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最近、南阿蘇村でも空き地に太陽電池パネルを設置して、発電を行っているミニ発電所が増えてきました。太陽電池は盛んに開発が行われており、日進月歩で発電効率の向上や製品価格の低下が見られている事から、発電の申請だけを売電価格が高く設定された期間に出しておき、製品価格が下がるのを待っていつまでも発電に着手しない事業者の存在が問題視されていた事もあり、少し遅れて開設された発電所は、太陽電池パネルの価格が下がるのを待っていたのかと考えたりしてしまいます。 あまり商売といった事には無頓着なためか、一定の期間内に発電の登録を行わないと高額に固定された売電価格で電気を買い取ってもらえなくなる事は知っていたのですが、その期間内に申請を出しておき、太陽電池パネルの製品価格が下がるのを待って設備投資を抑えるという知恵は、最初に知った際はなるほどと思ってしまいました。 先日、そんな待機事業所のうち用地の買収が完了していないなど、一部の申請を破棄するといった事が行われるという報道を聞いたのですが、もし可能ならば待っていた方が良いのではと思ってしまいそうになる技術が開発されてきています。 これまで太陽電池パネルを作るには、高純度シリコンが素材として使われていました。高価な高純度シリコンに替わって、安価な「ペロブスカイト」が使用できる可能性が急激に高まってきています。 当初、ペロブスカイトは、安価で葉あっても太陽電池としての電力変換率が非常に低く、素材としては適切ではないとされていたのですが、研究者の参入が相次ぎ、技術が飛躍的に進歩した事によって商用に用いられる太陽電池モジュールの変換能力に迫る変換効率を発揮するようになり、将来的な素材として注目を集めるようになってきています。 ペロブスカイトとは結晶の構造を指す言葉で、地球上では比較的多く見られる構造となっています。有機と無機という性質の異なる素材をペロブスカイト構造で結晶化させる事によって半導体が得られ、半導体としての性質を使って太陽光を電気に変換させるのですが、ペロブスカイトの利点は基盤に塗り付けて乾かすだけで完成する事から、製造に要する手間も軽減できる事が考えられます。 研究者によっては、かなり雑な塗り方をしてもきちんと性能を発揮してくれるという事で、製造のための設備投資の軽減も製品価格の低下に貢献するという意見も出されています。 大きな面積のパネルとしての実用化や過酷な屋外の環境での信頼性、屋外の環境に長時間放置すると内部に存在するイオンが移動して性能が劣化する傾向があるといった克服すべき問題点は残されていますが、太陽光発電を身近なものにしてくれる技術として、実用化を待ちたいと思っています。
2014年12月27日
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よく行動を観察されて、「A型でしょう」といわれてしまう事があります。几帳面に見られてしまう事がそう思われてしまう理由のようですが、その実は意外と大雑把だったりします。 血液型で人の行動パターンを判断する事をよく聞かされます。そうした事を気にするのは日本人だけと教えられた事があるのですが、血液は体中を巡り、生命の維持に欠かせない活動をしている事もあり、何らかの正確に影響を与える事はあるのではとも思えてきます。 血液型による性格の違いを気にするのは日本人特有だとしても、血液型の違いによる病気への影響については世界中でさまざまな研究が行われており、先日もフランスで血液型の違いによる糖尿病の罹患率の違いが調査されていました。 今回の研究は糖尿病のほとんどを占めるとされるインシュリンの分泌の低下や、インシュリンへの抵抗性によって糖をうまく処理できなくなる2型の糖尿病を対象に、フランス人の女性8万人の協力によって行われました。 これまで血液型と糖尿病について検討を行う研究は行われてはいましたが、ほとんどは小規模なもので、ABO式にRh式を組み合わせた本格的なものは今回が初めてといわれ、1990年から2008年までの追跡調査とABO式血液型、Rh式血液型、両者を組み合せた血液型の3通りの糖尿病発症リスクの検討が行われています。 研究の結果としてO型を基準とした場合、A型で1.10倍、B型で1.21倍、AB型は1.17倍となり、O型が最も糖尿病の発症リスクが低い事が判っています。 そうしたABO式の血液型によるリスク検討にRh式を合せた場合、他の血液型へ輸血が可能な「万能供血者」のRhマイナスO型と比較すると、最も発症リスクが高いという結果が得られたのはRhプラスB型で、RhマイナスO型と比べて1.35倍。次いでRhプラスAB型の1.26倍、RhマイナスA型の1.22倍、RhプラスA型の1.17倍となり、RhマイナスB型とRhマイナスAB型には統計学的な差は見られなかったとされます。 今回の研究は血液型の違いによる糖尿病の発症リスクの傾向を調べるものであったため、血液型によってリスクが変わる理由については不明となっていますが、血液型を決める遺伝子の影響や糖尿病の発症に関わる因子への関連、血液型による腸内細菌や代謝への影響などが理由として考えられていました。 先日、「病は気から」という事について科学的な検証が行われていた事もあり、血液型による性格の違いが糖尿病の発症リスクに繋がっているのではと考えるのは日本人ゆえでしょうか。
2014年12月25日
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年明け早々に飲食店における豚レバーの刺身の提供が法的に禁止されるというニュースに触れ、既に提供が禁止されている牛レバーの替わりに豚レバーをメニュー化する店が急増していたという事に驚いています。 まだ調理をする事がなかった子供の頃から、豚肉にはしっかりと火を通すようにいわれていて、豚肉を生で食べるという発想は全くなかったのですが、最近ではそうした事を教える親がいなくなった事も豚のレバ刺しが急増した背景にあると解説されていました。 豚の飼育や豚肉流通の安全性も高まり、SPF無菌豚という表示もそれほど珍しいものでもなくなって、昔ほど神経質に火を通して安全性を確保しなくてもよくなったのかもしれない事が、豚肉を生で食べる事の危険性を教えなくなった事に繋がったのかと考えながら、教えられて育った私もこだわりの焼き肉店などで、「今日はとても良いレバーが入りました。ぜひ刺身でどうぞ」と出されると、つい食べてしまうかもしれないと思っています。 飲食店で出されるのだからと信用してリスクを忘れてしまう事や、親と一緒に危険性を理解しておらず、食中毒への抵抗力も低い子供も食べる事を考慮しての法制化だとは思うのですが、今回の、そして牛レバーの際の法制化についてはかねてより賛否両論がありました。 豚のレバ刺しの提供拡大は牛のレバ刺しの提供が禁止された事によるもので、牛レバーを禁止した事によってよりリスクの高い豚レバーが使われるという結果になっています。豚レバーの禁止は同じ流れを生む可能性があり、猪や鹿などの野生動物のレバーが替わりに刺身として使われるようになる事も考えられます。 牛や豚と違い猪や鹿は商業用の飼育や食肉加工といった部分が整備されておらず、生食する際のリスクは豚の比ではないという事も考えられ、害獣として駆除されたものが正規のメニューに掲載していない裏メニューとして販売されてしまう可能性もあります。 「今朝、仕留めたばかりだから新鮮そのもの」として刺身で生食した場合、鮮度は確かでもE型肝炎ウィルスや寄生虫への感染リスクは存在します。危険だから法律で提供が禁止された。法律で禁止されていないから危険ではないといった意識が芽生える事は、さらに大きなリスクを生む事にも繋がりかねません。 国民の健康と生命を守るために法的に制限を設ける事は大切ではあるのですが、単純に禁止してしまうのではなく生食用の素材の飼育方法や処理方法、処理施設や流通経路の安全管理などの整備と消費者への生で物を食べる事へのリスクの周知など、別な方向性が必要なのかもしれないと思えてきます。
2014年12月24日
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お菓子作りの材料を販売する店で、小分けされた小さな袋の中に可愛い置時計を模した物が売られていました。手に取ると袋が傾いた際に中身が偏り、それぞれが軽くぶつかり合ってとても硬そうな音を立てたので、当初は精巧に作られた飴細工科と思ったのですが、袋のラベルに「フェーブ」と書かれていた事から、年明け早々の1月6日、キリスト教の祝日である公現節に食べられるお菓子、「ガレット・デ・ロア」の材料である事が判ります。 救い主の顕現を記念する日とも主の洗礼を記念する日ともいわれる公現節の食卓に登場するガレット・デ・ロアは、紙で作られた王冠が乗せられたアーモンドクリーム入りのパイで、中に小さな陶器製のフェーブと呼ばれる人形などが入れられています。 伝統的には家族が集まった中で一番小さい子供が目隠しをされ、大人が切り分けたガレット・デ・ロアを誰に配るのか指名させます。子供の指名によって配られた物をそれぞれが食べ、中からフェーブが出てきた人は王冠を被って祝福され、一年間の幸運が継続するといわれていました。 かつてはフェーブは、その名の通りソラマメが使われていましたが、1870年に陶器製の人形が作られるようになると陶器のフェーブが主流となっています。地域によってはコインが使われる事もあるそうですが、どのようなフェーブが出てくるのかという楽しみもある事から陶器製のフェーブの方が良いようにも思えます。 占いの意味も含めて娯楽性を高めたガレット・デ・ロアを作る地域もあり、中に指輪とコイン、ぼろ布を入れておいて、指輪に当たった人は年内に結婚し、コインに当たった人は金持ちになる。ぼろ布に当たった人は貧乏が続くという人生ゲームのような物も見られています。 アメリカで謝肉祭の最終日に焼かれるキングケーキもルーツはガレット・デ・ロアにあるとされ、中に小さなおもちゃを入れておき、それに当たると家族に祝福される事や、おもちゃには誕生間もないイエス・キリストをイメージした赤ん坊が使われる事が多い事にもガレット・デ・ロアとの関連性を見る事ができます。 オーストリアで焼かれる「ケーニヒスクーヘン」もガレット・デ・ロアに通じる物とされ、「王の焼き菓子」という名前の意味にもキングやロア(王)との共通点を見付ける事ができます。 王、本来は王たちには、イエス・キリストの誕生を祝福に来た東方の三博士の意味があるとされ、王冠が用意はされますが王様ではなく博士たちが主役の焼き菓子となっています。 以前、よく前を通っていた教会では、今頃のj気になるとイエス・キリストの誕生にまつわる場面を再現した人形が飾られていました。その中に東方の三博士の姿もあり、ガレット・デ・ロアを見掛けるたびに、その場面を懐かしく思い出してしまいます。
2014年12月22日
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新しい一週間が始まる月曜日の朝はジャスミンティーを淹れるようにしています。これといったこだわりがある訳ではないのですが、新しい一週間の始まりという事を自分に知らせたり、少しだけ気分転換という意味でそうしています。 月曜から始まり、日曜に終わる一週間ですが、子供の頃、国によっては日曜から始まり土曜に終わる一週間もあると聞かされた事があるのですが、旧約聖書に神は一週間でこの世界を作り、最終日は休んだと書かれている事から、旧約聖書の影響下にある多くの国では休日となる日曜が一週間の終わりではないかと思っています。 月曜から日曜への7日間が一週間ですが、何故、7日間なのだろうと不思議に思えてきます。一年という時間の単位は長過ぎるので、それを12分割して1月とし、それをさらに分割して一週間としたという流れは理解できるのですが、一カ月の30日、または31日と7日間の関連性は薄く、一年の365日にしても7で割るより8で割った方が小数点以下が少ない数字となっています。 