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「好きな言葉」から、いろんな人の「場」によく寄り道させていただく。その言葉を選んだ、その人なりに触れてみたいからだ。昨日も、ある人の「正直者はバカをみない。」に惹かれて立ち寄り、その際に思い出したことをメッセージさせていただいた。こんなことだった。糸井重里さんの本の中で紹介されていた、社会心理学者の山岸俊男さんという方が書かれた「信頼の構造」という著書の基軸をなす考え方。まず、結論から言ってしまうと、「正直は、最大の戦略である」という言葉に集約される結論を、繰り返し、実験を行って導き出したのだという。人間が、社会の中でどんな行動をとり、どんな心理をもつか、ということを、ある種のゲームで何度も試して答え(仮説)を出した。「倫理」や「道徳」ではなく、あくまでも「科学」の本だとのこと。どういう戦略をもった人間が、そのゲームを勝利するか。ということを実験・研究したところ、「相手をだましたり、裏切ったりするゲームプレーヤーよりも、正直なプレーヤーの方が大きな収穫を得る」という結果になったということらしい。そうなるように、ゲームがつくられていた?いや、これは実験をした当のご本人もまったく予想外の結果だったのだとか。あくまでも科学的に実験を繰り返した結果から、そういう結論に落ち着いたということなのだと。糸井さんは、この本を読んで、「非常に救われる思いがした」「この学者の研究結果は、人間ぜんぶを勇気づけるんじゃないか」と興奮したと書いている。いまの世の中を見れば、「勝ち組み・負け組み」「勝者の法則」とか、「勝てば官軍」など、とにかくその「場」において、モノ言う力を握った者が、「正解」という論調は強い。今時、頭の汗だとか心の汗だとか、汗のかき方が問題になる、ということもよくわかる。一概に言えないことだとは思うが、勝つための「知」の基準をどこに置くか。「気持ちいい」の基準をどこに置くか。「正否ではなく、好き嫌い」がどこにあるか。など、その人なりの生き方や想いの置きどころによってもずいぶんと違ってくるのだろう。世の中には、ひたむきで、技と心をもちながら、でも、その実力以下の評価しか得られない。そういう人も多くいることだろう。「清く正しく貧しく」が、在るべき姿だとは思わないが、「勝ち」や「成功」「自由」などをどういう部分で見ていくのか、というのは、自分の中の「正直」に照らし合わせて考えてみてもいいのかと思う。社会では、企業の不祥事がいっぱい。正直でなかった会社は、どうなったか?(うまく逃げ切っているところもたくさんあるのだろうが)なんだか救われるところもある。
2003.11.30
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「逆境」にどう立ち向かうのか。逆境にあると考えるとき、とりあえずどう対処するか。感じ方や考え方によって、人それぞれだと思うが、ある人のやり方は、単純明快だ。まず、まっさらなノートを広げ、左のページに、今の状況やその原因と思われることなどを、右のページには、これからどうしたいのかを、それぞれ書き出していくのだそうだ。たとえば、左ページなら・左遷された。・○○部長に嫌われた。・○○さんにフラレタ。 などそして、右ページには、・○○プロジェクトを成功させて、起死回生、本社に返り咲く。・○○な強みを生かして、人の好みに左右されない仕事をする。・ぼくの良さをわかってくれそうな○○さんにアタックする。 など内容はともかく、これを始めてあることに気がついたという。左ページは、すべて過去に向かって発せられたメッセージ。右ページは、すべて未来に向かって向けられたもの。自分がこだわるべきは、自明の理。日常の気づきのノートというわけだ。(左ページに、思い切り「×」つけちゃえば気持ちいいかも)考えてみれば、当たり前のこと。企画書を書く人なら、現状・課題・目標設定・テーマ・施策など慣れっこのことで、現状分析から仮説ウンヌンと、過去から未来へは、今更の話に聞こえるかもしれない。でも、この「今更」は、現実の生活レベルに置き換えると、そうでもないことも多い。飲み屋で、毎晩交わされるだろう「グチ」や人のウワサ話、失敗への落ち込みetc.思い出してみるとよくわかる。会社(社会)でさんざん身につけたはずの、考える術(すべ)もどこかに置き忘れ、ひたすら過去に向かったり、人を否定することで自己を肯定したり、を繰り返している。このノートで、苦手なある人を対象に書いてみたとする。左には、イヤな人物像や合わない理由が挙げられ、右には、新しい関係をつくる可能性が書かれることになる。(ま、良し悪しがあるので、一例として)ぼくたちは、紙の上では生きていない。生きていないから、現実を生きるために、然るべき時に言葉にして書いてみる。あまりかしこばらず、単純に、明快に。書くことで、自分の気持ちが整理され、気がつかなかった強みややりたいことの方向性を見つけることもある。ぼくたちが望むのは、ムズカシク考え、ムズカシク生きることではなく、心地よく生きることのはず。会社の企画書や事業計画書ならいざ知らず、日々、リアルに起こる逆風は、見開きノートでひっつかまえて、ぱっと思考のスピードをあげてやるのが解決の早道かもしれない。
2003.11.29
