今日も良いネタ入ってるよ!

時の絡繰~相殺~

時の絡繰~相殺~

はじめに。
僕の知り合いが「時の絡繰(からくり)」を呼んで連絡をくれました。
「そのまま消えて無くなっちゃえばよかったのに・・・」と。
僕も書いていて同じ事を思っていました。(馬鹿馬鹿しいという意味で・・・)
柄にも無いことは書いてはいけませんねぇ。
人格が崩壊したのかと疑われてしまいます。
確かに「時の絡繰」だけを読んだら、大分訳の分からない人に見えますね。
ちょっと反省して、僕らしい視点から「時の絡繰」を追記したいと思います。

それではつづきを。

時々僕が体験しているこの不思議な感覚はいったい何なのだろうかと思い、ネットで調べてみました。
心理学の分野では僕の体験をうまく言い表しているサイトは無く、深層心理に関してはいい回答は見つかりませんでした。
次に体験記を調べてみたところ、似たような経験をしている人がいましたが、あくまでも似ているというだけで、寧ろ僕の経験よりももっと深い神秘的な経験が書かれていて、逆に意味が分かりませんでした。

神秘的な経験という部分で、もしかしたら宗教的な考えに繋がるのではないかと思い、無信仰者でありながらも、興味本位で宗教を少し調べてみました。

すると、こいつはちょっと「ビンゴ」でした。

キリスト教は読んでいないので解りませんが、仏教の教えにはこう書いてありました。
仏教の行き着くところは「無」であると。
一切の欲を無くした状態が仏教では最も理想的な状態だそうで、その状態を「無」だと言っています。

僕が体験した「トランス状態」のような感覚は、まさに「無」ではないかと思いました。

それってもしかして、誰にも教わらずに仏教の最も理想的な状態である「無」になれるの、俺!?

しかも意識のある状態で2分間近くも「無(トリップ状態)」になれてしまうなんて、これって凄い!?
なんて考えてしまいました。

しかし翌々読み進めていくうちに大きな間違いに気が付きました。
それは仏教の理想とされる「無」の状態とは、欲も何も無い状態であり、それは社会から必要とされない状態でもあり、仏教の理想と社会の理想とは大きな矛盾があるということです。
というのは、「何も無い(向上心などの欲の無い)人は、人から必要とされない」という部分です。

まさに「無駄」です。
人としての意味が(も)ない・・・
まさに仏教の理想ですねぇ、これは・・・

なるほど、昔から僕が本能的に無信仰者である理由はここにあったのか・・・
(また知らない自分を見つけられた!)

それに気が付いてしまった僕は社会の中で生きて生きたいので、この不思議な体験のことは忘れることにしました。
ただ、「こういう世界もあるのだなぁ・・・」と発見できたことは、嬉しいかな。


最後まで読んでくれてありがとう。
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