一日という単位はわずかにズレがあるにしても太陽が最も高い位置に上り、また同じ位置に上るまでの時間なので確定的なものとなっています。それを365回繰り返せば一年となるのですが、365日という公転周期の間には地軸の傾きによって季節が存在する事となり、環境が季節の影響を受ける以上、その周期の把握は重要な事となって来ます。 特に農耕を行うようになってからは一年の変化を詳細に知る暦の存在は重要となり、多くの古代遺跡に春分の日と秋分の日を知るための工夫が見られ、暦を把握する事がどれだけ重要であったのかを伺う事ができます。 やがて人類は、神聖な施設で神官によって始まりの時を知らせてもらう一年よりも、もっと身近で短い単位で時を管理する方法に気付き、世界中の多くの場所で月の満ち欠けを使って一月を計る「太陰暦」が自然発生的に成立し、採用されます。 月は約27.7日の周期で地球の周りを周回しているのですが、地上から見る月の満ち欠けはそれに地球の動きの影響が加わり、29.5日で一つの周期となっています。そのため太陰暦では29日を一月とするのですが、それよりももう少し短い単位で時間を管理するために一月を四分割し、7日間の一週間が誕生しています。 7日間のそれぞれの日に当時知られていた太陽系内の惑星の名前が割り振られ、今日の馴染み深い一週間として定着していくのですが、唯一惑星ではない月の名前が使われた日から一週間が始まるというのも月の存在感ゆえと思えてきます。
2014年12月19日
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先日、世界的なチョコレートの大手メーカーから、世界規模で急速にチョコレートの消費が増加していて、このままでは2020年にはチョコレートが世界から消えてしまうかもしれないというショッキングな発表が行われていました。 人生にチョコレートは欠かせないと思っている身としては、非常に驚くべき事であり、2020年というあまりにも近い未来の事なので、これからチョコレートの高騰や品切れに悩まされるのかと暗澹たる気持ちになってきます。 以前、別なメーカーが開いたチョコレートに関するセミナーに参加した際、某大手メーカーの製品の品質低下に関する言及があり、その場でも良質のカカオが不足してきている事が原因の一つとして上げられていました。 その某大手メーカーの製品は高価ではあるのですが品質が良く、洋菓子店の裏方を覗いた際、そのメーカーの袋が見えると原料にこだわった良い店と思えるほどで、洋菓子店選びの一つの目安ともなっていました。 そうした思い込みがあるためかそのメーカーの製品を使用する店が増え、拡大する注文に対応するために手を広げ過ぎた事がチョコレートの風味を決める重要なフレーバービーンズの確保を難しくしていて、そのために以前のような品質を維持できなくなったと聞かされ、どちらかというと原料の供給というよりメーカーの事情という感じがしていて、それほど深刻な問題とは思えずにいました。 その後、チョコレートの危機を聞いたのはエボラ出血熱の流行拡大に関するもので、世界的な産地となっているコートジボワールを中心としたアフリカ西岸での大規模な流行の可能性があり、カカオの産地に飛び火するのも時間の問題と聞かされています。 生産地で感染が拡大すればカカオの栽培に影響が出るだけでなく、収穫後に行われるカカオの風味付けに重要な発酵などの作業にも滞りが出てしまいかねず、カカオの品質低下や収量不足に繋がってしまう事も考えられます。 そうしたカカオの将来的な不安に合せるように生産地の拡大も図られていて、マレーシアやベトナムなどでもカカオの生産が行われ、高い品質の製品ができつつあるともいわれます。 今回の発表にように世界からチョコレートが消えてしまうという事はないとは思うのですが、身近なお菓子でなくなってしまうという事もとても寂しく思え、生産地の拡大や栽培技術の向上などによっていつまでもチョコレートは子供たちの身近な存在であってほしいと願ってしまいます。
2014年12月18日
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ダイエットの手法は次から次へと新手のものが登場する事でも知られていますが、糖質制限ダイエット以降、大きく方向性が変わってしまったように思えます。 食事の満足感を確保しながらダイエットを行う場合、かつては主食を多く摂る事で食べた量の割にはカロリーを抑えるという考え方もありましたが、今日では主食は血糖値の急な上昇を促すものとして減らしたり、食物繊維を多く含む物を食べた後にすような考え方に変わってきています。 油分に関してもカロリーを上げて脂肪を増やす物として極力減らす事が良いとされていたものが、必須脂肪酸が不足すると代謝が下がってしまい痩せにくい体になってしまう事から、良質な油分は必要であり、不自然に減らなさい事が大切ともいわれてきています。 肉類に対する考え方も変わってきて、高タンパク低脂肪でヘルシーな肉の代名詞ともなっていたささ身に対し、牛肉の方がタンパク質を消化吸収する際に必要となるカルニチンを多く含む事から、タンパク質の利用度や必須アミノ酸の量などの点でダイエット向きという意見も出てきています。 人類が誕生して農耕によって炭水化物を中心とした食生活を行うようになってからは歴史が浅く、進化の過程を通して長い間続けてきたタンパク質を多く摂取する狩猟生活の方が自然な食であり、不慣れな炭水化物を多く摂る生活が健康を害する原因となっているともいわれます。 時代と共に健康やダイエットの関する考え方が変化する事は考えられるのですが、時代は変わっても人はそれほど変わる訳ではないので、そろそろこれだけで充分という結論のようなものが見付からないかと考えてしまいます。
2014年12月17日
