ねこっぽ雑記

ねこっぽ雑記

2004年02月08日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
何日間か日記をサボってしまいました。いろんなことが重なって少々落ち込んでしまって。でもだんだん元気になってきました。
 さて今日は東武博物館ホールで行われた藤田洋さんの講演を聞きに行ってきました。タイトルは「上方の歌舞伎と江戸の歌舞伎」。ゲストは片岡秀太郎さん(仁左衛門さんのお兄さんです)。予想していた以上に興味深いお話をうかがうことができました。本当は聞いてきたことを全部書きたいところなのですが1時間30分の講演の全てを書くのはキツイので(泣)印象に残ったお話をいくつか。
 今回の講演の中で、よく出てきたのは上方歌舞伎(大阪の歌舞伎)の不遇時代のお話。秀太郎さんが20代・30代の頃、大阪では歌舞伎が下火で上演の機会が非常に少なく、秀太郎さんは全く芝居に出られなかったんだそうです。久々に大阪で歌舞伎の興行がかかることになり「やっと舞台に立てる」と思ったのも束の間、歌舞伎は歌舞伎でも東京の歌舞伎の引っ越し公演だったので秀太郎さんたちはやはり出演できない。秀太郎さんと仁左衛門さんはこの公演を客席から観て、「舞台に立ちたい」と泣いていたんだそうです。そして仁左衛門さんはこの「舞台に立ちたい」という気持ちがとうとう抑えられなくなって東京に移ったとのことでした。
 孝夫さんの仁左衛門襲名に関して、秀太郎さんは「東京に移ったからこそできたこと」とおっしゃっていました。秀太郎さん曰く、「大阪は東京で人気になったり育てられたりしたものを受け入れることはあっても、大阪自身が育てることはしない」んだそうです。「孝夫は東京で育てられたから仁左衛門を襲名することができたんだ」とのことでした。
ちなみに秀太郎さん曰く現仁左衛門さんは若い頃大根役者として有名だったんだそうで、「仁左衛門(13代目仁左衛門。現仁左衛門さんのお父さん)の子がなんであんな大根役者なんだ」と言われていたのだとか。「この頃はまだ僕の方がいい役者と言われてたんですよ(笑)」と秀太郎さん。想像がつかないですよねぇ。
 あと話題に上がったのは上方歌舞伎塾のお話。上方歌舞伎塾とはその名のとおり上方歌舞伎の役者を育てている塾で秀太郎さんも講師を務めておられます。上方舞を習うという点が東京の国立劇場の研修生と違うとのことでした。現在卒塾生は3期18人。本来ならば第4期を募集するところなのですが、現在は一時休講という状況なんだそうです。というのも、18人と聞くとさほどの人数ではないように思うけれど、役者を抱える松竹にとっては大変な数。それに上方歌舞伎塾の卒塾生は上方歌舞伎の役者に弟子入りするわけですが、現在上方歌舞伎の役者自体が少ないので一人の役者がたくさんの弟子を持たなければならなくなり、これもまた大変。というわけで上方歌舞伎塾自体はなくなっていないけれど、現在は一時休講とのことでした。上方歌舞伎の後継者ということに関して秀太郎さんは、「甥の進之助や孝太郎はもうすっかり東京ナイズされていて、正直なところ寂しいです」ともおっしゃっていました。
 秀太郎さんの養子の愛之助さんについても話題が及びました(ちなみに愛之助という名前は7代目仁左衛門の幼名なんだそうです。)。今はなき大阪中座に出演していた「かわいくて行儀のいい子役」が13代目仁左衛門の部屋子(準養子)となり、やがて秀太郎さんの養子に。しかし秀太郎さん曰く「主役を張れる役者さんの子どもならいざ知らず片岡秀太郎の子というのではいい役がもらえない」そうで、秀太郎さんは愛之助さんに「あとは自分次第だから頑張りなさい」と言ったんだそうです。その結果最近では福助さんや玉三郎さんなどいろんな役者さんに使ってもらえるようになり、秀太郎さんは「秀太郎の子どもだからというのではなく、自分の力で役をもらえるようになったのが嬉しい」と本当に喜んでおられました。でも最近ではいままでなら秀太郎さんがやっていた役を愛之助さんに取られるようになってしまい「本当におもしろくない」んだそうです(笑)。
 最後は来月(『義経千本桜―木の実・すし屋』)と再来月(『義経千本桜―渡海屋・大物浦』)の宣伝をされていました。特に来月の木の実・すし屋の小せん役は秀太郎さんの大好きな役の一つのようです。「上方式の木の実・すし屋をぜひ観ていただきたい」とのことでした。
 これにて講演終了。最後に写真撮影の時間があったのですが、秀太郎さんったらカメラに向かってピースをしておどけていました(笑)。残念ながら今日はカメラを持っていなかったんですよねぇ。撮りたかったなぁ。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年02月08日 22時33分46秒
コメント(2) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:片岡秀太郎さん講演「上方の歌舞伎・江  
春蝶亭多門  さん
撃アんにちは。
大変興味深く読ませていただきました。しかし秀太郎さんの口から「大阪は東京で人気になったり育てられたりしたものを受け入れることはあっても、大阪自身が育てることはしない」という言葉が出るとは。同じようなことを考えてはいたのですが、大阪のかたである秀太郎さんがそうおっしゃると重みがありますね。
常々指導教官と、江戸と大坂の文化の違いの、もととなっているものは何かという話をしていまして、うちの先生曰く、「江戸の町の基盤にあるものは武士の精神」とのこと。江戸は庶民にいたるまで、すべてが武士だとおっしゃいました。別に威張っているとかそういうのではなく、人間の、特に上下関係において、損得でわりきれず、義を重んじる姿勢。だから、未熟なものをだめと言って捨て置けない。好む芝居の演目に違いがあるのもそれを反映しているのではないかとも。
いろいろ考えさせられるお話でした。おもしろかったです。 (2004年02月11日 11時14分25秒)

Re:Re:片岡秀太郎さん講演「上方の歌舞伎・江  
ねこっぽ  さん
 春蝶亭多門さん、こんばんは。
 秀太郎さんの講演には私もいろいろと感じるものがありました。実ははじめは「入場無料だから行くか」くらいの気持ちだったのですが(泣)つくづく行っておいてよかったと思っています。
 秀太郎さんの「大阪は東京で人気になったり育てられたりしたものを受け入れることはあっても、大阪自身が育てることはしない」という言葉には私も驚かされました。秀太郎さんは上方歌舞伎への情熱を持ちながらも、現状を冷静に把握しておられるという印象を受けました。冷静に現状を把握した上でさあどうするか、というところに力を入れておられるようです。秀太郎さんのお話を伺っていたら平成若衆歌舞伎の公演を見にいきたくなりました。 
 春蝶亭多門さんの「江戸と大坂の文化の違いのもととなっているものは何か」というお話もおもしろかったです。私は「江戸と大坂ってやっぱりどこか違うよねぇ…」くらいにしか思っていなかったので…(泣)。勉強不足の私が言うのもはばかられますが、確かに多門さんの先生のおっしゃったことを大坂の人に当てはめてみると何か違うという印象を受けます。江戸は庶民にいたるまですべて武士…。確かに江戸の人って義理という背骨が1本すーっと通っているような気がします。一方大坂はより人間らしいというか…。
 こちらこそ、いいお話を聞かせていただきました。どうもありがとうございます。

(2004年02月11日 17時16分13秒)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: