パスポート


その日の朝もいつもと同じ朝だった。
夫を送り出した後洗濯機を廻しながら掃除機をかけていた。
掃除機のスイッチを切ると電話が鳴っている事に気がついたので
掃除機をその場に置いて慌てて電話を取りに走って行った。
電話の相手は実家の父からだった。
電話の向こうから聞こえる父の話している内容は、
信じられないものだった。父も信じていなかった。
「東京の外務省の人から電話あって、お前と話したい
って言ってはったからお前電話したれや。」
「えっ?私からするの~ 東京やろ?
なんで電話番号言ってこっちにかけさせてくれへんかったん?」
「あほ!そんなもん電話番号容易く教えられへんわ!
外務省や言うとるけど、新手のオレオレ詐欺でお前の
電話番号を巧みに聞き出そうとしてるかも知れんやろが!」
そう言われるとそうかも知れない。
外務省と思っているのはこちら側だけで、相手は
外務省の方からとか外務省の近くからと言ったかも知れない。
だって外務省から電話がかかって来る事自体不思議なんだから。

ドキドキしながら父に教えてもらった電話番号に電話した。
するとすぐに女性の方が出た。
が、あまりにも早口で「が」と「ょうです」しか聞き取れなかったので
「そちらは外務省ですか?」と聞き返した。
はいと答えたので私は教えてもらった内線番号を告げ、
そちらにまわしてくだ・・・まで言ったら切り替る音が聞こえた。
この無愛想さ、やはり外務省なのか?
そして実家に電話をくれた方の名前を言って取り次いでもらった。
出てきた男性は初めにわざわざ電話をくれた事に対して
丁寧に謝ってくださった。そして・・・
「pinkyさんのパスポートについてお聞きしたいんです」

私はハッと息を飲んでしまった。
これは本物の外務省だ!
そう、パスポートについて聞かれるには心当たりがあった。
そして思い出したくない記憶がよみがえって来た・・・
「実はですね、昨夜フランスの空港でpinkyさんのパスポートが
見つかりました」
「見つかった状況を詳しく教えてもらえませんか?」
「・・・・?」
「つまり、空港のトイレとかで破棄されているのを発見したのか、
私のパスポートを持っていた人間を捕まえたのか・・・」
「後者です」
とうとう捕まったとこの時思い、手が震えるのがわかった。

そして外務省の方から色々教えてもらった。
フランスで身柄を拘束されたのはアジア系の女性。
日本人ではないとの事だった。
私のパスポートの写真の部分を偽造し出入国しようと
したところを見破られ捕まる。
詳しく持ち物検査をしたところ他にもボロボロと日本の
パスポートを所持していたので逮捕。
すぐさまフランス側は犯人が所持していたパスポートの
名前のリストを作り、本人確認をして欲しいとの
内容で夜中に外務省宛に電報を送っていたのだった。
外務省の方は私がパスポート申請した時の電話番号に電話を
入れたが引っ越した後だったので、緊急連絡先の実家に
電話をしたと言う事だったのだ。

これで話は一本の線になった。
しかし私の興奮は納まらない・・・・受話器を持つ手は
汗ばんでいた。
「なぜpinkyさんのパスポートがフランスにあるのか
確認をしなければなりません」
「昨年、空き巣に入られました・・・・」
思い出したくもないが、当時の事を警察に言う様に
詳しく話した。
義母の形見の宝石類、私の婚約指輪、夫の結婚指輪、
ヴィトンのバックは購入して2ヶ月も経っていなかった。
日本各地を旅行した折々に郵便局に寄って買い集めた
ご当地切手の数々、プレミアのついていた貴重な
テレホンカード達、その他ありとあらゆる物が無くなっていた。
その中にパスポートも入っていた。
外務省の方はお気の毒でしたねとねぎらいの
言葉をかけてくれた。
「身柄を日本に送ってもらう事は出来ないのですか?」
とたずねると、捕まったのが外国と言う事もあり
難しいとのこと。全てはフランスの意向に従わないと
外交上よろしくないとの事だった。
悔しかった。
偽造を見破ったフランスには感謝するが、手も足も出せない
日本に苛立たしさを覚えた。
捕まえた犯人をたどればやがては私の家に入った
犯人に結びつくかもしれないのに・・・・
最後に外務省の方は実家のお父さんにもよろしくと
お伝え下さいと言って電話を切った。

犯人達は窃盗をしただけではなく、盗んだ人の思い出や
夢やお金で買えないものまで盗んだのだ。
決して許されるものではない。
フランスで捕まった人はその内取り調べが
終われば釈放されるだろう。
せっかく犯人への糸口が見つかったと思ったが、
結局ぬか喜びに終わってしまった。
そして私は仏前に座り今日も義母が大切にしていた
宝石が戻ったという報告は出来ないままでいるのだ。



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