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キース・リチャーズの言葉を書き留めた、古いノートを読み返してみた。昨日、エリック・クラプトンのインタビュー番組に寄せた、彼のコメントを紹介した際、ロング・インタビュー記事(ロックキングオン誌)から書き移したことを思い出した。「レコードメーカーとして成功するなら、いろんな才能が無いとね。音楽を作る才能。くだらないことも我慢できる才能。失敗の辛さに耐える才能。一度や二度上手くいかなくても、希望を持ち続ける才能」「音楽っていうのは、巡航ミサイルなんかよりも強力な武器なんだからね。コントロールしようにもできない代物なんだもん」「自分が棺桶の心配をする頃になっても、まだみんなが自分の歌を歌ってくれてるか、そこだろうね」「ストーンズをみんな聴きたいという思うようになった原因、ストーンズのことをもっと知りたいという気にさせた原因、そういう原因になったことを、これからも続けるだけだね」「現実から引っこ抜かれて、お気に入りの夢の中にストンと落とされたみたいで」「どんなことであれ、俺は隠し立てしたことはただの一度もない。全部、手の内はみせているんだ」あらためて、キース・リチャーズ。ご存知、ザ・ローリング・ストーンズのギタリスト。御歳59歳(12月で60歳かな)。バンドも結成40年、平均年齢もそんな感じだ。ストーンズのことを、誰かが「転がる石のジジイたち」と呼んでいたが、もちろんほめ言葉だ。転がる石、否、転がる意志にコケ知らず???無尽蔵のロックンロール魂。ハートは、永遠の不良野郎。ストーンズに詳しいわけではないが、キース・リチャーズの言葉をなにかで目にすると、ついつい読んでしまう。彼の放つ言葉たちは、その音楽と同様、テンションを保ち、ガツンと存在感をもってこちらの胸に届いてくる。キース・リチャーズも、ミックジャガーも今年で60歳だが、20歳代でも彼らよりずっとフケた、意図的に感情を失い、想いがフケた連中が巷にはゴロゴロいる。音楽も、言葉も、自己の肉体のなかで創られるだね。久々だったが、好きなアーチストの言霊を、いただきます!ロックでも、ジャズでも、クラシックでも、民謡だって。底なしの続ける力、ノリノリのロックンロールするココロが迫る。ヘイ、エブリバディ! レッツ、ロッケン、ロォ~~ルゥ!ついでに、ゲッツ!///////////////////////////////////////////////////////追記。クラプトン:「息子が事故死したとき、最初に声をかけてきてくれたのは、キース・リチャーズだった。本当に心強くなる手紙を書いてくれて、それでぼくもすぐに電話をかけていたんだ」(ロッキングオン誌)
2003.11.28
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エリック・クラプトン、只今、日本ライヴツアーの真っ最中。今夜は、ラーメン博物館も近い神奈川の某アリーナではなかったか。圧巻かつ円熟みを増したギターの音色と歌声が、寒い夜を熱く包んでくれたことだろう。過去、何度かクラプトンの公演に出かけていたが、ある時期、「ちょっと日本に来過ぎじゃない?」「親日家というだけのことではないだろう」なんて思ったことがある。海外アーチストの来日は、日本という音楽マーケットを考えれば、当然のこと。それでもやっぱり、自分の中で、こと好きなアーチストの神秘性を保ちたい。そんな凡庸な想いもあった。ある事実を知って、あさーい想いに沈没した。数年前、深夜番組でたまたまクラプトンのロング・インタビューを目にした。彼が私財を投じてカリブ海に浮かぶ島に設立した「クロスロード・センター」(アルコール・薬物依存症患者救済施設)についてだった。運営費を集めるため、手持ちのギター百本(レイラの録音に使用されたギターも)を競売にかけたり、チャリティコンサートを開いたり、アルバムの売り上げも運営資金にあてた。施設への並々ならぬ情熱は、自らがヘロイン・アルコール中毒となり、地獄を見た。その体験に基づいていることは間違いない。音楽に救われた人間が、音楽で得たものを通して、同じ苦しみを抱えた人たちを救ってあげたい。が、だけではないのだろう。父親を知らないクラプトンが、一心に愛情を注いだ息子を事故で失った。(91年「ティアーズ・イン・ヘヴン」)「息子の死は本当にショックだった。あの事故から、一秒一秒、瞬間という瞬間をすべて大切にしなきゃいけない」「この部屋から出て行ったら、ぼくらは二度と出会わないかもしれないんだよ」「ぼくは、自分のすべてを出し切るつもりだよ」(雑誌インタビューより)そうした想いが、現在のコンサート活動や社会活動への熱い基軸となっているのだろう。ネットの情報で知ったのだが、クラプトンは数年前から来日のたびに、公演の合間をぬって都内の教会で、アルコール依存の体験談を聞かせているのだという。2002年57歳にして、再び女児の父親となったクラプトン。クラプトンの人生が語られるとき、苦悩や波乱、孤独・・・さまざまな言葉が付いてまわるが、紆余曲折を経て、人間としての痛みや感情をとり戻したクラプトンが向かう、音楽と生き方の姿勢。番組内での証言で、キース・リチャーズがこう締めた。「はたからみれば、おれたちは億万長者のロックスターだ。それでいっちょあがりだと思っているような連中はおめでたい。おれたちのような人間はどこまでいっても、つねに岐路(クロスロード)に立たされる」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それにしても、いつかの武道館のあのシーンは超~かっちょよかった。おもむろにタバコに火をつけ、ギター(ストラトキャスターかな?)のヘッド(と弦の間)にそのタバコを立て、ソロ・ブルースを奏でる。その間中、ゆらりふらりと、くねりながら立ち昇る紫煙。あえて高ぶらず、でも深い情念の響き。くぅ~~、シビレタ。ちなみに「スローハンド」とは、一時代のクラプトンの愛称。アルバムタイトルにもなっているが、ネット検索したら、きっとたくさん出てくるだろうな。
