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2011年06月04日
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カテゴリ: 食事
 卓袱料理やチャンポンほどではありませんが、隣県長崎には「トルコライス」なる食べ物があり、最近ではご当地グルメの一つとして広く知られるようになってきています。

 ずいぶんと前の事になりますが、小用で長崎を訪れた際、市役所の地下にある食堂で初めてトルコライスを見掛け、「せっかくだから名物をいただきましょう」と同行していた人に薦められて注文し、市役所の食堂のメニューになっているほど市民権を得ているのかと驚いた事があります。

 出てきたトルコライスは、楕円形の大き目の皿にカレーピラフとスパゲティ・ナポリタンが並んで盛り付けられ、その間にとんかつが載せてあります。カレーピラフがインドでスパゲティ・ナポリタンがイタリア、その中間のとんかつがトルコを表現していて、それが名前の由来と聞かされ、おかしな発想と思いながら納得していました。

 その後、興味が湧いて調べてみたところ、トルコライスの由来については諸説があって定かではない事や、同じトルコライスといっても幾つかのスタイルがある事が判ります。

 私が聞かされたインドとイタリアの中間という由来が最も広く知られているようですが、カレーピラフの代わりに炒飯を使い、炒飯を中国としてイタリアとの中間であるトルコとする説も存在します。

 本家本元のトルコに由来するとする説もあり、ピラフは元来、ピラウというトルコ料理であった事やトルコライスは当初、ピラフがメインでとんかつやスパゲティは添え物であったとされる事から、トルコ風ライスがトルコライスとなったとされます。

 フランス語で三色旗を「トリコロール」と言いますが、ピラフ、とんかつ、スパゲティという三種の盛り合わせを三色旗に見立てて「トリコロールライス」としたものが変じてトルコライスとなったとする説もあり、トリコロールについてはその名前の喫茶店が存在し、そこで出されていたメニューだったとする説もあります。

 トルコライスが誕生した当時、風俗店のトルコ風呂が話題となっていた事から、単純にトルコと付けたというものや明治時代、すでに存在していた「土耳古飯(とるこめし)」が元になったとする説も存在します。

 土耳古飯については福沢諭吉が創刊した「時事新報」の料理コーナーにレシピが記載されており、鶏肉か牛肉で出汁を取り、塩で味を調えてご飯を炊き、鍋に溶かしたバターを絡めて仕上げるあたりはピラフに通じるものがあり、土耳古飯に付け合せとしてとんかつとスパゲティが添えられ、徐々に存在感を増した。そうなるとトルコライスの起源はピラフ(ピラウ)というトルコ料理に端を発するものとなり、トルコ風ライスが由来と思えてきます。



 大阪にもトルコライスと呼ばれる料理があり、チキンライスの上に薄く焼いた卵焼きを敷き、その上にとんかつを載せてドミグラスソースをかけて仕上げられています。近い存在として神奈川県川崎市にもトルコライスは存在していて、チキンライスに刻んだとんかつを混ぜる、もしくはチキンライスの下にドミグラスソースで味付けされたとんかつが隠されたりした物となっています。

 神戸のトルコライスはケチャップを使わずに炒めて味付けしたご飯にカレーをかけ、生卵がトッピングされています。昭和30年代に神戸の米軍将校クラブで出されていたメニューとされ、長崎のトルコライスの元となったという意見もありますが、現在の長崎のトルコライスとの共通点の少なさから根拠に薄く思えてしまい、どちらかと言えば土耳古飯から独自の進化を遂げたという方がよりリアルに思えてしまいます。





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最終更新日  2011年06月04日 07時45分39秒
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