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山を見ると木々に溢れ、緑一色に見えます。植物は葉緑素によって光を浴びる事で水と二酸化炭素からデンプンなど、養分となる有機物を作り出しています。そのため植物は緑色の光が好きで、緑色の光は光合成に最適なように思えるのですが、実は緑色は光合成には効率が悪い色で、植物は光合成に有効な赤い光を吸収して不要な緑色を反射しているので植物は緑色に見えています。 そのような感じで私たちはその物の色と思って見ている色は、その物が光を受けて反射している光であるという事ができます。反射した光の波長によって色が決まるのですが、反射しない場合は黒い色として見える事になります。 先日、今までで最も黒い物質として、「ベンタブラック」という物質が紹介されていました。ベンタブラックは可視光線の99.965%を窮するという性質から、これまで知られてきた物質の中では最も黒い物質とされ、垂直なナノチューブが無数うに並んだ森のような表面に光が当たると、反射する事なく捉えて深い森の中で何度も屈折させて、最終的には熱に変換してしまいます。 そのためベンタブラックの画像を見ても、そこに何らかの物質があるというより、深い穴が空いているようにしか見えず、深い闇が奥に広がっているという印象しか得られません。 ほとんどの光を吸収してしまう事から、不要な光を遮断するという用途に使えるとの事で、望遠鏡や赤外線カメラの性能を大きく向上させるといわれ、今後、応用範囲が拡大していく事が考えられます。 暗室の壁にする事でより完璧な遮光が図れるので、映画館の壁や天井に設置しておくと映像が鮮明になるようにも思えます。事前に予備知識がないと壁の部分に漆黒の闇が広がっているようで、観客は落ち着いて映画を見るどころではなくなるかもしれませんが。
2014年12月16日
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以前、ある人からシミは長年頑張っている事に対して神様が与えてくれるご褒美だからと教えられた事があるのですが、なかなかその境地には達する事ができず、実年齢よりも年老いて見せてしまう大きな要因でもある事から、できればシミとは無縁でありたいと思ってしまいます。 そう考えてはいても一定の年齢を境に一気にシミは増え始め、つい浴びてしまう生活紫外線の影響が蓄積されてきたのか、本格的な老化がそのくらいの年代を境に始まるのかといろいろな事を考えてしまいます。 2000人以上を対象に行われた調査では、シミには2種類が存在し、目に見えるシミと外観上は目に見えない隠れシミが存在し、35歳くらいを境に目に見えるシミができる比率が増えていくといいます。 また、35歳を境にシミができるスピードも増加する事が確認されていますが、35歳以前でもシミができていない訳ではなく、目に見えない隠れシミとして蓄積されていて、いずれそれが目に見えるシミへと変化するともいわれます。 そのため35歳から一気にシミが増えるというより、35歳までにもシミは隠れシミとして準備されていて、それが表面化してくる事やそれまでは目に見えない状態で作られていたものが、目に見える形で作られるようになった事がシミが急増したと感じさせていて、早い時期からのケアの重要性を伺う事ができます。 最近ではサプリメントや美白化粧品の登場してはいますが、一旦できるとなかなか消えないものでもあるので、まだまだ無縁と思えるうちから気にしておかなければならないものと思えてきて、いまさら遅いのかという諦めも出てきています。
2014年12月15日
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師走になると街中のさまざまな場所で工夫を凝らしたイルミネーションが見られ、冬の景色もずいぶんと変わったものだと思えてきます。特に光源がLEDに変わった事で消費電力が抑えられ、光源としての寿命も長い事から、より多くの光が見られていると思います。 LEDが登場する前は豆電球や麦球などの小型の電球が使われていて、消費電力が大きめであった事や、何より光源としての寿命が短かった事から、イルミネーションのライン上に光が欠けている箇所を見掛ける事が多かったのを懐かしく思い出してしまいます。 当時は青い色を表現したくても青いカバーの中で光る電球の色が黄色いために、どうしても光は緑色になってしまい、今日のような完全な青い光を見ると綺麗と思える反面、冬空の下ではどこか寒々としたものを感じてしまいます。 そんな青色LEDの光に殺虫効果がある事が報告され、可視光線に生物を殺傷する効果があるという事で、驚くべき発見と思ってしまいました。光の波長は短くなるほど毒性が強くなる事が知られ、UVCと呼ばれる100~280nmの波長やUVB(280~315nm)といった短い波長の紫外線には生物に対する明らかな強い毒性が確認されていました。 しかし、同じ紫外線でももう少し波長が長いUVA(315~400nm)には明らかな致死効果は報告されておらず、それよりも波長が長く、肉眼でも捉える事ができる可視光線の青色光に昆虫のような生物に対する致死効果がある事は全く考えられていませんでした。 今回行われた研究では、さまざまな波長のLEDの光をショウジョウバエの蛹に当てて、殺虫効果の有無を検証したもので、青色光を照射した蛹はその後、羽化する事なく死亡する事が確認されています。特にショウジョウバエの蛹に対しては440nmと467nmの波長が高い効果を発揮する事が観察され、467nmでは卵、幼虫、成虫に対しても効果がある事が確認されています。 また、蚊の蛹に対しては417nmの青色光に効果が認められ、小麦粉の害虫として知られたヒラタコクヌストモドキの蛹に対しても高い効果がある事が確認されていて、今後、駆虫に最適な波長の解明が進めば、安全性の高い防虫システムの開発に繋がる事も考えられます。 青色光が殺虫効果を発揮する事については、波長の短い光が内部組織に吸収され、活性酸素が生じる事で細胞や組織が損害を受けるためと推測され、クリーンな殺虫技術の開発以外にも青色光やそれに起因した活性酸素の生体への影響を評価する研究への応用も期待されています。 LEDは消費電力が小さく、電球のような熱も発生させない上にコンパクトで長寿命でもある事から、タンスの中を照らして防虫効果を発揮したり、蚊を寄せ付けない網戸の照明などが思い浮かんでしまうのですが、液晶画面のバックライトの弊害がいわれはじめている昨今、早く影響面の研究が進めばと思ってしまいます。