2003.11.27
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「釣りとは、釣り糸の先に魚がいて、もう一方の先にバカがいる状態である。」開口健さんの本の中で紹介されていた言葉(ご本人の言葉?)だったと記憶している。ずっと前のことなので定かではないが、確かそのようなことを言っていた。言葉に、じぶんの過ごす時間への愛着が感じられる。じぶんをスコンと笑い飛ばす大らかさがある。その頃、よくルアーフィッシングに興じていたこともあり、心地よい言葉として残っていた。この「じぶんをスコンと笑い飛ばす」だが、「おい、笑い飛ばしてるかい、近頃?」を、投げかける機会が増えたような気がする。仕事がらみで、自らにいらついたときにそう思うのだが、バカがつくくらい楽しんでいないからなのだろう。あれこれ面白がる、面白がるじぶんを面白がる、そのバカさ加減がへんにおりこうさんしている。周りの人間を見ていて、スコンと抜けてる(楽しんでる)人は、たいがい人と一緒に、じぶんをあっけらかんと笑ってしまえる人だ。「たかが○○」と言う前に、「されど」の部分をきちんと磨いているから、堂々とじぶんを笑いとばせるのかもしれない。気持ちいい人は、いい意味で、ハマってる人多いものなぁ。
2003.11.26
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右脚のスネ右部分(通じるかな?)に、ヤケドの跡がある。手で覆えば、隠れてしまうか、ちょっとはみ出るくらいのもの。少し遠めで見れば、光の具合によってさほど目立たない。いまでは、人に見られるのも、それがあることも、まったく意識の外にあるのだが、高校時代までは実は気にしていた。2~3歳の時(そのこと自体を覚えていない)、家の中で遊んでいて、ストーブ(北国育ち)にかかっていたやかんのお湯をかぶったらしい。田舎のヤブ医者の処置がずさんで(皮を剥いだらしいのだ)、跡が残ってしまった。もう、めったにその話をすることもないのだが、母親には心の傷として大きく残ったという。「自分が目を離さなければ・・・」親の心としては、そうなるだろう。もちろん、親をどうこう思ったことはなかったが、思春期はやはり気にしていた。小・中学校の体育祭のハレの場やプール授業などがイヤだった。ヤケドの跡を隠すために、右脚にサポーターを巻いていた。誰もなにも言わなかったが、今にして思えば、返って気にならないことが、その行為によって、気になるものになってしまった。そんな感じで見ていたことだろう。周囲の「そんなの、どってことないよ」ということに、いつまでもクヨクヨするから悩みではあるのだが。心の部分が、未熟にグジュグジュして、「こんなこと」と思っても本気の「こんなこと」になってない。劣等感自体が幼いのだ。それに気づく力もその時はない。要は、自分自身が解決するしかない。解決の糸口が、人の言葉だろうが、何かからの学びからだろうが、ふっきることができるのは、自分しかいない。ふっきると、「なんでこんなことに」と、それまでの自分の想いと行いが、無性にばかばかしく思えてしまう。もちろん、すべてであるわけがない。いつしか、ばかばかしく思えてしまうのは、自分にとってばかばかしく思えてしまう程度のことだった。そういうことなのだろう。で、ぼくの場合は、まったく唐突だった。高校時代の夏、男女の友人たちと海へ泳ぎに行った。やっぱり、多少気が重かったのだけど、みんなでギャーギャー騒いで、「いま、めちゃくちゃタノシ~イ」って、思った瞬間、ほんとにあの瞬間だ。「くっだらねぇ。」「オマエ、くっだらねぇだろ、そんなこと。」それから・・・「これさ、俺がちっちゃいときにさ・・・」ふきっれると、こうまでするかというイヤミなまでの豹変ぶりである。年を重ねるごとに、ちっちゃな劣りの想いはなくなったか?ある。相変わらず、しょいこみながらもそうも言ってばかりいられなくなった、が正直なところかもしれない。人の生死や生活そのものを揺さぶることにも出会えば、劣等感などとかっこいいことなど言ってられない。今日、勝ったか負けたか知らないが、とにかく一日には意思をこめなくちゃ。精神の背骨をしゃんと伸ばさなきゃ。一日がもったいないなぁ、だ。足らぬ自分で、もったいないこといっぱいだが、なにも想わねば、ほんとうにもったいなく消えていく。今日、ある文に出会い、ついこんなことを書いてしまった。
2003.11.25
