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スウィフト(中野好夫訳)『ガリヴァ旅行記』~新潮文庫、1963年18刷改版~(Jonathan Swift, Gulliver’s Travels, 1726) ジャナサン・スウィフト(1667-1745)による有名な風刺文学です。 訳者の中野好夫さんは、英文学者・評論家。ネットで少し調べた程度ですが、「もはや戦後ではない」という有名な言葉は、中野さんが『文芸春秋』34-2(1956年)に寄稿した評論のタイトルと知り、また一つ勉強になりました。 さて、ガリヴァが小人の国を訪れる話はあまりにも有名ですが、原作はそれだけではありません。話が進むにつれて、風刺が強くなっていきます。 物語は、船医にして、次第に航海の知識も増え船長も務めることになるガリヴァの一人称で進みます。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「第1篇 リリパット(小人国)渡航記」漂流し、リリパット国の人々にとらわれたガリヴァですが、なんとか助けられ、その後はリリパット国と他国との戦争でリリパット国を助けるなど、活躍して行きます。しかし、ガリヴァのことを疎ましく思う人が現れて…。「第2篇 ブロブディンナグ(大人国)渡航記」漂流し、巨人たちのいるブロブディンナグに辿り着いたガリヴァは、農家の主人に助けられます。その娘に言葉を教わり、たいへん世話になりますが、しかし主人はガリヴァを見世物にして金儲けをします。そして、宮中に召し抱えられることになり…。「第3篇 ラピュタ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリッブ及び日本渡航記」漂流し、無人島に行きついたガリヴァは、飛ぶ島がおりてきて、そこから下りてきた人間に助けを求めます。そして、飛ぶ島であるラピュタと、その下界領土のバルニバービ、そして自国に帰るため、日本を経由するまでにいくつかの国を訪問します。「第4篇 フウイヌム国渡航記」言葉を喋る馬のようなフウイヌムの住む国に行きついたガリヴァですが、そこでは人に似たヤフーという生き物は理性も無く、その他の動物に嫌悪される存在でした。そこで暮らすうちに、欺瞞も虚栄もないフウイヌムのあり方を尊敬していきます。――― ガリヴァが飛島と呼ぶラピュタが登場するのも勉強になりました。研究に入り浸り、実現可能性のない学士院のトンデモ研究の描写など、風刺も強いです。 最も風刺的で印象的だったのはフウイヌム国でした。人間より馬の方がずっと立派じゃないか、とガリヴァは思い、ある事情でフウイヌム国をあとにした後の人間への見方ががらっと変わってしまいます。 印象的な言葉は数多いですが、一つメモしておきます。「いっさい人間の任用に当っては、才能よりも徳性に重きを置く。つまり政治ということがどうしても人間にとって必要なものである以上、普通程度の知能さえあればたいていの仕事は結構できる……それに反して徳義の欠乏はとうてい知能の優秀さなどで補えるものではないから、そういった危険な人間の手に公職を委ねるなどはもっての外である」(63頁)。 300年近く前にイギリスで書かれた物語ですが、現代日本にも通じるような風刺が盛りだくさんで、興味深く読みました。(2024.12.05再読)・海外の作家一覧へ
2025.02.23
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高田崇史『QED 恵比寿の漂流』~講談社ノベルス、2025年~ QEDシリーズ最新の長編です。 北九州の神社をめぐる予定だった桑原崇さんと棚旗奈々さんは、ある神社で得た情報により、急遽対馬行きを決めます。 対馬の様々な神社で、安曇磯良、隼人などとのかかわりについて確信を強めていく2人。奈々さんが口にした恵比寿との関わりとは…。 一方その頃、対馬では、首を切断された死体が流れ着くという事件が相次いで起こっていました。 身元を隠そうという意図も感じられないのに、被害者はなぜ首を切られていたのか…。 作中の時間でいえば、初期の事件からもう15年が経っているとのこと。なんだか感慨深くなります。 今回も、歴史をめぐる謎(今回は竜宮城伝説もからみます)も、事件をめぐる謎も興味深く読みました。(2025.02.13読了)・た行の作家一覧へ
