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鍋物というと、とても身近で家庭的な雰囲気を感じます。それぞれの季節に応じた旬の食材を集め、家族で鍋を囲んで湯気の上がる鍋で調理しながら食べるというのは、日本の家庭における団らんの風景とも思えます。 鍋物は地域に根差した伝統的な物から新たに考案された物、従来の物に一工夫した物など食材や味付けなど無限に近いバリエーションが存在するように思えます。そんな多種多様な鍋物の中で一つだけ異彩を放ち、家庭での調理は不可能と思える物が「すっぽん鍋」だと思います。 すっぽんという食材自体が通常は入手が困難という事もあるのですが、2000度にも達するコークスを燃焼させるという強烈な火力や、それに耐えられる土鍋の使用、強力な火力を使用するためにわずかな時間で調理を完了する事、具材がすっぽんのみである事など、すっぽん鍋は他の鍋物とは大きく違う特徴をたくさん有し、家庭料理ではない事を強く感じさせてくれます。 鉄さえも溶けてしまう高温にさらされる土鍋は、何度もコークスの火に当てて文字通り鍛えてから使われるといわれ、高温に耐え抜き、継続使用ができるようになる事を「鍋が育つ」ともいわれます。 通常よりも厚手に作られた特別な土鍋も使われるそうですが、それでも育つ鍋は10個中、2、3個ほどとも100個に1個ともいわれ、せっかく育った鍋もあまり長期間に渡っての使用には耐えられないとされます。 育てている間もしょうゆや酒を染み込ませたり、すっぽんの脂を塗り重ねたりという後の味に関わる工夫が施され、割れそうな雰囲気が感じられるとその鍋は長期間外気にさらされ、乾燥と生地を締める事が行われて割れにくくするといわれます。 そうした世界観がすっぽん鍋を家庭料理から遠ざけ、専門店でのみ食べられる料理としているようにも思えるのですが、すっぽん自体はかなり古くから食べられていて、縄文時代の貝塚からも当時の人がすっぽんを食べていた痕跡が発見されています。 それだけ古い歴史を持ちながらすっぽん鍋が家庭料理から離れて行った背景には、高い温度で一気にゼラチン質を分解させる事ですっぽんの深い美味しさが引き出せる事を経験的に学んだ結果という事ができます。 家庭料理という位置付けを捨て、多くの土鍋を破壊しながら美味しさが追求されるすっぽん鍋には、何かを得るためには何かが犠牲になるという言葉を思い出してしまい、近寄りがたいものさえ感じてしまいます。
2014年02月28日
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酒としょうゆを合わせた物に少量のごま油、山盛りの生姜を添える...。大好きな池波正太郎の時代小説、「剣客商売」に登場する主人公、秋山小兵衛のお気に入りの豆腐の食べ方として記載されています。 小兵衛は豆腐が大好物という設定で、月に豆腐代として三両も使ったとされるので、かなりの量を食べていた事が伺えます。一両は一人が食べる主食の米、一年分の価値である事や、そばの値段を元に現在の価値に換算すると13万円に当たるとされる事から、かなり高級な豆腐をたくさん食べたのではとも思えてきます。 それだけ豆腐が大好きな主人公のお気に入りの食べ方とあっては、真似をしてみなければと試した事もあるのですが、なかなか加減が難しく、ごま油が少しでも多いと香りが強過ぎ、しょうゆや酒のバランスも微妙となってしまいます。 主人公の妻、お春は料理上手な設定なのですが、そのお春も小兵衛の好みに合わせるにはそれなりの時間が掛かったようなので、一朝一夕にできるものではないのかと思ったりもします。 日本人と豆腐との関わりは非常に深く、豆腐の食べ方も非常に多くのバリエーションを見る事ができます。最も単純な料理のように思える冷奴でさえも、味付けに使われるタレの調合や薬味などにさまざまな変化が見られ、好みが分かれる事となっています。 そうした豆腐に関する専門書として最古の物とされているのが、江戸時代に書かれた「豆腐百珍」で、豆腐に関する料理が文字通り100種類登場しています。 豆腐を使った料理が100種類というだけで大変な事と思えるのですが、豆腐百珍には続編があり、「豆腐百珍続編」と「豆腐百珍余禄」が翌年とその2年後に書かれています。 版元とされる大阪高麗橋の春星堂藤屋善七なる人物については謎とされていますが、豆腐百珍の100種類に合せ豆腐百珍続編でも100種類、豆腐百珍続編の付録に38種類、豆腐百珍余禄に40種類の豆腐料理が記載されている事から、かなり博識の人物であったと思われます。 また、登場する豆腐料理は、どこの家庭でも普通に作られている「尋常品」や食通でなければ知らない「通品」、尋常品の中でも優れた料理の「佳品」、意表を突いた驚くような料理の「奇品」、奇品の類でありながら料理としても優れている「妙品」、豆腐の美味しさを活かし切った最高クラスの料理である「絶品」に分けられていて、料理のランク付けとしても見る楽しみがあります。 豆腐百珍に関しては当時の難解な文体ではなく現代語訳が出版されているので、読んでみるだけでも楽しめる事と思えます。100品全部作ってみるかといわれると、いつも豆腐を前に思う、豆腐は冷奴が一番という思いが邪魔をするように思えてきます。
2014年02月27日
