健康コラム
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ポンペイはナポリ近郊の古代都市で、西暦79年のヴェスヴィオ火山の大噴火で起こった火砕流によって地中に埋もれてしまった事でも知られています。ユネスコの世界遺産にも登録されていて、埋没当時の状況が非常に良い状態で残されているという特徴を持っています。 埋没地はその後1000年以上「町」という地名で呼ばれ、散発的に古代の遺物が発見される事から、地下に都市が埋まっている事が認識されていましたが、本格的な発掘は行われていませんでした。 1748年にはポンペイの再発見が行われ、完全な形で残されている建物やフレスコ画などの美術品の存在が確認されるのですが、将来、技術的に進歩した考古学者によって再発見された方が重要性が判るだろうと判断され、埋め戻されていました。 そんなポンペイの発掘が本格化するのは18世紀半ばからで、発掘は現在まで続いています。発掘によって現れてくるローマ時代の遺品の美しさに世界が驚愕する事になりますが、それには火砕流の堆積物が大きく貢献しているとされます。火砕流堆積物にはシリカゲルに似た成分が含まれ、それが湿気を吸収してくれていた事が壁画や美術品の劣化を最小限に食い止めてくれていました。 今年の一月、ポンペイ考古学公園の発掘チームは大きな民家の広間に併設されたパン屋の発掘を行い、その壁に描かれたフレスコ画に注目が集められています。ローマ時代、パンは重要な主食であり、パン屋は人々にパンや焼き菓子などを提供する施設でした。そのパン屋の壁に描かれたフレスコ画には、当時の食生活の様子が記されているのですが、その中に薄く焼かれた生地の上に食材がのせられたピザに見える食べ物が描かれ、ピザの起源ではと話題になっています。 研究者によると薄い生地にのせられているのは「モレトゥム」と呼ばれるローマ時代に食べられていた物で、にんにくやハーブ、チーズなどを混ぜて作られるペースト状の食べ物とされます。薄い生地にチーズとなると、いかにもピザと思えてくるのですが、発掘チームはピザとは異なる食べ物と指摘しています。 いわれてみるとピザ好きの身としてはトマトソースが塗られていない物はピザではないとも思えてきて、南米原産のトマトはコロンブスによる新大陸発見以前のヨーロッパには存在せず、16世紀以前のヨーロッパではピザは成立しえないといえます。 しかし、大好きなピザの一種、クアトロフォルマッジにはトマトソースが使われてはおらず、薄い生地とチーズがあればピザは成立するとも思えます。 薄焼きのパン生地自体はヨルダンに存在したナトゥーフ文化の遺跡から炭化したものが見付かっており、1万4500年前にまで遡るとされます。当時は狩猟採集文化であった事から、野生の大麦やオーツ麦を粉にして、水を混ぜてから熱い石の上で焼いたと考えられます。 同様の物は古代エジプトやメソポタミア文明でも確認されており、薄焼きのパン生地は古くから存在していた事が判ります。そんな薄焼きの生地に具材をのせる文化が根付いたのは紀元前4世紀半ばの古代ギリシアと考えられており、詩人のアルケストラトスの詩集「贅沢な生活」の中に「ピラコウス」という名の平たいパンにハーブ、タマネギ、にんにくなどをのせた料理が記されています。 古代ローマは古代ギリシアの文化の影響を強く受けていた事から、パン屋のフレスコ画はピラコウス、もしくはその進化形を描いていたともいえます。その後、ラテン語の「平らな焼いた生地」を意味する「ピンサ」に由来する言葉、「ピザ」が10世紀後半の文献に登場するようになり、12世紀にはモッツァレラチーズが誕生、16世紀にトマトがもたらされる事で今日のピザが成立したといえます。 ピザというと代表格の一つ、マルゲリータは1889年6月11日、国王ウンベルト1世と王妃マルゲリータがナポリを訪れた際、当時、最高のピザ職人と目されていたラファエレ・エスポジトがイタリアの国旗の三色をモチーフにトマトソースの赤、モッツァレラチーズの白、バジルの緑を使って焼き上げたところ王妃が大いに気に入り、マルゲリータの名前が付けられ、エスポジトが王妃のために発案したレシピとされますが、当時のナポリでは広く食べられていたレシピとされ、少なくともエスポジトの発明ではないとされます。王妃のために作られたものではないにしても王妃の存在は大きく、「ピザの日」の11月20日は彼女の誕生日が元になっています。
2023年09月24日
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