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「陳情者を阻止せよ」 両会前の北京で厳戒態勢 地方政府が送り込む拉致要員中国では国政に助言する政治協商会議が4日に、国会にあたる全国人民代表大会(全人代)が5日に開幕した。この二つの重要会議を総称して「両会」という。これにより、3期目となる習近平政権が本格的に始動する。習氏に対する忠誠度が「史上最高」ともいわれる側近で固められた新指導部は、中国をどこへ導いていくのか。海外からの関心も高い。「陸橋の横断幕」が当局のトラウマに「両会」が開催される首都北京では、会期中の「不測の事態」を防ぐため、路上の10メートルに1人の警官を配置するほどの厳戒態勢が敷かれた。中共当局にとって忘れられない「不測の事態」と言えば昨年10月13日、中国共産党第20回全国代表者大会(全人代)の3日前に起きた「陸橋の横断幕事件」が挙げられる。当時も厳戒態勢が敷かれていたものの、1人の抗議者によって北京市海淀区の陸橋に政権批判の横断幕が掲げられた。事件はすぐにSNSなどで拡散され、世界中のメディアが報道した。この教訓もあり北京では「再発防止」を徹底すべく、今年は両会の前から、道路だけでなく多くの歩道橋や陸橋でも警備が強化されていた。その点だけを見れば「陸橋の横断幕」が当局のトラウマになったとも言える。「陳情者を阻止せよ」に血眼になる地方政府(抜粋)
2023.03.07
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CNA 北部地方組@cna3012
2023.03.06
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VW株主の上位20位に入る投資会社デカ・インベストメントの持続可能性・企業統治部門の責任者インゴ・シュパイヒ氏は、「VWは新疆での風評リスクから抜け出せない状況に陥っている」と指摘した。新疆ウイグル特集 「強制労働の証拠見られない」独VW中国法人トップが新疆視察 IPAC創設者らが反論
2023.03.03
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日本経済新聞が報じたことに対し、関連の報道は「事実無根の作り話だ」と報道資料を通じて反論(台北中央社)国防部(国防省)は1日、軍幹部の大部分が退役後に中国に軍の情報を提供して金銭を得ていると日本経済新聞が報じたことに対し、関連の報道は「事実無根の作り話だ」と報道資料を通じて反論した。2月28日付の同紙は関係者の話として、軍幹部の9割ほどが退役後に中国に渡って軍の情報提供を見返りに金稼ぎし、腐敗が常態化していると報じた。国防部は報道に対し「不明な情報源によって国軍の国家を守る忠誠度に疑いをかけた」と指摘。報道は事実無根であり、「裏取りをせずに、あおる見出しで国軍の軍人の気節を汚し、部隊の団結を分裂させた」とし、「敵を喜ばせるだけで、台湾海峡とインド太平洋地域の平和と安定には無益だ」と批判した。また、中国が退役軍人を利用して現役軍人への接触を試みている状況については前々から把握しており、すでに対応策を定め、教育の徹底を図っていると説明した。軍人の警戒意識を高める教育を行う他、スパイの摘発を強化しているとした。「銃声が響いた時、死んだとしても寝返ることはない」というのが国軍が国を防衛し、国民を保護する忠誠の誓いだと強調。メディアに対し、報じる前に客観的に裏取りをする責任を果たすよう呼び掛けた。退役軍人に関わる行政を担う国軍退除役官兵輔導委員会の馮世寬(ふうせかん)主任委員(閣僚)は2日、立法院(国会)外交・国防委員会への出席前に報道陣の取材に応じ、報道について「でたらめだ」と強調した。(游凱翔、呉昇鴻/編集:名切千絵)
2023.03.03
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中国の問題触れず違法な海外での臓器移植あっせん事件をめぐり、加藤勝信厚生労働相は27日、衆院予算委員会で「海外での臓器移植等の実態を把握する必要がある」と述べた。池下卓議員(日本維新の会)の質問に答えた。加藤氏は「個人情報の取り扱いに留意しつつ関係学会と連携して、医療機関を通じた渡航移植に関する実態調査を行いたい」とした。2月、無許可で渡航移植をあっせんしていた内閣府認定NPO理事が逮捕された。岸田文雄首相は事件について、「公正で適正であるべき臓器の斡旋を無許可で行ったという。事実だとすれば重大な問題であると認識しているし大変遺憾だ」との見解を表明した。渡航移植あっせんの違法性について、移植手術の現場が海外だと金銭授受、証言、証拠が非常に掴みにくいと池下氏は指摘。齋藤健法務相は、一般論としつつ「捜査当局は司法に基づき必要に応じて国際捜査共助の枠組みで対処するものと承知している」と答えた。日本も署名する臓器移植に関する国際宣言「イスタンブール宣言」には、原則的に渡航移植を禁じ臓器移植は国内実施とある。岸田氏は、臓器移植法の改正ならば「課題を分析した上で実効性ある対策を検討する」と述べた。(抜粋)
2023.03.01
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「2・28事件」から76年 台北で記念イベント 蒋市長に謝罪求める声も/台湾(台北中央社)国民党政権に抵抗した台湾人が弾圧された1947年の「2・28事件」から76年となった28日、50以上の民間団体による記念イベントが台北市内であった。一行は事件ゆかりの地を歩き、権威主義の象徴の撤廃を訴えた。同事件は1947年2月27日、同市で闇たばこを販売していた女性に官憲が暴力を振るったのを発端に同28日以降、抗議デモが台湾全土に広がり、国民党トップの蒋介石に派遣された軍隊がデモ隊などを武力鎮圧した事件。多数の死傷者・行方不明者が出た。イベントには人権派弁護士、李勝雄さんが参加した。メディアの取材に応じた李さんは、蒋介石のひ孫に当たる蒋万安(しょうばんあん)台北市長が謝罪すべきかと聞かれた際、「万安氏本人の問題だ」としながらも、蒋介石像など権威主義の象徴を「愛の力」で撤去してほしいと期待を寄せた。「2・28事件」から76年 台南で追悼式典 蔡総統「過ちを二度と犯してはならない」(台南中央社)当時の国民党政権が市民を弾圧した1947年の「2・28事件」から76年を迎えた28日、政府主催の追悼式典が南部・台南市の228記念公園で開かれた。式典に出席した蔡英文(さいえいぶん)総統はあいさつで「われわれは二度と過ちを犯してはならない」と述べ、「代々にわたる台湾人のために、台湾人が尊厳を持って生きられるようにすることが、2・28事件を追悼する最良の方法だ」と決意を新たにした。式典には陳建仁(ちんけんじん)行政院長(首相)や游錫堃(ゆうしゃくこん)立法院長(国会議長)、史哲(してつ)文化部長(文化相)、林右昌(りんゆうしょう)内政部長(内相)、黄偉哲(こういてつ)台南市長、犠牲者遺族らも出席し、献花を行った。また、犠牲者遺族には蔡総統から名誉回復証書が授与された。蔡総統は、過去の権威主義的な統治の下で行われた人権侵害やその結果の真相究明などを目指す「移行期の正義」を政府が2016年から体系立てて推進していることに言及。かつての独裁政権下で下された有罪判決5983件を取り消し、政治犯とされた人々の汚名を国として初めて消し去ったことなど具体的な成果を紹介した。
2023.03.01
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コオロギは野ネズミやウシガエルの好物である。その役目を果たすために、コオロギは自然界にいる。他国ではいざ知らず、コオロギを平気で食う日本人になっては、亡き猫八師匠に申し訳が立たない。日本人は「コオロギを食べる人」になるのか? 神の恵みとしての食物を考える
2023.02.28
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戦時に偽情報拡散なら有期刑 国防部が法改正案公表/台湾 2023/02/27 18:24:33(台北中央社)国防部(国防省)はこのほど、「全民防衛動員準備法」の改正案を公表した。戦時の動員体制下で偽情報を拡散した場合、3年以下の有期刑を科すなどの条文が盛り込まれた。改正案では同法の適用範囲に、現行で明記されている「動員準備段階」の他、「動員実施段階」を新たに加え、法律の名称も現行から「準備」をなくした「全民防衛動員準備法」に変える。動員実施段階では、戦時や緊急事態において総統が憲法にのっとり緊急命令を発し、全国もしくは一部で動員を実施すると定めた。同部は改正案について、動員実施段階における組織や権利、責任、任務に加え、動員体制下での物資の買い上げや徴用、罰則などについて明文化したと説明。動員準備段階と動員実施段階で任務の目的を達成するのが狙いだとした。(抜粋)中国語:國防部預告修法 戰時散播不實訊息處3年以下徒刑 2023/2/26 12:45(2/26 21:04 更新)
2023.02.28
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中国語記事:總統府資政辜寬敏辭世 享耆壽97歲 2023/2/27 09:52(2/27 19:52 更新)総統府顧問の辜寛敏氏死去 台湾独立運動を推進2023/02/27 14:12:25(台北中央社)台湾独立派として知られる総統府資政(顧問)の辜寛敏(こかんびん)氏が27日午前8時55分ごろ、台北市内の病院で死去した。96歳だった。辜氏が董事長(会長)を務める「台湾制憲基金会」が明らかにした。辜氏は日本統治時代の1926(昭和元)年生まれ。30過ぎから半世紀以上にわたって台湾の独立と正常な国としての地位の獲得を志してきた。同基金会によれば、辜氏はかつて安倍晋三元首相に台日の関係は密接で不可分だと伝えたことがあり、これが後に安倍氏が提唱した「台湾有事は日本有事」の考え方につながったという。同基金会は追悼の場を用意する予定。詳細については追って発表するとしている。総統府の林聿禅(りんいつぜん)報道官によれば、蔡英文(さいえいぶん)総統は訃報を受け、辜氏が生涯をかけて台湾の主体性を守ったことに感謝を表明。台湾の民主主義や自由、本土化を推進してきたことをたたえ、辜氏の冥福を祈った。(葉素萍/編集:荘麗玲)
2023.02.28
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林氏は、中国はよく「台湾独立イコール戦争」という論法で台湾を脅しているものの、実は「戦争イコール台湾独立」になるとの見方を提示し、中国が武力侵攻に踏み切れば台湾が独立してはならない理由はなくなると話した。質疑応答で台湾が日本に期待することについて問われると、日本の法律上、台湾は国家ではなく、人で言えば、存在しているのに戸籍がない無戸籍者のようなものだと話した上で、日本の財界や有権者に対し、米国の「台湾関係法」のような台湾の存在を認める法律の制定を日本政府に要請してほしいと訴えた。「日本は台湾の存在正視を」台湾独立派団体の日本本部委員長が講演 2023/02/27 14:06:23
2023.02.28
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「社会分断の恐れも」LGBT法案に潜む問題点 知るべき「性自認」と「性同一性」の大きな違い Wenliang Wang 大道修 2023/02/26 更新: 2023/02/26国会では今、性的少数者(LGBT)への理解を増進する法案の審議が進められている。野党は人権を旗印に推進役となり、公明党はG7(先進7カ国首脳会談)開催前の成立を急ぐ。しかしLGBT関連法制が整う欧米諸国では、トイレや更衣室の利用などをめぐるトラブルが頻発、スポーツの公平さが問題となるなど、課題は山積みだ。法案に対する考え方が与野党で大きく異なることや、法案で使われる言葉の違いにも注意が必要だ。保守派政治家は、かつて使われていた「性同一性」が「性自認」に置き換わるだけで、「出来上がる社会は全く異なる」と指摘する。さらに、歴史的観点からLGBT運動の左翼的背景について指摘する声もある。
2023.02.27
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浸透工作 売り出しニッポンの島 問われる領土保全 沖縄のっとりの危惧も 2023/02/17 更新: 2023/02/16万里を飛ぶ大鵬のように、我も島を飛びたたんーー。農民の子として生まれた尚円は、思想家・荘子「逍遥遊」に登場する伝説の鳥、大鵬に自らをなぞらえ、生まれた島を離れた。15世紀から19世紀まで続いた琉球王国の初代国王となる尚円の旅立ちだ。尚円の故郷、伊是名村では今も毎年4月に玉御殿に葬られた尚円王を供養する行事、「公事清明祭(くーじぬしーみー)」が執り行われる。沖縄の伝記に名を残す伊是名村だが、その歴史が揺さぶられつつある。伊是名村の有する2つの無人島、屋那覇島と具志川島は、中国を含む外資によるリゾート開発計画が報じられた。関係者は、中国共産党の政治的な狙いを疑う。「琉球の歴史の乗っ取りではないか」。(記事抜粋)
2023.02.17
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人権団体は国安法による弾圧に懸念を表明してきた。アムネスティ・インターナショナルは2021年7月、同法により「疑心暗鬼になった市民の間では、自己検閲する風潮が強まっている」と指摘した。この声明の3カ月後、アムネスティ香港事務所は閉鎖した。https://www.epochtimes.jp/2023/02/137158.html
2023.02.17
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韓國黑鷹特技隊過境高雄機場 航空迷搶拍【圖輯】 2023/2/16 10:48(2/16 22:32 更新)中国語版韓国軍機が高雄に飛来 空港周辺に多くの航空ファン/台湾 2023/02/16 16:34:41
2023.02.17
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寛容は人心を掴む【伝統文化】 2023/02/16大紀元スタッフ人は間違いを犯すものであり、皆欠点を持つものです。寛大な心で他人を許すのは一種の美徳であり、そうすれば、憎しみを溶かし、悪縁を解き、敵を友に変えることができるのです。楚の荘王は、ある夜、臣下たちを宴に招きました。皆が心ゆくまで酒を飲み、多くの者が酔いつぶれました。宴もたけなわの頃、正殿のロウソクが風によって吹き消されます。するとその隙に、ある臣下が王妃の服を引っ張ったのです。王妃はすぐさま、その者の纓(冠のヒモ)を引きちぎり、荘王にこう言います。「ロウソクが消えた隙に、私の服を引っ張った者がいます。私はその者の冠の房を引きちぎりました。ロウソクを灯しさえすれば、それが誰だかすぐわかります」。すると、荘王は、「私と酒を飲むのに、冠をはずさないとは何事だ」と言って、皆に冠をはずさせたのです。荘王はそこでロウソクを灯し、先ほどと同じように、臣下たちと心ゆくまで酒を飲みました。後に、楚の国に、戦のたびに先陣を切って戦い、敵陣に攻め入って敵兵を打ち破る者がいました。呉国が兵を挙げて楚の国を攻めてきたときにも、敵の将校の首を討ち取って荘王に献上したのです。荘王は不思議に思い、その臣下に、「わしはお前をそこまで大事にした覚えはないのに、何ゆえこれほどまでに尽くしてくれるのだ」と尋ねました。すると、その臣下は、「以前正殿で纓(冠のヒモ)を無くしたのは私です」と答えました。あの宴のとき、その臣下が酒に酔って無礼を働いたにもかかわらず、荘王は寛大な心で、それを咎めることはありませんでした。彼は、それをずっと深く心に留めており、荘王の寛容な振る舞いに報いるために、身を呈して敵を退けたのです。荘王はこのように、寛容で思いやりのある心を持ち、他人の些細な過ちを咎めなかったことから、ついには大業を成し遂げ、春秋五覇の一人となりえたのです。
