なせばなる、かも。

なせばなる、かも。

Halloween・Cat 2 後編


 一方サムは、ロイドの勤務する会社内に留まって、今朝からのロイドの行動範囲を調べ上げていた。マリアに聞いた話によると、ロイドは今朝もいつもどおり自分の車で出社したという。実際ロイドの車は駐車場に残ったままだった。
 サムが調べ物をしているそばから、彼らの部署には上司からすぐにロイドを会議室に連れてくるよう連絡があった。トニーは焦り、ロイドの立ち寄りそうな場所は片っ端から連絡をつけたが、ロイドの行方はわからなかった。隣ではサラが警察に連絡を取っていた。しかし事件性がないという理由で、警察が動く事はなかった。
 どういうことだ。サムはじっと考え込んでいた。もし、社外に出ていないのであれば、どこかに監禁されているのかもしれない。サムは大きな賭けに出ることにした。

残業組が帰り始めた頃、トニーは取引先から荷物を預かったと言って、警備員室の前を通り過ぎた。もちろんダンボールの中にはサムが隠れていた。
 サムは、すぐさま作業着を着込んで、作業員のフリをして順番に道具入れや配電室など、人気のなさそうな場所を調べ始めた。

 しばらく作業を進めていると突然キールがサムの前に現れた。

「お前は何者だ!」
「サム・エンジニアリングの者です。今日は点検日でして、お邪魔しております」

 サムの愛想のいい笑顔に、キールはちょっと口ごもった。サムは素知らぬふりで作業を続けていたが、キールがどうしても一箇所の道具箱だけは開けさせようとしなかった。

「すみません。全部見ないと上司に叱られるんですよ」
「いいよ、ここは。俺が変りに見ておくから、次の部署の方に行ってくれ」
「後で仕事していなかったなんて、言わないでくださいよ」

 サムは情けなさそうな顔でキールに言うと、そそくさと次の部署に移動していった。しばらく経って、サムがその場を通り過ぎると、まだキールが座り込んでいた。サムは軽く会釈をするとそのまま通り過ぎて行った。
キールはなかなかしぶとかった。大型の道具箱の上に寝転がってこのまま夜を明かそうというつもりらしい。サムは持久戦になることを覚悟して、大型の缶コーヒーを買うと、キールの元に向かった。

「あ、やっぱりまだがんばってるんですね。お仕事大変ですねぇ。これ、よかったらどうぞ。いや、僕もね。こんな遅い時間に仕事するのは初めてで、なんだか怖いもんですね。誰も居ない会社ってものは。あはは。じゃあ、また」

 サムはそういいながらキールに大型の缶コーヒーを手渡し、その場を去った。そして、そこから一番近いトイレがある方向の反対側に身を潜めた。
 すっかり夜が更けていた。ガラス張りの壁の向こうに研ぎ澄まされたような三日月が輝いていた。サムはそっと内ポケットのパソコンを覗いた。グレンからのメールは夕方以来届いてはいなかった。

 しばらくすると、キールが動き出した。あれだけ大量のコーヒーを飲んだのだ。トイレにも行きたくなるだろう。 サムはその隙をついて道具箱に向かった。

「ありがとよ。分かりやすくて助かったぜ」

 案の定、ロイドは手足を縛られ、口には粘着テープが巻かれた状態で発見されたが、命に別状はなかった。
 サムは、ふと思い出したようにケータイを取り出すと、時折情報を送ったりしている警官のパトリックにメールを入れた。

「ロイド、悪いがもうすぐ警官のパトリックがやってくる、それまで待ってくれないか?刑事事件になれば、この会社の幹部連中もキールたちを放ってはおけないだろ?」

 ロイドはちょっと肩を落とすフリをして、頷いた。サムはそのままそっと道具入れの扉を閉めた。

次の朝早く、パトリックはめでたくロイドを救出することに成功した。サラのアイデアで、トニーたちはその状態のままのロイドを会議室に運び込んで、事件の詳細を説明することにした。
 一時は騒然となった会議室も、事の次第が分かると、みな首を横に振って考え込んでしまったようだ。

「サム、ありがとう! 貴方のお陰でやっとキールたちの悪巧みが明るみに出たわ」

 サラは嬉しさのあまり上ずった声で受話器に叫んでいた。しかしサムはもう車の中にいた。

「そりゃあよかった。とりあえず、役に立てて嬉しいよ。」
「今日はこれから祝賀会をするの。是非サムにも来ていただきたいわ」
「悪いね。こっちはもう次の約束が入っちゃってるんだ。また今度ね」

