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碧野圭『菜の花食堂のささやかな事件簿 金柑はひそやかに香る』~だいわ文庫、2018年~ 菜の花食堂の店主で、料理教室も開催している下河辺靖子先生と、先生の助手をつとめる館林優希さんが活躍するシリーズの第3弾。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「小松菜の困惑」瓶詰をマルシェで販売することが決まった頃、香奈さんは彼氏のことで悩んでいました。香奈さんがお弁当を作るのを、彼氏が嫌がっているようなのですが、原因が分からずに…。「カリフラワーの決意」優希さんは、派遣の仕事と菜の花食堂の手伝いの両立で心が揺らいでいました。一方、いよいよ迎えたマルシェの日、瓶詰の酢だけをほしいと少女が頼んできた理由とは。「のらぼう菜は試みる」菜の花食堂の野菜の仕入れ先、農家の保田さんは、経営するアパートの隣に開いている無人販売所で、お金が多く残されていることを気にしていました。先生が明かすその理由とは。「金柑はひそやかに香る」優希さんのアパートの隣室に引っ越してきた男性の部屋から、異臭がするといいます。その頃、ニュースではアパートでの監禁事件も報じられていました。優希さんの身を案じた先生たちは、隣人との接触を試みることになるのですが…。「菜の花は語る」先生は、なぜ自分のお店に菜の花食堂という名前をつけたのか。先生は開店記念日も覚えていないといいますが、開店25周年を前に、優希さんは考えをめぐらせます。――― 今作も面白かったです。どのお話もビター感がほぼなく、安心して読めます。 特に好みだったのは「のらぼう菜は試みる」。誰も傷つかないのがほっとします。 今作は、優希さんに大きな変化が訪れます。最終話での優希さんのいらだちも印象的でした。 これからの展開がますます楽しみになる一冊です。(2025.05.09読了)・あ行の作家一覧へ
2025.07.27
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碧野圭『菜の花食堂のささやかな事件簿 きゅうりには絶好の日』~だいわ文庫、2017年~ 菜の花食堂の店主で、料理教室も開催している下河辺靖子先生と、先生の助手をつとめる館林優希さんが活躍するシリーズの第2弾。 それでは、簡単に内容紹介と感想を。―――「きゅうりには絶好の日」料理教室の生徒、瀬川さんは、いつ見ても駐輪場にある赤い自転車が、人にぶつかりそうな場面に遭遇したといいます。しかしその直後、駐輪場にはやはりその自転車がとまっていて…。「ズッキーニは思い出す」父子家庭で育った牧さんは、こどもの頃におばさんが作ってくれたお弁当が大好きでした。その話を聞いた帰り、牧さんのおばさんに出会った優希さんは、彼女から、牧さんの母親が重い病気であることを告げられます。母親を忘れようとする牧さんの気持ちを動かすために、先生が考えた方法とは。「カレーは訴える」地域のイベント「野川マルシェ」主催者の川崎さんと知り合い、出店を依頼された菜の花食堂。カレーを販売しましたが、朝から、慌てたようにルーだけを購入した客に、先生は何か気付いたようで…。「偽りのウド」ウド室のある農家、大倉さんのリクエストで、ウドを料理教室の食材として扱った後。たまたまインターネットでウドのレシピを検索した優希さんは、料理教室のレシピが掲載されているのを発見して…。「ピクルスの絆」香奈さんが菜の花食堂に弟子入りを依頼します。その頃、特別に料理教室の開催をお願いしてきた小島さんが、遺言状をめぐる謎について相談を持ち掛けてくるのですが…。――― 第1巻はビターな話もいくつかありましたが、今作は比較的マイルドな印象で、私は、より安心して読むことができました。 特に印象的だったのは「ズッキーニは思い出す」。これは、うっかり外で読んでいると危ういことになるところでした。また、「カレーは訴える」は、事件(?)の解決がとても前向きで、こちらも好みでした。 香奈さんが弟子入り志願したり、瓶詰の販売に向けて動き始めたりと、短編集でありながら、少しずつ物語も進んでいき、今後の行方がますます楽しみになります。(2025.05.05読了)・あ行の作家一覧へ
2025.07.26