2014年12月12日
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最近はホームセンターが生鮮食料品を扱ったり、スーパーの中に地元に農家が持ち寄って露地栽培のコーナーが設置されていたりして、さまざまな種類の野菜や花に触れる機会が増えてきました。 旬を感じさせてくれたり、お得な価格で販売されていたりと見ているだけでも楽しくなってくるのですが、多彩な野菜や花たちにはある共通点が存在します。それはほとんどの野菜や花が「F1」であるという事です。 F1というと自動車レースのフォーミュラ1を思い出してしまうのですが、農産物に関しては交配によって作り出された一代目の雑種の事を指していて、新たな品種の一代目という事になります。 従来から存在した品種の親を掛け合わせると、メンデルの法則によって一代目の子孫たちは均一な遺伝子を持ち、「雑種強勢」と呼ばれる遺伝法則から親よりも生育が良く、優れた形質を得る事ができます。均一な遺伝子は作物の姿を統一して規格に合せられるといったメリットがあり、優れた形質は栽培の容易さや作物の付加価値に繋がり、農業を考える上でF1交配種の存在は欠かせないものとなっています。 しかし、良い作物ができたからといって種を採取して次の世代を栽培しようとしても、やはりメンデルの法則によって第二世代以降は遺伝子の均一性が得られず、F1ほどの収穫や優れた作物を得る事ができなくなってしまいます。 そうした困った性質から農家は作物を栽培するために、毎年、種を種苗メーカーから購入する必要があり、農家の負担となってしまう反面、毎年の安定的な売上に繋がる事から種苗メーカーの優れたF1交配種開発への大きな意欲となってもいます。 消費者の立場からは雑種強勢によってより良い農産物が得られる事や、売り場で厳しく見定めなくても安定的に良い物が得られる事は喜ばしく思えます。 F1交配種については、在来種の市場を脅かしてしまう事や次の世代に繋がらない「循環しない作物」として否定的な意見も聞かれますが、地上に存在しないものを人の都合だけで作り出す遺伝子組み換えの作物と比べると、一代限りとして大自然が栽培を許してくれたものという感じもしてしまいます。
2014年12月11日
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子供の頃から寝付きが良く、眠りに付く事ができないという事がほとんどありませんでした。眠りに付いてしばらくすると目覚ましが鳴って朝の訪れを知り、気が付くと充分な時間のはずなのに睡眠時間が終わってしまっている事に、どこか損をしたような気持になる事もありました。 それがこの数年、眠りが急に浅くなって明け方近くに目が覚めてしまうようになり、またすぐに眠りに付ける事から困った癖が付いた程度にしか考えていませんでした。 相変わらず寝付きは良い事や、目が覚めてもまたすぐに眠ってしまえる事から、不眠症とは無縁と思っていたのですが、詳しく調べてみると連続した充分な睡眠が得られない事も睡眠障害や不眠症の類に入るらしく、いわれてみると日中に眠気や疲労感を感じています。 現在、成人の3人に1人は何らかの睡眠障害を抱えているといわれる事から、深刻な社会問題と思える反面、自分に関してはあまり大変な問題とも捉えられず、これといった治療については考えずにいました。そんな中、これまでとは作用の仕方が異なる睡眠薬が開発され、不眠症の治療範囲が大きく拡大する事を感じています。 これまで不眠症の治療に使われていた睡眠導入剤は、GABA(γアミノ酪酸)が受容体に結合しやすい状態を作り出して眠気を誘発したり、眠気に関わるメラトニンによく似た働きの成分をメラトニン受容体に結合させて眠気を生じさせるといったものが中心となっていました。 眠りに付く事ができずに苦しむ人に眠気を誘発して眠らせるといった治療効果を発揮してきたこれまでの睡眠薬に対し、新たに開発されたベルソムラは脳内の神経伝達物質であるオレキシンの働きを阻害する事で作用を生じます。 視床下部乃神経細胞でオレキシンは作られ、覚醒中枢のオレキシン受容体に結合する事で覚醒した状態を作り出しています。ベルソムラはオレキシンよりも先にオレキシン受容体と結合して、オレキシンの結合を阻害する事で眠りの状態を作り出します。 そうした働きによってこれまで対応が難しかった寝付きは良いのに途中で目が覚めてしまうといった症状にも対応する事ができ、薬の効果が切れた後も眠気が続くといった事がないといいます。 私的にはまだまだ治療の必要はないと思っていますが、夜中に何度も目が覚めて辛い思いをしている人たちの役に立てばと、新たな治療薬の登場に思ってしまいます。
2014年12月10日
