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最近、ちょっと思う事・・・ダンナがそれでいいと言ってくれるのに甘えて?間に受けて?・・・私、すっかり自分磨きを怠りまくってはないだろうか?髪形もずーっと一緒だし(楽という理由でそのスタイルに長年定着)、よーっぽどの事がないと化粧しないし(ここ数年買ってもいない)、うちの母曰く、顔はうぶ毛いっぱいだし、日焼けもし放題やし、スカートやアクセサリーなんて、一体いつ依頼身につけてないやろう・・・?それから、なんかぐうたらしている。昔、私っていつも何かに熱中していた。年のせい、結婚したせいもあるのかもしれないけど、何か物足りない?一方で、がむしゃらに突っ走ってた時代に比べると、自分らしさを求めて無理はしなくなった、という良い方向の解釈もできるんやけど、仕事も自分が納得いかない&気の合わない人との仕事はしないしなぁ。そのくせ、新居のローンの心配をしてみたり、ならバカンスは無理かなぁと悲しくなったりもして・・・だったら働けよ!と自分でツッこんでみたり。・・・結論:ぼちぼち頑張ります。あくまで“ぼちぼち”。こんな私、やっぱりイケてない?
2005.01.30
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今日は韓国人の友達のうちに夕食に招かれた。彼女のうちというより、同居している彼女の彼のうち。彼女は今妊娠中で、彼のご両親も一緒で何かと助かっているそう。彼女の話で聞いていた通り、本当に人のいいご両親で私も安心した。夕食はキムチキャーハン・韓国風ビーフンとドルチェは彼女が作り、セコンドのロスティッチャーナはご両親が庭で炭火焼してくれた。全部美味しかったよ~!!さて、今日は普段感じないことを改めて感じさせられてしまった。嬉しいような、でもやっぱこっ恥ずかしいような・・・やはり私、かなりフィレンツェ訛りがキツイらしい。簡単におおまかに言うと、かなりハホっているらしい。最初、マンマが“クミコも韓国人?”って聞くから、ジャポネーゼですよ、って言ったら、“て言うか、あなたフィオレンティーナよ”って。で、おしゃべりしているとことごとく笑われる。究極の瞬間は、私達の新居の話になり、“今はどんな家?”と聞かれ“ビロハーレ!”・・・と私が言った瞬間、大爆笑・・・。もう、“普通”のイタリア語には戻れない?(でもどこの地域でも、長年住んでると誰だってそうなりますよねぇ?)
2005.01.29
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書き忘れたけど、昨日クエストゥーラ後にチェントロをうろついていて念願の楽チン靴をとうとう購入しました!!・・・が、お店、昼休み中。4時開店なので迷ったけど、ここで買わないと絶対見つけられない気がして待つことに。3時半に仕事を終えたダンナと合流し、他の近くの店をまわって時間を潰した後、開店直後のその店にGO。この店、黒のミニタイトスカートにパールのネックレスっていう上品なおばちゃんが1人でやっているお店なんやけど、アメリカンなアウトドア系やポップ系の服・鞄・靴が置いてあって、結構私達のお気に入り。さて、まずは値段のチェック。今なら85ユーロが58ユーロ(約8000円)。TAVAってメーカー。ところがサイズは40。メンズしかないらしい。ダメもとで試着したらイケてるではないですか!ちょっとハイカットやから、ヒモで締めたら全然問題なし!と言う事でお買い上げ~♪ 家でもう1度試着♪おい!私の足、異常に太いよ!?アングルのせい?5年間付き合ってくれたAir Walkは今年の春まで活躍して頂き、来年の秋からはこれでいきます!フフフ~今から楽しみ♪
2005.01.28
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今日はダンナと共に6時半起床。週頭に聞いてきた書類を全部持って、クエストゥーラ(警察署)に滞在許可証の延長申請に行く。結婚後の申請(本編・2月17日の日記参照)から2年ぶり、再び“戦い”の時!外で長時間待つのは必須なので、重ね着し、靴下と腰にホッカイロを貼る。そして分厚いニット帽、マフラー、手袋を身に着けて、いざ、出陣。8時10分には着くも・・・すでに長蛇の列。ざっと30~40人ってとこか。持参した日本のMDを聞いて並んでると、後ろから押し寄せた中国人家族よぅ、何ぬかそうとしてんのよ!おいおい・・・しばらくすると動きが。なんか、警官が前からパスポートを集めている?前はこんなんなかったよ?ともかく渡すが、頼むから失くさんといてよ~!と祈るばかり。はて?すると、別の若い警官がパスポートの束を持って出てきて、名前を呼び始めた。そこで、後ろは聞こえないので皆前にガーッと寄っていくが、最初からいたおじさんが“おい!オレは4番目だったのに何で呼ばれないんだ!7時から待ってるんだ!”と激怒するも、“集めた奴が混ぜたんだ!”って、パスポート集めた意味ないやん?しかも出た!“オレのせいじゃない!、前に寄って来るな、Vai、Forza、Fuori!!!”おいおい・・・・落ち着いてからは、この若造もまあまあ感じが良くなってきて和やかに皆待つがひゅう~と凍りついた風が吹きさらしに2時間半、やっと私の名前が呼ばれた。中に入ると、どさくさにまぎれてまた中国人1家族が私の前に行くので“おい!”と呼び止めるも、私よりも前にいた別の中国人と友達なのかそこにひっついていって知らぬ顔。更にまた別のオッサンが抜かそうとするので“アンタも一緒!?”と言っても・・・オッサン、イタリア語さっぱり分からず。彼の娘らしき人が分かって後ろに下がったけれど、油断もスキもありゃしない。しかし、4つ窓口あんのに、開いてるのは1つだけ。もっと働いてよ~!私の番が来て、書類を提出し、やれやれ、特に何も問題もなくOK。指紋はもうとったかと聞かれが、滞在カードの申請のアポイントをとってると言うとその時でいいと言われたのでこれにて無事に終了。外に出たらもう11時15分。ああ・・・ドーッと疲れた・・・。
2005.01.27
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今日も早く目覚めた・・・ま、健康的にいっちょ起きて、買物やらクリーニング屋やらに行ってきた。たまってきたメールの返事を書く事に。イギリスにいる高校からの友人の返事を書いていると・・・先生の死についてふれた所で、そのままいろんな思いが交錯してしばらくじーっと固まってしまった。足跡をたどりたくて、今のPCに残っている彼女から私達へのメールを読み返してみた。その時は大手術から、そして闘病1年経ったところだ。2004年のお正月:“のほほんと過ごせる時の ありがたさ”告知から1年、乗り越えて仕事もバリバリ軌道にのっている:“「患者らしくない」生活をしています。というより、「患者でいたくない」が本音かな”4月初、がんの肺転移が発覚し入院を繰り返しながらも仕事を続ける:“最低生活費と治療費ぐらいは稼いでます~「働きすぎちゃう?」と師長に言われると、「何いうてんの。私の稼いだ分、病院が吸い取ってるくせに。」と言える関係~病院生活も満喫してます”4月末、担当ナースへの怒り:“このNsが、私の看護計画を立てていたのかと思うと、ホンマ「とほほ。」の一言です。闘病なんていうけど、私は何と闘ってるんだろう”5月初、私がイタリアに来て3年、真剣に人生を語ってしまった時の返事:“たまには「自分らしく生きるとは」をテーマに、マジに語るときがあってもいいと思うよ~たとえ時差や距離があろうと、こうして貴女からパワーをもらえる環境にあり、私も、私らしく、私なりの『飽くなき野望』を抱いて、がんばるね!”5月末、メンバーの1人が出産したことを受けて:“誕生は「ブラボー!!」の一言に尽きます。講義では、タブー視された領域に踏み込んで「命とは何か」や「生き方の質」について考えています。ちなみに、今日のテーマは『現代っ子の孤食』でした”6月、イギリスにいるメンバーの1人が日本帰国時の集まりに参加した時:“「闘病」といっても、好き放題してるのでイマイチ自覚がないのですが・・・長生きしてたら良いことあるよなあ、とじんとくる、ひとときでした。感謝、感謝です!~見せてくれた写真(私がイギリスに行った時の)も、「今にも飛び出してきそうやねえ。」と、パワフルさがにじみ出ていましたよ”7月末、メンバーの1児の母が写真を送った時:“それにしても、暑いネエ。大学は試験も済んで夏休みに入っています”・・・これが最後のメール。それから2ヵ月ちょっとで、彼女は逝ってしまった。ああ、最期はどんなんやったんやろう、ご家族の方はどんなに辛かったやろう、何より、本人が無念だったに違いない・・・。イタリアでも大きく報道された、日本のインターネットを通じての集団自殺。そんな人もいっぱいいるのに、まだまだ夢もやる事もありすぎたくらいの彼女が何で死んでしまわなくてはアカンのやろう・・・言ってはいけないかもしれんけどそんなら彼女にその命をあげてくれ、と思ってしまう。そんな事を考えていると、涙があふれてきた。おじいちゃんの死の時はまだ悲しいにせよ年だから仕方ないとか納得できたのだが、同年代の近しい友人の死は、日を重ねるごとにやりきれない気持ちが強くなって私も混乱している・・・結局、午後はこんな風に泣きながら過ごしてしまった。最後には、こんな事じゃ“アンタ、何泣いとんじゃい”と空から怒られるわ、とはっとして涙をぬぐった。彼女も分まで、強く幸せに生きていかなければ。
2005.01.25
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時差ボケと疲れを癒すのは、昨日までで終わり!時差ボケのおかげで早く起きれるのを利用して、今日はまず警察署のインフォメーションに行く。日本旅行中はあえて考えないようにしていた、滞在許可証の延長の件で。ああ、ホンマに現実に戻ってきた感じ・・・(涙)。前にユリカちゃんから8時半までに入らないと閉められると聞いたので、8時10分に到着。そこで見たものは・・・長蛇の列。2年ぶりに見たこの光景、やはり恐ろしい。列に並ばずにたむろしてる人もいるが、きっと割り込みすると思いながらも自分はキチンと列に並ぶが、列が長すぎて、入口がある通りから曲がった角のところで待機。8時に開くと思っていたのに8時15分だったし、その時間が来ても列は進まず。よかった、ミニカイロ持ってきといて。しばらくすると列は動いて角は曲がったが、また一時的にストップ。並んでいる人がイラだち始め、私も背伸びして入口付近を見てみると、警察官が何か叫んでいる・・・“インフォメーション~!”!!!そう、ここはインフォ窓口と学生用滞在許可証申請窓口が一緒にあるのでこれは今、行かなければ!!と列から飛び出し、猛ダッシュ!!その結果、3番目をゲット(よかった、日頃運動しておいて・・・)!今回家族用滞在許可証の初めての更新なので、それに必要な書類と、それに続いて行う滞在カード申請(本編・旧日記10月12日参照)に必要な書類を聞き、窓口担当もまぁ普通やったし、8時半にはなんと終了!