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クレドのにっき
氷が熔けて血に変わるまで。
転がっているナイフ。
血まみれのフローリング。
落ちたカーテン。
ソファに投げ出された彼の銃。
テーブルに投げされている彼自身。
床にたれた手。
テーブルの上のグラスは氷を残して空。
色とりどりのシートも全て空。
葬式に、カトルが来た。
喪服を着ていた。
なんだか不似合いで、笑いそうになった。
氷が熔けて
血に変わるまで。
「…本当に、死んじゃった、んだね。デュオ」
答えが遠く響いた。「…ああ。死んだ。」
カトルはそれきり、黙り込んだ。
棺の中のデュオを見つめて。
その、安らかで綺麗な笑みを浮かべたままの、…死に顔に。
きみに看取られて、嬉しかったんだろうね、とか。
本当に死んじゃうなんて、なんて馬鹿なことしちゃったんだろう、とか。
きみが死ぬ理由なんて、何処にもないじゃないか、とか。
云いたいことはきっといっぱいあったのに、どれを探しても、どう探しても、全然口から出なかった。
目の前のヒイロは、だって、それよりもっと、もっと…空虚で、空虚で、空虚で。
それにかける言葉なんかあるはずもなくって。
誰だって、本当に悲しい時には涙もでない。
今のヒイロみたいに黙りこむか、…かつてデュオがそうであったように、笑うしか、ない。
ヒイロは、音も立てずに、控え室へ戻っていった。
残されたのは、カトルと、死人となったデュオ。
明るくて、ムードメーカーで。
あの五人をつないでいたのはきっと、きみだった、デュオ。
そうじゃなきゃ、僕らはあれ程うまくやってこれなかった。
戦争が終わった今も、連絡を取り合う友人になんか、なれなかった。
なのに。
「どうして、そのきみが、一番最初に死んじゃうの?」
明るさが嘘だったことに変わりはない。
嘘はつかないなんて、大嘘で、きみはいつも嘘だらけ。
時折見せる真剣な表情こそが、本当のきみで。
でも、きみの見せてくれていた他愛ない笑顔が、僕にとって、宝物のように輝いていたのも本当で。
……頬にそっと手を触れた。
冷たい。
いつも彼の頬は暖かかった。
「…ヒイロの大馬鹿。どうして、デュオを助けてくれなかったの…」
詮無きことばかり口にしてしまう。彼は悪くないのに。
でも、デュオが愛していたのはヒイロなんだから、…きっと少し悪口を云うくらい、いいだろうと思う。
ひとりになった。
否、自分はいつもひとりだと思っていた。
戦争が終わってGを降りた時に、身の振り方を考えて、そして一緒に住む事に決めた。
あんまり危なっかしくて。危なっかしくて、見ていられなかったから。
『オレ、お前のこと好きみたい。…変だよな?』
全然変なんかじゃなかった。多分。そこにつけこんで、わがままばっかり通していたのは自分だから。
『なあ、一緒にいてくれる?…厭なら、オレを』
殺して。
なんてこと云うんだ。そんなこと云われたら断れる筈ない。
お前を死なせたくなくて、失いたくなくて、一緒にいることを選んだ。
でも日に日に情緒不安定。医者に通わせたけれど、それよりも一緒にいて、抱いて欲しいと云った。
初めて抱いた時、泣いていたことを思いだした。
『ヒイロ、ねえ、オレ女ならよかった、そしたら、お前の子供を産めたのに、そしてずっと一緒にいられたのに、なんで男なんだろう、なんで…』
二人をつなぐ番などなかったの?
一緒に街へ出る時。
同じ目線でものを見られていた?
同じ目線でものを考えていた?
否、多分全然違う。
花を見て、綺麗だ、と思った筈。
手折るのではなくデュオは破壊を選んだ。
ナイフで切って、こう云って笑った。『枯れちゃったら、誰にも見向きされなくなるんだぜ。可哀想だろ?』
ああ、そうだな。
でもデュオ、お前の考え方は、悲しすぎるよ。
お前がどんなになっても、俺は傍にいてやるから。
そう云って抱きしめると、嬉しそうに笑った。
『ありがと、ヒイロ。』
どんなに、なっても…。
身寄りなんかお互い無いから、教会の共同墓地へ入れてもらうことが決まっている。
プロフェッサーGにも連絡した。そろそろ着く頃だろう。
行方不明になっている技師たちの中で唯一、行方がわかった人物だった。
デュオのパソコンのアドレスにまんま乗っていて、送信したら返事が来た。
ああ、彼がわからないはずは無いのだ。育て子の危なっかしさを。
ノックがした。
「……開いている」
入ってきたのは、件のプロフェッサーGだった。
「…あの子は、お前さんの傍で、幸せだったんじゃな」
そう、ため息とともに云った。
長椅子に腰掛けて。
「送信履歴、見たかの?」
「いや」
彼は天井を見上げた。
「一日、何回もメールを送ってきたよ。今日はヒイロと犬を見た、とか今日はパン屋で焼き立てのバケットを買った、とか。…本当に、嬉しそうなあの子の顔が浮かぶようじゃった」
ヒイロは、…辛くて…彼の触る筈のないパソコンをそれ以上、開けなかった。
「全く…本当に、親不孝もんじゃ。…わしより先に死によってからに。死によって…」
そこで、プロフェッサーは言葉が途切れた。両手で顔を覆った。
「…涙も出ないんじゃな、本当に悲しい時というのは。…ヒイロ、悪いの、お前さんに全てを背負わせてしまって…」
ヒイロは長椅子に座ったまま、彼の顔を見られないでいた。
「…俺が選んだことだ。…あいつと一緒にいたかった。」
「強いの。…だがヒイロ、お前さんが…、責任を感じることはないぞ。…あの子の危うさは、昔からわかっていたからの。」
静けさが、支配していく。葬儀会場が騒がしくなってきた。
「…一途過ぎて…一途過ぎて、自分を殺してしまったんじゃな、あの子は。」
ああ、そうだ。
一途に何かを護ろうとする人間は強い。
だけど、それが無くなったとき途端に脆くなる。
デュオは新しい護るものを、見出せなかったのか。
ヒイロの為に、生きる、そう云う選択肢を、選べなかったのか。
――自分は?
