クレドのにっき

クレドのにっき

血まみれの紫ー拾参ー

 ささやかれた言葉が甦る、「あいしてる」
 さめないで、このゆめを、お願いだから。
 もうすこし、このゆめを…みせていて。

 軍服の襟はきっちりと顎の下まで止められていた。きっちりと編まれた銀の三つ編み。両刃の剣を右手に、符を左手に。
斬り、薙ぎ、燃やす。動きには全く、いつもと同じで、素晴らしい舞を見ているような、そんな錯覚さえ覚える。
だけど――あの、軍服の襟の下は真っ白い包帯で包まれている。それには、動くたび、血が滲んでいるのだろう。
あははははは! 逃げても無駄無駄無駄無駄ァああ!お前も!お前も!お前もお前もお前もお前も!死ぬんだよォおお!」
よく通る声が、死神の咆哮が、戦場を揺るがす。既に北との戦は勝敗が見えていた。
北兵は逃げ腰。
ああ、この国には死神がいたのであった!
同盟の度に来る青年の笑顔に、甘く見ていた!甘く見過ぎていた!
紛れもない、「死」。それを体現する、者がいる――
銀の髪が、兵士の首に絡みつく。くい、と青年が顎を引けば、兵士の首は人形のようにぼきり、と折れて落ちた。
「ほらほらぁ!誰だァ?うちにたてつこーなんて云い出したやつはよぉ?そいつしょっぴいてきたら、赦してやるぜぇ?」
カルアは遠く後方で見ていた。
熱が出て、きっと苦しいだろうに。リンはそんな様子はおくびにもだしはしない。
「…リンちゃん…」
呟いた声は、届かない。届かない。ささやいた声が、もう聞こえないのと、同じように。

 「無理をしすぎじゃな。少しは大人しく戦えんのか」
軍医に云われ、リンは荒い息の下、解熱剤を喉の傷に塗りこまれてうめいた。
「…うちの…やつらには、気づかれてないし…、誰も、気づいてなんかねぇ、よ。…だから、大丈夫…」
軍医はため息をついた。それは諦念だったのか、嘆息だったのか。
ベッドの上でうめくリンの前髪を孫にするように梳いてやる。
「もっと自分の身体を大事にしろと云うんじゃ。…包帯を真っ赤に染めて。あんなに返り血を浴びたのは、それを誤魔化す為じゃろ?」
「…さぁ、ね」
不敵に笑うリンに、軍医は思案してから、云う。
「せめて明日くらい、休めんのか?…今日がこれじゃ、明日はもっと酷いことになるぞい」
リンは冷たく一蹴する。「出来ない。明日は城に攻め込むんだ。隊の旗であるオレがいなくてどうする?士気が下がる。…陛下が…悲しむ。まつろう民に平安を、まつろわぬ民に死より苦しい生を。」
なぜかそこで暗く笑う。
軍医は、こう云い出すときかないリンの性格を知ってはいる。けれど、…この傷はただ事ではない。カルア=リードのことと云い、この青年はすべてを背負おうとしている。
それは、…無理な話だ。
ひとは神にはなれない。
すべての罪を、罰を背負うことなど、出来はしないのだ。
なのに、…なのに。
幾ら十字架に祈っても、その十字架の為に死んでいく者たち。間に合わない施術。ひとがひとを殺すことはあんなにもたやすいのに、…助けることは、こんなにも、こんなにも難しい。
ふと気づけば、リンは浅く早い呼吸を繰り返していた。両目は閉じられているが、時折痛みにうめいている。
「…やりすぎなんじゃ。お前さんは…」
リンの宿舎を出ると、カルアがいた。
「…せんせい。リンちゃんは…」
「薬で眠った所じゃ。おぬしも明日は早いのじゃろ?もう寝た方がいい」
俯いて。地面を見つめる。
「…リンちゃんがあんな怪我をしたのは…」
「いわんでいい。」
軍医は告白を止めた。多分、聴いてほしいだろうに。
「リンはそれを望んでおらん。だから、きかん。」
聴いて、…赦してほしいのだろうに。軍医は、それを良しとしなかった。
医務舎へもどっていく軍医の背中が、涙で掠れた。
群青の夜空。
月はずうっと紅い。
「…最早、誰にも許されないの…?」
カルアは狂人のように目を見開いて、空を穴があくほど覗いていた。
「誰も、懺悔することを赦してくれない?
 じゃあ俺は、誰に赦してもらえる?
 リンちゃんを傷つけ…隊長を傷つけ…
 汚れたこの身体で…」
既にそこは蟻地獄。
もがけばもがくほど、底に底に落ちていく。
カルアはいつのまにかわらっていた。
泣きながら、わらっていた。
「あはは、あはははっ、あはははは…」
だれにも、ゆるされないなら、おれのそんざいは、なん、なの…?

