うこと。報連相で、大事なのは中間報告。中間報告は最終報告より大事。中間報告をすることが一番、信頼につながる。では、中間報告はどんなときにすると良いのかと言うと 1.状況が変わったとき 2.長い時間を要するとき 3.終了の目途等である。簡潔で的確な、報連相を心がけたいものです。
Aug 8, 2007
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7月27日17時より博多法人会青年部会の夏季研修会が行われました。今回の講演者はタレントの小西博之さんでした。小西博之さんはあの欽ちゃんこと萩本欽一さんの弟子。25年ほど前、夜のゴールデンタイムに「欽ドン」と言う人気番組がありそのオーデションがありました。オーデションで、採用になった見栄晴、柳場敏郎、風見信吾、小西博之の4人は同期。その4人の話をしてくれました。1次採用試験は全員履歴書を出すと合格。2次試験はオーデション。全員、欽ちゃんの質問に答える。質問は「ご両親は元気ですか?」だけ。オーデションを受けた人たちは平均20歳ぐらい。ほとんどの人が「元気です!」と答えるが、そう答えると不合格。「1人は元気です!」と答えると2次合格。欽ちゃんが言うには、幸運と不幸は50%50%。今までに、あまり幸運を使ってない人がいい。それで、片親だと不幸を40%ぐらいを使っているからこれから幸運を使う時が来る。それを、今からの番組に幸運を使ってほしいと考えるらしい。小西博之さん曰く、欽ちゃんのオーデションに合格したいなら洒落でもいいから親か子供を殺すのが2次を受かる方法。例えば、宝くじで1万円当たった!1万円も当たったと思うか、1万円しか当たらなかったと思うかは紙一重。小さな運はなるべく使わない。おつりで、多くもらったら、得したと思うな!早く返すこと。運が減る。福引はもらわない。運が減る。「宝くじは当たるな!」と思って買う。絶対、彼女を作るな!女運で仕事運がなくなるから、駄目!どうしてもの時は、風俗に行け!それは商売だから、運とは関係ない。幸運と不幸は50%50%だけど、幸運を小さなもので使うな!仕事で幸運は使うもの。乗る車は国産。腕時計はセイコー。住宅は2DK以下。賃貸でないとだめ。買ってはいけない。「両親は居ません。」でOK。見栄晴は、オーデションで最後の2人に残り欽ちゃんから、「勝っても負けても関係ない!」と言われ、ジャンケンをした。しかし、見栄晴はジャンケンで勝った。だから見栄晴は強運をもっているから合格。風見信吾は欽ちゃんが後ろのプロデューサーの方を向いて「この二人のうちどっちか合格!」と言った。しかし、正面を向いて欽ちゃんが言った言葉が「合格!」しか風見信吾聞こえなかった。指が風見信吾を指差したように感じ、自分が合格と思い込み欽ちゃんに抱きついた。その思い込みで合格。柳場敏郎は、1週間、飲み食いもあまりさせずずーっとオーデションを受けた中にいた。オーデションが終わり、全員を家に帰らせた。欽ちゃんは全員に「落ちたかどうかは家に連絡する」と言った。そして、1時間後、全員に電話した。しかし、自宅に居たのは柳場敏郎だけだった。それで合格。やる気と本気が柳場にあったからだと欽チャンは言う。小西博之さんは欽ちゃんの1番弟子の大岩さん構成作家の紹介で3次試験から参加。紹介だったので、ほぼ合格を言われていた。しかし、来週から全国デビューその前日に首を言われた。欽ちゃんはいつも3つの約束をしていた。1.質問できない(自分で調べろ!)2.知りませんは言わない(何か言うこと!) 3.無理ですといわない。(何かすること!)だから 3.は「小西です!」と言うだけの役を5時間でも言いつづける。だから 2.「13代大統領の名前は?」で「解かりません!」で首。しかし、首を言われ,たまらず質問をしてしまった。なんで、「不合格ですか?」欽ちゃん曰く「小西は、色があわない!」と言われた。確かに、体格のいい小西のようなタイプは居なかった。だから不合格。「解りました!」と小西は言った。そして、何とかしてやろうと考え、動いてくれた欽ちゃんの1番弟子の大岩さん(構成作家)に感謝の気持ちを伝えた。そして欽ちゃんにも、「えらい男をつれてきた!」と悩ませたことを詫びた。「僕が来たばっかりにって帰ったご迷惑をかけました!」と詫びた。そして、故郷に帰った。しかし、即、東京に呼ばれた。欽ちゃん曰く、「とりあえず合格!」