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何かがたくさん取れたり、特産品として名物になっていたりする場所の事を「○○どころ」と呼んでいて米どころなどが良く知られ、それぞれの地域にその名産品に関するレシピが多く存在するのですが、その食材の名産地にはその食材に関する独自のレシピはほとんどなく、実際にその地域では生産はされていますが、ほとんど食べられていないという奇妙な農作物があります。 その農産物の名は「大豆」。大豆の生産量世界一を誇るアメリカでは、大豆を食べる食文化はなく、国民の間にヘルシーな食材という認識は浸透していながら、ほとんど食べられていないという状態になっています。 アメリカが大豆生産量世界一の地位を得たのは1954年の事で、それまで世界一を誇っていた中国を抜いて世界一となり、それ以降、一度も一位の座を明け渡す事もなく、大量の大豆を生産し続けています。 すでに半世紀を超える世界一の生産の歴史の中、アメリカ人が大豆を食べようとした形跡は見られず、大豆を食べるという発想がなく、大豆を食材として認識していないとも思えるのですが、健康志向が強いアメリカ人は日本人以上に大豆に含まれるタンパク質やレシチン、イソフラボンといった成分の効能について認識していて、アメリカ合衆国政府も健康のために大豆を食べる事を推奨しています。 地産地消が定着している日本人の感覚からは、何故食べもしない物を大量に作り続けるのだろうと不思議に思えるのですが、大豆は大豆油の原料となり、家畜の飼料としても使われています。 大豆に含まれているタンパク質は飼料として与える事で牛の肉へと変換され、アメリカ人にとって重要な食材である牛肉として食べられているという事もできます。 タンパク質に焦点を当てて食の効率という部分から見ると、牛肉を得るためにはその7倍の大豆が必要となる事から、如何に大量の大豆が必要になるかという事が理解でき、肉食がエコではないといわれる理由も判ります。 FDA(米国食品医薬品局)によって大豆が多くのアメリカ人の死因となっている心臓病のリスク低下に有効である事が発表されて以来、大豆を食べる事は広がってきているとされますが、牛乳と同じ感覚で売られている豆乳を除き、市場の拡大はそれほど見られていないといわれます。 その背景には家畜の飼料を食べるという事への抵抗感や、大豆を消費するようになる事で飼料としての大豆が高騰したり、品薄になったりして牛肉価格の安定や供給に支障が出るのを嫌ったと考える事もできるのですが、単純に大豆特有の青臭いにおいが受け入れられなかったともいえます。昆布と一緒にふっくらと煮上がった大豆の美味しさを知らないのは、かなり不幸なようにも思えます。
2014年02月26日
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自生していた小麦の粒を地面に蒔いておくと、次の年も同じように小麦が得られる事に気付いて以降、人類は小麦の栽培を行うようになり、自然な交雑や品種の淘汰によって、より栽培や収穫、食用に適した小麦が作られるようになり、栽培地域の拡大や農法の発達によって人類にとって最も重要な穀物の一つとなり、多くの地域で食文化の中心的存在となっています。 長い栽培の歴史を持ち、その間に膨大な量が食べられてきながら生活習慣病を引き起こした事例は見られず、小麦が多くの生活習慣病の原因となり得るという説には違和感を覚えずにはいられません。しかし、人類と共に過ごした長い歴史を持つと思っていた小麦には、近年になってある変化が加えられており、その変化が小麦を有害な物へと変えてしまったと否定派の人たちは主張しています。 小麦が変化する源流は、今から200年ほど前のある経済学者の一言から始まったという事ができます。イギリスの経済学者トマス・ロバート・マルサスは、世界の人口が食料の栽培能力を追い越してしまう日がそう遠くない事を予測しています。 それに対しアメリカの能楽博士、ノーマン・ボーローグは高い収量を持つ品種を開発し、農業技術の改善を行って穀物の大幅な増産を行い、「緑の革命」と呼ばれた農業改革によってメキシコでは3倍の生産量を達成するなど大きな成果を上げています。 小麦などの穀物は収量を増やそうとすると穂の重量が増してしまい、倒れてしまって収穫できなくなるリスクを持っています。ボーローグ博士は小麦農林10号を親にする事で背が低く、茎が丈夫な小麦を作る事に成功し、数億人もの人を食料危機から救ったとされます。ボーローグ博士の小麦は「奇跡の麦」と呼ばれ、同じような手法を用いた米などの奇跡の品種の開発が相次ぎ、世界規模での緑の革命が起こっています。その功績によってボーローグ博士は、1970年にノーベル平和賞を受賞しています。 否定派によると奇跡の小麦は突然変異によって生まれたとも、遺伝子操作によって作り出されたともいわれ、そのために小麦に取って重要な成分であるグルテンに変化が起きており、特にグルテンの元となるグリアジンがそれまで人類が接してきた小麦のものとは大きく変化してしまっているとされます。 変化したグリアジンは血糖値を急激に上昇させる働きを持ち、それが小麦を食べた後のインシュリンの分泌や血糖値を下げるための糖分の行く先である脂肪細胞の成長といった弊害に繋がり、生活習慣病を助長していると考えられています。 また、奇跡の小麦は多量の肥料を与えても小麦の丈が高くならず、倒れないという特徴がある事から、収量を少しでも多くするために肥料を与え過ぎてしまう事も問題視されており、生産量が飛躍的に向上した事で価格が下がり、より多くの小麦が消費されるようになった事も問題を深刻化したと考える事もできます。 糖質を制限するダイエットが流行し、昔のような主食を多く、おかずを少なくといった食事が評価されなくなってきている中に出てきた小麦有害論。納得させられるものを感じつつも、小麦を食べないという食生活は実現不可能と思えるほど困難なものとなるのではと思えてきます。
2014年02月24日
