日本語で話そう

January 14, 2013
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三浦按針(ウイリアム・アダムス)の事である

12月のある日、マイク・ポウルトン脚本、ロイヤル・シェークスピア・カンパニーの監督であるグレゴリー・ドーラン演出の「家康と按針」の舞台を見に行った。

そそっかしい私の事、会場は神奈川県民ホールだとばかり思って到着するも、そこにいるのは私一人。おや?間違えたかな。芸術劇場と書いてあった。急いで山下公園の入り口でタクシーを捕まえる。
「すみません、芸樹劇場知っていますか?」
乗ってすぐ、大桟橋の入り口を左に曲がり、すぐの道を左に曲がり、2分で到着。
ビルの間から港の方を見ると、なんと山下公園の銀杏の木が見える。

県民ホールのほぼ斜め後ろ。歩いてこられたのね。

そうして鑑賞した三浦按針の物語、4年前のリメイク版だ。あの時と同じ家康は市村正親、藤原竜也の日本人宣教師と英国人俳優のアダムスは代わっていた。

この公演は今月末ロンドンで上演される事になっていて、英語が半分、日本語が半分の舞台であるから、互いに自分の得意じゃない言語は字幕を見るようになる。イギリスでの日英通商400年の行事の始まりを飾るイベントになる。


彼は妻子のいるイギリスには帰らず、家康にもらった身分と名前と領地と日本の妻と子供と共に日本で生涯を送った。
それでも、難破した彼の船から13年後にやって来たイギリスの船が日本との交易を始めたのだ。その時徳川秀忠が甲冑を2体、イギリス国王に送ったという。
ロンドン塔に行った時、なんでこんなところに日本の甲冑がと思ったが、あれはその時のだったかもしれない。

学校の教科書で習った按針、私の中の按針はただそれだけで来たのだが、4年前の日本での公演をわざわざ見に来た按針の生まれた街のスーザンさんと知り合い、外国人に按針の事を教えられた。
メドウェイであって、昨年、按針の菩提寺で行われたスーザンさん再来日の歓迎パーティで会って、按針の事をもっともっと知った。

先週の木曜日、スーザンさんは日英通商400年記念行事の打ち合わせのため按針の街メドウェイからロンドンに出て行ったそうだ。
これから精力的に1年間のいろいろな行事に企画・参加していくのだろうな。

月末の「Anjin」ロンドン公演、ロンドンの長女も早々と昨年の内に前売り券を買ってお互いにコンタクトを持ったから、スーザンさんとその日、合流できるといいなあと思っている。

「国土は万里の雲海を隔てていれども、我らの領域は誠に近し」(徳川家康から英国王ジェームズ1世へ。1613年10月)←外務省柔らかツイート http://japan400.com/ja/ からもらってきました。


  • P1050167.JPG


写真はスーザンさんに連れて行ってもらった時撮ったメドウェイ市(旧ジリンガム)のセントマグダリン教会内のアダムス洗礼の石の蓋付き聖水盤。






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Last updated  January 14, 2013 07:06:14 PM
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