 サムは軽い口調でそういうと、電話を切ってハンドルを握った。すぐにでもアイスマン家のある街にかけつけたかった。

グレンからの連絡は、途絶えたままだったのだ。



焦るサムの元に電話がなった。サムは大急ぎでケータイを取り出したが、かけた相手はグレンではなかった。

「サム、大変だ!」
「なんだ、エリックか。どうした?」
「お前さんが連れてきたリサって子がいなくなったんだ!」
「リサが…? 分かった。心当たりを探すよ」

 サムはそのまま電話を切って、車を走らせた。ふっと助手席の上着の下にグレンがいるような気がした。

「おい、どこにいるんだよ。早く連絡をしてくれよ」

 サムの独り言に、グレンが答える事はなかったが、サムには何かが聞こえた気がした。
-急がば回れだよ。-

「そっか。日本じゃそんなことわざがあったよな。それじゃあ、思い切って一軒回ってからにするか」

 サムはアイスマン家を通り過ぎて、以前訪れた事のあるコーヒー専門店にやってきた。
 サムが席に着く前に、喫茶コーナーには初老の男性がのんびりとコーヒーを楽しんでいた。店主も知り合いらしく、親しげに談笑しているところだった。

「それにしても驚いたね。隣は何か急用が出来たんだと思っていたんだが、戻ってきたと思ったら見知らぬ連中だったしね。おまけにどうもこの町にはそぐわん連中だったんだよ」
「しかしお手柄でしたねぇ。まさか屋敷ごと乗っ取ろうなんてこと考えていたなんて信じられませんなぁ」
「まったくだ。隣人とは親しくしておくもんだね。私も、もし隣との交流がなかったなら、不信感も抱いていなかったかもしれん。」

 初老の男性はしみじみと語っていた。店主は何度も頷きながら、サムに注文をとりにやってきた。

「何かあったんですか?」
「いやぁね。こちらのご主人のお隣が、悪い奴らに屋敷ごと乗っ取られそうになったらしいんですよ。ところが、こちらのご主人、一昨日は一緒にパーティーをするはずだったらしくてね。帰ってこない隣人を心配しているところに、見知らぬ連中が何食わぬ顔で住み始めたもんだから、すぐさま機転を利かせて警察に連絡されたんです。
お陰で犯人はすぐに検挙できたし、街の治安も守られた。たいしたもんですよ。」
「それはすばらしい。よく気がつかれましたねぇ」

 サムは話に乗りながらも気が気ではなかった。屋敷ごと乗っ取るだなんて、アイスマン家にも充分に起こり得る話だったのだ。
 サムに褒めらてすっかり気をよくした初老の男性は、高級なコーヒー豆をたっぷり買い込んで帰って行った。サムはその後姿を見送りながら、店主に尋ねた。

「この前こちらに来ていたアンという子はまだがんばっているんですか?」
「ああ、アイスマン家に働きに来ている子ですか? それがねぇ、ちょっと元気がないようなんです。お嬢さんの世話係という話だったらしいが、お嬢さんがまだ家には帰っていないらしい。まったくどうなっているんでしょうねぇ。あ、それに、買いに来る豆もすっかり変ってしまったんですよ。何があったんでしょう。さっきの話じゃないが、乗っ取られそうになってるなんてことじゃないといいんですけどね。アイスマン氏はあまりご近所と交流されていない様子でしたから」

 店主は哀れむように首を振って厨房に戻りかけて振り向いた。

「ところで、この前連れてきていた猫君はどうしたんです?」
「それが、いつの間にかいなくなってしまったんです」

 サムは苦し紛れにそうつぶやいた。それが店主には痛々しい姿に見えたらしい。厨房に行って、なにやらごそごそと探していたかと思うと、サムにそっと握りこぶしを差し出した。

「これを。これは幸運のコーヒー豆なんです。なかなか手に入らないが、ちょっと前に2つも袋に入っていたんでね。大事に取っておいたんですよ。どうしても叶えたい願いがあるとき、これを握り締めて強く願うと叶うんだそうですよ」

 サムは店主から小さな豆を受け取って驚いた。真っ白な豆だったのだ。そして、店主に礼を言うと、今度こそアイスマン家に向かって車を走らせた。


 アイスマン家のすぐ横まで来ると、サムは路肩に車を止め、ケータイで先ほどのパトリックを呼び出した。

「まだ、はっきりとしたことは分からないんだが、もしかしたらアイスマン家に事件が起こっているかもしれないんだ。アイスマン氏は先日からどうやら行方不明らしい。しかしそれを執事たちが隠している素振りなんだ。これから内偵調査に入るが、なにか見つかり次第連絡する。援護を頼みたい。」