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甚野尚志/踊共二(編)『キリスト教から読み解くヨーロッパ史』~ミネルヴァ書房、2025年~ 堀越宏一/甚野尚志編『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』ミネルヴァ書房、2013年でも、編者はその書名ではイメージが伝わりにくいと冒頭で断っていますが、本書についても(甚野先生はいずれの編者でいらっしゃいます)、書名について断りがあります。 この書名からは、「従来の通史的なキリスト教史の概説」が想像されますが、「中近世ヨーロッパのキリスト教に関する重要な問題について、現在どのように理解されているのか、それによりヨーロッパ史の理解がどのように変わって来たのかを提示すること」(1頁)が本書の意図であると示されます。 本書の構成は次のとおりです。―――序章 甚野尚志・踊共二「キリスト教史がわかればヨーロッパ史がわかる」コラム1 印出忠夫「古代の密儀宗教」第1章 三浦清美「キリスト教の東と西」コラム2 中谷功治「イコノクラスム」第2章 甚野尚志「罪と贖罪」コラム3 齋藤敬之「瀆神」第3章 鈴木喜晴「禁欲と戒律―修道院」コラム4 石黒盛久「修道制と人文主義」第4章 後藤里菜「正統と異端」コラム5 佐々木博光「中世のユダヤ人迫害」第5章 多田哲「聖人と奇跡」コラム6 小林亜沙美「列聖」第6章 関哲行「巡礼―中近世スペインのサンティアゴ巡礼」コラム7 辻明日香「東方のキリスト教世界」第7章 加藤喜之「聖書―聖なるモノ、俗なるコトバ」コラム8 岡田勇督「メシアとキリスト」第8章 皆川卓「戦争と平和」コラム9 黒田祐我「レコンキスタ」第9章 踊共二「宗教改革」コラム10 坂野正則「近世のカトリシズム」第10章 小林繁子「魔女迫害とキリスト教」コラム11 黒川正剛「教会とジェンダー」第11章 安平弦司「寛容と多様性―思想・統治戦略・生存戦略」コラム12 押尾高志「「隠れムスリム」の世界」あとがき人名・事項索引執筆者紹介――― 初期から現代までのキリスト教の概観を示しながら本書各章の概要を紹介する序章に続き、ある程度時代の流れに沿いながら、テーマごとに見ていく本論が続きます。また、序章を含む各章のうしろには、その章に関連する4頁ほどのコラムがあります。 概説書であり、内容も多岐にわたるので、印象的だった点のみメモしておきます。 第1章では、心理学者ユングによる「ヨブ記」の解釈が紹介されていて興味深いです、 コラム2は、聖像破壊=イコノクラスムは、「イコン支持派が作り上げた神話に近いもの」とまで述べる学者の見解が紹介されています。イコノクラスムについては、以前紹介した図師宣忠/中村敦子/西岡健司(編)『史料と旅する中世ヨーロッパ』ミネルヴァ書房、2025年所収小林功「イコノクラスムのはじまりとレオン3世―8世紀のビザンツ帝国をとりまく世界―」でも論じられていて、あわせて読むとさらに勉強になります。 第2章は初期中世から宗教改革期までの贖罪・告解制度の概観。 コラム3は「罰当たりな言動」=瀆神を扱う面白いコラム。 第3章では、西方修道制の象徴となる『ベネディクトゥスの戒律』について、ベネディクトクス自身についての史料の沈黙(グレゴリウス大教皇『対話』が唯一の史料)が奇妙であると問題提起し、その戒律普及の過程に関する興味深い考え方が提示される部分が興味深いです。 第4章は、異端への暴力を正当化する根拠とされるアウグスティヌス『神の国』の記述について、アウグスティヌスの置かれた時代背景をもって理解すべきと説きます。 第5章は、それまで様々なジャンルの著作に収録されていた聖人の奇跡について、9世紀にはもっぱら奇跡のみを集めた奇跡伝というジャンルが確立したことを指摘します。 コラム6は古代から中世中期までの、列聖手続きの変遷を概観しており分かりやすいです。 第6章は、スペインのサンティアゴ巡礼を中心とした、巡礼についての概観。 コラム7では、「イスラーム世界」という表現の是非を問う議論が紹介されていて興味深いです。 ここまでの章が初期中世から盛期中世までを主に扱う中世末期以降を主に扱うのに対して、第7章以降は、中世末期以後を中心に扱います。 第7章は、モノとしての聖書を扱います。