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今朝も大変な吹雪と吹き溜まりでした(泣!)なので昨日に引き続き、本日もググッ~と横着です。。。ヘビー年って事で。。(汗!)2009年 3月のLive画像でした(*^_^*)・・・・どうも、ついこの間って感じ(笑)春を呼ぶこんな曲をアップ!たまぁ~にアコギを使うとこんな感じ・・・ですん! たしか、ベルリンの壁崩壊前の曲で、ドイツのスコーピオンズのカバーになります。まぁ~Liveに一曲はお約束ですよね(^_-)・・・んな訳で!こうなって・・・・盛り上がっていくわけですねぇ~!(^^)! お約束の”R-15”指定ですかぇ~。。フライングVって軽いのでついつい・・・・いつまでたっても”やんちゃ”な訳です。(大丈夫!火は吹きません?)ちなみに、メンバー全員今も現役で色々なバンドで活躍中です!あたしゃ~とっくにですが、半世紀を生きるベテランなんですね・・・(笑)こんなことやってるとトシ忘れちゃってますワン。。(^。^)y-.。o○そう言えば、この頃から腰にきてたのかも??(笑)
Feb 5, 2013
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たまぁ~に懐かしの画像です・・・(苦笑)・・まぁブログ開始以前のモノですのであしからず・・・(^_-)"ROCKBOXX"と言うバンドです。 2007年のモノ・・・\(◎o◎)/!ロックレジェンドライブのリハーサル風景ですな~。。リハ時の画像って珍しいんですよ。(*^_^*)カメラマンさん頑張ってましたね!足元にはゴロゴロとアタッチメントが転がってます(^_-) 当然wirelessで飛んだり跳ねたりと大騒ぎ!!確かバイクツーリングで九州から帰った翌日だったと思います。。日焼けでアチコチひりひりしてましたものでもって・・本番は当然!着替える訳です。。 「どこに売ってるの?」な、シマシマパンツでギターを振り回してみたり(笑) バラード系は・・・12弦で”ジャララ~ン♪”なんてね・・・・(^o^)/ちなみに、ちぃ~流したり、火吹いたり!なんてアコギな事はしちょりません!最近めっきりメタルしちゃうケースが減りましたね~って、まあそんな感じ。。ジャズ、ブルース、ハード、メタル、J-ロック~ポップス、GS迄・・・(-。-)y-゜゜゜しっかし何でもやってますなぁ~と、まさに食わず嫌いにガンガンです!最近胃腸も弱くなったのか消化不良気味かも?でもキャベじんは苦手です(笑)・・・ってな具合で、懐かしくもあり!タマニャー息抜きですね・・(^_-)-☆来週は、小樽 ”雪灯りライブ”です。。ポップロックでノリまくり~\(^o^)/。
Feb 4, 2013
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いや~沢山のお写真頂きまして・・・、整理するのもこれまた大変でした~!皆様お写真ありがとうございましたぁ~!!一部をここでアップしちゃいますのであしからずでした。9/20(SUN)2009 at KRAPS HALL by Rock boxx ほんの一部ですが・・・御勘弁くださいましぃ・・・!全4曲と大変控えめとなりましたが、持ち時間はしっかりとキープ?ながぁーい曲が2曲もありまして、結構覚えるのって大変でしたねぇ~。(うるうるしてました~!)次回は?是非ライブ会場で・・!ホワ~・・眠い眠い・・この辺で、、、
Sep 24, 2009
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本日は予定通り?ライブでした。皆様お疲れ様でした。わたくしもスッカリお疲れ様でした。ご来場の皆様大変ありがとさんでした。しっかり?アームぎゅんぎゅんしてきましたぁ~!観客の皆様との一体感!良いものですねぇ!またどこかでお会いいたしましょうね~。その後の打ち上げの"なべ"は大変おいしゅうございました・・・!肌寒い頃にはやっぱ最高ですね!ご出演の皆様、明日は休みだからと言ってそんなに飲みすぎませんように!おっと明日は連休後半のバイクツーリングでした。。さっさと眠らないといけません!お酒なんか飲みすぎている場合じゃ御座いませんのですよん。では・・・!
Sep 20, 2009
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あっと言う間に9/18金曜でした。。。ちょっと後悔がありまして?実は以前に、かあるい感じでライブ出演OK・・みたいな~。なぬぅ~・・・。連休じゃあないですかぁ~・・くぅ・・。よりによって・・。それも真っ只中?なんてことでしょう!人生こんなもの?なんて。と言う訳で、明後日20日(SUN)”輝け!オヤジの星”8th ライブでした。出演は、、BLACK PURPLE / Drive in the purple sky / ROCK BOXX / EASY☆RIDER / D.L.C / つれづれざうし でした。16:30 START 場所 KRAPS HALL 札幌市南4西6タイムズステーション全席自由 当日 ¥1,500 でした。ROCK BOXXは今回、久しぶりの初期のなつかしの名曲をやっちゃいます!時間はそうですねぇ~多分?17:40くらいからかなぁ?ドラマチック路線なのでして?たったの4曲の予定でした。と言いますか?一曲が長いのです。未だにナンダカ・・・?ま?ジミヘンぽく?皆様のお耳がついてこれますやら?難解ですよ~。知る人ぞ・・みたいな?明日どしよっかなぁ~みたいな・・・。おっと、早く寝ましょ。
Sep 18, 2009
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金曜日でした~!やっとって感じでしょうか!今週も大変が続きましたねぇ~!疲れもピクピク・・・!さらに・駄目押し?"Rock!!"これが結構キキマスね~! ハードロックは疲れますねぇ~!!バリバリなわけでして・・メロディアスなフレーズばっかな訳でして。記憶力との格闘なのですよ・・・!腰に痛みを感じる今日この頃かも?先ほどリハよりご帰宅でしたぁ~!気合ですよ気合!!そして明日も当然、気合のキャンプ!今年は雨が多かったので、出動はこれでも大変少ないのです!ヨウヤク学校も始まり?キャンプ場も静かになったりして・・ホッと致します。これからがシーズンなのてすよ!バイクにキャンプ。当然ロックな訳ですよん!寝てる暇などありません。疲れは雪が降るまでお預けなのです!と言うかそうあって欲しいこのごろなのでした。。(アハッ!)そう言えば?エアコンていつ付けるんだっけ?疲れが溜まると記憶もあいまいに・・・・・・エッ? 年のせい? やっぱりそっかなぁ・・・!明日も早いです。すっと寝ますよ!お酒は控えます・・かもねっ?