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散歩道の途中に、ずっと心に引っかかっている名前の店がある。その名も「パブスナック苦労」メイン通りから、ちょっと奥まったうす暗いたたずまいが、ネーミングをぐっと後押ししている(グー!)。この店には、夜な夜などんな人たちがやってきて、どんな身の上話に花咲かすのであろうか。人生の辛酸を舐めた男と女、深い過去をしょいこんだ旅人、昼間はお調子者の仮面をかぶった傷つきピエロ・・・誰告げるともなく、その店の引力に惹きつけられるかのように人生の寄り道人がやってくる。口重き人が、そっとつぶやきかけたとき、グラスの氷がカランと音を立てた。「ねぇマスター、あの夏の日は楽しかったね。」一呼吸置いて、そう言った。傍らで寂しき女が、ムード歌謡を口ずさむ。 ・ ・ ・あぁ、人生の灯火、パブスナック苦労。今宵は、どんなドラマがその空間で繰り広げられているの?いまだそのドアを開けて、向こうの世界をのぞき見る勇気はない。
2003.11.24
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「オーサー・ビッジット こんにちは作者です!」(主催:朝日新聞社、協力・出版文化産業振興財団)今日(2003年11月23日)の朝日新聞朝刊(18~19面)に載っていた特集記事のこと。(記事内容を抜粋紹介)「大好きな作者が教室にやってきた!」子どもたちに人気のオーサー(作家、詩人、写真家など)が学校を訪ね、授業する。朝日新聞が創刊125周年、記念行事の一環としての取り組みがいよいよスタートした、とある。今回の先生の一人が、詩人・谷川俊太郎さん。谷川さんは、福岡市の高校(2年生)と近江八幡市の養護学校へ出向いた。高校では、クラスのみんなで詩をつくるのだが、その際、「詩をつくるときは『感じていることを表現して』と言われてきたと思うが、今日はまず、言葉を集めることから始めてみよう」と、教室にあるものの名前を順番にあげさせる。「黒板」「時計」「机」「ぞうきん」「自由の女神」「花瓶」・・・次に、集まった言葉を「てにをは」でつなぎ、短い文をつくらせる。その際、「意味を考えないで言葉をつなげてみると、普通の意味をこえた面白い表現がでてくる」とアドバイス。生徒から「カーテンとゴミ箱」「めがねとノート」「花びんの中の汚いTシャツ」。そこで、谷川さんは「最初の2つは教室で目についた情景、3つめをやめて、そこにそのときの君たちの心理状態を表現すれば、なんかドラマが生まれるんじゃないか」と自ら「自由の女神がジロリとにらんだ」の1行を加えたと。その後、生徒から「筆箱の中の自分」というのが出てきた。生徒たちがうなずく。谷川さんとの合作詩が出来上がった。 教室にてカーテンとゴミ箱めがねとノート筆箱の中の自分自由の女神がジロリとにらんだ一方、養護学校で谷川さんの授業を受けたのは、高等部で最も障害の重い4人。いきなりCDをかけ、「お星様ひとつ・・・」と自作の「誰もしらない」を歌った。次に教室にあった太鼓を先生に持たせ、「ぼくが『どんどこどん』と読んだら、それに合わせて『どんどこどん』とたたいて」とうながす。「まり」という絵本も、「ころん、ころころ」と、ボールをつついたり、ころがしたり、擬態語と動きで子どもたちに元気を届ける。今度は、教室の床に敷いたマットに移動。「チュとキュ」という詩を先生に読んでもらいながら、ふれあってもらうおでこにチュほっぺにチュすきだよ○○ちゃんすきすきチュしっかりキュ ・ ・場は、先生、見守る親を含めて、ぽかぽかと暖かくなってきた。いずれの教室でも「言葉と声」によって、人と人、時間の心地よさ、カラダと心が自ずと動きだす、そのチカラを存分に体感したことだろう。知ったことは言えないが、想いの視点がこめられたやさしい言葉の組み合わせに出会ったとき、人は人との一日をつなげ、一緒であることの幸福感 言葉にならない悲しみや哀しみ 深く静かな怒りなどを強く受けたとめたり、感じたりするのではないだろうか。谷川さんが、高校で朗読した詩の一つが掲載されていたので、それを。 がっこうがっこうがもえているきょうしつのまどからどすぐろいけむりをふきだしているつくえがもえているこくばんがもえているぼくのかいたえがもえているおんがくしつでぴあのがばくはつしたたいいくかんのゆかがはねあがったこうていのてつぼうがぐにゃりとまがったがっこうがもえているせんせいはだれもいないせいとはみんなゆめをみているおれんじいろのほのおのしたがうれしそうにがっこうじゅうをなめまわすがっこうはおおごえでさけびながらからだをよじりゆっくりとたおれていくひのこがそらにまいあがるくやしいか がっこうよ くやしいか「がっこう」を読み終えると、生徒たちが「うわぁ」とどよめいたという。もし、そばで聞いていたら、ゾクゾク度一気急上昇だ。むずかしい言葉などひとつもない。言霊とはよく言ったものだ。言葉そのものが生き物だ。生命をふきこまれた言葉に、ぼくも「おぉおぉおぉ~~~」しか出てこない。(谷川俊太郎さんの朗読が、これまたしみ込んでくる。ライヴではなく、ネットを通してだったが、ピアニストの息子さんとのセッションで。聴き入ってしまう、というか、落ちてしまう声なのだ)
2003.11.23
