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白と黒というとチェスや最近ではリバーシと呼ばれる事も多くなったオセロゲームを思い出します。食べ物で白と黒が存在する物といわれると、トリュフや最近では表示法の関係で白の呼び方が変わってしまったしょうゆなどが思い浮かんできます。 鍋物が美味しい今頃の季節、おでんや煮物、鍋物などで活躍してくれる食材に「はんぺん」があります。ふわふわとした食感と手ごろな大きさ、切り分けやすい四角い形状と真っ白な姿が特徴の食材ですが、そんな白いはんぺんにも「黒」が存在しています。 はんぺんはスケトウダラなどのすり身におろした山芋を加え、昆布の出汁や塩を加えて味を調えた後、茹でて仕上げられています。漢字で表記すると「半片」と記載するのですが、これは江戸時代に駿河の料理人、半平なる人物が考案したため、もしくはお椀の蓋を使って半月型に成型したためともいわれます。 本来は関東周辺のみで食べられていた地域色の強い食材であったはんぺんなのですが、第二次世界大戦後に大手の食品メーカーによって全国的に販売されるようになってその存在が知られる事となっています。全国的な販売に当たって、メーカーでは白いはんぺんを採用した事から、全国的にはんぺんは白い物という認識が広まってしまい、大量生産を可能にしていた技術の特許が切れて、他のメーカーが販売に参入する際もあえて馴染みのない物を投入する事を避けたために、白いはんぺん以外の存在は全国的には認知されないものとなっています。 はんぺん自体は魚肉を使った練り製品なので、スケトウダラ以外の魚、サバやアジ、イワシなどの青魚を使うと青みを帯びた灰色に仕上げる事ができ、それが黒はんぺんとなっています。 黒はんぺんは静岡県、主に焼津や清水、沼津などの大きな漁港がある地域位で作られていて、静岡でははんぺんというと黒はんぺんの事を指しているといわれます。 特徴としては板付かまぼこのようなD型の断面を持つ筒状に仕上げられ、適度な厚さに切り分けられて生食から焼き物、煮物、炒め物と幅広く活躍しています。青魚を原料とする事から加工する際の鮮度が重要視され、大きな漁港がないと作れない物とは思いますが、魚本来の美味しさに溢れた食材だという感じがして、黒も悪くないと思えてきます。
2014年01月31日
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アトランタのとても大きなショッピングモールで、2階にあるレストランの一部の様子が窓越しに見えていて、大きなボウルに山盛りに入れられた緑色の物が置かれていました。どこか懐かしさを感じる色合いで、記憶の中にあるその緑色は和の食材、「ワサビ」ではないかと思えて、思わず確認しに行った事があります。 行ってみると見えていた店はバイキングの店で、昼食時を前に慌ただしく料理が並べられ、人気の和食として刺身も並べられる事から、そのための薬味として出されている事が判りました。それにしても本場の日本でもワサビをボウル一杯出す店はないと思えて、アメリカの食文化の豪快さを感じてしまいます。 ワサビは唐辛子やコショウとは少々趣の異なる辛味を持ち、特有のツーンとくる痛みを伴う辛味のためか、激辛好きの間でもあまり名前が出てこない調味料となっています。 ワサビにはシニグリンと呼ばれる配糖体が含まれており、すりおろすなどで細胞が傷つき、空気に触れると酵素が活性化してシニグリンの加水分解が始まり、アリルイソチオシアネートが生成されます。アリルイソチオシアネートは辛子の辛味成分でもあり、ワサビの辛さも同じ強力な辛味成分が関わっている事になります。 アリルイソチオシアネートは揮発性が強く、気化したものが目や鼻の粘膜に作用する事で、ツーンとくる刺激が生じてしまうのですが、その揮発性の高さは、すぐにワサビから辛味や風味を奪う事にも繋がってしまいます。 ワサビは食べる直前に、しかもきめ細かくおろせる鮫皮を使うのは、ワサビの性質をよく理解した結果という事ができ、ボウルで出さない事にはそうした背景があると考える事ができます。 揮発性の高さ故に失われやすいワサビの風味ですが、ボウルで出されてもランチタイムが終了するまで風味が損なわれなかったり、何日も冷蔵庫に入れられたままになっていたのに、チューブ入りのワサビが最後まで強烈な辛味を失わない事にはある秘密が隠されています。 ワサビの風味を最後まで保持させているのは、「環状オリゴ糖」という文字通り環状の分子構造を持つオリゴ糖の存在が大きく、環状オリゴ糖は環状の輪の中は油分と仲が良く、外側は水分と仲が良いという変わった性質を持っています。 精油成分でもあるアリルイソチオシアネートは環状オリゴ糖の内側と触れ合うような形で包みこまれ、揮発してしまったり分解されたりという事なく、長い時間、おろされたワサビの中に留まる事ができるようになります。 ワサビと同じようにチューブ入りになっているアリルイソチオシアネートを含む練りからしや、やはり揮発性を持つアリシンが含まれたおろしにんにく、ジンゲロールやショウガオールといった揮発性を持つ辛味成分のおろし生姜などにも環状オリゴ糖が使われている物があり、便利なチューブ入り薬味は日本が世界に誇る発明品とも思えてきます。どこかインスタントな雰囲気も感じてはしまうのですが...。
2014年01月30日
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納豆について興味深い話を聞かされた事があります。微生物による成分の分解が人に都合の良い方向に作用した場合、発酵と呼ばれ、都合が悪い方向へ進んだ場合は腐敗と呼ばれますが、大豆を発酵させて作られるのに納豆、発酵や腐敗が関わらない状態で作られるのに豆腐と、同じ大豆製品でありながら名称に矛盾が生じているように思えます。 かつては大豆を発酵させて作る納豆が豆腐と呼ばれ、型に納めて固まらせて作る豆腐が納豆であり、いつの頃からか名前が取り違えられて今日に至ったといいます。如何にもという感じがして、納得させられてしまうのですが、単純にこじつけられただけの俗説とされます。 納豆という言葉が初めて文献に登場するのは、平安時代に藤原明衡によって書かれた「新猿楽記」であるとされます。「塩辛納豆」の文字が記載されている事から、今日でも見る事ができる粘りを持たない大徳寺納豆の事で、精進料理として寺院で作られていた事から寺納豆とも呼ばれ、製造元となった寺の名前を付けられた物を各地に見る事ができます。 塩辛納豆については中国から製法が伝えられたとも、一休禅師が考案したとも伝えられ、寺の倉庫にあたる「納所」で作られていた事から「納所の豆」という事で「納豆」の名称が生まれたとされます。 それに対し粘りを持つ糸引き納豆は、茹でた大豆を藁で包んでいたら藁に付着していた納豆菌が大豆を発酵させるという偶然によって生まれたとされ、それがいつの事かは定かではないといわれます。 弥生時代の住居跡には、藁を床に敷いていた跡が残されているので、大豆の栽培や藁の利用という点で納豆が生まれる土壌はあるように思えるのですが、大豆の栽培は縄文時代には始められており、稲作も行われた事から、縄文時代には納豆が生まれてもおかしくない状況ができあがっていた事になります。 塩辛納豆よりも遥かに古い時代から作られていながら、これといった統一的名称を持たなかった糸引き納豆が、同じような工程で作られる塩辛納豆に出会い、同じ発酵食品として納豆と呼ばれるようになったと考える事ができます。その後、糸引き納豆が納豆の主流となる事には、美味しさや健康面に加え、独特な存在感もあるように思ってしまいます。
2014年01月29日
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子供の頃は冬という季節が大好きだったのですが、歳を取ってくると好きかどうか迷うようになり、何故、大好きな季節だったのかと考えるようになってしまいます。それでも苦手な虫はいなくなるし、雑草に悩まされる事もなく、雪景色に癒されたり、温泉から上がった後、余計な汗をかかなくて済むなど、良い事が多いように思えます。 そうした意味では好きな事が多く、好きな季節といえるのですが、どうしても困らされてしまう事に冬場の乾燥肌があります。冬の乾いた空気や冷たい風によって肌に潤いを届ける血管の収縮など、冬場はとても肌が乾燥し、酷い場合は痛みを感じる事もあります。 当然、夏と冬では美容液の類も使い分ける事となるのですが、最近、見掛けるようになった保湿成分を多くして、潤いに主眼を置いた製品にも不満が残る事となっていました。 何か良い製品はないかと考えていると、乾燥肌には美容液よりも一日一パックの納豆という助言があり、かねてより納豆を食べる頻度を増やそうと考えていた事もあり、実践してみる事にしています。 納豆というと特有の粘りがすぐに思い浮かぶのですが、粘りの素としてポリグルタミン酸が豊富に含まれています。ポリグルタミン酸には保湿成分として知られ、高い保水力を持つとされるヒアルロン酸の10倍の保水力があり、保湿成分となるだけでなく、同じく粘りの素である粘液多糖類と合わせて腸内環境を整え、肌の状態を良くする事が考えられます。 肌の状態を整えるために必要なビタミンB群も豊富で、体全体の修復にも役立つ成長ホルモンの分泌を助けるアルギニンも多く含まれていて、肌のハリを助けるコラーゲンの生成を促す大豆イソフラボンも含まれています。 納豆に含まれる酵素、ナットウキナーゼには血栓を溶かして血液をサラサラにする働きがあり、毛細血管の隅々にまで血液を届ける助けとなる事が考えられます。 大豆レシチンには体内の毒素の排出を促す働きがあり、納豆菌の中には新陳代謝を高めるポリアミンが豊富に含まれ、むくみを除くカリウムも多く含まれています。 成長ホルモンの分泌は夜の10時から夜中の2時までが最も盛んで、その間に寝ている事や分泌が円滑に行われるように体内時計を整えておく事も大雪です。朝、起きたら明るい光を見るようにして、夕方以降にパソコンを使用する際はブルーライト対応のメガネを使う事、夕食ではよくかき混ぜた納豆を必ず食べる事。辛い乾燥肌を逃れるために努力しなければと思っています。
2014年01月28日
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先日、パスタについて話をしていて、幾つかの面白い話を聞かせていただく事ができました。最初にうどんやそうめんを茹でるとお湯は白く濁ってしまうのに、パスタを茹でたお湯は何故、あのように濁らないのでしょうという謎かけが行われ、それはデュラム小麦というガラス質と呼ばれる半透明のタンパク質を多く含む胚乳を持つ小麦を粗挽きにし、高い圧力を掛けて生地を結着させているからと判ったのですが、僅かに芯が残された状態、「アルデンテ」に茹でる意味はと聞かれると若干の認識の違いを知る事となりました。 パスタをアルデンテに茹で上げる意味は、パスタに水分を吸収する余地を残しておく事で、ソースの味をより良く吸収させるためと思っていたのですが、それ以外に食べる際に唾液に含まれる消化酵素や胃酸を吸収しやすいようにしておき、よりたくさん食べるための工夫と聞かされると、如何にもイタリア的と思えてきます。 以前から気になっていた乾燥パスタと生パスタの違いについては、かつては南イタリアが乾燥パスタ、北イタリアは生パスタという勢力図になっていたそうで、同じパスタを打ち立てで食べるか、乾燥させた物を食べるかといった違いではなく、双方は別々に発展してきた経緯があるといいます。 乾燥パスタはアラビア人によって伝えられ、乾いた砂漠では小麦などの食料を粉の状態で持ち歩くより、麺などに加工して乾燥させた方が扱いやすく、保存にも適していた物がイタリアに持ち込まれ、南イタリアで栽培されていたデュラム小麦と出会う事で独自の発展を遂げ、生パスタは北からアルプスを越えて持ち込まれた物が定着したとされます。 そのため原材料にも違いがあり、乾燥パスタはデュラム小麦で作られる事に対し、生パスタはフツウコムギが主に使われています。シコシコ感がほしければ乾燥パスタ、モチモチ感なら生パスタといわれますが、そうした食感の違いは乾燥工程の有無ではなく、原料の違いから生じていた事になります。 今では多くのメーカーが生産効率を上げるためにパスタを押し出す金型の内側をフッ素樹脂でコーティングし、乾燥にもタンパク質が線維化しない上限付近の90度程度の高温の温風を使っているといわれます。昔ながらのブロンズの金型を使って高い温度で成型し、自然の風で乾燥させたデュラム小麦本来の風味を感じられるパスタを探してみなければと改めて思ってしまいました。
2014年01月27日
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苦手な言葉の一つなのですが、羊や山羊を指して「ライブストック」といういい方があります。文字通り「生きた保存食」という事で、家畜として世話をしながら、食糧が不足してくると屠殺して食糧とするという意味で使われます。 同じように家畜として接している牛や馬にはそうしたいい方を使わない事は、牛や馬が労働力として役に立つ事が関わっていると考える事ができます。同じく家畜として飼われている豚に対してもライブストックといういい方はされず、冬が始まると次のシーズンの繁殖に必要な数だけを残して屠殺し、ハムやソーセージなどの「ストック」にされてしまいます。 豚は羊や山羊と同じように労働力としてはあまり期待できない事もあるのですが、冬が始まると一斉に保存食に加工されてしまう事については、羊や山羊が草食動物で人が食べない牧草を食料とする事に対し、豚は雑食性の動物で人と食料が競合する事が深く関係しているという事ができます。 かつて豚は森の中を駆け回り、さまざまな物を食べて生活していました。俊敏で力強く動き、神経質で清潔好きだった彼らは、人が農耕を始めて耕地や家の建材、燃料の確保などの理由で森を切り開くようになると棲みかを奪われ、人に飼われて家畜化していきます。その際、人と食料が競合するために人が食べない食料を飼料とした事が、豚という生物の評価を大きく下げる事に繋がったように思えます。 そのため人用の食料さえも不足しがちな厳しい冬が始まる前に間引きして、保存食に加工してきた事がハムやソーセージといった食文化を育んできたという事ができ、生かして冬を越し、必要に応じて食料とするす羊や山羊、労働力ともなる牛や馬を使ったハムやソーセージといった加工例が極端に少ない理由と考える事ができます。 そんな中、人用の食料が底を尽き、生かして冬を越させる予定だった豚たちに与える飼料がなくなってしまい、止むなく森に放したところ豚たちは野山を駆け巡り、どんぐりなどを食料としながら逞しく、より美味しくなって帰って来た事が一部のブランド豚に見られる放牧の由来ともいわれます。 身近に接する家畜の中で、唯一食料が人と競合するために不当に扱われてきた感がある豚ですが、最近ではペットとして飼われたり、ブランド豚の定着で高値で取引されたりと、少しずつ立場が向上してきたようにも思えます。神経質で清潔好きという認識も広まってきているので、愚鈍で不潔というイメージは早々に無くなってほしいものだと願っています。
2014年01月25日
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食生活を振り返ってみると、どうしても炭水化物が多くなってしまい、もう少し積極的にタンパク質を摂らなければと思えてきます。そこで良質なタンパク源をと思いながら、体内で利用される事を意識してアミノ酸スコアの高い物をと思うと卵に目が行ってしまいます。 卵は料理のバリエーションがとても幅広く、いろんな料理に使う事ができる事からさまざまな場面で活躍してくれ、便利なタンパク源となっています。根菜類の煮物をよく作る事から、根菜類と一緒に茹で卵を煮込む事で手軽に卵を一品加える事ができます。 その際、毎回苦労させられるのが茹で卵作りで、殻が上手に剥けずに一個を剥く事に長い時間が掛かったり、白身が殻と一緒に剥がれて表面が汚くなったり、最悪の場合、剥がれた白身のせいで黄身が露出して煮物に使えなくなったりもしてしまいます。 卵を茹でる際も卵が割れないように弱火でゆっくり加熱する事から時間が掛かり、茹で卵作りは意外なほど手間と暇を必要とする作業となっています。 これまで幾通りかの方法を試してみたのですが、最も時間を掛けずに卵を茹でる方法は、鍋に卵を並べると1cm程度の深さになるだけの少量の水を入れ、強火で一気に加熱。沸騰したら中火に落として3分間ほど茹で、火を止めて5分から10分ほど蒸らします。 蒸らしている間に中に火が通って黄身の状態が決まり、5分では半熟、8分でしっとり感が残り、10分で完全に火が通った状態になります。この方法で茹で卵を作り、まだ熱いうちに殻を剥くのが一番良い方法と聞かされているのですが、やはり下手なのかそれなりに苦労はさせられます。 最近、仕入れた情報では、卵を茹で上げた後、卵の尖っていない方の殻を少し剥いておき、尖った方の殻を少し割って息を吹き込むと勢い良く完全に剥けた状態の卵が飛び出してくるといいます。 奇妙な方法とは思えるのですが、ほとんど毎回上手に剥けずに悲しい思いをさせられる身としては、試してみる価値があると思えます。茹で上がった卵を剥きやすく仕上げる器具として、押すと小さな針が飛び出して殻に穴を開けてくれる物も使ってはみたのですが、うまくはいかなかった事から、新しい情報には大いに期待したいと思っています。
2014年01月24日
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さすがに100万石といわれると、かなりの大大名という感じがするのですが、25万石や62万石となるとどの程度の勢力を持つ大名なのか判り辛くなるように思えます。日本人は生産される米の量で大名の勢力を表した唯一の民族ともいわれ、米と日本人との関わりの深さを伺う事ができます。 生産される米の量と大名の勢力、一見、あまり深い関係がなさそうに思えてしまうのですが、意外にシンプルな評価方法と見る事ができます。大名や藩の力量や規模を示す「石」という単位は、文字通り石の事を指していて、一石は米俵一俵の重さと同じに設定されています。 そのため100万石の大名であれば、領地で一年間に収穫できる米の量は100万俵となる事が示されています。米俵に入れられる米の量は、一人の人が一年間に食べる米の量を基準に決められているので、100万石の領地では100万人の人を養う事ができる計算になり、兵役に従事できる割合を考えると動員できる兵力が判ったり、一俵の値段が一両と貨幣価値の基準ともなっている事から経済力を推察する事もできてしまいます。 至ってシンプルな方法でありながら有効なやり方でもある事から、天下を手中に収めた豊臣秀吉が全国の検地に力を入れ、各藩の石高を正確に把握しようとした事には納得させられてしまいます。 米は世界の各地で栽培され、生産量の割には輸出入されている量が極めて少ない穀物とされます。それは米が主食として生産された土地でほとんどが消費されるためともいわれ、今も昔も国が変わっても人々と密接に結び付いている事が判ります。パン食が多い事で知られる私ですが、米もしっかり食べなければと思ってしまいます。
2014年01月22日
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珍しく冷凍食品の焼きおにぎりを衝動買いしてしまい、レンジで温めて食べていました。焼きおにぎり自体、食べるのはずいぶんと久しぶりの事と思いながら食べていると、ふと違和感を感じて手にした焼きおにぎりを見詰めてしまいます。 私が感じた違和感は、口の中でおにぎりが崩れた際に感じられる米粒の小ささで、普段感じている米粒の大きさよりも遥かに小さく、これまでにない小粒感に米ではないようなものさえ感じてしまいます。 生産された米は、農産物検査法に基いた「品位等検査」を受ける事になり、1等級、2等級、3等級、規格外に区別されます。政府によって買い上げられる場合は品位等検査は義務化され、それぞれの等級によって買い上げ価格が決められます。 品位等検査において重要視されるものの一つに米の粒立ちがあり、大粒で均一に大きさが揃っている米により高い評価が与えられます。焼きおにぎりに使われている米は粒は小さいのですが、大きさは揃っているので、等級が低い安値の米を使ってコストダウンが図られていると思えてきます。 外観的に米のできを検査する品位等検査に対し、米に含まれる成分を分析する成分等検査は米の食味を判断する検査という事ができるのですが、任意検査となっているために品位等検査ほどには行われておらず、現状、米の良し悪しは粒立ちによって決められています。 品位等検査には粒の状態以外にも銘柄や量、荷造りや包装の状態なども加味されるので、丁寧に作られて大切に扱われた米が高評価を得る事にも繋がります。昔から八十八の手間を掛けて育てるといわれる米だけに、手間暇惜しまずという事が基本なのかもしれません。
2014年01月21日
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幼稚園や小学校では「青は男の子の色、赤は女の子の色」といった事を教えられたのですが、赤という色から受ける印象は、元気でエネルギッシュ、テンションを高めてくれるというものがあり、そのため勝負事に臨む際、赤い色の物を身に着けるという話も多く聞かされます。 以前行われた消費者心理に関する研究では、「赤い色は物の消費量を減らす傾向がある」という結論が得られていて、テンションを高めてくれるというイメージからは逆の事のようにも思えてきます。 先日、イタリアのパルマ大学で行われた認知心理学に関する研究では、被験者240人に対し赤や白、青の皿に盛り付けられたチョコレートやポップコーンを食べてもらい、誰がどのくらい食べたかを調べたところ、概ね赤い皿から食べた人の量が少ない事が判り、赤が消費量を少なくするという傾向はここでも裏付けられた形となっています。 食器としての皿の色合いの濃さも関係する可能性がある事から、それについても検討が行われましたが、赤という色そのものが食事量に関係している事が判り、赤い食器は食事量を少なくする傾向がある事が確認されています。 しかし、赤のそうした傾向を意識した場合は無意識に生じる効果が薄れてしまうため、ダイエットを意識して赤い食器に換えてしまうのは効果がないとされる事から、赤色ダイエットは成立しないという事ができます。しかし、家族の中に食べ過ぎで肥満傾向の人がいたら、何も告げずにこっそりと食器を赤に換えてしまうのは有効かもしれません。また、いつか意識しなくなる日が来るかもしれないので、今のうちに自分の食器を換えておくのも良い事かも知れないとは思えてきます。
2014年01月20日
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子供の頃に住んでいた町は熊本市内とはいえ西の外れの方で、市内中心部に近い1丁目と山側の7丁目ではずいぶんと趣が異なっていました。その7丁目の山間に渓流を利用したマスの養魚場があり、併設されたマス料理をメインにした料亭には、家族で幾度か食事に行った事があります。 普段から魚は食べない父親だけは別なメニューを頼み、他の家族はマス尽くしとなるのですが、新鮮そのものの刺身や形良く焼かれた塩焼き、アルミホイルに包まれて蒸し焼きにされたバター焼きなどが続く中、味噌汁だけは鯉が使われている事が今も記憶に強く残されています。 鯉の味噌汁は「鯉濃(こいこく)」とも呼ばれます。江戸時代、濃いめの味付けをされた味噌味の汁の事を「濃醤(こくしょう)」と呼んでいて、鯉濃は「鯉の濃醤」の省略形とされています。 濃醤は江戸時代に流行した調理法であり、「濃き汁」「濃く煮た汁」などが濃醤と呼ばれるようになったともいわれ、鯉に限らずフナやマス、ドジョウなどの川魚を使った濃醤が作られていました。 海の魚に比べて川魚は泥臭さがある事から、濃いめの味噌味で長く煮込む事で特有の臭みを消して、骨まで柔らかくなるまで煮込み、薬味に山椒の葉を用いたとも伝えられます。中にはうろこまで柔らかくなるほど長時間煮込むという話もありますが、あまり長く煮込むと味噌の風味が台無しになる事もあり、うろこは除いて短時間で仕上げる事が主流になっています。 さまざまな川魚で濃醤が作られていた中、鯉の濃醤だけが鯉濃として伝えられた背景には、かつて鯉が鯛よりも珍重されていたという事情があるように思えます。流通が充分に発達していない時代、海に面していない地域に鮮度を保ったまま海の魚を届ける事は困難な事でした。それに対し川に棲む鯉は至る所で捕まえる事ができた事や、鯉の滝登りといった縁起の良さもあり、鯛よりも高値が付けられていました。 また、鯉を調理する際、まずお腹を割いて「苦玉」と呼ばれる肝を真っ先に取り出さないと、下手に苦玉を傷付けてしまうと苦味が全身に及ぶとされ、鯉を素早く大人しくさせて、確実に作業を行う必要がありました。 しかし、鯉は生きるために必要な酸素の量である「要求酸素量」が少ないため、水から上げても長い時間に来ている事ができ、大きな魚体と強力な筋肉で暴れ出すと手が付けられなくなってしまいます。そんな鯉ですが、布などで目を塞ぐと急に大人しくなり、まな板の上に置いても身動き一つしなくなります。 今ではあまり良い意味では使われない「まな板の上の鯉」という状態ですが、まるで自らの運命を受け入れたような潔い姿が武家社会だった日本で高い評価を受けたと考える事もでき、鯉を特別視させていたとも思えてきます。 そんな事を考えながらマス尽くしの中に出てくる鯉濃の事を懐かしく思い出し、まだ店は営業していると聞かされているので、ずいぶんと久々に食べに行くのも悪くないと思っています。
2014年01月17日
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ヨーロッパに伝わる古い民話に空腹で動けなくなった旅の僧侶が、座り込んでしまった家の女性にお願いし、手持ちの小さな石でスープを作るので、鍋を貸してほしいとお願いするというものがあります。 厳しい冬で食糧は少なく、困っている旅の僧侶であっても食糧を分け与える事には抵抗があるのですが、鍋と水だけならと女性が僧侶に鍋を貸してあげると、僧侶はお湯を沸かして持っていた小さな石を中に入れ、出汁を取るように石を煮はじめます。 ただの石ころで料理が作れるとも思えず、女性は興味津々で僧侶の様子を眺めているのですが、僧侶は言葉巧みに美味しいスープができる事を説明し、女性にも鍋のお礼にご馳走する事を約束します。 その後、僧侶は「あれがあったら、もっと美味しいスープになるので喜んでもらえるのに」と話しながら食材を女性に分けてもらい、結果的に美味しいスープができあがるというユーモラスなものなのですが、石を煮はじめた段階でそれは石ではなく「チューニャ」だったというオチだとつまらないなと思いながら見ていました。 チューニャはジャガイモの原産地、南米に伝わる伝統的な保存食で、ジャガイモを長期に渡って保存できるように工夫した食べ物ではあるのですが、見た目は石ころのように見えてしまいます。 現在でも長期に渡って食品を保存し、簡単に戻す方法としてフリーズドライが使われますが、チューニャもほぼ同じ手法で作られています。チューニャの製造には厳しい自然環境を逆に利用するという知恵が用いられ、屋外に出しておいたジャガイモが夜の厳しい寒さで凍り付き、昼には溶けて水分が外側へ移動するという事を繰り返し、柔らかくなったジャガイモを踏み付けて水分を絞り出して乾燥させる事で仕上げられます。 作られているアンデス地方に自生していたジャガイモには、食中毒を起こすジャガイモの毒素であるソラニンが多く含まれている事から、チューニャへの加工は保存性を高めるだけでなく毒抜きの意味もあったのではともいわれ、食糧確保のための知恵の一環であった事が伺えます。 アンデスに限らず同じような手法はペルーやボリビアでも見られ、「トゥンタ」と呼ばれて広く食べられています。南米から遠く離れた日本でも同じようなジャガイモの保存方法が存在し、山梨県や長野県の一部では、屋外に出して凍結させたジャガイモ踏み付ける事を繰り返しながら乾燥させて、体積と重量を減らす「しみいも」「ちぢみいも」といったものが存在し、アイヌ民族の中にも踏み付けはしませんが、畑に傷のあるジャガイモなどを放置して雪に埋もれさせ、凍結と解凍を繰り返しながら発酵させて雪解けと共に取り出し、デンプンを採取するという「ボッチュイモ」という手法が伝えられています。 異なる文化圏に同じような手法が存在する事はとても興味深い事ではあるのですが、凍結と解凍を繰り返した上に踏み付けるというのは如何なものかと思えてきます。交流のない文化圏に個別に発生していたという事は、それが効率の良い方法であるという事は判るのですが、石ころそのものの外見も含め、ジャガイモとは別な接し方をしたいものだと思えてきます。
2014年01月16日
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コロッケという言葉はいわれてみると日本的で、クロケットが語源という説明には大いに納得させられるものがあります。しかし、クロケットが紹介される遥か以前からコロッケが存在していた事を考えると、コロッケはどこから来たのかという大きな疑問が生じてしまいます。 フランスのクロケットがコロッケの原形ではないとした場合、諸説がある中、同じクロケットという名の料理を持つ国が2つあります。その一つがオランダで、フランスの近隣国でもある事からクロケットを伝えた国とされる事もあります。 今日のオランダでもクロケットは人気があり、手軽に食べる事ができる軽食として売られ、材料もジャガイモが使われています。しかし、コロッケとの最大の違いはジャガイモが完全に柔らかくなるまで煮込んでクリーム状にして使っている点で、ジャガイモがホワイトソースに置き変わったのは日本のコロッケではなく、オランダのクロケットの事ではと思えてきます。 クロケットという名前の料理を持つ第三の国、それは日本に鉄砲伝来という一大革命をもたらした国、ポルトガルとなっています。ポルトガルのクロケットは「クロケッテ」と呼ばれ、フランス、オランダのクロケットがクリーム状の生地を使う事に対し、茹でて潰したジャガイモと塩漬けの鱈を使うコロッケに似た作りになっています。 クロケッテとコロッケの最大の違いはジャガイモと鱈で生地を作って適度な大きさに成型した後、クロケッテは一切衣を着けずに素揚げする点となっていて、そのために仕上がりが少々趣が異なる姿となってしまいます。 コロッケに欠かせない素材であるジャガイモは、江戸時代の慶長年間(1696~1613年)にオランダもしくはポルトガルの船によって日本へもたらされたとされます。青木昆陽によって栽培の研究が行われた事は広く知られていますが、江戸時代に多く出版された料理本にコロッケらしき物が登場しない事から、ジャガイモとレシピの伝来には時間的な隔たりがあり、幕末か明治維新直後に今日の形に近い状態で伝えられたと考えられます。 クロケットという料理を持つフランスでもオランダ、ポルトガルでもないとすると、意外な揚げ物大国が浮かんできます。それはフィッシュ&チップスという食文化で知られた国、イギリスです。 フィッシュ&チップスに限らずイギリスでは多くのフライが作られ、ジャガイモも広く食べられています。マッシュポテトという茹でたジャガイモを潰して調理する文化もあり、コロッケが誕生する土壌は充分にあるように思えます。 また、明治維新による開国後、近代化を急ぐ日本が一番の手本としたのが欧米列強の中で最大の力を誇っていたイギリスでした。イギリス人も多く日本を訪れ、積極的にイギリスの文化を学ぶ中で根付いたのがコロッケではないのか、文明開化によるハイカラな食べ物、それが後の三大洋食の一つとなったように思えます。
2014年01月15日
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カレー、トンカツと並んで大正時代の三大洋食と謳われたコロッケ。通説ではフランス料理のクロケットが転じてコロッケとなったとされます。クロケットはホワイトソースで肉や魚介類、野菜などを和えて小麦粉、卵、パン粉の衣を着けて揚げた料理なので、クリームコロッケそのものである事が判り、ホワイトソースがジャガイモに代わる事でコロッケが誕生したと考える事ができます。 ジャガイモはデンプンを多く含んでいる事から、細かくすりおろして加熱すると粘りを生じ、ホワイトソースの代わりとなり得る事は理解できるのですが、先に存在していたクリームコロッケを差し置いてジャガイモのコロッケこそがコロッケで、わざわざクリームコロッケといわないと本家が出てこない事には、どのような事情があるのだろうと気になってしまいます。 文献上、日本ではクリームコロッケであるクロケットが作られる遥か以前からジャガイモを使ったコロッケが作られていた事が判ります。明治5年(1872年)に出版された「西洋料理指南」には、すりおろしたジャガイモに牛のひき肉を加え、唐饅頭のように成型して小麦粉の第一衣、卵の第二衣、パン粉の第三衣を着せて牛脂で煮るという記載が見られ、今日のコロッケにほど近い物が紹介されています。 コロッケという名称が記載されるのは、その15年後の明治20年に発行された「日本西洋支那三風調理滋味之餐奏」で、焙った牛肉を細かく刻み、みじん切りにしたタマネギと一緒に潰したジャガイモに加え、コショウをふってよく練り合わせ、適度な大きさの球形に成型して油で揚げる料理として紹介されています。 その翌年に出版された「軽便西洋料理指南」にはひき肉のみを使ったコロッケとしてメンチカツが登場していますが、クロケットは登場せず、明治27年(1894年)になって、「独習西洋料理法」にクロケットの作り方2種が紹介されており、コロッケの初出からずいぶんと遅い登場となっています。 明治28年(1895年)の「女鑑12月号」には、芝エビを使った「仏蘭西風コロッケ」としてクロケットそのものの作り方が紹介されており、コロッケはジャガイモで作られるのが通常であり、フランスには似てはいるが異なる作り方の料理が存在しているというニュアンスをあえて「仏蘭西風」とした部分に感じてしまいます。 そのため日本には早くからコロッケが入ってきていて、ジャガイモを使う料理として普及が進んでおり、そこへフランスからクロケットが紹介され、調理法が似ている事からコロッケの一種、クリームコロッケとして根付いてクロケットという名前だけがコロッケの語源のようにいわれるようになったのではと思えてきます。
2014年01月14日
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小麦粉を使わずにシチューを作り、最後のとろみ着けの段階ですりおろしたジャガイモを使うというのが、このところのお気に入りとなっています。ジャガイモはデンプンが多く、思いの外、しっかりとしたとろみが着き、しかも旨味が多いのでより美味しく仕上がるように感じています。 ジャガイモは日持ちが利く上に貯蔵しておくと甘味が増して美味しくなるだけでなく、いろんな料理に使えて重宝するという事もあり、、一定の量を常備するようにしているのですが、たまに想定していた期間内にジャガイモを使う料理を作らず、そろそろ新しい物と入れ替えた方がと思えてきてジャガイモを大量に使う料理をする事がります。 余っているジャガイモの量やその時の気分で作る料理は違ってくるのですが、少し時間に余裕があり、手を掛けた料理を作りたいと思ったらコロッケを作る事にしています。 茹でたジャガイモを空炒りして水分を減らし、潰したら冷めないうちに軽く下味を着けておき、バターで炒めたひき肉とタマネギ、ピーマンに少量のハーブと顆粒のコンソメを加えて風味付けしたものと混ぜ合わせます。 それを何等分かにした後、小判型に成形し、小麦粉をまぶして溶き卵に潜らせてパン粉をまぶします。その段階でも他の料理ならすでに仕上がっているほどの手間と思えるのですが、そこから本番の油で揚げる作業が始まります。 せっかく綺麗に成型し、丁寧に衣を着せたコロッケが割れたりしないように注意しながら揚げていき、きつね色に揚がったら油を切っできあがりです。結構、時間を掛けてできあがるコロッケですが、その割には料理の評価としてはあまり高くないように思えます。 最近では出来合いのおかずを買って帰るという「中食」もしっかりと根付き、惣菜が売られているコーナーへ行くとメニューの多さに驚いてしまうのですが、その中でコロッケは非常に安価な価格で売られています。 これまで見た中では、小さめなコロッケが4個も入れられた物が100円で売られていて、ジャガイモやひき肉、タマネギにピーマンなどの価格を考えると、どうすればこのような価格で販売できるのかと思えてくるのですが、コロッケの価格の低下は意外と早い時期から始まっていました。 大正時代、カレー、トンカツ、コロッケは三大洋食と呼ばれてハイカラで高級なメニューとなっていました。そのコロッケの価格が下落するという「コロッケの産業革命」は1980年代の初頭、小豆の餡の形を整えて饅頭の生地の中に包み込む「包餡機」の開発によって幕を開けたとされます。 茹でた小豆を潰した餡の性状は、同じく茹でたジャガイモを潰したコロッケの中身に近い物があり、1980年代の半ばには包餡機はコロッケの製造に転用されるようになり、コロッケは大量生産が可能な食品となります。 さらにコロッケは揚げる前の状態で冷凍する事ができ、すでに衣以外の部分は加熱調理が終わっている事から、凍った状態でも手軽に揚げる事が可能なため、大量生産、大量流通、在庫管理の手間が少ないなど価格が下落する要因を多く兼ね備えた食品となりました。 最近の安価なコロッケを見ていると、さらに価格を下げる事を可能にしたであろうある特徴に気が付きます。その特徴とは手作りや包餡機で成型されたコロッケのような丸みを帯びた小判型ではなく、全体の厚さが均一な角が立った小判型であるという事です。 おそらく練ったジャガイモの生地を小判柄をした筒状の型から押し出し、一定の厚さで切り分けている事が判ります。安価なマッシュポテトを使い、包餡機よりも高速でコロッケの生地を作れる事や、冷凍するところまでを海外の工場で行えばさらにコストダウンが図れる事は容易に想像する事ができます。 安価な価格で手に入れられるというのは、生活者としてはありがたい事ではあるのですが、そのようにして作られた今日のコロッケに対し三大洋食として接していた大正時代の人たちは、どのような視線を向けるのかと思えてきます。
2014年01月10日
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子供の頃、三つの正方形の山が並んだ長方形のチョコレート菓子は10円という価格で売られていて、後に20円、30円へと値上がりしていきました。値上げに伴い売上も下がってしまったそうで、発売当初の10円で買えるというコンセプトも守れなくなった事から、三つの山を切り離したような小粒の正方形となり、価格も10円となりました。 そのためそのチョコレート菓子がどのような姿をしているか、価格はいくらかという事で何となく世代が判るようにように思えます。小粒のタイプが主流になってからは、さまざまな味のバリエーションも増え、その時期だけの限定フレーバーも存在する事からどの味を知っているかでもマニアックな人には世代が判るのかもしれません。 駄菓子屋に通っていた頃、一緒に遊んでいた友達の中にチョコレート菓子の中心部分に配された白いお菓子を「餅」と呼んでいる子がいて、子供心にも「これは餅ではない」と思えていました。後にその白いお菓子は「ヌガー」である事を知るのですが、そのヌガーがチョコレート菓子にとって極めて重要な存在であった事も後に知る事となります。 ヌガーの存在はチョコレートの含有率を下げていて、チョコレートが食べたいと思っている身には不要なように思えるだけでなく、長方形のチョコレート菓子は一口で食べるには大き過ぎるため、三つの山ごとに切り離して食べたいと思っていると、冬場のかなり寒い日であればヌガーも硬く、手で割る事ができるのですが、少しでも暖かいとヌガーの粘りで綺麗には割れず、外側のチョコレートの部分だけが砕けて散らばり、ヌガーは割れずに曲がるだけという迷惑な存在でもありました。 チョコレート菓子は1962年に発売されているのですが、開発に先駆けたキャラメルの販売があったとされます。開発者は貧しい子供たちにもお菓子を食べさせたいという想いから、キャラメルを箱に入れたセットの状態ではなく、バラ売りする事で成功を遂げていました。 キャラメルの販売を足掛かりに、当時は高級品であったチョコレートを子供たちが変える値段で販売する事を考え、製品化に取り組んだのですが、製品化の条件として売値を10円と決めていました。しかし、予定していた製品全体をチョコレートで作ってしまうと製品原価が15円を超えてしまう事から、内部にチョコレートよりも安価にできるヌガーを入れる事でコストを抑え、10円での販売を可能としています。 チョコレートの販売にはチョコレートの規格という厳密なルールがあり、ヌガーの比率を大きくし過ぎてしまうとチョコレートと名乗る事ができなくなるため、規格上、チョコレートと称する事ができる範囲に調整するなど、細かな工夫も施されています。 子供の頃、邪魔者以外の何物でもなかったヌガーですが、子供たちが気軽にチョコレートを買えるようにしようという工夫の産物であり、チョコレートよりも食べてしまうまでに時間を要する事から満足感を演出していたという事を大人になってから考えると、どことなく良い物であったようにも思えてきます。久々に買いに行ってみようかと思ってしまいます。
2014年01月09日
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日本の国民食、カレー。最近、かなり本格的なタイカレーの缶詰が発売されたとの事で話題になっていましたが、日本でカレーが普及するきっかけとなったのは本場のインドやタイとの関わりというよりも、本場から遠く離れたイギリスの影響が強くなっています。そんなイギリスによってカレー文化が根付いた国の一つとしてドイツを上げる事ができます。 ドイツとカレーはあまり結び付かない感じがするのですが、ドイツで広く食べられているドイツ料理、カリーヴルストはカレー粉で味を付けられたソーセージで、ドイツの食文化とカレーが結び付いた物となっています。 カリーヴルストは本格的なレストランというよりも軽食スタンドのような場所で販売される事が多く、焼いたソーセージをケチャップとカレー粉で味付けされたシンプルなメニューは、プレートヒェンと呼ばれるパンとフライドポテトが添えられて気軽に食べられる庶民の味として親しまれています。 カリーヴルストが登場したのは第二次世界大戦後の事とされ、壊滅的な打撃を受けたベルリンの市街地を再建する為に働いた建設労働者の間で人気を博し、広く普及する事になったとされます。 混沌とした世相の中、突然登場して普及した感のあるカリーヴルストだけにその由来については諸説があり、はっきりしていないとされますが、有力視される由来としてベルリンに住む一人の女性が発明者と見られています。 西ベルリンのシャルロッテンブルグでソーセージを売る屋台を経営していたヘルタ・ホイヴァーは、雨で客足が途絶えた中、退屈しのぎにソースの調合を試している中でカリーヴルストを考案したとされ、彼女にケチャップやウスターソース、カレー粉を卸していたのがイギリス軍の兵士とされます。 発売後、カリーヴルストは大人気となり、最盛期には週に1万本を売り上げるヒット商品になったとされ、小さな屋台はレストランへと変わったと伝えられています。 ヘルタによるカリーヴルストの発明説はベルリンを中心とした地域で支持されているとされ、ルール地方ではエッセンのソーセージ屋台で店主がカレー粉の缶をケチャップを入れた容器に落としてしまい、偶然に発見されたとする説が支持されています。 いずれにしてもカリーヴルストの誕生にはカレー粉が不可欠で、カレーを作るたびに複雑なスパイスを調合するという手間を、カレー粉という形で軽減したイギリスの功績は大きいという事ができます。 日本とドイツ、それぞれの地域で独自に発展したカレー文化。カレー粉の偉大さを思いながら、意外と簡単そうなカリーヴルストを再現してみようと考えています。
2014年01月08日
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日本ではあまり馴染みがないのですが、1月6日はキリスト教の祝日の一つ、「公現節」となっています。公現節については諸説があるのですが、一番解りやすいのは東方の三博士がイエス・キリストのもとへ到着した日とされ、その日には特別なお菓子、「ガレット・デ・ロア」が用意されます。 ガレット・デ・ロアは作られる地方によって微妙に異なるのですが、一般的にはフランジバーヌと呼ばれるアーモンドのクリームが入れられたパイで、紙で作られた王冠が載せてあります。 もう一つの特徴はフランス語でソラマメを意味する「フェーブ」と呼ばれる小さな陶器の人形かコインが入れられていて、切り分けられた小片の中からフェーブが出てきた人には王冠を被せて祝福し、その人は一年間幸福が続くとされます。 ロアはフランス語では王様を意味するので、「王様のガレット」なのかと思えるのですが、東方の三博士は「ロア・マージュ」と呼ばれる事から「博士のガレット」と考える事もできます。 フランス以外を見てみると、オーストリアでは公現節にはケーニヒスクーヘンというケーキが焼かれ、意味は「王様のケーキ」となっています。フランスなどから移住した人たちの習慣が色濃く残されているアメリカでは、キングスケーキと呼ばれるお菓子が焼かれているので、ガレット・デ・ロアは王様のガレットで良いのかもしれません。 最近では日本でもガレット・デ・ロアを焼く洋菓子店も増え、手作りする家庭も増えたようで、今頃の時期に店頭に特徴的なパイが並べられていたり、雑貨店などでフェーブだけを扱っている場面を見掛けるようになってきました。 古くは古代ローマのサートゥルナーリアと呼ばれる祭典にまで遡るとされ、豆を入れたケーキを焼いて、豆が入った部分が当たった人がパーティーの王様としてもてなされたといいます。 とても楽しげ事なので、難しい宗教的な事は抜きにしても定着すれば良いなと思っています。
2014年01月07日
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