ナラティヴ ひとり語り

ナラティヴ ひとり語り

・・・『からくりからくさ』


 梨木香歩についてもっと知りたいと思っていると、夫がインターネットで講演の記録を見つけてくれました。その中に、「今までに興味を持っていたものは何ですか?」という問いに対して「『宗教』です。(自分では特定の宗教は信じてはいないけれど。)」と答えている文章がありました。「人は、何によって支えられるのか?その人を内側から支えているものは何なのか?何がその人を内側から支えるのかという感覚をずっと捜していた。(これについては)プロです。身体を張って考えてきた。自分の存在がかかっている。」と。
 又、「『からくりからくさ』で伝えたいことは何ですか?」という問いに対して「伝えたいということを意識しない。読み手を意識して書いていない。自分自身の必要に迫られた、切羽詰まったもの。」という答えが返されていました。
 この『からくりからくさ』の中で、紀久という女性が「祝福と怨念が、同じ一人の人間の中に、同時に存在しうると思う」と言い切る場面が出てきます。
ー引用
地獄の淵を歩くような苦吟の思いが祝福を深くする。
祝福と怨念が、表裏一枚の織物のように、互いの色を深めている。
そういうことがありうるのだろうか。ー

 かつて私も人を赦せない思いに苦しんだことがあります。私にはその人を赦すことはできないと思いました。けれど、その事を通してその人が神へと導かれることを思った時、私の中に祝福の感情がうまれたのでした。今でも私はその人を赦せたなどと思ってはいません。相変わらず私はその出来事を、その時の感情をはっきりと覚えているのですから。けれど、それと同時に、その出来事を越えてその人が神へと歩み始めたことを喜んでいる私がいるのも確かなことなのです。私達は、様々な出来事を通して人を導くこの超越者を仰ぎ見る時にだけ、憎しみという感情から解き放たれることが出来るのではないでしょうか。
ー引用
夜はだんだん白み初めていた。東の空は、まるで焼けてしまった紀久の紬のように 様々な色が沸き立っていた。一番底にはあの天蚕紬の真珠のような淡い緑が見え隠れしている。
誰かが-何かが、壮大な機を織り続けている。ー

 [壮大な機を織り続けているもの]を、存在をかけて追い求めている求道者、梨木香歩の姿をこの作品の中に見つけたような気がします。

『からくりからくさ』(新潮文庫)

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