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武者小路実篤『友情』~新潮文庫、1987年改版~ 武者小路実篤(1885-1976)は、『白樺』創刊(1910年)の中心となった人物。学習院中等科の頃に志賀直哉と親しくなり、後に東京帝国大学哲学科社会学専攻に入ります。そのころから様々なジャンルの創作活動をはじめます(小田切進「武者小路実篤の文学」本書137-145頁参照)。 『友情』は、そんな武者小路実篤による、あまりにも有名な作品のひとつです。 若き脚本家である野島は友人である仲田の妹・杉子の写真をみたときから、彼女に惹かれていました。ある日、友人の誘いで、ライバルの脚本家・村岡の劇を観に行きますが、それは杉子も来るからでした。そして本人に会い、野島はますます杉子に惹かれていきます。 彼女のことをどんどん理想化していく野島ですが、なかなか仲田の恋愛感情などとは分かりあえません。そこで、別の友人、大宮に恋のことを話します。大宮が支えてくれるので、野島は杉子への恋を深めながら、その思いをどんどん大宮に語っていきます。 いろんな場面で嫉妬に苦しみ、杉子への怒りを感じながらも、また杉子と話ができれば気持ちが落ち着き……と、野島のぐるぐると渦巻く内面が描かれます。大宮が杉子にあえて距離をおくなど、大宮は脚本家としても認める野島への友情を大切にします。 しかし、はたして杉子の思いは……というのが、この物語の大きな流れです。 あまりにも有名な作品でありながら、おそらくこのたび初めて読みました。 一節一節が短く、また対話も多くて読みやすかったです(この点、亀井勝一郎氏の「解説」で、武者小路実篤は「小説家と言うよりは戯曲家にふさわしい筆致をもっている。つまり対話が根底となり、対話が原動力とならぬかぎり、筋を発展させていくことができないのだ」(148頁)とやや極端な指摘をされていますが、少なくとも対話が重視されているのは納得でした)。 野島さんと大宮さんの友情と葛藤。1919年から大阪毎日新聞に連載されていた作品のようですが、こういうテーマは今も大きな違和感もなく、すっと入り込めました。(2022.11.16)・ま行の作家一覧へ
2023.02.25
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宮沢賢治『風の又三郎』~角川文庫、1988年~ 9編の童話などが収録された作品集です。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「風の又三郎」風の吹いた日、学校に見知らぬ子どもがいました。彼―転入生の三郎を、子供たちは風の又三郎と呼びます。子供たちと又三郎の交流と別れを描く物語。「とっこべとら子」人々を化かす狐のとら子の物語。「祭の晩」山の神の祭に、お金が足りないのに団子を食べてしまって困ってしまった山男。見かねた少年が男を助けると、後日、男は約束を果たしてくれます。「なめとこ山の熊」熊捕り名人の淵沢小十郎と、熊の約束を描くお話。「土神と狐」女の樺の木と話をするのが好きな土神と狐は、仲が良くはありませんでした。ある日、樺の期と仲良く話している狐を見て、土神は嫉妬にかられてしまい…。「虔十公園林」→『銀河鉄道の夜』(新潮文庫版)で紹介。「化物丁場」事故が繰り返される丁場の話。「ガドルフの百合」「マグノリアの木」――― 最後の2編はよくわからず内容紹介を省略しました。「風の又三郎」は有名ですが、おそらく初めて読みました。「なめとこ山の熊」は教科書かなにかで読んだことがあったはず、という淡い記憶がよみがえりました。 好みだったのは、「土神と狐」。神の嫉妬というテーマが面白く読みました。 全くの余談ですが、先に紹介した『銀河鉄道の夜』は新潮文庫版、本書は角川文庫版で買ってしまい、収録作品に重複があるなど、ちょっと失敗したな、と反省。どちらかで統一して揃えていけばよかったと思った次第でした。(2022.11.06読了)・ま行の作家一覧へ
2023.02.18