2025.02.22
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佐藤彰一『ヨーロッパ中世をめぐる問い―過去を理解するとは何か―』~山川出版社、2024年~ 著者の佐藤彰一先生は名古屋大学名誉教授で、主に初期中世史をご専門とされています。 本ブログでは、次の著作を紹介したことがあります。・佐藤彰一『中世世界とは何か(ヨーロッパの中世1)』岩波書店、2008年・佐藤彰一『禁欲のヨーロッパ―修道院の起源―』中公新書、2014年・佐藤彰一『贖罪のヨーロッパ―中世修道院の祈りと書物―』中公新書、2016年・佐藤彰一『剣と清貧のヨーロッパ―中世の騎士修道会と托鉢修道会―』中公新書、2017年・佐藤彰一『宣教のヨーロッパ―大航海時代のイエズス会と托鉢修道会―』中公新書、2018年・佐藤彰一『歴史探究のヨーロッパ―修道制を駆逐する啓蒙主義―』中公新書、2019年 さて、本書は、2001年以降に佐藤先生がなさった講演や学会などでの報告に加え、コラムとして博士号取得論文出版時の寄稿文を収録した、いわば講演集です。 本書の構成は次のとおりです(参考として、講演・報告年を併記)―――はじめに第1章 5~7世紀のシリア人商人問題[2011]第2章 西洋中世史の解決すべきいくつかの大きな問題[2009]第3章 メロヴィング国家論[2008]第4章 メロヴィング王朝の婚姻戦略[2003]コラム トゥールの会計文書第5章 西欧中世初期国家における「フィスクス」とその変遷[2006]第6章 メロヴィング朝文書の刑罰条項とその意味[2009]第7章 西ゴート期スレート文書の歴史的コンテクスト[2003]第8章 ヨーロッパ中世の封建制と国家[2008]第9章 12世紀ルネサンス論再考[2008]第10章 学知とその社会的還元[2009]第11章 19世紀フランスの歴史学と歴史教育[2009]第12章 日本における西洋中世史研究の展開[2005]第13章 戦間期日本において西洋中世史家であること―鈴木成高の場合[2001]おわりに参考文献――― 第1章は、4世紀から西欧に進出し、7世紀には史料から言及が消えるシリア人について、西欧への進出理由と6世紀から居留区の衰退が顕著となっていく原因について、シリア地方の研究を参照しつつ明らかにする興味深い報告。 第2章は最終講義をもとにした文章で、(1)ヨーロッパ草原地帯の定住と国家形成、(2)バルカン半島の歴史、(3)古代から初期中世への移行問題、(4)中世における古代ギリシア思想の伝播問題にまつわる現状の研究動向と今後明らかにすべき課題を提示します。 第3章は、近代的国家観を中世に当てはめるのではなく、ゲッツが提唱するように「それぞれの時代に固有の秩序に基づく、時代に特有の公権力の存在幼体を手がかりに構想」(35頁)することで、中世に独自の国家概念を構築する試みで、メロヴィング国家の特徴を指摘します。 第4章は第3章で提示した論点のうち、婚姻戦略(族外婚から、それが困難になると下層出自の女性との部内婚へ)について詳細に論じ、社会情勢に応じて国家としての自己維持に努めていたことを指摘する興味深い論考。 コラムは大著『修道院と農民』刊行時の寄稿文で、新史料の発見とその意義を語ります。 第5章・第6章は、中世初期国家の財政機構「フィスクス」の概要と、その関連で刑罰条項の意味を明らかにします。 第7章は、スペインにまとまって残っている、西ゴート期の粘板岩(スレート)に刻まれた文書に関する考察。 第8章は、スーザン・レイノルズによる封建制批判の紹介と、封建制概念をめぐる諸研究の動向を論じます。何度かこのブログでふれていますが、レイノルズの極端な主張については、森本芳樹『比較史の道―ヨーロッパ中世から広い世界へ―』創文社、2004年、第10章「封建制概念の現在―第2回日英歴史家会議に向けて―」も参考になります。 第9章は、イデオロギー的な叙述から物議をかもしたシルヴァン・グーゲネム『モン・サン・ミシェルのアリストテレス』を詳細に紹介した上でし、イデオロギー的な叙述には批判を加えつつも、西欧において古代ギリシア思想が受け継がれていたという論点など、評価すべき点は評価しています。