パトリックから快諾されたサムは、先ほどのコーヒー店の店主にもらった豆を握り締めた。そして再びハンドルをにぎろうとすると、門のすぐそばに座り込んでいる少女を見つけた。

「リサ!どうしたんだい?」

 サムはすぐさま車を止め、逃げ出そうとするリサを捕まえた。

「ほっといてよ!」
「ほっとけないよ。 まだ退院許可は出ていないだろう? 足は大丈夫なのかい?」
「なによ!昨日は夕方にはお見舞いに来るって言ってたのに。」
「ごめん。悪かったよ。だけど、、今ちょっと大変な事がわかったんだ。とりあえず、車に乗って。ここじゃ、人目につきすぎる。」

 サムは半ば強引にリサを車に乗せ、アイスマン家の前を通り過ぎると、近くの公園の脇に車を止めて、グレンからのメールのことを話した。

「やっぱりお父さん。。。」

 リサは唇をかみ締めて黙り込んだ。しかしサムにはじっとそれを待っているだけの気持ちの余裕はなかった。

「リサ、悪いが僕はこれからアイスマン家に乗り出そうかと思うんだ。君さえよかったら、協力してほしい。どこか抜け道はないだろうか」
「わかった。教えてあげる。でも、おじさん通れるかしら」

 リサが案内してくれたのは、アイスマン家の裏手、納屋の真裏にあたる塀の足元にある小さな穴だった。ポプラやその脇にある庭木に隠れて、屋敷からは死角になっているようだった。リサは周りに人の気配がないのを確認すると、しゃがみこんでするりと通り抜けた。そして後に続いて寝そべって穴を抜けようとしているサムの手をひっぱった。

 アイスマン家には一度入っているサムだったが、裏庭に来るのは初めてで、まずは納屋の裏から偵察を始めた。熱心に周りを調べるサムをヒマそうに見ていたリサが、何かに躓いた。

「あ、これノートパソコン。。」
「それは!グレンのものじゃないか! そうか、あいつはここにパソコンを隠しておいて内偵をしていたんだな。」
「じゃあ、あのコはホントに探偵さんだったの?」

 リサは驚いた様子でパソコンを眺めた。しかしここにパソコンが置いたままになっているということは、グレンはこの屋敷から出ていないということになる。サムの胸中に最悪のシナリオが浮かんでは消えた。

「そうだ!焼却炉を調べなくては。」

 サムはリサをその場に留まらせて、辺りに人がいないのを確認すると、そっと焼却炉のフタを開けてみた。耐えられないほどのいやな臭いにサムは急いでフタを閉めると、足元の溶けたカフスボタンを持って、再びリサの元に戻った。

「リサ。君のお父さんは、本当は、きっと君が入院したと聞いていたら、一番に飛んでいって、君の安否を確かめたかっただろうと思うよ…」
「どうしたのよ、急に。実際には来なかったじゃない」

 ふてくされた顔のリサを、サムは容赦なくぎゅっとその胸に抱き寄せてそっと頭をなでてやった。

「出来なかったんだよ。今、君のお父さんはあの焼却炉の中にいる。でも、見ないほうがいいだろう。僕は警察を呼ぶよ。」

 そう言って溶けたカフスボタンを手渡し、ケータイを取り出した。
 リサは受け取ったカフスボタンに見覚えがあったのか、はっと息を飲み込んで、大事そうにそれを握り締めたまま、泣き崩れていった。
 サムはリサの気持ちが落ち着くまでじっとそばにいることにした。手には白いコーヒー豆を握り締め、心の中で叫び続けた。

「タディ!出てきてくれ! グレンがピンチなんだ!」

 数分後、何台かのパトカーがアイスマン家を取り囲んだ。パトリックの上司、ディレクが、ブラウン氏の抗議を受けながらも一斉に捜査した。騒動に気づいたアンは、おろおろと玄関ホールにやってきたが、裏庭にリサがいることに気づき、転げそうになりながら駆け寄ってきた。