Aug 28, 2009
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ん~しかしビックリ・ドッキリですよ~。。スコーピオンズのルドルフ兄ちゃん!1948年生まれのオン歳"60"・・・(還暦?ちゃんちゃんこ!)!!ライブ動画見たことございますぅ~?ロックしてますねぇ~!!とてもとても・・!走りまくりの飛びまくり・・!なにより弾きまくり~!すごっ!!マイリマシタ!!でもって、、ジャケットもチョーインパクト! 圧巻ですぅ~!未成年には”ちと”刺激が強すぎ・・絶対買っちゃいそうな・・・!!やられちゃいましたねぇ~!ヤッパすんごいです!! 当時アメリカでさえ?発禁差し替えの連続だったそうで?それでも全然めげないのでした。さすがドイツ!わが”ROCKBOXX”はここまではチョット理性が??なんてね!ここで、告知でした~。。”輝け!オヤジの星”8th 9月20日(SUN) 16:00~ KRAPS HALL(札幌)に・・ROCKBOXXが登場でした~。全自由席 当日 ¥1,500 チケットはお近くのローソンにて好評?発売中!。他に、”D.L.C”、"Crystal Beams”等 出演!なつかしの?(初期)スコーピオンズをカバー予定でした。ウリウリ~な感じ?どこまで出来ますかネェ~?ちょっと違っちゃっても勘弁くださいましぃ~・・・。リハ・・一回しか?してまへんけど~!!
Aug 4, 2009
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金曜日。7月も終わっちゃいます・・・!今月は雨ばっかりでしたね~。来月はどうなんでしょうか?・・・!と言いつつ先ほどご帰宅でした!今日も?先週に引き続き花火だそうでして!またまた当然?行ってませんもの!スッゴク混んでたのでしょうね~?&なのでしょうねぇ~!!行ってませんて!ホント・・・!今日はお久しぶりに”ROCKBOXX”のリハでしたぁ~。前回のライブ以来ですから何ヶ月ぶりぶりなのでしょう?ホント!!ハードロック・・・!ギターコキまくり・・・!アームぎゅんぎゅん・・・!またまためまいですね!不思議にも一発目にしては以外と上出来・・・!ある意味ビックリでした。皆様大変お上手です。なんかこのままでも充分みたいな印象です。ワタシくらいでしょうか?泳ぎまくっちゃったのは?・・・。少々疲れ気味かも?明日は当然キャンプですかねェ?ホイじゃ朝早いのでこの辺で・・・!
Jul 31, 2009
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久々なのですが?もしかしてのライブのようです?何でも、9月あたりにやっちゃうかもしれません・・!まったくお稽古してませんのですが・・・!そこの所はさておいちゃいます。往年の名曲!あたりをチョイスです。BOXXなので、"スコピ"ですよん。 今回はナガァ~イ曲が多いみたいで?曲数は少なくなる様子です。覚えるの大変ですねぇ~!!"ウリウリ"な感じになるのでしょうね!"ジミヘン・チック"な感じに・・・!皆様結構おなじみの選曲になりそうですので、お時間あれば是非に!詳細はまたまたそのうちに・・・!では・・・。 蟻(アリ)じゃございましぇん!蠍(さそり)ですよん!(笑)
Jul 16, 2009
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金曜日でした。。。。今週は?ギターが何故か出て来ちゃいましたので?続きと言うことにしちゃいます??でもって、おなじみ?フライングVとなります。えっ?そう言う訳!でしてでは早速・・・!1958年にギブソンのプロトタイプ(実験?宣伝用?の名目)で、実際に使用する事を想定無く、自由な発想の元登場いたしました。当時としては、画期的?と言うか"ぶっ飛んだデザイン"であったことは言うまでもありません。58年81本。59年の17本でした。コリーナ材も特徴の一つですね。Vは当時イベントや楽器店のディスプレイ用がほとんどのようでした。余談ですが、"モダーン"(22本)なる奇妙な物も存在したようです。その後、1967年に新たに開発・販売されるまでは、存在すら認知されて無かったのでしょうね!その後も改良が次々となされ一見同じと思われがちですが、実は違いがあるのです。興味のある方はお調べくださいませませ!A・キングジミヘンVと言えばやはり、ジミヘンでしょうね!ここに、ハードロック=Vの書式が完成されたわけです。が・・実際その代名詞となったのは、その後・・ドイツの"スコーピオンズ”となるのでしょうか?シェンカー兄弟はフライングVを決定的なロックイメージへと同化させてしまいましたよね~!!マイケル バニーVは、とかく弾き難そうとのご意見が多いようですが?実際ライブで使用してみると意外にも軽い・ハイポジがGOOD・ナドナド・・・。アクションにもついつい派手に・・・! RockBoxxでワタクシモ、愛用中でした。(日記などみてね!) でもって・・・!キャンプですね?又 話題が、ちがっちゃいました?
