全16件 (16件中 1-16件目)
1

黄色という色を、好きになり出したのはいつからだろうか。数年前のことだと思います。風水では金運を呼ぶ色らしいですが、それだけではないような。なぜか惹かれる色になりました。年齢や時代的なもの、そんなことも関係あるのでしょうか。作られた黄色も嫌いではないのですが、その辺りの樹の意図せぬ、まさに自然体の黄色、黄色がかった、日一日、深まる秋の時間と外気を混ぜ合わせた…う~ん、なんでしょう、そんなあれこれな黄色に気持ちも染まるかのような休日のひとコマでありました。風もなく、穏やかな陽射しの午後。街路樹に入る斜光、住宅街の鳥のさえずり、遠くからぼんやり聞こえるぼわぼわっとした、音にならない音。なんでもない場所での、なんでもない時間でしたが、通りがかりに目にする晩秋の色が、やわらな気配とともにすがすがしく目を洗ってくれました。あらためて秋に、黄色は似合うなぁ。紅や茶色も。あの織り交じった感じもいいですね。自然はうまいこと、やってくれるものです。「秋立ちぬ」という古い映画があるようです。ぼくは知りませんでしたが。「立ちぬ」などと気取ってみて、たまたまひっかかってきました。
2004.11.28
コメント(10)
ひどいものですな。深夜に書いた前日記を読むと。感情にまかせてというほどでもありませんが、自分の恥さらしを自慢げに幼稚にやっておりますな。でも、これはこれで自分の一面でもあるわけだし、自分に対してわかりやすくていいのかもしれません。こういうのじゃない、自分も時には在るのだろうし、そういうときは自他ともに、わりかし整って見えているのかもしれません。そのときは、そのときの感情をオープンにしていく、性分なのでしょうね。すべてがいいことだとは思いませんし、最低限の場をわきまえることができると思っている、ええ歳こいた大人でもあります。人は、日常の10、他人に見えていたら、他の90は見えないし、言わない限り、相手も興味はない。と思っているのですが、その10の部分で、「あなたは、こういう人だね」と言われたり、思われることもあるのでしょう。否、あります。しかたないね。「そ、それは誤解だよぉ」も、相手から見た「正解でしょ」でもあると思うし。曲解もあるけれど、少なくともそう見える部分があるのでしょう。気分もよくないこともありますが、そう思われている。ということだけは、きちんと受け止めようと思っています。(面白いのは、人を批評するのが好きな人ほど、自分のことを言われるとムキになる傾向があるようです。卓球の変化球サーブを打ち返すには、いきなりスマッシュ風に、強くストレートに打ち返すのがいいと教えてもらったことがあります)どう想い、動いても、意図せぬようにとられることはある。ありますよね?公私を問わず、つながる人に迷惑(は、かかっちゃうけどね)をかけちゃいかんが、なにもかも、いい人・できる人・大きな人・ナントカな人を意識して、日々の小さな感情の甲羅干しをせぬままでいると、虫でも沸いてきそうな気になります。人に進められることではないけれど、こうして今日もどこかで悪態をさらすのでありませう。今日は、こちらは深夜の大荒れと打って変わって、穏やかな晩秋晴れです。穏やかに過ごしませう。ごきげんよう。
2004.11.27
コメント(2)