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食べるべきか、食べないべきか、これまで牛乳や玄米についてはそうした意見に触れる事があり、このコラムでも採り上げた事があります。そこへ新たな食材、小麦が加わるとはパン好きの身としては考えもしない事となっていました。 小麦を食べる事に関する否定的な意見の出所は、アメリカの医学博士、ウィリアム・デイビス博士の著書、「小麦は食べるな」に端を発しており、循環器系科の医師であり、その筋の権威とされるデイビス博士によると高血圧や肥満、糖尿病をはじめとした多くの生活習慣病の原因が小麦にあるとされ、適切に小麦を食べない食生活へと切り替える事で、多くの症状が軽減されえといいます。 人類が農耕生活を始め、穀物を主食としてたくさん食べるようになったのは、人類の歴史から見ると僅かな期間という事もできますが、時間的にはそれ程短い期間という訳でもなく、また、そのすべてにおいて生活習慣病に苦しめられていたという訳ではないと反論したくもなってしまいます。 小麦は中央アジアのコーカサス地方から西アジアのイラン周辺が原産地と考えられ、1万5千年ほど前に1粒系と呼ばれる小麦の栽培が始められています。その後、1粒系小麦はクサビコムギと交雑した事で2粒小麦となり、さらに野生のタルホコムギと交雑して今日見られる普通小麦が生まれています。 普通小麦が誕生したのは紀元前5500年頃と見られ、メソポタミア地方で栽培が行われた後、紀元前3000年頃にはヨーロッパやアフリカへと伝えられています。そのため少なくとも5000年近い歴史を普通小麦は持つ事となり、生活習慣病が問題となるのは近代のわずかな期間に過ぎないと思えます。 栽培が始められた頃の小麦は小麦の穂が実り、成熟すると風などによって飛び散ってしまう性質があり、収穫には大変な手間を要していたとされ、その貴重性から小麦は通貨のような物として使われていた形跡が残されているといいます。 栽培する土地がさらに拡大する中で、小麦の品種に関する淘汰が進み、厄介だった成熟した穂が飛び散るという性質が失われた事で小麦は主食に近い位置を占める事になっていきます。しかし、その当時は小麦のライバルとして大麦が存在し、収量が多く収穫が早い大麦の方が小麦よりも重要な穀物として見られていました。 その頃、小麦も大麦も粒ごと鍋で煮てお粥のような物として食べられていましたが、挽き臼が使われるようになって製粉技術が向上すると粘りを持つタンパク質、グルテンを豊富に含む事で加工が容易な小麦の重要性が高まり、最も重要な穀物として捉えられるようになっていきます。 中国へはシルクロードが開かれた紀元前一世紀頃に伝えられたと考えられていますが、当時の中国で主食となっていた粟や米と比べると粉に挽かなければ食べられないという一手間の多さが妨げとなり、自動的に粉に挽いてくれる水車が発明されるまでは大きな普及には至っていません。 現在の主要な生産地とされるアメリカやカナダ、オーストラリアで小麦の生産が始められるのは、新大陸発見以降の大航海時代に植民者が持ち込んでからの事とされ、生産地の拡大、農法の改善などによって小麦の価格は下がり、徐々に食生活の中心的存在となっていきました。 そうした小麦が庶民の生活に溶け込んでいくのは18世紀以降の事とされますが、それにしても生活習慣病が問題となるには悲観的な開きが大きく、どことなく小麦と生活習慣病の関係は薄いようにも思えてしまいます。
2014年02月22日
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何かの役に立つのかと聞かれると首をひねるしかないのですが、サバイバルのためのテクニックに関するテレビ番組を見ていたりする事があります。生き残るための知恵を身に着けるというより、そのような過酷な環境で人が遭難する可能性があるという方が興味深く、生きているうちにはまず行く事のない環境を見て楽しんでいるという方が正確かもしれないと思います。 その番組の中で繰り返しいわれる事ですが、やっと見付けた水でも動物の死骸が浮いていた場合は決してその水を飲んではダメで、その理由として死骸によって水が汚染され、お腹を壊してしまうからだと説明されます。 サバイバルのような極限状態でお腹を壊し、下痢を引き起こしてしまうと死に繋がる可能性が非常に高まり、下痢は死に繋がる病である事を認識するようにいわれていて、清潔で栄養を充分に確保する事ができ、薬剤も水分も必要なだけ補給できる環境にあると下痢は不快な症状を及ぼすだけのように思えてしまうのですが、現在、世界中の子供の死因の第二位は下痢となっています。 第一位は肺炎となっているのですが、多くの病気で体力や免疫力が低下し、肺炎を併発して死に至る事を考えると、下痢は非常に高い死亡率を持っている事が判り、肺炎と下痢を合わせると子供の死因の約3割にも上るとされています。 日本に限っていうと肺炎も下痢も子供の死因のトップ3には入ってもいないのですが、世界的には肺炎で130万人、下痢で70万人もの子供の命が奪われているといいます。 肺炎と下痢による死亡の7割がアフリカ大陸のサハラ砂漠より南の地域か、東南アジアの15カ国に集中しているとされ、多くの地域で死亡率が低下する傾向にありながら、一部地域では毎年増加しているともいわれ、途上国では深刻な問題である事が判ります。 肺炎や下痢を引き起こす原因はさまざまとされる中、栄養状態や衛生状態の悪化、授乳が適切に行われていないなどの共通の危険因子が見られるとされ、改善が可能な問題であるという事もいえます。 日本では下痢が死に至るという認識はほとんどありませんが、深刻な事を引き起こす可能性も持っている症状である事や、世界の子供たちに暗い影を投げかけるものである事を認識し、下痢が怖くない環境にある事への感謝と困っている子供たちに対し何か出来る事はないのかと考えてしまいます。