この問題は、第2章で提示された、今後解明が望まれる論点でもあります。 第9章までが、中世史の様々な論点についての議論であったのに対して、第10章以後は、歴史学の営みについての議論です。 第10章は、履修する学生をもたず、一般聴講者に講義を行うコレージュ・ド・フランスについて、その成立の歴史、教育内容、組織などの概要を紹介している興味深い章でした。とりわけ、末尾における、日本のカルチャー・センターでは「高い学術的内容を盛り込むことを、企画する側から制約される」(169頁)傾向があるのに対して、コレージュ・ド・フランスでは特殊な概念や言葉遣いを制約せず、高度な議論をそのまま用いているという、両者の聴衆のあり方の違いにまで話が及んでいて、こちらも大変興味深いです。 第11章は、章題どおり19世紀フランスの歴史学のあり方について、後にアナール学派に批判される「方法学派」の意義を再考します。 第12章・第13章は、戦間期までの日本の西洋中世史家に焦点を当てます。第12章は、明治維新以後の第3世代頃の歴史家までの概観、第13章はフランスでの講演を基にしており、佐藤先生の師でいらっしゃる鈴木成高先生の業績を論じます。両章で面白かったのは、初期帝国大学では外国人教授がそのまま外国語で講義を行っていたため、学生の語学力も現在より高かったであろうという指摘です。あらためて、自身の語学力のなさを反省する次第でした。 以上、講演・報告をもとにしているため、「です・ます体」で書かれていることもあり読みやすく、また内容も勉強になり、大変興味深い講演集でした。(2025.02.13読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2025.02.16
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碧野圭『菜の花食堂のささやかな事件簿』~だいわ文庫、2016年~ 菜の花食堂の店主で、料理教室も開催している下河辺靖子先生と、ある出来事がきっかけで先生の助手をつとめることになった館林優希さんが活躍するシリーズの第1弾。 料理教室の生徒さんたちが抱える悩みなどを解決する、「日常の謎」系のミステリです。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「はちみつはささやく」家庭的な料理を食べたいという彼氏の言葉をきっかけに料理教室に通うようになった香奈さんが突然欠席し始めます。一方優希さんは、香奈さんの彼氏が、女性と食事をしているところを目撃。その後「菜の花食堂」を訪れた香奈さんは、彼氏に料理を振舞ってから様子が変わってしまったと言いますが…。「茄子は覚えている」唯一の男性の生徒、寺島さんと直売所でばったり出会った優希さん。苦手だったけれど、妻が作ってくれた茄子の揚げ浸しに感動したという彼の言葉に、次の教室のテーマは茄子に決定。けれど、どうしても思った味にならないようで…。「ケーキに罪はない」優希さんが「菜の花食堂」に通い始るきっかけとなった、先輩の退職時のケーキをめぐる事件と、優希さんに悪意を抱く元同僚の物語。偶然再会してしまった元同僚は、優希さんから、話の流れから「菜の花食堂」のことを聞き出して…。「小豆は知っている」料理教室一番のおしゃべり、村田さんがとつぜん教室を欠席。その後たまたま出会った村田さんは、顔にあざができていて…。「ゴボウは主張する」子持ちの友人たちと教室に通いながら、しかしふとしたときに輪に入れない八木さん。ある日、いつものように友人たちの子供を公園で見守っていると、ふとした隙に子供の一人がいなくなっていて…。「チョコレートの願い」靖子先生のもとに遠く離れた場所で暮らす娘から届いた荷物の意味とは…。――― 冒頭2編は、少しすれ違いがありつつも、ほっとできるお話ですが、第3話・第5話はやりきれないものを感じるお話です。特に第5話は、ある人物たちに腹立たしくなりますが、しかしそこが突っ込まれないというもどかしさを感じてしまいました(私の心が狭いのか)。 料理教室の定番メンバーが力を合わせていく最終話では、前向きな気持ちにもなれます。 第二作以降も読んでいこうと思います。(2024.11.21読了)・あ行の作家一覧へ
2025.02.15