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これほどに、ダイナミックなトイレは見たことない。ニュースの山の風景で想い出した、槍ヶ岳山荘のこと。学生時代、槍ヶ岳(標高3,180m)に登ったことがあるが、槍ヶ岳南西直下の肩に建つ、槍ヶ岳山荘のトイレのことが忘れられない。夕方、小用を足しながら、なにげに小窓から外を見ると、そこは、雲海ファンタジー。自分の位置する場より高い所に、雲。自分の位置する場より低い所に、雲。雲と雲とが、空をサンドイッチにして、夕陽のオレンジがキャンバスを染めていた。わぁぁぁ。山荘が、まるで空中にせり出したような感覚にとらわれ、なんとも幻想的な世界だった。雲とは見上げるばかりのものではなく、時に見下ろすこともある。不思議な時空間のなかで、そんなことを思ったものだった。
2003.11.22
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いま、やりたいことの中の一つに、弓道がある。正しく言えば、「やり直したいこと」になる。高校時代、弓道部だった。本多流弐段(ウォッホン)自宅からクルマでほど近いところに偶然、市の弓道場ができたのを見つけた。時は流れ、今はただの認定段になってしまったが、また弓を持つ機会があればと考えていたから落ち着かない。マイ袴、マイ弓と矢とともに復活の日をひそかにねらっている。28m先にある直径36cmの的を射る「近的」と、100m先にある直径1mの的を射る「遠的」とがあるが、通常の稽古、競技は近的で行う。母校の弓道部は、当時、県内でもつねに上位に位置し、練習はかなり厳格な雰囲気の中で行われた。3年生…特に主将は、神様のような存在だった。1年生は、入部時から半年間みっちりと先輩について、「射道(法)八節」を習う。弓を射る一連の動作、基本のかたちをしっかりとマスターする。棒にゴムのついた、ゴム弓で習う。本物の弓はなかなか持たせてもらえない。「射道(法)八節」とは、「足踏み(あしぶみ)」「胴造り(どうづくり)」「弓構え(ゆがまえ)」「弓起こし(打ち起こし)」「引き分け(ひきわけ」「会(かい)」「離れ」「残身(心)」弓は引くのはなく、押せ(肩の付け根、弓手の親指の付け根から)と習った。「会」とは、日本弓道連盟編 弓道教の言葉を借りれば、「形の上では「引分け」の完成された状態をいうが、射手の心理からいえばむしろ無限の「引分け」である。精神・身体・弓矢が渾然一体となり、間断なく天地左右に伸張して(伸合い)発射の機を塾せる頂点で、まさに弓射の極致である。」・・・ふぅ~。つまり、弓を引いてきて、一番緊張が高まった状態。そして「離れ」。「離す」ではなく、あくまでも「離れ」。ピンと張り詰めた糸が、ふっと自然に切れるように。(なかなかこの境地には達しないけど)「残身(心)」・・・矢の離れた後の姿勢。身体で言えば「残身」だが、「離れ」から続く、気のかたち。精神で言えば「残心」となる。武道の言葉には、日常生活とリンクしているものがあって面白い。ちなみに、弓を構えて的を見ることを「物見」、左手の弓の握りを「手の内」、弦(つる)を引っ掛ける皮手袋を「かけ(かけがえのないの語源説も)」、その右手は「勝手」などという。昇段試験の筆記(と実技)で「弓道と自然観について」の問いがあったときには、さすがに面食らった。(自然観ねぇ、なに書いたんだろ?)弓道は、伝統にのっとり、和の道をゆくという感じだが、2年生の時から、竹弓がグラスファイバー弓に、矢はジュラルミン製が主流になった。(高校では)扱いやコスト、反発力の関係でそうなったのだと思うが、さすがに趣にはかけた(使いやすかったけど)。またやるなら、職人の名入りの竹弓に竹矢、矢筒・弓袋・道着・足袋・かけ・・・と、和のココロを身にまとい、一射入魂といきたいものである。
2003.11.21
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「Trick or Treat!(なにかくれないと悪戯しちゃうぞ)」朝、食卓であのカボチャのイラストの包み紙のキャンディーを見つけた。話題的に、時すでに遅しだが、少年時代のことを思い出す。北国の基地(エアフォース+航空自衛隊)の町で育った。ベースの周りに、外人さん専用の賃貸住宅がある。白塗りの外壁だったので、ぼくたちは「ホワイトハウス」と呼んでいた。当夜、窓辺や玄関などに置かれたカボチャにキャンドルの火が灯る。さぁ、ぼくたち、少年探検隊の出動タイムがやってきた。夜という時間帯の関係で、学校からは「出動」を禁じられていたが、守られたことはない。(建前。基地の町で「するな」というのはねぇ。さすがに大人たちもわかっていた)学校で、おおっぴらに話さなければいいだけだった。用意するは、GマークやTHの入った野球帽。一軒一軒ドアをたたいては、「Trick or Treat!」ドアの向こうから、笑顔と一緒に「Happy Halloween!」キャンディやチョコレートなどのお菓子をもらった。何軒か回るうちに、キャップの中はいっぱいに。ぼくたちは、満面の笑みをたたえ、勝利の雄たけびをあげ、家路に着いた。人口4万人+外国人基地従業員・家族1万人以上。こんな町だから、良くも悪くもベースを中心に生活があった。ぼくの父もそうだったが、多くの友人の父母が基地に勤めていた。日米学生交流会、日米ケンカ? 航空祭、おこずかい稼ぎ(「カットグラス?(庭の芝刈りいかが?)」日本人従業員の大量解雇・・・どんなときでも、クリスマスの頃は、子ども心にもファンタジーを感じた。夕方のひっそりとした町に、雪がしんしんと降り積もる。