天国から地獄〜また這い上がる〜

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2024.09.20
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こんばんは。

今日ふと面白い記事を目にしたので記事にさせて頂きます。

記事の主役は女性(43歳)で、いわゆるバリキャリの選択子なしの方です。この言い方はどうかと思いますが、一般的に使われている表現なので使わせて頂きます。

その方が自由に旅行したり休暇を満喫したりする事に対して、同僚の方が「子供がいないから(自由に出来る)」の様な事を言ったそうです。

それ以外にも、まだ妊娠に間に合うからと説得されたり、子供がいない人生は特に女性は先で後悔するからという旨の事をよく言われるそうで。

それに対しては人それぞれなんだから、人の人生に関与しないの、と言いたくもなります。

特に私なんか実際に子供が出来るまでは欲しいと1度たりとも思ったことの無い人間ですから…

実際酷い話ですが、主人に妊娠がバレるまで堕ろすことを考えていたので…(ここは批判はごめんなさい。あくまで私のその時の感覚なので…)

まぁ子供が生まれてからは必死でその時その時をやり過ごし、いい時もあれば苦しく辛い時(こっちの方が多かった)もあり。



ただぼんやりと生まなかった人生を考える時はないとは言いきれません。

私もただの人間であり、大人に、親になったからと言って高尚な人になれる訳でもなく。

黒い感情が渦巻く時もあり。

ただ、人生は豊かになったなと感じます。

これは紛うことなき事実ですので、あえて書かせて頂く。

平面的だった人生が立体に、凸凹が少なかった人生が影も日向も出来るようになり。

そんな感覚です。

深みが増したとでも言えばいいのかな。

子供を持たなかった時に感じなかった自分自身の愛情深さとか辛抱強さとか。

思ったより自分が強い人間だったとか。

そういう嬉しい発見が沢山ありました。



嫌になれば放り出すし、グッと堪えるとかもほとんどしなかった。

あっちにフラフラこっちにフラフラして、根を張ってる感じではないというか。

自分の事は勿論好きではなかった。好きになろうにも、いい所がなんもない気がしてた。

自信もなかった。

しょうもない人間だなと思っても、どうしたらいいのか分からなくてずっとぐるぐる無駄に動いてはまた自己嫌悪して、の繰り返し。



あの頃は本当に過渡期で、まだ結婚してる女性が妊娠して生みたくないなんて言える世の中ではなかったから。

今は選択子なしとか自由があっていいなとは思います。

でも結果、私の中には無尽蔵の愛情がある事が分かり、他者に愛情を注ぐ事で自分の肯定感も上がって、今はとても好きな自分になれました。

私という人間のくっきりとした輪郭がみえるようになったと言うか。

子供のために正しい、誇りに思える親でありたいと思って、誰が見てても見てなくても正しい行動をするようになった。

例え子供が知らなくても。

私が子供に対して恥ずかしいと思う事だけはしないで生きていこうと思ったので。

それって否定出来ない事実なんですよね。

だから昔の人が「子供を生んで1人前」と言ったのも、分からんでもないというか、今の世の中絶対に人前では言えないけど確かにそうだとも感じるのです。

自分の人生の中で自分以外の人が主人公になると、自分を犠牲にすることも覚えるし、誰かを幸せにしたいと思うとどうしても自分は後回しになりがちです。

でもほとんどの場合それは自分から望んでしているので、嬉しい事でもある。

そうなると本当に自分は最後の最後ぐらいの順番かな。

独りで、もしくは結婚してもパートナーだけとの生活でそこまでの自己犠牲の精神かと問われると、そこまでではない。

はっきり言ってパートナーは無償の愛を注ぐ相手では(私にとっては)ないです。

自分の方が優先順位的には上。

それを考えると子供って凄い存在で、この世に存在する何よりも大事で、そういう存在が自分にいると、前とは全く違う考えにもなろうと言うものです。

まぁあくまで私の個人の考えだから、皆さんそれぞれ意見もあると思うし、それでいいと思うので。

元の話に戻ると、そのお友達や同僚の言葉や説得を受けてその女性は思う訳です。思って、社会に発信するわけです。

子供を持たない生き方はそんなに批判されて、肩身が狭く生きていかないといけないのかと。

