Laub🍃

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2014.07.04
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カテゴリ: ●新書
今日哲学の授業で、 マルブランシュが
デカルトの「我思うゆえに我あり」≒「物を思うこの精神だけは実在」に
それはちょっと違うんじゃないのと物申すところのさわりをやりました。

「自我の流動」これを聞いて、少し混乱というか、頭を整理したくなってきたので書きます。




物を思っているこの精神とはどの精神か。


過去の自分か新しい自分か。
自分に「こうあれ」と望む自分か望まれる自分か、「こうあれ」に逆らう、どうにも抑えられぬ自分か。


他人の心なんて完全にわかるわけがないとはよくいいますが、
自分の心だって完全にわかるわけがないんですよね。


本能と理性ともいいますが、理性だってある意味本能から作られたわけで。
衝動とじっくり考えた末に出たこと、というのが一番近いかもしれませんが、
そのじっくり考えたことだって、何か今までになかったような出来事が起こったら
一気に価値観が切り替わってしまい、今までじっくり好きだと思っていた分
嫌いだと思ってしまうことだってありえるわけです。


でも、自分を語れるのっておそらく一番語れるのは自分なんだと思います。
他の人のほうが語れるとか、よく見ているとか言われることもありますが、
確かにそういった部分もありますが、

一番リアルタイムで、一番身近に見ているのは自分なんだと思います。
分析・把握をできるかどうかというのは別ですが。

だから、自分を把握するのに大事なのは周りに居る様々な考えの人と、


どれも自分。どれか一つでも切り捨てたら、おそらく自分ではなくなるし、
自分の力では(完全な忘却をしない限り)切り捨てることなどできないのだと思います。






結局ぐだぐだになりました・・・。





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最終更新日  2014.07.04 11:01:51
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