Jul 10, 2009
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RockBoxxについて・・・最近"スコピボックス"などと呼ばれてもいますが?メンバーについて、ポチっとご紹介など致しますネ! RockBoxxこのバンドの重鎮?タカ・A(G)・・・何処からみてもH/R・H/Mしてまっす。ところがテクニックもさることながら意外?や意外にも?基礎がしっかりしていらっしゃるのでした!なんでもこなす器用さの為?か?スタジオ的とでも言いましょうか?(楽譜におとしてきたりもしてましたネ!)でいて!音はしっかりロックな訳でして。メタルサウンドは筋金入り!!リフの効いたドライブ感溢れるフレーズは実にらしくて・・・!安定感ありますネ!!最近ビジュアル的?にも・・ノリの部分でも!Good!!なのでした。イメージは”ベック”音色は”ヘンドリックス"でしょうか?ちと古かったですか?凶器・・・殺人音波?おのちん(Vo)・・・小柄な体のいったい何処から・・・・?出で来るのでしょう? マーシャルフルテンにてもタメをはれる?と言うかその上いってますネぇ・・リハーサル中に、どんどん音量が上がって来ます。”めまい”がします。特異体質?存在そのものがロックなのです。彼のボーカルを聞くと誰もが"すごい"と感嘆することでしょう!!天声の何か?なのでしょうね~なかなかいませんよ!Rockboxxの顔ですネ!! そこに理論家(ロック評論家)プロェッサー・コウモリ(B)・・・ワタクシの後輩?にアタル事になるのでしたよね!努力家かなぁ!事、ろっくに関しては抜群の知識人です。楽曲を大変大切に扱ってますねぇ。ここはこうあるべき!!実にしっかりしてます。まぁ、お酒の飲みすぎにはジュウブンお気をつけ遊ばせ・・・!!太鼓のコロ?もトイ・・ヒロ君。。ロックなタイコはヤッパパワフルでなくっちゃいけません!厳しいコウモリのご指南をものともせず。しっかりビートを刻んでくれてます。世代的に?スコピは難解かも知れませんが、そこはしっかりクリアです。最近体調不良により何度も病院通いの様ですが、ガムバッテます。。そうそう!彼はギターもこなすのでした・・・!! でもって、ワタクシでした。。。マニアックなフルコピと言うよりは、自分らしく表現できたら良いかなぁなんて・・。自分なりのイメージと言うか、アドリブ的と言うか?それを個性とまではまだ行き着いてませんが!そんなオモイを載せてヤらさせて頂いておりますよん。。。個人的には"ブルース・ロック”系が好きですねぇ!クリームやクリエイションって感じでしょうか! このようなオタク?ではなくて・・ロックバカなグループなのでした!!
Jun 11, 2009
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昨日!「RockBoxx?」ご紹介の前に?と言うことで!”スコーピオンズ"に付きまして、受け売り?ウンチクを並べてみましたが!実はそう言うことなのでした!つまり、このバンドはスコピのカバーを主とするカバーユニットのことなのです。 ワタシが参加する以前より、このユニットは存在しておりまして?現"REPMAKE"のギターでるある!タカさんをリーダーとするヘヴィメタル系バンドの事なのでありました。"エヘン!"元々は、"ジューダス”や”ツェッペリン"その他さまざまなバンドのカバーをやっていましたそうな!ところが?ギターが2本どうしても必要なバンド"スコピ"をやろうとした際にワタシにお声が掛かった次第でして・・・!!当初は大変でしたね~。。何しろライブまで1ヶ月位しか時間が無く!実はほとんどスコピは知りませんでしたので!!('79までは?なんとなく聞いてましたし!"ウリ"のギターは、すごいと当時も感じてました・・・が!)基本練習はしないタイプでして、もっぱら聞くばかり。以前レコーディング等でサポートした時は、楽譜ありきだった為それを閉じたとたんにすっかり忘れてしまうと言うことが判明してしまったと言うこともありまして・・・!!ミミコピと言うヤツでしょうか?メロディがソラで出てくるようになれば、それなりに弾けるものですよね?みなさま・・・!!聞きまくりですけど!!結構しんどかった様な記憶がありますよ! 以降、”スコピ”を徹底してライブ演奏してきたせいか?今では俗に”スコピボックス"なる通称まで頂くことになってしまいました。色々ライブを重ねていくうちに、"みっちゃんシェンカー率いるMSZ"や、"クリスタルビームス"さん・・・他にも沢山の音楽仲間達とお知り合いになる事が出来ました~。!!これからも、アンダーですが音楽シーンに関わって生きたいなぁなんて・・・! おっとぅ・・ここで〆てどうするの?・・・次回は、もう少しだけ掘り下げて"RockBoxx"のご紹介をいたしますね・・・・!!
Jun 10, 2009
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ハードロックの理想型に最も近い存在。衝撃の蠍団! 2005バンド・サウンドとしての成功 ウルリッヒ脱退後、後任のギタリストを捜すため、イギリスでメロディ・メイカー紙に募集広告を載せ、オーディションを行った。そこには、元プロコルハルムやヘヴィ・メタル・キッズのメンバーらも集まったというが、結局決まらず地元ドイツのハノーバーへ戻り捜すことになった。そこで彼らはUFOを脱退したマイケルと合流し、再びオーディションをしたところ、元FARGOのMatthias Jabs マティアス・ヤブスをマイケルも絶賛し即決した。そして、上にも少しかいたが、79年アルバム「ラヴ・ドライヴ」をリリースするのだが、この中で3曲にマイケルが参加したため、ヤブスの影を薄くしてしまう結果となった。マイケルはUFO時代に比べると、それでも控えめに弾いていて、おそらく目立たないように気を遣っているのだろうが、いかんせんこの時点ではロック界で最も旬なギター・ヒーローである。話題だけが先行してしまって、このアルバム全体の良さとヤブスの魅力が正当評価されなかった。マイケルの抜けた次のアルバム「電獣~アニマル・マグネティズム」では、スコーピオンズ自体がもはや注目されなくなっていた。