合格の理由は教えてもらえなかったが3年後、大岩さんから、何で受かったかと聞くと普通は不合格を言われたら、へこむハズ。しかし、小西は、われわれをなだめて帰った。それができるのは、変なやつか、いいやつ。土壇場で他人への思いやりがあったから。で合格。「自分がついてると思った人」が勝ち。今まで、生きていればOK!小西博之さんは末期の左腎臓ガンでした。腎臓ガンの大きさは13センチ。ソフトボールと同じ大きさ。普通は4~5センチの大きさで死亡。手術後48時間は意識が無かった。「酒もタバコも吸わないのに!」っと小西さんは思った。 なんでガンになったかと先生に聞くと、単純にストレス。肋骨をはずして、腎臓ガンの部分を摘出。術後、麻酔が切れるといろんな幻覚が出た。しかし、素晴らしい回復力で、免疫力が高かったので、5日目で抜糸。意識が回復して、最初にしたかった事は歯磨き。今でも歯磨きをすると、その時のことを、思い出し泣くことがあると言う。その後は、うんこした時も泣いた。おしっこして泣いた。退院して、オナニーして泣いた。男でいれると泣いた。だから、今でも朝起きたら、生きてることで嬉しい。人生は、思い込むことが大切。部下のため、お客様のためと思い込んで、仕事をする。人のためであれば、感謝が返ってくる。ありがとうと思われる。自分のためだと自己満足しかない。喜んでもらうから、楽しくなる。楽しいからストレスが無い。自分は強運であると思うこと。社長は(法人会で出席者に社長が多い為)夢を語らなければダメ。親が夢を語らないと、子供は夢を持たない。われわれの責任です。自分がバリバリすればいい!なんでも書く部下は伸びる。書く事です。「夢は叶う」 叶は口編にプラス(+)と書く!プラスのことを口から出すことです。小西博之さんの熱のこもった講演に参加者全員集中。内容の素晴らしさに感動しました。小西さんは、講演は聞かせるものではなく、聞いた頂くものと言う。公演中も会場内を、マイクをもち所狭しと歩き回り参加者と一体感のある講演をして頂きました。素晴らしいパワーを頂きました。小西博之さんありがとうございました。
Jul 28, 2007
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快晴の中、博多法人会 青年部会 6月ゴルフ大会が 筑紫が丘ゴルフクラブにて行われました。参加者は12名。以前は、同好会的なもので6~7人したが、最近は青年部会の参加者が増えてきています。今日も高杉部会長が1番の組で最初のTショット!参加者全員が見守る中、高杉部会長はボールにクラブが当たった瞬間「あれ・・・・・・!」と言われてましたが、巧く飛んだのでしょうか?結果はさておき、みんなで楽しくプレーできました。豪快なショットありチョロあり、チップインあり、バーディを取った人も多く、皆さん良いスコア-だったのでは?私はボールを7コも無くし、OBばかりのブービー賞。「あーあー!」この日は熱くて32~33度。6月ですが「もう夏!」と言わんばかりの天気で、水分補給をしながらのプレイでした。次回は8月9日に行われます。今までの法人会青年部会ゴルフ平成19年4月平成18年9月
Jun 14, 2007
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6月6日朝8時より東京第一ホテル福岡2階宴会場で博多法人会朝の勉強会「一水会」6月例会が開催されました。この会は毎月第一水曜の朝8時から博多法人会会員が参加し朝食を取りながら、会員の中の2人を選出し個人の事や会社のことを発表を聞く会です。この日の発表者 (有)日の出の白石芳則社長の話がとっても興味深かったので書いてみました。有限会社日の出の白石芳則社長は脱サラから独立。雨にぬれた傘に付いているたくさんの水滴を「あっ!」と言う間に取ってくれる「すいとるクリーン」 (雨傘ふき取り器)を開発販売しています。雨の日、傘を入れるビニール袋は、年間1億枚程使っているらしいです。傘をもって室内に入るときに傘用ビニールを使いますが、出るときはは捨てます。考えて見ると、雨が降った時には、膨大なビニール袋のゴミが出ている事になります。有限会社日の出の白石芳則社長はこれをなんとかしたいと考えました。傘に付いた雨を取ってしまえば、ビニール袋は使わなくて済むのです。そこで、白石芳則社長は、雨傘ふき取り器の開発を始めました。できたのがこの「すいとるクリーン」なのです。