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長谷川貴彦『現代歴史学への展望―言語論的転回を超えて―』~岩波書店、2016年~ 著者の長谷川貴彦先生は北海道大学大学院文学研究院教授で、イギリス近現代史・歴史理論を専門にされています。小川幸司(責任編集)『岩波講座 世界歴史01 世界史とは何か』(岩波書店、2021年)に、「現代歴史学と世界史認識」という論考を寄せていらっしゃいます(冒頭略歴も同書の執筆者紹介から引用)。 本書は、先生が過去に発表した9本の論文を、3部構成+終章に編成した論文集です。重複する記述も多いですが、そこは逆に重要な部分と理解できます。 本書の構成は次のとおりです。―――はしがき―転回する歴史学I 社会史から言語論的転回へ 第1章 修正主義と構築主義の間で―イギリス社会史研究の現在 第2章 民衆文化史の変遷―「経験」から「物語」への転回 第3章 社会史の転回―都市史をめぐる考察II 転回する歴史学 第4章 物語の復権/主体の復権―ポスト言語論的転回の歴史学 第5章 文化史研究の射程―「転回」以降の歴史学のなかで 第6章 現代歴史学の挑戦―イギリスの経験からIII 戦後歴史学との対話 第7章 『社会運動史』とニューレフト史学 第8章 二宮史学との対話―史学史の転換点にあたって終章 現代歴史学への展望あとがき初出一覧索引――― はしがきは、本書の目的と構成の概要を示します。 第1部は、戦後イギリスにおける社会史研究の系譜を論じます(vii頁)。 第1章は、1960-70年代の社会史研究が、時間的・空間的に細分化した方向に向かうことで、長期的変動や歴史的全体像をとらえる視点の喪失に至るという「隘路」に陥っていた中、進歩主義史観などの見直しを迫る「修正主義」と社会そのものが言説=実践によって構築されたものだという視点を強調する「構築主義」の影響を受け、方法論的革新を迎えていることを、階級、ジェンダー、都市を扱う具体的な研究例を挙げて明らかにします。 第2章は、文化的マルクス主義として、経験を重視したトムスン『イングランド労働者階級の形成』(1963年)、言語論転回として、ステッドマン=ジョーンズ(この研究者は言語論転回の英語圏の嚆矢となる著作を発表したことで、本書で強調される人物の1人です)の『階級という言語』、そしてパーソナル・ナラティヴ(個人史の聞き語りに代表されるオーラル・ヒストリーだけでなく、自叙伝、日記、書館などのエゴ・ドキュメントを対象とする)として、牧師の日記から女性の家内奉公人の地位を見つめるスティードマン『マスターとサーヴァント』の3つの潮流と代表的著作を取り上げ、それぞれの背景、著作の概要、批判と射程を論じます。 第3章は、1950年代の(近代イギリス)都市史に関する諸研究を見ていく中で、方法論の変化を明らかにします。ここではとりわけ、トムスンによる社会的磁場の理論―社会を二極構成で捉えて磁場を発見し、その関係(と変化)のなかで中間階級の社会的性格を決定していこうというアプローチ(73頁)―についての具体的な紹介と重要性の示唆を興味深く読みました。 第2部は、「言語論転回以降の歴史学を射程に入れた理論的考察が中心」(viii頁)です。 第4章は、言語論転回以後に注目される、表題にもある「物語の復権」と「主体の復権」について、パーソナル・ナラティヴに関する主要な研究の紹介(第2章でも取り上げられるスティードマンの研究や、貧民、奴隷の語りに関する研究)を通じてその様相を見ていきます。 第5章は、ホイジンガ『中世の秋』などに代表される「古典的文化史」、人類学的関心が一つの特徴である「民衆文化史」、そして文化理論の台頭への応答として考えるべき「新しい文化史」という、文化史の3つの流れを概観した後、ピーター・バークの主要業績とジェンダー史研究から、近年の文化史の具体的実践を描きます。 第6章は、本書の標題にもある「現代歴史学」を、「言語論的転回」「文化論的転回」など様々な「転回」以降の歴史学とします(156-158頁)。そして、サッチャー政権の新自由主義など、現代イギリスを特徴づける様々な状況とイギリスにおける歴史叙述の在り方について論じます。 第3部は、以上の歴史学の動向を日本の歴史学の文脈に定位していきます(ix頁)。 