これから、デュオのいない生活を、続けていけるのか?
デュオのいた部屋で…あいつの血が染みこんだ部屋で。
あいつとの思い出が詰まったあの部屋で…。
生きて、…
なんになる。
もう、デュオは、いない、のに。
葬儀が終わる。
教会の鐘が鳴っている。
五飛が遠くを見ていた。
トロワも、遠くを見ている。
カトルも、遠くを見ている。
共同墓地に新しく立った十字架は、とても綺麗。
並べられた十字架の規則正しい行進。
「…おかしいな。何かが変だ。」
と、五飛が云った。空虚な声で。
「…そうだな。」
トロワが同意した。
「…変だよね。」
そう、カトルが云った。
三人とも、実感が無かった。
デュオが死んだ、そのことに。
「あいつの死に顔、見たのにな。」
五飛が地面に目を落とした。そこには、花が散っていた。
「…生きてるときより、よっぽど安らかで、綺麗な死に顔だったな」
トロワは遠くを見つめたまま。
「うん。…すごく、…綺麗な死に顔、だった」
「あんなに安らいだやつを見たのは、きっと最初で最後だ。…だからだろうか」
ぽつり、とカトルが云った。
「……しあわせ、だったんだよ。彼。」
教会の鐘が鳴り止んだ。
葬儀は、終わる。
いつの日か、ふらっとまた現れそうな、そんな気すらした。
もう何年経った?
あまり、数えていない。
連絡の途絶えていた友人たちに、メールを送った。
ひとつだけ、返ってきてしまったメールがあった。
TO Heero
連絡先が間違っているか、ありません、というメッセージ。
厭な予感がした。
「…そうです、張五飛と申します。…カトル・R・ウィナー氏の友人です。ご在宅ですか?では、代わって頂けますか。」
すぐに、電話の向こうで駆けてくるような音が聞こえた。
「五飛?!お久しぶりだね!元気だった?!」
張りのある声、元気そうだ。
「お前もな。…メール、見たか?」
切り出すと、ああ、と嬉しそうに相槌を打った。「五飛からメールなんて珍しいもの!ついつい自分の目を疑っちゃったよ」
「なんだそれは。ちょっと不精しただけじゃないか。俺がメールを送っては悪いか」
「ちょっとって…あのね、3年も連絡くれなかったら、絶縁されたのかと思うよ、普通」
「…ああ、そうか、3年も経つのか」
「そう。…みんなで最後にあったのは、3年前。デュオの、お葬式」
次に切り出すべき話題を、迷った。
「…ヒイロ…は、どうしてるか、知ってるか?」
電話の向こうに、静寂が満ちた。
「五飛、知らなかったんだね、やっぱり。」
「……どうした?」
カトルは電話の向こうで、…声が小さくなった。
「彼ね、お葬式の…三日後、すぐに、」
ああ、やっぱり。
厭な予感がしたんだ。
同じ方法で自殺したよ。
「誰が、みつけた」
声は震えていたと思う。
「…僕。心配だから、メールのやりとりをしてて…三日目、途絶えて…だから見に行った。」
カトルの声も、震えていたと、思う、自分の背筋が凍っていく。
「その、時には?」
「…もう、手遅れ。メールだけじゃなくて、電話もしたけど、…甘かったみたい。会うんだった。メールも、電話も、内容は全部確りしてたから、僕は安心してたんだ」
そして、カトルはため息をついた。
「もう、誰も欠けないでほしいな」
「…欠けないさ。…欠けない。あいつらは、…悲しいほど、強かったんだ」
五飛は、受話器を持つ手が震えて、止まらなかった。
「俺達はそんなには、強くないから、…生きていられる。」
「…そう、だね、そう。…あの二人は、天国にいけたかな」
掠れた笑い。
「二人とも不信心だから、如何だろうな?」
「そうだね。…でもきっと、一緒にいるよね」
そうだといい。
死んでからなら、全てのしがらみから解放されて、ふたりだけになって、しあわせに。しあわせに。
「…みんなで、会いに行こうか。ふたりに」
「そうだな。…手土産は、何にしようか」
カトルの声が笑った。
「ウィスキーと日本酒がいいんじゃないかな」
ああ、ごめん。
巻き込んじまった。
なんかオレ、すっげえメイワク。
ヒイロ、怒ってるでしょ?
