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夕闇の中、前車がまだライトをつけない。対向車にもけっこういますね。こわいなぁ、ちょっと。前車のボディカラーは、ぼくと同じシルバー系。夕方からは、かなり目立たんぞ。夜の路上駐車で、他車と並んでみるとわかるけど、気づかれにくいぞ。車間距離をそろりそろりと離しながら、後に続きます。前車は、たぶん「見えている」からなのでしょうが、後車(ぼく車)や前の右折車や歩行者には、よく見えてないかもよ。もし、やっちゃたら、場合によっては「ドカンと一発、かまどけぇす」だよ。よく言いますよね、気づいてもらうためのライティングって。これでいけば、公衆トイレの鍵などもそうかな。開けられたくはないし、知らずに他人が開けてしまって、気まずい思いをさせないためでもあると言えるし。これはちょっと違うけど、スーパー銭湯なんかでも。♂をタオルで隠す派と、これ見よがし派(でもないだろうけど)。ぼくは、ぼく自身に自信がないのもそうです(汗)が、他人の♂など美しくなくて見たくもないので、同じように感じる人がいるだろうと隠します。ああいう場ですから、丸出しでもおかしくはないのですけどね。などと書きながら、思っているのは、じぶんが気づかないところで、かなりやってるんでせうな。ということ。人との関係で、「なにかこちらに気がついたときは遠慮なく」と言うようにしていますが、それでも、人とじぶんの見解・正解が違う場合はありますね。違うままやっていけるのであれば、BeingではなくDoingの問題として、歩み寄り方を話し合えばいいのかなと思います。今日の青色発光ダイオードの判決のようなことは、どうなんでしょうね?200億の支払い…中村教授側は、さらに400億円余についても追加請求するということですが。商品化されたということは、生産・販売の過程で付加価値を付け、一人の開発者を支えた社内外の多くの共同者がいるということですよね。仮に、企業存続に影響を及ぼす場合、その人たちはどう思っているのでしょうね。ある社長は、「研究者と会社が信頼関係を築いてなかった結果」と言ったそうですが、この類のことに契約書がなかった・・・んですよね。知的財産を前提に、経営資源を使う企業内研究ですからね。ちょっと不思議。一バカ者の浅想いですから、「それは間違い」かもですが、こうしたことが「どうなのだろう?」と、じぶんに考える機会をくれたことは、オッケイでした。また、「こんなことどうでもいい」という人がいたりすると、それはそれで大オッケイと言いたくなりします。変わってますか?せんよね。(実際、周囲にもそれどころじゃない人…明日の生命、最優先の人もいますし)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤忠(ほぉ、一発変換でOKか)商事がブルーノートの日本営業取得権を獲得と。今後、画像配信にも力を入れていくそうで。それだけ?それだけ。////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////プレ本日日記。やらなけらばいけない、考えなければいけないことがあるのに、アタマどんより。こんなときゃ、ひたすらご陽気バンジョーで、よか晩じゃぁ。これからお出かけの、おクルマCDをチョイス♪フォギーマウンテンやらブルーグラスやらブレークダウンやらごきげんノリでかましてみませう。「24人のバンジョープレーヤーがくり広げる」・・・久々聴いたけど、はぁ、そうだったけ。ハッホッヨッサッソレッ♪学生時代、バンジョー弾きがいて、なんだかんだの催しや卒業後の結婚式じゃ、ちょっとしたスターだったものなぁ。なんてったって、人の気分をハッホッヨッサッソレッ♪ いいねぇ♪いってきまっさ。
2004.01.31
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女子高生らしき人が、ベビーカーを押して道の向こうからやってくる。同じ制服を着た友人と、楽しげに話をしながら。ドキっとしました。正直言うと、かなり。「まさか、ねぇ」…なにも、ありえない話ではないのですが、「制服」が、視る目にバイアスをかけてしまいました。おそらくは、縁者のお子さんなのでしょうね。いや、ほんとに姉妹(弟)かもしれないし、マイ・ベイビーかもしれません。だとしても、私服であれば、さほどなにも思わなかった。「ずいぶんと若い可愛いお母さんだな」くらいだったでしょうね。すれ違うざま、目が合いました。心なしか含み笑いを浮かべて、こちらを見たような。(気がしただけなのでしょう)「はい、オジサン、一瞬、そう思っちゃいました」とくに悪いことをしたわけでもないのですが、見透かされたような落ち着きのない心持ちになりました。制服ねぇ。そういやぁ、今だって見渡せば周りにいるなぁ。あちこちに。工場勤めのAさん、サービス業のB君、会社経営のCさん・・・ごめんね、そのユニフォーム、まったくイカしてないです。あくまでも、制服の話ですよ。働く庶民のね。あなた方、しっかし、いっつもイキウキワクしていますね。けっこう手痛い失敗話も、実に愉快そうに話すよなぁ。なんでもないカッコで、なんでもない言葉で、面白いことをとんとこ言うよねぇ。それぞれの物事を楽しんだり、楽しくしようと思っているフィルターを通して話してくれるから、分野や表現を問わず面白いよね。専門的で突っ込んだところはわからないにしても。公とか私とか、じぶんの置き方、楽しみ方に制服を着せていないからかな。だから、言葉も仕事もその人の文脈として力をもつのかな。この頃、仕事で付き合いの多いDさんも、ほぼ毎日0時、時に4時まで営業マン。「いやぁ、面白すぎてヤバイんです」と。夜中まで働くことがいいとか悪いとか、それは個人の好きにしてもらって、「ノッてきて止らないんですよ」という、彼の話を聞いているのが面白い。この前は、夜中に社長が酔っ払って、「仕事なんかしてないで、飲みに来い」「仕事はマラソン、先は長い。給水は必要だ。だから、来い」で、後日、夜のジョギングにケイタイ持参で出かけて、「社長、給水ポイントはどこですか?」だって。紳士服A山のほどほどスーツに身を包むDさんは、きっと今日も深夜まで仕事で遊ぶのでしょう。この人、ほんと元気によく笑います。時に、「あの人は、つまんない人」と、身勝手に思ったりすることもありますが、実は、こちらの視線の制服を脱げずに見ていただけかもしんないし。その人の、じぶんにない部分をこっちが楽しんでいないのかも。「キャパ不足よん、お前さん」と、軽く反省。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・言葉は適切かどうかはわかりませんが、世の関心的には「征服」なのでしょうね。昨日の下世話日記ではないですが、日常の大も小も含めて地球は回るですね。
2004.01.30
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鍋やうどんと一緒に、温野菜をたっぷり食べた翌朝にゃぁ…おなかスッキリ、ベンキ山盛り♪ウンがよけりゃ♪ ウンがよけりゃ♪ ウンがよけりゃぁ♪よっしゃぁ。今日は、なんだかトクした気分。ハッピ~♪昔から、ンコ話はとくに好きというわけではないのですが、嫌いでもありませんでした。飲食しながらでも、この手の話をゲラゲラ笑いながらできる方です。もちろん、人を選ばないと、とんでもないことになります。思わず調子に乗りすぎ、相手の反応から「こりゃマズった」と思ったこともあります。「あなたって、そんな人?」の無言の声に、「ま、それもあなたの思うワタシなら」と、はは・・・と笑ってごまかします。すべてが、そういかないときもありますが。んで、バカかりし頃(今だ!)、友人たちと飲みながらゲーム?をしました。「今日は、ンコの話以外はしていけない」(ええ、ええ、どうせンコな人間ですよ)そのとき、どんな話をしたかは覚えてませんが、たいしたことは言ってないでしょうね。「ワタシしゃ、あなたにほの字なの。たたみに、ンコで文字文字、『のの字』描き」(あほ)そう来たか。では、一句。「カレー食い 翌朝お届け 大盛りカレー (雲珍)」(あほ2)「う~ん(こ)、もうひとヒネリ、だな」(あほ3)「そうだ、自家製ミソは、約3%の塩水とンコを入れ、『のの字』を 書くように…」(あほ4)「探し物は、ンコですか♪ 見つけにくいウンですよぉ♪」いま、バックでかかってるんです♪(あほ5)「太く短い奴、長く細い者、カタクなに己を守り、時にかたちを留めず、水に流される」「ああンコよ、お前って奴は・・・」(純、お前は勝手にやれぃ by 五郎)あのモーツアルトが、ンコ話(もしかしてモノそのもの?まさか?知らん)好きだったって聞いたことありますが、だからかぁ♪マタニティ、胎教音楽っていうと、モーツアルトさん出てきますが、カラダと気分すっきりの関係なのかぁ?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ズ、ラチャチャチャ、チャンチャンチャンチャン♪陽水さんの「感謝知らずの女」。よ・な・かにぃ~ ンコしたぁ♪ ぼくは、「ベンピ知らずの男」。あ~あ。↑こりゃ、「断絶」だよ、おい。(夜中にデイトした♪)で、「ぼくはあなたのために すべて忘れてンコしたぁ~♪」に訂正。え、どっちもワカンナイ?ワカンナイのよぉ♪
2004.01.29
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ある人が町の絵を描いていて、「なにか足りない」と言う。ん? 「カンバン」だと。はは、なるほど(わかってない)。香港の、あの上へ下へとせり出した「我こそは」の、ハデなカンバン…ではないですね。もっと下町情緒でもないけれど、そんな雑多な人の生きた暮らし、空気感をかもし出すために、カンバンが大切な役割を担うということなのでしょうね。言葉でいちいち語りかけるわけじゃないから、説明的ではなく、視覚的に生活のにおいを感じさせる、かくし味みたいな。そんなところでしょうか。「カンバン」というともう一つ、ずいぶんと前に人から聞いた、言葉を思い出します。「タバコ屋のカンバンは、タバコを吸う人にしか見えない」。確かに。いろんな言葉に置き換えてみると面白いなと思って、時々、思い出す言葉でもありました。換言すると、見ようとすれば、見えてくるものもある。そんなふうにも言えるのでしょうね。たとえば、この話をあえてベタに捉えて、一時期、目についたカンバンをカメラにおさめたことがあります。変わりダネもあったと思いますが、どっかに消えたのでもう覚えていません。でも、これをやっているとき、世の中にはずいぶんと面白い仕事があるものだな、と思ったものです。この類の話を、もっと突き詰めて研究し、本を書いたり、起業したりする人もいるのでしょう。仕事でも、私生活でも、人の関係や物事で、今まで見えなかったことにたとえ偶然でも気づいたとき、そこから見続けようとしている人っていますよね。個人的には、周囲で違った考え方、やり方につなげているのは、どうもそんな人のように思えるのです。みんなどうなのでしょうね?こんなことを思うと、必ず思い浮かぶ人がいます。荒俣宏さんという方。この人、何屋さんと呼べばいいのでしょう?あの「帝都物語」を書いた人です。作家ではあるのですが、その範疇に納まりきれない。歩く好奇心のような人で、アタマや心の中に望遠鏡や虫メガネをいくつももっている人。それにしても、いったいこの人は、どこまで見ようとしているのか?対談で言っていたのですが、「帝都物語」の印税が1億5000万くらい。それを、 「こりゃいいやってことで、 ほとんど本を買いました」ですって…きっとほんとだと思います。で、図像の本も書いてたかと思うと、植物誌や博物誌みたいなものがあったり、翻訳を手がけたり、幻想文学を研究したり、B級美術史にも造詣が深かったり・・・インプットしたものが書物や評論?というかたちでアウトプットされている。それを役立った、楽しい、心が豊かになったいう人が多くいるのだから、知識がただの知識ではなく、よく言うところの行動(行い・結果)につながっているということなのでしょう。まだまだこんな人がいるのだとは思いますが。じぶんの人生をより楽しくやるために、いろんなカンバンを見つけるのか、集めてつなげてみるのか、新しい組み合わせを考えてみるのか、自らが新しいカンバンとなるのか…見つめ方一つで、まだまだ人それぞれのやり方もひろがってくるのかもませんね。(眠くて半分目が閉じそう。ムリやりまとめた本日日記。宿題も放って寝てまえ。)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・晴れた日の冬日の空気は心地よい。などと言っていられるのは、あともう少しだけ。2月中・下旬ともなれば、あの10人に1人?の国民病の季節がやってくる。ああ~。