中世において権威であった「ウルガタ」=ラテン語訳聖書について、原語のギリシア語などと比較しその誤りを正そうとしたヴァッラの仕事と、彼を教皇ニコラス5世が支援していたというエピソードや、その後の聖書の俗語訳をめぐる流れなど、非常に興味深く読みました。 第8章は、そのテーマである戦争と平和をめぐり、宗教や国家の関係から見ていきます。 第9章は、宗教改革におけるルターの革新性を、ルター以前からの流れも追うことでやや相対化しつつ、各地の宗教改革の流れを追っていて、こちらも勉強になりました。 第10章では、「不当な裁判が横行することもまた、支配者にとって決して容認できないことだった」(242頁)とし、魔女裁判の行き過ぎを抑制する世俗支配者のあり方を指摘している点が興味深いです。 関連するコラム11は、魔女裁判をジェンダーの観点から読み解きます。 第11章では、カトリックとプロテスタントなど異宗派間の交流が日常生活上ではあったことを指摘し、フライホフという研究者による「日常生活のエキュメニシティ」という表現を引いています。 個人的な覚えになってしまいましたが、どの章も興味深く、私が専門に勉強している時代よりも後の時代を扱った第7章以降も大変勉強になりました。(2025.05.24読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2025.07.20
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小杉泰『イスラームとは何か―その宗教・社会・文化―』~講談社現代新書、1994年~ 著者の小杉泰先生は2024年度現在で立命館大学立命館アジア・日本研究所所長(本書執筆当時は国際大学大学院国際研究学研究科助教授)で、ご専門はイスラーム学、中東地域研究でいらっしゃいます。 本書の構成は次のとおりです。―――序 「イスラーム」の発見へ第1章 新しい宗教の誕生第2章 啓典と教義第3章 共同体と社会生活第4章 第二の啓典ハディース(預言者言行録)第5章 知識の担い手たちと国家第6章 神を求める二つの道第7章 スンナ派とシーア派第8章 黄金期のイスラーム世界第9章 現代世界とイスラームあとがき――― 20年ぶりくらいの再読ですが、はじめて読んだときから、序に記載の、教えそのものを「イスラーム」というため、「イスラーム教」というと屋上屋を架す感が強く、「イスラーム」と「教」を付けずにいうのが一般的という指摘が印象的でした。 第1章はムハンマド誕生前夜のアラビアの状況、ムハンマドの生活と啓示、マッカ(メッカ)からマディーナ(メディナ)への聖遷(ヒジュラ)などが概観されます。ここでは、啓示を受けて恐怖に震えるムハンマドを励ました妻のハディージャがいとこのキリスト教徒に相談にのってもらったというエピソード(30頁)が興味深かったです。 第2章はクルアーンの教えの概要など、イスラームの教義を概観します。本章では、当初はイスラームを嫌っていたウマル(後の第2代正統カリフ)が入信するエピソードが印象的でした(52-53頁)。また、クルアーンの教えを4つに大別して図示した60頁も便利です。 第3章は礼拝や、結婚などの社会生活についての概観した上で、ムハンマドの死から正統カリフ時代までを描きます。 第4章はムハンマドの言行を伝えるハディースについて。著者による脚色もあるとのことですが、膨大なハディースを記憶していたブハーリーに関する逸話(120-121頁)が興味深かったです。 第5章は、知識の担い手が社会で果たした役割について。いわゆる宗教学者であるウラマーと、共同体(ウンマ)の合意が物事を決定していく点について、コーヒーをめぐる事例が興味深かったです。ウラマーは、コーヒーを許されない飲料と考えましたが、共同体はそれにかまわずコーヒー文化を発達させ、ついに合法になった(155頁)という指摘(タバコも同様)は、合意のあり方を示す印象的なエピソードと思われます。また、「筆の人」であるウラマーは、「剣の人」である統治者などと、「職の人」である一般信徒のあいだで天秤のようにバランスをとる存在であるという指摘(171頁の図も分かりやすい)からは、「祈る人、戦う人、働く人」という中世ヨーロッパの3身分論を連想し、こちらも興味深く読みました。 