どくだみ音楽

どくだみ音楽

とんとんみ~さんの沖縄観




★会えば兄弟★





 そこは、本土とは少々異なったモノが存在しています。人、風景、自然、生き物、音楽、文化。

 沖縄に住んでいる人の基本的な考え方は次の考え方に集約されていると思います。それは、「いちゃりばちょ~で~」、沖縄の方言ではそう言います。意味は「一度会ったら皆兄弟」。
不思議かも知れませんが、一度酒を共にしたり、食事をしたり、何か共同作業などするとすぐ仲良くなってしまうのです。おそらく、島国生活がこの考えを生んだのではないかと仮定します。海に囲まれているので、人の出入が頻繁ではありません、よって人間関係が集約されます。
よく、初めて会う人と話をしているうちに、「あっ、うちの身内の誰それとお知り合いですか。」なんて話によく発展します。気持ち的に、親しい人の知人であれば親近感が沸くのは自然の事でしょう。そういう境遇がこのような文化を形成したのではないかと思います。
意外と思うかも知れませんが、沖縄では殺人事件が年に1件起きるか起きないかです。それは、「いちゃりばちょ~で~」の考えが影響していると思います。そこにいる他人はもしかしたら自分の「兄弟」かもしれません。当然兄弟は殺せません。

 過去栄えた「琉球王国」は、中国と大和の中継貿易で重要な位置にありました。その琉球王国を訪れた時の来訪者の記録によると、「琉球王国は武器を持たない、緑と青い海に囲まれた平和な国である」と。だから、江戸時代に薩摩に攻められあっさりと降伏してしまった苦い過去もあります。しかし、今も、「会えば皆兄弟」の考えが沖縄では受け継がれています。

 私はそんな沖縄を素晴らしい国だと思います。勿論日本のどこかにも人情豊かな国はいくつもあるでしょう。私が6年間過ごした博多も人情豊かで、第二の故郷と思っています。人の心も「色」があるように、その土地の人情にも色があります。そして私は沖縄の「色」を愛しています。これからもずっと。


沖縄戦(太平洋戦争)★





 太平洋戦争で地上戦を体験したのは日本では沖縄だけです。本土上陸を延ばすための捨て石とされ民間人をも巻き込んだ悲惨な戦いであった。 日本側の戦死者25万人うち戦争に強制動員された学生らを含む沖縄のみの戦死者は15万人。当時の人口の50万人を考えると、約3人に1人が戦死したことになる。一方、軍人は6万弱であった。(写真:ひめゆりの塔)


 では何故沖縄県民の死者が軍人よりも遙かに多いのか?いろいろな文献や戦争を経験した祖父母の話はこうだ「日本軍に殺された」これは何を意味するかというと、沖縄を守るべき日本軍は民間人と防空壕や盾となる場所に立てこもり籠城を試みる。米軍がせまり、降伏すれば命の保証をするという、しかし、「鬼畜米兵に降伏するのならここで自ら命を絶て」と逆に手榴弾をもたされ、時には崖から突き落とされ、時には赤ん坊の鳴き声で気づかれるからと親自らの手で我が子を殺させる。ゆるせないのは、自らが立てこもるために住民を防空壕から追い出し艦砲射撃の餌食とさせたこと。沖縄の住民は、降伏することすら許されず、味方に命を絶たれたのである。最後は敗戦が濃厚になると住民に対して略奪、暴行、殺人まで行う者もでた。米軍側も当初は、降伏を勧めていたが、思ったより死者が増えたこともあり上陸してから日本軍の司令部が置かれていた首里に進む間に軍人、民間とわず銃の的としていった。この日数に要したのは約50日、1日当たりの日本側の死者は実に1000人に上った。沖縄戦が近代歴史上最も悲惨な戦いといわれるのもこの事実が証明している。

 沖縄はこの悲惨な歴史を未来に伝えていかなければならない。戦争の生み出す残酷を無くすためにも。しかし、時の政府はこの事実を中国、韓国の問題同様歴史から葬り去ろうとしている。過去の天皇制下の日本軍を美化するために。なぜ教科書に沖縄戦が数行で終わってしまうのか。なんでこんなに悲惨な戦いを数行で済ませることができるのか。子供達には確かにショッキングな内容である。だからこそ幼いうちに脳裏にインプットさせ、本能的に戦争とは残酷なものだと教えるべきだ。今はインターネットというメディア媒体があり誰でも情報を発信することが出来るようになっている。国がやらねば我々で情報を発信し未来へと語り継ごう。