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昔から「病は気から」といわれ、気の持ちようで病気を防いだり、病気になってしまう可能性がある事がいわれていました。中にはその発展形なのか、「風邪と認めた時が風邪をひいた時」という乱暴な意見も聞かれたりもするのですが、精神面が体に及ぼす影響は大きいように感じられます。 これまで気持ちの変化やストレスによって脳の働きが変化し、免疫系に影響を与えてしまう事が知られており、「病は気から」が根拠のない事ではない事が知られていました。しかし、その詳細なメカニズムについては未解明の部分が多く、傾向として確認される二留まっていました。 先日、大阪大学免疫学フロンティア研究所の鈴木一博洵教授を中心とした研究チームによって、「病は気から」のメカニズム解明の一端となる発見が行われ、興奮や緊張の際に活発になる交感神経が関与している事が指摘されています。 研究チームはマウスを使った実験で、リンパ球の表面にある「β2アドレナリン受容体」と呼ばれる物質に着目し、調査の結果、β2アドレナリン受容体はケモカインというタンパク質と共に交感神経の興奮の度合いに応じてリンパ球がリンパ節から出ていく量を調節している事を突きとめました。 リンパ球による体内のパトロールは免疫にとって重要であり、リンパ球がリンパ節からリンパ液の中に出て、リンパ液が血液と合流する事でリンパ球は全身のパトロールへと出ていきます。緊張やストレスによって交感神経の状態が変化し、リンパ球がパトロールに出る数が少なくなってしまうと、病原体を見落とす確率が増えてしまい病気に罹りやすくなる事は容易に想像する事ができます。 今後、研究が進んで、交感神経が関与するストレスやメンタルの変化と免疫の変動が詳細に解明されれば、交感神経の応答を制御する事で病気の治療を行うという新たな概念の医学が確立される事も考えられます。病は気から、昔からいわれてきた事は未来に繋がっていたようにも思えてきます。
2014年12月09日
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寒波が訪れるとインフルエンザの流行が気になり、免疫力を高めておかなければと思えてきます。免疫力は体を守る重要な力であり、健康の維持には不可欠な存在ではあるのですが、筋力などのように可視化する事ができない事もあり、漠然として捉えにくいものでもあります。 食材に含まれる成分の中にも免疫力を高める働きを持つものがあり、それらを抽出して製品化した健康食品も存在するのですが、免疫力の高まりを実感するという耐寒性の低さからなかなか普及しにくいものとなっています。 かつて免疫力は健康や生命を守る力という捉えられ方をしていましたが、臓器移植が行われるようになると生命や健康を確保するために移植された他人の臓器を免疫が攻撃してしまうという事が見られ、単純に健康を守護するものという存在ではない事が判ってきます。 免疫の語源はラテン語の兵役や納税などの義務を免れる「免除」にあるとされ、免疫に関する最古の記載は古代ギリシャの歴史家、トゥキディデスによって記されています。病人や死にそうな人はかつて病気から回復した人によって手厚く看護されるとして、その理由を以前病気に罹った人は再び病気に罹る事もその病気で死ぬ事もないと説明していて、今日の獲得免疫の存在を伺わせています。 臨床的な視点から免疫について記載を行ったのは、中性の錬金術師であり医師、科学者、哲学者でもあったペルシャのラーズィーによるものとされ、天然痘と麻疹に関する論文の中で、病気に接する事で長期にわたってその病気に罹らない力を獲得する事に触れているのですが、免疫という直接的な表現は使わずに説明を行っています。 細菌によって病気が引き起こされ、感染後、如何に人が障害を受けないように抵抗力を獲得するかといった近代的な免疫の考え方を確立するのは、免疫学の父とされるパスツールで、今日のワクチン接種にも大きな影響を与えています。 今日、ワクチンの普及もあり、免疫の働きや仕組みは広く理解されているのですが、冬の間に風邪をひかなかったのは免疫によるものかは判断が着かず、免疫のありがたみは実感できないものとなっています。それでも体温を高めたり、良質のタンパク質を摂ったりと免疫力を高める事に気を付けておかなければと思っています。
2014年12月08日
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子供の頃、野生動物の様子などを特集した番組があり、とても楽しみに見ていました。未だに世界中の大自然の中を旅して回るという事は現実的にはありえないと思っているので、そうした番組があるとつい見入ってしまいます。 番組の中で野生動物が死に瀕していてもスタッフは決して助けてはいけないというルールが語られていたのですが、大自然に干渉しないという配慮からとは思ってはいても、絶滅の心配がいわれる生物が増えてきている今日では助ける方が正しい事のように思えます。 地球の歴史の中では、さまざまな生物が誕生し、進化を遂げていく中で種として枝分かれしながら絶滅するという事は珍しい事ではないのですが、人の社会が高度に発達して経済活動が盛んになる中、経済活動の結果として特定の種を絶滅させてしまうという事は許されない事といえます。 人によって生物が絶滅させられてしまうパターンは、大きく4つに分ける事ができると思います。一つは人が直接乱獲を行う事によって絶滅させてしまうもので、オーストラリアの飛べない鳥、ドードーが食べ尽くされてしまった事がよく知られています。 先日、絶滅危惧種の第二類に指定されたクロマグロもこのパターンという事ができ、乱獲によって個体数を減らした上、数が減ってしまったために成魚になる前の個体を漁獲する事で数の回復を大きく妨げてしまう事が懸念されていました。 二つ目は環境を汚染したり、環境そのものを人の都合の良い状態に作り変えてしまう事で棲息が困難となり、絶滅してしまうというもので、特定の種の絶滅といわれると真っ先に思い浮かぶ理由となっています。 三つ目はやはり環境に関連した事で、人が特定の種の数を減らしてしまった事でその生物が捕食していたものが異常に繁殖して環境のバランスが崩れたり、捕食者の繁殖に適した環境を作り出してしまったためにエサとなる生物が激減したりといった事があります。 四つ目が最近、最も心配している事で、人の手によってもたらされた外来種との交配によって在来種が本来の種でなくなってしまうという絶滅で、目立たず静かに進行する事から、普段、見掛けていたのに実は絶滅していたという事にもなってしまいます。 先日、雑草のオナモミが絶滅危惧種となっている事を知りました。オナモミはトゲのある実が特徴で、子供の頃、藪の中に入るといつの間にか服にくっついていて、「くっつき虫」とも呼ばれていた馴染み深い雑草です。 外来種の「オオオナモミ」が入り込み、一気に交配が進んで地域によってはすでに交雑種しか存在しない絶滅した状態にあるともいわれ、子供の頃、嫌な思いをさせられた存在が、こんなにも簡単に絶滅してしまうのかと思えてきます。 絶滅危惧種というと希少な動物にばかり目がいってしまいますが、懐かしいくっつき虫もこれから保護の対象となるのか、とても気になってしまいます。最近目にしていないように思えるので、枯れ始めた草原で探してみようかと思っています。
