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2009年10月03日
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カテゴリ: 食事
 戦国乱世を通して大いに発達してきた味噌汁ですが、最終的に戦乱の世を平定した徳川家康も味噌汁とは無縁ではありません。家康も味噌汁を好んだ事が知られていますが、家康の場合、他の武将とは少々味噌汁の内容が異なり、その違いが天下取りに繋がったという意見もあるくらいです。

 家康の食というと「麦飯、丸干しイワシ、味噌汁」という一見質素なものですが、味噌汁は具沢山であった事が知られ、五菜三根と家訓に残して推奨したと言われるほど充実した内容となっています。

 使われる味噌にも違いがあり、家康が好んだ味噌は豆味噌の八丁味噌でした。豆味噌は麦や米の味噌と比べタンパク質が豊富で、戦のエネルギー源としては非常に優れた物と言えます。

 応仁の乱以降、100年にわたって続いた戦国の世を終わらせる大きな役割を果たした織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3名は、いずれも豆味噌の食文化で育ったという事実も豆味噌の優位性を示しているようにも思えます。

 最終的に天下を取るのは家康ですが、家康の最も優れた点と言えば、当時は平均寿命が38歳程度であった事に対し、75歳まで生きたという驚異的な長寿にあると言えます。しかも死の直前まで現役で権勢を奮っています。

 その長寿を支えたのが食にあるとされ、食生活を改めて見直してみると栄養豊富な八丁味噌に行き着いてしまいます。戦国の世が終わると、従軍していた兵たちは各地の故郷へと帰っていきます。兵糧として食べた味噌汁の美味しさが忘れられず、家族向けに再現した事は容易に想像でき、その後の味噌汁の急激な普及に繋がります。

 従軍した際の兵糧が元で急速な普及に繋がるというのは、カレーの普及においても見られています。カレーが兵糧として採用される際の基準には、一度に大量に調理する事ができ、手軽に栄養補給ができる、毎日食べても飽きがこないというものがありました。味噌汁も充分にそれを満たしているように思えます。





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最終更新日  2009年10月03日 07時48分44秒
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