2004.01.28
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数年前、あるサイトが、寄稿するAさんのためにサプライズ企画を行いました。Aさんの誕生日に、軽い画像でメールの花束とメッセージを届けたのです。読者とこっそりとたくらんで。好きな花を画像にする、イラストの花束を描く、「はい」とPCの向こうの本人に渡すようなポーズをとる・・・人さまざまです。後日、本人が大感激のメッセージを寄せていました。数ヵ月後、Aさんは病で旅立ち、その家族が再度、感謝の気持ちを伝えていました。ミスターこと長島茂雄さんは、現役時代、ダッグアウト裏の大鏡の前で、空振りして帽子が飛ぶ様を練習したり。守備のときスタートを遅らせて、ファインプレーのように魅せたり。平凡なショートゴロを横取って、ランニングスローで一塁へ、華麗なサードゴロにしてしまう。しかも、ファースト側のカメラマン席からみると、とても絵になった(した)と。読み聞きの話ですが、同じことを何人もの人が好意的に証言しています。あるコメディアンが、以前、TVで話していた谷啓さんのこと。電話でマージャンに誘われ、「すぐ行きます」と言うと、「いや、数時間後に来てくれ」と。それに従い自宅へ行くと、庭先でヒュー、パンパンと打ち上げ花火があがり、パーティでよくやる室内装飾がしてあり、「はい、○○ちゃん、いらっしゃい」。「ほんとに変わった人なんです」と、愉快そうに話していました。いまは亡き、ある作家が書いていた友人の話。こよなく都内の下町を愛する植木職人、緑のおじさんは、町に緑の潤いがなくなっていくのが寂しくてしかたがない。で、軒先がぶつかりあうような路地の家々を見つけては、早朝、家の前に鉢植えをいくつか置いて、影から様子をうかがっていると。寝ぼけまなこで出てきた住人は、一瞬キョトン。そして、水やりを始める。その姿を見て、黙ってその場を立ち去る。その作家は、彼を「グリーンゲリラ」と呼んでいました。この手の話は、当然、好き嫌いがあります。ので、それはそれでいいのです。実は、今日もリンク先の関西出系日記から、すっかり忘れていた話を思い出させてもらった。その人は、「ネタ切れでつまんないかも・・・」って書いてましたが、ある話が、自分の土中に眠っていた想いを芋づる式に引き出し、ぼくにとってはラッキー&ハッピーでした。好きだった話を、再び好きな話として書き留めておくための広場日記の効用。今までも意識せずにやってきたと思うけど、そんなこともあらためて。だいたい、通常日記自体が何度チャレンジしてもだめだったものなぁ。見られたり、見て感じたり、ときにはよぉ、余計な口をよぉ、出してよぉ。ここは長屋みてぇなもんだな、熊さんよぉ。でもよぉ、タイトルはよぉ、思いっきりよぉ、関西弁やでぇ。(あっとるかぁ?)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日見た、犬を散歩させながらケイタイする人。ありゃ、いかん。ほんとに美しくない。人のことは何でも言えるですが、犬の散歩とケイタイの組み合わせがいかんです。何卒、おやめくだされ。
2004.01.27
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誰かの言葉に誘われて、自らの言葉や想い、あの時がひろがる。それも、広場日記のいいところなのかもしれません。ジョンリーフッカーさんが、昨日日記で「真夏の夜のジャズ」をとり上げていました。さっそく、押入れにしまったであろうビデオを探してみるが出てこない。ここは、陽水さんの「夢の中へ♪」でも歌って待ってみることに。ヨコハバ市では、真夏にいくつかの市民ジャズ祭が開かれます。中でも、もどこ自然公園とシケモク市民公園で演るのは有名で、昼から夜までのんびり、ズ~ジャな時間を楽しめます。ただし、マッカッカになることを覚悟しなければいけません。だんだん日焼けが苦手になり、足が遠のきました。(けっこう疲れますし。根性なし)特にシケモクJAZZ祭は、ジャンルごった煮のお祭り。そこが好きなのですが。(しばらく行ってないので、でしたが。)過去に、梅津和時、渡辺香津美、中本マリ、綾戸智絵、大野えり、岡本章生&ゲイスターズ、松岡直也、山下洋輔クラスをはじめ、憂歌団、三上寛 、河内家菊水丸、小林靖宏 、近藤房之助、カルメン・マキ、ピンククラウド、上田正樹、竜童組、林英哲、シーナ&ザ・ロケッツ、ミッキー吉野、エディ藩、上々颱風なんていう面々も出てます。こうした人たちが半日演って、¥3500(前売り)は安いですよね。実行委員長を柳原良平さんや平岡正明 さん,藤竜也さん、阿木耀子さん、高橋長英さんなどヨコハバにゆかりのある方々が中心につとめています。今年は、ブラザー・トムさんのいるREAL BLOOD(つうの?) も出演とか、実行委員長は荻野アンナさんのようです。野球場の前方にステージ、後は全席(席とはいえないけど)自由。ずいぶん前の話ですが、ステージもかぶりつきOKで、アフリカンバンドで酔っ払って、踊り狂ってました。ノリノリな時間で、みんな、人民開放群のポ~市民ちゃんでした♪圧巻は、最後部。なんと、七輪やBQコンロで焼肉して食べてたり、小さなテント張って、すっかり落ち着いてい人もいました。これを見ながら、大物たちが演っているというのも、また楽しからずや。熱気みなぎり、煙たちのぼる、一夏一日の祭典♪で、実は、あまり人には言えない圧巻がも一つありまして。みんなステージを向いて、体育座りっていうんですか?あのヒザを抱えて座るスタイル。ぼくは、かなり前列の方にいて、どのくらいお客さんが入ったんだろう?って、後ろを向いたんです。そしたら、女性の方もたくさんいらっしゃるわけでして。どなたかが、スカートの中のナントカという本をお書きになりましたが、陽まだ高く、視線は低く、咲き誇る色とりどりのパナツの花々…そりゃぁ、もう、アンタ。おパンツみせちゃいけません!のクレヨンしんちゃんも、いんやぁ~、おんどろいた~でした。で、周りみたら、いるんですねぇ。サングラスをして、いかにも日焼け中、ふうに装いのお人が。否。野郎が。そりゃおかしいって。目の前で音鳴らしてんのに、そっち見ないで後ろばっかしだもの。ただ、観てる側からしたら、そんなことは眼中にないから気がつくわけない。だし、普通はヤバイことしてる意識があるから、そうは見てられないです。(もったいないと思いながらも)あの野郎…ウラマヤシイと思いつつ、ジャズを愉しんだ?わけでした。ヨコハバの三毛、ジャズ喫茶さぐちの故オヤジが、日本のジャズメンに愛されていたことなども、この町のそっち方面の発展に少なからず影響を与えているのでせうね。このオヤジ、軍隊の行進でもジャズを口ずさんでいたと、殿山泰司さんが本で書いてました。筋金入りのジャズオヤジ。狭い店内にはJBLのどでかいスピーカーが一個あって、テーブルが2~3脚だけ。行くと、黙ってぶっちょうずらでメニューを差し出す。メニューって・・・アーチストのリクエストメニューなんです。「要らない」と無言で返すと、「そうかい」と無言で引き上げます。友人と、「茶かましにいくかい?」と、ちょっと気取って行った時期もありました。いまは、とても恥ずかしくてできませんが、いい想い出です。でも、なんつっても、ライヴに勝るものなし♪今年は久々、いくかなぁ。暑さがなぁ。日焼けがなぁ。。。おてんとさままる。だしなぁ。まずいか、いかなくちゃ。でもなぁ。。。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・念のため、シケモクジャズ祭のHPをみると、今でも、以下を禁止してないと。・演奏中、席を立ちあがったり、踊ること。会場内での飲食。飲食のため煙のたつ事(一部)。 飲酒・喫煙・睡眠・おしゃべり・極端な薄着・日焼け・隣のプールへ行くこと。会場内でやって欲しくないこと・楽しまないこと・大人のルールに反したこと。※その他詳細は、実行委員会までご相談ください(笑)。とあります。
2004.01.26
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(追記)リンク先の心優しき働く母、ノアさんが「5555」ゲッツ!いただきました。ぞろ目?何番つーの? を記念して、本日は、「ザ・スパイダース祭り」をお勝手開催!一日聴いていましょ♪ まずはひっかけ、「風が泣いている」から。詞 浜口庫之助 曲 大野克夫、編曲 林 一♪ゴーゴーゴー 風が泣いている♪ゴーゴーゴー♪ゴーゴーゴー 風がさけんでる♪ゴーゴーゴー♪誰を 追いかけてゆくどこへ♪何が そんなに悲しいのさ♪夜更けの ゴーゴー♪暴れる ゴーゴー♪嵐のゴーゴーゴーゴーカンケイないけど♪ かかっているのが「バン・バン・バン」♪♪♪♪あああああ~~、おら♪そら♪ のってきたぁ~~~ヤヤヤヤ~ヤ♪ ヤヤヤヤ~ヤ♪「その時 君はバカだった♪」(わかる人だけダレジャよ~ん)完全に、こわれました♪そこんとこよろしく、オレ(by キムタクCM)マチャアキさんやムッシュさん、大野克夫さんに井上尭之さん、田辺エージェンシーの親方も。あ、井上順さんも。多才多彩のメンバーですなぁ。スパイダースの映画を思い出した、なんてお方もいらっしゃる?おお~。ザ・スパイダース、サイコ~♪(久々、思い出したくせに)&「堺正章」(アンコールベストシリーズ)あら、マチャアキさん、15曲目に「明日の前に」最後の曲に「祭りのあと」を選んでいました。あのドラマの美代ちゃんつながりだろうか?時代的な符号がわかりましぇん。しっかし、誰かも書いてましたが、この日記。仕事に差支えるぅ~~。なのに、なぜよ。そこんとこ、よろしくオレ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上天気です。心やさしき、穏やかな日の訪れです。人間は、朝、陽光や外気を浴びることで、25時間の体内時計を1時間戻す。と、どこかで読んだことがありますが、そんな感じがふさわしい和やかな日です。今日は、日曜日ですが、毎日、通勤電車やバスでお出かけの皆さん、晴れた日には、自宅から駅(停留所)まで、駅から会社まで、そんなことをカラダに話しかけながら歩いていけば、満員電車も少しは心楽しくなる・・・ならないかぁ…まぁ、いいでせう。先日、押入れを整理していたら、「画家」(M.B.ゴフスタイン 作 谷川俊太郎 訳)という本が出てきました。出版年をみると18年位前の詩集(になるのかな?)いわゆる「こんな本持ってたんだ本」ですね。この広場で、絵を描くという人に出会うと、いつも「絵を描ける人は、無条件で尊敬します」と申しあげてきました。なぜかはわかりませんが、絵を描く人への率直な気持ちです。1Pに、画家の一日を描いた水彩画 と1~2行の言葉たち。ほんの20ページ程度の本。 いま、久しぶりにパラパラめくると、こんな言葉が書いています。 つつましく、強く、だが限られた日々、あたえられたいのちを彼は使いはたす絵の具箱に。 色をえらび色をぬり、画家は絵の具を歌わせようとする。まだ頭の中はどんよりしているし、ハラヘッタと思いながら書いているので、とくに感傷めいたものはないのですが。こんなことを書いているのも、深夜の不規則と穏やかな日曜日の午前、風なく、空の青と遠く近くの山のたたずまいを眺めたせいでもあるのでしょう。ほんとは今日は、もっとばかばかしい話を書くつもりでいたのに、天気ひとつでコロコロ変わってしまう。変わってしまいたいと思っている、本日のじぶんに従うことにします。また夜になれば、変わるかもしれません。きわめていい加減なものです。のんびり市(某リンク先の言葉拝借)在住の知人が学生時代に「いい加減は、いいかげん」とよくではありませんが、言ってましたっけ。深夜に、「海辺の家」というビデオを観ました。タイトルから、こむずかしい映画かと思っていましたが、違いました。アナログ思考でリストラされた建築デザイナーが、癌におかされ、余命数ヶ月と知って、住み慣れた一人住まいのボロ家を解体し、家を建てようとします。相棒は、元妻と暮らしている不良息子。というようなお話です。ヒューマンものが好きな人にはおすすめします。ぼくは、素直に好きです。
2004.01.25