第6章は神学と神秘主義について、第7章はイスラーム全体としては少数派(ではあるが一つの国家に着目した場合、その国では多数派である場合も)であるシーア派と、多数派のスンナ派について論じます。239頁にはスンナ派とシーア派の主要な特徴を対比的に示した図があり便利です。 第8章はやや通史的にイスラーム国家の発展を概観し、第9章は現代の現状と諸課題を論じます。とりわけ、中東問題に関する議論の中で、宗教問題と民族問題が複雑にからみあっているという指摘はあらためて認識しておきたいポイントです。 久々の再読でしたが、興味深い指摘も多く、また上で何度か言及したように適宜分かりやすく整理した図表も掲載されていて、勉強になる1冊です。(2025.04.17再読)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2025.07.19
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図師宣忠/中村敦子/西岡健司(編)『史料と旅する中世ヨーロッパ』~ミネルヴァ書房、2025年~ 本書は、高校世界史の教科書や概説書で記述される通説の裏にある、「史料を分析し、議論を通じて歴史像を作りあげてきた歴史家たちの積み重ね」(2頁)に焦点を当て、いくつかのテーマを取り上げて通説と史料の読解を提示する興味深い1冊です。 各章は、「概説」「史料と読み解き」「ワーク」で構成されています。まず、教科書などの記述を具体的に見て通説を確認し、次いでそのテーマに関する主要史料の確認と具体的な読み解きを試み、さいごにさらなる学びに向けて「ワーク」として課題を提示するという、分かりやすい構成です。 編者の1人、図師先生については、以下の著作を紹介したことがあります。・図師宣忠『エーコ『薔薇の名前』―迷宮をめぐる<はてしない物語―』慶応義塾大学出版会、2021年 前置きが長くなりましたが、本書の構成は次のとおりです。――― 序章 図師宣忠・中村敦子・西岡健司「史料を紐解き、過去の世界に旅しよう」第1部 権威と統治 第1章 中村敦子「王は「強かった」のか?―ノルマン征服とウィリアム征服王―」 第2章 小林功「イコノクラスムのはじまりとレオン3世―8世紀のビザンツ帝国をとりまく世界―」 第3章 藤井真生「聖性・儀礼・象徴―中世後期チェコの国王戴冠式式次第より―」 史料への扉1 松本涼「アイスランド・サガ―過去の真実を物語る」 史料への扉2 上柿智生「史料としてのビザンツ文学」第2部 教会と社会 第4章 西岡健司「辺境にみる西欧カトリック世界―13世紀スコットランドの一証書を通して―」 第5章 図師宣忠「正統と異端のはざまで―南フランスの異端審問記録にみる信仰のかたち―」 第6章 轟木広太郎「魔女裁判って中世ですよね?―例話集にみる魔術と悪魔―」 第7章 櫻井康人「「十字軍」とは何か?―12世紀の公会議・教会会議決議録より―」 史料への扉3 中田恵理子「社会を通して大学を、大学を通して社会を読む」第3部 都市と農村 第8章 青谷秀紀「都市と領主の付き合い方―中世のフランドル地方をめぐって―」 第9章 佐藤公美「つながり合う都市―ロンバルディア同盟にみる「都市同盟」の意味―」 第10章 髙田京比子「都市と農村のあいだ―北イタリア・バッサーノの条例集にみる自治―」 第11章 田中俊之「抑圧された農民?―中世ドイツの農村社会―」 史料への扉4 高田良太「公証人記録―名もなき人々の生きた痕跡を探る―」付録 中世ヨーロッパに関する史料の和訳図書リスト索引執筆者紹介――― 第1章は、王の権力とはなにか、という問題を取り上げ、証書史料の証人リストの存在から、「強力な王権」といわれる王も自由に物事を決定できたわけではなく、複数の有力者の承認が必要であったことを指摘します。 第2章は2つの歴史書を比較し、イコノクラスム(聖像破壊)の実態に迫ろうとします。 第3章は戴冠式の式次第を史料として、聖性・儀礼・象徴の一端を明らかにします。 第4章は、スコットランドで生じた争いに関する証書史料を取り上げ、教会や修道院の状況をみます。 第5章は、エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリによる『モンタイユー』でも主要史料とされる、ジャック・フルニエによる異端審問記録の分析から、異端とされた人々の考え方や、異端審問者たちの手続きを論じます。 第6章はタイトルが挑戦的で好みですが、魔女裁判の最盛期は16世紀後半から17世紀前半にかけて、つまり近世的な出来事であることを冒頭で指摘し、また中世では魔術を行う人は寛容に扱われていたと述べた上で、ハイステルバハのカエサリウスによる例話集『奇跡についての対話』を史料として、中世における悪魔・魔術への態度をみます。ここでは、聖職者が悪魔を呼び出す例話も紹介されていて、興味深く読みました。(この例話集については、たとえばVictoria Smirnova, Marie Anne Polo de Beaulieu and Jacques Berlioz (eds.), The Art of Cistercian Persuasion in the Middle Ages and Beyound. Caesarius of Heisterbach's Dialogus on Miracles and its Reception, Leiden-Boston, Brill, 2015の記事を参照)。 第7章は、公会議・教会会議の史料から、十字軍の本質、目的と対象を指摘します。その本質を「贖罪」とする点や、聖地十字軍と非聖地十字軍が同列に扱われたわけではないとする指摘を史料から導く鮮やかさが印象的です。 第8章以下は、都市と領主、都市と農村、農民と領主の関係などを扱います。編年誌からフランドル地方の都市・君主間の関係などをみる第8章、ロンバルディア同盟とハンザ同盟が教科書では同列的に扱われるが、実際はどうかをロンバルディア同盟に着目して論じ、また多くの問題提起を行い歴史研究の奥深さを示す第9章、条例を史料として都市・農村間の関係と都市の自治のあり方を論じる第10章、様々な史料から農民の主体的な行動を明らかにする第11章と、いずれも興味深く読みました。(序章でも、各章の難易度は一様ではないと指摘されていますが、やや難度が高めの章が多い印象でした。) 4つの「史料への扉」は、それぞれ記載の史料に関するコラム。 付録の、邦訳史料一覧も大変便利です。 最新の教科書での通説や、歴史学の営みの一端に触れられる興味深い1冊です。(2025.04.25読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2025.07.13
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西洋中世学会『西洋中世研究』4~知泉書館、2012年~ 西洋中世学会が毎年刊行する雑誌『西洋中世研究』のバックナンバーの紹介です。 第4号の構成は次の通りです。―――【特集】天使たちの中世<序文>池上俊一「天使たちの中世」<論文>稲垣良典「天使の存在論」池上俊一「天使の訪れ」金沢百枝「天使の肉体―天使イメージの変遷と天使崇敬―」山本成生「天上と地上のインターフェイス―奏音天使の学際的素描―」村松真理子「「天使のような貴婦人」の系譜―シチリア派、清新体派からベアトリーチェの誕生まで―」池上英洋「天使的イメージとルネサンス・ネオ・プラトニズム―レオナルドにみる錬金術とグノーシス主義―」【論文】杉山博昭「隠された実母―『モーセとエジプト王ファラオの聖史劇』に投影された社会的関心―」河野雄一「中世の継承者としてのエラスムス:1520年代の論争を通して」【講演】Lester K. Little, “Plague in the European Middle Ages”山本成生・後藤里菜「レスター・リトル氏講演会 報告と感想記」【新刊紹介】【彙報】赤江雄一ほか「2011年度若手支援セミナー報告記」伊藤博明「シンポジウム「中世とルネサンス―継続/断絶』要旨」――― 今号の特集は天使。池上先生による序文は収録論文の概観と天使研究の意義を指摘します。 稲垣論文は、哲学の観点から、トマス・アクィナス『神学大全』などの史料により天使の存在に関する議論をたどります(私には難解でした)。 池上俊一論文は、歴史学の観点から、種々の史料に基づきながら、天使の姿、役割の諸相を論じます。 金沢論文は美術の観点から、肉体を持たないはずの天使がいかに描かれてきたかをたどります。スフィンクスのような聖獣から有翼人像への移行、またケルビムとセラフィムが混同される図像など、興味深いです。 山本論文は、音楽の観点から、楽器を奏でる「奏楽天使」の図像分析を中心に、その役割を指摘します。 村松論文は、文学の観点から、ダンテの作品などを史料として、「天使のよう」と形容される貴婦人について論じます。 池上英洋論文はルネサンス芸術の観点から、グノーシス主義の受容から、君主が両性具有的に描かれる図像の分析を通して、完全性の表現が意図されていたことを指摘する興味深い論考。 杉山論文は、モーセを扱う聖史劇の分析から、モーセの実母が巧みに隠されていたことなどを指摘し、その効果・意義を指摘します。 河野論文は、先行研究において様々な位置づけをなされてきたエラスムスの諸著作の分析を通じて、カトリックだけでなく宗教改革者とも論争をしていたことを指摘し、その思想・立場の意義を論じます。 講演の部では、2012年3月4日開催の講演会における、Littleの(おそらく)講演原稿と、その報告・感想記を掲載。Little論考は中世ペストについて、先行研究のペスト論が誤解を招くこと(中世特有と論じられがちだったが、実際には18世紀まで断続的に続いたことを指摘)、従来重視されてこなかった初期中世のペストへの当時の対応、そして近現代におけるペスト菌の発見などを概観し、ペスト研究を再考します。山本・後藤両先生の報告・感想記は、当該講演会とリトル報告の状況・概要を明快にまとめています。 新刊紹介は39冊の欧語文献を紹介。赤江先生が紹介しているBynum, Christian MaterialityとŞenocak, The Poor and the Perfectの2冊が気になります。また、記事は書けていませんが、Jacques Berlioz, Pascal Collomb et Marie Anne Polo de Beaulieu (dir.), Le tonnerre des exemples. Exempla et mediation culturelle dans l'Occident medieval, Presses Universitaires de Rennes, 2010でも大きく取り上げられている、Ci nous ditという史料について紹介する文献も今号では紹介されていて(小林先生による紹介)、こちらも気になりました。 彙報は、第4回シンポジウムと、ポスターセッションなどが行われた2011年度若手支援セミナーの概要報告の2本です。(2025.04.09再読)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2025.07.12
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Victoria Smirnova, Marie Anne Polo de Beaulieu and Jacques Berlioz (eds.), The Art of Cistercian Persuasion in the Middle Ages and Beyound. Caesarius of Heisterbach's Dialogus on Miracles and its Reception, Leiden-Boston, Brill, 2015 編者の1人、ヴィクトリア・スミルノヴァは、2006年にモスクワ大学で博士号を取得し、近年はバイエルン州立図書館研究員などをつとめている研究者で、本書の主題となるシトー会士ハイステルバハのカエサリウス(c.1180-1240)による著名な例話集『奇跡についての対話』についての論考を多数発表しています。(この例話集に関して、本ブログでは最近、次の書籍の紹介を記事にしました。ヘルマン・ヘッセ(林部圭一訳)『ヘッセの中世説話集』白水社、1994年) またマリ・アンヌ・ポロ・ド・ボーリューとジャック・ベルリオーズはフランスで中世例話研究を牽引する研究者で、共編著も多いです。本ブログでも(十分な紹介はできていませんが)Jacques Berlioz et Marie Anne Polo de Beaulieu (dir.), L'animal exemplaire au Moyen Age ― Ve - XVe siècle, Presses Universitaires de Rennes, 1999の記事を掲載しています。 