「リサお嬢さん!! お帰りなさいませ。」

 アンは嬉しさのあまり大泣きしていた。リサは良家の子女らしく姿勢を正し、気丈に振舞っていた。先ほどまで泣き崩れていたのがウソのようだった。

「それにしても、いったいこれはどういう騒ぎなんでしょうか」

 戸惑うアンにサムが声をかけた。

「大丈夫だよ。ブラウン氏はどうやら裏の世界の人間だったらしい。本当のことはこれから分かってくるだろうけど、アイスマン家が危機に瀕していたことだけは確かだ。
 だけど、今は大丈夫。リサさんが戻ってきてくれたからね。すべてが落ち着いたらメアリーやジョンソンと連絡を取り合うといい。」
「メアリーたちは、私を許してくれるのかしら。」

 リサは不安げにつぶやいた。

「大丈夫だよ。メアリーは君の事をとても心配していたんだ。素直に謝れば、すぐに元の関係に戻れるさ。」

 話している矢先に、パトリックが焼却炉にやってきた。

「うわっ! 担架を持ってきてくれ! それから鑑識も呼んで!」

 どうやらアイスマン氏の遺体が見つけらたようだ。

「パトリック、ブラウン氏の部屋の地下室は確認できたか?」
「ああ、ものすごいことになっていたよ。地下室なんてものじゃない。会社が1つ丸々入ったような状態だったよ。パソコン、空気調整完備。ブラウン氏は企業乗っ取りのプロだな。」
「で、ネコは見なかったかい」
「ネコ? 見ないねぇ」

 サムはじっとしていられなくなって、屋敷の中に駆け込んでいった。

「グレン、無事でいてくれよ」

 ブラウン氏の部屋に入ろうとするサムをパトリックの同僚が制止した。
「ここはまだ立ち入り禁止です!」
「通してくれ!僕の相棒が捕まってるんだ。きっとこの中に監禁されているはずなんだよ!」
「監禁?!」

 警察官たちは色めき立った。その現場を指揮している警官が、何人かを引き連れて地下室になだれ込んでいったが、サムはその場から進む事を許されなかった。


「グレンー!」

 地下室にサムの悲痛な声が響いたが、警官たちは逮捕者以外には人も動物も、見つけることはできなかった。

 裏庭ではアイスマン氏の遺体が発見されていた。泣き崩れるリサを慰めながら、アンはメアリーに助けを求めるべく連絡をとった。指示を仰ぐべきブラウン氏は早々に逮捕されてしまったし、頼りのチャーリーまでも、遺体遺棄で逮捕されてしまった。

 警察が去っていった後にぽつんと残されたサムは、それでもまだ納得ができないでいた。閉じてしまったエレベーター式の床をじっと睨みつけていたが、おもむろに立ち上がり、まだ立ち入り禁止のテープの張られたままのエリアにそっと忍び込んでボタンを押した。

消音効果があるのか、静かに床が下がり、ほどよい高さで静止した。サムは地下のエレベータールームのドアを開け、その地下室へと歩き出した。愕然とするほどに、地下内の設備は整っていた。

「ここでいったい何人の人間が活動していたのだろう。パトリックの話では、警察が踏み込んだ時点でも8人は働いていたというが。」

 サムは最新の設備におののきながらも奥へと進んでいった。PCルーム、会議室、それぞれの個室らしき部屋。
 しかし、グレンの痕跡はどこにも見当たらなかった。

とうとうサムは地下室の一番奥にたどり着いた。そこは、さっきまでのきれいな事務所とは違い、コンクリートがむき出しになった一角で、掃除道具のようなものが無造作に置かれていた。
 その一番隅に、見たことのあるグレンの毛が綿毛のようにふんわりとまとまって留まっていた。

「グレン!」

 サムは体中から力が抜けていくのがわかった。こんな風に毛をむしられてしまうということは、普通の状態ではないだろうと推測したのだろう。
 サムの頭の中を、グレンと一緒に探偵業に励んだ日々が浮かんでは消える。安っぽいドラマみたいだっと、サムは自嘲した。

 しばらくそこにうずくまるようにしていたサムは、重い体を起こして地上のブラウン氏の部屋に戻ってきた。
 裏庭では、メアリーがやってきたところだった。メアリーはサムを見つけると駆け寄ってきた。

「サムさん。アイスマン氏のこと、残念でした。でも、リサお嬢さんがもう一度雇ってくれるというので、がんばってみようと思います」

 サムは、そんな興奮したメアリーの気持ちにこたえることなどできなかった。まともに返事もせず、裏庭へと進んだ。そして、グレンのノートパソコンを手にとると、枯れ草を払ってやった。