ランチをする友人との時間にはまだまだ時間があるし、まずは郵便局にRAI(イタリア国営放送)の受信料の払い込みに行き、さっき警察で聞いた必要書類をもう用意しておこうと市役所に行く。日本で戸籍と住民票にあたるものと、リストにはなかったけれど持っていった方がいいと言われた婚姻証明証をもらうが、これだけは発行に時間がかかるので来週月曜日に引き取りに来なくちゃいけない。しかし・・・これで23ユーロの出費。紙切れ2枚なのに・・・納得いかん!それから日本に年賀状をくれていた友人用に葉書を買ってカフェで休みながら書いてたりしていると、ランチを約束していたチヨンも到着した。ランチしてから久々のフィレンツェチェントロを一緒にうろうろして、そのままバスで英語講座へ直行。イタリア語さえまだすんなり出てこんっちゅうのに・・・頭、全然働かず(爆)。しかし、あさっては日本でのお正月を発表してね!って、今の頭じゃ絶対無理どす・・・。英語講座終了すると、ダンナがルチアと車でお迎えに来てくれて、手術後でまだ入院中のおばさんのお見舞いに行く。まっすぐに伸びて動かせない足が痛々しかったが、元気そうで安心した。ようやく家に帰るが・・・その30分後、私が日本にいる時からこっちに来ているお客さんの様子を見に、イングリッドさんのアパートへ。早く済ませるはずが、まずイングリッド&ジョヴァンニさんとおしゃべり1時間、イタリア語レッスン中のお客さんと元々ダンナ友人で先生のドナテッラとおしゃべり30分・・・60歳で1人旅1ヶ月のお客さんはパワー溢れ、イタリアを満喫しまくっていたのでここでも安心したが、家に帰るともう10時。おとといとっておいたダシで雑炊をするが・・・ダンナ、明らかに疲れている。雑炊は私が7割食べ、ダンナはその残りをちょびっと食べ、ベッドへ。そうそう、私は明日家にいるから片付けは全部私がやるよ~。
2005.01.24
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あんなに疲れて眠りこけたのに、朝早くに少し目が覚めた。でた、時差ボケ・・・ここ数日はこんなんの連続やろうな。なんとかもう1回寝て、10時頃起きることにした。ゆっくり朝食をとり、まずは買物。なんせ、食べるもんが何もない。エッセルンガに行き、ふとダイコンのある近くに行くと、今度は白菜を発見!アジア食材売り場でしか見た事なかったのに!素晴しい!遠くにいたダンナに“見て見て~白菜(ちなみにこっちでは中国キャベツと言います)!”と嬉々として持っていくと、ダンナの近くにいたおばあちゃんが笑顔で“これはどう料理するの、シニョリーナ?”と話しかけてきた。よっぽど嬉しそうな顔をしていたらしい、私・・・。もちろんGETして、昨日機内のレタスクラブからメモった鍋をする事に。軽くパスタで昼食を済ませた後は、恐怖の荷物解体。幸い、瓶モノやおじいちゃんの形見の陶器も割れずに着いていてくれた。しかし、出てくる、出てくる、いろんなもんが・・・各人ごとのお土産を分けて服や食料、和食器なんかも片付けて一息、と思ったが、あれ?パンツ2枚行方不明。めがねケースを忘れたのは気付いてたけど、これもか?マンマからの頼まれ物とお土産を実家にもって行き、夕食の準備。日本から帰って来たばかりというのに、今日の献立はブタ白菜鍋、わかめのお吸い物、野沢菜のお漬物。初めて炊飯器でお米を炊くと・・・鍋でもかなりうまく炊けていたと思うが、やはり圧力がかかるせいか、イタリア米でももちもちと日本米のような食感!やっぱ買ってよかった!鍋も激ウマで、このダシを捨てるのは非常にもったいないのでとっておいて近日中に雑炊を作ろうっと・・・しばらくは日本食が続きそう?
2005.01.22
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朝5時半起床、8時の飛行機のため、6時半には空港へ向けて父の車に乗り込む。国内線に乗るが、その後国際線乗り継ぎのチケットの発券も一緒に済ませると、もう搭乗の時間が近づいてきた。長い、長いと思っていた今回の滞在も終わってみれば早い。次は一体いつ帰って来れるか・・・と思うとやっぱり寂しい・・・。ダンナはうちの両親と抱き合って別れたが、やっぱ私は照れ臭いのでじゃあね、と言うのが精一杯。そして、手荷物検査の中に入っていった。が・・・音は鳴らなかったものの、手荷物の中にある瓶類の確認の為に中を開けさせられ、あんなに完璧に詰めた荷物を解体するハメに!向こうでは、両親が心配そうに見つめている・・・トホホ。瓶の中身を聞かれ、日本酒・焼酎はまだしも、“青じそドレッシングです”はちと恥ずかしかったけど、何とか通過。はぁ~、最初っから疲れるわ~。東京に着くと、最後の、けど最も重要な買物をしに行く。それは・・・海外対応炊飯器!イタリアのプラグ付の東芝製が免税で約1万3千円。高いな~と思ったけど、これはケチってはいられない。それからパリ行きの飛行機に乗り、昼ごはんを食べた後・・・ガクン、と眠気が一気に襲ってきて、私は3時間ほど爆眠。しかし、最近の飛行機は頭のクッションの左右が曲がるので、首が痛くならなくて寝やすい!起きた後は、山田洋二監督の時代劇映画を見て、雑誌や新聞を読んだりゲームをしたり、再度ご飯を食べると、結構あっという間にパリに着いた。パスポートチェックと再度チェックインをして休んでいると、つけたばかりの私の携帯が鳴った。“おぅ、クミホ~!”とバッボから。ああ、イタリアに帰って来たんやな~。何かと思ったら、“迎えはマンマとルチアが行くから、僕足折っちゃってね”って~!?何と、昨日バスに走って乗ろうとしたら、つまづいてビタッっとこけたらしい・・・。おいおい・・・。フィレンツェ空港に着くと、マンマとルチアが待ち構えていた。で、○△×~と息つくヒマもなく、しゃべりまくり。日本を離れる時、それはそれで寂しかったが、イタリアで待っている方もやっぱり寂しかったのかな、しかも、おばさんの手術に加え、バッボまで骨を折っちゃって、長男のダンナがいなくてマンマとルチアはかなり不安やったらしい。幸い、おばさんの手術も成功し、バッボもギブスで固められた以外は問題かった。一目バッボの様子を見ようと実家により、10時過ぎにやっと我が家へ。もう我慢の限界・・・日本の家族に無事着いた旨のメールを送ったらまさに“バタンキュー”でベッドに倒れこみ、即行深い眠りに落ちました。日本滞在中の残りの日記は、自分の記録としてまた後日更新します。興味のある人(っておるんか?)は、また覗いて下さい。