肝機能障害が考えられます。・・・初めてコルステロールがやや高めです。・・・と明確に記されたのも初めて。尿酸が高めです。・・・もう、ずっと。高脂血症疑い・・・初めて。知らん。先日、血液検査と尿検査と胸部レントゲンだけの、基本健診を受けた結果が届きました。γ-GTP…アルコール性肝疾患の指標となる値が高かったようで、上記の疑いありに○が付き、その他もろもろ。医療機関で受診する必要があります。に○が。う~む。尿酸は、あきらめた。毎日、2Lの水を飲んだ年もあったし、スイミング2kmを数年間続けたことも、歩きも好きだから歩かない人よりはおそらくずいぶんと歩く。最近は、復活のバイク(自転車)で明らかに脚力がついたことを自覚している。自転車と歩きは、抜くことはあっても、まず抜かれることはない。先日、学生が自転車で追い抜いて行ったので、アタマにきたのでぴたりとつけ、ころあいを見計らって抜き返してやった。F1のテール トウ ノーズ、スリップストリーム走行だ(みたか!ざまあみろ)ダンベル(片手4kg)も、ぽぼ毎日15分から20分、4年間続いている。コーヒーと肝機能は相性がいいということですが、これも毎日1~2杯の習慣が数年続いている。お酒は、ごく少量をほぼ毎日。でも、適度な飲酒は飲まない人より血流がよくなると聞いているし。食べ物も、だいたい健康的だと思う。ただし、いまは抑制しないけど。牛丼でもラーメンでも、ヘルシーな和食でも、食べたいものを食べたいだけ食べる。ここ一年、意識的にやっているようなところがある。体重はかなり増えたが、ズボンはとりあえず入る。筋肉が増えたのだと思っていたが、どうやら内脂肪か。ま、まずい。つゆは最後まで飲み干す。北国育ちだから、しょっぱいものは大好き。お菓子も、ここ数年、よく食う。これは前にはなかった習慣。なにが言いたい? 要は、動かない人よりはトータルでずっと動いているし、食べ物も、まぁ、通常並み+ちょい健康寄りだと思っている。まずい点もあるが、トータルでみれば、少しは健康生活寄りだと思っていたのです。だから、アタマにきているのだ。自分のカラダに。データも半分、信じていない。都合がいいのです。感情も、あまりガマンすると身体に良くないと思うので、意図的にあらわにすることもやる。そのときにあらわにされた方は迷惑このうえないが、まぁ、ぼくのために許してもらおう。だいたい、こういう単純な人間は、清浄効果が働いてうまい方向にいくはずなのになぁ。今年は、昨年よりいいだろうと思っていたのに、参るぜ。嫌いな大病院でも行ってみるか。来年でも。
2004.11.26
コメント(2)
時折、通る住宅街のT字路の信号は、両方向とも、いつも青だった。ことに気がついたのは、一年ほど前のこと。青信号のT字路交差点に進入しようとした矢先に、左から右へ、クルマが勢いよく駆け抜けて行きました。「えっ? なんで。。。」恐る恐る進入しながら、もう一方の信号機を見上げると、こちらも青。それまでは、一方が青ならば、もう一方は赤だと当然のごとく思い込んでいたので、さほど注意を払っていませんでした。クルマが来なかったのは、たまたま運が良かっただけ。その後、同じ場所を通るたびに慎重に近づいていくと、何度かは(今日も)クルマが目の前を横切って行ったり、右折で向かってきたり。相手のクルマもあまり躊躇していないところをみると、やはり気がついていないのでは?こちらが気づかないままであったのなら、鉢合わせしていたかも。でも、なぜに? 地域から警察に対してクレームは出ていないのか?そこを通るのが初めての人もいるだろうし、まさかローカルルールということもないだろうに。すぐそばには小学校もある。これならば、信号がない方がよほど慎重になると思うのですが、いまだに意図が読めません。全国に、危ない信号というのは多くあると思うのですが、信号=交通法規=ルール=思い込み人は(ぼくは?)、物事の基幹をなすもの、そう思えるものに知らず知らず頼り切っているのか。自分の感覚や意識を働かせることが大事だなと思うのであります。でもなぁ、信号ルールは誰にでも共通でないといけないと思うけど、最低限、信じて走りたい基盤の、その示す意味がわからないのよん。
2004.11.24
コメント(2)
とグーグルでキーワード検索をかけると、2.350件ものページがひっかかりました。考えぬく、考えることにまともに向き合うということをなんとなく考えていたら行き当たった言葉でしたがいやいや、ちょっと驚き。それだけ、そんなことを考える人も多いのかと。生きる幸福、生きる時間の質を考えることにもつながるのでしょうか。