子供を持つことがそんなにえらいのかと。

ここね。本当に難しい。十人十色で、お子さんを持てなかった人には何を言っても傷つけちゃう気がする。、

同じ事を言ってもしても、そんな事気にしないよと言う人もいれば、そうでない人もいる。

不妊様などと揶揄する気持ちは全くありませんが、余りにも世の中に対する不満の声が大きすぎると、ちょっとうんざりした気持ちにもなってしまう。

年賀状がー、子供の話がー、グループの友達の出産祝いのライン外しがーとか。

配慮して配慮して、言い過ぎ。

配慮したらしたで、腫れ物に触るような扱いがー、となるので。

今の世の中少数派の声がデカい。そして今までメジャーとされてきたほうが迫害されてるような感じすら覚えます。

自分が言われたりされて嫌だった事があるのは分かります。

私だって他の事においてはマイナー派にも分類される事もあるので。

でも私は自分に起きた事を世間一般の人に配慮して欲しいとかは思わないかな。

限られた人には話して理解共感してもらって元気を取り戻したりはするけど。

人間は心や細やかな感情や知性を持って生まれてしまった。

だから事態がややこしくなると思うんです。

我々が普通に他の動物と同じように本能で動く生き物だったら。

答えは簡単です。

子供を持たなければ絶滅する。

それだけ。

だから子供を持たない事の正当性を声高に叫ぶのは地球の為にはいいかもしれませんが(.人間は地球にとって害悪だから)、生き物として生まれた以上は子孫繁栄するのが普通なんです。

カマキリはなんで卵を産むのか?孔雀は何故綺麗な羽を広げてメスにアピールするのか?

答えは簡単で、遺伝子に子孫繁栄が組み込まれてるからです。

そこにそれ以外の意味なんてない。

生き物は繁殖するのが普通なんです。

だから子供を産まない事は、正当性を声高に叫んでいい事ではないと思うんです。

ただ。

そこにQOLとか、個人の尊重とかが加わってくると話は別で。

今の日本で共働きなしでやっていけるご家庭はそんなに多くはないでしょう。

そこに子供を持つ事を考えると、時間的負担や金銭的負担、体力的負担が、一気にのしかかってきます。

それを踏まえて、それぞれ自分の考えで生きていったらいいと思うのです。

この負担の重さに加えて人を生かせる責任、社会で通用する人間に教育する責任も加わります。

それはそれは生半可な気持ちではやっていけないと思いますよ。

私はただ、もう年齢的にも産んどかないと後悔するかも…と言う気持ちが否定できなかっただけで、何の覚悟もなく産んでしまったので笑

その後の苦労たるや…涙

この記事の主人公の人の気持ちも分かるし、説得は他の人にはしないけど、主人公を説得したお友達や同僚の人の気持ちも分からんでもない。


人って自分が経験した素晴らしい体験を人にもススメがちです。

同じ経験をして、素晴らしさを分かち合いたい。

子供は自分にとってなくてはならない存在だから、あなたも是非と思うのでしょうね。

そんな大事で可愛くて素敵な存在なしにこの先の人生、楽しいの?と。

それにたいしてうっさいと思う気持ちも私もあったので、両方の気持ちが分かります。

実際結婚して6年子供を作らなかったので、その間は義実家義親戚がうるさかった。

脅したり宥めたり。

うちの実の両親はなんも言わなかったですね。
それには姉の件が関係してますが。

命がいかに儚く、大切なものを失う怖さなども沢山感じで生きてきた人達ですので、大切なものは増やさない方がいいとさえ思っていたようです。

このようにね、1人の人間の心の中にさえ矛盾した意見や気持ちがあるのが当たり前なので、それぞれに判断してその道を生きていったらいいんです。

と思うんです。

ただ、どちらも声高に叫ばなければ。

主張するから対抗するんですよ。

皆己の人生に集中して、生きたらいいと思います。

外野がどう言おうが、その人たちは自分の人生の責任は取ってくれないですからね。

これについては現実社会で発言は絶対にしないでおこうと思います。

何も言わなければ誰も傷つかないんですよね。

お互い尊重し合って生きていったらいいのになと思う今日この頃でした。

では〜





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最終更新日  2024.09.20 23:57:48


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