2005.01.21
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これも今回の来日の目的の1つやったのに、結局最終日に持ち越した、日本での運転免許証の再発行。一昨年にイタリアの法律が変わり、日本の運転免許証からイタリアのに書き換えができるようになり、私も昨年に書き換えを行った・・・が・・・日本の免許証、没収される!いくら運転する機会がないやろうとはいえ、時間とお金かけてとったもんを没収されてはたまらない・・・。書き換え前に母に近所の免許証センターに聞いてもらったら、有効期限内やと再発行が可能というので今回、そのコピーを持って伊丹の運転免許証センターへ。まず、再発行の手続きを、と行くが、ついでに今年の誕生日に迫る更新は私は海外にいるので代理人ができるかを聞くと、おばさんでは分からないので別室へ案内される。“ああ、外国で書き換えして没収されたんやね、で、住んではるんやったら、前倒し更新しよか”と、ナントまとめてできる事に!興味本位で、“他にも没収される国はあるんですか?”と聞いたら、スウェーデン、ドイツ、スイス・・・ヨーロッパはほとんどちゃうのん?やって。こんな訳分からん事すんの、イタリアだけかと思ってたよ。ともあれ、そこから普通の更新の人と同じ手続きをふむだけに、かなり時間がかかってダンナはかわいそうやったが、こんな大勢の人の更新をその日中(しかも2時間くらいで)にできる事自体にダンナは感心していた。そうやんね、私なんかイタリアの免許の書き換え3ヶ月以上かかったもんな。その後、最近できたダイアモンドシティというショッピングモールへ。まぁ、それがフィレンツェ郊外のGigliと似てること、似てること!伊丹という土地柄もあってか、若い家族向けの店が多く、商品・値段とも私達のストライクゾーン。雑貨屋さんもいっぱいあったし。そこをブラブラしていると、もう4時近く。早く家に帰って荷造りしなければ!家に帰ると、私が置いている昔からのものを押入れから引っ張り出して、捨てる・次の船便で送るに分けて!と部屋がモノであふれていた・・・。小学校の通知簿やら、大学の競技スキー時代の表彰状、インテリアコーディネイターの勉強用具、本、テープ・CD・・・ダンナはアルバムを見て楽しんでいたが、私は惜しい思いもしながら割り切ってガンガン分けていく。終わった、ホ・・・と思ったらもう夕食。夕食の後は最後のお風呂。ああ、湯船ともしばらくお別れ(涙)。それから荷造りは、夜の12時までかかりました・・・。
2005.01.20
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今日は隣町のおじいちゃんのお墓参りに行く。最近うちの近所に越してきたおばさんが来てからおばあちゃんを拾い、小高い丘の上にあるお墓へ。皆で掃除して、お花をいれて、おばあちゃんがミニ・木魚と鐘をもってきてお経を読んだ。この人間のお墓の後ろに、密かにおじいちゃんは歴代ペットのスペースも作っていた。5年前に死んだ愛犬もここに眠る・・・元気にやってる?昼食は、最後?の寿司をおばあちゃんのおごりで!ああ、これから一体いつ食べれるか分からんし、とかなり味わっといた。それからおばあちゃん家へ。木造の古いこの家、もうすぐつぶして家を建て、そこにうちの両親とおばあちゃんが同居する事に。私が小さい頃。ここでおじいちゃんに散発してもらったり、皆で柿をとったり、思い出深いこの家へも最後の訪問・・・ちょっと寂しいなぁ~。ここで、おじいちゃんの趣味だった陶芸の作品を、いくつか形見として分けてもらうのにダンナと決める。どれも本当に素敵なんやけど、さすがにいくつもは貰えないし、イタリアにも持って行けないので、新居に飾るミニ・灯篭と花瓶、それから小物を入れる容器の3点をもらった。うちの新居の居間は、ちょっと流行り?でもうちの場合は流行に流されない形で、ほんのりジャパニーズ・スタイルにする予定なのでこのおじいちゃんの作品を飾らせてもらう。今から楽しみ~。家に帰り、私達2人はちょっと買物へ。何かっていうと、もう帰国の日が迫っていて荷造りのことを考えると・・・日本酒や焼酎、そして今回もらった陶器などと手荷物が異常に重くなるので、手荷物サイズのキャスターバッグが必要!ああ、現実に戻されていく・・・ひょえ~!今日の晩は、“ダンナの日本食ベスト1”に輝くお好み焼き。しかもうちの母の、という事で、ダンナ、ガゼン張り切っている。イタリアでもしょっちゅうしているがいつもブタ玉か、頑張ってイカ玉。しかし、今日はカキ玉!私はちょっと苦手なんやけど、ダンナ、目に涙浮かべて食べてるで~。ああ、しかし美味しかった。ホットプレートもイタリアで使えたらなぁ・・・。
2005.01.19