2004.11.23
コメント(1)

日の出です。夕陽ではありません。おてんとさんが、かぁ~とやる気を出しているようなので、思わず撮りました。濃厚な橙から淡色の橙へと、こうしている間にどんどん色を変えていく。街路樹の枯葉色とも相まって、晩秋の朝の気配を染め出していました。しかし、ぼくが撮ると、夕陽も朝陽も同じになってしまう。
2004.11.21
コメント(2)
ホンダのF1B・A・Rチームへの資本参加が発表されました。これまでのエンジン供給や車体の共同開発だけでなく、チーム運営、体制づくりに直接関わっていくことができる。ホンダのチーム買収は兼ねてからうわさのあったことでもあり、ホンダ・レーシング魂好きにとっては、早くそうなってほしいことでもありました。残念ながら、ホンダ単独ではなく、共同運営となるようですが、チームスポンサーのBAT(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)がF1から手を引くのは時間の問題かと思われます。今のチーム代表も、別世界から来た商売人で、根っからF1が好きではなく、チームを高く売る機会をねらっていたと言われている人です。この人も去るらしいという朗報付です。レースを心から好きでない者が運営をするレースチームに、ファンを心から感動させるチームづくりはできないと思います。単なる技術や成績だけではなく、見えない部分を含めたレーシング・スピリッツに根ざした者が引っ張らないチームなんて、クリープを入れないコーヒーです。(知らん)創業者、本田宗一郎氏の血、副社長との名コンビぶり、マスキー法を真っ先にクリアした技術力、まだ本格的な四輪を作っていなかった頃にもF1初参戦を表明、ロボット二足歩行の開発。ホンダには、技術が人の幸福や喜びにつながるという強い想いのもとに取り組んでいる姿勢が感じられます。むろん、さまざまな失敗もあるのでしょうが、なんのために会社があるのかという根底は貫かれているように感じます。レースもその一つなのでしょう。レースが好きで好きでたまらない会社が、チーム運営することはその下で働く者たちの幸福にもつながるだろうし、それが観る者にも、挑む気が伝わり、新しい楽しみを与えてくれると思います。願わくば、1968年F1参戦以来、ホンダ初の「チーム・ホンダ」を早く見たい。B・A・R創設者の一人でもあるエイドリアン・レイナードは、うわさの段階でこう語っていたそうです。「この話が現実になればうれしい」「ホンダがチームの一部もしくはB・A・R F1チーム全体を買収することをずっと夢に見てきたんだ」「このことを完全に支持している」レースを愛する者は、レースを愛する者に上に立って欲しい。天高らかに1等賞に響け、ホンダ・ミュージック♪どこかの国のプロ野球界にもがんばってほしいものです。
2004.11.19
コメント(3)
自転車に乗って浴びる晩秋の冷風は、精神の浄化作用にもお役立ち。どよんと沈みがちな気持ちと頭の中を、ヒュ~と冷やしてくれます。自分の中では、第3次自転車ブームの訪れ…は、ちと大げさですが、今また、ちょい乗りが楽しくて。ちょい乗りといっても、30~50分も走れば、街の様相は大きく変わります。暮らす場所からは、海・山、ヨコハバの副都心、下町、中心部などがエリアに入ります。自転車での散歩が、徒歩より心地よいと感じるところは、これらの街の混み具合、寂しさ加減、行き交う人が、自分の漕ぐ適度なスピードの中でのんびりと流れながら、流れながらも混然一体とつながった町の風景として体感できることにあるのだろうと。反対に良くないかもと思うのは、どうしても街道や大きな道沿いなど、街&人情報を楽しめる通りばかりを選ぶようになったこと。