2023.02.16
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台湾アイドルの元祖リウ・ウェンチェンさんが死去、70歳 昨年11月に米国で 2023/02/15 18:53:19
2023.02.16
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外務大臣表彰受賞の2団体に表彰状 日本との友好関係増進に寄与/台湾 2023/02/15 19:13:21(台北中央社)日本との友好関係増進に寄与した個人や団体に贈られる2022年度の外務大臣表彰の表彰式が15日、日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会台北事務所代表公邸(北部・台北市)で行われ、同所の泉裕泰代表(大使に相当)が台日文化経済協会(台北市)と台中市白冷圳水流域発展協会(中部・台中市)に表彰状を授与した。泉氏は文化経済協会について、1952年に設立されて以降、日台間の文化、経済、教育などさまざまな交流に尽力し、近年は台湾の若手知日派育成に大きく貢献していると紹介。また白冷圳水流域発展協会に関しては、日本統治時代の1932(昭和7)年に通水した農業用水路の保存活動を行い、建設の中心的人物である磯田謙雄技師を記念する文化祭や磯田の出身地、石川県金沢市との交流活動を行っていると説明した。文化経済協会の杜恒誼会長は、今後は「知台派」の日本人育成に向けて取り組みたいと語った。白冷圳水流域発展協会の陳耀邦理事長は、台日交流のさらなる緊密化に期待を寄せた。(游凱翔/編集:齊藤啓介)> 中国語関連記事
2023.02.16
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トニー・レオン、10年ぶりに台湾訪問 名作「悲情城市」の上映会にサプライズ登場 2023/02/15 18:19:17(台北中央社)香港の俳優、トニー・レオン(梁朝偉)が14日、台北市内で開かれた台湾映画「悲情城市」のデジタル修復版のプレミア上映会にサプライズ登場した。トニーの訪台は10年ぶり。当時の共演者やスタッフとの再会を楽しみ、イベント終了後には思い出の涼麺(冷やし麺)に舌鼓を打った。1989年に台湾で公開された「悲情城市」は、国民党政権が市民を弾圧した1947年の「2・28事件」を背景に、港町である基隆で暮らす一家の盛衰を通じて台湾において最も敏感な歴史を描き出した作品。監督はホウ・シャオシェン(侯孝賢)。第46回ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞するなど高い評価を得ている。公開から33年を経て、4K高解像度でよみがえった。上映会にはトニーの他、ジャック・カオ(高捷)やチェン・シューファン(陳淑芳)ら出演者、脚本家のチュー・ティエンウェン(朱天文)、編集のリャオ・チンソン(廖慶松)、録音技師のドゥー・ドゥージー(杜篤之)らが出席。ホウ監督は体調を考慮して欠席した。トニーの訪台は2013年に映画賞「ゴールデン・ホース・アワード」(金馬奨)授賞式に出席して以来。今回はプライベートでの訪問だという。トニーが上映会に出席するかは極秘とされており、トニーがサプライズで会場に姿を見せると、観客からは叫び声が上がった。トニーが同作で演じたのは、耳が聞こえず口もきけない四男のウンセイ。トニーは出演当時、26歳だった。「若い俳優として、ホウ監督や優秀なスタッフと一緒に作品に携われたことはとても幸運だった」と振り返り、「ホウ監督は私をたくさん励ましてくれた。彼がいたから小説を多く読むようになって文学が好きになった。これは素晴らしい体験であり、多くの刺激をもらった。今後、若い観客や映画ファンがホウ監督の作品を大スクリーンで見られる機会が増えることを願っている」と話した。上映会終了後、トニーはジャックらと共に有名飲食店に向かい、特製の涼麺を味わった。トニーは「悲情城市」の撮影初日にスタイリストの女性から涼麺をもらい、それから撮影期間は毎日、涼麺を食べたいと思っていたのだという。ジャックは15日、配給会社を通じ、上映後のトニーとの交流について紹介した。トニーと会うのは「フラワーズ・オブ・シャンハイ」(海上花、1998年)での共演以来だったもののすぐに打ち解け、夜遅くまで話をしたという。トニーから電話番号を教えてもらい、「日本に行く際には連絡をして。たくさん自転車を持っているから、サイクリングに一緒に行こう」と誘われたと明かした。(葉冠吟/編集:名切千絵)
2023.02.16
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「日本人も無関係ではない」 生体臓器収奪の実態訴えるポスター展 東京・江戸川区で2月17日から開催 大道修 2023/02/15 更新: 2023/02/15「生体臓器収奪を制止せよ」国際ポスターコンテストの受賞作品の展覧会が2月17日(金)~2月19日(日)まで、東京都江戸川区のタワーホール船堀展示ホール2で開催される。世界第2位の臓器移植大国「中国」。しかしこれほど多くの臓器がいったいどこから来ているのかは明らかになっていない。しかし数々の調査で、そのドナーが需要に従って随意に選ばれ、生きたまま臓器を収奪され殺されている事が判明している。そして臓器は今現在も高い値段で取り引きされ、現在も犠牲者は増え続けている。これほどの非人道的犯罪だが、メディアではほとんど取りあげられないため、真相を知らないまま、このような血塗られた臓器を移植するために中国へ渡航する日本人も少なくないという。2020年、SMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会)、臓器移植倫理協会(韓国)、台湾国際臓器移植関懐協会の日台韓3団体が合同で、この真相をポスターで伝えようと、世界中のアーティストたちに呼びかけ、ポスターデザインコンテストを開催した。公募には70か国から1049点の作品が集まった。アメリカ、スウェーデン、イタリア、日本、韓国、タイなどから審査員を招き、最終的に49作品が選出され、今回、その作品が展示される事になった。決して他人事では済まされない真相を一枚一枚のポスターが伝えている。近くをおとずれた際は立ち寄ってみるとよいだろう。開催会場:タワーホール船堀 展示ホール2住所:〒134-0091 東京都江戸川区船堀4丁目1−1開催期間:2023年2月17日(金)~2月19日(日)時間:9:00~21:00※(初日)12:00~※(最終日)~14:00
2023.02.15
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訪問団メンバーの一人である国民党の陳以信立法委員は取材に対し、今回の訪問は国会外交を進めるのが狙いだとし、日本の与野党各党とのつながりを築き、台日の友好関係を強化したい考えを述べた。訪問団は12日に日本に到着した。滞在中は自民党の茂木敏充幹事長の他、小泉進次郎元環境相をはじめとする歴代の青年局長らとも面会する予定。https://japan.focustaiwan.tw/politics/202302140003
2023.02.14
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中国格安ブランド「SHEIN」の強制労働…米上院議員、CEOに説明責任求める 山中蓮夏 2023/02/14 更新: 2023/02/14
2023.02.14
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整合性欠く中国「安全」基準と日本批判 食品は16倍 トリチウム海洋放出も福島原発の10倍 李浄 2023/02/14 更新: 2023/02/14 大紀元時報日本福島漁業協同組合連合会(福島魚連)は7日、福島県いわき市沖で取れたスズキの体内から基準値を超える放射線物質を検出したと発表した。かねて東京電力福島原発事故と処理水海洋放出の影響を注視してきた中国メディアも、軒並み報じた。いっぽう、中国側の放射線基準値は日本の16倍で、食の安全基準は日本よりもはるかにゆるいことがわかった。福島魚連の通知を受け取った福島水産海洋研究センターは、同海域のスズキを検査したところ、組合の基準値 1キロ50ベクレルを上回る、1キロ 85.5 ベクレルの セシウム137 が魚の体内から検出された。国の基準値(同100ベクレル)は下回るが、同県沖のスズキの出荷を自粛する。中国中央テレビ(CCTV)をはじめとする中国国営メディアは、日本産スズキの放射線濃度が基準値を超過したことや、輸入の一時停止について報じた。今年予定された福島原発の処理水の海洋放出によって「海産物へのさらなる影響」を関連づけようとする報道も多数みられた。こうしたなか、一人のネットユーザーが中国当局の規定する 放射線基準値 を調べたところ、12種類の食品に設定されている基準値は日本よりもゆるく、肉・魚介類については セシウム137 の濃度が1キロあたり800ベクレルに設定されていると指摘した。改めて大紀元が調査した結果、中国共産党衛生部が定める「食品中の放射性物質に関する基準値の設定」では、放射性物質セシウム137の基準値は1キロ毎800ベクレルに設定されていたことが判明した。これは、日本のスズキから検出された放射線濃度の9倍、福島魚連が定める基準値の16倍に値する。中国共産党当局の整合性に欠く主張は食品の安全基準に限らない。日本が21年4月、東京電力福島第一原発の処理水を海洋放出することを発表したところ、中国共産党は強く反発。外交部の趙立堅副報道局長(当時)は「海はゴミ捨て場ではない」と記者会見で言い放った。いっぽう、現在49基の原発を擁する中国も処理水の海洋放出をおこなっている。中国当局は毎年の放水量を公開していない。香港メディア・衆新聞によれば、深圳市の 大亜湾原発 では放射性物質トリチウムの年間放出量の上限を225兆ベクレルと福島原発より10倍以上も高く設定しているという。数値は中国生態環境部の2017年の承認文書に基づく。東日本大震災で被害を受けた東京電力の福島第一原子力発電所は運行を停止し、政府は廃炉に向けた施策を進めている。IAEAなど第三者機関の査察を経て、2021年4月、120万トンの処理水の海洋放出を決定した。今年の春から夏にかけて、地域関係者の理解を得たのち放出を開始する予定だ。いんちきちゅうごく
2023.02.14
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「気球に聞いてください」から撃墜も選択肢へ…防衛相、領空侵犯に厳正化を言明 佐渡道世 2023/02/08 更新: 2023/02/08浜田靖一防衛相は7日、我が国の許可なく領空に侵入すれば外国の気球であっても領空侵犯になり、武器使用も選択肢に含めるとした。偵察気球を戦闘機を駆使して撃墜するといった行動を含め、米国がますます対中姿勢を厳しくさせるなか、防衛相は対処を「一層厳正化していく」と言明した。(抜粋)
2023.02.08
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芥川の「羅生門」を利用する中共の姑息さ【現代中国キーワード】 松原文士 2023/02/01 更新: 2023/02/01小説の主人公である「下人」は、老婆の着物をはぎ取り、黒洞々たる闇夜に消えた。同じく胡錫進は、人々の関心を「闇」に葬ろうとする。中共の走狗とは、実に姑息なことをするものだ。
2023.02.01
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「臓器狙いか」噂された失踪高校生、首をつった状態で発見 警察発表 唐靖遠 唐靖遠 2023/01/31 更新: 2023/01/31
2023.02.01
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ファイザー幹部社員「新型コロナ、しばらく稼ぎ頭」=報道 Zachary Stieber 2023/01/30 更新: 2023/01/30
2023.01.31
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「消されるのはイヤ」白紙革命に参加した女性、動画で訴え 後に消息絶つ 李凌 2023/01/29 更新: 2023/01/30
2023.01.31
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インボイス制度はなぜ批判される? 筆の町 広島県熊野町を悩ますジレンマ 2023/01/26大道修今年の10月1日から、消費税の 仕入税額控除 の方式としてインボイス(適格請求書)制度が開始される。表面だけ見ると、請求書が、「登録番号」、「適用税率」及び「消費税額等」が記載された適格請求書に変わり、消費税が不正やミスなく平等に徴収されるようになるというものだが、深堀りすると、フリーランスのような小規模の事業者から、小規模事業者と取り引きをしている事業者まで、大きな影響が及ぶ。いつの間にか取引関係が変わっていたというケースもでてくるようになるかもしれない。益税がなくなる?インボイス制度の導入が発表されてから、フリーランスや一部の団体からは、反対の声が上がっている。彼らは制度の導入に対して「実質的な増税」などと叫んでいる。というのも 適格請求書 を発行するには消費税を納付しなくてはならなくなるからだ。現在、課税売上高が 1000万円を満たさない事業者は「免税事業者」と呼ばれ、消費税納付を免除されている。免税事業者が、消費税を納付している「課税事業者」と呼ばれる事業者と取引をした場合、その「課税事業者」に請求した金額にかかる消費税が、そのまま免税事業者の収益となっている。その収益は税金ではないが「益税」と呼ばれ、制度として不公平を感じさせ、問題視されてきた。今回、インボイス制度が開始されると、適格請求書がないと消費税の仕入税額控除がなされず、取引先に負担を強いることになる為、今まで通りに「免税事業者」が「益税」を得ることは難しくなる可能性もでてくる。制度がはじまることによって不公平感は改善されていくかもしれないが、小さな免税事業者だと益税を価格に転嫁できないケースも少なくなく、ギリギリで仕事を続けていた事業者は 廃業 に追い込まれる可能性もでてくる。しかし制度がはじまって大変なのは免税事業者だけではない。 仕入れに悩まされる課税事業者筆の生産量が日本一であるとされている広島県 熊野町 で長年、筆製造を営んできた老舗A社は、昨年インボイス制度の登録を済ませ、「課税事業者」となった。A社の中村(仮名)社長は、インボイス制度が始まると「大変なことになる」と話す。