2014年12月05日
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風が冷たくなり、肌寒さを感じるようになるとおでんが食べたいと思ってしまいます。いつも自分で作ると根菜類が中心となり、牛スジや練り物が入らない事からできあがりがおでんではなく、根菜類の煮込みとなってしまうため、毎回、これではないと思いながら食べています。 おでんの「お」は丁寧語である事から、「でん」とはと思えてくるのですが、おでんという名前は女房詞であり、宮中の女性たちが「おでんがく」を省略しておでんと呼んだ事が元になっている事から、おでんは田楽から派生したものである事が判ります。 田楽とは本来、豊作を祈願して田の神様を祀るために畦で笛や太鼓を鳴らして舞った「田楽舞」を指すもので、平安時代から伝統的に行われてきた田楽舞では、笛や太鼓、舞いや曲芸を専業に行う田楽法師も見られていました。 田楽法師の舞いの道具の一つに一本の棒に足場を付けた「高足」と呼ばれる一本足の竹馬があり、串にさして焙られる食材の姿がその高足に似ている事から豆腐やこんにゃくを串に刺して焙り、味噌などの調味料を着けた料理を田楽と呼ぶようになっています。 江戸時代に入ると田楽をメニューに加えた飯屋が増えていき、天明の飢饉を境に急速に増えた屋台や辻売りでも田楽を出す店が増えていき、串に刺してある事から手軽に食べられる田楽は庶民の人気の軽食となっていきます。 その後、田楽に使われる食材のバリエーションが増えていき、豆腐やこんにゃくだけでなくナスやサトイモ、魚なども田楽として食べられるようになっていくのですが、本来は串に刺して焙り焼く料理がいつ、どのようにして煮込み料理に変化したのかについては、今日も謎のままとなっています。 田楽が庶民の間に広まり、宮中の女房詞のおでんと呼ばれるようになった事は容易に想像が付くのですが、そこから煮込み田楽が派生して、やがておでんの主役となり、煮込み田楽と焙り田楽を区別するために焙り田楽を本来の名称であった田楽と呼ぶようになったという展開には、いろんな事を考えてしまいます。 あまりにも姿が違う田楽とおでんですが、当初のおでんは今日とは少し違うものであった事が考えられます。今日のおでんの元になったのは明治20年(1887年)に創業した「呑喜」で売り出された「改良おでん」で、鉄鍋を使って汁気を少なくして煮ていたそれまでのおでんを汁気を多くする事で人気となり、特に近くに東京帝国大学があった事から学生たちの間で評判となり、その美味しさを憶えて地元に帰って各地に伝えたという事も考えられます。 串に刺して焼いていたものが鍋で煮る事によって作り置きができるようになり、注文を受けると即座に熱々の状態で出す事ができるため、せっかちな江戸っ子には最適という事ができ、そうしたニーズが煮込み田楽を主流の地位に押し上げ、改良おでんによって完全に田楽とおでんは分かれてしまったと両者の関係について考えています。
2014年12月04日
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風が冷たくなり、肌寒さを感じるようになるとおでんが食べたいと思ってしまいます。いつも自分で作ると根菜類が中心となり、牛スジや練り物が入らない事からできあがりがおでんではなく、根菜類の煮込みとなってしまうため、毎回、これではないと思いながら食べています。 おでんの「お」は丁寧語である事から、「でん」とはと思えてくるのですが、おでんという名前は女房詞であり、宮中の女性たちが「おでんがく」を省略しておでんと呼んだ事が元になっている事から、おでんは田楽から派生したものである事が判ります。 田楽とは本来、豊作を祈願して田の神様を祀るために畦で笛や太鼓を鳴らして舞った「田楽舞」を指すもので、平安時代から伝統的に行われてきた田楽舞では、笛や太鼓、舞いや曲芸を専業に行う田楽法師も見られていました。 田楽法師の舞いの道具の一つに一本の棒に足場を付けた「高足」と呼ばれる一本足の竹馬があり、串にさして焙られる食材の姿がその高足に似ている事から豆腐やこんにゃくを串に刺して焙り、味噌などの調味料を着けた料理を田楽と呼ぶようになっています。 江戸時代に入ると田楽をメニューに加えた飯屋が増えていき、天明の飢饉を境に急速に増えた屋台や辻売りでも田楽を出す店が増えていき、串に刺してある事から手軽に食べられる田楽は庶民の人気の軽食となっていきます。 その後、田楽に使われる食材のバリエーションが増えていき、豆腐やこんにゃくだけでなくナスやサトイモ、魚なども田楽として食べられるようになっていくのですが、本来は串に刺して焙り焼く料理がいつ、どのようにして煮込み料理に変化したのかについては、今日も謎のままとなっています。 田楽が庶民の間に広まり、宮中の女房詞のおでんと呼ばれるようになった事は容易に想像が付くのですが、そこから煮込み田楽が派生して、やがておでんの主役となり、煮込み田楽と焙り田楽を区別するために焙り田楽を本来の名称であった田楽と呼ぶようになったという展開には、いろんな事を考えてしまいます。 あまりにも姿が違う田楽とおでんですが、当初のおでんは今日とは少し違うものであった事が考えられます。今日のおでんの元になったのは明治20年(1887年)に創業した「呑喜」で売り出された「改良おでん」で、鉄鍋を使って汁気を少なくして煮ていたそれまでのおでんを汁気を多くする事で人気となり、特に近くに東京帝国大学があった事から学生たちの間で評判となり、その美味しさを憶えて地元に帰って各地に伝えたという事も考えられます。 串に刺して焼いていたものが鍋で煮る事によって作り置きができるようになり、注文を受けると即座に熱々の状態で出す事ができるため、せっかちな江戸っ子には最適という事ができ、そうしたニーズが煮込み田楽を主流の地位に押し上げ、改良おでんによって完全に田楽とおでんは分かれてしまったと両者の関係について考えています。