(街街での裏通りは、味わいがありますが)つまり、そのぶん、排気ガスを浴びていると。これから年末に向けて、ちょっと、いや、かなり寒いと思うけど。街も人も、明暗のコントラストがつきやすく…そう感じてしまうのかもしれませんが。とにかく、ああしてこうして冬を迎える街の息づかいがありまして。クリスマスのイルミネーションがきらびやかな街を抜けて、ちょいと走れば、ホルモン焼きに老舗の煎餅屋、甘納豆屋、門前町の商店街、古本屋、酔っ払い…自分まかせのスピードで、ときに気になりゃ立ち止まり。暮らしの機微を集めに、今日もあの街この町、自転車漕ぎ漕ぎ行きまっしょい。ただ、坂道が多いだけにヒザにくるのよ。「ああ、昔はこんなことはなかった」と、お決まりの言葉で締まりなし。
2004.11.15
コメント(5)

■追記 人、人、人。露店・露店・露店。灯り・笑顔・活気。人が多すぎて、露店の方まで進むのは至難。お好み焼きや串焼きビーフを焼く、におい・におい・におい…のみで、ひたすらがまん。 皆さま、お手を拝借。シャンシャンシャン シャンシャンシャン 商売ハンジョ♪ ソレシャンシャンシャン シャンシャンシャン 商売ハンジョ♪ もいっちょ。シャンシャンシャン シャンシャンシャン 商売ハンジョ~♪ パチパチパチ 大きく、まばゆく、あでやかに。福をかき集めて、にっこりと微笑み。 ここは、ヨコハバの下町。開閉式のアーケード商店街が約400m続いています。三の酉や年末も、さぞかし大賑わいすることでしょう。 あ~、業務連絡、業務連絡。神大岡越前駅近くに、大衆焼肉&ホッピー、ケムモク入り処発見。カ板&ジン具方面、あびる優担当“先生”、いずれ飲み飲み。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━今日は、金刀比羅大鷲神社の「お酉さん」。http://www5e.biglobe.ne.jp/~ydagame/index.html今年は26日を含めて、三の酉までありますね。夕方の五時には早々と暗くなってしまうこの時季、ふだんなら、なんとなく寂しい気持ちもするものですが、酉の市の日に限っては、心待ちというところかな。しかも、日曜日。さぞかし賑わうことでしょう。まばゆい灯りに引かれるように、人々の賑わい。約400店もの露店が軒を連ね、居並んだ商売繁昌の縁起物、熊手と光の彩色あでやかな祭典。熊手が売れると、辺りに響く活気ある声と拍子木の音、手締め。ここに身を置くだけで、なんとなく心満たされた気持ちになるのは、多くの人が感じたことではないかしら。光の群れと色彩と、人の笑顔と威勢がかよう、その背景で夜の闇のひろがりが、今日を生きる人々の時空間を、より一層に際立たせてくれます。今日は行こうと思っていましたが、さてどうしようか。光と人の賑わいに誘われて、誘われながら、やめとこうか。そんな中途な面持ちであります。
2004.11.14
コメント(7)
朝、目覚めると、また自分がいた。「今日も、○○○○やってます」。正直に言えば、夜寝るときや朝起きたとき、「明日も、今日も生きたい」と、心の底から強く願っているわけではありませんが、昨日から今日へと引き継いで、また一日生かさせてもらった自分がいます。そして一日一日、人は歳をとる。加齢していきます。自らの肉体的な自覚と併せ、時に自分より若い人たちが周りに多くなり、年齢を意識させられることもあります。いま若い人も、いずれ若かった人となり、順番こでこれはしかたがないこと。生きていれば当たり前のことに心がふらつくのは、今日も明日も、生きていることが当たり前だと思いこんでいるところにもあるのでしょう。生きたいことを強く願っても、そうできない人もいる。生きてほしいことを強く願っても、そうさせてあげられなかった人もいる。