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今日は神戸に行ってみる。滞在も残り少ないのに、目当てで買えてない物、私のジーンズ・靴を見に行くのと、毎回行っている老祥記の豚マンを食べに。まずは阪急三宮で降りて、大好きな高架下商店街を歩きながら元町へ。ここでズボン2着と靴も2足試着したのだが・・・私って、やっぱ日本ではデブ!?身長が高いという事で自分をなぐさめても、ここまでモノが入らないとちょっと傷ついてみたりして・・・(泣)。しかし、入ったものは丈が短かったりデザインがイマイチだったり、入らないものは丈もデザインもOKだったり、なんでこんなうまくいかんねんやろ?靴はいいのを1つ見つけたが、同じ系列の店がモザイクにある事もしているので、他の店も物色しながら、でももしなかったらそこでこれを買えばいいや!ととりあえずは購入せず。そこから元町の大丸と中華街の店を見て回った後・・・今日もメインイベント?老祥記へ!しかし、ここはいつ来ても行列。でも単品メニューやからどんどん進んでいくんやけどね~♪寒いので、今日は店の中で3つづつをほうばる。うう~ん、これを食べたら神戸に来たでっ~!て感じ。ジューシーな具ともちもちの皮がたまらない・・・。そこから神戸駅まで商店街を通って行く。駅下では、震災の展覧会があってしばらくそこで写真などを見て、改めてその凄さを目の当たりに。そこから数あるショッピングモールに私のズボンと靴を求めて・・・そこでの3本目試着で、ようやくサイズも丈もデザインも価格も納得!のジーンズが見つかった!!なんと60%オフの3200円!!この勢いで靴も、と目当ての靴屋に行くも・・・ここは私が欲しかったモデルは取り扱いなし。ガ~ン、買っとけばよかった・・・。私が欲しいのは、楽チン靴で、イタリアでは女性ものでこういうタイプはない。強いていえば、カンペールとか、ビリケンシュトックとかお高いメーカーのみ。私が5年ほど前から愛用しているAir Walkは今やもう取り扱う店もない。このAir Walk、もう履きに履きまくって底が擦り切れて穴が空いてて雨の日にはもう履けないという有様。見た目も、もうかなり貧乏臭いし、同じものでなくとも近いものをどうしても日本で見つけたかったのにぃ(涙)。
2005.01.18
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今日は阪神大震災から10年。こないだから特番が組まれ、ああ、もうあれから10年も経ったのか・・・とつくづく思う。私は当時東京の大学に行っていたので直接被災はしていないが、家族や友人が大変だったこともあり、やはり、特別な気持ちがこみあげる。我が家にとっては、今日は更に特別な日。その3年後に母の大交通事故。そして昨年はおじいちゃんの最期。これでもか、というほど、1月17日は不吉な日である。今日はまず、友人とお茶&ランチしに大阪まで出る。イタリアの結婚式にも来てくれたヤスコ、やっぱりアンタとじゃあ、3時間はホンマにあっという間やったなぁ~。そのまま電車に乗って、2時前には姉の家へ。なんと今日は2番目の子の保育園にお迎えに行く。前から“マッシにお迎え来て欲しい~!”と言っていたらしいが、こないだ姉から電話かかって来たときに代わって“なぁ、いつ迎えに来てくれるん?”と言われたら行かないわけにはいかない。すぐに車に乗ってお迎えへ。保育園に入って教室の近くまで来ると、私達に気づいたと思ったらまだ先生がお話しているようなのに、後ろをキョロキョロ。手も振ってるし!で、出てくるなり・・・“見といてや~!”と言ってダッシュしたと思ったらうんていにまず上り、そして、木のぼり!これを私達に見せたかったらしい。ひょいひょいと上っていくが、見ている方は怖くて気が気ではないってば!“もうええから、ゆっくり降りといでや~!と言っても、“ゆっくりは嫌い~!”と言って、すんごい速さで降りてきた。マジ、怖いって・・・。そんなこっちの気も知らずに、“見て~”と今度は縄跳び披露。そして友達に挨拶に走り回る、走り回る。ああ、そんな事してる間に小1のお姉ちゃんが帰ってくるってば!とうちの姉はそれで気が気でない。ダッシュで車を飛ばすも、長女はもう帰ってきていて、同級生のマンションの下に住む友達のところにお世話になっていた。それも迎えに行き、家に入ると・・・“マッシ~、遊ぼ!”でた!格好の標的!!しかし、いつものごとく、今度はプレステでダンナもかなり楽しんでいる。ハハハ、こうやってみるとマブダチみたい~。お姉ちゃんにやらせてもらえない三女は、ゲームボーイを持って一緒にやってるつもりなのが、また可愛いわ~! その後、晩御飯も一緒に食べることになり、ほとんどのものはもう堪能したのでいっちょ普通の居酒屋に行く事にした。そして早くも10時頃・・・別れのとき。姉家族とは今回の滞在最後やな。“なぁ、なんでイタリア帰るん?”と言っていた姪っ子たちも最後は“挨拶し”と姉に言われても、恥ずかしそうにバイバイ~と手を振っただけだった。今度会う時はどんなに成長してるかな。いつの日か、イタリアに遊びに来るんかな?家に帰ると、昼間に電話をくれていた高校のツレ・ヨネに電話する。てっきり、もう1回会う?とかかと思っていたのに・・・“先生から年賀状の返事きたー、と思ったらお母さんからで、先生亡くなったって・・・”・・・言葉が出なかった。先生とは、私達が高校生の時に初めて赴任してきた“ささべん”の事で、その強烈キャラから在学中から、そして卒業してからはすっかりツレの1人になっていた。彼女はしばらくして、ある原因で先生を辞めざるを得ず、しかし、持ち前のパワーで介護士にやりがいを見出し、老人ホームで働きながら通信大学も卒業し資格も取った上に、最終的には大学の講師や論文を発表したりもしていた。