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ソポクレス(藤沢令夫訳)『オイディプス王』~岩波文庫、1999年第55刷改版~ エディプス・コンプレックスの語源でもある、あまりにも有名なギリシア悲劇作品です。 テバイの王、ライオスは、自分が自身の子により殺されるとの神託を受けて、生後間もない子の両方のくるぶしを刺し貫き、人手に託して山奥に捨てさせましたが、のちに三筋の道の交わるところで殺害されます。 一方、自分が父を殺し母と交わるとの神託を受け、コリントの父母のもとを離れ放浪の旅に出たオイディプスは、テバイをおそうスフィンクスの謎を解き、まちを救ってライオス亡きテバイの王に即位します。 しかし、その後もテバイは災厄が続き、前王ライオスを殺害した者を罰せよとの神託が出ます。 災厄を打破するため、盲目の予言者テイレシアスを呼びつけたオイディプスですが、自分自身がライオスを殺したとの予言者の言葉に激怒します。しかし、妻(=前王の妃)イオカステや、コリントの使者たちの言葉を聞くうちに、恐ろしい運命に気付き始め…。 話の真相自体は有名ですが、あらためてこの作品を読むと、その真相に至る過程のオイディプスやイオカステたちの心の動きがたくみに描かれていることに気付かされます。オイディプスに呼ばれ、真相を知っているがゆえに答えを拒もうとするテイレシアスとオイディプスのやりとりなどなど、読んでいてやりきれない気持ちになる場面の連続でした。まさに悲劇です。 訳者解説も大変興味深く、特にアイスキュロスによる『オイディプス』劇との比較や、アリストテレスによる批評の詳細な分析、そして1881年ハーヴァード大学で行われた完全上演の様子の紹介などが印象的でした。(2024.11.19再読)・西洋史関連(史料)一覧へ
2025.02.08
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マーク・トウェイン(大久保康雄訳)『トム・ソーヤーの冒険』~新潮文庫、1987年53刷改版~(Mark Twain, The Adventures of Tom Sawyer, 1876) マーク・トウェイン(本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズSamuel Langhorne Clemens)による、あまりにも有名な物語ですが、ちゃんと読んだのは今回が初めてです。 いたずらっこのトム・ソーヤーは、弟のシッドたちと、ポリー伯母さんのところで暮らしていました。 伯母さんに叱られながらも、何度もいたずらをしたり、友達からはうまい取引をして聖書暗唱のカードをどんどん集めては、暗唱がうまくいかないのがバレてしまったり。近所に引っ越してきた少女、ベッキーへの恋や、学校では付き合わないよう言われているハックルベリー・フィンとの友情など、トムを取り巻く日常が描かれます。 ハックとジョーと3人で海賊になり、無人島で暮らしたり、墓地での冒険である殺人事件の目撃者になったり、山賊になって宝探しをしたり…と、いくつか大きなイベント(?)もあり、ずっと楽しく読み進められます。 訳文も楽しく、読みやすいです。たとえば、学校を仮病で休もうと思い立ったとき。「病気になれば学校へ行かないで家にいることができる。……彼は体をしらべてみた。どこにも異常はなかった。トムは、もう一度しらべてみた。今後は腹痛を起こしそうな徴候を感じたので、大いに期待して待ってみたが、まもなくその徴候は薄らぎ、やがて完全に消えてしまった」(58頁)。なんとなくだるい朝のあの気持ちが楽しく描かれています。 世間風刺のような言い回しも好みでした。「伝統的な習慣というものは、それを正当化する理由が薄弱であれば薄弱なほど、それだけ深く根をおろすものだ」(53頁)。いろんな組織やなんかの謎習慣を思い浮かべます。また、「気まぐれで不合理な世間は、手のひらを返すように……前にいじめたと同じくらいいたわった」(220頁)も、うわさに振り回される人々の姿をそのまま描いている分、下手な批判よりもずっと心に刺さるように感じました。 これは面白かったです。良い読書体験でした。(2024.11.17読了)・海外の作家一覧へ
2025.02.01
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