「サムさん? どうなさったのですか」
「グレンが、グレンがいなくなったんですよ。地下に綿毛になったグレンの毛が…」
「しっかりしてよ、サムさん!あの子が、あんなしっかりした子が、そんなに簡単にやられたりしないわ」

 大きな肩を落としているサムに、リサが声をかけた。

「ありがとう。とりあえず、自宅に帰ってみるよ。ここにいても、今の僕では何の役にもたちそうもない」

 サムはうつろな瞳でそういうと、とぼとぼと車に戻っていった。

 一夜明けて、警察からは、ショーンやロゼッタもブラウン氏の傘下にいたことを突き止め、逮捕したとの連絡があった。ブラウン氏は企業乗っ取りをしながら、巨大な裏組織の資金調達係として一目置かれる存在になっていたようだ。
 パトリックは興奮冷めやらぬ様子で、電話をかけてきた。このまま捜査が進めば、経済界や政界にまで影響の及ぶ出来事になりそうな予感だったのだ。
 しかしサムには、そんなことはどうでもいいことだった。どんなに大きな事件を解決する事ができたとしても、グレンが帰ってこないことには代わりがなかったのだから。
第5章


 クレアもまた、肩を落としていた。そっと斜め向かいの窓辺にすわるネコを眺めては、寂しげな眼差しで微笑みかけていたのだ。
 ケートは、そんなクレアの眼差しがたまらなかった。初めこそ、気高く知らぬ振りを続けていたが、この不思議な境遇になった同じ立場の人間が、忽然と消えうせるのは気持ちのいいものではなかったのだ。

 翌日、ケートは公園に出かけた。老ネコチェックから、グレンの情報を仕入れるつもりなのだ。お昼前まで粘ると、のろのろとチェックがやってくるのが見えた。

「ねぇ、あなたグレンの知り合いでしょ?」
「ああ、あんたかい。グレンなら、最近みないけど、どうかしたのか」
「どうやらグレンは行方不明になったらしいのよ。で、貴方なら、心当たりがあるんじゃないかと。。」

 チェックはふぅっと興味なさそうにため息をついて見せたが、ケートのまっすぐな瞳に睨まれたら知らん振りをきめるこむこともできなかった。

「あいつは風来坊だからなぁ。長い事公園に出てこないこともあるさ。でも、もし何処かに行くとしたら。。。そうだなぁ。アンのところにネコスナックでももらいに行ったんじゃないか?わしも行きたいが、こんな老体じゃあ、あそこまで行くのは辛い。」
「どこなの?」
「ええっと、たしかコーヒー店のキューンとかって言うアメリカンショートヘアの家の近くらしい。アイスマンとか言う屋敷で働いてるって言ってたなぁ」
「ありがと」

 ケートは、すぐさまアイスマン家に向かった。アメリカンショートヘアのキューンなら、コンテストで同席したことがあったので、知っていたのだ。
ネコにとっては近い距離ではなかったが、ケートにも、今のグレンが決して普通の状態ではないと分かっていたのだ。

店の近くまで行けば、どこかに地図もあるはず。。ケートは先を急いだ。

 コーヒー専門店の近くまで来ると、ケートは見たことのある女性を見つけた。アンだった。そのままさりげなくアンの後をつけ、ケートはまんまとアイスマン家を見つけ出した。
 隙だらけのアンは、ちょうどいい道案内になった。ケートはそのまま屋敷に侵入し、家の周りを捜索した。

 ブラウン氏やチャーリーが居ないアイスマン家には、何も怖いものなどいなかった。庭の噴水で喉を潤すと、ケートは石畳の玄関から堂々と屋敷内に入り込んだ。そっと耳を澄ましていると、コンコンと何かを規則的に叩く音が聞こえてきた。

 グレンかもしれない。

 ケートは本能的にそう思うと、すぐさま音のする方に走っていった。半開きのドアには黄色いテープが張られて、人間が自由に入れないことを示している。しかし、その部屋ではなさそうだ。ケートはその隣の部屋のドアに飛びついてドアをあけた。そのまま部屋に入ってみると、乱雑な書類の束が大きな机の上に積み上げられてあった。
 机の上には初老の男性と若い女性の写真が飾られていた。

「サイテー!趣味が悪いわね」

 ケートはつぶやいた。男性はアイスマンに間違いなかった。テレビのニュースで顔写真が出されていたので、ケートにもすぐわかった。そして、その机の向こうにあるソファの下からかすかな物音がしていたのだ。

 ケートは周りを見回し、机の上にあがって先ほど見つけた写真立てを後ろ足で蹴り落としてみた。すると先ほどのコンコンという音がドドドっと激しい音に変った。

「グレン!そこにいるのね」

 ケートが呼びかけても、返事がない。ケートは迷った挙句、アイスマンの部屋を飛び出して、アンの姿を探した。
 アンはお茶の支度をして、リサの部屋に届けるところできれいなシャムネコが廊下を横切るのを目撃した。


「あ、ネコが!」

 アンはすぐさまカートを廊下の隅に置き、ネコが駆け抜けていく後を追いかけていった。ケートはそんなアンの姿を確認しながら、グレンの方へと誘導していった。

「これ!どこに行くの? そこは旦那様のお部屋なのに…!」

 それでもアンは、ネコを見逃す事もできず、アイスマンの部屋に入った。そして、ドドドっという物音に遭遇した。アンは驚きのあまりネコを追いかけていた事も忘れて駆け寄った。
フローリングの下から、何者かが床を叩いてその存在を知らしめようとしているのが分かった。

「どうしましょう」

 アンはおろおろしていたが、リサに報告に行く事を思いつき、転がるようにしてリサの部屋に向かった。その様子を机の下から見つめていたケートはアンが出て行くのを見届けると、そっと机から抜けだし辺りを探り出した。

フローリングにはわずかだが切れ目が入っているのが分かる。これはそこだけはずして、床下収納やワイン倉庫のような空間へと繋がれる仕組みなのかもしれない。ケートがそこまで調べたとき、2人の足音が聞こえてきた。

「お嬢さん、こちらです」
「パパの書斎?…」

 一人は部屋に入ることを躊躇しているようだった。

「床下に何か倉庫でもあるのでしょうか。それとも、先日のブラウンさんのお部屋のように地下室でもあるのでしょうか。。」
「分からないわ。でも、入ってみるしかなさそうね」

 つかつかとまっすぐに入ってきた足音を、ケートは再び机の下で確認した。床下からの物音はさっきより弱くなっていたが、それでもとんとんとなり続けている。

―このまま見つかってくれればいいんだけど-

 ケートは心の中でそう願っていた。しかし、さっきの呼びかけに返事がなかったことや、物音の大きさから考えて、グレンでない可能性も否定できなかった。

―人間かもしれない―

「あら?この切れ目は何かしら。」

 リサがフローリングの切れ目に気づいたようだった。

「サムさんを呼びましょう。私たちだけじゃ、手の施しようがないわ」

 リサはすぐさまケータイでサムを呼び出した。ケートはそのまま息を殺して様子を伺っていた。


 しばらくすると、サムがどかどかとやってきた。

「リサ、どうしたんだい?」
「床下から物音がするのよ。でも、どうしたらいいのか分からなくて…」
「床下から?!」

 サムが興奮したのは、机の下にいるケートにも分かった。サムはしゃがみこんでコンコンと小さな音を立てている床に耳を当てた。そして、そのまま回りの切れ込みを確かめて、ブラウン氏の部屋の要領でボタンを探し始めた。



「ここだっ!」

 サムは飾りだなの裏手にある小さなボタンを見つけると、そっとボタンを押してみた。しかし何一つ変化がなかった。

「おかしいなぁ。。。ここの電源はどうなっているんだい?」
「このエリアは事件のあと、警察の方が電源を落としていかれたようです。別に他にここを使う人もいないので、そのままになっていたんです。あの、今電源を入れてきます」

 アンはバタバタと廊下を駆けていった。そして、遠くから入れましたっと叫ぶ声が聞こえてきた。
 サムは再びボタンを押してみた。すると、目の前にあった床がすーっとスライドし、床から一段下がったところに、小さく丸まった裸の男がいた。

「きゃあっ!」

 リサは慌てて目を背けた。そこに戻ってきたアンが、心配してリサに駆け寄った。サムは驚きのあまり声も出なかった。
 男は相当に苦しかったらしく、床が開いたというのに立ち上がることもままならなかった。

「なにか…なにか着る物を…」

 その声を聞いてサムは余計に驚いた。

「タディ!! タディじゃないか!!」

 サムは自分のジャケットを脱ぐのももどかしくすぐさま男に掛けてやった。そして、抱えるように男を救い出すと、すぐさま救急車を要請した。



 ずきずきとうずくように頭が痛む。俺はいったいどうなってしまったんだ。朦朧とする意識の中にいても、そばに人の気配がしているのがわかった。

「ここは…?」
「タディ!気がついたのか!」

 ぼんやりと目を開けると、やたらまぶしい。ゆっくりと焦点があってくると、サムとマージーがそばに座っているのがわかった。どうやらまっしろな部屋のベッドで寝かされているようだ。まぶしかったのは、この部屋の白さのせいか。

それにしても、こんな風に背中を伸ばして眠るのは久しぶりのような気がした。サムに声を掛けようとパソコンを探しながら、ふと、サムがタディと俺を呼んだことに気がついた。
 そうか、俺は人間に戻ったんだ。視線を下げると人間の鼻が見える。手も足も人間のものだ、あの肉球の感触はどの指にも感じることはなかった。

「サム。俺はどうなってしまったんだ?」
「タディ…無事でよかったよ。どうしてあんなところに閉じ込められていたんだ?」
「あんなところ? すまん。今は何も思い出せないんだ」

 さっきからの頭痛も手伝って、深い深いため息がでた。俺は人間に戻れたのだ。うれしいはずなのに、なぜか寂しく切なさすら感じられた。

「タディ。すまん。。。 僕は、どうしても謝らなくちゃならないことがあるんだ。…グレンのことだ」
「グレ・ン…?」

 どうしたものか。俺はサムになんと言ってやればいいのだろう。どんなに考えても言葉がみつからなかった。しかしサムは、まったく別のことを考えていたようだった。

「タディ、思い出したのか? やっぱりグレンは、グレンはもう…」

 サムはグレンの綿毛が落ちていたことやそれ以来グレンの姿が発見されていない事を説明してくれた。サムは誠実だった。俺の、グレンの行方が分からなくなったこと、もしかしたら、もうこの世にはいないかもしれないことの責任は自分にあるんだと、頭を下げてくれた。
 マージーが困った表情で俺に視線を送ってきたが、俺自身が戸惑っているのを見て取ると、少し考えて、この問題に結論を下した。

「ねえ、皆でグレンのお葬式をしてあげましょう。きちんと正式なやり方で。それがなによりの供養になるはずよ。そうでしょ、サム?」
「そうだな。そうしてあげよう。」

 突然ノックが聞こえて、エリックがやってきた。

「やぁ、気がつかれたようですね…。ん?」

 歩み寄りながら、エリックはじっと俺の顔を見つめた。

「どうかしましたか?」
「いや、すみません。どこかで見かけたような気がして…人違いでしょうね。では、少し検査をします。今日明日の2日検査して、異常がなければ退院できますよ」

 エリックは、そういいながら脈を取り始めた。マージーは必要なものを買いに行ってくると言って、サムを連れて病室を出て行った。
一通りの検査を済ませると、あとはのんびりと過ごす事が出来た。ふとしっぽを振ってみたくなって、しっぽがないことに寂しさを覚えたり、顔を洗おうとして、長い指に違和感を覚えたりした。

ふと思い立って、洗面台に向かった。鏡には無精ひげの伸びた冴えない男が立っている。やっと、戻れたんだ。長い長い日々だった。しかし、決して辛いばかりの時間ではなかった。
あの出来事はいったいなんだったんだろう。



チャーリーに見つかったあと、俺はしばらく気を失っていた。気がついたときには小さなゲージに入れられていたんだ。地下室のどこかの部屋だった。悪夢のような出来事だった。

「実験はモルモットでやるつもりだったが、ちょうどいい。このネコで試してみよう」

 薄目を開けて確かめると、白衣を着た男がなにやら小さなチップのようなものを用意していた。

「一応麻酔を打った方がいいでしょうねぇ」

 そばにいた男が白衣の男に確かめていた。どうやら麻酔を打って何かの手術が始めるらしい。実験はモルモットではなくネコで…! 

このままでは危ない。俺はとっさにゲージの端に飛びついてゲージごと机から転がり落ちた。うまい具合にゲージが壊れたので、隙間から抜け出す事に成功した。そして、ドアノブに飛びついてドアを開けると、闇雲に逃げ出したのだ。男たちが大声で仲間を呼び追いかけてきた。そして、地下の一番奥の行き止まりにまで行き着いてしまったのだ。

男たちは俺を捕まえ、再び実験に取り掛かろうとしたが、俺を自分の毛をむしってでも逃げおおせる覚悟だった。つかまれるたび毛をむしられながら逃げ回った。
そうこうしている間に、地上が騒々しくなってきた。上でなにかあったらしい。男たちは慌てて何処かに走り去って行ったが、さっきの白衣の男だけは、俺を許さなかった。

「ちくしょう! もうちょっとでリモコン猫が試せたのに…。もうお前なんぞに用はない!」

そう言うと同時に、何か長いものを振り下ろした。ガシッといやな音が頭の中で響いた。男はそのまま仲間の去った方角に逃げていった。

俺は目がかすみながらも、どこか地上への出口がないかさがしまわった。そして、ちいさな小部屋をみつけたのだ。小部屋の横には小さなボタンがついていた。ボタンを押すと、ドアが開いて、床が上がっていくのが分かった。ところが、そのまま上がっていくと、地上の1階の床が開かないまま迫ったきたのだ。俺は慌ててなにかボタンがないか見回したが、どうしても見つけられなかった。体を横にして小さくなって、運命を天に任せたのだ。

だが、どうやらまだ俺は生きている事を許されたらしい。上昇する床の縁にある30cmあまりの囲いが俺を救ってくれた。床の上昇は囲いの高さで止まり、俺はぺちゃんこになることを免れたのだ。

 俺はできるだけ小さくなって助けが来るのを待っていた。外での物音はさっきよりよく聞こえていた。救急車の音、パトカーのサイレン。そして、サムの叫び声も。。。
 しかし俺にはどうすることもできなかったのだ。狭い空間では肺を広げる事すら出来なかった。浅い息をしながら、じっと耐え忍んでいたのだ。


 俺は再びベッドに横になり、しばらく眠っていたようだ。気がつくとマージーが戻ってきていた。

「目が覚めた?サムは仕事を残してきているから帰ったわ。随分心配してた。さてと、買い物はしてきたわ。着替えと洗面具とタオル。それから、タディが去年サムに預けた荷物も持ってきておいたわ。」
「ありがとう。助かるよ」
「お帰りなさい。高井忠信さん」

 マージーは改まったように手を差し伸べてきた。

「ただいま…」

 俺は、その手にしっかりと握手で答える事ができた。人として。


サムたちは、グレンのためにきちんとした葬儀を執り行ってくれた。俺も病院から駆けつけ、そこに参列する事ができた。
そのままサムと一緒にサムの家に戻ると、クレアが笑顔で迎えてくれた。

「高井さま、ようこそいらっしゃいました」

 言葉は改まっているが、決してかしこまらない雰囲気だ。それから1週間は人間としての仕事に忙殺された。

 仕事が一段落ついて、日本に帰る日が近づいてきた。最後の休日は、はやりあの公園に出かけることにした。
 木々のざわめきも噴水のすがすがしさもすべてが懐かしい気分だった。

 にゃぁ~っと足元にきれいなシャムネコがやってきた。ケートだ。俺は、携帯用のノートパソコンを開いて、ケートに打たせてみた。初めのうちは冷たい視線を投げかけていたが、諦めたようにキーボードを打ち始めた。

「人間に戻れたのね。おめでとう。。」
「やあ、ちょっとした犯罪に巻き込まれてね、頭を殴られたんだ。ただそれだけなんだが。。
お前さんへの助言にはなりそうにないな。でも、気を落とさずに。きっと戻れるさ」

ケートは大きなため息をついた。

「あきれた。自分が人間に戻ったとたん、大きな口を叩くのね。さっさとお帰りなさい」
「もし、君が人間にもどったら、是非そこの通りを左に二度まがったところにあるサムってやつの事務所に顔をだしてくれ。俺に連絡をとってくれるだろう。」
「うぬぼれないで。あなたに会いに、この私が行くとでも思ってるの?ばかばかしいわ」

ケートはさっさと自宅へ帰って行った。

入れ違いにチェックがやってきたが、ただにゃぁ~んと猫の鳴き声でえさをせがむばかりで、すっかり隔たりができてしまっていた。

サムの家にかえると、クレアが相変わらず暖かな笑顔で迎えてくれた。

「おかえりなさい。。 いよいよ明日ですね。 さみしくなるわ。」
「本当に、お世話になりました」

俺はグレンの気持ちのまま、深々と頭を下げた。

「ほほほ。今回はほんとに大変な赴任でしたね。でも、ホットミルクやカフェオレを入れるのも、悪くなかったですわ。もうその必要もないのかと思うと、ちょっと寂しいぐらいでしたの。さて、おいしいコーヒーをお淹れするわ」

俺は言葉がでないほど驚いた。クレアは気づいていたのだ。

「本物の猫好きには、敵いませんね」

俺が言うと、クレアは楽しそうに大笑いした。

―おわり―


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