心のポテトサラダ

my favorite things

ターボ君のジュニアヨット
ウェブマスターをしているサイトのページ
元ヨット部の友人や後輩にジュニアヨットを勧めると、決まって「勉強どうするの?」という答えが帰ってきます。
そこでこのページを作りました。子供が中学時代に作りましたが、加筆しながらもう大学生になってしまいました。

最も大切なものは家内です。
美人で、賢くて、働き者で、やさしい。
おとなしいのですが、聞き上手でニコニコしているので、男性にモテモテ。
何故私のプロポーズに即答でOKしたか不明です。
宝物です。

長男ユキ君と次男ターボ君
神様からの最高の贈り物でした。
ユキ君は、小さな頃からリーダーの器なので、危ない世界に入っても親分になると思われる。

関西学院中学部
ここで生き方の教育を受けました。
特に毎日の礼拝の時間、賛美歌を歌った後聞く、先生や様々な分野の方の話がその後の生き方の基礎になっています。

幼稚園の同級生
西宮の私立幼稚園に電車とバスで1人で通いました。
今でも交流が続いており、中学受験、電車通学、大学受験、子供たちの誕生、子供たちの受験・・・、刺激し合っています。

ヨーグルト
アルコールは駄目で、晩酌の代わりに晩ヨーグルトを食べながらの時間が至福の時です。
毎晩プレーンヨーグルトを500g食べます。
子供たちが小さな時は、僕も僕もと3人交代で、子供たちの口にスプーンで1口ずつ入れてやりました。
親の運んできたエサに大きな口を開けるヒナのようでした。

ポテトサラダ
小学校1年の時、お年玉でもらった10円玉を仰向けに寝転がって手で弄くっていると、手が滑ってストーンとノドまで落ちてしまいました。
さあ大慌てで病院に駆けつけレントゲンで見ると、狭くなっている胃の上の入口(噴門)で止まっています。
それからうんちを箸でつつく生活が始まりました。何日たっても胃に落ちません。
「ここにあっても詰まっていないので特に問題はないが、繊維の多い食事を食べて絡めて出しましょう。芋ですよ、イモ。お母さんお芋料理を工夫してください」
それから3食イモ&おやつもイモの生活が始まりました。
習慣とは恐ろしいもので、「バターをつけて食べるおやつのふかしイモ」「鳥の巣(ジャガイモを細く切って木の枝のようにして、中央に目玉焼き)」・・・私はドイツ人かと思うほどイモ人間になりました。
中でも大好物だったのが、イモ+マカロニ+卵+たまねぎ+etc+マヨネーズの「ポテトサラダ」

ヨット
小学生の時はサッカー部でした。
中学でもサッカー部に入りましたが、みんな上手で自信を失っている所に、虫垂炎になりました。
手術をしましたが、慢性化していたようで予後が悪く、1年間スポーツ禁止になり、サッカー部をやめました。
高校でヨット部に入り、以降ずっと海のある生活をしている。
海があれば、風だけで何処にでも行ける、安価な体力要らずのクリーンな移動手段・・・レースも楽しく、混む事もなく・・・なんでマイナーなんだろうなあ?

スキー
学生時代から始めた。
友人と2人でスポーツクラブを作って、スキーツアーもしていた。
TV深夜番組に雪情報を流していたこともある。
家族が出来ても正月はスキーと決まっていた。
SIAセミゴールドを持っている。

キャンプ
長男が5才くらいから、お盆の家族キャンプを始めた。
毎年道具を揃えて、3家族くらい一緒に行ける道具が揃ってしまった。
長男が中学生になり、家族キャンプも終わったが、子供たちがクラブなどで使っている。

ジュニアヨット
次男と共にこの世界に入ったが、親子で日本中にたくさんの友達が出来た。
外国人の友人までできた。
私の人生の幅を倍にしてくれた。
大学ヨット部とジュニアヨットクラブのウェブサイトを運用中。

荒井由実
中学生になり洋楽好きになりました。
初めて買ったアルバムはディープパープル
続いて、レッドツェッペリン、サイモンとガーファンクル、・・・
高校生になって、荒井由美の音楽に出会った。
かなり衝撃だった。
「うわ~、好きだなあ」
「ひこうき雲」「ミスリム」に始まって、アルバムは全部買った。
ゆっくりした曲調の中に、情景が浮かぶ歌詞・・・最高だった。
僕はこんな音楽が好きだったんだ。
やがて松任谷由美になり、アップテンポの曲調になり、アルバムを買わなくなった。松任谷由美はあんまり。
ずっと荒井由美が好き。

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