クレドのにっき

クレドのにっき

群青の海・壱



 昏い海をばしゃばしゃと入った。軍服がまとわりついて、重たい。
 何処だ、何処だよ、何処なんだ!
 手に、触れた。
 あいつの軍帽――
「春――」
 でも、波が帽子だけをさらおうとしていた。
 ああ、彼は、ここに、いない。
 軍帽を引き寄せて、抱き締めた。
「春義…!」

群青の海


 明治維新が終わり、もう明治も30年を切ろうとしていた。
イシン?何それ、みたいな感じで、関東の片田舎に生まれたオレは、生家である農業を棄て、東京へとおのぼりしてきたのである。
勿論、何のためかって?
オレは、無類の本好きだったわけで。
本が読みたい!でも、田舎じゃ限られる。
金も無い、稼ぐ手段すらも無い。どころか、日々のメシすらままならない!
ええいなんて事!
でもって、両国橋の所でぼうっとしていたら、なんか身なりのいいおじさんに声をかけられたわけで。
にこにこと、人の良さそうな、おっさんは自分を田中義三と名乗った。
「本か…そうだね、私と一緒に暮らさないかい?そうしたら、好きなようにさせてあげるよ」
それって、…ああ、そっかお妾さんてやつだ、きっと。
でも、オレはそんな事頓着しない。
本が読めるなら、何でもいいっ!
後ろで括った髪をはね上げて、オレは意気揚々と名乗った。
「オレは、上原 杳(よう)!宜しく!」
 時は明治33年――上原杳、11歳、男。田中義三の妾として、東京に身を置くことなる。

 風呂に入って、女中たちに散々洗われた。髪も何かいい匂いのする石鹸でごしごし洗われる。
女中さんたちは、みんないいひとだった。
「杳ちゃん、てのかい?」
「うん。なんか、予定は女だったらしいよ。間違って男が生まれちまったらしい」
なんて云うと、みんな笑う。
 洗い終わると、身体を拭かれて、着たことも無い、絹の着物を着せられた。
白い襦袢、淡い青の振り袖。帯は前で大きく止められる。
 さあ、これで初夜ってわけね。
うん、どきどきしてきた。
女中さんたちが、床に入る前の挨拶の仕方を教えてくれる。
三つ指ついて、「旦那様、お帰りなさいませ」。
うんうん。
それからは、色々。旦那様の云う通りにするんだよ、と云われた。

 「…っ、う」
結構、きついもんだな。
何処かでさめてはいたけど、痛いことにかわりはなかったりして。
後ろから抱きすくめられて、あぐらをかいた男の上に。
耳元で、「力を抜くんだよ、杳…ほら、まだ半分も入ってない」
自分を支える足ががくがくと揺れている。
「う、……」
息が出来ない。「深呼吸して…さあ。いれるよ」
「はっ、あ!」
いきなり、来た激痛と快感に、仰け反ると、喉をなぞられる。
「いい鳴き声だ…杳。もっと、ないてみせてくれ」
激しく揺さぶられて、意味不明にあえぐ。苦しい、息が、
「あ、あうっ、いっ、ぅあ…」
結構、旦那様はおさかんで、オレは夜明けまで鳴かされて、へっとへと。
でも、札束をどっさりくれて、
「さ、これで好きなものを買いなさい。入り用のものがあったらどんどん云いなさいよ」
「はい」
旦那様。
オレは結構お気に入りのお妾さんになったようだ。

 旦那から与えられた家から少し離れた所に、古本屋がある。
「おお、杳ちゃん。今日は何さがしてんだい?」
既に馴染みになった店のおっちゃん。
この時代、男の妾ってのも珍しくないから、別段オレも気にしてない。ただ、旦那様は時々気まぐれにオレに女装をさせて楽しんだりもするので、性別不明と思われてるかも。
「あーうん。絵芝の、時代絵巻。あれの五巻。抜けててさー」
おっちゃんはうーん、と顎に手を当ててうなった。
「絵芝のねえ…あれは貴重だしね。特に五巻は残酷で面白いって手放すひとがなかなかいないらしいよぅ」
「ああん何それー見たい見たい!入ったら、オレ予約!」
オレの集めてる本は、色々なジャンルがある。
大好きなのは、やっぱ戦争もの。
残酷絵巻、って知ってる?ひとはこんなにも、同類に対して残酷に出来るんだよ、ってのを書いたもん。あれも大好き。
知ってるから。人間の本性を。
オレだって、綺麗なわけじゃないんだ。
田舎からここに出てくるまで、何人殺したか知れないぜ?
ははっ。
おかげですっかり、えぐいもんには慣れた。
殺してる時ってのはなかなか楽しいもんだ。
でも、まあ今は何にも不自由してないので、そんなことはしないけど。
オレは、断じて殺人鬼では無いので。
でもまあ…殺しが嫌いなわけじゃない、そんなことにこないだきづいちまったから、どうしよーかなーと思ってる。
軍にでも入ろうかな?
でも、あそこは…殺人が正当化されても、毎日あるわけじゃないし。
戦争でもおこんないかぎりねえ。
なんて不謹慎なことを考えながら、ぼんやりと本棚を眺めていると、上の方にいいのを見付けた。
届かない手。
踏み台を捜そうとしたら、右から手が出てきて、その本を楽々取ってくれた。
「えっ」
青い瞳に、白髪まじりの――
「…これがとりたいのだろう?どうぞ」
このひと、オレ、しって、る。
何処か…何処かで。
青い瞳が笑った。
「私の顔に何かついているかい?」
「あっ…いえ、有り難う御座います」
焦げ茶の瞳、黒い髪を背の中程まで伸ばして、後ろで一つに括っている。その紐は上等な綾紐で、彼はそれなりの金を持っていると知れた。
否――少女のような、この容姿なら、妾なのかも知れない。
 オレは青い瞳に、白髪混じりの髪を綺麗に後ろへ撫でつけた、紳士を見ていた。
このひとも身なりがいい。
身のこなしに隙が無い。
ひとを、殺したことのある人間のこなし方だ。
それを思って、ひとり笑う。
ああ、同類じゃん。
紳士はそのオレの笑みにも怯まない。
「きみの名は?」
「――上原杳」
「いい名だ。…『きみ』に似合っているよ」
名を聞かずに、別れた。
多分、今度も逢えるだろうから。
オレはひとり、思う。
いつか、オレは剣を振るう日が来る。
本の中だけでなく。弱いものにたいしてふるう虐殺の剣でなく。
戦争と云う名の、殺し合いの為の剣を振るう日が。
あのひとのもとで。
確信と云う名の、予感。

 朝になって、死体が浜辺に並ぶ。
 これも違う。
 これも違う、
 これも、これも、これも、これも、これも…
 春義、お前何処へ行った?
 春義、生きてるよな?
 死んだりしないよな?
 屍の破片、
 見慣れた腕の傷跡――
 「…嘘だろ…」
 春義、お前、
 戦艦の…爆発に?
 嘘だ。
「こんなのは、嘘だ。 嘘だああッ!! 」
 嘘だ。春義は生きている。
 生きて…
 肩からもぎ取られた腕。
 春義、お前、生きてるよな…。
応えてくれ!
誰か、応えて……。

→弐



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