2014年02月21日
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以前、お気に入りのお好み焼き屋があり、よく食べに行っていたのですが、ある日、店主のおばさんと話をしていてピロリ菌がなかなかいなくならなくて困っていると告げられ、飲み水を介して感染する事を考えると何となく怖くなり、それ以降、食べに行っていないという事がありました。 ピロリ菌は、それまではいかなる微生物も棲息できないとされてきた胃の中にいる細菌として発見され、ピロリ菌の繁殖によって胃炎や胃ガンなどが引き起こされるといいます。 飲み水などを介して胃の中に入り込み、繁殖すると考えられており、日本は先進国の中でも高い感染率を持つ国とされていて、高齢者の約4割が感染していると見られています。 ピロリ菌への感染率は年代別に調査すると若い世代になるほど感染率が下がるとされ、1955年以降に生まれた人に顕著にその傾向が見られ、1970年代以降の生まれの場合、高齢層が4割にも感染率が達する事に対し、1割程度と極めて低い感染率となっています。 そうした傾向は飲み水に関する環境整備が進んだ事が理由として考えられ、安全で良質な水を得られるようになった事がピロリ菌の拡散を防いでくれているという事ができます。 ピロリ菌を殺菌する専用の抗生物質も処方されるようになり、以前ほどは怖くなくなった感じがするピロリ菌ですが、日本の水道事情の改善が感染者を減らし続けているのであれば、これからも無縁のままでいきたいと思ってしまいます。
2014年02月20日
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明らかに日本の食文化でありながら、和食かといわれると少し抵抗を感じてしまうもの、丼物はそのような微妙な位置付けを持つ食べ物のようにも思えます。 日本の正式な作法では主食であるご飯とおかずは別々に盛り付けられ、それぞれを箸で一口分ずつ口に運ぶ事から、ご飯とおかずが一緒に盛り付けられた丼物は、合理的ではありながら正式ではないように思える所以とも考える事ができます。 丼物の「丼どんぶり)」の語源については諸説があり、江戸時代に安価な食事を提供していた飯屋を「けんどん屋」と称していて、ご飯のおかわりを出さない代わりに最初の一杯を多めに出すために器が大きくなり、それを「けんどん振り鉢」と呼んだものが短縮されて丼鉢となり、丼という名称が生まれたともいわれます。 また、表記された文字が井戸を意味する文字の中に点を持つ事から、井戸の中に何かを投げ入れた際の「どんぶり」という音が語源であり、大きな器で中に何でも投げ入れる事からその名が付いたともいう説も説得力を感じさせてくれます。 しっかりと日本の食文化に根付いている丼物ですが、歴史を見てみると意外と浅く、ルーツと見られている「芳飯」にしても室町時代にならないと登場しません。比較的歴史があるとされる天丼も最初の丼物といわれる事の多い鰻丼も、江戸庶民が愛したとされる深川丼も誕生するのは19世紀に入ってからで、江戸時代末期の事となっています。 そうした歴史の浅さが和食と丼物の微妙な距離感に繋がっているようにも思えます。時代が明治になると今日の牛丼のルーツとなる牛鍋の割り下をご飯に掛けた牛鍋丼や、牛鍋の割り下を卵でとじた開化丼、肉を牛から鶏に変えて卵でとじた親子丼なども登場し、洋食華やかな大正時代にカツ丼が考案されています。 最近では丼物も日本の食文化として海外で紹介され、食べられるようになってきています。現地でその土地の食文化を採り入れて新たな丼物が生まれ、また、日本でも大手のチェーン店を中心にさまざまなバリエーションが考案されています。時と共に変化を続けるという柔軟性も伝統的という観点からは外れてしまうのかとも思えてきて、やはり微妙なものを感じてしまいます。
2014年02月19日
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学生の頃、少し離れた私立大学の学食で「カツラーメン」なる物があり、実際にラーメンの上にトンカツがトッピングされているという噂を聞き付け、興味本位にわざわざ見に行った事があります。 学食の入口にはガラス製のディスプレーがあり、その中に昔ながらの主要なメニューの蝋細工の見本が並べられていました。その中に噂通りのトンカツが乗せられたラーメンがあり、それを見て驚きながら、少し奥にある券売機に「カツラーメン」の記載があるのを確認して帰りました。 強烈なインパクトを感じながら、それほど魅力的には思えない事や、その当時から決まった食事の時間以外にはお腹が空かないという事もあり、試食はしなかったのですが、後に食べてみたという友人に感想を聞いてみると、トンカツが乗ったラーメン、それ以外の何物でもないというそっけない答えしか返ってきませんでした。 その後、長く記憶に残されていたカツラーメンが岡山のご当地グルメであるという事を知り、意外なところにルーツがあるものだと改めて驚かされてしまいます。 熊本で見たカツラーメンは、熊本の食文化の影響を受けたためか、ラーメンがとんこつの熊本ラーメンだったのですが、本家の岡山のカツラーメンは当然のことながらしょうゆベースの岡山ラーメンとなっています。 元祖とされる店は数軒存在するために、ルーツは特定できないとされますが、岡山ではラーメンが専門のラーメン店ではなく大衆食堂で出されていたため、他のメニューを一緒に注文する事ができ、給料日に奮発してトンカツを一緒に注文してトッピングするようになったといわれます。 自然発生的な物である事から、正確な発祥や熊本への伝来については明確にする事はできませんが、熊本のカツラーメンも同じく体育会系の生徒のニーズによって自然に生まれた可能性も考えられ、そもそも何故トンカツをトッピングとも思えてきます。 同じようにトンカツをトッピングする物というとカツカレーが思い浮かんできて、カレーもラーメンも日本の国民食とされる事から、大正の三大洋食と呼ばれたトンカツは、後に国民食と結び付く定めにあったのかとも思えてしまいます。