本書は、こうした中世例話研究を代表する3名の編による、『奇跡についての対話』からうかがえるシトー会士による説得技法や同作品の後世の受容などについて論じる論文集です。 本書の構成は次のとおりです(拙訳)。―――謝辞図版リスト引用写本リスト略号寄稿者一覧序論(Marie Anne Polo de Beaulieu, Victoria Smirnova and Jacques Berlioz)第1部 シトー会士による「信じさせる」(Faire Croire)技術 第1章 聞くことを愛した修道士―カエサリウス理解の試み(Brian Patrick McGuire)第2部 シトー会士のレトリックを探して 第2章 どの程度12世紀のシトー会士は修辞学概論に関心があったのか(Anne-Marie Turcan-Verkerk) 第3章 レトリックの規則に従う(あるいは従わない?)ハイステルバハのカエサリウス(Victoria Smirnova) 第4章 宗教的説得における視覚的想像―ハイステルバハのカエサリウス『奇跡についての対話』における心的イメージ(Marie Formarier)第3部 物語神学の洗練と普及 第5章 ハイステルバハのカエサリウス『奇跡についての対話』における物語神学(Victoria Smirnova) 第6章 例話と歴史記述:トロワ=フォンテーヌのアルベリックによるカエサリウス『奇跡についての対話』の読み(Stefano Mula)第4部 ドミニコ会説教活動におけるシトー会の遺産の使用 第7章 新しい「権威」の創造:ドミニコ会士リエージュのアーノルドによる『奇跡についての対話』の読みと再記述(Elisa Brilli) 第8章 『奇跡についての対話』:小ジャン・ゴビ『天の階梯』にとっての着想の最初の典拠か(Marie Anne Polo de Beaulieu)第5部 翻訳される『奇跡についての対話』 第9章 デーフェンテルの以前の市長について:Derick van den Wiel、「新しい信仰」、『奇跡についての対話』の中世オランダ語訳(Jasmin Margarete Hlatky) 第10章 ヨハネス・ハルトリープによる15世紀ドイツ語訳からみる『奇跡についての対話』(Elena Koroleva) 第11章 ニュー・スペイン(1570-1770年)におけるハイステルバハのカエサリウス(Danièle Dehouve)第6部 ラウンドテーブル:「信じさせる。物語と説得:持続性、再構成、断絶、13-21世紀 第12章 カエサリウスからチョン・ミョンソク(鄭明析)へ:メシアについての韓国の例話(Nathalie Luca) 第13章 例話の読み/教訓(Pierre-Anthoine Fabre)総索引――― 序論は本書の問題関心を提示した後、カエサリウスの略歴と『奇跡についての対話』の概要と受容、近年の歴史研究の動向を紹介します。ここでは、カエサリウスについて、肖像が例話集に残された唯一の著者だと指摘されます(p.11)。 第1章は自身の研究歴も交えながらカエサリウスの説得術を論じます。ここでは、各地の代表が集まるシトー会総会が様々な物語の交換の機会になったことを指摘し、現代の学会のシンポジウム集会などになぞらえているところが面白いです(学会でも、フォーマルな発表と、コーヒーや食事の際の情報交換がなされる)。 第2章はシトー会に修辞学の実践について論じ、第3章は『奇跡についての対話』序文からカエサリウスの修辞意識を確認した後にいくつかの例話から様々な修辞の事例を分析します。第5章はアウグスティヌスの理論を概観した後に『奇跡についての対話』のレプラ患者の例話を事例として心的イメージを分析。 第5章は『奇跡についての対話』を典礼(主に聖体)の観点から、他史料と比較しつつ分析し、第6章はトロワ=フォンテーヌのアルベリックの歴史叙述を史料とし、彼がその典拠としていかに『奇跡についての対話』を利用したかを論じます。 第7章はリエージュのアーノルド『アルファベット順物語集成』を、第8章は小ジャン・ゴビ『天国の階梯』を主要史料とし、それぞれがどの程度カエサリウスを典拠・権威としていたかを分析します。