第7章は、『社会運動史』という「1970年代から1980年代に一世を風靡した伝説の雑誌」の再検討をイギリスのニューレフト史学の発展との比較から行い(同頁)、第8章はアナール学派の紹介などで日本での社会ブームの火付け役となった二宮宏之氏の著作集(全5巻)から、史学氏の流れにその業績を位置づける試みです。 終章は、社会史の各国での状況を概観した後、ポスト「転回」の歴史学の状況を概観します。上の諸章で紹介された内容と重複する部分もありますが、ここでは特にグローバル・ヒストリーの位置づけが追加されているように思いました。 以上、はしがきでの各章の紹介を踏まえながら、全体の概要を紹介してみました。 長谷川先生のご専門がイギリス近現代史ということで、具体的な研究の事例はイギリス近現代史の業績からとられていますが、私はふだんあまり触れていない領域ですので、史学史の整理だけでなく、具体的な研究の紹介もたいへん勉強になりました。(2022.12.27読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.02.12
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リチャード・J・エヴァンズ(今関恒夫ほか訳)『歴史学の擁護』~ちくま学芸文庫、2022年~(Richard J. Evans, In Deffence of History, London, 2018[初版1997]) 著者のエヴァンズ(1947-)はケンブリッジ大学で近代史欽定講座担当教授をつとめたドイツ近現代史家。本書は、伝統的な歴史学とポストモダニズムの(影響を受けた)著作を検討し、歴史学を擁護する試みです。 本書は、もともと1997年原著初版をもとに、『歴史学の擁護―ポストモダニズムとの対話―』との邦題で1999年に晃洋書房から刊行されていた邦訳書について、本文を一部改訂するとともに、2018年に刊行された原著第2版に収録された長いあとがき(これは、原著刊行後に出された多くの批判への再反論です)を追加したものです。 本書の構成は次のとおりです。―――日本語版への序文謝辞凡例序論第1章 歴史学の歴史第2章 歴史、科学、倫理第3章 歴史家と歴史事実第4章 史料と言説第5章 歴史における因果関係第6章 社会と個人第7章 知と権力第8章 客観性とその限界あとがき―批判に答えて訳者あとがき文献解題人名索引――― 文庫版で約560頁の重厚な議論なので、私には十分な紹介は出来ませんが、要点をメモしておきます。 本書は、ポストモダニズムによる極端な相対主義(特に極端な例でいえば「過去を知ることはいかなる意味でもできない」など)を批判し、「互いに矛盾する二つの歴史的主張の両方が等しく正当である、というのはありえない」(368頁)と主張します。 本書のポイントと思われることばを、以下に紹介します。「自分たちは絶対的な真実を書いているのだ、と信じている歴史家などいない。単にもっともらしい真実を信じているのであって、それは証拠に関する諸ルールにしたがって、彼らが全力を尽くして確証したものなのである」(368頁)。さらに、「脚注と参照文献リストの存在こそ、読者が歴史家の主張のよってたつ史料を調べ、その史料が歴史家の主張を支持しているかどうか確かめることを可能にする」(227頁)といいます。 そして歴史家は、そのためには、「ランケ的なやっかいな基礎作業をおろそかにしてはならないことは、今も変わらない。文書の出所を調査し、それを書いた者の動機、それが書かれた環境、同じテーマについての他の文書との関連を見極めなければならない」(53頁)。 こうして歴史家は、「批判に耐えうる結論にいたることはできる」(421頁)というのです。 その他、伝統的な歴史家もポストモダニズムの理論家・歴史家も含め、具体的な主張や、事件に関する見解を丹念に取り上げ、批判するところは徹底的に批判し、一方首肯すべき点は積極的に取り入れ、エヴァンズは歴史学の意義を説きます。 こうして論じられる本論自体もきわめて興味深く、勉強になるのですが、原著初版刊行後に出された批判に対する反論を行う、約100頁にも及ぶ「あとがき」も非常に面白いです。