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ジョンリーフッカーさんが、BBSに「酔って書いたカキコに赤面」。とありましたが、いやいや。こちらは、素面で書いた昨日日記に撃沈。ぼくの場合、昨日だけのことではないので、困ったもんです。それでも「ゆるす」と、じぶんには言ってあげるようにしています。でも、人前の声は、周囲との関係を育むことが基本だと思うので、気がついたときは、自助努力で直していかなければいけませんね。で、思い出したことがあります。まだ記憶があるくらいの先月、ある会社で、みかんを食べていました。近所のスーパーか八百屋さんで買ったであろう、普通のみかんです。食べて意外やすごく甘かったので、「甘いですねぇ。アタリですねぇ」に、「そそ、アタリ」などとヨタ話していたところに、その会社の知人社長氏が登場。手には銀座万疋屋か新宿高山かわかりませんが、高級果物店のフルーツの詰合せ…ネーブルやオレンジ・メロン、わけのわかんない果物とかを持っていまして。ああ、お歳暮か寒中見舞いのつもりで、「これ、みんなで食べて」「気が効くねぇ」で、ジャンジャンかと思ったんですが。この方、「そんなつまんないもの食ってないので、こういうの食べなきゃ」「ほんとうの果物のおいしさ、わかんないよ」って、おっしゃたのですね。ありゃまと思いました。ちょっと違いますよね。いま、ごく普通のみかんを食べて、ハッピーな時間を過ごしている人に、いきなり、「この高級果物の方がうまい」と言われてもなぁって。そりゃうまいかもしれないけど、普通のみかんはみかんで、とてもおいしいわけでして。比べる土俵を間違えてないかなと。軽自動車を必要と(あるいは好きな)する人に、「フェラーリやベンツ、ポルシェの方が、見かけもエンジンもシャシーもいいよ。だから、こっち買いなよ」とか、回転寿司でマグロを食べている人に隣から、「このマグロは近海物の生じゃないから、やっぱりまずいよね」とか、そういうこと言うことと似てないかなぁと。比べないで、ただ「このメロンはねぇ、アールスメロンと言って、茨城産で、蜜蜂交配で糖度が高くて…」とか、そのモノだけの薀蓄を語ってくれればよかったのに。でも、こう思いつつ、小心者は黙っております。実は、このようなことをじぶんも仕事やこの場や、日常の関わりの中で発しているのだろうということに思い当たり、そこからはじぶん事になってしまって、なんだか恥ずかしくなってしまいました。申し訳ないですが、人のフリみて…です。とか言いながら、のど元過ぎれば、熱さを忘れ…で、気がつくとやってしもうたの日々アリ。相対的な評価で物言うことに、ついつい手が伸びますが、気をつけないと、ただの自己肯定のための自己表現の手段になってしまうと思うのです。では、どんな場合でも禁じ手か。そうは思わないのです。たとえばこれを得意とし、一手法として成立している業界もあるし、ネットビジネスでも多いようです。どの仕事にも、私生活でも、似たり寄ったりのことはあるのではないでしょうか。言ってることが人を貶めたり、法にふれることではまずいですが、普通に話したり、何かを書いたり、やりとりが行われる中では、イヤなら見ない・読まない、捨て置くなど、TVのチャンネルと同じようにしていてもいいわけだし。要は、その情報を受け取る側が、そうなのかな?という思いをもって考え選んでいくということが必要なのでせうね。最終的な選択権も、受け入れていく責任も、こちら側にある、と。こんなこともっとらしく書いてるこの日記だって、たぶんにうそくさい。先に謝っておきます。す、すまん。
2004.01.24
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CDやアナログ盤などは、あえて整理して置きません。数もたかが知れているので、聴いては適当に戻し、戻しては出しのミニ無節操地帯。お目当て盤を探す途中で、ごぶさた盤に出会ったりするのを楽しんでいます。(マイライフは、これでよく失敗しています)なので、井上陽水さんの「夢の中へ」状態になることもありません。で今日は、お目当て盤のごぶさた盤でした。泉谷しげるさんの「アーリータイム」というアルバムを手にとりました。ご存知「春夏秋冬」や「野良犬」(TVでのアコギ・カルテットバージョンは素敵でした)「里帰り」など、他にも好きな歌が多く入っているのですが、中でも、「陽が沈むころに」いう曲。今日はこいつを思い入れをもって聴いていました。陽が沈むころに詞・曲:泉谷しげる花や鳥にかこまれ 川の流れに耳を向け過去のキズをいやし のんびりくらしたいと思うが※遠い国へにげ 過去から逃げるほどぼくの人生は 重くない恋にやぶれたことや くらしに困ったことやいつも他人のせいにしていたさ頭をかかえてなやむ姿は ある意味では美しいのさそばでおやじが笑う カラカラ カラカラ笑う※ふりかえって見るほど ぼくは生きのびちゃいないふりかえって悲しむほど ぼくのキズは深くないこの詞を、さらりと? 感情をおさえて? とつとつと? けれんみなく?なんと言ったらいいのでしょう。そんな感じで歌っています。泉谷さんがこの曲を書かれたのが、おそらく24歳くらいのときじゃないかと思います。ぼくは今、この年齢のはるかに上なわけですが、その歳なりに想いをもって聴ける歌だなと、いつも思います。その言葉が、どんなメロディラインにのるか。当たり前なのでしょうが、あらためて音と言葉の関わりを感じました。(感じただけです)とともに、♪ふりかえって悲しむほど ぼくのキズは深くないある程度、歳を重ね生きてくると、残念ながら時には、ふりかえって悲しむほどの、どうしようもないキズはできてしまうものだなぁ。というのが、個人的な実感です。もちろん、そういうことがないにこしたことは、と思います。多少感傷的ではありますが、人生にもバックミラーはあってもいい。チラリチラリと過去を見つつも、なんとか手足を出し、頭を出して、ちぢこまった心を少しずつ伸ばして、なんとか前に進むしかないな。そんなふうに考えたりしています。どちらかというと、気分の浮き沈みが大きい(激しいまでは…)ようですが、沈んでいても、人前では立ち直りの早い風を装います。その程度のことの方が多いのでしょうが、そうしてきたことで、一つだけじぶんの中での気づきがありました。なにかにしょげて、それでもなげやりにならない「生きてりゃいいさ」でやっていると、周囲から、時には思いもかけないところから、いつでもなにかしらの声や手に救われているようです。これを、カラ元気の法則と呼んでいます。すぐに公私の実益につながるということではありませんが。ほんとうにどうしようもないときは流れにまかせるとして、なんでもないさと言える元気があるときは、そうすることで、個人的にはいい方向へ向かうのが少しだけ早くなるようです。実は、今もそんな声をかけていただいています。ありがとうございます。M社長。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・泉谷さんが、93年に奥尻島救済キャンペーン「一人フォーク・ゲリラ」と題して行った路上チャリティーライブで、女友だちはチューをされ、そりゃ、もう大騒ぎさ。どっちの意味で騒いでたのかはわかりませんけど。かっこよかったよ、泉谷しげるさん。
2004.01.23
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(追記)「友だちをつくるために、F1に来たんじゃない」と、多くのF1パイロットたちが口にします。見聞きする限り、超個人的な人もいるようですが、こう言いながら、プライベートでも仲良くなっていき、仕事や私生活のことについて話し合う時間をもつ。という人たちも多いようです。ただの見聞きの世界ですが、こういう話にふれることはとても好きです。人がどうでもいいと思うようなことについて知ったり、なにかを感じたり、こうして書いてみたりすることは、時に公私において、感じ動くための源泉となることもある。と、そう考えています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・F1というモータースポーツが好きです。世間からは、金食い虫とか、ハイテクの権化だとか、同じ所グルグル回るの観て、なに面白いの?とか言われたりする、あのクルマのレースです。中2の頃からレース誌を読んでみたり、F1日本GP(鈴鹿)にも2度ほど出向きましたが、正直、歴史文化的なことやメカニックについては詳しくはありません。知らない人より知っているという程度です。それでもなにか惹きつけられるものがあって観ているのですが、あえて理屈をつけると、F1界で言われる、(ているのかなぁ?)「美しいクルマは速い」という言葉に集約された、スポーツの見え方が好きです。歳月をかけて練りこまれるマシンデザイニングや数々の風洞実験。複雑多岐なハイテクノロジーの開発、メカニックの徹夜仕事、GPとGPの間やオフシーズンのテスト開発強行軍、華やかさの裏側にあるF1パイロットたちの努力。お金にまつわる政治的な駆け引き、国際マーケティングだとか・・・それらが観る側にはどうでもよくて、ただかっこいいとか、華やかとか、モナコのクルーザーの上で、女性がトップレスでF1を愉しんでいたり、甲高いエンジン音(ホンダミュージック♪が有名)にしびれたとか、こめんどくさい(実はマニアには面白い)過程をすっとばした省略形で、スピードへと惹き付けていく感情のスポーツだからかもしれません。ホンダは、「F1は、走る実験室」と言いましたが、実際の話、その開発費はムチャクチャらしいっす。でも、世界のメーカーがこぞって参戦するのも、ただ走る実験室ではないからでせう。クルマ・・・走って、曲がって、止って、人より速くフィニッシュする。それだけ。ああいったモノづくりをする人たちの、挑んでみたい、おいらが一等賞の魂を単純熱血にゆさぶるのだと思います。そういえば、ホンダという企業は、元々、大将がそんな人でした。巨額の金を投入し、1つのマシンに1年~数年のデザイン思想と技術を注ぎ、各チームのクルマが出来上がる。さぁ、そうしたマシンを操るのは1チームにたった二人のパイロット。この選ばれし人たちが、ときに面白いことやってくれるんです。過去、ナイジェル・マンセルというF1パイロットがいました。優勝経験も多く、ワールドチャンピオンにもなった、愛すべき大英帝国の息子。古館一郎さんが中継で、そのドライビングスタイルを称して「サーキットの荒法師」と呼び、日本でも熱狂的なファンが多かった人です。そのマンちゃん、現役時代のカナダGPでのこと。ぶっちぎりで優勝と思われた、ファイナルラップ。余裕のマンちゃんは、観客に手を振りながらプレ・ウイニングランしていました。と、突然、マンちゃんマシンがストップ。チェッカーフラッグまで、残り数百メートルでリタイアです。電気系統のトラブルか? お~、これも筋書きのないドラマ(泣)実は・・・その後の調査で、観客の声援に応えてガッツポーズしたマンちゃんの肘が、エンジン緊急停止ボタンを押してしまったためとわかったのですね。きっと本人、いやその、なんだかクルマの調子がサァ・・・とか言ったのでせうが、今のF1、テレメーターシステムや先進のチェックシステムでピットやモーターホームのコンピュータとつながっているので、きちんと原因を解明していくと、だいたいがわかってしまうらしいんですね。その日の興行収入のレース順位に応じて、賞金がチームに配当されるらしいので、そりゃチームとしてはもう・・・ケタが違いますから。いやいやマンちゃんは、やっぱりマンちゃんでした。F1史上に残る大番狂わせでもありました。他にも、故アイルトン・セナもモナコGPの際、優勝目前のドライビングミスでリタイア。そのまま自宅に帰ってしまったり。そのセナが 「コーナーに神を見た」と言って(母国ブラジルGPの初優勝時かな? 敬虔なクリスチャン)同じブラジル出身で3度ワールドチャンピオンになったネルソン・ピケから、「ばかこくでねぇ」(仲悪かったらしい)と言われたり、レース界でちょっとした物議をかもしました。また、ネルソン・ピケ、走りのアーチストと呼ばれたくらい(マニュアル時代、レース後のギアを分解してみてもまったく傷んでいなかったと。この世界で言えば魔法らしいです)、きれいなドライビングをしていました。が、口は相当、やんちゃぼうず。セナのことを「あいつはホモだ」とか、マンちゃんの奥さんを「ブス」とか言って、訴訟問題になりかけたようです。みんな強い人たちだから、表彰台でコンニチワ。お互い顔は合わせないし、健闘を称える拍手もおざなり。シャンパンファイトのかけあいっこもなく、ポディウムを白々と後にします。そういう視点で見ていると、実に他人的にオモシロイ。(ちょっといじわる)もちろん、他のスポーツ選手とはひと味違うなという発言で、戦闘機パイロットにも通じる知的体力を感じさせてくれたり。セナとマンちゃんの超超超すごすぎるぜ、早朝のお目々ばっちりモナコバトルがあったり。選ばれた人たちのスポーツとしての感動を前提に、一秒300m(一粒300mではありません)で風切る人たちの瞬間言動には、アナログな人の在り様を、時にさらけだして愉しませてくれるのです。しっかし、今日は、ほんとに寒いですね。
2004.01.22