そんなになっても相変わらず“人生の師匠と呼ばせていただきたいけど、正直ささべんみたいにはなりたないな”と突っ込ませてくれるアホキャラで通っていた。でも、私達は皆、彼女のことをとっても尊敬していた・・・。そんな彼女がガンに侵されていたと知ったのは、一昨年の中ごろ。私の結婚の案内にも、普段メールがすぐに来る彼女からは返事もなくおかしいな~、でもきっと仕事で忙しいんやろうと思っていたらその半年前に肝臓を3分の2摘出をしたが、もう仕事に復帰したよ~などという、ショッキングながら明るい文面だった。私はその前の年のダンナの初来日で会って以来、結局今まで会えなかったのだが、メールでの文面もいつもギャグ交じりで、しんどいはずやのに全くそのそぶりは見せなかった。他のツレの話やと、“先生、抗がん剤キツくなったから、今度会う時はヅラかも~とか言うから、どうかえしていいか分からんねん”とも聞いた。今年に入って肺に転移したことも知ったけれど、転職もし、キャリアアドバイザーとしても日本中を飛び回っていたのでこんなに重い病気なのに、誰もが彼女は乗り越えられると信じていた。だから、夏すぎから連絡がなくても、また前と同じで忙しいんちゃうか、でも前もそうやったからな・・・と心配していて、電話もしたけれど結局、どうする事もできず、2日は彼女なしで集まった。その時も彼女の話も出たが、やっぱり私達は、皆どこかで信じていた。彼女が乗り越えないはずはない・・・。お母さんからのハガキによると、亡くなったのは10月8日。もう3ヶ月以上も前やった。その頃、彼女が亡くなっている事も知らずに、読まれるはずのないメールを送り、帰ってくるはずのないメールを送っていた。・・・とにかく、頭が真っ白になって、涙は出てこなかった。ただ、ただ、呆然と楽しかった笑いあった日々が頭にめぐっただけだった。
2005.01.17
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今日はトラットリア・マッシにて、フィオレンティーナ公式ファンクラブ・ヴィオラ・クラブ京都の会合に出席させて頂きました。元々私の友人であるユウキも職場の名古屋からかけつけるはずが風邪でダウン。出席者は会長の山崎さんと、フィレンツェ留学中に何回か出かけたしのぶちゃんと、もうすぐダンナ様になる横田さん、他2名の会員さん。前の来日の時も会を催して頂いてその時も思ったのだが、なんでこんなに詳しいのん?なんでフィオレンティーナなん?特にフィオレンティーノであるダンナがなんで日本人が?とかなり不思議のよう。お話のメインはクラブで企画している観戦ツアーの件。私もいっちょひと肌脱がせて頂きます!トラットリア・マッシでまともに食べたのは実は初めてやったけど、こっちでの修行(本編・トスカーナ料理教室の項参照)しただけあっていけてるよ~ん!特にスキアッチャータとトリッパには久々にフィレンツェを思い出させてくれました・・・ 店の前で記念撮影!皆さん、4月末にフィレンツェで会いましょう!晩は、おじいちゃん1周忌に仕事で来れなかったczちゃんと会えるのも今日だけかも?だったので兄夫婦がやってきた。いつも、お土産ありがとう~!私はやっぱ新居用のアイテムが嬉しかったけどダンナはいつものごとく、おもちゃ?好き?木製のゴム鉄砲に大喜び!(ちなみに力士こまっつうのも今回購入してました)
2005.01.16
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今日は今回の滞在のメインである、おじいちゃんの1周忌。お葬式に間に合わなかったのと、おじいちゃんの遺言で私を呼ぶな、と書いてあったのとで行けなかった。それで、その後その無念からすぐに今回の旅行を決めていたのだ。隣町のおばあちゃんの家まで行くと、私達夫婦と両親が一番のり。続いて母の妹夫婦、それから私の兄、そして最後ににぎやかな姉夫婦+3人娘がやってきた。用意も整ったところでお坊さんも到着。足をくずして下さい、と言われて父と兄がくずしたのを見てダンナも安心してあぐらを組むも・・・正座よりはマシちといえども、あぐらも慣れていないダンナ。足をつかんで、後ろに倒れないように必死!それでも数珠を持って手を合わせると、それもできないので・・・多分、腹筋で頑張って持ち堪えてたんやろうな、顔が引きつってました。お経も最後の方になると、前から順にお焼香が回ってきた。始まる前に聞いたら、1列目だけ、と言っていたので安心してたのに私達の方まで回ってきている。ダンナがきょとんとしているので“皆がしているように真似したらいいから”と耳打ちすると、横目で必死に見ている・・・。無事これも終わり、お坊さんのお話も済み、無事に全て終了した。そこから、うちの近所の日本料理屋さんで皆で昼食。白子やなまこなんていう、日本人でも食べれない人が多そうなものまでダンナはお箸でひょうひょうとたいらげ、あまりの普通ぶりに皆もびっくり。一方で姪っ子3人はずっと我慢していたものがはじけたかのように食べるのもままならないまま、はしゃぐ、はしゃぐ!それは家に帰ってからもまだまだ続き、すでに遊んでくれる人と悟られたダンナ、いつものように姪っ子の格好の的に。とはいえ、ゲームボーイを教えてもらいながら彼も楽しそう。そして1年生の長女と漢字対決!ダンナ、今までの勉強の成果を見せる絶好のチャンスとあって大張り切りで頑張った。その正解ぶりと、字のきれいさに、うちの家族ただただ感心。しかし、ダンナに勝てる?と思っていた姪っ子はちょっとスネ気味?ダンナが正解を連発し、皆がすごい~と驚くのに少しジェラシーっぽく見えたのは私だけやろうか・・・?
