ごった煮底辺生活記(凍結中

ごった煮底辺生活記(凍結中

過ぎ去りしBとC



 彼は身寄りがない。
 去年に入院した患者で、病名は……胃ガン。
 腸に転移してしまい、先日、摘出したばかりだった。
 彼は若い。
 私より5才も年下だった。
 仕事盛りで、人生で最も愉しい時間のはずなのに。
 人生とは……運命とは、なんて残酷なのだろう。
 ベットの姿を見ていると、心が苦しくなる。
 目頭があつくなる。

「体を拭きますから」
 懸命に……一生懸命、声を落ち着かせて声をかけた。
「あ……看護婦さん。お手数おかけします……」
 彼はひっかかる笑顔をつくった。
 私より5才も年下なのに、なんて深い顔をしているのだろう。
 婦長や、私に色目をつかう立花先生なんかより人生をきざんでいる。
 そう、院長……60数年、人生模様を見てきた院長の顔に匹敵する。

 点滴のハリに気をつけながら、痛くないように体をふく。
 おなかのキズが、私に痛みを……彼の苦しみを伝えてくる。
「看護婦さん……ありがとう。すいませんね……」
「……痛くありませんか?」
「大丈夫です。白い……看護婦さんを見ていると……ほんと天使に見えますよ」
「……そんな」
 天使なんかであるものか。
 病院は命がつきる場所。
 秋山さん、富山のおじいちゃん、わたしを娘と思っていた芝山のおばあちゃん。
 みんな、みんな、亡くなってしまった。
 天使というより、死神なのではないか。
「いや、すごく神々しく見えますよ」
「……終わりました」
「あの……懺悔させてもらえませんか?」
「はい?」
 彼の顔は真剣だった。そして、どこか悟っているかのような眼差しだった。
「……私でいいのですか?」
「お願いします」

 彼の荷物から、一つの紙包みを取り出した。
「それ、もらってください」
 私は、彼の話を聞きはじめた。それを胸にしながら。

 僕にはね、二人、幼なじみがいたんだ。
 一人は、馬場っていう背の高い、これぞスポーツマンっていう男。
 親友だったね。
 もう一人は、千葉崎っていう女。負けず嫌いのお転婆でね、僕と馬場に勝負で負け
ると、もう、勝つまであきらめないんだ。
 あだ名もビクトリー娘ってね。
 高校卒業まで、いっつも三人組だったよ。
 そう、高校卒業してから……なんだ。
 ある日、気がついたんだね。僕は千葉崎が好きなんだって。
 思いあまって……馬場に相談してしまったのさ。
 馬場と千葉崎は、もう生まれた時から一緒で、僕は小学生から一緒になっていたか
ら、馬場の気持ちを確認する目的もあったのさ。
 馬場は喜んでくれてね。結婚式には仲人になってやるってね。
 でも……忘れもしない二月十四日……馬場と千葉崎が二人で会ってるのを見たんだ。

 思わず尾行して……見てしまったんだ。
 千葉崎が馬場に紙包みをあげるところを。実は毎年、チョコをあげていた事実を。
 そして、聞いてしまったんだ。忘れもしない。
「もうやめろ。俺、お前、趣味じゃない」
 馬場が千葉崎に言ったんだ。
 呆然とする千葉崎を残して去る馬場を見てしまったんだ。
 そして大泣きしはじめた千葉崎が、ビクトリー娘のお転婆な顔が泣き崩れるのを見て

しまったんだ。
 僕はね、その後ね、千葉崎にわざとらしく会ってね。
 僕の物にしてしまったんだよ。
 千葉崎のすべてを僕の物にしてしまったんだよ! すべてを!
 千葉崎が馬場に渡そうとしたチョコも自分の物にしてしまったんだよ!
 馬場は……その後、自動車事故で死んでしまった。
 僕は千葉崎と結婚したんだけど……わかっていたんだ。
 千葉崎のすべては僕の物じゃない。心が……心は馬場の物だったって事を。
 なにをやっても、なにをしても、心は馬場の物だった。
 千葉崎も……偶然だけどね、自動車事故で死んでしまった。
 はは、僕は一人になってしまったんだ。
 親友を失い、好きな人も失ってしまったんだ。
 僕が三人の関係を壊してしまったんだ。
 はは、その結果がガン。はは、たぶん、天罰ですね。

 彼は数日後、亡くなってしまった。
 不思議に、満足げな臨終だった。
 彼は……懺悔できたのだろか。
 私には、よくわからない。
 彼からもらった紙袋の中には、赤いリボンにきれいなラッピングの箱があった。
 手作りチョコだろう。
 大きいハートは三つに割れていた。

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