昭和の時代、学校では習字の授業が行なわれ、また習字教室に通う子どもも多く、児童向けの筆は全国で販売され、熊野町の筆の生産も大きなピークを迎えた。しかし平成、令和と年が経つにつれ、少子化が進み、一方でパソコンやスマートフォンなども普及し、筆の需要も激減した。熊野町には約90社ほどの熊野筆メーカーが軒を連ねており、2万4千人の住民のうち、約2500人が何らかの形で筆作りに携わっている。中村社長は、長年のつき合いのある職人や工房には、こうした「免税事業者」が少なくなく、インボイス制度が開始されると、消費税を納付する際に、免税事業者との取引で生じた消費税は控除ができず、取引を続けようとすると、こちらが消費税を被ることになり大変だと言う。代わりの安い業者を探すとしても、そう簡単ではない。代わりの事業者を探そうとしても、その安い価格で注文した量を納期を守って納品できる事業者を探すのはなかなか難しい。書き味を決定する穂首(筆の毛の部分)などは、他の事業者だと書き味が再現できないこともある。トータルで見てデメリットが多いと、最悪の場合、消費税を被って元の業者との取り引きを続けなければならない事態も生じてくる。一方で「免税事業者」は、これまで取引のあったところであっても、消費税控除がされないので、他の課税事業者に仕事を奪われ、いつの間にか注文が来なくなることもでてくるだろう。消費税を納付して「課税事業者」になれば、注文が来るようになるかもしれないが、自身の仕入先が「免税事業者」のままだった場合、控除が無く、負担が増えるケースも考えなければならず、消費税を納付して「課税事業者」になる決断は難しい。中村社長は「皆が、これから、どんなことが起こるかわかっていない」と言う。経過措置もあるが昨年の11月、免税事業者が課税事業者になった場合には、納税額が3年間売上税額の20%へ減額されたり、また1万円未満の経費等については6年間、インボイスの保存がなくても 帳簿の保存をすれば仕入税額控除を行うなどの経過措置が発表された。いきなり消費税を「課税事業者」のように100%を支払わなければならない事を考えれば、納付税率が20%になるなどかなりの負担減となるが、税率は段階的に高くなり6年経ったら、通常通り支払わなくてはならなくなる。また消費税増税も取り沙汰されている中、免税事業者にとって課税事業者になるかどうかの判断は難しい。伝統産業は生き残れるか日本には、筆だけではなく織物や染織品、陶磁器など日本の文化や生活に根ざしたものを生み出す伝統産業が残っているが、その多くは国の支援を受けながら、グローバル経済の只中で細々と事業を続け、古くから受け継がれてきた伝統的な技術を伝えている状況だ。ここ数年のコロナ禍で多くの会社や店が廃業しているが、これらの伝統産業を取り巻く環境も一層、厳しいものとなりそうだ。中村社長は「うちだけじゃない、全国で同じことが起きる」と不安をかくせない様子だ。
2023.01.26
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中共内部の専門家よ お聞きなさい【現代中国キーワード】 松原文士 2023/01/26 更新: 2023/01/25「専家(ツアンチュア)」は、ある分野の専門家を指す。では「中共専家」とは何の意味か。動画メディア『新聞看點』のMCである李沐陽さんが、こんな面白い解説をしてくれている。紀元前の中国には、諸子百家と呼ばれる多くの思想家が出た。具体的に言うと、道徳を追求する儒家(じゅか)、博愛主義の墨家(ぼっか)、法治主義の法家(ほうか)、無為自然を重んじる道家(どうか)、仏法を極めようとする仏家(ぶっか)である。ある書生が、師にこんな質問をした。「先生。目の見えない人が提灯(ちょうちん)を灯して、夜道を歩いています。なぜ彼は、そうしているのでしょうか?」。師は、こう答えた。「もしも他人のために道を照らしているなら、彼は儒家の者だ」「他人が彼にぶつかることを心配してそうしているなら、彼は墨家の者だ」「夜道は提灯を照らすものだ、という規範意識でそうしているなら、彼は法家の者だ」「提灯を使いたいから使っているなら、道家の者だ」「もしも彼が、ここで悟りを開こうと思うなら、それは仏家の者だ」その番外編として、李沐陽さんは言う。「もしも目が見えるのに、嘘をついて見えないフリをしているなら、彼は(中共の)政治家だ」「もしも本当の盲人が提灯をもって人々を誤った方向へ誘導するなら、彼はまさしく中共専家。すなわち中共の磚(せん、専と同音でレンガの意味)である」つまり、中共に迎合して下支えする、中共の御用学者のことである。
2023.01.26
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中国農村部で自殺者相次ぐ 盲信から覚醒へ…極左高齢者たち 李凌 2023/01/25 更新: 2023/01/26「この冬は中国の高齢者にとって、生きるか死ぬかの劫難だ」ーー。目下の惨状を通じて、かつては中国共産党の固い擁護者だった極左の高齢者層も、考えを見直し始めている。浙江省金華市の楊さんは18日、大紀元の取材に対し「少し前の感染ピーク時、村の老人が大勢感染して亡くなった。付近の村でも同じような状況だ。深刻な薬不足で薬は手に入らない。苦しみや絶望の中で自ら命を絶つ人もいる」と明かした。楊さんによると、自分の住む村や隣村の数人の高齢者は川に身を投げたという。湖北省恩施市の徐さんも19日、大紀元に対し「地元では多くの人が死んでいる。葬儀場はひどく混雑しており、みんな並んでいる」と語った。「農民たちは直接所有する土地に死者を土葬している」という。楊さんは「当局は気温が低く、心血管疾患の発生率が高い冬に(感染症の行動規制を)解除した。これが死亡の波をより深刻にさせた。欧米にならって6、7月に解除していれば、これほど多くの死者を出さずに済んだのではないか」と批判した。また、「国産ワクチンは副作用が大きいわりに効果がない」とし、「すでに大きな赤字となっている年金体制のプレッシャーを緩和し、年金を払わなくて済むよう、政府は1人でも多くの高齢者に死んでほしいと願っているのだろう」と述べた。家族の死 開かれた「春晩」多くの国民は感染と家族の死を経験する中、中国版紅白歌合戦とも称される旧正月大晦日の娯楽番組「春節聯歓晩会」(春晩)が21日、放送された。湖南省嶽陽市の鄒さんは大紀元に対し、「自分は春晩は見ない」と話した。「多くの人が亡くなるなか、彼ら(CCTV)はこの人類史上の一大悲劇ともいえる惨状を面白い冗談かのように演じている」「中国共産党は死者の山の上で祝杯をあげ、自分たちはいかに正しくて素晴らしいのかを自慢している。恥知らずだ」と批判した。過去3年間、中国当局は極めて厳しい感染対策を行ってきたが、昨年末、突如として開放へ踏み切った。感染爆発の中、人々はパニックに陥った。「人々は悲しみを覚えると同時に、これまでの馬鹿げた防疫対策は、一体何だったのかと怒っている」と鄒さんは話した。「この地域には赤い遺伝子の極左思想を持つ高齢者は多い。彼らはかつて共産党の固い擁護者だった。しかし、周囲で相次ぐ不幸を見て『いつかまた同じようなことが起きやしないか。たとえ自分が無事だったとしても、子供や孫たちはどうだろうか』と考えを見直し始めている」「高齢者の極左思想は崩れたようだ。今やまったく中国共産党を信じなくなった」と述べた。
2023.01.26
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「スパイ勧誘受けた」在日中国人男性、中国海外警察の接近を暴露 河原昌義 2023/01/25 更新: 2023/01/25日本で不動産業を営む中国人男性の石明さん(仮名)は、日本国内の中国海外警察の被害者の一人だ。「警察官」は繰り返し石明さんに接近し、脅迫や仕事の妨害をした。最後には巨額報酬を提示してスパイ活動に勧誘したという。(抜粋)
2023.01.25
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政府の奨学金で海外に留学した30人以上の中国人博士課程の学生が、中国共産党への忠誠を誓う契約書などに署名させられていたことが明らかになった。契約書は「政府に意義を唱えない」といった内容で、違反した場合は家族が賠償責任を負う。スウェーデン紙「ダーゲンス・ニュヘテル」12日付が報じた。(抜粋、詳細は大紀元時報をご確認ください。)中国共産党、スウェーデンへの留学生に「忠誠」契約を強要 家族に賠償責任も 山中蓮夏 2023/01/24 更新: 2023/01/23
2023.01.24
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上海で日本人男性狙うぼったくり増加…食事に40万円以上 語学アプリ通じて女性から誘い 佐渡道世 2023/01/23 更新: 2023/01/23上海市内の繁華街で在留邦人の男性を狙った「ぼったくり被害」が増加している。駐上海日本総領事館は「身元のはっきりしない女性からの誘いに不用意に応じることのないよう」警戒を呼びかけている。領事館はぼったくり被害の例を詳しく説明した。マッチングアプリ「ティンダー」や語学学習アプリ「ハロートーク」等を通じて女性と知り合い、その後女性から食事の誘いがあり案内されたレストランに行く。上海市の場合は「南京東路」の繁華街にある日本料理店や海鮮料理店が多いという。メニューを見ないまま女性が大量の食事やアルコール飲料を注文し、2万元〜3万元(約38万円〜57万円)の高額な支払いを求める。酩酊状態になればさらにバーやカラオケに案内され、いずれも高額請求を受けるという。領事館は旧正月など中国の連休中はぼったくりが増加する傾向があるとして警戒を呼びかけている。統計によれば上海市の在留邦人は昨年10月時点で約3万6600人となっている。
2023.01.24
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日本時代に撮影 高山の美しさ捉えた写真、ネット上で公開/台湾 2023/01/21 15:47:26百年前的登山打卡 展覽介紹展覽介紹《臺灣寫真大觀:山岳編》於1934(昭和9)年10月由臺灣寫真大觀社發行,攝影兼編輯者為桑子政彥。乍看之下,讀者可能會以為,桑子政彥為某知名的山岳探險家與攝影家,在縱橫臺灣山林的同時,也以相機留下眼前震攝人心的自然之美。受過藝術史或攝影史訓練的讀者可能會進一步推論,本書必然是某種呈現「帝國凝視」的作品;就如同1938年來臺拍攝大屯山彙、新高阿里山與次高太魯閣三大國立公園的名攝影家岡田紅陽一般,桑子政彥必然透過他的鏡頭,以特定的構圖與取景,將當時被視為粗獷、野蠻、欠缺如日本內地一般對稱纖細之山型的臺灣山岳,收於方寸之間,再嵌入書頁中,添加適量的文字調味,成為都市人可安坐在室內,一邊啜飲著飲料,一邊逐頁品味的「目錄」。我們也曾經如此想。然而,在查閱相關史料,釐清桑子政彥是誰,且試著從該書影像梳理出帝國視線及背後的意識形態,並檢視相片之材質、沖洗技巧與裝訂方式後,我們不得不得出這樣的結論:桑子政彥不是什麼名攝影家,甚至也不是本書主要的攝影者;任何嘗試從本書抽取某種一致之主題,乃至於主張此些主題為某種視線或意識型態之反映的企圖,將會是徒勞無功的。為什麼我們會得出如此結論?讓我們先回答,在《臺灣寫真大觀:山岳編》出版的前後,臺灣的山岳中發生什麼事?《臺灣寫真大觀:山岳編》發行時的1934年,由總督府殖產局山林課主導的森林計畫事業正步入尾聲。這個從1925年啟動、由受過近代林學訓練的林業官員,針對當時臺灣往往只能以「蕃地」或「官有林」籠統稱之的臺灣森林,將當中應由政府保存者劃為「要存置林野」,其餘則歸為不要存置林野。在前者中,林業官員再基於原住民治理、林地之多目標利用等考量,另外畫出「準要存置林野」,即「以要存置林野為準來辦理」之意。1931年,前述區分調查的成果初成;總計劃出要存置林野1,094,619.1732公頃,準要存置林野200,072.3500公頃與不要存置林野77,212.8020公頃,合計1,371,904.3252公頃。針對要存置林野,林業部門再將之細分為29個事業區,每個事業區並搭配一本「施業案」,列明未來20年之林業永續經營的規劃。在臺灣林業史上,森林計畫事業為重大里程碑。事實上,要存置林野即為今日的國有林班地,準要存置林野為原住民保留地,不要存置林野則常為糖廠、農場的土地。在此近代林業之藍圖逐步完備後,再加上日本帝國進入戰時體制,對木材的需求日增,臺灣林業也進入集約經營的時代,伐木與造林的強度攀上史無前例的高峰。證諸日治時期的林業統計資料,臺灣的用材生產於1927年超過100萬石(28萬立方公尺),11年後(1938)才倍增至200萬石(56萬立方公尺),但翌年(1939年)的用材產量旋即突破300萬石(84萬立方公尺)。林業躍升為臺灣軍需工業化的急先鋒。[1]1920年代的總督府關切的不只是森林之永續利用而已。事實上,總督府之所以決定於1925年啟動森林計畫事業,很大原因來自於對既有林業政策的反省,並探索伐木以外的森林利用方式。就拿總督府投注莫大心力開發的阿里山林場為例。1904年,面對號稱「無盡藏」的阿里山森林,總督府決議移植當時最新進的伐木集材設施,特別是美國西北太平洋以鐵路為主軸的經營模式,以求有效率且永續地砍伐這片帝國境內絕無僅有的原始林,並以井然有致的人工林取代之。至1920年代末期,隨著阿里山鐵道沿線的原始林逐步消失,社會上逐步出現「保育」阿里山之天然景緻的呼聲。對此,林業官員也相當為難;他們認可景觀保育的重要性,但鐵道的營運成本過於龐大,如不持續伐木挹注,恐怕阿里山林場將無以為繼。就在此時,林業官員注意到,有越來越多的觀光客搭乘鐵路上山,或則親炙阿里山林場各類規模宏大的基礎設施,或則持續深入,探索臺灣最為「原始」的心臟地帶。林業部門開始構思以觀光為鐵道續命的可能性。且此見解正與日本帝國國策合拍。1931年,日本政府頒行〈國立公園法〉與設立判準,開始積極籌設國立公園。國立公園即為national park,以1872年的美國黃石國立公園為濫觴。依據日本國立公園協會的見解,只有那些「造物者」偶然創造的大風景方可被劃入國立公園,一方面可為帝國臣民所「鑑賞」,從中得到性靈之提升,另方面可吸引外客,為當時困窘的帝國財政帶來外匯。1933年,總督府成立臺灣國立公園調查會,翌年指定新高阿里山、次高太魯閣與大屯山彙指定為「國立公園候補地」。1937年12月,總督府正式公告三處候補地為國立公園。即便在臺灣進入戰時體制後,「國立公園」一詞因其與「美帝」、遊樂間的連結而遭到棄卻;但原先被劃入國立公園的地域,因其能健強體魄、培養人民之愛國心,成為帝國臣民之養成所。不管是森林計畫事業還是國立公園,意味著總督府對昔日位於番地、相當於臺灣原始、粗獷與野蠻性格之代表的山岳,在知識的累積與控制手段上,已臻新的高度。與前述趨勢相輔相成者便是「近代登山」風氣的興起。日治時期臺灣著名的登山家沼井鐵太郎便表示,臺灣登山史可分為史前期及初期探險時代、開拓探險時代、探險登山時代與近代登山時代。他認為,1920年代中葉,隨著臺灣山岳會等登山團體的成立,原本由政府與學術界主導,登山只為資源調查與地理探勘之手段的「探險登山」逐步走入尾聲,相對純粹的、「為登山而登山」的「近代登山」,曙光乍現。沼井寫道:「此時代的初登紀錄開始由官憲及學術調查以外的純粹登山者所建立。尤其是大霸尖山的首次登頂,當初是由臺灣山岳會一手創造,是人類史的初登,為臺灣高漲的登山意識提供劃時代的原動力。此後臺灣的登山趨勢是對未知高山努力開路初登與紀錄,憑藉自力挺身於山岳高難度路線的初次攀登。勇氣與野心成為一般登山家的登山動機。」[2]《臺灣寫真大觀:山岳篇》即是在此脈絡中誕生。