2005.01.15
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兄と釣り、母とジムに続く第3段は、父の所属する還暦野球の練習見学。ダンナがいるとタダでさえテンション高い父、朝からかなりはしゃいでいる。今日は新年の初練習で、ぞくぞくと集まるメンバーの皆さんにもご挨拶。そして、だいたい集まったらコートに出て行ったので私達は観覧席へ。ミーティングのあと、ランニング・キャッチボール・そしてティーバッティングと皆さん60以上なのに元気、元気。しかし、確かにこの中では最年少とはいえ、父の体格やプレーはズバ抜けている。なんせ、数年前まで20~30代のチームで投げてたからな~すると、1人の方が“ちょっとやってみる?”とダンナに行ってきた!恐縮ながら上着を脱ぎ、バットを貸していただいて、いざ!!“お~メジャーリーガー!!”・・・ってイタリア人なんですが・・・“うちにスカウトしよか!”・・・って今日初めてやし(っつうか、まだ33やし)そして第1球は!・・・空振り。バットの傾きを修正してもらうとへっぴり腰ながら芯にも当たってきたしぃ! しかし、その結果“やっぱ入団は無理やな・・・”とダメだし?それでも、初体験に満足のダンナでした♪
2005.01.14
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今日は日本のフィオレンティーナ公式ファンクラブの会長・山崎さんご夫婦のご招待で京都へ。まずは、恐縮ながらリクエストさせて頂いたとんかつ屋さんへ・・・それが、ただのとんかつ屋でなく最近できて、流行のおしゃれな店。普通のとんかつでなく、超薄豚肉を巻いたものを揚げてある、お上品な味・・・美味!それから、マンマから頼まれていたお守りやキーホルダーも買い、最後はお茶しながら今年のクラブ企画の観戦ツアーなんかもお話してお別れしました。
2005.01.13
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兄との釣りに続き、今日は母とスポーツジム。昔は一緒に通っていたけど、最近は野球チームで忙しくて会員でなくなった父も、一緒に4人で行ってまいりました。もともと、父はずーっとスポーツ親父やったけど、母は全然。ところが、母が大交通事故に遭い、3ヶ月入院のあとも歩くのもままならず、やっと普通の生活ができるようになった頃からリハビリを兼ねてプールの中で歩くのを始めたてから・・・すっかりハマッた!今では、事故からの復帰どころか30才台の体力でエアロやフィットボクシングもやりまくり、で正に人生最大の楽しみとなっている。今日は食べすぎでぐうたらしすぎの私達にも調度いい運動。とはいえ、休にやると怖いので私はかなりほどほどにゆっくりランニングと、気になる箇所だけのマシンを2セット、自転車をゆっくり30分、プールで歩いてジャグジーでシメ。ダンナは向こうでもジムに行った事はあるが、マシンとプールを併設し、ジャグジーやお風呂まであるのは滅多にないし高い、という事で、かなり楽しんでいた。そして何より驚いていたのはうちの両親の体力・・・前から知っていたとはいえ、久々に目の当たりにした私もかなりビックリ。年をとったな、と一方で思いつつ、やっぱりあなどれない我父母。私の方が体力無かったりして?しかも、この帰省で体は緩みっぱなし、すでに2キロ増えてるし(汗)
2005.01.12
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2日前のダンナ嘔吐に続き、なんと母も昨晩嘔吐し、ヘロヘロ。今流行のノロウィルス?昨年に姉家族を一撃した嘔吐風邪?それともタダの食べすぎによる胃もたれ?胃が疲れていると感じているものの、吐気も何もなかったけど、突然きた、とダンナも母も言うし、今度は私かも・・・とかなり不安。今日は胃薬を買いに行き、やたら不安で大阪に出るときも万が一に備えてビニール袋を携帯して行った。けど、とりあえず、何もなし。薬を服用して、食べすぎにはちょっと注意。怖いよ~ん。
2005.01.11
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今日は友人宅で昼食のはずが、予定変更で晩御飯のみに。姉がタダ券があるからボーリング行こうと行っていたのを火曜日にしていたが、こんなに急に変更もしんどいからゆっくりしとこう!と思っていたのだが・・・ダンナ“お父さんがかわいそう”。そう、火曜日やとうちの父が仕事で来れなかったので、私たちが姉と姪っ子とだけで行くと言うと淋しそうにしてた父、その表情をダンナは見逃してはいなかった・・・!そして姉に電話したら今から行けると言うので、急きょボーリング大会!何より喜んだのは、当然のごとく父。プリクラも撮って大はしゃぎ!ダンナも久々のボーリング、姪っ子からも“マッシ、頑張れ♪”の声援を受けると頑張らないはずもなく、ハッスル・ハッスル♪ 結果、2ゲーム中、父1勝、ダンナ・父に1点差でかろうじて1勝!その後は、約束の時間までダンナは姪っ子の遊び相手。晩御飯はOL時代の友人のうちへ。3年前に私がイタリアに行ってから結婚した彼女、ダンナさんは初対面!ここでも昔はよく宴会させて頂きました・・・懐かしい!同期の仲が良かった私達も、女性社員は残るは彼女1人で、久々に私がいた宣伝課のその後、やら、会長秘書をする彼女ならではの上層部ネタ、色々楽しませてもらいました。そして旅行好き・食べ物好き同士と言う事でよくつるんで行っていた昔の旅行なんかの話も・・・そして今日もしゃべりまくり、食べるのはやや控えめに。今度は夫婦でイタリアにおいでね~♪