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といっても、♪のラップではありません。周回路の1周、ラップタイプのラップです。あるスポーツライターの取材記によれば、ある一部のスピードスケーターは、0.ン秒単位でラップをいじれるんだとか。400メートルを37.2秒で回ってこいと言うと、ちゃんと37.2秒でラップタイムを刻むのだそうです。また、ある箱根駅伝で何度か優勝経験のある大学チームの監督がこう言っています。「どんなピッチ(足を運ぶ速度)とストライド(歩幅)で、どんなテンポだと1周何秒でいけるか、そういう感覚が育ってるんです」選手はピッチとストライドを、日常の練習によって体得していると。それを、場や状況に応じてレースを組み立てていくと。F1パイロットも、1/10~1/100秒単位でピットの指示通り、ラップを刻めるそうです。これも、タコメーターやハイテクだけが成す技ではないですね。最近のスポーツは科学的で、これに肉体疲労に伴った乳酸値を絡めて、ピッチとストライドの調整を行っているようです。F1で言えば、エンジンの調子やタイヤの磨耗具合などを感じながら、ペース配分をコントロールしていくのでせう。こうしたアスリートは、オーバーペースやマイペースを自分の身体が覚えているのでせうね。長い経験や知識が身体的技術となり、その中でじぶんにあった法則や独自感覚が育ち、体内時計として取り込まれていく。これらは特例にしても、普通の人も一日や一年というラップを刻んでいるのでせう。仕事人には仕事人の、主婦には主婦の、恋愛には恋愛の、生活のリズムというか、当たり前ですみませんがそんなもの。ラップやリズムなどというと、どうしても好調時ばかりを想定しがち。ですが、なかなか生きにくい世の中でもありますし、周りを見ていると、心身ともに疲弊して、みんな精神の乳酸値も高そうです。個人的には、そうなったとき、なるべく意識的に腕を振ったり、足の運びや心の背骨を伸ばしてみたりしてみます。が、ダメなときはダメみたいです。その時は、思いっきりペースを落とし、いや、落ちてしまうのですが「許す」と言ってやるようにはしています。正直、あせりますが、このシグナルをうっかり見落とすと、ラップどころか、半周も行かずにグランドから出て行き兼ねない有り様です。今は、う~ん。こういうこと書いてるようだと、やっぱり落ち気味でせうね。■寒昼日記(昼日記)こちらは、どんより暗く、風強く、寒い昼下がり。夜には、いよいよ冬将軍の大親分がやって来るようです。お昼に、鍋焼きうどんを食べました。いろいろ想うことあれど、とりあえず温っかなちっさな幸福に包まれました。いっしょうけんめいの町にいる人も、一回休みのすごろく都市にいる人も、どうぞ元気で、今日一日を。(お昼日記は、どうも落ち着きません)知人から、お仕事のメールをいただきました。せっかくですから、宣伝しておきませう。/////////////////////////////////////////////////////////////////////【訳書刊行のお知らせ】さてこのたび、下記の通り、不肖私の訳しました小説「六月の組曲」が刊行されましたので、慎んでご案内申し上げます。「六月の組曲」ジュリア・グラス著 DHC刊 ¥2,300本書は、栄えある「全米図書賞」を受賞した力作で、過去と現在を自在に行き来するその語り口は斬新ながら、テーマはいたってオーソドックスで、むしろ古典的とも言え、読後、一種独特の感動に捕われること請け合いです。そんな次第ですので、ぜひ茶の間に1冊、トイレに1冊、またお酒のおつまみに、ご旅行やハイキングのおともに、はたまた書棚の壮麗な飾りに、ぜひ何冊でもお買い求めくださいまして、ご親戚、ご友人、ご近所の皆様にもお勧めくださいますよう、伏してお願い申し上げます。なお、簡単な紹介につきましては下記サイトをご覧ください。http://www.dhc.co.jp/d_pub/honyaku/book1.html <好評発売中>- 魂の宿る街ニューオーリンズから ネヴィル・ブラザース自伝 ブルースインターアクションズ刊 ¥2,900http://www.bls-act.co.jp/bipress/neville_brothers.html - だから私はブルースを歌う B.B.キング自伝- アメリカ音の旅ガイドブック 西部編/中西部・南部編/東部編
2004.01.21
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知人が深夜のジョギングをしていて、おまわりさんにジロジロ見られたと。思い出したのは、泉谷しげるさんの「黒いカバン」という歌。♪黒いカバンをぶらさげて歩いていると♪おまわりさんに 呼びとめられた年末の夜、ぼくもパトカーに横付けされた…フード付の黒いスポーツコートに、黒のスポーツパンツ、黒い靴。暗い住宅街を歩いているときでした。こちらになんのやましさもないと、最初は意外と気づかないもので。そのうち個体距離の関係で、「な~んだか、右サイドの空気が妙だぞ」という気配を感じ、白黒のボディカラーとくるくるの赤ランプが右目片隅に入ってきて。あんまりいい気持ちはしなかったのですが、せっかくのこうした機会でもあるし、機をみて、軽くダッシュしてみました。来ました、とたんに食いついてきました、奴らは。「とまりなさい」(「とまってください」と言いなさい! )「待ちなさい、そこの黒いコート」(「お待ちください」と言いなさい!それに黒いコートに話しかけてもムダです!)というのは、ウソ。小心者にはそんなことはできません。ただ、パトカーを野球投手の牽制動作のように、ナナメにらみしながら、疑惑の目をやり過ごしました。ジョギング氏に話すと、その色・格好では怪しまれる。じぶんの場合、「白のスポーツウエアだから、そうでもなかった」と言うのです。そうなのか?黒は怪しいのか。今まで、黒は派手な色だと思っていたんだけど。夜になると、やたら元気で明るい人だっているじゃないか。(あれは違う意味か)ちょっと読んだカラーパワーに関する情報によれば、黒には、・自分を守りたい。・未知の恐怖から開放されたい。・自分を奮い立たせたい。などの力があるのだとか。黒が黒の空間で、無言のメッセージで呼び込んだのか?(大げさ)では今度は、ピンクと黄色の縞模様の色格好をして、夜の住宅街を散歩でもしてみませう。ヨコハバ市の住宅地でパトカーから逃げたのは冗談ですが、田舎の北国市ではほんとに呼びとめられて、尋問された。友人のクルマに乗っていたとき、「その前のクルマ、とまりなさい」「白のトミタの○○○、ナンバー○○○のクルマ・・・」友人:「わが?なんだべ?(俺か?なんだろう?)」と言いつつ従うと、「どこさいぐ?(どこにいく?)」「友だち、けえってらんだ。(友だち帰ってきてるんだ)」「だば、夜にさ、酒っこ、かましにいぐべ(じゃぁ、夜、一緒に飲みに行こう)」と友人の友人警察官氏でした。まぁ、なんとものどかなひとコマではありました。が、大丈夫かぁ?//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////明日は、冬将軍の親分がやってくるそうで。ご自愛を。ヨコハバ市のFMでは、クレイジーケンバンド♪がよく流れます。以前、TVで松任谷正隆さんと対談する横山剣さんを観ましたが、あの人柄がなんとも好きだなぁ。♪やるときやらなきゃ ダメなのよぉ~
2004.01.20
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冬は、ぽわぽわ、しゃっきりと。夏は、つるつる、さっぱしと。食中・食後の、ちっさな幸福感が、なんともずずずいと。寒い日が続きますが、どちらかというと、冬よりは夏にこんなことを想うことが多いでせうか。一日一麺主義。ずいぶん昔、上岡龍太郎さんが対談番組で、そんなことを言ってました。あ、この人もか、と思いつつ、主義というと、ちとつらいので、そうできたらうれし、おいしのお話です。いわゆる「麺通」ではありません。ただ好きなだけ。盛りそばが一等賞。温・冷うどんも好き。そうめんも、冷麦も好き。手打ちだの、八割そばだの、十割そばだの、生麺だの、そういうのも食する機会があれば好きですが、駅の立ち食いも、鍋の後のうどんも好き。人にはおすすめしませんが、時にはカップうどんでもオッケイです。それから、東京の下町あたりで嫌われそうな、そばつゆのべったり漬け。確かに、あれはだんだん苦手になりました。かっこつけるわけじゃありませんけど。でも、落語や小噺の世界のような、あのちょいづけでは…(「病の床で「この世の思い出に、たった一度でいいから、そばつゆをたっぷり付けて喰いてぇ」って、あれですね)ほどほど漬けになりました。単純に今風に、塩分控えめ、なのかもね、です。そば湯が好き。残りづゆに足す、そば湯も好き(塩分控えめになってないじゃん)ですが、そば湯だけがもっと好き。ダシをとり終えたコンブ、しっけたお煎餅に似た感じ(似てないじゃん。まぁまぁ)。とにかく好き。近頃、花まるうどんが、こちらの方でも勢力を拡大中。対して、TVで観た家族ぐるみの本場讃岐うどん店は、ぽつんと素朴で、セルフで、昼間に仕事人や近所の人たちが行列をつくり、値段も二百円台?で、地元にバカウケのよう。「これが本場の、ほんとの・・・(Na)」。確かにうまそうでした。(食ってみてぇ。)誰かがどこかで、そのような店と花まるうどんとを比べ評していました。「あんなものは・・・・・・」ぼくは本場も、ほんとの味もわかりませんが、応援しますよ、花まるうどんさん。たまにですが、食べに行かせてね。「食った。さて行くか」の、ちっさな幸福感はあるようですし、そうそうお隣のTSUTAYA書店とレンタルショップも重宝ですし。そこんとこ、よろぴく。
2004.01.19
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ある町に住む友人から聞いた、先輩氏の話。昼間は工事現場で働き、夜には図書館で借りてきた本を読むのが日課だという。といっても、無類の本好きというわけでもないらしい。とくに観たいテレビもないし、夜、ヒマだから本を読む。どの本がいいとか、作家とかはわからない、金もないし…ということらしい。「帰宅して、食事をして、風呂に入って、本を読む」「眠たくなったら、寝る」。その繰り返しだと。「きわめて、平々凡々な毎日だぁ。がははは」。なのだという。友人によれば、その先輩氏の本の借り方は、こんな感じだそうだ。図書館のカウンターで、前回に借りた本を出し、館員さんに「いやいや面白かったぁ。また、適当にみつくろってや」(なじみの間柄らしい)「はいはい、ちょっと待ってて。ちょうど○○○○(作家名)の本が 返ってきたけど読む?」「あ~、わかんないからまかせるよ」あるときはこうだと。友人先輩氏が図書館に行くと、カウンターの脇に書架に戻す前の本がワゴンに並んでいる。なにげなく目をやると、「メランコリック、ポロポロ」と見えた。「ん?」…たまたま、そこに並んでいた2冊の返却本の背表紙・・・「メランコリックな怪物」(長田弘)「ポロポロ」(田中小実昌)のタイトルが目についたらしいのだ。「メランコリックが、ポロポロかい!?」「なんだかわからんが、面白そうだ。がははは。」で、借り。こうやって借りてきた数冊の本を、家(宿舎?)の部屋で寝っ転がって読んでいる。そんな光景が、ぼくの頭の中に浮かんできた。本を読むというと、じぶんで読みたい本を見つけて読む。好きな作家やジャンルへのこだわりや思い入れをもって読む。そういうものだと思っていた。(というより、自ずと)でも、友人先輩氏の読み方を聞いて、なんだかとても愉快な気持ちになった。先輩氏に、新鮮で豊かな想いと親しみを感じた。あるとき、友人がその町の公共施設の一室で開かれる、ある作家の無料講演に先輩氏を誘ったのだそうだ。平日の夜7時頃からで、友人は仕事で少し遅れて行ったと。50~60人くらい入れる部屋の扉を、そうっと開けるとパイプ椅子が並んでいて、先輩氏が座っていた。その姿を見て、友人は気持ちの背骨がシャキっと伸びたという。一番前に先輩氏はいた。鼠色の作業服のまま、背筋を伸ばして演壇の方を見つめていたと。足元にはヘルメットが置いてあったと。友人は、この先輩のことが、より好きになったという。ぼくは、もちろんこの先輩氏のことを知らない。知らないうえで、おこがましくも言わせていただいていいでせうか。ぼくも、あなたのことが好きかも。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・京都市東山区の三十三間堂で、伝統の通し矢にちなむ「大的(おおまと)全国大会」が開催された。色鮮やかな晴れ着姿、はかま姿で、新成人たちが、寒風の中、大的(おおまと)にきりりと矢放つ矢を放った、そうである。高校時代、弓道部(二段)だった者としては、ちょっとうずうずバナです。通し矢は江戸時代、南北に長い間口約120メートルの堂に沿い、一昼夜で何本の矢を射通せるかを競ったのが始まり、らしいです。ぼくたちがやっていたのは、近的(きんてき:28m)と遠的(えんてき)。遠的は、直径約1mの的を60m離れたところから射るのですが、道場とは違い、広いグランドで、矢先を大空に向ける感じで放つと、弧を描いて的に向かって落ちていく。その様を見ていると、胸のすく想いがしました。三十三間堂に行くと(数回しかないですが)、そんなことを想い出していたなぁ。