2014年02月18日
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先日、知り合いとデザートが充実している洋食店について話をしていて、とにかくパフェの種類が多いという話題に触れていました。「とにかくパフェのメニューがすごい数で、並んでいるリストの後に今度はサンデーのメニューが同じくらい並んでいて...。ところでパフェとサンデーの違いって」と尋ねられたので、どこから話をしようかと一瞬迷ってしまいました。 パフェとは日本で作られた和製外国語で、本来はフランス語で「完全な」という意味を持つ「パルフェ」であったといわれます。完全なデザートという意味から名付けられたともいわれるパルフェは、馴染み深いパフェとは少々異なり、卵黄に砂糖やホイップクリームを加えた物を型に入れて凍らせ、アイスクリーム状にした物に果物を飾り付け、チョコレートや果物などのソースをかけて仕上げられます。パフェとパルフェの最大の違いは、パルフェが皿に盛り付けて出される点にあるという事もできます。 パフェはパルフェを原型に生まれたといわれ、皿よりも盛り付けが用意で豪華に見えるように細長い形状の器に盛り付けられるようになったと考えられます。 サンデーはアメリカが発祥とされ、日曜日の特別メニューであったものが評判となり、平日にも売られるようになったとも安息日である日曜日に贅沢なパフェを食べる事に抵抗があったために、日曜日用に簡素なサンデーが用意されたともいわれますが、サンデーの綴りが「Sundae」である事から微妙なようにも思えます。 日本では主な違いとしてはパフェが細長い容器に盛り付けられる事に対し、サンデーは丸みがある容器に盛り付けられるという傾向があります。 また、明確な根拠はありませんが、パフェは昼間のデザートで、サンデーは夜用のデザートともいわれます。パフェは果物にアイスクリームをトッピングした物で、サンデーはアイスクリームにソースを掛けた物ともいわれ、さまざまな素材で作られ、時間を問わずに食べられている現状では、明確な違いを見出すのは難しいようにも思えます。 原産地を元にフランスで食べる際はパルフェ、日本ではパフェ、アメリカではサンデーという分け方も面白いようには思えるのですが、話題に上った洋食店のような場合もあるので、やはり器の違いと器に合わせた盛り付けがされるので、姿の違いというのが一番明確なようにも思えます。
2014年02月17日
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ごま油、大豆油、コーン油と日常的に接する油の多くが種から採られている事に対し、種ではない果肉の方から採られる珍しい油もあります。オリーブ油とパーム油はそんな珍しい果肉から採られる油で、含まれる脂肪酸の性質の違いから大きく異なる採油方法で精製されています。 オリーブ油は不飽和脂肪酸を多く含む事から常温では液体であり、生の果肉から果汁を搾って放置しておくと自然に油分だけが分離して表面に浮き上がってくるので、それを水分と分離すると得る事ができます。 それに対しパーム油は飽和脂肪酸が多く常温でも固形の状態にあるため、砕いた果肉を煮沸するなどしなければ分離する事ができません。採油に熱を必要としない事もオリーブ油の特徴の一つで、酸化率を低くする事に貢献している考えられます。 収穫したオリーブの実から少しでも多くのオリーブ油を得るために、すりつぶして搾った果汁を遠心分離機に掛けて採油するという工夫も行われており、そうして直接得られた油はヴァージンオイルと呼ばれています。 ヴァージンオイルの中でも特に品質の優れた物がエクストラヴァージンオイルと呼ばれ、品質の悪いヴァージンオイルは脱酸や脱臭、脱色などの精製工程を経て、酸度が0.3%以下に調整された物が精製オリーブ油として出回る事になります。 日本で安価なオリーブ油として親しまれるピュアオリーブ油は、この精製オリーブ油に中程度の品質のヴァージンオイルを加えて酸度を1%以下に調整したもので、くせが少なく使いやすいという特徴があります。 果汁を搾った後の果肉には、まだ若干の油分が残されている事から、石油系の有機溶剤を使って残った油分を抽出し、そうして得られた油脂はポマースオイルと呼ばれ、本来のオリーブ油とは成分的にも異なる部分がある事から、国際オリーブ協会ではポマースオイルをオリーブ油と表示してはいけないと規定しています。 そのため工業用原料として扱われる事が多いポマースオイルですが、精製して酸度を0.3%以下にするなどしてJASをクリアすると日本国内で食用として販売する事が可能となり、格安の価格で販売されるオリーブ油の多くが精製ポマースオイルであるともいわれます。 最近ではオレイン酸を多く含むヘルシーな油として完全に定着した感があるオリーブ油ですが、本場のイタリアを見ると単なる油脂としてだけでなく、万能調味料としても扱われていたりしてオリーブ油との接し方の違いを感じてしまいます。油分としてだけでなく、果汁の一部という発想も必要なのかもしれないと思えてきます。