《臺灣登山小史》記載,「1932年7月,由佐佐木舜一擔任領隊,河南宏、清水善次郎、古平勝三、桑子政彥、山河友次、荻坂剛等人所組成的大霸尖山、次高山植物調查、寫真攝影的專門研究登山」。[3]《臺灣山岳彙報》則記載了此專門研究的後續:「前前號預告原本的時間將延期至9月24日(六),但就在活動要開始的前一刻,原本預定地會場卻無法使用,因此只能急忙變更至台北商業學校雨天操場。上述內容並未在報紙上刊載,主要是因為時間為新聞社的放假時間,及其他地方也有許多種的展覽的關係,因此並未達到一開始所期望的盛會。」當日展覽會出品物為佐佐木舜一氏所收藏之大霸尖山、次高山的植物蠟葉標本107種;河南宏氏同樣是大霸尖山及次高山的植物蠟葉標本87種,及日本阿爾卑斯山的植物蠟葉標本37種;島田彌市氏的日本阿爾卑斯山植物蠟葉標本51種;古平勝三氏所收藏的珍奇蛇類標本3種;見元了氏所收集之台灣五岳(新高山、次高山、南湖大山、大霸尖山及大武山)的照片(全紙);河南氏所收藏之大霸尖山、次高山方面的照片(半藏20張,手札68張);桑子政彥氏的能高山、次高山、大霸尖山等的照片(全紙)4種;台灣寫真大觀社的小林氏所提供之台灣山岳各地照片40種;台北高等學校所提供之大霸尖山、次高山連峰的大寫生素描圖2種;佐佐木氏所提供同方面的地圖1種。不論哪一種皆是美事一樁,讓觀賞者可以有身入其境之感。下午3點半左右則由佐佐木氏以「大霸尖山、次高山的縱走及植物帶」為題進行演講。與會者皆是對於山及植物有所熱情之人,因此很認真地聽著發表人的觀察、經驗及其結論,演講於下午4點半結束。之後彼此針對展覽物提出相關詢問、討論及閒聊,因展覽預計5點結束的關係,因此帶著一點遺憾地落幕。在展覽的最後對於當日爽快出借場地的台北商業學校,照例給了十張美麗的海報,作為田口與四郎、演講者、出品者併會員們滿腔的感謝。當日與會者為鈴木、堀川、佐佐木、島田、古平、沼井、土肥、小林、財津、大橋準一郎、山本、河南、山河、桑子、山村、齋藤齋、伊藤鐵兒、木田氏等諸會員,加上非會員者合計40名左右。[4]似乎可以推測,《臺灣寫真大觀:山岳編》為此次「專門研究」的成果之一。從前述報導,我們幾乎可以想像,數十名鍾情臺灣山岳的登山者,在一字排開的植物標本與相片前,交換植物採集與攝影的心得,然後端坐著聆聽佐佐木舜一對高山植物分佈的看法。佐佐木舜一為林業官員,長期投入臺灣高山植物相的調查與研究。他最感興趣的主題就是臺灣植物相與周邊地區的比較研究,致力發掘臺灣在生物地理學的地位。即便此聚會看似盛況空前,兼具學術與娛樂性,但從報導也可看出,籌辦此次聚會的臺灣山岳會,對於臨時改地點,讓不少隊登山與攝影懷有熱情的愛好者向隅,不甚滿意。是否因為如此,與會者決定編纂攝影集以饗同好?讓當天未能到場或撲空的登山攝影愛好者多少能共襄盛舉?史料無法回答前述問題。要回答《臺灣寫真大觀:山岳編》究竟為何與為誰編纂,我們得另闢蹊徑。本展覽的另一策展人李旭彬為攝影史研究者與攝影師。在收到國家攝影中心寄來、已數位化之《臺灣寫真大觀:山岳編》後,除了在螢幕上細究每張照片之構圖等細節外,他決定至國家攝影中心的典藏庫,親眼檢視該書的「物質性」。以下為其現場報導:「本書為橫式右翻,右側兩孔穿線裝訂。封面由3至4公釐灰色厚紙板糊豬肝色仿皮紋圖樣封面紙組成,標題為手寫毛筆字體並燙金處理。內頁為一公釐的黑色霧面卡紙,影像為手工銀鹽相紙,說明文字為打字後裁切的字條,兩者皆以膠水黏貼固定在黑色卡紙上。再就影像本身而論,本書影像尺寸共有兩種,一為約16.5mm x 12mm,另一種為長形27.8mm x 11.4 mm。以放大鏡檢視,其銀粒子排列非常緊密,應無經過放大機投影放相,且當時以膠基底片經放大機放相尚不普遍。此外,相紙上大部分的明膠皆已黃化,影像的四周局部多已出現老照片特有的銀粒子析出現象,且相紙本身無法明顯判別是否有現代相紙的硫酸鋇塗層。由以上線索,可以推測多數影像皆為當時所流行的 5”x7” 乾板玻璃底片所拍攝,並使用印樣箱進行接觸印相(Contact Print)之法印製。另一個長形尺寸的照片,推測為 8”x10”乾板玻璃底片,並將底片夾的遮片沿長邊裁半,使得一張底片上可以拍攝兩張 4”x10” 的影像,再經由印樣箱再進行印製。」 他的結論為,《臺灣寫真大觀:山岳篇》並非由出版社大量發行的攝影集;或許是桑子政彥本人,又或者是他的助手或朋友,逐張印出每張照片後,黏貼至卡紙上,再裁下圖說的紙片,貼在照片周圍。每本《臺灣寫真大觀:山岳篇》都是獨一無二的存在。我們決定把《臺灣寫真大觀:山岳篇》稱為百年前的登山打卡。為什麼是打卡?打開各位的臉書或IG,隨意瀏覽幾張打卡照。打卡有到此一遊之意;至於「一遊」的地點,往往是口耳相傳、不容錯過的景點。然而,我們應該也可以體會,打卡照並不簡單;在可能有數萬人曾經打卡過的景點前,且觀看者可以各種hashtag搜索與比較時,打卡照得展露打卡者不被框架所限的巧思與創意,方能吸引眼球。或許可以這麼說,打卡的精神是「沿著軌道出軌」又或者「循著常規地挑戰常規」。這便是我們在逐頁審視《臺灣寫真大觀:山岳篇》時體會到的精神。在本書收錄的照片中,讀者既可看到大屯山、新高山、大霸尖山等當時臺灣的名山,乃至於眺望這些名山的標準角度;與之同時,我們也可看到如霧頭山這樣相對少為人知的山岳,以及「由下而上地仰望」此深具實驗性的攝影視角。在主題方面,本書既呈現雲海、山頂眺望等相對典型的風景,同時也收錄意圖描繪高山植物生態、原住民日常生活、登山過程等較為少見的影像。如前所述,我們一度為本書的多樣性而目眩神迷,同時也為本書究竟要傳達什麼訊息,感到困惑。不過,經過一番抽絲剝繭後,我們認為,如此難以歸類的特性便是本書最大特色。追根究底,《臺灣寫真大觀:山岳編》是一群攝影愛好者,在花費大筆積蓄購得相機後,興致高昂地「外拍」,針對彼此的作品品頭論足後,意猶未盡地製作了紀念專輯,為此一期一會做紀念。本書面對的不會是數量眾多、面貌模糊的「大眾」;它是手工製成的紀念品或同人誌,又或者是維繫臺灣登山社群的禮物。取名為「百年前的登山打卡」還有另層意義。為什麼現代人熱衷打卡?這或許牽涉到,在這個瞬息萬變的世界裡,人們還是期待以某種形式留下吉光片羽,乃至於曾在此吉光片羽中活過的自己。回到百年前的臺灣。是什麼驅使登山者按下快門?這或許也牽涉到,當森林計畫事業預示了臺灣山林的進一步開發,而國立公園之設置顯示登山遲早會成為臺灣社會日常生活的一部分,登山者期待以相片留下這即將消逝的原始與粗獷,以及那種「山在那兒、便朝著山走去」的野心、好奇與勇氣。曾於1928年至新高阿里山探勘、評估於該處設置國立公園之可行性的田村剛,當站在萬歲山上,身邊郡役所職員喋喋不休地說明阿里山開發的未來計畫時,默默地拍了照片,並在筆記上寫下:「我決定盡快用相機將這景觀給記錄下來,至少在這個計畫成真後還能夠保有原始的景色。我與那些役所的人不同,我希望以後都可以守護著南方的那片樹海」。[5] [1] 關於森林計畫事業的始末及其對臺灣森林開發的影響,見洪廣冀,〈從「臺灣之恥」到「發展最速的產業」:再思日治時期臺灣的科學林業與工業化〉,《臺灣史研究》25卷3期(2018年9月),頁83–140;洪廣冀、羅文君,胡忠正,〈從「本島森林的主人翁」到「在自己的土地上流浪」:臺灣森林計畫事業區分調查的再思考(1925–1935)〉,《臺灣史研究》26卷2期 (2019年6月),頁43-111。[2] 沼井鐵太郎著,吳永華譯,《臺灣登山小史》(臺中市:晨星,1997),頁99-100。[3] 沼井鐵太郎著,吳永華譯,《臺灣登山小史》,頁183。[4] 〈山に關する植物標本と山岳寫真の展覽會及講演會〉,《臺灣山岳彙報》第4卷11號(1932年11月),頁54。[5] 田村剛,《臺灣の風景》(東京:雄山閣,1928),頁11-12。Exhibition introduction"Taiwan Photo Daguan: Mountain Series" was published by Taiwan Photo Daguan Agency in October 1934 (Showa 9). The photographer and editor was Masahiko Kuwako.At first glance, readers may think that Masahiko Kuwako is a well-known mountain explorer and photographer. While traveling through the mountains and forests of Taiwan, he also uses his camera to capture the stunning natural beauty before his eyes. Readers who have been trained in art history or photography history may further infer that this book must be some kind of work that presents the "imperial gaze"; Like Okada Koyo, the famous photographer of the park, Sangzi Masahiko must use his lens, with a specific composition and framing, to capture Taiwan's mountains, which were considered rough, barbaric, and lacking in symmetry and slenderness like mainland Japan. Between the square inches, it is embedded in the pages of the book, and an appropriate amount of text is added to make it a "catalogue" that urbanites can sit indoors and sip a drink while savoring page by page.We used to think so too. However, after reviewing relevant historical materials, clarifying who Masahiko Sangzi is, and trying to sort out the vision of the empire and the ideology behind it from the images of the book, and examining the materials, processing techniques, and binding methods of the photos, we have to come to this conclusion Conclusion: Kuwako Masahiko is not a photographer, nor is he even the main photographer of this book; It will be futile.Why do we come to this conclusion? Let us first answer, what happened in the mountains of Taiwan before and after the publication of "Taiwan Photo Grand View: Mountain Series"?In 1934, when "Taiwan Photo Grand View: Mountain Series" was published, the forestry project led by the Forestry Division of the Government-General's Reproduction Bureau was coming to an end. Started in 1925, forestry officials trained in modern forestry aimed at Taiwan's forests, which at that time could only be generally referred to as "Tibetan land" or "official forests," and classified those that should be kept by the government as "" To save the wilderness", and the rest are classified as not to save the wilderness. In the former, forestry officials further drew the meaning of "preservation of forests and wilds" based on considerations such as aboriginal governance and multi-purpose use of forest lands, which means "deal with forests and wilds that need to be preserved". In 1931, the results of the above-mentioned divisional investigation were initially completed; the general plan stated that 1,094,619.1732 hectares of forest fields should be preserved, 200,072.3500 hectares of forest fields must be preserved, and 77,212.8020 hectares of forest fields should not be preserved, totaling 1,371,904.3252 hectares. For the storage of forests, the forestry department subdivides them into 29 business areas, and each business area is accompanied by a "business case", which lists the plan for sustainable forestry management in the next 20 years. In Taiwan's forestry history, the forest planning undertaking is a major milestone. In fact, if you want to save the forest land, which is today's state-owned forest land, you must save the forest land as the aborigines' reserved land. If you don't save the forest land, it is often the land of sugar factories and farms. After the blueprint for modern forestry was gradually