家々の庭や窓に飾り付けがなされ、暖色の灯りが点滅を繰り返す。北国の小さな町の白の世界の中で、ぽっぽっと笑みをなげかけるようだ。(もちろん、子どもの頃は、そのように「感じて」いただけだ)外人さんは、家族や友人たちとのパーティで、あまり町では見かけない。なんだか妙に切ない気持ちになって、家の明かりが恋しくなる。家に着くと、チョコレートケーキがテーブルにある。父が、基地スタッフの奥さんからいただいたお手製だ。「うわぁ~、うめぇ」 苦味と甘みが絶妙だ。これぞ、アメリカンホームメイド!・・・なんて、本気で感動していた。故郷を離れた今、過ごした時間のすべてがいい思い出として美化されている。だが、友人のメールだと、現実は厳しいものもある。外人さんが、基地の外であまり遊ばなくなったと。基地自体は大きくなっているのに、基地内で生活をまかない、街に出てこないから、飲食店や商店にお金が落ちないと。「がんばれぃ、我が町」と思いつつ、実感が薄くなったのも正直なところ。あの町とつながるのは、相変わらず、基地の町を楽しんだ日々のことだ。
2003.11.20
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我が胸に帰ってこい、あの名画シーンたちよ。。。MDPと言っても、もうほとんどの人には通じないだろう。マルチ・ディスク・プレーヤーのことだ。(いまだとMDプレーヤーといいたくなるが)レーザーディスクとCDが一台の機器で楽しめるもので、けっこう重宝した。日本で広がったのはそんなに古い話ではない。10年ちょっと前くらいのことではないかな?ぼくのはマランツ社製だが、当時、パイオニアあたりのモノが売れていた。そのMDPが壊れてしまった。年末が近づくと、思い出したように観ていたレーザーディスクがあり、余計、無性に観たくてしかたがないのだ。観たいのは、ヴィム・ベンダースの「パリ・テキサス」 脚本:サムシェパード。アメリカのパリテキサスという街が舞台。この映画で、ナスターシャ・キンスキーとライ・クーダーにはまった。特に、ライ・クーダーのギターの音色は、ストーリー全体の「乾いた」空気感、映像に重要な役割を果たした。その後、彼のアルバムをけっこう買いあさった。お次は、「ラウンド・ミッドナイト」パリのジャズクラブ、ブルー・ノートを舞台に、ニューヨークからやって来たテナーサックスの名手の姿を描いた音楽映画だ。実在のモデルがいて、ジャズピアニストのバド・パウエルがそうだと言われている。セロニアス・モンクの名曲「ラウンド・ミッドナイト」をテーマに、七色の声、ボビー・マクファリンがハービーハンコック・トリオをバックに切ないスキャット(トランペットのミュートを意識している?)を聴かせてくれる。この映画、天才・ハービー・ハンコックやロン・カーターなど多くの大物ジャズメンが登場して、ストーリーそのものがジャズだといえる。映画に登場する部屋の壁が簾(すだれ)にしてあったのだが、早速マネた。実はいまキーボードをたたいているこの部屋の前面は、いまだにその演出である。(意外としぶといのである)マイルス・デイビスも、同曲をアルバムタイトルにしているが、なかなかシブいのである。(語尾の「のである」は、ちびまるこちゃんナレーションバージョンで)あと、もう一つは「フィールド オブ ドリームス」ご存知、ケビン・コスナー主演の野球夢小僧映画。ある日「それを作れば、彼がやって来る」というお告げを聞き、農夫がつくった野球場。周囲の好奇の目の中、トウモロコシ畑をつぶしてまで作った、夢にかけた野球場。父親との再会のキャッチボール。伝説の大リーガー、シューレス・ジョーとの出会い。月明かりの中、風にゆれる草の群れ。そして、野球場へと向かう車が列をなすラストシーン。大人のためのヒューマンファンタジー。あ~あ。(この手の映画は好みが分かれると思うが、腰に両手をあて、ぼくは好きだ(ヘン))いずれも映画館で観て、「この暗闇の時間を買った!」と感動して、その後、レーザーを買い求めたものだが、それだけにストーリーそのものに愛着があって、ただの飾り物になってしまったのが残念でしかたがない。いま、DVDをあらためて買おうかどうか思案中である。
2003.11.19
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深夜、最近知り合ったモノづくり会社の社長からメールが届く。先だって、「忙しそうですね。でも「忙」しいとは、心を亡くすと書くらしいから、、あなたのところは「充実」してますね、といった方がいいのでしょう」といったら、だといいのだが、「いまは心を亡くしそうだ」とのこと。相当、忙しいみたいだ。先日、メールが来たのは、日曜日のAM2時前だ。昨夏、長年努めた会社が不況で幕を閉じた。独立にあたって、後輩二人が当面は無給でもかまわないから、一緒にやりたいとついてきた。自分を含めて、社員3人からのスタート。腕はあるが、お金はない。お金がないから、うんとこさ知恵を絞り出す。同じく不況で閉めた工場を、再生利用して借りることにした。そのままになっている工場の後片付けや修理を申し出て、その代わりに家賃を安くしてもらった。自社用の電気工事費が予算を大きくオーバー。150万円ほど足りない。ダメもとで、工事会社の社長に出世払いを申し出る。「いいよ」…意外な言葉が返ってきた。そればかりか、事務所に必要なFAXやコピー機などの通信機器も自社の中古をあげるという。