2004.01.18
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「MASTER KEATON 」 作:勝鹿北星 画:浦沢直樹CHAPTER6「砂漠のカーリマン(英雄)」好きな話のクライマックスです。コミック本で全巻まで残してあるのは、これといくつかだけ。このシーンに会いたい夜でした。
2004.01.17
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ご、ごめんなさい。また、やってもうた。明日は、こちらも雪だということです。雪が、ダレジャの穴を白く積り消してくれることでせう。(バイバイバイ♪ 外は白い雪の夜♪ …超限定認知)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本日、昨日日記のモノづくり3人会社のM社長に会った。いろいろ話をして、帰り際に工場で、特許出願中のある試作品を見せてもらった。本格的な商品化、告知・販促活動はこれからだという。内容は、法人(業務)対象モノなのだが、最初の感想が、「面白~い」「楽しい」だった。「これは使える! 役立つ!」の、「面白い、楽しい」です。一般生活者には、ほとんど関係のないモノ。でせう。でも、ほんの1分間のレクチャーを受け、実際の用途を見せてもらったが、まったく素人のぼくが見ても、それで十分に機能性が「体感できる」のだ。オーディオ機器は、簡単な操作でCDやDVD、MDを観聴きできる。クルマのオートマ装置は、より誰もが運転を楽しめるようにした。ケイタイ電話で、移動自在な相互コミュニケーションができるようになった。(簡単が生み出すリスクは、別の問題として)これと似たような感覚を覚えた。複雑なものを、いかにシンプルなしくみ・かたちに置き換えて、使い手の喜ぶ商品としていくか。モノを「選ぶ快適」でもあり、「もつ幸福感」にもなると。(よく言われる「ブランド論」もそうだが、ここではパス)ほんとはそのモノの考え方を開発し、かたちにした人たちがスゴイのだが、使っている人たちが「得意満面、我が意を得たり」になれるモノ。つねづね思っていたことだが、モノづくり現場であらためて、モノづくり人の喜びの火種に、手をかざしたような気がした。ま、理屈ではこう考えるのだが、実際の現場ではもっとわかりやすい「体感」だ。いい包丁やナイフを使って、食品やモノをスパッと切ったときの、あの切り心地。道具を使って得た明快な効果を手にし、目でとらえたあの心地よさ。「シンプル イズ ベスト」とは、よく言ったものだ。なぜ、こうしたモノの心地よさが生まれるのか。生み出せるのか。M社長がなにげなく、話したヒト・コト・モノの関わり方の中にあると思った。別件で、あるモノづくりの依頼を受けた。わからないことがあったので、その仕事に関することを「自分なり」に調べた。その中で、感じた「疑問点」や「気づき」が生まれた。それを、ヨコ「つながり」の仕事仲間にぶつけてみた。「こんな性質や特性があるのなら、こう応用して、こんな独自製品ができないだろうか?」「それは、面白いよ」「やってみようよ」「じゃぁ、ここをこうした方がいいよ」即座に答えが返ってきた。ベースとなる基板は、その仕事仲間がやってくれた。製品化のための最終的なかたちは自社製作できる。ここまで、ほとんどお金もかかっていない。特許出願もした。日頃、一つの製品を作るためにお互いの分野で関わっているわけだが、それぞれの持ち前をジャズ・セッションのように楽しみながら、自分たちを活かすフィールドをひろげている。「モノをつくる人間が集まると、これがあるんですよ」M社長は、淡々、穏やか、にこやか~に話してくれたのだ。(ほんとにこの人、スポ根のような燃え方をする人ではないのだが、気がつくと、こんなことやりだしましたよぉ・・・て、焦らせて(笑)くれる人なのです)表現も、アイデアも、モノづくりも、違う何かも・・・それをやる人が、楽しんでいるから、楽しいものとして伝わる。その過程のアクセク、ジグザグも含めて「楽しい」のかたちに昇華されていく。表面的なものではなく、「生きた○○」として心をとらえていく。そういうことではないだろうかと、感じた一日だった。(もし、最後まで読んでくれた人がいたら、近頃、長くてごめんなさい。身近な応援やファンする想いが、だらりペンになったかと。すんまそん)
2004.01.16
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(・・・)近頃、悪癖がとみに・・・お許し願いたい。まったく通じないのもさみしいので、ダレジャの素を♪♪はっしどうどう はいどうどう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・追記。下記で使った「ミナト社」が、M社長の仕事仲間であるS社長の前勤務先(倒産)と同名であることがわかった。(汗)本日、S社長も同席されるということで、「げん(言)なおし」(また、やっちゃった)で、みらい社に仮称改名。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日の日記を書きながら、もう一人思い浮かべていた。昨秋にもご登場いただいた、3人モノづくり会社のみらい社(仮称)のM社長。この方も、淡々と熱い「動」の人でして、その想いと行いが気持ちいいのだ。気持ちいいから、また勝手に登場させて書いちゃえ。一昨年の夏、長年勤めた会社が不況でクローズ。一緒に仕事をしたいという後輩二人とともに起業した。腕はあるが、まったく金はない。そこで、うんとこさ知恵を出した。会社の場所は、ヨコハバ市指定地区の工業団地内。閉鎖工場を再生利用して借りることにした。ある人を介して、工場の大家さんに直接交渉した。放置状態の後片付けや修理をする代わりに、家賃を安くしてもらえるようになった。それでも初期の設備投資に、150万円ほど足りない。ダメもとで、今度は工事会社の社長に「出世払い」を申し出る。「いいよ」…意外な言葉が返ってきた。後日、そこの社長曰く、「君が、ウチ一社に絞ってきていたのを知っていたから受けた」と。若いときに起業してお金の大切さを痛感したその人は、本気で相談に来たM社長を放っておけなかったらしいのだ。電話工事を頼んだ会社からは、中古のコピー機とFAXをタダでもらう。「新しいの入れるときは、ウチから買えよ」と。約束通り、その後、新しい複合機を注文した。起業して4ヶ月目、会社の口座にようやく入金されてきた。それまでM社長を含めて3人とも無給。社員が「まだ給料はいりません」と申し出てきた・・・会社の台所事情を察してのこと。だが、「それには甘えたくなかった。給料があって初めて会社といえる。タダの仲良し集団にはしたくない」と、初めての給料を払った。年末年始の休みは元日だけだった。ひたすら働き、半年経った頃には、顧客数は13社になっていた。前の会社から引き継いだ会社を除くと10社も増えた、ホームページも立ち上げた。メールマガジンも発行した。「モノづくり応援企業」を合言葉に、一貫して「日本のモノづくり」の大切さを訴えた。ホームページを作った時点から、「A商品の利益を、日本のモノづくりの発展につぎこみたい。だからアイデアをもつものは、自分たちがかたちにする」と訴え続けている。(先日、第一号?が製品化されたはず)>「なぜ自分たちの会社(前社)はつぶれたのか? >安い海外製品に、日本の産業が負けたからではないのか? >このままでは日本の物づくりは無くなってしまう・・・ >日本人がもっとも得意としていたMADE IN JAPAN が無くなってしまう・・・」一年経って、一期目黒字、取引先10倍、新聞にも載った。その後、ホームページをみて、世界のホンダが栃木からヨコハバ市の3人会社まで会いに来た。「技術について教えて欲しい」と。モノづくり魂は、規模にあらず。どちらもええんでないかい!その後も、市の中小企業広報誌からの取材、工業系新聞社からの執筆依頼……マスメディアへの口コミ戦略など、いま流行のしかけを仕組んだわけじゃない。人より働き、人と積極的に会い、自らの「声」を堂々と発信し続けているだけ。行政と縁がありつつも、公然と行政嫌いを表するM社長。言いたいことは、たんたん熱く物申す。会社が二期目に入ったときのこと。市の経済局の助成金制度があり、起業時、「指定地区で工場を始めた場合、家賃か利子の3ヶ月分を助成する」を活用しようと思った。ところがお役所は、「決算報告書が無いから不可」と。新規事業者が決算報告書なんてあるワケはない。「来年は大丈夫だから、また申し込んでください」とのたまう。新規事業者は不可と書いていないが、決算報告書がないと実質的にダメと。しかたがない。一年経って電話したところ、今度は「この制度の対象期間は、今年、工場を出された方です」と。みらい社が工場を借りたのは昨年。つまり、時期が対象外だと言ってきた。(ここからは、ライブ感をだすためにM社長のメルマガをママ・・・事後承諾版)>「ふざけるな!」>これはさすがに相手が「言っても無駄」「事務的な対応」「お役所仕事」でもキレた。>「市長はベンチャー支援を掲げているのではないのか?」>「ちっとも新規事業者のためになってない!!」>「経済局長には、一緒に花見をしたとき『これからはあなた達のような若手の活躍が必要だ』>と無理矢理、手を握られて言われてるんだ」>「去年と言ってることが違うだろ、案内文には書いてないぞ!!」>「民間会社では、扱っている商品を説明出来ない営業が居るか?>役所は自分の扱っているモノでさえ、まともに説明出来ないのか?」>と、30分程さんざん文句言ってやった。>担当の女性には可哀想だったかな?とも思ったが、>行政がすこしでも変わってくれるには誰かが言わないと。>最後は、「市にはまだ期待している者は居る、がんばってください」>と言って電話を切った。>そしてひと月・・・>もうすかっり助成金の話は忘れていた頃、担当の女性から電話が来た。>「経済局内で検討した結果、新規事業者の為にはなっていないのは意味がないので>改善しました、是非当制度を使ってください」と。>まさかの展開に驚いた、全然期待していなかった行政が動いたのだ。>まだ役人の中にもまっとうな考えの人は居ると、少し行政を見直した。>ほんの少しだが・・・>まだ会社員だったら、「言っても無駄」「事務的な対応」「お役所仕事」に>出会った時点で、あきらめていただろう。>だが、今は経営者として、言わなければいけないこと、やらなければ後悔することは、>すべて行動することに心がけている。>それが今回は功を奏した。>もしこの件で行政が動かなくとも、信念を曲げた訳でもないし、>やるべき事はやったと納得出来る。>「あきらめが良すぎるのは損だ、やってもいないのにあきらめるな」と言いたい。(ここまで)この他にも、ホームページで自社の行いを通したゴミ問題について言及したり、お役人が動かない工業団地の活性化を考えたり、淡々、着々と、物怖じすることなく、想うこと、やりたいことを進めている。まっとうな想い・行いを伝える声に、見る目・聞く耳をもつ者が名乗りを挙げる。世の中は、すべてがこう上手くいかない。みらい社もそれは同じだ。ただ、「いいモノをつくり届けることが、うれしくてしかたがない」という想いのもと、金は豊富ではないが、声をあれこれ届けてみることで、それがいい方向へつながっていく。そんな小さな事実の積み重ねをどう思うか? と聞かれたら、やっぱり気持ちいい。M社長、素朴に、実のあることをいう人なのだ。明日・・・もう今日か、会うことになっている。また、企業連携でなにかやりだすらしいのだ。その辺をお聞きしてこよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そういえば、大家のオヤブンさんがJ1「ヴィッセル神戸」の経営に乗り出した。神戸出身の縁を頼られてということだが、楽天同様、神戸も1,2年で常勝態勢にするのだとか。「株主に迷惑がかからぬよう、クラブは個人経営」に。まぁ、すごいもんだすなぁ。 あっぱれ山と丹沢山塊。ほんとはもっと近く山のシルエットが映えているのだが、ケイタイなもんで・・・
2004.01.15