completed, and the Japanese Empire entered a wartime system, the demand for timber increased day by day. Taiwan's forestry industry also entered an era of intensive management, and the intensity of logging and afforestation reached an unprecedented peak. According to forestry statistics during the Japanese colonial period, Taiwan’s timber production exceeded 1 million shi (280,000 cubic meters) in 1927, and it doubled to 2 million shi (560,000 cubic meters) 11 years later (1938). In the following year (1939), the output of timber immediately exceeded 3 million stones (840,000 cubic meters). Forestry has become the vanguard of Taiwan's military industrialization. [1]The Government House in the 1920s was concerned with more than the sustainable use of forests. In fact, the reason why the Governor’s Office decided to start the forest planning business in 1925 was largely due to the reflection on the existing forestry policy and the exploration of forest utilization methods other than logging. Take Alishan Forest Farm, which was developed with great effort by the Governor-General's Mansion, as an example. In 1904, in the face of Alishan Forest, known as "Endless Tibet", the Governor's Office decided to transplant the latest logging facilities at that time, especially the railroad-based business model in the Pacific Northwest of the United States, in order to efficiently and sustainably log. The only virgin forest in the empire has been replaced by a well-organized plantation. By the end of the 1920s, with the gradual disappearance of the virgin forest along the Alishan Railway, calls for "conservation" of the natural scenery of Alishan gradually appeared in the society. Forestry officials are also quite embarrassed about this. They recognize the importance of landscape conservation, but the operating costs of the railway are too high. If there is no continuous logging and injection, the Alishan Forest Farm may not be sustainable. At this time, forestry officials noticed that more and more tourists took the railway up the mountain, or visited Alishan Forest Farm's various large-scale infrastructure, or continued to explore the most "primitive" heartland of Taiwan. . The forestry department began to conceive the possibility of extending the life of the railway through sightseeing. And this view is in harmony with the national policy of the Japanese Empire. In 1931, the Japanese government promulgated the "National Park Law" and established standards, and began to actively prepare for the establishment of national parks. The national park is a national park, which started with Yellowstone National Park in the United States in 1872. According to the opinion of the National Park Association of Japan, only those large landscapes accidentally created by the "creator" can be classified as national parks. On the one hand, they can be "appreciated" by the subjects of the empire, which can improve their spirituality, and on the other hand, they can attract foreigners. , Bringing foreign exchange to the embarrassing imperial finances at that time. In 1933, the Governor's Office established the Taiwan National Park Survey Committee, and the following year designated the new high Alishan, the second high Taroko, and Datun Shanhui as "national park candidate sites." In December 1937, the Governor's Office officially announced the three candidates as national parks. Even after Taiwan entered the wartime system, the term "National Park" was discarded because of its connection with "American Emperor" and entertainment; Cultivate the patriotism of the people and become the cultivation place for the subjects of the empire.Whether it is forest planning or national parks, it means that the Governor's Office has reached a new height in the accumulation of knowledge and control methods for the mountains that used to be located in Fandi, which are equivalent to the representative of Taiwan's primitive, rough and barbaric character. Complementary to the aforementioned trends is the rise of the "modern mountaineering" trend. Tetsutaro Numai, a famous Taiwanese mountaineer during the Japanese colonial period, said that Taiwan’s mountaineering history can be divided into the prehistoric and early exploration era, the pioneering exploration era, the expedition mountaineering era, and the modern mountaineering era. He believes that in the mid-1920s, with the establishment of mountaineering groups such as the Taiwan Mountain Society, the "exploration mountaineering" that was originally dominated by the government and academia, and that mountaineering was only a means of resource survey and geographical exploration, gradually came to an end. The "modern mountaineering" of "mountain climbing for the sake of mountaineering" is dawning. Numi wrote:"The first ascent records in this era were established by pure climbers other than official and academic investigations. In particular, the first ascent of Dabajian Mountain was created by the Taiwan Mountain Society. The awareness of mountaineering provided the driving force behind the epoch. Since then, the trend of mountaineering in Taiwan has been to make the first ascents and records of unknown high mountains, and rely on self-reliance to stand up for the first time on difficult routes. Courage and ambition have become the motivations of ordinary mountaineers.”[2]"Taiwan Photo Grand View: Mountains" was born in this context. "A Brief History of Mountaineering in Taiwan" records, "In July 1932, with Sasaki Shunichi as the leader, Henan Hiroshi, Shimizu Zenjiro, Guping Katsuzo, Sangzi Masahiko, Yamakawa Yuji, Ogisaka Tsuyoshi and others formed the Daba Jianshan, Ji Mountaineering specializing in alpine plant surveys and photo photography." [3] "Taiwan Mountain Report" recorded the follow-up of this special study:"The original time of the previous announcement will be postponed to September 24th (Saturday), but just before the start of the event, the originally scheduled venue was unavailable, so we had to change it to the rainy playground of Taipei Commercial School in a hurry. The above The content was not published in the newspaper, mainly because the time was the holiday time of the news agency, and there were many kinds of exhibitions in other places, so it did not reach the grand event that was expected at the beginning.”The exhibits on that day included 107 species of plant wax leaf specimens from Dabajian Mountain and Subalpine Mountains collected by Mr. Sasaki Shunichi; Henan Hongshi also collected 87 species of plant waxy leaf specimens from Dabajian Mountain and Subalpine Mountains, and the Japanese Alps. 37 species of plant wax leaf specimens from Japan; 51 species