いずれも、カエサリウスだけでなく、その他の典拠についても分析しており、私が勉強を進めているジャック・ド・ヴィトリの利用についても言及があるため、個人的に特に関心をもって読みました。 第5部(第9章から第11章)は『奇跡についての対話』の翻訳について。今回は時間の都合もあり読めていませんが、ニュー・スペインの事例など面白そうです。 第12章は韓国の事例紹介、第13章は見開き2頁のみですが第12章と本書全体の関連から興味深いと思われる3つの側面を指摘します。 私は学生時分に例話について勉強していて、『奇跡についての対話』について扱う邦語文献(上述『ヘッセの中世説話集』の記事を参照)も読んでいましたが、欧語の専門論文を読むのはほぼ初めてで、あらためて勉強になりました。(2025.03.28読了)・西洋史関連(洋書)一覧へ
2025.07.06
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エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ(和田愛子訳)『ラングドックの歴史』~白水社文庫クセジュ、1994年~(Emmanuel le Roy Ladurie, Histoire du Languedoc, Presses Universitaires de France, 1962) 南仏で話されていた「オック語」の地域を意味する、ラングドック地方の、旧石器時代から現代(20世紀)までの通史です。 著者のエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ(1929-2023)は、アナール学派第3世代に属する歴史家です。多くの著作があり、邦訳もありますが、本ブログでは、次の著作を紹介したことがあります。・E・ル=ロワ=ラデュリ(樺山紘一他訳)『新しい歴史―歴史人類学への道―[新版]』藤原書店、1991年・エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ(稲垣文雄訳)『気候の歴史』藤原書店、2000年・エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ(稲垣文雄訳)『気候と人間の歴史・入門【中世から現代まで】』藤原書店、2009年・エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ(稲垣文雄訳)『気候と人間の歴史I―猛暑と氷河 13世紀から18世紀』藤原書店、2019年 著名な『モンタイユー』は過去に読んでいますが記事を書けていません。 原著刊行が1962年ということで、著者にとって最初期の著作です。 本書の構成は次のとおりです。―――第1章 起源第2章 中世の最盛期第3章 ペスト、戦争そして危機第4章 近代の最盛期第5章 大不況第6章 成長第7章 二十世紀の諸問題訳者あとがき参考文献――― 本書の目的や意図などの記述はなく、いきなり本論から始まります。 各章の紹介は省略しますが、興味深かった点をいくつかメモしておきます。 まず、第2章からは、ラングドック地方で二元論のカタリ派が流行した理由として、当地では、徹底的な修道院改革が欠如していた(45頁)ことを指摘しています。 第4章では、宗教改革後にカトリックとプロテスタントの間に生じた宗教戦争に関して、トゥールーズではカトリックの一分派が残虐行為に嫌悪感を示したこと、またカトリックでありながら役職保持のため改革派と同盟を結び、改革派の長に祭り上げられた人物の事例などが紹介されていて、興味深いです(カトリックとプロテスタントの対立という単純な構図だけでは読み解けないことがあるという戒めのように捉えて読みました)。 その他、パリやフランスという国全体との関わりでのラングドックの立ち位置が描かれています。 かなり流し読みになってしましましたが、150頁程度の読みやすい分量でもあり、ラングドック地方の事例研究としては出発点になりえる1冊と思われます。(2025.03.27読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2025.07.05
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