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10年越しの子どもの医療裁判で闘ってきた友人夫妻がいる。当時、産院で流行っていた、うつぶせ寝で生後たった一日で我が子を失った。病院側のずさんな管理体制による窒息死。病院側は、すぐにミスを認め、院長・助産婦・看護婦は謝罪を繰り返し、院長は「責任をとって、この病院を閉鎖するつもりです」とまで言ったという。葬儀の日、現金書留で香典が送られてきた。院長から2万円。不在通知で、郵便局でその事実を知る。当然の如く、怒りがこみ上げてきた。後日、説明を求めると、感情の混乱を防ぐべく葬儀へ出向かなかったと。再び、関係担当者が土下座し、夫の「あなたたちが殺したんだ」に、「はい、すみません」・・・4ヵ月後、医療事故の示談金などの件で、相手側の弁護士から手紙が届いた。「これは、SIDS(原因不明の乳幼児突然死症候群)だ。その時の状況を記し、よってこれは窒息=医療事故ではない」「当方の和解を受け入れなければ、一切を白紙に戻す」と。病院側の弁護団によって、死亡理由がすり返られてしまった。「素人さんになにができるの?」と、あざ笑うかのような仕打ち、手のひら返しに、もう心底がまんならなくなった。夫妻は、地裁に民事裁判を起こす。図書館に行って「SIDS」を館員に尋ねても、首をかしげたような頃。病院側と弁護団を相手に、夫妻の、何も知らない夫妻の闘いが始まった。(夫は一人多忙自営業なので、当時、JALの国際客室乗務員だった彼女がフライトの合間を縫って主に動いた)図書館で一から新聞記事を集め、ある医療裁判中の方に関心をいだく。「名字」から電話帳を頼りに、沖縄まで探しに行ったが、会えなかった。さらに資料を調べ、その記事を書いた記者に電話し、詳しい資料をもらい、そこから手がかりを見つけ、東京地裁の傍聴席で会うことができた。同じ体験をもつ人との初めての出会いだった。さらに、うつぶせ寝やSIDSの研究が進む欧米(米英)の病院を訪ね歩き、国内でも全国の病院めぐりをはじめる。大学病院の専門医やSIDSの家族の会なども訪ね、医療現場の意識の低さや、逃げとしてのSIDS診断の実態を再確認し、子どものためにも裁判に立ち向かうことを誓う。当初、まったくやる気のないひどい光景だった。ぼくも地裁を傍聴したが、裁判官がたいくつそうにあくびしたり、ニヤニヤしながらよそ見をしたり、原告側の意見をこばかにするような発言をしたり、ほんとうにビックリ。これが高等教育を受けてきた人たちの、人が真剣に闘っている場でジャッジを下そうという人たちの態度なのかと。(どうせいつもの如くと、すごいわかりやすい態度で教えてくれました)いきなり、つらい思いもした。弁護士の指示を受け、裁判所の事務所で、我が子の臓器の解剖写真を接写した。周囲の好奇の目が、「ほんとうに悔しかった」と。職員たちが見ていて、「うわぁ、すごい」と言ったそうだ。この人たちの感受性ってどうなっているのだろう。用件は知っていたわけだから。病院側はうその証言を繰り返し、裁判所はやる気がない。病院側は弁護団は、その道の名うて。だが、ひるまなかった。ある日、彼女は事故を起こした病院に忍び込む。病院側の証言の矛盾を証明するための、詳細な見取り図が必要だったのだ。ノーメイクでメガネをかけ、変装をしてすきをみて写真を撮る。一番知りたかったナースステーションの様子も撮れた。心臓は爆発しそうにドキドキしていた。さらなる、最大なる問題にぶつかった。民事訴訟は、原告側が相手側のミスを立証しなくてはいけない。相手は、ご本家だ。被害者の証人になってくれる医者=鑑定人が見つからない。専門書を読み、約20名の医師に会い、お願いしたがダメだった。それでもあきらめるわけにはいかない。その時、資料をもらった記者から当時、唯一、うつぶせ寝の危険性を発表していた教授のことを教えてもらう。直接会いに行き、思いの丈をぶつけると「その方面からは手を引こうと思っていたが心を動かされた。意見書も書こう」という返事をもらうことができた。解決…と思ったら、今度は裁判長から、小児医の意見書がほしいと言われる。また探し回ったが見つからない。思い余って先ほどの教授に相談すると、一人の産婦人科医を紹介される。会い、手紙で交流を続け、自分たちが得た資料を送り、やがてその先生から、「この裁判や活動が、うつぶせ寝をやめさせる原動力になるかもしれない。今が黎明期。やめさせるときが、すぐそこにきている」という言葉が幾度となく出るようになり、意見書を書くことを引き受けてくれる。同時に、他の人の裁判も傍聴し、話し合う機会をもった。同じ悩みをもつ人たちと会も立ち上げ、マスメディアに訴えた。とたん、事務局の電話が鳴り止まない。3大紙が動く。医療特集記事での紹介や夕刊の一面に載る。他メディアからの問い合わせが殺到する。自分たちも積極的にマスコミや行政、政党に意見書・要請書を提出する。こうしている間に時は流れ、H9年地裁判決。敗訴。TV局2社入った中での敗北感いっぱいの記者会見。敗訴ながら、全国紙1紙が「SIDS免罪符に」と大きく取り上げ、警鐘を鳴らした。東京高裁に控訴。(裁判長はなんと五人目。変わるたびにころころ方針が変わる)産科医の証人尋問では、右陪席の裁判官が居眠りを始めた。そんな状況だ。(これは、めずらしいことではないそうです)弁護団の動きとは別に、法医学の権威に意見書をお願いし、心動かされた先生は3ヶ月の短期間で意見書を書き上げてくれた。H12年判決、敗訴。判決文は、意見書の丸写しのようだった。「意見書の論理性と説得力に傾聴すべきものがある」とあった。なのに、なぜ? 理由はただ一点のみ。「赤ちゃんの首のねじれ、その経緯が立証できていない」と。それはムリだ。新生児室で、親の見ていない赤ちゃんの寝かせ方までどうして親が立証できるのか。それなら、医師の方にもSIDSの証明をさせるべきではないか。ほんとうに、裁判所とは不思議な判断をするものだ。さて、どうする? 医療過誤裁判の難しさは素人ながらに十分実感していた。経済的負担も大きい。鑑定費用・提訴料・弁護士料・カルテ保全・・・この段階で、怖くて思い出したくないほどの額だと。最高裁での逆転勝訴の可能性は1%と言われるそうだ。「ゼロではない。賭けてみよう」「背後には、もう多くの人たちがいる。勝てる可能性はなくても、時間と費用を顧みず、人には闘わなくてはいけないときがある。すべてを賭けて闘わなくてはいけないときがある」と。それが、夫妻のこの裁判だった。(かっこよすぎ? でも、自身に置き換えてみて、ほんとうに問題と向き合おうとしない限り、そういうことは具体的に現れてこないのではないかと思う。逃げて済むことは、そうしてまったく構わないと思うけど)実はこの間に、サンデープロジェクトで取材報道され、ニュースステーション、フジ・TBSの特集番組で取り上げられ、他、民放のニュース番組や全国紙(昨年も)で幾度となく取り上げられている。赤ちゃんの医療ミスについての、家族側の声が注目されはじめ、社会情勢も手伝い、なにかあるとマスメディアの目が向くようになったのだろう。H12年には、司法制度改革審議会に「一般意見公募募集」に応募。約90団体の中から選ばれ、6000人の聴衆の前で裁判の理不尽を訴え、大きな拍手を浴び、翌日の新聞の社説に、その発言が掲載された。そして昨年は、裁判員制度の法制化を考えるパネルディスカッションに参加。自分たちのこれまでの活動をまとめて出版もした。実は、ここに書いた友人夫妻の見えていなかったこともその本で知った。二人とも学生時代からの仲だが、公私にわたって、どうにかなるではなく、どうにかするの典型板。しかし、ここまで動いていたとは。持ち前のバイタリティで勇猛果敢に? いや、いかに自らの心を勇ませ、手探りで動いていったのかは、本の内容とこれまでの在り方でよくわかる気がする。たった一組の夫妻の想いと行いが、3人の母親の会へと。今では全国で約50人に。(少ない? それだけショックを活動の源泉に変えることが難しいのでしょう)とはいえ、いまだに裁判の難しさは変わらない。もちろん、いい面もある。SIDS診断の問題やうつぶせ寝の危険性が社会に認知され、いまではうつぶせ寝を奨励する専門医はほとんどいなくなったという。この点では、ようやく欧米に追いついた。少しずつ、仲間の中に勝訴する者が出てきた。声が声を集め、着実に大きな声となり、知恵をもつ。かけがえのない我が子を失った個人の悲しみは決して消えないが、ただ泣き寝入りをするのではなく、誰かを支えることで自らが支えられていく。それが、亡くなった子の生命をムダにしないという想いとしてつながっていく。書籍のオビには、こうある。「もう赤ちゃんは死なせない! 私たちが変えていく」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・友人夫妻は、実は、もう一つ裁判をかかえている。夫が長年に渡って信頼を寄せ、お店を任せていた店長が使い込みをして逃げた。もう一つの仕事が忙しく、しかも「10年近く、全面の信頼を寄せていた人間だったので、経理面のチェックに甘さが出た」という。おかげで、その店(カートショップ)は閉めざるを得なくなった。2つの裁判をはじめ、公私で出費(借金?)も相当みたいだ。しっかし、すごいというかこの夫妻の昔からたくましいのは、いつ、どんなときでも、根明っルイのです。久々に電話しても、まるで人ごとのように話す。いつか、「なんで私たちだけこうなるのでせう?」と彼女が言っていたことがあるが、その声自体がのほほんとしているので、なんだか癒されてしまうのです。(いやいや申し訳ない)「あ、○○夫妻? 大丈夫だよあそこは」「すごいね。え、○○夫・妻?じゃ不思議ないね」それが、ずっと昔からの周囲の声である。(周囲が、勝手に言うだけ)いつも借金があるんだけど、いつもお金が回ってそうなウチ。もちろん、内部事情は知らないけど、悩みながらも立ち止まるのが面倒くさくて、動いて(本能?回遊魚?そうか、そうしてないと生きてけないんだ。なに、今頃気がついてんだ)、温まって、そのポカポカ体温に引かれて、人が周りに集まってくるという・・・え、わかんない? いいです。深夜の長打ちで、本人もわからなくなってきました。あ~、長かった。つい、知り合いのことでしたので。勢い余りましたかも。お許しを。やはり、データ日記ではなく、感情日記。オハズカシイのも、オッケイです。某かを書くことで、じぶんがそこに気がつくこともあるでせうから。
2004.01.14
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歌のご使命:明石家さんまさん♪幸せって 何だっけ? 何だっけ?♪お鍋日記のある場所さ♪お鍋日記は ラクテン♪お鍋日記は ラクテン♪お鍋日記って 何だっけ? 何だっけ?♪ポン酢住人のいる場所さ♪ポン酢日記は ラクテン♪ポン酢日記は ラクテン♪ポン酢住人って 誰だっけ? 誰だっけ?♪自前感情のある人さ♪自前日記は ラクテン♪自前日記は ラクテン♪自前日記って 何だっけ? 何だっけ?♪お肉な言葉がある場所さ♪お肉日記は ラクテン♪お肉日記は ラクテン♪お肉日記って 何だっけ? 何だっけ?♪はみ出たうまさがある場所さ♪旨味日記は ラクテン♪旨味日記は ラクテンやかんひっくり返して、部屋が湯気ぽっぽだったので、温まる歌でもこさえてみました。高級食材から、その辺の余り物でもつっこんで、ごった煮がいいですね。言葉の向こうの、もやもや未処理の素材も、入れて煮て、食べてみたら、あ~ら意外といけてる、なんてこともありそうで。冬将軍が四股踏んでます。さ、今夜は言葉のお鍋でも。あら、なんと。ごちそうしてくださる。うれしい。温まりますなぁ。
2004.01.13