 剣を抱えてベッドの上に座っていた。
いつも、隣で笑っていてくれた存在は、いない。
『さよならしましょう?』
「どうして…?」
剣を抱えた。
『好きなひとが』
ルーファスの青い目が、暗く、暗く紅く。
「…すきな…?すきな。俺より…?か、カルア。」
愛してると云った。
何度もささやいてこの腕で抱いた。
好きだとささやいて、笑った。
腕の中に抱きしめると、金の髪がさらさら、流れた。
その、言葉を、
ほかの、







か。
あの、笑顔を、ほかの、だれかにみせるのか。
もう、俺には、見せて、くれないのか!
「カルア、カルア、カルア…愛してるよ。愛してる。今でも…これからも、ずっと。」
暗い、紅い、瞳が。闇の中で光った。唇が吊り上る。
「誰にも渡すものか。誰にも渡すものか渡すものか渡すものか!…俺だけのものだ。俺だけの…カルアだ。お前が俺を捨てるなら、…捨てるのなら…」
紅い月は、等しく降り注ぐ。
狂った歯車へと、終末へと向かって。

 綺麗な太陽が降り注いでいた。
そこに、緋い雨が噴水のように天を染めた。
城下を、人殺しの集団がゆく。逃げ惑い、命乞いする人々に目もくれない。ただ剣で答える。手を合わせるその目玉に切っ先をぶちこみ、逃げる背中に鎖分銅を投げる。城へ向かう大通りは、文字通り死屍累々となった。
「全ての動くものに死を!身分の高そうなのはしょっ引け!国王一族は殺さず連れてこい!」
リンの強い言葉に、城中に兵が雪崩れ込む。メイドたちの屍が窓から放り投げられ、上位者はあっという間に絡め取られて。
 背筋を張り、いつものように剣を振る、リンの足元がぐらりと揺れる。
それを、何とか踏みとどまって。
「…っ」
額からは、脂汗がにじみ出る。喉から、激痛より、全身から吐き気。
俯いているリンに、隊員の一人が気づいて、
「隊長?どうしました?」
と声をかけた。リンは息を整える。その様子を見ていた隊員は、何か悟ったようだった。
「…久々の大戦、ですものね。ちょっと浮かれてしまいました?」
わざと明るく云う。リンは内心隊員の気遣いに頭が下がる思いだった。同じく、明るく切り返す。
「…ああ、そーだな。ついつい楽しくって、熱に浮かされたゆめでも見てんじゃねーか、って思っちゃうぜ」
――自分は発熱もしている。かなり状態は悪い。幻覚が見えてしまいそうなほどに。
隊員は全てわかってくれた。少し引きつった状態で、笑う。
「あはは、じゃあ軍医殿に診て頂いた方がいいですね。国王一族も追い詰めましたし、浮かれすぎてリン様が殺しちゃっちゃあ、困りますものねっ」
――あなたが指揮をとらなくてはいけない所は終わりましたよ。もう、お休みになられても、大丈夫です。軍医を呼んできますから、待っていてください。
「…あははっ…。そう、だ…な」
そこまで、云ってけほ、とリンは軽く咳をした。
その、口元から、血が吐き出されるのを、隊員は見た。
あ、とリンは口を右手で抑えて、そしてぐらりと隊員の方へと。
リン様!!
倒れる彼を、抱きとめる。既に意識は失われていた。浅く早い呼吸に、血を吐いている、気管にはいったのか、咳が止まらない。
「なんだ、どうした?!」
「早く軍医殿を!」
「気管に血が入ってるんだ、このままじゃ窒息する、」
第二連隊の隊員はみな冷静に慌てていた。
彼らにとって、リンは隊長であると同時に、崇拝する神のようなものだ。
医療の心得がある、スミスが駆けてきた。近くにいたらしい。
「どけっ、」
血を吐きながら咳をするリンの口に、自分の舌を差込み、血を嚥下し、口を放すとリンの背中を軽くたたく。
「うっ、げはっ、げはっげはっ」
「隊長、大丈夫ですからね、すぐに軍医殿が診てくれます!意識を強くもってください!」
リンはうつろな――先刻までの虚勢は何処にいってしまったのだろう――紫の双眸を上げた。
「…ああ、スミスか…ありがと…楽に、なった…」
自分の血で、口元を真っ赤にしているスミスに、柔らかな笑みを向ける。それは幼子のように純粋な笑みだった。
軍医は後方待機だ。伝達が行ってから…まだ5分も経っていない。20分はかかるだろう。
スミスは、リンのその笑みで、彼の状態が非常に危険であることを瞬時に判断した。
彼の身体を空いた部屋に出来るだけ動かさないように運び、ベッドに横向きに寝かせる。吐血は少し治まったけれど、時々えづく。
ジョンが水を汲んだ桶とタオルを持ってきた。
絞ったタオルで伝い落ちる汗を拭ってやる。
そして、また水につけ絞り、額に乗せた。
「隊長、吐き気は大丈夫ですか?答えるのは辛いでしょう、喋らないで、イエスなら手を一回、ノーなら二回、振ってください!」
「…と…」
ありがと、だいじょうぶ…
唇だけの動き。はっとスミスはその、きっちりと締められた喉に――
「喉!こんなに締めているの、おかしいと思ったんだ!」
詰襟はぐっしょりと血に濡れていた。ナイフで服を切り裂くと、包帯が幾重にも巻かれていた。
誰もが、唖然とした。
こんな傷で、いつものように??誰もわからなかった!
自分の主君なのに!
慎重にナイフの先で包帯も切る。触ると、リンは声にならない悲鳴をあげて、跳ねた。
「ジョン!」
「あいよ!」
スミスの声に、リンの身体をジョンが抑えつける。「隊長、すぐ終わりますかんね。ちょっとの我慢ですよ」
声は理解しているらしい。リンは痛みに歯を食いしばって耐えようとする、が身体はそうはいかない。何度も傷口に貼りついている包帯を剥がされる痛みに、暴れた。
それをはがすスミスの手先も流石第二連隊所属と云った所であった。そして。
剥がれた包帯の後ろに現れたのは。
「うっ…」
死体を見慣れてきた隊員さえ、その生々しい傷に、吐き気さえ覚えた。ジョンとスミスも、めまいを覚える。
血と、どろりとした膿が、綺麗な白い肌を汚していた。
ジョンはリンから離れると、もう一度外へ出ていく。帰ってきた時には水桶を二、三個器用に抱えていた。こんな時でなければリンは笑ってくれるのに!
タオルも、調達してきて、濡らして絞り、携帯用の消毒液を吹きかけて、血と膿を拭き取る。
「!!」
「隊長!大丈夫です!大丈夫だから!少し我慢して!!」
スミスの声は、悲鳴に近かった。少しって、いつまで?さっきから。否、この傷を負ったのはいつなんだろう。その時からずっと自分たちは我慢を強いているじゃないか!
 遠くで、国王一族を捕らえた、と勝ち鬨があがった。