of plant wax leaf specimens from the Japanese Alps by Mr. Shimada Yaichi; 3 species of rare snake specimens collected by Mr. Kohira Katsuzo; Photos of Takayama, Nanhu Dashan, Dabajianshan and Dawushan) (full paper); photos of Dabajianshan and sub-high mountains collected by the Henan family (20 Hanzo, 68 manuscripts); 4 types of photos (full paper) of the sub-highest mountain and Dabajian mountain; 40 kinds of photos of various places in Taiwan's mountains provided by Mr. Kobayashi of Taiwan Photo Daguan Society; large-scale sketches of Dabajian mountain and sub-highest mountain range provided by Taipei Higher School 2 types; 1 type of map of the same area provided by Mr. Sasaki. No matter which one is a beautiful thing, so that the viewer can have a sense of being in the scene.Around 3:30 in the afternoon, Mr. Sasaki gave a speech on the topic of "Daba Jianshan, Vertical Walking and Plant Belt of Subalpine Mountains". The participants were all passionate about mountains and plants, so they listened carefully to the observations, experiences and conclusions of the presenters. The speech ended at 4:30 pm. Afterwards, they asked, discussed and chatted with each other about the exhibits. Since the exhibition was expected to end at 5 o'clock, the curtain ended with a little regret.At the end of the exhibition, as usual, ten beautiful posters were given to Taipei Commercial School, which readily lent the venue that day, as a thank you to Taguchi and Shiro, speakers, producers and members.The participants on that day were Suzuki, Horikawa, Sasaki, Shimada, Furuhira, Numai, Doi, Kobayashi, Caizu, Ohashi Junichiro, Yamamoto, Kanan, Yamakawa, Soko, Yamamura, Saitosai, Ito Tetsuji, Kida, and other members, plus There are about 40 non-members in total. [4]It seems to be speculated that "Taiwan Photo Grand View: Mountain Collection" is one of the results of this "special research". From the aforementioned reports, we can almost imagine that dozens of climbers who love Taiwan’s mountains exchanged their experience in plant collection and photography in front of the plant specimens and photos lined up, and then sat and listened to Sasaki Shun’s pair of alpine plants. distribution of views. Sasaki Shunichi is a forestry official who has long devoted himself to the investigation and research of alpine flora in Taiwan. The topic he is most interested in is the comparative study of Taiwan's flora and surrounding areas, and is dedicated to discovering Taiwan's status in biogeography. Even though the gathering seemed to be unprecedentedly grand, both academic and entertaining, it can be seen from the reports that the Taiwan Mountain Club, which organized the gathering, changed the location temporarily, which attracted many enthusiastic mountaineering and photography enthusiasts Xiang Yu was not very satisfied. Was it because of this that the attendees decided to compile a photobook for their enjoyment? How many mountaineering and photography enthusiasts who were unable to be present or missed out on the day can join in the grand event? Historical data cannot answer the aforementioned questions. To answer why and for whom "Taiwan Photo Grand View: Mountain Series" was compiled, we have to find another way.Li Xubin, another curator of this exhibition, is a researcher and photographer in the history of photography. After receiving the digitized "Taiwan Photo Grand View: Mountain Collection" from the National Center of Photography, in addition to carefully studying the composition and other details of each photo on the screen, he decided to go to the archives of the National Center of Photography to examine it with his own eyes. The "materiality" of books. The following is its live report:"This book is turned right sideways, with two holes on the right side for thread binding. The cover is made of 3 to 4 mm thick gray cardboard pasted with pig liver-colored imitation leather pattern cover paper, and the title is handwritten in calligraphy and gold-stamped. The inner page is a volume 10mm black matte cardboard, the image is handmade silver salt photo paper, and the explanatory text is a note cut after typing. Both are glued and fixed on the black cardboard.As far as the image itself is concerned, there are two image sizes in this book, one is about 16.5mm x 12mm, and the other is long 27.8mm x 11.4 mm. Examined with a magnifying glass, the silver particles are arranged very tightly, and should not be projected through a magnifying machine, and at that time it was not common to use a rubber-based film to be projected through a magnifying machine. In addition, most of the gelatin on the photo paper has been yellowed, and the silver particles that are unique to old photos have appeared in some parts around the image, and the photo paper itself cannot clearly distinguish whether it has the barium sulfate coating of modern photo paper.From the above clues, it can be inferred that most of the images were shot on the popular 5”x7” dry plate glass negative film at that time, and were printed by contact printing using a proof box. Another long-sized photo, presumed to be an 8”x10” dry plate glass negative, cut the mask of the negative holder in half along the long side, so that two 4”x10” images can be shot on one negative, and then printed The sample box is then printed. " He concluded that "Taiwan Photo Grand View: Mountains" is not a photobook published in large quantities by the publishing house; perhaps Masahiko Sangzi himself, or his assistant or friend, printed each photo one by one and pasted it on the On the cardboard, cut out the picture and paste it around the photo. Each "Taiwan Photo Grand View: Mountains" is a unique existence.We decided to call "Taiwan Photo Grand View: Mountain Chapter" a mountaineering check-in a hundred years ago. Why check in? Open everyone's Facebook or IG, and browse through a few check-in photos at will. Checking in has the meaning of visiting here; as for the location of "one visit", it is often a scenic spot that is passed on by word of mouth and cannot be missed. However, we should also be able to understand that punching in photos is not easy; in front of scenic spots where tens of thousands of people may have punched in, and when viewers can search and compare various hashtags, punching in photos must show that the punchers are not limited by the frame Ingenuity and creativity can attract attention. Perhaps it can be said that the spirit of clocking in is to "derail along the track" or "challenge the routine by following the routine."This is the spirit we realized when we reviewed "Taiwan Photo Grand View: Mountains" page by page. In the photos included in this