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虹色のパレット
9.決め付け教育
9.決め付け教育
そういう迷いの中で、私に決定的に「私にはもう先生を続けていけない。」と思わせたのは、『評価』の問題だった。
例えば、Yさんのこと。
何時も5点か10点の算数のテストが、頑張って15点、20点が取れるようになった。
「Yさん、最近頑張ってるのね。この調子でやってね。」
なんて励ましの言葉をかけると、嬉しそうな顔をして、
「あたし、自分はバカだと思っていてけど、やれば出来るんだなって少し分かったから、もっとやってみる。」
なんて言って、一生懸命に彼女なりに頑張り始める。Yさんにとって、5点が10点に、10点が20点になったことはすごいことなのだ。自信を回復しても少しも可笑しくないほどの進歩なのだ。
ところが、成績表には、今の評価制度のもとでは、Yさんには相変わらず「1」しか付けられない。「1」を付ける子は、最低限にするのだが、「1」を付けない訳にはいかない。学期末になり成績を付ける頃になると、教頭や教務主任の先生の方から、
「先生方、相対評価の基準は守ってくださいね。自分だけいい先生になろうとして、「1」や「2」を付けないというようなことはしないで下さい。前の先生の評価との兼ね合い、他の子供との比較、そういうこともきちんと考えて、公正な評価をお願いします。甘い成績を付ける事は、子供のためになりません。」
と指導がなされる。
そういう事が言われるという事は、多くの先生方もこの評価の制度のもとで苦しんでいらっしゃるんだなということが分かる。
甘い点を付けるとか、子どもの人気を取ろうとかそんなことではない。せっかく自信を持ち始めたYさんに、今までの評価がそうだったからと言って、他の子と比べてまだまだ大した事はないからと「1」を付けなければならないならば、『評価』って何のためにあるのかなと考えてしまう。
しかし、どんなに考えても悩んでも、私が日本の公立小学校の教師である限りYさんには「1」しか付けられないのだ。
成績表を渡す時、Yさんと、
「Yさんが頑張ったっていう事、先生もあなたも知ってるけど、他の子の事もあって、成績表には「1」しかあげられなかったの・・・。でも、先生とYさんは、あなたが頑張ったって言う事知ってるんだから、がっかりしないでね。」
「先生、分かってる。」
「力落さないで、また頑張れる?大丈夫?」
「先生、あたし、大丈夫。」
こんな会話を交わさなければならないなんて、そして、そんな会話が交わされたとしても、この子にしたら全力を尽くして頑張ったのに、そして、はっきり目に見える進歩があったというのに「1」しか付けられない先生と、「1」しか貰えない子供にとって、公正なる評価とは一体何なんだろう。
今まで、E君は、どの教科でも「3」より低い評価を貰ったことが無かった。でも、四年生の二学期、体育で「2」を付けなければならなくなった。どんなに「1」と「2」を最低限に抑えても、E君に2を付けなければならなくなった。私が、どんなに「ごめんね。」という思いを込めた「2」でも、成績表に現れる「2」は、子供や親や教師の心を引き裂く冷たい顔をした「2」なのだ。
成績表を渡したその日の放課後、E君のお母さんが私を訪ねて学校にいらした。
「先生、うちの子、今まで『2』をもらった事無いんですよ。元気で、風も引かないで、学校から帰ったら暗くなるまで友達と遊び回っているのに、体育が『2』なんて、どう言う事でしょうか。」
やっぱり、みんな傷つくんだな、と内心心を痛めながら、
「そんなんですよね。本当にE君、元気でよく遊んでいるんですけど・・・。今学期の体育の教材は縄跳びだったんですよね。E君、二重飛びとかあや飛びとか出来なかったんですよ。私も誰にも『1』や『2』は付けたくないんですけど、相対評価でしょう、誰かに2を付けなければならないんですよね。そういうことになれば、やはり、その学期の教材が出来るか出来ないかで決めていくより他無いんです。E君に今まで『2』が無かったからって『3』を付けたら、縄跳びが出来る子に『2』を付けなければならないことになるんです・・・・。そしたら、その子のお母さんが納得出来ないって私の所にいらっしゃるでしょうね。」
「そうなんですか。先生も大変なんですね。親馬鹿ってこのことなんでしょうね。自分のこの事ばかり考えて・・・。」
「そんなこと無いですよ。親なら誰でもそう思うんじゃないですか。それより、お母さんが、納得出来ないという思いをおっしゃって下さって、こうしてお話しが出来て、私も良かったと思っているんです。この事で一番傷つくのは、E君本人ですけど、お母さんからこの『2』の意味はこういう事だって説明してあげて下さいね。」
「良く分かりました。そういう事情があるとも知らず、勝手なことを言いまして、でも、でも先生にご説明して頂いてよく分かりました。お忙しいところを失礼い致しました。」
そう説明してからも、わたしは何となくしっくりした気持ちになれなかった。それで、他の先生方はどのようにお考えなのか、主任の先生に伺いに行った。私とE君のお母さんの間で交わされた会話を手短に説明すると、