 勝ち鬨は城下の連隊にも聞こえた。
戦はおわり、これから敗者が始末される。
風に金髪を嬲られながら、ぼんやりと血にまみれた剣を手にぶらさげて突っ立っていた。
「…おわりかぁ」
とん。
背中に、何か当たった。
風が、髪を――
ふと、自分の胸を見た。
刃先が突き出ていた。
血に塗れた。誰の?俺の?
「え」
余りにも滑稽で、笑い出したくなった。何これ。へんなの。痛くないのに。
風が髪を、さらさらと優しく梳いていた。
太陽が傾き始めた、午後。
お茶の時間。
ああ、今日はアールグレイがいいなあ。
リンちゃん、隊長、みんなで。
クッキーもあったかな?
あの中庭のお気に入りのテラスで。
大木の下の野良猫の親子を見ながら。
三匹の子猫は大きくなったかなあ。
もう、だいぶ…みて、ない、な…
ゆっくり…声が鼓膜に、染み渡った。
「裏切るから…。」
ゆっくり…首を後ろに、向けた。
「お前が、俺を、裏切るから…!」
風に流れる、黒髪。青いサファイアの瞳。
ああ、いとしいひとだ。
どうしてここにいるんですか、隊長?
ゆっくり、カルアの身体は前に倒れた。

あいたかった…。


 さめないで、さめないで。
 みんなで過ごしたあの頃が、
 ささやいて、ささやいて、
 魔法をかけてよ。
 それが馬鹿な夢の戯言でもいいから。
 これは夢?ううん、罰。
 相応しい罰が…
 さめない、ゆめが、いま、さめるんだ――

TO BE CONTINUED→拾肆…



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