 最後に、『6月23日』は沖縄にとって特別の日です。沖縄戦の終結した日。日本で沖縄だけ公休日が1日多くなっています。沖縄戦で亡くなった魂を鎮魂する為に。正午には平和記念碑のある摩文仁に向かって黙祷を捧げます。

沖縄と米軍基地★





 日本にある基地の面積の70%は沖縄に集中している。沖縄は観光の県であると同時に基地の県でもある。アメリカの対中国、北朝鮮、中東の戦略的ポイントとして、沖縄は地理的に最高の位置にあるのが基地排除を阻む最大の理由である。戦後の沖縄の歴史は米軍基地と共に歩んでいる歴史でもある。良くも悪くも米軍基地は沖縄の生活に影響を与えているのは紛れもない事実だ。


 さて米軍基地は善か悪か?私の見解は、理想論は「悪」。一方現実論なら「必要悪」と言ったところです。敢えて「善」という表現は使わない。
現在の沖縄は基地の恩恵に帰するところは多い。基地があるからその内部で雇用が発生する。約8000人が働く。また土地を貸すものは、国から借用料が支払われる。そして、間接的には、沖縄振興法と名うって、基地を容認させる変わりに、公共工事等を誘致し税金を投下する。沖縄の失業率は9%台で日本全体のその数字の2倍の率である。そんな経済状況の中、基地の恩恵はやはり必要悪であろう。
しかし、沖縄県民の誰もが基地は悪だと感じているはずである。戦争で多く犠牲者をだした沖縄の民が、その施設をYESと思うことは絶対にありえない。ただ前述の通り、基地の恩恵がなければ沖縄は成り立たない。くやしいが現時点では必要悪なのである。

 今の沖縄は公共工事等の公的資金に経済は依存し主体性を欠いている。基地を「NO」という運動が沖縄ではある。今の沖縄はホント残念だが基地が無くなっては成り立たないだろう。「NO」と言う前に、それに変わる産業を生み出し雇用に流動性をもたせる事が先決だ。経済力がUPすれば必然的に基地の恩恵の依存性は低くなる。幸いにも中国、台湾経済が活発化しつつある。沖縄は過去の中継貿易時代をもう一度フィードバックし、この地理性を利用しない手はない。一番大切な事、それは沖縄県民一人一人がその気になることだ。未来は予想するものはなく、創るものだ!主体性をもって明日の「沖縄を創るには?」という命題を常に念頭に置いて頑張らなくては。台湾が中国に「NO」と言えるのは、その経済力にもよる。沖縄が米軍基地に対して「NO」と言うために不可欠なのは経済力を向上させる事だ!


★うちな~Time★





 「うちな~Time」とは、沖縄の人の時間感覚を表現する言葉です。田舎へ行けば、どこでも時間の流れが遅く感じるように、沖縄でも時間が流れのが遅いのです。私は高校卒業後博多へ行きました。ある日待ち合わせ場所に集まることになった時、約束の時間きっちりに到着しました。既に到着した仲間からは「遅い!」と非難されました。今は東京に住んでいますが、東京ですと下手すれば、5分前にきても「遅い!」と言う雰囲気があります。 さて、これが沖縄だとどうなるのでしょう。私は年に1、2回帰省して旧友と飲むの機会があるのですが、友人は待ち合わせ場所には30分から1時間、平気で遅れてきます。到着も胸を張って来るほどです。でも沖縄では、当たり前の事なのです。バスも時刻表はあるのですが30分、40分遅れは当然です。場所によっては時刻表なんかないですね。結婚式になると6時から開演というのにやはり、時には30分おくれなんてザラです。ほんと時間にはおおらかなところです。

 この感覚は、ビジネスでは通用しないでしょうね。信用を得なければ商談なんて成立しませんから、時間すら守れない人間を信用はできませんよね。当然沖縄以外であればプライベートのつき合いでも愛想をつかれます。率直に言って沖縄以外の場所で通用する考えではありません。ただし、沖縄での生活を前提に、当然の常識として考えると、 この考えは非常に心理的に良いと思うのです。医学的にも、心と体の健康の関係は関連性あると言われているように、物事を細かく考えない事はストレスを溜めない事に繋がります。沖縄の長寿もこの、のんびりとしたおおらかな考えが影響しているのかもしれませんよ。