「それでいいんです。先生のおっしゃったことは正しいんです。先生には子どもを評価する権利があるんですから、それに対して誰もなんにも言えないんです。先生の評価に文句をいうなんてもってのほかです。カズ姫先生、自分の評価に自信を持っていいんですよ。」
と、私の迷いを振り切るように、きっぱりとおっしゃった。
このとき、経験ある主任の先生のご指導で、ある部分では確かに迷いは振り切れた。しかし、「それでいいのかなー。」「先生には子どもを評価する権利があるのかなー。」もっと深いところで、疑問は不安になり、私を教育界から締め出していった。
子どもを帰し、上級生のお掃除も終わって、私は、その日、子どもが描いた図画を採点点するために、それらの絵を机の上に並べた。
一年生は三段階評価で、絵にはA・B・Cの採点をして、学期末にそれをもとにして成績を付けるのだが、いろいろな絵があって、それぞれの子が描いていた様子が思い出され、思わず微笑んでしまう。どれが良い絵だとか、旨い絵だとかそう言うことを抜きで、そこには子どもの生き生きとした表現があった。
ああ、これ、ひとしくんのえだな。
「これがね、ぼくのお母さんでね、こっちがぼく。お母さんが傘を持って来てくれてぼくは嬉かったから、ぼくは、赤でぬろうっと。雨は冷たくて寒いから、黒にしよう。」
なんて独り言を言いながら描いていた絵だ。
確かに、その絵は、一年生にしてはひどく幼稚な絵かもしれない。丸を描いてそこから手足が出ている、言ってみれば三歳児くらいの知能の絵だ。誰でも、何の迷いも無く「C」をつけていい絵だと思うだろう。しかし、私には、その幼稚な絵にひとし君の楽しそうな独り言が重なって、ひとしくんの楽しさが伝わってきてしまう。
「採点て全く嫌だな、いいやこれは後回しにしよう。」と思いながら次の絵に行く。結局、どの絵もそれぞれの子の描いている姿と重なって、採点はどんどん後回しになってしまう。一応、全部に目を通してから、
「どうしよう、こんな小さなこの絵でも評価しないといけないのかなぁ。」
と思いながら窓辺に行って青い空を眺めた。
「みんなAをあげたいな。」と思っていると、「ぼくの授業は、皆さんがAを取る授業です。」とおっしゃった今は亡き大学の恩師松村康平先生のお言葉が思い出された。
あの時は、みんなにAを付けるなんて変な事おっしゃる先生だと思ったけれど、考えてみればそれによって私はどんなに救われていたことか。CやDを付けてその子が良くなると言うならいいけど、その事に因って、この子はCだ、D だと決め付けられるだけだとしたら、評価がなんになると言うのか。
「今、ここにいる学生は、それぞれみんなAなんだ。比べる事の出来ない、掛け替えの無いひとりなのだ。」
そこから出発されていた、松村先生のお考えが始めてよく理解できた。
「本当に、みんなにAを上げたい。私が、上げるんじゃなくって、始めっからみんなAなのだ。」
でも、その時の私にはそれは出来なかった。私にとってはとても厳しい状況だった。私はとにかく、相対評価の基準に従って、評価しなければならない。例えばその都度、Cは最低5人は付けておかないと、後で成績を付けるときにまた悩まなければならない。後回しにしても、結局私が日本の公立校の先生ならば、私が評価し,子どもを決め付けている張本人なのだ。
停滞的な、事無かれ主義的な職員室の空気も、まだ、社会人としての人間的な幅が出来てはいなかったでのあろう私には苦しかったけれど、教室に行くと、発展的な今があり、私は救われる事が多かった。そういう、お互いに、「教え、教えられ。育て、育てられ。」している子どもを私が一方的に、「1」とか「2」とか「5」とかと決め付ける事なんてとても出来ない。
「そんな事言ったって、評価が無ければ子どもは自分がどの位勉強したのか分からないでしょ。励みにならないでしょ。」
と言うのが常識だ。
私は、評価がいけないと言っているのではない。もし、評価が必要なら、子供が伸びるような方法を研究した方が良いと言っているのに・・・。落ちこぼれを作り出すような評価は、教育の場での評価とは言えないから、もっと考えた方がいいと言っているのに・・・。
私が、どんなに騒いでも、悩んでも、自信をなくしても、苦しんでも、それは、制度の中で、私の責任としてやらなければならないことなのだ。そういう制度に従えない私が「先生失格」なのだ!!
何故なら、ずーっと長いこと、皆がそうやって来たからだ!でも、私は、やっぱり嫌だ。決め付け教育は出来ない。そもそもそれは教育ではない。評価というには余りにもお粗末な、思いやりの無い、心の通わない画一的な決め付け。私には出来ない。
学業の点数と言う人間にとってほんの一面を取って、勉強が出来ないからと、それをまるで、全人格のように決め付ける。社会に根強よく流れるこの風潮。弱いもの、異質なものを痛めつけ、白眼視し、無視する村八分の陰湿な伝統。これこそいじめの本質。
当時の私は、それを直感的に感じていたのだろう。何は我慢できても、これだけは出来ないと強く思った。いじめに加担する事も、いじめられる事もご免だ!!朱に交わって赤くなるのもご免だ。長いものに巻かれるのもご免だ。
「先生失格」。こうして、私は、日本の教育界を去った。でも、教育者であることを辞めたわけではない。
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