「すいとるクリーン」の開発にはたくさんの時間と知恵を投入したと日の出の白石芳則社長は言う。いろんな実験を繰り返しました。傘の水滴をとる素材についてもいろんなものを試してきた。今のものになった、ヒントは「赤ちゃんのオムツ」「すいとるクリーン」は傘を差込んで2~3回上下するだけで傘に付いている水滴はほとんど取れる。考えて見れば「あかちゃんのオムツ」のおしっこを吸い取る力は凄い。傘を使う人たちが「すいとるクリーン」を使うと傘用ビニール袋ゴミがなくなります。「すいとるクリーン」は環境にもやさしいのです。しかし、まだまだ普及されていません。販売する商品は「すいとるクリーン」に決まっているのでどんなところに販売するかを思案中。話の依頼があればどこでも説明に行っていると言われていました。有限会社日の出の白石芳則社長はバイタリティのあり、すばらしい社長でした。
Jun 9, 2007
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博多法人会青年部会総会が5月28日17時30分より都ホテルにて行われました。高杉義明部会長のもと多数の会員が参加の中開催されました。博多法人会青年部会は博多法人会会員の中で50歳以下の会員で構成されている会です。私は44歳。この会に参加して5年。博多法人会青年部会の会員はすばらしい方ばかりで、年齢も近く、話も合う。楽しいので、いつも参加しています。この日は総会。私も今回は仕事があり本年度の事業予定についての説明をさせて頂きました。議案は賛成多数で可決。総会後、懇親会が行われ楽しい仲間と、いつあっても楽しい会話が始まりました。とっても楽しい会です。博多法人会青年部会は今年もイベント目白押しです。私は7月研修会(7月27日17時から都ホテルで開催予定)でタレントで俳優の小西博之さんの講演を担当しています。
May 31, 2007
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4月27日12時30分から博多法人会青年部会役員会が法人会事務局(福岡市博多区博多駅東2丁目筑前織物ビル2階)会議室で行われました。参加者は18名。博多法人会は博多税務署 管轄内の企業を中心とした会で、青年部会は法人会会員の中でも、青年、と言っても50歳を卒業としている、法人会の中では若いとされている企業のトップ又はそれに近い方々の集まりです。この日は役員会が行われました。私は今44歳ですが、年の近い社長達がたくさん参加しているのでいつも楽しく出席しています。青年部会は 5月が決算期なので、総会についての話し合いと次期役員編成会員拡大について話合いが行われました。役員会はそうでもないですが、本会はとっても楽しい会です。会費も安く、年齢も近い方がたくさんいます。写真は博多法人会青年部会 新年会(料亭嵯峨野に獅子舞を呼んでの新年会)です。30~50歳までで、博多税務署管轄内の企業の役員さんは、入会した方がお得です。下に活動内容を記録した私のブログがありますので、ご覧下さい。○博多法人会青年部会行事内容博多法人会地域貢献活動博多法人会青年部会 新年会法人会青年部会全国大会博多法人会青年部会10月例会博多法人会青年部会 ゴルフコンペ若菜嘉晴さん講演大いに盛り上がる!!入会希望の方は私 (福一不動産092-291-2103古川)までご一報ください。
May 1, 2007
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4月8日 博多法人会 青年部 ゴルフコンペが大宰府ゴルフクラブで開かれました。今回の参加者は12名。今回から公式行事になり、参加者も増えました。晴天で4月では少し厚いぐらいの絶好の天気の中11時30分よりスタート。青年部会でいつも仲のいい会なので楽しいゴルフができました。写真は参加者の皆さんをスタート地点で取ったものです。私は相変わらずの成績でしたが初参加で一番若い高橋和久さんが飛ばす巧い、元気の三拍子で見事優勝。青年部会杯の優勝カップを手にして満面の笑み。いつかは私もと行きたいところですが飛ばない、寄らない、入らないの三拍子でスコアーは全くダメ。○○もたくさん払い散々でした。また、練習します。
Apr 9, 2007
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