また、悪いことに81年ヴォーカルのクラウスが喉を患って1年間の休養を余儀なくされる。しかし、この休養がその後のスコーピオンズにとっては良い充電期間となり、次の素晴らしい作品を生むこととなる。マイケル~ウルリッヒという偉大なギタリストの亡霊が取り払われ、ルドルフを中心としたバンド一体型サウンドになったことは、80年代におけるヘヴィメタ・ブームの流れにも合致していた。82年、満を持して放ったアルバム「蠍魔宮~ブラックアウト」は全米10位と、それまで最大のヒットとなり、アメリカでの成功をも手中にするのだった。勢いづく彼らは84年にもアルバム「禁断の刺青」を全米6位に送り込み、ここには、以降彼らの代表曲ともなる「Rock You Like A Hurricane」も収められていた。この年、スーパーロック'84イン・ジャパンにホワイトスネイク、MSG、ボンジョヴィらと共に出演するため来日もしている。その後ツアーに明け暮れ、大きなイベントがあると、必ずと言っていいほど参加し話題を振りまいてきた。90年にはアルバム「クレイジー・ワールド」を発表し、そこからの名バラード・シングル「ウィンド・オブ・チェインジ」は全米4位の大ヒット記録し、改めて健在ぶりを世界に知らしめた。94年には、MSGを解散させたマイケルも同行して来日し、アコースティック・セットも披露するなど貫禄と余裕を見せつけたが、99年のアルバム「アイ・トゥ・アイ」あたりから様子が一変した。このアルバムでは、デジタル・サウンドに挑戦し、一聴しただけではスコーピオンズと分からないほどのサウンド変化を見せているらしい(未聴)。2000年には、ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラとの共演ライブ、2001年にはアコースティック・ライブのアルバムも発表し、しばらくは迷走中といったところだったのだろうか・・・。しかし、どれもそのクオリティーは高く、彼らがどんな方向へ進もうとも、本当のファンなら、そのサウンド変化を楽しんでみていられるはずだ。マイケル・シェンカーは現在再結成UFOとMSGを行ったり来たりの活動をしているが、UFOの来日公演の演奏途中でギターをステージに叩きつけて帰ってしまったり、ウルリッヒやジョー・サトリアーニと共にヨーロッパG3ツアーと題して回った公演でも途中で失踪と、相変わらずの振る舞いを繰り返している。ウルリッヒはスコーピオンズ脱退後、ウリ・ジョン・ロートと名を改め、エレクトリック・サンというトリオ編成のバンドを結成し、さらなるジミヘン崇拝への道をたどっていった。その後はスカイ・ギターと命名された独自開発のギターを使い、オーケストラをバックにクラシック曲へ挑戦をするなど孤高の道を突き進み、"ギター仙人"というあだ名まで付けられている。ディスコ・グラフィー1972年 Lonesome Crow(恐怖の蠍団)*マイケル時代唯一のアルバムにしてデビュー・アルバム。1974年 Fly To The Rainbow(電撃の蠍団)*日本では次作より後に発表された、ウルリッヒ加入後初のアルバム。まだマイケルの曲も入っている。1975年 In Trance(復讐の蠍団)*ウルリッヒの驚異的なギター・テクが爆発した最高傑作。彼のテーマ曲とも言うべき「ダーク・レディ」収録1976年 Virgin Killer(狂熱の蠍団)*ウルリッヒ時代で最も有名なアルバム。欧米ではジャケ写がワイセツということで差し替えられた。「幻の肖像」がヒット1977年 Take By Force(暴虐の蠍団)*これもジャケットが問題視されたアルバムで何故か今では唯一廃盤になっている。「スティーム・ロック・フィーバー」収録1978年 Tokyo Tapes(蠍団爆発~スコーピオンズ・ライヴ)*ウルリッヒ時代の集大成とも言うべきライブの傑作2枚組。中野サンプラザでの音源。現在出回っている1枚ものは曲数が足りない1979年 Love Drive(ラヴ・ドライヴ)*マイケルも一部に参加し、ヤブスが正式加入したアルバム。これまたジャケットが米では差し替え処分に・・・(^_^;1980年 Animal Magnetism(電獣)*実質ヤブス時代に入り、現在のスコーピオンズのスタイルを確立させたアルバム1982年 Black Out(蠍魔宮~ブラック・アウト)*全米10位と初のビッグ・ヒットを記録した出世作1984年 Love At First String(禁断の刺青)*ヤブス加入後の代表曲「Rock You Like A Hurricane」収録。アルバムは全米6位の大ヒット1985年 World Wide Live(ワールド・ワイド・ライヴ)*ヤブス時代初のライブ2枚組。曲もすべてがヤブス加入後のもの1988年 Savage Amusement(サヴェイジ・アミューズメント)*4年ぶりの新作は全米5位と、もはやヘヴィ・ロック界の大御所といった貫禄さえ身につけた1990年 Crazy World(クレイジー・ワールド)*バラード曲「ウィンド・オブ・チェインジ」が全米4位の大ヒット・シングルとなる1993年 Face The Heat(フェイス・ザ・ヒート)*ベース・ギターがブッホルツからリッカーマンに交代した1995年 Live Bites(ライヴ・バイツ)*ライブものだが、「In Trance」など往年の名曲も演奏している1996年 Pure Instinct(ピュア・インスティンクト~蠍の本能)*イースト・ウエスト・ジャーマニーへ移籍し、ドラムにはハーマンに代わりカール・クレスが加入1999年 Eye II Eye(アイ・トゥ・アイ)*ドラムがまた代わりジェイムス・コタックが加入。サウンドがポップス・バンドかと思われるほど、かなりソフトになった2000年 Moment Of Glory(栄光の蠍団)*ベルリン・フィルハーモニーと共演したスケールの大きなアルバム「Rock You Like A Hurricane」の2000年ヴァージョンも聞ける2001年 Acoustica(アコースティック・ライヴ)*アンプラグドもの。またもや「Hurricane 2001」というヴァージョンが・・・ ここまで来れば、あなたはもう スコピのとりこなのでしょうね~?早速聞いてみたくなりませんか?