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電車で、向かいに座った年配男性のメガネが壊れた。本を読みながら、ずり落ちたメガネを指であげようとしたとき、柄の部分に不具合が…どうするのかな? 本を読むのをやめ、壊れたメガネをしげしげと眺め、はずし、なんでもなかったように目を閉じるのかな…確かに…なんでもなかったかのように…本を読み続けている。一方の柄がとれてしまったメガネをかけ、ずり落ちるメガネを上げては落ち、落ちては上げ、たんたんと…だんだんと、本を読むことより、その作業の繰り返しに時間を割いている。周囲の目、見られていることなど、どうやら意識の外にあるようだ。ご本人、まったく気にしていない。(すばらしい)申し訳なくも、こみ上げる笑いをおさえるのに苦労した。同時に、これはキャンディッド・カメラ (Candid Camera:米国版ドッキリカメラ)じゃないよね?という思いが、一瞬だけどよぎった。もうずいぶん前に観たTV番組(キャンディッド・カメラかどうかは?)で、アメリカの名コメディアン(おそらく中高年期のハロルド・ロイドだと思うのだが覚えてまへん。ロイドメガネのロイドさんですね)が、カフェで隣り合わせたお客さんを、メガネひとつで笑かしてくれるという仕込み。その様子を、オーディエンスが、またほほえましく笑っているという…本人は大真面目で、周囲は笑っちゃいけないんだけど、やればやるほど深みにハマっていく・・・自分の世界に没頭しているから、意外と周囲の目が視界に入ってこない。そのこっけいぶりを表現していく。どのようなメガネ芸だったかは、具体的に覚えていないけど、電車で見た人のようにずれ落ちたり、逆さにかけたり、珈琲カップの中に落としたり・・・よくも、まぁ、メガネひとつでここまで! が、次から次へと。それを見ていた他客(ターゲット)は、最初は誰もが奇異な目をしているんだけど、そのうちハジけて、どうにもおかしくてたまらない。でも、笑っちゃいけないし、で必死にこらえ、お次はどうなるの?と、こらえきれずにこらえながら、もっと見たさで興味津々。どんどん世界に引きこまれていく。最後はみんな、ほんとうに楽しそうな顔をしている。考えてみたら、日常的にここまで徹底的にドジな人はいるわけないとは思うのだけど、見事にハメられていく。コメディアンが、「笑われることの快感」…笑われて、笑うことを知った者の快感を、役者が笑いのむずかしさを口にしたりするが、笑いは、時に人のもつ奥行きや品格を引き出す、人間特有のものなのでせうね。悲しすぎて、とことん行き詰って、そんな自分をふと客観的に見る自分が、こみ上げる切ない笑いがあったり。笑う…ハッピーになるための笑いがあったり。(アランさんがなにかいっていましたね)赤ちゃんの笑いのように、説明不要の癒しの笑いがあったり。人の声、言葉の一部を取り上げて、自分に都合よい笑いがあったり。政治や経済、文学、評論…知るゆえに、笑える笑いがあったり。その笑いを、実は反対に笑われていたり。その人が、なにを笑っているのか。生きてきた経験知や感受性によっても、ずいぶんと違うのでせう。インターネットの普及も手伝って、なにかと説明的、批評的な世の中だが、個人的には、人がじぶんを覗いて笑ったら、どれどれと一緒に覗いてじぶんをスコーンと笑えるくらいになれたらいいなと、いつも思っているのであります。いい意味で、懲りない人とでもいうのでせうか。まだまだ修行が足りまへん。(昔、冬の茅ヶ崎のホテル駐車場でサーフィン中に、車上荒らしにあった。パンツ含めて、3人分の身包みそっくり。通常、海にはお金持って行かないけど、その日、買い物があって計20万以上。カード・免許証までやられて・・・知り合いにTELして服3人分もってきてもらい、破られたクルマの窓にスーパーの袋貼り付けて・・・車中、あまりにも自分たちがこっけいで、大笑いして帰ってきた。カード類の手続きが大変でしたが)
2004.01.12
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やわらかな陽射し降る、湘南の海浜公園で雲を見ていた。先だってTOPに、浮雲(はぐれぐも)をもってきたからというわけではないけれど。(本来の雲でいえば、「浮雲」は「うきぐも」。または「はぐれ雲」として存在)空の青をキャンバスに、乳白の筆を想いのままに走らせる雲の表情をただ、ぼんやりと眺めていた。今日見た雲の名は、「空の名前」(高橋健司 光琳社出版)によれば、こんなところらしい。 「巻雲けんうん)」別名、筋雲。刷毛で、さっと描いたような雲で、五千~一万2千メートルの空に現れる。帯状や筋状、釣り針状、鳥の羽や馬の尻尾、ほつれた絹糸を想わせるもの…夕焼け時は、最後まで美しく輝くという。 「もつれ雲」巻雲の中で、雲の筋が不規則に曲がっていたり、もつれたようになっているもの。 「放射状雲(ほうしゃじょううん)」平行に並んだ雲の帯が拡げた、扇の骨のように放射状に見えるもの。延々と続くレール…自然が意図せず、創りだすものは不思議だ。特別、想い入れをもって空を眺めたわけでもないのに、この雲は、道をつくっているようにみえる。どこへと続いているのだろう。とか、動物や植物、天に向かって火を吹く龍…など、さまざまなものに見えてくる。雲の名も、人が昔から遠い空に浮かぶ雲を見上げ、その時の想いや憧れ、暮らしに寄せて名づけたものが多いのだろう。「雄大雲」「肋骨雲」「乳房雲」「アーチ雲」「頭巾雲」「ちぎれ雲」「ほそまい雲」「あばた雲」「鰯雲鯖雲」「羊雲」「黒猪」「水まさ雲」「坂東太郎(入道雲の江戸の方言)」・・・雲は、世界気象機関による「国際雲図帳改訂版」を基に、十種雲形・十種雲級に分類され、すべてこの中に収められるそうだ。雲形と雲塊の組成によって、さらにそこから14種に細分されると。大空に自由勝手に舞い広がる雲も、すべて体系化されているわけだ。(まぁ、なんでもそうしないとやりずらいでせうし)今日は見上げるばかりの雲であったが、以前、書いた学生時代に槍ヶ岳山荘から見た雲海のように、http://plaza.rakuten.co.jp/naoriku711220/diaryold/20031122/時に、雲は見下ろすこともあったなぁと、その時のことを思い出したりもした。///////////////////////////////////////////////////////デジカメが昨秋、不具合になってから無用のナントカ状態。今日も、雲だけじゃなく、富士山を背景にした湘南の海浜公園のヒトコマなど・・・言葉じゃ言い切れないものを伝えたい時がもどかっしいどすなぁ。銀塩で撮ろうかと思いつつ、なんのためのデジカメじゃぁと。あ、もったいないの映像逃し。
2004.01.11
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どなたかのサイトで、「データ日記」をすすめていた。紹介されていたデータ日記とは、見開き一週間形式の日記帳をタテに5分割し、その日行った場所、会った人、仕事内容、観た映画や読んだ本等、その他の特記事項を淡々と書き入れていくというもの。たとえデータのみの列挙であっても、生活記録と併せて、自分がそのとき何を考えていたかが、行間から十分に伝わってくる。だから、毎日1分間の気軽な日記習慣として、日記挫折組みにおすすめしたいと。うむ。アイデアや発想は、既存と既存の新しい組み合わせ。日々、右の耳から左の耳へと流しっ放し情報を編集・加工、再生するために、簡潔に、ひと所に書き留めるということは悪くはない。こうした手帳を携帯し、珈琲でもすすりながら、モノ・コトの企画や生活コンセプト的な発酵帳として活用するにはいいかもしれない。あと、データ日記のすすめについて、こんなことも書かれていた。この日記には、恥ずかしくてあとで読み返せなくなるような、自分の感情に類することはいっさい書かない。日記はあとで読み返してこそ意味があるのだから、読み返すことが苦痛な「感情日記」には意味がないのだ、と。日記をつけようなどと思い立つ人に不精者は少ないはずだから、不精だけが続かない理由ではないはずだ、と。日記に関するとらえ方もいろいろあって当然だし、こうした公開日記と完全私的日記とは違うでせう。それを前提にしたうえで、個人的には感情日記・・・多少でもじぶんの想いや考え方が入っていてこその日記、私記で構わないのだとつねづね思っている。読み返すことが恥ずかしくないのか? 苦痛ではないか?苦痛…まではいかないけれど、そりゃそりゃ、あとで読み返したら、こっ恥ずかしいのかたまりであります。時に肩に力が入り、独りよがりで、知ったかぶりで、底が浅く、軽薄で・・・妙に元気ぶったり、斜に構えたり・・・他の住人の皆さんの奥行きや造詣の深さ、生活実感などに触れるにつけ、我ながら、ショーモないなぁと思うことも多いのであります。実は、こうして書いているときから、そう思っておりますです、はい。ただ、それでじぶんを全否定したり、過去日記を消し去りたい、全更新してしまえとか、そういうこともないのです。こっ恥ずかしさや各様の感情を含めて、そのときの勢いや在り様、ああ、今日は、あの日はそうであったかと、スコーンとじぶんで自分を笑って、楽しんであげたいと想うのであります。(本日日記も、あとで読み返したら、間違いなくハズカシイと)手紙・・・最近はメールが多いのだが、私的なメッセージはどうしても深夜に。で、メールだとすぐ書いて、送って、届いてしまうわけで、どうする?と。手紙で多くの人が経験あるように、朝読むと、こっ恥ずかしいのかたまり。ぼくは、わかっていて、送信ボタンをえいっと押している。その人を不快にさせたりしないかは、もちろん考慮するのだけれど、そのとき、その場で、そう感じたことを優先させて、思い切って送っている。気持ちの未整理や独りよがりかもしれないけど、のひと言を添えて。その日、表現された人の想いや考えは、その人の一部でしかない。何かを言えば、何かが抜け落ちる。その日の想いが、周囲の言葉や想いによって変わることもある。整理しきれない、言葉にならない想いも含めて、とにかく相手にぶつけてみる。相手と、誰かとつながろうとする想いで発せられた声ならば、それは思い切ってその場で出してみてもいいのではないかと思っている。//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////メルマガで知ったのだが、WindowsキーとMキーを同時に押すと、全ウィンドウを閉じて、デスクトップを表示してくれる。ウィンドウを出しすぎちゃってわけわからなくなったときに便利。ショートカットキー一つとっても、ほんと、ウトイのです。
2004.01.10
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夕方、寄った本屋さんで、ふと目にした雑誌の表紙に拓郎さんが。http://macfannet.mycom.co.jp/mf/ 拓郎さんはMacの愛用者だったのですね。MacもWINも詳しいことはわかりませんが、とても静かなのが気に入っていて同じ機種を2台部屋に置いているのだとか。音楽関係は、以前からWINを使っていたが、友人の加藤和彦さんが使っているのをみて、それで。Macは、ゲームとアダルト専用なんだそうで。違ったかな(笑)雑誌のせいか、家まで拓郎さんの歌を口ずさんで帰ってきました。ほんとは、今日書きたかったことはまったく違う話になったけど、そちらがまとまりそうにないので、その歌詞でも写して逃げることにします。いつも見ていたヒロシマ 詞 岡本おさみ 曲 吉田拓郎八月の光が オレを照らし コンクリートジャングル 焼けつく暑さがオレの心をいらつかせる いやせない みたせない なぐさめもない深い祈りと 深い悲しみ 渇いた心をかかえて オレはどこへ行こう 君はどこへ行く時はおし流す 幾千の悲しみを 時は苦しめる 幾千の想い出を焼けつきた都市から 確かな愛が 聞こえる子どもらに オレたちが与えるものはあるか 安らかに笑う家はいつまであるか いつも いつも遠くから遠くから 見ていたヒロシマ八月の神が オレを見つめ コンクリートジャングル 逆らう日々がオレの心をいらだたせる 笑えない 落ち着けない 安らぎもない唄う敵と 唄う真実 見えない心をいだいて オレはどこへ行こう 君はどこへ行く時は忘れ去る 幾千のごまかしを 時は汚してる 幾千のやさしさを焼けつきた都市から 確かな愛が 聞こえる子どもらに オレたちが与えるものはあるか 安らかに笑う家はいつまであるか いつも いつも遠くから遠くから 見ていたヒロシマさて、すっかりさめた風呂にでも入ってきませう。さ、お風呂から上がって、帰り道ソング♪ 熱唱、もいっちょ。流 星 詞 曲 吉田拓郎たとえば僕が まちがっていても 正直だった悲しさがあるから・・・流れて行く静けさに勝る 強さはなくて言葉の中では何を待てばいい・・・流れて行く確かなことなど 何も無く ただひたすらに 君が好き夢はまぶしく 木もれ陽透かす 少女の黒髪 もどかしく君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですかさりげない日々につまずいた僕は星を数える 男になったよ・・・流れて行く遠い人からの 誘いはあでやかでだけど さまよう風にも 乗り遅れ・・・流れて行く心をどこか 忘れもの ただそれだけで つまはじき幸福だとは言わないが 不幸ぶるのは がらじゃない君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですか流れる星は 今がきれいで ただそれだけに 悲しくて流れる星はかすかに消える 思い出なんか 残さないで君の欲しいものは何ですか 僕の欲しかったものは何ですかずっと前、深夜の拓郎さんのトーク番組で、当時、売り出し中の爆笑問題がゲスト。太田さんは、自分たちがこうして目の前で話していることの不思議さと、「流星」をカラオケでとりあいになるなんてことも言ってましたっけ。さて、寝ますか。
2004.01.09