批評の受け止めるべきところは受け止めますが、誤読・思い込みなどによる批評に対しては徹底的に反論しており、中には過激なことばもあって面白いです(たとえば、批評の中で本書のタイトルを誤って書いている人物に対しては、「本書のタイトルを間違えているのは、彼女の学問的水準を示す兆候である」(429-430頁)と批判しています。私も本の紹介をしているので気を付けなければ…。)。 以上、要点しか紹介できませんでしたが、全編通じて説得的な議論が展開されているように思われましたし、また訳もきわめて読みやすく、適宜訳注も挿入されていて、たいへん分かりやすく読み進めることができました。 これは良書だと思います。良い読書体験でした。(2022.12.17読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.02.11
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オスカー・ハレツキ(鶴島博和ほか訳)『ヨーロッパ史の時間と空間』~慶応義塾大学出版会、2002年~(Oscar Halecki, The Limits and Divisions of European History, Notre Dame, 1962 [初版New York, 1950]) 著者のオスカー・ハレツキ(1891-1973)はポーランドの歴史家。ワルシャワ大学を経てカナダのモントリオール大学やニューヨークのフォーダム大学で教鞭をとりました。 本書は、邦題どおり、ヨーロッパ史の時間的・空間的枠組みを定めることを目的としています。その意義をハレツキは、「境界と構成の問題は、それ自体で興味深い問題であるばかりでなく、歴史家に対して、データを体系的に整理するために必要不可欠な枠組みを提示するから」と、強調しています(191頁)。(なお、原題を直訳すると『ヨーロッパ史の境界と構成』。) 本書の構成は次のとおりです。―――地図序文(クリストファー・ドーソン)凡例はじめに第1章 ヨーロッパ史とはなにか第2章 時間的境界:(a)ヨーロッパ史の始まり第3章 時間的境界:(b)ヨーロッパ史の終焉第4章 空間的境界:(a)大洋、海域、島嶼、海峡第5章 空間的境界:(b)東部大地峡第6章 空間的構成:(a)西ヨーロッパと東ヨーロッパ第7章 空間的構成:(b)中央ヨーロッパの二重性第8章 時間的構成:(a)中世とルネサンス第9章 時間的構成:(b)近代史と現代史第10章 ヨーロッパ史の基本的諸問題訳注訳者代表あとがき年表索引――― 構成のとおり、前半でヨーロッパ史の境界を定め、後半でヨーロッパ史内部の構成を見ていきます。 ハレツキは、伝統的な「古代、中世、近代」という区分ではなく、地中海時代(いわゆる古代史に相当)、ヨーロッパ時代(いわゆる中世から近代)、大西洋時代(いわゆる近代以降)という区分を提唱し、それぞれは完全に断絶していくのではなく、次第に移り変わっていくという立場をとります。 空間的には(時代によりその境界は多少移り変わりますが)、ロシアは基本的にヨーロッパとはみなさない立場をとります。また、中央ヨーロッパの二重性という第7章の題からもうかがえるように、ヨーロッパ全体を4つ(西ヨーロッパ、中央ヨーロッパ西部、中央ヨーロッパ東部、東ヨーロッパ)に分けるという考え方を提示します。 刊行当時に読んだので、20年ぶりの再読。 ポミアン『ヨーロッパとは何か』を読んだので、同じくポーランドの歴史家ハレツキの本書を読み返そうと思った次第でした。 また本書は、大学2年生で無事に西洋史研究室に入れたとき、最初の英語購読で原著を読んだという、思い出深い著作です。固有名詞を調べまくったり、地図とにらめっこしながら読んだのを懐かしく思います。 本書は、同じく慶応義塾大学出版会から刊行されているラスカム『十二世紀ルネサンス』同様、詳細な訳注が付されていて、索引も事項、地名、人名で引けるようになっていて、非常に親切なつくりです。一点、たまたま気づいたのですが、訳注209(241頁)のレレヴェル(1786-1861年)について、「1930-1931年の対ロシア蜂起の際には…」以降は、別人の経歴が記載されてしまっているようです(誰かまでは不勉強で特定できず)。 ともあれ、詳細な訳注に理解を助けられながら、時代区分と空間の位置づけについて考えさせられる、勉強になる一冊とあらためて思います。(2022.11.16読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.02.05