Jun 9, 2009
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SCORPIONS スコーピオンズのお勉強でした・・・・!!ハードロックの理想型に最も近い存在。衝撃の蠍団! ハードロック・ファンなら誰もが理想として思い浮かべる、重くスピード感のあるリズム、パワーのあるハイトーン・ヴォイス、卓越したギター・テク、ポップすぎない曲の良さ・・・70年代半ば、ブリティッシュ・ハードがその勢いを失いつつある頃、彼らはそれらを全て兼ね備えて登場し、当のイギリス人達よりブリティッシュっぽい音で、往年のハードロック・ファン達を熱狂させた。特に日本においては、ウルリッヒ(g)の奏でるマイナー調フレーズが、より多くの人々を虜にしていったのだ。よくドイツ人の感性は日本人に似ていると言われるが、彼らがライブでよくカヴァーしている日本の代表的叙情歌「荒城の月」を聞くと、「あ~、この重苦しいようなマイナー旋律を彼らも理解できるんだな~」と、なんだかうれしくなる。「蠍団爆発~スコーピオンズ・ライヴ」に入っているこの曲などは、後半から絡みつくように入るウルリッヒのギターが、何の違和感もなく、自然な形で曲にとけ込んでいるのがわかるのだ。それは彼らがもともと日本人的な感性を持っているからなのだろう。2人の天才リード・ギタリストと世界一のサイド・ギタリスト自分の場合、ブリティッシュ・ハードの中堅バンドだったUFOは古くからのファンで、マイケル・シェンカー加入当初からよく聞いていた。マイケルはウルリッヒと同じドイツ人ということもあって、やはり日本人のツボを刺激するような、何とも言えないマイナー調フレーズを得意としていただけに、すぐに大好きになった。しかし、そのマイケルがスコーピオンズ出身だったと知ったのは、もうすっかりスコーピオンズ自体が有名になってからのことだ。日本ではアルバム「復讐の蠍団」でデビューしたスコーピオンズであったが、実は彼らのルーツは1965年までさかのぼる。この年16歳のルドルフ・シェンカーがウォルフガング(ds)らとともに、ドイツのハノーバーで結成したバンドが最初のスコーピオンズの原型で、当時すでにスコーピオンズの名を名乗り、ルドルフはヴォーカル&ギターを担当していた。一方、ルドルフの弟マイケルは69年頃からバンド活動を始め、いくつかのバンドを渡り歩くうちにクラウス・マイネと出逢うことになる。そして、71年マイケルが当時加入していたバンド、コペルニクスの解散を受けてクラウスと共にルドルフ達と合流。こうしてスコーピオンズにデビュー当時のメンバーが揃った。Rudolf Schenker ルドルフ・シェンカー/ギター、ヴォーカルMichael Schenker マイケル・シェンカー/リード・ギターKlaus Meine クラウス・マイネ/ヴォーカル(*1st.アルバムのクレジットにはMeinerというスペルになっている)Lothar Heimberg ローザー・ハインベルグ/ベース・ギターWolfgang Dziony ウォルフガング・ズィオニー/ドラムスすぐに国内のレーベルとの契約を取りつけた彼らは、翌72年「恐怖の蠍団」でアルバム・デビュー。このアルバムは、プロデュースが後にウルトラヴォックスやディーボを手がけたコニー・プランクということもあって、その後の彼らのサウンドとはかなりかけ離れたもので、少々プログレっぽい。どちらかというとユーライア・ヒープなどにも通じるようなものだ。マイケルもまだ自分のギター・スタイルが出来上がっていない感じで、かなり荒削りな弾き方が目立つ。しかし、まだ当時17歳(レコーディング時点では16歳)という事を考えると、すでにギターの腕前が世界レベルに達していたことは驚異的とも言える。彼らは、このアルバムを発表後ドイツ国内をツアーして回るが、まだ無名であったことから、当然欧米の有名バンド達の前座をつとめていたのであった。そんな有名バンド達の中にUFOもいた。そして、ある時UFOのツアーをいっしょに回っていた際、同バンドのミック・ボルトン(g)が突然失踪。急遽代役にマイケルが起用されるという事件が起こった。UFOのメンバー達はこの時のマイケルの演奏をとても気に入り、その後何人かの代役を立てたものの、結局1番気に入ったマイケルにバンド加入の要請をしてきた。当時ロック後進国であるドイツから、まさか世界的なバンドが生まれるとは思えなかったので、すでにヨーロッパや日本で大きな人気を持っていたUFOへマイケルが加入することには、ルドルフや他のメンバー達も賛成し、快く彼を送り出すことになった。これが、結果的にはマイケルだけでなくスコーピオンズ自体にとっても、非常に良い選択になろうとは、この時点では思いもしなかっただろう。しかし、その後UFOで大活躍するマイケルよってスコーピオンズもクローズアップされ、共に世界のビッグスターになってゆくのだ。アルバム1枚のみのメンバーとはいえ、マイケルがスコーピオンズに残した功績は計り知れない。もう1つマイケルはバンドに素晴らしい置き土産をしていった。それは、知り合いの凄腕ギタリスト、ウルリッヒ・ロートを自分の後任にと推薦していったことだ。もっとも、電話で直接マイケルから加入要請を受けたとき、ウルリッヒは一旦断ってはいるのだが、その後マイケルからその話を聞いていたルドルフからも強い要請を受け、クラウスをバンドに引き戻すことを条件に、スコーピオンズ加入を承知したということだ。(よくライナーなどにはオーディションで加入したと書いてあるが、これはウルリッヒ本人が後に語っていたことなので確かだろう。もしかしたら、一応形式上のオーディションもやったのかもしれないが・・・)話は前後するが、マイケルが引き抜かれた後、スコーピオンズの方は次々とメンバーが脱退し、オリジナル・メンバーはルドルフ1人になっていたらしい。ウルリッヒの加入は、スコーピオンズにとって、ジミ・ヘンドリックスばりの凄テク・ギタリストがいるという話題を提供しただけでなく、とても大きな意味を持っていた。クラウスを引き戻したのも、ウルリッヒが早くからその名ヴォーカリストとしての資質を見抜いていたからに他ならないし、その後のスコーピオンズを世界的なスターへと導く足がかりを作ったのも、ほとんど彼の力によるところが大きいからだ。74年になると、ルドルフとクラウスがオーディションにより他のメンバーも集め、新生スコーピオンズとも言うべき布陣でセカンド・アルバム「電撃の蠍団」をリリースした。