マイケルがボクシングに出会ったのは14歳の時だった。当時の世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリに夢中になってジムに通い始めたのだ。マイケルの強さは圧倒的で、アマチュアとして輝かしい成績を残した後、19歳でプロデビューを果たした。その後も連戦連勝を重ね、私生活でも妻と二人の娘に恵まれ、充実していた。 1989年には英連邦ミドル級タイトルを獲得し、アリのようになりたいという夢は一歩ずつ現実のものになっていた。そして1991年9月21日、念願の世界タイトルマッチに挑戦することになった。 相手は当時最高の人気と実力を誇るクリス・ユーバンク(イギリス)。戦績は28戦全勝という輝かしいものだった。
世界チャンピオンを目前にリングに倒れたマイケルは、試合終了のゴングが鳴っても立ち上がることはなかった。この試合の映像は、英ボクシング史上最も凄惨なシーンとして封印されているほどだ。 すぐに救急車が呼ばれたが彼は搬送中に呼吸が停止した。また、頭を強く打っていたため一刻も早い治療が必要にも関わらず、救急体制の不備により、脳外科専門医のいない病院に搬送されてしまった。ようやく専門病院に運ばれたのは、試合が終了して1時間後のことだった。 脳外科医のピーター・ハムリン医師が診断に当たったのだが、取り返しがつかないほど悪化していた。後頭部を強打して脳内出血が起こり、それが凝固してしまっていたのだ。すぐに緊急手術が行われたが意識は戻らず、家族は最悪の場合も覚悟しなければならなかった。
事故から4ヶ月経った1992年1月、本格的なリハビリが始まったもののマイケルには生きる気力もなく、さらに妻は娘達を連れて家を出て行ってしまった。 全てを失ったマイケルがリハビリに力を入れるはずもなく、レナードは彼の気持ちが痛いほどわかった。だが、そんな彼をやる気にさせる奇跡のようなきっかけが5月に訪れた。マイケルが幼い頃から憧れていた伝説のチャンピオン、モハメド・アリが彼の噂を聞きつけてアメリカから見舞いにやってきたのだ。 マイケルはアリの姿を見ると、事故後初めて笑顔を見せた。さらにそれまで全く動かなかった左腕を持ち上げ、アリの拳に向かって動かしたのだ。 アリと会ったことで、マイケルの体には確実に変化が起こった。リハビリの最中、あまりの激痛にマイケルはリハビリスタッフの名前を呼んだ。泣きを入れたのだ。
レナードは「僕も言おうと思っていたんだ、君を助けたい、って。」と伝えた。そしてマイケル専属のリハビリスタッフになることを決意し、会社を辞めた。障害者援助金から支払われる謝礼はわずかだったが、レナードは構わなかった。 レナードはリハビリスタッフとして実に優秀だった。いつ支え、いつ自立させるべきかを心得ていた。それはかつて、マイケルの弟の面倒を見ていた時に身に付けたものだった。現在39歳になるマイケルは、当時を思い出してこう話す。自分の現実を知るほどに精神的にも辛かったが、レナードがいつも励ましてくれたので前を向いて歩き出すことができた、と。 そして事故から6年が経過した1997年、彼は再び奇跡を起こした。自力で立ち上がったのだ。
一周1700メートルの公園を歩くのに、1時間以上かかった。だがロンドンマラソンまであと半年足らずしか時間はなかった。 2003年4月13日、ロンドンマラソンが開催された。参加者は32,746名。スタートの喧噪が一段落した頃、マイケルとレナードがスタートし42.195kmの挑戦が始まった。マラソンコースを歩くマイケルの周りには、募金用のバケツを持ったハムリン医師らが同行した。沿道で応援する人々はみな、マイケルの勇気ある姿に心を打たれ、バケツに募金を入れていった。 マイケルは順調に歩を進めた。障害のある左足を補うために、右足を徹底的に鍛えていたのだ。マイケルの近くには、応援したり握手を求めたり直接募金を渡そうとしたり、多くの人々が寄ってきた。
ゆっくりとマイケルは進んだ。いつゴールできるか、誰にも予想はできなかった。スタートから10時間、マイケルは8km付近にたどり着いていた。この日はゴールはるか手前で無念のドクターストップだった。 翌日、マイケルは再び歩き始めた。大会はすでに終わり、レース用の設備は撤去されていたので歩道を歩いた。彼が一日に歩くことのできる限界は8kmだった。毎日毎日、マイケルはゆっくりと歩を進めた。長い、孤独な闘いになるはずだった。 ところが、マイケルの歩みを新聞各社が報道し、連日のようにマスコミが彼の元を訪れた。さらに多くのサポーターもマイケルと一緒に歩いた。著名人達も応援にかけつけた。
実はこの12年間、クリスは片時もマイケルのことを忘れたことはなかった。彼の人生を台無しにした罪悪感を背負っていた。事故の直後には病院を訪れて母親に謝罪をしていた。母親の「事故だったのよ」という慰めにも、涙を流すことしかできなかった。強い罪悪感から、意識の戻ったマイケルに会うことができずにいたクリス。 だが、マイケルがロンドンマラソンに挑戦していることを知ったクリスは、もう逃げてはいけないと、会うことを決心したのだ。 クリスの姿にとても驚いたマイケルだが、二人はすぐに固い握手をかわし、その後はマイケル、クリス、レナードの三人で並んでゴールに向かった。それは、苦しみ続けた12年間の集大成にふさわしい光景だった。
そして現在、マイケルとレナードは今も二人三脚でリハビリに取り組んでいる。一人での歩行も可能になり、なんと再びボクシングを始めたマイケル。ジムに戻り器具に触れるととても興奮すると話す。グローブをつけて練習するマイケルの顔には、満面の笑みが溢れていた。 「坂道や悪路を走った後には、平地では得られないものを手にします。一歩一歩がチャレンジで、だからこそ人生は面白い」とマイケルは話してくれた。
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