その会社は事務機販売も手がけているらしいのだが、「その代わり、余裕ができたら、ウチから買ってくれればいい」と。あとでその社長は言ったという。「あんたが、ウチ一社を頼ってきたのがわかっていたから、なんとかしてやろうと思った。あれが何社にも声をかけ、駆け引きしていたら、そのつもりはなかった」同じ痛みを知る中小企業同士。若い力にできるだけの後押しをしてあげたかったのだろう。その後、3人モノづくり会社は、約束通り、新しい事務機類をその社長の会社から買う。ホームページも立ち上げ、「モノづくり応援企業」を合言葉に、一貫して「日本のモノづくり」の大切さを訴えた。一年経って、一期目黒字、取引先10倍、新聞にも載った。その後、ホームページをみて、あの世界のホンダが栃木から神奈川の3人会社まで会いに来た。技術について教えて欲しいと。モノづくり魂は、規模にあらず。こりゃぁ、どっちもスゴイ!!! と大感動。(さすが、あのオヤジさんスピリットは健在なり)またまた市の中小企業広報誌からの取材、工業系新聞社からの執筆依頼……勢いはとまらない。特にマスメディアへの口コミ戦略など、いま流行のしかけを仕組んだわけじゃない。人より働き、人と積極的に会い、自らの「声」を堂々と発信し続けただけだ。この3人モノづくり会社のM社長は、たんたんと熱い。創業一年、ホームページを作った時点から、「ある自社製品が売れたら、その利益を日本のモノづくりの発展につぎこみたい。だからアイデアをもつものは、名乗りでてほしい。自分たちがかたちにする」と訴え続けている。「なぜ自分たちの会社(前社)はつぶれたのか? 安い海外製品に、日本の産業が負けたからではないのか? このままでは日本の物づくりは無くなってしまう・・・ 日本人がもっとも得意としていたMADE IN JAPAN が無くなってしまう・・・」まっとうな想い・行いを伝える声に、見る目・聞く耳をもつ者が名乗りを挙げる。すべてが、こう上手くは運ばずとも、そういう事実をどう思うか?と聞かれたら、これは、やっぱり気持ちいい。一般の生活に全く関係のない分野だが、モノをつくり届けることがうれしくてしかたがない。こんな会社に大きくなってもらい、地域をぐいぐい引っ張っていってほしいと思う。
2003.11.18
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昔からの悪いクセで、ろくに読みもしない雑誌をつい買ってしまう。ちょっと?前なら、BRUTUS・STUDIO VOICE・SWichROCKing on・mono(マガジン)・Tarzan・ビーパル…いまはグンと減って、Memo・Pen・湘南スタイル・通販生活・ダヴィンチ…くらいだろうか。表紙のタイトルに、まずやられてしまう。「OUT OFBLUE ライ・クーダー 五線符の荒野 -流れ者の唄-」 だとか、「MOVIN ON THE ROAD 移動する視線 ヴィム・ヴェンダースとロード・ムーヴィーの監督たち」だとか「家づくりのパーツブック」などと、文字を連ね手招きされると、つい導かれるように買ってしまう。書店で手にし、「ほほぉ、これは手応えばっちし。家に帰って、ちゃんと読むぞぉ」と勇むのはそこまで。あとは、パラパラ、ダラダラ、読むでもなし捨てるでもなし。文字づらと絵づらを飽きず眺めると言った方があっているだろうか。雑誌については、それでもいいと思って買っているところがある。おもむろにページを開くと、「こだわりのログハウス・ライフ 都会に森を持ってくる」なんて特集が組んであり、その外観・内装ともに木の質感をふんだんに生かした家づくりに憧れる。今のところ、まったくの夢に過ぎないが、「こころとからだを育む木の器」に住みたい人間にとって、想いを満たすビジュアルと過ごす時間も、また興なりである。好きなアーチストも同じ。その人の好きな音楽、映画、影響を受けたアーチストなど、ルーツに触れる時間が心地よい。所々、読み込んでは、あとは眺め・・・を繰り返している。よく思うこと、願うことは、具体的な言葉で紙に書けという。具体的なビジュアル(シーン)を想い描けという。脳に潜在的なイメージを送り込むことで、その人の想うところに向かうと。と考えると、好きな雑誌を眺めることで、そうなりたい人や空間の、絵と言葉に具体的に触れる時間をもっているといえるかもしれない。アルファ波、いっぱいでているかも。「情報」すべてに、効果・効率、価値を問う必要はない。特に必要はないが、この世界が「好き」だから買う、もあっていい。ある音楽家がテレビで、「一見、ムダと思われることにどのくらいのお金を費やせるかで、その国の民度がわかる」と言っていた。(おそらく、日本は音楽や芸術に対して理解が足りないと言いたかったのだと思う)国を論ずることはできないが、自分の中の民度としてなら、そういうことがちょっとは言えるかもしれない。
2003.11.17