2014年12月03日
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人が何らかの危機に遭遇した際、思わず悲鳴を上げてしまいます。その悲鳴を聞いた人は何らかの事態が起こった事を察知し、周囲を警戒したり、異常事態の情報を知るために悲鳴がした方へ移動したりといった行動を採るのですが、悲鳴だけでは事態の詳細を知る事はできず、どのように対処するかを判断する事もできません。 蜂の場合、攻撃を受けたり、巣に近付くものがあれば毒液を放出し、その毒液に含まれる「警報フェロモン」によって外敵の存在と攻撃の必要性を知らせる事ができます。 蜂が発する警報フェロモンは比較的単純な成分で構成されているとされ、自然界にも同様の成分が多い事から誤報を防ぐために3種類の成分を並行して使う事で、無駄に攻撃モードにならないようにしています。 人の悲鳴と比べて蜂の警報フェロモンはとても合理的な仕組みのように思えるのですが、さらに優れた警報システムを植物が採用している事が先日の研究によって明らかにされていました。 植物にも感情があり、電極を設置して電気の流れを観察する事でその存在を知る事ができるという実験を見た事があるのですが、葉を虫にかじられた植物はともかく、その近くに生えている同種の植物も同じような感情を抱き、その虫に対する毒素を用意する事も知られていました。 その仕組みとして葉を虫にかじられた際、植物はフェロモンのような物質を放出し、近くにいる同種の植物は放出されたフェロモンに触れる事によって葉を食べる虫が近くにいる事を知ります。 さらに植物はそのフェロモンを細胞内に取り込んで変化させ、虫に対する毒素として使うという事が先日行われた研究によって明らかにされていて、警報と共に武器になるというのは非常に合理的な仕組みのように思えます。 人に置き換えると、何かに襲われた人が悲鳴を発し、その悲鳴を聞いた人は悲鳴を体内に取り込んで自分が襲われた際の防御用の武器とするというもので、緊急事態の察知と防御の準備が同時に行える事になります。 不測の事態に応じてその場を移動して逃れるという事ができない植物故に発達し、洗練された仕組みという感じがして、危機を知らせ、警戒と準備を同時にさせるという合理性の中に植物の優しさが感じられるようにも思えます。
2014年12月02日
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食の欧米化というと、健康面にマイナスをもたらす悪い事の代表のようにいわれますが、食は欧米化しなくても食卓は欧米化してほしいと思う事があります。日本と欧米の食卓の違い、最も大きいのは父親の存在ではないかと思えます。 普段、基本的にテレビは料理番組か時代劇しか見ないのですが、内容に合せるように大手調味料メーカーのコマーシャルを多く見掛けます。いつも見掛けるコマーシャルは、忙しい母親の頑張る姿をモチーフにしたもので、二人の子供たちが目覚めて朝食を食べ、夕食を食べるまでが時間毎に描かれていて、子供たちを乗せた自転車で急な坂を登ったり、通勤電車の中であくびをしたり、保育園へ迎えに行った子供たちと慌ただしく食材を買う姿などが描かれていて、忙しい中でもちゃんと料理を手作りする母親の姿を思わず応援したくなります。 気になるのは朝の場面で子供たちが起きてくる中、ソファーに座ってパジャマ姿でノートパソコンを操作してる姿と、子供たちの着替えを手伝う姿、この二つの場面にしか父親は登場せず、手作りの夕食を食べている子供たちを母親が見守りながら「美味しい」と質問する最後の場面には当然のように父親の姿はありません。それを見ている私も当然の事のように受け止め、日本のどこにでもある日常のように感じてしまっています。 欧米では基本的に父親は6時までには帰宅し、率先して食卓の準備を行う事で家族の中でのリーダーシップを発揮するという伝統が残されています。父親が日常的に料理をするという事も珍しくはなく、母親よりも料理上手な父親というのも多く見られています。 テレビを見ながらの食事という事も少なく、父親が不在というのが当たり前の状態で、ほとんどの場合、食卓ではテレビを見ながら食事が行われているという日本の現状を話すと、「ありえない」という回答が多く寄せられるといいます。 食卓に父親が不在という事は家族のコミュニケーション上の問題だけでなく、食事のメニューが子供中心となり、子供が好む物ばかりが食卓に上る事になってしまいます。そこへ忙しさが加わると、子供の食い付きが良く、手早く簡単に作る事ができる物が中心となり、遠くない将来、多くの和食の伝統が失われてしまうという可能性が生じています。 最近、人気のレシピ本を見ると「簡単」や「お手軽」、「時短」といった言葉が並び、多くのレシピで最初にボウルに必要な分量の調味料を入れて混ぜ合わせ、合せ調味料を作る事から料理が始まっています。 砂糖は味が染みにくいので最初に入れ、浸透圧が高い塩は早めに入れて煮汁の濃さを調整。酢は他の味の染み込みを阻害するので遅めに入れて、しょうゆや味噌は風味が失われないように最後に入れて、長く火を通さないという意味から料理の基本として教えられた「さしすせそ」さえも失われてきている事を感じます。 子供たちの味覚や嗜好の変化もいわれる中、和食の伝統を伝えていくという日常的な事がどれほど難しい事になってきているのか、未来について心配な事となっています。
2014年12月01日
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