強く願っていなかったかもしれないが、突然、命を絶たれてしまう人もいる。街を歩いていて、看板が頭上から落っこちてきて、人が凶器を振りかざしてきて、道を歩いていて、タイヤが飛んできてアウト。だったりもする世の中です。その中に、自分の生きる一日もあることは、もっと意識されていいのかもしれない。たんと稼ぐ。世間の注目を集める。人の役に立つ。人に会いまくる。大ボラを吹く。辻説法する。懲りない奴になる。生きることの意味や価値は、人それぞれだと思うし、これが私の生きる道と、簡単簡潔に人に示せるものでもありませんが、今日の一日、なんぼのもんじゃった。そういうことを、つねに自問自答しながら生きていくことをより大切に思わなければいけない歳になったということなのでしょう。歳をとるということには、濃く一日を思うようになる、ということも含まれているのだと考えたいのです。
2004.11.12
コメント(6)
人間の五感の中で、嗅覚がもっとも退化しているらしい。と、なにかで読んだことがあります。それでいながら、世の中が「いいにおい」や「無臭」に敏感になっているようなので、本来のにおいをかぐことに対しての機能や意識がますます衰えているような気もします。臭覚の鋭く、とはいきませんが、室内から屋外へ、ちょっとした散歩だって、世の中のにおいを、ライヴに感じ取る。そういうことになるのかもしれません。夕方の住宅街の味噌汁や焼き魚を焼くにおい。紳士服専門店の生地…なんというのでしょう、ちょっと酸味のあるような独特のにおい。珈琲豆を売る店の前からは、濃~いにおい。床屋帰りの人のにおい。そこで人が働き、生活を営んでいる、そんな日常のにおいに意識的にふれることは、小さいながら生きている今日を体感することになるのかもしれない。
2004.11.10
コメント(1)

■追記男のジョークは醜いと ジュークの5セントたたきつけハマの香りも 今はなく 昔の女も色褪せた(本牧綺談)「ジュークの5セント」を当初、「19の5セント」と勘違いして、なぜ、19なのだろう? 19にはどんな意味があるのだろう?と思っていました。歌詞を読む前に気がつきゃよさそうなもんですが、思い込みとはこんなものかも。似たような話で知っているのは、武田鉄矢さんが陽水さんの「白い一日」を聴いたときのこと。まっ白な陶磁器を ながめては飽きもせず「陶磁器」を「掃除機」と聴き違えて、まっ白な掃除機を ながめては飽きもせずかと言って 触れもせずそんなふうに 君のまわりで 僕の一日が過ぎてゆくなんと、のどかというか、お上品というか、そんな歌なのかと。掃除機を眺めるばかりで、一日を送る男女の暮らしがあるのかと。武田さんお得意の語りが入っているかもですが、一旦、思い込むと、そういう世界に見ようとしたりするものだからなぁ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━沖を通る貨物船 眺め テネシーワルツ歌おう(青い瞳のステラ~1962年 夏)「なんだろうね、あれ?大きい船にピタッとくっついて。コバンザメみたい」「おもしろ~い」タグボート、水先人の存在を知らない様子の親子の会話が可愛らしくもあり。まぁ、知らなくたってどうでもいいこと、いっぱいあります。「なに?」から「なぜ?」に変わってく、少年くんもいるのかな。ぼく ぼくの恋人と踊っていたんだ テネシーワルツをねそのとき 旧い友人に出くわしてさぼく ぼくの恋人を 奴に紹介したんだ そしてやつが彼女と踊ってさついでに 彼女を盗んでいってしまったんだ(TENNESSEE WALTZ)コバンザメな船は、お見事、大型貨物船を着岸させました。湾内の浅瀬などを知らない外国貨物船を誘導するために、沖合いまでパイロット船で出て、乗り込む船長さんがテレビで言ってました。大型船にはしごをつたわって上るのは命がけだと。何人も命を落としているのだそうです。落っこちたら助からないと。毎回、緊張するのでしょうが、胸を張れるいい仕事だにゃぁ。積荷のないあの船は 海に沈む途中港に住む人々に 深い夜を想わせてまにあえば 夏の夜の最後に(積荷のない船)以上、休日の港から。