第2期スコーピオンズとも言える、このときのメンバーは、Rudolf Schenker ルドルフ・シェンカー/ギター、ヴォーカルUlrich Roth ウルリッヒ・ロート/リード・ギター、ヴォーカルKlaus Meine クラウス・マイネ/リード・ヴォーカルFrancis Buchholz フランシス・ブッホルツ/ベース・ギターJurgen Rosenthal ヨルゲン・ローゼンタル/ドラムスこのセカンド・アルバムでは、ウルリッヒのギターを前面に押し出した、スピード感のあるハードロック・サウンドへ変貌を遂げたが、毛色の違うマイケル作の曲も数曲入っており、まだ独特のスコーピオンズ・サウンドは確立されていない。とは言え、マイケルの曲もかなりの名曲で、すでにマイケルがコンポーザーとしても素晴らしい才能を発揮していたことが分かる。個人的にはかなり好きなアルバムだ。この後ドラムがRudy Lenners ルディ・レナーズに代わり、75年にサード・アルバム「復讐の蠍団」をリリース。ここで一気にウルリッヒの超絶ヘヴィ・ギターが炸裂!特に日本ではこのアルバムでデビューしたため、1曲目の「ダーク・レディ」を聞いただけでもうビックリ!!背筋がゾクゾクするほどカッコよかった。他にも名曲が目白押しで、サウンド面でも独特の重厚感を出すことに成功している。また、このアルバムからは「ロボット・マン」のシングル・ヒットも生まれ、彼らの知名度をヨーロッパ全土へ広める結果となった。つづいて76年リリースしたアルバム「狂熱の蠍団」も大好評で「幻の肖像」(Pictured Life)がスマッシュ・ヒットした。だが、このあたりから、しだいにウルリッヒのジミ・ヘンドリックス崇拝志向が強まり、バンドとしてのまとまりが弱まってきた。ウルリッヒは自作の曲は自分で唄うようになり、明らかにルドルフやクラウスの作る曲とは違う曲調で、自分だけの世界を作り始めていた。77年またもやドラムが交代しHarman Rarebell ハーマンズ・ラベルが加入すると、ウルリッヒのスタジオ録音最後のアルバム「暴虐の蠍団」を発表。前作につづいてジャケットが問題(テロ事件を連想させるとか・・・)となったこのアルバムからは、「スティーム・ロック・フィーバー」がヒットした。翌78年には、このメンバーで初来日を果たし、その模様も同年2枚組のライブ・アルバム「蠍団爆発」としてリリースした。このライブ・アルバムも素晴らしく、ウルリッヒのギター・プレイはスタジオ盤よりさらに熱く、クラウスの声も全てレコードと同じ高音域までを再現。いやがうえでも翌年にも予定された来日公演への期待が高まった。そして、自分も関係者づたいに、その79年の中野サンプラザでの公演チケットを手に入れ(なんと前から5列目ぐらいの位置)、期待に胸を膨らませていたのだが、その前にウルリッヒは脱退していた・・・ショック・・・しかし、79年早々にリリースされたアルバム「ラヴ・ドライヴ」には、なんとマイケル・シェンカーが復帰しているではないか!! しかも来日公演にもマイケルが同行するというので驚喜した!!だが、コンサート当日中野サンプラザのステージにマイケルの姿はなかった・・・。直前にキャンセルされたのだ。UFOでの幾度かの失踪事件も耳にしていたので、そう驚くことでもないのだが、UFOとスコーピオンズ両方のファンであった自分にとってはかなり失望させられた。実際は、ライナーなどに書いてある「ヤブスの働きで大成功を収めた」などという印象はまったくなく、はっきり言って魂の抜け殻のようなスコーピオンズといった印象だ。唯一の収穫は、まだ慣れていないヤブスに代わり、ところどころルドルフが急遽リードを取る場面もあり、「ルドルフって、本当はこんなに上手かったんだ~」と感心させられたことだ。常にマイケルとウルリッヒという天才ギタリストの陰に隠れてサイド・ギターになるしかなかったルドルフだが、もともとはギターもヴォーカルも1人でやってのける器用な人なのだ。まあ、マイケルと同じ血が流れているのだから上手くないわけはない・・・。しかし、このルドルフお兄さんはとても良い人柄で、常にマイケルを温かく見守り、「いつでも帰っておいで」といった感じで幾度となく精神的に異常をきたしたマイケルを快くスコーピオンズに迎え入れている。他のメンバーの意見もよく聞き、その人柄の良さのおかげでクラウス、ウルリッヒ、ヤブスなど有能な人材を獲得することが出来たとも言えよう。バンド内でも常に出過ぎることなく、正確に単調なリズム・ギターを刻み、リード・ギターやヴォーカルを引き立たせることに徹している。だが、必要とあらば、いつでもリード・ギターの代わりとなり、ヴォーカルの代わりもできる、なんとも頼もしいお兄さんなのですよ。
Jun 9, 2009
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本日久しぶりの晴れでしたね~!!昨日の"ボヤッキー"モードから一転です。RockBoxxを語ろうかなと思いましたら?その前に・・・と言うわけで!スコーピオンズのお勉強なのでした・・・!!スコーピオンズ(Scorpions)は1965年に結成されたドイツを代表するハードロック・ヘヴィメタルバンド。1972年デビュー。本国ドイツはもとより、アルバム『蠍魔宮~ブラックアウト - Blackout - 』以降、世界的な人気を得、日本では英米のバンドと同等の影響力がある。だが、スコーピオンズ登場前のドイツはロック不毛の地と呼ばれるほど、スター・アーティスト不在の状況であった。スコーピオンズはドイツHR/HMのカテゴリーを超えたジャーマン・ロックの始祖とも言える存在なのだ。略歴1965年にルドルフ・シェンカー(1948年8月31日、ハイルドシェイム生まれ)がバンドを結成。メンバーはルドルフ・シェンカー(vo.g.)、カール・ハインツ・ヴォルマー(g.)、ウォルフガング・ズィオニー(ds.)、アチィム・カーチョフ(b.)の4人組。1971年初頭に、解散したバンド、コペルニクスのマイケル・シェンカー(g.)とクラウス・マイネ(vo.)を加え、アチィム(b.)と交代したローザー・ハインベルグ(b.)での、6人構成となる第1期スコーピオンズのラインナップで、ドイツのメトロノーム傘下のブレイン・レーベルと契約。1972年にコニー・プランクのプロデュースで、デビュー・アルバム『恐怖の蠍団 - Lonesome Crow - 』を発売。プログレッシヴ的なサウンドの作品でありハード・ロックとは言えない作りはプロデューサーの志向だと思われる。