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その言葉には、血が通っていた。商店街で、ふいに耳に飛び込んできた言葉。僕の一日の背中をポンっと押してもらったような気がした。商人が商人に、立ち話の別れしなにかけた言葉だ。60代前半だろう男性が静かに言った、なにげないひと言に体温を感じ、妙に響いてきた。「稼ぐ」という、言葉の響きがいい。仕事とお金と暮らしの間に、しっかりと人が在って、つながり、モノやサービスを届けていく。なんでもない日常の中、身近な言葉の息づかいに触れ、新鮮な気持ちになった。シチュエーションの影響もあっただろうが、気張らず、たんたんとお互いの商いを思いやる、商人の心意気が感じとれた。「儲かる」という言葉も、きらいじゃない。「儲」かるは、「信」じる「者」と書くようだ。自分の未知を信じた者には、道が拓けるということだろうか。(いま、ジャレで考えただけ)「儲ける」ではなく、「儲かる」しくみをつくることに、相手と自分の益が生まれてくるのだろう。昨今、さまざまな成功者のさまざまな成功法則が吸引力をもち、多くの人を惹きつけている。行動に裏打ちされた彼らの声は、自信に満ちている。とは別に、身になじんだ技や物売りの心で、小さいながらも発せられる深みある声も味わい深い。「どちらさんもタイヘンじゃろ。でも、今日もちゃ~んと生きようぜよ」一商人の言葉が、威勢良く肩をたたいてくれた。
2003.11.16
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「ポケットの中に、いつも0.5秒はとってあるんだ」温かな人柄が、レース関係者に愛されたフェラーリチーム、F1パイロット。故ミケーレ・アルボレートは、雑誌でそう語っていた。ポケットの中の「0.5秒」1,000分の1秒を問うF1の「0.5秒」は、とても大きい。GPによっては、レースグリッド7,8番手は違ってくるだろう。同チームのF1パイロット同士なら、一方には屈辱的な差だ。この差が続くなら、一方は速い奴、もう一方は遅い奴と呼ばれることになる。エースドライバーとセカンドドライバーとに、ほぼ位置づけされるF1の世界。勝利と栄誉、憎悪、嫉妬、言い訳、差別、チーム内の明確な身分差……もともとが、貴族社会の遊びごととして生まれた(確か)F1は、ある意味じゃ、とても人間くさいスポーツだ。F1を観るたびに、この「0.5秒」を思い出す。じぶんなら何だろうかって。(うそ)お金、家族、親族、友人・知人、仕事……タイヘン?散歩の時間、くらいにしておこうか。でも、「0.5秒」だものねぇ。人それぞれで、重かったり軽かったり、深かったり、どうでもよかったり、そんなこと考えずに、すっ跳んでったり。するのだろうけど、みんなどうとるのかな?たまにはポケットに手を突っ込んで、そっと確かめてみる。さて、なにが出てくる?やっぱり・・・なに?・・・なんだろう?グッナイ。
2003.11.15
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作家の大江健三郎さんが、著書(ずいぶん前のことなので覚えてない)の中で「書くこと」について、このようなことを言っていた。(たぶん)「ここに弱い自分がいる。誰か助けてください。そう声に出してもかまわないのではないか。小説を書くとは、そのようなことなのではないか」と。その時は、う~む。なんて、感じたふりしてたけど。(シーン2:月日は流れた)以前、混雑する駅構内で、こんな場面に出会った。車椅子の青年が、ホームの階段を見上げている。一人では上がれない。どうしようか。駅員さんを呼ぼうか。先を急いでいたぼくは、ちょっと躊躇した。そのとき、車椅子の彼は、こう言った。大きな声で、はっきりと。「誰か、ぼくを助けてください」「どなたか ぼくに力を貸していただけませんか?」不覚にも、泣きそうになった。するとどうだろう。それまで通り過ぎるばかりの人が、その声に吸い寄せられるように集まってきた。その声に救われたのは、周りの人間だった。その人の言葉が、ほんとうに生きているのは、その人が、ほんとうに生きようとしているから。そう? そう思いたい。たとえ独りよがりの声も、もし誰か受けとめる人がいたら、それでもいいよね。思い切って声を発するとき、すでに相手はいる。誰にでも。だから、声そのものに意味がある。成功とか失敗とか価値とか勝ちとか・・・まったく別の話なのだ。あーほんとに。なにを書いているのか。仕事話どころじゃないね、こりゃ。日記ということで、どうか許サレテ。。。ちょっとけっこう・・・弱ってます、ワタクシ。と、声をだしてもよろしいでせうか?(誰に言ってる?)誰にでも、非常口は必要でして。といっていたら、仕事先からメールが届いた。この間、なにかともめた案件が、周囲で大好評だと。次の仕事もお願いしたいと。も一個、別件でも相談にのってほしいと。おお、神様。天の声よ。心の友よ(byジャイアン)ありがとう。その声に、ほんとうに救われた想いです。これも楽天効果?こういうことってあるんだな。偶然出会った、意味のある偶然の人たちへ。それから、あの町この町、泳ぎまくってるあなた、あなたですよ。(あ~、泳ぎまくって行っちまった。)グッナイ。
2003.11.14
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sometimes I’m happyって、ジャズがある。○と×と△と・・・日々を重ねて繰り返し、今日は、みんなにどんな日か。成功話に煽られ毎日、まぁ、キライじゃないけど、だいじょうぶ。オッケイ。のひと言が素直にしみ込む日もあるね。
2003.11.13
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