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ジャン・ドリュモー(佐野泰雄ほか訳)『罪と恐れ―西欧における罪責意識の歴史/13世紀から18世紀―』~新評論、2004年~(Jean Delumeau, Le péché et la peur, Paris, 1983) 『恐怖心の歴史』(本ブログでの紹介記事未作成)に続く、ドリュモーによる恐怖論第2作。1200頁近い大著です。 ドリュモーの主要著作については、ジャン・ドリュモー(福田素子訳)『告白と許し―告解の困難、13-18世紀』言叢社、2000年の記事で簡単に触れていますので、ここではドリュモーの経歴について、訳者あとがきなどから簡単にメモしておきます。 ドリュモーは1923年6月18日にフランスの港町ナントに生まれ、高等師範学校などで学び、教職につきます。その後、パリ第一大学教授を経て、コレージュ・ド・フランス教授などを歴任します。 本書の構成は次のとおりです。―――日本語版への序文序 罪の文化史 第1部 ルネサンスの想死表現と悲観論第1章 現世の蔑視・人間の蔑視第2章 現世の蔑視から死の舞踏へ第3章 想死表現の曖昧さ第4章 罪の世界第5章 弱い人間 第2部 贖罪の破綻第6章 良心の糾明の仕上げ第7章 聴罪司祭の領分第8章 原罪第9章 地獄に堕とされる多数者と罪のシステム第10章 宗教的「気詰まり」 第3部 恐れの司牧術 カトリック諸国の場合第11章 司牧術の伝播第12章 「よく死を想え」第13章 彼岸の責め苦第14章 「ヤマネコの目」をした神第15章 「罪」とさまざまな罪第16章 禁欲生活というモデル第17章 告白を強要することの難しさ第18章 カトリックの司牧術〔活動〕。数量化の試み プロテスタント諸国の場合第19章 「汝、恐るべき言葉、永遠よ」第20章 プロテスタントとカトリックの司牧術の共通点第21章 終末論と運命予定結論原注訳者あとがき日本語版図版資料日本語版作品名索引日本語版人名索引――― まず、邦訳書1200頁にも及ぶ大著を訳された5名の訳者の方々に敬服します。 そして内容も、13-18世紀の説教や文学、絵画作品など様々なジャンルの、膨大な数の史料に裏付けられた論述となっています。 とてもそれぞれの章について紹介する力量はないので、気になったことなどをメモしておきます。 まず、第3部はカトリック諸国とプロテスタント諸国に関する議論で大きく2つに分かれますが、第20章の題からうかがえるように、著者は両者の違いではなく共通点を強調しているように思います。 そして、史料として主に用いられているのが説教ということで、時代はいわゆる近世~近代を扱っていますが、関心のある領域で、興味深く読みました。 少し残念だったのは、注の中で本書の一部を参照する際、きちんと邦訳書の頁を書いてくれている場合もあれば、原著のままの表記で、邦訳書では何ページに当たるのか分からない場合もある点です。また、原著にはない図版も豊富に掲載されているのは嬉しいのですが、プロテスタントに関する議論の中で13世紀のモザイク画が挙げられているのがやや疑問でした。 あまりに長いので、流し読みにならざるをえない部分もありましたが、とにもかくにも通読してみました。大罪に関する議論や説教史料の引用は自分の勉強にも大いに刺激になり、勉強になる一冊でした。(2022.11.13読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.02.04
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