同年ユーライア・ヒープ、ロリー・ギャラガー、UFOなどのサポーティング・アクトとして西ドイツ国内ツアーを行う。サーキット中にUFOのミック・ボルトンが失踪し、急遽代役ギタリストを務めたマイケル(g.)がUFOに移籍。1973年6月、ローザー(b.)とウォルフガング(ds.)が脱退。一時活動停止を余儀なくされる。1974年、オーディションによりウルリッヒ・ロート(g.)、フランシス・ブッホルツ(b.)、ヨルゲン・ローゼンタル(ds.)がメンバーに決定。RCAレコードと新たに契約し、11月に移籍第1弾としてアルバム『電撃の蠍団 - Fly To The Rainbow - 』を発表。バンド自らがプロデュースした本作は、ウルリッヒのギターをフィーチャーしたハード・ロック色が濃く、以降のサウンドの基礎となる作品となった。1年半ぶりのツアーで夏のドイツ国内をサーキット中にヨルゲンが脱退。ルディ・レナーズ(ds.)を加えて、ベルギーとフランスで国外ツアーを行う。その後、スウィートのサポーティング・アクトで北欧をツアー。この時、後に6人目のメンバーと呼ばれ、長年作品を手掛けることになるプロデューサー、ディーター・ダークスが自らプロデュースを申し出て、新作のレコーディングに着手する。1975年、アルバム『復讐の蠍団 - In Trance - 』を発売。プロモーションの一貫としてロンドンのマーキー・クラブでイギリスでのデビュー・コンサートを成功させる。キッスのサポーティング・アクトとして西ドイツ国内ツアーを行う。ドイツの音楽誌での人気投票でグループ部門3位を獲得。1976年11月に『狂熱の蠍団~ヴァージン・キラー - Virgin Killer - 』を発売。メロディ・ラインに哀愁を帯びハード・ロックの様式美を前面に出した作品で、バンドの代表作となった。1977年の全英ツアーは規模を拡大し、ホール・クラスでのバンドに昇格するがルディが心臓病を患い脱退。4代目ドラマーとしてハーマン・ラレベルが参加し、5作目のアルバム『暴虐の蠍団 - Taken By Force - 』を発売。1978年に日本ツアーを行う。4月25日の東京から26日の大阪まで、5回の公演は全てソールド・アウトを記録、日本での人気の高さが確認された。 東京、中野サンプラザでの2ステージをレコーディング、同年8月に初のライヴ・アルバム『蠍団爆発 - Tokyo Tapes - 』として発売される。この後、ウルリッヒはバンドがコマーシャルな方向に向かっていることを理由にバンドを脱退。バンドは、イギリスの音楽誌メロディ・メイカー紙に募集告知を掲載し約140名をオーディションするが、後任は見つからなかった。改めてドイツ国内でメンバーを探し、地元ハノーファーでマティアス・ヤブス(g.)を3代目ギタリストに決定1978年9月、新ギタリスト披露のため、ドイツで開催の「サマータイム・オープン・エアー・フェスティバル」出演。ニューアルバムのレコーディング直前、アルコールとドラッグの併用で精神的な支障をきたしUFOから失踪・脱退していたマイケル・シェンカー(g.)を、ルドルフとクラウスが迎え、レコーディングに参加。1979年4月、6人編成で制作されたアルバム『ラヴドライヴ - Lovedrive - 』を発売。同編成で3月23日のマルセイユから開始したヨーロッパ・ツアーは好評を博し、マイケルの完全復帰を思わせたが、ケルン公演直前にマイケルが倒れ、バンドから離脱。日本で2度目の来日公演が決定していたがマイケルの登場はなかった。6月3日からジャパン・ツアー。8月にテッド・ニュージェントのサポーティング・アクトとして初の全米ツアー。同8月にイギリスのレディング・フェスティバルにシン・リジィの代替でヘッドライナーとして出演。同12月、RCA時代4枚のアルバムの中から11曲をセレクトし初のベスト・アルバム『蠍団伝説~スコーピオンズ・ベスト - BEST OF SCORPIONS - 』を発売。1980年、5月に『電獣~アニマル・マグネティズム - Animal Magnetism - 』を発売。イギリスでのNWOBHMムーヴメントを契機とした、ヘヴィメタルシーン活性化を受け、レインボー、ジューダス・プリーストなどと共に第1回モンスターズ・オブ・ロックに参加。前年の続編となるベスト・アルバム『蠍団帝国~スコーピオンズ・ベストII - SCORPIONS BEST2 - 』を発売。1981年クラウス(vo.)が声帯を痛め医師に1年間の静養を言い渡された。バンドは一部録り終えていたレコーディング作業を一時中止し静養期間とした。1982年、3月に『蠍魔宮~ブラックアウト - Blackout - 』を発売。2年振りのこのアルバムは全英11位、全米10位の売り上げとなり、最強のライヴ・バンドと評されながらセールスが反映されなかったアメリカ・マーケットで初のビッグ・ヒットを記録。4月に同アルバムのプロモーション・ツアーをイギリスからスタート、アメリカ、日本などをサーキットする。1983年5月にアメリカのサン・バーナディーノで開催されたUSフェスティヴァル、同年12月に本国ドイツのロック・ポップ・ヘヴィ・メタル・スペシャルに出演。同年10月にイギリスのロンドン・ハマースミスオデオン劇場で行われたマイケル・シェンカー・グループのライヴにルドルフとクラウスが飛び入り参加しファンを沸かせた。1984年3月に『禁断の刺青 - Love at First Sting - 』を発売。8月に日本で初のヘヴィ・メタルのビッグ・イベント「スーパー・ロック '84 イン・ジャパン」にホワイトスネイク、マイケル・シェンカー・グループ、ボン・ジョヴィなどと共に出演。1985年1月に初の武道館公演を果たし同年のジャパン・ツアーと6月のイギリスのネブワース公演後、2枚目のライヴ・アルバム『ワールド・ワイド・ライヴ - World Wide Live - 』を発売。若干の充電期間と発表し、しばらくの間表立った活動を停止する。1988年5月に4年ぶりのスタジオ録音アルバム『サヴェイジ・アミューズメント - Savage Amusement - 』を発売。ペレストロイカ最中のソビエト・レニングラード(現ロシア連邦・サンクトペテルブルク)でコンサートを行う。1989年8月、前年のコンサートが契機となり、歴史的イヴェントとなったモスクワ・ミュージック・ピース・フェスティヴァルが開催。