2004.11.08
コメント(7)
秋深し、友を誘わば、酒に交わり。酒人、酒徒にとっては、いい季節がやってきましたね。焼酎・日本酒・ウイスキー・ビール・ホッピー…和洋折衷、各人の飲り方、酒力に応じてワイガヤと。夜の帳(とばり)が降りた街へ繰り出しては、久しい笑顔、いつもの笑顔が通うことでしょう。派手なネオン、行き交う人々、川面に映るおぼろげな灯り。ニュース番組などで日本全国、酒場風景を観るにつけ、一時、知らない町に空間移動して、一介の飲み人として溶け込んでみたい気分になります。お酒はそんなに飲めないし、近頃、とみに弱くなりましたが、お酒と気の置けない人たちと過ごす時空間は、大人の楽しみの一つでも。「『一杯やろうよ』という言葉を訳しますと、「ゆっくり話をしたい」ということになります」「『食べる(飲む)』ことで、社会がしている努力は、『仲間』と食べるか、『健康』に食べるか、その何れかのようだ。「遊んだり、食べたりして集まるのは、知人ではなく、必要なときに助け合う友人とだという意識が育っている」上記の3つは、もう20年以上も前の洋酒の広告コピーであり、ある本の中で出会った言葉です。変わらないですよね、こういうことは。時代に関係なく繰り返すのですね。変わったとしたら、自分のそういう気持ちがますます強くなってきたということでしょうか。お酒の肴は、料理ではなく、人や会話。と、よく言いますが、そこで交わされる言葉が、特別、高尚であったり、発展的なことでなくても、この人たちといる時間が、自分にとってなにか満たされる時間、なにかの希望や元気力を与えてくれるのであればそれでいいのだと思います。お酒を飲む、誘う…そんなに飲みには出かけんが、よくわからんが、お酒の時間はええもんです。飲みの回数や酒量を自慢している、そこの若者くんもそろそろかな。
2004.11.07
コメント(1)
「事実上の標準」「業界標準」などと呼ばれるもの。たとえばパソコンのOS、ネット閲覧ソフト…あえて言いませんが。ビデオならVHS、英語は世界の言葉のそれにあたるのかな?いま熾烈な争いをしているのは、デジタル・メディアでしょうか。デファクト・スタンダードの状態が出来上がったとき、その主導権を握っているのは、選ぶ側ではありません。ある業界や企業の都合や理屈が、選ぶ側・使う側の望むことよりも優先し、なにかと都合がいいからと、それに従うことになります。まぁ、商品やサービスは、個々の使う心地よさを市場の原理に優先させることはできるでしょう。本人次第、価値次第で、俺は絶対これが一等賞と、選べばいいだけです。でも、これが国のレベルの話になったら、どうでしょうか?昨日の朝日新聞の一面「アメリカと世界(上) ブッシュ再選『単独主義』継続に制約」から。「私の仕事はテスト(国際社会のテスト)に受かることではない。米国民を守ることだ」「ブッシュ政権にとっての合法性とは国内で始まり、国内で終わる」(カプチャン・ジョージタウン大教授)「第2期ブッシュ政権の米国も、『他国の意見をあれこれ気にかけるのは、弱さを示す危険な兆候とみなす』」(同)姿勢が基本となるのだろうか。環境問題然り。京都議定書から離脱したアメリカ。地球温暖化に一番影響を与える国なのに、自国に都合が悪いことなんだから、周囲の目を気にしてなんかいられないということか。だね。これから、またイラクへの大掛かりな攻撃が取りざたされています。昨日?一昨日?テロリストあぶり出しを理由にした空爆で、罪のない民間人が亡くなっています。「デファクト・スタンダード」力を得た者自身が、これを声高に言い出したとき、要注意ですね。