book, readers can not only see the famous mountains in Taiwan at that time, such as Datun Mountain, Xingao Mountain, and Dabajian Mountain, but also look at the standard angles of these famous mountains; Relatively little-known mountains, and the experimental perspective of "looking up from the bottom up". In terms of themes, this book not only presents relatively typical scenery such as the sea of clouds and the view from the top of the mountain, but also includes relatively rare images intended to depict the ecology of alpine plants, the daily life of the aborigines, and the process of mountaineering. As mentioned earlier, we were dazzled by the variety of this book, but also confused by its message. However, after some digging, we believe that such an unclassifiable feature is the biggest feature of this book. After all, "Taiwan Photo Grand View: Mountains" is a group of photography enthusiasts. After spending a lot of savings to buy a camera, they "shoot outside" with great enthusiasm. After commenting on each other's works, they made a commemorative album with endless enthusiasm To commemorate this period. This book will not be faced with a large number of people with vague faces; it is a handmade souvenir or fanzine, or a gift to maintain Taiwan's mountaineering community.The name "Mountaineering Check-In A Hundred Years Ago" has another meaning. Why are modern people keen on punching cards? This may involve, in this ever-changing world, people still expect to leave auspicious pieces of feathers in some form, and even展示紹介『台湾写真大関 山シリーズ』は、1934年(昭和9年)10月に台湾写真大関社から刊行された。 撮影・編集は桑子正彦。読者は一見、桑子正彦が有名な山岳探検家であり写真家であると思うかもしれません。 台湾の山や森を旅しながら、カメラを使って目の前の素晴らしい自然の美しさを捉えています。 美術史または写真史の訓練を受けた読者は、この本が「帝国の視線」を示すある種の作品であるに違いないとさらに推測するかもしれません。 公園の有名な写真家である岡田耕陽のように、Sangzi Masahiko は、荒々しく、野蛮で、日本の本土のように対称性と細さを欠いていると考えられていた台湾の山々を捉えるために、特定の構図とフレーミングを備えたレンズを使用する必要があります。 平方インチの間に本のページに埋め込まれ、適切な量のテキストが追加され、都会人が屋内に座ってページごとに味わいながら飲み物を飲むことができる「カタログ」になります。私たちも昔はそう思っていました。 しかし、関連する史料を精査し、尚子雅彦が誰であるかを明らかにし、本の画像から帝国のビジョンとその背後にあるイデオロギーを整理しようとし、写真の資料、処理技術、製本方法を検討した後、 結論:桑子正彦は写真家ではないし、この本のメイン写真家でもない。 それは無駄になります。なぜこのような結論に達したのでしょうか。 「台湾写真大観 山シリーズ」の発刊前後に、台湾の山で何が起こったのか、まず答えてみましょう。『台湾写真大景 山シリーズ』が刊行された1934年、総督府復原局林業課が主導した林業事業は終焉を迎えようとしていた。 1925 年に開始された林業当局者は、当時一般的に「チベットの土地」または「公有林」としか呼べなかった台湾の森林を対象に、近代的な林業の訓練を受け、政府が保管すべきものを「」に分類しました。 前者では、森林官は、アボリジニの統治や森林地の多目的利用などの考慮に基づいて、「森林と野生の保全」の意味をさらに引き出しました。 1931年に、前述の分割調査の結果が最初に完成し、全体計画では、1,094,619.1732ヘクタールの森林原野、200,072.3500ヘクタールの森林を保護する必要があると述べられました。 77,212.8020 ヘクタールの森林を保存する必要があり、合計 1,371,904.3252 ヘクタールの森林を保存する必要があります。 それらを 29 の事業分野に分類し、各事業分野には、今後 20 年間の持続可能な森林管理の計画をリストした「ビジネス ケース」が付属しています。 台湾の林業の歴史において、森林計画の取り組みは大きなマイルストーンです。 実際、今日の国有林地である森林地を保存したい場合は、森林地を先住民の保留地として保存する必要があります。 森林地帯を守らなければ、砂糖工場や農場の土地になることがよくあります。 近代林業の青写真が徐々に完成し、大日本帝国が戦時体制に入ると、木材の需要は日に日に増大していきました。 台湾の林業も集中管理の時代に入り、伐採と造林の強度は前例のないピークに達しました。 日本統治時代の林業統計によると、台湾の木材生産量は1927年に100万石(28万立方メートル)を超え、11年後(1938年)には200万石(56万立方メートル)に倍増しました。 翌年(1939年)には木材の産出量が一気に300万石(84万立方メートル)を超えました。 林業は、台湾の軍事産業化の先駆けとなっています。 [1]1920 年代の総督府は、森林の持続可能な利用以上のものに関心を持っていました。 実は、1925年に総督府が森林計画事業の開始を決めたのは、これまでの林業政策への反省と、伐採以外の森林利用方法の模索が大きな要因でした。 総督官邸が力を入れて開発した阿里山森林農場を例に挙げてみましょう。 1904 年、「エンドレス チベット」として知られる阿里山森林に直面して、知事室は当時最新の伐採施設、特に米国太平洋岸北西部の鉄道ベースのビジネス モデルを移植することを決定しました。 効率的かつ持続的にログを記録します。 帝国で唯一の原生林は、よく組織されたプランテーションに取って代わられました。 1920年代の終わりまでに、徐々に姿を消しました山岳寫真
2023.01.23
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海外渡航移植を仲介してきたNPO法人、新規受け入れを3月末で停止佐渡道世 2023/01/12 更新: 2023/01/12海外渡航移植を受け付けていた東京都内のNPO法人が、新規患者受け入れを3月末で停止すると発表した。渡航移植をめぐっては昨年12月、日本臓器移植学会ら5学会が連名で「非倫理的」と国際宣言をもとに決別を表明していた。NPOは活動報告とするブログのエントリーで11日、「昨年は様々な報道(臓器売買の誤報)により、たいへん困惑した一年」と振り返りつつ、新規患者様の対応は本年3月31日を持って終了するとした。読売新聞や神奈川新聞などは同NPOについて、仲介した海外での生体腎移植手術で売買された臓器が使われた疑いのあると報道していた。手術は途上国で行われ、患者が容体を悪化させるケースも出ていたという。いっぽう、NPOは活動について「臓器売買に関与した事は一度もない」と否定した。今後の方針について、4月1日から日本国内で臓器移植を推進する活動に移管するほか、海外渡航移植を経験した元患者が交流する連絡会として存続させるという。過去の活動について、「中日友好協会を通じて中国各地の移植センターへ医療器具やリハビリ機材を贈呈し、レシピエント(移植希望患者)を中国へ案内するだけではなく中国の移植医療向上のため学術交流を積極的に実施してきた」と回顧した。このNPOの発表は、日本移植学会を含む5学会による渡航移植の決別表明から約2週間後に出された。声明は、移植臓器は国内で極力調整するよう合意した国際宣言「イスタンブール宣言」を受けたもの。5学会は、「臓器取引や臓器摘出のための人身取引、また貧しく弱い立場の人々から臓器を購うために海外に赴く患者など、数多くの事例が報告されている」「移植の恩恵は非倫理的行為や搾取的な行為に依存することなく最大化」すべきと述べている。国連人権調査官や人権団体による中国臓器収奪問題の報告を受けて、国際的にも渡航移植に関する法規制が整う。英国やカナダ、イタリア、イスラエル、台湾では犯罪性が危惧される渡航移植を規制している。日本でも12月、中国人権問題を追及する超党派4議連が立ち上がった。参加する石橋林太郎議員は、医療ビジネスとして今なお続く臓器収奪への対応も視野に入れるよう提言した。 中国の臓器狩り <独自>「捨てるほどある臓器」日本から中国へ渡航移植手術をあっせんするNPO団体 案内を再開 佐渡道世 2021/03/08 更新: 2022/08/18政治 中国人権侵害を究明する超党派議連が設立 「臓器収奪にも取り組むべき」=議員 佐渡道世 2022/12/06 更新: 2022/12/07
2023.01.12
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中国の臓器狩り 「体中の臓器を取り替えた」元高官の追悼文で浮かぶ、臓器収奪のリアル 李凌, 大紀元時報 王天雨 2023/01/10 更新: 2023/01/10
2023.01.11
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AKIRA、台湾リアリティー番組初出演へ 南部で日用品店、地元民と触れ合う 2023/01/05 17:29:11フォーカス台湾
2023.01.06
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反政府デモ取材の香港契約記者に実刑判決鄧さんは2019年11月18日、公視の名前が入った報道ビブスを着用し、繁華街の尖沙咀(チムサーチョイ)一帯で撮影を行っていた際、香港理工大学に向かう途中で逮捕され、身柄を拘束された。撮影機材も全て押収された。後に釈放されたが、裁判を待つ身となった。2020年5月から審問が始まり、2022年9月19日に正式な裁判が開始された。先月30日、香港の裁判所は鄧さんが当時、万能ナイフとレーザーポインターを所持していたことから、凶器を隠し持っていた罪が成立すると認定して身柄を拘束。今月21日、懲役1年3月を言い渡した。公視は判決結果に「深い遺憾」を表明。鄧さんの家族と引き続き連絡を取り、必要な支援を提供していく方針を示した。(抜粋)【榮光燦爛】藝術很有事 第60集
2022.12.27
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中国軍、台湾周辺で訓練 過去最多の延べ71機
2022.12.27
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中国、米国人2人に制裁 チベット巡り対抗措置
2022.12.27
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台湾訪問の自民・世耕氏と面会
2022.12.27
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秘密の殺人病院と「ゼロコロナ」抗議の真相【Facts Matter】今中国全土に広がっている大規模な抗議活動は、ある言葉を思い出させる。「あなたは共産主義に投票できるが、あなたの孫は銃を撃って切り抜けなければならない」という言葉だ。私がこの言葉に込められた真意とその深さを理解したのは、ちょうど3年前、私たちの取材チームが香港を訪れた時だった。当時、私たちは昼夜を問わず香港中を駆け回り、中国共産党の支配に抵抗し自由を求める抗議者達の活動を追いかけていた。しかし、香港版国安法の施行によって、香港市民の声は完全に封じられた。自由な表現手段を奪われた抗議者達が、それでも何かを訴えようとして掲げたのが、何も書かれていない真っ白な紙だった。そして今、「ゼロコロナ」政策に絶望した抗議者達が再び中国全土で立ち上がり、同じように「白紙革命」を繰り広げている。もはや、中国社会全体が共産主義の刑務所と化していることは、国際社会に知れ渡ってしまった。そして奇しくも、その元凶である、共産党元主席の江沢民の死が報じられたのは、そんな「白紙革命」の真っ只中の出来事だった。
2022.12.10
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中国でコロナ政策緩和もPCR検査続く今中国全土に広がっている大規模な抗議活動は、ある言葉を思い出させる。「あなたは共産主義に投票できるが、あなたの孫は銃を撃って切り抜けなければならない」という言葉だ。私がこの言葉に込められた真意とその深さを理解したのは、ちょうど3年前、私たちの取材チームが香港を訪れた時だった。当時、私たちは昼夜を問わず香港中を駆け回り、中国共産党の支配に抵抗し自由を求める抗議者達の活動を追いかけていた。しかし、香港版国安法の施行によって、香港市民の声は完全に封じられた。自由な表現手段を奪われた抗議者達が、それでも何かを訴えようとして掲げたのが、何も書かれていない真っ白な紙だった。そして今、「ゼロコロナ」政策に絶望した抗議者達が再び中国全土で立ち上がり、同じように「白紙革命」を繰り広げている。もはや、中国社会全体が共産主義の刑務所と化していることは、国際社会に知れ渡ってしまった。そして奇しくも、その元凶である、共産党元主席の江沢民の死が報じられたのは、そんな「白紙革命」の真っ只中の出来事だった。秘密の殺人病院と「ゼロコロナ」抗議の真相
2022.12.08
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立民2議員、岸田首相に「台湾独立不支持」の明言を要求 在日台湾人団体が抗議 2022/12/07 14:29:02立眠てなに?