ボン・ジョヴィをメイン・アクトに、スコーピオンズ、オジー・オズボーン、モトリー・クルーなどが参加した。付随したチャリティー企画でアンチ・ドラッグ/アルコール・キャンペーンのオムニバス・アルバム『メイク・ア・ディファレンス - Make A Difference - 』が発売され、スコーピオンズはザ・フーのカヴァー「アイ・キャント・エクスプレイン - I Can't Explain - 」が収録された。1990年「ベルリンの壁崩壊」の年7月に、そのベルリンの壁の前で行なわれた元ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ主宰による「ザ・ウォール・ライヴ」に参加。演奏は、『ザ・ウォール ライヴ・イン・ベルリン - The Wall Live In Berlin - 』として発売された。 11月にアルバム『クレイジー・ワールド - Crazy World - 』を発売。このアルバムは長年のプロデューサーであるディーター・ダークスに代わりキース・オールセンがプロデュースを務めている。「ウィンド・オブ・チェインジ - Wind of Change - 」がシングル・カットされ、全米第4位、全英第2位を記録するビッグ・ヒットとなった。1992年の活動は無く1993年にはラルフ・リーカーマン(b.)を迎え9月にアルバム『フェイス・ザ・ヒート - Face the Heat - 』を発売。1994年1月の来日公演は、 M.S.G.(マイケル・シェンカー・グループ)に終止符を打ったマイケル・シェンカーがスペシャル・ゲストで参加し、アコースティックで夢の共演を実現させた。しかし、この時期に70年代からのメンバー、ハーマン・ラレベル(Ds.)が脱退。ライヴでは、カート・クレスやピティ・ヘチットがドラマーとして参加、ルーク・ヘルゾッグやコーエン・ヴァン・ベイルといったキーボード奏者も参加していた。1995年ライヴ・アルバム『ライヴ・バイツ - Live Bites - 』を発売。1996年デビュー25年を迎えイースト・ウエスト・ジャーマニーと契約。5月にレーベル移籍第1弾アルバム『ピュア・インスティンクト~蠍の本能 - Pure Instinct - 』を発売し活動を再開。1997年にベスト・アルバム『蠍の刻印~マーキュリー・イヤーズ:ベスト・オブ・スコーピオンズ - DEADLY STING:The Mercury Years - 』を発売。1999年4月、3年ぶりスタジオ録音アルバム『アイ・トゥ・アイ - Eye II Eye - 』発売。オーストリア人ピーター・ウルフ(ジェファーソン・スターシップやハートのプロデューサーとして知られる)プロデュースで制作されたこのアルバムは、コンピューターを導入し、ハードロックやヘヴィメタルの枠を超越したアプローチを展開。同アルバムのレコーディング中にラルフ(b.)が脱退。ジェイムス・コタック(Ds.)が一時参加で製作されている。2000年ドイツ、ハノーヴァーで開催されたEXPO2000のテーマ曲を担当し、「モーメント・オブ・グローリー」を発表。同年夏にその曲も含みベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演によるアルバム『栄光の蠍団~モーメント・オブ・グローリー~ - Moment of Glory - 』を発売。2001年2月9日にポルトガル・リスボンでアンプラグド・ライブを行い、7月に『アコースティック・ライヴ - Acoustica - 』として発売。2004年『反撃の蠍団 - Unbreakable - 』を発売。 現在のメンバー クラウス・マイネ(ボーカル) ルドルフ・シェンカー(リズムギター) マティアス・ヤプス(リードギター) パウエル・マキオダ(ベース) ジェイムス・コタック(ドラム) ハードロックの理想型に最も近い存在。衝撃の蠍団! いかがですか?まだまだありますよん・・・・・!!
Jun 9, 2009
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そういえば、明日 夜 ライブでした!!すっかり忘れていました。参りましたネ?まったく何もしておりません・・・・どうしましょ。早速おさらいしなくては、いけませんね~・・・・・えっと、場所は 南郷通 「ルースター」と言うライブハウスでーす。 17:00~21:00迄やっちょります~ちなみに、私どもは、・・・・17:30位からでしょうか? やっぱ、、、寝よっかなァ~
May 9, 2009
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いや~実は先日のリハの時の出来事。なんと、弦がずれたのです。と言っても良くわかんないので。演奏中にいつものごとく、弦が切れたのかな?と思うよ?普通?なんと、はずれたのです??頭真っ白20は一瞬に年をとっちゃった?よくよく見ると、信じらんない事にナットから脱落。演奏中にもかかわらず、いっしょ賢明ハメようとしちゃいました。当然はまる訳もなく。はまってもすぐ脱落。クゥ~こう言うとき皆様どうされますねん?スペアを持参する訳もなく!!結局。チカラ技で、無理やり押し込んでその場はしのぎましたが、欠けたのか?なんなの?・・・・帰宅後(真夜中にしこしこしこし・・・ナットを削る・・・・)不吉な予感が・・・こんなの今まで。。。普通ないよねぇ? でも~その後は快調ですよ?・・・・ライブとか大丈夫なんでしょうか?・・・・
Apr 28, 2009
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またまたま・・・告知でした~5/10 SUN 「GWラストだよロックナイト」・・でもってやっちゃいます!派手目に本格ハードロックあたり!!耳鳴りが止みませんよん今回はお久しぶりに、かのライブハウス「ルースター」への登場ですん場所は、もちろろん札幌。南郷通6丁目・・・サウスビルB1OPEN 16:30 START 17:00~ チケット ¥1,000 当日のみ4バンド登場・・・ラストはいつものことですが?豪華にセッション合戦!わたくしも、「Rock Boxx」にて登場!新曲の目白押し・・・華麗なるギターテクニックをご堪能あれぃ(ぁっ 言っちゃったどうしましょ・・・・)
Apr 23, 2009
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