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●明けまして おめでとうございます (あけましておめでとうございます) ↓夫婦で 受けまして すごい ざまぁ(めおとで うけまして すごい ざまぁ)●高杉晋作(たかすぎしんさく) ↓釘刺す 啖呵士(くぎさす たんかし)●松田聖子(まつだせいこ) ↓せこい妻だ(せこいつまだ)・・・よくあるけど●使途不明金(しとふめいきん) ↓踏め、意図、資金(ふめ、いと、、資金)「●石原慎太郎(いしはらしんたろう) ↓他意知ろう、慎腹(たいしろう、しんはら)●エリッククラプトン ↓プリクラ、特訓絵(ぷりくらとっくんえ)ダミダ、こりゃ。おそまつさまでした。
2004.01.08
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石釜風呂の中から、こうこうと輝く月の丸を見ていた。近頃の癒しブームの流れだろうか、クルマで30分圏内に2軒ほどスーパー銭湯なるものができた。新年だというのに、いま一つ気持ちが前向きにならない。気分の冴えないときは、大きな風呂にでもゆったり浸かってみるべし。で、出かけてみた。カラダは温かく、アタマは外気に冷やされ心地よく、露天風呂の頭上には満ちる月。そうか、明日は満月か。時折、流れる雲と湯気にさえぎられ、表情を変える青白い冬の月光を飽かず眺めていた。農耕の民であった日本人には、満月は古来、めでたさの象徴だった。秋の名月に嘉味と神酒を備え、食した月下の宴。「最中」の菓銘も、宮中の池に映った満月の美を讃えた、「最中の月」に由来。五穀豊穣の喜びや祈り、信仰の対象でもあったわけだ。ところが、西洋では「満月は、人の心を狂わせる」という説話が生きている。狼男の伝説、ジキル博士とハイド氏、切り裂きジャック、サムの息子・・・みんな満月に関係しているのだという。月が生物に与える影響を取り上げた「月と魔力」の著者である、米国の精神科医、アーノルド・リーバーは「バイオタイド(体内潮汐)」という説を提唱した。「生体は、海の潮汐(タイド)のように、天体と共鳴する」と。人間の身体は約80%が水分で、20%が固体(陸地)で、これは地表と同じ組成だという。(血液の成分も、海水と成分と似ていると言われている)月の引力が、潮の満ち干期に影響するように、直接、体内水分を直接引っ張るのではないか。地球と月の関係と同様、人も月の影響を受けざるをえないのではないかというのだ。医療現場と事象を調べたところ、患者の動揺の大きい日や暴力による救急活動が多い日がある。周期を探っていくと、引力が強く働く満月時に合致したという。日本でも、交通事故や放火が、満月や新月の時に多いというのは聞いたことがあるが。感情の高ぶり、うつ状態、喧嘩、トラブル、事故・・・月夜と人の行い、体調、言い伝えについては、ちょっと調べただけでも世界各地でいろいろあるようだ。個人的な思考状態に、月をこじつけてみたが、古代より自然と密接に関わり生きてきた人間の行動リズムが、月の満ち欠けのリズムと符号していているものおかしい話ではないのかもしれない。女性の生理現象も、月のリズムに基づいていることは知られた話だし。太陽暦が使われる以前、人々は太陰暦を使っていたわけだから、カラダの中に無意識的に刻まれた月のリズムの生活(・・・感情、精神状態)をしていただけなんだ。あ~そうかそうか、なんだか気分が軽くなった。(単純・・・逃げ?)ちなみに、月夜のデートでは、お互いを想う気持ちが強ければ、その力がさらに強まり、すれ違いの仲にあれば、さらに相手を嫌う気持ちが強まり・・・というのだが。これは、あの方にお預けしよう。さて、その恋の行方はいかがなりますかな。
2004.01.07
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ある雑誌で、オーストラリアの原住民のアボリジニの「ソングライン」を知る。(・・・)
2004.01.06
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初夢は、見なかった(記憶にない)いま、初夢が話題になることの方がめずらしいのかもしれない。が、いい夢を見れることに越したことはない。以前、スタンフォード大学が、人が睡眠中に夢を見ていることを自ら認識できるソフトウェアの開発に取り組んでいるという記事を読んだことがある。レム睡眠の間、見たい夢を思い通りに見られるようにするためだと。夢を見ているときでも覚醒していて、その夢を自由にコントロールする技法を「明晰夢」と呼ぶらしいのだが、いつもそんなふうに夢を見られたら、眠りは現実よりも素晴らしいものになりうるというのだ。世界を旅することも、億万長者や世界の指導者になることも。スーパーマンや一流のアスリート、アーチストになることも、自由自在にふとんの中で身を横たえながらできてしまう…もちろん、それなりの訓練を積めばだが、そのようなことが可能になるということだ。一つとしては、自分がいま夢の中にいることを知らせるシグナル=ドリーム・サインを見抜けるようになることを身につけるとか。明晰夢に関心を寄せる人も多いようで、書籍や情報もいろいろあるようだ。もちろん、ただ一夜の夢を楽しむためだけの研究ではないだろう。潜在意識に積極的に働きかけることで、正夢に近づける。意欲的に生きるためのものということなのだろう。ビジネス書や自己啓発本でよく言われる、じぶんの目標や目的を、具体的な言葉で紙に書く。じぶんの理想や夢の具体的画像(絵・写真)を壁に貼る。前向きな言葉やハッピーな言葉を口グセにする。などの、より科学的な延長線上にあるものなのかな。実際、夢のコントロールには、心身の治療や健康増進効果。運動能力の向上や自信をつけたり、起きているときには気づかない問題を直視できたりすることにも役立つという。それにしても、「夢の中で目覚める」とは、どういった感覚のものなのか?「夢は目を開いてみるもの」とは、誰の言葉だったか忘れたが、夢の中で、夢を自覚し、さらに夢の夢をふくらませる。知ったからにはやってみたいとは思ったりはするのだが、夢を操り、鍛えるための根気がなにしろ・・・話は変わるが、20年以上前に見た夢で忘れられない夢がある。深夜の大草原(ンゴロンゴロ国立公園、と勝手に想定している)に、理容店の前でクルクルと回る赤・青・白の3色サインポール…あれが一列にず~と遠くまで、延々と並んでいる。その怪しげな光に照らされながら、草原の草や木々が揺れているのだ。夢を長く覚えている方ではないのだが、あまりにもワケのわからぬ夢だったので、いまだに忘れられない。あれはいったいなんだったのだろう?フロイトやユングの夢分析ならば、どんなことになるのだろうか。どなたか教えていただけませんか?//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////明日と明後日は、日記お休み。せっかく皆勤賞だったが、しゃーない。あ~ら残念。
2004.01.03
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箱根駅伝のランナーは、タスキをつなぐ。ぼくは、手をつなぐ。第80回箱根駅伝、往路は駒沢大学が制した。思い通りの走りができた人、チームのブレーキとなってしまった人。各大学の選手それぞれだろうが、手から手へタスキをつなぎ、走りをつなぐことに、並々ならぬ想いをもっていることだろう。駅伝にそんなことを思いながら、「手と手をつなぐ・・・」と、まったく関係なく、遠き懐かしき日を想い出した。高校の文化祭のフィナーレを飾る、フォークダンスの宴。ちょっとワクワク、気恥ずかしい輪がキャンプファイヤーを囲む。曲は覚えてないけど、やっぱり「オクラホマミキサー」だったでせうね。チャラ、チャンチャンチャカチャカ、チャンチャンチャン♪なんだろうなぁ、この恥ずかしさ半分の妙な気持ちは・・・人前で異性と手をつなぐ機会は、幼児期でもなければそうなかった。ましてや、北国の田舎の学校だ。そもそも日本の習慣として、男女が手をつないで踊るということが生活の中に入り込んでいない。一方、欧米人にとって、手をとり踊ることは、人と人とが上手くつきあうための、お互いの絆の強さを確かめるためのコミュニケーション手段だったという声もある。動物行動学の権威だったデズモンド・モリスという学者によれば、 手をつなぐということには、人間同士が接触しあうパターンのうち、両方からの動作、すなわち同等に関わっていることを示しているのだという。これが腕を組むとなると、一方が支持者、一方が被支持者の役割をするのだといい、この辺が手をつなぐことと本質的に違うのだと。手をつなぐということで、欧米社会で生まれた挨拶として有名なのが、握手。読んだ本では、男が友好的な関係を築きたいとき、右手=武器を持つ手を差し出したことに始まるという。(なにも隠し持っていないというポーズ。敬礼も、確かそんな意味が・・・)握手が盛んになったのは、産業革命以降だそうだ。中産階級の男性たちが商取引成立の意味をこめ、手を差出し握り合ったことが、日常生活にまで広がったのだという。「契約」の証や「儀式」として、手を握り合ったということか。個人主義や契約社会である欧米では、人と人との約束や関わり合いを、握手に求めて不安を解消したのかもしれない。考えてみたら、ドラマやニュースでも、親しい関係にある人たちは抱擁やキスをしている。とすれば、握手や手をつなぐという行為は、もともと近い距離ではない人たちが、握り合うことで確かめる、あるいはそう見せる行為?素直な見方ではないかもだが、政治家を思うとあながちハズレじゃないかも。電車内でいちゃいちゃと手を握り合うバカップルも、心理的にみれば、そうしなくてはいけない不安定な関係と言えるのか?ちなみに、力の入らない握手を外国では、デッドフィッシュ(死んだ魚)といって、熱意や信頼感を感じなかったりする人もいるらしい。手と手をつなぐという行為には、やはりいろんな意味で、確かめ合う、心をつなぎたいという意思がこめれているようだ。
2004.01.02
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夕方、自宅から歩いて30分ほどの小さな神社に初詣に行った。急な石段を100段ほど上り、詣で、おみくじを引くと末吉。「積極的にじぶんから動いてはいけない。静かに物事が熟すのを待ち、受け入れなさい。そうすれば、運は開けてくる」・・・そのようなことが書いてあった。あらら、動いちゃいけないんだ。幸運や幸福、成功は、自ら進んで動くことからというのが世の常だし、早く、たくさん、何度でも・・・というのが、やはりいいことだと思ってきたのだけど。(なかなか上手くいかなくて、モヤモヤしているのだけど)この時代、動かずに、ただ待ちの姿勢で、運が良き方へ向かっていくのは難しいこととは思うのだが、ここは「運や福の神様は、笑いと謙虚を大いに好む」というところの「謙虚」をきちんと考えなさい、と元日のお導きであると謙虚に受けとめる。そういえば、幸福には、元々、「偶然の出来事」という意味があるのだと、どこかの本で読んだことがある。「Happy(幸福な)」は、「Happen(起こる)」と同一語源。つまり、偶然起こることが、Happyの本義らしいのだ。日本でも、幸せを“仕合わせ”と書いたりして、偶然起こる出来事、めぐり合わせのことっだったりもする。「偶然の出来事」が、時を経て、都合の良い出来事や心の内にある状態をさすようになったということか?幸田露伴は、幸運のめぐり合わせの良い人とそうでない人を研究して、“幸福3説”というのを唱えて、「惜福」「分福」」「植福」という言葉で表したという。たまたま与えられた福を使い尽くし、取り尽くしてしまわないとか、じぶんにきた福を独り占めしないとか、じぶんがその恩恵を受けることがなくとも、将来的に福となる元を、さながら木を植えるように植えていくとか、そういうことらしい。先月、日本将棋連盟に引退届を提出した米長邦雄・永世棋聖は、現役時代に運についての本を出すほど強い関心をいだいていて、揮毫(きごう)を頼まれるとよく「惜福」と書くのだという。幸福3説も、米長邦雄さんの本を読んでいて、たまたま知ったのだが、勝負師、しかも100手先を読むと言われる(実際、読んでいるとある人が書いていた)プロ中のプロの棋士が想う運や謙虚とは、勝負の微妙な綾やある種の法則性を繊細に感じ取っていたことから、そこに及んだのだろうな。「動いてはいけない、待ちなさい」・・・そ、そうですか。はい。果報は寝て待て。待てば甘露(海路)の日和あり。石の上にも三年・・・ですね。慣用句の連想ゲームのように、酔いの残るアタマで、ゆらゆら都合よく想う凡人には、運や福と待ちの綾は、まだまだ読み取れぬのかも。せめて、なにかを想い、声にし、声を聞くこの広場日記に、日々の小さな「お福分け」を感じながら、もらったり、時に差し上げたりを素直に楽しんでいきたいと思う。
2004.01.01
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