2022.12.08
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「独立」とは、中共政権からの分離独立ではなく、台湾人自身が「旧来の中華民国から脱却すること」を指す。そもそも中共が出る幕ではない。https://www.epochtimes.jp/share/126936?utm_source=copy-link-btn
2022.12.05
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2022年11月30日。中国共産党の元総書記・江沢民は上海で死去した。江沢民の生涯は恥ずべきものだった。江沢民は悪政の限りを尽くし、中国とその国民に空前の災いをもたらした。腐敗が蔓延り、汚職官僚が幅を利かせた。江沢民が命令した法輪功(ファルンゴン)への残酷な迫害と生体臓器収奪は人道に対する著しい蹂躙だ。江沢民は国家の罪人であり、歴史の罪人だ。その罪は必ず裁かれなければならない。江沢民は売国奴・江世俊の息子である。戦時中、江世俊は南京の汪兆銘政権のもとで宣伝部副部長を務めた。1989年の天安門事件で、江沢民は鎮圧に加担し、両手を血で染めることで中国共産党のトップに上り詰めた。そして中国人の道徳を破滅へと向かわせた。江沢民が権力を掌握する前、胡耀邦や趙紫陽、喬石ら指導者の開明的な政治姿勢により、共産党による社会への支配は緩み、法制度も改善され始めた。人々は中国が法治国家へと良き変革を遂げることを期待した。時期を同じくして、「真・善・忍」を原則とし、心身の健康と道徳の向上を目指す佛家修煉法「法輪大法(法輪功)」が中国で伝え出された。1億人もの人々が「真・善・忍」で自らを律した結果、中国社会の道徳水準が向上し、善行が至る所で見られた。1999年7月、法輪功の人気に嫉妬した江沢民は民意を顧みず、最高指導部の6人の政治局常務委員を含む幹部官僚の反対を押し切って、法輪功への迫害を断行した。それ以降、中国人は未曾有の災難に苛まれることとなった。法輪功は国家と国民にとって「百利あって一害なし」。中国共産党が制定した憲法や法律においても、法輪功は合法だ。江沢民は法輪功を弾圧するために、正規の行政システムと法制度を迂回し、中国共産党の邪性と権力機構を利用して、法輪功の迫害を専門とする法外機関を設立した。ナチスドイツのゲシュタポを彷彿させる「610弁公室」は悪事の限りを尽くし、中国の人権および司法、道徳、経済を徹底的に破壊した。この迫害では、1億人もの無実の中国人の正しい信仰が弾圧され、全国各地の十数億人の一般市民が渦中に巻き込まれた。数百万人の法輪功学習者が不当に逮捕され、労働教育施設や精神病院に監禁された。おぞましい拷問を受ける者もおり、数多くの法輪功学習者が生体臓器収奪の犠牲となった。法輪功を迫害するために、江沢民は中国の法制度と人権を完全に破壊した。より良い未来へ向かおうとする中国社会の前途を扼殺しただけでなく、中国共産党の未来をも徹底的に破壊した。この残虐非道な迫害を維持するため、江沢民は汚職と淫乱による統治を行い、人間の貪欲と邪念を野放しにした。中国の伝統文化を破壊し、悪徳官僚と腐敗分子を抜擢した。終いには最高指導部の人数を変更し、後継者である胡錦濤と温家宝の権力を削ぐことで、迫害を継続させた。迫害が始まったその日から、法輪功は中国政治の核心となった。法輪功への迫害があまりにも長く続き、多方面に大きな影響をもたらしたため、道徳が崩壊し、社会情勢は混迷を極めた。その結果、中国社会から温かみと思いやりが消え、人間の良心は消滅の危機に瀕した。江沢民は迫害を継続するため、610弁公室を通じて「法輪功学習者が拷問で死亡した場合は自殺として処理する」との内部命令を出した。その結果、数多くの無実の法輪功学習者が殺害された。さらに、「天安門焼身自殺事件」に代表される嘘偽りのプロパガンダをでっち上げ、中国のテレビや新聞、ラジオ、雑誌、教科書、ソーシャルメディアで喧伝した。下劣な宣伝文句は人々の心に憎しみの種を植え付け、法輪功への迫害に加担するよう駆り立てた。迫害を継続するため、中国共産党は政治、経済、外交、教育の各分野に対し、法輪功への迫害を最重要事項とするよう命じた。その結果、中国と世界各国の乖離はますます進行した。迫害がもたらす悪影響は今まさに中国で表面化している。江沢民は中国共産党の邪悪な統治システムを利用することで、退任後も法輪功への迫害を継続させた。しかし、迫害の影響は中国にとどまらない。江沢民は法輪功への誹謗中傷を全世界に撒き散らし、魔の手を各国に伸ばした。市場と経済圏を掌握した中国共産党は各国政府と財団、メディアに対し、法輪功学習者に対する生体臓器収奪という残虐な人権侵害行為を前に沈黙するよう脅迫した。江沢民は死んだ。しかし、その犯した罪が消え去ることはない。過去20年間、江沢民に対する刑事告発・告訴運動は全世界で行われた。中国共産党は中国と中国人に対し罪を犯しただけではなく、神に対しても罪を犯した。中国共産党の現指導者である習近平氏は、迫害の元凶ではない。江沢民の罪悪を背負うのではなく、迫害を終わらせるべきだ。崩壊する運命にある中国共産党を守ろうとする努力は全て無駄になるだろう。法輪功の迫害に加担した悪人の多くはすでにその悪行の報いを受けている。江沢民の死は、中国共産党の崩壊が加速していることを告げている。迫害を継続しようとする者は直ちに目下の時勢を正しく認識し、迫害をやめ、償いの手立てを講じるべきだ。中国社会は今、未曾有の変革期を迎えている。中国共産党は終焉を迎え、今にも天に淘汰されようとしている。2004年に大紀元が社説「共産党についての九つの論評(九評共産党)」を発表してから今日に至るまで、すでに4億人以上の中国人が中国共産党およびその関連組織から自らの意思で脱退することを宣言した。ここにおいて、法輪功への迫害を停止し、拘束された全ての法輪功学習者を釈放し、迫害に加担した者を厳正に裁くよう習近平氏に求める。ますます多くの中国人が中国共産党の正体を見抜き、党組織から脱退することにより、この歴史の分岐点においてより良い未来を選択することを望んでやまない。
2022.12.05
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中国新華社通信は30日、中国共産党の江沢民・元総書記が30日、白血病による多臓器不全で死亡したと伝えた。96歳だった。15年間に渡り総書記を務めた江沢民は1999年7月20日、法輪功に対する迫害政策を決定した。中国全土規模の迫害は今もなお続いている。中国共産党政治局常務委員だった尉健行氏のスピーチライターを務めていた王友群氏は、江沢民は、数千万人が学んだ伝統気功法・法輪功を迫害し、臓器収奪を命じるといった大罪を犯したと論じている。「真善忍」の理念をもとにした気功修煉法・法輪功の創始者である李洪志氏は、中国大陸のみならず世界中の人々への心身の健康に貢献した。中国体育局によれば90年代後半まで数千万人が学んだ。広範囲にわたる気功法の拡がりよって、中国共産党体制の維持を恐れた江沢民は法輪功弾圧を決定した。王友群氏によれば、江沢民は李洪志氏および法輪功を誹謗中傷するテレビ番組企画などマスメディアにネガティブキャンペーンの開始を指示した。以降、中国中央テレビや新華社通信をはじめ官製メディアによる法輪功関連報道は罵詈雑言で埋め尽くされた。拘束や拷問といった苛烈な弾圧を正当化するための情報政策とみられている。衛星放送・新唐人テレビによる調査報道番組『偽りの火』によれば、江沢民政権は2001年冬に「天安門で焼身自殺を図った」との事件を偽装し、法輪功に対するレッテル貼りを一層強めた。このほか江沢民は曽慶紅・元副主席に対して李洪志氏の暗殺命令を下し、国家安全部と軍参謀部による特別部隊を編成させたという。王友群氏によれば李氏の訪問した台湾、香港、カナダなどで試されたがいずれも失敗している。臓器狩りを指示江沢民は党地方幹部に対して、より強硬な弾圧策に踏み切らせることによって昇進を取り決めた。遼寧省大連市トップを務めた薄熙来は部下の王立軍とともに、法輪功学習者から臓器を摘出して移植手術用に利用するといった、極めて非人道的なモデルを形成した。後に「臓器狩り(Organ Harvest)」と呼ばれる。2013年、大紀元は情報提供者から駐ドイツ中国大使館秘書官と薄熙来の会話内容を入手した。大連市長時代に臓器狩りを指揮したのは誰かとの秘書官の問いに対して「江主席だ」と薄熙来は答えている。江政権の重鎮である羅幹、周永康、徐才厚らはこの「大連モデル」である臓器狩りを司法や武警、人民解放軍、病院、法輪功迫害専門組織「610弁公室」とともに全国規模に系統化して拡大した。有志の国際弁護士や検察からなる第三者委員会が、人道犯罪を裁量する「民衆法定」が2019年、英ロンドンで開催された。提出書類によれば、1998年、江沢民は李嵐清・国務院副総理に対して「法輪功の評判を傷つけ、財政的に崩壊させ、肉体的に破壊」するよう求めた指令があった。江沢民による法輪功迫害について、19人の学者、政治家、弁護士、医師、人権活動家らが専門的な見地からしたためた論文集『かつてなき邪悪な迫害』(博大出版)が詳しい。同書の編集主管を務めた国際弁護士・朱婉琪氏によると、「迫害を知らせ人類の良知を呼び起こすことで、21世紀最大の痛ましい人権災難を一刻も早く終結させる」ことを出版の目的としている。台湾の法輪功弁護士学会は訃報を受けて声明を発表した。「過去20年間、江沢民は世界18の国で人道に対する罪により訴えらたが存命中に法の裁きを受けることはなかった。迫害政策の被害を受けたすべての人々にとって無念と言わざるを得ない。しかし、おびただしいほどの罪は歴史に克明に刻まれている」
2022.12.02
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https://www.epochtimes.jp/share/126671?utm_source=copy-link-btn大紀元時報日本台湾の法輪功人権弁護士団は、法輪功迫害の元凶である江沢民の死去を受け、公式声明を発表した。法輪功人権弁護士団の5つの声明は以下の通り。1.我々は、中国共産党の現指導者が法輪功への迫害を直ちに停止し、中国で不法に拘束されているすべての法輪功学習者を解放し、法輪功を迫害する者に対し、法的責任を追求する。弾圧を計画した江沢民は亡くなったが、もし現在の指導者が法輪功迫害の政策を続けるなら、その指導者もいずれ法輪功弾圧の法的責任を問われることになる。2.江沢民に追随し、法輪功への迫害に直接的または間接的に関与している国内外のすべての人々に、直ちに悪事から足を洗うよう呼びかける。中国での法輪功学習者への逮捕を自主的に止めよ。海外での法輪功学習者への誹謗、中傷、脅迫を中止し、将来、法輪功迫害の罪で裁かれたときに、それを償うために、法輪功迫害に関するすべての書類や証拠を保持するように。3.法輪功学習者の臓器収奪に関与したすべての中共関係者と医療従事者は、直ちにその残虐行為を停止せよ。そして、法輪功学習者への臓器収奪を命令した中共の文書と、計画や執行に関するあらゆる中共の文書及び証拠を揃えよ。将来、生体臓器収奪の責任追求をする際に過ちを償うことができるだろう。4.法輪功への迫害と生体臓器収奪をやめない幹部や個人に対して、法輪功学習者と弁護団は、引き続き法的責任を追及する。5. 過去20年間、江沢民は世界18か国で、法輪功学習者に対する人道に対する罪、大量虐殺、拷問の罪で告発され、37か国では400万人近くが法輪功迫害の犯罪を訴え、中国では数十万人の法輪功学習者が実名で江沢民を相手に訴訟を起こしている。しかし、最終的に、江沢民は存命中に歴史的な裁判を受けることはなかった。これは、すべての法輪功学習者、特に迫害されている学習者とその家族、そして、この数十年にわたる江沢民による迫害に巻き込まれた中国全体にとって、非常に残念なことだ。但し、1億人の法輪功学習者に対する江沢民の知られざる犯罪のすべては、人類が同じ過ちを繰り返さないための戒めとして、歴史に刻まれることになる。
2022.12.02
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大紀元時報日本白紙革命 「中国共産党打倒せよ!」 白紙革命、新宿駅前でも Wenliang Wang 2022/12/01 更新: 2022/12/01不要核酸要吃飯PCRはいらない、食べ物がほしい不要封控要自由ロックダウンはいらない、自由がほしい不要謊言要尊嚴政府のウソはいらない、尊厳がほしい不要文革要改革文化大革命はいらない、改革がほしい不要領袖要選票指導者はいらない、選挙がほしい不做奴才做公民奴隷にはならない、公民になりたい
2022.12.01
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中国人はもう共産党を恐れていない=ゴードン・チャン氏 /大紀元時報日本米国の中国問題専門家ゴードン・チャン(Gordon Chang)氏は各地の抗議活動について、中国人はもはや共産党を恐れていないと指摘した。中国社会が混乱へと向かうなか、先進国首脳は習近平氏に対し武力鎮圧しないよう警告すべきだと述べた。「中国の民衆は恐怖心を失い、公然と当局に反抗している。警官隊は大人しい。習近平が軍隊を出動させない限りCCP(中国共産党)は崩壊するだろう」。中国各地の抗議活動を受けて、チャン氏はツイッターで発信した。新疆ウイグル自治区のウルムチ市で発生したマンション火災では少なくとも10人が死亡した。この事件を発端にゼロコロナ政策に対する民衆の不満が噴出、北京や上海などの大都市に加え、50以上の大学で抗議活動が相次いだ。「中国は今や混乱の前夜を迎えている」とチャン氏は記した。「中国人は抗っている。経済は崩壊しかけており、新型コロナは燎原の火が如く勢いづいている。全能と思われていた習近平は今や無力だ。このような状況は長く続かない。まもなく大事件が起こるだろう」民衆の矛先が中国共産党に向けられているという。「1989年(の天安門事件)と違って、中国の人々は問題の本質を突いている。CCP(中国共産党)の統治は中国を破壊しているのだ」。そして中国共産党は現状に呆然としており、現時点では対応策を講じることができていないと同氏は指摘した。いっぽう、中国共産党が一貫して抗議活動を武力鎮圧してきたことから、ゴードン・チャン氏は中国当局の対応に懸念を示している。「バイデン大統領や各国首脳が習近平に対し、自国民に銃口を向けるようなことがあれば中国は重い代償を支払うことになると警告すべきだ」と強調し、中国の民衆のために祈るよう呼びかけた。https://www.epochtimes.jp/share/126217?utm_source=copy-link-btn
2022.11.29
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