2005.01.10
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1月4日~8日までは北海道旅行に行っておりました・・・イタリアに帰ってから、本編旅行記作ります♪帰って来るや否や・・・本日の予定=釣り!なんやそれ~とお思いになるかもしれませんが、今回の日本は、家族とのふれあいがメインでございます。今日はその一つで、“兄の昔からの趣味である釣りに一緒に行く”編。実は私も始めての釣り!・・・とはいえ、初心者でも楽しめるように囲まれた川の一部に放流してもらう形で。自然のままなんて無理、無理!北海道の疲れもありつつ、しかも、昨晩胃痛でダンナ嘔吐!というハプニングもありつつ、全部吐いたら以外と平気というので朝もまあまあ早よから大阪郊外の川へGO!師匠・兄から糸の通し方からルアーの付け方、川への糸の投げ方まで手ほどきを受けて・・・いると、昔ブイブイ言わしてた(?)父、早くも釣っております!そして我らも挑戦!・・・するも、私は投げるタイミングと糸を離すタイミングがつかめず、四苦八苦・・・それを30分以上もしてると“・・・おもんない(面白くない)~・・・”それを尻目に父・兄は釣る、釣る、母は新鮮なまま食卓に運ぶ為に〆る、〆る!ダンナは投げるのはすぐにコツをつかんだけど、引くのが遅くて川底をさまようので、釣れるのは木の葉ばっか。そして1時間半ほどたって、ダンナに引きが!そして兄の助けも借り、ついに1匹目ゲットォ~!もうつれる見込みなし?の私も便乗して“夫婦で勝ち取った(?)1匹”と言う事で・・・ そして、タイムアップ直前に、グッと私の竿がしなる・・・が??“おにーちゃーん、これ、引いてんの!?”とよく分からんかったが“おお!デカイ!!引け、巻け!!”と皆最後の当たりに大興奮!!ところが・・・ぷ・ち・ん・・・と大魚は私の興奮を尻目に糸を引きちぎって逃走しやがりました(泣)昨年のきのこ狩りに引き続き、ビギナーズラック、ここでも皆無。釣れたマスは実家に帰ってから、さばいて熱々のフライに。おいちかった~♪
2005.01.09
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今日は高校時代からの友人(いわゆる“ツレ”でんな)と新年会。高校からずっと仲良く、何かあれば集まって、しゃべりまくって笑いまくる5人組だった。1人は日本で私の友人の友人と結婚し、1児の母。あと2人は未婚だが、うち1人は国立病院で働く看護士、うちもう1人はニューヨーク留学の後、ホテル勤務。残る1人は現在ロンドンに留学中で残念ながら欠席だったが、場所は懐かしの唯一の母であるヨネの実家に。ここは姉のうちからも近いので、まずは姉宅でHPをチェックし、その後偶然見つけたユニクロのチラシでダンナが欲しがっていたのが週末限定で安くなる事が発覚し、近所のユニクロへダッシュ。そして姉ダンナが行っているゴルフの打ちっぱなしにも寄り、ゴルフに興味を持っていたダンナ、初挑戦!ゴチゴチながら、何とか当たった!どころか、結構飛んだ!素振り数回と2球打っただけで大満足・・・“イタリア人でゴルフの打ちっぱなししたん、そうそういないで”ってアンタの満足の基準はいつもそればっかり!結構自慢しい?それから姉にヨネ家に送ってもらう。おっちゃんもおばちゃんも久しぶり!そしてついに、ヨネ息子も拝見。そして、宴会開始!10数年前と同じく、おばちゃんのお鍋で飲んで、食べて、しゃべりまくって(これがスゴイ・・・)、あっという間に時間は過ぎました・・・。皆の相変わらずの激しい突っ込みトークにはお腹がよじれるほど笑った!一応ダンナにも訳してあげないといけないので訳していると突っ込まれ役のなぎちゃんの“意味分からんかっても2回言われたら余計傷つくわ~” に更に一同大爆笑!!笑いの為とはいえ、激しい突っ込みにダンナも“キビシー・・・”と言ってたけど、ひぃひぃアンタも笑ってるがな!今度はいつ集まれるかな・・・やっぱりこの会合は必須です!
2005.01.03
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今日はうちに兄・姉夫婦とおばあちゃんもやって来た。家族揃うと、こんな感じ。何がすごいかって、この姪っ子3人のパワー。去年まではあんなにびびってたのに、去年の29日に遊びに行った時から、もうダンナにもすっかりなついて、“マッシー、遊ぼう~!”の連発。そして、まずは馬とびの馬をやってくれと頼まれ・・・上の子と下の子で飛べる高さが違うので、1回ごとに“高く~”、“低く~”と指示されながら、50回くらいやらされてた・・・その後も、かくれんぼ・貨物列車・お化け屋敷・グリコやらをぶっ通しで3時間。正直私は疲れたけど、ダンナはめちゃ喜んでいた。それから一緒に覚えた小川直也の“ハッスル、ハッスル”やマツケンサンバも踊り、氷川きよしの黒豆ココアの歌も歌っっていた。ふふふ、これはいいお父さんになるな!その後はすき焼きを食べ、家族ゲームで大盛り上がり!うちの両親チームはお母さんのおかげでボロ負け、結局、“マッシが欲が無いからよかってんや”と、我が夫婦の大勝利!みんなは“イタリアから来たから皆負けたってんやん”と強がっていたが、イェーイ!勝ちは勝ちやもんねぇ~!
2005.01.02
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