★結婚式★





 沖縄の結婚式は本土のそれと少々、形式、指向、内容が変わっています。

 先ず、何が変わっているのか?
最初に会場に入りし席を探すときに気づくでしょう。本土の席順は、新郎新婦に近い席から来賓、友人知人、親族といった順です。一方、沖縄では親族が近い席に配置され、つづいて来賓、友人知人といった順です。この並びからも分かるように、沖縄では血縁を最も重用視しています。そして、同時に席表が無いことに気づきます。本土では、席配置表に氏名を明記し出席者に配布します。沖縄では、受付にテーブルの配置表はあるのですが。そのテーブルの何処に誰がというところまでは明記されません。そのテーブルに適当に座ればいいのです。本土から初めての出席される方は大変戸惑うようです。

 次に席に着くと、プログラムが配布されています。中を開き、びっしりと詰められた余興の多さに驚くはずです。そうなんです、沖縄の結婚式は「余興大会」といって過言でないほど、開演から終演まで余興づくしなのです。その為、結婚会場には幕を上げ下げ出来るシステムを備えた専用の舞台が設置されています。その舞台は新郎新婦からは向こう正面の位置にあります。余興の内容は様々です。 本土がカラオケや、ハンドベルやクイズなど当たり障りのないものであれば、沖縄では、最初に「かぎやで風」という琉球舞踊で始まり、親族、友人知人などによる、演技、コント、三味線、裸踊も何度かありましたね。。とにかく限度スレスレ迄は何でも有りです。しかも、この余興にかける沖縄県民の熱の入れ用は半端じゃない!。この日の為に数ヶ月前から集まり皆で練習を重ねるのだ。一つの余興で、多いときに数十人が参加なんてモノもあります。舞台に収まりきらないので会場のあいているスペースを使ったりしてますね。なるべく大勢が参加し、結婚式を賑やかにする事で新郎新婦をみんなで祝ったという感じにさせます。披露宴の出席者も200人~400人なんて珍しくありません。となると、出席者の中には新郎新婦が顔見知りでない人も当然の如くいたりします。親戚の友人やその孫なんて風に。会社が小さければ誰を呼んでなんて事考えずにまとめて社員全員で100人招待なんて事普通の感覚なんです。とにかくスケールはでかいですね。

 そして最後です、新郎、親族の挨拶が終わったら恒例の「かちゃ~し~」という沖縄の踊り(阿波踊り風な手招き踊り)を会場の皆が舞台にあがり、新郎新婦と入り乱れて踊ります。これをしなければ式を挙げた気がしない程です。というよりこれを最後に行わない結婚式は沖縄では無いでしょう。

 青森などへ行くと沖縄の様な余興づくしの結婚式があるようですが、安くとも、おしゃれでなくとも、そんな事関係無しで本当にみんなで祝ったという雰囲気にさせる結婚式が思い出に残るのではと思いますね。出席する側としても沖縄の結婚式に招待されると、どんな結婚式になるのかわくわくしてきます。ちなみに、沖縄の結婚式場はかなり安くから利用できます。お祝儀の相場が壱万円という事を考えると納得するでしょう。ただし、安い披露宴でも中身は熱い祝い心と、温かさが一杯です。


なんくるないさ

説明:沖縄の方言で「なんとかなるさ」である
   沖縄の県民性を象徴する言葉の1つである。

 うちな~んちゅはのんびりして且つおおらかな人柄の人が多い。即ち、楽観
的な県民性なのである。

 福岡での学生時代の友人が新入社員時沖縄に出張に出された時の話を聞いた
現地の子会社の社長に弟子入り状態で道路工事を監督したということだ。ある
難工事の前日のことでした。

社長:「俺は今日飲むから多分明日遅刻するはずよ~」(沖縄では常識)

友人:「え~っ。」「俺だけじゃトラブッたら対応できませんよ~(T_T) 」
    暫くくってかかる友人。

社長:「わ~かった。わ~っった。そんなに泣くんだったら秘策を授けるから
    トラブッたらこの封筒の中身を読みなさい」

友人:「助かった。有り難うございます。」

(翌日)そして難工事は始まった。開始して2時間余りで案の定水道管を破裂
国道329号線に噴水が出現・・・。

友人:「えいらいこっちゃ!」「そうだ封筒、封筒は・と・・・」

    封筒をベリベリ-ッと破いて中身が出てきた。すると!

中身の文章:「なんくるないさ!!」

友人:「・・・・・・・・(T_T) 」

1時間ほど噴水は吹き荒れ、子供と、犬は大喜びだったそうな。






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