2014年02月13日
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肉類でお薦めはと聞かれると、通常のスーパーで入手可能な物に頭が行き、牛や豚、鶏の肉が思い浮かんできます。その中からお薦めとなると、さまざまお薦めする理由を考えてしまいます。 高タンパク低脂肪でヘルシーな肉としては鶏肉が広く知られ、味的にも比較的淡白である事から調理の幅が広いように思えます。 含まれる栄養素やアミノ酸の質的な近さでは豚肉が良いように思え、比較的脂身の少ない部位を選べば、脂質を多く摂ってしまう心配もないという事ができます。 3種の肉の中では一番単価が高い牛肉ですが、栄養や健康面からは少し出遅れた感じですが、3種の肉類の中では最も多くのカルニチンを含んでいます。 カルニチンは脂肪酸の分解に必要な成分として体内で合成されますが、合成するために必要となるリジンとメチオニンは必須アミノ酸であり、食べ物を通じて摂取する必要があります。 肝臓などで合成されたカルニチンは血液を介して全身へと運ばれ、筋肉に摂り込まれていきます。筋肉には細胞内でエネルギーを発生させるミトコンドリアが多く存在するのですが、カルニチンはそのミトコンドリア内に脂肪酸を運搬してエネルギー源とする事に深く関わっています。 食べ物を通して摂取された脂肪は、グリセリンと脂肪酸に分解されます。その脂肪酸をミトコンドリア内へ運搬するのがカルニチンで不足すると慢性的な疲労と感じるようになってしまいます。 肉類を食べる際、脂肪分も摂取してしまう事から、消化吸収、利用という点からもカルニチンを摂取する価値があるという事ができ、その点では牛肉もお薦めと思えてきます。どうやって考えてみると、どれも甲乙着けがたいとも思えてしまいます。
2014年02月12日
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一時シリアル食品などに表示された事はあるのですが、あまり広くいわれなかった事に「GI値(グリセミックインデックス)」があります。GI値とは単純にいってしまうと、炭水化物が消化されて糖に変化する速さを数値化したもので、その食品がどれだけ血糖値を上げてしまうかを知る目安という事もできます。 食品の炭水化物50gを摂取した際の血糖値の上昇度合いを、ブドウ糖を100とした場合から相対的に表していて、血糖値が上昇した事を示す曲線によって囲まれた面積が基準とされます。 血糖値が上昇した事を示す面積を基準としている事から、摂取した食品によって血糖値の急激な上昇が起こらず、緩やかに上昇したとしても、長い時間血糖値を上げたままの状態が長く続けばGI値は高い数値を示し、急激に血糖値を上昇させたとしても、その後、急速に血糖値が下がってしまう食品ではGI値が低く算出されてしまうという体への負担とは異なる結果がでてしまう傾向があります。 また、炭水化物50gを基準としているため肉類や魚介類などの炭水化物をほとんど含まない食品では計測する事ができず、無理に計測しようとすると50gの炭水化物を含む量となり、数十kgといった一回の食事では摂取できない量を想定する事となってしまいます。 健康管理という観点からは活用しにくいような印象を受けてしまうGI値ですが、GI値が低い食べ物で食生活を組み立てた場合、2型の糖尿病と心臓病のリスクが低くなる事や、血液中の糖の量をコントロールできるため、最近、老化を引き起こすとして悪者視されてきている糖化タンパクを少なくする事も考えられます。 現在のところ各研究機関によって食品ごとに発表している数値にバラつきが見られたり、食品そのものを基準とし数値が発表されていたりと、GI値を巡る環境が完全には整備されていなかったり、低いGI値の食品でも大量に食べてしまうと結果的に血糖値を上げてしまう事、GI値のみでは食品に含まれる栄養成分全体を把握できない事など、今後の課題と考えるべき部分は多く残されているのですが、身の回りに多く存在する炭水化物を思うと、意識しておいた方が良いもののように思えてきます。
2014年02月10日
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1億5500万人、日本の総人口よりも多く、しかも少子化によって減り続ける日本の人口とは違い増え続けている人数。どこの国の事だろうと思えるのですが、実はこの数字、世界中の肥満と診断された子供の数とされています。 いくつもの研究データによって痩せ気味の人より小太りの人の方が長生きである事が裏付けられ、小太り、特に内臓脂肪が少なく、筋肉質の人は健康的と思えるようになってきたのですが、子供の肥満となるとまた別問題のようにも思えます。 大人の肥満の場合、生活習慣病に繋がってしまう事が意識され、健康診断のさまざまな数値に注意したり、それを改善するための生活改善などを行う話を聞かされるのですが、子供の場合は見過ごされたり、ある程度成長した段階で過度のダイエットを行う事に繋がったりと多くの問題を内包しているという事ができます。 先日、有名な医師の方が「肥満はガンと同じように死に繋がる危険性を持っている。それなのにいい加減なガンの克服法を著した本を出版すると処罰されるのに、いい加減なダイエットの本を出版しても処罰されず、野放しにされている」と話しておられ、如何にもと思えてきます。きちんとした裏付けのあるものでなければ大きな弊害が伴う事も考えられ、それが成長期の子供となると取り返しのつかない事にもなりかねません。 子供は成長をはじめとするさまざまな事に大人よりも大きなエネルギーを必要とします。そのため直接的なエネルギー源となる糖分を多く含む物やカロリーの高い物を好む傾向があります。本能的な嗜好に合わせた物ばかりを与え過ぎてしまうと肥満に繋がってしまいます。 成長に必要な栄養素の過不足を見極めながら、できるだけたくさんの種類の食材に触れるようにする。結局、子育てには手間暇を掛ける事が大切という基本的な部分に戻ってきます。肥満大国と呼ばれて久しい米国で、子供たちに先週もっとも食べた野菜料理についてアンケートを取ったところ、第一位にフライドポテトが上げられていました。子供の肥満という問題の現実が見えたようにも思えます。