2004.11.05
コメント(0)
■追記自転車漕ぎ漕ぎ、行き35分の、帰りが44分。時間差は、元・山だった町から元・海だった陸地へ。その高低差の分。あの角を曲がると、長坂急坂、帰り道。ちょっと憂鬱。でも、頭に描いていた勾配イメージより、今日はゆるやかに見える。この頃よく通る所だから、繰り返しでカラダが慣れたのでしょう。速く早くとスピードの風を求めることは、さすがにきつくなりました。それよりもひと漕ぎひと漕ぎ、脚を運びながらス~と進む、ただその心地よさ。20~30分も走れば、違う町にいます。「街角の煙草屋までの旅」(吉行淳之介)の、もうちょい先のチリリン旅。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━「俺、一日に五千回ぐらい、死にとうなったり、生きとうなったりするんや」。ひょんなことから、そんな男の自転車の荷台に乗せてもらった主人公。宮本輝さんの有名な短編ですね。最近、ごぶさたしていた自転車に乗るのが楽しくてしかたがありません。自転車つながりで、思い出して手に取りましたものすごいスピードで走り出した。五分もたたんうちに、「おい、死にとうなってきたァ」~~「生きとうなるまで、俺は歩いているから」~~「おい、大丈夫や。乗れよ」「ほんまやろなァ。~~~」「うん、ものすごう嬉しい気分や。死んでも死んでも生まれてくるんや。それさえ知っとたら、この世の中、怖いもんなんてあるかいな。乗れよ」書きながら思いましたが、この小説を思い出したのは、また自転車に乗り出したからだけではないような気もします。いま、世界や日本で起こっていること。ごく身近な状況、心境。そんなことが今日の晴天の秋空に妙に重なって、交わって目がいったのかも。似てるとこあるからだろ、と知ってる人には言われそうですが。というわけで、夕方は仕事先へ自転車で行ってきます。海のすぐそば。夜には、千葉の工場地帯の灯りが見えます。「自転車に乗って、ベルを鳴らし♪」行きはヨイヨイ、帰りはコワイの上り坂。
2004.11.04
コメント(3)
自動販売機王国、ニッポン。新札に大忙し。日本自動販売機工業会によれば、昨年末においての自販機及び自動サービス機の普及台数は、約552万台だそうです。http://www.jvma.or.jp/infoma/info_data01.html新紙幣の発行に対応するための費用は一台あたり30万円かかると、今朝のラジオ番組が伝えていました。でも、ネットの情報では「自販機1台ごとに数千~数万円程度をかけて読み取り機を交換する必要があり、『台数が多くて手が回らない(大手飲料メーカー)』のが原因。ほとんどの自販機が新札対応に切り替わるには1年半程度かかる見通しだ」とあるけど。どっちが本当かな?なにかが変わると、それに応じて周囲も変わる、変えなくてはいけない。大手企業のCIもそうですが、名刺・封筒類などの細かいところも含めて、莫大なコストが発生する。しくみを変えるということには、企業体力が伴いますね。いまは、いろんな自動販売機があるのだろうな。変わりダネがぱっと思いつきませんが、各地域に応じてあるのかも。そうしたサイトがありそうな気もしますが。田舎から出てきて、都内の高円寺という町の住宅街でお米の自動販売機を見たときは、ちょっと驚きました。今ではめずらしくもないのでしょうが、米を店頭や配達以外で買う方法があったなんて、田舎者にはびっくりサ。自動販売機がなかったら、町の様相も少しは変わったものにはなるだろうと思いつつ、使うときには重宝がってる、これからもそうであろう勝手な自分がいます。便利な裏道が、自宅の近くを通る場合とそうでない場合と。この感覚はニュアンスが違うけど、ちょっとだけ似たところもあるような。
2004.11.02
コメント(1)
全16件 (16件中 1-16件目)
1