ごめん、ごめん。
でも、ヒイロが死ぬことなんてなかったのに。
どして、死んじゃったの?
しかも、オレと同じ方法なんて。
ヒイロにはお嬢さんがいるじゃん。
オレが死んだなら、お嬢さんと一緒になるっていう前向きな方法があったんじゃない?
オレが云うのもなんだけど、割と痛いよ、オレの選んだ死に方。
なのに、同じ死に方したの?
ナイフで自分の両腕を余すとこなく切って、そのまんまだらだらして、薬いっぱい飲んで、酒呑んで。
オレみたいに神経麻痺してないと出来ない死に方だよヒイロ?
よもやヒイロがそんな神経麻痺するとは、思えない!
悪いけど、笑っちまう!
無視するなよ。
なあデュオ。
こっちを向け。
なんで黙っている?
…ごちゃごちゃ云わなくていい。
俺も漸く気づいた。
お前を好きだってことに!
お前がいない生活なんか、要らないと思える程に!
確かに痛かった。だけどお前は、こんな死に方をするまで、寂しかった、辛かったんだろう?
わかってやれなくて、ごめんな。
ごめん。迷惑だなんて思わない。
寧ろ、気づかせてくれて有難う。
もう、嘘で笑わなくていいから。
俺の前でだけ、笑ってくれ。
『なに、それ。…死んだ後に、告白ってどーよ、ひーろさん』
ゆらゆらと立つ透き通った影に、血まみれのヒイロは語り掛ける。
仕方ないだろう、好きなんだから。
今逝くよ、お前と同じ所に。
『…ほんとにいいの?ねえ。死んじゃったら…オレが云うのもなんだけど、自殺ってあとまで痛いよ。今も痛いよ。…そんな苦労してまで、オレと…』
一緒にいたい。ああ、そうだ、なりふり構ってられない。
お前が好きだ、大好きだ、愛してる。もう、こんな身体要らない程に愛してる!
『――すっげぇ。オレって幸せもの。天下のヒイロ・ユイ様から、こんな熱烈な告白受けちゃった。…じゃあヒイロ、悪いけど、こっちへ来て。一緒に、なろ?』
かららん、と氷。
『氷が熔けるよ。…ああ、カトルが来るね。…でももう、助からない。ヒイロ、待ってるよ。』
血まみれの透き通った手と、血まみれのヒイロの手が、つながれる。
ああ、そうだ。もう助かるわけ、ない。
「ヒイロ!!ヒイロっ、」
カトルがもう手早く、救急隊を手配していた。
ああ…グラスの氷、熔けた。
ヒイロの重くなった身体を抱き上げたカトルは、空中に投げ出されたヒイロの右手を見た。
「…デュオ、そこにいるの?…いるんだね。いるんだね。…ヒイロは、選んだんだね。…きみと、一緒にいること…」
担架に乗せられていくヒイロ。
それを追いながら、ちらりと振りかえると、そこに、血まみれのデュオ――
『 』
笑った。
救急車に乗りこんで。輸血をされるヒイロの心拍はほとんど無い。
あの、デュオの幻影はなんて云った?
カトルは思い出した。そして、その唇の動きを反芻した。
「…S…Solly…?」
カトルの目から、初めて涙が伝った。
「ごめん、なんて…それ、僕が云うべき言葉だよ、デュオ…!」
痛い?やっぱ。
…お前よく、平気な顔してられるな。
平気じゃないよ。でも、ヒイロがいるから、いいよ。
そうか。俺も、お前がいるから、きっとすぐ慣れる。
オレたち、どのくらいここをさまようのかなあ
さあな。まあ、どの道神なんて信じてなかったんだろう?ならいいじゃないか。
あはは。そうだね。あ、いてて、いてて。笑ったら傷に響いた。
ははは。そうだな。いた、いたた。俺も結構痛い。
だぁから、痛いって云ったじゃんかー。
お前だって、だいぶん痛いんじゃないのか。
ヒイロといられるなら、痛くたっていいよん。…ねえ、今日はどこへ行こう?
そうだな…カトルにはお前が見えたみたいだから、二人で化けて出てみるか?
いいね。みんなの所へ顔だしてみよう!みえるかな~みえるかな?
お前、…性格悪いぞ。
あらん、好きだって云ってくれたでしょ。
…ああ、好きだ。
最早 距離などありはしない。
氷は全てとけて、血にかわったのだから。
FIN
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