2014年02月07日
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相変わらず私の中で明確な答えが得られない事の一つに、牛乳を飲むべきか、飲まないべきかというものがあります。牛乳は完全栄養食に近く、牛乳を毎日飲む事で健やかな日々を過ごせるとする肯定派と、牛乳が健康に良いと信じられ、毎日のように飲用される事で多くの健康上の不具合が生じているとする否定派。どちらも充分に納得できるだけの根拠が示されておらず、どちらの立場を支持するべきか判らない状態が続いています。 否定派の意見の中には牛乳は血液とほぼ同じ成分であり、それ故に飲むべきではないとするものもあるのですが、世界の食文化を見回してみると、血液を食材とするという事については問題がないように思えます。 ユダヤ教やイスラム教、エホバの証人の信者の間では血液を飲む事や、血液によって作られた食品を摂取する事は戒律で厳しく禁じられています。日本でも見られる「白魚の踊り食い」のような小さな動物を、生きたまま食べるという摂取方法も血液が含まれているために禁止されている事から戒律の厳格さを伺う事ができます。 しかし、そうした宗教的な血液摂取への禁忌は稀な例となっていて、獲物となった動物に豊富に含まれ、栄養価が高い血液は食材の一部として扱われる場面の方が多くなっています。 家畜として飼育していた豚を屠殺し、さまざまな素材として余す事なく使い切る事で厳しい冬を乗り切ってきた伝統を持つドイツでは、保存食であるソーセージに血液を入れた物が作られていて、味にコクを持たせ、栄養価も高める重要な素材となっています。血液を使ったソーセージはブータンでも作られていて、血液そのもので作られたソーセージや血液を加えたプディングなどが伝統的に食べられています。 アジアでも中国やベトナムで豚やアヒルの血液を使った食材が見られ、特に中国では豚の血液を塩水を使って凝固させた「猪紅」と呼ばれる豆腐のような加工食品が作られ、お粥や鍋料理の具材として食べられています。 日本では長い間、四足歩行の動物の肉を食べる事を仏教の戒律や穢れを嫌う神道の考えから禁忌としていたのですが、スッポンや鯉、一部の蛇などの血液を精が付くとして飲用する習慣があり、完全に血液を摂取する事に否定的ではなかった事が判ります。 そうした血液を食用とする文化は世界各地に見られ、牛乳を血液と成分的に同じであるとして飲用を否定する事は、根拠に乏しく、感情的な事のように思えます。玄米食と同じく、肯定すべきか否定するべきか、早く明確な答えを見付けたいと思ってしまいます。
2014年02月06日
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南阿蘇にガレットを食べさせてくれるカフェができて評判となっていると聞かされ、南阿蘇の食文化も多様化したものだと思える反面、ロケーション的にとてもぴったりな食べ物とも思えてきます。最近人気のガレットですが、もともとはフランスのブルターニュ地方に伝えられた郷土料理で、そば粉を使った物が限定的にガレットと呼ばれています。 ブルターニュ地方は土地が痩せていて、気候も冷涼であった事から小麦の栽培が困難であり、代わりにそばが育てられていました。当初は粉に挽いたそばはそばがきのような物として食べられていたのですが、偶然、そばがきが焼けた石の上に落ち、香ばしく焼けた事から薄く広げて焼き上げるガレットが生まれたとされ、石で焼いたという故事はフランス語で小石を意味する言葉、「ガレ」がガレットの語源になっている事にも見る事ができます。 ブルターニュ地方の主食的存在となっていたガレットですが、ルイ13世が妻のアンヌ王妃を伴ってブルターニュ地方を訪れた際、アンヌ王妃が庶民の食としてガレットを食べて気に入り、宮廷料理に採り入れられる事となっています。 宮廷に伝えられたガレットはそば粉から小麦粉へと材料が変わり、粉と水と塩だけだったシンプルなレシピには牛乳やバター、卵や砂糖といった贅沢な素材も加えられる事となり、呼び名も焼き上げた際の表面の様子が布地のちりめんに似ていた事から、「絹のような」という意味を持つクレープと呼ばれるようになっていま。 ブルターニュ地方から宮廷に伝えられ、洗練されてクレープへと変貌を遂げたガレットですが、薄く焼かれたパンケーキがクレープと総称される中、そば粉を使った物だけはガレットと呼ばれる事にブルターニュの伝統が残されているように思え、クレープ屋が散在するパリの街でもブルターニュ地方へ向けた列車の発着駅であるモンパルナス駅の周辺に店が集中している事からも、クレープとガレット、ブルターニュ地方の関わりの深さが伺えるように思えます。
2014年02月05日
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一年で最も寒い時期を指した大寒にありながら、このところ春そのものの暖かい日が続いていました。暦の上では春の始まりとされる立春を迎えるので、暦通りと思いながら、寒の戻りが少々怖いようにも思えます。そんな季節の移り変わり、季節と季節の間には節分があります。 節分というと立春の前日の事と思えてくるのですが、本来は四季の移り変わりの間に4つの節分が存在しています。しかし、昨今、節分というと立春の前日の日を指すようになってきていて、邪気を払って福を呼び込むために豆がまかれたり、運気を高めるために恵方巻が食べられたりといったイベントも伴う事から、節分とは立春の前日という位置付けが根付いてしまっていくようにも思えます。 節分に行われる縁起物の豆まき、最近では住宅事情の変化やまいた後の豆の回収の煩わしさなどから、行わない家庭も増えてきているといいます。我家でも回収漏れした豆を猫が誤って飲み込んでしまう事などを考えると、今年も行わないまま立春を迎える事と考えています。 実施する家庭が減少傾向にある豆まきに対し、恵方巻の方は増加傾向にあるとされ、アンケートによると認知度は全国に及び、本来行われていた関西を中心に節分の日には切り目のない巻き寿司が食べられています。 恵方巻は本来関西を中心に行われていたもので、全国的に知られるようになったのは、大手コンビニエンスストアの全国販売が元になっています。恵方巻という名称も発売時に採用されたもので、それ以前の文献には恵方巻という記載は見られず、「丸かぶり寿司」や単に「巻き寿司」といった名称で呼ばれていました。 大手コンビニエンスストアで恵方巻の全国販売が開始されたのは1998年の事とされ、そこから恵方巻は急速に全国に広まり、節分の定番行事としていわれるようになっています。 恵方巻の期限については諸説があって定かではなく、有力視されているところでは江戸時代に大阪の商人の旦那衆の間で行われた遊びに由来するというものや、商売繁盛や厄払いの意味で始められたとするもの、節分の日に行われた祭りで巻き寿司を切り分ける手間を省いて振舞われた事に由来するといった事がいわれています。 古いものの中には、豊臣秀吉の家臣だった堀尾吉晴が出陣に当たって巻き寿司を食べて出陣し、大勝利を収めたという故事に由来するともいわれますが、巻き寿司に欠かせない板海苔が作られるようになるのは江戸時代に入ってからの事なので、少々時代的に無理があるようにも思えます。 恵方巻にされる巻き寿司には決まり事はないとされますが、キュウリなどの青物が青鬼、桜でんぶなどの赤い色の物が赤鬼を表現し、それを巻き込んでたいらげる事で邪気を払うといった事や、七つの具材を七福神に見立てて巻き、福を取込むという意見もあります。 江戸時代に入って板海苔を作る技術が確立され、海苔巻が考案されますが、海苔や白米などは高価であり、巻き寿司を切らずに丸ごと食べるというのは贅沢なものであったと考える事ができます。これから春が始まるという日に、願い事と共に贅沢をするという事は全国的に行われていた可能性を感じる事ができます。 そうしたかつては行われていたが、いつの間にか途絶えていたという記憶が恵方巻の急速な普及の背景にはあったように思えます。巻き寿司を一本食べてしまうのが辛いという意見があったためか、明らかに短い物や神事のような雰囲気なのに海鮮が使われている物、手巻き寿司や中にはロールケーキなど、少々疑問が生じてしまう物も見掛けられますが、いつの間にか全国的に定番行事として認知されている縁起担ぎを、今年はどうしようかと考えています。
2014年02月04日
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鍋物が美味しく感じられる時期、少しお洒落な店では半分に割られた竹の器に盛られ、少量を添えられたスプーンなどで鍋の中に入れる「つみれ」は主役級の存在と思えます。 鍋に入れる際に手を汚さず、スマートに落とし込む事ができる竹の器とスプーンという組み合わせはとても便利で良いものに思えるのですが、つみれの語源から考えるとどこか邪道のようにも思えてきます。 つみれはすり身にした魚肉に片栗粉などのつなぎや調味料を加えて練った物で、食べる際に少量の塊りを手で摘んで入れていく「摘み入れ」が語源となったといわれます。 そのためスプーンを使ってしまうと摘まずにすくってしまう事から、「すくれ」となってしまうように思えてしまうのですが、魚肉のすり身を使った物が「つみれ」で、鶏肉や豚肉などのひき肉を使ったものは「つくね」という分類があるので、スプーンでもつみれなのかもしれません。 魚肉を使ったつみれ、鶏肉や豚肉で作られるつくねと便利な使い分けがあるように思えるのですが、その区別はそれほど厳密ではなく、語源から考えてみても明確に分ける事は難しくなっています。 つみれが「摘み入れ」から来ているように、つくねも「捏ねた(事前に良く練ってきちんと成型した)」が元になっていて、鍋に入れる素材を用意した段階で魚のすり身がきちんと丸めてあった場合、つみれではなくつくねであるという事ができます。 魚肉は鮮度が落ちやすく、特に鍋に使うような大きな切り身が得られない小さな青魚の場合、すり身にすると鮮度が落ちやすくなってしまいます。それに対し鶏肉や豚肉は魚肉ほどには鮮度を気にする必要がない事から、鍋を始める直前にすり身にして鍋に少量ずつ入れていく魚肉と、事前に鍋に入れやすいように小さく丸めておく鶏肉や豚肉。そうした違いが魚肉はつみれ、鶏肉や豚肉はつくねという習慣に繋がり、素材ごとに呼び分ける事になったと思えます。 鶏肉のつくねが何故か得意料理のようにいわれているのですが、いつも鶏団子と呼んでいました。そろそろ調理法によって呼び方を変えても良いのかもしれないと、一人で考えています。
2014年02月03日
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